いまさら聞けない人事用語辞典 株式会社グローセンパートナー 執行役員・ディレクター 吉岡利之 第21回「戦略人事」 第22回「セルフ・キャリアドック」 第23回「サクセッションプラン」 第24回「福利厚生」 第25回「ダイバーシティ」 第26回「早期退職・希望退職」 第27回「社外取締役」 第28回「労働組合」 第29回「社員教育」 第30回「終身雇用」 第21回 「戦略人事」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は戦略人事について取り上げます。1990年代にアメリカの経済学者であるデイビッド・ウルリッチ教授が『MBAの人材戦略』という書籍のなかで提唱した考えで、戦略的人的資源管理ともいいます。提唱されてから30年ほどの歴史がありますが、人事部門の方が聞いたことがあるくらいの一般に浸透しているとはいいがたい用語だと思います。しかし近年、再度着目されているため、本稿で取り上げることとしました。 戦略人事とは何か  戦略人事の解説に入る前に、いまさらながら経営戦略とは何かについてみていきたいと思います。こちらは毎日のように目にするくらい浸透していて、インターネットなどで探してみると、さまざまな定義が出てきますが、筆者は「企業が継続・成長という目的を達成するための基本的な方針」と整理しています。この経営戦略に基づいて、3年から5年後の企業の成長の姿や実施すべき施策をまとめた中期経営計画やそれを1年ごとに分解した年度計画が策定され、従業員が日々取り組むべき具体的な実行策や行動に落とし込まれていきます。逆にみると、日々の事業活動を通して達成すべきものが経営戦略ともいえます。  さて、前振りが長くなりましたが、戦略人事に戻りたいと思います。戦略人事とは、経営戦略を実現するために人事面から深くかかわり、推進していくことをさしています。例えば、計画をいくら立てても、実行に移す人材が不足していると計画は実現できません。そこで実現に向けて必要なスキル・能力や人員数を定め、活躍をうながす組織や労働条件、働き方を整備する必要が出てきます。戦略人事ではこれらのことを従来の方策やルールの延長線ではなく、人事部門が経営者や現場からのニーズをふまえながら、最適な施策を意思をもって企画し推進していくことが求められています。  戦略人事を行うためには、次の四つの機能が必要といわれています。 ・HRビジネスパートナー(HRBP)…経営陣や事業活動を推進する部門の責任者のパートナーとして人事面からサポートする機能 ・センター・オブ・エクセレンス(CoE)…人事に関する高度な専門的知識・知見をもとに制度設計や人事施策の企画を行う機能 ・組織開発・人材開発(OD&TD)…組織や従業員のパフォーマンスを向上させる取組みを牽引する機能 ・オペレーションズ(OPs)…給与支払いや労務管理、入退社手続きなどの実務を正確かつ効率的に処理する機能 戦略人事の再注目の背景と取組み  本稿の冒頭で、戦略人事が再度着目されていると述べました。これには近年の社会環境の変化が関係しています。日本を取り巻く大きな環境変化として、企業のグローバル化の進展、事業環境のスピードの加速化、少子高齢化があげられます。多くの企業にとって、これらの環境変化に対応することが必要不可欠であり、人事面での対応も迫られています。ここからは各々の環境変化に対する戦略人事の取組み例についてみていきたいと思います。  まずはグローバル化の進展ですが、海外企業を買収したり海外拠点を設立する企業はかなりの数に上っています。従来は各国の拠点の事情に即した人事制度で運用し、日本企業から幹部を派遣して運営することが一般的でした。しかし、マーケットが広くなればなるほど競争優位性を保つためには、国籍を問わず優秀な人材を幹部登用していくことが必要となります。その実現を図るために有効な施策として重視されているのが、全拠点統一の人事制度を導入し、共通の基準で人材を抜擢・育成する仕組みの導入です。海外拠点の従業員が日本本社の幹部や社長に抜擢される事例も出てきており、今後もこの流れは強まっていくことが想定されます。  次に事業環境のスピードの加速化ですが、日本企業における従来の人事部門の役割の多くは先にあげたオペレーションズ≠ナした。労務・給与・採用の実行チームはあるものの企画をする機能はなく、経営で決まったことを粛々と実行する人事部門も多くみられました。しかし、これではどうしてもスピード感に欠けることと事業の実態に合わないことがあります。そこで、オペレーション機能を集約や外注することで施策を企画できる時間と人材を増やし、現場のニーズを満たすために有効な組織編成や人材配置などを立案、経営陣に提言することを人事部門のおもな役割として再定義する動きがあります。CHRO(最高人事責任者)という役員相当の人事全般を掌握するポストを設け、社長の補佐として機能させている会社もあります。  最後に少子高齢化ですが、企業にとって深刻な課題となっています。労働力人口が減少する前であれば、事業の拡大や欠員に対して採用すればこと足りました。しかし、現在は募集しても人が集まらないという状況が通常になっています。そこで、近年は少ない人手のなかで生産性を高めながら業務を遂行する方向に多くの企業が舵を切り始めています。多くの人手を要した定型作業は自動化し、従業員はより専門的で難易度の高い業務の遂行にシフトしていきます。人事部門には少ない人材で事業運営が可能となるために必要なスキルの洗い出しと保有する人材の採用や教育、人材配置などを企画し推進することが強く求められ始めています。 高齢者雇用と戦略人事  高齢者雇用も戦略人事のテーマの一つといえます。従来は法令遵守を主な目的として継続雇用し定型業務をメインに従事させていた福祉的雇用から、シニア人材の熟練技能や知見を最大限に活かして重要な役割や高度な業務に従事することで計画達成の貴重な戦力とする戦略的雇用に考えが切り替わりつつあります。継続雇用から定年延長への切替えや65歳超の人材の雇用についても、政府が推進しているから=A他社がやっているから≠セけではなかなか検討が進まない部分がありますが、自社の経営戦略達成に向けたシニア人材の活躍が必要不可欠かどうかの認識が固まれば、方向性はおのずと定まってくるのではないでしょうか。  次回は「セルフキャリアドック」について取り上げます。 第22回 「セルフ・キャリアドック」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回はセルフ・キャリアドックについて取り上げます。この用語をインターネットで検索すると厚生労働省による特設サイトや資料が多く表示され、普及に関して力が入れられていることがわかります。一方で、現状ではあまり普及しているとはいいがたい制度でもあります。企業内で導入・実践していくとメリットが期待できる仕組みでもありますので、概略を解説していきたいと思います。 セルフ・キャリアドックの定義と意義  セルフ・キャリアドックに関する資料のなかで全体像が把握でき、具体的な事例や導入に際して役立つフォーマットが掲載されているものに「『セルフ・キャリアドック』導入の方針と展開」(厚生労働省)という冊子があります。そこではセルフ・キャリアドックについて「企業がその人材育成ビジョン・方針に基づき、キャリアコンサルティング面談と多様なキャリア研修などを組み合わせて、体系的・定期的に従業員の支援を実施し、従業員の主体的なキャリア形成を促進・支援する総合的な取組み、また、そのための企業内の『仕組み』」と定義づけています。まとめると、従業員が主体的にキャリアについて考えることを企業が支援する仕組みともいえます。  