いまさら聞けない人事用語辞典 株式会社グローセンパートナー 執行役員・ディレクター 吉岡利之 第31回「年功序列」 第32回「正社員と非正規社員」 第33回「ハラスメント」 第34回「採用」 第35回「安全配慮義務」 第36回「2025年問題」 第37回「人的資本」 第38回「就業機会の確保」 第39回「両立支援」 第40回「HRDX」 第31回 「年功序列」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。 年功序列は傾向としては明確  今回は年功序列について取り上げます。  年功序列とは、勤続年数や年齢に応じて処遇(役職や賃金など)が上がることをさします。最初に年功序列の実態についてみていきます。  参考になるのは役職別の平均勤続年数や年齢ですが、『令和3年賃金構造基本統計調査』(厚生労働省)の第7表男女計を見ると、非役職者の平均勤続年数が10.4年に対して、係長級17.9年、課長級20.5年、部長級22.4年となっています。東京商工リサーチによる2021(令和3)年の『全国社長の年齢調査』では、社長の平均年齢は2020年で62.49歳です。もう一つ参考になるのが、勤続年数別の賃金格差です。図表を参照するとわかりやすいのですが、日本は男女ともに右肩上がりの傾向を示しています。勤続年数1〜5年の賃金を100とした場合、勤続年数30年以上で賃金は男性1.6倍、女性1.5倍に達しています。  一般的には、1990年代あたりのいわゆるバブル経済崩壊後の、個人の成果により処遇を決める成果主義への転換により、年功序列は薄まっているといわれていますが、これらの情報をみるかぎりでは年功序列の傾向はまだまだ明確といえそうです。なお、図表を再びみると、スウェーデン・イギリス以外は勤続年数により賃金が高まり、部分的には日本よりもドイツの方がその傾向が強く出ています。終身雇用と同じですが、年功序列も日本特有≠フ特徴とはいえなさそうです。 人事制度面の影響も大きい  年功序列の成り立ちとして、高度経済成長期(1955〈昭和30〉年ころ〜)の労働力不足に対して、一度採用した社員の離職を防ぐために、勤続し続けると処遇が向上するメリットを持たせる人事制度を、意図的につくったことにあるといわれています。この仕組みは江戸時代に普及した儒教の年長者を敬うという教えや、商人の家に住み込み、丁稚(でっち)(年少時代)による修業から、長い年月を経て番頭(ばんとう)(使用人の中で最高の地位)に段階をふんで上がっていく江戸から昭和まで引き継がれた雇用上の考えもあり、精神的な面でも経営者にも労働者にも受け入れやすかったという背景もあるようです。  現在の年功序列の傾向も、高度経済成長期と同様に制度が大きく影響しているといえます。第1回「人事制度(本連載2020年6月号掲載)※1」でも一部触れていますが、制度上のルール面と運用面の両方に理由があります。  ルール面では、能力の蓄積に応じた昇格と昇給の制度(職能資格制度)があることです。一般的な能力の認識と異なり、人事制度上の能力は一度蓄積したら下がらないとされています。そのため、勤続年数を重ねるほど能力は蓄積され、それにともない昇格・昇給が実施され、結果として年功的な給与分布となっていきます。2022年に労務行政研究所が発表した調査※2によると、職能資格制度の導入率は一般社員・企業規模計で52.6%に上っています。  運用面では、役職登用の運用とモデル賃金の存在が主な原因といえます。役職が高いほど平均勤続年数が長いという点は運用でなんとなく行ってしまっているケースがあります。例えば、同期のだれかが課長になるとバランスをとってほかの社員も課長にするといったものです。また、モデル賃金とは入社以来標準的なペースで昇格や昇給をした場合の給与水準を示すものですが、勤続年数または年齢別に右肩上がりのカーブを描くように作成するのが一般的です。勤続に対するモチベーション創出や年齢が上がるほど生活費が上がるという考えからこのようなつくり方をするのですが、この考え方は、年功序列的運用が前提にあるともいえます。 見直しの機運は高まっている  これまでも年功序列の見直しは議論されてきましたが、2022年はこれまで以上に見直し機運が高まっているといえます。同年10月3日に行われた第210回国会における所信表明演説で、岸田(きしだ)文雄(ふみお)内閣総理大臣が構造的な賃上げというテーマのなかで、「年功制の職能給から、日本に合った職務給への移行」と述べています。  また、一般社団法人日本経済団体連合会は春闘の指針などを通して年功序列賃金の見直しにしばしば言及しています。このほか、報道などで大手企業が年功序列からの脱却を図る制度改定を進めていることが取り上げられています。政府や経営側からの発信が目立つのは、若くて優秀な社員の離職をうながしてしまう、中途採用がしにくく多様な人材が集まらない、人材の入れ替えが起きずに組織が活性化されない、などの課題の解消のためという面があります。しかし、少子高齢化を背景に企業の平均年齢が高まっているなか、高年齢層の人件費を抑えて、採用市場で取り合いになっている若手や専門性の高い人材などに人件費を振り分けて企業の成長につなげたいという意図も見えてきます。  経営者側からすると年功序列の見直しは経営をしやすくするためのメリットはあるものの、労働者側からすると勤続という要素だけでは処遇が上がりにくくなり専門性の向上や転職によるステップアップなどがこれまで以上に求められるため、評価の分かれるところです。  次回は、「正社員と非正規社員」について解説します。 ※1 本連載の過去の記事は当機構ホームページでご覧いただけます。https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/series.html ※2 一般財団法人労務行政研究所「人事制度の実施・改定動向」 図表 勤続年数別賃金格差 勤続1〜5年=100(2018年) 男 女 日本 ドイツ イタリア フランス イギリス スウェーデン 出典:『データブック国際労働比較2022』(独立行政法人労働政策研究・研修機構) 第32回 「正社員と非正規社員」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。 定義は必ずしも明確ではない  今回は、正社員と非正規社員について取り上げます。  広く社会に浸透し、あたり前のように日常で使われている用語ですが、その定義は必ずしも明確ではありません。正社員も非正規社員も法律上の用語ではなく、複数の雇用形態のうち、一般的に認知された通称といえるものと考えています。イメージを具体化していくために、雇用形態について代表的なものの解説から始めます。 @雇用期間…労働者が雇用される期間の定めのない無期雇用(満60歳以降の定年設定は可)と、定めのある有期雇用(原則、最大3年。更新可)の区分あり。 A労働時間…企業が定めている所定労働時間(原則、最長1日8時間、週40時間)のすべての時間を働くフルタイムと、より短い時間で働くパートタイムの区分あり。 B雇用元…勤務先の企業と労働者間で雇用に関する契約を結ぶ直接雇用と、勤務先とは別の企業と労働者間で契約を結ぶ間接雇用の区分あり。  これら三つの形態のうち、正社員は@無期雇用、Aフルタイム、B直接雇用の組合せと一般的に認知され、厚生労働省の資料などをみても、おおよそこの組合せを基本とした記述になっています。一方で、非正規社員は正社員以外の労働者を括る用語であり、雇用形態上は@有期雇用、Aパートタイムまたはフルタイム、B直接雇用または間接雇用が一般的に認知されている組合せとなります。さらに細かい形態の差異により、非正規社員はパート・アルバイト・契約社員・嘱託社員・派遣社員などと区分されます。  先ほどから「一般的な認知」と逐一記載しているのには理由があります。実は、これらの組合せから外れる正社員・非正規社員が存在するからです。例えば、働き方改革の一環として多様な正社員が推奨されるなかで、Aがパートタイムにあたる短時間正社員制度を導入している企業があります。また、有期雇用契約が更新されて通算5年を超えた場合に、労働契約法に基づき労働者本人からの申し込みにより@の無期雇用に転換した後も、その他の労働条件に変更がなく、会社内で正社員として位置づけられない場合は、無期雇用の非正規社員が発生します。