第114回 高齢者に聞く 生涯現役で働くとは  吉澤立元さん(73歳)は、大手製パン会社でパンづくりの道を歩み続け、退職後はパンの製造と販売を手がけるお店を立ち上げた。70 代となった現在も、パン職人として早朝から工房に立つ。近所の人たちにおいしいパンを届けたいという願いを胸に、生涯現役を目ざす吉澤さんの挑戦が続く。 ベーカリーランド北大塚 店主 吉澤(よしざわ)立元(たつもと)さん 祖父から受け継いだモノづくりのDNA  私は東京都北区(きたく)で生まれ、いまも生まれた場所で暮らし続けています。地元の高等学校を卒業し、大学は工学部で学びました。大学の卒業を目前にした1975(昭和50)年は円高不況の年でした。希望していた化学系企業の求人が少なく、仕方なく製薬会社を就職先に選びました。その会社から内定をいただきあいさつに出かけてみると、労使紛争の真っ最中で会社全体が騒然としていました。あわてて内定を辞退、あらためて応募したのが大手製パン会社でした。父が苦労して大学に進学させてくれましたので、安定を求めたのだと思います。  私の祖父は埼玉県行田市(ぎょうだ)しで足袋(たび)をつくっていました。行田市の足袋産業は300年の歴史があります。祖父は商売を広げて東京都の浅草(あさくさ)に店を出したのですが、関東大震災ですべて焼け落ち、財産の一切をなくしました。私の父が物心のついたころには商売の栄華は跡形もなく、父の苦労は並大抵ではありませんでした。大手製パン会社に入社したのは、父を安心させたいという思いと、祖父のモノづくりのDNAが私に流れていたからかもしれません。  私が入社した製パン会社の発祥の地は千葉県で、当時一番大きかった工場に配属され、パン職人の第一歩を踏み出しました。  現在は都内の豊島区(としまく)北大塚(きたおおつか)に店舗を構え、地域の人においしいパンを届け続けている吉澤さん。とつとつと語りながらも、パンづくりの話になると言葉に熱がこもる。この人がつくるパンはやさしい味がするに違いない。 パンづくりに魅せられて  入社してすぐにパンの製造ラインに配属されました。まったく知らない世界ですから、先輩たちの背中を追いかけて仕事を覚えました。立ち仕事だったので仕事はきつかったのですが、同期が20人近くいたのでみんなでワイワイやり、仕事は楽しかったです。幸い体力に自信がありましたから、20年近く現場で働き続けることができました。20代後半で家庭を持ち、仕事に対するモチベーションも上がったので、よい時代を過ごせたと感謝しています。  40歳になってはじめて都内の工場へ転勤を命じられました。仕事はやはりパンの製造ラインです。それから2年ほど経ったとき、業績が落ちていた北海道札幌市(さっぽろし)の子会社の立て直しにたずさわりました。過剰な設備投資が経営を圧迫していたようですが、高い機械を導入しなくてもおいしいパンはつくれるのです。その会社の人たちとていねいに話し合い、新しい商品を生み出すなどして3年で軌道修正することができました。苦労もありましたが、従業員や街の人の人情が厚かったので、札幌時代には楽しい思い出がたくさんあり、もう少しここにいたいと思ったほどです。  吉澤さんは「パン製造技能士1級」と「製菓衛生師」という資格を持つ。高い技能と知識を有していることの証である。思わず「すごいですね」と声をかけたら「たいしたことありません」と、さらりといなされた。 起業という次のステップへ  札幌の次は、大阪が勤務地となりました。このころは製造ラインを離れて管理の仕事をするようになりましたが、単身赴任が続いてつらい時期でもありました。大阪から横浜、そして本社に戻り、社内のパン学校の講師を担当しながら、新製品の提案や品質管理などにたずさわりましたが、60歳の定年を前にして、大手製パン会社を退職しました。  これからどうしようかと思ったとき、頭の中をよぎったのは消費者の顔がみたいということでした。ずっと工場の中でパンをつくってきたので、自分がつくったパンを消費者のみなさんはどんなふうに迎えてくれるのか知りたくなったのです。そして何よりも、「自分はこれからどこでパンを買えばよいのか」と考えたとき、自分の店を開くという結論にたどり着きました。退職する前から物件を探すなどの準備を進めていたので、退職後ほとんど間を置かずに新しい自分の店をつくりました。当初は、都内の文京区(ぶんきょうく)でオープンし、そこで7年間店を続けました。その後縁あって現在の場所に移りました。開店にあたりこだわったのは「品質」の二文字でした。  パンの製造には手間暇がかかり、小さな店舗では単価での勝負はできない。「パンがおいしいのがあたり前の世の中だから、他店と差別化を図るためには品質にこだわるしかない」と吉澤さん。起業して13年経ったいまも、その思いは変わらない。 つくるよろこびに支えられ  最初の店舗は広かったので、一人では切り盛りすることができず人を雇っていました。経営もなかなか大変で、もっと小さな規模でよいから本当につくりたいパンを一人でつくろうと思うようになりました。そして、いまの店舗でそれが実現し、一人で細々と続けています。例えば、カスタードクリームやチョコ、カレーやスイートポテトなど、手前みそになりますが、自分でつくればおいしくできあがるのです。自分でつくれないのは粉だけです。  以前は、多いときには60品ほどつくっていましたが、いまは菓子パンや総菜パン、ドーナツなど40品ほどつくっています。  朝一番早いのはパン屋のおじさん≠ニいいますが、実際、パン屋の朝は早いです。朝5時には家を出て、6時にはお店に入って仕込みを始めます。現在は開店日を週3日にしました。長く働くための工夫です。 生涯現役を目ざして  人生100年といわれる時代に、さて自分はいくつまで働けるだろうかと考えることもあります。まずは健康が大事と思い、散歩や腕立て伏せ、腹筋を継続しています。晩酌は1合ほど、オンとオフの変化をつけることも心がけています。「青春とは人生のある期間ではなく心の持ちようだ」という言葉に共感し、お客さまとコミュニケーションがとれる、いまの生活に感謝しています。お客さまからいただく笑顔と言葉の数々を書き留めて、折にふれ読み返して自らを励ましています。  若いころはよく一人旅に出ましたが、最近はコンサートや落語、芝居、映画とオフの時間を楽しんでいます。若いときのように夢中で働くのではなく、日々の楽しみのなかに、働くことがあればと思うようになりました。  思えば長い間、パンと向き合ってきました。パンは生き物です。温度や時間、発酵など生産工程の一つひとつをていねいに行うことでパンの生地が活かされます。「おいしいパンを食べたい」というお客さまの期待に応えられるよう、今日も工房に立とうと思います。