技を支える vol.341 伝統の技を活かして目ざす日常使いの器づくり 鎌倉彫職人 遠藤(えんどう)英明(ひであき)さん(73歳) 「ものづくりの過程は試行錯誤の連続で、失敗も数多くあります。しかし失敗は苦痛ではなく、その積重ねが次につながると考えています」 桂の木の持つ「やわらかさ」や「温もり」を伝えたい  「鎌倉彫(かまくらぼり)」といえば、草花などの彫刻を施した漆器のイメージがあるが、鎌倉彫伝統工芸士会の会長を務める遠藤英明さんの作品は、写真のようにシンプルでモダンなデザインの器が多い。  「目ざしてきたのは、鎌倉彫の伝統を大切にしつつ、いまを生きる人々に日常生活のなかで使っていただける器づくりです。そのためには、必ずしもすべての器に彫刻を施す必要はないと考えています」  遠藤さんが大事にしているのは、手で触れたときの心地よさ。お椀のような丸い器はろくろ挽き、重箱のような四角い器は指物(さしもの)※でつくるのが一般的だが、遠藤さんはノミや彫刻刀などを使い、木の塊から削り出して形にしていく。  「鎌倉彫でおもに使われるのは桂の木です。やわらかくて彫りやすいのが特徴ですが、やわらかすぎて、どこかにぶつけるとへこみができてしまいます。でも、そんなふうに相手を傷つけずに自分が傷つくところが私は好きです。また、堅い木と違って、冬になってもあまり冷たくなりません。こうした桂が持つやわらかさや温もりを伝えるには、手で削り出すのが一番よいと思っています」 直線を5000本彫る基礎練習で自信をつけた  遠藤さんは宮城県出身。高校卒業後、東京の企業に就職。5年ほど経ったころ、観光で訪れた鎌倉でたまたま鎌倉彫の店をのぞいたことが、この道に進む契機となった。  「黙々と木や漆に対峙する職人の仕事に憧れ、こういうものをつくる仕事をしたいと思いました」  どこかの工房に入門しようと考えていたところ、「鎌倉彫高等職業訓練校」が開校されることを知り、第一期生として入学。同期には美大出身者もいたなかで、少しでも追いつき追い越そうと努力したのが基礎練習だった。  「鎌倉彫では複雑な彫りを表現しますが、基礎は直線や真円を彫れるようになることです。野球や剣道の素振りと一緒で、その練習をどれだけやったかが将来に活きてきます。これなら私でもやればできると思い、当時は時間さえあれば練習していました」  練習は、1枚の板に3ミリ間隔で直線を130本引き、その線に沿ってひたすら彫るというもの。「5000本彫った」という先輩にならい、5年かけて5000本をやり遂げたことが、その後の自信につながったという。  訓練校を2年で卒業した後は、「翠山堂(すいざんどう)」という鎌倉彫の工房に就職。18年間勤めた後、独立した。  「当時の私が目ざしていたのは、個人ではなく何人かのチームでよいものをつくることでした。分業してそれぞれが高い技術力を持てば、完成度の高いものができると考えていたからです。しかし、現実にはほかの職人と思いを共有することはむずかしく、遅まきながら独立して一人でやってきました」  当時は昭和から平成に変わるころで、冠婚葬祭の引き出物や会社の記念品などの大量注文が減りつつあった。また、家庭で茶托やお盆を使うことも少なくなり、産業として下火になっていることを感じた時期でもあった。独立後は、デパートやギャラリーなどへの出展を通じて一般客から生の声を聞く機会が増え、使い手の立場に立ったものづくりの意識がより強くなったという。 100年後の人たちにも使い続けられる器をつくりたい  独自に考案した模様や色を施した遠藤さんの作品は、鎌倉彫から逸脱していると見られることもあるそうだ。それでも「世の中から手づくりのものがどんどん失われていくなかで、100年後の人たちにも使い続けてもらえるものをつくりたい」という思いのもと、手づくりのよさが伝わる器を探求し続けている。また、次代をになう子どもたちに鎌倉彫の魅力を伝えるため、20年近くにわたり毎年県内の小中学校で出前授業を行っている。  「生きているかぎり鎌倉彫をつくり続けていきたいですし、後継者も育てたいと思っています」 伝統鎌倉彫事業協同組合 TEL:0467(23)0154 https://www.kamakurabori-kougeikan.jp (撮影・福田栄夫/取材・増田忠英) ※ 指物……釘などを使わず、凹凸のつぎ目をつくり板を組みあわせる技法 写真のキャプション 遠藤さんの作品。上から時計回りに、重箱、鉢、箸箱、名刺盆、ペン皿 使う人が器に触れたときの心地よさを大事にしている。そのため、ろくろ挽きではなく、木の塊をくり抜いてつくることにこだわる 61ページ写真の重箱や箸箱の表面は、刷毛やヘラをつくるための道具「塗師屋(ぬしや)小刀(こがたな)」で複数の傷をつけた独自の模様が施されている 取材時、展示会への出展用に試作していた片口。「軽さを味わってもらいたい」と、桂よりもさらに軽い桐の木を使っている 鎌倉市由比ヶ浜の「鎌倉彫工芸館」。鎌倉彫職人の作品が展示されている 小刀、平刀、丸刀、三角刀など、形状の異なる100本以上の彫刻刀を用途に応じて使い分ける 指物ではなく、木の塊をくり抜いてつくられた重箱。漆に酸化チタン(白い顔料)と少量のベンガラ(赤い顔料)を混ぜ、独特の色合いに。黒や朱が主流の鎌倉彫で、新たな試みの一つ 幅2寸(約6センチ)の叩きノミで削った痕をそのまま活かすことで、おおらかなイメージを表現した鉢。表面の色は、顔料が入っていない漆そのままの色が活かされている