エルダー2025年3月号
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高齢者に聞くエルダー37ていました。私も、働いている書店でストライキに加わるなどの経緯があって、5年ほどで退職しました。次の職のあてがあって辞めたわけではなく、しばらくは放浪時代が続きます。そういうなかで結婚しましたから、家族には本当に迷惑をかけました。しかし、人生とはおもしろいもので、困っているときに声をかけてくれる人が必ず現れるものです。錦糸町の書店で知り合った人が古本屋を開業していて、「ノウハウを教えるから古本屋をやってみないか」と誘ってくださったのです。本の世界はまったく無縁ではなかったことと、古本にも多少の興味があったため、仕入れの方法などを教わって、当時住んでいた青梅市に近い福ふっ生さ市に物件をみつけ、古本屋業の第一歩が始まりました。古本屋というと、店舗の一番奥のレジの前に陣取り、眼鏡の奥から客の様子をうかがう老齢の店主がいるようなイメージがある。そのことを告げると橋本さんは「だれでも開業できる自由な世界です」と笑い飛ばした。古書の魅力に触れてよく、昔はよかったと人はいいますが、私もよき時代のことをときどき思い出します。福生市に古本屋を開いたのは1987(昭和62)年で、私は40歳になっていました。福生市役所に近い利便性のよい地に10坪ほどの店舗を借りました。都内では家賃を払えないため都下を選んだのです。いまの時代、古本屋がどんどん廃業している原因の一つに家賃の高騰があります。古本屋街として残っている地域は土地を持っている強みがあるのだと私は思います。とにもかくにも福生市で古本屋の看板を掲げました。資金もなかったのに家賃をどうやって払っていたのかといまでも不思議でなりません。借金をした記憶はありませんから、自転車操業でなんとか続けてこられたのでしょう。書店名は「悠山社書店」としました。中国の5世紀の詩人陶とう淵えん明めいの詩の一節である「悠然トシテ南なん山ざんヲ見ル」から取りました。いまのインターネット書店の形態になってからもその名を受け継いでいます。インターネット書店で生涯現役を古本屋の看板を掲げた日から本を売りに来る人がいて、どんどん在庫が増えていきました。古本屋に大切なものは「仕入れの眼」だと私は思います。つまり「センス」なのです。経験のなかで眼が肥えていくこともありますが、読書家でなくてもセンスがあれば成功する世界です。開業と同時に東京都古書籍商業協同組合に入りました。組合のなかで知り合ったある書店の店主が、インターネット時代以前に、電話回線を使った通信販売のようなことに着手していることを知り、その仲間に入れてもらいました。その後、すぐにインターネットの時代が到来し、そのネットワークは1年ほどで終わりましたが、高価な値段をつけた新書をまとめて購入する人もいて儲かったことを覚えています。その後、2001(平成13)年に店舗を閉めて、インターネット書店として再スタートしました。現在、JR青梅線小こ作さく駅から車で10分ほどの4階建ての倉庫の3階と4階を借り、150坪のフロアに7万冊の在庫を揃えています。社会科学の書籍を中心に、哲学・宗教や自然科学など幅広い分野を扱っています。インターネットサイトを通じ、注文が決まると本を探して発送。基本は後払いです。7万冊の書籍のなかから探し出すのはたいへんかと思われるかもしれませんが、棚番号と個別番号で管理しているので問題ありません。お客さまと対面する楽しみはありませんが、インターネットの場合には不特定多数の国境を越えた無限の人々の眼に触れる楽しみがあります。気がつけば古本屋の店主として長い道を歩いてきました。朝9時から17時まで毎日働いています。特に趣味もなく、あえていえば古本が趣味でしょうか。夜寝る前に宮沢賢治の作品の朗読をYouTubeで聞いて、ぐっすり眠った翌朝は、また私の「古本たち」に会いに出かけます。生涯現役の人生は本当に楽しいものです。

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