TOPIC 「治療と就業の両立支援指針」が策定 ―2026年4月より企業の努力義務に― 一般社団法人仕事と治療の両立支援ネットーブリッジ 服部(はっとり)文(ふみ) T はじめに  2026(令和8)年4月から、改正労働施策総合推進法の施行により「治療と就業の両立支援」が企業の努力義務となりました。社内での対応は始まっていますか?  今回の見直しでは、これまで対象とされてきたがんや難病などの疾患にかぎらず、くり返し治療を要するすべての疾病が対象となりました。そのうえで、治療と向き合いながら働く人を、企業はどう支えていくのか、あらためて問われています。高齢社員に対する就業機会の確保が強化される現代社会において、企業が治療を要する社員への対応に迫られるケースはますます増えていくでしょう。制度として大きな一歩を踏み出そうとする一方で、「何を、どこから、どう進めればよいのかわからない」という声も聞かれます。法改正の内容を理解するだけで終わらせず、どのような取組みが企業にとって役立ち、意味があるのか。まずは、現状をふり返るところから始めましょう。 U なぜいま「両立支援」の法制化なのか  治療と就業の両立支援は、今回の法改正で突然始まった取組みではありません。厚生労働省は2016(平成28)年2月の「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」初版以来、改訂をくり返しながら、企業に対して方向性を示してきました。人事・産業保健の現場でも、「両立支援」という言葉自体はすでに珍しいものではなくなっています。  それでもなお、「実際に社員が病気になると、どう対応していいかわからない」、「制度は知っているが、使いこなせていない」と感じている企業は少なくありません。その背景には、両立支援が制度として存在している一方で、現場で機能する形までには落とし込まれていない現状があります。  これまで両立支援は「特定の事情を抱えた一部の社員が復帰する際の一時的な対応」ととらえられがちでした。ちょうど育児や介護に労力を要する一時期に、仕事の負荷を軽減して両立を図るのと同様、病気になった社員が一定の治療期間を終え、以前と変わりなく働けるようになるまでの段階的な復帰プランだと考えられる傾向にあります。そのため、制度や書式を整えておけば、治療が終わったときに一定のルートで自動的に機能するとの思い込みも根強く、うまくいかないということが起こります。  実際の現場では、もっと複雑な状況があります。医療の進歩とともに、長期的に、ときには生涯にわたって治療が続くケースも増えており、その影響は人によって大きく異なります。同じ病名であっても、働き方の制限や必要な配慮は一様ではありません。また、治療の経過によって、永続的な能力変化もともなうことも多くあります。こうした「特性の揺らぎの幅広さ」を前提としたきめ細やかな調整を、中長期的に必要とするにもかかわらず、制度や書式だけが先行し、肝心の運用が追いついていないケースが多く見られます。  意欲も能力もある人が、病気をきっかけにその労働力を社会に発揮できなくなることは、本人の生活への影響にとどまらず、労働力人口の減少、社会保障費の増大という形で、社会にも企業にも大きく跳ね返ってきます。つまり、今回の法改正は、現在の両立支援では十分に機能していない状況へのテコ入れだといえるのです。企業に求められるのは、人によって異なる事情や働きづらさを抱える多様な人材を支える仕組みをつくり、就業と両立できる体制にシフトしていくこととなります。 V 改正労働施策総合推進法のポイント  それでは、この法改正によって何が変わるのかを見ていきましょう(図表1)。まず企業には、治療と就業の両立支援を促進するため、必要な措置を講じる努力義務が課されます。そして、適切かつ有効に実施するための指針が整備されます。努力義務であるため、罰則が設けられるわけではありませんが、企業の人材管理において、両立支援が「任意の配慮」ではなく、制度として位置づけられた取組みであることが明確になりました。  厚生労働省は、今回の見直しの背景として、「高齢者の就労の増加」や「医療技術の進歩」をあげています。