第98回 高齢者に聞く生涯現役で働くとは  川口弘幸(84歳)さんは機械設計畑一筋に歩いてきた。時代の波を受けて苦労も多かったが、70歳で高齢者雇用に理解のある、いまの会社に出会った。以来、段ボール処理や場内清掃に汗を流す日々を送っている。そのときどきの仕事を天職ととらえる川口さんが、生涯現役の魅力を語る。 株式会社旭フーズ 場内整備作業員 川口(かわぐち)弘幸(ひろゆき)さん 機械設計が天職に  私は福岡県柳川(やながわ)市で生まれました。「水郷(すいごう)柳川(やながわ)」といわれ風情ある美しい町です。ウナギ料理でも有名で、私が子どものころは田んぼの水路にいるウナギを捕まえては町の料理店で買ってもらって小遣いを稼いだ記憶があります。家は農家で7人兄弟、家計はたいへんでしたから小学生のころから小遣い稼ぎをしては、自分でグローブなどを買っていました。終戦のときのこともよく覚えています。6歳でしたが、米軍が空からまいたビラの写真が目に焼きついています。  高校卒業まで郷里で過ごした後、大学受験を志して上京しました。生活のために、そのころ叔父が働いていた会社に入社したのですが、遊ぶことを覚えて少しも勉強せず、大学受験は遠ざかりました。ただどうしてもあきらめきれず同級生が大学を卒業する年に念願の大学生になりました。夜間大学の工学部機械科に入学と同時に機械の設計会社に入社しました。働きながら学ぶなかで機械設計の仕事は自分の天職だと思い、大学を卒業して2年後、有限会社を立ち上げて独立しました。幸い世界的なブランドである大手自動車会社の関連会社から外注設計の仕事をいただき、エンジンなど自動車部品の加工機械の設計に没頭しました。時代は高度成長期の真っただ中でおもしろいように注文がきました。機械畑一筋に歩いてこられたことに感謝しています。  「僕はちょっと妙に大人びたところのある子どもでした」と川口さん。ウナギを捕まえては小遣いを稼ぎ、米軍のビラを読んで敏感に何かを感じとった弘幸少年。生まれつきの記憶力のよさ、自立心の強さに磨きがかかった84歳は、ますます意気軒高である。 人生は山あり谷あり  得意先が大手でしたから、高度成長期以降も仕事は増え続け、順風満帆な日々でした。しかし、人生とは何が起こるかわかりません。2008(平成20)年9月、世界的な金融危機(リーマンショック)が起こります。このリーマンショックのあおりを受けて受注がピタリと止まりました。発注元の会社で働く人たちも設計の仕事がなくなるほどの危機のなか、2年ほどはアルバイトで食いつないでいましたが、69歳で思いきって休業することにしました。もう一度きちんと働きたいと、職業安定所(ハローワーク)を訪れる日々が始まりました。機械設計の仕事にこだわってはいませんでしたが、ほかの職種であってもとにかく仕事がありません。条件の多くが65歳までということでした。10社ほど応募して、あきらめかけていたときに、いまの会社の「株式会社旭フーズ」に出会いました。年齢制限がなく60代の人が多く働いていることを知り、すぐに面接していただきました。入社が決まったときは本当にうれしかったです。ただ、体力が必要な仕事に思え、まず2、3年間を目標に働かせてもらおうと思いました。  旭フーズは外食産業などに業務用食材を卸しており、広い敷地内で定期的に即売会を開催、地域とのつながりを大事にしている。高齢者が長く働ける仕組みが整備されており、「当社の定年は高齢社員の方が自らギブアップされたときです」と菊地(きくち)拓也(たくや)社長は笑顔で語る。 再び新たな天職に出会う  2、3年間働くつもりが、気がつけばいつの間にか15年が経ちました。長く働かせてもらい感謝しています。機械設計の仕事はいまでこそコンピュータですが、私たちのころは製図台の前に腰かけてドラフターで線を引いていました。座りっぱなしの仕事で、頭は使うけれど体を動かすことはありません。一方、ここでの仕事はおもに段ボールを処理して場内整備を行うことです。物流センターでは全国各地の仕入れ先から届けられた食材を取引先の企業向けに仕分けし、毎日取引先の業者に向けて発送しています。食材が入っていた段ボールがたくさん出ますから、その段ボール処理が私の仕事です。  働き始めたころは手作業でしたが、途中で大型の段ボール圧縮機が導入されました。高齢者を年齢制限なく雇用している会社は、つねに働く人の負担を減らす機械化に配慮してくれています。自動仕分け機も導入したことから作業効率が上がり、排出される段ボールも増えました。これまでは複数の人がつきっきりで対応していましたが、外国製の大型圧縮機が導入され、いまは私一人で作業をしています。圧縮機は、箱のまま大量の段ボールを投入してシャッターを下ろせば圧縮できるという優れものですが、機械の構造上の欠点が目につくのは設計屋の職業病なのかもしれません。作業しながらついつい「修正すればもっと使い勝手がよくなるなあ」と、そんなことばかり考えてしまいますから困ったものです。  段ボールの処理のほかに発泡スチロールを小さくつぶして機械で処理するのも私の仕事です。また、商品を運ぶパレットの洗浄も担当していますが、一つひとつの工程が機械化されているので、機械に慣れている私にとっては本当に働きやすい職場です。機械設計は天職だと思って生きてきましたが、いまやっている仕事もまた天職だと思うようになりました。  旭フーズは2020(令和2)年に埼玉県の「シニア活躍推進宣言企業 生涯現役実践企業(三ツ星企業)」の認定を受けるなど高齢社員を大切にする風土がある。段ボール大型圧縮機は2台目を購入し、高齢社員の負担の軽減を図っており一人で作業する川口さんの様子を見るために製造元が海外から取材に来たという。 働き続けられることこそよろこび  私はここへ入社してから本当に健康になりました。長く働くつもりがなかったのは、設計の仕事に心が残っていたことと、体を動かさないで仕事をしてきましたから、肉体労働に不安があったのかもしれません。しかし、1年ほど経ったとき、私はずっとここで働きたいと思うようになりました。年齢に合った体の動かし方ができることでみるみる健康になっていったからです。私はもともと食が細かったのですが、食欲も出て、年齢のわりにはよく食べるようになりました。  現在の勤務形態は週5日で会社の始業時間である8時には私も出勤します。コロナ禍以降は退社時間が少し早くなり14時ごろには帰っています。  私は友人や後輩に会うたび、「仕事は引退してはいけない」といい続けています。元気に働き続けられることこそが人間の本当のよろこびだと思うからです。これからも周りの人に感謝を忘れず、私を待っている機械の前に元気に立ち続けたいと思います。