【P6】 特集 新任人事担当者のための高齢者雇用入門  今号の特集は、「新任人事担当者のための高齢者雇用入門」と題し、高齢者雇用の現状や課題、取組みを推進するうえでのポイントなどについて、マンガを交えて、新任人事担当者の方にもわかりやすく解説します。  改正高年齢者雇用安定法の施行により70歳までの就業機会の確保が企業の努力義務となって3年。65歳、70歳を超えた雇用・就業確保の実現に向け、新任人事担当者の方はもちろん、ベテラン担当者や経営者の方も含めて、ぜひ本特集をご一読ください。 【P7-11】 総論 高齢者雇用の現状と課題 田口(たぐち)和雄(かずお) 高千穂大学 経営学部 教授 JEED製パン株式会社は従業員約100人の食品製造業。定年65歳、希望者全員70歳までの継続雇用制度を導入している。 1 はじめに〜5人に1人は高齢社員  「少子高齢化」、「人口減少」の言葉をよく耳にします。日本の総人口は2008(平成20)年をピークに減少傾向に転じたことが理由です。また、労働力人口は1990年の6384万人から2023(令和5)年の6925万人へと増えていますが、そのうち60歳以上の比率は11.5%から21.6%へと拡大しており※1、現在、労働者の5人に1人は高齢労働者の状況にあります。  日本経済の活力を今後も維持するには働き手を増やすことが不可欠であり、わが国の重要な政策課題の一つになっています。さらに、ライフスタイルの変化にともなう個々の労働者の特性やニーズが多様化しているなか、将来も安心して暮らすために長く働きたいと考える労働者も増えており、高齢期になっても能力や経験を活かして活躍できる環境の整備がいっそう求められるようになりました。こうした背景のもと、高齢者雇用に影響をおよぼす高年齢者雇用安定法(以下、「高齢法」)は令和期に入った2020年に改正(2021年4月施行)され、新たに「70歳までの就業確保」の努力義務化が企業に課せられ、令和期の高齢者雇用は70歳就業時代に向かうことになりました。マンガに登場するJEED製パン株式会社の雇用制度が「65歳定年+希望者全員70歳までの継続雇用」としているのは、今回の高齢法改正に対応して整備したことによるものです。  この春の人事異動で人事部に着任した焼立さんのように、読者(新任の人事担当者を念頭に置いています)のみなさんは、現在の高齢者雇用を理解するのがたいへんかと思います。そこで、総論では高齢者雇用に影響を与える改正された高齢法の概要をふり返るとともに、政府統計から高齢者雇用の現状を確認し、70歳就業時代に向けた課題を述べていきたいと思います。 2 改正された高年齢者雇用安定法の概要  改正された高齢法(以下、「新高齢法」)のポイントは、事業主(以下、「企業」)が高齢者の多様な特性やニーズをふまえ、70歳までの就業機会が確保できるよう、旧高齢法の規定である「高年齢者雇用確保措置」に加え、多様な選択肢を制度として設ける「高年齢者就業確保措置(70歳までの就業確保措置)」の努力義務が企業に課せられている点です(図表1)。  旧高齢法の規定は次の二つです。第一に企業が定年を定める場合は60歳以上としなければならないこと、第二にそのうえで65歳までの雇用機会を確保するため、企業に対して図表2の上段に示す三つの制度のいずれかを、「高年齢者雇用確保措置」(以下、「雇用確保措置」)として講じる義務が設けられたことです。つまり、企業は65歳まで自社あるいは自社のグループ企業で「雇用」する場の設置が課せられていました。  新高齢法では、上記の雇用確保措置に加えて70歳までの就業機会を確保するため、企業に対して図表2の下段に示す五つの制度のいずれかを「高年齢者就業確保措置」(以下、「就業確保措置」)として講じる努力義務が新たに設けられました。  旧高齢法と比べた新高齢法のおもな特徴は次の2点です。第一は「自社グループ外での継続雇用が可能になった」ことです。Bの継続雇用制度(再雇用制度・勤務延長制度)の導入について、雇用確保措置では60歳以上65歳未満の雇用は自社と特殊関係事業主(自社の子法人等、親法人等、親法人等の子法人等、関連法人等、親法人等の関連法人等)のみでしたが、就業確保措置では65歳以上70歳未満の高齢者に対しそれらに加えて、「他の事業主」が追加されました。すなわち、自社の高齢社員が継続雇用制度で働く場が自社や自社グループにとどまらず他社や他社グループ企業に拡大された点です。  第二は「雇用によらない働き方」が可能になったことです。就業確保措置の@〜Bの制度はこれまでの自社あるいは他社で「雇用される働き方」(以下、「雇用措置」)であるのに対し、CとDの制度は「雇用によらない働き方」で「創業支援等措置」と呼ばれます。Cは会社から独立して起業した者やフリーランスになった者と業務委託契約を結んで仕事に従事してもらう方法、Dは企業が行う社会貢献活動に自社の高齢社員を従事させる方法です。働く人たちの多様なニーズに応えた働き方が誕生していますが、高齢者でも同様のニーズが高まることも考えられ、今回の改正で創業支援等措置が新たに設けられました。この創業支援等措置を導入する場合、企業は過半数労働組合等※2の同意を得て導入することが求められます。  このように65歳以降は自社(自社グループ)での「雇用」に限定せず、他社での雇用やフリーランスとしての業務委託などの働く場の選択肢が示されていることから「就業」と呼ばれています。 3 高齢者雇用の現状〜雇用と就業の状況  高齢者雇用の現状を政府統計から確認してみます。図表3は高齢法の改正にあわせた2006年(2004年改正の「高年齢者雇用確保措置義務化」の施行年)、2013年(2012年改正の「継続雇用制度の対象者を限定できる仕組みの廃止」の施行年)、2021年(2020年の「高年齢者就業確保措置の努力義務化」の施行年)の3時点の高齢者の雇用と就業の状況を整理したものです。  企業の雇用状況について、高年齢者雇用確保措置を実施している企業(高年齢者雇用確保措置実施企業)の割合は右肩上がりの拡大傾向にあります(2006年:84.0%、2013年:92.8%、2021年:99.9%※3)。特に2012年改正の「継続雇用制度の対象者を限定できる仕組みの廃止」は実質65歳定年制※4に向けた転機となり、ほとんどの企業で65歳までの雇用環境が整備されました。こうした動きにあわせて希望者全員が65歳以上まで働ける企業の割合(2006年:34.0%、2013年:62.4%、2021年:83.5%)も右肩上がりの拡大傾向にあり、2021年では約8割の高水準にあります。なお、70歳以上まで働ける企業の割合は低い水準(2006年:11.6%、2013年:16.7%、2021年:35.7%)にあるものの、70歳就業時代に向けて着実にその割合は増えており、2021年では約4割に達しています。  