知っておきたい 労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第81回 期待値の高い中途採用者の解雇、高齢者の労災リスク 第82回 高年齢者雇用継続給付の改正、給与制度の変更 第83回 コストカットをねらった役職定年制、無期転換権の不行使同意 第84回 団体交渉中の再雇用終了、偽装請負に基づく労働契約の成立 第85回 合併後の再雇用拒絶、総合職のみに限定した社宅制度の違法性 第86回 長期にわたる有期雇用労働者と退職金支給、録音禁止の業務命令の有効性 第87回 就業確保措置とフリーランス新法、経歴詐称と内定取消し 第88回 定年後再雇用時の労働条件変更、試し勤務見おける従業員の協力義務 第89回 高齢者の体調不良と安全配慮義務、解雇後の再就職と就労の意思 第90回 同一労働同一賃金と労使自治、従業員による部下の引き抜き行為の違法性 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第81回 期待値の高い中途採用者の解雇、高齢者の労災リスク 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 中途採用した人材を、試用期間の終了に合わせて雇用契約を終了してもよいのでしょうか  即戦力として期待して中途採用した社員がいるのですが、期待とは裏腹に活躍が見込めないような状況にあります。試用期間中であることから、試用期間満了時に契約を終了させたいのですが問題ないでしょうか。 A  即戦力として採用した際の説明内容や採用後の処遇によっては、試用期間満了による終了が認められる余地はあります。しかしながら、改善の機会を与えていたことや即戦力として期待されていたことの立証は求められます。 1 解雇規制について  労働契約法第16条は、解雇に関して、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定められています。  @客観的に合理性な理由およびA社会通念上の相当性を欠く場合に解雇を無効とされることになりますが、試用期間の満了も解雇の一種ですので、これらの要件を充足する必要があります。  まず、@客観的に合理的な理由については、解雇の理由が、単なる主観ではなく客観的に裏づけられていることが求められています。近年では、この要件について、解雇事由が将来にわたって継続するものと予測されること(将来予測の原則)および最終的な手段として行使されること(最終手段の原則)の二つの要素を考慮して判断すべきであるという考え方もあります。したがって、試用期間満了による場合であっても、改善の機会を与えることや好転の見込みの有無を判断しなければなりません。  次に、Aの社会通念上の相当性については、本人の反省状況、これまでの勤務態度、違反などの反復継続性、ほかの労働者との均衡、使用者側の対応の不備の有無などに照らして判断すべきとされています。 2 即戦力採用について  即戦力として中途採用したという点が未経験で採用した状況とは異なっています。即戦力として期待された人材については、将来予測の原則から求められる改善の機会などについて、新卒採用と比較すると、その必要性が後退すると考えられています。  しかしながら、労働市場が活性化して、転職も珍しくないような状況ですので、将来予測の原則の後退を認めるほどの事情があるのかという観点から、単に職歴がある中途採用による転職と、即戦力として期待された人材は区別される必要があります。  例えば、会社が英語のビジネス利用に関する経験があり即戦力となる人材として募集し、英語力に秀でた人材で、かつ、期待される能力を過去の職歴においても明記していたことから中途採用したような場合には、今後の改善の機会の確保をする必要性が減退すると考えられます。過去の裁判例では、類似の事案において、期待される職務に関する経験が必要であることを明示して募集し、中途採用された労働者本人も会社に期待されていた能力などを理解していた事例においては、雇用時に予定された能力をまったく有さず、これを改善しようともしない場合は、解雇せざるを得ないと判断された例があります(東京地裁平成14年10月22日判決、ヒロセ電機事件)。  他方で、中途採用時の年俸が高額かつ役職を与えられた状態であった場合であっても、募集時に「経験不問」との記載があり、一定期間稼働して求められる能力や適格性を平均的に達することが求められているに留まるものと判断された例もあります(東京地裁平成12年4月26日判決、プラウドフットジャパン事件・第一審)。  したがって、即戦力として期待されるような人材と認定されるには、募集時に期待される能力を明確にしておくことは必要であり、求人票以外の採用前の説明内容など採用に至った経緯も重要です。  即戦力としての採用について、期待する能力や必要な素質について、どの程度具体的に伝えられていたかによって、改善の機会を与えるべき期間や頻度が左右されることになりますので、採用時の状況や採用に至った経緯を整理する必要があります。 3 改善の機会の与え方や期間について  「改善の見込みがないこと」が解雇を実施するにあたって重要であることは間違いありませんが、その判断は非常に困難です。担当している業務の内容や任されている地位などにも左右されますし、会社の状況によってあくまでもケースバイケースで判断されてしまうため、一定の基準を示すことはむずかしいものです。  とはいえ、何らの指標もないままでは、実務的にどのように判断すればよいのか具体的に検討することすらできませんので、過去の裁判例を参考にしてみましょう。  即戦力と期待された人材ではない中途採用の事例ですが、能力不足や勤務態度不良を理由とした普通解雇が有効とされた事例として、東京地裁平成26年3月14日判決(富士ゼロックス事件・第一審)があります。  中途採用で採用された労働者が、無断で3回の半休を取得したこと、机での居眠り、無断残業、通勤費用の修正、週報の提出遅れ、社用の自転車の私的利用、私用のインターネット閲覧を逐一注意され、これ以上の違反が生じた場合に重大な判断がありうる旨記載した警告書を交付され、それに対して署名押印をした後、会社の命令でほかの支店に異動してさらに改善を求められたが、異動後も遅刻し、ビジネスマナーが守られず、メモを取らないうえ、ミスを多発していたので、再度研修を実施しましたが、改善できず、再度の警告書を交付しました。  違反事由が多岐にわたるうえ、改善の具体的な見通しがつかないことから、会社は、指示事項を文書化し、その後、当該文書に違反した場合に逐一注意し、複数の指示事項違反が生じた後に、原因と対策を検討するようにレポート作成を命じて提出させていました。結局、レポートの内容は根本的な問題点に関する考察に不足があるものでしたが、対象者からは「これ以上は教えてもらわなければわからない」などと話がされ、具体的な訂正指示をしましたが、簡潔なレポートが提出されるに留まったため、最終的に解雇に至りました。なお、入社から解雇に至るまでは、約1年間が経過していました。  ポイントをまとめると、@違反事由に該当する行為が記録化され、注意した旨が残されていたこと、A支店へ異動させて環境を変えて改善の機会を再度与えていること、B警告書や指示事項を文書化するなどの方法で、改善点の特定および明確化を複数回図っていること、C労働者の自己認識を把握するためにレポートを作成させていること、などがあげられます。通常の中途採用であれば、この程度の要素が集約されなければ解雇に至らないということになりますが、即戦力として期待された人材の場合には、Aの改善の機会を複数回与えるという点は必要性が低く、BおよびCの改善点の把握についても自己分析させることで足りるものと思われます。試用期間という短期間をもって解雇することはむずかしいことが多いのですが、試用期間を延長したうえで、延長時に十分な警告を行っておくことで、業務の改善または労働契約の終了に向けた準備が整うことも多いのではないかと思われます。 Q2 高齢労働者が増えてきているので、高齢労働者の労働災害防止対策について知りたい  世代別の労働力人口においても高齢化が進んでおり、自社内でも高齢の労働者が増えているのですが、事故などの防止対策についてこれまでと変えていく必要はあるのでしょうか。 A  65歳以上の高齢者の割合は過去最高の状況となっており、働く高齢者の数も過去最高を更新しています。他方で、仕事中の事故で死亡や4日以上休むけがをした60歳以上の労働者数も過去最多となっており、高齢者向けの安全配慮義務を整備しておく必要性が高まっています。 1 高齢者の勤務と事故の発生状況  2024(令和6)年9月時点において、総務省がまとめた人口推計は、65歳以上の高齢者が3625万人で過去最多となり、総人口に占める高齢者の割合も29.3%に及び過去最高です。また、2023年の労働力調査においては、60歳以上の高齢者の数が914万人と過去最高を更新していたこともふまえると、高齢者全体の増加とともに、労働を継続している高齢者も増加傾向にあるといえるでしょう。  他方で、厚生労働省が公表した、仕事中の事故で死亡や4日以上休むけがをした60歳以上の労働者は、3万9702人となっており、非常に多くの労災事故が生じています。労災事故に占める高齢者の割合も29.3%となっています※。  60歳以上の労働者が増えているとしても、全労働力人口に占める割合は18.7%※であることから、高齢者が労災事故に遭うリスクが高いということはこれらの調査などからも読み取ることができると思われます。30代の労働者と比較すると男性は約2倍、女性は約4倍の労働災害発生率となっており、休業見込み期間も年齢が上がるとともに長期化する傾向があるとも指摘されています。  したがって、高齢の労働者が増加傾向にあるうえ、事故の発生率も高く、事故が発生したときのけがの程度も大きくなるということをふまえて、職場の安全配慮義務に対する見直しなどに取り組む必要があると考えられます。 2 エイジフレンドリーガイドライン  厚生労働省は、令和2年3月16日付で「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(通称「エイジフレンドリーガイドライン」)を策定しています。  エイジフレンドリーガイドラインが策定された当時も、高齢者雇用の増加と事故発生率の高さ、けがなどの長期化の傾向は、昨年の調査などと比較しても大きな相違はありません。つまりは、エイジフレンドリーガイドラインが定められたものの、これを意識した安全配慮義務や具体的な対策が広がっておらず、高齢者が安心かつ健康に働ける職場づくりが実現できていない環境が残っていることを意味しているように思われます。  エイジフレンドリーガイドラインを策定するのみならず、中小企業事業者向けにエイジフレンドリー補助金も用意されており、高齢者の事故対策に要する費用を補助する制度もあります。こちらは、令和6年度は、予算が不足するほどの状況になり、申請の締切が早まるといった状況になっており、関心が強まってきていることはたしかなように思われます。  あらためて、高齢者向けに安全な職場づくりに目を向けて取り組む必要性が高まっていることを認識していただければと思います。 3 具体的な留意事項  高齢者の労災事故のうち、特に注意が必要と考えられているのは、「墜落・転倒」、「動作の反動・無理な動作」などです。これらの類型では、高齢化するにつれて、労働災害発生率が高くなる傾向にあるうえ、特に転倒による骨折などの発生率は顕著に上昇します。  単純な対策のように思われるかもしれませんが、まずは、転ばない職場、段差のない職場、明るい職場を目ざすということは重要な要素になります。床に置かれているものを整理整頓すること、つまずきの原因になるような場所には目立つような色を付けること、注意をうながすマークなどを記すことなどが考えられるところです。昨年度のエイジフレンドリー補助金にも「転倒・墜落災害防止対策」が対象にされており、つまずき防止対策、滑り防止対策、階段への手すりの設置などが補助対象となる防止対策としてあげられていたところです。  転倒防止については、転ばない職場づくりはもちろんですが、じつは何もないところで転倒するという例も少なくありません。そうなると、どんな対策をしても無駄なのかというとそういうわけではなく、転倒やけがをしにくい身体づくりの運動プログラムの導入などが推奨されています。このことは、腰痛を引き起こすといわれる「動作の反動・無理な動作」に対する対処にもなります。昨年度のエイジフレンドリー補助金においても、「転倒防止や腰痛防止のためのスポーツ・運動指導コース」が用意されているように、運動プログラムを導入することはけがの防止や予防に役立つと考えられています。  高齢者のための職場づくりは将来にわたって安心・安全に働ける職場づくりにつながり、定着率の上昇にも寄与するものと思われますので、一度、高齢者の労災事故防止に目を向けた取組みを行ってみてはいかがでしょうか。 ※ 厚生労働省「令和5年 高年齢労働者の労働災害発生状況」https://www.mhlw.go.jp/content/11302000/001099505.pdf 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第82回 高年齢雇用継続給付の改正、給与制度の変更 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲/弁護士 木勝瑛 Q1 高年齢雇用継続給付の支給率変更の影響は?  継続雇用制度に関連して、高年齢雇用継続給付の改正が行われると聞きました。改正は継続雇用制度にどのような影響があるのでしょうか。 A  改正により支給限度額が低くなるため、定年後再雇用における同一労働同一賃金へ影響すると考えられます。 1 公的給付と同一労働同一賃金  定年後の継続雇用制度を実施するにあたって、定年後の労働条件(特に賃金)をどのように変更するかは、悩ましいところがあります。  厚生労働省のQ&Aなどでは、継続雇用にあたっては、労働条件の変更がまったく許されないわけではないとされつつも、合理的な裁量の範囲内での労働条件の提示をすべきと整理されています。ここにいうところの、合理的な裁量の範囲≠ニはどういった範囲であるのか、という点については、定年前の業務内容、役職や責任の程度やそれらをふまえて設定されている賃金の額と、定年後の業務内容や責任の程度などと比較しながら決定されることになるため、ケースバイケースの判断が必要となります。  このような継続雇用の状況に加えて、働き方改革にともなって同一労働同一賃金制度が広く周知され、定年前と定年後の労働条件について、同一労働同一賃金による検討も加える必要が生じるようになりました。同一労働同一賃金については、@業務の内容、A業務にともなう責任の程度、B職務の内容と配置の変更の範囲、Cその他の事情を考慮して、労働条件の差異が合理的な範囲にとどまっているか(均衡待遇といえるか)が判断されますが、定年後の継続雇用であることは、Cその他の事情として考慮されることになっています。  最高裁の判例(長澤運輸事件、平成30年6月1日判決)では、定年後再雇用であることに関連して「定年退職後に再雇用される有期契約労働者は、定年退職するまでの間、無期契約労働者として賃金の支給を受けてきた者であり、一定の要件を満たせば老齢厚生年金の支給を受けることも予定されている。