第101回 高齢者に聞く 生涯現役で働くとは  村井美環さん(66 歳)は17年間勤めた銀行を定年退職したあと、「東京キャリア・トライアル65」を利用して設計会社に就職。CADオペレータとして第二の人生を歩み始めて1年が過ぎた。  それまで経験のなかったまったく新しい世界で意欲的な日々を送る村井さんが、生涯現役で働く喜びを語る。 株式会社 サルバス・ケイエヌ設計 CADオペレータ 村井(むらい)美環(みき)さん 母の背中を追いかけながら  私は宮崎県日南(にちなん)市の生まれです。市内の高校を卒業後は、東京の大学に進みました。兄が2人いますが、すでに東京で大学生活を送っていた二番目の兄を頼って上京しました。父は地元にあった製紙関係の会社員で、母は小学校の教師でした。自分と同じ教師の道に進むことを密かに願っていた母の気持ちを汲みながら、教員免許の取得を口実に地元を離れたように思います。高校時代から英語が好きだったので教師の道もあるかなと思いつつ、日ごろ激務をこなす母の姿を見続けてきたので、どこか冷めていたようにも思います。ただ、教員免許を取るという母との約束は守りました。教育実習も経験しましたが、結局母の願いをかなえることはできませんでした。  大学を卒業して就職したものの、結婚が早かったのですぐに家庭に入り、下の子が3歳になるまでは専業主婦でした。当時の風潮では仕事と育児の両立など考えられませんでしたし、意外だったのは仕事一筋であった母が、私に子どもが生まれると「子どもが小さいうちは一緒におってやらにゃあいかん」などといい出したことです。教師の仕事が忙しく、不在がちであった母の言葉としては不思議な気がしましたが、母なりに辛さを抱えながらの日々であったのだと、自分が母になってようやく気づきました。  終始落ち着いた雰囲気で言葉を選びながら静かに語る村井さん、教職に進めば素敵な先生になっていたに違いない。家庭に入ったものの外に出たい気持ちは膨らんでいく。働き続けた母の姿に自身を重ねるようになった。 働くことは楽しいこと  下の子が保育園に入って時間的に余裕が出始めると働きたい気持ちが強くなりました。とはいえ正式に働くのはまだ無理でしたから、近所の雑貨屋を手伝ったり、モデルルームや倉庫の番をしたり、トイレ掃除もやりました。声をかけてもらうとあらゆることをやりましたが、どんな仕事も本当に楽しかったです。下の子が高校3年生になったとき、まずはパートで働こうと、新聞広告でみつけた銀行の外国為替課で、週3日間働くことになりました。かつての銀行ならパートタイマーとはいえ、私など採用してもらえなかったでしょうが、そのころ銀行も人手不足に悩み、パートを大量に採用した時期でした。外国為替課なので英語にアレルギーがないことが採用につながったようです。受験勉強で英語のおもしろさにはまって大学でも英語をしっかり学びました。人生に無駄なことは何一つないようです。  パートとはいえ人事異動もあり、結構忙しかったです。入社して6年目に自分から望んでフルタイム勤務になり、65歳で定年を迎えるまでの17年間外国為替の仕事を続けました。 背中を押してくれた人との出会い  銀行で定年まで勤められたのは幸せでしたが、働き続けたい気持ちは強く、ハローワークで仕事探しを始めました。しかし、なかなか結果が出ず途方に暮れていたとき、知人から「東京キャリア・トライアル65」を紹介され思いきって出かけていきました。話を聞いてくれた面接官には銀行のキャリアにこだわらず、何か新しいことをやってみたいという思いを伝えました。しかし、65歳の初心者を雇ってくれる会社などどこにもないだろうとあきらめかけていましたから、「経験がなくてもやる気があればよい」という設計会社を紹介してもらえたときは、本当にうれしかったです。ただ、設計会社ですから採用したい人材はCADのオペレータでした。いくら新しいことがやりたいとはいえ、CADはあまりにも未知の世界でした。パソコンもあまり得意ではない私の不安を払しょくするかのように、面接してくださった後藤(ごとう)研一(けんいち)社長は、「あなたにはまだ伸びしろがあるから大丈夫」とやさしく声をかけてくれました。 同期とともに励まし合い  まずトライアル期間の一カ月に教育のカリキュラムを組んでもらい、社長から直々に教育していただきました。図面の読み方もまったくわからない私に一生懸命に教えてくださるので、私は学生になったつもりで真摯に向き合いました。トライアル期間中は不安もありましたが、その都度社長が「わからなくてあたり前」、「できなくてあたり前」と叱咤激励してくれました  トライアル期間と会社の試用期間を経て、正社員として採用してもらえたときは本当にうれしかったです。  なんとか乗り越えられたのは同期入社の同僚の存在も大きかったと思います。その人も私と同じく「東京キャリア・トライアル65」を利用して入社されました。なかなか仕事が覚えられない私が少しでも弱音を吐くと「年齢に甘えるな」、「勉強が足りない」などの言葉が容赦なく飛んできます。厳しいけれどとにかくCADが大好きな人なのでマニュアルをつくってくれることもありました。まさかこの年で新人の同期に出会えるなんて、とても幸せな気分でした。  村井さんが社長に面接された際、「伸びしろがある」といわれて目からうろこだったそうだが、会社には60歳以上を対象にした「伸びしろの会」があるとのこと。人は成長するということを信じてやまない後藤社長の発案である。 生涯現役を夢みて  母は96歳になり、郷里の宮崎で暮らしています。私が銀行勤務時代、フルタイムを自ら希望したことや、65歳を過ぎても働くことを望んだのは働き者の母の影響かもしれません。会社は社長の考えもあり半数がシニアですし、75歳以上の社員も元気に働いています。生涯現役で働く風土が醸成されている会社で、私も長く働かせてもらって社長に恩返しをしたいと、資格取得にもチャレンジしています。現在は第二種電気工事士という国家資格の取得を目ざしており、もうすぐ技能試験があるので緊張しています。ドライバーぐらいしか持ったことのない私が電気工事士の資格取得を目ざしているのです。人生はじつに愉快です。  これといった趣味もありませんが、心や体を鍛えることには興味があります。週2回ほど、終業後、ヨガの先生のもとに通い心身をメンテナンスしています。会社の若い人たちとの会話もリラックスに役立っています。若い人とつき合うときに自分にいい聞かせているのは、「年齢に甘えない」ということです。  土日には息子から孫の世話を頼まれることもあり、孫との時間は元気の源です。人は元気なかぎり働き続けることがあたり前であり、いまもなおフルタイムで働けることに感謝して、より豊かな明日を迎えたいと思います。