次に高齢者の就業状況を確認すると、60歳から64歳までの「60代前半層」の推移は2006年(52.6%)、2013年(58.9%)、2021年(71.5%)と右肩上がりの増加傾向にあり、そのなかでも2013年から2021年までの7年間の上がり方(58.9%↓71.5%:12.6ポイントの増加)は2006年から2013年へのそれ(52.6%↓58.9%:6.3ポイントの増加)と比べて大きく、多くの企業で一般的な定年年齢の60歳を迎えた高齢者が引き続き働いている状況にあることがわかります。実質65歳定年を迎えた後の60代後半層(65〜69歳)の3時点の就業状況の推移についても、60代前半層と同じ傾向(@右肩上がり増加傾向、A2006年から2013年の上がり方に比べた2013年から2021年までの上がり方が大きいこと)が確認されます。60代前半層の就業状況が増えているのは年金受給開始年齢の引上げがかかわっていますが、それだけではなくライフスタイルの変化もかかわっており、60代後半層の就業状況の推移――水準は60代前半層より低いものの、増加傾向にあること――を物語っています。2021年現在、65歳以上の約4人に1人(25.1%)が、70歳以上は約5.5人に1人(18.1%)が働いている状況にあり、これからの高齢者雇用は70歳就業時代に向けた対応が求められています。 4 おわりに〜経営成果に貢献し続けるためのキャリア支援と職務開発  大きな社員集団となっている高齢社員が65歳まで働くことが日常の光景となり、しかも60代後半層の約半数が就業している今日、70歳までの就業環境の整備が企業にとって喫緊の課題となりつつあります。そこで、最後に高齢者雇用の今後のおもな課題を取り上げると、次の2点です。  一つは、キャリア支援体制のさらなる拡充です。70歳までの就業環境の整備に必要なのは、まずは70歳まで就業できる雇用制度の整備です。例えば、「65歳定年制+希望者全員の70歳までの継続雇用制度」に見直した、マンガのJEED製パンの雇用制度改定です。さらに、それにあわせて人事処遇(賃金・評価)制度の見直しも必要になります(解説1であらためて紹介します)。  雇用制度と人事処遇制度の改定に取り組めば70歳までの就業環境が整備されたというわけではありません。高齢社員には、その環境のもとで活躍するという意識と業務に必要な知識・スキルや技術を習得してもらうことが必要になります。というのも、高齢社員の多くは元管理職であり、定年退職で管理職を離れ、継続雇用後は現場に戻って活躍するというのが一般的な高齢期のキャリアであるため、現場で活躍するために必要な知識・スキルや技術が不足しています。旧高齢法のもとでは、定年後の65歳までの継続雇用の5年間はこれまで積み上げてきた知識・スキルや技術で活用すること(以下、「現有能力の活用」)ができましたが、70歳就業となるとその期間が10年に延びてしまいます。しかも「10年」という期間で社会をはじめ市場や技術は変化するので、現有能力の活用だけで継続することが困難になります。また、組織運営上の観点から役職定年を導入する企業が大企業を中心に普及しています。例えば、役職定年の年齢を55歳とした場合、現場での就労期間が15年に延びます。そのため、今後は70歳まで活躍できるよう、キャリア教育や現有能力の更新・進化に向けたリスキリングなどのキャリア支援体制のさらなる拡充が求められることになります。  二つめは、仕事内容の棚卸し(職務開発・職務再設計)です。継続雇用後の高齢社員の仕事内容は定年時の仕事を継続するのが基本です(管理職は離れるので職責は変わります)。企業、高齢社員双方にとって最も合理的であるからです。高齢社員にとっては、これまでつちかってきた知識・スキルや技術を活かすことができますし、企業にとっても新たな仕事、定年時の仕事とは異なる仕事を担当させる場合の必要な知識・スキルや技術を習得するための能力開発コストが不要になります(ただし、現有能力の更新・進化で発生する能力開発コストは別です)  しかし、高齢社員の仕事内容が変わることがあります。加齢にともなう身体機能の低下により継続できない場合などが代表例です。加齢にともなう身体機能の低下は、避けることのできない現象です。JEED製パンのように製造業など身体的負荷をともなう業務の職場は、高齢社員の労働災害の発生リスクがある職場です。高齢社員はこれまでのように経営成果への貢献を継続することがむずかしくなります。労働災害を予防し、高齢社員に活き活きと活躍してもらうには、職場環境の改善が必要になりますが(解説3であらためて紹介します)、やはり限界があります。その対応策として、高齢社員の戦力化を進めている企業では、長年の職業人生を通して積み重ねてきた能力・スキル、経験・ノウハウなどを蓄積している高齢社員の優位性を活かして、若手社員の指導や育成を担当させています。高齢社員が活躍できるよう新たに仕事を用意すること(「職務開発」)、仕事内容を見直すこと(「職務再設計」)などの仕事内容の棚卸しが求められます。 ※1 総務省統計局「労働力調査」 ※2 過半数労働組合等……労働者の過半数を代表する労働組合がある場合には労働組合を、労働者の過半数を代表する労働組合がない場合には労働者の過半数を代表する者をそれぞれさす ※3 2021年は51人以上の規模の集計が行われていないため、31人以上の規模企業の値 ※4 60歳以降は必ずしも正社員ではなくほかの雇用形態に変わることもあるが、65歳まで働くことができるため「実質65歳定年制」と呼んでいる 図表1 新高齢法と旧高齢法の比較 《旧高齢法》 〈義務〉 高年齢者雇用確保措置 (65歳までの雇用確保措置) 《新高齢法(2021年4月施行)》 〈義務〉 高年齢者雇用確保措置 (65歳までの雇用確保措置) 〈努力義務〉 高年齢者就業確保措置 (70歳までの就業確保措置) ※筆者作成 図表2 新高齢法の概要 制度 内容 高年齢者雇用確保措置 (雇用確保措置) 〔義務〕 @65歳までの定年引上げ A定年制の廃止 B65歳までの継続雇用制度(再雇用制度・勤務延長制度)の導入 (特殊関係事業主〔子会社・関連会社等〕によるものを含む) 高年齢者就業確保措置 (就業確保措置) 〔努力義務〕 @70歳までの定年引上げ A定年制の廃止 B70歳までの継続雇用制度(再雇用制度・勤務延長制度)の導入 (特殊関係事業主に加えて、他の事業主によるものを含む) 雇用措置 (雇用される働き方) C70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入 D70歳まで継続的に以下の事業に従事できる制度の導入  a.事業主が自ら実施する社会貢献事業  b.