【P6】 特集 シニア社員活躍の鍵は人事・管理職にあり! 人事担当・管理職 支援マニュアル shinia-shain jinji-tanto kanrishoku  少子高齢化などによる人手不足を背景に、高齢者をはじめとした多様な人材を活用し、その活躍をうながしていくための職場づくりが求められています。そこで重要になるのが、多様な人材が能力を発揮していくための制度をつくる人事担当者や、各職場で多様な価値観を持つ多様な人材をマネジメントする管理職です。  今回は、シニア社員の活躍をうながしていくために必要な人事制度づくりのポイント、そして職場におけるマネジメントのポイントを解説します。シニア社員が各々の能力を発揮し、活き活きと働ける職場の実現に向け、ぜひご一読ください。 【P7-10】 総論 〜ダイバーシティ経営を実現するために〜 働き方改革と管理職の部下マネジメントが鍵 東京大学名誉教授 佐藤(さとう)博樹(ひろき) 1 はじめに  シニア人材を含めて多様な人材が活躍できる企業を実現するための取組みが、ダイバーシティ経営です。しかし、ダイバーシティ経営に取り組んでいる企業におけるその推進組織をみると、女性の活躍の場の拡大をおもな目的としている場合が多い現状があります。さらに、当該企業が、女性だけではなく、シニアや障害者の活躍の場の拡大に取り組んでいる場合であっても、その取組みのにない手は、ダイバーシティ経営の推進組織とは別である場合が少なくないです。もちろん、女性、シニア、障害者、さらには外国籍などさまざまな多様な人材の活躍の場の拡大の取組みを、一つのセクションにまとめて行うことが望ましいと主張するわけではありません。対象となる多様な人材によって、異なる考え方や取組みが必要な部分もありますが、同時に、共通した考え方や取組みが必要な部分も多いのです。このように多様な人材の活躍を支援する取組みには、共通の考え方や取組みが必要であるにもかかわらず、そうしたことへの関心を欠いたまま、さまざまな取組みが行われている企業が少なくないのです。  本稿では、こうした現状をふまえて、女性、シニア、障害者、さらには外国籍などさまざまな多様な人材の活躍の場の拡大の取組みに、不可欠な共通の考え方と取組みに関して、説明したいと思います。 2 ダイバーシティ経営の定義と企業として取り組む必要性※1  ダイバーシティ経営の定義を最初に紹介します。図表1は、経済産業省がダイバーシティ経営100選に際して提示した定義です。この定義で大事な点は、ダイバーシティ経営の実現には、多様な人材を受け入れることだけでなく、それぞれが能力を発揮し、経営に貢献できるようにする仕組みづくりが不可欠なことです。そしてその仕組みづくりのなかで、最近多く取り組まれているのが「Equity(公正性)」です。これに関しては、紙幅の制約から指摘のみにとどめます。  企業がダイバーシティ経営に取り組む必要性は、次の三つにあります。ただし、第3の点は、公開企業のみに該当します。  第1は、労働市場の構造変化に対応するためです。企業がこれまで〈中核人材〉として想定してきた「人材像」に該当する働く人々が減少するだけでなく、働く人々の属性に加えて、価値観や希望するライフキャリアなどが多様化したことがあります。具体的には、これまでの大企業にとって、日本人で、転勤や残業前提のフルタイム勤務の働き方、さらに仕事中心の価値観を受容できる者が望ましい人材でした。しかし、そうした人材像に該当する者が減少したため、それ以外の多様な働き方や価値観の多様な人材を受け入れることができる経営への転換が必要になったことがあります。  第2は、市場環境の不確実性の増大に対応するためです。属性だけでなく、価値観など考え方が同質的な人材のみでは、不確実性が高い市場環境の変化に対応することがむずかしいことがあります。それに加えて、異なる価値観や考え方を持った人材が交流したり、議論したりすることで、従来とは異なる新しい価値の創出につなげることが、経営として重要になってきていることがあります。こうした結果、多様で異質な考え方や価値観を受容できる組織風土の構築が不可欠となり、ダイバーシティ経営への取組みが求められているわけです。  第3は、公開企業のみに関係しますが、資本市場の変化に対応するためです。機関投資家などは、人的資本を重視した投資など人的資本情報の開示への関心を高めています。例えば、内閣府「ジェンダー投資に関する調査研究」(令和4年度)によると、機関投資家などが投資判断における女性活躍情報の活用では、「全てにおいて活用」は8.1%ですが、「一部で活用」が57.3%と、両者を合わせると約3分の2の投資家が女性活躍情報を活用しています。機関投資家などが投資や業務において活用する女性活躍情報では、「女性役員比率」が79.0%、「女性管理職比率」が65.4%で、女性役員や女性管理職の比率を女性活躍の指標として重要視していることがわかります。 @人事管理における雇用・処遇管理の「個別管理」への転換を  企業として多様な人材が活躍できるダイバーシティ経営を実現するためには、これまで中核人材として想定してきた「人材像」を前提とした人材活用の仕組みや働き方などの改革が必要になります。ここではダイバーシティ経営を支える柱として、そのうちの主要なものを取り上げて説明しましょう。  第1は、同質的なキャリア意向を持った社員を想定した雇用管理や処遇管理の見直しです。いわゆる正社員に関しては、新卒入社の社員を学歴別かつ勤続年数別に層化して管理するいわゆる「学歴別年次管理」から「個別管理」への転換が必要になります。すでに中途採用者の増加や育休などキャリアの途中で休業する社員など学歴別年次管理が機能しなくなっています。また、雇用管理では、企業は包括的な人事権を保有し、配置や育成を管理する「企業主導のキャリア管理」から、個別対話を重視し、会社の要望と個人のニーズをすり合わせる「企業・社員の調整型キャリア管理」への転換が必要になっています。この点に関しては、とりわけ従来の転勤施策の見直しを企業に迫ることになっています。「個別管理」に転換できれば、シニア人材の雇用や処遇に関して、年齢や勤続の要素を解消でき、役職定年制だけでなく、定年制を廃止できることにもつながります。最近、役職定年制を廃止する企業が増えていますが、この背景には、人材不足だけでなく、「個別管理」の浸透があります。 Aパーパス経営や理念共有経営を  第2は、パーパス経営や理念共有経営の重視です。ダイバーシティ経営は、企業にとって必要なスキルや経験、あるいはポテンシャルがある人材であれば、属性だけでなく、価値観にもこだわらず多様な人材を受け入れて、その能力を発揮できるようにする取組みです。  特に価値観の多様化が大事で、多様な価値観を持った人材を受け入れて、従来の同質的な価値観の人材による議論ではなく、異なる価値観を持った人材の交流やコミュニケーションから新しい価値を生み出そうとする取組みでもあります。  他方で、企業組織には、統合のために「求心力」が不可欠ですが、多様な価値観を持った人材を受け入れるダイバーシティ経営を推進すると、組織に「遠心力」が働くことになります。多様な価値観を持った人材を受け入れ、かつ組織の求心力を維持するために大事なことは、企業の経営理念を明確にし、それを社員の間に浸透させることです。  経営的な観点による意見が割れたときは、最終的に自社の経営理念に即して判断することになります。つまり、社員が共有している経営理念は、異なる考え方を持った社員が議論するための土俵といえます。 B残業削減から仕事のOSを変革する働き方改革を※2  第3は、働き方改革です。働き方改革に取り組む企業の多くは、残業など長時間労働の削減を目的としている場合が多いです。健康を害するような長時間労働の解消は不可欠ですが、働き方改革の本来の目的は、残業削減ではなく、残業を前提としたフルタイム勤務の働き方を希望しない社員や、そうした働き方ができない社員でも活躍できる職場を構築することです。つまり、長時間働くことではなく、時間あたりの生産性を高めることで経営に貢献する付加価値の高い仕事の仕方に転換するわけです。こうした取組みを通じて、結果として不要な残業の削減を実現するわけです。すなわち、解消すべきなのは、「安易な残業依存体質」で、仕事が終わらないときは残業することが当然とされる状態の解消です。  こうした取組みは、残業つきのフルタイム勤務がむずかしい人材にも活躍の機会を提供することにつながるだけでなく、労働市場における企業の人材確保力の向上にも貢献することになります。以上のように働き方改革では、図表2の伝統的な狭義の働き方改革ではなく、広義の働き方改革に取り組むことが求められるのです。 