地域・社会を支える 高齢者の底力 The Strength of the Elderly 第2回 株式会社小川(おがわ)の庄(しょう)(長野県)  少子高齢化や都心部への人口集中などにより、労働力人口の減少が社会課題となるなか、長い職業人生のなかでつちかってきた知識や技術、経験を活かし、多くの高齢者が地域・社会の支え手として活躍しています。そこで本連載では、事業を通じて地域や社会への貢献に取り組む企業や団体、そこで働く高齢者の方々をご紹介していきます。  地域の食文化の支え手は生涯現役で働く高齢社員  長野県の北部、長野市と白馬村(はくばむら)のほぼ中間に位置する小川村(おがわむら)。ここで約40年間にわたり、信州の食文化の象徴ともされる「おやき」の製造販売を行っているのが、株式会社小川の庄だ。社員数は78人で、平均年齢は55歳。そのうち60〜80代の社員は約30人にのぼる。同社には定年がなく、いずれも正社員として働き、郷土食を通じた地域活性化にも貢献している。  小川村はもともと養蚕が盛んな地域だったが、安価な海外製品や化学繊維の普及によって養蚕業が衰退。村の行く末に危機感をもった地元住民、地元農協、食品加工会社が共同出資して、1986(昭和61)年に株式会社小川の庄を設立した。「村のお母さんやおばあちゃんたちが、生涯現役で生きがいをもって働ける職場づくり」、「村の宝である地元の特産物を活かした商品づくり」という創業のコンセプトは、現在の会社経営の基礎にもなっている。 80歳、10年間でおやき「50万個」 観光客でにぎわう郷土料理店  小川の庄の直営店の一つ「おやき村」。農家を改造した「こたつ部屋」と、縄文時代をイメージした竪穴式住居風の「囲炉裏の館」から成る店舗で、おやき製造所、そば打ち処も併設されている。店内では、掘りごたつで郷土料理を食べたり、囲炉裏端で「おやき作り体験」をしたりすることもでき、観光客にも人気だ。  2024(令和6)年は11月3日から、店内で新そばの提供が開始され、当日は連休中ということもあって大勢の人が訪れた。囲炉裏端にも、おやきを買い求める客が後を絶たず、「野沢菜」に「あんこ」、季節限定の「うの花」から好きな具材を選び、囲炉裏の火で焼かれたおやきを味わう観光客らでにぎわった。  その囲炉裏のそばに座り、慣れた手つきで丸いおやきをつくるのは、入社して10年の大日方(おびなた)文子(ふみこ)さん(80歳)。「平日はだいたい100〜200個、土日・祝日は300〜500個のおやきをつくります。単純計算はできないけれど、10年間でおそらく50万個ぐらいはつくっています」と話す。勤務時間は朝8時から夕方5時までで、体力的にはまったく問題ないそうだ。  大日方さんらがつくったおやきを、大きな囲炉裏の上で焼き上げるのは、2023年に入社した小林(こばやし)昭仁(あきひと)さん(62歳)。料理人として働いていた小林さんは、60歳で前職を辞めたのをきっかけに、小川の庄に入社した。「60歳になってから、再就職で壁にぶつかったのですが、よいご縁があり、ここで働いています。定年退職がないので、できるかぎり、ずっと働きたいと思っています」と話す。  同社の権田(ごんだ)公隆(こうりゅう)社長は、「会社にとっての財産はやはり社員。だれもが生涯現役を貫き、一人ひとりが輝ける職場をつくっていきたいと思っています」と強調する。現在50代の権田社長自身、「50年後も働いていたい」とのこと。「60歳からの40年間をいかに輝かせるか」が、権田社長の目標なのだ。 おやきとともに約40年 夫婦で郷土の味を広める  おやきを、全国に広めた立役者の1人が、おやき村の「村長」を務める大西(おおにし)隆(たかし)さん(81歳)。1986年の創業当初からの社員だ。大西さんの妻・明美(あけみ)さん(78歳)はおやき村の厨房長を務めており、夫婦でおやきを通じた地域活性化の一翼をになっている。  もともと小川村の西山地域の料理だったおやきに目をつけ、商品化を目ざしたのは、同社の先代社長。「おやきは家でつくって食べるもので、それを商品にするなんて、当時は思ってもみないことでした」と、明美さんは創業当初をふり返る。  大西さんは営業担当として、おやきのPR役をになった。「とにかく、おやきを知ってもらおうと、地元のおばあちゃんを連れて、全国のデパートに実演に行きました」と、大西さん。おやきを焼くための機材を車に積み、自ら運転して、北は北海道から南は九州まで走り回ったそうだ。そんな大西さんらの活動が実を結び、おやきは県の特産物として徐々に浸透。現在は、販売網が全国に広がり、通信販売などでも売上げを伸ばしている。  大西さんは60歳を過ぎて営業から退き、2024年4月に、99歳で亡くなった先代から村長を引き継いだ。「まだまだ若いのに、いきなり村長を仰せつかりましたよ」と話す大西さんだが、「村長」と呼ばれるのには、少しプレッシャーもあるそうだ。一方で、自分が地域のために役立っているという手応えも感じているという。今後も「自分が動ける間は、なんとかがんばっていきたいです」と心構えを話す。  妻の明美さんは現在、厨房長として、おやき村の「味」をになっている。店内で提供される食事には、明美さんが考案したメニューもあり、なかには商品化されたものもある。「自分が好きでつくったものを、先代の社長が『評判がよい』と、商品にしてくれました。そうやって評価してもらえるのは、すごくうれしいことですね」と明美さん。「好きな仕事だし、やれるまでやる。楽しいですから」と笑顔で語っていた。 「高齢になればなるほど輝く」 「お互いさま」の気持ちが大切  権田社長は、「飲食業は、年を重ねれば重ねるほど味が出ます。高齢になればなるほど輝くのです」と話す。特に、古くからある郷土料理を商品化してきた同社の場合、高齢者の知恵や経験、知識は重要な資源でもある。  70歳、80歳を超えた社員の力を活かすためには、「それぞれ通院や介護、あるいは孫の世話などの事情はありますが、『お互いさまだからがんばろう』という気持ちが必要」と、権田社長は強調する。「だれかが休んでも職場がまわるよう、80歳の人でも『私はこれしかできない』ではなくて、何でもできるように学んでいってもらいたい」との考えだ。  「年を重ねても、自分たちで考えて仕事をしていくことで、もっともっと輝いていく―」。権田社長は、生涯現役社会への期待を語った。 写真のキャプション 夫婦で働く、おやき村村長の大西隆さんと、厨房長の明美さん 株式会社小川の庄の権田公隆社長