特別寄稿 70歳雇用の推進と「高齢社員に期待する役割を知らせる」仕組みと「高齢社員の能力・意欲を知る」仕組みの整備 玉川大学経営学部 教授 大木(おおき)栄一(えいいち) 1 「高齢社員に期待する役割を知らせる」仕組みと「高齢社員の能力・意欲を知る」仕組みの整備  企業経営を取り巻く環境の変化にともない、労働者(従業員)を取り巻く環境は大きく変化しつつある。その結果、市場と企業が「労働者(従業員)に求めること」は確実に変化してきている。  そのため、企業にとっては、「競争力の基盤となる能力は何であるのか」を徹底的に分析し、明確にすることと、明確化された能力開発目標からみて、現在の社内人材はどのような状況にあるのかについて現状の能力(意欲)を「知る」ことが必要である。他方、従業員個人の側からすると、「企業は従業員に何の能力を求めているのか、どのようなことを期待しているのか」と、「その目標からみて、個人がどのような能力(意欲)の状況にあるのか」を企業が個人に「知らせる」こと、個人がそれを「知る」ことが重要である。  今後は、変化する「労働者(従業員)に求めること」を的確にとらえて、配置・異動(昇進)、能力開発とキャリア形成のあり方を戦略的に再設計し、企業内あるいは企業外において競争力を発揮できる能力を磨くことが長い職業人生を豊かにするための不可欠な条件になってくると考えられる。  このようにみると、これからの企業の人事管理を考えるにあたって、企業は一方で「従業員にどのようなことを期待しているのか」を明確にしたうえでそれを従業員に知らせ、他方では「従業員は何の能力やどの程度の意欲を持っているのか」を正確に把握することが必要である。これを従業員の側からみると、企業が「従業員に期待する役割」を知り、他方では「従業員の持っている能力や意欲」を明確にしたうえで、それを会社に知らせることが必要になってくる。さらに、従業員の最適な能力開発とキャリア開発、配置や異動(昇進)を計画するためには、「企業の従業員に期待する役割」と「従業員の持っている能力や意欲」を把握したうえで、企業あるいは従業員個人が行う計画を支援する機能が必要になる。  こうした仕組みは、人手不足にともなう「雇用期間の長期化(66歳以降の雇用)」が進むという状況のなかで、企業にとって60歳代前半層(高齢社員)を戦力化し、高いパフォーマンスを上げてもらうためには必要不可欠である。と同時に、高齢社員にとっても、66歳以降も働き続けていくためにも必要である。それは、企業が高齢社員に期待する役割が現役時代(59歳以下)と変わることと、高齢社員自身にとっても、多くの企業が採用している定年年齢である60歳時点を契機として、働く意識や意欲も変わるからである。 2 高齢社員の66歳以降の就業希望・ニーズと企業からの「66歳以降の労働条件」の伝達状況  執筆者が参加した「長く一つの企業で働いている60歳代前半層」を対象とした質問紙調査をまとめた(独)高齢・障害・求職者雇用支援機構(2023)『高齢社員の人事管理と就業意欲、66歳以降の就業希望―60〜65歳の長期雇用者を対象とした質問紙調査の結果概要―』(資料シリーズ7※)は高齢社員の66歳以降の就業希望・ニーズと会社からの66歳以降の働き方の期待を明らかにしている。  それによれば、高齢社員の66歳以降の就業希望は「働きたくない」が38.7%を占めている。一方で、働くことを希望する高齢社員は61.3%を占める(「今の会社・関連会社で働きたい」+「今と異なる会社で働きたい」+「上記以外の組織で働きたい」の合計)。働くことを希望する高齢社員のうち、最も多いのが「今の会社・関連会社」での就業希望である(34.9%)。  「今の会社・関連会社」で働くことを希望する高齢社員は、@今の会社で長く働くことができ、A現在の仕事からの満足度は高く、B66歳以降に仕事からの収入を希望し、C自身が健康である、という特徴を持っている。また、@66歳以降に仕事からの収入を求めるが、A今の仕事からの不満感は高く、B労働力の代替可能性が高い(希少性が低い)場合には、転職(今と異なる会社で働きたい)を希望する高齢社員が多くなっている。一方、働かないことを望む高齢社員は、@今の会社で働ける年齢は低く、A労働力の社外通用性は低く、B66歳以降に仕事からの収入を必要とせず、C現在、健康上の課題を抱える、という特徴がある。  66歳以降に「今の会社・関連会社で働きたい」という希望を持つ高齢社員のうち、就業の可能性をみると、「働ける可能性は高いほうである」が最も高く(35.9%)、次いで「確実に働けると思う」(17.1%)となっており、働ける可能性が高いと考える高齢社員は53.0%を占める。さらに、企業の雇用上限年齢が高い場合には、働ける見通しを持つ割合は高くなる。