C多様な部下をマネジメントできる管理職の育成・登用を  第4は、多様な働き方を選択し、多様な価値観を持った部下をマネジメントできる「ヒューマンスキル」を備えた管理職を育成し、登用することです。とりわけ、担当職を部下に持った課長レベルの管理職が該当します。通常、担当職として業績を上げた人材が、その働きぶりを評価され、課長に登用されることになります。ただし、課長になるとになうべき役割が変わります。担当職の場合は、上司から割り振られた業務を納期までに保有しているスキルを活用して遂行することです。他方で、課長になっても部下の担当職と同じようなプレイヤーとしての役割はありますが、それが課長の役割ではありません。課長になると、課に課せられた課題を遂行するために必要な戦略立案とその戦略を業務に分解し、それを部下に割り振り、業務を割り振られた部下が、業務内容を理解し、高いモチベーションを維持して、仕事に取り組むことができるように支援することが管理職としての役割になります。業務遂行に必要なスキルが不足している場合は、能力開発も課長の役割になります。また、部下のモチベーションの維持・向上のためには、その前提として部下一人ひとりとの対話が不可欠になります。1on1が導入されている理由がここにあります。  さらに、管理職には職場内の「心理的安全性」を高めるマネジメントが求められます。多様な考え方や価値観を持った人材を受け入れていても、これまでと異なる考え方の意見を職場で表明できないと新しい価値の創出に貢献しません。そのため、管理職や同僚と異なる意見を会議などで部下が表明しても自分にマイナスがないと自覚できること、つまり心理的安全性を持てることが大事です。さらに、管理職は、アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)を自覚することも大事です。「シニア人材は、新しい仕事に取り組む意欲が低い」、「女性は管理職に向かない」、「男性は子育てができない」などは、典型的なアンコンシャスバイアスです。こうした思い込みが合致する人材もいますが、大事なのはすべての人材に該当するわけではないということです。部下のシニア人材には、新しいことに取り組むことが苦手な人もいれば、そうではない人もいるわけで、その点をふまえた個別管理が大事になります。つまり、シニア人材も多様であるため、それぞれの希望や能力、適性を個別に評価して仕事を割り振るなどのマネジメントが大事になるのです。 D個人「内」多様性の推進を  最後に、多様な属性や考え方の人材を受け入れて、異なる考え方の人材が相互に交流しシナジー効果を発揮するためには、そうした多様な人材がさまざまな交流機会や議論の場に参加し、発言することが大事になります。しかし、多くの場合、同じような考え方の人材同士で集まることになり、異なる考え方の人材間での交流が生まれにくいことが知られています。この問題を解消するためには、個々人が自分のなかの価値観を多様化することが有効です。これが個人「内」多様性です。じつは、このための取組みはむずかしくなく、社外で仕事以外の役割をになうことで実現できます。その役割も、夫、父親、子どものPTAの役員、マンション組合の理事など多様なものがあります。仕事以外の役割があるにもかかわらず、その役割をこれまでになってこなかった人材が多いのが日本です。この点を解消することで、個人「内」多様性につながり、自分のなかの価値観の多様化に貢献し、これまでの自分と異なる考え方の人とも交流できるようになります。 3 おわりに  これまで説明してきたダイバーシティ経営を支える五つの柱の実現に取り組み、シニア人材を含めて、多様な人材が活躍できる経営を目ざしてください。 〈プロフィール〉さとう・ひろき 東京大学名誉教授。内閣府・男女共同参画会議など、政府の審議会委員を歴任。著書に『シリーズダイバーシティ経営 多様な人材のマネジメント』(共著、中央経済社)、『新しい人事労務管理 第7版』(共著、有斐閣)など。 ※1 詳しくは、佐藤博樹・武石(たけいし)恵美子(えみこ)・坂爪(さかづめ)洋美(ひろみ)『シリーズ ダイバーシティ経営 多様な人材のマネジメント』(2022年、中央経済社)をご覧ください ※2 詳しくは、佐藤博樹・松浦(まつうら)民恵(たみえ)・高見(たかみ)具広(ともひろ)『シリーズ ダイバーシティ経営 働き方改革の基本』(中央経済社)をご覧ください 図表1 経済産業省の新・ダイバーシティ経営企業100選による定義 「多様な人材(a)を活かし、その能力(b)が最大限発揮できる機会を提供することで、イノベーションを生み出し、価値創造につなげている経営」 (a)「多様な人材」=性別、年齢、人種や国籍、障がいの有無、性的指向、宗教・信条、価値観などの多様性だけでなく、キャリアや経験、働き方などの多様性も含む。 (b)「能力」=多様な人材それぞれの持つ潜在的な能力や特性なども含む。 ※経済産業省『平成27年度 新・ダイバーシティ経営企業100選ベストプラクティス集』より筆者作成 図表2 二つの働き方改革 狭義の働き方改革 広義の働き方改革 目的 長時間労働の解消 「働き方改革」を通じて、 @多様な人材が活躍できる職場とすること A安易な「残業依存体質」を解消し、結果として長時間労働を解消すること 手法 残業規制など 仕事や仕事の仕方、およびマネジメントの見直し →時間当たり生産性を意識する働き方へ 課題等 残業を削減することが目的になると、不払い残業の潜在化のリスクも 残業のない職場でも働き方改革は不可欠 ※筆者作成 【P11-14】 解説1 人事担当者のためのシニアの戦力化に向けた評価・処遇制度のポイント 株式会社新経営サービス 人事戦略研究所 マネージングコンサルタント 森中(もりなか)謙介(けんすけ) 1 シニアの期待役割を明確にすることから始める  本格的に70歳就業時代を迎え、社員の就業期間もますます延長傾向にあります。60歳で定年を迎え、その後再雇用となった社員の継続雇用期間も長くなってきており、65歳以上はもとより、70歳以上の社員が複数名在籍する企業も昨今では決して珍しくありません。  慢性的な人手不足が続き、人材採用も困難な状況であるなか、企業サイドとしては必然的に60歳以上のシニアに戦力として少しでも長く活躍してもらうことが不可欠となっています。  この点、シニアの活躍を引き出していくためには既存の評価・処遇制度の改善も重要な課題となってきますが、現実には大半の企業で十分な取組みが行えていません。一般的な「定年後再雇用」の枠組みを廃止し、定年延長まで踏み切ってシニアの処遇を引き上げる例なども少しずつ出てきていますが、まだまだ少数派であり、多くは「何から始めればよいかわからないため動けない」という足踏み状態といえます。  「シニアの戦力化」というとどうしても抽象的な議論になってしまうため、まずはその意味するところを具体化すること、もっといえば、「今後シニアに期待する役割を明確化していくこと」から着手していくことが、多くの企業にとって求められることになります。  シニアの期待役割に関してシンプルにとらえるならば、「現役時の役割を続行してもらう」、または「現役時とは異なる役割を果たしてもらう」という二つの方向に分かれます。どちらがシニアの戦力化に適しているかについては各企業の経営状況、組織状況によって当然異なりますが、いずれの方向を重視するかを決めることによって、評価・処遇制度に関する方針については格段に考えやすくなります。  仮に「現役時の役割を続行してもらう」ことを重視するのであれば、企業一般によく用いられている再雇用制度の枠組み(年収ベースでの大幅ダウン、評価もほとんど実施しない)ではシニアのモチベーションを維持し、戦力化を図ることはなかなかむずかしいでしょう。賃金水準自体も見直していく必要がありますし、場合によっては定年延長まで実施し、60歳以後も現役時代の人事制度がそのまま継続される仕組みとする方がシンプルで効果的な選択となることもありえます。  あるいは、「現役時とは異なる役割を果たしてもらう」という方向を重視するのであれば、シニアに具体的に何をしてもらうのか、ということについて全社的に再検討する必要があります。例えば、「技能伝承や後進育成の役割」、「管理職者の補佐的役割」などが考えられますが、一作業者としての継続勤務ではなく、シニア固有の役割をになってもらうことになるため、計画的な準備が求められることになります。  人事評価の基準についてもシニア固有の役割に沿って再設計することが必要になるでしょう。図表1をご覧ください。