知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 《第74回》 定年後再雇用制度の凍結、受診命令とセクシュアルハラスメント 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 経営状況の悪化により定年後再雇用制度を凍結した場合、再雇用はしなくてもよいのでしょうか  会社の経営状況の悪化を理由に、定年後再雇用制度を一時的に凍結することが定められました。この凍結期間に定年退職に至った場合には、継続雇用の対象外となるのでしょうか。 A  定年後の再雇用の労働条件が特定されていないような場合には、継続雇用をする義務が否定されることがあります。ただし、経営状況の悪化などが具体的に進行しており、そのことの説明が尽くされていることも必要と考えられます。 1 定年後の継続雇用と再雇用拒否が可能な理由  高齢者については、高年齢者雇用安定法により65歳までの高年齢者雇用確保措置が義務づけられており、@定年の延長、A継続雇用、B定年制の廃止のいずれかの措置を取る必要があります。  ただし、厚生労働省が定める指針(高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針)において、継続雇用制度を適用しないでもよい場合として、「心身の故障のため業務に堪えられないと認められること、勤務状況が著しく不良で引き続き従業員としての職責を果たし得ないこと等就業規則に定める解雇事由又は退職事由(年齢に係るものを除く。)に該当する場合には、継続雇用しないことができる」とされています。  定年をもって、労働契約を終了したことを前提に、定年後の有期労働契約を締結していない場合の取扱いについても、明確な規定はありません。最高裁平成24年11月29日判決(津田電気計器事件)では、定年後に嘱託雇用契約の状態にあった従業員について、継続雇用の基準を満たしていたにもかかわらず、基準を満たしていないものとして扱って再雇用をしなかった事案において、「法の趣旨等に鑑み、上告人と被上告人との間に、嘱託雇用契約の終了後も本件規程に基づき再雇用されたのと同様の雇用関係が存続しているものとみるのが相当であり、その期限や賃金、労働時間等の労働条件については本件規程の定めに従うことになるものと解される」と判断したものがあります。  ただし、この判例は、高年齢者雇用安定法において、継続雇用の基準を定めることができた当時の判断であり、現時点でも通用するのかについては、検討が必要なものといえます。 2 人員整理にともなう高年齢者雇用の凍結に関する裁判例  航空会社において、新型コロナウイルス感染症の蔓延にともない、業績がきわめて悪化し、役員報酬の減額、役員の減員、早期退職の募集、必要不可欠ではない雇用の停止などを実施したうえで、日本以外の国でも多数の従業員を解雇するにいたっていた状況において、日本における定年後の継続雇用制度を一時的に凍結するという決定をし、当該凍結の結果、雇用契約が終了した従業員と紛争になった事案があります(東京地裁令和5年6月29日判決、アメリカン・エアラインズ事件)。  当該裁判例での争点は、@定年後の継続雇用の拒絶について、就業規則上の退職または解雇事由に該当するか否か、A@に該当する場合に解雇権濫用法理が適用されるか否か、B雇用継続への期待可能性が認められ雇止め法理(労働契約法〈以下、「労契法」〉第19条2号)が適用されるか、C津田電気計器事件と同様に定年後に同一条件にて労働契約が成立したといえるか、といった点など多岐にわたります。  事件の当事者となった使用者においては、就業規則に「事業縮小、人員整理、組織再編等により社員の職務が削減されたとき」が退職事由と定められており、裁判例においては、新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大により大幅な減便を余儀なくされ、経費削減(関接部門の正社員30 %減員などの労務費削減を含む)に取り組み、あわせて定年退職者の再雇用についても一時凍結したことについては、就業規則に定める退職事由に該当するものと判断しました。  さらに、定年後再雇用の拒絶について、解雇権濫用法理が適用されるかという点については、「定年後再雇用の制度は、期間の定めのない労働者が定年に達した場合に退職の効力を一旦発生させた上で、定年後の労働条件についてあらためて協議・合意して労働契約を締結するという構造の制度」であることを理由に、「解雇がされたものではないのであるから、労契法16条が想定し、同条が規定するいわゆる解雇権濫用法理が適用される枠組みとは事案を異にする」として、解雇権濫用法理の適用を否定しました。