また、自身の能力の社外通用性や社内希少性が高いと、66歳以降も働ける見通しを持つ傾向がある。たとえ、現在勤務する会社での雇用上限年齢が65歳以下であったとしても、すでに66歳以降も個別契約により雇用される慣行があったり、すでに打診を受けていたりするなどして、66歳以降も働ける可能性を感じていることがうかがえる。  次に、企業の「66歳以降の労働条件」の伝達状況をみると、会社が高齢社員に66歳以降の労働条件を伝えているのは45.0%、一方、管理職に自分の希望を伝えている高齢社員は58.2%に留まる(図表1)。高齢社員による上述の66歳以降の就業可能性の見込みは、必ずしも会社の労働条件に関する情報提供と高齢社員本人の希望の伝達に基づいた予想ではないことがうかがえる。この場合、66歳以降の人材活用において、高齢社員のニーズと会社のニーズにミスマッチが生じる可能性がある。また、高齢社員が66歳以降も働ける可能性を低く見積もる場合には、会社が求める人材が社外に流出する可能性も高くなる。企業は、66歳以降の労働条件(雇用の有無も含む)などの人事管理に関する情報を高齢社員に周知する仕組みを構築する必要がある。  66歳以降も働くことを希望する「高齢社員の希望する勤務状況」をみると、フルタイム勤務を希望する傾向にあり、短時間勤務を希望する人は3割程度に留まる。一方、仕事と生活との関係は、59歳以下の正社員時代とやや異なる。勤務日の多さよりも休日の多さを重視するため、仕事中心の生活から一歩引き、仕事以外の生活に若干シフトする志向がうかがえる。この志向は、勤務地の希望にも表れている。66歳以降も働くことを希望する高齢社員は、出身地や居住地に近い場所での勤務を求め、異動範囲が限定的な働き方を求めている。  こうした仕事以外の生活への緩やかなシフトは、企業内での活躍方法の希望にも表れている。現役社員の支援をあげる高齢社員は6割程度を占め、(現役時代の)第一線での活躍から一歩引くことを希望する。また、仕事の軽減を求める高齢社員も5割程度を占めている。しかしながら、引退を意識した働き方を求めていない。66歳以降も職業能力の維持を図ろうとし、かつ社内の正社員と同様の情報を提供することを求める人も多い。仕事以外の生活へと若干シフトするとはいえ、自己研鑽や社内でのネットワークの構築を志向する。66歳以降も活躍を希望することがうかがえる。 3 高齢社員の66歳以降の就業希望・ニーズと企業の希望とのマッチング  企業が66歳以降の社員に求める働き方の希望(高齢社員からみた)と高齢社員の希望とのマッチングの状況をみると、以下のように整理することができる。  企業が66歳以降も雇用する場合、第一線から退く働き方を求める(と高齢社員は考えている)。異動範囲を限定し、職責を軽減して給与も抑えるが勤務日は減らしたくないと考えている。加えて、フルタイム勤務と職業能力の維持を求め、引退に向けた準備期間とは位置づけていないこともうかがえる。これらの傾向が、高齢社員の希望と適合すれば、66歳以降も高齢社員が同じ企業で働く可能性は高く、66歳以降の人材活用はいっそう進むことが期待できる。  両者の適合状況をみると、労働時間や勤務地、期待役割のニーズは適合する傾向がみられる。一方、余暇と仕事のバランス、能力開発、仕事と収入のバランスには差異がみられる。  具体的にみると、第一に、余暇と仕事のバランスについては高齢社員の方が短時間・短日数(「一日の労働時間が短い、または週の勤務日が少ない働き方」)の希望割合が高くなっている(企業の回答から高齢社員の回答を引いた差はマイナス7.0%)。また、66歳以降に企業が(高齢社員に)求める余暇と仕事のバランスについてみると、企業の方が仕事を重視する割合は高く、勤務日が多いことを重視(「どちらかといえば、勤務日が多いこと」+「勤務日が多いことを重視する」の合計)する割合の差が23.3%高くなっている。企業のニーズと高齢社員のニーズには差異が見られる。  第二に、66歳以降に企業が求める能力開発については(図表2)、「職業能力の衰えを防止してほしい」が最も多い(48.3%)。これに対して「いずれも希望しない」は12.1%に留まる。同様に、高齢社員も「仕事の成果を維持するため、職業能力が衰えないように努めたい」が最も多い。両者とも、該当割合が高い能力開発は、能力保持に向けた研鑽である。他方、大きな差がみられるのが、「今の職業能力に、更に磨きをかけてほしい」である。高齢社員も能力開発を希望するが、企業では能力向上の研鑽を求める割合は高く、その方針において両者に差異が見られる。  第三に、66歳以降に企業が求める仕事と収入のバランスについてみると、「収入を減らしても、仕事の責任はある程度軽くしたい」が最も多い(64.9%)。