これらはあくまで一例ですが、ほかにも多様な形態の正社員・非正規社員が存在し、一般的な認知を基本としつつ、最終的には各企業が正社員・非正規社員の定義を就業規則等で定めているのが実情です。 統計から把握できる雇用状況・処遇  次に、正社員・非正規社員の実態について、雇用状況や処遇に関する統計から把握していきたいと思います※1。  雇用状況については、厚生労働省のホームページの「非正規雇用の現状と課題」※2という資料に基づきみていきます。正社員と非正規社員数の年別推移は、1984(昭和59)年は全労働者3936万人のうち、非正規社員は604万人(構成比15.3%)となっています。全労働者が5000万人を超えた2009(平成21)年には全労働者5124万人のうち非正規社員は1727万人(33.7%)、直近の統計2021(令和3)年には全労働者5662万人のうち非正規社員は2075万人(36.7%)と推移し、非正規社員は増加傾向にあります。一方、それぞれの年の正社員数をみると1984年は3333万人、2009年は3395万人、2021年は3587万人と近年増加傾向にあります。  非正規社員を年齢階級別にみると、2021年の非正規社員のうち45歳以上が1253万人(60.4%)、65歳以上の推移は、2009年には65歳以上の非正規社員が158万人(9.1%)に対して、2021年には393万人(18.9%)と実数・構成比ともに倍以上となるなど、65歳以上の割合が高まっています。  また、非正規社員のうち正社員として働く機会がなく非正規社員として働いている者の割合は、2013年で342万人(19.2%)に対し、2021年には216万人(10.7%)と減少傾向にあります。  処遇については、厚生労働省が公表している「令和3年賃金構造基本統計調査 結果の概況」に掲載されている雇用形態・性別の賃金格差で傾向がつかめます。調査対象日における対象者平均の最高水準は、男性正社員は428万6000円に対し非正規社員は274万7000円、女性正社員305万6000円に対し非正規社員は200万2000円であり、男女ともに正社員に比べ非正規社員の賃金は65%程度にとどまります。  また、同じく厚生労働省の「令和元年就業形態の多様化に関する総合実態調査の概況」のうち、現在の会社における各種制度等の適用状況をみると、退職金制度は正社員77.7%に対し非正規社員13.4%、賞与支給制度は正社員86.8%に対し非正規社員35.6%、福利厚生施設等の利用は正社員55.8%に対し非正規社員25.3%の適用と、正社員に適用されても非正規社員は適用外の制度も多くあります。  これらの内容から、正社員・非正規社員の雇用状況・処遇については、次のようにまとめることができます。 ・全労働者が増加するなか、正社員・非正規社員ともに増加傾向が続いてきており、非正規社員は65歳以上の割合が高まっている。 ・正社員として働く機会がなく、非正規社員として働いている者の割合は10%程度。 ・正社員と非正規社員の処遇上の差は、賃金の額や制度面でも明らかに確認できる。  こうした状況のなか、同一労働同一賃金の導入による、同一企業・団体における正社員と非正規社員との間の不合理な待遇差の解消を目ざすパートタイム・有期雇用労働法が2021年4月1日から全面施行されています。そもそもの定義からして複雑な正社員・非正規社員ですが、本稿が理解の一助となれば幸いです。  次回は「ハラスメント」について解説します。 ※1 統計上、正規雇用・正職員などで表記されているものは本稿では正社員、非正規雇用・正社員以外の労働者などで表記されているものは非正規社員と表記している ※2 http://www.mhlw.go.jp/content/001041163.pdf 第33回 「ハラスメント」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回はハラスメントについて取り上げます。ハラスメントとは、相手が嫌がり、精神的苦痛を感じる言動をすることで、個人としての尊厳や人格を不当に傷つける行為をさします。 職場における代表的なハラスメント  日常的にさまざまなハラスメントの問題が報道で取り上げられるなど、広く一般化した用語ではありますが、本稿では職場における代表的なハラスメントについて取り上げます。 ・パワーハラスメント(パワハラ)…職場において行われる「優越的な関係を背景にした言動」であり、「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」により、「労働者の就業環境が害されるもの」の三つのすべての要素を満たすものをさします。該当する言動には@身体的な攻撃、A精神的な攻撃、B人間関係からの切り離し、C過大な要求、D過小な要求、E個の侵害といったものがあります。上司からの必要以上の執拗(しつよう)な叱責により部下の業務遂行に支障をきたすといったものが一般的な例になりますが、上司よりも豊富な知識や経験を有する同僚・部下から上司に対する同様の行為もパワハラに該当します。 ・セクシュアルハラスメント(セクハラ)…職場において行われる労働者の意に反する性的な言動により、労働者が労働条件について不利益を受けたり、就業環境が害されることをさします。性的関係の強要や必要なく身体に触れること、性的な内容の発言をすることなどが例としてあげられますが、異性に対するものだけでなく、同性に対する言動も対象となります。また、性的指向(恋愛・性愛がいずれの性別を対象とするか)や性自認(性別に対する自己認識)に関する言動もセクハラに該当することを見落とさないようにしたいところです。 ・妊娠・出産・育児休業等ハラスメント…妊娠・出産した女性労働者や育児休業などを申し出・取得した男女労働者の就業環境が害されることで、マタニティハラスメント(マタハラ)と呼ばれることもあります。妊娠・出産、育児休業などを理由として、解雇、不利益な異動、減給、降格など不利益な取扱いを行うことは、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法などで禁止されています。また、これらの行為以外でも、休業制度や育児時短の利用の拒否や嫌がらせの言動などもハラスメントに該当します。近年は男性社員からの当該制度の活用の申し出も増えていますが、拒否や嫌がらせはパタニティハラスメント(パタハラ)と呼ばれている点も押さえておきたいところです。  ここでの定義や記載は厚生労働省のハラスメント対策総合情報サイト「あかるい職場応援団※」を主に参考にしています。職場でのハラスメントを理解するための動画や裁判例、他社の取組み事例、Q&Aなどがわかりやすく網羅されているため、より深い理解のために参照をおすすめします。 ハラスメント対策は事業主の責務  ハラスメントの放置により、最悪なケースでは自殺に至る事案が実際に何度も起こり、ハラスメントは会社で必ず対応していくべき重要課題として位置づけられるようになりました。そこで、労働施策総合推進法、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法が改正、2020(令和2)年6月に施行され、ハラスメント防止措置が事業主の責務となり、2022年4月にはパワーハラスメントの防止が中小企業を含めて全企業に義務化されました。  これにより事業主は、「事業主の方針などの明確化およびその周知・啓発(職場におけるパワハラの内容・パワハラを行ってはならない旨の方針化、行為者に対する対処内容の就業規則等文書への記載など)」、「相談(苦情を含む)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備(相談窓口の設置、対応の体制など)」、「職場におけるハラスメントへの事後の迅速かつ適切な対応(事実関係の確認、被害者に対する配慮、行為者に対する措置、再発防止措置など)」、「あわせて講ずべき措置(プライバシー保護、不利益取扱いの禁止など)」を必ず行わなければならないとされました。  それでは、これらの措置を通してハラスメントの実態はどのように変化したのでしょうか。2020年6月の関係法律の施行1年後に実施した「職場のハラスメント防止に関するアンケート結果(2021年12月14日)」(日本経済団体連合会)を参照するとその様子が垣間みえます。