加齢による 身体機能の変化と安全・健康対策  高齢従業員が安心・安全に働ける職場環境を整備していくうえでは、加齢による身体機能の変化などによる労働災害の発生や健康上のリスクを無視することはできません。そこで本連載では、加齢により身体機能がどう変化し、どんなリスクが生じるのか、毎回テーマを定め、専門家に解説していただきます。第3回のテーマは「目の健康」です。 順天堂大学 眼科学教室 先任准教授 平塚(ひらつか)義宗(よしむね) 第3回 加齢による“目”の変化(アイフレイル)と労働衛生における目の重要性 1 はじめに  最近、本を読むのがつらくなってきていませんか。新聞やスマートフォン画面で小さな文字を追うとき、夜間に運転するとき、「見えにくさ」を感じることはないでしょうか。  ちょっとした不調を「年のせいだろう」と放置していると、視力を失う原因となる目の病気が悪化し、物を見る能力が低下する可能性があります。血圧や血糖値、コレステロールなどの数値には敏感なのに、「目の老化」というとピンとこない、理解できていない、という人はとても多いです。  目の健康が後回しにされがちである理由として「年のせいだから仕方ない」となんとなく考えている人が多い点があげられます。また、「眼科は本当に困った症状が出たときに受診するところ」という考えが一般的である点もそうでしょう。しかし、視力が失われる要因となる病気であっても、早期に適切な治療を行えば、視力を維持することが可能になってきています。とにかく早期に問題を発見し、治療に取りかかることが重要なのです。 2 眼底検査を受けよう  目の病気の早期発見につながるもっとも重要な検査は、眼球の後面にある網膜を観察する「眼底検査」です。眼底写真を撮影したり、眼科で瞳を開いた状態での検査で行われます。われわれ眼科医はその重要性をずっと訴えてきましたが、40歳以上の国民が対象となる特定健康診査(いわゆるメタボ健診)で眼底検査を受けられるのは、高血圧または高血糖があり、医師が必要と認めた人にかぎられています。その結果、受診者の18%しか眼底検査を受けることができていません。「目は全身の窓」といわれるように、目の血管は全身の健康状態を反映するため、目を観察することによって動脈硬化や糖尿病の悪化に気づくこともできます。 3 目の病気の多くは初期には自覚できない  私たちは二つの目を持っているので、片目が悪くてももう片方の目がその機能を補填してしまい症状が出にくいという弱点があります。現在、日本の視覚障害の一番の原因である緑内障は、見える範囲が狭くなってしまう病気です。しかし、初期には視野が完全に欠けるわけではなく、部分的に感度が低下するだけなので、自分で気づくことはできません。緑内障で視野が本当に大きく欠けるのは、相当進行してからであり、そのときに治療を開始しても遅すぎます。日本では疫学調査の結果、緑内障のじつに90%が未発見であるといわれています。  糖尿病患者さんの15%程度に発症している糖尿病網膜症も同様に、初期には自分で気づくことができません。目の奥が出血していても、中心視力をつかさどる網膜のなかの黄斑部というところに出血がなければ視力は落ちないのです。詳しい検査をして、かなり進行している、という状態でも、本人はまったく自覚がないことが恐ろしいところなのです。  見え方の悪い状態はさまざまです。「かすむ」、「ゆがむ」、「暗い」、「まぶしい」、「虫が飛ぶ」など、いろいろな症状が重なって「見えづらい」状態となります。こうなると車の運転がむずかしくなったり、字が読みづらい、転倒しやすいなど、日常生活にも支障を来すようになります。さらに、行動に制限が生まれ、外出機会が減り、社会的に孤立する――ということになりかねません。 4 それ「アイフレイル」ではないですか?  加齢による目の不調を総称して「アイフレイル」といいます。「アイフレイル」の「フレイル」という言葉は、年齢を重ねるとともに心身が弱った、健康と要介護の中間に位置する状態のことです。視機能が低下する「アイフレイル」もまた、自立した生活を困難にする要因となります。  アイフレイルのベースとなるのは、加齢による目そのものの変化です。例えば、目の血管が硬くなり動脈硬化を起こしたり、酸化ストレスによる慢性炎症が起きたり、視神経がもろくなったりします。網膜で光刺激の情報を処理する神経節細胞は30代に比べて70代では15〜20%ほど減少し、視野の感度低下につながります。レンズのように焦点合わせをする水晶体は加齢により硬くなり、ピントを合わせる力が減少していきます。これが老眼です。さらに年をとると透明だった水晶体は白く濁ります。これが白内障であり、進行すると手術が必要になります。