新連載 江戸時代にもあった 「仕事と介護の両立問題」 〜目からウロコの高齢者介護史〜 文化・福祉ジャーナリスト ア井(さきい)将之(まさゆき) 第1回 江戸時代の武士は介護休業をとっていた! ―「サムライケアラー」を支えた制度― 深刻化する現代日本の介護離職問題  現在日本では、親・近親者の介護のために仕事を退職する「介護離職」の問題が次第に深刻化しつつあります。  公益財団法人生命保険文化センターがまとめた厚生労働省の「雇用動向調査」のデータによると、年間介護・看護離職者数は、2000(平成12)年当時は年間約3.8万人だったのに対し、2024(令和6)年では約9.3万人まで上昇し、25年近くの間に2.4倍以上も増加しました※1。さらに経済産業省の「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」によれば、介護離職および介護発生による労働者の物理的、精神的な負担増による日本社会全体の経済損失は、現状のままだと2030年に年間約9兆1792億円に上るとの試算がされています。※2  この9兆円という金額は、2026年度予算における日本の防衛費が9兆353億円(関連経費除く)※3でしたから、それとほぼ同額です。近年、日本の防衛費は上がりつつありますが、その金額に迫るような経済損失が、仕事と介護の両立問題によって生じると予測されているわけです。  なぜ仕事と介護の両立はむずかしく、介護離職が多く発生してしまうのでしょうか。  株式会社日本総合研究所が作成した『令和4年度ヘルスケアサービス社会実装事業』には、介護離職経験者1000人からの回答を元にしたアンケート調査結果が記載されています。それによると、「離職した理由」として最多回答だったのが、「勤務先に介護休業制度等の両立支援制度が整備されていなかったため」で、全体の23.4%を占めていました※4。さらに「勤務先の介護休業制度等の両立支援制度の利用要件を満たしていなかったため」、「勤務先の介護休業制度等の両立支援制度がわからなかったため」、「勤務先の介護休業制度等の両立支援制度を利用しにくい雰囲気があったため」など、介護休業等の両立支援制度の取得にかかわる回答割合を合計すると、全回答の過半数に達しています。  このことは逆にいうと、もし勤務先で介護休業ができる両立支援体制が完備・周知されていたり、介護を理由に休みをとりやすい雰囲気が職場の中にあったりしていれば、介護離職をせずにすんだ人が多数いることになります。介護と仕事との両立を実現できる職場環境の整備は、日本の経済界が取り組むべき喫緊の大きな課題であるともいえるでしょう。  ……とまあ、少し堅苦しい雰囲気の話が続きましたが、要するに、介護離職が日本で問題になっていて、その大きな原因の一つが、介護休業のような支援制度をうまく取得できないことにありますよ、ということをいいたかったわけです。「労働者が介護と仕事を両立できるように、介護休業をきちんと取得できる体制づくりや雰囲気づくりを実現していく」……このような話を聞くと、高齢化が急速に進んだ現代日本に特有の問題である、とのイメージを抱く方も多いのではないでしょうか。  もっとも、そうした印象を抱くのは当然ともいえます。日本の介護休業制度は、要介護者が増加し、それに合わせて介護離職者が急増している状況を改善するために、国としてひねり出した制度体制です。「介護休業」が初めて法律で規定されたのは1995年のことで、当時は日本社会の急速な高齢化が問題視され始めていた時期でした。その後2026年現在に至るまで、何度も改正が行われて改善が図られてきました。これだけ見れば、現代的な社会課題に対して現代的な法制度をもって対応したのが、介護休業の制度であるようにも思われます。  ところが……このような介護休業の制度が、すでに江戸時代にもあったとしたらどう思われるでしょうか。介護と仕事を両立するために、当時の幕府や藩が、武士を対象として介護休業を制度化していたとしたら……? 江戸時代にもあった!介護休業制度  そのような話を聞くと、「いやいや、そんなことはない」と思われるかもしれません。そもそも介護休業制度とは、明治の近代化によって日本社会が西洋から「福祉」や「人権」などの概念を学び、さらに第二次世界大戦後にアメリカナイズされた福祉制度が整備されていったなかで、ようやくたどり着いた高齢者介護にかかわる最先端の福祉政策である……。こうした進歩的な流れのなかで成立していったと理解することが、いわば常識的な見方であるとも考えられるからです。  しかしながら、じつは……本当のことなのです。江戸時代にもあったのです、介護休業制度が。当時の武士の日記を見ると、介護休業を取得して親の介護をしたとの記録が実際に残っています。現代日本では仕事をしながら介護をする人のことは「ビジネスケアラー」と呼ばれていますが、江戸時代には、いうなれば「サムライケアラー」がいたわけです。  その実例の一つとしてあげられるのが、秋田藩の渋江(しぶえ)和光(まさみつ)の例です。彼が残した『渋江和光日記』には、実の父親に対する介護記録が記されています。  渋江家は秋田藩で代々家老職を務めるほどの家柄で、和光は13歳のころに分家からこの家に養子に入った人でした。ところが、養子となってから約10年後の1814(文化11)年の10月6日に、実家に住む実の父親・光成(みつなり)が脳卒中で倒れてしまったとの報告を受けます。そのとき和光は藩で「御相手番」という家老に次ぐ重要な役職に就いており、決して暇なわけではありませんでした。それでも報告を受けたその日の夜にはすぐ実家に帰って父親の状態を確認し、これはたいへんなことになったと確信します。そして倒れたことを知ってから2日後の10月8日に、藩に対して介護休業の申請である「看病御暇申し立て」を行って、即座に認められます。そして10月9日から、実父の介護のために休むことができています。また注目点として、和光は介護休業を取得する際に、職場の同僚であるいわゆる同役衆に対し、回文という回覧板のようなものですぐに連絡を行っています。同僚に対して、介護休業を取得すると迷いなくいえる職場環境であったわけです。  この点、先ほど見た株式会社日本総合研究所の調査結果を思い出してください。介護離職に至った理由として、介護休業制度のような介護と仕事の両立支援制度をうまく利用できなかったことが全回答の過半数であったと紹介しましたが……。この秋田藩のケースは、そうした問題がクリアされていることがわかります。父親が倒れたと知ったのが10月6日、介護休暇の申請を出したのが10月8日、介護を理由に休業を開始したのが10月9日です。現代の企業組織でもそう簡単にはマネできないような、迅速な介護休業の取得ではありませんか。  このような武士を対象とした介護休業制度があったのは、秋田藩のみではありません。幕府が正式に制度化し、全国の藩で積極的に行われていました。つまり、サムライケアラーはあたり前のように各地に存在していたわけです。  ではいったいなぜ江戸時代に介護休業制度があったのでしょうか。何がどうなって、そんな制度がつくられていたのでしょうか……?次回、この点を明らかにしつつ、もう一つ「サムライケアラー」の事例をご紹介しましょう。 【引用資料】 ※1:公益財団法人生命保険文化センター「介護離職者はどれくらい? 介護離職をしないための支援制度は?」 https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1099.html ※2:経済産業省「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」 https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/kaigo/main_202603.pdf→PDF資料8ページ ※3:財務省『令和8年度 防衛関係予算のポイント(概要)』 https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2026/seifuan2026/20.pdf ※4:株式会社日本総合研究所『令和4年度ヘルスケアサービス社会実装事業』→PDF資料119ページ https://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2022FY/000110.pdf 【参考資料】 ア井将之 著『武士の介護休暇――日本は老いと介護にどう向き合ってきたか――』(河出書房新社)2024年