5年前と比較した相談件数について、増えたか減ったかの比較でみていくと、パワハラ44.0%/16.3%(増えた/減った。以下同)、セクハラ11.5%/28.8%、妊娠・出産に対するハラスメント3.0%/6.8%、育児休業・介護休業などに関するハラスメントは4.0%/5.5%と、パワハラ以外は「増えた」より「減った」が多い結果になっています。ただし、パワハラをはじめとして相談件数が増えたのは事案の純増だけでなく、法施行や相談窓口の設置、啓蒙活動などにより以前より相談しやすくなったという側面もあるようです。  最後に、今後必要となるハラスメント防止・対応の課題についてみていきます。同アンケートで課題の上位三つとして「コミュニケーション不足」、「世代間ギャップ・価値観の違い」、「ハラスメントの理解不足」があげられています。同アンケートにおいてハラスメントに関する研修を行っていると回答した企業は6〜7割に上っており、基本的なハラスメントに対する理解促進は引き続き進んでいくことが期待できます。しかし、今後は世代間ギャップ・価値観の違いにより、注意を向けていく必要があると考えます。近年、ハラスメントや性別、働き方に関する価値観が急速に変化しており、昔は許されていたと思われていた言動が、近年では問題視されることが増えています。これは政治家などの公人の言動でも、しばしば社会問題として取り上げられていることからもわかります。自らの意識だけで価値観を一気に変えるのはむずかしいため、常に世間の動向や他社のケースなどに目を向け、定期的に情報提供や研修、多様なメンバーでのコミュニケーション活性化策を実施するなど、企業としての継続的な取組みが重要と考えます。 * * * *   次回は、「採用」について解説します。 ※「あかるい職場応援団」……https://www.no-harassment.mhlw.go.jp 第34回 「採用」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は採用について取り上げます。人事のうえでの採用とは「企業などに必要な人材を確保するために雇い入れること」をさします。 採用にはいろいろな種類がある  採用に関する基本的な種類から押さえておきたいと思います。まずは、対象者の違いでみていきます。 ・新卒採用…一定の時期に学校を卒業する見込みのある学生(新卒)を採用することです。大学卒や高校卒、専門学校卒など学歴別に定員を定めて採用するケースがほとんどです。基本的には就業経験のない学生を採用することになるため、入社後の育成を前提に潜在的な能力を期待した採用(ポテンシャル採用)となります。 ・中途採用…新卒と異なり、すでに就業経験のある人材を採用することです。多くの場合は、社員の離職や事業の拡大などにより不足した労働力の確保を目的として行うため、他社での経験やスキルを活かし即戦力となることを期待した採用(キャリア採用)が主となります。なお、学校を卒業後に3年間程度の就業経験のある者を第二新卒と区分し、一定の就業経験と潜在的な能力の両面を期待し、採用することもあります。  次に、採用時期の違いについてみていきます。 ・一括採用…特定の期間に採用活動を行い、定められた日にちにまとめて入社させることです。主に新卒採用が対象で、卒業後の4月1日に入社させることが多いため新卒一括採用とも呼ばれます。広報活動・採用選考などの採用活動の時期については、現在は政府が、学生の学業への影響を配慮して、広報活動開始日・採用選考活動開始日・正式な内定(企業が雇用する意思を本人に伝える状態)日に分けて要請を出しています。 ・通年採用…期間を特定せずに年間を通して採用活動をし、入社をさせることです。必要な労働力を確保したい時期に採用を行う中途採用が主な対象となります。  次に、採用時の職務限定の有無についてみていきます。 ・職務の限定なし…入社後の職務について特には限定せずに、ジョブローテーションによってさまざまな職務を経験させることを前提とした採用で、総合職採用ともいいます。従事する職務ありきでなく、企業の一員として人を雇用するという意味からメンバーシップ型雇用と呼ばれることもあります。 ・職務の限定あり…入社後の職務内容を明確化した採用です。職務内容はジョブディスクリプション(職務記述書)などで定義され、この定義に限定して働くことが想定されています。特定職務の必要性に応じて人を雇用するという意味からジョブ型雇用と呼ばれることもあります。 採用の傾向は変化の過程にある  日本の採用の特徴的な傾向として、「新卒一括採用」、「職務の限定なし」と従来からいわれていますが、現在この傾向は変化の過程にあります。経済産業省が2020(令和2)年に公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書」において、「メンバーシップ型雇用は、事業環境が急速に変化し、個人の価値観・ニーズも多様化するなかでは、変化に対応した人材の育成・獲得や従業員の専門性の観点から課題が顕在化してきている」、との指摘があるように従来型の採用では限界があるという認識が広まっています。具体的な変化の一つとしては、就業経験のない新卒採用ではジョブ型の採用は向かないというのが従来の一般的な認識でしたが、現在では学生時代で専門スキルを習得可能なIT分野を中心に、新卒のジョブ型雇用も広がりをみせています。  また、政府が現在要請している採用活動の時期については、例えば2023年度卒業・修了予定者は採用選考活動開始を卒業・修了年度の6月1日以降としていますが、2026年春卒業・修了予定者より、専門性の高い学生を中心により柔軟な方向に見直すよう検討を進めるとしています。現状でもすでに幅広い人材の確保を目的に、新卒採用でも通年採用を行う企業や、新卒・既卒の別を設けない採用を行う企業も増えてきています。  これらの変化は政府が主導する前に各社が独自で進めている点も多分にあります。専門性のある人材を中心に、人材の確保は各社の重要課題となっており、横並びの採用活動では立ち行かなくなりつつあることが背景にあります。 採用は売り手℃s場  それではなぜ、人材の確保が重要課題になっているのでしょうか。それは、会社が労働力を求める求人と働くことを申し入れる応募の需給バランスが崩れていることに起因しています。求人数が応募者数を上回る状況を売り手市場(応募者が有利)、求人数が応募者数を下回る状況を買い手市場(企業が有利)と呼びますが、現在は売り手市場といえる状況にあるからです。例えば、一人の求職者に対してどれだけの求人があるのかを表す有効求人倍率は2022年12月時点では1.35倍、2022年平均で1.28倍となっています(「一般職業紹介状況(令和4年12月分及び令和4年分)について」厚生労働省)。ただし、こちらは新規学卒者を除きパートタイムを含むものであるため、リクルートワークス研究所の「第39回ワークス大卒求人倍率調査(2023年卒)」で大学・大学院卒で求人倍率をみると、2023年3月卒業予定1.58倍という状況にあります。業界別にみると金融業は0.22倍という狭き門に対して、流通業7.77倍、建設業7.70倍というように求人倍率に格差が明確に存在する状況です。このような学生の取り合いともいえる状況下、優秀人材の確保を目的に、2022年度大学卒初任給平均21万2129円(「2022年度決定初任給の最終結果」一般財団法人労務行政研究所)に対して、25万円〜30万円をターゲットに初任給の大幅引き上げを2023年3月時点で公表している企業が複数出てきています。今後は企業が選ばれる側≠ヨ採用政策を切り替える流れが進んでいきそうです。 * * * *   次回は、「安全配慮義務」について解説します。 第35回 「安全配慮義務」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は安全配慮義務について取り上げます。安全配慮義務とは、労働者が安全に働けるように使用者(事業主や事業の経営担当者など)が配慮し必要な措置を実施すべきことをさします。 安全配慮義務を使用者が負うべき理由  まずは、なぜ使用者に安全配慮義務が課されているかについてみていきます。  安全配慮義務は、労働契約法第5条に、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」と定められています。