新連載 知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変わっていき、ときには重要な判例も出されるなど、日々把握することが求められています。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第1回 役職定年制と人事異動 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 役職定年制の法的問題点を教えてほしい  当社では、退職に関する定年制度とは別に、役職に関して一定の年齢を超えた場合には、役職を解くことを就業規則に定めることを検討しています。役職定年制を運用するにあたって法的な問題点があれば教えてください。 A  役職定年制については、就業規則の変更内容が合理的な範囲であるかぎりは、有効になると考えられています。しかし、役職から外れることにともない、給与の大幅な減額が行われる場合や勤務場所の変更が行われる結果、労働者に生じる不利益が大きい場合には、無効となる場合もあります。 1 「役職定年制」とは  高年齢者雇用安定法の改正などにより、65歳までの継続雇用が義務づけられてきた結果、多くの企業で役職定年制が取り入れられてきました。  役職定年制とは、一定の年齢に達した労働者(55歳程度が多いようです)について、部長や課長などの役職を解く制度をいいます。役職を解かれた後は、一般職に戻る場合や、専門職や専任職などと呼ばれる職種に変更する場合など、企業によってさまざまな制度が設計されています。  この制度が採用された背景や目的としては、定年が引き上げられる一方で、組織内でかぎられたポストを若手の人材に移し、組織の活性化や人材の育成を図るといったことがあります。定年とは異なり退職をともなわないため、雇用を確保しながら育成などの目的を達成するために採用されてきた制度といえます。 2 役職定年制の合理性について  役職定年制の人材育成などの目的は不適切ではありませんが、対象となる労働者にとっては、役職を解かれることによって不利益を受けることが多いようです。例えば、役職手当が支給されている場合にその手当が支給されなくなったり、基本給などが役職における責任をふまえた内容となっていた場合に基本給が減額されてしまったりします。  このように労働者に不利益を生じさせるような役職定年制について、そもそも法的に有効になる余地があるのでしょうか。  役職定年制の適法性について直接判断したものではありませんが、最高裁平成12年9月7日判決(みちのく銀行事件)では、役職定年制を導入する就業規則の変更の有効性を判断するにあたって、役職定年制について触れられました。  この事件では、管理職定年制の導入にあたって、55歳に到達した職員は役職を解き、専任職という新たに創設された「所属長が指示する特定の業務又は専任的業務を遂行することを主要業務内容とする職位」に就くという制度設計が採用されていました。  判例では、「五五歳到達を理由に行員を管理職階又は監督職階から外して専任職階に発令するようにする」管理職定年制について、「これに伴う賃金の減額を除けば、その対象となる行員に格別の不利益を与えるものとは認められない」と評価しており、賃金の減額がない場合には、一定の年齢に到達したことを条件に、管理職から外す制度自体は許容されるものと考えられます。 3 役職定年制の導入にあたっての留意点(就業規則の変更)  役職定年制を新たに導入する場合には、就業規則の変更によることになります。就業規則の変更は、労働者が受ける不利益の程度、変更の必要性、内容の相当性、労働組合等との交渉状況その他の事情に照らして、合理的と認められるものでなければなりません(労働契約法10条)。  前述のみちのく銀行事件も、就業規則の変更によって管理職定年制を導入した事案であったため、その変更の合理性が検討されています。  この事件では、基本給の約半額を占める業績給が50%程度削減され、役職手当または管理職手当も支給されなくなり、賞与の額も大きく減額された結果、賃金の削減率が約33%から46%に達しているという事情を考慮して、賃金減額部分を除く役職定年制自体の合理性は認めつつも、減額の幅が大きすぎることから、雇用の継続や安定化を図るものではなく、嘱託制度に近いものに一方的に切り下げるものと評価せざるを得ないと断じています。結果として、賃金の大きな減額をともなう変更には、高度の必要性と合理性がなければならないが、今回の切り下げは緩和措置もなく一部の従業員に大きな負担をさせることから、合理的な変更と認められず、大幅な賃金の減額をともなう管理職定年制の導入に関する就業規則の変更は無効と判断されました。 4 導入にあたっての留意点  役職定年制は、役職を解くだけという単純な制度であれば就業規則の変更による導入も比較的認められやすいと思われますが、一般的には、その導入にあたっては、役職を解くことにともなう手当の減額、基本給の変更、勤務場所の変更などがともなうはずです。  賃金の減額幅について、約33%から46%程度の削減については、不利益の程度が大きいとされていますので、役職定年によって大幅な減額を行うことは困難です。また、労働条件などに変更がないにもかかわらず減額することは合理性が認められにくいため、減額する場合は、役職を解かれる前の業務内容や責任の程度とは異なるものにしなければならないと考えられます。  さらに、前述のみちのく銀行事件では、高齢者層にのみ人件費削減の負担が偏(かたよ)っており、中間層に対する不利益の程度と比較して大きな負担が生じていることなども理由にあげられているため、役職定年制の対象者となる労働者のみではなく、人事制度全体において不利益の程度を分散できる制度設計や、対象者に対する不利益緩和措置の準備などが求められています。そのため、導入にあたっては、ポストを準備し人材育成を行うといった目的と、それを達成するからといって役職定年制対象者のみに負担が偏らないように留意する必要があると考えられます。 Q2 人事異動の法的限界について教えてほしい  当社では、これまで幅広く社内の業務を体験させ、業務の全体像を把握するために、ローテーション人事を実施してきました。近年では、グループ会社などもできており、会社をまたいだ人事異動が行われることも少なくありません。  このような人事異動を命じることについては、法的な限界はあるのでしょうか。 A  人事異動命令の法的な限界については、法的には「転勤」、「配置転換」、「出向」、「転籍」といった分類に分けて検討されています。  最高裁の判例では、人事異動に関する判断基準が示されているほか、2017(平成29)年には、厚生労働省より「転勤に関する雇用管理のヒントと手法」が公表されており、参考になります。 1 人事異動の種類  人事異動について、法的には転勤、配置転換、出向、転籍といった分類がなされています。契約関係を整理して検討するためという観点と、労働者に生じる不利益の程度に差異があるという観点が考慮されています。  主要な相違点を整理すると、下記の表のような違いがあります  転勤や配置転換については、就業規則または労働契約において命令の根拠となる規定がある場合には、使用者が業務命令として実施することが可能と考えられています。  出向については、出向元との労働契約が終了しないため、出向元に命令の根拠となる規定がある場合には、出向命令によることも可能と考えられていますが、転籍については、従前の労働契約を終了させ、転籍先との新たな労働契約の締結が必要とされていますので、労働者本人の同意を得る必要があります。 2 転勤と出向の限界  人事異動はその種類ごとに分類されていますが、それぞれ無制限に業務命令として実施できるわけではなく、人事異動に関する業務命令には限界があると考えられています。  まず、転勤については、過去に最高裁判所が判断した判例があり、最高裁昭和61年7月14日判決(東亜ペイント事件)がリーディングケース(主要判例)とされています。  この判例は、業務上の必要性に基づく業務命令による転勤の有効性について、「転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである」と判断しています。この事件における労働者は、転勤に応じる場合、71歳の母親、妻、2歳の長女と別居を余儀なくされる状況でしたが、こうした不利益は、通常甘受すべき程度のものとして、転勤命令は有効とされました。  また、人事異動を実施する際に年齢の基準等を設けたうえで人選を行うことがありますが、これも不当な目的や動機をもって設定したものでないかぎりは、有効と考えられています。したがって、高齢社員を対象とした異動対象者を人選した場合でも、業務上の必要性やその目的と合致しているかぎりは無効とはならないと考えられます。転勤が否定される例外としては、労働契約において、勤務地が限定されている場合には、これらの命令に基づく人事異動はできないと考えられています。  次に、出向命令については、最高裁平成15年4月18日判決(新日本製鐵(日鐵運輸第2)事件)が、出向命令の有効性について判断しています。この判例は、@出向命令に就業規則および労働協約に根拠規定があること、A労働協約には、社外勤務の定義、出向期間、出向中の社員の地位、賃金、退職金、各種の出向手当、昇格・昇給等の査定その他の処遇等に関して出向労働者の利益に配慮した詳細な規定が設けられていることを理由として、出向命令を有効なものと判断しました。ここでは、詳細な根拠規定が求められており、転勤よりも厳格な判断がなされています。  出向では、契約主体が異なることから生じる労働条件の曖昧さがあり、労働条件に大きな影響を与える可能性があるため、このような目に見えない不利益に対する配慮が求められていると考えられます。  なお、出向を命ずることができる場合において、当該出向の命令が、その必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして、その権利を濫用(らんよう)したものと認められる場合には、当該命令は無効とされます(労働契約法14条)。 3 『転勤に関する雇用管理のヒントと手法』における検討事項  2017年3月30日に厚生労働省より公表された「転勤に関する雇用管理のヒントと手法」では、過去の裁判例をふまえて、転勤における留意事項や検討のポイントが整理されています。  まずは、人事異動の必要性や目的の見直しです。自社にとって不可欠な転勤か否かを見極めることや、目的に対して効果が上がっているのか検証すること、ほかの手段により実現できる目的ではないかという点が検討のポイントとしてあげられています。  次に、勤務地限定に関する整理が求められています。人事異動命令の有効性に関する争いでは、勤務地限定の合意があったか否かという点は、裁判上でも争点になることが多くなっています。雇用契約などに勤務場所が記載されていることで勤務地が限定されていたと考える労働者がいる一方で、使用者としては、当初の勤務場所を明記したに過ぎないという理解をしています。紛争となることを予防するためには、勤務地限定の趣旨であるか否かを明記することが今後の労働契約実務上は望ましいと思われます。  最後に、異動に向けた労使間のプロセスも重要とされています。労働者の不利益緩和のためにも、一定程度の猶予期間をもって伝えることが望ましく、事前の説明や会社の方針を示しておくことにより予見可能性を持たせておくことも重要です。 4 ローテーション人事における留意点について  まずローテーション人事を行う場合、その目的や効果の検証を進め、必要な範囲を限定していくことが求められます。不要な人事異動をなくし、ほかの手段による目的の実現なども視野に入れていく必要があると思われます。また、対象者との労働契約における勤務地限定の合意の有無を確認しておくべきでしょう。  次に、転勤であるのか、出向であるのかを正確に把握する必要があります。例え、グループ会社間での人事異動であったとしても、労働契約の主体に変更を生じさせることになるため、出向として整理する必要があります。  最後に、人事異動と同時に労働条件が不利益に変更されるような場合、労働者への不利益の程度を勘案して、人事異動命令自体が無効となる場合もありますので、人事異動にともなう労働条件の不利益変更については、十分に労働者と協議のうえ、不利益の緩和措置を用意したり、できるかぎり双方の合意に基づくようにすべきでしょう。 人事異動の種類 契約主体 就業場所 配転 転勤 変更なし 長期間変更あり 配置転換 変更なし 変更なし(部署などのみ変更) 出向 出向元の労働契約と出向先の労働契約が併存 事案による 転籍 転籍先との労働契約 事案による 第2回 中途採用と使用人兼務取締役 Q1 中途採用の留意点を教えてほしい  人材が不足しており、中途採用により採用することが多くなっているのですが、採用における留意点を教えてください。また、高齢者を採用する場合の留意点もあわせて教えてください。 A  企業には採用の自由が認められていますが、職業選択の自由を害するような方法で選考しないことが必要です。また、法律上の制限があるため、高齢者だからといって採用から一律に除外するといった対応は適切ではありません。また、採用にあたっては、可能な職務内容などを整理することも重要となってくるでしょう。 1 採用の自由とは  採用について法律上で検討するにあたり出発点となるのは、企業にとって「採用の自由」があるかという点です。  一般的には、契約締結にあたっては、契約を締結するまではお互いに自由であり、契約を締結するか否かについては、お互いに拘束しあわないという関係が保たれています。このことは、私的自治の原則や契約自由の原則などと呼ばれています。  この考え方が雇用契約においてもあてはめることができるのかという点が「採用の自由」の問題です。憲法第22条は、国民に「職業選択の自由」を認めている一方で、企業にとっても憲法第22条および第29条2項によって労働者の採用を含めた「経済活動の自由」が認められています。  採用の自由は、これらの権利を調整する結果として、どのような採用方法までが許容されるのか、職業選択の自由以外の基本的人権を侵害する方法で採用していないかといった点が問題とされる場面といえます。 2 判例における「採用の自由」の考え方  過去に採用の自由が争点となり、最高裁が判断を下した事例があります。最高裁昭和48年12月12日判決(三菱樹脂本採用拒否事件)が現在においても採用の自由における基本的な考え方を示したものとして参照されています。  まず憲法上の権利が衝突する場合における法律上の問題については、「私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。」とし、衝突する権利が社会的許容性の限度か否かという基準を示しています。  そして、採用の自由に関しては、「企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭(こよう)するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができる」としており、企業が採用の自由を有していることを前提としています。 3 「法律その他による特別の制限」とは?  採用の自由が認められるのであれば、高齢者や中途採用希望者を雇用するにあたって、各企業における注意点がなくなるのかというとそうではありません。紹介した判例においては「法律その他による特別の制限がない限り」という留保をおいており、実際に募集や採用の方法を規制する法律が存在しています。  例えば、男女雇用機会均等法第5条は、「事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。」と定めて男女間の機会均等を定めていますし、年齢に関する内容として、雇用対策法第10条は「事業主は、(中略)労働者の募集及び採用について、厚生労働省令で定めるところにより、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。」と定めており、年齢ごとの機会均等も確保することになっています。  また、高年齢者雇用安定法第20条1項においては、「事業主は、労働者の募集及び採用をする場合において、やむを得ない理由により一定の年齢(六十五歳以下のものに限る。)を下回ることを条件とするときは、求職者に対し、厚生労働省令で定める方法により、当該理由を示さなければならない。」と定め、65歳以下の年齢制限を設けることに対して、求人の際に年齢制限を行う理由を明示する義務を課しています。  これらの法律により、各種の制限が課されている以上、中途採用において年齢を制限して募集を行うことは原則できません。 4 その他の留意点  採用にあたっては、厚生労働省が「公正な採用選考をめざして」というパンフレットを公表しています。これには、採用選考において就職差別につながる配慮すべき事項として、図表に掲げる14の事項が掲げられています。  三菱樹脂本採用拒否事件においては、過去の学生運動の参加の有無を調査し、思想、信条を理由として雇用を拒否することも自由と判断されていましたが、現在では、思想信条の調査についても適切ではないと考えられるようになっており、現時点ではこれらの事項に掲げられていない項目についても、今後配慮すべき事項として追加されていく可能性は否定できません。  また、近年、働き方改革の内容として、「単線型の日本のキャリアパスからの脱却」が指向されており、ライフステージに応じた転職が可能となる労働市場や企業慣行の確立が目ざされています。高齢者は、これまでの経験から備えた能力があり、その能力に見合った業務の具体的な内容を調整して用意ができれば、高齢者の能力と企業の期待がマッチした採用が可能となることが期待されます。 図表 採用時に配慮すべき事項 本籍・出生地 家族 住宅状況 生活環境・家庭環境など 宗教 支持政党 人生観・生活信条など 尊敬する人物 思想 労働組合(加入状況や活動歴など)、学生運動などの社会運動 購読新聞・雑誌・愛読書など 身元調査などの実施 全国高等学校統一応募用 紙・JIS規格の履歴書に基づかない事項を含む応募書類(社用紙)の使用 合理的・客観的に必要性が認められない採用選考時の健康診断の実施 出典:「公正な採用選考をめざして」厚生労働省 Q2 使用人兼務取締役の留意点を教えてほしい  このたび、社内において従業員の立場と取締役の立場を兼任させることになりました。労働者の立場と兼務する取締役の処遇について、留意する点を教えてください。 A  使用人兼務取締役は、労働者の地位と取締役が並存することになるため、たとえ、取締役であるとしても、労働者としての権利を無視することはできません。したがって、労働者としての権利を引き続き認める必要があります。また、賃金および報酬についても明確に区分しておくべきでしょう。 1 使用人兼務取締役について  企業においては、人事考課の結果により昇給または昇格によって労働者の待遇がよくなっていくものですが、最終的な昇格として、取締役に就任するようなことも少なくありません。このような場合に、労働者としての地位と、取締役としての地位を兼務する者は「使用人兼務取締役」などと呼ばれています。  とはいえ、取締役の就任と労働者としての地位が両立することについては、さまざまな問題が生じることになります。問題となる要因は、取締役と会社の関係は「委任契約」ですが、労働者と会社の関係は「雇用契約」であり、これらの契約の性質が相容(あいい)れない場面が生じるためです。  委任契約では、取締役は会社に対して忠実義務を負担し、会社へ損失を与えるような行為は禁じられる一方で、会社の指示を受ける立場ではなく、自らの判断で会社の業務を執行していく立場にあります。また、報酬については時間に応じて支払われるものではないと考えられているため時間管理を受けるという立場ではありません。また、報酬の決定方法も株主総会決議による必要があります。  雇用契約では、労働者は、会社の指揮命令に従う義務があるため、自らの判断で業務を執行するとはかぎりません。また、労務の対償である賃金は、原則として時間に応じて計算されることになります。管理監督者の立場になれば、時間に応じて計算されるとはかぎりませんので、必ずしも委任契約と矛盾するものではありませんが、賃金が労働時間に応じて決定されることが多く、役員の報酬が株主総会決議で決定される点とは大きく異なります。 2 報酬と賃金の関係について  使用人兼務取締役に対しては、労働者に対する賃金と取締役に対する報酬を支払うことになりますが、前述のとおりその決定方法は異なります。  労働者に対する賃金は、就業規則や賃金規程に基づいて支給されることになります。仮に、取締役としての報酬を与えることを前提に賃金を減額するような措置をとる必要がある場合、そのことを就業規則や賃金規程に織り込んでおくべきでしょう。織り込んでいなかった場合、就業規則よりも低い基準の労働条件を定めることは無効とされるため(最低基準効)、たとえ合意により賃金を減額したとしても無効となるおそれがあります。例えば、一定の役職や等級以上の賃金の最低額を定めている場合、降格や降級を行わないかぎり、これが最低基準となってしまうことになります。  また、取締役の報酬については、株主総会の決議が必要とされていますので、就業規則や賃金規程にしたがって決定することはできません。だからといって、取締役としての報酬をまったく受領できないわけではなく、労働者としての賃金と区別して決定する必要があるとされています。  判例では、「使用人兼務取締役が取締役として受ける報酬額の決定についても、少なくとも被上告会社のように使用人として受ける給与の体系が明確に確立されており、かつ、使用人として受ける給与がそれによつて支給されている限り」、「使用人として給与を受けることを予定しつつ、取締役として受ける報酬額のみを株主総会で決議すること」が許容される旨判断されています(最高裁昭和60年3月26日判決)。  以上のことからすると、役員報酬を決定するにあたって、賃金体系はしっかりと確立しておかなければなりません。  ところが、しっかりとした賃金体系があるということは、その賃金体系が最低基準として機能することになり、労働者としての賃金部分については合意によっても減額できない可能性も高くなるともいえます。  そのため、従業員としての賃金部分と取締役としての報酬部分をどのように設定するのかについては、自社の就業規則における賃金体系の状況をふまえて、賃金と役員報酬を区別し、賃金については最低基準と抵触しないよう設定することに留意する必要があります。 3 懲戒等の処分と取締役としての地位について  使用人兼務取締役が、就業規則に違反するような行為があった場合には、企業としても何らかの処分の実施が必要になる場合があります。  このような場合にも、委任契約と雇用契約が並存していることから、通常の労働者に対する措置とは異なる配慮が必要となります。  懲戒処分の根拠となる就業規則は、雇用契約の当事者に対する規制とはなりますが、委任契約の当事者に対する規制にはなりません。したがって、取締役に対して懲戒処分を課すことはできません。  例えば、使用人兼務取締役が、故意に多額の金品を横領するなど解雇に相当する行為を行った場合、就業規則に基づき、懲戒解雇をするのみでは十分とはいえません。懲戒解雇によって消滅させることができるのは、雇用契約上の地位のみです。そのため、そのままでは、委任契約上の取締役としての地位が残ったままになります。取締役としての地位もあわせて消滅させるためには、株主総会の過半数以上の賛成により解任する手続きが必要となります。解雇に相当する事由と重なる部分もありますが、取締役の解任においては、法令や定款への違反行為などの正当な理由がなければ損害賠償請求を受けるといったリスクもあります(会社法第339条および第341条)。 4 その他の処遇について  その他の処遇としても有給休暇を利用することができるのかといった労働者の権利を行使する場面と会社の取締役として忠実義務が衝突する場面は想定されます。  いずれかを優先すべきかについて、取締役の担当業務などと照らして個別具体的に判断せざるを得ないことが多く、対応に苦慮することもあります。  したがって、使用人兼務取締役という制度自体の採用について再検討することも重要でしょう。就業規則において、雇用契約の終了事由として「取締役に就任したとき」などと定め、使用人兼務取締役が生じないようにすることで、ご紹介したような労働者の権利と役員としての義務の衝突やそれぞれの地位が並存することによる弊害を回避することができます。 第3回 退職金と解雇 Q 1 退職金の支給についての留意事項を教えてほしい  退職金の支給にあたって留意すべき点を教えてください。また、競業避止義務違反や懲戒処分による退職の場合でも退職金を支給しなければならないのでしょうか。 A  退職金支給は毎月支払う賃金とは異なる扱いであり、会社の裁量の余地が広い制度です。懲戒処分や競業避止義務違反がある場合には、一部または全部を不支給とする余地もありますが、違反の程度が重大であることが必要です。 1 退職金について  多くの企業で、退職金制度を採用しています。最もポピュラーな制度は、基本給を基準とし勤続年数に応じて増額する「基本給連動型」の退職金制度でしたが、近年では、業務の成果をポイントとして付与するポイント制によって退職時の支給額を決定する方法もあります。  多種多様な退職金制度が存在しているなか、退職金について「退職金、結婚祝金、死亡弔慰金、災害見舞金等の恩恵的給付は原則として賃金とみなさないこと。但し退職金、結婚手当等であつて労働協約、就業規則、労働契約等によつて予め支給条件の明確なものはこの限りでないこと。」(昭和22年9月13日発基17号)と行政解釈されており、法的にはそのように整理しています。  しかし近年の退職金制度は、就業規則などで制度化されていることがほとんどであるため、原則とされている恩恵的給付とされることは少なく、賃金に該当することが多いと考えられます。そして、退職金については、@賃金の後払い的な性格と、A功労報償的性格をあわせ持っていると整理されることが一般的になっています。 2 退職金の支給について  退職金の支給条件が、就業規則に定められていなければ、あくまでも恩恵的給付に過ぎず、支給するか否かを含めて、使用者が自由に決定することになります。ただし、労使慣行といえるほど、退職金の支給の計算基準などが定まっており、実際に支給されている場合は、支給しなければならない場合もあります。  就業規則などで支給条件が定まっている場合は、当該支給条件にしたがって、支給手続をとる必要があります。  支給条件は、懲戒解雇の場合は、支給対象から除外する、自己都合退職と会社都合退職の際の支給額の計算方法を異なるものにするなどさまざまです。  退職金の支給について、一定の条件を定めることには、当該条件を充足しないかぎり、退職金請求権が発生しないものと理解されており、一律に無効とは解釈されていません(最高裁昭和52年8月9日判決「三晃社事件」参照)。 3 退職金の減額や不支給について  退職金の支給条件として、同業他社に転職した場合に半額とした場合に就業規則の有効性が争われたことがあります(前記「三晃社事件」)。  当該事件において、最高裁は「同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金につき、その点を考慮して、支給額を一般の自己都合による退職の場合の半額と定めることも、本件退職金が功労報償的な性格を併せ有することにかんがみれば、合理性のない措置であるとすることはできない。」と判断し、予め定められた競業避止義務に違反する場合に半額に減額することを許容しました。  とはいえ、近年では、雇用市場の流動化を目ざして、職業選択の自由が重視される傾向にあることから、競業避止義務を設定する期間については短くあるべきとの解釈が増えているように思われます。  かつて、退職後3年程度は、競業避止義務を有効と認める事例もありましたが、近年では、退職後1年程度の制限が適切であり、高度な必要性があり代償措置もとられている場合には2年程度まで許容されうると考えるべきでしょう。  また、単に同業他社に入社したというだけでは、競業避止義務違反と認められないことが多いため、同業他社に入社したことによる具体的な損害を明らかにすることが重要です。典型的な事例でいえば、会社から従業員の引き抜きがあった、重要な顧客を奪取された、営業秘密を持っていかれたといった事実をもとに、会社に生じた損害を具体化していくことが必要となります。  なお、退職金には、賃金の後払い的性格もあることから、全額の不支給とするためには、永年の勤続の功労を抹消させるほどの背信的行為があった場合にかぎると解釈されています。そのため、使用者が退職金の支給条件を完全かつ自由に設定できるものではありません。競業避止義務違反による減額以外にも、懲戒処分や就業規則違反がある場合、会社都合による退職の場合、退職金を減額する事例もありますが、これらの場合も、在職中の功労を抹消させるほどの背信的行為といえるかが問題となります。 4 その他の留意点について  退職金の支払い義務自体は、労働者が退職したときに生じるものですが、就業規則などに支給条件を定めた後は、労働条件の一種となります。そのため、まだ支給が確定していない労働者との関係においても、退職金の支給条件を変更することが労働条件の不利益変更に該当することがあります。  例えば、将来の退職金支給条件を含む就業規則の変更に関して、「就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである」ことが求められています(最高裁平成9年2月28日判決「第四銀行事件」)。  退職金の支給条件の変更は、賃金の支給条件の変更となります。そのため、高度の必要性がなければ就業規則変更の合理性が認められにくいため、できるかぎり変更の必要性が生じないように留意すべきでしょう。 Q 2 解雇制度について教えてほしい  高齢労働者に対する解雇は、通常の解雇と異なる点があるのでしょうか。そもそも、解雇の手続きをとったことがないため、解雇の制度自体を教えてください。 A  解雇の実施に際しては、解雇予告制度、解雇権濫用法理や解雇理由証明書の発行などさまざまな制度を理解しておくことが必要です。また、整理解雇などにおいては、性別や年齢のみを基準とせず、人選の合理性を確保すべきとされています。 1 「解雇」とは  「解雇」という言葉は、労働契約の解消に関する特有の呼び方ですが、一般的によく耳にする言葉でもあります。  労働法の分野では、使用者が労働契約を解除するまたは中途解約することを、「解雇」と呼び、労働者が労働契約を解除または中途解約する場合は、「退職」や「辞職」と呼ばれることが一般的です。  民法では、期間の定めのない労働契約(一般的には、定年まで働くことを想定して雇用された正社員が該当します)については、「各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。」と定められています(民法第627条1項)。効力の発生時期は、2週間後ですが、解約の申入れはいつでも可能であるという点が特徴です。  労働者から申し出る「退職」については、職業選択の自由を確保するためにも、この規定が必要です。しかし、使用者から申し出て行う「解雇」は、この規定をそのまま適用すると、労働者に生じる不利益が大きいため不適当であると考えられており、労働基準法や労働契約法などで、さまざまな規制が行われています。 2 解雇における手続上の規制  解雇の実施にあたり、その手続きを概観します。労働基準法では、使用者が行う解雇の手続きとして事前と事後の対応を定めています。  事前の手続きは、「解雇予告」です(労働基準法第20条)。民法第627条においては、2週間後に労働契約の解約申入れの効力が発生するとされていますが、使用者が行う場合は、30日前に予告をしなければならないとされています。