いまさら聞けない 人事用語辞典 株式会社グローセンパートナー 執行役員・ディレクター 吉岡利之 第51回「エンゲージメント」 第52回「労働基準法」 第53回「労働契約法」 第54回「労働安全衛生法」 第55回「リストラクチャリング」 第56回「グローバル人材」 第57回「産前産後休業・育児休業」 第58回「労働生産性・労働分配率」 第59回「組織」 第60回「リーダーシップ」 第51回 「エンゲージメント」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、エンゲージメントについて取り上げます。 エンゲージメントは組織と個人の双方向の関係で成り立つ  エンゲージメントの定義をインターネットで検索してみると、さまざまな表現の内容が出てきます。公的な資料の定義を引用すると、『経済財政運営と改革の基本方針2022について』※1という資料では、エンゲージメントは「働き手にとって、組織目標の達成と自らの成長の方向が一致し、仕事へのやりがい・働きがいを感じる中で、組織や仕事に主体的に貢献する意欲や姿勢を示す概念」と記載されています。また、厚生労働省の『働き方・休み方改善ポータルサイト』※2では、「エンゲージメントは、仕事にやりがい(誇り)を感じ、熱心に取り組み、仕事から活力を得ている状態をさし、個人と仕事との関係に着目したワークエンゲージメントと、所属組織への貢献意欲をさし、個人と組織との関係に着目した従業員エンゲージメントの二種類がある」としています。  これらとインターネットでみられる定義も含めて一致しているのは、「組織」と「個人(働き手)」の双方向の関係が主体的な組織や仕事への貢献意欲などに影響を及ぼすという点です。従業員満足度や企業へのロイヤリティ(忠誠心)と混同されることもありますが、個人から組織への一方向的な思いである点や、主体的な貢献意欲などにつながるかどうかまではわからない点に違いがあります。また、個人が目標に向けて主体的に行動するワークモチベーションとも双方向性という観点から異なる用語です。ただし、エンゲージメントの向上が、従業員満足度やロイヤリティ、ワークモチベーションにも好影響を及ぼすともいわれているため、各々関連している用語といってもよいと思います。 エンゲージメントの現状  エンゲージメントは概念的な用語ではありますが、現状を測定し数値化することは可能とされています。メディアなどでよく取り上げられるのは、ギャラップ社※3のState of the Global Workplaceで、“日本の従業員のエンゲージメントは低い”という調査結果を聞いたことがある読者の方も多いのではないでしょうか。最新の「2024 Report」を参照するとエンゲージしている日本の従業員は6%と東アジア地域で最低水準にあります(高水準はモンゴル41%、中国19%です)。また、2023年版の資料※4に経年の推移が載っているのですが、2012年から2022年にかけてグローバルの13%〜23%と右肩上がりの水準に対して、日本は7%〜5%と低水準を推移している状態にあります。  また、国内の調査では、少々古いですが、『令和元年版 労働経済の分析』※5にエンゲージメントの詳しい解説と分析が載っています。ここでは、エンゲージメントは「活力」、「熱意」、「没頭」の三つが揃った状態とし、これらを測定するための質問回答に基づきエンゲージメントスコアを算出し、日本における働きがいの現状を示しています。概況の一部を抜粋したものが図表です。特徴的なのは加齢または職位・職責の高まりにともなって、スコアが高まっている点です。特に、60歳以上のスコアがほかの年齢層と比較して、突出して高い数値となっており、高齢者雇用の推進はエンゲージメントの高い社員の活用につながる点がうかがえます。一方で、これから長い職業人生における活躍が期待される若手層のスコアが低い点が課題ともとらえられます。 エンゲージメント向上に向けた取組み  労働経済の分析のなかで、エンゲージメントを向上させることは、個人・企業の労働生産性の向上につながる可能性や、「職業人生は可能な限り長い方が望ましい」と感じる労働者の増加につながる可能性が示唆されています。このため、エンゲージメントの向上は、現在の日本の大きな課題である労働生産性の向上や人手不足の解消策の一部としてとらえられ、政府としても『経済財政運営と改革の基本方針2022について』のなかで、「人的資本投資の取組とともに、働く人のエンゲージメントと生産性を高めていくことを目指して働き方改革を進め」としています。  また、企業業績の向上や人材の定着につながるとして、エンゲージメントの向上施策に具体的に取り組んでいる企業も多くあります。『令和元年版 労働経済の分析』のなかにエンゲージメントの高い勤め先企業で実施されている雇用管理という調査(第2−(3)−20図、P213)がありますが、「能力・成果等に見合った昇進や賃金アップ」、「有給休暇の取得促進」、「職場の人間関係やコミュニケーションの円滑化」、「人事評価に関する公正性・納得性の向上」、「仕事と育児の両立支援」などが実施率の上位に入っています。また、『働き方・休み方改善ポータルサイト』で、各社の具体的な取組み事例をみることができます。多くの企業に共通しているのは、調査ツールやアンケートを用いてエンゲージメントの実態を把握し、その結果に基づき施策を実施することを継続的にくり返していることです。エンゲージメントは持続的かつ安定的な状態をとらえる概念ともいわれており、一過性の対応ではなかなか向上にはつながらない点に注意が必要です。  次回は、「労働基準法」について取り上げます。 ※1 『経済財政運営と改革の基本方針2022について』(令和4年6月7日閣議決定) https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/honebuto/2022/2022_basicpolicies_ja.pdf ※2 「ワークエンゲージメントとは」『働き方・休み方改善ポータルサイト』https://work-holiday.mhlw.go.jp/work-engagement/ ※3 ギャラップ社……アメリカ最大の調査会社。世論調査や従業員意識調査などを実施 ※4 『2023年版 ギャラップ職場の従業員意識調査:日本の職場の現状 リーダーのための5つの洞察』 ※5 『令和元年版 労働経済の分析 ─人手不足の下での「働き方」をめぐる課題について─』(厚生労働省) https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/19/19-1.html ここでは、ワーク・エンゲイジメントと表現されているが、本稿ではエンゲージメントで統一した 図表 エンゲージメントスコアの概況(抜粋) (スコア) 熱意 没頭 エンゲイジメント・スコア 活力 全体 3.92 3.55 3.42 2.78 性別 男性 3.85 3.50 3.39 2.81 女性 4.02 3.60 3.45 2.73 年齢 29歳以下 3.85 3.37 3.29 2.66 30歳台 3.90 3.51 3.38 2.73 40歳台 3.94 3.55 3.42 2.76 50歳台 3.94 3.59 3.44 2.78 60歳以上 4.08 3.82 3.70 3.19 居住地 三大都市圏 3.95 3.55 3.43 2.79 地方圏 3.91 3.54 3.40 2.77 役職 役職なし 3.88 3.46 3.33 2.66 係長・主任相当職 3.94 3.54 3.40 2.72 課長相当職 3.91 3.59 3.45 2.85 部長相当職以上 4.14 3.86 3.76 3.26 勤め先企業の規模 20人以下 3.92 3.50 3.40 2.77 20超50人以下 3.97 3.61 3.47 2.28 50超100人以下 3.91 3.52 3.39 2.76 100超300人以下 3.86 3.49 3.35 2.71 300超1000人以下 3.91 3.44 3.36 2.72 1000人超 3.74 3.41 3.27 2.65 資料出所(独)労働政策研究・研修機構「人手不足等をめぐる現状と働き方等に関する調査(正社員調査票)」(2019年)の個票を厚生労働省政策統括官付政策統括室にて独自集計 (注)エンゲイジメント・スコアは、調査時点の主な仕事に対する認識として、「仕事をしていると、活力がみなぎるように感じる」(活力)、「仕事に熱心に取り組んでいる」(熱意)、「仕事をしていると、つい夢中になってしまう」(没頭)と質問した項目に対して、「いつも感じる(=6点)」「よく感じる(=4.5点)」「時々感じる(=3点)」「めったに感じない(=1.5点)」「全く感じない(=0点)」とした上で、「活力」「熱意」「没頭」の3項目全てに回答している16,579サンプルについて、1項目当たりの平均値として算出している。 出典:『令和元年版 労働経済の分析』厚生労働省 第52回 「労働基準法」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、労働基準法について取り上げます。 