2025.42大阪大学 ダイバーシティ&インクルージョンセンター 招へい教授日高 乃里子さん校として展開しており、そちらを担当することになりました。全国180を超える大学のネットワークであり、Webページの管理やネットワークにご参加いただいている大学の理事クラスの会議の運営や、全国講演会の企画などを担当してきました。2024(令和6)年3月でプロジェクトは終了しましたが、文部科学省からは、最も高いS評価をいただきました。学内では、「ダイバーシティ&インクルージョンの世界」という新しい授業も開講し、毎年200人の学生が受講しています。65歳で定年となり、いまは招へい教授としてお手伝いをしています。―すばらしいお仕事と業績です。大阪大学の前は、帝人株式会社(以下、「帝人」)のダイバーシティ推進室で働かれていたそうですが、ご自身のキャリアについてお聞かせください。日高 帝人には、33歳のときに中途採用で入社しました。大学の薬学部を卒業後、製薬会―日高さんは、大阪大学ダイバーシティ&インクルージョン(以下、「D&I」)センターの教授を経て、現在も招へい教授として活躍されています。同センターではどんなお仕事をされてきたのですか。日高 D&Iセンターは、大阪大学の教職員および学生のD&Iの推進を目的とした部署です。働き方改革や多様性の尊重と包摂に向けた取組み、そしてジェンダー平等に向けた均等支援などを行っています。具体的には、育児・介護支援、キャリアアップ支援、次世代育成支援など、さまざまな活動を展開しています。施設や職員数の規模も含め、D&I推進では国立大学のなかでは、早く取組みを始めました。東京大学をはじめ全国の大学や機関からヒアリングにいらっしゃいます。 私自身は5年前にD&Iセンターの教授に就任しました。就任時、文部科学省の補助金で大阪大学が全国の大学のダイバーシティネットワークを構築するプロジェクトを幹事社に総合職で入社し、おもにRI(ラジオアイソトープ)検査薬のプロモーションの仕事を5年ほど担当していたころ、高校時代の同級生でもあった医師と結婚。専業主婦になったのですが、パートナーの帰りを待って毎日ご飯をつくるのが嫌になり、専業主婦は2週間で卒業しました(笑)。薬剤師の免許を活かし町の調剤薬局で働き、その後、パートナーの転勤で岡山県に引っ越し、製薬会社の営業所で管理薬剤師として働き始めました。仕事は薬の管理だけをしていればよいのですが、それではおもしろくありません。そこで、営業所の社員を相手に勝手に教材をつくって、薬や疾患について学ぶ研修会などを開催していました。 そこに1年半ほど勤務したころ、パートナーが大阪の大学病院に戻ることになり、大阪で新しい仕事を探すことになったのですが、それが新聞の求人広告で見つけた帝人の管理薬剤師の募集でした。このときは一般職での採用で、給与も一般職の賃金+諸手当のみです。何よりサポート的な仕事が多く、これもおもしろくない(笑)。もっと学術的な仕事がしたいと思い、総合職試験を受けました。晴れて総合職になったのですが、今度は妊娠していキャリアを活かし大学のD&Iを推進全国規模のプロジェクトにも参画
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