予告を短縮するためには、30日分以上の平均賃金を支払う必要があります。  ただし、解雇予告に違反して行われた解雇手続きについて、判例では、予告手続に違反があったとしても、使用者が即時解雇に固執しないかぎりは、予告期間に相当する30日経過後または予告手当を支払えば、解雇の効力には影響がないと考えられています(最高裁昭和35年3月11日判決「細谷服装事件」参照)。  なお、会社によっては、就業規則に、懲戒解雇として即時に解雇する旨定めている場合もあります。しかしながら、予告が不要な例外が認められるのは、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となった場合または労働者の責に帰すべき事由に基づいて解雇する場合に限られ、労働基準監督署長による除外認定を受けることとされています(労働基準法第20条)。  即時解雇を有効とするための除外認定の基準は、懲戒解雇であるからといって直ちに認められるわけではなく、予告期間を置かずに解雇することもやむを得ないと考えられるほどに重大な服務規律違反が必要と考えられています。  事後の手続きとして行う必要があるのが、解雇理由証明書の交付です(労働基準法第22条2項)。労働者から交付の請求を受けた場合、遅滞なく発行することとされています。  解雇理由としては、就業規則の該当条文を示すだけではなく、条文に該当する行為や事実関係を記入しなければならず、解雇理由証明書に記載しなかった事実関係は、後日主張が困難になります。よくあるご相談は、解雇に該当する事実関係を文章として表現しづらいまたはうまく表現できないといった場合です。このような事態になるのは、そもそも解雇にあたっての検討が不十分だったことが多く、解雇の手続きを行う場合には、その理由を、明確に説明できるようにしておくことも重要です。 3 「解雇権濫用法理」について  解雇権濫用法理とは、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」(労働契約法第16条)とされています。抽象的な規定ですが、逆に多種多様な理由で生じる解雇に対応するための柔軟な規定ともいえます。  規定を読むだけでは、その内容が十分に理解しづらいところがありますので、近年ではさらに分析されています。  まず、客観的かつ合理的な理由については、「@解雇以外の手段を検討し、解雇回避の努力を尽くしたうえで最終手段として行われたこと」、「A将来を予測しても、改善や修復などの期待可能性がないこと」などを基軸にしながら検討されています。これらの検討事項のなかで、実務的に重要なのは改善に関する指導を実施したか否かという点です。@とAのいずれについても、改善指導は関連します。解雇する前に、指導によって改善を試みたということは解雇回避の努力の一環となるうえ、指導を行っても改善されなかったことにより将来的な期待可能性も失われることにつながります。これらの改善指導の経過を客観的に示すことができることが、解雇の際に重要な要素となります。  次に、社会通念上の相当性については、解雇しなければならないほどの重大な事由が生じていること、ほかの従業員との均衡がとれているか、公正な手続きによって行われているのかなどが必要と考えられます。解雇は、労働契約の終了という労働者にとって重大な不利益が生じるため、使用者も慎重な検討を行うよう、社会通念上の相当性の要件も厳格な内容となっています。 4 「整理解雇」について  いわゆる整理解雇(リストラ)を実施する場合も、基本的には、解雇権濫用法理が適用されます。ただし、複数の労働者が同時に解雇されるという事態に即して、裁判例では、@整理解雇の必要性、A解雇回避努力義務の履行、B人選の合理性、C手続きの相当性が必要である、といった整理がされています。  このなかでも、整理解雇における特徴としてあげられるのが、B人選の合理性でしょう。就業規則の違反行為などがあるわけでもなく、同時に複数の労働者が選択される場合、人選の基準が合理的であり、基準の運用が恣意(しい)的でないことが求められます。  例えば、整理解雇の基準として、●歳以上の「女性」といった基準は、男女双方について同条件としたものではなく、性別のみを理由とした基準として、男女雇用機会均等法第6条4号の趣旨に反するものとして不合理な人選とされる可能性があります。  また、雇用対策法や高年齢者雇用安定法などの趣旨からしても、年齢のみを基準とすることは不合理とされる可能性がありますので、年齢ではなく、勤務成績、勤続年数、家族の状況などを複合的に考慮した基準を設定することが望ましいと考えられます。 第4回 定年後再雇用の賃金と長澤運輸事件最高裁判決 Q 定年後再雇用の賃金について教えてほしい  定年後に嘱託社員として再雇用する労働者がいます。業務の内容などは変更がないのですが、高年齢雇用継続給付もありますし、正社員と比べて賃金を低くしたいのですが、問題ないでしょうか。どのような手続きをとって減額すればよいのでしょうか。 A  長澤運輸事件の最高裁判決が2018(平成30)年6月1日に下されました。事例に即した判断であるため、一般化することはむずかしいですが、しっかりと話し合ったうえで、減額幅に納得してもらうことが最適でしょう。仮に、減額するとして、退職金の支給があった場合であっても、2割程度の減額に留まるように調整すべきと考えられます。 1 定年後の再雇用と賃金の関係  多くの企業では、65歳までの雇用確保措置を義務付けている高年齢者雇用安定法に基づき、定年後の再雇用制度を雇用確保措置として採用されていると考えられます。  では、定年後の再雇用制度を採用する場合、定年までの労働契約と定年後の再雇用における労働契約の賃金に差異を設けてもよいのでしょうか。差異を設けるとしても、その限度などはないのでしょうか。厚生労働省が高年齢者雇用安定法のQ&Aとして公表している内容には次のような記載があります。 Q1‐9 本人と事業主の間で賃金と労働時間の条件が合意できず、継続雇用を拒否した場合も違反になるのですか。 A1‐9 高年齢者雇用安定法が求めているのは、継続雇用制度の導入であって、事業主に定年退職者の希望に合致した労働条件での雇用を義務付けるものではなく、事業主の合理的な裁量の範囲の条件を提示していれば、労働者と事業主との間で労働条件等についての合意が得られず、結果的に労働者が継続雇用されることを拒否したとしても、高年齢者雇用安定法違反となるものではありません。  この内容からすると、定年後の再雇用の際には、労働契約を締結し直すことが前提とされており、その際には、賃金や労働条件が一部見直されることも許されると考えられています。しかしながら、「事業主の合理的な裁量の範囲の条件」を提示していることが前提なので、どの程度の賃金減額であれば、合理的な裁量の範囲といえるのかは、個別具体的な判断が必要とされます。  一つの考え方として、高年齢雇用継続給付という制度が、再雇用後の賃金が定年前の賃金より75%未満に減少される場合に給付金の支給を予定していることなどから、支給対象となる75%未満から支給率が最大となる61%程度の賃金の低下率であれば、許されうるという考え方も可能でしょう。  とはいえ、高年齢雇用継続給付があるからといって、減額した賃金の全額がカバーされるわけではなく、継続雇用者に不利益があることは否定できません。基本的な考え方としては、定年を迎える労働者としっかり話し合ったうえで、相互が納得する条件で再雇用の労働契約を締結することが重要です。 2 労働契約法20条の解釈  2018年6月1日に最高裁判決が示された「長澤運輸事件」では、定年後再雇用された期間の定めのある労働者(以下「嘱託社員」)と、期間の定めのない労働者(以下「正社員」)の労働条件の相違が、労働契約法20条に違反するものとして、争われた事件です。具体的な労働条件の相違は図表に定める通りです。  法的な問題点は、@労働契約法20条違反の効果(不利益に取り扱われた労働者への救済方法)、A定年後再雇用時に賃金や手当を引き下げまたは変更することが、不合理な内容であると認められるか否か、といった点です。  (期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止)  第二十条 有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない。  労働契約法20条は、有期労働契約と無期労働契約の間の不合理な相違を禁止しており、不合理さの判断について次の三つの要素を考慮する旨定めています。 (a)労働者の業務の内容および業務にともなう責任の程度(以下「職務の内容」)といいます) (b)当該職務の内容および配置の変更の範囲 (c)その他の事情  長澤運輸事件の最高裁判決では、労働契約法20条は、前記の三つの要素を考慮して、労働条件の相違が不合理と認められるものであってはならないとするものであり、前記の三つの要素の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であると解されました。  長澤運輸事件で認定された事実関係は、三つの要素のうち(a)職務の内容は、正社員と嘱託社員の間に違いはありませんでした。(b)も、正社員と同様に、業務の都合により勤務場所および担当業務を変更することがあるとされていました。  したがって、(a)および(b)について、正社員と嘱託社員の間に相違点がないことが判断の前提とされました。その結果、(c)その他の事情としていかなる事情が考慮され、どの程度の差異であれば不合理とまでいえないのかという点が問題となっています。  この点に関して、第一審判決と控訴審判決(第二審)は、見解が異なり、(c)その他の事情として考慮されるべき事項について、第一審判決は(a)および(b)の方が重視されるべき事情であり、正当と解すべき特段の事情がないかぎり不合理との評価を免れないと解釈した一方で、控訴審判決は各要素について序列を設けることなく総合的に考慮して結論を導いていました。  最高裁(上告審)判決では、「労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断する際に考慮されることとなる事情は、労働者の職務内容及び変更範囲並びにこれらに関連する事情に限定されるものではない」と判断しており、幅広い事情を考慮するものとしています。さらに、第一審判決とは異なり、「基本的には、団体交渉等による労使自治に委ねられるべき部分が大きい」とも評価しており、(a)および(b)の事情を重視するというよりは、労使間の協議などが重要であると考えられています。  最高裁判決では、定年制が長期雇用維持の前提であることや、定年後には老齢厚生年金の支給が予定されていることなどを理由に、定年退職後に再雇用された者であるということが「その他の事情」として考慮されています。  今回の最高裁判決で、労働契約法20条が定める三つの要素については、幅広く総合的に考慮していくという方向性は定まったものと考えられますが、今回の最高裁判決は定年後の再雇用という特殊な事案であることにも留意する必要があります。 3 賃金や手当の比較の方法  控訴審判決では、手当ごとの比較を行うというよりは、正社員の賃金総額と定年後の賃金総額を全体的に評価する方法によっていました。その結果、個別の手当ごとに不合理であるか否かという判断が示されることなく、総合的にみて不合理と評価できるか否かという判断基準になっていました。  ところが最高裁判決では「有期契約労働者と無期契約労働者との個々の賃金項目に係る労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断するに当たっては、両者の賃金の総額を比較することのみによるのではなく、当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当である。」と判断しており、控訴審判決の総合判断のみに従った結論を否定しています。なお、関連性のある賃金項目について、相互に考慮されること自体は否定していませんが、あくまでも賃金項目ごとに比較することが原則になるものと考えられます。 4 各賃金項目に関する判断  正社員の基本給、能率給および職務給と、嘱託社員の基本賃金および歩合給が同種の性質を持つ賃金と評価され、比較されました。しかし、団体交渉を経て基本賃金が増額され、歩合給の一部の係数が有利に変更されたことや、職務給を支給しない代わりに基本賃金を定年退職時の基本給の水準以上としたこと、歩合給の係数が高く労務の成果が賃金に反映されやすいこと、調整給として老齢厚生年金の報酬比例部分が支給されるまでの間、月額2万円が支給されていることなどを考慮して、不合理とはいえないと判断しています。  次に精勤手当について、歩合給の係数が高くなっているとしても、支給要件として従業員の皆勤という事実に基づいて支給されているものであることから、その相違が不合理であると判断されました。  住宅手当および家族手当は、正社員には、幅広い世代の労働者が存在し得ることから、住宅費や家族を扶養するための生活費を補助することには相応の理由が認められ、嘱託社員には老齢厚生年金の支給やそれまでの調整給の支給があることから、相違があるとしても不合理と評価できないとされています。  役付手当は、支給要件や内容に照らせば正社員のなかから指定された役付者であることに対して支給されるため、これも不合理なものとは認められませんでした。  「時間外手当と精勤手当」の相違については、割増賃金の計算方法を区別しているわけではないが、嘱託社員に精勤手当が支給されておらず、精勤手当分が時間外手当の計算の基礎に含まれていない点が不合理な相違に該当するとされました。  賞与は定年退職にあたって退職金を受給しており、老齢厚生年金またはそれまでの調整給を受給することとされ、賃金は定年退職前の79%程度になるよう工夫されていることなどから、不合理な相違とはいえないとされました。  結局、精勤手当以外は、不合理な相違とは評価されていないに等しく、定年後の再雇用については、賃金の引き下げを一定程度許容したという結論となっています。しかし、本件の特殊性には十分配慮する必要があります。  まず、定年退職後の労働条件の設定は、労働組合との協議が重ねられた結果という点があります。最高裁が労使間における自治を重視していることからすると、この点は非常に重要な点であると考えられます。また、調整給を支給することで老齢厚生年金の報酬比例部分が支給されるまでの生活補償が計られています。さらに、退職金が支給済であることから、この点でも定年退職後の生活補償が計られています。これら三点の事情があったことや、減額幅が76%から80%程度にとどめられており、高年齢雇用継続給付の対象とならない程度の減額だったことも重要でしょう。 5 労働契約法  20条違反の法的効果労働契約法20条違反がある場合に、正社員と同じ地位を認めるべきというのが、嘱託社員からの主張でしたが、最高裁はこれを認めませんでした。また、就業規則も別々に作成されていることから、正社員の就業規則を適用するという解釈も採用しませんでした。  労働契約法20条違反の結果は、不法行為に該当し、損害賠償請求が可能であるというにとどめました。過去に発生した不合理な差別に対しては差額を請求することができます。しかし、今後の取扱いの是正まで裁判所が命じるものではないということになります。  事実上、判決後は不合理と判断された手当などについては是正されることが多いかもしれませんが、直接的な解決とは一歩距離を置いた判断になっています。 6 今後の労働関連法の改正の予定6  6月29日に国会で働き方改革関連法案が可決されました。同関連法の改正は、パートタイム労働法の対象者に有期雇用労働者が含まれることになり、賃金および賞与等に関する差別的取り扱いの禁止も設けられました。今後、改正後のパートタイム労働法に基づく判断がなされれば、「長澤運輸事件」の判断が及ぶ期間は限定的となる可能性があります。 図表 長澤運輸事件の嘱託社員と正社員の労働条件の相違について 基本給(正社員) 能率給 職務給 無事故手当(1か月間無事故) 精勤手当(すべての日に出勤した場合) 住宅手当 家族手当 役付手当 通勤手当 超勤手当(時間外手当) 賞与及び退職金 調整給 年収 在籍給 年齢給 歩合給(嘱託社員) 基本賃金(嘱託社員) 正社員 1年目8万9100円1年ごとに800円加算 20歳を0円として、1歳につき200円を加算 月稼働額×3.15%〜4.6%(車種による) 7万6952円から8万2900円(車種による) 2万円 5000円 1万円 5000円(配偶者)5000円(子2人まで) 1500円又は3000円 4万円を限度 あり あり賞与は5か月分 なし 100% 当初提案 10万円 月稼働額×10% 1万円 なし 嘱託社員 12万5000円 月稼働額×7%〜12%(車種による) 5000円 なし なし 3000円 なし 4万円を限度 あり ただし、精勤手当分基礎賃金が低い なし 2万円 76%から80% 控訴審 総合的に判断して、2割前後減額されたことをもって直ちに不合理な内容とはいえない。 最高裁 不合理な相違とはいえない 不合理 不合理とはいえない 不合理とはいえない 不合理 不合理とはいえない ※職務の内容、責任の程度、職務の変更の範囲などについては相違点がないことが前提とされている ※調整給の支給は、厚生年金の報酬比例部分の支給が開始されるまで ※当初提案から無事故手当が減少したのは、基本賃金を増額することとしたため 出典:著者作成 第5回 正社員と有期雇用労働者の賃金の相違(ハマキョウレックス事件最高裁判決) Q 正社員と有期雇用労働者の賃金の相違について教えてほしい  当社では、正社員と有期雇用労働者といった雇用形態の従業員がいます。業務内容や業務にともなう責任の程度には相違ないのですが、有期雇用労働者には、配転や出向といった規定を適用せず、長期的な雇用を前提とした賃金体系を採用していません。そこで、有期雇用労働者を正社員と比べて賃金を低くしておきたいのですが、問題ないでしょうか。 A  有期雇用労働者と正社員の労働条件の相違について争われたハマキョウレックス事件の最高裁判決が平成30年6月1日に下されました。この判決では、契約期間の有無を理由とした労働条件の相違に関する一般的な判断が示されています。労働条件の差異を設けるにあたっては、基本給や個別の手当ごとに慎重にその理由を検討することが求められます。働き方改革関連法の成立をふまえて、同一労働同一賃金に関して慎重な対応が求められていくでしょう。 1 正社員と有期雇用労働者の労働条件  正社員のほかにパートタイム労働者や契約社員など雇用形態が異なる労働者を雇用している企業も多いでしょう。パートタイム労働者の場合は、労働時間に相違があり、それにともなって業務の内容や責任の程度も異なることが多いかと思われますが、正社員以外の契約社員の場合には業務内容やそれにともなう責任の程度に相違がない状況が生じやすいでしょう。  正社員と契約社員を区別するポイントは、多くの場合、労働契約の契約期間の有無になります。有期雇用労働者である契約社員について、労働条件の相違、特に賃金や手当の支給を相違させることは許されるのでしょうか。労働条件に相違を設けるとしても、その限度はないのでしょうか。 2 労働契約法20条の解釈  前回紹介した長澤運輸事件と同日の平成30年6月1日に最高裁判決が示された「ハマキョウレックス事件」では、期間の定めのある労働者(以下「契約社員」といいます)と、期間の定めのない労働者(以下「正社員」といいます)の労働条件の相違が、労働契約法20条に違反するものとして争われた事件です。具体的な労働条件の相違は図表に定める通りです。  法的な問題点は、@賃金や手当に差異を設けることが、不合理な内容であると認められるか否か、A労働契約法20条違反の効果(正社員と同一の地位にあることの確認が認められるか、損害賠償責任のみで救済されるのか)、といった点です。  今回も問題となるのは、労働契約法20条の解釈とその法的な効果になります。  (期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止) 第二十条 有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない。  前回もご紹介したとおり、労働契約法20条は、次の三つの要素を考慮して不合理さを判断する旨定めています。 (a) 労働者の業務の内容および業務にともなう責任の程度(以下「職務の内容」)といいます) (b) 当該職務の内容および配置の変更の範囲(以下「人材活用の仕組み」といいます) (c) その他の事情  ハマキョウレックス事件の最高裁判決は、労働契約法20条は、有期契約労働者と無期契約労働者との間で労働条件に相違がありうることを前提に、職務の内容、人材活用の仕組み、そのほかの事情を考慮して、労働条件の相違が不合理と認められるものであってはならないとするものであり、上記の三つの要素の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であると解されました。  ポイントは、「均等」ではなく、「均衡」のとれた処遇を求める規定と解されたことです。「均等」とは、差異がなくまったく等しいことを意味しており、近年の労働関連法令においても「均衡」と「均等」は区別して用いられていますので、最高裁もこの区別は前提としているものと考えられます。  例えば、内閣府が公表している働き方改革実行計画では、同一労働同一賃金ガイドライン案の概要においては、均衡だけでなく、均等にもふみ込んだものとしている旨を表明しており、その区別を前提としています。  ハマキョウレックス事件で認定された事実関係は、三つの要素のうち(a)職務の内容は、正社員と契約社員の間に特段の相違はありませんでした。  一方、(b)人材活用の仕組みについては、正社員は、出向などにより全国規模の広域異動の可能性がありますが、契約社員にはそのような定めはありませんでした。また、正社員は、等級役職制度が採用され、将来中核をになう人材として登用される可能性があるとされましたが、契約社員にはこのような制度は採用されず、中核をになうことを予定されていません。この事件における等級役職制度とは、職務遂行能力に見合う等級へ格付けし、教育訓練の実施による能力開発と人材の育成、活用に資することを目的とした制度と認定されています。  したがって、ハマキョウレックス事件では、(a)は相違がないものの、(b)は相違点があるとされたことに特徴があります。長澤運輸事件とは異なり、(c)その他の事情について、特筆するような事情はあげられていません。  しかしながら、「労働条件が均衡のとれたものであるか否かの判断に当たっては、労使間の交渉や使用者の経営判断を尊重すべき面があることも否定し難い。」と判断されていることから、長澤運輸事件における考慮事項のように労使間の交渉などを考慮することを否定するものではありません。  ハマキョウレックス事件の最高裁判決でも、労働契約法20条が定める三つの要素については、幅広く総合的に考慮していくという方向性は同様です。 3 賃金や手当の比較の方法  ハマキョウレックス事件の特徴として、第一審では、職務内容に大きな相違がないことを前提にしつつも、人材活用の仕組みが異なることから、通勤手当以外については個別の理由を検討することなく、「被告の経営・人事制度上の施策として不合理なものとはいえない」と一括して判断していましたが、控訴審および上告審では、手当ごとに比較されています。比較の方法について、個別の手当ごとに比較して不合理な差異か否かを判断していますので、長澤運輸事件が判断した「有期契約労働者と無期契約労働者との個々の賃金項目に係る労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断するに当たっては、両者の賃金の総額を比較することのみによるのではなく、当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当である。」との判断と同様の手法によっていると考えられます。特段の記載がないのは、控訴審自体が「個々の労働条件ごとに判断されるべきものである」と判断していたことを是認しているからに過ぎず、異なる基準を採用したものではないと考えられます。 4 各賃金項目に関する判断  各種の手当ごとの判断の理由は次の通りです。住宅手当以外は、いずれも不合理な相違であると判断されており、手当の判断は、ほとんど「均等」待遇を求められるに等しい厳しい傾向が見られます。  住宅手当は、人材活用の仕組みを考慮して、正社員の方が転居をともなう配転が予定されていることから住宅に要する費用が多額となり得るとして、不合理ではないと判断されました。  皆勤手当は、契約社員と正社員の職務内容に相違がない以上、出勤する者を確保する必要性は差異がなく、契約社員は昇給しないことが原則であり、皆勤の事実を考慮して昇給が行われた事実もうかがわれないことから、不合理と判断されました。  無事故手当は、優良ドライバーの育成などの目的が人材活用の仕組みの相違から生じるものではないため、不合理であると判断されました。  作業手当は、作業そのものを金銭的に評価して支給される性質であるところ、人材活用の仕組みの相違が作業の金銭的評価の相違を導くことにはならないとされ、不合理と判断されています。  給食手当は、勤務中に食事を取ることを要する労働者に対して支給すべきとされ、不合理と判断されました。  通勤手当の相違については、労働契約の期間の定めがあるか否かによって通勤に要する費用が異なるものではないことから、不合理であると判断されました。  正社員との基本給や賞与、退職金、家族手当の相違については、次項で解説する労働契約法20条違反の法的効果と関連します。 5 労働契約法20条違反の法的効果  労働契約法20条違反がある場合に、正社員と同じ地位を認めるべきというのが、契約社員からの主張でした。基本給や賞与、退職金の相違や現在支給対象となっていなかった家族手当などについては、正社員と同じ地位を認めてもらえなければ救済にならないというのがこの主張の背景にあります。  最高裁はこれを認めませんでした。もしこれを裁判所が行ってしまうと、法律に記載されている以上の救済を裁判所が創設することにつながってしまう点が背景にあります。また、就業規則も別々に作成されていることから、正社員の就業規則を適用するという解釈も採用しませんでした。  結局、労働契約法20条違反の結果は、不法行為に該当し、損害賠償請求が可能であると判断されました。  そのため、基本給、賞与、退職金、家族手当に関しては、正社員との差額などが損害と認められることはなく、賠償責任の対象とはなりませんでした。  本件の特徴は、人材活用の仕組み以外の考慮事由がほとんどなかったことにあるといえます。長澤運輸事件では、定年後の再雇用、労使間交渉、調整給による労働条件低下への配慮などがありましたが、これらの事情はあてはまりません。  同一労働同一賃金に関する争点については、ハマキョウレックス事件と長澤運輸事件を合わせて検討することになろうかと思われますが、各種手当の支給目的に即した支給要件の設定や相違する理由を文章化して説明を試みるといった方法で検討してみるべきと考えられます。 6 労働関連法の改正  有期雇用労働者の救済方法に関する最高裁の判断は、法律の明文にないことが主な理由となっていることから、法律に救済方法が明記された場合には、正社員と同一の地位を認めるなどの救済方法も視野に入ってきます。働き方改革の一環として、実効性ある救済の創設も予定されています。  働き方改革関連法の改正では、行政による履行確保措置※1やADR※2(裁判外紛争解決手続)の整備は進みましたが、裁判所(司法)による救済方法の拡大については直接触れられてはいません。  しかし、パートタイム労働法の対象者に有期雇用労働者を含め、職務内容や人材活用の仕組みが同一の有期雇用労働者について、基本給、賞与そのほかの待遇のそれぞれについて、差別的取扱いをしてはならないと規定され、均等待遇と解釈しうる規定とされました(改正後パートタイム等労働法第9条)。  また、職務内容などが同一とまで評価できない場合であっても、個々の労働条件について、待遇の性質およびその目的に照らして適切と認められるものを考慮して不合理と認められる相違を設けてはならないと規定されました(改正後パートタイム等労働法第8条)。  基本的な考え方は、最高裁の判断を敷衍(えん)できると思われますが、今後、有期労働契約者の労働条件の相違については、労働契約法20条ではなく、これらの改正法が適用されることになると考えられます。 ※1 行政による履行確保措置……正社員との労働条件の相違などの説明義務が設けられ、違反に対する公表措置などが定められた ※2 ADR……裁判外紛争解決手続の略称。学術経験者などから選ばれた3名の委員からなる紛争調整委員会による調停手続により労働紛争の解決を目ざすことができる 図表 ハマキョウレックス事件の契約社員と正社員の労働条件の相違について 基本給 無事故手当 作業手当 給食手当 住宅手当 皆勤手当 通勤手当 家族手当 賞与(一時金) 退職金 正社員 月給制 定期昇給あり 1万円 1万円 3500円 2万円 1万円 5000円(原告と同じ市内居住の場合) あり あり(会社の業績に応じる) あり(5年以上勤務した場合) 契約社員 時給制 定期昇給なし。 ただし、会社の業績と本人の勤務成績を考慮して昇給することがある。(原告は、時給1150円から1160円に上がったことがある。) 規定なし 規定なし 規定なし 規定なし 規定なし 最大3000円 (平成26年1月以降は正社員と同一に変更) 規定なし (原告は支給対象外) 原則なし 会社の業績及び勤務成績を考慮して支給することがある 原則なし 第一審 法または就業規則による補充は認められない 合理的 合理的 合理的 合理的 合理的 不合理 合理的 合理的 合理的 控訴審 法または就業規則による補充は認められない 不合理 不合理 不合理 合理的 合理的 不合理 法または就業規則による補充は認められない 最高裁 法または就業規則による補充は認められない 不合理 不合理 不合理 合理的 不合理 不合理法 または就業規則による補充は認められない ※職務の内容及び業務に伴う責任の程度については相違がないことが前提とされている ※正社員については配転出向などの規定があり、等級役職制度が採用されているが、有期雇用労働者にはそれらの規定や制度は設けられていない 出典:著者作成 第6回 定額割増賃金と高齢者の再雇用拒否 Q1 定額割増賃金の留意点を教えてほしい  時間外の割増賃金に関して、残業の有無にかかわらず、定額の手当を支払っているのですが、何か問題はあるでしょうか。定額の手当や年俸として支払うにあたっての注意点はどういった点になるでしょうか。 A  割増賃金の計算の基礎となる賃金と割増賃金部分が明確に判別できるようにしておく必要があります。また、割増賃金として支払っている金額を実際の時間外労働により生じた割増賃金が超過するような場合には、手当に追加して実際に発生した割増賃金分を支給しなければなりません。 1 割増賃金と前払いについて  労働基準法37条は、時間外、休日、深夜の労働に対して、割増賃金を支払うことを使用者に義務づけています。その割合は、時間外労働および深夜労働については25%以上の割増、休日労働については35%以上の割増賃金が最低額とされています。なお1カ月60時間を超える時間外労働に対しては、50%以上の割増賃金とされていますが、この部分の規定については、中小企業にかぎり、2023年4月1日までは適用が猶予されています。  そこで、使用者としては、時間外、休日、深夜の労働に対して、それぞれ割増賃金を支払わなければ、労働基準法37条に違反することになります。  