労働基準法は“最低限”の基準  労働基準法(労基法)とは、労働条件の“最低基準”を定めた法律です。本来であれば、労働条件に関する契約も近代法律の考え方の基本である契約自由の原則※1にのっとり、労働者と使用者(雇用主等)の対等な立場での契約で行えばよいのですが、労働者は経済力の弱さから不公平な契約になる可能性が高くなります。そこで、国家が雇用関係に直接的に介入することで、労働者の保護を図ることを目的に制定されたのが労働基準法です。最低基準を定めているという点がポイントで、当然ながら基準を下回ることは許されず、むしろ向上させていくことが条文の第一条で望まれています。  理解を深めるために、制定の経緯もみていきましょう。労働基準法が制定されたのは、太平洋戦争終戦後の1947(昭和22)年第92回帝国議会においてです。ここでの労働基準法の提案理由に、「戦前わが国の労働条件が劣悪なことは、国際的にも顕著なものでありました。(略)日本再建の重要な役割を担当する労働者に対して、国際的に是認されている基本的労働条件を保障し、もって労働者の心からなる協力を期待する」とあります。これより前に、1916(大正5)年に施行された工場法という労働者保護のための法律があったのですが、『女工哀史※2』などの実態にみられるように、適用範囲は限定的で、年少者、女子に関する保護内容も初期の過渡的なものにすぎませんでした。これに対して、1946年に交付された日本国憲法の第27条第2項の「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。」を根拠として、国際的な基本的労働条件を保障することで、終戦後の日本の産業復興に向けて労働者の協力をうながそうとしたのが労働基準法です。  ここまで述べたように労働基準法の目的の根底にあるのが、労働者保護の考えです。労働にかかわる法律は、総称して労働法といいますが、なかでも労働基準法は労働保護法の基本となる法律といわれています。 労働基準法の概要と近年の改正動向  労働基準法の目的を押さえたところで、内容についてみていきましょう。紙面の都合もあるので代表的な項目※3を列記します ・第一章 総則…労働条件の原則や決定、男女同一賃金の原則等 ・第二章 労働契約…契約の期間、労働条件の明示、解雇制限と解雇の予告等 ・第三章 賃金…賃金の支払い方法(直接払、通貨払、毎月払)、休業手当等 ・第四章 労働時間等…労働時間(一日8時間・週40時間、変形労働時間、フレックスタイム)、休憩・休日の付与時間・日数、時間外及び休日の労働(労使協定の締結)、時間外・休日及び深夜勤務の割増賃金、時間計算(労働時間の通算、みなし労働、裁量労働)、年次有給休暇の付与方法・日数、労働時間等に関する規定の適用除外(管理監督者)等 ・第六章の二 妊産婦等・・・危険・有害な業務の就業制限・禁止、産前産後の休業・労働時間・深夜勤務の扱い等 ・第八章 災害補償…休業補償、障害補償、遺族補償等 ・第九章 就業規則…作成及び届出の義務、意見聴取手続(労働組合・労働者過半数代表者)、法令・労働協約・労働契約との関係等 ・第十一章 監督機関…労働基準主管局・都道府県労働局・労働基準監督署の職員及び権限 ・第十三章 罰則…罰金、懲役等  昔からみたことがあるという項目も多いかと思います。しかし、労働基準法は、社会の課題や要請に応じてかなりの頻度で内容が改正されています。例えば、直近2023(令和5)年・2024年施行の改正では、柔軟な働き方の促進にともなう裁量労働制の適用要件見直し※4、有期契約労働者の無期転換円滑化に向けた労働条件明示のルール見直し、キャッシュレス決済等の浸透に対応するための賃金のデジタル払いを可能とするものなどです。法律が変わるということは、使用者や労働者が日常で守るべきルールも変わるということですので、改正の動向には関心を払っておきたいところです。 労働基準法に関する問題  最後に筆者が特に気になる労働基準法に関する問題に触れて、本稿を締めたいと思います。  一つは法律が遵守されきれていない事実があることです。社会全体の働き方改革やコンプライアンス遵守の流れにより、かつてに比べて遵守意識は高まったといわれていますが、厚生労働省労働基準局が発刊している『労働基準監督年報』の定期監督等実施状況・法違反状況をみるとまだまだ違反件数は多数あります。参考までに2022年調査での違反が1万件以上のものをあげると、労働時間、割増賃金、年次有給休暇、労働条件の明示、賃金台帳の記載に関するものです。労働基準法違反があった場合の罰則として、罰金または懲役があるのですが、罰金の金額がそれほど高いものではなく、懲役に至るケースが広くは認知されていないなどが違反件数が多い理由として想定されます。また運用ルールが複雑であることも否めず、意図せず違反になるケースもあります。迷ったら、弁護士や社会保険労務士などの専門家に相談することをおすすめします。  もう一つの問題は、労働基準法の適用範囲です。原則として、使用者の指揮監督下で労働している場合には、労働者として労働基準法の適用対象となります。しかし、適用対象外の労働者もいます。例えば、家内労働者(同居の親族のみで営む事業で働く者)、家事使用人(家事一般に使用される労働者)については完全に適用除外になっています。同様に、増加傾向にあるフリーランス※5は雇用関係にはないものの、実際は指揮監督下で労働者と変わらない働き方をしている者も多くいます。特にフリーランスについては、使用者の意向に従って長時間の労働や働き方の制限を受けているケースがしばしば話題にあがっています。労働基準法上の労働者に該当するかどうかは、契約の形式や名称にかかわらず、実態を勘案して総合的に判断されるため注意が必要です。 ***  次回は、「労働契約法」について取り上げます。 ※1 契約自由の原則……私人の契約による法律関係については私人自らの自由な意思に任されるべきであって、国家は一般的にこれに干渉すべきではないとするもの ※2 『女工哀史』…… 細井和喜蔵(ほそいわきぞう)著、大正14(1925)年改造社刊。近代日本の経済発展をになった大機械制工場下の紡績業に従事する「女工」の過酷な労働環境の実態を記録したもの ※3 詳細な内容は、条文をご確認ください。  https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049 ※4 本連載第49回(2024年8月号)「裁量労働制」をご参照ください。  https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202408/index.html#page=52 ※5 本連載第41回(2023年12月号)「フリーランス」をご参照ください。  https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202312/index.html#page=52 第53回 「労働契約法」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、労働契約法について取り上げます。前回(2024年12月号)※1で解説した労働基準法と密接に関係するため、あわせて一読いただくと理解が深まると思います。 労働条件の合意に関する基本的なルール  労働契約法は、労働にかかわる法律の総称である労働法の一つで、労働者(使用者に使用されて労働し、賃金を払われる者)と使用者(使用する労働者に対して賃金を支払う者)間での合意によって成立する労働条件に関する労働契約についての基本的なルールを定めた法律です。  まずは、どのようなルールが記載されているか、ポイントを取り上げてみましょう。 @労働契約の締結等…労働契約に共通する原則である、労使対等の原則・均衡考慮の原則※2・仕事と生活の調和への配慮の原則・信義誠実の原則・権利濫用※3の禁止の原則(第3条)、使用者は労働者に提示する労働条件及び労働契約の内容に関し、労働者の理解を深めるようにし、できる限り書面で確認すること(第4条)。 A労働契約の成立と変更…労働者と使用者が、 「労働すること」、「賃金を支払うこと」に合意すると労働契約が成立すること(第6条)、労働者と使用者が合意すれば労働契約を変更可能となること(第8条)、就業規則※4と労働契約の関係性について(第9条〜第13条)。 B労働契約の継続および終了…懲戒・解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、権利を濫用したものとして無効であること(第16条)。 C期間の定めのある労働契約…有期契約労働者について、使用者はやむを得ない事由がある場合でなければ、契約期間が満了するまでの間において労働者を解雇できないこと(第17条)、有期労働契約期間を通算して5年を超える労働者が、期間の定めのない労働契約の締結の申込みをしたときは、使用者は申込みを承諾したものとみなすこと(無期転換ルール※5)(第18条)。  労働契約の内容を考えるうえで注意すべきは、労働条件の最低基準を定めた労働基準法を必ず上回ることが求められている点です。