現在では企業が労働者の安全配慮を行うのはあたり前のように思えますが、実は同法第5条が施行されたのは2008(平成20)年3月1日。それまでは、判例を通して安全配慮が使用者の義務であることが示されてきました。  例えば、「陸上自衛隊事件」※1と「川義(かわぎ)事件」※2の判決のなかで、労働者は、使用者が指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具などを用いて労働に従事するものであることから、労働契約の内容として具体的に定めずとも、労働契約にともない信義則※3上当然に、使用者は労働者に対して安全配慮義務を負うとされました。このことは、民法などでは規定がなかったため、労働契約法第5条で明文化されたという経緯があります。労働契約法上で明文化される前から、信義則上当然に≠ニあるように、労働契約を結んだ時点で、労働契約上特段の定めがなくとも、使用者は誠実に労働者の安全の確保や危険を回避するために必要な措置をとるべきとされていたのです。 安全に配慮するための措置はさまざま  次に、どのような措置が必要になるかについてみていきます。法令上にはとるべき措置の具体的な定めといったようなものはありません。ただし、厚生労働省労働基準局長の通達である「労働契約法の施行について」(基発0810第2号)には、 ・第5条の「生命、身体等の安全」には心身の健康も含まれる。 ・第5条の「必要な配慮」とは、一律に定まるものではなく、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等の具体的な状況に応じて必要な配慮をすること。 と記載されています。また、対象者(労働者)については、直接雇用している従業員のほか、自社で働く派遣労働者や下請け企業の従業員なども含まれるとされています。必要な措置は各々の企業などが独自で考え対応すべきとありますが、一般的な措置として、次のようなものがあげられます。 @労働時間管理…時間外労働・休日労働の抑制、特に過労死ラインとよばれる80時間超(2〜6カ月平均)〜100時間超(1カ月)の時間外・休日労働の撲滅、勤務間インターバル制度(勤務終了後に一定時間〈8〜12時間程度〉の休憩時間を設ける努力義務)の導入、客観的な労働時間の把握・記録、管理監督者などへの教育 A健康管理…定期的な健康診断の実施と受診率の向上、ストレスチェックやカウンセリングなどによるメンタルヘルス不調の防止、産業医などによる健康指導の充実 B職場環境の管理…職場内いじめ・嫌がらせ・ハラスメント対策の強化、安全衛生管理体制の構築、安全・衛生設備の導入や安全衛生教育の実施による事故・疾病の撲滅、新型コロナウイルスなど感染症対策の実施  また、60歳以上の高年齢労働者に対する安全配慮の取組みについては、「令和3年『労働安全衛生調査(実態調査)』の概況」の高年齢労働者に対する労働災害防止対策の状況が参考になります。図表(一部抜粋)を参照してください。 安全配慮義務違反はリスクが高い  労働契約法第5条には特別な罰則規定がないため、措置をとらないこと自体について企業などがペナルティを科されることはありません。しかし、安全配慮を怠ることで、最悪のケースでは労働災害(仕事や通勤を理由として傷病や死亡すること)につながり、労働者から安全配慮義務違反として訴えられ、損害賠償を請求されることがあります。  また、安全配慮を怠ることで労働基準法などの法令に抵触することになれば、当該法令に基づく罰則の適用や行政機関からの是正勧告を受けることになります。さらには、これらにより企業名が世間に周知され、企業イメージのダウンにつながるリスクもあります。実施すべき措置が法令上で具体的に定められていないため、取組みに対する企業などの温度差が発生しがちな部分ではありますが、怠ったときのリスクが容易に想定できるため、他社の事例などを参考にしながら、しっかりと対応するのが望ましいでしょう。 * * * *  次回は、「2025年問題」について解説します。 ※1 陸上自衛隊事件(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決)…陸上自衛隊員が、自衛隊内の車両整備工場で車両整備中、後退してきたトラックにひかれて死亡した事例で、国の公務員に対する安全配慮義務を認定した事件 ※2 川義事件(最高裁昭和59年4月10日第三小法廷判決)…宿直勤務中の従業員が強盗に殺害された事例で、会社に安全配慮義務の違背に基づく損害賠償責任があるとされた事件 ※3 権利の行使や義務の履行にあたり、信義に従い誠実に行わなければならないとする原則 図表 60歳以上の高年齢労働者に対する労働災害防止対策の取組の有無及び取組内容別事業所割合(単位:%) 区分 60歳以上の高年齢労働者が従事している事業所計1)2) 高年齢労働者に対する労働災害防止対策に取り組んでいる 労働災害防止対策の取組内容(複数回答) 手すり、滑り止め、照明、標識等の設置、段差の解消等を実施 作業スピード、作業姿勢、作業方法等の変更 作業前に体調不良等の異常がないかを確認 健康診断の結果を踏まえて就業上の措置を行っている 令和3年 [75.6] 100.0 78.0 20.2 18.3 36.1 30.6 令和2年 [74.6] 100.0 81.4 20.7 16.9 38.7 34.8 区分 労働災害防止対策の取組内容(複数回答) 医師等による面接指導等の健康管理を重点的に行っている 健康診断実施後に基礎疾患に関する相談・指導を行っている 定期的に体力測定を実施し、本人自身の転倒、墜落・転落等の労働災害リスクを判定し、加齢に伴う身体的変化を本人に認識させている 高年齢労働者の身体機能の低下の防止のための活動を実施している 加齢に伴い身体機能・精神機能の変化と災害リスク、機能低下の予防の必要性について教育を行っている 本人の身体機能、体力等に応じ、従事する業務、就業場所等を変更 高所等の危険場所での作業や他の労働者に危険を及ぼすおそれのある作業(機械の運転業務等)に従事させないようにしている 令和3年 6.4 16.5 4.0 4.7 6.2 41.4 16.2 令和2年 7.4 19.4 3.8 4.6 6.2 45.7 16.3 区分 労働災害防止対策の取組内容(複数回答) 体調異変に備えて、できるだけ単独作業にならないようにしている 時間外労働の制限、所定労働時間の短縮等 深夜業の回数の減少又は昼間勤務への変更 その他 高年齢労働者に対する労働災害防止対策に取り組んでいない 令和3年 16.2 27.7 9.8 1.9 19.9 令和2年 18.3 32.9 10.9 1.5 16.8 注:1)[ ]は、全事業所のうち、60歳以上の高年齢労働者が従事している事業所の割合である。 2)「60 歳以上の高年齢労働者が従事している事業所計」には、「高年齢労働者に対する労働災害防止対策の取組の有無不明」を含む。 出典:厚生労働省「令和3年『労働安全衛生調査(実態調査)』の概況」(令和4年7月5日) 第36回 「2025年問題」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。 2025年は今後想定される問題の一つの起点  2025年問題とは、団塊の世代(1947〜1949年生)の層が75歳以上となることによって引き起こされる問題のことをさします。この問題を理解するためには、まずは日本の人口の変化について押さえることが重要です。  図表のグラフでは、吹き出しで団塊の世代≠ニして示されている部分が2020年においてもっとも長い棒グラフになっています。これは第一次ベビーブーム(新生児の出生が一時的に急増する)期に生まれた世代で、日本の年齢別人口においてもっとも層の厚い世代といわれています。  一般的には65歳以上を高齢者として、65〜74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者としていますが、隣りの2025年に目を向けると、団塊の世代の推移を示す矢印が後期高齢者の層に移動し、全員が後期高齢者になることが示されています。総人口のうちの比率でみると後期高齢者が18%、前期高齢者が12%、高齢者合計で30%に到達すると推計されています。