知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第80回 退職金減額・不支給、中途採用と信用調査 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 退職金規程違反を理由に退職金を減額・不支給することは可能でしょうか  当社には退職金制度があるのですが、懲戒事由に相当する事由がある場合には、減額または不支給とすることができる旨が退職金規程に定められています。同業他社への就職や秘密情報の持ち出しを禁止しているにもかかわらず、退職後に同業他社へ情報を持ち出した人物がおり、退職金を不支給にしたいのですが、可能でしょうか。 A  退職金を減額または不支給とするには、過去の功労報賞を著しく抹消するほど重大な違反が必要と考えられています。職業選択の自由の観点から競業避止義務が限定的に解釈することをふまえてもなお、違反の程度が悪質な場合には、大幅に減額することであれば可能な場合はあります。 1 退職金支給と懲戒事由の存在  退職金制度は、必ずしも会社が設けなければならない制度ではなく、また、会社ごとにその内容は異なります。しかしながら、日本では退職金規程を定めたうえで、ご質問のような退職金の減額または不支給の規定を設けている会社は少なくありません。  退職金の請求権は、退職する労働者にとって非常に重要な権利であり、勤務した期間が長くなればなるほど支給額も増える傾向にあることから、継続的に勤務するほどその重要性も増していきます。そのため、退職金の減額や不支給についても、一定程度制限されることが一般的です。とはいえ、まったく減額や不支給ができないとも考えられておらず、そのことは、退職金の性質とも関連しています。  退職金の性質について、裁判例では賃金の後払いとしての性質と功労報償としての性質をあわせ持つといわれています。賃金の後払い的性質については、文字通り読むと賃金全額払いの原則に違反するかに見えますが、勤務に対する評価を蓄積して、退職時に具体的な請求権が発生するものであることから、全額払いの原則に反するとは考えられていません。  したがって、賃金の後払いや功労報償としての性質を有する退職金について、その発生条件として、懲戒事由が存在しない旨を定めておくことは賃金全額払いの原則に抵触するものではなく、有効になり得ると考えられています。  しかしながら、そもそも懲戒事由として定めた規定の有効性が問題となるほか、懲戒事由といえどもその程度はさまざまであることから、単に懲戒事由に該当しさえすれば、退職金の減額または不支給ができるとは考えられていません。 2 裁判例の紹介  会社が定めていた競業避止義務および守秘義務に違反したことを理由として、退職金の全額を大幅に減額としたことの有効性が争われた事件があります(東京地裁令和5年5月19日判決およびその控訴審である東京高裁令和5年11月30日判決)。  この事件では、雇用契約書の備考欄に「退職するに至った場合に退職後1年を経過する日までは、当社が競合若しくは類似業種と判断する会社・組合・団体等への転職を行わないことに同意する。但し、当社の事前の同意があった場合はこの限りでない」という趣旨の規定が定められているほか、社内では数回にわたり、競業避止義務に関する説明を行い、退職前に競業避止義務違反があった場合には退職金の一部または全部が払われなくなることを説明していました。  なお、会社は、労働者に対し、退職時にも競業避止義務を定めた合意書の締結を求めていましたが、労働者がこれを拒絶したため、退職時の競業避止義務の合意は成立していませんでした。  裁判所は、まず競業避止義務の有効性について、「労働者は、職業選択の自由を保障されていることから、退職後の転職を一定の範囲で禁止する本件競業避止条項は、その目的、在職中の職位、職務内容、転職が禁止される範囲、代償措置の有無等に照らし、転職を禁止することに合理性があると認められないときは、公序良俗に反するものとして無効であると解される」として、その有効性は限定的に判断されるべきという基準を示しました。この基準は、労働者の競業避止義務の有効性に関して一般的に用いられる判断基準です。  この事件では、当該労働者の立場から会社の重要なノウハウなどを知ることができたことなどを理由として、期間も不相当に長いものでもないことから、競業他社に転職されることを防ぐための競業避止義務は有効と判断されました。  ただし、競業避止義務が有効に設定されているとしても、直ちに退職金を減額または不支給できるとは判断しておらず、「退職金の性質からすれば、本件競業避止義務違反をもって直ちに退職金を不支給又は減額できるとするのは相当といえず、本件減額規定に基づき、競業避止義務違反を理由に業績退職金を不支給又は減額できるのは、労働者のそれまでの勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為がある場合に限られるとするのが相当である」という限定を付しています。  退職金の減額または不支給の判断においてよく用いられるフレーズが、「労働者のそれまでの勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為がある場合に限られる」というものであり、これは勤続期間が長く会社への貢献が大きければ大きいほど、減額や不支給が困難であることを示しています。  この事件は、労働者が、元の勤務先で検討されていたプロジェクトにかかわる競業企業に転職しており、また、元の勤務先における秘密情報を大量に印刷して少なくともその一部は社外に持ち出すことを目的としていたことなどが裁判所で認定されており、競業他社への転職のケースにおいても、特に悪質なものでした。  結論としては、「原告の競業避止義務違反の内容が悪質であること、原告が故意に競業避止義務に違反していること、業績退職金に占める原告が貢献した割合も低いことなどを考慮すれば、原告の競業避止義務違反は、原告の勤続の功を大きく減殺する、著しく信義に反する行為」に該当するものとして、退職金額を4分の1にまで減額したことは相当であると判断されました。 