エルダー2024年6月号
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した。自宅から近いところに会社があることにも縁を感じました。縁がつながり、気がつけば、もう27年間お世話になっています。私に与えられたのは交通誘導警備員という仕事でした。年齢に関係なく働ける職場はありがたかったのですが、いざ働いてみると、想像以上にたいへんな仕事でした。交通誘導警備とは、建設現場などに機材や資材を搬入する際、一般の通行者と作業員の安全を確保し、円滑な交通整理を行い、工事がスムーズに進行するようサポートするものです。研修を終えて現場に出たものの、最初のうちは車の誘導がなかなかうまくできなくて、叱られてばかりいました。猛暑のなか、あるいは雨が激しく降る日でも紅白の旗を手に持ち、朝から晩まで立ち続けなければならない激務ですが、通行者や作業者の安全を守っているという誇りが支えになりました。体力勝負ですから、私の生活スタイルも次第に変わっていきました。晩酌をやめ、煙草もきっぱりやめました。勤め始めて10年が経ったとき、家内に肝硬変が見つかりました。余命4年を告げられながら7年間の闘病ののち他界しました。若くして駆け落ち同然で郷里を飛び出してから苦労のかけっぱなしでした。新しい職場に早く慣れなければと、自分のことに夢中で、会社をたたんでからずっと青物市場で早朝から働き続けてくれた家内を思いやる余裕がなかったことが、いまも悔やまれてなりません。一人暮らしになって初めて家内のありがたみを知りました。不思議なもので「感謝」ということをつねに考えるようになり、自然に仕事の場面で活かされていきました。ドライバーに赤旗を振って止まってもらうとき、「止まれ」ではなく「止まっていただけますか」というお願いの気持ちをこめるようにしたのです。そして、止まってくれたときと発車のとき、いつも2回お辞儀するようになりました。感謝の気持ちというものは必ず通じるようです。すべて家内に教わりました。通行されるみなさんには、わかりやすい言葉で話しかけるように心がけています。特にお年寄りにはていねいに。私のほうが年上だったりしますけれど、笑顔を添えて話しかけています。子どもたちはとても率直で「おじちゃん、ありがとう。これからもがんばってね」などと声をかけられると本当に天にも昇るような心地になります。安全を守るという仕事に就いている喜びがここにあります。大動脈解離が見つかってからは、勤務時間を短縮させてもらっています。健康診断で異常が見つかったのは幸いでした。身体の3カ所に人工血管が入っています。不整脈も見つかったので、いまは週末と水曜日が休みの週4日勤務です。くって6時半には家を出て現場に向かいます。ここ30年間ほど朝食は摂っていません。そのほうが私は体調がよいのです。昼休みは1時間もらえるので、弁当を食べたら少し仮眠をとるようにしています。自分に合ったリズムが健康には一番だと思っています。濯です。薄汚れた旗を振っているのをだれかに見られたら、私というよりは会社、さらには業界全体のイメージが悪くなってしまいます。この年になるまで働かせてもらっている会社や業界に、少しはお役に立ちたいと思っています。タッと死んで、家内のところに行きたい。ちょっとカッコよすぎるでしょうか。身体が丈夫なのが自慢でしたが、3年前に勤務のある日は5時に起床し、弁当をつ仕事から帰って真っ先にやることは旗の洗叶うならば生涯現役で旗を振りながらパ上野さんが60歳で第二の人生のスタートを切った日本綜合警備株式会社は、1977年の創業以来、質の高い「安全の実現」を合言葉に業容を拡大してきた。「創業者は厳しいが面倒見のよい人だったからいまがある」と上野さんは語る。交通誘導警備員という仕事に誇りをもっていつまでも旗を振り続けることを夢見て39エルダー高齢者に聞く

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