第95回 高齢者に聞く生涯現役で働くとは 奥村印刷株式会社 経営管理本部 藤井(ふじい)淳(じゅん)さん  藤井淳さん(68歳)は、大学卒業後に入社した印刷会社で、現場の進行および管理部門一筋に歩いてきた。定年後も経験を活かし職場環境充実のために挑戦を続けている。仕事がおもしろくてたまらないと笑みがこぼれる藤井さんが、生涯現役で働くことの楽しさを語る。 伊豆大島から新しい世界を求めて  私は伊豆大島(いずおおしま)で生まれ、地元の中学校を卒業後、東京都下の秋川(あきがわ)市(現あきる野市)にあった全寮制の男子校、東京都立秋川高等学校に入学しました。大島にも高校はありましたが、その高校に父が国語教師として勤務しており、同じ高校へ進学することに抵抗があったのだと思います。当時唯一の全寮制の普通科高校の新設が世間の注目を浴びたのか、1965(昭和40)年に秋川高校が開校したことが新聞でも報道されました。その記事を目にした小学校3年生の私は、「将来自分もここに進みたい」と漠然と決めたように思います。全寮制のため住む所の心配がないのも魅力でした。また、新しい学校だったので進取の精神が旺盛で寮生活もとても楽しいものでした。残念ながら2001(平成13)年に廃校になりましたが、同窓会や同期会は連綿と続いていて、かつての仲間たちとはいまも親交を深めています。  高校卒業後は埼玉大学に進み、新しい学問として人気が出始めた文化人類学を専攻しました。結局私は新し物好きなのかもしれません。世の中では「モラトリアム」という概念が流行し、卒業してもすぐに就職しない若者が闊歩しており、私も大学時代から始めたアルバイト先でそのまま気楽なアルバイト生活を送っていました。  「モラトリアム」とは心理学の領域では「アイデンティティ確立のための猶予期間」をさす。流行の波に乗って就職せずにのんびりと青春を謳歌していた藤井さんに、ついに父親の叱声が飛び、モラトリアムからの脱却を図ることになった。 成長し続ける時代とともに  アルバイト先は水文(すいもん)※の研究をしているおもしろい会社でしたが、理系でない私は一介のアルバイトに過ぎず、いつまでもふらふらしている私を見かねた父が奥村印刷株式会社を紹介してくれました。地元の高校で進路相談を担当していた父は、成長率の高い会社として、奥村印刷に島の高校生を何人か送り込んでいました。ありがたいことに私も採用され、社会人としてやっと第一歩をふみ出すことができました。28歳の遅い出発でした。  印刷の分野だけでなく日本の産業が活力のあった時代で、私の入社と同じ年に会社が輪転機を導入し、埼玉県川越市に工場が新設されました。私は工務進行という部署で、製版工程の進行管理の業務に就きました、輪転機が本格的に稼働するとどんどん注文が増え続け、工程管理の仕事は息つく暇もないほどでした。いまの時代に大きな声ではいえませんが、家に帰れば日付が変わるような日々が続いたものです。このころ、最も販売促進効果があるといわれたチラシの注文が殺到し、有名企業のチラシ印刷を受注した営業マンはとても誇らしげでした。また、不動産関係の週刊誌も印刷していたので、社内中みんな目が回る忙しさでしたが、現場は活気にあふれていました。人より少し遠回りして入社した私ですが、いまも同じ会社で働かせてもらえているのですから、出会いに感謝しています。  「入社したときに仕事を教えてくれた先輩は、三つ年下の後輩でした」と、藤井さん。よい意味での「島育ち」の鷹揚(おうよう)さが言葉の端々に表われる。藤井さんは3人兄弟で、弟さんの友人の一人も入社してきた。島の若者が都市部で活躍の場を得られたよき時代であった。 失敗を恐れずに  もともと印刷業に興味があったわけではありませんでしたし、製版工務という仕事に対してもまったくの無知でした。それでもいま思えば半年ほど経ったときには一人前の口をきいていたような気がします。つまり、毎日が本当に忙しかったため、場数をたくさん踏み、経験を重ねられたのです。やる気次第でどんどん成長することができたのは幸せでした。  もちろん失敗もたくさんしました。私のミスで商品が刷り直しになったこともあり、落ちこむことも多かったです。ただ、失敗したときにそれをどう乗り越えるかというプロセスが大切だと私は思います。失敗を力にして、この40年間懸命に歩いてきました。  28歳で入社して製版工務の仕事を25年ほど務め、その後は業務・品質管理の仕事に就きました。60歳で定年退職し再雇用となり、いまもフルタイムで働いています。結婚が遅く、子育ての時期が人より遅かったこともあり、定年でのリタイアなど考えたこともありません。現在、3カ月に1回、雇用契約の更新を行っていますが、これが自分のことを見直せるよい機会だと前向きにとらえています。  奥村印刷株式会社は、長年の技術を駆使して完成した「折り紙食器」で被災地を支援しており、いま、マスコミから注目されている。また、品質マネジメントシステムの確立でも業界に先駆け、その部分を支える一人に藤井さんがいる。 よりよい職場環境づくりに注力  「折り紙食器」のことは多くの方が関心を持ってくださっています。ご興味ある方は当社のホームページをぜひご覧ください。  一方、会社は品質マネジメントシステムの確立に力を入れてきました。現在三つのISOを取得しており、私はISOの事務局も担当しています。  また、個人情報を適切に取り扱っていると評価された事業者だけが使用できる「プライバシーマーク」の認証を取得しています。この認証については私も事務局を手伝ってきました。  さらに、森林管理の国際規格であるFSC認証の取得については導入の推進委員を務め、早い時期からかかわってきました。FSCとは、森林の生物多様性を守り、地域社会や先住民族、労働者の権利を守りながら、適切に生産された製品を消費者に届けようというものです。  代表的なものだけをあげましたが、私の最近の仕事は品質マネジメントシステムのそれぞれの規格が要求することを社内でどのように展開していくか、そのお手伝いをすることです。幸い、現場のこともよくわかっており、ISOの認証などにかかわってきたので、この仕事は自分に合っていると密かに誇らしく思っています。もともと前に立って「さあ、行くぞ」と人を鼓舞するタイプではなく、だれかに「さあ、行くぞ」といわせるために緻密な計画を立てるほうが私には合っているのです。よりよい職場環境の実現に向け会社の役に立てると思えば自然にモチベーションも上がります。  高校時代の仲間と年に一度同期会で会うたびに、年々リタイアした人が増えています。私はリタイアは先延ばしして、もう少し、大好きな仕事と一緒に日々を過ごしていこうと思います。 ※水文……地球上の水の循環などを対象に研究する学術分野