そして、このような事情は、定年退職後に再雇用される有期契約労働者の賃金体系の在り方を検討するに当たって、その基礎になるものであるということができる」と判断しており、その他の事情として、老齢厚生年金の受給など公的給付も考慮することが想定されています。  また、現在差し戻しされており判断が確定した事件ではありませんが、名古屋高裁令和4年3月25日判決(名古屋自動車学校事件控訴審)においては「高年齢雇用継続基本給付金も老齢厚生年金(報酬比例部分)も、高齢者の低減した賃金総額の補填をも目的として給付されるものであると解されるから、一審原告らがこれらを受給したことを、労働契約法20条にいう不合理性の評価を妨げる事実として考慮することはあり得るというべきである」と判断しており、公的給付に関して長澤運輸事件での判断と同様に、老齢厚生年金および高年齢雇用継続給付の受給をCその他の事情の考慮要素としており、考慮要素として加味したこと自体は最高裁の判断においても直接否定されたわけではありません。 2 高年齢雇用継続給付制度  高年齢雇用継続給付を受給する要件は、@60歳以上65歳未満の一般被保険者であること、A被保険者であった期間が5年以上あることであり、その支給額は、2025(令和7)年3月31日までは、賃金月額が75%を下回る場合において、賃金月額の75%との差異を埋めるような金額を支給されることになり、賃金額が61%を下回らないかぎりは、おおむね賃金月額の75%程度となるように調整されていました。  2025年4月1日以降、この支給額が減少する予定です。受給の要件は変わらず、賃金月額が75%を下回る場合において、賃金月額の75%との差異を埋めるような支給額になるという制度の全体像は維持されていますが、支給率の上限が10%となり、賃金額が64%以下の場合でも、10%を超えて支給されることはありません。  適用対象は、60歳に達した日が2025年4月1日以降であるか否かによって判断されることになります。 3 今後の留意事項  前述の名古屋自動車学校事件の控訴審判決において月額賃金が60%を下回る範囲を違法と判断されていました。判決内で明言されているわけではありませんが、高年齢雇用継続給付を受給しても75%を下回る支給額になることも判断に影響していなかったとは考え難いところです。  2025年4月1日以降は、高年齢雇用継続給付の支給率が変更されることによって、64%未満の額まで月額賃金を減少させる場合には、同給付を受けることのみをもって、一定程度の補填がなされているとはいえなくなってきます。また、現在、同一労働同一賃金の制度に関する見直しの議論においては、賃金の差異に関する説明に関する見直しなども議論されています。  また、前述の名古屋自動車学校事件の上告審では、基本給や賞与に代わる一時金の性質や目的に着目した判断がなされていなかったことが高裁への差し戻し理由とされました。  これらの状況をふまえると、今後、定年後の継続雇用においては、同一労働同一賃金における考慮事項である@業務の内容や、A責任の程度、Bこれらの変更の範囲について、定年前から変更して削減または軽減することや、これらの変更をふまえた給与体系を構築しておくことで、賃金の削減にあたって合理的な説明が可能な根拠を用意しておくことが重要です。  また、高年齢雇用継続給付の支給額が減少することに照らして、64%未満の削減を行うことに対して慎重に判断することが必要になると考えられます。 Q2 給与制度を変更する場合の留意点について知りたい  このたび、各従業員に支給している精勤手当を廃止して定額残業代制度を導入することを検討しています。制度変更の方法や注意点を教えてください。 A  @労働者との合意、A就業規則の改定、B労働協約の締結のいずれかの方法で行う必要があります。労働者との合意は労働者の自由な意思に基づくものである必要があり、就業規則の改定については高度の必要性に基づく合理的な変更である必要があります。なお、導入する定額残業代制度の有効性については検証しておく必要があるでしょう。 1 労働条件の変更について  定額残業代については、固有の問題点もありますが、ここでは制度変更の点に絞ってみていきましょう。労働条件については、原則として使用者が一方的に変更することはできません。もっとも、労働条件の変更がまったく不可能というわけではなく、一定の要件を満たせば、労働条件の変更は認められます。労働条件の変更の方法としては、@労働者と使用者との合意による変更(労働契約法第8条)、A就業規則の改定による変更(労働契約法第10条)、B労働協約の締結による変更があります。以下みていきましょう。  労働契約法第8条は、「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる」と規定しています。そのため、各従業員との間で、労働条件の変更について合意を得れば、その従業員の労働条件は合意にしたがって有効に変更されることとなります(なお、この場合には、後述する労働契約法第10条の変更の合理性の要件を満たすか否かは問われません)。  もっとも、最高裁は、「労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである」(最判平成28年2月19日)と判示しており、更生会社三井埠頭事件(東京高判平成12年12月27日)では、「就業規則に基づかない賃金の減額・控除に対する労働者の承諾の意思表示は、賃金債権の放棄と同視すべきものであることに照らし、それが労働者の自由な意思に基づいてなされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときに限り、有効であると解すべきである」と判示され、賃金や退職金に関する不利益変更に関する同意については実務上厳格に判断されています。  就業規則の改定による労働条件の変更については、(1)変更の合理性、(2)変更後の就業規則の周知が必要になります。そして、変更の合理性については、@労働者の受ける不利益の程度、A労働条件の変更の必要性、B変更後の就業規則の内容の相当性、C労働組合等との交渉の状況等の事情により判断されます(労働契約法第10条)。賃金、退職金などのように労働者にとって重要な労働条件を不利益に変更する場合には、通常よりも高度の変更の必要性が要求されると解されています。 2 ビーラインロジ事件(東京地裁令和6年2月19日)  Qに掲げた事案と似たものとして、ビーラインロジ事件があります。この事件は、使用者が従前支給していた手当を廃止して定額残業代の制度を新設したことにより、労働者の残業代の算定の基礎となる賃金が減少する不利益が生じたため、労働者が使用者に対して、制度変更が無効であることを前提に、未払残業代などの請求を行ったという事案になります。  この事案では、会社は、制度変更前に従業員に対する説明会を実施したうえ、口頭または書面による同意を得た従業員から新しい給与体系により給与を支給し、また、労働者からは、新給与体系を反映した労働条件通知書兼労働契約書の署名捺印をもらっていましたが、同意による変更および就業規則の変更による条件変更はともに否定されました。  すなわち、裁判所は、同意による変更が認められるかという点に関して、「被告従業員が新給与体系の変更について自由な意思に基づいて同意したといえるためには、被告従業員が新給与体系の変更に関する同意に先立って、新給与体系への変更により労働基準法37条が定める計算方法により時間単価を算定した時間単価が減少するという不利益が発生する可能性があることを認識し得たと認めることができることが必要であった」と指摘したうえで、「平成25年労働条件通知書の控えは原告らに交付されておらず、新給与体系への変更に関する説明会における説明内容、本件説明会資料の記載は前記のとおり旧給与体系における基礎賃金の範囲すら正確に把握することが困難であったと認められ、原告らが新給与体系の変更に同意した際、時間単価が旧給与体系に比して約69%から約81%の幅で減縮されるという不利益が発生することが認識し得たとは到底認められない。そうすると、原告らが自由な意思に基づいて新給与体系の変更に同意したと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとは認められない」と判示し、同意による変更を否定しました。  また、就業規則の改定による変更について、「分かり易い給与体系に改善する必要性があったことは否定できないが、旧給与体系における時間単価を労働契約法37条等が定める方法により算定した場合には最低賃金法違反の問題は発生せず、この点で新給与体系に変更する必要性があったとは認められない。そして、新給与体系に変更することによる従業員の不利益の内容及び程度は前記3で検討したとおり、時間単価が旧給与体系に比して約69%から約81%の幅で減縮するというものであり、新給与体系の変更に関する説明会は実施されているものの、原告らにおいて当該不利益の内容及び程度を十分に把握し得るだけの情報提供が行われたとは認め難い」と指摘し、就業規則の変更による条件変更も否定しました。  本裁判例では、説明会、口頭または書面による同意の取りつけ、新給与体系を反映した契約書の締結といった対応をしているにもかかわらず、制度変更の有効性が否定されていますが、会社からの情報開示や説明が不十分であったことが重視されていると考えられます。制度変更を進める際には、制度変更の必要性を吟味したうえで、労働者に対して適切に情報を提供しているかについては最低限注意すべきでしょう。 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第83回 コストカットをねらった役職定年制、無期転換権の不行使同意 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲/弁護士 木勝瑛 Q1 コストカットを目的に役職定年制の導入を考えているのですが、役職定年による賃金の減額は不利益変更に該当するのでしょうか  弊社は現在、経営難に悩んでおります。競業他社に比べて経費率が高く、また役職者の賃金額が高水準であることから、役職定年制を導入して、55歳以上の従業員の賃金についてコストカットをすることで経営状況を改善したいと考えていますが、問題ないでしょうか。 A  役職定年制は、賃金減額をともなう場合には、労働条件の不利益変更に該当します。そのため、@合理性のある就業規則の変更、または、A労働者の同意が必要になります(労働契約法第10条)。今回のように経営難によるコストカットを理由とする場合には、不利益の程度、変更の必要性、内容の相当性、労働組合等との交渉状況といった事情のほか、特定の従業員層(今回であれば 55歳以上の者)のみに負担を集中させていないかといった点が重視される傾向にあります。 1 役職定年制とは  役職定年制とは、従業員が一定の年齢に達したときに、その者の就いている役職を解く制度をいいます。例えば、55歳に到達した者については、その日以後に初めて迎える人事考課時に部長職および課長職を解くといった制度を構築するような場合が考えられます。  役職定年制のねらいは、さまざまあります。本件のように賃金支払総額の抑制によるコストカットを目的とする場合もありますが、高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」)による高齢者の継続雇用が規定されて以降は、企業の新陳代謝を図る趣旨で導入されることも多いように思われます。  高年法では、現在、65歳までの雇用の確保が義務づけられているところ、その方法としては、@65歳までの定年の引上げ、A65歳までの継続雇用制度の導入、B定年制の廃止が規定されており、企業は、このなかのいずれかの方法により65歳までの雇用維持を図る必要があります(高年法第9条)。  この点に関連して、例えば、満60歳で定年退職する旨の定年制を有していた企業においては、従前であれば、従業員は、満60歳で退職することになるのだから、責任ある役職・ポストはそのタイミングで空くことが予定されていました。しかしながら、この企業が@65歳までの定年の引上げや、B定年制の廃止を選択した場合には、従前の制度のままだと、@を選択した場合には65歳まで、Bを選択した場合にはその者の退職または降格まで責任ある役職・ポストが空かないという事態に陥ることになります。  そこで検討されるのが役職定年制です。前述の通り、役職定年制を導入した場合には、高齢従業員の雇用を維持したまま、一定の年齢(55歳など)で、その役職のみを外すことができることになります。そのため、上位のポストを高齢従業員が保持し続けてしまうという問題を解決し、若年層の従業員に責任あるポストを与えて企業の新陳代謝を図ることが可能となります。 2 役職定年制の導入 (1) 賃金の減額をともなわない役職定年制  役職定年制には、役職手当の不支給や基本給の減額などの賃金減額をともなうもののほか、単に役職を解くのみで賃金の減額をともなわないものが想定されます。  役職定年制に関するリーディングケースであるみちのく銀行事件判決では、「五五歳到達を理由に行員を管理職階又は監督職階から外して専任職階に発令するようにするものであるが、右変更は、これに伴う賃金の減額を除けば、その対象となる行員に格別の不利益を与えるものとは認められない。したがって、本件就業規則等変更は、職階及び役職制度の変更に限ってみれば、その合理性を認めることが相当である」と判示しました(最高裁平成12年9月7日判決)。  この判例の論旨からすれば、賃金の減額をともなわない役職定年制については、その合理性は比較的肯定されやすく、役職定年制を導入する旨の制度変更の有効性が肯定されやすいものと考えられます。 (2) 賃金の減額をともなう役職定年制  企業としては、役職定年制により従来の役職を解き、その役職とひもづけられた業務や責任から解放するのであれば、その分一定程度賃金を減額したい、あるいは、そもそも賃金支払総額の抑制のために役職定年制を導入したいと考えることもあるかと思います。  もっとも、賃金の減額をともなう役職定年制の導入は、従業員の労働条件の不利益変更に該当するため、@就業規則の合理的な変更、または、A労働者の同意が必要になります。そして、賃金に関する不利益変更は労働者に対する影響が大きいため、その有効性は厳しく審査されることになります。 3 熊本信用金庫事件  コストカットを主たる目的とした役職定年制の導入が問題となった比較的新しい裁判例として、熊本信用金庫事件(熊本地裁平成26年1月24日判決)があげられます。  この事案では、役職定年制度の導入により減額される賃金の程度は、55歳到達後60歳までに毎年10%、60歳到達時には50%の削減率に到達するというものでした。  裁判所は、従業員の被る不利益について、「役職定年到達後の労働者らの生活設計を根本的に揺るがしうる不利益性の程度が非常に大きなもの」と評価したうえで、このような不利益の大きさからすれば、合理性を認めるためには「相当高度な経営上の必要性」があり、かつ、「不利益を相当程度緩和させるに足りる措置」が必要としました。  そのうえで、本件における賃金削減の必要性は「一定程度あった」ものの、近い将来に破綻するような危機が具体的に迫っているものとはいえないとして、高度の必要性までは認定せず、また、本件役職定年制は、55歳以上の職員のみに著しい不利益を与えるものであること、不利益緩和措置が不十分であることなどを理由として、変更の合理性を否定しました。  熊本信用金庫事件では、コストカットの負担を55歳以上の高齢従業員のみに負わせるようなものであったこと、その負担が著しいものであったこと、十分な不利益緩和措置がなされていないことが重視されています。  