第回■私は千葉県船■■橋市で生まれました。地元の高校を卒業後、東京都内の大学の工学部電気工学科に進みました。子どものころから電気の世界に興味があったのは父が電電公社(日本電信電話公社・現「NTT」)の社員であったことが影響しています。当時は安定した職場として人気が高く、兄も父と同じ道を選びましたが、残念ながら私は入社が叶わず、電子部品のメーカーに就職しました。入社してすぐ郡■山■工場の立上げにかかわることになり、福島で生産管理の仕事に10年ほど従事しました。その後、技術部門に異動になり、技術スタッフとして18年勤務しました。大学で学んだことが活かせる職場はやりがいがありました。最後は管理部門に異動になり、約10年、人事・総務の仕事にたずさわりました。生産管理、技術部門、管理部門という三つの部門の経験は、定年後の第二の人生を切り拓く力となりました。とりわけ最後の10年に人事や採用の仕事でいろいろな立場の人に出会えたことは大きな財産です。転職を考えたことは一度もなく、60歳で定年退職後、2年ほどは、知人の紹介で中途採用のプロジェクトの仕事に従事し、その後、縁あって高齢者雇用を創出する「株式会社マイスター60」で第二の人生のスタートを切りました。■■■■いうものは本当に大切だと思います。定年後に採用の仕事に従事できたのもかつての仲間の後押しがあったからです。ただ、2年の契約でしたからすぐに次の仕事を探すことになりました。体調もよく意欲もあったので働き続けたい思いは強く、ハローワークを訪ねましたが、62歳の私には思い通りの仕事が見つかりませんでした。あきらめかけていたときに株式会社マイスター60で営業の仕事をしていたかつての同僚から、自分の職場で働いてみないかと声がかかりました。最初はどういう会社かよくわかっていなかったのですが、声をかけてもらってからいろいろ調べてみると、高齢者に雇用の場を創出することで社会に貢献する、とてもユニークな会社だと知りました。会長の著書を読み進めるなかで共感することがたくさんあり、ここでもう一度自分の力を試してみたいと思うようになりました。さっそく面接を受け、契約社員として採用されました。「縁あって」とお話ししましたが、人の縁と入社して5年が経ちますが、いま、一番楽新卒から定年まで一つの会社で仕事をまっとうした丸山さんは「お聞かせするような話があまりなくて」と謙遜する。笑顔で語る丸山さんの38年の日々は、転職の情報があふれているいまの時代に、かえって新鮮な感じを受けた。三つの部門の経験が宝物人と人をつなぐ喜びに支えられシニアビジネス事業部丸■■山■■猛■■■2024.538さん 丸山猛さん(67歳)は電子部品のメーカーひとすじに定年まで勤めあげた。現在は、高齢者の雇用を創出する会社で生涯現役を目ざすシニアと向きあう日々を過ごす。多岐にわたる部門で研けんさん鑽を重ねた丸山さんが、経験を力に働き続ける喜びを語る。株式会社マイスター60高齢者に聞く93
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