とはいえ、割増率については、あくまでも最低限の数値が定められているに過ぎませんので、使用者が当該割増率よりも高額の賃金を支給しているかぎりは、労働基準法に違反するものではないと考えられています(昭和24年1月28日基収3947号)。しかしながら、割増賃金の計算にあたっては、計算の基礎となる賃金(以下、「基礎賃金」)と割増賃金が区別できなければ、そもそも、割増率をいくらの賃金を基礎として計算しているのか判別することができないことから、割増賃金を支払っているのかいないのかが不明瞭になってしまうという問題があります。 2 基礎賃金について  基礎賃金とされるのは、労働の対償として支払われる賃金から、労働の内容や量とは無関係な手当である「家族手当」、「通勤手当」、「別居手当」、「子女教育手当」、「住宅手当」が除外され、そのほか「臨時に支払われた賃金」、「一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金」が除外されたものとされています(労働基準法施行規則第二十一条)。  「臨時に支払われた賃金」とは、臨時的・突発的事由に基づいて支払われたもの、および結婚手当など、支給条件はあらかじめ確定されているが、支給事由の発生が不確定である、かつ非常に稀(まれ)に発生するものと考えられています。そのほか、1カ月を超える期間を基準として算定して支給される手当や賞与などが除外されることになります。  そのため、年俸制を採用している場合で、かつ、賞与の計算方法があらかじめ定まっているような場合、たとえば、年俸を18で分割し、12カ月分の基本賃金に夏と冬に3カ月分ずつ支給すると決まっているような場合は、1カ月を超える期間ごとに支払われる賃金ではないと解釈されているため、割増賃金から除外することは許されないと考えられています。  したがって、手当として支給する場合か、年俸制として支給する場合で基礎賃金となる範囲が異なることがありますので、この点にも注意が必要です。 3 最高裁判例について  これまで、使用者が、歩合給(ぶあいきゅう)や手当などを、割増賃金の支払いとして行ってきたものであると主張して、裁判において争点となり、最高裁において判断された事件が多くあります。  まず、最高裁平成6年6月13日判決(高知県観光事件)では、使用者が、歩合給として支払っていた賃金が割増賃金であるから、請求されている割増賃金については支給済みであると主張したことに対して、「本件請求期間に上告人ら(著者注:労働者)に支給された前記の歩合給の額が、上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場合においても増額されるものではなく、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することもできないものであった」ことを理由に、使用者による割増賃金の支給があったものとはいえず、未払いの割増賃金を支払う義務があると判断されました。  このほか、1700万円の年俸を支給されていた医師について、時間外、休日、深夜の割増賃金については、すべて年俸に含まれている旨合意したものとして争われた事例においても、年俸の1700万円のうち割増賃金にあたる部分が明らかにされていなかったことを理由に、基礎賃金と割増賃金にあたる部分を判別することができないものとして、使用者の主張は排斥されました(最高裁平成29年7月7日判決)。  さらに、最高裁平成24年3月8日判決(テックジャパン事件)があります。月の総労働時間が180時間以内であるかぎりは、基本給のほかに支給しない旨の合意をしていた事案において、このような基本給に割増賃金の支給をあらかじめ含めておく合意については、「全体が基本給とされており、その一部が他の部分と区別されて労働基準法(平成20年法律第89号による改正前のもの。以下同じ。)37条1項の規定する時間外の割増賃金とされていたなどの事情はうかがわれない」として、割増賃金が支給されていたものと認められず、時間外割増賃金を基本給に含めるという合意の成立を認めませんでした。補足意見では、給与にあらかじめ一定時間の残業手当を算入する場合、雇用契約上もその旨が明確にされていなければならないと同時に支給時に支給対象と時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならず、予定していた残業時間を超えた場合に超過分を支給する旨も明らかにしておかなければならないといった厳格な意見も示されています。  これまでの最高裁の判例では、基礎賃金にあたる部分と割増賃金にあたる部分を判別することができなければならないという基準が示された結果、その後は、いかなる場合であれば、判別できると評価されるのかという点が主たる争点となっています。また、補足意見などでは、あらかじめ明示的な合意が必要であるなど厳格な見解も現れるなど、要件を充足する方法が不明瞭になってきているようにも思われます。  割増賃金を賃金に含める方法に対する厳格な見解が広がるなか、東京高裁平成29年2月1日判決(以下、「控訴審判決」)は、定額残業代の支払いを法定の時間外手当の全部または一部の支払いとみなすことができるのは、労働者が超過した残業代をただちに請求できる仕組みが備わっており、これらの仕組みが雇用主によって誠実に実行されているほか、基本給と定額残業代の金額のバランスが適切であり、その他長時間労働による健康状態の悪化など労働者の福祉を損なう出来事の温床となる原因がない場合にかぎられると判断し、従前の最高裁が示していた基準よりもかなり厳格な基準を基に判断しました。これに対して、最高裁平成30年7月19日判決では、「手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである」として、判断基準についてこれまでよりも少し詳細に述べたほか、控訴審判決が示すような厳格な要件が必須のものではないと判断されました。  この事案では「賃金56万2500円(残業手当含む)」、「給与明細書表示(月額給与46万1500円、業務手当10万1000円)」、「時間外手当はみなし残業時間を超えた場合はこの限りではない」といった記載がなされていたもので、基礎賃金と割増賃金の判別が不可能とまではいえない事案でした。使用者の時間外労働管理の方法については問題がないわけではなかったため、控訴審判決のような判断が現れたと考えられますが、定額割増賃金と認められるための要件としては、基礎賃金と割増賃金の判別という基準に尽きることが改めて示されたものと考えられます。 Q2 高齢者の再雇用の拒否について教えてほしい  60歳で定年を迎えた高齢者について、就業規則に基づき嘱託社員として再雇用することになりました。とはいえ、60歳を迎えた高齢者のなかでも、あらかじめ定めていた再雇用基準に適合しない者も含まれているため、退職手続きをとることに問題はあるのでしょうか? また、再雇用するにあたって、労働条件の変更を求め、応じない労働者については再雇用を拒否しようと考えていますが、問題ないでしょうか。 A  再雇用基準については、解雇事由および退職事由と同一の内容にかぎられ、拒否するにあたっては客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上の相当性を備えた内容でなければなりません。また、労働条件の変更は可能ですが、労働者の再雇用の期待を失わせることを目的とした労働条件の提示は適切ではないと考えられます。 1 高齢者の雇用安定について  高年齢者雇用安定法によって、@定年の引上げ、A継続雇用制度の導入、B定年の廃止のいずれかの措置をとることが必要となりましたが、多くの企業ではA継続雇用制度の導入が実施されています。  使用者には、採用の自由があると考えると、継続雇用の制度だけが準備され、実際に再雇用されない高齢者が生じるおそれがあります。  高年齢者雇用安定法の、高齢者の安定した雇用の確保の促進といった目的をふまえ、厚生労働省のガイドラインは、まず、就業規則および労使間の合意で定める再雇用基準については、解雇事由または退職事由と同一の事由を継続雇用しない事由として定めることができるとしたうえで、解雇事由または退職事由とは異なる基準を設けることは高年齢者雇用安定法の趣旨を没却するおそれがある旨明記しています。また、継続雇用しないことについては、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であることが求められると考えられる旨も明記されています。 2 再雇用拒否制限の法令上の根拠  厚生労働省のガイドラインにおいては、上記の通り、客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上相当な理由がないかぎり、再雇用を拒否することはできないと記載されていますが、これに対する法律上の明確な条文は用意されていません。  表現方法からすれば、厚生労働省のガイドラインが述べるところは、解雇権濫用法理を意識していることは明らかです。とはいえ、定年により退職の効力が成立しているとすれば、使用者は定年退職者を改めて解雇するわけではないため、解雇権を行使しているわけではありません。  そのほか、参考になるのは、労働契約法19条の定めがあり、一定の有期労働契約について、解雇権濫用と同様の規制がなされていますが、定年退職する労働者は、有期労働契約ではないため、この規定も直接適用されるものではありません。しかしながら、定年退職後の労働者の地位は、無期労働契約であったものが、再雇用されることを期待してもやむを得ない状況であるとはいえそうです。  そのため、実際には、高年齢者雇用安定法において、直接、再雇用拒否を規制する規定はないものの、解雇権濫用の類推適用などを理由として、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が認められないかぎりは、再雇用後の地位を認めるような判断がなされています。  この際に重要になるのは、再雇用拒否の客観性を明らかにするためには、再雇用基準自体が、客観的かつ合理的な内容になっていなければならないということになります。厚生労働省のガイドラインが再雇用拒否事由を解雇事由および退職事由と同一のものでなければならないと明記しているのも、上記のような解雇権濫用の趣旨などをふまえて検討された内容になっていると考えられます。 3 再雇用時の労働条件の変更について  再雇用の際に労働条件の変更を提示すること自体は、厚生労働省のQ&Aにおいても、高齢者の安定した雇用を確保するという高年齢者雇用安定法の趣旨をふまえたものであれば、最低賃金などの雇用に関するルールの範囲内で、事業主と労働者の間で決めることができるとされています。  とはいえ、定年により退職を強いられる労働者にとって、労働条件の変更が提示されると、これに応じなければ再雇用されないという趣旨を含むものになるおそれがあります。このような状況は、解雇されるか労働条件の変更に応じるかを労働者に選択させる方法で労働条件の引下げをはかる、変更解約告知と呼ばれる手法に類似しているといえます。変更解約告知の法的な効力について、最高裁の判例もなく結論は出ていませんが、解雇の規制に服するものと考えられています。  したがって、定年時の労働条件の変更についても高齢者の雇用継続の期待を裏切るような労働条件の引下げが提案された場合には、解雇権濫用法理と同様の規制により、再雇用の拒否の効力が否定される可能性は否定できません。提示する条件についても使用者の一方的なものにならないように労働者の希望を確認しながら実施するべきでしょう。 第7回 働き方改革関連法への対応、治療と仕事の両立支援の法的留意点 Q1 働き方改革関連法の政省令について教えてほしい  働き方改革関連法の改正が行われ、政省令の整備が進んでいると聞きます。政省令により定められた内容をふまえて、改正法令において対応が必要な事項を教えてください。 A  特に、対応が必要なポイントは、労働時間の罰則付き上限規制および年次有給休暇の消化義務であると考えられます。前者については、36協定の記載事項が変更されましたので、新たに公表された書式に即した記載が必要となります。また、後者については年次有給休暇管理簿の作成義務も規定されています。 1 働き方改革関連法の改正のポイントについて  働き方改革関連法の改正により、多くの労働に関する法律に改正が実施されることになりました。主要な改正法としては、労働基準法、労働契約法、労働者派遣法、旧パートタイム労働法(有期雇用労働者を対象に追加)、労働安全衛生法などがあげられます。  多くの企業に影響がありそうな改正のポイントを整理しておくと、@時間外労働の罰則付き上限規制(大企業は2019(平成31)年4月1日施行、中小企業は2020年4月1日施行)、A年次有給休暇の消化義務(2019年4月1日施行)、B同一労働同一賃金の促進(大企業は2020年4月1日施行、中小企業は2021年4月1日施行)、C中小企業の割増賃金の引上げ(2023年4月1日施行)、D高度プロフェッショナル制度の導入(2019年4月1日施行)、Eフレックスタイムの清算期間の延長(2019年4月1日施行)などがあげられます。このほか、勤務間インターバル制度の努力義務なども定められたほか、労働安全衛生法の改正により、産業医の権限拡大や安全衛生委員会の位置付けなども重視されるようになりました。  全体的な印象としては、労働時間に拘束されない柔軟な働き方を推進する一方で、働きすぎ防止のための罰則の用意や各種健康確保措置としての産業医面談や勤務間インターバル制度の採用など、使用者にとっては安全配慮義務に対して、より一層高い意識を持って対応することが求められてくるものと考えられます。  今回は、これらの改正のなかでも、改正省令が公表され、詳細な点も整理された時間外労働の罰則付き上限規制および有給休暇の消化義務について触れておきたいと思います。 2 時間外労働の罰則付き上限規制について  36協定の書式も新しく整理され、改正法の施行後には、現在の書式よりも詳細な記載が求められることになりそうです。  大きな変更点は、@「上記で定める時間数にかかわらず、時間外労働及び休日労働を合算した時間数は、1箇月について100時間未満でなければならず、かつ2箇月から6箇月までを平均して80時間を超過しないこと」と記載されたチェックボックスへのチェックが必須になったこと、A限度時間を超えて労働させる特別条項について、具体的な事由を定めること、B特別条項を定める場合は、健康および福祉を確保するための措置を明記すること、C限度時間を超えて労働させる場合における手続を明記することがあげられます。  まず、@のチェックボックスについてですが、チェックがない場合には、法定要件を欠くものとして無効となるものとされています。罰則を受けるような違反を行わないという宣言となるものですので、当然といえば当然ですが、チェックを欠くことにより時間外労働が実施できなくなる恐れがありますので、留意が必要でしょう。なお、「2箇月から6箇月までを平均して80時間を超過しない」という記載の意味ですが、「対象期間の初日から1箇月ごとに区分した各期間に当該各期間の直前の1箇月、2箇月、3箇月、4箇月および5箇月の期間を加えたそれぞれの期間における時間外・休日労働が1箇月あたりの平均で80時間を超えないこと」とされていますので、単に6カ月の平均が80時間を超えていなければよいという趣旨ではありません。6カ月のうちに、80時間を超えるような月が続いてしまうと、2カ月間の平均が80時間を超えてしまうようなこともあり得ますので、時間外・休日労働時間が多くなってしまった翌月などは特に注意が必要でしょう。  また、BおよびCについては、労働基準法施行規則において追加された内容が反映された書式となっています。健康および福祉を確保する措置には、勤務間インターバル制度の導入や医師による面接指導の実施、産業医による助言・指導や労働者に保健指導を受けさせること、連続休暇の付与、配置転換などが用意されていますが、これらにはほかの法律の改正と関連性のある内容も含まれています。 3 有給休暇の時季指定義務について  正社員の約16%が有給休暇を1日も取得していないとされ、長時間労働の傾向もあることから、使用者が年次有給休暇を消化させる義務が設定されました。  基本的なルールは、10日以上の有給休暇を有する労働者に対して、付与した日から1年間の間に5日以上の有給休暇を付与することが義務付けられたというものです。年次有給休暇は入社の半年後から1年ごとに付与されることからすると、有給休暇の付与の期間と5日消化させる期間が合致しているため、複雑な内容にはなりません。  しかしながら、有給休暇の前倒し付与をしている場合には、入社した年度には、1年間の間に有給休暇の付与が2度生じる場合があり、1年間の起算日の決定方法に支障が出ます。  そのため、年次有給休暇の前倒し付与をしている企業向けに労働基準法施行規則が定められ、またその指針も公表されました。基本的な考え方としては、1年以内に2回目の付与があった場合には、2回目の付与日から1年以内に、1回目の付与と2回目の付与までの期間+12カ月を基準として比例付与することが許容される(例えば、6カ月+12カ月の場合、18カ月の間に7・5日を付与する)という制度になっています。その後は、1年ごとに5日ずつ消化するという原則的なペースに戻ります。  自社の有給休暇の付与ルールに即して、5日消化させなければならない基準日をしっかりと把握しておく必要があります。  また、有給休暇制度に関連して、労働者ごとに、有給休暇を与えた時季、日数および基準日を明らかにした「年次有給休暇管理簿」を作成し、3年間保存しなければならないことも定められました。年次有給休暇管理簿を作成するには、基準日を記載しておかなければなりませんので、就業規則で定める有給付与の時期に即して整理するとよい機会になるでしょう。 4 そのほかに整備されたポイントについて  労働基準法施行規則の改正では、労働条件の明示方法として、これまで労働条件通知書の書面による交付に限定されていたものが、ファクシミリおよび電子メールの送信によって明示することも許容されることになりました。今後、活用されることが期待されます。  また、過半数労働者の選任方法について、「使用者の意向に基づき選出されたものでないこと」が明記されました。基本的な考え方自体が変わるものではありませんが、使用者においても改めて留意しておくべきでしょう。 Q2 復職とリハビリ出社、治療との両立の法的な留意点について教えてください  従業員からがんの治療を必要とする旨の申告がありました。これまでに例がないため、どのように対応すればよいのでしょうか。復職の際に留意すべき事項はあるでしょうか。  また、メンタルヘルス不調で休職に入った従業員から、復職するときに短時間勤務やリハビリ出社を希望されたのですがどのように対応したらよいでしょうか。 A  治療と職業生活の両立支援のためのガイドラインが公表されています。使用者としての留意点のほか、医師との連携方法などさまざまな観点から留意事項がまとめられているので、参考にすべきでしょう。  復職時に、フルタイムでの出勤ができない場合には、リハビリ出社を認めることも可能ですが、労務の提供として扱うのか否か、明確にしておくべきでしょう。 1 働き方改革における治療と仕事の両立について  かつては、がんといえば不治の病との印象もありましたが、近年では、生存率も上昇し、早期発見・早期治療により、職場への復帰が実現することも多くなっています。  とはいえ、具体的な治療方法も外科治療や抗がん剤治療、放射線治療など多種多様であるため、がん患者とどのように接していくべきなのか、周囲の従業員へどのように周知すべきかなど、治療の継続と仕事の両立には悩まされる場面も多いでしょう。  厚生労働省は、「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」(以下、「両立支援ガイドライン」)を公表し、両立支援への準備事項や実際の両立支援の進め方、病気の類型ごとの基礎知識や留意事項、各種行政上の支援制度や助成金の案内など必要な情報をまとめています。  治療との両立の支援にあたっては、病気やそれに対する治療行為に関する理解が前提となるため、本人が周囲に可能なかぎり情報を開示して理解を得ることが望ましいとされているなど、非常に参考になる情報が集約されています。  また、取組み方についても、医師への情報提供のための様式や両立支援プランの作成例なども用意されています。 2 休職および復職判断のプロセス  治療のために休職していた従業員が、職場復帰する際は、どのような判断が必要でしょうか。  過去の判例では、「労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合においては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である。」と判断しています(最高裁平成10年4月9日判決(片山組事件))。  したがって、復職にあたっては、元の職種と同様の働きができないとしても、ほかの部署に配置できる可能性があり、本人の希望があるかぎりは、復職を認めるべきといえます。  両立支援ガイドラインでは、上記最高裁判例の趣旨もふまえて、復職判断のプロセスとして、主治医の意見収集、産業医による業務遂行能力をふまえた職場復帰の可否、本人の意向、復帰予定の部署の意見、配置転換も含めた復職の可否の判断と整理しています。  また、職場復帰支援プランを策定しておき、実際の復職時にはプランと実現できている職務の程度なども比較しながら、就業上の配慮や支援を行っていくことが望ましいとされています。 3 リハビリ出社の法的な整理について  復職にあたっては、産業医などから、職場復帰の可否について、短時間勤務が望ましいといったことや、一定の条件が付される場合もあります。特に、メンタルヘルス不調の場合などは、職場に復帰した際に再発することも懸念されるため、リハビリ出社が望まれることもあります。  このような場合に、使用者が短時間勤務に応じることが必ずしも義務とまではいえない場合もありますが、両立支援ガイドラインなどの趣旨をふまえると、復職の実現に向けて、リハビリ出社に応じていくことが望ましいといえるでしょう。  しかしながら、リハビリ出社の法的な位置付けについては、自社内できちんと整理しておかれたほうがよいでしょう。というのも、リハビリ出社の種類においては、実際に労務の提供をするのではなく、職場へ出社して時間を過ごすことができるか試すという場合もある(「試し出勤」などと呼ばれることもあります)ため、そのような場合も労働時間として扱って賃金を支給するのか、それともあくまでも休職期間中の治療への協力として位置付けるのかなど、さまざまな整理が考えられるからです。  例えば、復職の可否を判断する材料とするために、休職期間中に、試し出勤をしてみる場合には、労働時間と位置づけないこともできます。しかしながら、このような位置づけの場合、労務の提供のために会社に来ているわけではないので、会社までの経路での事故などが通勤災害とならないなど、労働者の保護に欠ける場合もあります。  一方、必ずしも労務の提供とまではいえないとしても、労働時間として位置付けることで、通勤災害の対象となるようにしたうえで、事業場内での拘束時間中は賃金が発生するようにすることも考えられます。とはいえ、実際に提供できる労務の内容が、本来の労務内容と大きく相違する場合もあるため、そのような場合は、復職時の合意において、賃金の内容や拘束時間などについて、労働者と真摯(しんし)な合意を成立させておくことは必要でしょう。 第8回 企業年金制度の受給額の減額、管理監督者の要件 Q1 企業年金制度の受給額を減額することはできるのか  当社では、退職後の従業員に対して、企業年金を支給することになっています。しかしながら、制度を構築してからかなりの時間が経過しており、支給すべき額が会社の現状に必ずしも合致していません。  企業年金の支給額を変更することは可能なのでしょうか。 A  企業年金の性質によって必要な手続きは異なりますが、変更の必要性、内容の合理性、手続きの正当性などを総合的に勘案したうえであれば変更を認められると考えられます。  ただし、多数の受給予定者に影響があるため、慎重に進めるべきと考えられます。 1 企業年金制度とその種類について  人口に占める高齢者の割合が増え、近年では、企業型の確定拠出年金などの利用も増えており、退職後の年金支給に企業が関与するような例もあります。  企業年金の基本的な種類としては、完全に自社のみで年金制度を運用するいわゆる自社年金と、根拠法令に基づき年金の原資を積み立てる外部積立型があります。企業型の確定拠出年金は外部積立型の一種となっています。  外部積立型の場合は、各種法令における受給額の変更に関する要件を充足しなければなりませんが、自社年金の場合は、企業の裁量により自由に設計することが可能であるため、企業年金の支給要件を就業規則で定めている例もあれば、労働協約などによって定めている例もあるなど、さまざまな方式が考えられるところです。 2 自社年金型の受給額変更について  自社年金型の場合、就業規則や労働協約など定め方はさまざまですが、事後的に年金額を変更しうる可能性がある旨の規定(以下、「改訂条項」)が明記されているといえるのか、という点が重要です。  現時点における支給額は、かつて企業に勤め続けた時期に説明を受けるなど、労働者としては将来受給できる権利として期待していることが通常であり、受給予定の労働者には帰責性がないこともあり、変更が容易に可能となると労働者の期待や権利が保護されないことになります。  一方、企業年金の受給額を変更することについては、企業の経営状況などをふまえ、会社を倒産させるよりは継続させるために、受給額の変更を肯定するほかない場合もあります。  過去には、早稲田大学(年金減額)事件(東京高裁平成21年10月29日判決、上告不受理により確定)において、自社年金型の年金における減額に関して、次のような判断がなされています。  「本件年金契約は、その内容が本件年金規則によって一律に規律されることを前提とし、加入者もそのことを容認し、また、退職後の給付内容についても、本件年金規則に定められた内容に従って決定されることを容認していたものと解される」としたうえで、「在職中のみならず、退職後、受給者となってからも、同規則による規律を受ける立場にある」と判断し、退職後においても変更することは可能と認められました。  そして、「楽観的な見通しによる計画は制度運用の実態に合わないものとなり、従来の給付水準を維持したままでは、本件年金基金の財政状況は更に著しく悪化し、将来的には年金財産がゼロとなって、年金制度自体の破綻も予想される事態に至っている」ことを理由に、20年かけて年金の支給額を最大35%引き下げるという必要性および変更内容については合理的と認められました。  ただし、労働者の権利を保護するために、 「控訴人が本件改定を行うに当たっては、信義則上、これらの契約当事者に対し誠実にその内容を説明し、その納得を得るための相応の手続を経ることが要請されているものと解すべき」として、手続的な相当性も重視されました。実際に取られた手続きとしては、年金委員会への諮問と受給者および受給予定者の3分の2の賛成を得るために説明会や修正案の作成を重ね、3分の2以上の同意を得られた修正を実施しており、相当な手続きと認められました。 3 外部積立型について  外部積立型年金の場合、根拠法令によって、手続き自体はさまざまですが、規約の変更について、労使で構成される代議員の議決または過半数労働者代表の同意を得るなどしたうえで、監督官庁の認可や承認を得ることが必要とされます。  また、認可や承認においては、経営状況の著しい悪化または掛金額の大幅な上昇により減額がやむを得ないと認められることおよび受給者などの意向を十分に反映させる措置を講じたうえで、十分な説明と意向確認の実施、全受給者の3分の2以上の同意、一時金の支給など緩和措置を講じていることなどが必要とされています。  監督官庁の承認や認可を得るための要件を充足したからといって、それに受給者が拘束されるか否かは別問題ではありますが、承認や認可の要件は相当厳格な内容として定められており、基本的にはこれらを充足した場合には、変更内容が有効と認められる可能性が高いと考えられます。 4 変更における留意点について  こうしてみると、自社年金型であっても、外部積立型であっても、変更において充足すべきとされている要件は、@改訂条項が存在していること、または改訂が監督官庁に承認または認可されること、A変更の必要性が認められること、B変更内容の合理性が認められること、C手続きの相当性が認められることが、多数の受給者との関係において年金受給額を変更するためには必要と考えられます。  特に、手続きの相当性については、受給予定者や受給者の3分の2以上の同意を得ることを目ざすことは重要な要素となっていると考えられますので、手続きの相当性に重点を置いていくことは必要でしょう。 Q2 管理監督者の要件について教えてほしい  管理監督者として割増賃金などの適用除外にしている労働者がいるのですが、本人から管理監督者といえるような状況にないとして、割増賃金の支払いを求められました。どのような要件が整えば、管理監督者といえるのでしょうか。 A  管理監督者と認められるためには、@実質的に経営者と一体的な立場にあるといえるだけの権限と責任があること、A労働時間に裁量が与えられていること、B割増賃金を不要とするにふさわしいだけの処遇(賃金)が支給されていることを総合的に考慮して決定されます。  なお、深夜の割増賃金は適用除外の範囲外ですので、深夜の労働部分については、割増賃金の支給が必要です。 1 管理監督者と労働基準法の関係  事業所においては、一定の役職以上の労働者などについては、時間外割増賃金の対象外としている例が多いでしょう。  その根拠となる労働基準法41条は「この章、第六章及び第六章の二で定める労働時間、休憩及び休日に関する規定は、次の各号の一に該当する労働者については適用しない」と定め、同条2号では「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者」を適用除外の対象者にあげています。  しかしながら、いかなる場合に、「監督若しくは管理の地位にある者」(以下、「管理監督者」)として認められるのかについて、法令等に詳細な要件は定まっていません。 2 管理監督者の要件について  管理監督者の要件について、最高裁判例などで確定しているわけではないものの、行政解釈は一定程度示されているうえ、多くの裁判例が分析されており、おおむね次のような3つの要件の総合考慮によって判断する点については、一致してきています。 @実質的に経営者と一体的な立場にあり、重要な職務、責任、権限が付与されていること A労働時間の決定について厳格な制限や規制を受けていないこと B地位と権限にふさわしい賃金上の待遇を付与されていること  これらの要件を考慮したうえで、最終的には、労働時間規制の枠を超えて就労することを要請されてもやむを得ないような重要な職務と権限を付与されているといえるか否かという観点から、それぞれの要素を総合的に考慮して判断されるべきと考えられています。 3 経営者との一体性について  経営者との一体性といわれても、会社によってそのような地位にあるかについて形式的に決められるとはかぎりません。主たる判断要素として考慮されている事情を整理すると次のようになります。 (ア)経営に関する意思決定への参加(例えば、取締役会への参加や幹部会議など経営上重要な意思決定の場への参加) (イ)労務管理上の指揮監督権があること(典型的には、部下が存在し、指揮命令の対象となる労働者がいることや部下の採用や待遇決定の権限が与えられていること) (ウ)実際の職務内容および職責の重要性(例えば、経営計画や予算案の策定などへの関与があること)  なお、かつては経営者との一体性については、企業全体に対する関与が求められる傾向にありましたが、近年は、組織や部署ごとに管理を分担させつつ連携統合する企業が一般的であることから、部門における統括的立場にあることで足りるという見解も示されています。 4 労働時間に対する自由裁量について  労働時間の自由裁量に関する主たる判断要素は、次の通りです。 (ア)出退勤や勤務時間の管理がなされているか (イ)遅刻や早退に対する制裁が実施されていないか (ウ)職員との交代勤務や職員に対するバックアップが義務付けられていないか  これらのうち、(ア)の要素に関する基本的な考え方としては、時間の管理把握をしてはならないというほどの厳格さがあるわけではなく、遅刻などに対する制裁などがないことの方が重要と考えられます。なぜなら、管理監督者といえども、健康管理の側面などから、労働時間を把握すべき対象にはならざるを得ないうえ、改正労働安全衛生法などにおいても時間把握の対象労働者には含まれていますので、労働時間についてタイムカードの打刻(だこく)などがあるだけで管理監督者性が否定されてしまうと、管理監督者として認められる余地がなくなってしまうからです。  また、判断がむずかしくなるのは、プレイングマネージャーのような立場にある場合であり、(ウ)の要素との関係において、通常の労働者と同様の業務を行っていることが時間外労働の主たる原因となっているような場合には、管理監督者性が否定されやすくなることには留意する必要があります。 5 賃金などの処遇について  賃金などの処遇に関する主たる判断要素は、次の通りです。 (ア)社内における収入の順位 (イ)平均収入との比較、役職者以外の労働者との比較 (ウ)金額自体が高額といえるか  これらのうち、(ア)および(イ)につい ては、会社ごとの相対的な評価になりますが、 (ウ)については時間外労働に対する割増賃金を支給している場合と遜色(そんしょく)ない程度に至っているといえるかという観点が重要となりま す。 6 深夜労働に対する割増賃金について  管理監督者が認められた場合に、深夜業の割増賃金も適用が除外されるかについては、条文の規定が明確ではないこともあり、見解が分かれていました。  この点については、2009(平成21)年12月18日の最高裁判決(ことぶき事件)において、結論が明確に示されました。  最高裁は、「労働が1日のうちのどのような時間帯に行われるかに着目して深夜労働に関し一定の規制をする点で、労働時間に関する労基法中の他の規定とはその趣旨目的を異にする」こと、および「第6章中の規定であって年少者に係る深夜業の規制について定める61条をみると、同条4項は、上記各事業については同条1項ないし3項の深夜業の規制に関する規定を適用しない旨別途規定している。こうした定めは、同法41条にいう『労働時間、休憩及び休日に関する規定』には、深夜業の規制に関する規定は含まれていないことを前提とするものと解される」ことを理由として、管理監督者について、深夜の時間外割増賃金まで適用が除外されるものではないという結論が示されました。  深夜割増手当も含めた固定時間外割増賃金が支払われている場合には、別途当該固定時間外割増賃金が明確に区別されているかなどによって結論は左右されますが、管理監督者の深夜割増賃金を支給対象外にすることは許されず、その結果、深夜労働時間については時間管理の必要があることになりますので、注意が必要でしょう。 第9回 減給時の留意事項、違反行為の公益通報 Q1 減給をする際の留意事項について教えてほしい  人事考課の結果に基づき、減給の対象となる従業員がいるのですが、減給をする場合に留意すべき事項はあるのでしょうか。  役職を解くことにともなう減給と、基本給自体を減給することの違いはあるのでしょうか。 A  減給を行う場合には、どのような根拠に基づいて行うのかによって相違があるため、慎重に検討する必要があります。役職を解く場合には、使用者の裁量の余地が広いと考えられていますが、基本給を減額する場合には、会社の給与制度がどのようになっているか、減額を想定した就業規則になっているのか確認する必要があります。 1 人事考課と減給について  会社においては、従業員に対する人事考課制度を用意し、それを基本給や賞与の評価に活用しています。  会社が、いかなる人事考課制度を用意するのかといった点は、会社自体の文化にも左右されますし、身につけるべき能力やその難易度をふまえて、緩やかな昇給制度にすることもあれば、成果を重視した昇給制度を選択することもありえます。  これらの人事考課制度の構築には、会社の裁量の余地が広いというべきですが、労働法分野においては、労働条件の不利益な変更に対する救済の範囲は広く、人事考課制度もその例外ではありません。人事考課制度のなかでも、減給をともなうような場合には、制限される場合もありますが、制度の趣旨に応じて使用者の裁量の余地が広く残されているものもありますので、人事考課制度を構築するうえでは、現状の労働法における考え方を整理したうえで臨むべきと考えられます。 2 降格について  人事考課の結果として、「降格」によって賃金の減額につながる場合があります。しかしながら、「降格」という言葉は、会社によって異なる意味で使われていることも多く、労働契約や就業規則でどのように定めているのかを確認しながら、その評価をしなければなりません。  労働法においては、「降格」という言葉は、理解の便宜のために、「降職」と「降級」という分類がされることがあります。  日本の伝統的な人事考課制度は、「役職」と「職能資格」という二つの要素によって給与が決定されていると考えられています。  ここでいう、「役職」とは、部長、課長、課長代理やチーフ、スーパーバイザーなど、いわゆる責任や権限の範囲を示した肩書のことをさします。こういった役職には、当該責任に応じた賃金(例えば、役職手当など)が支給されていることが多く、役職を下げるまたは解くと、同時に賃金が下がることにつながります。この、「役職」を下げるまたは解くことを「降職」と呼びます。  「役職」については、経営判断に基づく労働者およびその責任者の適正配置を決定するために、使用者における裁量の余地は広いと考えられており、労働契約や就業規則などに明示的な根拠がない場合であっても、使用者はその人事権に基づいて、裁量の範囲を逸脱または濫用(らんよう)したりしないかぎりは、「降職」を実行することは許されると考えられています。  次に、「職能資格」については、伝統的な終身雇用を前提にした職能資格制度に基づく整理です。職能資格制度とは、自身の評価に応じた等級が与えられ、年功序列制度のなかで定年までに徐々に等級が引き上げられていき、基本給が上昇していく仕組みのことを意味します。この制度の下では、職能資格は一度獲得した以上は、原則として引き下げられるような性質のものではないと考えられています。そのため、労働契約や就業規則において職能資格を下げる権限が使用者に明示的に設定されていなければ実施できません。また、「降級」については、人事権の行使が合理的であるか否かについては厳格に判断すべきと考えられています。  改めて整理すると、「降職」とは、「役職」を下げるまたは解くことを意味しており、労働契約や就業規則に明示的な根拠がない場合でも、広い裁量が認められるものであり、「降級」とは、獲得済みの「職能資格」を引き下げることを意味しており、労働契約や就業規則において明示的な根拠がなければ実施できないうえ、実施する場合にはその合理性が厳格に判断されるものとされています。 3 降格実施における留意点について  まず、実施しようとしている降格にともなう減給は、「降職」か「降級」のいずれであるのか確定させておく必要があります。  役職者が対象であれば、降職と降級のいずれも可能性がありますが、役職者でない場合は、降級とならざるを得ないでしょう。単に、役職手当を減給する場合には、根拠規定がない場合でも、経営上の必要性やその理由に合理性があれば、許容される可能性が高いといえます。  また、実施しようとしているのが、降級である場合は、労働契約や就業規則に降級する権限が明示されているでしょうか。就業規則では、「降職」と「降級」を区別することなく、単に「降格」とのみ定めており、降級が可能であるか不明瞭な例も多いため、人事考課制度において「降級」を検討する余地がある企業においては、一度見直しておかれるべきでしょう。  見直しの基本的な方針としては、役職を下げるまたは解いて役職手当を引き下げることと、基本給を引き下げる権限を定めることを区別した表現としておくべきということになります。 4 人事考課による減給と裁量の限界について  労働法においては、賃金、特に基本給に対する不利益な処分や変更については、人事考課の評価の過程に合理性があり、労働者における弁明の機会が与えられ、人事考課の仕組みに公正さが認められることが必要との見解も存在するなど、厳格に考えられており、特に「降級」を実施する際における使用者の裁量の余地は小さいものとされています。  仮に、使用者の裁量の余地を大きくすることを検討する場合には、当該裁量の余地を小さくしている根本的な原因である職能資格制度を採用するのではなく、年功序列を脱した成果主義的な賃金体系を構築および実施することなどが考えられます。 Q2 会社内で行われている違反行為はどこに通報すればいいのか  企業の経営陣が法令に違反する行為を行っていることが発覚しました。このことを外部の第三者やほかの役員などに伝えたいのですが、社内秩序を乱したことを理由に不利益な取扱いを受けるのではないかと心配しています。どうすればよいのでしょうか。 A  公益通報者保護法の適用を受けることができれば、不利益な取扱いをされたとしても無効とされます。公益通報者保護法の要件を充足するように留意しなければならず、原則として、会社への内部通報を検討したうえで、会社の違法行為の是正に向けて動くべきと考えられます。 1 公益通報者保護法について  経営陣による行為にかぎらず、会社内における不正については、内部で働いている労働者が察知する機会が多いことは自明でしょう。  とはいえ、労働者の立場からは、そのような場合に、自身の労働者としての地位の保全と会社の不正を暴くことを比較した場合に、自身が不利益を被ることを心配して第三者にそのことを伝えることをためらうことも容易に想像がつきます。  公益通報者保護法は、会社ないし社会としての健全性を保つための法律であり、これにより通報者の地位が保護されることが保証されています。  制度の概要としては、労働者が、不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的ではなく、その労務提供先などについて、通報対象事実が生じまたはまさに生じようとしている旨を行政機関や事業者の内部窓口など通報先に通報することを「公益通報」として保護しようというものです。 2 通報対象事実について  公益通報の対象となるのは、「通報対象事実」に限定されています。通報対象事実とは、当該法律の規定する犯罪行為および当該法律の規定に基づく処分に違反することが犯罪行為となる場合の当該処分の理由とされた事実に限定されています。  要するに、単なる法令違反ではなく、罰則などが規定された犯罪となりうる行為に該当していなければなりません。 3 通報先の選択について  通報先を誤ると、必要以上に企業の信用などを棄損(きそん)するおそれがあるため、通報先についてもルールが定まっています。  事業者内部への通報は、信用棄損などへの影響が小さくなると考えられることから、要件は緩やかに設定されており、通報する労働者に不正の目的がなく、通報対象事実が発生またはまさに発生しようとしていることで足ります。この場合、通報対象事実が真実であるか否かについては、問題とされておらず、必要最小限の情報で公益通報と認められることになります。  一方、処分または勧告などの権限を有している行政機関への通報を実施する場合には、真実と信じるに足りる相当な理由が必要とされます。この点を立証しようとすると、会社の内部資料など客観的な証拠に基づき、通報対象事実の発生または発生可能性を具体的に裏付けていなければならないと考えられます。  さらに、外部の報道機関などへ通報する場合には、さらに厳格な要件とされています。内部通報や行政機関への通報の要件に加えて、内部通報や行政機関へ通報すれば解雇その他の不利益な取扱いを受けることや、証拠隠滅や偽造のおそれがあると信じるに足りる相当な理由があること、会社から通報しないことを正当な理由なく要求された場合、正当な理由なく書面などによる内部通報から20日経過しても調査を行う旨の通知がない場合や正当な理由なく調査を実施しない場合、生命身体に急迫不正の危険があると信ずるに足りる相当な理由がある場合のいずれかの状況が必要となります。  一般的には、報道機関などへの通報により、法令違反行為などの事実が発覚し、大々的に報じられるイメージもありますが、報道機関への通報については、最も要件が厳格であり、通報を行う前に内部通報や行政機関への通報ができないか慎重に検討してから実施することが求められています。 4 公益通報に関する保護の効果について  「公益通報」に該当した場合には、当該労働者に対する、当該通報を行ったことを理由とした解雇や派遣契約の解除は無効とされ、減給などの不利益な取扱いをすることも禁止されます。  公益通報の前提として、社内の資料などを複製したり、外部へ持ち出したりしなければ、真実と信じる理由が説明できない場合もありますが、多くの企業において、社内の資料や秘密情報などを社外へ持ち出す行為あるいは第三者へ提供する行為を就業規則で禁止しており、懲戒処分や解雇の理由とされることもあります。  あらゆる資料の持出しが、公益通報の保護のもとで許されるわけではありません。例えば窃盗や横領に近似するような方法で資料を獲得することは許されませんが、通常の業務の過程において取得した資料などを公益通報の役に立てること自体は否定されるものではなく、これらの行為に対する解雇その他の不利益取扱いが有効とされる可能性は低いといえるでしょう。 5 内部通報を受けた企業としての対応  内部通報が行われる場合、企業自身に対して行われることがあります。どのように対応すべきか方針が定まっていない場合もあるでしょう。  企業においては、外部への通報に至るよりは、内部通報のみで問題が解消された方が信用棄損のリスクなどを負うことがないため、可能なかぎり、内部通報窓口を用意したり、通報があった際の対応をあらかじめ検討しておくことが望ましいと考えられます。  通報後の対応としては、通報者を特定することができる情報については、できるかぎり通報を受けた窓口やその責任者の範囲に留めるようにしておくべきでしょう。通報者に関する情報が広まることは、当該通報者を取り巻く就労環境を悪化させるのみならず、違反者などによる報復行為の対象とされる可能性を高めることになります。  また、前述の通り、報道機関への公益通報の要件の一つとして、20日以内に調査を開始する旨の通知を行わない場合や正当な理由なく調査を実施しない場合などが定められています。この要件を充足すれば、報道機関への公益通報が容易となってしまうため、通報を受けてからの初動について速やかに実施するべきと考えられます。内部通報にとどまることなく、報道機関への公益通報に至れば、回復困難な信用棄損が生じるおそれもあることを十分に認識し、早期対処を心掛けておくべきでしょう。 第10回 前払い退職金制度の留意点、パワハラの分類 Q1 前払い退職金制度を導入するにあたっての留意点について教えてほしい  当社では、退職金制度について、退職後の支払いのみではなく、在籍中に上乗せ支払いを行う制度を導入することを検討しています。  退職後に一括して支給する場合との相違点や注意すべき事項はありますか。 A  退職金について、前払い制度を導入すると、退職後に一括払いする場合とは異なり、月額賃金としての性格が強くなり、税務上および社会保険における取扱いなどが異なることになります。労働者にとって、不利益な点が多いため、導入にあたっては、十分な説明などを行うよう留意してください。 1 退職金の前払い制度について  近年では、退職金制度を導入している会社において、退職金の前払い制度を導入する企業もあらわれてきています。中小企業退職金共済制度に加入し、掛金を納付し続けてきたような会社であれば、問題なく退職金を支給できるかもしれませんが、退職時に一括して支払うための原資を積み立てておくことはそう簡単なことではなくなっています。そこで、退職金制度を導入していた企業においても、積立て不足を回避することなどを目的として、退職金の前払いを検討するようになってきています。  ところで、労働者が「退職金」を受給する場合には、通常の賃金とは異なる点がいくつかあります。例えば、退職金に対する課税は、給与所得よりも優遇されており、課税される額が低く抑えられています。また、賃金が2年間と短期間に設定されていることに比べて、退職金の消滅時効は5年間と定められており(労働基準法第115条)、長期間請求権が存続するものとされています。  さらに、退職金には、賃金の後払い的性格に加えて、功労報償的な性格も含まれていることから、労働基準法において賃金全額払いの原則が定められているにもかかわらず、競業避止義務違反や懲戒に相当する事由に該当した場合に退職金の一部または全部の不支給を行うことも、一定の範囲で許容されています。  これらの退職金としての特色と、退職金の前払い制度を導入する場合の相違点などを整理しておきましょう。 2 税務および社会保険における取扱いについて  退職時に一括して支給される退職金は、税務上は「退職所得」に分類され、受領した退職金からの基礎控除や課税率などが、通常の給与とは異なる取扱いがなされており、受領した退職金に対する税負担が軽減されています。  また、社会保険との関係においても、退職時に受領することから、社会保険料の計算の基礎となる月額報酬にも影響することなく、特段の負担はないといえます。  ところが、退職金の前払い制度を導入すると、これらの点に影響があります。  まず、税務上、退職手当として扱われるのは、「退職したことに起因して一時に支払われること」が要件となっています。そのため、前払い制度を導入し、これを賃金とあわせて毎月支給する場合、たとえ、退職金規程などから逆算して支給すべき金額を計算していたとしても、税務上は「退職手当」とはならず、「給与所得」となり通常の賃金と同じように課税されることになります。したがって、このような受給方法を採用した場合には、従業員にとってみると、「退職手当」として受給する場合と比較して税務上の優遇を受けることができないことになります。  このことは、社会保険との関係でも同様の結論となり、月額報酬の上昇としてとらえられることから、受給する金額にも左右されますが、従業員にとって社会保険料の負担が増えることにもつながります。 3 退職金の一部または全部の不支給について  退職金には、賃金の後払い的性格があることに加えて、功労報償的性格があることから、退職時に競業避止義務違反や懲戒事由に該当する場合には、一部または全部の不支給が許容されることがあります。  しかしながら、退職金の前払い制度を導入した場合、このようなことはできなくなると考えられます。本来の退職金については、退職をきっかけとした臨時の支給であることから、通常の賃金とは異なる取扱いが許容されており、賞与に類似する性格を有していることから、使用者の裁量も残されています。しかし、退職をきっかけとせずに毎月支給することになると、賞与類似の臨時性が失われることから、通常の賃金と異なる取扱いをする理由が失われてしまいます。  その結果、退職金から一部または全部の不支給が許容されていた根拠も失われることになり、賃金に退職金からの上乗せ部分が生じているとしても、それを減額することは、通常の賃金を減額する場合と同様の規制が適用されることになり、減給処分の限界(労働基準法第91条)や一度支給を始めた場合に減額するためには、労働者の同意が必要となります(労働契約法第8条)。 4 割増賃金の基礎となる平均賃金について  退職金の一部または全部の不支給のような裁量の余地がなくなることに加えて、前払い制度を始めると、割増賃金の計算の基礎となる平均賃金においても、上乗せ部分が考慮されることになります。  なぜなら、平均賃金として参入しない費目は、労働基準法第12条に明記されており、「臨時に支払われた賃金及び三箇月を超える期間ごとに支払われる賃金並びに通貨以外のもので支払われた賃金で一定の範囲に属しないもの」とされており、退職という臨時の事情によることなく、毎月の賃金に上乗せして支払うようになってしまえば、同条において例外事由とされている臨時性が失われてしまうからです。  この点は、労働者にとっては有利な事情となるわけですが、使用者にとっては、予想外に割増賃金が増加する原因ともなりうるので、注意する必要があるでしょう。 5 導入時の留意点について  以上の通り、退職金の前払い制度の導入は、退職金として一括して支払うことに比べて、労働者にとっては、平均賃金が上昇することや一部または全額の不支給が行われない点以外に、消滅時効の短期化、税務上および社会保険上の負担の増加など、多岐にわたって、不利益な点が見受けられます。  したがって、退職金の前払い制度については、受給総額が一括払いと相違ない制度設計にしたとしても、労働条件の不利益変更が生じるものに準じて、労働者には十分な説明を行ったうえで、慎重に実施するようにご留意ください。 Q2 パワーハラスメントと業務上の指導との区別について知りたい  パワーハラスメントの防止などが謳うたわれて久しいですが、業務上の指導との具体的な区別がむずかしいと感じています。また、パワーハラスメントの防止の目的を明確にしておかなければ、各労働者が真面目に取り組んでくれないと感じています。防止の目的とパワーハラスメントの分類を教えてください。 A  パワーハラスメントによる悪影響は、生産性や労働意欲の低下、人材の流出、信用毀損(きそん)、紛争や事故などが想定されます。紛争や事故にいたった場合には、会社や行為者の損害賠償責任も問題となります。したがって、これらを防止することが目的といえるでしょう。  また、パワーハラスメントの分類は、典型的な身体的または精神的な攻撃以外にも、過大または過小な要求、人間関係からの切り離し、個(プライバシーなど)の侵害などに分類されています。 1 パワーハラスメントについて  「パワーハラスメント」という言葉は浸透していますが、その具体的な中身や、実際目(ま)のあたりにしたときにパワーハラスメントに該当するか否かを判断することは困難な場合が多いでしょう。確たる基準があるわけでもなく、当事者間で許容されるか否かのような曖昧な基準をイメージしているのではないでしょうか。  明確な基準があるとまではいえませんが、現在において考えられている影響や分類について知っておき、判断の基準を持つことは有用でしょう。 2 防止する目的について  パワーハラスメントによる悪影響は、さまざまな段階を経てあらわれてきます。まずは、職場環境の悪化から生じ始めるものとして、生産性や労働意欲の低下があります。パワーハラスメントが横行する職場では、その影響は自身が次の被害者になるかもしれないと思うなど、ほかの労働者にまでおよんでいきます。  次に生じてくるのは人材の流出です。現在は、一つの企業において定年まで働き続けることがあたり前ではなくなっており、被害者自身の退職が生じることもあれば、ほかの労働者にとっても働きづらい環境からの転職が発生することもあります。  企業にいる間は悪評などを心のなかにしまっていても、退職後は、SNSや口コミサイトなどを通じて企業の評判を書き込むこともあります。このような記載がインターネット上にあらわれると、人材の補充を目ざして求人しても、応募数が減少するといった影響が出てきます。  さらに、紛争や事故といった形で表出した場合は、損害賠償責任が生じるおそれがあります。  加害者自身が損害賠償責任を負うのはもちろん、企業は、労働者に対する安全配慮義務を尽くす必要があることから、職場でパワーハラスメントが行われた場合には、被害者から損害賠償を請求されることになります。  企業は、こういった損害賠償責任が生じないようにする一方で、被害者や加害者、同僚からのヒアリングなどの社内調査を行い、調査結果をふまえた加害者に対する懲戒処分の検討などにも追われることになります。 3 パワーハラスメントの分類について  厚生労働省においては、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう」と定義されています。  ポイントは、上司から部下に限定されず、部下から上司または同僚同士も含まれていることと、「業務の適正な範囲を超える」ことが限界として設定されているという点です。なお、「職場」には、職場の延長線上にある、参加が強制されているような飲み会や研修会、それらからの帰り道なども含まれます。  分類としては、典型的な身体的または精神的攻撃をはじめとして、過大または過小な要求、人間関係からの切り離し、個(プライバシー)の侵害などがあげられており、具体例として図表のようなものがあげられます。  これらを見てみると、パワーハラスメントという言葉だけからイメージされるものだけでなく、人間関係からの切り離しや過小な要求などのように「いじめ」といったほうがイメージしやすい分類も含まれているといえるでしょう。 4 パワーハラスメントの防止について  パワーハラスメントの原因となっているのは、人間の感情である場面も多くあります。例えば、部下や後輩が間違いをくり返さないように注意したいと思い、感情的になり言葉が強くなることがあります。もしくは、上司が部下の振舞いを注意しようと思っても、職場環境からいい出すことができないために指導をやめてしまうことなどがきっかけになることもあります。  パワーハラスメントの防止は、感情のコントロールの重要性を管理職に理解してもらうことが第一歩といえるでしょう。叱責すべき場面が生じたとしても、感情を抑えてから、指導にあたるように注意していきましょう。  また、指導が、労働者の人格非難におよばないようにしなければなりません。業務指導の範囲にとどまるかどうかは、「人格」に対する非難ではなく、「行為」に対して指導できているかという点が重要です。この点は、感情のコントロールとも密接に関連しており、あらかじめ指導の対象を「行為」とするように整理していくことで、感情に任せた指導から、冷静な業務指導へと変わっていくはずです。  さらに、パワーハラスメントは、コミュニケーションの不足に起因することが多く、叱責や指導の後、場面を変えてコミュニケーションを取り直すことで、双方ともに冷静に業務に向かうことができます。業務指導後のフォローまでを一つのセットと考えて、コミュニケーションの充実を図ることも重要でしょう。  最後に、通常の職場環境であっても、パワーハラスメントを受けていることは申告しづらいため、相談窓口を設置するなどして、匿名での情報提供なども含めて、幅広く防止に向けた措置を用意していくことも重要でしょう。 図表 パワハラの例 分類 典型例 身体的攻撃 ポスターや書類などで頭をたたく行為 唾を吐きかける行為 精神的攻撃 「給料泥棒」、「死ねよ」などの発言 「上司に分からないことが私に分かるわけがない」と言って、上司に対して業務上必要な情報提供を行わない 過大な要求 多大な業務量を強いて、残業時間が月80時間を超えた 絶対にできない仕事を強制する 過小な要求 本来の業務以外の他部署の雑務ばかりを行わせる 一日中掃除や除草作業のみをさせ続ける 人間関係からの切り離し 参加していた会議から外される 自分には業務以外の会話が全くなく、無視される 個の侵害 家庭の事情をしつこく聞き続ける 不必要に住所などを公開する 筆者作成(参考:厚生労働省「明るい職場応援団」webサイト https://www.no-pawahara.mhlw.go.jp) 第11回 団体交渉への対応、偽装請負と業務委託の違いとは Q1 団体交渉の申し入れに対する対応方法について教えてほしい  このたび、当社の従業員が加入した労働組合から団体交渉の申し入れがありました。自社内には労働組合が存在しなかったため、これまでに団体交渉というものを経験したことがありません。  交渉事項は会社の役員の変更や労働環境の改善など多岐にわたっており、協議しても合意に至る見込みはないと考えています。 A  たとえ、外部の労働組合であっても、労働組合からの団体交渉については応じなければなりません。交渉事項について合意に至る見込みが低い場合であっても同様です。  仮に、団体交渉に応じなかった場合には、労働委員会という機関に申し立てをすることで、労働組合法に基づく救済を命令されることにつながります。 1 労働組合について  かつては、社内労働組合がある企業からの相談もありましたが、最近の相談では、外部の労働組合からの団体交渉の申し入れが増えているように思われます。  社内労働組合は、社内の状況を把握したうえで、会社の労働条件や労働環境の改善を目ざして活動していましたので、労働者全体にとっての改善に向けて話合いを進めるような場面も多く、必ずしも会社と対立するばかりではありませんでした。  ところが、最近は、労働組合からの団体交渉申し入れを受け、それにどのように対応したらよいのかわからないといった企業も増えています。会社からすれば、外部の団体からの突然の申し入れですので、まずは拒絶しようという発想になる場合も少なくありません。  しかしながら、労働組合からの団体交渉の申し入れは、労働組合法によって保護されていますが、会社としては、単純に拒絶するだけでは紛争の場面を拡大することにつながってしまうため、正しい知識を持って対応を試みる必要があります。 2 団体交渉について  労働組合が申し入れてくる団体交渉とは、労働組合法に基づくものです。団体交渉の意義は、労働者を集約することにより交渉力を増し、可能なかぎり会社と対等の立場に立ったうえで、労働条件の改善を目ざして活動することにあり、社内労働組合によって行われる場合には、ストライキなどの争議行為も背景にした交渉力が重要と考えられています。  外部の労働組合の場合は、労働者を集約しきれているとはかぎらず、必ずしも交渉力は大きくありません。現状では、労働組合法に基づく保護を前提とした交渉および労使間のコミュニケーションの場面としての価値が重視されているとも考えられます。  ここでいう労働組合法に基づく保護というのは、団体交渉を拒絶することは、「不当労働行為」という労働組合法に違反する違法な行為であるとされ、その効果として、労働委員会による救済命令の対象となることや、状況によっては不法行為に基づく損害賠償請求の根拠となることがあります。  「不当労働行為」とは、労働組合法特有の考え方ですが、労働組合の存在意義をなくさないための労働組合の活動に対する特別の保護ルールです。例えば、団体交渉についていえば、「使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと」が労働組合法では不当労働行為と整理されています。  したがって、今回のご相談も、「正当な理由がなく」団体交渉を拒絶してしまうと、不当労働行為となってしまいます。この規定を根拠として、会社には、誠実交渉義務があると考えられており、労働組合から求められた要求や主張に対して、具体的な内容を回答し、資料の提供もしながら、相互に合意に向けた努力を行わなければなりません。一方で、交渉が行き詰まってしまい相互に譲歩する余地がなくなった状況においてもなお、交渉を継続する義務まではありませんので、一定程度具体的な交渉を重ねた後であれば、団体交渉を打ち切ることも許されます。  