ここで、個人の課題であるキャリア形成について、なぜ国や企業が促進・支援していかなければならないのかという疑問が生じるかもしれません。そこで意義を理解するために、導入の背景について触れていきます。  セルフ・キャリアドックについて提言されたのは、第2次安倍内閣における成長戦略をまとめた「日本再興戦略改訂2015」のなかです。ここでは、変化の激しい環境に対応するために、一人ひとりが持てる能力をプロとして最大限発揮することが求められ、そのためには自らのキャリアについて立ち止まって考える「気づきの機会」が必要と提言されています。日本再興戦略2016のなかではその具体策として、セルフ・キャリアドックの導入・推進について述べられています。  連動する形で、2016(平成28)年4月1日施行の改正職業能力開発促進法の第10条の3第1号において、業務の遂行に必要な技能およびこれに関する知識の内容および程度その他の事項に関し、情報の提供、キャリアコンサルティングの機会の確保その他の援助を行うことが事業主に求められるようになりました。これらにより、セルフ・キャリアドックは従業員・事業主の双方が実施に努めるものとして規定されることになりました。 セルフ・キャリアドックの実施内容  国が掲げる目的は理解できたとしても、従業員や企業にとっての導入のメリットがないと導入は進みません。厚生労働省の資料では、次の四つの対象者と期待効果を提示しています。 @新卒採用者…仕事の向き合い方やキャリアパスの明示などを通じて、職場への定着や仕事の意欲が高まる。 A育児・介護休業者…仕事と家庭の両立にかかわる不安の解消や課題解決を支援し、職場復帰を円滑に行う。 B中堅社員…職業人生の後半戦に向けて、キャリアを再構成しモチベーションの維持・向上を図る。 Cシニア社員…これまでのキャリアの棚卸しをし、目標を再設定することで、シニア期の充実した職業・人生の設計を行う。  具体的にセルフ・キャリアドックでは何を行うのでしょうか。大きくは三つの実施事項があります。一つめは、多くの従業員にキャリア形成の重要性を理解し、自身のキャリアの棚卸しやキャリア目標・アクションプランを作成するきっかけとなるキャリア研修を集合形式で実施します。二つめは、従業員とキャリアコンサルタントが一対一で面談するキャリアコンサルティングを実施します。ここでは、自身の働き方で大切にしていることや企業から求められる役割や責任を確認したうえで、各々にあったキャリアビジョンや行動計画をつくりこんでいきます。三つめはフォローアップです。守秘義務のある個別の内容は除き、キャリアコンサルティング対象者全体のキャリア意識の傾向や組織的な課題がキャリアコンサルタントから事業主へと報告されます。その解決を図るとともによりよい仕組みにしていくために継続的な改善を行います。より具体的な進め方については、図表をご参照ください。 セルフ・キャリアドックの普及はこれから  セルフ・キャリアドックの普及状況については、2020(令和2)年度「能力開発基本調査」(厚生労働省)が参考となります。このなかにキャリアコンサルティングを行う仕組みの導入状況が設問としてありますが、キャリアコンサルティングを行う仕組みがない企業は61.4%にのぼっています。キャリアコンサルティングを行っていない理由のなかで最も多いのは、「労働者からの希望がない」が正社員で48.2%、ほか着目すべき理由として「労働者がキャリアに関する相談をする時間を確保するのが難しい」が25.0%となっています。この結果は、キャリア形成の必要性に関する国と企業・従業員との意識のギャップがまだまだ大きいことを示しています。今後、環境変化はさらに加速化し、職業人生が長期化するなか、自身のキャリアに関する考えにその都度修正が求められていくのは想像にかたくありません。仕組みよりもまずは、セルフ・キャリアドックの意義や必要性をより浸透させていくことが課題と考えられます。  次回は「サクセッションプラン」について取り上げます。 図表 セルフ・キャリアドックの標準的プロセス 1 人材育成ビジョン・方針の明確化 @経営者のコミットメント A人材育成ビジョン・方針の策定 B社内への周知 2 セルフ・キャリアドック実施計画の策定 @実施計画の策定 A必要なツールの整備 Bプロセスの整備 3 企業内インフラの整備 @責任者等の決定 A社内規定の整備 Bキャリアコンサルタントの育成・確保 C情報共有化のルール D社内の意識醸成 4 セルフ・キャリアドックの実施 @対象従業員向けセミナー(説明会)の実施 Aキャリア研修 Bキャリアコンサルティング面談を通した支援の実施 C振り返り 5 フォローアップ @セルフ・キャリアドックの結果の報告 A個々の対象従業員に係るフォローアップ B組織的な改善措置の実施 Cセルフ・キャリアドックの継続的改善 出典:『「セルフ・キャリアドック」導入の方針と展開』(厚生労働省)p.7 第23回 「サクセッションプラン」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回はサクセッションプランについて取り上げます。サクセッションプランとは、一言でいうと「後継者育成に向けた計画」をさします。  企業経営の前提に、将来にわたり継続していくこと(ゴーイングコンサーン)があるように、経営者も従業員も次世代を育成し、引き継いでいく必要があります。このことをふまえるとあたり前の取組みなのですが、実態としてはなかなか実践されているとはいいがたい状況にあります。 サクセッションプランの本丸は経営者育成  後継者の育成であるかぎり、サクセッションプランの対象は経営者・従業員の双方にあてはまりますが、特に近年はコーポレートガバナンス・コード(CGC)との関係で経営者の育成をさすことが多いです。コーポレートガバナンスとは、東京証券取引所の説明によると「会社が、株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場をふまえたうえで、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組み」を意味しており、コードは「実効的なコーポレートガバナンスの実現に資する主要な原則を取りまとめたもの」とされています。上場企業においては、その原則を実践≠ワたは実践しない場合には説明≠キることが求められています。CGCは五つの基本原則と原則(基本原則を具体化したもの)、補充原則(原則を行動レベルまで詳細化したもの)に分かれていますが、この基本原則4の補充原則のなかで最高経営責任者(CEO)等の後継者育成について十分な時間と資源をかけて計画的に行われるようにと触れられています。  CGCは2015(平成27)年に策定され、もともと最高経営責任者などの後継者計画については記載があったのですが、十分に機能していないという指摘も多く、2018年には、より具体的な取組みをうながす内容に改訂されました。 サクセッションプランの実践状況  それでは、どのくらいの会社が本腰を入れてサクセッションプランに取り組んでいるかというと、あまり芳しくない状況といえそうです。日本の社長・CEOの指名方法としてよくいわれるのは、現社長・CEOが次の後継者を指名するというものです。現任者の意向が強く反映され、後継者としての資質がある者が本当に選ばれているかわからない、退任後も影響を及ぼしやすい院政≠敷きやすいなどの指摘が一般的にもよくみられます。これを裏づける調査結果があります。  『コーポレートガバナンスに関するアンケート調査結果(2018年版)』(経済産業省委託PwCあらた有限責任監査法人調査)のなかに、次の質問と回答があります。