事業主が委託、出資(資金提供)等する団体が行う社会貢献事業 創業支援等措置 (雇用によらない働き方) (注)「特殊関係事業主」とは自社の子法人等、親法人等、親法人等の子法人等、関連法人等、親法人等の関連法人等を示す 出典:厚生労働省「高年齢者雇用安定法改正の概要」(https://www.mhlw.go.jp/content/11700000/001245647.pdf)をもとに筆者作成 図表3 高年齢者の雇用状況と就業状況 (単位:%) 2006年 (平成18年) 2013年 (平成25年) 2021年 (令和3年) 2004年改正の「高年齢者雇用確保措置義務化」の施行年 2012年改正の「継続雇用制度の対象者を限定できる仕組みの廃止」の施行年 2020年改正の「高年齢者就業確保措置の努力義務化」の施行年 雇用状況 高年齢者雇用確保措置実施企業 84.0 92.8(92.3) (99.9) 希望者全員が65歳以上まで働ける企業 34.0 62.4(66.5) (83.5) 70歳以上まで働ける企業 11.6 16.7(18.2) (35.7) 就業状況 60〜64歳 52.6 58.9 71.5 65〜69歳 34.6 38.7 50.3 65歳以上 19.4 20.1 25.1 70歳以上 13.3 13.1 18.1 (注)「雇用状況」は51人以上規模企業。( )は31人以上規模企業で各年6月1日時点の割合、2021年は「51人以上規模企業」の集計は行われていない。「就業率」は1年の平均値 出典:厚生労働省「高年齢者雇用状況等報告」、総務省統計局「労働力調査」をもとに筆者作成 【P12-15】 解説1 高齢社員のモチベーションの維持・向上と賃金・評価制度 田口和雄 高千穂大学 経営学部 教授 本誌の「人事制度・人事評価制度の見直し」「賃金制度の見直し」についての記事はJEED ホームページからご覧いただけます。 「人事制度・人事評価制度」:https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/bunrui/bunrui02_01.html 「賃金制度」:https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/bunrui/bunrui02_02.html 「人事制度・人事評価制度」 「賃金制度」 1 高齢社員の戦力的活用とモチベーション低下の問題  総論で紹介したように、企業の労務構成で高齢社員が大きな集団となっている今日、「高齢社員の戦力的活用」は高齢社員活用の基本方針の標準となっています。定年を迎えた高齢社員は、マンガに登場するJEED製パン株式会社のように雇用形態は継続雇用に切り替わったものの、職場で正社員と一緒に活き活きと活躍している姿が多くの企業でみられます。しかし、その一方で定年前の正社員時代は活き活きと仕事に取り組んでいた社員が、継続雇用に切り替わったあと仕事への取組み意識が下がってしまう「高齢社員のモチベーション低下の問題」に悩まされている企業がみられます。継続雇用後の仕事内容は定年前とほぼ同じにもかかわらず、処遇などが大きく変わることへの不満がその背景にあります。危機感を持った企業は高齢社員のモチベーションの維持・向上を図るために、仕事の成果や働きぶりに応じた賃金を決める賃金・評価制度への見直しを進めました。JEED製パンも以前の旧制度でこの問題に悩まされていました。企業にとって欠くことのできない重要な戦力となっている高齢社員のモチベーションの維持・向上は、70歳就業時代における高齢者雇用の重要な課題です。解説1では賃金・評価制度の視点からこの課題を考えてみたいと思います。 2 人事管理と賃金・評価制度  賃金・評価制度を考えるには、その基盤とする人事管理の基本原則を理解することが必要です。賃金・評価制度は企業の人事管理の個別施策(仕組み)の一分野であり、人事管理は経営方針・戦略に基づいた人材活用の基本方針に沿って整備されているからです(図表1)。さらに、人事管理はこの基本原則に加えて労働法制を遵守することが求められます。例えば、労働基準法は使用者に対して法定労働時間を超えて労働者を労働(時間外労働、いわゆる「残業」)させたり、法定休日に労働(休日労働)させたりするためには、労働者の代表と時間外・休日労働協定(いわゆる「36協定」)を締結し、割増賃金を支払うことを使用者に義務づけています。2024(令和6)年4月1日から建設業・ドライバー・医師などの時間外労働の上限規制の適用による物流や地域医療への影響などに支障が生じると指摘されている、いわゆる「2024年問題」は、労働基準法が改正されたことによるもので、解説2にもかかわる労働法制上の課題です。  高齢社員の賃金・評価制度についてもこの人事管理の基本原則をあてはめて考えることが必要になり、なかでも労働法制では高年齢者雇用安定法(以下、「高齢法」)を遵守しつつ、経営方針・戦略に基づいた高齢社員活用の基本方針に沿って高齢社員の賃金・評価制度を整備していくことが求められます。 3 平成期における企業の賃金・評価制度の対応をふり返る  マンガに登場するJEED製パンで継続雇用の高齢社員に対して「全員一律の賃金、賞与なし」の賃金・評価制度がとられていた背景を、企業の高齢者雇用に影響をおよぼす国の高齢者雇用政策との関連でふり返ってみたいと思います。  平成期における国の高齢者雇用政策には大きく二つの動きがみられました。一つは平成期前半の65歳までの雇用推進です。この時期に3回の高齢法改正が行われました。定年到達者が希望する場合の定年後の継続雇用の努力義務化を企業に課した1990(平成2)年改正、60歳定年が義務化された1994年改正、そして定年の引上げ等による高年齢者雇用確保措置の努力義務化を企業に課した2000年改正です。  こうした国の高齢者雇用政策の推進を受けて、企業は65歳までの雇用推進に向けた人事管理の整備に取り組みました。多くの企業で整備された雇用制度は「60歳定年制+基準該当者の再雇用制度(継続雇用制度)」です。総論で紹介した現在の高齢法とは異なり、当時の高齢法は、65歳までの雇用確保が努力義務であり、再雇用(継続雇用)の対象者に基準を設けることができました。また、高齢社員の人数も、従業員の労務構成において大きな集団となっている現在に比べて当時は少ない状況でした。そのため、仕事の成果を求める正社員とは異なり、高齢社員に対して仕事の成果を求めない福祉的雇用の活用方針がとられ、それに基づいて賃金は「全員一律の基本給、昇給なし、定額の賞与」の対応がとられ、評価については不実施、あるいは継続雇用者用の評価制度を整備して実施の対応がとられ、マンガに登場するJEED製パンでもこうした動きにあわせて同じ対応がとられていました。  二つめの動きは平成後半期の実質65歳定年制の整備です。2004年に高齢法は改正され、それまで努力義務であった高年齢者雇用確保措置が義務化されました。つまり、定年を迎えた社員が希望すれば、65歳まで働くことができる雇用環境――実質65歳定年制――が整備されました。  しかし、平成期前半で福祉的雇用の活用方針をとった企業は「高齢社員のモチベーション低下問題(継続雇用後の仕事内容は定年前とほぼ同じにもかかわらず、処遇などが大きく変わることへの不満)」に悩まされていました。