高齢者に聞く第 回2025.1236縁あって出会った「生活クラブ」私は千葉県市いち川かわ市の生まれです。地元で学生時代を過ごし、20歳のとき、総合商社に就職しました。当時の風潮として女性社員は親元から通っている人ばかりが採用される時代でした。配属されたのは財務部資金課でした。仕事は楽しく、長く働きたかったのですが、結婚を機に退職しました。隔世の感がありますが、そのころは結婚したら退職する女性がほとんどで、結局私も入社後7年半で家庭に入り、神奈川県に引っ越しました。その後しばらくは専業主婦が続き、二人の男の子に恵まれました。子育て中に食生活の大切さに気づき、「生活クラブ」の食品(消費材)に興味を持つようになって自然と加入しました。生活クラブには「班」と呼ばれるグループがあり、班の仲間との語らいも楽しみの一つでした。下の子が小学校に上がったころだったので、家から通えるところで働きたいと思っていたところ、班の仲間の一人から「生活クラブが人を募集しているから、一緒に話を聞きに行こう」と声をかけられました。幸いなことに採用されて、自宅から徒歩5分の生活クラブ海え老び名な配送センターが私の職場になりました。40歳で新たな人生がスタートしました。女性が結婚を機に退職し、専業主婦になることが一般的な時代があった。しかし、実際には仕事を続けたかった女性もおり、渡部さんもその一人。「働きたかったのは家事が嫌いだったからかも」と渡部さんは笑った。生活クラブの理念と実践に学ぶ日々海老名配送センターの仕事は事務全般にわたりました。組合員向けの伝票やお知らせのセット、簡単なワープロ入力、申込書の整理などです。7年半の総合商社での経験は大いに役立ちました。人生で無駄な経験など何一つありません。ただ、生活クラブの理念などを深く理解していなかったので、毎日が勉強だったことも事実です。例えば、生活クラブには独自の言葉があり、代表的なものは「商品」のことを「消費材」と呼ぶことです。これは市場にあふれる「商品」の問題点を生活者の視点で見直し、利益を得ることを目的にしないで、組合員のために「消費されるもの」としてとらえるのです。毎日学ぶなかで、生活クラブがどんどん好きになりました。一緒に働く人たちも魅力的で、組合員を増やすという大切な任務に明るく取り組む姿に励まされました。私が働き始めた翌年に協同組合事務局「ワーカーズ・コレクティブJaⅿ」を立ち上げました。それまでの配送センターの仕事から一歩前に踏み出したのです。労働者協同組合事務局ワーカーズ・コレクティブJジャムam渡わた部べ 惠めぐみさん 渡部惠さん(73歳)は、40代で「働く人の協同組合」にかかわり、30年 超の経験を積み重ねてきた。全員で出資して経営に責任を持ち、労働を になうという先進的な世界で、豊かに生きることの本質を模索し続けてきた 渡部さんが、生涯現役で働く醍だい醐ご味みを語る。110
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