このような理由から、年齢を重ねることで、ピントを合わせる力やくっきりと見る力も低下していくのです。 5 「外的要因」と「内的要因」が目にストレスをかける  こうした加齢による衰えに、生活習慣や喫煙、紫外線、手術による侵襲、薬の副作用などの「外的要因」が拍車をかけます。見えづらさを感じても目に関する正しい情報が手に入らない、周囲に相談する人がいないといったことも、目の健康維持に負の影響を与えます。目が見えづらい方は社会参加も減少することが報告されており、ますます悪循環に陥ってしまいます。  もう一つの大きな要因が、糖尿病や高血圧、脂質異常症などの「内的要因」です。これらはいずれも視機能にかかわる血管や神経の働きに悪影響を与えます。しかし、眼底検査をすることで、これらの病気のリスクを目から判断することもできます。例えば、高血圧患者さんの眼底に軟性白斑という変化が出ていたら3年後に脳卒中を起こすリスクは7倍程度に上昇します。  このように「加齢にともなって眼が衰えてきたうえに、さまざまな外的・内的ストレスが加わることによって目の機能が低下した状態、また、そのリスクが高い状態」をアイフレイルといいます。 6 目の異常を示唆する「10の症状」  ふだんの身近な症状から視機能低下に気づいてほしいということで、日本眼科啓発会議※1が作成したものが「アイフレイル自己チェックリスト」です(図表1)。10のチェック項目のうち二つ以上に該当すると、アイフレイルの可能性があります。 (1)目が疲れやすくなった  眼精疲労や老眼などによってかけている眼鏡やコンタクトの度数が合っていない可能性があります。またドライアイかもしれません。 (2)夕方になると見にくくなることが増えた  長時間のパソコンによる眼精疲労で夕方になると見えにくくなります。また、花粉が飛散するピークは夕方が多く、花粉症の症状として見えにくさが出ている可能性もあります。 (3)新聞や本を長時間見ることが少なくなった  小さい文字を追うのがむずかしくなるのは老眼の典型的な症状です。眼鏡やコンタクトを目に合う状態に調整する必要があります。 (4)食事の時にテーブルを汚すことがたまにある  これも、老眼によって近くにあるものが見えづらくなっていると考えられます。また緑内障で視野が欠けているのかもしれません。 (5)眼鏡をかけてもよく見えないと感じることが多くなった  近視、遠視、乱視など、網膜にピントが合わない屈折異常や、老眼が原因のことが多いですが、度数を調整し直しても改善しなければ目の病気の可能性があります。 (6)まぶしく感じやすくなった  まぶしく感じるのは初期の白内障の代表的な症状です。 (7)はっきり見えない時にまばたきをすることが増えた  目が乾燥するドライアイの症状です。まばたきを増やして涙で目を潤そうとします。また、涙の下水道である涙道が加齢でせまくなることで、涙が流れにくくなり外に漏れ出す流涙症(りゅうるいしょう)も考えられます。 (8)まっすぐの線が波打って見えることがある  真ん中の見え方に問題がある場合、働いている人にストレスで起こりやすい中心性漿液性脈絡網膜症(ちゅうしんせいしょうえきせいみゃくらくもうまくしょう)や網膜の表面に薄い膜が形成される黄斑前膜(おうはんぜんまく)などのことが多いです。それ以外にも、加齢黄斑変性や糖尿病黄斑浮腫などの病気の可能性があります。 (9)段差や階段で危ないと感じたことがある  緑内障など視野が欠損する病気の可能性があります。 (10)信号や道路標識を見落としそうになったことがある  これも、緑内障など視野が欠損する病気の可能性があります。  この「アイフレイル自己チェックリスト」は、医学的な信頼度と妥当性が高いことが2024(令和6)年に実証されています。目の疾患のある人と正常な男女2656人(平均年齢62.4歳)を対象に行った研究では、「チェックリストで10項目中2項目以上に該当すること」とさまざまな目の病気との間に、統計学的に有意な関連があることが示されています※2。具体的には、黄斑変性であるリスクが3・3倍、白内障であるリスクが2.4倍になるほか、糖尿病網膜症が2.2倍、緑内障が1.9倍、老眼が1.6倍という結果で、すべて有意な関連(p<0.001)が認められました。アイフレイルチェックリストは10項目の簡単な質問に答えるだけで、目の病気の可能性を教えてくれる優れた質問票です。視力検査ができなくても、眼底検査ができなくても、まずこの10項目だけでもチェックしてみてください。 7 労働衛生的見地からみた視覚の重要性  視覚は、労働者が作業環境で安全かつ効率的に作業を行ううえで不可欠な役割を果たしています。