また、第9条〜第13条にある通り、就業規則が合理的な内容かつ労働者に周知されている場合は就業規則の内容が労働条件になるものの、就業規則と異なる内容の労働条件を労働者・使用者間で個別に合意していた場合は合意内容が労働条件になり、その条件が就業規則を下回っている場合は、就業規則の内容まで条件が引き上がる点も押さえておきたいところです。 労働契約法は比較的新しい法律  労働基準法が、1947(昭和22)年に制定されたのに対して、労働契約法は2007(平成19)年に制定されています。労働契約法の制定が比較的最近であることには、かつては労働基準法や就業規則、労働協約などで一律的に労働条件を定めておくことでこと足りていたのが、就業形態が多様化し労働条件が個別に決定・変更されることが増えたことにともない、個別労働関係紛争が増加したことが背景にあります。  それまでは、紛争に関する蓄積された裁判例をもとに形成された民事的ルールをもとに裁判所が判断していましたが、その内容が一般に周知されていたともいいがたい状況がありました。そこで、個別労働関係紛争を防止し、労働者の保護を図りつつ、個別の労働関係の安定に資することを目的として、民事的ルールを一つの体系として労働契約法を制定することになりました。このような経緯から、先に述べた第18条の無期転換ルールが2012年の法改正で追加されるなど、就労状況の変化や労働紛争などの実態に合わせる形で法律は改正されてきました。  労働契約法にかかわりの深い直近の動向として触れておきたいのが、2024(令和6)年施行の労働基準法施行規則・有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準の改正です。労働契約の締結・更新のタイミングでの労働条件明示事項が追加されることになりました。 @すべての労働契約の締結時と有期労働契約の更新時に就業場所と業務の変更の範囲を明示すること…全労働者対象 A有期労働契約の締結時と更新時に、更新上限(通算契約期間または更新回数の上限)の有無と内容を明示、また更新上限を新設・短縮する場合はその理由をあらかじめ説明すること…有期契約労働者対象 B無期転換申込権が発生する有期労働契約の契約更新のタイミングごとに、無期転換を申し込むことができる旨と無期転換後の労働条件を明示すること…有期契約労働者対象  これらの明示の仕方がよくわからないという場合には、厚生労働省のパンフレットに、詳しいルールとモデル労働条件通知書の例が掲載されているため参照することをおすすめします※6。 個別労働紛争解決制度の活用も選択肢の一つ  労働基準法は“公的権限(刑事司法や行政機関)”により法の実現を目ざすため、前号に述べた通り、違反した場合の罰金や懲役などの罰則が定められています。一方で、労働契約法は“私人間の紛争解決”により法の実現を図る位置づけのため、直接的な罰則は存在しません。私人間の紛争解決については、個々の労働者と事業主の間の労働契約や職場環境に関するトラブルを未然に防止し、迅速に解決を図るための個別労働紛争解決制度が設けられています。  具体的には、都道府県労働局や労働基準監督署に設けられた総合労働相談コーナーへの総合労働相談に対して、都道府県労働局長が解決の方向性を示し紛争当事者間の自主的な解決を促進する助言・指導、または都道府県労働局に設置されている紛争調整委員会のあっせん委員が紛争当事者の間に入って話し合いを促進するあっせんにより紛争解決を図っていきます。労働契約について、労働者・使用者間でよく話し合い、理解したうえで運用していくことに越したことはありませんが、トラブルや紛争に至った場合は、労働者・使用者にかかわらず本制度を活用することは、有力な選択肢の一つといえます。 ***  次回は、「労働安全衛生法」について取り上げます。 ※1 ※2 均衡考慮の原則……労働契約の締結・変更において、就業実態との均衡(バランスや釣り合いがとれている等)を考慮し、かつ異なる雇用形態間の均衡も考慮すべきというもの ※3 権利濫用……本来想定されている権利の範囲を超えてその権利を行使するため、権利の行使として認めることができないと判断される行為 ※4 就業規則……本連載第19回(2021年12月号)をご参照ください。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202112/html5.html#page=56 ※5 無期転換ルール……詳細なルールや留意事項があるため、厚生労働省のポータルサイトなどを確認のこと https://muki.mhlw.go.jp ※6 「2024年4月からの労働条件明示のルール変更 備えは大丈夫ですか?」 https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001298244.pdf 第54回 「労働安全衛生法」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、労働安全衛生法について取り上げます。 労働安全衛生法は労働基準法から派生  本法の目的は、「労働災害の防止のための危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進すること」(第1条)とされています。ここでいう労働災害とは、「労働者の就業に係る建設物、設備、原材料、ガス、蒸気、粉じん等により、又は作業行動その他業務に起因して、労働者が負傷し、疾病にかかり、又は死亡すること」(第2条)をさします。  背景として、いわゆる高度経済成長期の急速な事業や生産量の拡大等により、労働災害が多発し、労働者が死亡にいたるケースが多々ありました。そこで、労働災害の防止のいっそうの強化を図るために、労働基準法から分離して、1972(昭和47)年に労働安全衛生法が制定されました。本法に記載されているのは、労働災害防止に関する“最低基準”と定義されており、この点も労働条件の最低基準について定めた労働基準法との関連性がみられます。  本法では、労働災害の防止という目的を達成するために、事業者(事業を行う者で、労働者を使用するもの)と労働者(労働基準法第9条に規定する労働者※1)の両者に対して責務を定めている点が特徴的です。事業者には、法に定める最低基準を守ることに加え、職場における労働者の安全と健康を確保することが求められています。また、労働者には、労働災害を防止するため必要な事項の遵守や、労働災害の防止に関する措置に協力するように努めることが求められているため、事業者・労働者ともに内容を理解しておくべき法律といえます。 労働安全衛生法の概要  それでは、本法にはどのような内容が定められているか概要についてみていきます※2。 @事業場における安全衛生管理体制の確立  総括安全衛生管理者、安全管理者、衛生管理者、産業医等の選任、  安全委員会、衛生委員会等の設置(第3章) A事業場における労働災害防止のための具体的措置 ・危害防止基準:機械、作業、環境等による危険に対する措置の実施(第5章) ・安全衛生教育:雇入れ時、危険有害業務就業時に実施(第6章) ・就業制限:クレーンの運転等特定の危険業務は有資格者の配置が必要(第6章) ・作業環境測定:有害業務を行う屋内作業場等において実施(第7章) ・健康診断:一般健康診断、有害業務従事者に対する特殊健康診断等を定期的に実施(第7章) B監督と罰則 ・監督:厚生労働大臣・労働基準監督官・産業安全専門官・労働衛生専門官等による検査・指導等の実施(第10章) ・罰則:違反に対しては、違反した当事者には罰金・懲役が科される場合あり(第12章)。  労働安全衛生法に定めてあるのはあくまで概略です。法律に定める責務の具体的な内容等は、省令(労働安全衛生規則等)で規定されていますが、多くの法令を網羅しておさえるのはむずかしい部分もあります。そこで「職場のあんぜんサイト※3」などに安全・衛生対策方法や補助金申請・相談窓口など豊富な情報が掲載されているため、それらの情報をまずは活用してみてください。 高齢者雇用の推進と労働安全衛生法  高齢者雇用の推進の観点からも労働安全衛生に対する積極的取組みの重要性が高まっています。例えば、業務上の転倒による休業4日以上の対象者は、60歳以上が43%、50歳以上が29%という状況(2021〈令和3〉年)※4となっており、今後高齢者雇用を促進していくためには、けが防止等のよりいっそうの対策が求められます。また、2024年11月22日に開催された労働政策審議会安全衛生分科会では、労働災害による休業4日以上の死傷者に占める60歳以上の割合は29.3%(2023年)に達しており、高年齢労働者に対する労働災害防止対策について、対応が必要となっているとの課題提起がなされています。  これに対して、各事業所の取組みの実際はどうでしょうか。2023年「労働安全衛生調査(実態調査)の概況」の高年齢労働者の労働災害防止対策の取組み状況をみると、そもそも高年齢労働者に対する労働災害防止対策に取り組んでいる事業所は19.3%と決して多くなく、うち「高年齢労働者の特性を考慮した作業管理」56.5%が最も多く、「身体機能の低下等を補う設備・装置等の導入」は25.2%と具体的な整備等はまだまだ少ない状況です(図表)。