%は最も多い回答比率をあげています。 問14:社長・CEOの再任についての決定を最も左右する主体とは 回答:社長・CEO自身(39%) 問29:次期社長・CEOの選定に関し、候補者の選出から決定までのプロセスとは 回答:現社長・CEO等が単一の候補者を選定し、取締役会で審議・決定(22%) 問30:サクセッションプランの有無とは 回答:後継者の計画が存在しない(48%) 問35:サクセッションプランを作成していない理由とは 回答:後継者については社長・CEO等の経営陣の意向が尊重されるため(56%)  本調査のごく一部の要約となりますが、これらをみるだけでもサクセッションプランの実施については消極的な姿勢がうかがえます。経営者本人に後継者育成の課題感がないと、ほかの役員や人事部門からはとてもではないが提案しにくく、導入が進まないというのが実際のところのようです。 サクセッションプランの取組み  このような状況に対し、経済産業省が2018年に改訂した『コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針』によると、企業の持続的な成長と中期的な企業価値の向上には、経営トップを、もっとも優れた後継者にベストなタイミングで経営トップの交代が必要であり、現行の後継者の現社長・CEOによる属人的な選定は、現在の変化の激しい経営環境のなかでは適切な後継者指名が行われないリスクが高いとして、サクセッションプランの必要性について強く説いています。  一方で、新たに後継者計画に取り組む企業にとって、最初からフルスペックで仕組みを構築することは困難として、七つのステップ(図表)を参考にできるところから一歩ずつ取り組んでいくように記載されています。また、サクセッションプランの導入における重要な取りかかりとなるのは、どのような後継者を育成していくのかという「あるべき社長・CEO像」の可視化ですが、本資料に社長・CEOに求められる資質・能力の一例が掲載されています。このほか各ステップの進め方や取組み例について具体的に記載されているため、サクセッションプランにこれから取り組もうという企業には参考になるかと思います。  日本の企業でもグローバル化の進展にともない、日本人以外でも優秀な社員を経営陣に抜擢する動きも増えてきています。社内の内輪の理論だけで経営者を選出していては、環境変化やグローバル化へのかじ取りがますますむずかしくなっていくのは明白です。取組みを進めるために、まずは後継者を育成し、最適な人材を選抜していくことの重要性をいかに現在の経営者に醸成していくかがポイントになりそうです。 ☆☆  次回は、「福利厚生」について取り上げます。 図表 後継者計画の策定・運用のステップ ステップ 主な内容 1 後継者計画のロードマップの立案 2 「あるべき社長・CEO像」と評価基準の策定 3 後継者候補の選出 4 育成計画の策定・実施 5 後継者候補の評価、絞込み・入替え 6 最終候補者に対する評価と後継者の指名 7 指名後のサポート 出典:コーポレートガバナンスに関する実務指針(経済産業省) 第24回 「福利厚生」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は福利厚生について取り上げます。基本中の基本用語ですが、あらためて概要や背景、実施状況などをみていきたいと思います。 福利厚生は大きく二つに分類される  福利厚生を一言でまとめたもので筆者がもっともわかりやすいと思ったのが、「企業が、労働力の確保・定着、勤労意欲・能率の向上などの効果を期待して、従業員とその家族に対して提供する各種の施策・制度」という説明です(出典『デジタル大辞泉』小学館)。福利厚生は、企業が費用を負担することを法律で義務づけられている法定福利厚生と、企業が任意で実施する法定外福利厚生に分かれます。  まずは法定福利厚生ですが、こちらは項目が決まっています。 @健康保険…傷病の治療などに対して、従業員の費用負担を軽減するための制度。 A厚生年金保険…日本国内に住んでいる満20歳以上60歳未満全員が加入する国民年金に上乗せして支給される年金。 B介護保険…高齢者の介護を社会全体で支え合うための保険。 C雇用保険…失業した際の生活を支え、再就職などに向けた支援をするための保険。 D労災保険…労働者の業務上または通勤による傷病などに対して必要な給付を行う制度。 E子ども・子育て拠出金…国や自治体が実施する子育て支援のための拠出金。  @ABは企業と従業員で折半、Cは企業と従業員で一定割合を負担、DEは企業が全額負担となっています。  次に法定外福利厚生です。こちらは企業の任意なので実施有無や内容は企業ごとに異なりますが、いくつかに区分されます。2020(令和2)年12月に一般社団法人日本経済団体連合会(以下、「経団連」)が公表した『福利厚生費調査結果報告』が従業員一人一カ月あたりの福利厚生費用平均の内訳を記載していて状況を把握しやすいため、紹介したいと思います(※カッコ内は全産業の平均。代表的なものを金額の高い順に列記)。 ・住宅関連…社宅や持ち家援助(1万1639円) ・ライフサポート…給食、財産形成、ファミリーサポート等(5505円) ・医療・健康…医療・保健施設運営、ヘルスケアサポート(3187円) ・文化・体育・レクリエーション…施設・運営、活動への補助(2069円) ・慶弔関係…慶弔金、法定超の付加給付(514円)  なお、従業員への法定外福利厚生の提供方法ですが、企業がパッケージで施策やサービスを提供する方法と、外部業者などと連携して、従業員にさまざまなメニューを提供し、従業員は一定の補助金のなかで自由に選択できるカフェテリアプランという方法に分かれます。 福利厚生の実施状況とその背景  経団連の報告書で気になるグラフがあるので紹介します(図表)。福利厚生費の推移を示したものですが、法定福利費が右肩上がりとなっています。これは急速な少子高齢化により一人あたりの健康保険や厚生年金保険などの負担が上がっていることによるものです。余談ですが、ここ何年も日本の給与額が上がっても手取りが増えないといわれています。この法定福利費の増大がその大きな要因となっています。  法定外福利費は抑制傾向であることがグラフからみて取れます。2019年度での福利厚生費に占める法定外福利費の比率は22.2%に過ぎません。報告書には先の福利厚生項目別の経年推移が載っていますが、住宅やライフサポート関連はおおよそ減少傾向にあります。一方で着目したいのが医療・健康の項目については増加傾向にある点です。独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)が2017(平成29)年に行った『企業における福利厚生施策の実態に関する調査』でも、今後充実させたい施策については、メンタルヘルス相談や治療と仕事の両立支援、人間ドック受診の補助が上位にあげられています。本連載の健康経営の回(2021年6月号)でも触れましたが、従業員の高齢化や人手不足が進むなかで、従業員の健康の維持・向上が会社の生産性や業績に好影響を与えると企業側が判断していることがみて取れます。  この点については、高度経済成長期やいわゆるバブル経済期などを通し全国から人材を集めるにあたり、特に低賃金の若年層の給与補填的な施策や生活施設の提供などを通して、人材獲得における競争力や社員の定着力の向上のために法定外福利厚生を充実させてきました。しかしながら、1990年代後半以降の経済の悪化にともなう人員過剰感を理由に法定外福利厚生は削減の方向で見直されることとなります。  このように法定外福利厚生は経済状況や人手不足・過剰感に密接に連動しています。