高齢者に聞く第 回2025.140生産部門を支えるために奮闘した日々私は長野県中なか野の市に生まれました。6人の子どもがいて両親はたいへんだったと思いますが、高校へ通わせてもらえたことにはいまも感謝しています。地元の高校を卒業すると1年ほどは家業の農家を手伝いました。その後、義兄を頼って上京し、義兄が働いていた樹脂製造業の住友ベークライト株式会社に入社がかないました。1959(昭和34)年のことです。住友ベークライト株式会社は、私が入社する4年前に日本ベークライト株式会社と住友化工材工業株式会社が合併してできた会社で、私は川崎工場の検査部門に配属されました。そのころは検査と呼んでいましたが、いわゆる品質管理の仕事です。高校は普通科でしたから、とにかく働きながら仕事を覚えるのに必死でした。川崎工場では電話機材の開発を行っており、NTTの前身である電電公社の指定を受け、黒電話を生産していました。時代は高度成長期を迎え活気にあふれ、私は川崎工場の生産にかかわる資材調達の仕事も担当するようになり、忙しいけれど充実した日々を過ごすことができました。そのころは土曜休みもなく、仕事人間がたくさんいましたが、いま思えば私もその一人でした。家のことは妻に任せきりであった男が、いま厨房でケーキづくりに邁進しているのですから、人生とはおもしろいものです。第二の人生の背中を押してくれた仲間たち当時の定年は60歳でした。半年くらいのんびりして今後のことをじっくり考えました。特にやりたいことはなかったものの、元気なうちは働き続けたいという思いはありました。そんな折、定年退職後にヨハンでチーズケーキ職人として働いていた先輩が「一緒に働いてみないか」と声をかけてくれました。住友ベークライトのOBである和わ田だ利り一いち郎ろうさんが創業されたヨハンのことは現役のときからよく知っていました。和田さんを慕って退職後にケーキ職人に転職した人の話も聞いていましたし、声をかけていただいたのも何かの縁だと思い、働かせてもらおうと決意しました。それまでの仕事とは異なる世界でしたが、ヨハンを訪ねたときに、そこで働いている職人が全員住友ベークライトの先輩たちだということがわかり、不安はまったくありませんでした。むしろ定年後に仲間たちと一緒に働ける喜びはかけがえのないものだと思い、60歳にして新しい世界に足を踏み入れたのです。チーズケーキ専門店ヨハンは東京の中目黒駅からほど近く、店の目の前を桜の名所として知られる目黒川が流れる。近隣にはお洒落チーズケーキ専門店ヨハンケーキ職人小こ林ばやし 隆りゅう きち吉さん 小林隆吉さん(85歳)は、樹脂製造の会社で資材調達や品質管理などの業務に従事してきた。 定年退職後は、畑違いのケーキ職人として、いまも現場に立っている。知る人ぞ知るチーズケーキ専門店で第二の人生を歩み続ける小林さんが、かつての仲間たちとともに生涯現役で働くことの喜びを語る。100
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