エルダー2024年4月号
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 溝み上う憲の文ふ〝あの作品〟うろょう小説 『故郷忘ぼじがたく候そう』(著/司し馬ば遼り太た郎ろ 1968年)心に残るこのコーナーでは、映画やドラマ、小説や演劇、音楽などに登場する高齢者に焦点をあて、高齢者雇用にかかわる方々がリレー方式で、「心に残るあの作品の高齢者」を綴ります労働ジャーナリスト壽■官■氏と沈家の物語ですが、家業に対する先代と■■■ う うぞえりみ祖父から息子、そして孫へと受け継がれる家業は世の中に多いですが、実際は家族であるがゆえの技能伝承や、継がせたい親と子どもの心の葛藤など、幾多のむずかしさも抱えています。司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』は、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した16世紀末、朝鮮半島から薩摩へ連れてこられた朝鮮陶工の末裔である14代の沈■の対話も描かれています。代々の沈氏は薩摩焼を全国に知らしめ、幕末のパリ万国博覧会、明治初年のオーストリア万国博覧会にも出品し、世界的にも高く評価されました。初代から受け継がれた茶碗などの薩摩焼の作陶の技術を守ることを家風としてきましたが、父の早稲田大学を卒業しています。14代が美術学校に進学したいといったとき、父は「どうせ村に帰ってくれば一生茶碗屋をやらねばならぬ者が、せめて若いころだけでも茶碗と縁のないことをやって息を抜いておかねば、せっかくこの世にうまれてきたわが身が可哀そうすぎる」といったそうです。人前となっていた14代が継承だけでは充足できない思いもあり、ほかの陶芸家のように流行の展覧会作品をつくりたいと願い出ました。父は「芸術家になりたいか。自分も若いころはそのような場所で個人の名を華やかにしたいと思ったことがある。しかし何ほどのことがあるだろう。わしからみればこの十数代は山脈のようなものであり、先祖のものを伝承しているだけのようにみえて一人ひとりの遺作をみると、みな個性があり、一人ひとりは山脈を起伏させている峰々のようなものだ」といいます。それでも諦めきれずに「いったい自分は何を目標に生きてゆけばよいのか聞かせてほしい」と懇願すると、父は「息子を茶碗屋にせえや、わしの役目はそれだけしかなかったし、お前の役目もそれだけしかない」といいます。高齢の父と息子の対話には、家業を継ぐことの悲哀と喜びを共有した親と子、また師に対する尊敬と、弟子への愛情に貫かれた深い結びつきが滲み出ています。小説では親子の対話はここで終わりですが、14代の沈氏は先代の厳命を守り、陶芸作家として日展や日本工芸会に所属せず、400年以上続いた家業を守り抜き、15代目の息子に託して2019(令和元)年に92歳でこの世を去ります。あるとき14代が「どうすれば一人前になれると思うか」と息子に問うと、「働いて給料を取り、家族を食べさせ、守り抜く」と答えます。しかし14代は「それはだれでもやることだ。ひとりでいたって寂しくない、自分の信念をひとりぼっちになっても貫き通す。それが一人前ということだ」と諭したそうです。この言葉には13代が残した「山脈の峰々」に通じる〝孤高〟を守ることの重要性が受け継がれているように思われます。司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』 (文春文庫)55エルダー第11回13代は京都帝国大学(現在の京都大学)、14代は13代が75歳で他界する少し前、すでに子持ちで一のの高高齢齢者者

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