コンサルティングの現場で筆者が感じることとしては、近年は属人的になりがちな法定外福利厚生を削減し、仕事や成果による給与や賞与を底上げしていくケースと、法定外福利厚生を充実させ社員のモチベーション向上、採用競争力の強化をすすめるケースに分かれつつあることです。特に従来は中小企業は法定外福利厚生に力を入れていない傾向がありましたが、今後の中小企業の人手不足解消の解決策の一つになることは想像に難くありません。  次回は「ダイバーシティ」について取り上げます。 図表 福利厚生費の推移 法定福利費の対現金給与総額比率(右軸) 法定外福利費の対現金給与総額比率(右軸) 法定福利費 法定外福利費 2019年度 法定 84,392円 法定外 24,125円 出典:『福利厚生費調査結果報告』2020年12月18日・一般社団法人日本経済団体連合会 第25回 「ダイバーシティ」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回はダイバーシティについて取り上げます。用語としては広く浸透しており企業経営に大きくかかわるものでもあります。本稿では、定義や企業経営における位置づけ、取組み状況に焦点をあてて解説していきます。 ダイバーシティは企業経営における重要戦略≠ナある  ダイバーシティとはアメリカを発祥とする用語で、日本語では「多様性」と直訳されます。企業とのかかわりを示すものとしてわかりやすいのが、日本におけるダイバーシティの普及のきっかけをつくったといわれる「日経連ダイバーシティ・ワーク・ルール研究会」報告書(2002〈平成14〉年)の定義です。ここでは、「ダイバーシティとは『多様な人材を活かす戦略』である。従来の企業内や社会におけるスタンダードにとらわれず、多様な属性(性別、年齢、国籍など)や価値・発想をとり入れることで、ビジネス環境の変化に迅速かつ柔軟に対応し、企業の成長と個人のしあわせにつなげようとする戦略」としています。  報告書でも指摘されていますが、20世紀半ばの高度経済成長期に代表されるように経営環境が安定し、経済が右肩上がりに成長していた時代には、従来の日本人・男性を主な対象とした終身雇用・年功序列を中心とした画一的な人員構成や価値・発想が日本企業の成長に有効とされていました。しかし、高度経済成長期の終焉から現在にかけては、本連載でも何度も取り上げている少子高齢化により雇用の対象を日本人・男性に絞り込むと立ち行かない、加速化する市場や生産のグローバル化に対して日本人の価値観や手法だけでは対応できない、高まる人権意識のなかで属性による処遇の差別は許されなくなっているといった課題が年を経るごとにますます大きくなっています。画一的な人員構成では解決できないこれらの課題に対し、企業の構成員を多様化し、個々人が持つさまざまな発想や能力を尊重して活かすことで、戦略的に対応していくことが企業におけるダイバーシティといえます。 多様性の対象範囲は広い  それでは「多様性」とは一般的にどのようなことが想定されているのでしょうか。いろいろな分類がありますが、ここでは「個人属性」、「価値観・働き方」の二つの切り口でみていきます。報告書で指摘されている従来の日本人・男性・画一的な価値・発想との対比でイメージするとわかりやすいと思います。 @個人属性…女性の活躍や管理職・役員登用、若年層・高年齢者を含めた年齢にとらわれない雇用と活躍、外国人人材の受入れなどがあげられます。また、障害のある人やLGBT(性的マイノリティ)に対する理解と配慮をもった職場環境の構築も重要です。 A価値観・働き方…異なる意見の受容や尊重、さまざまな経験や能力をもった人材の雇用や適材適所、仕事と生活のバランスに配慮したワークライフバランスなどがあげられます。また、ここには本人の価値観や生活状況に基づく、限定された時間や職務への従事や、副業の推進など働き方の多様化も含まれます。  これらの多様性を推進していくためには、属性別の雇用や管理職比率の目標値を設けたうえで具体的なアクションを定めたり、終身雇用・年功序列の人事制度からパフォーマンスや職務を重視した制度への転換、残業規制・有給休暇消化の推進、属性にとらわれない福利厚生の導入などルールや仕組みの面での整備が必要です。しかし、その前提となるのは多様性を認め合い受容する(インクルージョン)ことといわれています。いくら多様性を促進したとしても、互いの理解がなければ職場における対立が生まれ、企業・組織の成長どころか生産性を落とすことにつながりかねません。多様性と受容を包括して対応することが重要であることから、ダイバーシティ&インクルージョン(Dive rsity and Inclusion)とセットで呼ぶこともあります。 日本における実施状況  冒頭で述べたように用語としては浸透していますし、重要性についても理解も深まっているように思えます。しかし、現時点での実現度については一般的には疑問視されています。統計からみて取れますが、わかりやすい指標としてあげられるのが、女性の管理職・取締役比率の低さです。図表を参照すると一目瞭然ですが、欧米諸国と比較すると女性の就業比率はほぼ同等のなか、管理職比率は14.8%と顕著に低い状態にあります。取締役会における女性取締役の比率についても、トップのフランス44.6%に対して、日本は11.0%と同一の比較対象国のなかでもっとも低い位置にあります(成長戦略会議〈第10回〉配付資料 2021〈令和3〉年)。また同資料では外国人取締役の割合にも触れていますが、トップのドイツ30.0%に対して日本は4.0%とこちらも日本の低さが際立っています。このほか、国における男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数について日本の順位は156カ国中120位と先進国のなかで最低レベル、アジア諸国のなかで韓国や中国、ASEAN諸国より低い結果と指摘されている(世界経済フォーラム「ジェンダー・ギャップ指数2021」)など、国際比較するうえで日本の後れを示す統計が多々出てくるといった状況です。今後、日本企業がダイバーシティをより強く意識して推進していかなければならないのは間違いなさそうです。  次回は、「早期退職・希望退職」について取り上げます。 図表 管理職の女性割合の国際比較(2019年) 米国 就業者の女性割合 47.0% 管理職の女性割合 40.7% 英国 就業者の女性割合 47.3% 管理職の女性割合 36.8% フランス 就業者の女性割合 48.5% 管理職の女性割合 34.6% ドイツ 就業者の女性割合 46.6% 管理職の女性割合 29.4% 日本 就業者の女性割合 44.5% 管理職の女性割合 14.8% (注)日本は総務省「労働力調査(基本集計)」、諸外国はILO"ILO STAT"における「管理的職業従事者」の女性割合 (出所)内閣府『男女共同参画白書 令和2年版』(2020年7月公表)を基に作成。 出典:「成長戦略会議(第10回)配付資料」内閣官房成長戦略会議事務局 第26回 「早期退職・希望退職」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、早期退職・希望退職について取り上げます。ここ2〜3年、新聞などのマスメディアを通して見る機会が多くなった用語だと思います。 早期退職と希望退職の違いは期間限定≠ゥどうか  早期退職と希望退職はセットで表記されることが多い用語で、両者とも「定められている定年年齢よりも前に退職する際に優遇≠キる」ことを目的とした制度です。しかし両者には大きな違いがあります。