高齢者に聞く第 回2025.936アナログの世界の楽しさに出会って私は福島県いわき市の生まれです。いわき市には常じょう磐ばん炭鉱があり、父は炭鉱夫でした。石炭産業は戦後の日本の産業を牽引しましたが、私が高校を卒業するころには閉山していましたので、町はかつての賑わいを失っていました。高校には東京の企業から求人情報が数多く届いており、印刷業がどのような業界かわからぬまま、横浜にあった阿あ部べ写しゃ真しん印いん刷さつ株式会社(アベイズム株式会社の前身)に就職しました。大企業といわれる印刷会社からも複数の求人がありましたが、この会社を選んだのは縁があったからだと思います。70歳を超えたいまでも、現役で働き続けられる日常を思えば、18歳のときの私の選択は正しかったといえるかもしれません。当時、横浜の工場には、大きく分けて印刷と製本の部門があり、私は製本の部門に配属されました。何の知識もなく、いきなり現場に出され、先輩の職人の背中をのぞき込みながら、身体で仕事を覚えていきました。製本の仕事をしながら、印刷の仕事にも興味がわき、ほどなく印刷の部門に移りました。印刷の世界は日にっ進しん月げっ歩ぽといいます。こんなにも急速に変化した業界はないと私は思います。そのころはマニュアルもなく、まったくのアナログの世界でしたが、自分の力が試されるやりがいのある時代でもありました。現在の社名「アベイズム」は「確固たる哲学を持つ会社」という強い意志を表しているとのこと。定年後も、その哲学とともに歩き続ける田所さん。ユーモアたっぷりの話しぶりから、会社の風通しのよさが伝わってくる。神奈川の横浜市から千葉の長南町へ最先端の印刷の現場で経験を重ねて17年ほどが過ぎたころ、会社が千葉県からの誘いを受けて千葉県長ちょう南なん町まちの長南工業団地に1991(平成3)年に工場が移転しました。「農村地域工業等導入促進法」によって、かつての農村地域に工業団地が次々に造成されていった時代です。高校を出て勤め始めた横浜市には「都会の香り」があふれていましたが、外そと房ぼう線の茂も原ばら駅から車で20分ほどの工業団地を訪れたときは、たいへんな所に来てしまったと思いました。しかし、豊かな自然に囲まれた広大な新工場は、私には新鮮でもありました。新しい印刷機械も次々と導入され、自分も技術力を磨かなければならないと、気を引き締めたことを覚えています。そうこうしているうちに、私は製造部門のトップを任されることになりました。学歴のない自分を評価していただき、まじめに働いていれば報われることもあるものだと、ますアベイズム株式会社パート社員田た所どころ 瑞みず也やさん 田所瑞也さん(71歳)は、半世紀を超えて印刷業界ひとすじに歩いてきた。高校卒業後に就職した会社で腕を磨き、たえず新しい技術力が求められる業界で切せっ磋さ琢たく磨まの日々を送ってきた。立場が変わった現在も、任された仕事に変わらぬ情熱を注ぐ田所さんが、生涯現役で働くことの喜びを語る。108
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