第102回 高齢者に聞く生涯現役で働くとは  橋本直次郎さん(77歳)は40代で書店を開業して以来、いまも「本の世界」にかかわり続けている。時代の流れのなかでインターネットで古書を販売するスタイルに変わったが、古書を愛してやまない人たちのために現在もフルタイムでパソコンに向かう橋本さんが、生涯現役の醍醐味を語る。 悠山社(ゆうざんしゃ)書店 橋本(はしもと)直次郎(なおじろう)さん 激動の時代を生き抜いて  私は大分県別府(べっぷ)市に生まれました。九州男児という言葉がありますが、私はいたって軟弱な人間です。三人兄弟の次男坊で、高校まで地元で過ごしました。女手一つで育ててくれた母には感謝しています。  高校を卒業すると大学受験のために上京しました。頼る人もいなかったのですが、漠然と東京の大学を目ざしていたように思います。志望の大学に入れず1年浪人生活を送りましたが、東京というところはおもしろくてさまざまなアルバイトをしました。浅草六区にあった劇場でも働きましたが、刺激的な世界を懐かしく思い出します。  結局、東京の大学には進まず、京都大学に入学しました。私が入学したころはちょうど全国の大学で大学紛争の嵐が吹き荒れている真っ最中で、その余波を受けて、京大でも学生運動が本格化していました。同じ時期に京大のなかに「熊野寮」という学生自治寮が設立され、私の大学生活の拠点となりました。いつの間にか自治寮の運動が日々の中心になり、委員長を引き受けました。大学には人より長く在学しましたが、学問に励んだ記憶はほとんどありません。熊野寮には全国からユニークな学生たちが集まって起居をともにしました。いまでも同窓会を続けて交流を深めており、私の原風景はここにあるような気がします。  京都大学熊野寮は知る人ぞ知る男子寮であったが、現在は女子学生や留学生にも門戸が開かれている。1960年代という激動の青春時代を送った橋本さんだが、闘士の面影は見当たらない。「ただの古本屋の親父です」と語る橋本さん。眼鏡の奥の目がやさしい。 縁あって「本の世界」へ  大学を卒業後は、教職に就きました。兵庫県にあった工業高校でした。とてもよい学校だったのですが、教師という職が肌にあわなかったのか1年ほどで辞め、再び上京して新しい職を探し始めました。大学時代の仲間の一人が勤めていた出版社を紹介してもらいましたが、採用に至りませんでした。それでも友人とはありがたいもので、今度は書店を紹介してくれる人がいて、錦糸町にあった書店に店員として勤めることになりました。このころはいまと違って街には書店が数多く存在してとても賑わっていました。私が就職した書店も首都圏に何十軒も店舗を展開しており、書店に勢いのあった時代です。ただ、そのころ書店業界には大学で学生運動をしていた人間が数多く就職しており、従業員も待遇改善などを求めてストライキが頻繁に行われていました。私も、働いている書店でストライキに加わるなどの経緯があって、5年ほどで退職しました。次の職のあてがあって辞めたわけではなく、しばらくは放浪時代が続きます。そういうなかで結婚しましたから、家族には本当に迷惑をかけました。  しかし、人生とはおもしろいもので、困っているときに声をかけてくれる人が必ず現れるものです。錦糸町の書店で知り合った人が古本屋を開業していて、「ノウハウを教えるから古本屋をやってみないか」と誘ってくださったのです。本の世界はまったく無縁ではなかったことと、古本にも多少の興味があったため、仕入れの方法などを教わって、当時住んでいた青梅市に近い福生(ふっさ)市に物件をみつけ、古本屋業の第一歩が始まりました。  古本屋というと、店舗の一番奥のレジの前に陣取り、眼鏡の奥から客の様子をうかがう老齢の店主がいるようなイメージがある。そのことを告げると橋本さんは「だれでも開業できる自由な世界です」と笑い飛ばした。 古書の魅力に触れて  よく、昔はよかったと人はいいますが、私もよき時代のことをときどき思い出します。福生市に古本屋を開いたのは1987(昭和62)年で、私は40歳になっていました。福生市役所に近い利便性のよい地に10坪ほどの店舗を借りました。都内では家賃を払えないため都下を選んだのです。いまの時代、古本屋がどんどん廃業している原因の一つに家賃の高騰があります。古本屋街として残っている地域は土地を持っている強みがあるのだと私は思います。とにもかくにも福生市で古本屋の看板を掲げました。資金もなかったのに家賃をどうやって払っていたのかといまでも不思議でなりません。借金をした記憶はありませんから、自転車操業でなんとか続けてこられたのでしょう。書店名は「悠山社書店」としました。中国の5世紀の詩人陶淵明(とうえんめい)の詩の一節である「悠然トシテ南山(なんざん)ヲ見ル」から取りました。いまのインターネット書店の形態になってからもその名を受け継いでいます。 インターネット書店で生涯現役を  古本屋の看板を掲げた日から本を売りに来る人がいて、どんどん在庫が増えていきました。古本屋に大切なものは「仕入れの眼」だと私は思います。つまり「センス」なのです。経験のなかで眼が肥えていくこともありますが、読書家でなくてもセンスがあれば成功する世界です。開業と同時に東京都古書籍商業協同組合に入りました。組合のなかで知り合ったある書店の店主が、インターネット時代以前に、電話回線を使った通信販売のようなことに着手していることを知り、その仲間に入れてもらいました。その後、すぐにインターネットの時代が到来し、そのネットワークは1年ほどで終わりましたが、高価な値段をつけた新書をまとめて購入する人もいて儲かったことを覚えています。その後、2001(平成13)年に店舗を閉めて、インターネット書店として再スタートしました。  現在、JR青梅線小作(こさく)駅から車で10分ほどの4階建ての倉庫の3階と4階を借り、150坪のフロアに7万冊の在庫を揃えています。社会科学の書籍を中心に、哲学・宗教や自然科学など幅広い分野を扱っています。インターネットサイトを通じ、注文が決まると本を探して発送。基本は後払いです。7万冊の書籍のなかから探し出すのはたいへんかと思われるかもしれませんが、棚番号と個別番号で管理しているので問題ありません。お客さまと対面する楽しみはありませんが、インターネットの場合には不特定多数の国境を越えた無限の人々の眼に触れる楽しみがあります。  気がつけば古本屋の店主として長い道を歩いてきました。朝9時から17時まで毎日働いています。特に趣味もなく、あえていえば古本が趣味でしょうか。  夜寝る前に宮沢賢治の作品の朗読をYouTubeで聞いて、ぐっすり眠った翌朝は、また私の「古本たち」に会いに出かけます。生涯現役の人生は本当に楽しいものです。