さらに図表の右側を見ていくと2040年には後期高齢者は人口・比率ともにさらに増え、2065年には人口は減るものの比率は26%(高齢者全体では39%)と上昇を続けています。  なお、総人口については、2020(令和2)年の1億2615万人から、2065年には8808万人と、30%以上減少すると推計されています。今後は、総人口が急激に減少していくなかで、高齢者(特に後期高齢者)の比率が高まっていく社会になっていきます。2025年≠ヘあくまで問題の一つの起点であり、継続していくものととらえる必要があります。 「2025年問題」で指摘される主要な問題点  後期高齢者が増え続けることによる、人事にかかわる主要な問題点について見ていきます。 @いっそうの人手不足  図表を再び参照すると、現在の日本の労働力の中心である20〜64歳の層は2020年と比較して、2040年には1395万人、2065年には2749万人減少し、総人口の50%を割り込む推計になっています。現在でも「正社員が不足している」と答える企業は66.5%(東京商工リサーチ「2023年企業の『人手不足』に関するアンケート調査」)に上っており、人手不足により事業継続が困難になると倒産に至ることもありますが(人手不足倒産)、2022年度では140件といわれています(帝国データバンク「全国企業倒産集計2022年」)。今後、景気の大幅な減退や産業構造の変革がないかぎり、この人手不足感はよりいっそう高まるといわれています。 A医療費・介護費用の増大  「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」(内閣官房・内閣府・財務省・厚生労働省 平成30年5月21日)の社会保障給付費の高齢者にかかわる部分を抜粋すると、2018年は介護10.7兆円、医療39.2兆円、年金56.7兆円が、2025年※1には介護15兆円程度、医療48兆円程度、年金60兆円程度、2040年※1には介護25兆円程度、医療70兆円程度、年金73兆円程度とかなりの増加が推計されています。これは、公的介護保険制度の適用対象は原則65歳以上、医療費の自己負担割合が6歳以上70歳未満は3割負担のところ、70〜74歳は原則2割負担、75歳以上は原則1割負担、年金給付年齢は原則65歳からと高齢者の増加にともない負担増大が確実に見込まれる制度になっていることが理由です。 「2025年問題」への対応  これらの問題への政府の対応として、問題点@では、高年齢者雇用安定法に基づく65歳までの雇用確保措置の義務化が2025年に完全実施※2、70歳までの就業確保措置の努力義務化が2021年より実施されています。また、健康経営Rの推進や残業時間の規制が強化されるなど、健康を維持しながら働ける環境を整備し、高齢者の労働力を取り込もうとしています。  「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」である健康寿命が、男性72.68歳、女性75.38歳(厚生労働省「健康日本21(第二次)推進専門委員会」(令和元年))とされるなか、65歳以上を高齢者として定義することや、75歳以上を働けない層とする前提が現状とあっていないという議論もあり、今後は働ける能力に応じた就業や負担の環境整備がいっそう進むことが想定されます。  また問題点Aでは、後期高齢者の増加が見込まれるなかで、75歳以上の自己負担割合の見直しが進められ、2021年の健康保険法等の一部改正により、2022年10月より一定以上の所得がある者については、自己負担割合が2割に変更されました(現役並み所得者は3割負担)。また、令和6年に予定されている介護保険制度の見直しについては、65歳以上の介護保険料や介護サービスを受けた場合の自己負担を所得に応じた負担に見直すことなどについて、2022年に本格議論がされました(現在も検討中)。  次回は、「人的資本」について解説します。 ※1 将来見通しについては、現状投影と計画ベースで数値が異なるため、○○程度とした ※2 2025年3月31日の経過措置終了にともなうもの 表 人口ピラミッドの変化(20〜64歳区分を含む) 2020年(実績) 総人口 1億2,615万人 団塊世代(1947〜49年生まれ) 団塊ジュニア世代(1971〜74年まれ) 〜19歳 2,074万人(16%) 20〜64歳 6,938万人(55%) 65〜74歳 1,742万人(14%) 75歳〜 1,860万人(15%) 2025年(推計) 総人口 1億2,254万人 〜19歳 1,943万人(16%) 20〜64歳 6,635万人(54%) 65〜74歳 1,497万人(12%) 75歳〜 2,180万人(18%) 2040年(推計) 総人口 1億1,092万人 〜19歳 1,629万人(15%) 20〜64歳 5,543万人(50%) 65〜74歳 1,681万人(15%) 75歳〜 2,239万人(20%) 2065年(推計) 総人口 8,808万人 〜19歳 1,237万人(14%) 20〜64歳 4,189万人(48%) 65〜74歳 1,133万人(13%) 75歳〜 2,248万人(26%) 出典:実績値(2020年)は総務省統計局「国勢調査」、推計値(2025年、2040年、2065年)は国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)出生中位・死亡中位推計」(各年10月1日現在人口)により厚生労働省政策統括官付政策統括室において作成 ※ 2020年の実績値は、図に掲載している推計値の後に公表されたものであることに留意が必要である 第37回 「人的資本」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  人的資本は、2020(令和2)年9月に経済産業省が人材戦略のあり方について提言した「人材版伊藤レポート」(以下、伊藤レポート)※1を公表して以降、注目度が高まった用語です。本稿では、用語の定義や背景、取組みについて基本的な点を解説していきます。 人は資源≠ナはなく資本  人的資本とは何かですが、「人的資本可視化指針」※2という資料には「人材が、教育や研修、日々の業務等を通じて自己の能力や経験、意欲を向上・蓄積することで付加価値創造に資する存在であり、事業環境の変化、経営戦略の転換にともない内外から登用・確保するものであることなど、価値を創造する源泉である『資本』としての性質を有することに着目した表現である」と記載してあります。簡単にいうと、人材に投資することで人材価値を引き出し、持続的な企業の成長につなげるという考え方です。企業として組織的に行うことを人的資本経営といいます。  人的資本と似て非なる用語である人的資源(企業経営のために人や個人のスキル・能力を管理し活用していく考え方)との違いに着目するとわかりやすいと思います。大きな違いは、人的資源は人材を「管理・コスト」対象としてとらえますが、人的資本では人材を「価値創造・投資」としてとらえる点にあります。伊藤レポートでは、人材マネジメントの目的を人的資源から人的資本に変えることで、人事の位置づけが人事諸制度の運用改善から持続的な企業価値の向上へ変化することや、主導者が人事部から経営陣に変わること、雇用が終身雇用から企業・応募者間で選び選ばれる関係になるなどの人事全般の変革≠ノつながっていくことが示されています。 人的資本への転換は環境変化対応に不可欠  それでは、なぜ人的資本への転換の必要性が説かれるようになったのでしょうか。そこには近年の社会や企業を取り巻く大きな環境変化がかかわっています。伊藤レポートでは、グローバル化・デジタル化・人生100年時代(少子高齢化)、新型コロナウイルスへの対応を取り上げています。いずれの環境変化も速度が激しく、従来の常識や成功体験にとらわれていると対応しきれずに、ともすれば社会全体が淘汰されてしまうという危機感が年々強くなっています。正解が見出しにくい状況下で、危機を打破できるのは柔軟な発想でスピード感をもって変革できる人材であり、これらの力を最大限に引き出し、企業もビジネスモデルも創造的かつ柔軟に変えていかなければならないとの課題認識が人的資本への転換の必要性の背景になります。また、従来の日本企業の人事は管理の側面が強く、環境変化へ十分に対応しきれていなかった反省も背景としてあることを理解しておきたいところです。 