加齢による身体機能の変化と安全・健康対策  高齢従業員が安心・安全に働ける職場環境を整備していくうえでは、加齢による身体機能の変化などによる労働災害の発生や健康上のリスクを無視することはできません。そこで本連載では、加齢により身体機能がどう変化し、どんなリスクが生じるのか、毎回テーマを定め、専門家に解説していただきます。第2回のテーマは「転倒災害」です。 愛知医科大学医学部 衛生学講座 川越(かわごえ)隆(たかし) 第2回 職場における「転倒災害」の防止対策のポイント 1 はじめに  労働災害における転倒は、近年増加傾向にあり、休業4日以上の死傷災害全体の約25%を占める最も発生頻度の高い災害となっています※1。特に50歳以上の高齢労働者において多発しており、60歳以上の労働者では死傷者数が増加しています。これらの背景には、高年齢者雇用安定法の改正により60歳以上の労働者が増加したことが要因としてあげられています。業種別では、第三次産業、製造業、陸上貨物運送業など幅広い分野で発生しており、特に第三次産業に属する小売業、社会福祉施設および飲食店では転倒災害が約30%を占めています。また、性別では女性労働者の発生率が高く、特に50歳以降の女性労働者において顕著となっています。転倒災害の特徴として、「いつでも」、「どこでも」、「だれにでも」発生する可能性があり、一瞬のできごととして発生するため、予防対策が困難な労働災害として認識されています。今回、特に転倒災害の要因のなかでも、「内的要因」を中心に概説します。 2 転倒災害の要因  転倒災害の要因は、「内的要因」、「外的要因」、「社会管理的要因」、「傷害増幅要因」の四つに大別され、これらが複雑に絡み合い転倒災害が引き起こされます(図表1)。内的要因には、運動機能低下、認知機能低下、視覚機能低下、身体・精神的疾患、服薬状況など、個人の身体機能や健康状態にかかわる要素が含まれます。外的要因としては、床面の摩擦係数、凹凸、段差、手すりの有無、照明条件、通路幅など、作業環境にかかわる要素が該当します。社会管理的要因には、整理・整頓の状態、作業時の焦りや規則違反、職場風土などの組織的な要素が含まれます。傷害増幅要因には、身体強度・耐性、回避能力(敏捷性)、骨強度、内臓耐性など、転倒時の生体への傷害の程度に影響を与える要素が含まれます。  また、転倒災害のリスク要因の影響度は、加齢によって変化してきます(図表2)。20〜30代では外的要因の割合が高く、40代以降になると徐々に内的要因の割合が増加し始めます。さらに50代以降になると、内的要因のなかでも疾病・機能低下の割合が増加する傾向が見られます。この年齢によるリスク要因の変化は、高齢労働者の転倒災害対策を考えるうえで重要な視点となります。 3 転倒リスクと加齢にともなう運動機能の変化  加齢にともなう運動機能の低下は転倒リスクと密接に関連しています。労働者の運動能力は、静的バランス機能を示す閉眼片足立ちでは、20代前半と比較して50〜54歳で約50%、60〜64歳で約30%という著しい低下を示します(図表3)。また開眼片足立ちでも50〜54歳で約80%、60〜64歳で約70%まで低下します。さらに、敏捷性は55〜59歳で約70%まで低下することが示されています。特に50歳以降の静的バランス、敏捷性の機能低下は、身体のふらつき感や作業中に危険に遭遇した際の回避能力低下につながり、転倒災害の重要なリスク要因となると考えられます。さらに、バランスを維持するための生体の防御機能である足関節戦略、股関節戦略、踏み出し戦略においても、加齢とともに足関節戦略を利用してバランスを維持できる領域が狭くなり、より不安定な股関節戦略や踏み出し戦略に依存せざるを得なくなってきます(図表4・5)。 4 服薬状況と転倒リスクの関連性  転倒災害のリスク要因として注目されているのが服薬状況です。高齢労働者を対象とした研究によると、転倒を増加させるリスクのある薬剤の服用は、転倒災害の発生割合を2.23倍に高めることが近年明らかになっています※2。特に、ベンゾジアゼピン系薬剤、非ベンゾジアゼピン系睡眠薬、抗精神病薬、抗うつ病薬、抗コリン薬、降圧薬、利尿薬などFall Risk Increasing Drugs(FRIDs)と呼ばれる転倒リスクを高める薬剤として指摘されています※3。これらの薬剤は、眠気やふらつき、注意力低下、失神、めまい、低血圧などの副作用を引き起こし、転倒リスクを高めます。高齢労働者は複数の疾患を抱えていることも多く、多剤併用による相互作用や副作用が問題となります。現在の産業保健の現場では、労働者の服薬情報を本人の承諾を得て取得することがむずかしい状況にありますが、転倒災害のリスク低減の観点から、服薬管理を含めた包括的な健康管理体制の構築が求められます。 5 健康状態と転倒リスクの関連性  転倒リスクはさまざまな健康状態と密接に関連しています。特に糖尿病は、高齢労働者においても、転倒リスクを高める要因となることが報告されています※4。また、最近、女性労働者を対象とした研究において、貧血が転倒災害のリスク要因となることが報告されています※5。さらに、視覚機能の低下も重要なリスク要因であり、視力が0.3未満者では転倒災害のリスクが2.27倍に増加することが明らかにされています※6。これらの健康状態における転倒のリスクの関連性は、加齢とともに増加する傾向にあり、そのほかの要因と複合的に作用して転倒リスクを高めるものと考えられます。 6 転倒災害を防止するうえで事業者に求められる対策  職場での転倒予防のために、厚生労働省より「いきいき健康体操※7」や「転倒予防体操※8」が公開されています。