「収入を大幅に減らして、仕事の責任も大幅に軽くしたい」を合わせると、収入の多さよりも仕事上の責任の軽減を希望する企業の割合は75.8%となる。一方、高齢社員の希望をみると、収入がともなえば、仕事の責任の増加を求める割合が46.7%を占める。しかしながら、収入増と責任増を志向する企業は15.3%に留まり、両者の差は31.4%となる。責任と収入のバランスには、企業と高齢社員との間でニーズに差異が見られる。  企業は高齢社員の希望よりも多くの日数を働いてほしいことと能力向上の研鑽を求めるものの、給与水準を抑えて仕事上の責任軽減を志向する傾向がある。とくに、収入増と職責増には、企業と高齢社員の間で大きな差異が見られる。ただし、収入増と職責増を引き受ける高齢社員も一定数、存在する(46.7%)。こうした結果は、企業が66歳以降の人材活用を進める場合には、66歳以降の活用の違いを反映した社員区分を設け、働きに見合った報酬制度を導入する必要性を示唆している。 4 70歳雇用の推進に向けて  70歳雇用を推進していくためには、第一に、高齢社員を活用(66歳以降の活用を含めて)するとの方針を明確にし、それを59歳以下の正社員のなかに浸透させることが重要である。これを基本にしたうえで、第二に、高齢社員を対象とした「知らせる」・「知る」仕組みを整備していくことが必要である。  しかしながら、短期契約で時間制約もある働き方をする高齢社員にあっては、より計画的に仕事を割り当て、仕事のマッチングを図り、適材適所での人材活用を進めていくことが肝要である。しかも、こうした制約を前提にすると、個人個人で状況が異なることから、どんな仕事に従事するかの決定様式は、会社が一方的に主導するのではなく、高齢社員個人の特徴や要望が加味されるべく双方で意見交換しながら決めていくという交渉型になる可能性が高い。そのため、よりいっそうの「知らせる」・「知る」仕組みの機能強化に加え、高齢社員を対象とした「60歳代の働き方を相談・アドバイスする仕組み」を考えていくことも今後の大きな課題である。 ※ここで取り上げた報告書の執筆に際して、(独)高齢・障害・求職者雇用支援機構の鹿生治行上席研究役から協力を得ました。記して謝意を表します。 ※JEEDホームページよりご覧になれます。  https://www.jeed.go.jp/elderly/research/report/document/seriese7.html 図表1 企業の66 歳以降の労働条件についての伝達状況と高齢社員自身の希望の管理職への伝達状況 件数 十分に伝えている ある程度は伝えている あまり伝えていない 全く伝えていない 企業による伝達状況 349件 10.6% 34.4% 21.8% 33.2% 高齢社員の管理職への伝達状況 349件 12.9% 45.3% 23.5% 18.3% 注1:集計母数は、66 歳以降の就業希望が、「今の会社・関連会社で働きたい」である。 注2:企業による伝達状況の設問文は、「あなたの会社では、65歳以降の労働条件(雇用の有無)について、あなたに情報提供していますか」である。 注3:管理職への伝達状況であるが、「(65歳を超えた希望について)あなたは、今後の働き方の希望について、管理職に伝えていますか」である。 出典:独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(2023)『高齢社員の人事管理と就業意欲、66歳以降の就業希望―60〜65歳の長期雇用者を対象とした質問紙調査の結果概要―』(資料シリーズ7) 図表2 高齢社員が考える企業が66 歳以降の社員に求める能力開発 件数 今の職業能力に、更に磨きをかけてほしい(@) 職業能力の衰えを防止してほしい(A) 仕事の幅を広げるため、異なる職業能力を獲得してほしい(B) いずれも希望しない(C) (A)企業の希望(高齢社員の認識) 613件 30.7% 48.3% 9.0% 12.1% (B)高齢社員の希望 613件 19.1% 60.7% 9.5% 10.8% (A)−(B) 11.6% −12.4% −0.5% 1.3% 注1:上段は、企業が求めると高齢社員が思う働き方を示している。 注2:中段は、高齢社員が求める働き方を示している。@に該当する選択肢は「今の職業能力に、更に磨きをかけたい」、Aは「仕事の成果を維持するため、職業能力が衰えないように努めたい」、Bは「仕事の幅を広げるため、異なる職業能力を獲得したい」、Cは「いずれも必要でない」である。 出典:独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(2023)『高齢社員の人事管理と就業意欲、66歳以降の就業希望―60〜65歳の長期雇用者を対象とした質問紙調査の結果概要―』(資料シリーズ7)