第100回 高齢者に聞く生涯現役で働くとは チーズケーキ専門店 ヨハン ケーキ職人 小林(こばやし)隆吉(りゅうきち)さん  小林隆吉さん(85歳)は、樹脂製造の会社で資材調達や品質管理などの業務に従事してきた。  定年退職後は、畑違いのケーキ職人として、いまも現場に立っている。知る人ぞ知るチーズケーキ専門店で第二の人生を歩み続ける小林さんが、かつての仲間たちとともに生涯現役で働くことの喜びを語る。 生産部門を支えるために奮闘した日々  私は長野県中野(なかの)市に生まれました。6人の子どもがいて両親はたいへんだったと思いますが、高校へ通わせてもらえたことにはいまも感謝しています。地元の高校を卒業すると1年ほどは家業の農家を手伝いました。その後、義兄を頼って上京し、義兄が働いていた樹脂製造業の住友ベークライト株式会社に入社がかないました。1959(昭和34)年のことです。  住友ベークライト株式会社は、私が入社する4年前に日本ベークライト株式会社と住友化工材工業株式会社が合併してできた会社で、私は川崎工場の検査部門に配属されました。そのころは検査と呼んでいましたが、いわゆる品質管理の仕事です。高校は普通科でしたから、とにかく働きながら仕事を覚えるのに必死でした。川崎工場では電話機材の開発を行っており、NTTの前身である電電公社の指定を受け、黒電話を生産していました。時代は高度成長期を迎え活気にあふれ、私は川崎工場の生産にかかわる資材調達の仕事も担当するようになり、忙しいけれど充実した日々を過ごすことができました。そのころは土曜休みもなく、仕事人間がたくさんいましたが、いま思えば私もその一人でした。家のことは妻に任せきりであった男が、いま厨房でケーキづくりに邁進しているのですから、人生とはおもしろいものです。 第二の人生の背中を押してくれた仲間たち  当時の定年は60歳でした。半年くらいのんびりして今後のことをじっくり考えました。特にやりたいことはなかったものの、元気なうちは働き続けたいという思いはありました。そんな折、定年退職後にヨハンでチーズケーキ職人として働いていた先輩が「一緒に働いてみないか」と声をかけてくれました。住友ベークライトのOBである和田(わだ)利一郎(りいちろう)さんが創業されたヨハンのことは現役のときからよく知っていました。和田さんを慕って退職後にケーキ職人に転職した人の話も聞いていましたし、声をかけていただいたのも何かの縁だと思い、働かせてもらおうと決意しました。  それまでの仕事とは異なる世界でしたが、ヨハンを訪ねたときに、そこで働いている職人が全員住友ベークライトの先輩たちだということがわかり、不安はまったくありませんでした。むしろ定年後に仲間たちと一緒に働ける喜びはかけがえのないものだと思い、60歳にして新しい世界に足を踏み入れたのです。  チーズケーキ専門店ヨハンは東京の中目黒駅からほど近く、店の目の前を桜の名所として知られる目黒川が流れる。近隣にはお洒落な店舗が並び、取材の合間にも多くの人がお気に入りのチーズケーキを求めに来た。お客さまの笑顔が元気の素だと小林さんはうれしそうに語る。 初代オーナーのレシピに学ぶ  創業者の和田さんは96歳で亡くなられましたが、まさに生涯現役を貫かれました。アメリカの友人にふるまわれたチーズケーキが忘れられず、その友人の教えを受けながらレシピを研究し、定年退職後に元同僚2人とこの店を創業されました。その後もOBがここで働き多くの人に定年後の働く場所を提供してくださったのです。私は先ほど、まったく違う職種なのに不安がなかったとお話ししました。それは先輩たちが初代オーナーから受け継いできたレシピを忠実に守っていけばよいのだという思いがあったからです。もちろん、一人前になるには3年ほどかかりました。レシピ通りケーキを焼いても気温や自分の体調などで微妙に誤差が出てしまうのです。製造現場にいた先輩たちは、チーズケーキづくりはプラスチックづくりとよく似ていると話されます。住友ベークライトは樹脂製造の会社ですので、原料を正確に計算して成型する工程が似ているのかもしれません。私は、製造経験はありませんが、生産された製品に触れてきましたから、共通点というものがなんとなくわかるような気がします。  私はわりと手先が器用な方で、古い話になりますが中学時代に運針という雑巾などを縫う授業がありましたが、私はいつも先生から褒められていました。手先の器用さというものもいまの仕事に役立っているかもしれません。何よりもモノづくりの世界で、そして元先輩や同僚に囲まれていたので、25年間も働き続けられたのだと思います。初代オーナーの後を継いだいまのオーナーにもたいへんよくしていただき、私は幸せ者だと思っています。  現在は住友ベークライトのOBだけでなく、住宅メーカー出身者などさまざまな業界の一線で働いてきた人たちがともに働いている。平均年齢70歳を超える男性たちがつくるチーズケーキは、マスコミに何度も取り上げられてきた。そして、お客さまも男性客が多いそうだ。 働き続けることの醍醐味  ヨハンのチーズケーキの特徴は、製造後に冷凍庫で一晩寝かしてから店頭に並べるということです。寝かせることでしっとりさが増して、最良の状態で味わっていただくことができます。寝かせている間の作業はないので、2日出勤して1日休みというのが基本的な働き方です。現在9人で週3日から4日のシフトを組み、1カ月に20日ほど勤務しています。もちろん繁忙期もあり、なかでもこの目黒川のお花見の季節はすごい人出で、ケーキも飛ぶように売れてとても忙しいですが、お客さまが喜んでくださる顔を見ると疲れも吹き飛びます。  朝は6時半に出社して午後3時ごろに帰るというのが日課です。私は川崎市に住んでいますので5時過ぎには家を出ます。仕事のある日は4時には起きるようにしています。  初代オーナーの意志を継いで高齢者に働く場を提供してくれる現オーナーの期待に応えるためにも、長く働かせてもらえるよう健康には気をつけています。健康づくりと趣味を兼ねてウォーキングを続けており、地域の仲間たちと12kmほど歩いて名所めぐりをするのもオフの日の楽しみの一つです。オンとオフのメリハリがあるので体調もよいです。定年後も働き続けたいと考えている人は、あまり時間をおかずに次の仕事を始められた方がよいのではと、経験者としてお伝えしておきます。  この25年間、いまの仕事を辞めようと思ったことは一度もありません。「おじいちゃんのチーズケーキの店」ということで、テレビに取り上げられ、それを見た長野の中学時代の友人から電話があり、いまもがんばっていることをほめられました。生涯現役であることの醍醐味をかみしめながら、明日も元気に工場でチーズケーキをつくります。