高齢者に聞く第 回2025.742研究の喜びに支えられ私は神奈川県横浜市の生まれです。地元の小学校を卒業後、鎌かま倉くら市にある中学校と高校に通いました。その後一ひとつばし橋大学へ進んで経済地理学を専攻、子どものころから鉄道や地理が好きだったので自然な流れであったように思います。大学卒業後、明めい治じ生せい めい命保険相互会社(現・明めい治じ安やす田だ生せい命めい保険相互会社)に入社しました。当時は景気が回復し始めたころで、就職は順調に決まり、神奈川県平ひら塚つか市の湘しょう南なん支社に配属されました。まずは2年間、現場の事務を担当しました。そのころは3年から4年で異動することが慣例でしたから、私も企画や企業年金、営業職員の人事制度など、さまざまな業務を担当しました。30代半ばに3年間愛知県の営業所に勤務した以外は、本社で業務経験を積みました。42歳のとき、グループ会社の株式会社明治生命フィナンシュアランス研究所(現・株式会社明治安田総合研究所)に異動になりました。じつはその少し前に、病気で1カ月ほど入院生活を送りました。入院中に将来のことを考えると不安になりましたが、幸い研究所が声をかけてくれました。研究所では少子高齢化問題や年金、介護保険制度の研究に従事し、時代の課題と向き合う実感があり、やりがいもあって楽しかったです。研究所で学んだことはその後の仕事に活かされていますので、病気もよい転機になるのだから人生とはおもしろいものです。「気がつけば14年が過ぎていました」56歳のとき、縁あって森さんは公益財団法人ダイヤ高齢社会研究財団に異動。同財団は1993(平成5)年に設立され、高齢社会における健康、経済、生きがいなどに関するさまざまな調査・研究に取り組んでいる。ここから森さんの活躍の場がさらに広がった。高齢社会のさまざまな課題に対峙して研究所の先輩が一足先に財団に異動していたこともあり、私も新たな職場での仕事はスムーズにスタートできました。研究所では少子高齢化の観点から研究を進めていましたが、財団は高齢社会に関する諸問題を検討するので、目的がいっそう明確です。前向きな気持ちで仕事ができる土壌があり、いつの間にか10年が過ぎました。20人ほどの仲間と楽しく仕事をしています。私は60歳のときに定年を迎えましたので、その後は毎年、雇用契約を更新しています。かつては企画調査の部署でしたが、いまは「シニアアドバイザ―」として広範囲に仕事をしています。財団に資金や人材を出しているのは三みつ菱びしグループです。私のいまのおもな仕事は、三菱公益財団法人ダイヤ高齢社会研究財団シニアアドバイザー森もり 義よし博ひろさん 森義博さん(66歳)は現在、高齢社会の研究に取り組む民間シンクタンクで、仕事と介護の両立支援などのテーマに日々取り組んでいる。生命保険会社が設けた研究所で重ねた経験を活かし、高齢者がより暮らしやすい社会の実現を目ざして奮闘する森さんが、生涯現役で働くためのヒントを語る。106
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