コストカットを目的として役職定年制を導入する場合には、役職定年制という制度上、役職定年制度単体で見れば、高齢従業員にコストカットの負担を負わせるものになってしまうことはある程度避けられないでしょう。そのため、合理性を担保するためには、ほかの年代にも負担を負わせるような制度と抱き合わせで導入したり、不利益の程度を小さくしたり、不利益緩和措置を講じたりといった工夫が必要と考えられます。 Q2 賞与の支給等を条件に、無期転換権を行使しないことの合意を得ことに問題はないのでしょうか  無期転換を迎えるパートタイマーの従業員について、製品の受注の変動もあるので、雇用の柔軟性は確保しておきたいと考えています。パートタイマーに対して無期転換申込権を行使しないことを前提に、代わりに手当を支給したり、賞与を多めに支給したりすることを検討していますが、本人が同意すれば、そうした対応は可能でしょうか。 A  無期転換申込権発生後であれば、十分な説明を受けた労働者が自由な意思により同意したならば、権利を行使しないことに合意することは有効と考えられます。ただし、無期転換申込権発生前の事前協議によってあらかじめ放棄させることはできません。 1 無期転換申込権の発生要件と留意点  有期労働契約を締結している場合、同一の使用者において、1回以上更新され、かつ、通算して5年を超える期間にわたって労働契約が継続しているときには、通算して5年を超える期間を含む労働契約の期間中において、有期労働契約から無期労働契約に転換する権利(以下、「無期転換申込権」)が労働者に与えられます(労働契約法第18条)。  無期転換申込権は、「別段の合意」がないかぎりは現状の有期労働契約の労働条件を維持しつつ、期間の定めについてのみ無期に変更する内容で労働契約を成立させることができる権利です。使用者は、労働者から無期転換を希望する旨申し込まれたときには、これを拒むことはできず、期間の定めのない労働契約の成立を承諾したものとみなされます。  なお、「別段の合意」として、労使間での合意を締結するか、または、就業規則に無期転換後の労働者を適用対象とする労働条件の規定を定めておけば、無期転換を機に労働条件を変更することは可能と考えられていますが、労働条件の変更がある場合には、労働条件通知書に明記するものとされています。この際に、無期転換申込権の趣旨を阻害するような労働条件の設定については、公序良俗に反して無効となるとも考えられています。  また、無期転換申込権については、その権利が発生する前に、無期転換申込権を行使しないことを採用条件とすることやあらかじめ無期転換申込権を放棄する旨の意思表示をさせておくことは、公序良俗に反するものとして無効になると考えられています。そのため、たとえ雇用の柔軟性を確保するためであっても、無期転換申込権の行使時期を迎える「前」に手当や賞与の上乗せをもって、無期転換申込権を行使することをあらかじめ制限しておくことはできません。 2 事後的な無期転換申込権の放棄  事前の無期転換申込権の放棄については、無効と考えられていますが、他方で、契約を更新して無期転換申込権が発生した後であれば、これを労働者に放棄させることは可能と考えられています。しかしながら、無期転換申込権も重要な労働条件の一部であるため、その放棄を容易に認めてよいとは考えられておらず、「労働者の自由な意思」による同意が前提になると考えられています。  「労働者の自由な意思」とは、賃金債権の放棄に関する判例における表現として用いられた用語ですが(シンガー・ソーイング・メシーン事件、最高裁昭和48年1月19日判決)、近年では、賃金債権の放棄にかぎらず重要な労働条件の変更も含めて、労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していることが必要と判断される傾向にあり、このことは無期転換申込権の放棄についても同様に考えられています。  「労働者の自由な意思」であるかは、労働者自身の同意に関する行為の有無だけではなく、当該変更によりもたらされる労働者の不利益の内容および程度、労働者による当該行為がされるに至った経緯および態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供または説明の内容などに照らして判断されると考えられています(山梨県民信用組合事件、最高裁平成28年2月19日判決)。  したがって、無期転換申込権を行使しないことと引き換えに、手当や賞与の上乗せを行うことを検討されているようですが、契約の更新後(無期転換申込権の発生後)にこのような条件を提示してこれに労働者が応じたときに、無期転換申込権を労働者が自由な意思により放棄したと評価されるのかどうかが問題となります。 3 労働者に生じる不利益の判断  労働者に生じる不利益の内容や程度としては、無期転換申込権を行使しないことによって更新されるか否かについて再評価が必要になることで、雇用の安定性という観点からは労働者に不利益があることが主要な点として考えられます。他方で、無期転換申込権を行使せずに次の更新を迎えたときには、あらためて無期転換申込権が発生すると考えられていますので、更新されたときにはあらためて無期転換申込権を行使するかを決定できるという意味では、その期間は限定的ともいえます。  他方で、裁判例においては、不利益の内容や程度だけではなく、その経緯や態様、情報提供または説明の内容といった手続的な側面が重視される傾向があります。上記のような不利益の内容と程度について十分な説明を尽くして、労働者自身がメリットとデメリットを正確に把握して、比較検討した結果として、無期転換申込権を行使せずに放棄するという決断をした場合には、その効力を否定することにはならないと考えられます。  ただし、前述の通り、次回更新までの間の無期転換申込権の行使を制限するにとどまり、有期労働契約の期間満了後に更新した場合には、あらためて無期転換申込権を行使しないことを自由な意思により決断する機会が与えられることになりますので、その範囲は限定的です。有期労働契約の労働条件通知書において契約更新時の考慮要素として、無期転換申込権を行使しないことを合意した場合には更新しないといった条件が付加されるとすれば、そのような無期転換申込権の放棄は、実質的に事前放棄に等しく、不利益の程度は非常に大きくなり、無効と判断される可能性も高いと考えられます。  また、労働契約法第19条が定める雇止めに関する規制が適用されなくなるわけではないので、雇用の流動性を確保するという観点からは無期転換申込権の行使を制限するだけではなく、更新への期待可能性や通常の労働者との社会通念上の同一性といった労働契約法第19条の適用可能性に対する配慮は別途必要になるでしょう。 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第84回 団体交渉中の再雇用終了、偽装請負に基づく労働契約の成立 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲/弁護士 木勝瑛 Q1  団体交渉を継続しているなかで、再雇用を拒否することが可能なのか知りたい  定年後の労働条件について、当事者間では折合いがつかず、労働組合を交えた団体交渉に応じています。  会社として団体交渉には誠実に応じていこうと思っているのですが、当該社員が団体交渉の経過において会社の機密情報を必要以上に組合に共有したり、対外的にも事実と異なることを取引先にも伝えたりしており、定年後の再雇用を継続することがむずかしいと考えるようになりました。  団体交渉が継続しているような状況で再雇用を拒絶することは可能なのでしょうか。 A  原則として、再雇用を拒絶することは適切ではない対応となります。ただし、交渉に付随する行動を理由として、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性が認められることもあります。 1 労働組合との団体交渉  労働組合法は、労働組合との団体交渉について、使用者に誠実交渉義務を課しており、これに違反する場合には、不当労働行為(同法第7条第2号)として、労働委員会への救済命令申立てにつながるほか、訴訟上で不法行為として損害賠償請求の原因になることもあります。  また、労働委員会への申立て等をしたことなどを理由として、解雇その他の不利益取扱いを行った場合も、同様に不当労働行為に該当します(同法第7条第4号)。  したがって、団体交渉の継続中については、使用者としては、団体交渉には誠実に応じなければならないうえ、不利益取扱いについても制限を受けている状態になります。  団体交渉の対象は、労働条件その他団体交渉に関する手続やルールなどは義務的団体交渉事項とされており、これを使用者が拒むことはできず、誠実交渉に応じる必要があります。  定年後の労働条件は、労働条件の一種であることから義務的団体交渉事項として対象になるところ、最近では、定年後の労働条件について、外部の労働組合に加入して団体交渉を求められるケースも出てきています。  もともと、社内に労働組合がない場合には、自社で団体交渉に対応することに慣れておらず、前述した団体交渉への誠実交渉義務なども知らないまま対応をしてしまうおそれもあります。まずは、労働組合からは、組合員の加入通知と団体交渉の申入書が届き、団体交渉の申入事項とあわせて団体交渉実施時期に関して、期限を区切って回答を求められることが一般的ですので、労働組合からの書面が届いたときには、自社で対応できるか否か、できない場合には専門家への相談などを検討することが重要です。 2 定年後の労働条件の交渉と再雇用拒絶  労働組合からの団体交渉事項として、ある労働者(もしくは定年を迎える労働者全般について)の定年後の労働条件が対象となることがあります。  使用者としては、同一労働同一賃金の観点もふまえつつ、なぜ定年後の労働者の労働条件が切り下げられるのかについて、説明を求められることが多いでしょう。  ここで、定年後に継続雇用される労働者の労働条件について、定年後に継続雇用された労働者であることのみをもって通常の労働者より待遇を下げることは不適切であることに注意が必要です。  業務の内容、責任の程度、配置の変更などさまざまな事情を考慮して通常の労働者との相違が不合理なものでなければ差が生じることは問題ありませんが均衡のとれたものとする必要があります。  ただ、これらに注意して定年後の労働条件を提示し誠実な交渉を尽くしていたとしても、労働組合(またはその組合員)が希望する内容では合意に至らず結論に齟齬があれば、労働組合による労働委員会への救済申立てに発展するケースもあります。 3 裁判例の紹介  団体交渉の経緯もふまえて、再雇用を拒絶するというケースについては、相当に慎重な判断を要すると思われますので、参考となる過去の裁判例を紹介したいと思います(東京地裁令和6年3月27日判決)。  事案としては、定年後再雇用対象となっていた労働者について、労働組合を通じた団体交渉を継続していたところ、不適切な行動が度重なっていたことから、契約を終了するために定年後再雇用を更新しない旨を通知したという事案です。  不適切な行動の内容が重要なところですが、会社が指示したシステム連携に必要なシステム構築の委託先と、当該システム連携で協力が必要な倉庫業者との打合せや具体的な業務遂行を遅々として進行させず、最終的には信用を喪失させて倉庫の保管契約を解除されるに至ったことや、日常的な対応として報告するように指示したことを無視して返答すらせず、改善も見られなかったという状況でした。特殊な背景事情としては、移管対象のシステムについて、労働者本人が構築に関与しており、仕組みや操作方法のマニュアルもない状態で、労働者本人の協力がシステム移管に必要だったという点もありました。  具体的には、システムの委託先と倉庫業者との打合せにおいて、当該労働者が@移管に関する必要性が社内で共有されておらず混乱していること、A当面の間は現行システムを利用したいこと、B会社とはこれまで労働条件に関して何度か裁判になったことや現在も裁判中であることなど会社の意向とは異なる内容を伝えた結果、システム会社の担当者から当該労働者がやりたくないといっているようにしか聞こえず非常に困っている、このままでは進められないと返答され、その後、労働組合の執行委員長からこれらの企業宛に労働委員会で審理されている事件の速記録を送付されるなどした結果、倉庫の保管契約なども含めて解除されるに至りました。  裁判所は、労働者および労働組合の行為を、システム移管の計画を頓挫させる目的で行われたもので、労働者がシステム会社および倉庫業者に伝えた内容も計画を頓挫させることをねらった行動と評価され、再雇用契約を更新しないことには客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性があるものと認め、契約の終了を認めました。  団体交渉においても、システム移管の計画自体の合理性や妥当性が交渉事項と関連させられていたものであり、更新拒絶するという判断には困難がともなうものであったことは想像に難くないところですが、たとえ団体交渉継続中といえども、労働時間中については、通常通りの労務提供が必要です。団体交渉中であったとしても、日常業務における労務提供に不備が著しい状況に至った場合には、再雇用契約を終了させるという判断も許容される場合があります。 Q2 業務委託先の従業員に対する指示は問題になるのか知りたい  当社は、長い間、他社にある業務を委託しているのですが、その会社の従業員に対する指示や労働時間に関する指示、服務規律に関する指示などは当社が行っています。何か問題はあるでしょうか。 A  いわゆる偽装請負として法令違反の問題が生じる可能性があります。偽装請負は、違反者には、1年以下の懲役または100万円以下の罰金といった罰則があるほか、労働者との間の直接契約が認められる可能性があります。 1 偽装請負とは  他社に労働力を供給する、いわゆる労働者供給事業は、これを自由に許してしまうと労働者に対する不当な搾取につながりかねないため、法律で許された場合のみ許容されます(労働基準法第6条、職業安定法第44条)。また、労働者供給事業の一つである労働者派遣は、許可を受けた業者のみ行えるものとして、無許可業者がこれを行うことは禁じられています(労働者派遣法第5条第1項)。  そして、偽装請負とは、実質的にみれば労働者派遣(労働者供給)であるにもかかわらず、形式的には請負契約や業務委託契約を締結するなどの方法をとって、これらの法的規制を免れようとする行為をいいます。偽装請負を行った場合については、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が規定されており(職業安定法第44条、64条)、また、偽装請負の目的をもって偽装請負を行った場合には、労働者との直接雇用が認められる可能性があります(労働者派遣法第40条の6第1項5号)。 2 裁判例の紹介 (1) 事案の概要  偽装請負による直接雇用が認められた裁判例として、東リ事件(大阪高裁令和3年11月4日判決)があります。  本件では、床材の製造などを目的とする会社であるA社が、巾木(はばき)、床材の製造の請負業務などを目的とするB社との間で、巾木の製造および加工に関して、業務委託契約を締結し、B社に雇用された従業員らは、A社の工場において巾木工程などに従事していました。しかしながら、その後、A社とB社は、業務委託契約を労働者派遣契約に切り替え、契約期間満了をもって従業員らを整理解雇しました。  