希望退職から説明したほうがわかりやすいですが、これは定められた期間内に社員が退職を申し込んだ場合に優遇される制度です。一方で、早期退職は条件を満たした社員はいつでも申し込め、優遇される制度です。要は、希望退職は期間限定≠ナ運用される制度、早期退職は恒常的≠ノ運用される制度であり、時間軸の違いが両者の違いとなります。このため、希望退職は期間限定で申込者を集めるために募集人数を提示し、満たさなければ二次募集などを行うのに対して、早期退職は特に応募人数を定めずに、応募者の条件にあえば受けつけるといった運用が多くみられます。  次に優遇≠ニはどのようなものかみていきましょう。これらの制度がある企業に最も多く設けられているのが、退職金の特別加算措置です。これは通常の退職金に上乗せした金額を支給するものです。割増退職金や退職加算金と呼ばれることもあります。一般的に年収の1年分程度が加算されるイメージが持たれていますが、希望退職応募者の一人あたりの加算金の平均額の平均年収に対する割合は全産業・規模計平均で1.02倍(『労政時報』 第4014号 労務行政研究所 2021年5月)と同等の結果となっています。  このほかの優遇措置としては、再就職支援があげられます。転職を支援する企業のサービスの活用や転職先の紹介、転職活動に向けた早退の許可や特別休暇の付与、教育訓練の補助などが含まれます。 近年の動向と実施の背景  次に、近年の動向についてみていきます。図表は主な上場企業の早期・希望退職者を募集した企業数と募集人数の経年推移を示したものです(東京商工リサーチ 2022年1月20日発表)。全期間では2009(平成21)年、近年では2020(令和2)年・2021年の数が増えています。早期退職・希望退職は別名で人員削減やリストラと呼ばれるように、企業の業績が悪化した際に人件費抑制のために実施されるととらえられがちです。たしかに、2009年はリーマンショックによる各社の業績悪化に対応して実施するケースが多かったのですが、近年の実施目的は、より複雑化しています。 @新型コロナウイルスによる業績悪化への対応  アパレル・繊維業や観光・飲食業等に代表されるように、2020年以降本格化した新型コロナウイルスは多くの企業に業績の悪化をもたらしました。これらに対応するため、特に希望退職によって一定期間で社員数と人件費を減らし、業績改善につなげていくことを目的としています。 A組織の若返りに向けた対応  社員数のボリュームゾーンが中高年齢層である企業のなかには組織が硬直化する、新規取組みへの対応が遅れる、人件費が高年齢層に集中し若年層の給与が上がらないといった事象が発生することがあります。そこで、中高年社員に次のキャリアについて社外での活躍を見すえ制度を活用してもらう一方で、若年層の採用や処遇改善による定着を行うことを目的としています。 B事業や業務の見直しに向けた対応  経営環境の変化に対応するために、既存事業を縮小・撤退し、新規事業に経営資源を配分し直すことに取り組む企業や、生産性の向上や将来の人手不足を見すえてデジタル化による人の手を介さない業務を推進する企業が増えています。これら既存の事業や業務に従事していた社員の新たな事業・業務の受け持ちがむずかしい場合は、社外に活躍の場をみつけてもらうことを目的としています。  特徴的なのは、業績好調時でも早期退職・希望退職を実施する企業が多いことです。東京商工リサーチの調べでは、2021年に早期退職・希望退職を募集した企業のうち直近本決算が黒字の企業が44%にのぼり、早期退職・希望退職の目的がもはや業績悪化への対応にとどまらないことを示しています。黒字企業の多くはAやBのような目的で早期退職・希望退職の制度を実施しており、今後もこの流れは継続するといわれています。 運用に関する留意点  最後に、早期退職・希望退職の運用の留意点について触れていきます。留意点としてよくあげられるのは、優秀人材の流出です。多くの企業では、応募してきた社員を企業が承諾することで制度を活用できるとしています。制度上は特定の人材の引き留めは可能ということになりますが、実務上は恣意的に認めないことも限界があり、場合によっては応募者とのトラブルになります。また、特に希望退職のケースでは、応募人数を満たすために社員に対して退職勧奨をすることがあります。退職を勧める≠アと自体は可能とされていますが、何度も短期間で面談をくり返したり、応じない社員を意図せぬ業務に従事させたりすると退職強要と受け取られ、労務問題に発展することがあります。退職という人生の一大事にかかわる制度ですので、導入・運用に際しては弁護士などのアドバイスを受けながら進めていくことが望まれます。  次回は「社外取締役」について取り上げます。 図表  主な上場企業における早期・希望退職者の募集状況 2009年 191社 22,950人 2010年 85社 12,223人 2011年 58社 8,623人 2012年 63社 17,705人 2013年 54社 10,782人 2014年 32社 8,852人 2015年 32社 9,966人 2016年 18社 5,785人 2017年 25社 3,087人 2018年 12社 4,126人 2019年 35社 11,351人 2020年 93社 18,635人 2021年 84社 15,892人 ※募集人数で募集枠を設けていないケースは応募人数をカウントした。 ※資料は「会社情報に関する適時開示資料」などに基づく。 出典:東京商工リサーチ「2021年上場企業『早期・希望退職』実施状況」 第27回 「社外取締役」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、社外取締役について取り上げます。この用語自体は、本連載の第16回(2021〈令和3〉年9月号)※1で触れていますが、本稿でより深く解説していきたいと思います。 社外取締役は自社にとって利害関係のない役員  社外取締役は、読んで字の通りで社外から選任した取締役のことをさします。この「社外」が何をさすかについては、会社法※2第二条で定められています。就任の10年前から現在まで当該株式会社または子会社の業務執行取締役等でないこと、親会社等の取締役等や使用人ではないこと、兄弟会社の業務執行取締役等ではないこと、当該会社の取締役等の配偶者または二親等以内の親族でないことなどです。加えて、証券取引所の定める独立性基準を満たす社外取締役(一般株主と利益相反が生じる恐れのない者)は、独立社外取締役と呼ばれます。いきなりむずかしい用語が並びましたが、ここでは「社外」の要件は厳格で、当該会社とは可能なかぎり利害関係がない社外の人材から選任した取締役であることを押さえておけばよいと思います。  それでは、なぜ利害関係がない取締役の存在が必要なのでしょうか。日本においては、1990年代までの多くの企業では、会社の業務執行に関する決議を行う取締役会が社内から昇格してきた社員中心で占められており、企業経営における監視機能がなく、不祥事や経営者の誤った判断を招いた事例が多発したことが背景にあります。従業員時代の上司・部下の関係を維持したまま役員に登用されるため、社長が客観的には誤った判断や行為をしていたとしても、ほかの取締役は指摘しづらい一方で、そのような関係性がない取締役がいれば諌止(かんし)することが期待できるからです。 社外取締役の役割は監督と助言  経済産業省がまとめた「社外取締役の在り方に関する実務指針」(令和2年7月)にも「社外取締役の最も重要な役割は、経営の監督である」と記載されています。その役割の中核として、経営陣(特に、社長・CEO※3)の評価や指名・再任・報酬の決定をあげており、必要な場合には社長・CEOの交代を主導するよう求めています。