企業は高齢社員に対して「仕事の成果を求めない」とは伝えていませんが、継続雇用後の賃金・評価などの処遇が定年前と変わっていることでそれを認識していました。社会情勢は少子高齢化がさらに進む一方、厚生年金の受給開始年齢が引き上げられたため、65歳まで働くことを希望する高齢社員が増え、企業の労務構成において大きな集団となり、この問題は全社的な経営課題となりました。  そこで、企業は活用方針を福祉的雇用から定年前の正社員と同じように仕事の成果を求める戦略的活用に転換し、それにあわせて高齢社員の人事管理の見直しが進められました。賃金・評価制度では仕事の成果を処遇に反映するよう基本給は一律定額から定年時の職位・等級などにリンクした水準に、昇給は不支給(なし)から支給(あり)へ、賞与は定額から正社員と同じように人事評価を反映した決め方にそれぞれ見直され、人事評価は正社員と同じ仕組みが用いられるようになりました。さらに、マンガに登場するJEED製パンは70歳までの就業確保措置の努力義務化を企業に課す2021年の改正高齢法施行にあわせて65歳定年制を実施したため、高齢社員のモチベーション低下の問題は解消されました。 4 70歳就業時代の高齢社員の賃金・評価制度をどう考えるか  これまで述べてきたように、企業にとって欠くことのできない重要な戦力となっている高齢社員に活き活きと活躍してもらうためには、仕事の成果や働きぶりに応じた賃金を決めることが求められます。しかし、「仕事の成果や働きぶりに応じた賃金を決める」といっても、70歳まで就業できる賃金・評価制度をどのような仕組みにすればよいかが問題になります。というのも、賃金・評価制度は雇用制度に連動して形成され、しかも、その雇用制度も、総論で述べたように高齢法に則して多様な選択肢があるからです。選択する雇用制度によって、「仕事の成果や働きぶりに応じた賃金を決める」ための賃金・評価制度の仕組みが異なります。  現在、多くの企業で一般的となっている「60歳定年+希望者全員の65歳までの継続雇用」の雇用制度(実質65歳定年制)を例にすると、65歳以降の雇用制度をどの制度にするかを決めることからはじめます。60代前半層に適用している現行の制度(希望者全員の65歳までの継続雇用)と同様にするのか、別な制度にするのかです。さらに、60代前半層についても、現行の制度を継続するか、あるいは別な制度に見直すかを確認する必要があります。2023年4月に国家公務員の段階的な65歳への定年年齢の引き上げが施行され、65歳定年制導入の動きが今後、本格化することが予想されるからです。60代前半層の雇用制度を見直さず、60代後半層の雇用制度だけ整備したとしても、近いうちに65歳定年制導入を準備することになり、雇用制度の見直しに要する労力が大きくなります。マンガに登場するJEED製パンは現行の雇用制度(65歳定年+希望者全員70歳までの継続雇用)の整備を一緒に実施したことで、労力を最小限にとどめることができました。  このように仕事の成果や働きぶりに応じた賃金を決める賃金・評価制度を整備する際には、まず70歳まで就業できる雇用制度の基本設計(どの雇用制度にするか)を決めたうえで進めることが求められます。  こうした高齢社員のモチベーションの維持・向上を図る賃金・評価制度の整備の事例としてA社の取組みを紹介します。この事例の特徴は、正社員と継続雇用者の雇用制度の見直しを一緒に行い、それにあわせて賃金・評価制度も見直している点です。 事例1 総合工事業A社 継続雇用後も同じ業務をフルタイムで続ける場合、正社員と同じ賃金・評価制度を適用  県内に3カ所の事業拠点を展開する総合工事業A社は、主力として活躍しているベテラン社員が長く活躍できる就労環境の整備と若手社員への伝承を進めるため、2019年に現行の雇用制度(定年年齢63歳、希望者全員の65歳までの継続雇用)を見直し、定年年齢を65歳、継続雇用の上限年齢を70歳へとそれぞれ引き上げました。継続雇用制度の賃金・評価制度については現行の制度を引き続き継続し、現職継続のフルタイム勤務の場合、基本給は定年時の賃金水準を維持し、評価制度は正社員と同じ制度が適用されています(出典‥(独)高齢・障害・求職者雇用支援機構〔2023〕『70歳雇用推進事例集2023』)。 図表1 人事管理の基本原則と高齢社員の人事管理のとらえ方 【人事管理の基本原則】 経営方針・戦略 《人事管理》 人材活用の基本方針 個別施策 (賃金・評価制度等) 労働法制 【高齢社員の人事管理のとらえ方】 経営方針・戦略 《人事管理》 高齢社員活用の基本方針 個別施策 (賃金・評価制度等) 労働法制 (高齢法など) ※筆者作成 図表2 国の高齢者雇用政策と企業の賃金・評価制度の対応 平成期 前半 後半 国の高齢者雇用政策 65歳までの雇用確保の努力義務化 65歳までの雇用確保の義務化 企業の対応 雇用の基本方針 65歳雇用の推進 実質65歳定年制の整備 高齢社員の活用方針 福祉的雇用 戦略的活用への転換 賃金・評価制度 ・基本給:全員一律(昇給なし) ・賞与:定額 ・評価:不実施、もしくは実施(継続雇用者用) ・基本給:職位・等級等リンク(昇給あり) ・賞与:人事評価反映 ・評価:実施(正社員準拠) ※筆者作成 【P16-19】 解説2 多様で柔軟な働き方の実現に向けて 田口和雄 高千穂大学 経営学部 教授 本誌の「労働時間・休暇制度・勤務形態の見直し」「短時間勤務制度の導入」についての記事はJEEDホームページからご覧いただけます。 「労働時間等」:https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/bunrui/bunrui02_05.html 「短時間勤務制度」:https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/bunrui/bunrui02_06.html 「労働時間等」 「短時間勤務制度」 1 進む働き方の柔軟化  人手不足の時代のなかで、多くの企業で社員のライフスタイルの変化に対応した多様な働き方が整備されるようになりつつあります。解説2のテーマである「働き方」は勤務制度をもとにしています。  マンガに登場するJEED製パン株式会社の勤務制度はフルタイム勤務のほかに、短日・短時間勤務が整備され、製造部門(工場)に所属する高齢社員の三戸さんは、持病の通院のために短日勤務をしながら仕事を続けています。高齢社員の戦略的活用を進めている企業がとる継続雇用の高齢社員の働き方は、定年前の正社員と同じフルタイム勤務を基本としています。しかし、JEED製パンの勤務制度がフルタイム勤務のままでは、三戸さんは仕事を続けることがむずかしい状況でした。柔軟な勤務制度が整えられていたことで、三戸さんは働き続けることができたのです。  こうした勤務制度の多様化は平成期に入ってみられる動きです。解説2では平成期以降に進められた勤務制度の多様化の動きとそのもとでの高齢社員の勤務制度をふり返り、令和期の働き方を考えてみたいと思います。 