エルダー2023年11月号
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■■■■■■■■■■■■ 無力になった〝江戸城の鬼〟失った人物などシュウトにしたくない」ということなのだ。   白石は完全な〝孤独な老人〟になっていた。この辺は自伝『折りたく柴の記』に詳しい。さて、その白石を相手に吉宗は大岡に何をさせようとしたのか?一言でいえば、〝権勢を失った哀れな白石に追い打ちをかけろ〟ということで、俗にいう〝水に落ちた犬には石をぶつけろ〟ということだ。何をするのかといえば〝幕府が貸与している物をすべて取り戻してこい〟という指示だ。〝そういう非情さが大岡にあるのかどうか〟が、吉宗のねらいだった。もし、ないならばせっかく伊勢から呼んだ人物だが、吉宗は、(使えない)と思っていた。その点、吉宗は非情なトップだった。さて話を大岡に移そう。かれは、新井白石の家を訪ねた。ちょっと距離をおいて家を一望した。家が気〝オーラ〟を放っているのがわかった。清潔な気だ。(気持ちがいい)大岡は〝気〟をそう受けとめた。第一印象は合格だ。入りやすい。ということは白石が接しやすいということだ。玄関を避けて庭に向かった。なかで白石は落葉を掃■き集めていた。すぐ気配で大岡に気づいた。「どなたかな?」多少声が固い。硬■ばりが感じられた。当たり前だろう。「このたび上様(吉■宗■)からお招きをいただいて、新しく町奉行を拝命した大岡忠相と申します。お見知りおきを願います」「伊勢山田奉行でしたな? た沼に清い流れを注いでおられる、というお噂はよく耳にして心強く感じております」「ご過■褒■です。が、ありがとうございます」訪問の第一歩は成功だ。「で、ご用は?」大岡はちょっと身を固くした。本題に入る。「あまりよい用ではございません。嫌なお願いにあがりました」「水に落ちた犬ですよ。礫■が一つ二つ増えても気にしません。遠慮なくおっしゃってください」大岡はホッとした。微笑んだ。「先生のご理解あるお言葉、お願いしやすくなりました」「評判通りのご誠実なお方だ。さあ、何でもおっしゃってください」「お言葉に甘えます。端的に申せば、幕府がご用立てしている物を、すべてお返しいただきたいということでございます」「・・・!」白石は呆れて大岡をみた。やがていった。濁っ「それがご用ですか?」「はい」「そんなことは当たり前のことで、職を去った者の守るべき手続きです。私も守ります。で、まず?」「土地と上■物■、家屋でございます。もちろん代■替■の物件は用意してございますので、そちらにお移りいただきます」「行き届いた温かいお心配り、ありがとうございます。明日からでもさっそく引っ越しの準備にかかります」「ありがとうございます。お引っ越しは急ぎません。どうぞごゆっくりなさってください」「江戸の民はよいお奉行を得て幸運だ…」ひとりごとのようにつぶやいた。しかし実感が溢れていた。「つぎに?」先をうながした。「調度品がございます。書き抜いてまいりましたので、ご一覧ください。ご不審の点はどうぞご遠慮なく」白石はあの世だの、霊■魂■だのを信じない学者として有名だ。ドライな思考力の持主だ。それだけに、心の一部に同質のものを持つ大岡との話の進行は楽だった。(上様はどういうおつもりで私にこんな仕事を命じたのだろう?)そんな疑問が湧くほど話は支障なく進んでいた。(つづく)33エルダー

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