エルダー2024年4月号
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自分が一番のペルソナと考えてンドキャリアについて考え始めたのは50代半ばを過ぎたころでした。それまで営業マネジャーとして業績を上げることで感じていた、大きな達成感ややりがいが感じられなくなってきたといいます。そのように感じていたタイミングの2020年、コロナ禍が押し寄せ、対人接客を主とする佐野さんの仕事にも大きな影響がありました。もともと人と会うことが好きで、営業の仕事をしていた佐野さんにとって、リアルで会える時間がとれないことの喪失感は決して少なくありませんでした。そんな折に、佐野さんは自分から一歩前に進んでトライしてみました。転機になったのは二つ。一つは、ポーラが社内で開催したキャリア研修に参加したことでした。あらためて「自分とは何か」、「自分にできることは何か」を考えたといいます。役職定年後、マネジメントの任を解かれたとき、いちプレイヤーとして自分に何ができるのかを考え始めたのだそうです。そしてもう一つ、新規事業提案制度に手をあげて参加したことでした。自分より10歳も20歳も年の離れたメンバーとともにプロジェクトを進めるなかで、「若手から学べることがある」、また「自分の得意なことを教えることもできる」と体感し、年代に関係なく学び合うことの大切さを感じました。新規事業として提案した「セカンドキャリア制度」について、そのときは残念ながらプロジェクト化にはなりませんでしたが、この提案が定年後、人事部の仕事を会社から提案されるきっかけになったのでした。は、インタビューの冒頭から柔らかい表情と穏やかな口調で、話しやすい場をつくってくださいました。営業マネジャーとして第一線で働いていた佐野さんが、定年を迎えるにあたって直面した疑問がありました。それは、定年を迎えて本部に戻った際、「いちプレイヤーとして何ができるのか?」、「自らの居場所をどうしたらよいのか?」という問いです。これまで営業マネジャーとして結果責任を負い、リーダーやメンバーの育成をにない、判断や決裁をしてきました。当時、60歳を過ぎて再雇用となった先輩方が元気がなくなっていく姿に「なぜだろう?」と思っていましたが、いざ自分がその立場になったとき、「役割が変わる不安」、「収入減による経済的不安」、「家族との関係性が変わることへの不安(佐野さんの場合は、15年の単身赴任から自宅生活に戻る)」など、さまざまな不安が生まれ、自分自身にあらためて向き合う必要があったのです。会社が実施したキャリア研修を受講してから、社外のキャリアに関するセミナーやカウンセリング、コーチングを受けたり、ファイナンシャルプランナーの資格を取ったり、自ら積極的に学びを進めるなかで、ある考え方が生まれました。それは、「再雇用で仮に70歳まで働くとしたら、生活のためだけに働くのはつらい」ということでした。多くの企業では再雇用のシニアに、役職も収入も大きく下がる代わりに、任せる仕事や責任も軽いものに調整することが多いでしょう。しかし、じつはシニアは、少なくとも佐野さんのような意志あるシニアは、責任やタスクを単に減らされたいのではなく、期待されたり、なにか自分から仕掛けていきたいのです。実際、佐野さんは「10年あったら何か新しいことができるのではないか」と、考えたそうです。未来について好きなことや得意なこと、新しいことを考えたとき、少しずつワクワクした気持ちになってきたのです。そして、多くの定年を迎える人も同じように不安を抱いているなら、自分と同じようにワクワクした気持ちでセ多様な人材を活かす多様な人材を活かす43エルダー心心理心的全全全安全全性性のの高い職場づくり高い職場づくり3自ら学をび「、ワ考クワえク、ま体ー感くしんた」もとの呼をぶ広佐げ野るさん2営業喪の失第感一線かでら働キいャてリいアたデ佐野ザさイんンがへ、セカ

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