2 勤務制度の基本原則  まず勤務制度の基本原則の確認からはじめます。正社員の勤務制度は「1日8時間、週休2日制」というのが読者の一般的な認識ではないでしょうか。これは労働基準法の「1週の労働時間の上限を40時間とすること」、「1日の労働時間は8時間を超えないこと」、そして「休日を1週に1日以上与えること」をもとにしています(同法第32、35条)。この労働時間を「法定労働時間」、休日を「法定休日」と呼んでいます。「1日8時間、週休2日制」は1日の労働時間を「8時間」とした場合の勤務制度※1で、フルタイム勤務はこの「1日8時間、週休2日制」という働き方をさしています。  この法定労働時間の枠のなかで企業は自社の労働時間を自由に定めることができ、定めた労働時間は「所定内労働時間」と呼んでいます。企業は自社の所定内労働時間を6時間、7時間のように、法定労働時間の上限より短く設定することができるのですが、ほとんどの企業が1日の労働時間を「8時間」としています。法定労働時間の枠のなかで最も長く設定できる時間だからです。さらに「1日8時間」の労働時間についても、企業は始業時間と終業時間を定めています。こうした労働時間制度を「一般的な労働時間制度」と呼ぶことにします。  このように1日8時間、週休2日制の「フルタイム勤務」の、会社が始業・就業時間を定める「一般的な労働時間制度」の勤務制度が、多くの企業でとられている標準的な制度です。 3 平成期以降の勤務制度の変化の動き〜「柔軟化」  こうした勤務制度は昭和期を通して形成され、標準的な勤務制度となりました。しかし、平成期になると勤務制度に変化の動きがみられました。その動きの特徴は勤務制度の「柔軟化」です。図表はその概要を整理したものです。大きく三つの変化がみられました。  第一の動きは、平成期前半の「労働時間制度」の柔軟化です。先に述べた「1日8時間、週休2日制」は1987(昭和62)年の労働基準法改正で週48時間であった法定労働時間を週40時間に段階的に変更したことがベースになっています。さらに、この改正では法定労働時間の短縮とともに労働者の生活の質的向上を図るためにフレックスタイム制などの変形労働時間制度の導入が整備され、労働時間の柔軟化への動きがはじまりました。平成期に入ると経済活動のグローバル化や情報化等の進展、労働者の就業意識の変化などがみられました。  こうした時代の変化に対応した労働時間などの働き方に係わるルールの整備が求められるなか、1993(平成5)年改正では、週40時間労働時間制の実施、変形労働時間制度の拡充、裁量労働制の規定の整備などが、1998(平成10)年改正では企画業務型裁量労働制の導入が、2003(平成15)年改正では裁量労働制の改正がそれぞれ行われました。こうした一連の法改正を受けて、平成期前半ではフレックスタイム制、変形労働時間制度、裁量労働制の導入などによる労働時間制度の柔軟化が進められました。  この時期の継続雇用後の高齢社員の働き方は福祉的雇用のもと、高齢社員に求められる役割が正社員時代に求められた企業の中核人材として基幹業務をになう役割から、パート社員と同じ補助業務を担当して正社員を支援・サポートする役割に変わったため、短日・短時間勤務などの柔軟な働き方が中心でした。  第二の動きは平成期後半の「労働時間・労働日数」の柔軟化です。政府が取り組む働き方改革の一環として推進されている「多様な正社員制度」のなかの「短時間正社員」の導入が進められました※2。働き方改革は少子高齢化にともない生産年齢人口が減少するなか、ライフスタイルの変化による就労ニーズの多様化に対応した多様な働き方を選択できる社会の実現を目ざした取組みです。企業は正社員に対して原則としてフルタイム勤務を求めていますが、短時間正社員は育児・介護などと仕事を両立したい社員など、さまざまな人材に勤務日数や勤務時間をフルタイム勤務の正社員よりも短くしながら活躍してもらうための仕組みです。  この時期の高齢社員の働き方は戦略的活用が進むなかで、求められる役割が正社員に近い役割(基幹業務をになう役割)に変わったため、平成期前半の短日・短時間勤務中心から正社員と同じフルタイム勤務中心の働き方に変わりました。もちろん、企業は引き続き短日・短時間勤務の働き方を選択できるようにしていますが、高齢社員を貴重な戦力として期待しているためフルタイム勤務の働き方を高齢社員に求めています。JEED製パンの高齢社員の三戸さんは戦力として期待されていることから、持病の治療のための通院をしながら短日勤務で働いているのです。  第三の動きは、「働く場所」の柔軟化です。平成期の勤務制度の変化は勤務する「時間(労働時間制度、労働時間・労働日数)」の柔軟化でしたが、令和期の勤務制度は勤務する「場所」の柔軟化が特徴です。通常、労働者は仕事をする場合には会社に出勤します。職場でほかの社員と協力して仕事をするからです。デジタル化が進展するなかで時代が新たな働き方として在宅勤務(テレワーク)が情報サービス業や裁量労働制が適用されている社員を中心に広がりましたが、社会全体からみると限定的でした。しかし、令和期の新型コロナウイルス感染症対策として産業全体に広がり、収束後は育児や介護などのライフスタイルの多様化に対応する働き方として位置づけられるようになりました。ただし、JEED製パンのように同じ会社でも経理部の石窯さんは在宅勤務を利用することができますが、工場勤務の三戸さんはむずかしいと思われます。製造部門の仕事は、会社(工場)に来ないとできない特性を持つ仕事だからです。 4 働き方の柔軟化と労働時間管理  このように勤務制度の柔軟化は病気の治療や家族の介護などライフスタイルが多様化する高齢社員にとっても、会社にとってもよい動き(変化)です。高齢社員は個人の事情で退職せずに働き続けることができますし、人手不足に悩まされている会社は経験やスキルを持つ戦力(高齢社員)を失わずにすみます。  JEED製パンのように高齢社員の就労ニーズにあわせて選択できる多様で柔軟な働き方の実現に向けて、短日・短時間勤務の勤務制度や在宅勤務制度を設けることが求められます。また、こうした多様で柔軟な働き方を求めるニーズは高齢社員だけではありません。フルタイム勤務をしている定年前の正社員のなかにも育児や親の介護、本人の病気治療の健康問題など、さまざまな事情を抱えている者もいます。JEED製パンのように多様で柔軟な働き方を実現できる勤務制度は高齢社員だけで限定せずに、すべての社員に広く適用することが求められます。  最後に、在宅勤務制度を設ける場合には、同制度を利用する社員の労働時間を正確に把握することが求められます。フルタイム勤務をはじめ、短日・短時間勤務の場合、働く場所は「会社」なので、会社は社員の働いた時間(労働時間)を正確に把握することができますが、働く場所が「自宅」の在宅勤務の場合、実際の仕事の開始時間と終了時間を管理する勤怠管理は最終的に社員本人に委ねるため、実際に働いた時間を会社と同じように正確に把握することがむずかしいからです※3。