そこで、労働者らは、本件の業務委託契約が派遣法第40条の6第1項5号に該当するとして、A社からの直接雇用の申込みを承諾する旨の意思表示を行い、A社との労働契約上の地位の確認などを求め、訴訟を提起しました。@偽装請負の状態にあったか、A偽装請負の目的があったかが争点となりました。 (2) 偽装請負該当性  裁判例は、「請負人による労働者に対する指揮命令がなく、注文者がその場屋内において労働者に直接具体的な指揮命令をして作業を行わせているような場合には、請負人と注文者との間において請負契約という法形式が採られていたとしても、これを請負契約と評価することができない」としたうえで、「労働者派遣と請負との区別については、……『労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準を定める告示』が公表されて」おり、これを参照すべきとしました。  そして、本件では、B社は、業務の遂行方法に関する指示そのほかの管理を自ら行っていたとは認められないこと、B社が自己の従業員の労働時間管理をしていたとは認められないこと、B社がA社から製品の不具合に関して請負人としての法的責任の履行を求められたことがないこと、原材料や製造機械を自己の責任や負担で調達したものとは認められないことといった事情を認定し、偽装請負の状態にあったことを肯定しました。 (3) 偽装請負の目的  また、裁判例は、労働者派遣法第40条の6の規定の制度趣旨について、「違法派遣の是正に当たって、派遣労働者の希望を踏まえつつ雇用の安定を図ることができるようにするため、違法派遣を受け入れた者に対する民事的な制裁として、当該者が違反行為を行った時点において、派遣労働者に対し労働契約の申込みをしたものとみなすことにより、労働者派遣法の規制の実効性を確保することである」とし、労働者派遣法第40条の6第1項5号について、「特に偽装請負等の目的という主観的要件を付加したもの」であり、「偽装請負等の状態が発生したというだけで、直ちに偽装請負等の目的があったことを推認することは相当ではない」が、「日常的かつ継続的に偽装請負等の状態を続けていたことが認められる場合には、特段の事情がないかぎり、……偽装請負等の状態にあることを認識しながら、組織的に偽装請負等の目的で当該役務の提供を受けていたものと推認するのが相当である」と判示しました。  これを前提に、本件では、日常的かつ継続的に偽装請負等の状態を続けていたとして、偽装請負の目的が肯定されています。  そして結論として、A社と従業員との直接雇用を認めました。 3 終わりに  本裁判例は、@偽装請負該当性の判断にあたって、「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準を定める告示」(昭和61年労働省告示第37号。平成24年厚生労働省告示第518号による改正後のもの)を参照していること、A偽装請負の目的の認定に際して、日常的かつ継続的に偽装請負等の状態を続けていた場合には、特段の事情がないかぎり、偽装請負目的を推認するという考え方を採用したことが特徴的です。  他社に業務委託をする場合には、少なくとも、上記告示の基準を満たすものであることをチェックすることが重要でしょう。 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第85回 合併後の再雇用拒絶、総合職のみに限定した社宅制度の適法性 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲/弁護士 木勝瑛 Q 1 会社が吸収合併されることになった場合、継続雇用の条件が変更になることは不利益変更にあたるのではないか  継続雇用されていた会社が、吸収合併により消滅してしまい、合併後の会社で雇用が維持されることになりました。合併時の説明によれば、2社の間で継続雇用の条件が異なることから、次回の継続雇用の満了時に条件変更があるようですが、従来の契約とは大きな差があり納得がいきません。提示される条件にしたがわなければならないのでしょうか。 A  合併による労働条件の統一については、変更の合理性が認められやすい傾向にあります。継続雇用に関する労働条件の提示についても、合理的な範囲であれば許容されるものと考えられ、これに応じなかったことによる更新拒絶は有効になることがあります。 1 合併と労働契約の関係  会社の合併によって、二つ以上の会社が一つの会社に統一されることがあります。このとき、二つの会社における労働条件が、まったく同一であるとはかぎりません。  他方で、合併により、吸収する存続会社の労働条件にすべて自動的に統一されるような法制度も存在していません。そのため、労働条件の統一については、労働基準法、労働契約法などの規定に従って、順次進めていかなければなりません。  労働条件は、労働契約、就業規則、労働協約その他労使慣行となっている内容などがあるところ、これらにより定められた内容を変更するにあたっては、労働条件の不利益変更となることが多く、労働者の同意または変更の合理性が求められることになります。  労働条件には、賃金や退職金など重要な労働条件を含むことも多く、そのような場合には、合併による労働条件の統一の必要性が認められるとしても、労働者の自由な意思による同意を得ておくことが重要と考えられています。  自由な意思による同意については、その判断をするにあたって、十分な情報提供または説明がなされていたか否かが重視されています。 2 定年後の労働条件について  定年後の継続雇用制度においては、退職金が支給ずみであり、各種公的給付を受給可能な地位を持つこと、賃金について正社員と同様の性質が維持されるとはかぎらないことなどから、一定程度の減額が行われることがあります。  他方で、人材確保および雇用維持の観点から条件を大きく変更せずに継続雇用を実施する場合もあります。  このように、各社ごとに継続雇用の考え方が異なることから合併する2社において、継続雇用における労働条件が異なることはよくあることです。  それでは、継続雇用の期間満了時の更新において、合併後の会社の基準に照らした継続雇用の条件(従前の労働条件を不利益に変更する内容を含む)を提示することは許されるのでしょうか。  継続雇用の提示において、合理的な裁量の範囲内であれば、正社員と異なる労働条件の提示が許容されていますが、合併後の更新時にも同様の基準があてはまるのでしょうか。 3 裁判例の紹介  経営悪化にともなう吸収合併により、消滅した会社に所属していた労働者を承継したところ、継続雇用の条件について、消滅した会社の労働条件が維持されるべきと主張され、会社が労働契約の更新を拒絶したという事案があります(東京高裁令和6年10月17日判決)。  吸収合併にあたって半年以上前から、労働条件を吸収する会社の内容に合致させる旨を周知しており、吸収合併後に労働条件を統一することは賃金総額を減額することを目的としたものではなく、提示した労働条件が拒絶された以上、更新拒絶は有効であると主張する使用者に対して、労働者は4人という少数であり会社への影響が小さく、継続雇用制度の終了とともに解消されるものであることから労働条件の不統一による不利益はきわめて小さく、統一することの合理性が認められないとして反論していました。  『エルダー』2025年1月号の本連載(第79回)で、第一審である東京地裁令和6年4月25日判決を紹介しましたが、その控訴審判決になります。第一審においては、合理的な期待を有していたことにより労働契約法第19条により保護されるのは「同一」の労働条件での更新が期待されているという限定的な解釈をすることで、雇止めを適法と判断していましたが、一般的な解釈とは異なる内容でした。  控訴審では、従前の労働条件から変更された内容であっても更新されることを期待する合理的な理由がある場合には、解雇と同様に「客観的かつ合理的な理由」および「社会通念上の相当性」が雇止めに必要とされるとして、第一審のような限定的な解釈をすることなく、継続雇用であり65歳まで労働者が更新されることを期待する合理的な理由があると判断しました。  更新手続きの経緯は、合併後の会社から従前の労働条件を下回る内容で提示をしたところ、これについては労働者が拒絶をしていたという状況でした。このような状況において、裁判所は会社からの提案が合理性を有していたか否かを含めて、雇止めに「客観的かつ合理的な理由」および「社会通念上の相当性」が認められるかを判断することとしました。  そのため、会社が提案した内容の合理性が問題となりましたが、会社からは、4種類の内容で更新後の労働条件を提示しており、これらのなかから労働者が選択可能な状況にしており、会社からの各提案の合理性についても、消滅前の会社でも継続雇用中に条件が下がった前例があったこと、赤字経営が続いており債務超過状態にあったことから吸収合併に至ったものであり、その手続きにおいて従業員向けの説明会が実施されていたこと、説明会では吸収した会社における継続雇用制度の内容についてイントラネットに掲載する方法で周知していたという事情がありました。そのため、吸収合併されるのであれば労働条件が不利益に変更される提案がされる可能性が認識されていたものと判断され、期間満了の1カ月前には具体的な労働条件が提示されていたことから、労働契約が同一内容で更新されると期待する合理的な理由はないとされています。  また、吸収した会社の定年後再雇用者と同一の労働条件とする必要性は高いと認め、会社による提案の合理性が肯定されることを理由として、雇止めに必要な客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が認められると判断し、第一審と同様の結論を維持しました。  合併手続きを経て、労働条件を統一することについては、二つの会社の労働者の不公平感が課題となることが多いですが、控訴審では「移籍する同種労働者の賃金水準は当然に関心事となる」ことを前提に「従前から雇用する労働者に秘匿しておくことは困難であり、かつ不誠実でもあって、相当とはいえない」と述べ、合併した企業の課題として認めています。  合併後の更新においては、従前と同一の労働条件ではない提案を受けている場合でも、提案された内容が合理的である場合にこれに応じないと雇用が維持されないこともありえますので、注意が必要です。 Q2 総合職のみを社宅制度の対象とすることに問題はあるでしょうか  このたび、従業員への福利厚生の一環として、総合職の従業員を対象に社宅制度を新設しようと考えています。何か注意すべき点はありますか。 A  男女雇用機会均等法の趣旨に反しないか注意が必要です。例えば、対象となる総合職の従業員のほとんどが男性であり、女性従業員のほとんどは対象外となるといった場合には、合理的な理由がないかぎり、男女雇用機会均等法の趣旨に反するとして違法と判断される可能性があります。 1 男女雇用機会均等法  男女雇用機会均等法(以下、「均等法」)は、性別を直接の理由とした差別的な取扱いを禁止しており(均等法第5条・6条、同施行規則第1条4号、直接差別の禁止)、また、性別を直接の理由とするものでなくとも、「……男性及び女性の比率その他の事情を勘案して実質的に性別を理由とする差別となるおそれがある措置……については、……合理的な理由がある場合でなければ、これを講じてはならない」として、間接的な差別も禁止しています(均等法第7条、同施行規則第2条2号、間接差別の禁止)。  AGCグリーンテック事件は、総合職のみを対象とした社宅制度について、間接差別にあたるとして違法と判断していますので、以下紹介します。 2 AGCグリーンテック事件(東京地裁令和6年5月13日判決) (1) 事案の概要被告である会社は、総合職に対しては、転居をともなう転勤命令の有無にかかわらず通勤圏に自宅を有しない場合に借り上げ社宅制度の利用を認めながら、一般職には社宅制度の利用を認めず、住宅手当の支払いにとどめていました。そこで、そのような措置が、男女の性別を理由とする直接差別または間接差別にあたり違法であるとして、提訴されました。 (2) 直接差別に該当するか  裁判所は、直接差別に該当するかという点について、以下の通り判示し、結論として直接差別については否定しています。  「社宅制度の適用を受けてきたのがGを除き全て男性であったのは、……女性からの応募の少ない職種であることが原因である」こと、「制度設計の背景に、男女の別によって待遇の格差を生じさせる趣旨があったことを推認するに足りる事情は認められない」こと、実際に女性社員(G)が社宅制度を利用した実績もあることなどの事情からすれば、「社宅制度に関する待遇の格差が男女の性別を直接の理由とするものと認めることはできない」 (3) 間接差別に該当するか ア 判断枠組み  裁判所は、間接差別に該当するかという点について、以下の通り判断の枠組みを示しました。  「均等法7条を受けた同法施行規則2条2号には、……住宅の貸与(均等法6条2号、同法施行規則1条4号)が挙げられていないものの、@性別以外の事由を要件とする措置であって、A他の性の構成員と比較して、一方の性の構成員に相当程度の不利益を与えるものを、B合理的な理由がないときに講ずること(以下「間接差別」という。)は、均等法施行規則に規定するもの以外にも存在し得るのであって、均等法7条には抵触しないとしても、民法等の一般法理に照らし違法とされるべき場合は想定される……」  「そうすると、……均等法の趣旨に照らし、同法7条の施行(平成19年4月1日)後、住宅の貸与であって、労働者の住居の移転を伴う配置転換に応じることができることを要件とするものについても、間接差別に該当する場合には、民法90条違反や不法行為の成否の問題が生じる」  具体的には、「措置の要件を満たす男性及び女性の比率、当該措置の具体的な内容、業務遂行上の必要性、雇用管理上の必要性その他一切の事情を考慮し、男性従業員と比較して女性従業員に相当程度の不利益を与えるものであるか否か、そのような措置をとることにつき合理的な理由が認められるか否かの観点から、被告の社宅制度に係る措置が間接差別に該当するか否かを均等法の趣旨に照らして検討し、間接差別に該当する場合には、社宅管理規程の民法90条違反の有無や被告の措置に関する不法行為の成否等を検討すべき」としています。 イ 事案の検討  裁判所は、上記の判断基準をもとに、以下の通り判示し、結論として間接差別に該当する違法な措置であると認定しました。  「社宅制度の実際の運用は、総合職でありさえすれば、転勤の有無や現実的可能性のいかんを問わず、通勤圏内に自宅を所有しない限り希望すれば適用されるというのが実態であり、その恩恵を受けたのは、Gを除き全て男性であった」  「社宅制度という福利厚生の措置の適用を受ける……比率という観点からは、男性の割合が圧倒的に高く、女性の割合が極めて低い……享受する経済的恩恵の格差はかなり大きい……。他方で、転勤の事実やその現実的可能性の有無を問わず社宅制度の適用を認めている運用等に照らすと……社宅制度の利用を総合職に限定する必要性や合理性を根拠づけることは困難である」  「そうすると、……社宅制度の利用を……総合職に限って認め、一般職に対して認めていないことにより、事実上男性従業員のみに適用される福利厚生の措置として社宅制度の運用を続け、女性従業員に相当程度の不利益を与えていることについて、合理的理由は認められない。……被告が……社宅制度の運用を続けていることは、……均等法の趣旨に照らし、間接差別に該当する」 3 所感  本判決は、均等法施行規則第2条2号の列挙事由にあたらない措置を間接差別に該当すると判断した初めての裁判例です。  