なお、労働組合法がいう、「使用者が雇用する労働者」については、在籍中の労働者が含まれることは当然ですが、失業者なども含むと考えられていますので、団体交渉の交渉事項においては、解雇した労働者に対する解雇通知の撤回などが提示されることもあります。 3 労働委員会による救済命令について  万が一、団体交渉を正当な理由なく拒絶した場合、労働組合は労働委員会という公的な機関に対して、救済命令の申し立てという手続きをとることができます。個別の労働者が裁判所という第三者の公的機関に救済を求めることと比較すると、労働組合にとっての裁判所のような存在が労働委員会といえるでしょう。  裁判所との違いは、労働委員会による救済命令の方法は、裁判における判決とは異なり、柔軟な命令を出すことができる点でしょう。  例えば、団体交渉の拒否という不当労働行為に対しては、団体交渉を打ち切った理由を根拠として拒否してはならないと命じたり、一定の事項について誠実に団体交渉に応じることを命じる場合もあります。個別の事件ごとに、どのような命令によって不当労働行為を救済するかについては、労働委員会の裁量が広く認められています。  ほかには、不当労働行為を行ったことを陳謝し、今後くり返さないことを誓う内容を社内に掲示することを命じる場合もあります。 4 具体的な対応について  団体交渉の申し入れがあった場合、たとえ交渉事項が、応じる見込みがほとんどない場合であっても、これに応じることなく頭ごなしに拒否することは、不当労働行為に該当します。  したがって、まずは、団体交渉の場を設定し、労働組合からの質問や交渉に応じる必要があります。しかしながら、日時や場所については、会社の担当者の予定を調整する必要がある場合や、場所が一方的に定められている場合に、調整することを求めたとしても、ただちに団体交渉を拒否したことにはなりません。まずは、あわてることなく、日程および場所を調整することが必要です。なお、団体交渉においては、直接面会して交渉する義務も誠実交渉の一環として必要と考えられていますので、書面のやり取りのみで交渉することは得策ではありません。  次に、だれが、団体交渉に参加するのかという点も決める必要があります。会社の立場では、代表者を交渉の席に常に参加させるわけにはいかない場合もありますが、参加する担当者は、少なくとも誠実に交渉したとは認められる程度に権限を有している者とする必要があると考えられます。  また、誠実交渉を尽くしたといえるようにするためには、具体的な回答や資料を提示したうえで、交渉に応じることができない理由を説明し尽くしたといえなければなりません。団体交渉の席を設けても、同じことのくり返しになった場合は、交渉打ち切りを検討してもよい状況に至っていると考えられます。 Q2 どんなときに偽装請負と認定されるのか知りたい  取引先からの要望に基づいて、当社から数名の従業員を取引先に常駐させて業務に従事させています。  情報管理の側面から、取引先内部での業務処理が求められるといった状況や、取引先が導入しているシステムを利用しなければならないなどの事情があるのですが、このような場合においても偽装請負として問題になる余地はあるのでしょうか。 A  直接の指揮命令を発注者に行わせないこと、時間外労働や休暇取得の判断など労働時間の管理について発注者に行わせないこと、機械や資材の調達を自ら行ったうえで、賠償責任も負担することを前提とした契約とするなど独立性を維持する措置をとっておく必要があります。  なお、形式ではなく実質で判断され、故意に偽装請負を免れる目的がある場合には、労働者派遣法または職業安定法違反になるおそれがあります。 1 偽装請負とは(違反時の効力含む)  かつて、「偽装請負」が社会問題となり偽装請負について争われた事件が最高裁まで争われ、大きな話題となりました。  その後、厚生労働省などは、適正な請負(業務委託)とはどのような形態であるのかについて、整理してガイドラインなどによって公表しています。  ガイドラインなどの内容を検討する前に、そもそも「偽装請負」とは何が問題なのかを紹介しておきたいと思います。  社会的になぜ「偽装請負」が行われるようになったのかというと、派遣事業が法律により規制されることになる一方で、対象となる業務がかぎられていたことがあります。対象業務以外の業界においては、派遣の形式ではない、類似の方法を採用するために、業務委託や請負契約を締結し、実際には労働者を受け入れて、現場で直接指揮命令をしたり、労働時間を管理したり、給与を事実上決定するなどの状況が生じました。  労働者に対して、直接指揮命令をしてよいのは、直接雇用をしている使用者か、適法に実施した派遣契約に基づいて、派遣先が指揮命令する場合、出向中の労働者に対する出向先からの指揮命令にかぎられます。業務委託や請負契約に、たとえ直接の指揮命令が可能であると定められていたとしても、それは法令の適用を回避しようとしているに過ぎません。  偽装請負の方法によりますが、偽装請負は労働者派遣法に違反する、または職業安定法が禁止する労働者供給事業に該当する違法な行為になります。  労働者派遣法は、このような労働者派遣法の義務を免れる目的の契約によって労働者を受け入れた場合には、労働者は、派遣先に直接雇用を申し込む権利があり、受け入れ先はこれを拒否することができないとされています。 2 偽装請負と業務委託の区別について  それでは、業務委託や請負契約に基づき、労働者が外注先において執務することはまったく許されないのでしょうか。例えば、システム開発の現場では、受注した企業の労働者が、顧客に赴いて直接作業を行う形態での業務委託契約があります。このような場合が、すべて偽装請負となるわけではありません。  重要な点は、発注者は、受注した企業の労働者に対して、@直接の指揮命令を行うことはできないこと、A労働時間の管理を行わないこと、B発注先が事業者としての独立性を維持することなどがあげられます。これらの要件は、「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」(「昭和61年労働省告示第37号」と呼ばれています)において整理されています。  まず、@については、労働者に対する業務の遂行方法に関する指示その他の管理および業務遂行の評価等に係る指示やその他の管理を(受注者)自らが行うことが必要とされています。受注者が、自らの判断と責任で人員の配置を決定することを意味しており、例えば、発注者が面談した労働者を担当者にするなど、事実上、人員の選択を委ねている場合は、偽装請負の要素が強くなります。  次に、Aについて、労働時間の始業および終業時刻や休暇の取得や、時間外労働や休日労働の指示などについても(受注者)自らが行うことが求められています。発注者の事業所において執務している場合、時間外労働や休日労働の必要性については、間近で見ている発注者の方が判断しがちです。しかしながら、直接の指揮命令ができない以上、時間外労働などを含む労働時間の管理については、受注者が行わなければなりません。  さらに、B独立性の維持として、服務規律に関する事項に対する指示、労働者の配置の決定および変更を(受注者)自らが行い、さらに、業務の処理に要する資金を受注者が調達し支弁したうえで、独立した事業者として受注者が損害賠償責任を負担することなどが必要とされています。まず、服務規律については、懲戒権を有しているのはあくまでも受注者である以上、服務規律に関する指示などについても受注者が行えなければなりませんし、また、労働者の配置も受注者自身で決定できなければなりません。資金の支弁や損害賠償責任の負担については、受注者にとって不利益な要素のようにも見受けられますが、独立した事業者であるかぎりは、責任を負うことは一般的な契約においては通常の規定であり、それが排除されていることは独立性を疑わせる要素になります。  このほか、業務に必要な機械や設備、材料や資材は受注者自ら調達することや、自らの専門的な技術や経験に基づいて業務を処理することなどが求められています。特に、後者の内容から、単純労働については、労働者派遣法の適用を免れる目的があると見られやすいため、特に注意が必要でしょう。 3 具体的な対応などについて  ご相談の状況については、システム利用などの必要性があると見受けられますが、そのことのみをもって、偽装請負ではないとはいえません。  発注者の事業所で執務するのであれば、直接の指揮命令を受けることがないように留意する必要があります。よく採用される手法としては、直接の指揮命令を行わないことを前提に、連絡を取り合うために、相互に担当者を定めたうえで、状況を共有し、あくまでも受注者の立場で時間管理や休暇の調整などを実施する方法です。このような方法で連絡を取り合う場合でも、受注者が発注者の要望をそのまま労働者に命じており、自身の判断ではない場合、規定に違反する可能性が生じるため、独立性が維持されているとは評価されないので注意が必要です。 第12回 有給休暇の消化義務、産業医の役割の拡大と権限強化 Q1 有給休暇の消化義務についてくわしく知りたい  働き方改革にともない、使用者に有給休暇の消化が義務づけられたとのことですが、いったいどのような制度なのでしょうか。 A  2019(平成31)年4月1日以降に法定の有給休暇が一度に10日以上付与された労働者を対象として、当該付与された日から1年の間で5日以上の有給休暇を消化することが罰則つきで義務づけられました。  制度を遵守していくためには、消化義務の制度に加えて、休暇という制度自体の理解も整理しておかれるべきでしょう。 1 有給休暇の消化義務について  働き方改革関連法の改正により、使用者に対して、有給休暇の消化が義務づけられました。これまで、有給休暇といえば労働者の権利であり、使用者が手出しできるような権利ではなかったわけですが、今回の改正によって有給休暇制度自体に大きな転換があったといえるでしょう。  有給休暇の消化については、厚生労働省からは、「原則として丁寧に指導し、改善を図っていただく」と表明されていますが、罰則つきで義務づけられている以上、企業としては違反するということがないような体制を整えていく必要があります。  今回の有給休暇の消化義務を理解するにあたって、そもそも有給休暇の制度の理解が必要であり、有給休暇以外の特別休暇との区別も、社内で確認しておく必要がありますので、まずは、休暇制度自体を見直しておきたいと思います。 2 カウントされない休暇について  今回の規制の対象となるのは、労働者が労働基準法に基づき権利として取得する「有給休暇」です。  企業においては、有給休暇だけが会社の休暇とはかぎりません。例えば、会社の創業記念日などを休暇としている場合もあるでしょうし、最近では、労働者の誕生日などをバースデー休暇としている企業もあらわれています。このようなもの以外には、慶弔休暇などの設定も一般的に行われていることでしょう。  このように、休日とは異なる本来労務提供が義務づけられた日について、労務提供を免除することで休暇とするケースがあります。こうした休暇を有給にするか、無給にするかについては、企業の就業規則に明記することで自由に定めることができますが、この場合の休暇をたとえ「有給」にしたとしても、労働者が労働基準法に基づき権利として取得する「有給休暇」とは異なります。このような休暇は、企業が独自の基準で設けている「特別休暇」として整理されており、「有給休暇」の消化とはカウントされません。  このほか、注意していただく必要がある休暇として、時間単位の有給休暇取得について、労使協定を締結して認めている場合には、当該時間単位での有給休暇取得は、カウントされないことになっています。こちらは、特別休暇という異なる制度であることが理由ではなく、「有給休暇」の取得ではあるものの対象外とされています。基本的には、労働者の身体的疲労を回復させ、健康維持を増進するという背景もあることから時間単位ばかりの有給休暇を取得することは、その趣旨にそぐわないことが背景にはあると思われます。  なお、時間単位の有給休暇と類似の制度である、半日単位の有給休暇制度(労使協定の締結がなくとも就業規則の規定により導入できます)がありますが、こちらで有給休暇を取得した場合には、0・5日としてカウントすることができます。導入にあたっては、半日の単位を企業ごとに明確にするために、就業規則において半日の定義などを記載しておくことが望ましいでしょう。 3 対象者の整理と基準日について  有給休暇の消化義務の対象となるのは、一度の有給休暇の付与において、法定の有給休暇が10日以上付与される労働者です。累計10日以上の有給休暇が残っている労働者が対象ではありませんので、間違わないようにしましょう。  したがって、所定労働日数が少ないパートタイム労働者などにおいては、有給休暇の比例付与が実施されている場合には、10日以下の有給休暇の付与が行われることもありますので、対象外となる労働者も出てきます。  また、有給休暇制度に関連して、労働者ごとに、有給休暇を与えた時季、日数および基準日を明らかにした「年次有給休暇管理簿」を作成し、3年間保存しなければならないことも定められました。  1年間のカウントの起算点となる基準日は、有給休暇の付与日から1年間となります。法定通りに有給休暇を付与している場合には、入社日ごとに基準日が異なりますので、中途採用を中心にしている企業においては、労働者の数だけ基準日があるという状況も生じる場合があります。  有給休暇の付与日については、一斉付与などを採用して、付与日の統一を図っている企業もあろうかと思いますが、その場合は、有給休暇の消化義務の基準日の設定が特殊になります。  まず、@前倒して10日付与した場合には、当該付与した日を基準日として1年間の間に5日消化する必要があります。次に、A1年の間に付与日の重複が生じる場合には、1年目の基準日から2度目の付与日までの間(α日とします)と2度目の付与日を基準とした1年を経過する日までの間(1年+αの期間となります)で、長さに応じた比例按分をもって消化することも許容されることになっています。最後に、B一部の前倒し付与をしている場合は、前倒し付与した日から合計10日の有給休暇を付与された日までの間(β日とします)と当該合計10 日の有給休暇を付与された日から1年間(1年+βの期間となります)の間で5日消化する必要があります。Bに該当する場合は、2年目以降にAと同じ状況が生じるため、2年目はAと同様の基準で消化させることも許容されることになります。  こうみると、Bの付与方法を採用している企業は、3年目を迎えるまで、基準日が異なることになり、消化義務のカウントの管理が煩雑になるおそれがあります。 4 実際の有給休暇指定の方法について  有給休暇が消化されていないことを把握して、適宜指定を実施しなければなりませんが、そのための準備も必要です。  一つは、就業規則の改定です。有給休暇の指定命令については、現在の就業規則には記載がないはずですが、休暇に関する記載は絶対的必要記載事項であるため、記載することなく指定することはできず、記載せずに指定する場合には罰則の適用があると考えられています(労働基準法120条)。  また、実際の指定にあたっては、労働者の意見を尊重することが求められているため、メールやそのほかの方法で、労働者の意見聴取を実施したうえで、有給休暇の指定日を決定する必要があります。  企業における繁忙期に有給休暇の取得が困難であるなど、各企業の事情もふまえて、基準日から6カ月経過するまでに労働者からの意見聴取を実施したうえで、当該意見聴取の日から5カ月経過するまでの日を指定するようにすれば、労働者ごとに基準日が異なることを気にすることなく、5日の有給休暇を消化することができるのではないでしょうか。 Q2 労働基準法以外の働き方改革関連法について教えてほしい  働き方改革において、有給休暇消化義務や時間外労働の上限規制が取りざたされていますが、ほかに留意すべき規制や変更はないのでしょうか。 A  労働安全衛生法の改正によって、産業医の権限強化とともに、労働時間の把握義務の対象が管理監督者や裁量労働制、事業場外労働者にまで拡大されるなど、無視することができない変更が含まれていますので、留意する必要があります。 1 労働安全衛生法の改正  労働安全衛生法により、事業場における労働者が50名を超える場合には、産業医を選任する必要があります。同法の改正前における、産業医の役割としては、どちらかというと、非常時における面接指導や復職判断における主治医からの診断と比較するためのセカンドオピニオンとしての役割などが中心であり、日常的な関与が大きくない側面があったことは否定できないと思われます。  今回の改正において、産業医の権限が拡大され、期待される役割や職務の範囲も広がりました。そして、それにともない、企業の産業医に対する情報提供義務が強化された結果、企業においては労働時間管理を徹底していかなければならなくなりました。  また、労働者の健康管理に対する関与も強められています。これまでは、労働者と産業医が直接コンタクトを取ることは少なかったかもしれませんが、健康相談対応に必要な体制として、社内において選任した旨を周知するよう努めるものとされました。 2 産業医に対する情報提供義務  産業医を選任した企業は、労働者の労働時間に関する情報その他の産業医が労働者の健康管理等を適切に行うために必要な情報として、以下の情報を提供する義務を負うことになりました。 @健康診断の実施後の措置、長時間労働者に対する面接指導実施後の措置、ストレスチェックの結果に基づく面接指導後の措置などに関する情報 A1週間あたり40時間を超えて労働させた場合におけるその超えた時間が1月あたり80時間を超えた労働者の氏名と超えた時間に関する情報 Bその他健康管理に必要な情報(作業環境、作業不可の状況、深夜労働の回数・時間数など)  特に、Aの情報については、速やかに(2週間以内を想定)提供する必要があると整理されており、時間外、休日の労働時間把握を毎月適切に行っておく必要があります。なお、該当する労働者がいない場合においては、該当者がいない旨を通知する必要があり、また、このAに関しては、産業医だけではなく、労働者本人に対しても通知する義務があります。  Aに該当し、かつ、「疲労の蓄積が認められる」労働者は、産業医による面接指導の対象者となりますので、産業医と労働者の双方に通知することで、長時間労働による健康への影響の早期発見に資するための制度改正になっているといえるでしょう。時間外労働が80時間を超えた労働者が存在しない場合においても、該当労働者がいない旨を通知しなければならないため、時間外労働が少ない企業においても、産業医に対する情報提供義務が軽減されるわけではありません。  なお、時間外労働が80時間を超えている場合には、該当する労働者自身に対しても、通知する義務があり、該当労働者からの面接指導の申出が増加する可能性があります。 3 労働時間把握の対象について  前記A記載の事由に該当する労働者には、管理監督者やみなし労働時間制が適用される労働者を含め、すべての労働者が含まれることとなりました。  これまでの労働時間の適正な把握に関するガイドラインにおいては、管理監督者や事業場外労働によるみなし労働時間の適用がある場合は除外されていましたので、これまでの取扱いから変更されています。  「労働時間」そのものの把握ではなく、「労働時間の状況」の把握とされ、労働者の労働日ごとの出退勤記録や入退室時刻を把握することが求められています。労働者がいかなる時間帯にどの程度の時間、労務を提供し得る状態であったかを把握することとされていますが、「労働時間」そのものの把握との線引きは困難でしょう。  改正法の施行後は、管理監督者に関して労働時間の管理をすることは、管理監督者として評価されるために必要な時間管理を受けていないという要素との関係が問題となり、事業場外労働に関しては、「労働時間を算定し難い」という要件との関係が問題となるでしょう。  管理監督者についても、労働安全衛生法に基づき「労働時間の状況」の把握を行う必要がある以上、単にタイムカードを使用していることなどを理由として管理監督者性が否定されることはあってはならず、今後は、始業・終業時刻の拘束がないことの表れとして、遅刻や早退に対して制裁をもって不利益な処分をされないことが重要な要素になっていくものと考えられます。  事業場外労働については、労働時間の状況を把握することができれば、「労働時間を算定し難い」という要件を充足し難しくなることは否定しがたく、客観的な方法により把握できない場合に許容される自己申告制による労働時間の状況の把握を適切に尽くしていくほかないのではないかと考えられます。なお、自己申告制が許容されるためには、@労働者への適正な申告をするよう事前説明すること、A管理者にも同様に適正な申告をさせるよう事前説明をすること、B実態との合致について、必要に応じて実態調査を行い、相違があれば補正すること、C自己申告時間以上の労務提供が見受けられる場合には、労働者に報告させ、内容の適正さを確認すること、D適正な申告を阻害する措置を講じないことなどが必要とされたうえ、翌労働日までの申告が適当とされています。これらの要素を見直しながら、事業場外労働を適正に実施可能か確認しておくべきでしょう。 第13回 社員や退職者によるインターネット・SNS によるトラブル予防 Q1 労働者のSNS利用に制限を設けることはできるか  近ごろ、さまざまなSNSの利用が広がっており、これを利用する労働者も増えているように感じています。一方で、悪質な動画や写真をアップすることによって、会社が謝罪するような事態に至るなど、社内での活用に対して消極的にならざるを得ないと考えています。労働者のSNSの利用に対して、会社としてはどのような対応ができるのでしょうか。 A  SNSの利用については、基本的には私的な活動の一種であるため、これを全面的に制限することはできないと考えられますが、事業活動に関連する範囲においては、その利用方法などを制限することは許されると考えられます。  事後的な損害賠償請求によっては十分な被害回復とならないことが多いため、予防のための準備や従業員教育が重要となります。 1 SNSについて FacebookやTwitter、InstagramなどはSNSとして著名となっており、利用者は多数におよんでいます。  これらのSNSに関して、企業の公式アカウントを開設して、広報活動に活用している企業もあり、利用の仕方によっては非常に有用なツールとなりえます。  労働者によるSNSの利用については、不適切な情報を拡散することにより企業の信用を毀損(きそん)するおそれもあり、注意が必要です。しかしながら、企業の公式アカウントのような場合でないかぎり、SNSの利用は原則として、労働者の私的な活動として行われることになります。そのため、会社としてもどこまで制限してよいのか、就業規則に禁止規定を定めたとしても、どのような場面においてどの程度の処分が可能となるのかなど、判断がむずかしいところです。 2 私的な活動に対する制限について  会社が、労働契約に基づいて労働者を拘束できる範囲は、基本的には会社の業務と関連する行為にかぎられることになります。  例えば、業務外の行為によって逮捕・起訴された事件に対して、懲戒解雇処分を行った事案で、「従業員の不名誉な行為が会社の体面を著しく汚したというためには、必ずしも具体的な業務阻害の結果や取引上の不利益の発生を必要とするものではないが、当該行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類・態様・規模、会社の経済界に占める地位、経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から綜合的に判断して、右行為により会社の社会的評価に及ぼす悪影響が相当重大であると客観的に評価される場合でなければならない。」(日本鋼管事件、最判昭和49年3月15日)と判断されており、犯罪行為であった場合でさえも、私的な行為に対する労働契約上の制限や制裁を行うことは非常に限定的に解釈されています。  そのため、SNSの利用のうち、原則として、業務と関連する行為と判断できるか否かを基準として、労働契約または就業規則において、SNSの利用を制限した場合に有効となる範囲が画されることになるといえるでしょう。  規制対象を限定するにあたってのポイントとしては、@業務時間中であるか否か、A業務において得た情報を開示または漏洩(ろうえい)したものであるか否かを前提としつつ、例外的に、私的行為のうちでも、B会社の社会的評価を著しく毀損するなど、悪影響が重大であると客観的に評価される場合を対象として規制することを検討するべきでしょう。 3 トラブルを予防する方法について  SNSによる情報拡散をきっかけとしたトラブルが生じないようにするためにも、会社としても予防策を行っておく必要があります。  まず、就業規則において、SNSの利用を制限する規定を定めておく方法が考えられます。とはいえ、私的行為全般にまで規制をおよぼすことはできないため、禁止する範囲としては、「当社の従業員としての自覚をもって利用すること」などの抽象的な規定にならざるを得ません。より具体的に禁止しておくべき内容としては、私的行為のなかでも信用毀損にともなう会社に対する損害を生じさせる行為です。前述の判例も述べているとおり、私的行為に対して制限をおよぼすためには会社の社会的評価に対する悪影響が重大である場合に限定されているため、就業規則に定める禁止行為もこれに準じた内容を定めておくべきです。  就業規則の禁止行為として定め、懲戒事由として整備しておけば、違反があった場合には懲戒処分の対象とすることが可能です。懲戒処分の程度については、ケースバイケースで判断せざるを得ないですが、世論を大きく騒がせたうえで会社に重大な損害が生じたような事例でないかぎりは、懲戒解雇を行うことはむずかしく、おそらく、戒告や減給といった比較的軽微な処分から実施することにならざるを得ないでしょう。  懲戒処分を実施する段階に至った場合、会社に生じる悪影響に対する予防が叶わなかったことを意味しますので、就業規則の規定のみで十分とはいえません。  予防するためにより重要なのは、会社としてのSNS利用に対するポリシーやガイドラインなどを公表し、会社がSNSの利用に対してどのような意識を持っているのかということを明確にすることです。さらに、SNSの利用に関する教育を実施したうえで、ポリシーやガイドラインを社内に浸透させることが非常に重要です。  SNSに関して、その情報の拡散範囲や想像以上のスピードで拡散されることを意識せずに利用されていることが、炎上の原因にもなっていますし、また、古い情報であってもデータは蓄積され、情報としては保存され続けていることから、忘れたころに話題になることがあることも意識づけておかなければならないでしょう。 4 炎上する投稿と損害賠償について  SNSへの投稿内容が、広く拡散されたうえ、大量の批判にさらされた結果、会社の社会的評価を低下させるようなことがくり返されています。  このような行為に対して、労働者に対する損害賠償請求などしかるべく法的措置をとることを表明している企業もあり、このようなSNSを通じた炎上により企業に対する信用を毀損した結果として生じた損害については、労働者に対して損害賠償請求を行うことが可能と考えられます。  とはいえ、会社の信用を毀損した結果生じた損害が、金銭的な評価としてどの程度であるかを特定すること自体がむずかしい問題でもあることから、損害賠償請求により会社に生じた損害を回復しようとしても十分な損害賠償請求ができるとはかぎりません。  さらに、会社の労働者に対する損害賠償請求については、会社が労働者の労務提供を通じた事業活動により利益を得ている以上、そのリスクも甘受すべき範囲があるとの考えから、損害の全額の賠償を認める裁判例は少なく、せいぜい、4分の1から2分の1までの範囲に制限されることが多くなっています。  損害が金銭賠償により一部回復されたとしても、失われた信用まで回復するとはかぎらないことも含めて考えると、SNSの利用に対する制限などによって、現代の会社にとって、炎上を予防することの意味は非常に大きくなっているといえるでしょう。 Q2 退職者のものと思われるインターネット上の書き込みに迷惑している  当社の社内における人事の事情や給与体系などが、インターネット上に書き込まれており、採用活動に支障が出ています。おそらく退職者によるものと思われますが、記載された内容には、事実と異なる内容も含まれているため、非常に迷惑しています。このような記載を削除させることはできないのでしょうか。 A  インターネット上の書き込みについては、プロバイダを特定したうえで、削除請求することが可能です。事実と異なる内容によって、会社の信用を毀損していることが前提となるため、事実関係をしっかりと調査することが重要です。 1 インターネット上の書き込みについて  労働者が会社を退職した後に、会社の評判を下げるような書き込みを行ったり、SNSを利用して発信することがあります。労働基準法違反に至っていなくても、他社との比較において相違する点があれば、安易に「ブラック企業」などの表現を用いて、批判がくり広げられることもあります。  インターネットに記載された口コミや評判はだれの目にも触れることになるうえ、特に採用活動においては、各企業の評判などを検索したうえで、就職先を探すことも多いため、その影響を甘く見ることはできません。  このように会社にとって無視することができない影響をおよぼすインターネット上の口コミや書き込みに対して、会社はいかなる措置をとることができるのでしょうか。 2 プロバイダに対する削除請求2  会社の信用を毀損するような内容のインターネット上の書き込みや発信については、プロバイダ責任制限法に基づきインターネットプロバイダを介して、削除請求することができます。インターネットプロバイダとは、書き込みなどが可能となっているサイトにおいては、一般的には運営会社などが該当することになります。  書き込みを行った者に表現の自由がある以上、本人以外が当該表現を削除することは控えるべきと考えられていますが、会社の信用を毀損するような表現を放置することは、被害の拡大に寄与することにつながるため、プロバイダが本人に対する意見照会を行ったうえで、特段異論がない場合などには、本人に代わって削除をすることが認められています。  プロバイダ責任制限法に基づき、削除を請求するにあたっては、どのような記載によって会社の信用が毀損されたのかを特定したうえで、当該記載が事実と異なるのか否かを含めて説明することが必要となります。  任意で削除請求をする場合には、プロバイダ責任制限法に基づく定型書式がインターネット上に公開されており、それに基づき削除請求を行うことで、必要な記載内容などは充足することができます。  また、最近のWebサイトでは、削除のた めの問合せフォームなどを用意しており、当該フォームを通じて削除を請求することで対応を求めることも可能です。ただし、この削除フォームを用意するか否かはサイト運営者の方針次第であるため、プロバイダ責任制限法に基づく請求方法も活用せざるを得ない場合も多いでしょう。  5ちゃんねる(かつての2ちゃんねる)など、任意での削除に応じない方針を採用しているプロバイダもあるため、その場合は、裁判所に仮処分を申し立てたうえで、裁判所による決定を取得し、削除させるといった手続きをとる必要があります。  さらに、サーバーやプロバイダが海外に所在していることもあるため、海外の運営者に対する請求が必要となる場合もあります。海外の企業に対しては、原則として、日本のプロバイダ責任制限法がおよばないため、任意の削除フォームなどを利用しながら削除を求めていくことになります。  プロバイダごとに対応が異なるうえ、サイト上に運営会社を明記していないサイトもあるため、運営しているプロバイダの特定が容易ではない場合もあります。プロバイダを特定しきれない場合には、削除請求に対応している弁護士などの専門家に相談したうえで、対応を検討していくべきでしょう。 