図表1は製造業の事例であり、定年後に再雇用を迎えたシニアに対する評価シートのサンプルです。定年前の現役時とは異なる期待役割が設定されており、「技術伝承」と「組織改善」を主テーマとした、目標設定型の人事評価を実施しています。対象となるシニアごとに異なる目標を設定しているため、対象者ごとに期待役割を伝えやすく、シニアの戦力化につなげやすい仕組みであるといえます。 2 シニアの期待役割に応じて賃金水準を再設定する  シニアの期待役割およびそれに準じた評価基準の再設定に加え、賃金水準の見直しも重要な課題となります。例えば「現役時の役割を続行する」ことによりシニアの戦力化を図るのであれば、従来的な再雇用制度のように、現役時より賃金を下げる仕組みではなく、「下がらない」仕組みにすることが有効な場合が出てくるでしょうし、そうした企業も徐々に増えてきています。例えば定年延長を同時に行うような場合は、その方が(賃金を下げない方が)むしろ自然であるともいえるでしょう。  一方で、「現役時とは異なる役割を期待する」ということであれば、必ずしも賃金を現役時の100%設定のままとする必要はなく、むしろ役割の性質に応じて複数の賃金設定が行える制度設計にしておく方が運用しやすいということもありえます。これらはどちらが正解というものではなく、各企業のシニア活用方針によっていずれの方法が適するか、ということを慎重に検討することが求められます。  また、シニア層の賃金水準について、企業全体の相場感を把握しておくことも重要になります。ここでは代表的な統計資料として、厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」からデータを紹介します。図表2をご覧ください。5歳刻みでの業種別年収データが記載されており、60歳以上のデータをシニアの賃金水準としてとらえれば、55〜59歳時のデータより共通して減額している様子がわかります。このことは大半の企業が60歳定年を採用しており、60歳以後は定年後再雇用により賃金が減額されていることの表れである、という理解をしていただいて構いません。  ここでは参考に2023年時と2013年時のデータを比較していますが、これを見ると、ここ10年で全体的に年収水準が引き上がってきていることに加えて、結果として60歳以後の賃金の減額率も抑えられてきている様子がうかがえます(例えば、「全産業」区分における55〜59歳時から60〜64歳時での減額率は、2013年時データでは30.3%だが、2023年時データでは23.4%)。  シニアの期待役割に応じた賃金設定を行うことを基本的な考え方とすべきことは従前に説明した通りですが、賃金相場の変化について適切に把握しておくこともまた重要です。自社におけるシニアの賃金水準との比較を定期的に行っていただき、必要があれば自社の賃金水準を再設定することにより対外的な賃金競争力を維持することができますし、シニア自身の賃金に対する納得感をより高めていくことにもつながると考えられます。 3 事例紹介―65歳への定年延長と70歳までの再雇用制度構築を同時に実施した例  従来型の再雇用制度の見直しに加え、近年では特に、60歳以上への定年延長あるいは65歳から70歳までの再雇用を含めて総合的に制度枠組みの検討を行いたい、という企業のニーズも増えてきています。そこで、ここでは実際に筆者がコンサルタントとして経験したシニア人事制度改定の企業事例(「65歳への定年延長」と「70歳までの再雇用制度」を同時に導入)を要約して解説します。  A社(仮)の人事制度は一般的な再雇用制度 を採用しており、定年前と同一労働であるにも かかわらず賃金水準は大幅に低下することと、 人事評価なども実施されないため、シニア層の モチベーションは高いとはいえない状態でし た。また、 65 歳以後の雇用に関しては対象社員 との個別契約において続けているものの、体系 的な人事制度は整っていませんでした。  上記のような組織・人事制度の状況をふまえ、同社では今後さらに高齢化が進展していくことの危機感から、シニア戦力化に向けた取組みの必要性を感じ、「65歳への定年延長」、「70歳までの再雇用」の人事制度枠組みを同時に取り入れる方針を決定しました。以下、それぞれの仕組みについて旧制度との比較をしながら概要を見ていくこととします(全体像は図表3参照)。 @65歳への定年延長  同社が定年延長を行うにあたって変更した点は以下の通りです。  まず、定年年齢は60歳から一気に65歳まで引き上げました。雇用体系は正規社員としての雇用(無期)が65歳まで単純に継続されることになります。職務・職責の内容は60歳時点と同様であり、役職者は役職を基本的に継続します。ただし、1年ごとの人事評価結果をふまえ、会社都合により役職が外れる場合もあることが制度上予定されている点は現行の再雇用制度との違いです。等級は60歳時点の等級を引き継ぎ、人事評価も当該等級の基準で行われます。ただし、60歳以後は等級の変更(昇格・降格など)は原則行われない点が特徴です。  次に、給与処遇に関しては、年収水準で60歳時点の70%水準とすることを基本方針として制度設計を行いました。基本給、賞与ともに現行の再雇用制度より増額となっており、諸手当に関しては60歳時点と同額の支給を継続することとし、年収水準では大幅に増額となります。  当然ながら総額人件費の上昇は大きく、短期的な業績に与える影響は少なくありませんでしたが、同社としては、シニア活用が想定通り進まなかった場合のリスクを抑制するための必要な投資と見込んで、シニア層の大幅処遇アップを決定しました。 A70歳までの再雇用制度  雇用年齢の上限は70歳となり、再雇用後の雇用体系は嘱託社員(非正規)となります。1年単位の契約更新であり、体調面や仕事のパフォーマンスが低調な場合には、更新を行わないこともあります(現行の高年齢者雇用安定法では70歳までの継続雇用制度の導入は「努力義務」であることを前提にしている)。  職務・職責の内容は、65歳時点から大きく変わるケースもありますが、変わらない場合も、業務量や責任の負担は必ず軽減することを前提に再雇用を行います。役職者は65歳を役職定年とし、原則として再雇用時に役職を外れることとなります。  賃金の仕組みに関しては以下の通りです。  基本給については65歳時点より一定割合が減額となりますが、生活給への配慮から下限を設けることとしています。諸手当に関しては65歳時点の支給項目はすべて引き継ぎますが、金額ベースで一定の減額がなされることとなります。賞与のベースは定額での支給となりますが、対象社員の仕事へのモチベーションに配慮して、現行の再雇用制度では行っていなかった人事評価を実施し、評価がよければ賞与を加算する仕組みとしました。 B新人事制度導入後の成果と課題  65歳への定年延長に加え、70歳までの再雇用についても人事制度上の構造がクリアになったことについて、同社の社員からは全般に好意的に受けとめられました。もっとも、今回の人事制度改革による総額人件費の上昇が業績に与える影響は少なくありません。同社としては、シニアの戦力化を通じてさらなる業績向上につなげていくためには、今回のように人事制度を改定しただけでは不十分であり、シニアの職務環境の整備(働きやすい職場づくり、あるいは能力の再開発など)を並行して行っていくことが欠かせないと認識しており、今後の課題として掲げています。 図表1 シニア固有の役割を設定した人事評価シート(例) 評価実施日 令和 年 月 日 シニア社員S2等級 対象期間 令和 年 月 日〜令和 年 月 日 氏名 所属 役職 一次評価者 二次評価者 テーマ 目標項目 (何を?) 