このため、取締役や社長の選任や役員報酬の金額は身内でお手盛りで決める≠ェ一般的でしたが、近年は取締役の選任や解任を審議し候補者を決定する指名委員会や、役員報酬のルールを決定し、役員個人別の報酬額および決定に至るプロセスの妥当性を検証する報酬委員会の議長や参加者を社外取締役がになうことが一般的になっています。  もう一つの重要な役割として、上場企業に対して適切な企業経営のための監視・統制の原則をまとめたコーポレートガバナンス・コードの原則4―7の「経営の方針や経営改善について、自らの知見に基づき、会社の持続的な成長を促し中長期的な企業価値の向上を図る、との観点からの助言を行うこと」があります。同一の社内しか経験がない人材のみで企業経営を行うと、従来からのしがらみや成功体験、価値観から逃れられず、経営環境の変化が加速化しているなかで事業や組織風土の変革が進まないという課題は現在では広く認知されています。そこで、いままでに自社にはない経験や知見をもった多様な人材を選任し、かつては煙たがられたともいわれている社外取締役の発言を積極的にうながしている企業は増えています。社外取締役の発言の場は取締役会や指名委員会等の公式な場が一般的ですが、非公式な議論の場を設け社内取締役と社外取締役の意見交換を増やしている会社も出てきています。 社外取締役はメジャー≠ネ存在  かつて社外取締役はマイナーな存在≠ナした。日本取締役協会が発表した「上場企業のコーポレート・ガバナンス調査」(2021年8月)によると、2004(平成16)年では東証一部上場企業のうち、社外取締役をまったく選任していない企業は69.75%でしたが、2021年には0.05%しかありません。また、同調査によると、取締役会のうち過半数を社外取締役が占める企業は10.3%、3分の1が68.7%に上っています。経年でみると、毎年社外取締役が占める割合が増えています。このことから社外取締役は少なくとも上場企業にとっては、いまやメジャーな存在≠ニいえます。  法律やコンプライアンスの面からも社外取締役の設置を企業側にうながしています。例えば、会社法では、2021年に上場企業等の一定の条件を満たす会社に社外取締役の設置を義務づけています。また、コーポレートガバナンス・コードでは、原則4―8「独立社外取締役の有効な活用」でプライム市場上場会社では少なくとも3分の1、そのほかの市場の上場会社では2名以上選任すべきと定められています。このような背景もあり、社外取締役の延べ人数は毎年かなりの伸びを示しています(図表)。  従来、日本の社外取締役は企業経営の監督という役割から、学者や弁護士が多いといわれていましたが、近年は社外取締役に企業の中長期的な成長に向けた助言を求める企業が増えていることから、他社の経営幹部や高度な事業の実績があるビジネス人材の需要が高まっています。このような要件に合う人材が無尽蔵にいるわけではないため、一人の元企業経営者が何社もの社外取締役を兼任するのは珍しくなく、今後、社外取締役人材の獲得競争が激しくなっていくことが想定されています。  次回は、「労働組合」について取り上げます。 ※1 当機構ホームページでご覧になれます https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/202109.html ※2 会社法……会社の設立や運営について定めた法律。2006年施行 ※3 CEO……最高経営責任者 図表 社外取締役/独立社外取締役述べ人数(東証1部) 2021年 社外取締役405 独立社外取締役6,925 2020年 社外取締役448 独立社外取締役6,285 2019年 社外取締役432 独立社外取締役5,717 2018年 社外取締役463 独立社外取締役5,174 2017年 社外取締役476 独立社外取締役4,723 2016年 社外取締役477 独立社外取締役4,271 2015年 社外取締役618 独立社外取締役2,970 2014年 社外取締役702 独立社外取締役1,760 2013年 社外取締役688 独立社外取締役1,349 2012年 社外取締役681 独立社外取締役1,103 2011年 社外取締役657 独立社外取締役1,019 2010年 社外取締役568 独立社外取締役1,013 2009年 社外取締役509 独立社外取締役1,043 2008年 社外取締役1,515 2007年 社外取締役1,480 2006年 社外取締役1,296 2005年 社外取締役1,164 2004年 社外取締役918 2004年〜2006年 有価証券報告書に基づく2次データ、2007年以降 東証コーポレート・ガバナンス情報サービスを利用して作成。毎年8月1日に集計。 出典:日本取締役協会「上場企業のコーポレート・ガバナンス調査」2021年8月 第28回 「労働組合」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、「労働組合」について取り上げます。知らない方はいないくらいメジャーな用語ですが、ポイントを絞って解説していきます。 労働組合は法律で定められた組織  労働組合(略称、労組)を理解するためには労働三権について触れる必要があります。労働三権とは、@労働者が労働組合を結成する権利(団結権)、A労働者が使用者(会社)と交渉する権利(団体交渉権)、B労働者が要求実現のために団体で行動する権利(団体行動権〈争議権〉)という労働者の三つの権利をさしています※。この権利は日本国憲法第28条で定められ、その実現にあたり労働組合法により労働組合の役割や権利、実行する能力等(権能)が詳細に定められています。労働組合の定義は、労働組合法で「労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう」と定められています。  労働組合が有する権能で一番大きなものに労働協約の締結があります。労働協約とは使用者と労働組合の間で交わされる労働条件に関する約束のことをいいます。労働協約の効力はかなり強く、労働協約に反する労働条件の提示や遂行は法的には無効となります。この労働協約を結ぶにあたり、使用者に組合員を代表して労働条件の改善に向けた要求を伝え交渉をする権利(団体交渉権)や、要求が通らない場合に組合員をまとめて抗議行動する権利(団体行動権)も認められています。団体交渉権の行使でもっとも有名なものは春闘(しゅんとう)です。多くの会社の賃上げや労働条件の改定が行われるのが4月であるため、その前の2月あたりに労働組合より改善について要求、3月中には交渉を経て妥結という一連の流れが春に行われることから春闘といわれています。また、団体行動権の行使でよく聞くものとしてスト≠ェあげられます。これは、仕事をしないで団体で抗議することが認められたストライキ権のことをさしています。なお、組合が交渉を要求した際に使用者が拒否をすることは不当労働行為として正当な理由なくできないとされています。このように労働組合の権能は大きく、労働者のだれもが有する労働三権について団体として行動することで、これらの権利を効果的・効率的に推進していくのが労働組合ということが理解できます。 労働組合にはさまざまな種類がある  大きな役割や権能を有する労働組合ですが労働者が主体的・自主的に結成するものなので、労働者が複数人集えば行政機関の届出等なしに自由に結成できるとされています。このため労働組合の有無は会社によって異なりますし、一つの会社に一つの組合という制限があるわけでもありません。かつてある航空会社が経営危機に陥った際に組合が八つ程度あり、交渉に時間がかかると話題になったことがありました(現在は四組合に再編)。  