この点は、退職事由または解雇事由に該当することが必要であり、かつ、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が必要と考えられていた従来の厚生労働省のQ&A※で示されていた考え方とは、異なる考え方を採用していると考えられます。  解雇権濫用法理が適用されないということになると、退職事由に該当したとしても、雇用が継続していたというためには、労契法第19条2号による雇止め法理の類推適用を受けるか、もしくは、津田電気計器事件の判例による保護対象となる必要があるということになります。  まず、労契法第19条2号の適用について、適用の前提となる要件の充足があれば適用可能性があること自体は肯定されましたが、労働契約更新への期待可能性について、「期間の定めのない労働契約が定年により終了した場合であっても、労働者からの申込みがあれば、それに応じて期間の定めのある労働契約を締結することが就業規則等で明定されていたり、確立した慣行となっており、かつ、その場合の労働条件等の労働契約の内容が特定されているということができる場合」には、期待することにも合理的な理由があり得ると判断しました。  しかしながら、当該事案における具体的な判断としては、就業規則などに再雇用後の労働契約が特定されていたわけではなく、個別の協議で定まるとされていたことや、会社の経営が急激に悪化している状況などを社内メールで全員に配信するなど説明をしていた状況をふまえて、一定の期待を有していたとしても、そのことが合理的な理由に基づくものとはいいがたいとして、労契法第19条2号の適用もないと判断されました。  そして、津田電気計器事件の判例による保護対象となるかについても、同事案は、雇用基準を定めており、当該基準を満たしていた者を更新しなかったというものであり、かつ、すでに嘱託社員としての労働条件が定まっていた労働者に関する事案であるから、本件とは事案を異にするものと判断されました。  本裁判例からは、退職事由または解雇事由がある場合には、必ずしも客観的かつ合理的な理由が必要と判断されるとはかぎらない場合がありそうですが、継続雇用の具体的な労働条件が特定されている場合には、本件のような結論とはならない可能性があるという点などには、留意しておく必要があると考えられます。 Q2 体調不良や精神疾患がうかがわれる社員に医療機関への受診を命令することはできるのですか  最近、仕事でミスが多くなり、身だしなみも整わず、体重の減少などもあるようにみえる社員がいるので、精神疾患に罹患しているのではないかと心配しています。医療機関への受診を命じ、早めに対処したいと思っているのですが、社員が異性でもあるため、体重の減少を直接話題に出すのは、セクシュアルハラスメントにあたるのでしょうか。また、受診をうながした場合の費用の負担は会社が行うべきでしょうか。 A  就業規則の根拠を確認したうえで、受診を命令しなければならない必要性および相当性を検討したうえで、受診を命じることは可能ですが、体重の減少などを理由とすることは控えることが望ましいでしょう。なお、費用負担をする義務はありませんが、実務上は受診を実現するために費用負担をせざるを得ないこともありえます。 1 受診命令の根拠  会社が、労働者に対して受診命令を行うことができるか否かについては、最高裁昭和61年3月13日判決(帯広電報電話局〈NTT〉事件)において、判断されたことがあります。この事件は、就業規則を構成する健康管理規程において、労働者の健康保持の努力義務や健康回復を目的とした健康管理従事者の指示に従う義務があることなどが明記されていました。このような明示の根拠がある場合には、会社による受診すべき旨の指示に従い、病院ないし担当医師の指定および健診実施の時期に関する指示に従う義務があると判断されています。  端的にいえば、就業規則に定めがあるかぎりは、健康管理上必要な事項については、受診を命じる必要性および相当性が認められれば、病院の指定や医師の指定も含めて命じることができると考えられます。なお、このような就業規則の規定がない場合についても、当該事件の事情に照らして医師の判断を仰ぐ高度の必要性が認められたことを理由に、信義則ないし公平の観念に照らし合理的かつ相当な理由のある措置として受診を命じることができると判断した裁判例もあります(東京高裁昭和61年11月13日判決、京セラ〈旧サイバネット工業〉事件・控訴審)。  