達成基準 (いつまでに、どのレベルまで) 評価ポイント 評価 本人 一次 二次 素点 素点 素点 技術伝承 機械加工指導 加工頻度の高い、特殊品A,Bの加工が十分なレベルにできるよう、Aさんに指導する 5:期待を大きく下回る  10:期待をやや下回る 15:期待通り       20:期待をやや上回る 25:期待を大きく上回る 取引先の引継ぎ 4〜6月の間に、上得意先4社について、Bさんへの担当引継ぎをすべて完了させる 5:期待を大きく下回る  10:期待をやや下回る 15:期待通り       20:期待をやや上回る 25:期待を大きく上回る 組織改善 不良率の改善 特に不良率の高い製品Aについて、原因になりやすい工程を発見し、改善策を立案する 5:期待を大きく下回る  10:期待をやや下回る 15:期待通り       20:期待をやや上回る 25:期待を大きく上回る 挨拶の推進 若手社員に対して毎日声がけを行い、自発的な挨拶ができるようにする 5:期待を大きく下回る  10:期待をやや下回る 15:期待通り       20:期待をやや上回る 25:期待を大きく上回る 合計 ※筆者作成 図表2 シニアの賃金水準データ比較(2023年時と2013年時を例に) 【2023年時データ】 業種区分 年齢区分別平均年収(単位千円) 減額率(%)(1-b/a) 参考 減額率(%)(1-c/a) 55〜59歳(a) 60〜64歳(b) 65〜69歳(c) 全産業 5,736 4,394 23.4% 3,600 37.2% 製造業 5,951 4,134 30.5% 2,963 50.2% 建設業 6,711 5,276 21.4% 4,359 35.0% 卸売業、小売業 5,746 4,115 28.4% 3,681 35.9% 運輸業、郵便業 4,512 3,707 17.8% 3,035 32.7% 宿泊業、飲食サービス業 3,865 3,259 15.7% 2,805 27.4% 情報通信業 7,764 5,556 28.4% 3,737 51.9% ・データは社員数10人以上の企業(男女計・学歴計)を対象としたものを使用 ・平均年収は「所定内給与(時間外手当除く)×12+年間賞与」で算出 ※厚生労働省「賃金構造基本統計調査」(2023年)を基に筆者作成 【2013年時データ】 業種区分 年齢区分別平均年収(単位千円) 減額率(%)(1-b/a) 参考 減額率(%)(1-c/a) 55〜59歳(a) 60〜64歳(b) 65〜69歳(c) 全産業 5,228 3,642 30.3% 3,334 36.2% 製造業 5,318 3,363 36.8% 3,051 42.6% 建設業 5,598 3,829 31.6% 3,432 38.7% 卸売業、小売業 5,173 3,661 29.2% 3,145 39.2% 運輸業、郵便業 4,006 2,816 29.7% 2,431 39.3% 宿泊業、飲食サービス業 3,299 2,591 21.5% 2,301 30.3% 情報通信業 7,438 4,592 38.3% 4,055 45.5% ・データは社員数10人以上の企業(男女計・学歴計)を対象としたものを使用 ・平均年収は「所定内給与(時間外手当除く)×12+年間賞与」で算出 ※厚生労働省「賃金構造基本統計調査」(2013年)を基に筆者作成 図表3 A社におけるシニア人事制度改定の全体像 処遇区分 現行制度 新制度 再雇用 定年延長 再雇用 雇用体系 嘱託社員(非正規) 正社員(正規) 嘱託社員(非正規) 雇用契約 有期(60歳以後1年更新) 無期 有期(65歳以後1年更新) 雇用年齢上限 65歳 65歳 70歳 職務・職責 原則定年前と同様 旧定年前と同様 65歳時点より業務量・職責を軽減 等級 適用なし 旧定年前と同様(ただし変更なし) 適用なし 役職 継続可(ただし役職手当減) 旧定年前と同様(ただし1年更新) 65歳時点で外れる 人事評価 なし 旧定年前と同様 あり 基本給 定年時×60%水準 旧定年時×80%水準 新定年時×70%水準(下限有り) 昇給 なし なし なし 諸手当 なし 旧定年前と同様 新定年前と同様(一部減額あり) 賞与 なし 旧定年時×70%水準 定額支給+評価加算 ※筆者作成 【P15-18】 解説2 人事担当者のためのシニアが活き活き働ける柔軟で多様な勤務制度のポイント 株式会社新経営サービス 人事戦略研究所 マネージングコンサルタント 森中謙介 1 働き方に対するシニアのニーズを把握する  60歳以後に継続雇用を選択するシニアのなかには、働き方に対するさまざまなニーズがあることでしょう。例えば、引き続き定年前と同じ会社で働く場合でも、健康面での心配から仕事量を減らしたいと希望する人もいるでしょうし、あるいは積極的に副業・兼業などにチャレンジするため、フルタイム以外での働き方を希望するようなケースもよく聞かれるようになりました。今後、企業サイドとしては優秀なシニアに引き続き長く活躍してもらうために、柔軟で多様な勤務制度を構築していくことが求められることになります。  実際、企業で働く60歳以後のシニアの働き方とはどのようなものでしょうか。  はじめに図表1をご覧ください。日本労働組合総連合会(連合)が実施した2020(令和2)年の調査(「高齢者雇用に関する調査 2020」)によれば、フルタイムで働くシニアが最も割合としては多いという結果になっています(1日8時間勤務が42.0%、週5日勤務が54.5%)。一方で、フルタイム以外の働き方(短時間勤務または短日数勤務)をしているシニアも多く存在しており、実際にはシニアの働き方はかなり多様な状態になっている様子がうかがえます。  こうした傾向は年齢を重ねるごとに、より顕著になってきており、同調査において、「65歳以降、どのような働き方を希望するか」という問いにおいては、「現役時代と同じ会社で“正規以外”の雇用形態で働く」という回答が最も多くなっており(全体の42.4%)、「現役時代と同じ会社で正社員として働く」(全体の33.1%)という回答より多くなっています。また、現役時とは違う会社で働く、または会社員をやめてフリーランスとして働くといった、元々いた会社を離れるという選択をしているシニアも相当な割合存在している点も特徴的であり、シニアの働き方に対するニーズは多様化しています(図表2)。 2 シニアの役割に応じた柔軟で多様な勤務体系を整備する  解説1でも述べたように、シニアの戦力化を促進していくためにはシニアに対する期待役割を明確にしたうえで、役割に応じた評価・処遇制度を整備することが求められます。  一方で、年齢とともにシニア側にはさまざまな働き方に対する要望が出てきますので(健康面での心配、あるいは副業・兼業といった新しい働き方のニーズなど)、期待役割に沿ってシニアに活躍をしてもらううえでは、シニアの勤務体系を柔軟にしていくことも重要なテーマとなります。  企業としてはこうしたシニアのニーズをふまえてできるかぎり柔軟な勤務形態の整備を行うべきではありますが、かといってなんでもシニアの好きなように働き方を選べることとすれば、今後シニアの人数が増えていくほどスムーズな組織運営を阻害する可能性があります。そのため、基本的にはシニアの期待役割に応じて選択できる、標準となる勤務制度のパターンをいくつか設けておくことに加え、実際にはシニアの希望だけでそれらを選択できるのではなく、あくまで最終的な決定権は企業側が持っている、という状態にしておくことが制度運用上も望ましい姿であると考えられます。  例えば、図表3のような「コース別」の再雇用制度を考えます。定年後再雇用の場合、一般的には再雇用時に一律に処遇を決めていることが多いのに対し、図表3では再雇用後に果たすシニアの役割と能力などに応じて三つのコースを選択することが可能になります。もっとも、再雇用者の希望が必ず通るわけではなく、例えばA+コース(チャレンジコース)を選択する場合には相応の目標設定ができること、また実際に当該仕事に取り組める環境、対象者の意欲も重要になりますので、自ずと適用できる対象者は限定されることになります。ただ、当該コースがあることによって、シニアの意欲や仕事ぶりに応じて処遇にメリハリをつけることができるようになるため、シニアの戦力化を促進するうえでは効果的に機能することが期待できます。 3 勤務地限定の適用、交代勤務の免除など、シニアの多様な働き方のニーズに対応した事例  ここでは、定年延長にともなってシニアの多様な働き方のニーズに対応した企業事例を紹介します。  B社(仮)は製造業であり、全国に工場を有することから、正社員はいわゆる総合職として定期的な転勤がある勤務形態となっています。また、工場勤務では2交代制が採用されており、場合によっては夜間の緊急対応の呼び出しもあるなど、比較的業務負荷が高い仕事も存在しています。  B社の定年年齢はこれまで60歳であり、60歳以後は定年再雇用制度を採用していました。再雇用後は基本的にパートタイム労働が基本であり、社員ごとに差はありますが、基本は週4〜5日勤務、1日の労働時間は5〜7時間といった形で、正社員時代よりは全体に仕事の負担を下げた勤務形態としていました。  B社では近年社員の高齢化が進んでおり、慢性的な人手不足も相まって、シニアの戦力化を促進していくことが大きな課題となっていました。そこで60歳から65歳への定年延長を実施することとなり、基本的に60歳以上のシニアにもフルタイムで働いてもらうことを前提とした勤務制度改革を行うことになりましたが、その過程で、シニア側にも多様な働き方に対するニーズがあることが明らかになりました。 @勤務地限定に対するシニアの希望  現役時代は転居をともなう勤務地の変更(転勤)を行ってきたシニアのなかには、今後は生活拠点のある地域を本拠地とし、転勤のない働き方をしたいというニーズが一定数あることが明らかになりました。60歳以後は健康面の負担から転勤を望まないという声が元々多くあったことに加え、定年前の時点で自宅を離れて転勤をしていたシニアのなかには60歳を機会として自宅のある地元エリアにある工場に戻って働きたい、という希望も新たに出てきていました。そこで、60歳以後に関しては本人の選択により「勤務地を限定する」ことが可能な制度を設けることで、シニアのニーズに応えていくことにしました。  なお、「引き続き転勤があることを前提にしても構わない」というシニアも一定数いることから、そうした社員との間で不公平が生じないよう、勤務地限定を選んだ場合には基本給が10%減額になる、という賃金制度の見直しを行いました(図表4)。 A交替勤務や緊急呼び出しなど、負荷の高い業務をなくしたいシニアの希望  交代勤務や緊急呼び出しなどの業務に関して、頻度にもよりますが、やはりシニアのなかには体力的にも精神的にも厳しくなってきているという声が上がっていました。  60歳到達時からすぐであれば、59歳時と比べて急激に身体能力の低下をともなうことはさほど多くはないでしょうが、やはり長く働けば働くほど、負荷の高い業務を担当することがむずかしくなることは想像に難くありません。こうした高負荷の業務が免除される仕組みをつくることで、シニアも健康面に気をつけながら仕事をすることができますし、企業側としても事故につながるリスクを減らすことが可能になります。  なお、勤務地限定の場合と同様、基本給の10%が減額となります。また、勤務地限定+交替勤務免除を同時に選択した場合には、基本給の25%が減額になります(図表4)。同時に選択をする例はほとんどありませんが、諸々の限定がない社員との間で公平性を維持するためには必要な措置であるとB社では認識しています。 〈プロフィール〉もりなか・けんすけ 株式会社新経営サービス人事戦略研究所マネージングコンサルタント。人事制度構築・改善を中心としたコンサルティングで活躍中。著書に『人手不足を円満解決 現状分析から始めるシニア再雇用・定年延長』(第一法規)、『9割の会社が人事評価制度で失敗する理由』(あさ出版)など。 図表1 60歳以上社員の労働時間(1日あたり)、労働日数(1週間あたり)の調査 1日に何時間程度働いているか[数値入力形式] 対象:60歳以上の人 <平均> 全体:6.8時間 正規雇用者:8.0時間 正規雇用者以外:6.3時間 全体【n=400】 4時間未満 7.5% 4時間 6.8% 5時間 9.5% 6時間 10.0% 7時間 17.5% 8時間 42.0% 9時間 3.8% 10時間 2.8% 11時間以上 0.3% 1週間に何日程度働いているか[数値入力形式] 対象:60歳以上の人 <平均> 全体:4.5日 正規雇用者:4.9日 正規雇用者以外:4.3日 全体【n=400】 1〜2日 6.5% 3日 10.3% 4日 19.5% 5日 54.5% 6日 8.8% 7日 0.5% 出典:日本労働組合総連合会「高齢者雇用に関する調査 2020」 図表2 65歳以降の働き方に対する希望 65歳以降、どのような働き方を希望するか(または希望していたか)[複数回答形式] 対象:今後、65歳以降も働きたいと回答した人 全体【n=780】 現役時代と同じ会社(グループ含む)で正規以外の雇用形態で働く 42.4% 現役時代と同じ会社(グループ含む)で正社員として働く 33.1% 現役時代と異なる会社で正規以外の雇用形態で働く 21.2% 現役時代と異なる会社で正社員として働く 12.1% 会社をやめてフリーランスとして働く 12.1% 会社をやめて有償の社会貢献活動をする 6.9% 会社をやめて起業して働く 3.3% その他 0.5% 出典:日本労働組合総連合会「高齢者雇用に関する調査 2020」 図表3 コース別再雇用制度の考え方 A+コース (チャレンジコース) ■Aコース選択者のうち、フル日数フルタイム勤務者がチャレンジ目標を上乗せするコース ■その他の基本条件は、Aコースと同じ ■賞与時に、チャレンジ目標の評価結果は、成果に応じて加算反映される Aコース (標準コース) ■週4日以上かつ1日6時間以上の勤務コース(社会保険の被保険者資格要件を満たす範囲) ■主要業務は、通常は定年前の業務を継続するが、それにかぎらない(他部署への異動もあり得る) ■半期ごとに人事評価あり。評価結果はベース賞与に反映される Bコース (パートコース) ■週4日未満または1日6時間未満の勤務コース(社会保険の被保険者資格要件を満たさない範囲) ■業務内容は、再雇用契約時に取り決める ■人事評価なし、賞与なし ※筆者作成 図表4 定年延長にともなって、60歳以上のシニアに勤務形態の選択を認める例 旧定年(60歳) 勤務地制限なし 職務制限なし 新定年(65歳) 60〜65歳までの働き方 賃金体系 評価体系 定年延長 Aコース 旧定年前と同様 (現役社員同等) 旧定年前と同様 (=処遇維持) 旧定年前と同様(現役社員同等) 定年延長 Bコース 勤務地域の再選択可能 (以後は転居をともなう異動なし) 基本給10%減 定年延長 Cコース 夜勤免除+突発的な呼び出し等の当番・待機をともなう勤務体制に入らない 基本給10%減 B+C併用 B+Cの同時適用パターン 基本給25%減 ※筆者作成 【P19-22】 解説3 管理職のためのシニア人材マネジメントのポイント マンパワーグループ株式会社 シニアコンサルタント 難波(なんば)猛(たけし) 1 シニア人材を取り巻く厳しい環境  2021(令和3)年4月に「改正高年齢者雇用安定法」が施行され、70歳までの就業機会の確保が努力義務化されました。前例のない「長く働く時代」が訪れつつあります。  また、現代は前例のない「長く生きる時代」でもあります。厚生労働省の「令和4年簡易生命表(2023年7月28日公表)」では、日本人の平均寿命は男性81.05歳、女性87.09歳。国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(令和5年推計)〈2023年4月26日公表〉」では、2050年の平均寿命は男性84.45歳、女性90.50歳、「人生90年時代」が近づいています。  一方、2019年以降、早期・希望退職者を募る企業は増加傾向です。2018(平成30)年は12社4126人、2019年は35社1万1351人、2020年は93社1万8635人、2021年は84社1万5892人と、上場企業だけで3年連続1万人を超えています(東京商工リサーチ「2021年上場企業『早期・希望退職』募集状況」)。  「より長く働いてほしい」国、「人生も職業人生も長く続く」個人、「終身雇用的な人材マネジメントが厳しくなっている」企業、という入り組んだ状況下で、特に渦中にあるのが企業のなかで人数も多く処遇も高い50代以上のシニア層であり、そうした「年上部下」をマネジメントする「年下上司」です。 2 シニア人材が不活性化する「三つのズレ」  そうしたなか、人事コンサルタントとして相談が多いのが「シニア人材の不活性化」です(図表1)。  不活性化の原因はさまざまですが、「WILL−MUST−CAN」のフレームワークで本人と上司がギャップを確認すると解決策が見つかりやすくなります。 ・WILL…「やりたいこと」や「ありたい姿」など、本人の意思や欲求や価値観 ・MUST…「やるべきこと」や「周囲からの期待」など、周囲からの期待役割やニーズ ・CAN…「できること」や「得意なこと」など、本人の能力、スキル、強み  実際のキャリア研修やカウンセリングでは、本人に右記三つをそれぞれ円として図示してもらい、その重なり方や大きさによって、仕事に対するやる気・期待・能力といった「自分の状態」を把握してもらいます。  WILL−MUST−CANが大きくかつ重なっている人は、ハイパフォーマーとして活躍している場合が多いです。  「仕事にやりがいを感じていて、その仕事が周囲から期待されており、実際それを遂行する能力もある」という、理想的な状態です。  一方、ローパフォーマーはWILL−MUST−CANのいずれかが「小さい」、または「離れている」など、ズレが生じた状態になっていることが多いです(図表2)。  