エルダー2026年3月号
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高齢者に聞く第 回2026.342新天地への旅立ち私は神奈川県横よこ浜はま市しで生まれました。科学の道に進みたくて、市内の高校で化学部に在籍し、実験に没頭する青春時代を過ごして、東京教育大学(現在の筑波大学)理学部化学科に進学しました。学生運動が盛んだったころなので、3年生のときにはキャンパスが機動隊に封鎖されて、近くの女子大の学生会館で授業を受けたり、サークルに参加したりした記憶もあります。研究の世界に憧れていた私は大学院進学を目ざし、4年時に研究室の恩師からカナダ政府の教育・研究機関を紹介されました。応募したところ、幸いにも進学がかないました。カナダでは、日本の博はく士し号ごうにあたる学位を取得。その後、非常勤講師として学生を指導しました。カナダでの生活はとても充実していましたが、当初、学生ビザでの渡航であったため、1年ごとのビザの更新や保険料の自己負担などが必要でした。しかし、24歳のときに移民ビザに変更できる機会に恵まれ、カナダでの就労が可能になり、縁あって米国の大手製薬企業のモントリオール研究所の主任研究員に就くことができました。モントリオールはケベック州にあり、公用語はフランス語なので、終業後に週3回、フランス語を猛勉強したものです。すべてが懐かしい思い出です。角嶋さんの語り口には、とても自然に英語が織り込まれる。日本で英語やドイツ語、ロシア語を学び、さらにカナダでフランス語を身につけた経験を持つだけあって、インタビューのときも、英語をすぐに日本語にいい直してくれた。やさしさにあふれた紳士なのである。60歳から翻訳という世界へ私は24歳のときに学生結婚をしました。家族も学生寮に住むことが許され、モントリオール研究所に勤めるまでは、奨学金で生活することができました。貨幣価値がいまとは異なり、1日にカナダドルで2ドルもあれば暮らすことができたのです。31歳で就職したモントリオール研究所の仕事はやりがいがあったのですが、ケベック州では母国語が英語でない両親の子弟はフランス語で学ぶという法律があり、子どもたちの将来を考えて、35歳のときに、妻と相談して帰国しました。不思議なもので、私が岐路に立つと、いつも周りの人が支えてくれました。このときは、大学時代の恩師が、ある外資系企業の東京研究所を紹介してくれました。そこでの仕事は、微生物が産生する新規薬物の探索研究でした。しかし、企業の宿命で事業の統合や閉鎖にともなう異動を何回か経験してから、田辺製薬株式会社(現在の田辺ファーマ株式会社)の研究開発センターに移りました。そして2007アイエム翻訳サービス株式会社上級アドバイザー角かく嶋しま 正まさ甫としさん 角嶋正甫さん(78歳)は、豊富な経験と高度な専門知識を活かして60歳から、医学・薬学分野を中心とする翻訳会社の翻訳者として第一線に立ち続けている。クライアントの立場に立ったサービスの提供を心がける角嶋さんが、 本来の自分の力を駆使して生涯現役を目ざす喜びを語る。113

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