エルダー2023年11月号
40/68

第回■■■■■■私は東京都町■田■市で生まれました。地元の工業高校を卒業後は、自動車部品を扱っている会社に就職、すぐにプレス機械の現場に配属されました。大型機械のラインに就いているのは新卒の若手が多く、職場には活気がありました。高度成長期真っ只中の時代で休日出勤もたびたびありましたが、若さでのり越えました。新卒はまず現場で1年ほど鍛えるのが会社の方針だったようですが、1年後には希望していた技術部門に異動することができました。好きな仕事に就けて充実した日々を過ごしていたのですが、25歳のころから10年ほど現場を離れて労働組合の活動に専念しました。きっかけは青年婦人部を新設するための発起人の一人になったことでした。青年婦人部で活動した後、組合本部に呼ばれ、そこで4年ほど支部長も経験しました。そろそろ現場に戻れるかと思ったら今度は自動車労連という上部団体から声がかかり専従役員を務めることになりました。組合員が23万人もいる大きな団体で、目標の一つに「福祉社会の実現」を掲げていました。当時から労働組合も高齢化社会の到来を予測していたのだと思います。組合活動の一環として、それまでは縁のなかった福祉について学べたことは、その後の人生の大きな糧になりました。どにたずさわり、定年後は再雇用で65歳まで働きました。65歳でいよいよ退職することになったとき、思いがけずある金型メーカーから声がかかりました。当時、私は工程設定や見積もり、外注手配などの仕事もしていた関係で、金型メーカーと懇意にしていたことから声をかけていただき、結局そこで74歳まで働かせてもらいました。ありがたかったです。それからは、毎日が日曜日という日々が待っていたのですが、18歳から74歳まで働き続けてきた体は、おかげさまで頑■健■で、気力も衰えず、もう一度働きたいという気持ちは日増しに強くなるばかりでした。年齢がネックとなってなかなか仕事が見つかりません。あきらめかけていたときに出会ったのが、神奈川県綾■瀬■市の「アクティブ・シニア応援窓口」でした。思い立ってハローワークを訪ねてみると、団塊世代の斉藤さん。その精■悍■な風貌から、時代に背中を押されながらいつも真摯に向きあってきた芯の強さが垣間見られる。若いころに組合活動を通じて、多くの人に出会えたことへの感謝はいまも忘れていない。労働組合で学んだ福祉の心アクティブ・シニア応援窓口との出会い35歳で技術部門に戻った後は、能率管理なスタッフ斉■■ ■■藤信■■明■■2023.1138さん 自動車関連の会社で長く技術畑を歩いてきた、斉藤信明さん(75歳)。会社勤めを終えてから新しい仕事探しに難航したが、シニアを応援してくれる行政窓口に出会って道が開けたという。そしていま、充実の日々を送る斉藤さんが生涯現役で働ける喜びを笑顔で語る。一般社団法人インクルD87高齢者に聞く

元のページ  ../index.html#40

このブックを見る