そのため、サービス残業や長時間労働、中抜けなどの問題が生じるおそれがあります。在宅勤務制度を設ける場合には、こうした問題を発生させない勤怠管理体制の拡充が求められます。  このような多様で柔軟な働き方を可能にする勤務制度の事例として、B社の取組みを紹介します。この事例の特徴は、高齢社員をはじめ社員の事情にあわせて柔軟な勤務体制を整備している点です。 事例2 製造業B社 柔軟な勤務体制の整備  本社近郊に4カ所の事業所を持つ製造業B社は、継続雇用の社員が働きやすく負担とならないように、柔軟な勤務体制を整備しています。具体的には、勤務日を週2〜6日の選択制とし、出退勤時間はフレックスタイム制としています。さらに、通院や家庭の事情、雨天時の通勤負担を考慮した出勤日の振替調整や、定年前の正社員を含めて育児などの事情にあわせた在宅勤務への切り替えを可能としています。 (出典‥(独)高齢・障害・求職者雇用支援機構〔2024〕『70歳雇用推進事例集2024』を一部修正) ※1 なお、同法ではこの原則を法定の条件内で変更できることを認めており、「変形労働時間制」と呼ばれている ※2 多様な正社員制度には、短時間正社員のほかに、担当する職務内容が限定されている「職務限定正社員」、転勤範囲が限定されていたり、転居をともなう転勤がない「勤務地限定正社員」の二つのタイプがある ※3 もちろん、会社は在宅勤務の勤怠管理ルール(例えば、勤怠管理システムへの利用、メールやチャットなどによる報告など)を整備して、社員に在宅勤務をさせている 図表 平成期以降の勤務制度の柔軟化の取組み 平成期前半 平成期後半 令和期 取組み内容 概要 労働時間制度の柔軟化 労働時間・労働日数の柔軟化 働く場所の柔軟化 おもな内容 変形労働時間制度、フレックスタイム制、みなし労働時間制、裁量労働制の整備・拡充 短時間・短日勤務(短時間正社員制度) 在宅勤務 高齢社員 活用の基本方針 福祉的雇用 戦略的活用 戦略的活用 働き方 短時間・短日勤務中心 フルタイム勤務中心 フルタイム勤務中心 ※筆者作成 【P20-23】 解説3 生涯現役で働くための健康と安全の確保 ―エイジフレンドリーな職場をつくる― 財津(ざいつ)將嘉(まさよし) 産業医科大学高年齢労働者産業保健研究センター センター長・教授 本誌の「労働安全衛生制度の見直し」についての記事はJEED ホームページからご覧いただけます。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/bunrui/bunrui02_12.html 1 はじめに:少子高齢化時代  少子高齢化が進む日本では、2040年には1000万人分の労働力不足が見込まれ、生産年齢人口の低下にともない、労働力確保が喫緊の課題となっています。  2023(令和5)年に発表された最新統計によれば※1、高齢者の人口が1950(昭和25)年以降初めて減少しましたが、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は29.1%と過去最高を記録しています。また、75歳以上の人口が初めて2000万人を突破し、10人に1人が80歳以上となっており、日本の高齢者人口の割合は世界一です。  職場の状況を見てみると、高齢者の就業者数は19年連続で増加し、約912万人と過去最多となっています。就業者総数に占める高齢就業者の割合も13.6%と過去最高で、就業率も65〜69歳が50.8%、70〜74歳が33.5%と過去最高となっています。  また産業別に見ると、医療や福祉などで高齢就業者は10年前の約2.7倍に増加し、高齢の就業希望者のうち、希望する仕事の種類は、専門的・技術的職業とサービス職業が最多となっています。 2 労働中のけがや事故:労働災害のデータを読む  労働中の死亡事故(死亡災害)は年々減少していますが、高齢者の労働中のけがや事故を含めたすべての労働災害は増加しています。厚生労働省が発表した2022年の労働災害発生状況によると※2、休業4日以上の死傷者数に占める60歳以上の高齢者の割合は28.7%まで上昇し過去最高になっています。また、60歳以上の労働災害の発生率を30〜34歳代と比較すると、男性は約2倍、女性は4倍になっています。  それでは、どのようなタイプの労働災害(事故の型)が多いのでしょうか。2022年の労働災害発生状況によれば、休業4日以上の死傷者13万2355人のうち、「転倒」が3万5295人(27%)と4分の1以上を占めており、腰痛などの「動作の反動・無理な動作」の16%と合計すると全体の4割を超えます(図表1)。年齢別で見ると、60歳以上の休業4日以上の転倒災害の発生数は、男性が5169人(36%)、女性が1万290人(49%)と非常に多く、全体の4割強を占めます。さらに、高齢労働者を年齢別に見ると、60〜64歳、65〜69歳、70歳以上のグループで、ほぼ3分の1ずつ転倒災害が発生していることがわかります(図表2)。また、若年層の20〜24歳のグループと比べると、男性では60〜64歳で3.5倍、65〜69歳で4.3倍と増加し、女性では60〜64歳で12倍、65〜69歳で16倍と急激に増加します(図表3)。  2021年4月に改正高年齢者雇用安定法が施行され、事業主は65歳までの雇用確保の義務に加えて、70歳までの就業確保の努力義務が課せられました。統計データを科学的に読むと、高齢者を雇用する場合は、まずは転倒災害の予防の意識を強く持つ必要があることがわかります。転倒リスクが急上昇する60代後半では対策の優先度を高くする必要があります。「転ぶ」こと自体は、子どものころにだれでも経験します。労働者のなかでも、若年層では転倒で大けがには至らない場合が多く、軽度な問題と考えられがちです。しかし、高齢者が転倒すると、骨折や頭部外傷などの重大なけがにつながるため、決して軽んじてはいけません。転倒災害は労働災害であるというマインドセットが何よりも重要です。 3 加齢による身体機能の低下  高齢者雇用に関する課題は多岐にわたりますが、加齢にともなう身体機能の低下はそのなかでも最も顕著なものの一つです。人は、年齢を重ねると筋力や柔軟性が低下し、体力の減退やバランスの悪化などが起こります。これは自然の摂理であり、「自分だけは大丈夫」ということは決してありません。労働者の身体機能に関して、若年齢と高年齢の労働者を統一指標で直接比較した場合※3、20〜24歳を100%とすると、55〜59歳で心肺・代謝機能80〜90%、敏捷(びんしょう)性・運動調節能力60〜80%、関節可動域60〜90%、筋力60〜70%、認知機能50〜60%、そして感覚・平衡機能が30〜50%まで低下します。  注目すべきは、高齢者は視覚、位置覚、平衡覚などの平衡機能の低下が著しいことです。健診項目には平衡機能検査は入っていません。自動車製造業車両製造部所属の20〜64歳の2592人を対象とした調査では※4、20代のバランスと比較すると、60代で敏捷性が69%、閉眼片足立ち機能が28%まで減少しています。