本判決は、総合職でありさえすれば、転勤の有無や現実的可能性のいかんを問わず、通勤圏内に自宅を所有しないかぎり希望すれば適用されるという運用実態から合理性を否定し、間接差別を肯定していますので、制度設計の際には、この点をふまえ、不当な男女差別となっていないか注意を払うべきでしょう。 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第86回 長期にわたる有期雇用労働者と退職金支給、録音禁止の業務命令の有効性 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲/弁護士 木勝瑛 Q1 長期間働いている有期雇用労働者には、正社員と同じように退職金を支払わないといけないのでしょうか  当社では、退職金について、一時金と退職年金の2種を用意しています。いずれも正社員を対象とした制度として想定しています。ところが、当社で長期間継続雇用している契約社員から、同一労働同一賃金の観点から退職金の支給を認めるよう要求されています。これに応じなければならないのでしょうか。 A  業務の内容と責任の程度、それらの変更範囲その他の事情をふまえて合理的な範囲であれば、差異が生じていることは許容され得ますが、退職金規程の定め方によっては、支給を認めなければならない場合もあります。 1 同一労働同一賃金について  同一労働同一賃金については、「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」の第8条が定めています。比較されるのは、期間の定めがない労働者と期間の定めがある労働者の間で「基本給、賞与その他の待遇のそれぞれ」を対象としており、退職金も待遇の一種として対象に入ります。  そして、@業務の内容および責任の程度(以下、「職務の内容」)、A職務および配置の変更の範囲、Bその他の事情(待遇の性質や目的に照らして適切と認められるもの)を考慮して、「不合理と認められる相違」を設けてはならないとされています(いわゆる「均衡待遇」の規定)。  他方で、「職務内容が通常の労働者と同一の場合」については、同法第9条が「雇用関係が終了するまでの全期間」において、@職務の内容および配置、A職務および配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれる者については、「短時間・有期雇用労働者であること」を理由として、「基本給、賞与その他の待遇のそれぞれ」について、差別的取扱いをしてはならないとされています(いわゆる「均等待遇」の規定)(図表)。  基本的には、業務の内容と責任の程度、それらの変更範囲に相違があるかぎりは、これらの要素およびその他の事情をふまえて、不合理でなければ許容されますので、退職金についても同様の判断に従うことになります。  他方で、雇用中の全期間について業務の内容と責任の程度、それらの変更範囲が期間の定めのない労働者と同一の場合は、差別的取扱いが禁止され、均等待遇が必要となります。  過去に退職金支給差異に関する最高裁判例として、メトロコマース事件(最高裁令和2年10月13日判決)があります。下級審の判決では、退職金が賃金の後払的性格と長年の勤務に対する功労報償の性格を合わせて有していることをふまえて、功労報償に相当する部分にかかる退職金の不支給が不合理と判断されていました。  ところが最高裁では、「退職金の性質やこれを支給することとされた目的を踏まえて同条所定の諸事情を考慮することにより、当該労働条件の相違が不合理と評価することができるものであるか否かを検討すべき」ことを前提として、「正社員としての職務を遂行し得る人材の確保やその定着を図るなどの目的から、様々な部署等で継続的に就労することが期待される正社員に対し退職金を支給することとしたもの」として、職務の内容および変更の範囲に一定の相違があったこと、退職金支給対象となる正社員への登用制度が用意されていたことなどをふまえて、「10年前後の勤続期間を有していることをしんしゃくしても、両者の間に退職金の支給の有無に係る労働条件の相違があることは、不合理であるとまで評価することができるものとはいえない」と判断しています。  したがって、長期間勤続しているとしても、退職金の支給の相違が不合理と認められる可能性は低いものと考えられています。 2 裁判例の紹介  近年、契約社員(期間の定めのある労働者)と正社員(期間の定めのない労働者)との間で、退職一時金の支給、退職年金の支給について、それぞれ契約社員にも支給されるべきとして紛争となった事案があります(日本サーファクタント工業事件(東京高裁令和6年2月28日、東京地裁令和6年1月12日判決))。  退職一時金の支給に関しては、メトロコマース事件と同様の基準をふまえつつ、「様々な部署等で継続的に就労することが期待される正社員に対し退職金を支給することとしたもの」、「業務内容に違いはないものの、…雇用契約書において業務内容が定められ、配置転換、出向の有無や昇格、昇給、専任職の制度の適用がないなどの点で異なる」、専任職である契約社員について「定年退職時まで相応の年俸制による給与が支払われる」として、「正社員と同様の見地からの配慮は要しないものとして、…退職一時金を支給しないものとすることが必ずしも不合理であるとまではいえない」と判断されています。  退職年金も退職一時金と同趣旨の支給理由であるとすれば、同じ結論に至りそうですが、そうはならず、退職年金については契約社員である原告を支給対象にすべきと判断されました。その理由は、同一労働同一賃金の観点からの判断ではなく、「退職年金規定の文言上、契約社員がその支給対象に含まれ得る」として、契約社員に対して退職年金を支給することがこれまでの実態と異なるものであるとしても、退職年金の支給対象と解釈することが相当であると判断されました。  就業規則において、「従業員」の定義に契約社員が含まれている一方で、退職年金規定の適用除外となる従業員として、日雇い労働者や臨時に期間を決めて雇い入れられる者などが明記されているにとどまっていました。問題となった契約社員は臨時の雇い入れといえるような短期間が想定されていたものではなかったことから、適用除外対象と認められませんでした。  したがって、就業規則や退職金規程における対象となる従業員・労働者の定義について確認をしておくことは重要です。 図表 均衡待遇と均等待遇 対象となる待遇 前提条件 考慮要素 許容されない差異 均衡待遇 基本給、賞与その他の待遇のそれぞれ 短時間・有期雇用労働者であること 職務の内容 職務および配置の変更の範囲 その他の事情 不合理と認められる相違 均等待遇 基本給、賞与その他の待遇のそれぞれ 短時間・有期雇用労働者であることを理由としていること 職務の内容 職務および配置の変更の範囲 差別的取扱い ※筆者作成 Q2  社内における会話を録音している従業員に、録音の禁止を命じることは可能でしょうか  当社では、社内の会議や業務時間中の上司からの指示・指導や従業員間の会話などを録音する従業員がいます。これによって社内の自由な発言が妨げられており、社内のコミュニケーションや業務に支障が生じています。秘密情報の漏洩の心配もあります。社内での録音を禁止することは可能なのでしょうか。 A  会社は、従業員に対して、労働契約上の指揮命令権・施設管理権に基づき、職場での録音を禁止することができると考えられています。社内での無断録音の禁止について、就業規則に規定しておくことがよいでしょう。 1 甲社事件(東京地裁平成30年3月28日判決) (1) 事案の概要  原告は、2014(平成26)年3月24日、被告に期間の定めなく正社員として雇用されたものの、業務時間中の居眠り、業務スキル不足、復職に関する手続きの不履践、録音禁止の業務命令違反等を理由に、2016年6月27日付で、被告から普通解雇されました。  これに対して原告は、解雇は無効であると 主張し、原告が労働契約上の権利を有する地 位にあることの確認を求める訴訟を提起しま した。 (2) 判旨 ア 原告の言動について  裁判所は、原告の言動について、「原告は、……原告が常にボイスレコーダーを所持しているなどの報告や苦情に基づき、繰り返し、ボイスレコーダー所持の有無を確認されたり、録音禁止の指示を受けたりしたものの、答える必要はない、自分の身を守るために録音を止めることはできないなどという主張を繰り返していた。そして、原告に対して懲戒手続が取られることとなり、2度にわたり弁明の機会が設けられた際も、原告は、自分の身を守るために録音は自分のタイミングで行うと主張し続け、譴責の懲戒処分を受けて始末書の提出を命じられたにもかかわらず、何ら反省の意思を示すことなく、それが不当な処分であるとして、『会社から自分の身を守るために録音機を使います』などと明記したその趣旨に沿わない始末書……を提出している」と認定しました。 イ 録音禁止の業務命令権の有無  会社が録音禁止の業務命令権を有するかという点について、裁判所は、「雇用者であり、かつ、本社及び東京工場の管理運営者である被告は、労働契約上の指揮命令権及び施設管理権に基づき、被用者である原告に対し、職場の施設内での録音を禁止する権限があるというべきである。このことは、就業規則にこれに関する明文があるか否かによって左右されるものではない」として、@被告が雇用者であること、A被告が施設の管理運営者であることの2点を理由に、労働契約上の指揮命令権および施設管理権を根拠として、録音禁止の業務命令権を肯定しています。 ウ 録音禁止命令の正当性  録音禁止命令の趣旨については、「被用者が無断で職場での録音を行っているような状況であれば、他の従業員がそれを嫌忌して自由な発言ができなくなって職場環境が悪化したり、営業上の秘密が漏洩する危険が大きくなったりするのであって、職場での無断録音が実害を有することは明らかであるから、原告に対する録音禁止の指示は、十分に必要性の認められる正当なものであったというべきである」として、@職場で自由な発言ができなくなることによる職場環境の悪化の危険、A営業上の秘密の漏洩の危険の2点をあげています。  なお、A営業上の秘密の漏洩の危険という点については、「被告が秘密情報の持ち出しを放任しておらず、その漏洩を禁じていたことは明らかであり……原告が主張するような一般的な措置を取っているか否かは、情報漏洩等を防ぐために個別に録音の禁止を命じることの妨げになるものではないし、そもそも録音禁止の業務命令は、……秘密漏洩の防止のみならず、職場環境の悪化を防ぎ職場の秩序を維持するためにも必要であったと認められる……」として、厳格な秘密管理措置がなされていないことをもって録音禁止命令の有効性が否定されるものではないとしています。 エ 原告の録音禁止命令違反等への評価  裁判所は、「原告は、被告の労働契約上の指揮命令権及び施設管理権に基づき、上司らから録音禁止の正当な命令が繰り返されたのに、これに従うことなく、懲戒手続が取られるまでに至ったにもかかわらず、懲戒手続においても自らの主張に固執し、譴責(けんせき)の懲戒処分を受けても何ら反省の意思を示さないばかりか、処分対象となった行為を以後も行う旨明言したものであって、会社の正当な指示を受け入れない姿勢が顕著で、将来の改善も見込めなかったといわざるを得ない。このことは、原告が本人尋問において、仮に復職が認められても、原告から見て身の危険があれば、録音機の使用を行うと表明していること……からも顕著である」として、原告の録音禁止命令違反およびその後の反抗的な態度について厳しい評価をしています。 オ 結論  裁判所は、このほか、従前から存在していた居眠りや業務スキルの不足、復職手続きの不履践なども認定したうえで、「もともと正当性のない居眠りの頻発や業務スキル不足などが指摘され、日常の業務においても、従業員としてなすべき基本的な義務を怠り、適切な労務提供を期待できず、私傷病休職からの復職手続においても、目標管理シート等の提出においても、録音禁止命令への違反においても、自己の主張に固執し、これを一方的に述べ続けるのみで、会社の規則に従わず、会社の指示も注意・指導も受け入れない姿勢が顕著で、他の従業員との関係も悪く、将来の改善も見込めない状態であったというべきである」として、解雇を有効と判断し、原告の請求を棄却しました。 2 本裁判例をふまえて  本裁判例では、@被告が雇用者であること、A被告が施設の管理運営者であることの2点を理由に、労働契約上の指揮命令権および施設管理権を根拠として、録音禁止の業務命令権を肯定しています。一般的に、会社は上記@Aを満たしている場合がほとんどと思われますので、本裁判例の論理によれば、ほとんどの場合、会社の録音禁止命令権は認められることになるでしょう。  なお、本裁判例では、録音禁止命令に就業規則の規定は必ずしも必要ないとされていますが、無断で録音されてしまっては、録音禁止命令を行うタイミングがありません。また、従業員の納得感からしても、実務上の対応としては、社内での無断録音の禁止について、就業規則に規定しておくことがよいでしょう。 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第87回 就業確保措置とフリーランス新法、経歴詐称と内定取消し 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲/弁護 士木勝瑛 Q1 70歳までの就業確保措置において、高齢社員に業務委託として就労を続けてもらう際の留意点について知りたい  人材不足が続いており、65歳の定年後も継続雇用をするほか、人材確保のため就業機会確保措置として業務委託契約に基づき就業してもらうことも検討しています。  雇用から業務委託に変更する場合の留意点について教えてください。 A  65歳を超えてから業務委託へ変更する場合にも、フリーランス保護法の適用があること、労働者ではないのであれば、依頼や業務の諾否(だくひ)の自由を確保するようにしておくことは、特に留意しておく必要があります。 1 高年齢者雇用安定法と就業機会の確保  現行の高年齢者雇用安定法においては、70歳までの就業機会の確保が努力義務とされています。また、2022(令和4)年時点の健康寿命も、男性は72歳、女性は75歳を越えており、65歳を迎えても健康的に働くことができる方が増えているというデータもあります。  そのため、65歳を超えてからについては、継続雇用のみではなく、就業確保措置として業務委託などのフリーランスとしての業務を委託することも可能となることから、業務委託契約への切り替えという方法が取られることが増えていくのではないかと思われます。  これらについては、2021年の改正高年齢者雇用安定法の施行時に、厚生労働省から改正の概要に関するパンフレットやQ&Aが公表されており、これらを参考に取り組むことが重要となっています。  当時のパンフレットが作成された時点では、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」(以下、「フリーランス保護法」)が制定される前でした。しかしながら、同法においては、雇用契約からの切り替えであるとしても、適用対象外とするような定めは置かれていませんので、業務委託へ切り替えた場合には、同法が定める内容についても遵守しなければならないということには、あらためて留意しておく必要があります。 2 フリーランス保護法のおもな内容  フリーランス保護法において保護対象とされているのは、従業員を使用していない事業者を意味しています。