人的資本の実践に向けて何をすべきか  定義と背景を押さえたところで、人的資本の実践に向けて何をすべきかについて見ていきたいと思います。2022年5月に公開された「人材版伊藤レポート2・0」では、図表のように八つの取組み視点とそれぞれの取組み項目が記載されています。具体的には伊藤レポート2・0を読んでいただければと思いますが、図表で概要はつかめると思います。ただし、取組み内容の策定と実践にあたりいくつかのポイントがあるためここで記載します。 ・事業内容や置かれた環境によって有効な打ち手は異なるため、チェックリスト的に取り組むものではないこと。 ・最も重要な視点は「経営戦略と人材戦略の連動」であり、ここに掲げる取組みに着手することが第一歩であること。 ・課題を特定し、優先順位をつけ、改善を重ねていく絶え間ないサイクルを中長期的な観点で実施すること。  特に、「経営戦略と人材戦略の連動」は、人的資本の趣旨に則れば、環境変化が激しいなかで企業を成長させるためには、経営戦略とそれを実現するための人材戦略を表裏一体で策定し、実行することが必要不可欠です。個別の取組み施策を考えるよりもはるかにむずかしいのですが、社内で最も時間と労力をかけて検討すべき部分となります。  取組み内容の策定と実践に並行して重要なのは、内容や結果を可視化して、投資家や社員に示すことです。社内外の目に触れることにより、より真剣に実践することが期待されます。特に、上場企業においては今後、企業を持続的に成長させていけるかどうかを投資家が判断するための重要な要素となります。そのため、2023年3月期の有価証券報告書より、女性管理職比率、男性育児休業取得率、男女間賃金差異のほか、人材育成方針、社内環境整備方針およびこれらに関する指標を用いた目標・実績などの項目について、人的資本の情報を記載するよう義務づけられるようになりました※3。個社別の取組み内容や状況については、今後はこの開示情報が参考になると思われます。  次回は「就業機会の確保」について解説します。 ※1 正式名称は、「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書〜人材版伊藤レポート〜」 ※2 内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年8月) ※3 開示にあたり求められる内容については、根拠法に基づく 図表 「人材版伊藤レポート2.0」の全体像 1.経営戦略と人材戦略を連動させるための取組 @CHROの設置 A全社的経営課題の抽出 BKPIの設定、背景・理由の説明 C人事と事業の両部門の役割分担の検証、人事部門のケイパビリティ向上 Dサクセッションプランの具体的プログラム化 (ア)20・30代からの経営人材選抜、グローバル水準のリーダーシップ開発 (イ)候補者リストには経営者の経験を持つ者を含める E指名委員会委員長への社外取締役の登用 F役員報酬への人材に関するKPI の反映 2.「As is - To beギャップ」の定量把握のための取組 @人事情報基盤の整備 A動的な人材ポートフォリオ計画を踏まえた目標や達成までの期間の設定 B定量把握する項目の一覧化 3.企業文化への定着のための取組 @企業理念、企業の存在意義、企業文化の定義 A社員の具体的な行動や姿勢への紐付け BCEO・CHROと社員の対話の場の設定 (出所)経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書」(人材版伊藤レポート2.0)(2022年5月)を基に作成。 4.動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用 @将来の事業構想を踏まえた中期的な人材ポートフォリオのギャップ分析 Aギャップを踏まえた、平時からの人材の再配置、外部からの獲得 B学生の採用・選考戦略の開示 C博士人材等の専門人材の積極的な採用 5.知・経験のダイバーシティ&インクルージョンのための取組 @キャリア採用や外国人の比率・定着・能力発揮のモニタリング A課長やマネージャーによるマネジメント方針の共有 6.リスキル・学び直しのための取組 @組織として不足しているスキル・専門性の特定 A社内外からのキーパーソンの登用、当該キーパーソンによる社内でのスキル伝播 Bリスキルと処遇や報酬の連動 C社外での学習機会の戦略的提供(サバティカル休暇、留学等) D社内起業・出向起業等の支援 7.社員エンゲージメントを高めるための取組 @社員のエンゲージメントレベルの把握 Aエンゲージメントレベルに応じたストレッチアサインメント B社内のできるだけ広いポジションの公募制化 C副業・兼業等の多様な働き方の推進 D健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み 8.時間や場所にとらわれない働き方を進めるための取組 @リモートワークを円滑化するための、業務のデジタル化の推進 出典:内閣官房(2022)「人的資本可視化指針」 第38回 「就業機会の確保」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  就業機会の確保とは「仕事に就ける機会を確実に手に入れること」をいいますが、人事では「70歳までの就業機会の確保」と使われることが多い用語です。本稿でも高年齢者雇用に特化して説明していきます。 70歳までの就業機会の確保の選択肢はさまざま  高齢者の雇用推進や活躍できる環境整備を図るための法律として高年齢者雇用安定法※1があります。ここでは60歳以上の雇用について、大きく二つの定めをしています※2。  一つ目は、65歳までの雇用確保(義務)です。ここでは、事業主に対して60歳未満の定年禁止と65歳までの雇用確保措置を義務として実施すべきと定めています。65歳までの雇用確保については、@65歳までの定年引上げ、A定年制の廃止、B65歳までの継続雇用制度(雇用している高齢者を、本人が希望すれば定年後も引き続いて雇用する、「再雇用」などの制度)のいずれかの措置をとるべきとされています。  二つ目は、65歳から70歳までの就業機会の確保(努力義務)です。ここでは、事業主は次のいずれかの措置をとるように努めるべきことが定められています。@70歳までの定年引上げ、A定年制の廃止、B70歳までの継続雇用制度、C70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入、D70歳まで継続的に社会貢献事業(事業主が自ら実施する社会貢献事業、事業主が委託・出資等する団体が行う社会貢献事業)に従事できる制度の導入の五つです。  @〜Bは65歳までの雇用確保と年齢が異なるだけで同一の内容に見えますが、Bの継続雇用については継続雇用の範囲が65歳未満は自社または特殊関係事業主(自社の子法人、親法人、関連法人等)であるのに対して、65歳以上70歳未満はこれらに加え、特殊関係事業主以外の他社も範囲に含まれます。またCDについては65歳までの雇用確保にはない選択肢です。また、@〜Bは直接雇用であるのに対して、CDは雇用はしないものの就業機会を提供するという点が異なります。特にCについては、事例としても実際に増えています。例えば、個人事業主として起業し、得意とする業務の遂行や成果に対して報酬を受け取る業務委託契約を在籍していた会社や複数の会社から得るようなケースです。なお、このような雇用によらない選択肢をとる場合、事業主には、制度に関する計画を策定し過半数労働組合などの同意を得て、計画を周知する手続きを行ったうえで、個々の高齢者と業務委託契約などを締結する創業支援等措置を実施することが求められます。 高齢者こそ柔軟な働き方が必要  働き方の選択肢が広がっている点が70歳までの就業機会の確保のポイントとなるのですが、これは高齢者雇用を考えるうえで参考となります。  70歳までの就業機会の確保が努力義務化されたのは、改正高年齢者雇用安定法が施行された2021(令和3)年4月1日からと近年のことです。しかし、ここに至るまで、65歳以降の雇用についてはニッポン一億総活躍プラン(2016〈平成28〉年)、働き方改革実行計画(平成29年)、成長戦略実行計画(2019年)など国の大きな方針を定める計画や会議などに何度も論点として出てくるため、特に今後深刻化が見込まれる人手不足解消の重要課題として考えられてきたのは間違いありません。