今後、各事業者のより具体的な取組みが期待されます。  次回は、「リストラクチャリング」について取り上げます。 ※1 本連載第52回(2024年12月号)に労働基準法で定める労働者の範囲に関する説明があります。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202412/index.html#page=50→ ※2 厚生労働省の安全・衛生に関するサイト (https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/anzen/index.html)の「労働安全衛生法の概要」から筆者一部加筆 ※3 厚生労働省「職場のあんぜんサイト」(https://anzeninfo.mhlw.go.jp/) ※4 厚生労働省・都道府県労働局・労働基準監督署「労働者の転倒災害(業務中の転倒による重傷)を防止しましょう」事業者向けリーフレット(https://www.mhlw.go.jp/content/001101299.pdf)より 図表 高年齢労働者に対する労働災害防止対策の取組の有無及び取組内容(複数回答)別事業所割合 令和5年 (単位:%) 区分 60歳以上の高年齢労働者が業務に従事している事業所計1) エイジフレンドリーガイドラインを知っている2) 高年齢労働者に対する労働災害防止対策の取組の有無 高年齢労働者に対する労働災害防止対策に取り組んでいる3) 取組内容(複数回答) 高年齢労働者の労働災害防止対策に取り組む方針の表明 身体機能の低下等による労働災害発生リスクに関するリスクアセスメントの実施 身体機能の低下を補う設備・装置の導入(転倒災害防止のための通路の手すり設置や段差解消、パワーアシストスーツの使用など) 高年齢労働者の特性を考慮した作業管理(高齢者一般に見られる持久性、筋力の低下等を考慮した高年齢労働者向けの作業内容の見直し) 労働災害防止を目的とした体力チェックの実施(厚生労働省作成の「転倒等リスク評価セルフチェック票」等を活用した体力の客観的な把握) 個々の高年齢労働者の健康や体力の状況に応じた対応(健康診断や体力チェックの結果に基づく運動指導や栄養指導、保健指導などの実施など) 高年齢労働者の特性に応じた教育(加齢による身体能力低下に伴う労働災害リスクや体力維持の重要性の教育など) その他 高年齢労働者に対する労働災害防止に取り組んでいない 合計 [77.7] 100.0 23.1 19.3 (100.0) (20.3) (29.4) (25.2) (56.5) (10.3) (45.9) (27.7) (1.4) 3.8 (事業所規模) 1,000人以上 [96.5] 100.0 62.1 53.7 (100.0) (27.3) (29.7) (62.5) (55.2) (19.1) (66.1) (31.8) (0.8) 8.4 500〜999人 [99.6] 100.0 54.9 43.4 (100.0) (17.8) (25.5) (42.6) (52.0) (18.2) (52.0) (21.5) (0.2) 11.3 300〜499人 [98.9] 100.0 55.0 41.6 (100.0) (25.8) (25.0) (35.9) (57.2) (18.9) (63.0) (29.3) (1.7) 13.2 100〜299人 [97.3] 100.0 37.3 29.4 (100.0) (19.1) (37.6) (36.9) (45.4) (15.6) (49.6) (37.6) (1.1) 7.6 50〜99人 [93.0] 100.0 29.8 24.7 (100.0) (22.0) (42.7) (42.7) (55.6) (8.7) (57.1) (29.2) (0.8) 5.1 30〜49人 [84.4] 100.0 22.3 18.6 (100.0) (17.6) (23.5) (23.4) (69.3) (6.6) (39.2) (22.9) (4.8) 3.6 10〜29人 [72.9] 100.0 20.3 17.2 (100.0) (20.6) (26.8) (18.9) (55.1) (10.4) (43.7) (27.1) (0.7) 3.1 注:1)[ ]は、全事業所を100とした60歳以上の高年齢労働者が業務に従事している事業所の割合である。 2)「エイジフレンドリーガイドラインを知っている」には高年齢労働者に対する労働災害防止対策の取組の有無不明が含まれる。 3)( )は、「高年齢労働者に対する労働災害防止対策に取り組んでいる」事業所を100とした割合である。 出典:令和5年「労働安全衛生調査(実態調査)の概況」(厚生労働省) 第55回 「リストラクチャリング」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、リストラクチャリングについて取り上げます。 広義と狭義の意味がある  リストラクチャリングよりも、“リストラ”という略称の方がすっかり定着していますが、リストラというと多くの人がまずイメージするのが人員削減や解雇といった意味だと思います。こちらの意味でも間違ってはいませんが、じつはこれだけでは狭い部分をさしています。  リストラクチャリングは、もともと英語で再構築を意味するRestructuringからきた用語です。定義としては経済財政白書にある平成11(1999)年度年次経済報告のなかで「リストラの背景と実態」に記載されている内容がわかりやすく、「企業が、資本、労働、技術など各種の生産要素の組合せや業務内容を見直して、再編成することを意味している。すなわち、諸資源のより効率的な組合せを作り生産性を上昇させていくという行為を指すものである。この意味では、必ずしも業務規模の縮小や撤退、あるいは雇用削減を意味するものではない。」としています。ここでみられるように、本来のリストラクチャリングには、不採算や収益性が高くない事業から、資源(ヒト・モノ・カネ・情報等)を成長分野にシフトしていくという広義の意味が含まれています。人員の削減はこれを行ううえでの人員数の適正化にともなうもので、一つの手段という狭義の意味になります。  この用語がいつから使われ始めたかは明確ではないのですが、1980年代には多くのアメリカ企業がリストラクチャリングに取り組んでおり、そのころ日本でも用語としては流入していたようです。1990年代になると、いわゆるバブル経済の崩壊による急速な企業業績の悪化への対応策として、本来の目ざすべき生産性の向上や成長分野へのシフトよりも、会社規模の縮小と人員数の適正化を行う企業が多かったことから、リストラ=人員削減のイメージが一気に広まっていきました。 広義のリストラクチャリングが増えてきた  バブル経済以降も、2008年前後のリーマンショックや2020(令和2)年あたりからの新型コロナウイルス感染症の流行など、国内景気が悪化すると、その喫緊の対応策として狭義のリストラ(人員削減)という選択肢を取る企業はまだ多くあります。このことは、東京商工リサーチが集計している上場企業の早期・希望退職募集数※1の2009年から2024年までの年度別推移をみても、実施した企業数が最も多かったのが2009年、次に多かったのが2020年という状況からもみて取れます。  しかし、インバウンド(訪日外国人観光客)需要等により国内景気が堅調とされる2024年も2020年・2021年に次ぐ早期・希望退職の募集規模で、募集人員数も1万人を超える集計になっています。個別の企業をみると、たしかに業績悪化への対応が理由と思われる会社もありますが、これまでとは異なる傾向もみえてきます。そのうちの一つが募集企業のうち最終利益が黒字の企業が約6割あるという点です。これらの会社にみられる実施理由が、事業内容の見直しです。もう一つが、年齢制限を設けずに募集をする企業が増えてきたという点です。従来は、人件費負担を軽くするために比較的賃金水準の高い中高年層を対象としてきましたが、募集の目的が事業の見直しであれば、年齢や賃金水準の高低よりも事業を遂行できるスキルを有した人材の確保が課題となるため年齢制限は大きな意味をなさなくなります。  これらのことから、近年は事業の再編成という広義のリストラクチャリングが広まってきているといえます。その理由として大きいのは、これまでのビジネスモデルを見直さざるを得ないという点です。製造業の場合は、グローバル競争の激化にともない、日本企業の収益構造では勝てない製造品目や拠点から撤退し収益性の高い部分への集中を進める、小売業の場合には店舗数の拡大により収益を生み出すという手法が人件費や物価等の高騰、人手不足により成り立たなくなったため、旗艦店への店舗の集中やインターネット販売の強化を進めるといった事例があげられます。 事業の再編成は社会の課題でもある  リストラクチャリングという用語を直接は使っていないものの、政府の資料でも事業の再編成については、たびたび言及されています。