65歳の定年後に業務委託契約に変更するような場合には、ほとんどの場合該当するはずです。  また、適用対象となる委託業務の内容についても、役務の提供が含まれているため、65歳を迎えて退職する以前と類似または同種の業務を委託するような場合には、通常、該当することになります。  フリーランス保護法の適用対象となる場合には、@業務委託の給付内容、報酬の額、役務の提供場所、報酬の支払い期日などの法定事項を記載した書面または電磁的方法による提供、A60日以内の報酬支払期限、B受領拒否、報酬の(一方的な)減額、買いたたき、不当な経済上の利益の提供要請、不当な給付内容の変更・やり直しなどの禁止、C育児・介護等と業務の両立に対する配慮義務、Dハラスメントに係る体制の整備義務などが定められています。  通常、@の書面等による明示事項については、業務委託契約書を作成すれば、含まれるべき内容であり、A報酬支払期限についても、従前の賃金と同じような支給を想定すれば1カ月を超える期間にわたって報酬の支払いが留保されることはないはずです。  また、CおよびDの育児介護への配慮、ハラスメントに係る体制については、労働者と同等の扱いを継続することによって実現することは可能となるはずです。  問題はBの禁止行為の適用対象になるという意識をもって取り組む必要があるという点になるでしょう。下請法類似の規制が業務委託となった高齢者との間で適用される関係となりますので、特に、労働者との間のやり取りであれば業務理解や指導の範疇として許容され得るようなやり取りであっても、不当な給付内容の変更・やり直しに該当してしまうと、禁止行為となり、ハラスメント通報の端緒にもなるような事象となるでしょう。 3 労働者性との関係  フリーランス保護法との関係では、業務委託契約書の法定記載事項を押さえておくことで遵守することができそうですが、他方で、雇用から業務委託への移行に関しては、不利益変更や偽装請負などの観点から労働者性が大きな問題となります。  この点については、厚生労働省が改正法施行時に公表していたパンフレットなどが参考になります。  まず、雇用以外の方法での就業機会の確保については、労使間で合意した創業支援等措置の実施に関する計画を定める必要があります。そのなかには、支払う金銭に関する事項、契約締結頻度、契約変更に関する事項、安全衛生に関する事項などを定めるものとされています。  また、個別に締結する業務委託契約においては、労働者との相違が明確になるようにしておく必要があります。要素として、@依頼や業務の諾否の自由の有無、A指揮監督の有無、B時間的・場所的な拘束性の有無、C代替性の有無などが主要な要素としてあげられています。しかしながら、Cについては、従業員のいない個人への委託であれば代替性は認められにくいはずであり、B時間的・場所的な拘束性も、雇用していたときの業務経験などを活かしてもらうことを想定すると、ある程度の拘束性があることが多くなってしまいがちです。また、A指揮監督の有無というのは、契約上は直接の指揮監督はしないことを明示することになりますが、個人への委託であれば、発注とそれに付随する情報提供と指揮命令の区別は、客観的には必ずしも明確ともいいがたいこともあります。  そうすると、@諾否の自由の有無が決め手になりやすいところになりそうです。業務委託契約の内容については、フリーランス保護法を遵守する内容としつつ、諾否の自由を確保しておくという点が、65歳以降の就業機会確保措置におけるおもな留意事項になるでしょう。 Q2 中途採用として内定を出した人材が経歴を詐称していた場合の対応について知りたい  採用手続きにおける求職者の経歴詐称に対し、どのような対応策が考えられますか。内定を取り消すなどの対応が可能なのでしょうか。 A  詐称された経歴の重要性、詐称の動機、詐称の態様などを考慮して内定取消しが客観的に合理的であり、社会通念上相当であると認められる場合には、内定の取消しが有効と判断される可能性があります。経歴詐称による内定取消しを有効とした裁判例としてアクセンチュア事件があります。 1 採用内定の法的性質  日本の採用活動においては、採用手続きの過程のなかで、「採用内定」という手続きが取られることがあります。この採用内定を、法的にどのようなものと理解すべきでしょうか。  この点について最高裁は、「具体的事案につき、採用内定の法的性質を判断するにあたつては、当該企業の当該年度における採用内定の事実関係に即してこれを検討する必要がある」と判示しています(最高裁昭和54年7月20日判決、大日本印刷事件)。つまり、個別の事案によってその法的な性質を決定するものとされているのです。本判例では、具体的事案を検討して、始期付解約権留保付労働契約と評価されました。 2 始期付解約権留保付労働契約  「解約権留保付」というのは、使用者側において、解約権が留保されているとの意味合いになります(その意味で、「留保解約権」と呼ばれることもあります)。使用者としては、採用面接や採用時の資料など、限られた情報から採否を決定しなければならないことから、採用内定後に判明した事実をもって解約する権利を留保していると理解してよいでしょう。  判例も「試用契約における解約権の留保は、大学卒業者の新規採用にあたり、採否決定の当初においては、その者の資質、性格、能力その他いわゆる管理職要員としての適格性の有無に関連する事項について必要な調査を行い、適切な判定資料を十分に蒐集(しゅうしゅう)することができないため、後日における調査や観察に基づく最終的決定を留保する趣旨でされるもの」と述べています。 3 留保解約権行使の要件  始期付解約権留保付労働契約においては、使用者側に解約権が留保されていると説明しましたが、では、この解約権は無制限に行使することが可能なのでしょうか。答えは否です。留保解約権の趣旨から一定の制限を受けています。  上記判例によれば、留保解約権の行使について、「採用内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実であつて、これを理由として採用内定を取消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限られると解する」とされています。  つまり、内定時に会社が知り得た事情や、知り得ない事情であっても、その事情を理由に解約権を行使することが不適切な場合には、解約権行使の有効性は否定されることになります。 4 経歴詐称の問題  採用活動において、求職者の経歴は非常に重要視されています。特に、中途採用においては、自社の業務内容や風土とマッチするかどうかを判断するために重要と考えられています。  他方で、使用者としては、基本的に、求職者から提供される情報を基にして採否の判断を行うことにならざるを得ません。経歴についても、履歴書や職務経歴書を提出してもらうことで、採否の判断の一要素とすることが一般的です。つまり、使用者側としては、求職者の提出した資料が正しいことを前提に、内定の判断をせざるを得ない、ということになります。  経歴は、前述の通り採用活動において重視されている一方で、労働者側の申告に依存せざるを得ないため、これが詐称されてしまうと、採用活動そのものが不安定になってしまうことが懸念されます。  また、求職者の経歴は、採否の判断の決め手になることもあるため、経歴詐称が判明した場合には、採用内定の判断が覆る可能性があります。さらに、経歴に関する詐称が判明した場合には、信頼関係に傷が入ることが考えられますので、そのような観点からも採否の判断が覆ることがあり得るでしょう。 5 経歴詐称による内定取消し  中途採用者の経歴詐称に関し、内定取消しを認めた裁判例として、アクセンチュア事件(東京高裁令和6年12月17日判決)があります。本裁判例は、中途採用者として採用内定を受けていた原告が、その後の経歴調査により虚偽の経歴の申告が判明したなどとして内定を取り消されたため、会社に対して、労働者たる地位の確認を求めた事案です。  本裁判例では、上述の一般的な留保解約権の行使に関する基準にとどまらず、中途採用における経歴詐称の事案にプロパーの下位基準として「単に、履歴書等の書類に虚偽の事実を記載し或いは事実を秘匿した事実が判明したのみならず、その結果、@労働力の資質、能力を客観的合理的に見て誤認し、企業の秩序維持に支障をきたすおそれがあるものとされたとき、又は、A企業の運営に当たり円滑な人間関係、相互信頼関係を維持できる性格を欠いていて企業内にとどめおくことができないほどの不正義性が認められる場合に限り、上記解約権の行使として有効なものと解すべき」(数字は筆者追記)と判示している点が注目されます。  本判決では、会社が中途採用者の経歴やコミュニケーション能力を重視していたこと、虚偽の記載がない旨の確認を書面にて受領していたこと、原告が前職での紛争を隠すために経歴詐称に及んだこと、面接の場においても経歴詐称が判明しないよう誤解を招くような受答えに終始していたことなどの事情を重視して、「企業内にとどめおくことができないほどの不正義性」を肯定し、留保解約権の行使を有効と認めました。  本判決の基準によれば、単に経歴詐称があったのみでは内定取消しは有効とはならず、詐称された経歴の重要性、経歴詐称の動機、経歴詐称の態様などを考慮して、事案ごとに有効性が判断されることになります。会社としては、内定者のリファレンスチェックを行うとともに、採用手続きの過程では、求職者からの書面に虚偽の記載がないことの確認を書面にて取得しておく、経歴に不信な点があれば面接時に具体的な質問を行うなどの対応が考えられるでしょう。 知っておきたい 労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第88回 定年後再雇用時の労働条件変更、試し勤務における従業員の協力義務 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲/弁護士 木勝瑛 Q1 定年後再雇用契約時に就労条件を変更したうえで、賃金を減額することに問題はないのでしょうか?  定年後再雇用の契約について、業務の内容や責任の程度を変更したうえで、それをふまえて賃金を減額する内容で定年後の労働条件を提示しました。労働者から、納得ができないという意見が出されたのですが、納得できるまで条件を引き上げる必要があるのでしょうか。 A  使用者には、同一労働同一賃金の規定に違反しないような合理的な裁量の範囲であれば、労働条件が下がるような提示が許されないわけではありません。ただし、大幅な引下げに対しては、引き下げることを正当化できる合理的な理由が求められる場合があります。 1 定年後再雇用時の労働条件について  定年後に継続雇用する制度を導入し、再雇用を行う場合、厚生労働省は、「合理的な裁量の範囲」の条件を提示していれば、高年齢者雇用安定法の違反にはならないとの見解を公表しています。ただし、継続雇用をしないことができるのは、解雇事由または退職事由と同一の範囲に限定されていることに留意する必要もあります(「高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針」参照)。  同指針においては、継続雇用後の賃金については、継続雇用されている高齢者の就業の実態、生活の安定等を考慮し、適切なものとなるよう努めること、といった方針も示されています。労働条件変更の提案自体が禁止されているわけではありませんが、継続雇用対象者に対して、合理的な裁量の範囲としてどの程度の提示が許容されるのかは悩ましい問題です。 2 労働条件の提示に関する裁判例について  学究社事件(東京地裁立川支部平成30年1月29日判決)においては、継続雇用に関する条件の提示の仕方、それに対する返答などから、継続雇用が成立しているのか、成立しているとしていかなる労働条件となるのか、それが同一労働同一賃金に反するものではないか(合理的な裁量の範囲内であるか)などが争われました。  労働者からは、定年前の賃金と継続雇用後の賃金の差額の支払いを求め、理由としては、継続雇用の契約を締結したものの、その賃金について定年前と同額で合意したと主張しており、使用者は、勤務形態を変形労働時間制から時間単位の勤務とし、賃金の計算方法を時給に変更(変更後は定年前の30%から40%が目安)したうえで提示しており、当該条件にしたがうべきと反論していました。  使用者からは、書面を用いて継続雇用後の労働条件を説明したものの、労働者はこれに応じるとは回答せず、再雇用契約書には署名押印をしていませんでしたが、定年退職後も使用者から指定される時間に勤務する状況が続いていました。  原告は、変更の合意がないかぎりは従前の労働契約が継続しているという趣旨の主張をしていましたが、裁判所は、「原告と被告との間の再雇用契約は、それまでの雇用関係を消滅させ、退職の手続をとった上で、新たな雇用契約を締結するという性質のものである以上、その契約内容は双方の合意によって定められるもの」として、定年退職前の労働契約は終了していることを前提とした判断をしています。  また、提示した労働条件が同一労働同一賃金について定めた規定(当時の労働契約法20条)に違反するものではないかという点については、業務の内容や責任の程度に関連して、「定年前は専任講師であったのに対し、定年後の再雇用においては時間講師であり…勤務内容についてみても、再雇用契約に基づく時間講師としての勤務は、原則として授業のみを担当するものであり、例外的に上司の指示がある場合に父母面談や入試応援などを含む生徒・保護者への対応を行い、担当した授業のコマ数ないし実施した内容により、事務給(時給換算)が支給されるもので…再雇用契約締結後は、時間講師として、被告が採用する変形労働時間制の適用はなく、原則は、被告から割り当てられた授業のみを担当するもの」と判断し、業務の内容および責任の程度に差があることを認め、「定年退職後の再雇用契約と定年退職前の契約の相違は、労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して不合理であるとはいえず、労働契約法20条に違反するとは認められない」と結論づけました。  変形労働時間制の適用を受けなくなることが考慮されていることは、特徴の一つであり、労働時間制度の変更が業務内容や責任の程度の差異として評価されることは参考になります。  九州惣菜事件(福岡高裁平成29年9月7日判決)においても、継続雇用時の労働条件の提示が合理的な裁量の範囲内であるかが争点とされました。  この事案では、「有期労働契約者の保護を目的とする労働契約法20条の趣旨に照らしても、再雇用を機に有期労働契約に転換した場合に、有期労働契約に転換したことも事実上影響して再雇用後の労働条件と定年退職前の労働条件との間に不合理な相違が生じることは許されない」ことを前提として、「フルタイムを希望したのも、長時間労働することが目的ではなく主に一定額以上の賃金を確保するためであると解される。…本件提案の条件による場合の月額賃金は8万6400円(1カ月の就労日数を16日とした場合)となり、定年前の賃金の約25パーセントに過ぎない。この点で、本件提案の労働条件は、定年退職前の労働条件との継続性・連続性を一定程度確保するものとは到底いえない。したがって、本件提案が継続雇用制度の趣旨に沿うものであるといえるためには、そのような大幅な賃金の減少を正当化する合理的な理由が必要である」としており、労働者の意に沿わない条件の提示に対して厳しい判断がなされています。  