これらの体操は、専門家により監修されており、これら転倒予防体操の実施は、運動機能の低下に歯止めをかけ、日常生活や作業での段差や階段でのつまずきやつま先の引っかかりを減少させ、結果的に転倒頻度の減少につながるものと考えられます。  また、近年、高齢労働者の転倒リスクとなりうる健康状態が明らかになってきており、それら疾患に対する転倒災害の視点からの定期的なフォローも重要な視点と考えられます。  これまで多くの企業においては、階段や段差解消、滑り防止など外的要因からの対策にとどまっているケースが多くみられますが、健康状態や運動機能の低下などの内的要因からの対策を織り込むことにより、さらなる転倒リスクの低減につながるものと考えられます。 7 まとめ  今回、転倒災害の要因のなかでも、特に内的要因を中心に概説しました。転倒災害の特徴として、「いつでも」、「どこでも」、「だれにでも」発生する可能性があり、単に「滑っただけ」、「つまずいただけ」、「注意不足」などと軽視される傾向があります。転倒災害を防止するためには、内的要因を含め、外的要因、社会管理的要因、傷害増幅要因の総合的なアプローチと転倒災害を軽視しない企業レベルでの意識改革が不可欠であると思われます。 ※1 厚生労働省「令和5年における労働災害発生状況(確定)」(2024) ※2 Osuka Y et al., Geriatr Gerontol Int. 22(4):338-343, 2022 ※3 日本老年医学会・日本医療研究開発機構研究費・高齢年齢の薬物治療の安全性に関する研究研究班:高齢者の安全な薬物治療ガイドライン2015.メディカルビュー社、東京,2015 ※4 Osuka Y et al., Occup Med. 73(3):161-166. 2023 ※5 Shima A et al., J Occup Health. 2024. doi: 10.1093/joccuh/uiae063. ※6 Shima A et al., J Occup Environ Med. 2024; 66(10):e483-e486. doi: 10.1097/JOM.0000000000003184 ※7 https://jsite.mhlw.go.jp/saga-roudoukyoku/content/contents/000626649.pdf ※8 https://anzeninfo.mhlw.go.jp/information/tentou1501_27.html 図表1 転倒災害の要因と転倒発生時のフロー 内的要因 運動機能 認知機能 視覚機能 身体・精神的疾患服薬状況など 障害増幅要因 身体強度・耐性、回避能力(敏捷性)、骨強度、内臓体制など 外的要因 床面摩擦・凹凸、段差、手すり、照明、通路幅など 社会管理的要因 整理・整頓、焦り・規則違反、職場風土など すべり (路面) 転倒災害発生 踏み外し (階段) つまずき (段差) ※永田久雄『「転び」事故の予防科学』(労働調査会)より一部改変し筆者作成 図表2 加齢にともなう転倒リスク(内的・外的要因)の影響度 要因割合(%) 年齢 20歳 40歳 60歳 外的要因 安全領域 内的要因 健康領域 ロコモ サルコペニア フレイル 内的要因 疾病・機能低下 図表3 加齢にともなう運動機能の変化 加齢とともに、特にバランス機能が大きく低下→転倒危険性を増大させるリスク 20−24歳時からの相対的変化率 ・開眼片足立ち(静的バランス) ・閉眼片足立ち(静的バランス) ・ファンクショナルリーチ(動的バランス) ・Time up and go(移動能力) ・スクエア−ステップ(敏捷性) ・最大1歩幅(柔軟性) ・椅子立ち上がり(下肢筋力) 年代 20-24 (n=364) 100.0% 25-29 (n=323) 97.9% 95.5% 30-34 (n=347) 91.4% 88.2% 35-39 (n=387) 88.3% 40-44 (n=264) 87.3% 59.2% 45-49 (n=200) 84.2% 81.1% 52.3% 50-54 (n=145) 79.9% 72.9% 46.3% 55-59 (n=354) 71.0% 70.5% 37.5% 60-64 (n=145) 72.0% 27.6% 69.2% (敏捷性・認知機能:スクエア−ステップ) 反応性遅延 危険回避能力の低下 (静的バランス・閉眼片足立ち) 立位バランス悪化 転倒危険性を増大 出典:川越隆「高年齢労働者の転倒災害防止対策『安全作業能力テスト』と『いきいき安全体操』による転倒リスク低減の試み」『労働の科学』66(11),678-684,2011 図表4 転ばないための生体の防御機能 バランス戦略(Balance strategy) F1 足関節戦略(Ankle strategy) 突発的な外力を受けたときに、まず、足関節の柔軟性を利用してバランスを維持 F2 股関節戦略(Hip strategy) Ankle strategyでバランスが維持できない場合、股関節を曲げることで衝撃を受け流し、バランスを維持 F3 踏み直り戦略(Step strategy) それでも無理な場合は、足を踏み出して(踏み直り戦略)バランスを整える F1<F2<F3 出典:川越隆「4 発生要因(内的要因、外的要因、社会・管理的要因、傷害増幅要因)―高年齢労働者の労災としての転倒・転落事故―」『高年齢労働者のための転倒・転落事故防止マニュアル』日本転倒予防学会監修, 22-26, 2023 図表5 転ばないための生体の防御機能 若齢者と高齢者の比較 前後方向への重心の変化 若齢者 高齢者 足関節戦略 重心 股関節戦略 踏み出し戦略 加齢とともに足関節戦略は徐々に低下 足首でのバランスが取りにくくなる! 出典:樋口貴弘, 建内宏重『姿勢と歩行 協調から紐解く』(三輪書店), p192-193, 2015. をもとに筆者作成