例えば、2021年6月18日に閣議決定された「成長戦略実行計画」では、製造コストの何倍の価格で販売できているかを示すマークアップ率※2が日本は1.3倍にとどまりG7諸国のなかで最も低く(最も高いのはイタリア2.5倍、次に高いのは米国1.8倍)、新製品や新サービスを投入した製造業の割合は9.9%と先進国のなかでも最も低い(最も高いのはドイツで18.8%、イタリアは17.8%)ことに対して、日本企業が付加価値の高い新製品や新サービスを生み出し、高い売価を確保できる付加価値を創造することで労働生産性の向上を図る必要があると問題提起しています。  また、2024年6月21日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2024」では、社会課題の解決と持続的な経済成長の実現に向け、官民が連携してグリーン、デジタル、科学技術・イノベーション、フロンティアの開拓、経済・エネルギー安全保障等の分野において、長期的視点に立ち、戦略的な投資を速やかに実行し、人材や資本等の資源を成長分野に集中投入していく旨が述べられています。「雇用政策の方向性、雇用維持から成長分野への労働移動の円滑化へとシフトしていく」とのふみ込んだ記載もあり、事業の再編成は個々の企業だけでなく、社会全体で推進していく課題として政府もとらえていることがうかがえます。  ただし、事業の再編成にともなう労働者の生活やキャリアには十分に配慮しておきたいものです。先述の基本方針2024でも賃上げやリスキリングの必要性が述べられていますが、労働移動や従事職務の変更を円滑に行うのであれば、それらは必要不可欠になります。また、企業としてはマルチスキル化の推進や配置転換を図ることで、望まない社外への労働移動を行うことなく、事業再編成を可能なかぎり実現していくという観点も必要かと思います。  次回は、「グローバル人材」について取り上げます。 ※1 「早期退職・希望退職」については、本連載第26回(2022年7月号)参照。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202207/#page=52 ※2 マークアップ率…… 分母をコスト(限界費用)、分子を販売価格とする分数。この値が1のとき、販売価格はちょうど費用を賄う分だけを捻出していることになる 第56回 「グローバル人材」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、グローバル人材について取り上げます。 2000年代初期に広まった用語  この用語が広まりだしたのは、2000年代初期といわれています。公的な資料で大きく扱われてきたのもこのころです。例えば、2011(平成23)年に設置されたグローバル人材育成推進会議がとりまとめた「グローバル人材育成戦略」(2012年)では、グローバル化について、「情報通信・交通手段等の飛躍的な技術革新を背景として、政治・経済・社会等あらゆる分野で「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」が国境を越えて高速移動し、金融や物流の市場のみならず人口・環境・エネルギー・公衆衛生等の諸課題への対応に至るまで、全地球的規模で捉えることが不可欠となった時代状況」と定義し、わが国がこのような経済・社会のなかで育成・活用すべき人材をグローバル人材としています。  また、一般社団法人日本経済団体連合会(以下、「経団連」)の「グローバル人材の育成に向けた提言」(2011年6月14日)という資料の冒頭に、「急速な少子高齢化の進展とそれに伴う人口の減少により、国内市場が縮小する中、天然資源に乏しいわが国経済が将来にわたって成長を維持するためには、日本の人材力を一層強化し、イノベーション力や技術力を高めることで、発展するアジア市場や新興国市場の需要を取り込んでいくことが不可欠」とし、グローバル人材の育成に向けた提言をしています。  引用部分が少し長くなりましたが、グローバル人材という用語が広まった背景として、1990年代のいわゆるバブル経済の崩壊にはじまる国内景気の長期低迷と国内市場の縮小に対して、企業は収益を高めるために、製品の販売ターゲットを国内から世界に広げ生産コストの低い国へ生産手段を移さざるを得ない、またインターネットに代表される技術革新により、望むと望まざるとにかかわらず国境を越えた競争に巻き込まれてしまうような社会情勢に対応できる人材の育成・活用が急務だったことがよくわかります。 グローバル人材に必要な要素  グローバル人材は一言で表現すると、「グローバル化を推進するために国境を越えて活躍できる人材」といえますが、より具体的な定義についてみていきましょう。  グローバル人材育成推進会議資料では、グローバル人材を次の要素※1を有した人材としています。 要素T:語学力・コミュニケーション能力 要素U:主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感 要素V:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー  また、経団連資料では、グローバル人材を「日本企業の事業活動のグローバル化を担い、グローバル・ビジネスで活躍する(本社の)日本人及び外国人人材」とすると定義しています。ここで特徴的なのは、グローバル人材育成推進会議の方では、日本人人材を対象としたグローバル人材育成をいかに進めるかに比重が置かれているのに対して、経団連の方は外国人人材にもターゲットが広がっている点です。  これらの資料が作成されたときは、グローバル人材を輩出するために教育の重要性が強く説かれ、グローバル人材育成推進会議資料では、語学(特に英語)教育の充実化や大学教育システムの改善、海外留学・留学生交流の推進がおもに提言されています。また、経団連資料ではグローバル人材育成に対する大学教育の果たす役割はきわめて大きいとして、産業界の求める人材と大学で育成する人材のマッチングを進めるための産業界と大学の連携強化や、イノベーション創出に向けた理工系教育の強化、グローバル人材育成プログラムの実施などが提言されています。  その後、2013年6月に閣議決定された「第2期教育振興基本計画※2」の未来への飛躍を実現する人材の養成としての基本施策16に「外国語教育、双方向の留学生交流・国際交流、大学等の国際化など、グローバル人材育成に向けた取組の強化」が掲げられ推進されることになります。 グローバル人材の課題は続いている  現在に目を向けてみましょう。グローバル人材という考えや存在は“あたり前”となり、一時に比べて用語としてはみかける機会が減りました※3。ただし、課題は依然として残っています。  本稿で取り上げた2000年代初期は海外に出て活躍できる日本人の育成に比重が置かれていましたが、現在は外国人が日本で働くうえでの課題も表出化してきています。日本で働く外国人労働者数は2010年約65万人から2024(令和6)年約230万人と右肩上がりに増えているなか※4、外国企業の日本への進出はそれほど増えていないといわれています。例えば、経済産業省の「第54回外資系企業動向調査(2020年調査)」をみても2015年度から2019年度の日本への新規参入企業は2015年度74社に対して、2018年度45社、2019年度48社という状態です※5。  この理由については、「令和4年度我が国のグローバル化促進のための日本企業及び外国企業の実態調査報告書」(2023年2月 経済産業省委託調査)から知ることができます。外国企業からの回答のなかで、「先進国と比較した日本のビジネス環境の『強み』と『弱み』」に対する質問として最も弱みとして回答があったのが「英語での円滑なコミュニケーション」です。このことは「日本に拠点を立地させるうえでの阻害要因」の第二位、「グローバル日本人人材を確保する上での阻害要因」の第一位にもなっています。外国企業の日本への進出をむずかしくしているのは、事業活動コストや市場の大きさなどの面もありながらも、グローバル人材の課題としてかねてからあげられている外国語でのコミュニケーションに起因する要素は非常に大きく、課題としては継続しているといえます。 ***  次回は、「産前産後休業・育児休業」について取り上げます。 ※1 三つの要素の説明の次に、「このほか、『グローバル人材』に限らずこれからの社会の中核を支える人材に共通して求められる資質としては、幅広い教養と深い専門性、課題発見・解決能力、チームワークと(異質な者の集団をまとめる)リーダーシップ、公共性・倫理観、メディア・リテラシー等を挙げることができる」との追記がある ※2 教育基本法に示された理念の実現と、わが国の教育振興に関する施策の総合的・計画的な推進を図るため政府として策定する計画。直近では、2023年6月16日に第4期が閣議決定 ※3 国立国会図書館リサーチで「グローバル人材」をキーワードとして含む資料を検索すると、2010年〜2014年は886件、2015年〜2019年は788件に対して、2020年〜2024年は283件と2020年以降、減少していることからもみてとれる ※4 「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ」(厚生労働省、2024年10月末時点) ※5 本調査は、2020年調査をもって終了のため、本調査が最新となる 第57回 「産前産後休業・育児休業」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、産前産後休業・育児休業について取り上げます。