正当化する合理的な理由を判断するにあたって、「担当業務の量が本件提案において大幅に減ったとまではそもそもいえないこと…定年退職を機にその担当業務を本件提案の内容に限定するのが必然であったとまではいえないこと」を考慮して、「本件提案によった場合の労働時間の減少…が真にやむを得ないものであったと認めることはできない。そうすると、月収ベースの賃金の約75パーセント減少につながるような短時間労働者への転換を正当化する合理的な理由があるとは認められない」と結論づけました。  賃金など労働条件の引下げについては、同一労働同一賃金による規制もふまえて、業務の内容や責任の程度の変更を意識しつつ、定年前と比較した労働条件の不利益な変更に見合うだけの合理的な理由が求められることに注意が必要です。 Q2 休職していた従業員が、復職に向けた試し勤務を拒否しています  精神疾患で長期休職していた従業員が復職を希望しています。会社としては就業規則の規定にしたがって従業員に試し勤務を指示したところ、従業員が試し勤務を拒否しています。拒否は許されるのでしょうか。 A  従業員は、復職の可否の判断に際して会社に協力する義務を負います。そのため、試し勤務を命じる必要性・合理性があり、従業員において試し勤務を拒否すべき合理的な理由がない場合には、従業員は試し勤務命令を拒否できないと考えられます。 1 試し勤務について  近年、メンタルヘルスの不調によって休職する労働者が増加しているとされています。実際、厚生労働省の「労働安全衛生調査」によれば、過去1年間でメンタルヘルスの不調で休職した労働者がいる事業所の割合は、2022(令和4)年の10.6%から、2023年は13.5%へと上昇しています。  メンタルヘルスの不調による休職は、ほかの疾病に比して、復職の可否の判断、すなわちメンタルヘルス不調が回復しているかどうかの判断がむずかしいとされています。そこで、会社においては、試し勤務(「試し出勤」、「リハビリ勤務」、「トライアル勤務」などと呼ばれることもあります)の制度が用いられることがあります。  試し勤務中の賃金請求権の有無については、試し勤務の実態に応じて判断されることになります。すなわち、試し勤務中は、読書や身の回りの整頓のみを行わせるなどして、会社の業務に従事させないようにした場合には、賃金請求権は発生しないとされています。他方で、試し勤務中に会社の業務を命じて遂行させた場合には、仮に休職期間中は無給とする旨を就業規則で定めていた場合でも、賃金請求権は発生すると考えられています。指揮命令下における業務遂行の有無によって判断が分かれることになります。 2 そもそも休職とは  休職とは、労働者を就労させることが不適切な場合に労働契約関係を存続させつつ就労を免除または禁止することをいうとされています。このうち、労働者が就労不能となってもただちに解雇せずに一定期間の欠勤を認めるものを傷病休職といいます。メンタルヘルス不調での休職もこれにあたります。  休職の趣旨は、解雇の猶予にあるといわれることもあります。労働契約は、労働者が使用者に対して労務を提供する義務を負い、他方で使用者が労働者に対して賃金を支払う義務を負う、いわゆる双務契約と呼ばれる契約類型になります。そのため、労働者が心身の不調をきたしてしまった結果、労務提供をできない状態というのは、法的には、労働者に債務不履行(契約違反)がある状態となり、契約の解消事由(解雇事由)を構成することになります。もっとも、ただちに債務不履行に基づく労働契約の解消を行うのではなく、労働者を一定期間休ませることにより心身の不調の回復の機会を設けるということです。  そのため、通常、休職期間は永久に続くものではなく、就業規則上、在籍期間や疾病の種類に応じて一定の期間に限定されています。そして、就業規則においては、休職期間満了時に復職できない場合には自然退職となる旨の規定が置かれていることが一般的です。そのため、メンタルヘルス不調による休職の場合、休職期間満了時までにメンタルヘルスの不調が回復しない場合には、自然退職として処理することが検討されることになります。 3 復職判断の基準について  休職期間の満了が近づいたり、従業員から復職の申出があれば、会社は復職の可否を判断することとなります。復職の可否は会社が判断する事項であるところ、各会社の規定や運用にもよりますが、一般的には、主治医との面談、産業医の診察結果、試し出勤の結果などを考慮して判断することになります。  復職の可否は、疾病が「治癒」しているか否かによって判断されることになります。治癒とは、従前の職務を通常程度に行える健康状態に復したことをいうのが原則ですが、それに至っていない場合でも、相当期間内に傷病が治癒することが見込まれ、かつ、当人に適切でより軽易な作業が現に存在する場合には、使用者は傷病が治癒するまでの間、労働者をその業務に配置するべき信義側上の義務を負い、このような配慮をせずに労働者を解雇または退職とした場合には、解雇または退職が無効と判断される可能性があります。  そのため、会社としては、従業員が従前の職務を通常行える程度の健康状態に回復していない場合であっても、従業員に治癒の可能性がある場合には、従事させることが可能な軽易な業務がないかといった点に関して、慎重に検討する必要があります。 4 従業員における会社の復職判断への協力義務  上述の通り、会社としては、@従前の職務を通常程度に行える健康状態に復したかといった点だけでなく、A復していないとして、相当期間内に傷病が治癒する見込みがあるか、B見込みがあるとして当人に適切な軽易な業務がないかといった点までも判断する必要があります。そのためには、会社は、従業員の状態を正確に把握することが必要です。それでは、従業員には協力義務はあるのでしょうか。  日本硝子産業事件(静岡地裁令和6年10月31日判決)は、「復職の要件である治癒とは、原則として、従前の職務を通常の程度に行える健康状態に回復したときを意味し、それに達しない場合には、ほぼ平癒したとしても治癒には該当しない。もっとも、当初、軽作業に就かせれば、ほどなく通常業務に復帰できる場合には、使用者に、そのような配慮を行うことが義務付けられる場合もあるというべきである」としたうえで、「治癒の認定手続きが就業規則に定められていなくても、治癒の主張をする労働者には、会社による治癒の認定ができるように協力する義務があると解すべきである」として、労働者における会社の復職の可否の判断についての協力義務があることを判示しています。  また、同裁判例は、従業員が試し勤務を拒否したことについて、「長期間にわたって休職したことが認められ、試し勤務を命じる必要性や合理性はあったものと認められる。被告の(試し勤務の給料を…最低賃金…とする)提案は、暫定的なものであったことなどからすると、会社の提案を理由に、甲による試し勤務の拒否を正当化することはできない。甲は、正当な理由なく、会社による治癒の認定ができるように協力する義務を怠ったものであるから、休職から復職させなかったことについて、被告の債務不履行又は不法行為が成立するとはいえない」と判示しています。  したがって、試し勤務を命じる必要性・合理性があり、従業員において試し勤務を拒否すべき合理的な理由がない場合には、従業員は試し勤務命令を拒否できないと考えるべきでしょう。 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第89回 高齢者の体調不良と安全配慮義務、解雇後の再就職と就労の意思 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲/弁護士 木勝瑛 Q1 持病を抱えている高齢従業員への安全配慮義務はどう考えればよいのでしょうか  持病を抱えている高齢従業員が、業務遂行中に脳梗塞で病院に運ばれました。労働災害に該当する可能性があり、会社にも使用者の責任があると指摘されているのですが、本人が持病を有していたことは考慮されないのでしょうか。 A  労働災害と認定された場合には使用者責任を問われる可能性が高くなりますが、使用者の責任を判断される際に、持病を治療せずに放置していたことや症状について報告していなかったことなどが考慮されて、責任が軽減される可能性があります。 1 高齢者と持病  65歳以上の労働者の割合が高くなり続けるなか、高齢者に対する安全配慮義務として、どのような配慮が必要であるか問題になることがあります。  高齢者とそれ以外の労働者における相違点があるとすれば、年齢を重ねていることから、身体的な能力が低下していることが多く、そのことをふまえた「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(通称「エイジフレンドリーガイドライン」)が策定されていることは、過去にもご紹介した通りです※。  エイジフレンドリーガイドラインにおいては、健康や体力の状況の把握もテーマに掲げられていますが、今回は、体力ではなく、健康の側面に注目したいと思います。高齢者は、体力の低下だけではなく、持病を有している確率も相対的に高くなります。例えば、生活習慣病と呼ばれるような症状(高血圧症、糖尿病、メタボリックシンドロームなど)があらわれることも多くなり、体調の管理に課題が出てくることがあります。  エイジフレンドリーガイドラインにおいて、健康状況の把握の観点からは、健康診断を確実に実施することに加えて、高齢者が自らの健康状況を把握できるような取組みとして、以下のような取組みが望ましいとされています。 ・法定健診の対象外であっても希望する者に対して勤務時間変更や休暇取得など柔軟に対応することや健康診断を実施するよう努めること ・健康診断の結果について産業医や保健師等に相談できる環境を整備すること ・健康診断の結果を通知するにあたり産業保健スタッフからていねいに説明すること ・日常的なかかわりのなかで、高齢者の健康状況に気を配ること  このように使用者には、高齢者の健康状況について把握するよう努めることが求められています。 2 持病が悪化した影響が大きい疾病に対する使用者の責任  大阪高裁平成15年5月29日判決では、心房細動の素因、高脂血症および飲酒といった生活習慣があった労働者が、業務中に脳梗塞を発症したという事案につき、使用者の責任が問われました。  労働者の遺族は、中高年齢者であるのに、業務が過重にならずほかの労働者との負担割合が公平になるように配慮しなかったこと、多数回の夜間作業や昼夜連続作業に就かせたこと、著しい連続勤務に就かせたこと、溶接時間が急増したこと、作業中に鉄粉が目に刺さるけがを負った後にもその体調を把握し安静にさせるなどをしなかったことなどを指摘し、使用者としての安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求しました。  裁判所は、労働者の遺族の主張内容をふまえつつも、脳梗塞発症時の健康状態についても考慮しながら、次のような判断をしました。  「健康状態及び業務実態によれば、本件脳梗塞は、…(中略)…業務によって蓄積した疲労のみを原因とするものではなく、B(筆者注:労働者)の心房細動(の素因)、高脂血症及び飲酒といった身体的な素因や生活習慣もその原因となっており、とりわけ、Bの脳梗塞は心原性のものでありその発症に心房細動が大きく関与したものと考えられる。そして、…使用者として安全配慮義務を負っており、労働者であるBの健康状態を把握した上で、同人が業務遂行によって健康を害さないよう配慮すべき第一次的責任を負っているから、Bの身体的な素因等それ自体を過失相殺等の減額事由とすることは許されない。」  この判断は、労働者が身体的な素因(例えば、持病など)を有していたことをもって、使用者の責任が軽減されるわけではないことを示しています。したがって、高齢者であるからといって、使用者の安全配慮義務が軽減されるわけではなく、むしろ年齢を重ねるごとにリスクが顕在化しやすくなるとすれば、より繊細な安全配慮義務を負担することが求められているともいえます。  身体的な素因を単純に考慮することはできませんが、持病を治療することなく放置したり、使用者が健康状態を把握することに非協力的な態度をとっていた場合には、使用者の責任が軽減されることがあり、同裁判例でも次のように判断しています。  「しかしながら、健康の保持自体は、業務を離れた労働者個人の私的生活領域においても実現されるべきものであるから、使用者が負う前記の第一次的責任とは別個に、労働者自身も日々の生活において可能な限り健康保持に努めるべきであることは当然である。本件において、Bは、…心房細動等により治療を必要とするとの所見を医師から示されており、それ以前から、心房細動同様に胸内苦悶や不整脈といった心由来の疾病に罹患した経験を有していた…それにもかかわらず、Bは、本件脳梗塞が発症するまで心房細動等についての治療等を受けなかった」として、治療を受けていなかったことを指摘し、さらに、「使用者が上記義務を十分に履行するためには、その前提として、労働者が使用者に対して、発生した事故の内容や自己の症状に関する報告をし、使用者側でこれを十分に認識する必要がある」として、自己の症状等について適切な報告をすべきと指摘しました。  最終的な判断としては、労使間の非対等性を考慮してもなお、損害の公平な分担という法の趣旨に鑑みて、使用者の安全配慮義務違反により被った損害額から4割を控除して、損害全体の6割に対する責任のみを肯定しました。  身体的な素因があること自体で使用者の責任が軽減されるわけではありませんが、健康の保持や具体的な健康状況の報告は労働者にも責任があるとされている点には注意が必要でしょう。 Q2 問題行動から解雇をした元従業員がいるのですが、すでに他社に再就職しているにもかかわらず復職の訴えがありました  先日、ある従業員を解雇したところ、当社に、その従業員が依頼した弁護士から内容証明郵便が届きました。内容証明郵便では、解雇は無効であるため、解雇から現在までの給与相当額を支払ったうえで復職の処理をするよう要請されています。しかしながら、その従業員は、現在では新たな会社に、正社員として就職しているようであり、当社で働いていたときと同水準の給与を得ているようです。仮に解雇が無効と判断されたとしても当社に復職する気はないように思いますが、このような場合でも、従業員の主張が認められるのでしょうか。 A  解雇された労働者が、解雇後に再就職をして、同水準の賃金を得ていたとしても、労働者の主張がただちに否定されるものではありません。裁判例でも、生活の維持のため、解雇後ただちにほかの就労先で就労することは復職の意思と矛盾するとはいえないとして、労働者が再就職先で同水準以上の賃金を得ていた事案で、就労意思の喪失を否定しています。 1 解雇のハードルについて  会社と従業員は、労働契約という契約関係にあります。労働契約の基本的な内容は、従業員が会社に対して、労務提供義務を負い、他方で、会社が従業員に対して、賃金支払義務を負うというものです(民法第623条)。  一般に、当事者の一方が債務を履行しない場合、他方当事者は契約を解除することができます(民法第541条、第542条)。そのため、労働契約においても、会社は、従業員が労務提供義務を満足に履行しない場合には、当該従業員との間の労働契約を解除(解雇)することができるということになりそうです。しかしながら、労働契約法は、会社の従業員に対して行う解雇に一定の制限を課しています。  すなわち、解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められなければ、解雇権を濫用したものとして無効とするとしています(労働契約法第16条)。