治療を受けながら働く人はすでに珍しい存在ではなく、今後も増加が見込まれるなかで、働くことで症状を悪化させないこと、そして治療と仕事の両立を可能にすることを、企業と社会全体で支えていく必要がある、という問題意識が示されています。  今回の改正のポイントは、大きく二つに整理できます。 @対象となる労働者・疾病の範囲が大きく広がった  これまで、治療と就業の両立支援は、がんや指定難病、心疾患、肝疾患、脳卒中、糖尿病など、かぎられた疾病をおもな対象としてきました。しかし今回の改正では、主治医の診断により、増悪の防止のために反復・継続した治療が必要で、就業に配慮が求められるすべての疾病が対象とされます。  また、対象となる労働者についても、事業場の規模や雇用形態を問いません。正規雇用にかぎらず、非正規雇用や再雇用の高年齢社員も含めた「疾病を抱えながら就業の継続を図るすべての労働者」が想定されています。この点は、定年退職後の再雇用で非正規社員となることも多く、持病を抱えがちな高年齢者の雇用を考えるうえで、重要な点だといえるでしょう。 A「ガイドライン」が法的根拠を持つ「指針」へと格上げ  もう一つの大きな変更点が、これまで法的根拠のない形で示されてきた「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」が、法律に基づく「指針(大臣告示)」として位置づけられることです。  ガイドラインは、企業にとって「参考となる考え方」ではあっても、対応の優先順位が下がりやすい側面がありました。今回の改正により、両立支援に関する取組みは、これまで示されてきた考え方を制度として整理し直し、事業主が講じる具体的な措置として、より明確に示されることになります(図表2)。指針は基本的に従来のガイドラインを引用した内容となっています。  このように整理すると、今回の法改正は、まったく新しい取組みを企業に求めるものではなく、むしろこれまで求められてきた両立支援の考え方を、より広い対象に、より実効性のある形で定着させようとするものだといえます。  一方で、努力義務として法制化されたことにより、企業は最低限の制度を整えるだけでは不十分になります。治療と就業の両立支援は、書式や制度を整えれば自動的に機能するものではなく、個々の社員の状態に応じた調整を、どのように行うかが問われる取組みだからです。 W 進めたい「企業と医療機関の連携」が進まない現状  治療と就業の両立支援の実行にあたり、企業と医療機関が文書によって情報をやり取りし、働き方の調整を行う仕組みが想定されています(図表3)。法制化にあたり、衆参両院の厚生労働委員会の附帯決議としてもあげられており、この連携が重点課題と目されていることがわかります。  指針上、企業側の連携担当は「産業医が望ましい」とされていますが、いない場合はほかの産業保健スタッフや人事労務担当者が行います。企業は、当該社員の業務内容や勤務形態、利用可能な制度などの勤務情報を文書に整理し、主治医に提出します。主治医は、その情報をもとに、治療の状況や就業可否、必要な配慮などを意見書にまとめ、本人を通じて企業に渡します。企業はその医学的な視点をふまえて、具体的な働き方を検討し、措置を行います。これが、ガイドラインおよび指針に示される基本的な流れです。  しかし、実際の現場では、この流れが円滑に機能しているとはいいがたい状況があります。人事・産業保健の担当者のガイドラインに対する認知度はまだまだ低く、また知っていても「どのタイミングで、どのように医療機関と連携すればよいのかわからない」、「文書のやり取りをしても、十分な情報が得られない」といった声が聞かれます。一方で、医療機関からも「企業から患者の勤務情報が寄せられることは、ほとんどない」、「具体的な勤務内容が把握できない状況で、何を記載していいかわからない」といった戸惑いが語られます。  このように、両立支援の連携が進みにくい背景には、制度が想定する役割分担や手順が、現場レベルで十分に共有されていないという現実があります。企業側は医療機関の判断を待つ姿勢になりがちであり、医療機関側は企業の実情がわからないまま、一般的で抽象的な意見を示さざるを得ません。その結果、復職のための診断書に「デスクワークなら可」、「過度の負担がかからないように配慮を要する」といった表現にとどまり、企業にとっても、どの程度の業務や勤務が可能なのか判断しにくい状況が生まれます。  