受診を命ずるにあたっては、治療にあたる医師を選択する自由が労働者にもあることには配慮が必要です。例えば、労働安全衛生法第66条1項は、事業者に労働者に対する健康診断を義務づける一方で、同条5項ただし書きにおいて労働者が選択した医師による健康診断の結果を提出することは許容されています。医師選択の自由が保障されていることは重要であり、受診命令を根拠づける就業規則の合理性が肯定される根拠にもなりますので、自ら選択する医師による診察を受けることを制限するものではないことも就業規則に明記しておくとよいでしょう。  なお、受診命令の必要性および相当性も問題となります。「仕事のミスが多くなり、身だしなみが整わず、体重の減少も見受けられる」とのことですが、加えて、欠勤や遅刻の増加などの勤怠不良が生じていないか、本人と面談を行って心身の不調に関する本人の認識や原因の聴取なども行っておく方が適切でしょう。 2 セクシュアルハラスメントとの関係について  過去の裁判例においては、「職場において、男性の上司が部下の女性に対し、その地位を利用して、女性の意に反する性的言動に出た場合、これがすべて違法と評価されるものではなく、その行為の態様、行為者である男性の職務上の地位、年齢、被害女性の年齢、婚姻歴の有無、両者のそれまでの関係、当該言動の行われた場所、その言動の反復・継続性、被害女性の対応等を総合的にみて、それが社会的見地から不相当とされる程度のものである場合には、性的自由ないし性的自己決定権等の人格権を侵害するものとして、違法となるというべき」(名古屋高裁金沢支部平成8年10月30日判決、金沢セクシュアルハラスメント事件。上告審においても判断是認)とされた裁判例があります。  当該事件の事情から「男性の上司が部下の女性に対し」という前提になっていますが、重要なのはここで掲げられている考慮事由の内容です。このような裁判例の考慮事由をふまえて、「太ってるんだから」、「ダイエットするためにうちの店で働くって決めたんでしょ」などの発言を、業務とはまったく関係のないものであるとして、セクシュアルハラスメントに該当すると判断されている事例もあります(例えば、東京地裁平成27年10月15日判決)。  違法な言動になるか否かについては、業務との関連性も考慮され、当該言動の必要性や相当性も評価されることになります。そのため、受診命令を行う必要性があったのか否かという点と、体重の減少といった話題を出す必要性は重なり合う部分があるといえるでしょう。  前述の通り、受診命令の必要性および相当性にあたっては、欠勤や遅刻の頻度など客観的な事情も加味して判断すべきですので、体重といった話題を出すことなく、受診を命じることが可能であれば、その方が望ましいと考えられます。仮に、そのような話題を出さざるを得ないとしても、多少の体重の変動というよりは、客観的に見ても極度にやせ型になっており、従前の状況との大きな変化があったような場合に限定することが望ましいと考えられます。 3 受診命令にともない生じる費用の負担  受診命令にともなう費用負担に関しては、健康診断の費用負担に関する考え方が参考になります。  労働安全衛生法第66条に基づく健康診断の義務に関して、厚生労働省は、事業者に法律上義務づけられた健康診断の費用であることから、当然に事業者が負担すべきものとの見解を示しています。他方で、法令上の義務ではない健康診断の費用に関しては、事業者が当然に負担すべきとは考えられていません。  このような考え方を参考にすると、精神疾患への罹患が疑われている状況については、事業者において労働者を医師に受診させる義務を負担させるような法律上の根拠はなく、このような場合の受診や検査費用については、特段の決まりはありません。そのため、いずれが負担するかについては、労使間の協議により定めるべき事項であり、必ずしも事業者が負担しなければならないとはいえないでしょう。  ただし、実務上の判断としては、本人の意思に委ねていては受診もままならない状況で推移してしまい、休職に必要な判断材料が入手できないという状況に陥ることもあり、指定医による診察を受けてもらうことは会社の判断に資する部分が大きいこともふまえて、指定医における受診に関しては、会社において費用を負担することを明示して診察を命じることによって、医師の診断書の獲得に向けて動くことも選択肢に入れて、診察をうながさざるを得ないこともあるでしょう。