労働衛生学的見地からは、従業員の健康管理と生産性の維持の2点が特に重要です。  まず、健康管理ですが、先ほども書いた通り、目の特徴として左右の両眼でものを見ているために、片眼の問題には気づきにくいという点があげられます。また、眼疾患に関するリテラシーの不足のために、必要な検査や修正可能な対策が十分には行われていないという点も問題になります。目に関する定期的な健康診断は、目の健康を維持し、潜在的な問題を早期に発見するのに役立ちます。視力検査や眼底検査ができなくても、アイフレイルチェックリストであればどこでも簡便に行うことができます。  次に、生産性の維持です。良好な視力は職場の安全に欠かせません。最近、国内の20〜69歳の女性7317人を対象とした職場における転倒に関する大規模な研究が報告されました※3。結果ですが、労災対象の転倒が、視力が0.3〜0.7では1.3倍、0.3未満では2.3倍ということが明らかにされました。  健康な目は、労働者が作業中に情報を正確に認識し、適切に判断するのに役立ちます。視覚障害がある場合、作業の質や効率が低下するため、目の健康管理は、生産性の維持に不可欠です。 8 健康経営○R(★)の観点からみた視覚の重要性  昨今、注目されている健康経営の観点からも、眼の健康管理は重要です。日本における34の健康状態のプレゼンティーイズムによる年間損失額(一人当たり)についての研究では、4位が「目の不調」となっています(図表2)。さらに、1位の「首・肩のこり」の重要な原因に眼精疲労があり、2位の「睡眠不足」と視覚障害との関連も近年指摘されています。  以上のように、労働衛生的観点からみても目の重要性は明白です。労働者の目の健康を保護し、安全な作業環境を確保するためにも、職場における目の健康管理の果たす役割は非常に大きいといえるでしょう。 ※1 公益財団法人日本眼科学会、公益社団法人日本眼科医会、一般社団法人日本眼科医療機器協会、一般社団法人日本コンタクトレンズ協会、一般社団法人日本眼科溶剤協会の5団体が運営するコンソーシアム ※2 山田昌和, 平塚義宗, 鹿野由利子, 加藤圭一, 杉山和久, 辻川明孝.Web調査によるアイフレイルチェックリストの検証.日本眼科学会雑誌128:466-472, 2024. ※3 Shima A, Kawatsu Y, Murakami M, Morino A, Okawara M, Hirashima K, Miyamatsu N, Fujino Y. Relationship Between Low Visual Acuity and Nonfatal Occupational Same-Level Falls in Japanese Female Employees: A Cohort Study. J Occup Environ Med. 2024 Oct 1;66(10):e483-e486. ★「健康経営○R」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。 図表1 アイフレイル自己チェックリスト アイフレイル自己チェックリスト 出典:日本眼科啓発会議資料 図表2 34の健康状態の該当人数とプレゼンティーイズムによる年間損失額 プレゼンティーイズムによる年間損失額(一人当たり) Presenteeism/person/year(US$) N 人数 N=12,350 the employees in four pharmaceutical companieses in Japan. Painful neck/stiff shoulders Insufficient sleep Back pain Eye symptoms Weariness/fatigue Depression Anxiety Headaches Pain in arms and leg joint Insomnia Skin disease/Itchiness Cold, Influenzas プレゼンティーイズムによる1人当たりの年間損失額上位の症状 日本人労働者(12,350人)を対象に34症状で調査 1位:首・肩のこり 2位:睡眠不足 3位:腰痛 4位:目の不調(ドライアイ・緑内障など) 5位:うつ 出典:Nagata T, et al.Total Health-Related Costs Due to Absenteeism, Presenteeism, and Medical and Pharmaceutical Expenses in Japanese Employers. J Occup Environ Med, 2018.