例えば、「能力はあるが仕事への積極的な姿勢が欠如している」場合はWILL、「やる気はあるが会社の戦略と合っていない」場合はMUST、「昔は通用していた仕事の進め方が時代に合わなくなっている」場合はCANが、ズレている可能性があります。  特にシニア人材のこうしたズレは、「長年同じ業務をやってきた」、「ベテランになり周囲からのフィードバックが減った」、「以前と求められる能力やビジネススタイルが変化した」、「会社の指示に長く従ってきたので自分のWILLを考える必要がなかった」、「定年が近く、出世や昇格の可能性が低い」などの背景があり、若手以上にズレが大きくなっている場合があります。  シニア人材マネジメントにおいて「WILL−MUST−CANがズレる理由」、「どうすればズレを改善できるのか」について、一つずつ解説します。 3 「WILL」の変化  普通は、入社初日からWILL(やる気や意欲)がない人はいません。  少なくとも、自分の意志で採用選考を受けに来て「御社で○○の仕事をしたい」、「こういう点に魅力を感じています」と入社したはずです。 ■本人側の原因…理想と現実のギャップ(自分が期待していた仕事、状態、成果、評価が得られないなど)。また、同じ仕事や職場が続くことでの飽き、心身の衰えや不調、人間関係、家庭問題なども、意欲が減退する原因になる場合があります。 ■会社側の原因…コミュニケーション不足(本人の志向を把握していない、本人が望まない仕事や役割を与えている、そもそも話自体をしていない、など)。 ■解決策…しっかり聴く。  動機づけを高めるには、「やるべき仕事」と「自分のやりたいこと」、「ありたい姿」がつながっていることが重要です。  若手には高頻度で話を聞いていても、ベテランには小まめなコミュニケーションができていない上司が見受けられます。「ベテランなので、やる気なんてあって当然」、「いまさら、やりたいことや希望をあらためて聴くのも違和感がある」という上司は存在します。  しかし、いかにベテランであっても、やる気を保つためには上司や周囲からのフィードバックや対話は不可欠です。  会社内で勤続年数や職位が上がると、周りからの承認機会や素直に自分の欲求や意志を吐き出す機会が減りがちなので、上司側が意識して本人のWILLを聴く機会を設けることも有効です。 4 「MUST」のズレ  シニア人材の場合、CAN(能力)以上にMUST(期待役割)がズレているケースが多数見られます。  MUSTがズレると、どんなに本人ががんばっても成果を出すことはできません。  本人はがんばっているつもりなので、会社や上司から評価されないと被害者意識や不満を持ちやすくなります。  経験や能力もあるはずなのに成果が出ない、やる気はあるが空回りするシニア人材の場合、本人側、会社側の双方に原因がある場合があります。 ■本人側の原因…期待の誤解(経営方針や事業戦略などの情報が古い。上司との確認不足など)。また、自分に都合よく期待を解釈する、自分の立場や雇用を守りたいという気持ちから、周囲の期待を「誤解」でなく「曲解」している場合もあります。 ■会社側の原因…説明不足(戦略や方向性の変化や最新情報を個に落とし込んでいない。期待する働き方や成果を明示していない)。確認不足(一方的な通知のみで本人の理解を確認していない)。 ■解決策…しっかり伝える。  「若手じゃないんだから、会社の期待はいわなくても理解しているはず(理解するべき)」という経営者や上司がいますが、いわなければ伝わりません。  期待役割を伝えていない、上司が言語化できていない場合、責任は本人ではなく上司や人事の怠慢です。  特に中期経営計画や事業構造改革や経営体制の変更などで、会社の戦略やビジネスモデルが大きく転換する際には、一方的な通達や動画メッセージだけでなく、対面で今後の期待役割を伝えたうえで、どう理解したか本人の口で言語化してもらいましょう。 5 CANの不足  CAN(能力やスキル)の不足は、一般的には新入社員や中途入社者、配置転換した社員に発生しますが、最近は技術の進展や戦略変更にともない、経験豊富なシニア人材でも能力的についていけないケースも増えています。  シニア人材が能力的に不足している場合、単にOJTなどの教育だけでは解決しない場合があります。 ■本人側の原因…「変化対応力」と「学習意欲」の減退。過去の成功体験が豊富なシニア人材ほど、変化や学習自体に抵抗感がある(面倒くさい、失敗が怖い、いままでのやり方に固執したい)場合があります。まずは「変化の必要性」、「変化しないことのリスク」、「学ぶ必要性」などを上司や人事が伝えていく必要があります。 ■会社側の原因…「注意指導の不足(成長してほしいこと、改善が必要なことなどを伝えていない)」があげられます。また、「能力開発機会の不足(ベテランには同じ仕事を何年も与える)」も、本人の学習意欲を低下させやすくなります。 ■解決策…しっかり観る。  社員の業務や言動を観察し、「スキルや働き方にギャップが生じてきたな」、「インプットやアウトプットが不足している」、「新しいことに抵抗感を示しているな」と感じたら、年上部下相手でも面倒くさがらずに話し合いましょう。  能力開発を考える際は、できるだけ「本人が興味を持っている領域」かつ「少し背伸びした挑戦機会(ストレッチゾーン)」を意識すると、心理学的には「フロー状態」という集中力や幸福感が高い状態をつくることができます。 6 「部下を変える」のではなく「ズレを一緒に解決する」  上記のように、シニア人材の不活性化は「本人が全面的にダメ」ということではなく「何かにギャップやズレが生じている」場合が多いので、本人が書いた「WILL−MUST−CAN」を基に話し合うことが効果的です。  ズレが生じる原因は、本人側に問題がある場合もあれば、会社側にある場合もあります。  「成果が出ないのは、本人の責任だ」と上司が一方的に決めつけると、建設的な問題解決につながりません。  シニア人材に対しては、長年会社を支えてくれたことへの感謝と敬意を持ちながら、発生しているズレを埋めていく姿勢が重要です。  本人と上司(または人事)が「お互いに改善できることがあるかもしれない。一緒に考えよう」と謙虚かつ真剣に対話する姿勢が大切です。そのうえで「どのような状態が理想的か」、「理想と何がズレているのか」、「どう解消するか」について、本人と上司で共有しながら検討し、人事が両者を支援する3者の連携が問題解決につながります。 7 問題解決に向けた人事施策  最後に「WILL−MUST−CAN」のズレを解決するための、人事施策と管理職支援を紹介します(図表3)。  自組織の風土との相性や最終的なゴールや目的を考えながら、取捨選択することをおすすめします。 〈プロフィール〉なんば・たけし マンパワーグループ株式会社シニアコンサルタント。研修講師、人事コンサルタントとして2000人以上のキャリア開発施策などにたずさわる。著書『ネガティブフィードバック 「言いにくいこと」を相手にきちんと伝える技術』(アスコム)や雑誌への寄稿実績など多数。 図表1 「シニア人材の不活性化」にまつわる企業の声 役職定年や定年後再雇用を境にモチベーションが落ちてしまう社員がいる 自律的に能力開発をしてほしいが、学習習慣が根づいていないベテランが多い ジョブ型雇用に切替えが進むなかで、自分の活躍領域を真剣に考えてほしいが、なかなか変化を受け止められない ギャップが生じているが、相手が年上なので遠慮してしまいうまく改善できない 本人はまじめにコツコツ働いているが、会社の方向性と合っていない リモートワークやDX(デジタルトランスフォーメーション)にうまく適応できない人材が発生している ※筆者作成 図表2 WILL-MUST-CANのフレーム(三つのズレ) 良い状態 期待されていること MUST やりたいこと WILL できること CAN 期待と志向・能力が合わない MUST CAN WILL やりたくないができている MUST WILL CAN やる気はあるが能力が足りない WILL MUST CAN ※筆者作成 図表3 シニア人材向け人事施策 1 考える機会をつくる ・キャリアデザイン研修(中長期のキャリアを考える) ・キャリアカウンセリング(社内外のキャリアカウンセラーと相談する) ・キャリア面談(業務や数字目標でなく、今後のキャリアプランについて話し合う) 2 ギャップやズレを話し合う ・1on1(短時間でも、高頻度で定期的に話す) ・PIP(3〜6カ月での業績改善プログラム) ・昇降格・昇降給の運用(期待と成果のギャップを解消する) 3 選択肢を用意する ・複線型人事制度(スペシャリスト/ゼネラリストを選択できる) ・ジョブ型雇用制度(自分の意志で専門性を追求する) ・社内公募制度(自分で社内キャリアを選択できる) ・社内副業制度(別部門の業務を経験できる) ・社内ベンチャー制度(新事業の立上げを経験できる) ・パラレルキャリア支援(副業・複業・ボランティア活動を認める) ・地域限定勤務制度/時短勤務(働く場所、日数、時間を選択できる) ・雇用契約でなく業務委託契約(業務内容や契約条件を選択できる) ・早期退職優遇制度/転身支援制度(雇用契約解消を選択できる) ・再就職支援(社外キャリアを形成できる) 4 管理職(年下上司)を支援する ・キャリア面談スキルトレーニング(年上部下との面談スキルを向上する) ・管理職同士によるワークショップ(お互いの悩みや現場での対応を共有する) ・管理職へのフォローアップ(人材マネジメントに関する個別相談に対応する) ・人事による面談(上司部下では言えない双方の意見を聴き、必要に応じて支援する) ・ミスマッチが生じている場合の配置転換(上司部下の関係性が毀損している場合) ※筆者作成 【P23-28】 解説4 ケーススタディ 年下管理職のための年上部下とのコミュニケーションのポイント 株式会社ヒューマンテック 代表 濱田(はまだ)秀彦(ひでひこ) ケース@ シニア社員とモチベーション  役職定年や定年後再雇用などにより、業務や職責の変更、新しい仕事への適応不足で、モチベーションが下がってしまうシニア社員は少なくありません。しかし、日々の仕事にモチベーションが低いまま臨んでいては、周囲の社員にネガティブな影響を与えてしまう可能性もあります。 モチベーション低下の要因は“明るい未来”が描けないこと  まずは、ありがちなうまくいかない1on1ミーティングでの会話パターンを見てみましょう。 (以下、「上司」は年下管理職、「部下」は年上部下とします) NGケース 上司 来期のチーム方針なのですが、業務効率化に向け、システム化を進めようと思っています。どうでしょうか。 部下 もう歳なんで、新しいことはちょっと。 上司 将来を見すえると、いまやっていかないとならないんです。 部下 私も先が長くないですし、若い人にがんばってもらって。 上司 メンバーの一員として、やっていただかないと困ります。 部下 いつまで会社にいるか、わかりませんし。 上司 ……。  このタイプの部下の特徴は、「将来」、「新しいこと」に対するネガティブな発言が目立つことです。その理由を探ってみましょう。  「将来」に対してネガティブなのは、拗(す)ねていることが大きな要因です。今後、自分自身が社内で輝ける未来がイメージできないため、「将来といわれても」という反応になりがちです。  また、「新しいこと」に関しては、長年やってきた慣れたやり方を変えることに対し、抵抗感があります。特にパソコン、スマートフォンといったデジタルツールを苦手とする傾向もあいまって、新しいことに拒絶反応を示しがちです。  放置すれば、未来に向けて進もうとするチームのムードに水を差す存在になりかねません。対策を考えましょう。  まずは、モチベーション向上の基本に立ち返ります。現代のビジネスパーソンは「アメとムチ」のような単純な方法では動機づけできません。現代のモチベーション要因は次の三つの実感です。 @自分の仕事は価値があるという実感 A自分は職場で価値ある存在という実感 B自分は成長できているという実感  これは、年上部下にかぎらず、すべてのビジネスパーソンにいえることです。ただ、年上部下はいずれの実感も持ちにくいもの。それを、こちらが与える必要があります。 シニア社員が“価値”を実感できるコミュニケーションを  このことをふまえて、先ほどのNG会話を改善してみましょう。 OKケース 上司 来期のチーム方針なのですが、業務効率化に向け、システム化を進めようと思っています。いかがでしょうか。 部下 もう歳なんで、新しいことはちょっと。 上司 なにをおっしゃいますか(笑)。○○さんには、まだまだ助けていただかないと。チームにかけがえのない存在です。 部下 いや、そんなことはないですよ。 上司 たしかに、新しいことを始めるわけですが、だからこそ○○さんの経験が必要なんです。 部下 私の経験なんか役に立ちますかね。 上司 大いに役立ちます。システム化の細かいことは、ほかのメンバーに担当してもらいます。○○さんには、ぜひお願いしたいことがあります。今回のプロジェクトのカギになる部分です。 部下 私にできることなら、やってみましょう。  いかがでしょうか。途中の年上部下のセリフは、さほど変わっていませんが、上司のセリフは改善されています。その結果、最終的な年上部下の姿勢は大きく変わりました。  ポイントになる点を順に見ていきましょう。  まずは、「もう歳なんで」というセリフに対する上司の反応から。そこは、イラッとせずに、「何をおっしゃいますか」と笑って流すのが得策です。会話がうまくいかない要因のひとつに、年上部下がよく使うセリフに対し、年下管理職が過剰反応してしまうことがあげられます。ここは、器の大きいところを見せましょう。  次に「チームにかけがえのない存在」や「○○さん(年上部下)の経験が必要」というセリフがポイントになります。これは、先にあげたモチベーションの要因A「自分は職場で価値ある存在という実感」を与えるものです。  そして、最後に年上部下に依頼することについて、「プロジェクトのカギになる部分」だといっています。これは、モチベーションの要因@「自分の仕事は価値があるという実感」を与えるものです。  このように、モチベーションの原則を軸に会話を進めていくことで、前向きな姿勢を引き出していくことができます。  また、途中「システム化の細かいことは、ほかのメンバーに担当してもらう」というコメントを入れています。相手が苦手としている部分について、逃げ道をつくっておき、前向きになれない障害を事前に取り除いておくわけです。  こういった会話の構成は、テーマが変わっても活用できます。うまくリードして、モチベーションを上げ、戦力として活躍をうながしていきましょう。 ケースA シニア社員と立場、役割の変化  役職定年や定年後再雇用などにより、モチベーションの下がるシニア社員がいる一方で、その変化を受け入れられず、役職を離れたあとも管理職のようにふるまってしまうシニア社員もいます。 立場の変化に対するマインドチェンジができていない  指示する側から、指示を受ける側に回ったにもかかわらず、管理職時代と同じような言動をする年上部下。年下管理職にとって、むずかしい存在です。  ありがちなうまくいかない1on1ミーティングでの会話パターンを見てみましょう。 NGケース 上司 例の顧客向けのクレーム報告書の件ですが。 部下 なに? 上司 「先月中に」とお願いしたはずなんですが、まだですか? 部下 聞いてないよ。 上司 いや、お伝えしたはずですが。 部下 はっきりいわないからいけないんだ。 上司 遅くとも今週中には完成していただかないと、先方との関係が悪化します。 部下 急にいわれてもなあ。忙しいんだよね。  このような発言に言葉づかい。話しているとストレスが溜まりそうです。そして、最も困るのは指示通りに動いてくれないこと。  まずは、原因を考えてみましょう。  このような発言、言葉づかいについては、新たな立場・役割を受け入れられていないことが要因です。特に管理職だったシニア社員は、役職定年になる際、「能力が落ちたわけではないのに、納得いかない」と、会社に対する不満を抱える傾向があります。会社の制度に納得がいっていないため、「立場が変わった」という根本的なマインドチェンジができず、それが言動に表れます。  指示通りに動かない、という点もそこに原因があります。「指示を受ける立場になった」ということが受け入れられずにいるわけです。しかし、指示通りに動いてくれないと仕事に支障が出ます。まずは、指示をどうするか、から考えましょう。  指示の前提となる、年上部下に対する基本姿勢のポイントは次の2点です。 @相手に対し人生の先輩として、敬意を示す。 A自分は管理職として役割を果たす。  この二つのポイントは、前者が「相手が上」、後者は「自分が上」という、相反する前提から成り立っています。相反する二つのことを両立させなければならないという点が年上部下対応のむずかしいところ。でも、それは可能です。 敬意と厳格さを持って「ゴール」と「やり方」を示す  @人生の先輩として敬意を示すについて。これは、大げさなことをしなくても伝えられます。例えば、一緒に昼食をとる際に、さっと上座をすすめる。じつは、筆者も年上部下世代。私たちの世代は、こういったささいなことで、敬意を感じ取るものです。一方の、A管理職として役割を果たす。これは、業務統制をきっちりやるということです。