エルダー2024年8月号
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あらゆる分野の仕事に前向きに取り組んできた。後に仕事でイタリアに赴任したとき、縁あって憧れの塩野さんと食事をする機会があったとのこと。「エッセイが人生を変えることもあるからおもしろいですね」と大山さんは笑顔で語る。経験こそ宝物第回■■■■■七■生■さんが雑誌に連載していたエッセイ「君私は、日本三景の一つ宮城県宮城郡松■島■町■に生まれ、中学と高校は仙台市内に通い、大学は東京に出てイタリア語を専攻しました。高校時代、イタリアに造詣の深い作家の塩■野■知るや南の国」を読んで、イタリアという国に魅了されたことがきっかけでした。ただ、はじめは語学の大学に進む予定ではありませんでした。周囲からすすめられ、高校を卒業した年は医学部を受験しましたが、受験に失敗。浪人中に自分の将来を見つめ直して文系に進路を切り替えました。そのとき頭にあったのが塩野さんのエッセイでした。人生は何が契機になるかわかりません。大学を卒業して航空会社に入社、総合事務職として採用されました。東京支店での営業担当を皮切りに、旅客チェックイン業務や整備本部で調達の仕事などを歴任しました。その後は米国の航空機会社との契約交渉を担当するため米国出張が続きました。国内線専門でやってきた会社が国際線に進出するようになると、新たに航空燃料調達の仕事が増えました。石油の元売りとの交渉などで語学力のある人材が求められ、本社の調達部に配属されました。これまでつちかったさまざまな分野での経験がいまに活きています。きましたが、いよいよイタリアにも航路が開かれ、イタリア語ができる私に白羽の矢が立ちました。それまで手紙の翻訳などはしたことがありますが、イタリア語で勝負するのは実質初めてで、ミラノとローマに支店を立ち上げることが私に課せられました。いま思えば人生の修羅場といえるような時代でした。たった一人での現地人材の採用からはじまり、あらゆることへ挑戦の連続でした。就任して2カ月後に初めて飛行機が飛んだときは感無量でした。その後、さまざまな事情で支店を閉鎖することになり、一緒に苦労してきた現地の社員を解雇したときもつらかったです。この時代のことを話すといくら時間があっても足りません。楽しいこともつらいこともすべてが、自分の成長につながった現場でした。して登録業務やクレーム処理を担当しました。その後は出向が続き、最後が貨物部門の営業会社の国際線の開拓とともに海外出張が続帰国してからはマイレージセンターの所長と57歳でキャリアチェンジシニアエキスパート大■■ ■■山光■■彦■■2024.838 大山光彦(70歳)さんは大手航空会社に42年勤務し、営業からマネージメント、人事まで多岐にわたる分野を邁まい進しんしてきた。そして現在は、豊富な経験を活かし経営コンサルタントとして第一線で活躍している。人材育成に情熱を注ぐ大山さんが生涯現役で働くことの魅力を語る。アルファブレーンコンサルティング株式会社高齢者に聞く96さん

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