3 労働者本人に対する対応について  プロバイダ責任制限法に基づき請求できるのは、削除および、発信者情報の開示です。すなわち、書き込まれた内容のみでは情報を発信した当事者を特定できない場合に、発信者を特定するために必要な情報の開示を受けたうえで、本人に対して、削除や損害賠償請求を行う措置をとることも可能です。ただし、プロバイダは発信者の氏名や住所などの情報を有しているとはかぎらないため、最終的な発信者情報を取得するために複数の経由プロバイダなどへ数段階にわたって、発信者情報の開示請求が必要となる場合もあります。  Twitterでの発信は、アカウントから発信者の特定ができているのであれば、プロバイダではなく本人に対して直接削除請求や損害賠償請求を行ったほうが早期の解決が得られる場合もあります。  在籍中の労働者による発信であった場合には、就業規則に「会社の信用を毀損した場合」などを懲戒事由としている場合には、懲戒処分の対象とすることが可能と考えられます。まずは、懲戒事由が定められていることを確認したうえで、本人から投稿の意図などのヒアリングを実施し、厳重に注意するとともに、発信内容を削除するよううながすべきでしょう。  退職者による発信であった場合には、懲戒処分の対象とすることはできませんが、事実と相違する内容を発信して、会社の信用を毀損したのであれば、削除および損害賠償を請求していくことを検討しましょう。なお、このような場合に備えて、退職時には、会社の信用を毀損するような言動を行わない旨を定めた誓約書を取得しておくなど、あらかじめこのような対応が必要となる事態を予防しておくことも重要です。 第14回 有期雇用の雇止めと期間・回数制限、死亡退職金の帰趨(きすう) Q1 有期雇用に期間の上限や、更新の回数制限を設けることはできるのか  有期雇用について、更新の手続きを適切に行うことなく、更新の基準があいまいな場合、契約期間が満了したことを理由に契約を終了させることができなくなると聞きました。  そのため、更新手続きを厳格に行うようにしたうえで、有期雇用の上限期間として3年と定めるようにしています。このように上限期間を定めておくことで、有期雇用は期間満了を理由に終了させることがかなうでしょうか。  また、65歳以降は更新しないことも定めているのですが、こちらは有効となるのでしょうか。 A  有期雇用の期間満了時に契約を終了させる場合に、@無期雇用と同一視される状態であるか、A更新することに合理的な期待が認められる場合、解雇権の行使と同様に、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性が必要とされます。  更新回数の上限を定めておくことは、更新への期待を打ち消す事情となるでしょう。また65歳を限度と定めることは、体力の低下と業務内容、事業規模による個別判断の困難性などをふまえ、有効な規定と判断される可能性が高いでしょう。 1 有期雇用の雇止めについて  労働契約法第19条は、有期労働契約に関して、@過去に反復更新したことがあるものであって、期間満了時に終了させることが、無期労働契約の労働者に解雇の意思表示をすることと社会通念上同視できる場合(以下「実質的無期契約型」)、または、A更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められる場合(以下「合理的期待型」)のいずれかに該当する場合には、客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、同一の労働条件で更新したものとみなされる旨を定め、有期雇用労働者を保護しています。  この規定は、有期雇用労働者に対する雇止めの効力を制限して、有期雇用労働者を保護しようとするものです。  とはいえ、業務の状況をふまえた雇用の調整としての機能や、専門的な領域における能力を図るために比較的長期の雇用を行う場合など、有期雇用であるからこそ雇用するという場面があります。このような場合に、契約期間満了を実現するために、さまざまな工夫をしている使用者がいます。 2 更新手続きの実施方法について  有期雇用の更新方法については、法律上その方法について明確には定められていません。そのため、自動更新に近いような形で更新することも可能です。  しかしながら、前述の通り、実質的無期契約型となった場合には、無期労働契約と同様に有期労働契約を満了する際に、当該労働者に対する雇止めの効力が規制されることになります。  有期労働契約としての効力を維持するためには、更新時の手続きを形式的なものにせず、厳格化する必要があります。  具体的には、有期労働契約の更新時において、きちんと書面を交わしなおすこと、更新の際に説明を尽くして有期労働契約の更新基準を労働者に理解させることが重要です。更新基準については、実質的な基準として機能させなければならず、過去に更新基準に即した雇止めの事例が存在するか否かということも重視される傾向にあります。 3 更新回数や更新期間の上限設定について  無期転換ルールが定められたことも一因と思われますが、有期労働契約において、更新回数の上限や更新期間の上限を定める例が増えているように見受けられます。これらの上限を設けることが、有期労働契約を満了させることに役立つのでしょうか。  高知地裁平成30年3月6日判決(高知県立大学後援会事件)は、就業規則において「契約職員の雇用期間は、1会計年度内とする。ただし、3年を超えない範囲において更新することができる。」と定めていた事例について、「就業規則において、契約職員の通算雇用期間の上限を3年と明確に定めていたこと」、「有期雇用契約を更新する場合も、管理職による意向確認や契約期間を明記した労働条件通知書の交付といった手続をとっていたこと」、「原告の契約の更新回数は2回にすぎず、通算雇用期間も3年にとどまっていたこと」、「原告の給与計算を主とする業務は、(中略)、ルールに従って一定の処理を行うもので、(中略)、代替性が高いもの」などを考慮のうえ、労働契約法第19条2号の合理的な理由のある期待があったと認めることは困難としました。  最高裁平成28年12月1日判決においても、「3年を限度に契約を更新することがある。」と定められている事案について、契約期間の更新限度が3年であることが明確に定められており、このことを労働者も十分に認識していたうえで労働契約を締結したものであることから、「更新限度期間の満了時に当然に無期労働契約となることを内容とするものであったと解することはできない」とされています。ただし、この事案については、契約期間が試用期間としての機能も同様に果たしていたことや大学の講師としての業務であったという特徴もあったため、その点にも留意すべきとの補足意見も付されています。  更新手続きが厳格に行われていたことも重要な要素とはされていますが、更新期間の上限を定めておくことで、合理的期待を生じさせにくくする要素として機能することがあること自体は広く肯定されています。 4 高年齢者と更新制限について  さらに、最高裁平成30年9月14日判決においては、満65歳に達した日以後は有期労働契約を更新しない旨を定める就業規則の有効性について判断されました。更新回数が多数回にわたるような有期労働契約も含めて当該規定の適用を受ける可能性があるという点に特徴があります。  同判決においては、「期間雇用社員が屋外業務等に従事しており、高齢の期間雇用社員について契約更新を重ねた場合に事故等が懸念されること等を考慮して定められたものであるところ、高齢の期間雇用社員について、屋外業務等に対する適性が加齢により逓減(ていげん)し得ることを前提に、その雇用管理の方法を定めることが不合理であるということはできず、被上告人の事業規模等に照らしても、加齢による影響の有無や程度を労働者ごとに検討して有期労働契約の更新の可否を個別に判断するのではなく、一定の年齢に達した場合には契約を更新しない旨をあらかじめ就業規則に定めておくことには相応の合理性がある。」として、上限年齢を定めること自体の有効性を肯定しました。  当該上限規制が有効であることを理由に、実質的無期契約型と認めず、更新手続きも65歳以上の更新がない旨の説明書面が交付されていたことなどを考慮して合理的期待型とも認めず、有期労働契約が終了していると認めました。  最高裁判決の事案においては、有期労働契約に上限年齢を定めることの合理性については、体力の低下と業務内容のほか、事業規模による個別判断の困難性をあげているため、すべての使用者にとって同一の判断がされるとはかぎりませんが、定年制自体の合理性が否定されないかぎりは、有期労働契約の上限年齢の効力も肯定されやすいとは考えられます。 Q2 従業員の死亡退職金の支給を相続人が受け取らないと申し出てきた  当社では、従業員の死亡時に退職金を支給する旨を定めています。このたび、亡くなった従業員の相続人が、「相続放棄を行うので退職金を受け取ることができません」と申告してきました。事情をうかがうと、消費者金融から多数の借入れをしていたようであり、到底返すことができないので、相続放棄をするほかないというのです。  当社は、退職金を支給する必要はないと考えてよいのでしょうか。 A  退職金規程の定め方次第で、結論が大きく異なりますので、しっかりと確認してください。  支給対象者が、「配偶者」など個別に定められている場合には、相続財産には該当しないため、支給しても相続放棄には影響しない場合もあります。なお、支給対象者が「相続人」などになっている場合には、相続放棄をした方の次順位の相続人を調査して支払う必要があります。 1 相続と相続放棄について  「相続」という言葉は一般的にも理解されているかと思いますが、その制度に関する全体像を把握されているわけではないでしょう。配偶者が2分の1を相続し、子どもが残りの2分の1を分け合うということは、よく知られているでしょう。  しかしながら、すべての人が相続財産を引き継ぎたいと思っているわけではありません。相続の対象となるのは財産ばかりではなく、債務、典型的には借金なども承継することになるからです。例えば、質問にあるように、消費者金融の借入金がたくさんある場合には、相続をすることでむしろ残された遺族の財産までも借金の返済に充てなければならなくなってしまいます。  このような場合に用意されている制度として、相続財産の範囲で債務を弁済して残余財産が生じる場合にのみ相続をする「限定承認」という制度や、相続財産と債務のすべてを一切相続しないことを選択する「相続放棄」という制度があります。  これら以外のいわゆる一般的な財産も債務も承継する相続を行うことを「単純承認」といいます。民法は、一定の場合には、自動的に単純承認したと認めることにしています。例えば、相続人が相続財産の全部または一部を処分したときや、相続人が、限定承認または相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部もしくは一部を隠匿(いんとく)し、私的にこれを消費し、または悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったときなどがこれに該当します。  つまり、相続放棄や限定承認の制度を利用するためには、相続財産に該当するものを受け取って使用してしまうと、相続放棄ができなくなってしまうことがあるのです。そのため、遺族としては、退職金を受け取って何かに使用してしまった場合に相続放棄ができなくなるのではないかと考えて、受領自体を拒否されるようなことにつながります。 2 死亡退職金制度について  そもそも、労働者の死亡退職金は相続財産となるのでしょうか。  原則としては、労働者がこれまで働いてきた賃金の後払いとしての性格と功労報償としての性質を併せ持つ退職金は、労働者に生じる退職金請求権であり、相続財産に含まれるという考え方が採用されます。しかしながら、死亡退職金に関しては、そもそも、支給対象となる労働者自身が死亡により存在しなくなってから支給されることが想定されていることから、就業規則などにおいて、支給対象者が別途定められていることがあります。また、当該支給対象者の順位について、必ずしも相続と同様ではなく、生計を同一にしている者などを優先的に支給することにしている例もあります。  判例においては、就業規則や退職金規程などにおいて、相続と異なる順位が定められている場合や、受給者が明確に定められている場合などには、遺族の生活保障を目的としていることなどを理由に、遺族固有の財産であり、相続財産とはならないと判断されています。このような判断は、生命保険金の受給者に対する裁判例の傾向とも合致しています。  とはいえ、退職金の受給者として「生計を同一にしている配偶者」などと指定して記載するのではなく、「相続人」などと包括(ほうかつ)して記載している場合には、相続人が確定しないかぎりは支給できないことになるうえ、相続財産とは異なる固有の財産として位置付けているとは評価されないため、相続財産に該当することになります。  したがって、就業規則や退職金規程などに「生計を同一にしている配偶者」などの具体的な受給者が明記されている場合には、遺族固有の権利として、退職金を受給することができます。 3 相続人への弁済時の留意点  就業規則や退職金規程などに受給権者が定められていない場合には、労働者の相続財産となるため、相続放棄を希望している遺族には支給することができません。  しかし、だれにも支給しなくてもよいわけではなく、その場合、次順位の相続人を調査して支給対象者を探さなければなりません。子が全員相続放棄した場合には、直系尊属(典型的にはご両親)が相続人となり、直系尊属がいない場合または全員相続放棄したときは、兄弟姉妹が相続人となります。  また、相続人に退職金を支給する際には、真実の相続人であるか否かを確認したうえで支給しなければ、使用者としては、二重払いを強いられるおそれがあります(虚偽の相続人には返還を求めることはできますが、すでに費消してしまって回収できないこともあります)。そのため、相続人であることを確認するために、支給を求める相続人からは戸籍の提出を受けたうえで、相続関係にあることを明確にしておくべきでしょう。  一方で、相続人調査のために必要な戸籍は、ご本人に提出していただかなければ入手できません。相続人との連絡もとれず、支給ができないままにしたくない場合には、弁護士などに依頼し戸籍調査をすることも可能です。 第15回 懲戒処分、業務請負と労働者性 Q1 懲戒処分を行ううえでの留意事項について知りたい  社内において従業員の重大な非違(ひい)行為※が発覚し、懲戒処分を実施しなければならないと考えています。これまで、懲戒処分を実施したことがほとんどないため、懲戒処分を行うにあたって留意すべき事項を教えてください。 A  懲戒処分を行うためには、就業規則上に懲戒の種類と懲戒の根拠となる懲戒事由の規定が必要です。  また、懲戒権の濫用(らんよう)に該当する場合は無効となるため、合理的な理由および相当性が必要とされています。これらの要素の判断にあたっては、不遡及(ふそきゅう)の原則、二重処分の禁止、平等原則などの要素が考慮されています。  そのほか、懲戒処分の手続きに関して、弁明の機会を与えておくことや、懲戒理由を後日追加しないことなどについても留意が必要です。 1 懲戒処分について  労働契約法第15条は、「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする」と定めていますが、懲戒処分の根拠や種類については触れられていません。  また、労働基準法においても、減給処分の限界などは定められているものの、それ以外の懲戒処分の種類などは明示されておらず、ただ、同法第89条において「表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項」を就業規則において定めることができると触れられているにとどまります。  現行法の下では、就業規則上に制裁の根拠を定めることにより、使用者が懲戒権を行使することが可能となると考えられており、@懲戒事由(懲戒処分の対象となる行為や禁止事項)およびA懲戒の種類(戒告、譴責(けんせき)、減給、出勤停止、降格、諭旨解雇、懲戒解雇など)を定めておくことが必要と考えられています。 2 懲戒事由の限界  就業規則に懲戒事由を定めておくことで懲戒処分の対象とすることができるといえども、いかなる行為であっても対象とできるわけではありません。  就業規則は、あくまでも労働契約を補完するものであるため、根本的には労働契約と関連性がある範囲、すなわち、職務上の行為を対象として定めることが原則です。  したがって、私生活上の非行、例えば、犯罪行為(自動車運転過失致死傷罪や窃盗罪など)が行われたことを理由として懲戒処分を行うことは、原則として、許されません。とはいえ、私生活上の非行が使用者の事業にまったく影響しないともかぎらないため、事業活動に直接の影響があるような私生活上の行為(労働者の犯罪行為が使用者の営業停止等の処分につながるケースなど)や、私生活上の行為が結果として企業の信用を毀損(きそん)するような行為については、懲戒処分が許容される場合もあります。  近年、問題となっているのは、SNSなどのプライベートにおける発信が、使用者の信用へ影響するようなケースですが、このような場合に対応するためには、「使用者の名誉信用を毀損するような行為」を懲戒事由として規定しておくことが必要でしょう。 3 懲戒権濫用の中身  客観的な合理性および社会通念上の相当性がなければ、懲戒権は無効となりますが、いかなる要素が考慮されるのでしょうか。  懲戒事由が客観的に存在していること自体は必要ですが、それ以外にどのような要素が考慮されるのかについては、主要な考慮要素として、「不遡及の原則」、「二重処分の禁止」、「平等性の原則」などに整理されています。  「不遡及の原則」とは、非違行為が行われた当時の就業規則に基づかなければ懲戒処分を行うことはできず、非違行為の後に就業規則を改定して懲戒処分の対象とすることはできないという意味です。そのため、懲戒事由については、自社にとって禁止すべき行為が網羅されているか、現在の社会的な情勢をふまえているかなど、定期的に見直すことで、十分な内容が定められているか否か確認しておくことが望ましいでしょう。  「二重処分の禁止」とは、一度、懲戒処分を行った場合には、後日、その処分を重くしたり、複数回にわたって懲戒処分を行ったりすることはできないという意味です。例えば、懲戒事由の調査や処分の程度を検討することを目的に、一度、出勤停止の懲戒処分を科したのち、調査結果をふまえて懲戒解雇を行うようなことは許されないと考えられています。この場合、出勤停止については懲戒処分としてではなく、自宅待機命令といった業務命令の一環で行う必要があり、その場合、労働者の責に帰すべき事由がないかぎりは、少なくとも休業手当として6割の賃金を支払う必要があると考えられます。  「平等性の原則」は、懲戒処分を行うにあたってもっとも留意する必要がある原則の一つです。社内において同等の非違行為に対しては、同程度の処分をもって臨むべきであるという考え方です。非違行為については、さまざまな行為が想定され、同じ行為は一つとして存在しないと考えられますが、非違行為による損害の程度、反復継続性、処分歴などをふまえて、平等性を欠くことがないように留意する必要があります。また、初めての懲戒処分であっても、平等性の原則は無関係ではなく、今後の懲戒処分にあたって先例として評価されることをふまえて、懲戒処分の程度を検討し、将来にわたって規律を維持することを意識する必要があるでしょう。  これらの原則以外にも懲戒の種類は総合的に考慮されることになるため、不遡及の原則に類似する考え方として、非違行為当時の懲戒事由に基づくものではあるものの、非違行為が行われてから長期間経過したケースにおいて、懲戒権の濫用と判断されたものもあります。 4 懲戒処分の手続きについて  懲戒処分を行うにあたって、非違行為が存在することを客観的に明らかにすることが必要ですが、労働者の動機などもふまえて処分を決定する必要があります。  そのような点を明らかにするために、懲戒処分を行う前に、非違行為者に対して「弁明の機会」を付与することが手続き的な正当性を維持するために重視されています。  使用者によっては、就業規則や懲戒規程などにおいて、懲戒処分の手続きや審査方法として、懲戒委員会を組織し、同委員会において弁明の機会を与えたうえで、最終的な懲戒処分を決するものとしている場合があります。このように就業規則において懲戒手続きを定めた場合、使用者もこの手続きを遵守しなければならず、これに違反する場合、懲戒権の濫用に該当するものとして、懲戒処分が無効となる可能性が高くなります。  また、懲戒処分の際に懲戒事由としていなかった理由を、後日、懲戒処分の有効性を維持するために追加することは、弁明の機会を与えることなく懲戒処分を行うことにつながるため、原則として許されないと考えられています。 ※ 非違行為……違法行為のこと Q2 社内に常駐する業務委託者は、労働者と違うのでしょうか  当社には、当社の業務を受託した個人が常駐しながら、業務を行っています。職場内では、座席も与えられており、ともに業務を遂行することもあるのですが、直接雇用されている労働者との違いはあるのでしょうか。  日常業務において接するにあたって、留意すべき事項はあるのでしょうか。 A  労働者であるのか、業務委託であるのかについては、実態に即して判断されることになります。業務委託の形を整えただけであれば、実質的には労働者である場合、労働基準法や労働者派遣法などの規制が適用されることになり、法令違反を引き起こす恐れがあります。  使用従属性の判断基準をふまえて、労働者と判断されないように留意する必要があります。 1 業務委託と労働者性について  労働基準法第9条において、「この法律で『労働者』とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と定められ、労働契約法第2条においても、「この法律において『労働者』とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう」とされており、その定義は複雑ではありません。  要素としては、「使用者に使用されて、賃金を支払われる者」という整理になりますが、業務委託を受注する個人についても形式的にはこれに該当しそうです。とはいえ、労働契約と業務委託契約では、その求める内容や契約当事者の意識も異なるはずです。したがって、これらの区別については、形式のみではなく実態をふまえて判断することとされています。  この場合の「実態」を判断するための基準とされているのが、使用者に「使用」されていること、つまり、「使用従属性」があると評価ができるか否かということになります。 2 労働者と判断されることのリスク  たとえ、業務を受託している個人が、労働者であると判断されたとしても、法的なリスクがないのであれば、気にする必要はありません。  しかしながら、かつては、請負という名の労働者派遣について、「偽装請負」と評され話題になったときと同様の問題が生じることになります。  受託者が個人ではなく企業であり、当該企業の労働者が業務遂行のために常駐する場合において、これが業務委託に基づくものではなく、労働者自体を供給するものである場合、職業安定法が禁止する労働者供給事業に該当するおそれがあるほか、労働者派遣法が禁止する無許可派遣業に該当するおそれがあります。これらの違反については、罰則が定められており、受注者側の企業にとっても大きなリスクとなる可能性があります。  また、委託であることを前提に、時間外割増賃金を支給していなかったり、休日の確保が十分でなかったりすると、実態が労働者であると判断された場合には、労働基準法違反も生じることになります。 3 使用従属性について  「使用従属性」という考え方が示されたのは、昭和60年12月19日付「労働基準法の『労働者』の判断基準について」と題する労働省(当時)の報告です。  判断基準の要素について、@仕事の諾否(だくひ)の自由の有無、A指揮命令の有無、B時間や場所の拘束性の有無、C代替性の有無、D報酬の労務対償性の有無(労働時間の対価であるか否か)、E事業者性の有無(用具の負担関係、報酬の額)、F専属性の有無、Gそのほか(採用選考過程の雇用類似性の有無、福利厚生の適用関係、就業規則の適用の有無)などをあげています。  このほか、派遣労働者との区別として、「労働者派遣事業と請負により行われる事業の区分に関する基準」(通称「37号告示」)も存在しており、こちらもよく参照されます。判断の要素は類似していますが、こちらについては、受託者の独立性のほか、単に肉体的な労働力を提供するものではないこと、逆にいえば、専門性のある業務を任されていることが考慮要素に加わっていることが特徴といえます。  当職は、この判断基準については、判断要素が多すぎるがゆえに、実態判断を困難にしているという印象を抱いていますが、裁判例においては、これらの要素をふまえて総合考慮の結果として、直接雇用の労働者との比較なども参照しながら、事業主と評価できるか、労働者性を帯びているかを判断しています。 4 判断するにあたってのイメージについて  判断基準に照らしても、なかなか個別の判断を行うことは困難ですが、イメージとしては、労働者とは異なり、個人が経費や損害発生時のリスクを負担している一方、拘束の程度が労働者と同等にまでおよんでいないことが必要という認識を持っていただくべきと考えています。  常駐型の業務委託の場合、場所的な拘束は避けがたい状況であるところ、場所的な拘束が避けがたい理由として、例えば、作業対象のシステムが社内に存在しており、そこ以外での作業は不可能であることなどを明確にしておくべきと考えられます。また、それ以外の拘束の要素についての拘束力を弱めるために、時間的な拘束を緩和したり、直接の指揮命令を行ったりしないよう留意しておかなければ、労働者性を肯定される恐れがあります。  報酬の定め方についても、時給に近いような定め方を採用することは、労務対償性が肯定されてしまう要素にもなるため、業務成果に対して支払いが行われるような内容にしておくことも重要であり、業務委託であることを維持するのであれば、源泉徴収や社会保険の加入などを行うべきではありません。  そのほか、単純な肉体労働ではなく、専門性を有した代替性が低い業務であるかといった点も確認しておかれる方がよいと考えられます。 第16回 人事考課、賃金からの相殺 Q1 人事考課の査定結果への不服申し出は法律的にはどうなっているのか知りたい  従業員から、年に一度の人事考課による査定結果について、不服があるという申し出がありました。  前年度の成果からすれば、ほかの従業員と同程度の昇給にとどまるのはおかしく、この査定結果は賞与の支給額にも関係するので、査定結果を見直すよう求められています。  人事考課における査定に対して、従業員が不服を申し出ることはできるのでしょうか。 A  法的には、人事考課における不当な取扱いがあった場合に、損害賠償請求を行う余地はあります。しかしながら、昇給や賞与の支給に関する場合には、使用者に広い裁量が認められるため、違法となることはほとんどないといえるでしょう。  ただし、就業規則などで定めた評価項目・評価対象期間を遵守することや、法令に違反するような不当な差別的な取扱いを行うことは許されません。 1 昇給・賞与に関する人事考課について  過去に降格および降職に関して解説しましたが(2019年1月号掲載)、今回は、昇格・昇給や賞与に関する人事考課に関する相談です。  日本の企業の多くは、職能資格制度を採用している場合が多く、「職能資格」については、一度身についた能力を前提に等級が定められており、これを引き下げるためには、厳格な判断がなされる傾向にあります。  それでは、職能資格の引上げが納得いかない場合に、労働者からの再査定などの要求にこたえなければならないのでしょうか。また、これが賞与の査定に影響する場合はどのように考えられているのでしょうか。 2 昇給における査定結果について  多くの企業では、年に一度の人事考課を行い、その査定については、管理監督者からの一方的な評価による場合や、労働者自らが立てた目標の達成度をふまえた評価制度を採用するなど、さまざまな方法による査定が実施されています。  労働関連法規においては、特定の評価方法を採用することが定められているわけではなく、人事考課における査定方法については、使用者の裁量により決定することが可能であり、その裁量の範囲も広いものと考えられています。また、いかなる査定方法を採用するかに加えて、当該査定における各労働者の評価方法についても、基本的には使用者の裁量により決定されることに委(ゆだ)ねられています。  例えば、昇給の査定に関して、裁判例において、「昇給査定は、これまでの労働の対価を決定するものではなく、これからの労働に対する支払額を決定するものであること、給与を増額する方向での査定でありそれ自体において従業員に不利益を生じさせるものではないこと」をふまえて、賃金規程においては、人物・技能・勤務成績および社内の均衡などを考慮し、昇給資格および昇給額などの細目については、その都度定めると規定されていたことから、「従業員の給与を昇給させるか否かあるいはどの程度昇給させるかは使用者の自由裁量に属する事柄というべきである」と判断された事例があります(広島高裁平成13年5月23日判決、マナック事件控訴審)。  昇給時における人事考課の査定について、争いになる事件はそれほど多くありませんが、この裁判例において示された傾向は、人事考課および査定を法的にどのように位置づけるのかについて基本的な考え方を示しているといえるでしょう。  なお、賞与の査定についても、同事件では、「一般的に賞与が功労報償的意味を有していることからすると、賞与を支給するか否かあるいはどの程度の賞与を支給するか否かにつき使用者は裁量権を有するというべき」と判断されており、使用者が広い裁量を有するという点は共通しています。 3 違法となる基準について  使用者に広い裁量を認めたからといって、まったく違法となる余地がないわけではありません。実際、前述したマナック事件においては、昇給の査定および賞与の査定に関して、裁量の範囲を逸脱して違法であると判断した部分もあります。  まず、評価対象とする期間が定められている場合は、対象とする期間外の出来事を考慮することは、裁量権を逸脱したものと評価されることにつながります。マナック事件においては、評価対象期間外の出来事を考慮していたと判断された結果、裁量権の逸脱があると認定されました。  次に、評価項目を定めている場合に、当該評価項目以外の事項を基準に評価を下げたりすることも、裁量の範囲を逸脱することがあります。例えば、直属の上司の評価を大幅に下げる評価を行った行為が、評価対象の労働者の態度に好感を持てていなかったことが原因であるとされ、裁量権の逸脱を認定された事例があります(東京高裁平成23年12月27日判決)。評価項目の設定は、可能なかぎり客観的かつ公平な評価を目的として設定されているはずですので、これを主観によって恣意(しい)的に運用する場合には、本来の人事考課の目的とは異なる不当な動機や目的をもって査定を実施したものとして、違法と評価されることがあるということです。  これら以外には、法律が不当な差別的取扱いを禁止している場合に、違法と評価されることがあります。例えば、同一の成果や人事考課を受けている労働者について、男女の差異を理由として、昇給額に差を設けることは禁止されています(男女雇用機会均等法第6条第1号参照)。 4 本件における対応について  不服を申し出ている労働者が、査定結果に対していかなる理由や根拠に基づいて査定のやり直しを求めているのかを把握する必要があります。  一方で、評価を行った直属の上司などに対しても、評価の根拠を確認したうえで、会社が定めた評価方法に則して実施されているかを確認しておくべきでしょう。  