3 退職金減額または不支給の留意事項  現代では、70歳までの就労機会の確保が努力義務とされており、65歳定年制も増えていくことが見込まれますが、65歳を超えても働き続けることも想定されています。しかしながら、定年による退職後であっても、競業避止義務を負担することになります。  定年まで勤めた労働者にとっては、同社でつちかったスキルを活かして、新たな仕事を始めることは想定されるところですが、会社の承諾なく行ってしまうと、退職金の減額や不支給といった影響につながるおそれがあります。  せっかく貢献してきた企業にとって勤続の功を抹消ないし減殺してしまうことは、望んでいないでしょうから、競業行為になりそうな場合には、会社の事前承諾を得るなど、退職金の取扱いが紛争化しないように留意していただくことが望ましいものと考えます。 Q2 採用時に行う「信用調査」は、不適切なのでしょうか  当社では中途採用の際、内定を出す前に、外部の民間業者に委託して信用調査を行うこととしています。社内から「採用前に信用調査を行うことはプライバシー侵害になるのでやめた方がよいのではないか」との意見が出ているのですが、信用調査を行うことは不適切なのでしょうか。 A  信用調査を行うにあたっては、本人の同意を得て行うべきでしょう。なお、本人の同意を得た場合であっても、社会的差別の原因となるおそれのある情報のように収集自体が禁止されている情報があることにも留意しなければなりません。 1 信用調査とは  採用の場面における信用調査には、過去の職歴や具体的な業務内容などを過去の在籍企業に問い合わせることによって、採否を決定するための情報として活用する目的があります。  外資系企業においては、「リファレンスチェック」などと呼ばれており、信用調査を行うことが一般的になっていますが、日本の企業では必ずしもこのような調査が行われているわけではありません。情報収集の方法としては、前職の企業に対して、経歴や実績、職務経験、在籍期間、懲戒処分の有無や勤怠状況などを質問する書面を送付したり、面談を申し入れたりすることで行われます。  これらの行為は、調査対象となる本人の同意なく行ってもよいのでしょうか。 2 個人情報保護法による規制  個人情報保護法は、個人情報の取得に関して、利用目的をできるかぎり特定し(同法第17条)、取得にあたっては、偽りその他不正の手段によって個人情報を取得してはならない(同法第20条)とされています。適正な取得と認められるためには、利用目的をあらかじめ公表しておくか、速やかに本人へ通知することが求められています(同法第21条第1項)。さらに本人に対する不当な差別、偏見その他の不利益が生じないように、その取扱いに特に配慮を要するものは、「要配慮個人情報」とされており、同法の除外事由がないかぎり、本人の同意なく取得することが禁止されています(同法第20条第2項)。  信用調査においては、受託した調査会社に対して調査対象となる前職の企業が提供する行為は、個人情報の第三者提供に該当することになります。したがって、個人情報保護法を順守する企業であれば、本人の同意がないかぎり、信用調査に対する回答は行わないということになるでしょう。情報のなかに要配慮個人情報が入っていれば、なおさら同意なく提供することは許されません。  仮に、本人の同意なく情報を得られたということであれば、信用調査を行うことで、前職の企業における個人情報保護法違反を引き起こしてしまっていることになります。調査を依頼した企業としても、個人情報は適正に取得しなければならず、個人情報保護法違反を犯して取得された情報を得ることは避ける必要があります。  なお、個人情報保護法以外に職業安定法でも、労働者の募集を行う者は、労働者の個人情報を収集し、保管し、または使用する際に、その業務の目的の達成に必要な範囲内で取り扱うことが求められており(職業安定法第5条の5)、同法について厚生労働省が定める指針においても、事業者が応募者の適性・能力とは関係のない事項で採否を決定しないようにするために、@人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地その他社会的差別の原因となるおそれのある事項、A思想および信条、B労働組合への加入状況などの情報収集について、業務目的の達成に必要不可欠であり、収集目的を示して本人の同意を得ないかぎり、禁止しています。したがって、これらの情報については、同意があったとしても、取得することが規制されています。そのため、信用調査を行うとしても取得すべき内容にも限定が必要となります。 3 プライバシー侵害との関係  個人情報の観点だけでなく、プライバシー権との関係も問題となります。プライバシー権とは、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」(「宴のあと」事件 東京地裁昭和39年9月28日判決)と解されており、非公開の情報で、一般人の感覚を基準として公開によって心理的な負担、不安を覚えるような事柄であれば、法的な保護に値するものと考えられています。  厚生労働省が収集することを禁じている情報は、プライバシー権がおよぶ可能性が高いものといえますが、それ以外にも私生活上の情報や人間関係についても知られたくない内容も含む可能性があります。  プライバシー権についても本人の同意を得て収集する場合には、違法と評価されるには至らないと考えられますが、同意を得ずに収集することはプライバシー権の侵害になる可能性が否定できません。 4 信用調査における留意点  信用調査について外部へ委託する場合もあるかと思われますが、その場合でも、本人の同意を得て開始することを前提とする必要があり、委託先が本人の同意を得ることなく取得した情報を採否の決定に利用することは不適切な個人情報の利用となりかねません。  信用調査については、同意を得られた対象者について実施することとし、同意が得られない場合には前職の企業への質問や面談などを通じて、対象者の情報を収集してはならないと考えられます。  信用調査の結果を採用活動において活用することを継続することを希望されるのであれば、対象者からの同意を確実に獲得しつつ、進めることが適切でしょう。