日本の場合、労働組合の結成単位のほとんどが会社単位であり、企業別組合が年功序列・終身雇用と並び日本の企業の特徴と呼ばれることもあります。しかし、欧米では産業別組合が主要であり、このほか、職種別や地域別といった組合もあり、その形態はさまざまです。例えば日本でも社外の労働者が集まって結成する組合があり、合同労組と呼ばれたりします。企業内組合では加入対象外になることが多い管理監督者やいわゆる非正規労働者、会社に労働組合がない労働者が組合員となるケースがあります。このような社外の労働組合であっても団体交渉を要求された場合には、使用者は応じる必要があるとされています。  さて、日本の労働組合の大多数を占める企業別組合ですが、活動は同一組織内だけで完結するわけではありません。これらは単位組織と呼ばれ、同じ業種の単位組織が集まってつくられた産業別組織、さらに産業別組織が集まったナショナル・センターという全国中央組織に加盟している場合もあります。ナショナル・センターは複数ありますが、最大の組織は日本労働組合総連合会(連合)です。単位組織だけではむずかしい春闘の主導や政策提言、政府への要請活動などの役割をになう団体です。 労働組合の組織率や組合員数は低下傾向  最後に労働組合の動向について触れていきたいと思います。図表を参照すると、雇用者数(労働者数)は増加傾向にある一方で、雇用者数に占める労働組合員数の割合である推定組織率は低下傾向にあることがみてとれます。最盛期には55%を超えていたという組織率が、直近の2021(令和3)年には16.9%にまで落ち込んでいます。また、図表にはありませんが同調査で2017(平成29)年では24465組合あったものが、2021年には23392組合と組合数自体も減っています。このような状況を背景に、従来は正社員中心で構成していた労働組合も加入対象の範囲を広げようとしていますが、同調査のパートタイム労働者の組織率は2017年7.9%のところ、2021年8.4%と増加しているもののなかなか加入が進んでいないのが実態です。働き方や価値観が多様化しているなかで、労働者個人が望んでいることを統一の要求として集約していくことがむずかしく、労働者として組合に加入するメリットが少ないとの意見もあり、今後の組織率の上昇は困難な課題といえそうです。  次回は、「社員教育」について取り上げます。 ※@ABは厚生労働省ホームページ「労働組合」より引用 図表 雇用者数、労働組合員数及び推定組織率の推移(単一労働組合) ピーク時(平成6年)労働組合員数12,699千人 出典:令和3年労働組合基礎調査の概況(厚生労働省) 第29回 「社員教育」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は社員教育について取り上げます。用語解説するには、いまさら感の強い用語ではありますが、高齢者の就業確保を考えるうえで注目されているテーマでもありますので、ここで解説しておきたいと思います。 社員教育の実施方法は多岐にわたる  社員教育とは、従業員のスキル・能力の向上や成長のために企業が教育を実施する、または学ぶ機会を提供することです。まずはわかりやすく実施方法からみていきましょう。 @OJT(On the Job Training)…職場の上司や先輩が部下や後輩に対し、具体的な仕事の実践を通じて教育することです。特に新入社員に対しては近い年次の先輩をOJTリーダーに任命して、仕事の指導に加え相談役としての役割をになわせることで、新入社員のみならずOJTリーダーの育成にもつなげているケースがよくみられます。 AOFF―JT(Off the Job Training)…仕事場を離れて、研修やセミナーなどを通して知識の付与や考え方を教育することです。受講生が一堂に集まり講師と対面して学ぶ集合研修や、オンラインで動画を視聴することで学ぶeラーニングが代表的な手段といえます。 B自己啓発支援…社員の自主的な自己啓発活動に対し、時間面、経済面での援助や手段の提供などを行うことです。企業が支援する公的または民間資格の取得や研修のコンテンツの項目や手段を指定し、その条件に合致する取組みを社員自らが行った場合に支援されるものです。 Cキャリア開発支援…職務や関連する活動による経験を通して、継続的にスキルや能力の向上を図る支援をすることです。計画的に部署や職務を変更することを通して、経験や能力の幅を広げ、適性を見極めるジョブローテーションもこれに含まれます。 D内省支援…自分自身の心の動きや、自分自身が経験したことを客観的にふり返り、新たな行動へつなげる機会やきっかけを設けることです。業務に関する取組みや行動について、上司から本人に伝えるフィードバック面談が代表的ですが、短いサイクルで実施し、より対話や本人の自主性を重視した1 on 1(ワン・オン・ワン)ミーティングも実施する企業が増えています。  この五つは各々別々に実施するのではなく、OJTとキャリア開発支援、内省支援を一体として行うなど、体系立てて行うことでより一層大きな効果が期待できるといわれています。 社員教育の意義は大きい  社員教育の意義としてよくあげられるのは、主に次の三つです。 ・業務に必要な知識やスキルの習得による労働生産性※1の向上 ・社員のモチベーションの維持・向上 ・環境変化への対応力の強化  企業としては労働生産性の向上やモチベーションの維持・向上に関心を持つ傾向がありますが、多くの企業が費用をかけてまで実施するほど重要視しているかは疑問です。厚生労働省の「能力開発基本調査(令和3年度)」の企業調査をみても、OFF―JTまたは自己啓発支援の両方に支出した企業は19.7%の一方で、いずれにも支出しない企業は49.0%に上り、同調査のOFF―JTに支出した費用の労働者一人あたり年間平均額(図表)は1・2万円、自己啓発支援では0・3万円となんとも寂しい状況にあります。また、景況悪化によって最初に減らされるのが社員教育費といわれる通り、図表の一人あたり平均額でみると、2008年のリーマンショックや新型コロナウイルスの影響が色濃い時期には平均額が低下しています。  一方、政府は労働生産性の向上と、環境変化対応の強化面から、社員教育の意義について重要視しています。内閣府が発行している『経済白書(年次経済財政報告)』(平成30年)の第2章第2節に「人生100年時代の人材育成」というパートを設けています。このなかで、企業における教育の効果として「平均的には一人あたり人的資本投資※2額1%の増加は、0.6%程度労働生産性を増加させる可能性が示唆される」と数値的に示すことで積極的に教育投資することへの有効性について説いています。また、技術革新という環境変化に対応していくために、技術革新をになうための情報処理・通信にたずさわるIT人材の育成、技術革新に代替されることが困難な能力獲得、リカレント(学び直し)教育の重要性について述べています。  リカレント教育は最近メディア等でもみかけ、高齢者の就業確保とも関係の深い用語であるため、触れておきたいと思います。リカレント教育とは、学校教育からいったん離れたあとも継続的に学び直し、仕事で求められる能力を磨き続けていくことをさしています。大学等の教育機関への通学や通信講座なども含めた自己啓発による学び直しを行うことにより、従事している業務またはそれ以外の分野や最新の知識・スキルを習得していきます。これにより社内でのさらなる活躍や新たな仕事や職場への挑戦など、長い職業人生に対応しやすくなることが期待できます。