高齢労働者は、ふらつきが大きく、視覚を使わない反射的な危険回避が苦手になっているといえます。転びそうになっても、咄嗟に反対側の足でふん張れず、受け身がとれずに頭から転倒し大けがにつながります。 4 エイジフレンドリーガイドラインをふまえた職場での工夫やポイント  国の政策としても2020年に「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(エイジフレンドリーガイドライン)※5が示されており、第14次労働災害防止計画(2023〜2027年度)でも高年齢労働者の転倒対策があげられています。それでは、どのようなポイントに気をつければよいでしょうか。例えば、転倒災害には以下の四つがあげられます※4※6。 ■社会管理的要因(環境)…整理・整頓、焦り・規則違反、職場風土など ■外的要因(環境)…床面摩擦凹凸・段差、手すり、照明、通路幅など ■内的要因(個人)…運動機能低下、視覚機能低下、身体・精神的疾患、服薬状況など ■傷害増幅要因(個人)…身体強度・耐性、回避能力(敏捷性)、骨強度、内臓耐性など  何よりも最初は環境側面からのアプローチが必要です(社会管理的要因、外的要因)。例えば、「走ると危ないので走らない」、「床に物やコードが散乱しているとつまずくので整理整頓」、「床が濡れていれば(雨の日なども)滑るので掃除」、「階段の移動は手すりを持つ」、「段差があれば段差をなくす(むずかしい場合はトラテープなどの目印)」、「薄暗ければ照明をつける」などです。このようにあたり前のことをあたり前にすることが重要です。  一方で、労働災害の発生確率そのものが悪化している場合もあることがわかっています※7。そのため、個人の側面(内的要因、傷害増幅要因)、心身機能低下なども考慮した総合的な対策を行いましょう。例えば、健康診断の結果に基づき、きちんと指導を受けることは重要です。健康イベントなどで身体機能の実測値と自己認識値のギャップを知るのもよいでしょう※8。身体機能の実測値が自己認識よりも低くなると、労働災害が発生する可能性が高くなります。加齢により、閉眼バランスや敏捷性のギャップが顕著になるため、自分の身体機能をきちんと知り、リスクを正しく恐れることが重要です。エイジフレンドリーガイドラインなどを参考に、環境改善の第一歩に取り組んでみてください。 5 おわりに  70歳までの就業確保措置が進むなか、ますます高齢者の労働力が重要になっています。高齢者の雇用は、企業の持続可能な成長に欠かせません。一人ひとりの健康状態や能力を、労働者も事業者も相互的に正しく把握し理解し、個別の状態に合わせた適切な業務の割り振りや作業環境の調整が必要となります。働き手の多様性を尊重し、幸せ・働きがい・生産性向上のために高齢者雇用を考えていただければと思います。 ※1 総務省統計局「統計からみた我が国の高齢者−「敬老の日」にちなんで−」(2023年) ※2 厚生労働省「令和4年労働災害発生状況」(2023年) ※3 斎藤一「向老者の機能の特性 停年制問題を背景に考えて」『労働の科学』22号(1967年) ※4 川越隆「転倒災害の現状と対策」『日本転倒予防学会誌』6巻3号(2020年) ※5 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10178.html ※6 永田久雄『「転び」事故の予防科学』(労働調査会・2010年) ※7 津島沙輝ら「労働災害の年齢調整発生率の推移:公開統計を用いた分析」『産業医学ジャーナル』46巻4号(2023年) ※8 財津將嘉「高年齢労働者の労災防止対策- 産業医はココに注意」『日本医事新報』 5170号(2023年) 図表1 労働災害のタイプ別の割合 転倒 27% 動作の反動・無理な動作 16% 墜落・転落 15% はさまれ・巻き込まれ 10% 切れ・こすれ 6% その他 26% ※厚生労働省「令和4年労働災害発生状況」より筆者作成 図表2 年齢階級・性別の転倒災害(2022年) 年齢 男性 女性 全体 全体,n 14,365 20,930 35,295 15〜39歳 2,792(19%) 1,755(8%) 4,547(13%) 40〜59歳 6,404(45%) 8,885(42%) 15,289(43%) 60歳以上 5,169(36%) 10,290(49%) 15,459(44%) 60〜64歳 1,951(14%) 3,908(19%) 5,859(17%) 65〜69歳 1,510(11%) 3,154(15%) 4,664(13%) 70歳以上 1,708(12%) 3,228(15%) 4,936(14%) ※パーセンテージの総和は四捨五入により100%にならない場合がある ※厚生労働省「令和4年労働災害発生状況」より筆者作成 図表3 各年齢階級の労働者の転倒災害(千人率) 15〜19歳 女性0.20 男性0.29 20〜24歳 女性0.16 男性0.24 25〜29歳 女性0.15 男性0.21 30〜34歳 女性0.17 男性0.24 35〜39歳 女性0.21 男性0.28 40〜44歳 女性0.30 男性0.33 45〜49歳 女性0.43 男性0.40 50〜54歳 女性0.84 男性0.53 55〜59歳 女性1.42 男性0.66 60〜64歳 女性1.96 男性0.84 65〜69歳 女性2.61 男性1.03 70〜74歳 女性2.84 男性1.17 75〜79歳 女性2.67 男性1.31 80〜84歳 女性2.06 男性1.38 85歳〜 女性1.45 男性0.83 【P24-26】 解説4 高齢者雇用と助成金 65歳超雇用推進助成金について 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED)高齢者助成部  「65歳超雇用推進助成金」は、65歳以上への定年引上げ等を行う事業主、高年齢者の雇用管理制度の整備を行う事業主、高年齢の有期契約労働者を無期雇用に転換する事業主に対して、国の予算の範囲内で助成するものであり、「生涯現役社会」の構築に向けて、高年齢者の就労機会の確保および雇用の安定を図ることを目的としています。  共通の要件は、雇用保険適用事業所の事業主であること、高年齢者等の雇用の安定等に関する法律第8条、第9条第1項の規定に違反していないこととなります。  この助成金は次のT〜Vのコースに分けられます。 T 65歳超継続雇用促進コース  このコースは、支給要件を満たす事業主が、次の@〜Cのいずれかを就業規則等に規定し、実施した場合に受給することができます。 @65歳以上への定年の引上げ A定年の定めの廃止 B希望者全員を対象とする66歳以上の継続雇用制度の導入 C他社による継続雇用制度の導入 ◆支給額  実施した制度、引き上げた年数、対象被保険者数に応じて図表1・2の額を支給します。 