第112回 高齢者に聞く 生涯現役で働くとは  佐藤和夫さん(74歳)は、40歳を目前に出版社を起業し、現在まで出版業界を歩み続けてきた。若いときのさまざまな体験を本づくりに活かし、永遠の夢を読者とともに追いかけている、少年の心を忘れない佐藤さんが、生涯現役で本づくりに挑む醍醐味(だいごみ)を語る。 株式会社あさ出版 相談役会長 佐藤(さとう)和夫(かずお)さん 新聞少年が見た夢  私は北海道帯広市(おびひろし)で生まれました。父は雇われの菓子職人で職場を転々としていました。父の仕事の関係で4歳の時に釧路市(くしろし)に移り、高校を卒業するまでそこで暮らしました。  地元の高校を奨学金で卒業しましたが、地元では将来の希望がもてず、「とにかく家を出よう」と新聞奨学生として上京することにしました。急行列車を乗り継ぎ、青函(せいかん)連絡船で本州へわたり、上野へ向かいました。現在とは違って20時間以上かかる長旅でした。不案内な大都会へ出奔する私を心配した母が妹を連れて釧路駅まで見送りにきてくれました。そのときに母が流した涙を、いまでも覚えています。  上京してからは、新聞専売所に住み込みで働くことになりました。勤務先は杉並区(すぎなみく)の新聞専売所です。毎日の仕事は、午前3時に起床して朝刊を配達し、夕方には夕刊を配達、その合間を縫って、新聞代の集金や購読の勧誘まで行っていました。  新聞奨学生といいながら、新聞配達と受験勉強はなかなか両立しません。それでも、希望を持って勉強している相部屋の仲間がいたから、私も大学進学を果たせたのだと思います。友人とのよき出会いこそ、人生の宝物なのかもしれません。みんな、元気でいてくれるといいのですが。  佐藤さん創業の出版社は「日本でいちばん大切にしたい会社」という人気シリーズの出版で知られる。夢のある本づくりを目ざす凄腕編集者の原風景は、希望を胸に上京するという、歌謡曲で描かれるような世界であった。 学生演劇の世界へ寄り道  新聞奨学生の仲間の影響もあり、「大学へ行こう」と思い立って本気で受験勉強を始め、幸運なことに慶應義塾大学へ進学することができました。大学に通うためには、入学金や授業料は新聞社の奨学金を活用するしかありません。つまり、新聞配達の仕事は辞めることができない運命でした。違う新聞社の専売所に移り、入学してから1年ほど経ったころ、給付型の奨学金の存在を知りました。応募したところ、幸いなことに支給されることになり、住み込みから解放されて一人暮らしが実現しました。古いアパートでしたが、上京後にはじめて持てた自分の城でした。  奨学金のおかげでできた時間で、最初にやったことは学生劇団の立ち上げです。私は中学校時代から小説を書き始め、高校1年生のときには雑誌に掲載されたこともあります。つまり、文学青年でしたが、いつの間にか小説家になる夢は諦めていました。それでもどこかに冷めやらぬ思いがあって、演劇の世界へ足を踏み出させたのかもしれません。  佐藤さんが立ち上げた劇団は、一時は20人近い座員がいたという。素人劇団ながら稽古を重ねて公演も行った。「そのおかげで留年して、5年かかって、大学を卒業しました」と佐藤さんは少年のように笑った。 出版業という天職との出会い  大学時代にはじつにさまざまなアルバイトをしましたが、とにもかくにも卒業を決めて、実家に仕送りをしたいので、きちんと就職しようと考えはじめました。ところが、ちょうどオイルショックの時期だったので、景気は最悪で職探しに苦労しました。しかし、幸いなことに、あるビジネス書関連の出版社の雑誌編集部に採用されました。当時は、出版社の人気が高く、その年も100人以上の応募があったそうですが、編集部員の採用枠は一人で、そこに採用されたのです。最初は中小企業経営者向けの専門誌の編集を任されました。編集の経験はまったくありませんし、そのうえ経済や経営に関しては予備知識がありません。日本経済新聞も配っていましたが、読んだことはなかったのです。  入社して4年目にその専門誌の編集長に任命され、その後、ある社団法人の事務局長などを兼務しました。当初、会社はなかなかヒット作品を出せなかったのですが、その後ベストセラーが続出します。現在の「働き方改革」に逆行するようですが、当時は時間を忘れて働いたものです。  その出版社には16年間お世話になりました。同僚と職場結婚をして息子と娘を授かり、幸せを味わうこともできました。社内での地位も高くなって、充実した30代を過ごしましたが、同時に「独立して力を試したい」という気持ちが自分の中からふつふつと湧いてくるのを止められなくなりました。ちょくちょく仕事を変えていた父の影響もあったのかもしれません。思い切って会社に辞表を出し、一からスタートすることにしました。39歳の新たな旅立ちでした。 この道ひとすじに  1991(平成3)年、出版社を立ち上げました。社名は息子の名前から「蒼(あおい)出版社」としましたが、ある人から「社名がわかりにくい」といわれ、そういうことならば、わかりやすい平仮名にしようと考えました。それが「あさ出版」という社名の由来です。一日の始まりの「あさ」に加えて、「いまはどんなに暗くても、朝は必ずやってくる」という思いも社名に込めました。  たった一人で始めた出版社ですが、少しずつ仕事が増えてきたので、社員を募集することにしました。最初は女性一人、次に男性を採用して、まずは三人体制となりました。その後、社員が増えるにしたがって事務所も移転を重ね、現在に至っています。おかげさまで、総勢30人の陣容となりました。  会社を立ち上げてから35年になろうとしています。あさ出版が、少しは世間に知られるようになったのは、現在、8巻まで刊行中の『日本でいちばん大切にしたい会社』です。続巻も制作が進んでいます。著者の坂本(さかもと)光司(こうじ)さんといっしょに、2010年に「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」を制定し、この賞には、ありがたいことに、厚生労働省からのご支援もいただいています。私はこの大賞を運営している「人を大切にする経営学会」の事務局長の任は終えたのですが、いまも大賞審査の仕事は続けています。  すでにあさ出版の役員を退任し、相談役となった私の勤務は、基本的に週3回の出勤です。ですが、変わらず本づくりにかかわっています。きっと仕事が好きなのでしょう。  本づくりは著者と一緒に夢を叶(かな)える仕事だと自負しています。経験が力になるので、生涯続けていける仕事です。いま、閉塞の時代といわれ、生きづらいことも多いですが、だからこそ私は「明けない夜はなく必ず朝がやってくる」という言葉に命を吹き込みたいと思います。