育児休業については、2025(令和7)年4月から施行された点についても触れていきます。 目的は母性保護と両立支援  産前産後休業と育児休業は一連の流れでとらえた方がよいため、図表を参照しながら読み進めてください。 ◆産前産後休業  産前産後休業は、働く女性の妊娠・出産・育児を支援する母性保護を目的とした制度で、労働者保護の一環として労働基準法※1の第65条第1項および第2項で定められています。6週間(多胎妊娠の場合は14週間)以内に出産する予定の女性が請求した場合は就業させることができないとする産前休業と、出産日の翌日から8週間を経過しない女性を就業させることができない(ただし、6週間経過後は本人が請求し、医師が支障がないと認めた業務に就業させることは可)産後休業で構成されます。なお、図表の最上段の欄に例があるように、労働基準法では、妊娠中の女性が請求した場合に軽易な業務に転換させること(第65条第3項)や、妊娠中および産後1年を経過しない女性(妊産婦)に対して、危険有害業務の就業制限(第64条の3)や、変形労働時間の適用や時間外労働・休日労働・深夜業の制限(第66条第1項、第2項、第3項)など※2、産前産後休業以外にも、母性保護に関するほかの規定が定められているため、あわせて押さえておくとよいでしょう。 ◆育児休業  育児休業は、働く労働者の育児と仕事の両立支援※3を目的とした制度で、おもに育児・介護休業法※4に定められています。労働者が原則1カ月前までに事業者に申し入れることにより、原則子が1歳に達するまでの間で労働者が申し出た期間、ただし、子が1歳に達する時点で保育園に入所できないなどの場合は1歳6カ月まで、子が1歳6カ月に達する時点で保育園に入所できない場合は2歳まで延長した期間を休業することができます。産前産後休業と異なり労働者であれば男女ともに取得が可能で、2回まで分割して取得できます。  これに加えて、父母ともに育児休業を取得する場合は、子が1歳2カ月に達するまでの間に父母それぞれ1年間まで育児休業を取得できるパパ・ママ育休プラスや、父親が原則休業の2週間前までに申し出ることにより、育児休業とは別に原則として出生後8週間のうち4週間まで休業(2回に分割可)することができる産後パパ育休制度(出生時育児休業制度)※5が設けられています。 さらなる育児休業の取得促進に向けて  仕事と育児の両立支援に欠かせない育児休業ですが、取得が十分でない点に課題があります。「令和5年度雇用均等基本調査」(2024年7月31日公表 厚生労働省)の結果によると2023年度の育児休業取得率は、女性84.1%、男性30.1%という状況です。女性の場合は、取得率が一見高くみえますが、経年でみると2009(平成21)年以降90%を下回った状態で推移しています。男性の場合は、2012(平成24)年まで2.0%を下回っていたことから考慮すると飛躍的な伸びとなっていますが、育児休業でもっとも多い期間が女性は12〜18カ月未満(32.7%)に対して、男性は1カ月〜3カ月未満(28.0%)と育児を分担するうえで十分ではないと考えられます。  そのような状況から、よりいっそうの育児休業の取得の促進に向けて、育児・介護休業法、次世代育成支援対策推進法が2024年に改正され、2025年4月1日より段階的に施行されることになりました。育児休業に直接かかわるおもなポイントとして、次のものがあげられます。 ・従業員数300人超の企業に、育児休業等の取得状況を公表することを義務化(改正前は1000人超の企業) ・育児と仕事の両立に関する個別の意向聴取・配慮を事業主に義務化 ・従業員数100人超の企業に、一般事業主行動計画※6策定時に育児休業等の取得状況把握や数値目標の設定を義務化  このほか、育児休業期間中の収入面の見直しも進められています。育児休業期間中は、給与が無給になることに対し、雇用保険から休業開始時賃金の67%(休業開始から6カ月以降は50%)の育児休業給付金が支給されています。ただし、収入の減少は否めず、育児休業の取得を妨げる一因になっていました。そこで、2025年4月より出生後休業支援給付金を創設し、この出生直後の一定期間内に、両親ともに14日以上の育児休業を取得する場合に、最大28日間、育児休業開始前賃金の13%が上乗せされることになりました。これにより、育児休業給付金とあわせて手取り10割相当を受け取れる可能性が出てくるため、育児休業の取得促進が期待されています。 ***  次回は「労働生産性・労働分配率」について解説します。 ※1 「労働基準法」については、『エルダー』2024 年12 月号を参照 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202412/index.html#page=50 ※2 このほか、「生後満1年に達しない生児を育てる女性は、1日2回各々少なくとも30 分の育児時間を請求することができる」(労働基準法第67 条)との規定あり ※3 「両立支援」については『、エルダー』2023年10月号を参照 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202310/#page=50 ※4 正式名称は、「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」 ※5 育児休業中は就業が原則不可だが、産後パパ育休制度では、労使協定を締結した場合にかぎり、労働者が合意した範囲で休業中の就業が可能 ※6 企業が従業員の仕事と子育ての両立を図るための雇用環境の整備や、子育てをしていない従業員も含めた多様な労働条件の整備などに取り組むにあたって、計画期間・目標・目標達成のための対策およびその実施時期を定めるもの 図表 働きながらお母さんになるあなたへ 妊娠期 産前6週間 出産 産後8週間 1歳 2歳 3歳 小学校入学 3年生修了 母性保護などの制度 産前産後休業、育児休業関係 ・時間外労働(※1)、休日労働、深夜業の制限 ・妊婦検診を受けるための時間を確保したり、医師等の指導をもとに、ラッシュアワーを避けるために時差出勤を利用する等母性健康管理のために必要な措置 育児時間(1日2回、少なくとも各30分) 6週間 (双子以上14週間) 8週間 産前産後休業 パート・アルバイト等を含め、すべての女性が産前産後休業を取得できます。 産後パパ育休 育児休業 遅くとも、育児休業開始予定日の1カ月前まで、産後パパ育児開始予定日の2週間前(※)までに会社へ育児休業申出書などを提出します。(※会社により異なる場合があります。) 育児休業給付の給付割合は、休業開始後180日間は、67%(それ以降は50%)です。(※2) ・女性は産後休業終了後から、男性は出産予定日から取得できます。 ・パート・アルバイト等であっても、一定の要件を満たせば取得できます。 保育所等に入れないなどの事情があれば、最長2歳に達する日まで育児休業を延長することができます。 両親共に育児休業を取得する場合は、休業対象となる子の年齢が原則1歳までから原則1歳2か月までに延長されます。(※3)(パパ・ママ育休プラス) 産前産後休業、育児休業期間中は社会保険料負担が免除されます! 場合によって免除(※4) ※1 時間外労働:労働基準法で定められている1日8時間または1週間40時間を超える労働 ※2 令和7年4月に出生後休業支援給付が創設され、子の出生直後の一定期間内に、両親ともに14日以上の育児休業を取得する場合に、最大28日間、出生児育児休業給付金又は育児休業給付金に上乗せして休業開始前賃金の13%が支給されます ※3 ただし、育児休業が取得できる期間は1歳2カ月までの間の1年間です ※4 就業規則等で3歳までの育児休業制度が定められ、休業している場合です 出典:「働きながらお母さんになるあなたへ」厚生労働省(令和6年11月) 第58回 「労働生産性・労働分配率」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、労働生産性と労働分配率について取り上げます。両方とも人事の主要テーマである賃金水準や働き方に密接にかかわる指標(判断・評価の基準や目安)です。 労働生産性は労働者の成果を指標化したもの  まずは、労働生産性からみていきますが、労働生産性の定義の前にそもそも生産性とは何かについて確認していきましょう。  日本の生産性向上の推進活動を行っている公益財団法人日本生産性本部によると生産性の代表的な定義を「生産諸要素の有効利用の度合いである」とし、あるモノをつくる産出にあたり投入する生産諸要素がどれだけ効果的に使われているかを割合で示したものが生産性と説明しています。算式であらわすと「生産性=産出(output)÷投入(input)」となります。ここでポイントになる生産諸要素とは何かですが、モノをつくる際に必要となる機械設備、土地、建物、エネルギー、原材料、そして人が行う労働などになります。  