高齢者雇用においては、高齢者の知識・スキルのアップデート不足や新たな業務に柔軟に対応できないといった点が課題としてあげられますが、リカレント教育はこれらの課題解決に有効な手段として注目されています。  次回は、「終身雇用」について取り上げます。 ※1 労働生産性……労働者1人1時間あたりに生み出される付加価値 ※2 人的資本投資……人材を「資本」としてとらえ、その価値を最大限引き出すために投資をすること 図表  OFF―JTに支出した費用の労働者一人あたり平均額 労働者一人あたり平均値 平成20年度調査2.5 平成21年度調査1.3 平成22年度調査1.3 平成23年度調査1.5 平成24年度調査1.4 平成25年度調査1.3 平成26年度調査1.4 平成27年度調査1.7 平成28年度調査2.1 平成29年度調査1.7 平成30年度調査1.4 令和元年度調査1.9 令和2年度調査1.5 令和3年度調査1.2 3年移動平均 平成20年度調査 平成21年度調査1.7 平成22年度調査1.4 平成23年度調査1.4 平成24年度調査1.4 平成25年度調査1.4 平成26年度調査1.5 平成27年度調査1.7 平成28年度調査1.8 平成29年度調査1.7 平成30年度調査1.7 令和元年度調査1.6 令和2年度調査1.5 令和3年度調査 出典:「能力開発基本調査(令和3年度)」厚生労働省 第30回 「終身雇用」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。 終身雇用は制度でなく慣行≠ナある  今回は終身雇用について取り上げます。  通常は読んで字のごとくの用語が多いですが、終身雇用については注意が必要です。終身とは本来「命を終えるまでの間」(デジタル大辞林)をさしますが、多くの企業では定年退職などにより一定年齢で雇用関係を終了させ、従業員が生涯にわたり雇用され続けることは一般的ではありません。また、終身雇用は制度≠ニして表現されることがありますが、法律上も会社の就業規則上も生涯にわたり雇用を保証するルールを設けることはありません。終身≠熈制度≠熨蛯ーさな表現で、終身雇用とは「同一企業での長期的な雇用慣行=vというのが本来意図することに近い表現といえます。  終身雇用という用語ですが、ジェームズ・アベグレンという経営学者が『日本の経営(邦訳)』のなかで「日本の経営の大きな特徴の一つとしてlife-time commitment(終身雇用)がある」と指摘したことが由来といわれています。本書ではこのほかに日本の経営の特徴として「企業内労働組合(本連載2022〈令和4〉年9月号掲載)※」と「年功序列(次回解説予定)」をあげており、これら三つの特徴はまとめて日本的経営の三種の神器と呼ばれています。 終身雇用の歴史は長くない  終身雇用の慣行の成り立ちについては諸説ありますが、太平洋戦争前後が起点になるといわれています。かつては工場の労働者を中心に賃金の高い企業に移動するなど比較的転職が多い労働環境にありました。しかし、1938(昭和13)年に戦争遂行のため国内すべての人的資源・物的資源を国家が管理・統制できる国家総動員法の成立を皮切りに、軍需産業に従事する労働者の転職が制限され、1940年には「従業者移動防止令」により労働者の転職が制限されることとなります。その一方で、労働者の意欲向上に向け、昇給や退職金、福利厚生などの充実が図られていきます。終戦後、移動の制限はなくなりますが、主に三つの要因により雇用の長期化が進んでいくことになります。  一つ目は、戦後復興期(1945年ごろ〜)労働力の供給過剰により大量解雇が発生したことに対して労働組合が雇用の安定を求めたことです。二つ目は、高度経済成長期(1955年ごろ〜)の労働力の需要ひっ迫により、社員を長期的に雇用し業務遂行能力を高め、ジョブローテーションによりさまざまな仕事を覚えさせることで、人手が不足している部分を補おうとしたことです。三つ目は、オイルショック(1973年ごろ〜)の経済悪化による大量解雇に対して、法律では解雇は認められるものの実質的には企業の解雇権を規制する解雇権濫用法理が確立していったことにあります。労働力の供給過剰・需要ひっ迫という反対の事象を経ながらも長期雇用の慣行が成立してきたところが少々興味深い点でもあります。 全労働者が終身雇用に当てはまるわけではない  とはいえ、実際には転職経験者がいるなかで終身雇用はどこまで本当なのかという素朴な疑問が出てくるかと思います。これについては『我が国の構造問題・雇用慣行等について』(2018〈平成30〉年厚生労働省職業安定局)という資料に「生え抜き社員割合の推移」というグラフがあり実態が把握できます。若年期に入社してそのまま同一企業に勤め続ける者を生え抜き社員としていますが、その割合は2016年には大卒正社員5割、高卒正社員3割程度となっています。産業別に見ると金融業・保険業が8割近くであるのに対して、医療・福祉と宿泊・飲食業は4割程度と大きな開きがあります。  また、終身雇用は日本経営の特徴といわれていることについて先述しましたが、国際比較のデータを見ると違った側面も見えてきます。『データブック国際労働比較2022』(独立行政法人労働政策研究・研修機構)の勤続年数別雇用者割合を参照すると、勤続年数10年以上の雇用者割合は日本が45.7%の一方で、イタリア50.9%・フランス44.5%・スペイン44.0%・ドイツ40.6%という数値が並んでいます。28.0%のアメリカと比較すると長期雇用の傾向が日本は強いといえますが、大陸ヨーロッパ諸国と比較すると必ずしも長期雇用は日本にかぎった特徴とまではいえなさそうです。 終身雇用の今後は不透明  終身雇用対象者の実態は半数程度としても、終身雇用への問題提起は近年多くなされています。  例えば、2019年5月、一般社団法人日本経済団体連合会の中西(なかにし)宏明(ひろあき)会長(当時)は定例記者会見で「働き手の就労期間の延長が見込まれるなかで、終身雇用を前提に企業運営、事業活動を考えるには限界がきている」と述べ、同月にはトヨタ自動車株式会社の豊田(とよだ)章男(あきお)社長が日本自動車工業会の会長会見で「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、終身雇用を守るのはむずかしい局面に入ってきた」と述べて話題になりました。  また、官の側からも、終身雇用からの脱却を目ざす提言がなされています。経済産業省が産業構造の転換を見据えた人材政策についてまとめた『未来人材ビジョン』(2022年5月)では、長期雇用について、右肩上がりの経済成長のもとでの長期的な視点の人材育成・組織の一体感の醸成・企業特殊能力の蓄積への寄与はあったものの、今後は就業期間の長期化や経済成長におけるイノベーションの重要性等の観点から、働き手と組織の関係を「選び、選ばれる」関係へと変化させ、新卒一括採用だけではない多様な複線化された採用の入り口を増やしていく方向へ転換する重要性が述べられています。  しかし、労働者側の意識は異なると想定されます。パーソル総合研究所が実施した「働く10000人の就業・成長定点調査2022」では、転職意向について、2022年時点で20―24歳の回答がもっとも多く44%、もっとも少ないのが40代で21%、2017年からの毎年の推移を見ても30代が右肩上がり(2017年29%、2022年35%)の傾向がある以外は、特筆すべき傾向はない状態です。 * * * *  次回は、「年功序列」について解説します。 ※ 本連載の過去の記事は当機構ホームページでご覧いただけます。https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/202209.html