そこで共通しているのは、高齢者の寿命や健康・身体能力の観点から高齢者の就業率は現在よりも大幅に高い水準になる余地がある、また多くの高齢者も65歳を超えても働きたいと願っているのに、高齢者が働く環境が整っていないという課題感です。一方で、体力や意欲差が大きく、介護などの事情を抱えるケースもあり、フルタイムでの働き方を一律で押しつけるわけにはいかないという実態もあります。このため、高齢者のニーズに応じた働き方ができるようにして、より多くの継続的な就業をうながしたいという意図が70歳までの就業機会の確保の選択肢が広がった背景にあります。 企業の対応状況は道半ば  最後に、70歳までの就業機会の確保に対する企業の対応状況を見ていきます。改正高年齢者雇用安定法の施行から1年以上経つ「令和4年 高年齢者雇用状況等報告」(厚生労働省)によると、70歳までの就業確保措置を実施済みの企業は27.9%(前年より2.3%増)、また、図表を参照すると66歳以上まで働ける制度のある企業のなかでも、基準該当者66歳以上の継続雇用制度という65歳以上の希望者全員を必ずしも対象としない制度を用いている会社は11.8%となっています。これらのことから改正高年齢者雇用安定法の意図する対応ができていない企業がまだまだ多いということがわかります。  この理由については、現状では「努力義務」であるため喫緊の課題とはとらえていない企業があることと、対応はしたいが健康面や働き方の観点から不安があり実行に移すのが不安という面もあると思います。後者の場合には、「70歳雇用推進事例集」((独)高齢・障害・求職者雇用支援機構〈JEED〉)※3、「シニアが輝く職場をめざして」(東京都産業労働局)などの企業における具体的な事例を参考にする、高齢者雇用の専門家であるJEEDの70歳雇用推進プランナーや高年齢者雇用アドバイザーに相談や助言・提案を受けることなどで、実施に向けた一歩がふみ出せるかもしれません。 * * *  次回は「両立支援」について解説します。 ※1 高年齢者等の雇用の安定等に関する法律 ※2 本連載第2回(2020年7月号)「定年」をご参照ください https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/series.htm ※3 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/manual.html 図表 66歳以上まで働ける制度のある企業の状況 全企業(40.7%) 定年制の廃止3.9% 66歳以上定年3.2% 希望者全員66歳以上の継続雇用制度10.6% 基準該当者66歳以上の継続雇用制度11.8% その他66歳以上まで働ける制度11.2% 301人以上(37.1%) 定年制の廃止0.6% 66歳以上定年0.8% 希望者全員66歳以上の継続雇用制度5.1% 基準該当者66歳以上の継続雇用制度15.3% その他66歳以上まで働ける制度15.3% 21〜300人(41.0%) 定年制の廃止4.2% 66歳以上定年3.4% 希望者全員66歳以上の継続雇用制度11.0% 基準該当者66歳以上の継続雇用制度11.5% その他66歳以上まで働ける制度10.8% ※66歳以上定年制度と66歳以上の継続雇用制度の両方の制度を持つ企業は、「66歳以上定年」のみに計上している。 ※「その他66歳以上まで働ける制度」とは、業務委託等その他企業の実情に応じて何らかの仕組みで66歳以上まで働くことができる制度を導入している場合を指す。 出典:厚生労働省「高年齢者雇用状況等報告」(2022年) 第39回 「両立支援」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  両立支援とは、「両方とも支障なく成り立つように支援すること」をいいます。本稿では、政府や企業が取組みを促進している、仕事と育児・介護の両立について取り上げたいと思います。 両立支援は社会・企業・個人にとってメリットがある  まず、個人の事情ととらえられがちな「仕事」と「育児・介護」について、政府や企業がなぜ両立を支援する必要があるのかについてみていきます。  「今後の仕事と育児・介護の両立支援に関する研究会報告書」※1に両立支援に取り組む意義について記載があります。そのなかでは、「少子高齢化により人口減少が加速化するなかで、社会経済の活力を維持・向上させるためには、生産性の向上を図るとともに、多様な人材が働き続けられることが必要」としています。なかでも離職理由として大きい育児や介護の事情が発生しても、労働者の希望に対応しつつ就業を継続できる制度や環境整備といった両立支援を行うことで、社会や企業としては労働力の確保、本人としては望むキャリア形成ができるとしています。  政府や企業が両立支援を推進することは、出生率の減少(2022〈令和4〉年で過去最低)、生産年齢人口※2の減少(1995〈平成7〉年をピークに毎年減少)や価値観の多様化(家庭事情・年齢に関係なく働きたいなど)といった現状を考慮すると、社会・企業や本人のいずれにも大きなメリットがあるといえます。 政府の取組み  次に、政府と企業の具体的な取組み内容についてみていきます。政府としては、「関連法」、「認定制度」、「助成金」の三つの観点から両立支援を推進しています。関連法については、「育児・介護休業法」が1991年に成立していますが、2021年6月にさらに両立支援を推進する改正を行っています。おもな改正点として、男性の育児参加を後押しするために「産後パパ育休(出生時育児休業)制度」が創設され、1歳までの育児休業とは別に産後8週間以内に4週間(28日)を限度として2回に分けて休業できるようになりました。また、育児休業を取得しやすくするために、原則1回までしか取得できなかった1歳までの育児休業についても、男女ともそれぞれ2回まで取得することが可能となりました。  認定制度については、企業に両立支援を推進する動機づけを図るために、おもに次のような認定を行っています。 ・えるぼし認定…女性の活躍促進に関する状況などが優良な企業を認定する制度。認定の段階は3段階で、より高い要件を満たしている場合は、プラチナえるぼし認定を受けることができる。 ・くるみん認定…「子育てサポート企業」として認定する制度。くるみん・プラチナくるみん・トライくるみんの三つの認定がある。  助成金については、2023年度時点で両立支援等助成金として次のものが設けられています。 ・出生時両立支援コース(子育てパパ支援助成金)…男性労働者が育児休業を取得しやすい雇用環境や業務体制整備を行い、産後8週間以内に開始する連続5日以上の育児休業を取得させた中小企業事業主に支給。 ・介護離職防止支援コース…「介護支援プラン」を策定し、円滑な介護休業の取得・復帰に取り組んだ中小企業事業主などに支給。 ・育児休業等支援コース…育児休業の円滑な取得・職場復帰のための取組みを行った事業主に支給。 企業の施策  企業の取組みとしては、義務化されているものとして次のものがあります。 ・一般事業主行動計画の策定・届出※3…事業主が従業員の仕事と子育ての両立を図るための雇用環境の整備や、子育てをしていない従業員も含めた多様な労働条件の整備などに取り組むにあたって、@計画期間、A目標、B目標を達成するための対策の内容と実施時期を具体的に盛り込み策定するもの。 ・ハラスメント防止措置の実施…育児・介護休業法が対象とする制度の利用を理由とした解雇や不利益取扱いなどのいやがらせの言動や、制度利用を阻害する言動などに対して防止措置を講ずること。  義務化されていない取組みとして代表的なものとしては、先述の認定制度の取得(企業のイメージの向上メリットあり)のほか、テレワークやフレックスタイム制度の導入、法で定める期間を超えた休暇制度・短時間勤務制度の充実、1時間単位の有給休暇の取得など、育児や介護の事情に対応しやすい就業制度の導入があげられます。具体的な内容については、東京都産業労働局の「家庭と仕事の両立支援ポータルサイト」※4の取組事例・両立体験談が参考になると思いますので、ご参照ください。 両立支援の今後の課題  両立支援ですが、まだまだ課題はあります。