そのため、実務上は、単に、労働者の労務提供義務の履行が満足に行われていないというだけでは、解雇は有効とは認められない可能性が高いです。  労働契約およびそこから発生する賃金は、従業員にとって生活の礎であり、これを簡単に失ってしまうとすれば、当該従業員の生活は不安定なものとなってしまうため、解雇には、通常の契約解消に比して高いハードルを設定しているのです。 2 違法な解雇の帰結  それでは、会社が違法無効な解雇を行ってしまった場合には、どうなってしまうのでしょうか。解雇が無効となった場合の法的な帰結について整理したいと思います。 (1) 労働者たる地位の存続  解雇が無効である以上、会社と従業員との間の労働契約は、未だ解消されていないことになるため、従業員の有する会社の労働者たる地位は存続することになります。 (2) 賃金請求権の継続的発生  労働契約が存続する以上、従業員は会社に対して労務提供義務を負い、会社は従業員に対して賃金支払義務を負うこととなります。そして、賃金支払義務は、労務提供が行われたことにより、具体的に発生することとなります(ノーワーク・ノーペイの原則)。  そうすると、解雇された従業員は、解雇後は会社に対する労務提供を行っていないのだから、労務提供義務の履行がない以上、賃金支払義務(賃金請求権)も発生しないとも思えます。  しかしながら、これについては、労務提供義務の履行を行えないのは、会社の違法な解雇によるものであるため、反対債権である賃金支払請求権は存続すると考えられています(民法第536条2項)。つまり、従業員が働いていないとしても、それは会社のせいであるため、従業員が働いているかどうかにかかわらず、賃金支払義務は発生し続けるということです。  そのため、違法無効な解雇を行った会社は、解雇日以降も、従業員に対する賃金支払義務を負い続けるということになります。 3 就労の意思  労働者が解雇後に就労の意思を喪失した場合には、解雇の承認により労働契約が終了する、解雇の意思表示と相まって労働契約が終了する、解雇と並行してなされた使用者の合意解約の申し込みに対する労働者の承諾の意思表示がなされたことにより終了するなど、法的構成はいくつかあるものの、労働契約は終了し、労働者は労働契約上の地位を喪失すると考えられてます。  また、バックペイの発生根拠は、労働者の労務提供義務の履行が会社の帰責事由により不能となっていることにあるところ、労働者において就労の意思がない場合には、会社の帰責事由による労務提供義務の履行不能とは評価できず、バックペイの発生が否定される可能性があります。  ただし、解雇された労働者が生計を維持するために他社に再就職をするということは、通常なされるものであるため、単に解雇後に再就職をしているというだけでは、就労意思の喪失はただちには認められないと考えられています。 4 フィリップス・ジャパン事件(東京地裁令和6年9月26日判決)  就労意思の喪失が問題となった最近の事例として、フィリップス・ジャパン事件があります。  この事件は、能力不足を理由に解雇された労働者が、会社に対して、賃金などを請求した事件です。従業員は、解雇がなされた後に、他社に解雇前と同水準以上の労働条件で就職していたため、会社側としては、労働者の就労意思の喪失を主張しました。  この点につき、裁判所は、「一般に解雇された労働者が、解雇後に生活の維持のため、解雇後直ちに他の就労先で就労すること自体は復職の意思と矛盾するとはいえず、不当解雇を主張して解雇の有効性を争っている労働者が解雇前と同水準以上の労働条件で他の就労先で就労を開始した事実をもって、解雇された就労先における就労の意思を喪失したと直ちに認めることはできない」とした高裁判決(新日本建設運輸事件、東京高裁令和2年1月30日)を引用し、労働者の就労意思の喪失を否定しています。 ※ 本連載第58回「エイジフレンドリーガイドラインの詳細」(2023年3月号)をご参照ください。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/book/elder_202303/index.html#page=48 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第90回 同一労働同一賃金と労使自治、従業員による部下の引き抜き行為の違法性 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲/弁護士 木勝瑛 Q1 社内の労働組合と合意していた内容について、社外の労働組合に加入している労働者からの訴えがあった場合、どちらが優先されるのですか  定年退職後の処遇について、社内の労働組合と協議して合意した内容で処遇しています。ところが、別の労働組合に加入している当社の労働者から同一労働同一賃金に違反する不合理な処遇であるとして、正社員と同様の処遇が求められてしまいました。労働組合と合意をしていたとしても、同一労働同一賃金に違反することになってしまうのでしょうか。 A  労働組合との協議や合意に至ったという経緯は、裁判例でも重視されており、加入していない労働者との間でも合理性が認められやすくなる傾向にあります。ただし、賃金の項目の趣旨や目的に照らした検討は個別具体的になされるため、労働組合の合意があればすべて解決するわけでもありません。 1 定年退職後の同一労働同一賃金  現在、同一労働同一賃金に関して、パート有期労働法第8条が定められています。その内容は、「基本給、賞与その他の待遇」について、@業務の内容および業務にともなう責任の程度、A職務の内容および配置の変更の範囲、Bその他の事情を考慮して、不合理な相違が禁止されています。  また、考慮事由@からBまでについては、待遇の性質および当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものが、考慮対象になるものとされています。  定年後再雇用においては、同一労働同一賃金が問題となることが多くなっています。そもそも、定年後の継続雇用においては、有期雇用が採用されていることが通常であり、さらに、当該再雇用前には正社員であったことから、正社員と有期雇用労働者の比較という場面が必ず生じるからです。  使用者としては、自社の正社員と再雇用後の有期雇用労働者について、賃金の相違を設けるにあたっては、@からBまでの考慮事由をふまえて、合理的な範囲の相違になっていることを説明できるように準備しておかなければなりません。ただし、@およびAが同一である場合には、差別的な取扱いが禁止されているため、同一の取扱いが必要になりますので、合理的な範囲で異なる取扱いを行う場合においても、少なくとも@とAのいずれかについては相違点を設けておくことが前提になります。 2 定年後再雇用者の各種賃金に関する裁判例  福岡地裁令和6年11月8日判決(JR九州事件)においては、定年後再雇用者に対する賃金等の減額が同一労働同一賃金に違反するものとして争われました。  争われた賃金の項目等を一覧にまとめると図表の通りとなります。  いずれについても、賃金等の相違が不合理ではないと判断されていますが、判決の理由などから、使用者の取組みなどを参考にしておく点があります。 (1)労働組合との協議、合意(労使自治の尊重)  この事件の使用者は、企業内の労働組合と外部ユニオン二つとの間で、定年後再雇用労働者の処遇について協議を重ねていました。なお、企業内の労働組合には従業員の9割超が在籍しています。  定年後再雇用労働者の処遇に関しては、企業内の労働組合と外部ユニオンのうち一つとの間で合意に至っており、当該合意に則した内容で賃金等の相違が設けられていました。また、期末手当Aの支給額についても各労働組合と協議を経たうえで合意に基づき決定がされています。  これらの交渉経過および結果を個々の組合員にも伝えていたことは、相違の合理性を肯定する要素として考慮されました。 (2)業務の内容等に関する相違点  業務の内容については、定年前後で大きく相違するものではなく、転勤、転職および出向を命じることができる規定は共通していたことなど、業務内容等に相違が小さいことも指摘されています。  しかしながら、高齢者用の業務負担の軽減措置をとっていたことや、転勤等については規定を用いることなく本人の同意なく転勤等を命じることがなかったという実態をふまえて、職務内容には若干の相違が生じていたことおよび配置の変更の範囲については明らかな相違が存在したと判断されています。  配置の変更の範囲については、住宅援助金のように拠点の変更をともなうことに備えた手当の合理性との関係では特に意味が大きいものとなります。 (3)定年後再雇用に共通する事情  定年後再雇用労働者は、最高約1920万円、最低1642万円の退職手当を受給して一定の資産形成を遂げていることが考慮されており、退職金の支給額が影響することを示しています。  そのほかにも高年齢者雇用継続基本給付金や一定の条件を満たせば老齢厚生年金の受給ができることも考慮されており、これらは高齢者雇用に共通することが多い事情といえるでしょう。 (4)福利厚生関係の手当について  裁判所は、福利厚生に関する手当については、「経営判断及び団体交渉等による労使自治に委ねられる部分が大きい」としました。  例えば、扶養手当については、「将来的に直面する可能性のあるライフイベントの有無や内容、過去の資産形成の機会の有無や程度等に関する正社員と嘱託再雇用社員との相違に照らすと、両者の福利厚生に一定の相違を設けることが使用者の経営判断として許容されるべき範囲を逸脱するとはいえない」とされています。  これまでの判例においても、労使間の協議や団体交渉を考慮要素にすることは示されてきましたが、ていねいな交渉の結果が影響した事例として参考になると思われます。 図表 争われた賃金の項目等 賃金の項目 性質 減額幅 結論 基本給(期末手当B) 正社員には長期就労の誘因目的がある約 65%〜74%程度 不合理ではない 期末手当A 業務への貢献程度の反映・労働意欲向上 基準額が75%〜50%とされる 不合理ではない 扶養手当 福利厚生(家族の扶養) 再雇用者には支給なし 不合理ではない 住宅援助金 福利厚生(住宅費の援助) 再雇用者には支給なし 不合理ではない ※筆者作成 Q2 多数の部下を引き抜く行為は許されるのでしょうか  会社の役員でもあった従業員が多数の部下とともに一斉に他社に転職しました。調査によれば、在職中から部下に対して勧誘を行っていたようです。このようなことが許されるのでしょうか。 A  単なる転職の勧誘を超え、社会的相当性を逸脱する方法で引き抜き行為が行われた場合には、そのような引き抜き行為は違法と評価され、不法行為が成立することになります。もっとも、従業員には職業選択の自由があるため、違法となるハードルは相当程度高く設定されています。 1 はじめに  現在、人材の流動性は高くなってきており、人材の確保・定着が喫緊の課題となっている会社も多くあります。そのようななか、複数の従業員が、突然に一斉退職した場合、会社としては、事業の執行に多大な支障を生じることが想定されます。取引先との契約の維持も困難となる場合もあるでしょう。以下では、従業員による引き抜き行為・転職勧誘行為について最新の裁判例を紹介しつつ、解説していきます。 2 役員・従業員の義務について  会社法上、役員は、会社に対して忠実義務を負っています(会社法第355条)。また、労働契約において、従業員は、「使用者の正当な利益を不当に侵害しないよう配慮する義務」(誠実義務)を負っているとされています。そのため、役員や従業員が自身の在職中にほかの従業員に対して勧誘・引き抜き行為を行うことは誠実義務違反に該当しうると考えられています。なお、幹部社員については、その影響力の強さから、より高度な誠実義務を負うものと考えられています。在職中の役員・従業員が引き抜き行為・転職勧誘行為を行った場合には、これらの義務に反するものと判断される可能性があります。 3 従業員の権利について  引き抜き行為が行われた場合、一定の状況においては、引き抜き行為の違法性が肯定されます。もっとも、違法性が認められない範囲もかなり広くあるというのが現状です。  この判断の背景にあるのは、従業員の職業選択の自由(憲法第22条1項)です。従業員はそれぞれ職業選択の自由を有しており、原則として、会社を自由に退職することができ、転職先についても自由に選択することができます。勧誘行為をすべて違法としてしまえば、職業選択の自由が実質的に保障されないことになってしまいます。 4 引き抜き行為の違法性  では、どのような場合に引き抜き行為・転職勧誘行為が違法になるのでしょうか。裁判例では、転職先での労働条件等を提示して転職を持ちかけるといった程度では違法ではないとされています(大阪地裁平成12年9月22日判決)。  他方で、単なる転職の勧誘を超えて、社会通念上の相当な範囲を逸脱した場合には、違法な転職勧誘行為・引き抜き行為として、不法行為を構成するものとされています。転職勧誘が社会通念上の相当な範囲を逸脱しているか否かは、引き抜かれた従業員の地位、人数、退職による会社への影響、転職加入の方法、態様など諸般の事情を総合して判断するとされています。 5 アジャイル事件(東京地裁令和7年1月22日判決)  従業員による引き抜き行為の違法性が問題となった最近の事件として、アジャイル事件(東京地裁令和7年1月22日判決)があります。本件は、キャラクターなどを活用した商品企画等を主たる業とする会社Xが、Xの元役員であったY1、Y2および会社Y3(Y2が代表取締役)に対し、Yらが共謀して、Xの従業員(22人)をY3に移籍させようとした引き抜き行為が、不法行為を構成すると主張して、Yらに対し、不法行為に基づく損害賠償を請求した事案です。  裁判所は、「被告Y1らは、共謀の上、本件一斉退職によって、退職従業員らを被告会社に引き抜く行為(本件引抜行為)を行った」ものであると認定したうえで、「被告Y1らが、事前に計画のうえ、被告Y1がPM本部本部長の地位にありながら、A事業(相当多額の売上を上げていた。)を担当するPM3部の22名もの従業員(部長、グループマネージャー、チームマネージャーなど、PM3部の役職者の多くが含まれていた。)に直接又は間接に働き掛けをし、本件一斉退職をしたもので、本件引抜行為は、原告の経営に重大な打撃を与えるものであったことに加え、被告Y1らが、原告在職中からA【※Xの顧客(筆者追記)】の担当者に対し、別会社がA事業を行うことにつき、原告の了承を得ているなどと事実に反する説明をし、被告Y1及び退職従業員らの原告在職中から、退職従業員らのうち複数名に被告会社のメールアドレスを割り当てるなど、不当な方法を用いたことからすれば、本件引抜行為は、社会通念上相当な範囲を逸脱した違法なものである」と判断しました。  そのうえで、結論としては、「被告Y1らの本件引抜行為は、原告に対する共同不法行為を構成し、また、被告Y2の行為は、被告会社の代表取締役の職務を行うにつき行った行為と認められる」と判示し、「被告Y1らは、共同不法行為(民法719条1項)に基づき、被告会社は、会社法350条に基づき、本件引抜行為により原告に生じた損害を賠償する責任を負う」として、Xの請求を一部認容しました(なお、Xが3億円以上の請求をしていたのに対し、2900万円余の範囲で損害を肯定し、請求を認めました)。  本件は、会社の元役員らが、多額の利益を上げていた重要部署における主要メンバーの多数を一斉に引き抜くものであり、その方法も不適切であったことから、引き抜き行為の違法性が認められており、妥当な判断と思われます。