労働生産性は、投入する生産諸要素を労働の視点からとらえたもので※1、労働者1人あたり、あるいは労働1時間あたりでどれだけ成果を生み出したかを示すものです。同じ労働量で多くのモノを生産したり、少ない労働量で同じ量のモノを生産すると労働生産性が向上した状態といえますが、これらを測るためには、おもに二つの方法があるとしています。 ・物的生産性…産出部分を生産するモノの大きさや重さ、あるいは個数などといった物量にしたもの ・付加価値生産性…産出部分を企業が新しく生み出した金額ベースの価値=付加価値額※2にしたもの 先ほどの算式にあてはめると、「労働生産性=産出(生産量/付加価値額)÷投入(労働者数×労働時間)」で労働者1時間あたりの生産性を測ることができます。  この労働生産性ですが、他国と比較して低いことがしばしば報道等で指摘されています。日本生産性本部が公表している『労働生産性の国際比較2024』という資料を参照すると、2023(令和5)年の日本の1時間あたり労働生産性(付加価値生産性)は56.8ドルでOECD※3加盟38カ国中29位という状況です。主要先進7カ国※4で順位を比較したグラフで経年を確認しても、1970(昭和45)年以降日本は最下位、また2018(平成30)年21位だったものが2022年には31位(2023年29位)と近年の落ち込みが大きいのが気になるところです。また、同資料に一人あたり労働生産性比較もありますが、OECD加盟38カ国中32位という状況で、日本の労働生産性は指摘の通り“低い”といえます。 労働分配率は人件費への還元度合いを指標化したもの  次に、労働分配率についてみていきましょう。労働分配率は、「付加価値額に占める人件費の割合」で、労働によって生み出された価値が従業員にどの程度還元されているかを示したものです。ここでの人件費には、従業員の基本的な賃金である給与・賞与のほか、退職金や法定福利費(社会保険料、労働保険料等)、福利厚生費(健康診断費用、慶弔見舞金、懇親会費など会社が独自に取り組む福利厚生の費用)、教育研修費、役員報酬など従業員を雇用するにあたりかかる費用のすべてが含まれます。  算式で示すと、「労働分配率=人件費÷付加価値額」で示すことができますが、労働分配率の見方については、労働生産性のように「高い状態=望ましい状態」には必ずしもならない点に注意が必要です。労働分配率が高い場合には、人件費の還元度合いが高い(望ましい)と付加価値額が小さい(望ましくない)の両方の状況が考えられるからです。同様に、労働分配率が低い場合には、付加価値額が大きい(望ましい)と人件費が抑制されている(望ましくない)の両方の状況が考えられます。これは、企業規模別に比較すると顕著で、統計上の賃金水準は小規模企業や中規模企業に比べて大規模企業が高い※5にもかかわらず、図表にあるように労働分配率は大規模企業がもっとも低い数値であることからもみられます。これは、大企業の付加価値額がもっとも高いことに起因しています。  しかし、『令和5年版労働経済の分析』(厚生労働省)に、「1996〜2000年では諸外国と比べても比較的高い水準であった我が国の労働分配率は、ここ20年間、一貫して低下傾向で推移し、2016〜2020年には、主要国で最も低くなっている」との記載がある通り、他国と比べて労働生産性が低く生み出される付加価値額が小さいにもかかわらず労働分配率も低いという実態があります。このことから、近年の賃上げ議論のなかで出てくる、企業の従業員に対する人件費の還元は十分ではないという指摘は十分妥当性があると考えられます。  一方、労働生産性が低いまま労働分配率を上昇させるだけでは企業経営の面からいつか限界が来ます。労働分配率を無理のない水準に保ちつつ、人件費の還元を増やすためには、日本が遅れているといわれている収益性の高い事業へのシフトやITを活用した業務プロセスの効率化、働き方改革による労働時間の短縮化などの労働生産性向上の取組みが不可欠になります。  次回は、「組織」について取り上げます。 ※1 このほかの生産性には、資本の視点からとらえた「資本生産性」や投入した生産諸要素すべてに対してどのくらい生産されたかの視点でとらえた「全要素生産性」がある ※2 付加価値とは、生産額(売上高)から原材料費や外注加工費、機械の修繕費、動力費など外部から購入した費用を除いたもの ※3 経済協力開発機構(OrganisationforEconomicCo-operationandDevelopment)。国際的な経済協力と発展を目的とした政府間組織のこと ※4 米国・フランス・ドイツ・イタリア・英国・カナダ・日本が対象 ※5 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」からも小規模企業・中規模企業に比べ、大規模企業の賃金が高いことが確認できる 図表 労働分配率の推移 大企業 57.6% 中規模企業 80.0% 小規模企業 86.5% 資料:財務省「法人企業統計調査年報」 (注)1.ここでいう大企業とは資本金10億円以上、中規模企業とは資本金1千万円以上1億円未満、小規模企業とは資本金1千万円未満。 2.ここでいう労働分配率とは付加価値額に占める人件費とする。 3.付加価値額=営業純益(営業利益−支払利息等)+人件費(役員給与+役員賞与+従業員給与+従業員賞与+福利厚生費)+支払利息等+動産・不動産賃借料+租税公課。 4.金融業、保険業は含まれていない。 出典:中小企業庁「2022年版中小企業白書」 第59回 「組織」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、「組織」について取り上げます。日常的に使っているが、あらためていわれると何か説明しにくい用語の最たるものかと思います。 組織には成立要件がある  組織というと複数人数の集まり(集団)であることがイメージしやすいですが、例えば、仲のよい友人たちがいつも集まって遊んでいても、それを組織と思う人は少ないと思います。これが、事業やイベントの成功に向けて複数の人が集まり、各々に役割が付与され、指揮・監督する人がいる状態になると組織と思う人は増えてくるのではないでしょうか。  この点からもいえるように、組織とは単なる集団ではなく、成立するためにはいくつかの条件があります。例えば、組織についてデジタル大辞泉(小学館)で調べると、「一定の共通目標を達成するために、成員間の役割や機能が分化・統合されている集団。また、それを組み立てること」とあります。また、アメリカの経営学者であるチェスター・バーナードは、著書『経営者の役割』のなかで、組織が成立するためには三つの条件が必要だと述べています。その三つとは、共通目的があること、組織への貢献意欲があること、円滑な情報共有・意思伝達(コミュニケーション)の手段があることだとし、一つでも欠けると組織が健全に機能しなくなると説明しています。 組織は設計するもの  これらの要素をもった組織が自然発生的に形成されるのはむずかしいため、デジタル大辞泉の説明にあるように、組織を組み立てる(設計)行為が必要となります。その際、次の組織設計の5原則に則ると効果的な組織として機能するといわれています。 ・専門家の原則…組織の活動が、専門的に特化した役割分担されている状態のこと。分業により、効率的かつノウハウ蓄積がしやすい。 ・権限責任一致の原則…組織メンバーに与えられた権限の大きさが、担当する職務に相応していること。 ・統制範囲の原則…一人の人間が管理できる人数には限界があり、それをふまえた管理体制を構築すること。 ・命令統一性の原則…組織秩序を維持するため、組織のメンバーは特定の一人からのみ指示・命令を受けること。 ・例外の原則…経営者は、日常的な業務を一般社員に権限委譲し、例外的な業務(意思決定や重要課題の対応)などに専念すること。  なお、組織の設計や運営を進めていくうえで、よく話題になるのは、スパン・オブ・コントロールについてです。これは統制範囲の原則に関係することで、一人の人間が直接管理することができる人数のことをさします。一般論では、適正なのは5〜8名、最大10名程度といわれていますが、明確な根拠は見あたりません。しかし、令和6年賃金構造基本統計調査(厚生労働省)の役職者別労働者数から計算※すると、労働者に占める部長・課長比率は11.8%(部長級4.1%・課長級7.7%)で、これらの比率以外を部下(管理対象)数と置き換えると8名程度となり、係長級(6.7%)も管理を分担していると仮定すると部下数は5名程度となるため、一般論の数値は現実的といえます。 基本的な組織構造の種類  組織設計の5原則をふまえて組織をつくり仕組み化したものを組織構造といいます。いくつかの種類がありますが、ここでは企業経営するうえでの代表的なものを取り上げます。 ・機能別組織…研究開発・営業・人事など機能(全体を構成する個々の部分が果たしている固有の役割)別に分けて組織を編成したもの。業務の効率性を高めることができる一方で、組織ごとに独立して業務を行うため、組織間連携や横断的業務には向かないといわれている(図表1)。 ・事業部別組織…経営者のもとに事業(商品・サービス・顧客など)別に分けて組織を編成したもの。この組織である事業部のもとに機能別組織を配置することがある。