評価の前提となる事実関係に誤りがある場合や、上司が恣意的に過小評価している場合には、違法となるおそれがありますので、査定結果を是正すべき場合もあります。  上司が評価を恣意的に行っているか否かを把握するためには、不服を申し出た労働者以外の労働者、特に同程度の成果と見受けられる労働者との比較を行い、合理的に評価の相違点を説明できるかを検証する方法が考えられます。 Q2 従業員の退職後、通勤手当の過払い分を賃金から相殺することはできるか  当社は、6カ月分の定期券相当額を通勤手当として支給しているのですが、退職する際に、過払いの通勤手当が生じることがあります。  退職後に過払い分を返還してもらおうとしても、連絡が取りづらくなったり、支払意思がなくなってしまったりするため、最終の賃金計算の際に控除しようと思っていますが、何か問題はあるのでしょうか。  また、労働者の不注意による事故によって、会社に損害が生じたため、損害を賠償してもらう予定なのですが、これを賃金から控除してもよいのでしょうか。 A  賃金については、「全額払いの原則」が定められており、賃金からの控除についてはこれに違反するおそれがあります。  ただし、一定の範囲で調整的な理由で行われる場合には許容される場合もあります。  損害賠償相当額を賃金から控除することは基本的には許容されませんが、労働者の自由な意思に基づく合意にしたがう場合には、許される場合があります。 1 賃金全額払いの原則  労働基準法第24条は、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」と定め、ただし、「法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる」と定めています。  この規定は、賃金支払い方法に関する原則を定めており、本件では、「賃金全額払いの原則」からして、賃金からの控除が許容されるかが問題となります。  「賃金全額払いの原則」は、労働者に確実に賃金を受領させ、その経済生活をおびやかすことのないように保護することを目的としており、使用者による労働者の搾取を防止するために非常に重要な原則として位置づけられています。  本件においては、ただし書きが定めるような労使協定などではなく、個別の労働者との対応が問題となるため、ただし書き以外の例外が許されるのかが問題となります。 2 調整的相殺について  通勤手当の過払い分を回収することについては、通勤手当を1カ月分ずつ払っている場合であっても、退職日を通勤手当の期間とうまく調整しないかぎりは、少なからず発生することになります。  最高裁昭和31年11月2日判決(関西精機事件)は、賃金全額払いの原則に照らして、「賃金債権に対しては損害賠償債権をもつて相殺することも許されない」と判断しており、原則として、使用者の一方的な意思によって相殺を行うことは許されません。  とはいえ、いかなる場合においても賃金からの控除が許容されないとなると、実務上、賃金計算を誤って行って少額の過払いが生じたとしても控除できず、退職時に調整することもできないなど、不便な場面が多く想定されます。そこで、「調整的相殺」については、許容するという考え方があります。  最高裁昭和44年12月18日判決(福島県教組事件)において「適正な賃金の額を支払うための手段たる相殺は、同項但書によつて除外される場合にあたらなくても、その行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、同項の禁止するところではないと解するのが相当である」と判断し、@合理的に接着した時期に行われ、Aあらかじめ労働者にそのことが予告される、または、その額が多額にわたらないなどの事情があれば、許容されるものと判断されました。  したがって、通勤手当といった賃金の過払いと関連するような場合には、計算可能となった時期と接着した時期に実施するようにしたうえで、対象となる労働者に対してあらかじめ通知しておくことで、実施することが許容されると考えられます。ただし、返還を受けるべき額が高額にわたる場合には、労働者の経済生活の安定を脅かすおそれもありますので、通知しておくだけではなく、労働者の同意を得ておくなど、慎重な対応を行うべきでしょう。  なお、類似の問題として、1カ月の賃金支払額の端数について、1000円未満の端数が生じた場合には、翌月の賃金支払日にくり越して支払うことが、全額払いの原則の例外として、行政解釈上許容されています。なお、この場合も、翌月という接着した時期にかぎり許容されている点は留意する必要があります。 3 損害賠償と賃金の相殺について  調整的相殺において、許容されているのは、あくまでも賃金の過払いやその計算相違などによる齟齬(そご)を調整することであるため、使用者が、労働者に対して、不法行為や債務不履行により損害賠償請求権を有する場面を想定したものではありません。  上記の判例においても、不法行為や債務不履行による損害賠償請求権との相殺を禁止した福島県教組事件判決と矛盾しない範囲で調整的相殺を許容したにすぎません。  したがって、労働者の不注意で生じた事故のような不法行為に基づく損害賠償請求権との相殺は、いかに時期が接着していたとしても、許容されるわけではありません。  このような場面において一方的な相殺は許容されないとしても、合意による相殺まで許容されないのかという点について、判断した判例があります。  最高裁平成2年11月26日判決(日新製鋼事件)では、「労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である」と判断されており、合意による相殺は許容される余地があります。  ただし、留意すべき点として、「労働者の自由な意思」に基づいていることが強調されており、通常の合意の成立とは異なる表現があえて用いられています。実際の事案においては、会社からの借入金の返済について退職金からの控除を実施できるかといった点が問題となっており、会社がさまざまな配慮を労働者にしたうえで、労働者も自発的に協力していたことを根拠に、「労働者の自由な意思」があったものと判断しており、相当に慎重に検討された結果でした。  労働者による賃金の放棄と同様の基準が想定された判決となっており、労働者が自らの賃金を放棄してもよい、または相殺されてもよいと判断するような合理的な背景や理由があったことを使用者が立証できなければ、容易には「労働者の自由な意思」があったとは認められがたいといえます。労働者との間で相殺の合意書を作成するにあたっては、合意に至った理由や背景もふまえた記載を心がけるなど、その効力が無効とされないように留意する必要があります。 第17回 フレックスタイム制、出張と労働時間 Q 1 フレックスタイム制を導入するうえでの注意点について知りたい  従業員の働き方の柔軟化のためにフレックスタイム制を導入しようと思っていますが、働く時間を従業員に任せるのであれば、労働時間を具体的に把握する必要もなく、残業代などは発生しないのでしょうか。  休日も自由に取ってもらえればよいと思っていますが、問題ないでしょうか。 A  フレックスタイム制は、労働時間の柔軟化に役に立ちますが、時間外割増賃金や休日労働や深夜労働の割増賃金などが発生することもあります。  また、休日は定めておく必要があるうえ、法定休日に働いた場合には休日労働の割増賃金の支給も必要です。 1 フレックスタイム制について  労働基準法が定めるフレックスタイム制は、規定自体の内容が難解で、その利用が促進されているとはいいがたい面もあります。  今回は、働き方改革の一環で改正されたフレックスタイム制について、導入方法と基本的な制度について説明したいと思います。  フレックスタイム制には、1カ月以内の期間を基準に労働時間を清算する制度と、1カ月を超えて3カ月以内の期間で労働時間を清算する制度があり、後者が労働法の改正によって新たに設けられたフレックスタイム制です。 2 コアタイムとフレキシブルタイム  フレックスタイム制は、「一定の期間についてあらかじめ定めた総労働時間の範囲内で、労働者が日々の始業及び終業時刻や労働時間数を自ら決めることができる制度」とされています。  フレックスタイム制のメリットは、1日や週単位の法定労働時間に拘束されることなく働くことが可能になる点です。よくある勘違いとしては、労働者に働く時間を委ねることから、労働時間の把握自体が不要になる(できなくなる)と考えられていることがありますが、フレックスタイム制でも労働時間の把握は必要です。また、深夜労働や休日労働については、通常と同様に割増賃金の支払いが必要です。  まず、始業と終業時刻の双方を労働者の裁量に委ねることが必須とされています。ただし、必ず出社してもらうことを義務とする「コアタイム」を設定することもできます。逆に出退社が自由となる時間帯を「フレキシブルタイム」といいます。  注意点としては、「コアタイム」が所定労働時間とほぼ同一である、または、「フレキシブルタイム」が極端に短いため、出退社の時間が労働者に委ねられたといえない場合には、フレックスタイム制の導入要件を満たさないおそれがあります。 3 労働時間の把握方法  次に、フレックスタイム制では、「総労働時間」の設定が前提になっています。例えば1カ月単位で総労働時間を設定する場合は、毎月の労働時間の起算日を定めることで、「総労働時間」の計算期間が定まります。この計算期間を「清算期間」と呼びます。  これらを基準に、「清算期間」中の実際の労働時間が、「総労働時間」を超えたか否かという観点で、労働時間管理を行うことになります。そのためには、清算期間中の実際の労働時間を把握するためにタイムカードなどによる時間管理が必要です。  ただし、時間管理にあたり、1日ごとに遅刻や早退を気にする必要はなくなります。なお、コアタイムに対して遅刻が頻発する場合は、最低限の規律の維持のために懲戒処分の対象とすることや、人事考課などにおいて遅刻回数を考慮するような制度設計を行うことは可能です。  一方、休憩について、フレックスタイム制の場合は、休憩時間も自由に取らせたいというニーズがあります。そのような場合には、一斉付与の対象から除外するために労使協定を締結しておく必要があります。 4 フレックスタイム制における時間外労働と休日の設定  フレックスタイム制の場合、時間外労働の計算方法が通常とは異なります。  原則として、フレックスタイム制における時間外労働は、1日または週単位ではなく、清算期間内の「法定労働時間の総枠」を超えた時間を基準として計算されます。  「法定労働時間の総枠」の計算方法は、「40時間(週の法定労働時間)×歴日数÷7日」とされていますが、よく利用される法定労働時間の総枠は図表1のとおりです。  フレックスタイム制を導入する際に、休日についても労働者の自由に委ねたいかもしれませんが、フレックスタイム制においても法定休日の設定は必要です。また、所定休日も定めておかなければ、総労働時間が法定労働時間の総枠を確実に超えることになるため、時間外労働を抑制するためには所定休日も設定しておくべきでしょう。なお、完全週休二日制を導入している場合には、法定労働時間の総枠の計算方法について、労使協定の締結により「8時間×所定労働日数」とすることが可能となるため、計算を簡便化することが可能です。  1カ月を超える清算期間を設定するフレックスタイム制においては、本来なら清算期間のすべてを終えてから時間外労働を清算すればよいはずですが、過重労働防止の観点から、図表2に記載した1カ月ごとに週50時間以上を超えた部分については、時間外割増賃金を支給する必要があります。  また、休日については、法定休日の労働は「休日労働」として計算し、所定休日の労働は通常の労働時間としてカウントして、法定労働時間の総枠を超過した場合には時間外割増賃金を支払うことになります。  なお、これらの時間外労働や休日労働に関しては、通常の労働者と同様に36協定の締結も必要になります。 5 フレックスタイム制の導入方法  フレックスタイム制の導入には、「就業規則への記載」と「労使協定の締結」が必要です。いずれか一方のみでは足りません。また、1カ月を超える期間で労働時間を清算する場合には、労使協定を労働基準監督署に届け出る必要があり、届出がない場合は、罰則として30万円以下の罰金が科されることがあります。  就業規則についてですが、以下の事項を定める必要があります。 @対象とする労働者の範囲 A労働時間を清算する期間と起算日 B標準となる労働時間 C始業終業時刻とコアタイム又はフレキシブルタイム  次に、労使協定には以下の事項を定める必要があります。 @対象とする労働者の範囲(就業規則と重複することもありますが記載が必要です) A労働時間を清算する期間と起算日 B清算期間における総労働時間(計算方法を記載する方法でも可能) C1日の標準労働時間(欠勤や有給休暇時の時間計算の基準となります) D始業終業時刻とコアタイム又はフレキシブルタイム  就業規則の記載例および労使協定の記載例については、厚生労働省「フレックスタイム制のわかりやすい解説&導入の手引き」※1においても示されていますので、参考になると思います。  フレックスタイム制の運用にあたっては、就業規則の記載とフレックスタイム制の労使協定締結に加えて、休憩の一斉付与の例外に関する労使協定および時間外労働が発生することに備えてフレックスタイム制の対象労働者用の36協定を締結しておくことが実務上は必要でしょう。 図表1 法定労働時間の総枠 歴日数 1カ月の法定労働時間の総枠 歴日数 2カ月の法定労働時間の総枠 歴日数 3カ月の法定労働時間の総枠 31日 177.1時間 62日 354.2時間 92日 525.7時間 30日 171.4時間 61日 348.5時間 91日 520.0時間 29日 165.7時間 60日 342.8時間 90日 514.2時間 28日 160.0時間 59日 337.1時間 89日 508.5時間 図表2 週平均50時間以上となる月間労働時間数 歴日数 31日 221.4時間 30日 214.2時間 29日 207.1時間 28日 200.0時間 Q 2 出張にともなう移動は労働時間に含まれるのか  従業員から、労働時間中に遠方への出張がともなったため、残業代を支給するように求められています。出張時間中には、業務をしていたのか否かは不明であり、特段、出張の移動中に行うべき業務を指示したわけでもありません。出張中の移動時間については、どのように労働時間を計算すればよいのでしょうか。 A  移動時間は、原則として労働時間には該当しないが、具体的な業務や指揮命令がおよんでいる場合には、労働時間となることがあります。  就業規則には事業場外労働の規定を設けておくことや、出張日当に固定時間外手当としての性質も及ぼしておくことも検討しておくべきです。 1 出張中の移動時間と労働時間の関係について  出張における移動時間については、労働基準法などにおいてもその取扱いが明確にされているわけではありません。  いわゆる、労働時間か否かの判断基準である「指揮命令下」にあったか否かによって判断されるということはできますが、ケースバイケースの判断になるというだけでは日々の対応に困ることになるでしょう。  そこで、出張に関して、どのように処理していくことが適切か整理しておきたいと思います。  出張ということは、事業場の外に出ていることになるでしょう。したがって、事業場外労働のみなし労働時間制を採用している場合には、これが適用されるか検討すべきでしょう。事業場外みなし労働時間制※2については、就業規則の規定を定めておくことで適用することが可能です。  しかしながら、通常所定労働時間を超えて労働することが必要な場合には、当該必要な時間を労働時間として算定しなければなりません。  とすると、通常必要となる時間のうちに、出張による移動時間が含まれるのか否かによっても計算方法が変わることになりそうです。  したがって、結局のところ、出張中の移動などについて、基本的にどのように考えるべきかについて整理しておかなければ、労働時間の管理が十分に行えないことにつながります。 2 出張に関する基本的な考え方  一般的に、出張に関しては、通勤や直行直帰などと類似する移動時間と評価され、例えば、横浜地裁川崎支部昭和49年1月26日決定(日本工業検査事件)においては、「出張の際に往復に要する時間は、労働者が日常の出勤に費す時間と同一性質であると考えられるから、右所要時間は労働時間に算入されず、したがってまた時間外労働の問題は起り得ないと解するのが相当」と判断されています。基本的な考え方としては、これにしたがった解釈は可能と考えられますが、ただし、指揮命令下に置いていない場合という留保がつくと考えるべきでしょう。  例えば、昭和23年3月17日基発461号、昭和33年2月13日基発90号においては、「出張中の休日は、その日に旅行する等の場合であっても、旅行中における物品の監視等別段の指示がある場合の外は休日労働として取り扱わなくても差し支えない」としており、休日中の具体的な業務命令が行われていないかぎりは、出張中の休日は労働時間として扱う必要がないことを示しています。  このような解釈を前提にすると、出張中の移動時間や休日については、使用者からの指揮命令がないかぎりは、労働時間としては扱う必要はないという整理になると考えられます。  指揮命令下につき具体的に判断している裁判例として、東京地裁平成24年7月27日(ロア・アドバタイジング事件)があります。当該事例は、17回にわたる出張につき、各出張の状況をふまえて、個別に労働時間の該当性を判断しており、移動手段などが指定され、行動の制約があったのみでは、たとえ、上司の同行があったとしても別段の用務を命じられていないかぎりは、出張を労働時間とは認めていない一方で、納品物の運搬それ自体を目的としており、無事に支障なく目的地まで運び込むことが目的となっていた場合や、ツアー参加者の引率業務に従事していた時間については移動時間も業務遂行中の時間であるとして指揮命令下におかれたものと評価しています。しかしながら、結論においては、事業場外労働に該当することを認め、ほとんどの出張について、通常必要な時間を超えたとは認めることなく、所定労働時間働いたものとみなすという結論になっています。 3 出張日当の支給について  基本的な考え方に則した場合、出張自体は労働時間に該当しないことも多く、時間外労働の割増賃金の支給対象とはなりません。しかしながら、労働時間ではないとはいえ、長時間の拘束になることは否定しがたいため、多くの会社では、出張日当などを支給することで、労働者に対するケアを行っています。  出張時間については、状況によっては労働時間になることをふまえると、出張日当などについても、時間外割増賃金の前払い(固定時間外手当)として支給しておくことも検討に値するのではないかと考えられます。 ※1 https://www.mhlw.go.jp/content/000476042.pdf ※2 事業場外みなし労働時間制……労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす。(労働基準法第38条の2) 第18回 労働条件の統一、育児休業後の契約切り替え Q1 企業合併時の労働条件の統一について知りたい  このたび、企業買収を実行することになり、買収対象となる会社を合併して、会社の法人格を統一することになりました。当社と対象会社の業務内容に関連性はあるものの、本店も別々であり、事業場も異なります。さらに、始業時間や終業時間、賃金体系、退職金の有無などさまざまな点が異なっています。  これらの労働条件を統一するにあたってどのような点に注意すべきでしょうか。 A  合併の際の労働条件の変更方法としては、労働組合が存続する場合は当該組合との労働協約の締結があるほか、一般的には就業規則の変更によって実施することになります。  ただし、就業規則の不利益変更は、合理的な内容でなければならず、賃金の減額をともなう場合には、十分な説明と自由な意思による同意が得られなければ、有効に労働条件を変更できない場合があります。 1 合併と労働条件について  会社の合併によって、二つ以上の会社が一つの会社に統一されることがあります。質問にもあるように、通常二つの会社における労働条件がまったく同一であることはありません。  合併により、吸収する存続会社の労働条件にすべて自動的に統一されるような法制度も存在していないため、労働条件の統一については、労働基準法、労働契約法などの規定にしたがって、順次進めていかなければなりません。  労働条件は、労働契約、就業規則、労働協約、その他労使慣行となっている内容などがあるところ、これらにより定められた内容を変更するにあたっては、不利益変更となるか否かなどをふまえた変更方法を検討していく必要があります。 2 労働条件統一の方法について  多数の労働者の労働条件を一斉に変更しなければならないことから、労働協約または就業規則を変更することをもって、統一する方法が考えられます。  そのほか、労働者から個別の同意を得ることをもって、労働条件を変更するということも考えられます。  労働協約によって設定されている労働条件がある場合には、労働組合との事前協議を経て、最終的な労働条件を定めた労働協約を締結することが理想です。しかしながら、合併により存続する会社の労働組合と、消滅する会社の労働組合が併存するのか、それとも合流するのか、もしくは一方は解散(消滅)するのかなど状況に応じて、労働協約を締結すべき労働組合は変わってきます。したがって、労働協約が存在する場合には、合併後に存続する労働組合との間で、合併後に適用すべき労働協約について協議して、締結することになると考えられます。 3 労働条件統一にあたっての留意点  労働組合が存在しない場合には、労働協約ではなく、就業規則の変更によって労働条件の統一を目ざすことになります。  しかしながら、就業規則の変更は、完全に自由に行えるわけではなく、不利益な変更については、労働契約法による制限があります。  労働契約法第9条は、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない」と定め、同法第10条は、不利益変更の合理性に関して、「就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるとき」にかぎって、その就業規則の変更が有効であることを許容しています。  合併後の労働条件の統一にあたっては、すべての労働条件について、いずれか有利な条件を採用して、労働者にとってもっとも有利な条件で統一する場合でないかぎり、存続会社または消滅会社のいずれかにとっては不利益となる項目が多数出てくることが通常です。また、仮に有利な条件で整えようと試みた場合であっても、手当の額など金額の比較のみで決定できる場合とは異なり、始業時間は早い方が有利なのか、それとも遅い方が有利なのかについては、一概に決定することはできませんし、手当についても支給条件が異なる場合には、いずれに統一する方が有利なのか判断することは、実際の場面では困難がともないます。  したがって、不利益変更をともなうことを避けることはできないといっても過言ではないでしょう。 4 合併時の労働条件の統一と不利益変更に関する判例  合併時の就業規則変更による労働条件の統一に関する最高裁判例として、大曲(おおまがり)市農協事件(最高裁昭和63年2月16日判決)があります。当該判決においては、就業規則の不利益変更の合理性を判断するにあたって、「当該規則条項が合理的なものであるとは、当該就業規則の作成又は変更が、その必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認できるだけの合理性を有するものであることをいうと解される」と判断しました。なかでも、「賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである」としており、賃金の減額に関しては明示的に厳格な基準を設定することを打ち出しています。  したがって、賃金の減額に関しては、就業規則の変更のみではなく、労働者の同意を得て行うべきですが、同意の取得方法に関しても、最高裁平成28年2月19日判決において、具体的な変更に先立つ「労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」として、単なる形式的な同意を主張しているだけでは足りないとされています。  そのため、合併時の労働条件統一にあたっては、就業規則の変更のみではなく、事前の説明会の開催、特に賃金の減額をともなう場合には、十分な説明を行って同意を取得するほか、減額の程度が大きい場合などには、調整給の支給などの方法による緩和措置を十分に設定するなど、さまざまな配慮が必要になるでしょう。 Q2 育児休業後の契約切り替えについて知りたい  当社の正社員が育児休業を利用した後、復職する予定です。復職時には短時間勤務を希望しているようなのですが、当社の制度上、短時間の勤務とする場合にはパートタイマーとして、期間の定めのある契約を締結することとなっています。そこで、本人の同意を得て、当該の労働者と有期雇用の労働契約をあらためて締結しようと思うのですが、問題ないでしょうか。 A  非正規雇用への切り替えは、育児休業などの利用に対して行われることが禁止されている不利益取扱いに例示されています。  合意により行う場合は、必ずしも全面的に禁止されているわけではありませんが、客観的かつ合理的な理由があると認められる自由な意思による同意を得られなければ、契約内容の変更が無効となると考えられます。 1 出産・育児に関する制度  育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(以下、「育児休業法」)においては、育児に必要な諸制度が定められ、使用者となる企業は、これを遵守しなければなりません。また、労働基準法にも産前産後の休業に関して規定されています。  使用者は、産前6週間(多胎妊娠の場合は14週間)、産後8週間については、就業させてはならないとされ(労働基準法第65条)、出産後については、育児休業制度として、原則として子が1歳になるまでの間(保育所などに入ることができないなどの事情がある場合には最長子が2歳になるまでの間)について、育児休業を取得させなければなりません(育児休業法第5条、第9条など)。  このほか、子が3歳に満たない場合に、労働者が労働時間の短縮措置を求めた場合は、原則として6時間に短縮する措置をとることが求められ(同法第23条)、小学校に入るまでの子を養育している場合、年間5日の範囲で看護休暇を取得することができます(同法第16条の2)。  これらの制度の利用を確保するために、これらの制度の利用に対して、不利益な取扱いをしてはならない旨定めています(育児休業法第10条及び第16条の4)。 2 不利益取扱いの種類  厚生労働省が定めるガイドラインにおいては、不利益な取扱いの種類として、解雇、契約の更新回数の制限、退職の強要、自宅待機命令、意に反する労働時間短縮措置、降格、減給、人事考課上の不利益な評価、不利益な配置変更などがあげられています。また、正規雇用労働者を非正規雇用労働者に変更するよう強要することも不利益取扱いとして例示されています。  したがって、質問のようなかたちで、有期雇用のパートタイマーといった非正規雇用へ契約内容を変更するよう強要することは、育児休業法により禁止されており、仮に変更したとしても無効とされてしまうと考えられます。  しかしながら、「強要」という表現がされている通り、強要によらない契約内容の変更まで完全に否定されているわけではありません。 3 非正規雇用への変更にあたっての同意について  非正規雇用の契約に変更するにあたって、本人の同意を得るために留意すべき事項について、検討しておきたいと思います。  使用者と労働者の関係性から、使用者が求める契約内容を断ってしまうと、不利益な取扱いを受けるのでないかといった懸念を労働者が持つことは想像に難くありません。そのため、同意によるものかについて、裁判所も慎重に判断する傾向があります。  例えば、東京地裁平成30年7月5日判決においては、労働時間の短縮措置を求めた労働者を、合意によってパート社員へ切り替えたことに関して、「労働者と事業主との合意に基づき労働条件を不利益に変更したような場合には、事業主単独の一方的な措置により労働者を不利益に取り扱ったものではないから、直ちに違法、無効であるとはいえない」としつつも、「労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、当該合意は、もともと所定労働時間の短縮申出という使用者の利益とは必ずしも一致しない場面においてされる労働者と使用者の合意であり、かつ、労働者は自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該合意の成立及び有効性についての判断は慎重にされるべきである」と整理しています。  さらに、合意の成立を認めるためには、「当該合意により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者が当該合意をするに至った経緯及びその態様、当該合意に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等を総合考慮し、当該合意が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することが必要であるというべき」という基準を設けました。  この裁判例においては、短時間勤務となるためにはパート社員になるしかないといった説明を受けて行った労働契約の変更に対する合意については、自由な意思により行われたものではないため、有効なものとは認められませんでした。 4 自由な意思による同意について  裁判例が用いた「自由な意思」という言葉や、「合理的な理由が客観的に存在することが必要」といった内容については、賃金の減額をともなう労働条件の不利益変更を行う場合と同等程度の基準をもって判断することを意味しており、育児休業に対する合意による不利益取扱いについて、労働条件においてもっとも根幹をなしている賃金の変更と同程度に重要な労働条件として保護されるべきということを意味しているといえるでしょう。  したがって、労働時間の短縮措置に対して、契約内容を不利に変更することを実現するためには、変更の必要性が高いのみならず、十分な説明内容や不利益の緩和措置があることなどから、一般的な労働者であれば応じることが合理的であると説明可能なものとしなければ、およそ有効にはなりえないものになると考えられます。  非正規雇用といった内容に変更せずに、現行の契約内容のまま短縮措置を講ずることができるように、業務内容や社内の体制を整備するほか、短時間措置の適用に備えた就業規則の内容とするなど、育児中の労働者への支援が可能となるように留意する必要があります。 第19回 求人広告と労働契約、パワハラの防止義務 Q1 求人広告と異なる内容で労働契約を結んでもよいのでしょうか  求人広告を掲載し、採用活動を行い、面接を経て、内定を出しました。ただし、雇い入れるまでの間に、社内の事情が変わったことから、採用の際には求人広告と異なる内容で雇い入れることになりました。労働条件通知書や雇用契約書には、変更後の労働条件を記載しており、労働者もこれに署名押印しています。  労働者から、求人の時と条件が異なることを指摘され、求人通りの労働条件にするように求められたのですが、これに応じなければならないのでしょうか。 A  求人広告や求人票には、雇い入れ時の労働条件を正確に記載しなければならず、これに対する労働者の期待も保護されるべきと考えられています。  