一つは制度が十分に使われていない点です。例えば、「令和3年度雇用均等基本調査」結果※5によると、2021年度の育児休業取得率は女性85.1%に対して、男性は14.0%の状況です。しかも取得期間は女性は12カ月〜18カ月未満が最も多いのですが、男性は5日〜2週間未満が最も多い状況です。介護についても、「令和元年度仕事と介護の両立等に関する実態把握のための調査研究事業報告書」※6によると、直近1年間における家族の介護をおもな理由として退職した従業員の割合8.4%のうち、退職前の介護休業制度の利用者は22.8%、介護休業以外の両立支援制度の利用者は10.9%にすぎません。これらの理由としては、職場(特に上司)の理解不足、会社の周知不足、休業中の収入への不安などがあげられます。  もう一つの課題としては、介護に関する両立支援がまだまだ十分でない点があげられます。育児・介護休業法の近年の改正のメインは育児関連であり、また先述の厚生労働省委託調査でも、介護のために勤務先の制度を利用しなかった理由として、そもそも「介護休業制度等の両立支援制度が整備されていなかったため」が35.5%(現在正社員回答)と最も多い状況です。今後、仕事と介護の両立が必要となる従業員は増加していくことが想定されるため、仕事と介護の両立支援の充実が望まれます。  次回は、「HRDX」について解説します。 ※1 厚生労働省『今後の仕事と育児・介護の両立支援に関する研究会報告書』(2023年6月) ※2 生産年齢人口……生産労働を中心となって支える15歳から64歳の人口 ※3 「次世代育成支援対策推進法」により従業員101人以上の企業には、行動計画の策定・届出、公表・周知が義務化 ※4 https://www.katei-ryouritsu.metro.tokyo.lg.jp/ ※5 厚生労働省『令和3年度雇用均等基本調査』(2022年7月) ※6 厚生労働省委託事業『令和元年度仕事と介護の両立等に関する実態把握のための調査研究事業報告書』(2022年3月) 第40回 「HRDX」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  HRDXとは、HR(Human Resource)とDX(Digital Transformation)を組み合わせた用語です。 DXは単なる業務の効率化ではない  HRDXの話に入る前に、まずはDXとは何かについて押さえておきましょう。近年、報道や仕事をするうえでDXという用語を聞く機会は多いと思います。  DXの定義はデータやITシステムを使った業務効率化≠ニいった説明も見られますが、経済産業省は『デジタルガバナンス・コード2・0』※1のなかで「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」としています。業務効率化にとどまらず、ビジネスモデルや仕事の仕方、組織までも変革することまで見すえている点が大きなポイントです。会社の理念や存在意義をもとに、中長期的な会社やビジネスのありたい姿(理想)を設定し、理想と現状の差分を解消する一つの手段≠ニしてデータやITシステムを活用することが重要です。しかし、DXの推進そのものを目的にしてしまうと、やってみたものの思ったほどの効果がみられないとして、DXの取組みが頓挫(とんざ)してしまいがちになるため注意が必要です。 人事分野のDX推進は重要性が増していく  それでは、HRDXについてみていきたいと思います。HRは人的資源※2や人材をさすため、人事領域にかかわるDX(人事DX)といえます。わざわざ人事領域にフォーカスしている背景には、人事業務や人事部門ならではの次のような問題があるからです。 @人事のIT化の後れ…ITへの投資をしている会社でも、収益向上に直接かかわらない人事に対する投資は後回しになりがちになっている。 A人事の業務が属人化…人事の多岐にわたる業務(給与計算・労務管理・採用など)を少人数でになっており、担当者しか業務を把握できない状況になっている。 B人事施策の感覚的実施…人の能力や適性などの数値は図りにくく、人事部門に数値的な成果を求められることが少なかったため、経験則に基づく感覚で人事施策を行ってしまう。  ほかにもありますが、人事領域においてはITシステムの導入も活用も後れているというのが、多くの会社で共通しているところです。  それでは、HRDXによって人事はどのように変わっていくのでしょうか。最初のステップとしては人事業務の効率化があげられます。@Aの理由もあり人事担当者は一日の多くの時間を目の前の制度運用対応や手作業に費やし、新たな取組みや提言を行う物理的な時間が不足しているといわれています。DX化により作業などの時間が削減できれば、新たな取組みなどに充てる時間が捻出できることになります。  次のステップとして、人事にかかわるデータを収集・分析し、その結果を用いて人事施策の立案・決定に活かしていくこと(ピープルアナリティクス)があげられます。例えば、採用・人材配置などはBで記載したような経験則で最もやりがちな施策でしたが、優秀層の属性、行動・成果実績やスキルなどをデータ分析し、人材像を明確化したうえで実施する企業も増えています。  さらにその先のステップとして、経営への貢献があげられます。人事部門に求められる役割は人事諸制度の運用改善から持続的な企業価値の向上への貢献に変化してきています※3。人的資本情報の把握(女性管理職比率、男女間賃金差異など)の情報整理はもとより、企業の中長期的な成長に対して、どのような人材を組み合わせれば達成できるか(人材ポートフォリオ)、そのために最適な採用や教育、働き方、組織風土は何かまでも提案・実行することが求められます。DXの定義にある会社の変革を人事面から推進することがHRDXの大きなゴールといえます。 DXの取組みはまだまだこれから  最後に、各社のDXの取組み状況について見ていきたいと思います。HRDXに絞った公的機関が出している統計は見あたらないため、DX全般の統計になりますが、「令和4年版 情報通信白書」(総務省)によると、DXに関する取組みを進めている日本企業の割合(「全社戦略に基づき全社的に」、「一部の部門において」、「部署ごとに個別にDXに取組んでいる」企業の合計値)は約56%です(アメリカは約79%)。中小企業については、より少なく、「中小企業のDX推進に関する調査」(独立行政法人中小企業基盤整備機構)によると、(「既に取り組んでいる」、「取り組みを検討している」企業の合計値)は、24.8%です。取組みが活発であるとはいいがたい理由としては、DXにかかわる人材やスキル不足のほか、「具体的な効果や成果が見えない」、「経営者の意識・理解が足りない」などがあげられています(図表参照)。HRDXについては、推進の必要性を経営者が理解することのハードルがより高いことが想定されるため、HRDXの目的と効果を事前に整理することがいっそう重要となります。  次回は、「フリーランス」について解説します。 ※1 デジタルガバナンス・コード…… 企業のDXに関する自主的取組みをうながすため、デジタル技術による社会変革をふまえた経営ビジョンの策定・公表といった経営者に求められる対応をまとめたもの。2020年11月策定、2022年9月に改訂 ※2 人的資源……経営に不可欠といわれている資源であるヒト・モノ・カネ・情報のうち、ヒトにかかわる部分 ※3 本連載第37 回(2023 年8月号)「人的資本」をご参照ください https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/202308.html 図表 DXに取り組むに当たっての課題 (複数回答n=1,000) DXに関わる人材が足りない 31.1% ITに関わる人材が足りない 24.9% 具体的な効果や成果が見えない 24.1% 予算の確保が難しい 22.9% 経営者の意識・理解がたりない 19.0% DXに取り組もうとする企業文化・風土がない 18.8% 何から始めてよいかわからない 17.1% ビジョンや経営戦略、ロードマップがない 12.6% 情報セキュリティの確保が難しい 7.5% 既存システムがブラックボックス化している 5.2% その他 2.6% 出典:独立行政法人中小企業基盤整備機構「中小企業のDX推進に関する調査」(2022年5月)