指示は、誤解のないようにピシっと出し、進捗管理も行います。  先のNG例は、すでに納期遅れになってしまっています。この段階で、どう会話を改善しても、結果が変わるわけではありません。そうなる前に、もとになる指示を改善する必要があります。  NG会話のもとになった当初の指示は以下のようなものでした。 NG指示 上司 この件の、顧客向けのクレーム報告書なんですが。 部下 なに? 上司 お忙しいと思うんですが、できれば今月中に作成していただけないでしょうか。 部下 むずかしいなあ。ほかに頼んでよ。 上司 そこをなんとか。 部下 しょうがないなあ。まあ、ちょっとやってみるよ。 上司 お願いします。  冒頭のNGケースは、このような曖昧な指示がもとで引き起こされたものでした。これを改善するためのポイントは次の二つです。 @ゴールを示す Aやり方を示す  これをふまえて指示を改善すると次のようになります。 OK指示 上司 この件の、顧客向けクレーム報告書についてお願いがあります。 部下 なに? 上司 ○○さん(年上部下)に作成をお願いします。今月中に完成させて私にください。作成にあたっては、一つだけ、お願いがあります。原因と再発防止策を明記してください。後はお任せします。 部下 オレがやるの? 上司 そうです。お願いします。  @ゴールを示すについて、「今月中に完成する」とはっきりと示しています。Aやり方を示すについては「原因と再発防止策の明記」とだけ伝えています。これは、年上部下に対する指示のコツです。やり方の自由度を広めに与えるということ。やり方を細かく指定すると、自由度が狭まります。そうなると、プライドが傷つき、指示を受け入れにくくなります。そのため、やり方については「一つだけ」、「後はお任せします」と広めに設定しています。  そして、こういった指示を出す際は、相手の目を見てはっきりといい切ることが大切です。ここで遠慮しては「管理職としての役割」が果たせません。きっぱりといい切ってください。  さらに、進捗管理も必要です。納期の前に、「○○さん。クレーム報告書、来週末が納期です。先方に持参する日程も月初で決まりましたので、お願いします」と念押ししておきます。  このように、明確な指示と進捗管理をセットで行うことで、仕事を確実に前に進めるようにし、冒頭のNG会話のようになってしまうことを防ぎます。  残る問題「発言」、「言葉づかい」については、解決に時間がかかります。本人の意識の問題なので、短期間に、他者からの働きかけで改善するのはむずかしいのです。こちらがやれることは、管理職としての自分を、仕事を通じて認めさせること。  道は二つあります。一つは、マネジメントのスキルを見せること。もう一つは、個々の業務でフォローしていくなかで、相手にスキルを見せること。相手が苦手としている業務、例えばパソコン関連の業務で相手が苦労しているとき、助けてあげることで「この分野では勝てない」と思わせます。  こうやって力を見せつつも、人生の先輩としての敬意を示し続け、少しずつ柔らかくしていきましょう。  相手の言葉づかいが、少しでもていねいになったら、認められた証。あなたの勝ちです。 ケースB シニア社員とコミュニケーション  職人気質で寡黙なシニア社員は少なくないようです。たしかな技術と豊富な経験があり、仕事面での周囲からの信頼は厚いものの、言葉が少なく、周囲をとまどわせてしまいます。  とにかく口数が少ないシニア社員。意見を求めても、明確な返事がなく、ミーティングで発言することもない。コミュニケーションがとりにくく、相手の意向がつかめない。年下管理職としては、マネジメントがしにくい相手です。  では、間もなく新年度を迎えるというタイミングでの1on1ミーティングの会話パターンを見てみましょう。 NGケース 上司 来年度の業務目標はどういったものにしようと思っていますか? 部下 ……。 上司 いま思うことで構わないのですが。 部下 ……。 上司 今期できなかったことを継続課題にしてもよいと思いますが、どうですか? 部下 ……。むずかしいですね。  これでは話が進みません。  まずは、こうなってしまう原因を考えましょう。このようなシニア社員は、「分析型」の人で、主張せず、思考的、慎重に考えるタイプです。  最大の特徴は、考えるのに時間がかかること。じつは、先の会話例でも、ただ黙っているだけではなく、頭の中は猛烈に回転しています。「来期の業務目標は」という質問に対し、「これはどうだろう」、「いやダメだ」という思考をくり返しているのです。  そうとは知らない上司は、しびれを切らして「いま思うことで構いません」と口を挟んでしまいました。すると、一回思考は中断し、再び考えをまとめるのに時間がかかります。そして、最後は考えをまとめることをあきらめ「むずかしいですね」といって終えてしまう。  さまざまな会話でこのようなことが起こります。そして、上司がアプローチを変えないかぎり、このパターンがくり返されます。  対策を考えましょう。  最も重要な点は、「考える時間を与える」ということです。このタイプの方は、即答が苦手です。即答させるような状況をつくると、沈黙の時間が長くなり、お互いに時間の無駄になってしまいます。それを避けるため、次の二つの方法のどちらかを選択します。 @予習させる A宿題にする  NGケースを基に考えてみましょう。@予習させるでいくならば、事前に「来期の業務目標をどのようなものにするか、来週末にお聞きしたいので、候補を三つほど考えておいてください」といっておく。  このタイプの相手は、考える時間があれば答えは出してきますので会話はスムーズになります。 A宿題にするでいくならば、次のような会話にします。 OKケース 上司 来年度の業務目標はどういったものにしようと思っていますか? 部下 ……。 上司 少し考えてもらって、後日お聞きしたほうがいいですか? 部下 そうですね。 上司 それでは、今週末にあらためてお聞きしますので、少し考えてみてください。 部下 わかりました。  @予習させる、A宿題にする、どちらでいくかは、両方試してみるとよいでしょう。  基本線は、このように時間を与える方向ですが、日常のすべての会話を、予習、宿題にあてはめるわけにはいきません。  日常会話での対策は、クローズ質問とオープン質問をうまく組み合わせることです。  私たちが普段している質問は、クローズ質問とオープン質問に分けられます。クローズ質問とは、答えがイエス・ノーになるなど、かぎられている質問です。一方のオープン質問は、相手が自由に答えられるものです。比べてみましょう。 クローズ質問での会話 上司 あの仕事、終わりましたか? 部下 いいえ、まだです。  このように、答えが「はい」か「いいえ」になるように、かぎられてしまう質問をクローズ質問といいます。 オープン質問での会話 上司 あの仕事、進み具合はどうですか? 部下 だいたい終わったのですが、まだ一部残っています。 (または) 部下 あと1日あれば終わると思います。  このように相手が自由に答えられるような質問をオープン質問といいます。  ちなみに、オープン質問の代表例は、5W1Hといわれるもの、「When(いつ)」、「Where(どこで)」、「Who(だれが)」、「What(何を)」、「Why(なぜ)」、「How(どのように)」です。  オープン質問のほうが相手から多くの意見や情報を引き出せますので、本来はオープン質問を使うほうがよいのです。  しかし、分析型はオープン質問に答えるのが苦手です。 NG例 上司 あの仕事、どうなっていますか? 部下 どう、といわれても……。  こうなってしまうのを避けるため、先にクローズ、その後にオープンという組み合わせにします。 OK例 上司 あの仕事、予定通り進んでいますか? 部下 いいえ。 上司 どのあたりで引っかかっていますか? 部下 お客さんからの返事待ちで。  「予定通り進んでいるか?」という、イエス・ノーでシンプルに答えられるクローズ質問を先に持ってきて、まずは発言してもらう。その後にオープン質問で深掘りしていくという作戦です。  口数が少ないシニア社員から、情報や意見を引き出せるようになったら、管理職の会話スキルはひとつ上のレベルに上がります。  まずは、「考える時間を与える」、「クローズからオープンに質問する」の二つから実践してみてください。 〈プロフィール〉はまだ・ひでひこ 株式会社ヒューマンテック代表。マネジメント・コミュニケーション研修の講師として活躍。『年上の部下をもったら読む本』(きずな出版)、『あなたが部下から求められているシリアスな50のこと』(実務教育出版)など著書多数。