U 高年齢者評価制度等雇用管理改善コース  このコースは、支給要件を満たす事業主が、高年齢者の雇用の推進を図るために雇用管理制度(賃金制度、健康管理制度等)の整備にかかる措置を実施した場合に、措置に要した費用の一部を助成します(図表3)。  なお、あらかじめ雇用管理整備計画書を提出し、認定されていることが必要です。 ◆支給額  支給対象経費(上限50万円)に60%(中小企業以外は45%)を乗じた額を支給します。初回の支給対象経費については、当該措置の実施に50万円の費用を要したものとみなします(2回目以降は50万円を上限とする実費)。 V 高年齢者無期雇用転換コース  このコースは、支給要件を満たす事業主が、50歳以上で定年年齢未満の有期契約労働者を転換制度に基づき、無期雇用労働者に転換させた場合に、対象者数に応じて一定額を助成します。  なお、あらかじめ無期雇用転換計画書を提出し、認定されていることが必要です。 ◆支給額  対象労働者1人につき30万円(中小企業以外は23万円)を支給します。 助成金の詳細について  この助成金の支給要件等の詳細は、JEEDホームページをご確認ください。  また、JEEDホームページから、各コースの申請様式や支給申請の手引きをダウンロードできます。そのほか、制度説明の動画も掲載しています。  この助成金に関するお問合せや申請は、JEEDの都道府県支部高齢・障害者業務課(東京・大阪は高齢・障害者窓口サービス課、連絡先は本誌65ページ)までお願いします。 https://www.jeed.go.jp JEED 高齢助成金 検索 助成金の説明動画はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=Qvls2Wo9mVU 図表1 65歳超継続雇用促進コース定年の引上げまたは定年の廃止、継続雇用制度の導入 措置内容 対象被保険者数 65歳への定年の引上げ 66〜69歳への定年の引上げ 70歳以上への定年の引上げ(注) 定年の定めの廃止(注) 66〜69歳への継続雇用の引上げ 70歳以上への継続雇用の引上げ(注) 5歳未満 5歳以上 1〜3人 15万円 20万円 30万円 30万円 40万円 15万円 30万円 4〜6人 20万円 25万円 50万円 50万円 80万円 25万円 50万円 7〜9人 25万円 30万円 85万円 85万円 120万円 40万円 80万円 10人以上 30万円 35万円 105万円 105万円 160万円 60万円 100万円 (注)旧定年年齢、継続雇用年齢が70歳未満の場合に支給します。 図表2 65歳超継続雇用促進コース他社による継続雇用制度の導入(上限額) 措置内容 66〜69歳への継続雇用の引上げ 70歳以上への継続雇用の引上げ(注) 支給上限額 10万円 15万円 ※ 申請事業主が他社の就業規則等の改正に要した経費の2分の1の額と表中の支給上限額いずれか低い方の額が助成されます。対象経費については申請事業主が全額負担していることが要件となります。 (注)他の事業主における継続雇用年齢が70歳未満の場合に支給します。 図表3 高年齢者評価制度等雇用管理改善コース 高年齢者雇用管理整備措置の種類 高年齢者に係る賃金・人事処遇制度の導入・改善 労働時間制度の導入・改善 在宅勤務制度の導入・改善 研修制度の導入・改善 専門職制度の導入・改善 健康管理制度の導入 その他の雇用管理制度の導入・改善 支給対象経費 ●高年齢者の雇用管理制度の導入等(労働協約または就業規則の作成・変更)に必要な専門家等に対する委託費、コンサルタントと の相談に要した経費 ●上記の経費のほか、左欄の措置の実施にともない必要となる機器、システムおよびソフトウェア等の導入に要した経費(計画実施期間内の6カ月分を上限とする賃借料またはリース料を含む) 【P27】 高齢者雇用促進等のためのその他の助成金  当機構(JEED)の「65歳超雇用推進助成金」のほかにも、高齢者を雇用した場合の「特定求職者雇用開発助成金(特定就職困難者コース)、(成長分野等人材確保・育成コース)」、高年齢労働者の賃金の増額などを行い、高年齢雇用継続基本給付金の受給総額を減少させた場合の「高年齢労働者処遇改善促進助成金」があります。いずれも都道府県労働局やハローワークが支給窓口となります。 編集部 特定求職者雇用開発助成金 (特定就職困難者コース)  高齢者や障害者などの就職困難者をハローワークなどの紹介により、継続して雇用する労働者として雇い入れる事業主に支給されます。この助成金の対象となる高齢者は、60歳以上の方です。  高齢者を雇い入れた場合の助成対象期間は1年間で、支給対象期(6カ月間)ごとに支給されます。支給額は「短時間労働者以外」(1週間の所定労働時間が30時間以上)と「短時間労働者」(1週間の所定労働時間が20時間以上30時間未満の者)で異なり、中小企業が短時間労働者以外を雇用する場合、60万円を2期に分けて30万円ずつ(中小企業以外は50万円を2期に分け25万円ずつ)支給されます。  中小企業が短時間労働者を雇用する場合は、40万円を2期に分け20万円ずつ(中小企業以外は30万円を2期に分けて15万円ずつ)支給されます。 特定求職者雇用開発助成金 (成長分野等人材確保・育成コース)  【成長分野】と【人材育成】の二つのメニューがあり、【成長分野】は、高齢者や障害者などの就職困難者を、ハローワークなどの紹介により雇い入れて、「成長分野の業務※」に従事させ、人材育成や職場定着に取り組む場合に支給されます。【人材育成】は、未経験の就職困難者を、ハローワークなどの紹介により雇い入れて、人材開発支援助成金による人材育成を行い、賃上げを行った場合に支給されます。  いずれも特定求職者雇用開発助成金のほかのコースの1.5倍の助成金が支給されます。 高年齢労働者処遇改善促進助成金  就業規則や労働協約の定めるところにより、60歳から64歳までの高年齢労働者に適用される賃金に関する規定または賃金テーブル(以下、賃金規定等)を増額改定し、高年齢雇用継続基本給付金の受給総額を減少させる事業主に対して支給されます。  支給額は、賃金規定等改定前後を比較した高年齢雇用継続基本給付金の減少額に以下の助成率を乗じた額となります。 ・2/3(中小企業以外は1/2)  (注)100円未満切り捨て  なお、支給にあたっては、算定対象労働者の1時間当たりの賃金を60歳時点の賃金と比較して75%以上に増額する措置を講じていること、増額改定後の賃金規定等を継続して運用していることなど、いくつかの要件を満たしている必要があります(2024〈令和6〉年度末で終了予定)。  それぞれの詳細については、最寄りの労働局またはハローワークへお問い合わせください。 ※次のアとイが該当します  ア「情報処理・通信技術者」または「その他の技術の職業」 (データサイエンティストにかぎる)に該当する業務  イ「研究・技術の職業」に該当する業務 (脱炭素・低炭素化などに関するものにかぎる)