市場や顧客のニーズに合わせた意思決定や、収益や責任の所在が明確になる一方、事業部間の競争が激化したり、事業部間の機能別組織に重複が発生し非効率になることもある。 ・カンパニー制組織…事業部制組織よりもさらに事業に権限委譲し、独立性を高めた疑似会社(カンパニー)で組織を編成したもの。カンパニーが独立して意思決定し、収益責任をもつため、迅速な意思決定と戦略実行が図れ、次世代の経営者育成がやりやすくなる一方で、カンパニーが別会社のような立ち位置になるため、交流がしにくくなり、会社としての一体感を保ちにくいともいわれている。 ・マトリクス型組織…機能と事業の二軸を縦と横で組み合わせて網の目のように構成された組織。機能と事業の二つの指揮命令を受けることになる。機能・事業間の情報共有、課題への柔軟対応ができ人的・技術的交流がしやすくなる一方で、指揮命令系統が複雑になることで現場が混乱し、責任の所在が曖昧になり意思決定の調整に時間がかかることもある(図表2)。  ここまでみた通り、どの組織にもメリット・デメリットがあります。このため、ときには機能別組織から事業部別組織にしたものの、機能別組織にまた戻すといった大きな再編成を行う会社もあります。アメリカの経営史学者であるアルフレッド・チャンドラーは「組織は戦略に従う」と提唱しましたが、完璧な組織はなく、環境変化や事業の目的などによって流動的に見直され、形を変えていくものでもあります。  次回は、「リーダーシップ」について取り上げます。 ※ 全産業の企業規模(10人以上)計・男女計・学歴計の労働者数から筆者が計算 図表1 機能別組織 経営者 研究開発本部 製造本部 営業本部 管理本部 基礎研究部 製造開発部 製造設計部 A工場 B工場 品質管理部 営業企画部 営業推進部 営業部 総務課 法務課 情報システム部 出典:筆者作成 図表2 マトリクス型組織 事業 A部門 B部門 C部門 機能 研究開発 製造 営業 スタッフ 出典:筆者作成 第60回 「リーダーシップ」  人事労務管理は社員の雇用や働き方だけでなく、経営にも直結する重要な仕事ですが、制度に慣れていない人には聞き慣れないような専門用語や、概念的でわかりにくい内容がたくさんあります。そこで本連載では、人事部門に初めて配属になった方はもちろん、ある程度経験を積んだ方も、担当者なら押さえておきたい人事労務関連の基本知識や用語についてわかりやすく解説します。  今回は、「リーダーシップ」について取り上げます。前回取り上げた「組織※1」と同様に、日常的に使っている言葉ですが、あらためていわれると何か説明しにくい用語かと思います。 リーダーシップの定義は一定ではない  リーダーシップの定義は、『日本大百科全書』(小学館)で調べると「分有された目標・目的に向けて、フォーマルに組織化されたり、インフォーマルに結集した人々の集合的努力を動員する地位を獲得し、その役割を積極的に遂行する行動・過程をいう」とあります。具体的な定義ではありますが、少々わかりにくいので、『日本国語大辞典』(小学館)を見ると、リーダーは「先頭に立ってみんなを引っぱっていく人」であり、リーダーシップは「リーダーの地位・職責。力量・統率力」とあります。最近、話題のAI※2に試しに聞いてみると、「リーダーシップの定義はさまざまですが、一般的には組織やチームを目標に導く能力とされています。」と答えが返ってきました。  複数の定義を並べてみましたが、ここでご理解いただきたいのは、リーダーシップの定義は決して一定ではないということです。先ほど定義の線を引きましたが、この部分だけでも、能力(力量・統率力)、プロセス(行動・過程)、責任(地位・職責)と、リーダーシップに必要な要素にいくつもの見方があることがわかります。この点はリーダーシップの議論でじつに議題にのぼる部分で、代表的なものとしては、リーダーシップは生まれながらに有している資質とする特性理論や、優れたリーダーシップを発揮する人の行動パターンで判断される行動理論、リーダーシップは状況や条件に影響を受けるとする状況適用理論などがあります。これらの理論は提唱された時系列で並べていますが、当初は資質なので後天的に習得するのはむずかしいとされていたものが、時代を経て、習得でき場合によって変化するものととらえられている点は変遷として押さえておくとよいと思います。  なお、リーダーシップの反対語はフォロワーシップといい、主体的にリーダーを支え、組織に貢献することをさしている点も押さえておくとよいでしょう。 理想的なリーダーシップとは何か  ところで、しばしば「上司に求められるリーダーシップとは」といったような“あるべきリーダーシップ論”が取り上げられることがありますが、じつは何が理想的なリーダーシップかも絶対的な解はありません。特性理論のなかでは、中国の孔子は『論語』※3のなかで資質として“人徳”が重要と述べている一方で、イタリアのマキャベリは『君主論』※3で“冷徹で、目的のためには手段を選ばない姿勢”が重要と、異なることを述べています。  行動理論でみていくと、代表的なものにPM(ピーエム)理論※4というものがあります。これはリーダーシップに必要な行動を「P:目標達成」(目標を掲げ計画を立て達成に導く)と「M:集団維持」(組織の人間関係を良好にし、チームワークを強化する)の二つの軸で分け、PとMのうち、強く行動として発揮できている状態を大文字、弱い方を小文字で表現(PM型・Pm型・pM型・pm型)で類型化します。二つの軸が強く発揮できている状態をPM型とし、理想的なリーダーシップとしました。一方、状況適用理論の代表的なものにSL(エスエル:Situational Leadership)理論※5があります。ここでは、リーダーシップのスタイルを具体的な指示命令を与える「指示型」、相手の理解をうながし納得させる「説得(コーチ)型」、相手を支援し協力しながら意思決定する「参加型」、相手に権限委譲し主体的に行動させる「委任型」に分かれるとしています。これはどれが正しいというわけではなく、相手や組織の状況に応じてスタイルを変えるのが望ましいとしています。  いままで述べたのは、どちらかというと上司から部下へどのようなリーダーシップを取っていくかの視点に立っていますが、異なる視点のものにサーバントリーダーシップ理論※6というものがあります。ここでは、リーダーはサーバント(奉仕者)としての役割を果たすことで、相手を導くことができるとするものです。ここではリーダーが指示をしたり強い姿勢で相手を導くよりも、相手の話を傾聴・共感し信頼関係を築いたうえで、リーダーは相手にとって必要なサポートを行い、主体的な行動と成長をうながすのが望ましいとしています。この理論自体は新しいものではありませんが、個人が自律的に行動する組織のほうが昨今の激しい環境変化に対応しやすいため、近年再注目されています。 シニア社員こそリーダーシップの発揮を  企業に属していると、役職定年や定年退職により、一定年齢でマネジメントの役割から解かれることが多くみられ、それを機にシニア社員は人を導く立場から退き、後方支援へと意識が変わりがちです。一般社団法人日本経済団体連合会の「高齢社員のさらなる活躍推進に向けて」調査(2024年)によると、企業が高齢者雇用において課題と感じている項目(複数回答)の上位1・2位は「高齢社員のエンゲージメントやパフォーマンス(87.9%)」、「技能伝承と貢献者育成(77.2%)」といった状況で、リーダーシップの発揮には至っていなさそうです。しかし、マネジメントとリーダーシップはしばしば混同されますが、マネジメントは組織の目標達成のために人に指示し、経営資源を管理・運営する“役割”をさすため、個人の“資質”や“能力”、“行動”などに依拠するリーダーシップとは本質的に異なるものです。マネジメントの役割を終えても、例えば、現場での若手社員の育成支援、人脈と経験を活かした組織の調整役、自身の得意分野での業務推進、困難な案件支援などさまざまな場面でリーダーシップの発揮の場があり、年齢に関係なく発揮できます。「後進に譲る」という考え方よりも、「後進が成長するようにリーダーシップを発揮する」という視点を持つことで、シニア社員のモチベーションは大きく変わります。企業がシニア社員のリーダーシップ発揮を積極的にうながすことは、組織の活性化や持続的成長にもつながる重要な取組みといえるでしょう。 ***  次回は、「障害者雇用」について取り上げます。 ※1 本連載第59 回(2025 年7 月号)「組織」をご参照ください。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202507/index.html#page=56 → ※2 ここではMicrosoft 社のCopilot を使用。コンサルティングでも調査や資料作成で使用する機会が増えてきた ※3 『論語』は紀元前5世紀ごろ、『君主論』は16 世紀に書かれているといわれている ※4 日本の社会心理学者である三隅(みすみ)二不二(じゅうじ)により1960年代に提唱 ※5 アメリカの行動科学者ポール・ハーシーと組織心理学者のケネス・ブランチャードによって1970年代に提唱 ※6 アメリカのロバート・K・グリーンリーフによって1970年代に提唱