エルダー2024年1月号
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第回■■■■■私は千葉県の千葉市稲■毛■区で生まれました。大学卒業後、銀行に就職しましたが、2年ほどで職場結婚し、いわゆる寿退社をしました。研修でいろいろ学ばせてもらいながら早期退社は申し訳ないという気持ちもありましたが、当時は「結婚したら女性は家庭に入るもの」という風潮もあり、24歳で専業主婦として新しい一歩をふみ出しました。その後、夫の転勤にともなって何度も生活の場を移しました。東京から兵庫県の各地を回り、また東京に戻るといったことが続き、なんと引越しは7回にもおよびました。目まぐるしい日々でしたが、2人の男の子に恵まれ、子育てに専念できたことは幸せでした。下の子が小学校低学年になると時間の余裕も生まれ、そろそろ働いてみようかと漠然と考えていたとき、かつて私が入行した銀行がアシスタントを募集していることを知り、応募したところ、採用されました。書類の点検がおもな業務で、週3日のパート勤務でしたが、結局、38歳から20年間勤めました。新卒で縁ができた職場を早くに辞めたことを心苦しく思っていましたが、パートとはいえ時を経てから長い間働かせてもらえたのですから、人生はおもしろいと思います。その後、夫が兵庫県西■■宮市の夙■川■に転勤になったため20年の勤■■務を終えましたが、当時の職場にはいまも感謝の気持ちでいっぱいです。も居心地がよく、夫婦で楽しく暮らしていた矢先、2021(令和3)年に、夫がコロナウイルスに感染して急逝しました。当時、関西圏もコロナの猛威はすさまじく、自宅で亡くなる方も大勢いました。病気ひとつしたことがない健康な夫のあまりにもあっけない最期に、しばらくは茫然としていましたが、いつまでも下を向いていては夫が悲しむと思い、夙川を離れて東京都に住む次男家族の家の近くへ転居しました。らず、自分からアクションを起こさなければ何も始まらないと、まずは仕事を探すことにしました。あるとき、インターネットで育児や家事を支援する「東京かあさん」という言葉に出会いました。その「かあさん」というやさしい響きが心に刺さり、詳しく調べてみると、自分に向いている仕事のような気がして、思い夙川は街の雰囲気が落ち着いていて、社宅新しい土地では次男家族以外に知合いもお「関西有数の高級住宅地・夙川での日々はとても楽しかった」と後藤さん。そして4人の孫を授かり順風満帆と思えた後藤さんの人生に、予測できないことが起きた。感謝の気持ちを忘れずに前を向いて新しい世界へ2024.138育児・家事支援サービス 東京かあさん後■藤■■早■苗■■高齢者に聞く 後藤早苗さん(66歳)は、主婦や子育ての経験を活かし共働きの若い世代の家庭を中心に家事や育児をサポートしている。ていねいな仕事と明るい人柄で「早苗ママ」と慕われる後藤さん。だれかの役に立つことの喜びが、働く機動力になるという、そのエピソードを語る。株式会社ぴんぴんころり89さん

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