両立支援は「主治医が働き方を決定する仕組み」ではありません。企業が示す業務内容や働き方が明確になることで、初めて医療の視点からの助言が可能となり、意味を持ちます。 X 両立支援を機能させるために企業が最初にすべきこと  治療と就業の両立支援は、制度や書式を整えれば自動的に機能するものではありません。重要なのは、「だれが」、「どの順番で」、「何を行うのか」を理解したうえで、現場で動かすことです。  まず前提として、両立支援は「本人からの申し出を起点にする」とされていますが、実際には病気を抱えた社員自身が、両立支援の仕組みや手続きを知っていることは多くありません。そのため、本人の申し出を待つだけでは不十分であり、仕組みを知った企業の担当者が、最初に声をかけることが重要になります。「支援を強制する」のではなく、「一緒に働き方を考える選択肢がある」ことを伝え、安心して話せる場をつくることが、両立支援の第一歩となります。  次に必要なのは、本人との十分な話合いです。勤務情報提供書(治療と仕事の両立支援カード)は、単なる事務書類ではなく、業務実態と負荷を整理するためのツールです。職務内容、作業負荷の程度、繁忙期の有無、裁量の幅などを、本人の認識も確認しながら、できるかぎり具体的に書き取ることが求められます。  このプロセスを省略したまま医療機関に文書を届けても、主治医は配慮事項を適切に記載することができません。よく「主治医は患者の状態を把握しているのだから、配慮事項も的確に示してくれるはずだ」と考えられがちですが、これは現実的ではありません。業務上の配慮は、治療内容だけから導けるものではなく、その業務の特性を理解して初めて判断できるものだからです。  さらに、業務特性や社内ルールがわからないまま配慮事項を書くことが「実現できない条件」を並べてしまうことにもつながり、結果として患者本人に不利に働くことを懸念するため、主治医も慎重にならざるを得ないのです。  この点で重要なのが、企業側があらかじめ調整可能な選択肢を持っているかどうかです。新たな指針では、「安易に就業を禁止するのではなく、主治医や産業医などの意見を勘案し、配置転換、作業時間の短縮その他の必要な措置を講ずることによって、就業の機会を失わせないようにすること」と明確に示されています。復職は必ず元の職務に戻るもの、1日8時間勤務は変えられないもの、という前提に縛られていては、両立支援は形だけのものになってしまいます。新たな支援を実施するためには、これまでにない対応を可能にする制度を整備することで、初めて医療の視点からの助言が活きてきます(図表4)。  両立支援とは、「主治医に判断を委ねる仕組み」ではなく、企業・本人・医療機関が、それぞれの役割を果たしながら働き方を調整していくプロセスです。その出発点をになうのは、仕組みを理解し、現場で動かす企業の担当者です。  そのうえで、この取組みは、目の前の就労可否を判断するための一時的な対応にとどまるものではありません。病気と向き合いながら、どのように働き続けていくのかを、本人が主体的に考えていく土台づくりでもあります。企業と医療機関の連携は、そのプロセスを支えるための重要な手段の一つです。制度や書式の整備にとどまらず、本人の状況や思いに目を向けながら、対話を重ねていくことが、両立支援を形骸化させないための鍵となります。 図表1 改正労働施策総合推進法のポイント 改正の目的 ■働くことで症状を悪化させない ■治療しながら働くこと(両立)を推進する 改正の内容 ■事業主に対し、職場における治療と仕事の両立を促進するため必要な措置を講じる努力義務を課す ■当該措置の適切・有効な実施を図るための指針の根拠規定を整備する ■法的根拠のない現行のガイドラインを、法律に基づく指針(大臣告示)に格上げする 対象となる労働者 疾病を抱えながら就業継続を図るすべての労働者(事業場の規模・雇用形態を問わない) 対象となる疾病(負傷を含む) 国際疾病分類※に掲げられている疾病であり、主治医の診断により、増悪の防止等のため反復・継続して治療が必要と判断され、かつ、就業の継続に配慮が必要なもの ※国際疾病分類(ICD):世界保健機関(WHO)が作成した、疾病、傷害、死因などを国際的に統一した分類システム ※厚生労働省、令和7年8月22日、第1回治療と仕事の両立支援指針作成検討会、資料2「治療と仕事の両立支援指針の検討」をもとに筆者作成 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_59681.html 図表2 事業主に求められる両立支援の手順 【平時における環境整備:申し出があれば即対応可能に】  STEP0 基本方針・ルール整備と周知/相談窓口/情報管理/研修(管理職・従業員) ▼(本人の両立支援の申し出)▼ 【支援開始:申し出後の実行フロー】  STEP1 相談窓口による支援希望の受付・情報取り扱い(同意範囲)の確認  STEP2 本人面談(勤務継続の意向・困りごと・業務状況を把握)  STEP3 医療情報の取得(主治医意見・産業医評価)※職場では医学的判断をしない  STEP4 配慮内容の検討(本人希望×医師意見×業務特性)※例:短時間勤務/通院配慮/業務調整/在宅  STEP5 合意形成(内容・範囲・期間・見直し方法を明確にして文書化)  STEP6 就業上の措置実施・職場調整(本人同意の下で必要最小限の共有・偏見防止の環境整備)  STEP7 定期フォローと見直し(病状・治療変化に合わせ、STEP2 へ) ※厚生労働省「治療と就業の両立支援指針」をもとに筆者作成 https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001666819.pdf 図表3 厚生労働省が想定する企業と医療機関の連携した両立支援 治療と仕事の両立支援の流れ 「勤務情報提供書」・「主治医意見書」を用いる場合 主治医 @勤務情報提供書 A主治医意見書 労働者 ◎両立支援の申し出 (配慮を受けたいという意思表示) 勤務情報提供書の作成支援 主治医意見書の提出 企業 (産業医等) (人事) B両立支援プランの作成 就業継続の可否や就業上の措置等について、主治医意見書を基に、産業医等の意見をふまえ、労働者と十分話し合ったうえで、事業主が最終的に決定、実施 「治療と仕事の両立支援カード」を用いる場合 主治医 @カード(勤務情報)の提出 Aカード(意見書)の発行 労働者 ◎両立支援の申し出 (配慮を受けたいという意思表示) (企業の産業医等または人事労務担当者等の確認) カードの提出 企業 (産業医等) (人事) B両立支援プランの作成 就業継続の可否や就業上の措置等について、主治医意見書を基に、産業医等の意見をふまえ、労働者と十分話し合ったうえで、事業主が最終的に決定、実施 ※必要に応じて、従来の、勤務情報提供書の提出及び勤務情報提供書に基づく主治医意見書の発行 ※厚生労働省、令和8年1月23日、治療と仕事の両立支援指針作成検討会、第3回資料、資料1「『治療と就業の両立支援指針』の参考資料等について」をもとに筆者作成 https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001639641.pdf p.15 図表4 両立支援に使える休暇・勤務制度 〈休暇制度〉 時間単位の年次有給休暇 労使協定の締結で1時間単位で取得可能(年5日の範囲内) 傷病休暇・病気休暇 入院治療や通院のために設ける 取得条件や賃金支払いの有無は企業判断による 休職制度 雇用契約を持続したまま、長期間の労働義務を免除 雇用形態を問わず休職期間を確保することが望まれる 失効年休積立制度 年次有給休暇を自身の備えとして活用できる 労働者の両立に対する意識啓発にもつながる 〈勤務制度〉 時差出勤制度 始業および終業の時刻を変更 ラッシュを避けて通勤するなど、身体的負荷を軽減できる 短時間勤務制度 所定労働時間を短縮 療養中・療養後の負担を軽減できる 在宅勤務(テレワーク) 場所にとらわれず柔軟に勤務できる 通勤による身体的負荷の軽減が可能になる 試し出勤制度 勤務時間や勤務日数を短縮した試し出勤を行う 長期休業者の円滑な復職につながる 短時間正社員制度 所定労働時間がフルタイムより短い正社員制度 退職者の再雇用制度 療養によりやむを得ず退職した労働者が、就労可能になった際の再雇用の道を拓く(アルムナイ制度・出戻り社員制度) ※筆者作成