求人広告などと異なる労働条件とすることについて、明確に説明を尽くして、労働契約締結に至ったのではないかぎり、求人広告通りの労働条件による労働契約が成立すると判断されるおそれがあります。 1 求人広告について  近年、企業の採用活動は、新卒のみではなく中途採用も頻繁に行われており、雇用の流動化が生じてきているように思われます。  中途採用の場合、多くの企業においては、民間企業またはハローワークなどに求人の掲載を依頼し、それを見た求職者が応募してくるという方法が一般的でしょう。  これまで、求人情報については、採用条件が明確に記載されない場合、採用後に労働条件に関するトラブルが生じやすいことが指摘されてきました。  そこで、職業安定法第5条の3は、「求職者、募集に応じて労働者になろうとする者又は供給される労働者に対し、その者が従事すべき業務の内容及び賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない」と定め、求人広告の記載事項について明示義務を負わせています。  さらに、労働契約を締結しようとする場合には、「明示された従事すべき業務の内容及び賃金、労働時間その他の労働条件(以下、この項において「従事すべき業務の内容等」)を変更する場合その他厚生労働省令で定める場合は、当該契約の相手方となろうとする者に対し、当該変更する従事すべき業務の内容等その他厚生労働省令で定める事項を明示しなければならない」とされ、求人情報の変更の際には、変更後の条件を明示する義務まで定めており、求人情報と労働条件の相違がなくなるような施策が採用されています。 2 求人情報の記載と労働条件  求人情報の正確性を保つ施策が採用されているとしても、これは行政上の規制であり、労働契約の成立にあたって、どのような効力があるのかについては、労働契約成立の過程などをふまえた、当事者間の合理的な意思解釈に基づき行われることになります。  過去に、求人票と労働条件が異なることが紛争に至った事件があります。例えば、東京地裁平成21年9月28日判決があります。  当該裁判例は、雇用形態について「正社員」である旨記載された求人票に基づいて応募してきた求職者に対して、会社が「契約社員」としての採用を決定し、その旨を求職者に伝えたうえで、雇用契約の締結に至った事案です。  まず、求人票と労働契約の関係について、「使用者による就職希望者に対する求人は、雇用契約の申込の誘引であり、その後の採用面接等の協議の結果、就職希望者と使用者との間に求人票と異なる合意がされたときは、従業員となろうとする者の側に著しい不利益をもたらす等の特段の事情がない限り、合意の内容が求人票記載の内容に優先すると解するのが相当である」と判断基準を示し、労働条件を知らされてから1カ月以上の検討期間が設けられていたこと、他社に在籍中でもあったことから契約締結を余儀なくされる状況にもなかったことなどから、正社員から契約社員へ労働条件が変更されたとしても、最終的な労働契約の合意が優先されると判断しました。  一方、反対の結論となった裁判例もあります。京都地裁平成29年3月30日判決であり、こちらも正社員としての採用が求人票に記載されていたところ、実際の契約においては契約社員とされたというものです。当該判決は、「求人票は、求人者が労働条件を明示した上で求職者の雇用契約締結の申込みを誘引するもので、求職者は、当然に求職票記載の労働条件が雇用契約の内容となることを前提に雇用契約締結の申込みをするのであるから、求人票記載の労働条件は、当事者間においてこれと異なる別段の合意をするなどの特段の事情のない限り、雇用契約の内容となると解するのが相当である」という判断基準を示しました。また、当該事件においては、面接時においても求人票と異なる条件の説明はなかったことなどから、特段の事情の存在を認めることなく、求人票記載通りの労働契約が成立したものと判断されました。 3 求人票記載時の留意事項  結論の異なる2種類の判決を紹介しましたが、いずれの裁判例からも求人票記載の際に留意すべき事項は整理することが可能と考えられます。  求人情報の掲載が、労働契約の申込みを誘引するために行われることは疑いないところであるため、特段の変更が示されないかぎりは、誘引の原因となった求人情報と同じ内容での労働契約が成立するというのが自然な流れでしょう。  求人票と異なる労働条件で労働契約を成立させるためには、求人票よりも後の段階で、異なる労働条件の提示がなければなりません。このことは、職業安定法が、労働条件を変更する場合には、変更後の条件を明示しなければならないと定めたこととも相まって、不意打ち的な変更は許されにくい傾向になっていくでしょう。  二つの裁判例の結論を左右したのは、面接の時点やその後の労働条件のやり取りにおいて、変更する内容について提示したうえで、求職者に判断する機会を与えていたことです。  さらにいえば、検討の機会を与えるだけでは不十分な場合もあります。それは、変更の機会を与えられたとしても、選択の余地がないような状況に置かれている場合には、変更された労働条件に応じる以外の選択肢が実質的には存在しないことになるため、前職を退職した後に変更内容を示したり、生活に困窮している状況にある求職者である場合には、求人票通りの労働条件による労働契約が成立する可能性は否定できません。  求人票と異なる労働条件とならないように、変更時点で明示することに留意するとともに、やむを得ず、求人票と異なる労働条件で合意に至る場合には、その旨を明示したうえで、検討の機会を十分に与えることが必要でしょう。 Q2 パワハラの法規制について詳しく知りたい  法改正によりパワーハラスメントについても法律で規制されるようになったようですが、どのような内容なのでしょうか。  また、どのような行為がパワハラになるのか、人間関係が考慮されるというのは本当なのでしょうか。業務との関連性はどのように判断されるのでしょうか。 A  「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」の改正により、使用者に対するパワハラの防止義務が定められました。  過去のパワハラの裁判例では、人間関係をふまえた判断が行われているケースや、業務上の必要性を肯定してパワハラを否定している事例もあります。 1 パワハラ防止に関する法律について  この度、法改正によりパワハラに関する法規制が実施されることになりましたので、改めて、新法の内容と、パワハラの具体的な例や責任を負担する当事者について、裁判例をもとに整理してみたいと思います。  パワハラの防止に関して定められたのは、「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(以下、「労働施策総合推進法」)の第30条の2です。  パワハラの定義については、「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない」と定められました。優越的な関係を背景とするという点などは、上司から部下に対する権力的な行為にかぎらないという点が明らかにされており、一般的にイメージされるパワーハラスメントのみならず、いわゆる職場におけるいじめのような行為も含んでいます。  また、かつては、「業務の適正な範囲を超えて」行われる行為か否かという基準であった点は、「業務上必要」かつ「相当」という定め方に変更され、適正な範囲よりも検討の要素が明確にされました。 2 パワハラと人間関係の考慮について  パワーハラスメントについては、当事者同士の人間関係から、許容される場合もあるなどといわれることがあり、このことがパワーハラスメントの判断をむずかしくしていることがあります。それでは、実際の裁判例ではどうなっているのでしょうか。  例えば、東京地裁平成27年9月25日判決においては、学内行事の企画について問い詰め、水またはお茶をかけたほか、「あんたはバカなんだから」、「あんたは実力がない」、「あんたなんかいなくたっていい」などに類する発言をした行為に対する降格処分の有効性が争われたところ、当事者の人間関係について、「業務と無関係な私的時間と考えられる場面を含めて原告らと常時行動を共にするなど、少なくとも外見的には原告らと良好な人間関係を保っていた」ことから、「深刻な被害感情を抱いていることにまで思いが至らなかったとしてもやむを得ない面がある」ため、被害感情が必ずしも大きいとは評価できなかったことと相まって、処分量定上十分に斟酌(しんしゃく)する必要があるとされ、降格処分は重きにすぎるとして無効と判断されました。なお、加害者の行為自体がパワハラに該当しないという判断ではないことには留意する必要があります。  また、一方で周囲との人間関係の醸成が十分ではない新入社員に対して、「何でできないんだ」、「何度も同じことをいわせるな」、「そんなこともわからないのか」、「俺のいっていることがわからないのか」、「なぜ手順通りにやらないんだ」など周囲にほかの従業員らがいるかいないかにかかわらず、5分ないし10分程度、大声かつ強い口調で叱責していた行為などについて、「社会経験、就労経験が十分でなく、大学を卒業したばかりの新入社員であり、上司からの叱責に不慣れであった」者に対し、「一方的に威圧感や恐怖心、屈辱感、不安感を与えるものであったというべき」として、悪質性の高い行為として評価されています。 3 業務上の必要性について  違法なパワーハラスメントになるか否かについては、業務上の必要性の程度も考慮されます。  例えば、静岡地裁平成26年7月9日判決では、「指示や叱責等は、原告が主張するようにそれが行き過ぎる場合があったとしても、主として、発足したばかりのデイサービスの経営を軌道に乗せ、安定的な経営体制を構築しようという意図に出たものと推認される」などとして、違法とは評価しなかった事例もあります。  また、医療機関における厳しい指導や指摘に関して、一般に医療事故は単純ミスがその原因の大きな部分を占めることや、それによる損害が非常に重大となりうることをふまえて、「単純ミスを繰り返す原告に対して、時には厳しい指摘・指導や物言いをしたことが窺(うかが)われるが、それは生命・健康を預かる職場の管理職が医療現場において当然になすべき業務上の指示の範囲内にとどまるものであり、到底違法ということはできない」と判断している例もあります。  今回の法制化によっても、業務上の「必要性」と「相当性」という要件が定められていますが、この二つの要件は相関関係にあり、必要性が高度である場合は、許容される指導や叱責の範囲も広くなるという傾向は、今後も変わりないと考えられます。 4 パワハラ防止義務について  今回の労働施策総合推進法において、パワハラ防止の義務が明記されましたが、過去の裁判例においても同様の義務を設定している裁判例もあります。  例えば、東京高裁平成29年10月26日判決においては、「安全配慮義務のひとつである職場環境調整義務として、良好な職場環境を保持するため、職場におけるパワハラ」を防止する義務を負い、「パワハラの訴えがあったときには、その事実関係を調査し、調査の結果に基づき、加害者に対する指導、配置換え等を含む人事管理上の適切な措置を講じるべき義務を負う」として、法制化の前から使用者の義務としてパワハラの防止義務を根拠に、労働者に対する損害賠償責任を肯定した事例もあります。事案に応じた判断は必要ですが、今回の法律と比較すると、適切な措置の内容として指導、配置換え等などの具体例も示されている点は参考になると考えられます。 第20回 労災保険給付、年次有給休暇と時季変更権 Q1 従業員が就業中にケガをしました。どのような手続きを取ればよいのですか  従業員から、就業中にケガをしたと申告がありました。これまで、そういった出来事がなかったので、どういった手続きを取ればよいのかわからないのですが、どうすればよいのでしょうか。  労災保険等から支給があった場合には、会社が補填する必要はなくなると考えてよいのでしょうか。 A  業務上の事由により生じた負傷、疾病、障害、死亡等に関しては、労働者災害補償保険からの保険給付が実施されますが、労働者からの申告等を前提にしています。会社としては、当該申告に協力する立場になります。  なお、業務上の事由であることが認められて保険給付が実施された場合でも、すべての損害が補填されるわけではないため、補充する必要がある費目もあります。 1 労働災害について  労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」)は、業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害、死亡等に関して、保険給付を行うことを定めています(第2条の2)。  業務上の事由による場合は「業務災害」、通勤による場合は「通勤災害」と呼ばれており、これらの二つをまとめて「労働災害」と呼んでいます。  ご相談の例は、就業中のケガであるため、いわゆる「業務災害」に該当するといえます。  業務災害が発生した場合、事業主は労働基準法により補償責任を負わなければなりませんが、労災保険法に基づく保険給付が行われる場合、事業主は労働基準法上の補償責任を免れます(ただし、休業する際の休業1〜3日目の休業補償は、労災保険から給付されないため、労働基準法で定める平均賃金の60%を事業主が直接労働者に支払う必要があります)。初めて労働災害が起きた際は、請求の流れや、労働災害として認定されなかった場合の手続きを把握しておく必要があります。  また、事業主には、労働災害による死亡や休業の発生時には、「労働者死傷病報告」の提出が義務づけられており(労働安全衛生法100条および同法施行規則97条)、当該報告を行うことなく、いわゆる「労災隠し」を行った事業主に対しては、罰金50万円以下という刑罰も用意されています(労働安全衛生法120条)。 2 労災保険給付の当事者  労災保険給付を請求する当事者は、労働者自身であり、使用者である会社ではありません。労災保険法施行規則23条第2項は、「事業主は、保険給付を受けるべき者から保険給付を受けるために必要な証明を求められたときは、すみやかに証明をしなければならない」と定めており、会社は当該労災保険給付に必要な証明に協力する立場となります。  ケガをした労働者は、労働基準監督署宛てに、所定の書式を提出することになりますが、当該書式には、会社の労働保険番号の記載や「災害の原因及び発生状況」などに関する事業主の証明欄への記名押印が求められているため、会社へ協力を求めてくることになります。  この際、労働災害としての申告をされて、労災保険が給付された場合(労働災害が存在すると労働基準監督署に認められた場合)には、労働基準監督署の調査を受ける場合があることや、労災保険料の増額が生じる恐れがあることから、労働災害として認めることなく、労働災害としての申告をさせないために証明を避けることを考えているとのご相談を受けることがあります。  しかしながら、事業主の証明を受けられなかったからといって、労働者による労災保険の請求が認められなくなるわけではありません。  また、仮に、労働災害としての手続きに協力しなかった場合には、労働者から、会社に対する不法行為または債務(安全配慮義務)不履行責任に基づき、直接賠償請求が行われることにもつながり、本来保険給付で賄われるはずであった補償まで、会社が負担せざるを得なくなることになります。 3 労災保険給付と会社が負担する損害賠償責任の関係  業務上の原因によりケガが生じた場合、労災保険給付のおもな種類としては、図表のような費目があります。ケガの程度にもよりますが、後遺症(障害)が残るような重度のケガである場合には、年金や一時金などの給付も用意されています。なお、業務災害により死亡した場合には、これら以外に、葬祭料、遺族補償給付なども支給されることがあります。  これらの保険給付が実施されたとしても、必ずしも会社が負担すべき損害賠償責任のすべてがカバーされるわけではありません。  例えば、ケガの治療などに通院や入院期間が一定程度ある場合には、会社の負担すべき損害として入通院に関する慰謝料が認められますが、これらに対応するような保険給付はありません。後遺障害が残った場合には、後遺障害慰謝料も会社の責任と認められることになりますが、これも保険給付によりカバーされることはありません。  そのほか、休業補償もあくまでも最大で80%となっているため、会社の責に帰すべき事由が大きい場合には、その差額部分については負担しなければならない場合もあるほか、年金の方法で支給される場合には、未支給部分については、これを原則として控除しないという取扱いとなっているため、将来分については会社が負担しなければならなくなることもあります。 図表 労災保険給付の種類 名称 主な内容 療養補償給付 治療費および通院費 休業補償給付 休業4日目以降の給付基礎日額の最大80%(特別支給金も含む) 傷病補償年金 治療開始後1年6カ月経過後に治癒に至っておらず、障害の程度が重い場合に支給される 障害補償給付 後遺症(障害)が残った場合には、障害の程度に応じて年金または一時金が支給される 介護補償給付 重い後遺障害により家族からの介護や介護サービスが必要となった場合に支給される ※筆者作成 Q2 年次有給休暇の時季変更権について知りたい  使用者に年次有給休暇の消化義務が課されるようになったため、有給休暇の積極的な利用を認める方針を取ろうと思っているのですが、一方で、年次有給休暇を同時期に取得されることで業務に支障が出ることへの懸念もあります。  どういったケースであれば、年次有給休暇に対する時季変更権を行使しても許されるのでしょうか。 A  業務の正常な運営を妨げる場合であれば、時季変更権を行使することができますが、単に代替要員の確保ができないといった程度では許容されません。使用者には、労働者が年次有給休暇を取得したとしても正常な運営が可能な体制を整えることが必要とされます。  一方で、同時取得により支障が出る人数などをふまえた年次有給休暇の取得の運用が労使慣行となっている場合には、その慣行は尊重される傾向がありますので、労使間での調整を重ねながら、運用を固めていく必要があるでしょう。 1 年次有給休暇について  働き方改革の一環として、年次有給休暇が10日以上付与された日から1年間以内に5日間の消化が使用者に義務づけられました。労働者ではなく、使用者に義務づけられた点が特殊ですが、使用者に対する義務づけに加えて、罰則も定められたことから、使用者が、年次有給休暇について、正確な理解と消化日数を把握することが求められるようになりました。  まず、年次有給休暇とはいかなる制度であり、どういった点に注意が必要となるのでしょうか。  有給休暇は、6カ月以上継続して勤務し、出勤率が全労働日の8割を超えている労働者に対して、給与を支給しながら休暇を取得できる権利を与える制度です。なお、年次有給休暇の付与日数は、週の所定労働日数が5日以上または週の所定労働時間が30時間以上である場合は、6カ月の継続雇用の時点で10日付与され、その後徐々に増加し、週の所定労働日数や所定労働時間が少ない場合であっても比例的に付与される制度となっています。  給与の支給がある点が、欠勤とは異なりますし、年次有給休暇の取得が権利である以上、これを取得したことによって不利益な取扱いがなされることも許容されないことになります。 2 年次有給休暇の内容  年次有給休暇は、労働者の権利であると位置づけられていることから、原則として、労働者が取得を希望する時期に与えなければなりません(労働基準法第39条第5項)。ただし、使用者としては、その日に年次有給休暇を取得させたときに「事業の正常な運営を妨げる場合」には、ほかの日にこれを与えることができるとされています。  後者が、使用者による、「時季変更権」と呼ばれるものであり、「事業の正常な運営を妨げる場合」にかぎって、その行使が許されています。  これらの規定から、労働者の年次有給休暇の権利に関しては、労働者が時期を指定した場合に、使用者が時季変更権を行使することなく、これを拒むような行為(例えば、「不承認」として処理するような行為)をしただけでは、年次有給休暇の効力発生を妨げることができないと考えられています。要するに、使用者としては、年次有給休暇の取得日の変更は可能ではありますが、取得自体を妨げることができないということです。  権利の性質上は、労働者による権利行使が優先される内容となっており、年次有給休暇の取得が自由に行われやすいはずですが、現実にはそうなっていません。労働の現場においては、労働者同士が相互に協働して業務遂行にあたっていることも多く、使用者に対する配慮だけではなく、労働者間相互の配慮の結果として、年次有給休暇が取得しづらい場合もあるため、たとえ、権利の性質上は自由な取得が保証されていても、その行使に至らないようなことも多いといえます。 3 計画年休制度の活用  年次有給休暇は、本来的には、労働者からのイニシアチブによって行使されるべきものですが、労働者相互間の配慮もある結果、自由な行使を必ずしも期待できない状態も生じます。  そこで、年間5日間の年次有給休暇を残す形であれば、使用者が設定する日程で年次有給休暇を取得させる計画年休制度も用意されています。この計画年休により取得させた場合は、年次有給休暇の消化義務を履行したものと評価されます。  事業場の過半数労働者との労使協定が必要となりますが、集団的に年次有給休暇を取得させることで、使用者としても業務の計画を立てやすくなり、労働者同士の相互の配慮により未取得も防止することが可能となります。 4 時季変更権が許される要件  年次有給休暇の取得に対して、使用者が時季変更権を行使できるのはどのような場合でしょうか。典型的な事例としては、労働者らによる一斉休暇の申請や、特定の業務を拒否することを目的とした場合などがあげられますが、このような事例は稀有(けう)でしょう。  基本的には、労働者の権利行使に対して、使用者が配慮することが求められており、休暇をとる労働者がいれば、当然ながら、業務への影響は大なり小なり生じることになりますが、これに対して、使用者は、代替要員の配置や業務の割り振りの変更などによって対応できるように備えるような配慮が求められています。そのため、単に業務上の支障が生じるとか代替要員の確保ができないといった理由だけでは、年次有給休暇取得に対して時季指定を行うことはできないと考えられています。  とはいえ、人員配置については、使用者による裁量の余地も広く、労使慣行と認められる程度に一定の基準によって配置が定められ、休暇の取得に関する基準ともなっているような事情がある場合には、恒常的な人員不足により取得が妨げられているような事情がないかぎりは、裁判所もそれを尊重せざるを得ないといった指摘もあるところですので、年次有給休暇取得にあたっての事前申請の時期や代替要員の確保の必要性については、運用を固めておくことは重要でしょう。  また、連続的な年次有給休暇の指定は、「事業の正常な運営」に対する影響は大きくなります。例えば、1カ月間の連続休暇となるような年次有給休暇の取得を求めた事案において、判例では、事業活動の正常な運営の確保に関わる諸般の事情について、これを正確に予測することが困難であることを理由として、蓋然性(がいぜんせい)に基づく裁量的な判断を許容せざるを得ないとして、使用者の判断が不合理な場合にかぎり、違法となると判断したものがあります(最高裁平成4年6月23日判決)。  現実的には、労使間での事前調整の実施とともに穏当な形で落ち着いていることも多いかと思われますが、過去には、使用者から年次有給休暇の取得に対して「非常に心象が悪い」、「仕事が足りないなら仕事をあげる」などと発言して休暇の取得を妨げた事案では、慰謝料の支払いが命じられている裁判例もありますので、コミュニケーションにおいても、年次有給休暇の取得が労働者の権利であることを念頭に置く必要はあるでしょう。 第21回 休職期間中の過ごし方、妊娠をした際の報告義務 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 休職期間中の過ごし方に制約があるのか知りたい  休職中の従業員が、復職不可との診断をうけ、傷病手当金を受給しています。そのような状況にありながらも、転職活動をしていることが発覚しました。療養期間中には、直接の面談ではありませんが、1カ月に少なくとも1回は回復の状況を確認するために連絡を取り合っており、そのときにも回復していない旨の報告を受けていました。このような場合に懲戒処分を行うことは可能でしょうか。 A  休職期間中の従業員は、基本的には療養に専念する義務があるといえます。ただし、療養に専念するといえども、医師の治療方針などをふまえて、日常生活などの通常の範囲の活動まで許容されないわけではありません。  とはいえ、転職活動を行っていることから、復職意思があるのか否かについては、確認する必要があるでしょう。 1 休職制度について  休職制度は、労働基準法などの法律によって用意された制度ではありません。しかしながら、多くの企業においては、勤続中に罹患する疾病により入院による治療が必要となる場合に、ただちに解雇するのではなく、当該疾病に必要な治療のために、休職期間を定めて、休職を制度化しています。  制度の成り立ちからすると、想定されていた場面は、入院などによって治療に専念せざるを得ないような場面が想定されていたため、ご相談のように治療しながらもほかの活動ができるという場面は例外的であったといえそうです。  最近、このような休職利用中の活動が問題にされているのは、ストレスの負荷などによって、精神疾患に罹患したことが原因で休職することが出てきているという背景は無視できないでしょう。  精神疾患による休職の場合、入院治療によることは少なく、かかりつけ医に通院し、薬の処方を受けつつ、状態の安定を目ざしていくことになるでしょう。そのため、療養に専念しながらも、ほかの活動を行える範囲が広くなっており、ご相談のように転職活動に至るようなケースも出てきてしまいます。 2 休職制度の利用と復職について  休職制度は、従業員のみに都合のよい制度であるかというと、そうではありません。休職制度は、各企業が就業規則において、ある程度自由な制度設計が可能となっていますが、多くの企業が採用しているのは、休職期間を設定する代わりに、休職期間中に復職可能な程度まで治癒しきれなかった場合には、当然に退職または解雇措置をとるという制度設計です。この場合、休職制度は、解雇の猶予措置として機能することになります。  休職制度の解雇の猶予措置としての位置づけの重要性は最高裁判例にも表れており、日本ヒューレット・パッカード事件においては、「診断結果等に応じて、必要な場合は治療を勧めた上で休職等の処分を検討し、その後の経過を見るなどの対応を採るべきであり、このような対応を採ることなく、被上告人の出勤しない理由が存在しない事実に基づくものであることから直ちにその欠勤を正当な理由なく無断でされたものとして諭旨退職の懲戒処分の措置を執ることは、精神的な不調を抱える労働者に対する使用者の対応としては適切なものとはいい難い」と判断しており、休職措置を取らずに実施した諭旨(ゆし)解雇の効力を否定しています(最高裁平成24年4月27日第二小法廷判決)。  なお、業務上の災害による休業に対しては、休業期間中および復職後30日間は解雇することは制限され(労働基準法19条)、例外的に平均賃金の1200日分の打切り補償が支給された場合にのみ解雇が可能となるなど、私傷病による休職とは取扱いが大きく異なるため、混同しないように注意が必要です。 3 療養専念義務について  休職制度自体が、就業規則で創設される制度であることから、休職期間中の従業員がどのような義務を負担するかについても、法律などで明確に定まっているわけではありません。  一般的な考え方としては、従業員が休職制度の適用を受ける状態になれば、休職期間の満了に至るまでに復職できなければ解雇されるおそれがある状況に置かれることになります。また、企業としては、療養するための期間として休職を認め、当該期間の就労不能を不利益に取り扱わないように配慮している状況でもあります。  これらの関係性から、従業員は、できるかぎり早く復職して、正常に労務提供ができるような状態に戻ることが求められており、職務に従事することに代えて、療養に専念する義務(以下、「療養専念義務」)があると考えられています。  一例として、マガジンハウス事件においては、うつ病や不安障害といった病気に罹患していた従業員について、「主治医が会社に関与する行動をとることは禁忌である」とされていたことを前提としつつ、会社に対する抗議活動およびブログの執筆をくり返し行っていた行為に対して、療養を支援する趣旨に反する行為であり服務規律違反を問われることはやむを得ないと評価されました(東京地裁平成20年3月10日判決)。一方で、同判決は、療養の専念との関連において、オートバイでの外出、ゲームセンターや場外馬券売り場に出かけていたこと、飲酒していたことなどについては、日常生活を送ることは病気の療養と矛盾するものではないとして、問題視することはできないとしました。  当該判決からいえることとしては、私傷病の種類に応じて、その治療方針と矛盾した行動をとることについては、療養専念義務違反として懲戒処分の対象とすることは可能と考えられますが、治療方針と必ずしも矛盾しない行動については、その責任を問うことはむずかしいと考えられます。特に、骨折などの外傷であり安静にすべきことが明瞭であるにもかかわらず外出しているようなケースであれば、比較的判断は容易ですが、精神的な疾患については、日常生活を送ることと治療が両立しうるため、その判断は医師の治療方針を確認しながら慎重に行うほかありません。 4 報告義務の設定について  医師の治療方針との矛盾がないかぎりは、転職活動を行うための外出などを行っていたとしても、ただちに、療養専念義務に違反するということはできないと考えられます。しかしながら、休職制度の利用を認めているのは、治療後に復職してもらうことを希望しているからであり、その間の従業員の補充などを控えるような対応を実施する場合もあります。  そこで、療養専念の状況を把握するために、定期的な報告を受けるようにしながら、当該報告の場面において、転職活動に関する情報が報告されないのであれば、面談の機会などを設定しつつ、転職活動が真実であるのか確認するとともに、復職可能か否かについてコミュニケーションをはかりつつ、場合によっては、復職の可否について会社指定医の診断を受けるようにうながすなどの方法で、休職制度の利用の継続について確認していくことをおすすめします。  従業員から療養の状況に関する報告が行われない場合には、当該報告義務の違反があることになりますので、その際には、懲戒処分を検討することもできると考えられます。 Q2 妊娠をした場合、会社へ妊娠したことの報告を義務づけることは可能か  これまで、産前休暇の直前まで報告がされない場合があったり、妊娠の兆候がみえても本人からの報告がなければ、聞くこと自体に臆することもあり、業務に支障が出ていました。  妊娠した際には、人員の補充や引継ぎなどの準備も必要となるため、報告のタイミングについて就業規則で規定しようと考えていますが、有効でしょうか。 A  就業規則で、報告時期について規定することは可能と考えられますが、妊娠の報告に関しては、発覚が遅れることや流産のリスクなどがあることなどから報告を遅らせることもあるため、懲戒などの不利益処分を課すことは困難でしょう。 1 妊娠中の女性労働者に関する規定について  妊娠中の女性労働者については、各種の法律が使用者に対する義務を設定するなど、さまざまな規制がなされています。主要な法律としては、「労働基準法」、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(以下、『均等法』)」があります。  労働基準法では、6週間(多胎妊娠の場合は14週間)以内に出産する予定の女性に産前休業を求める権利を認めています(同法65条1項)。  次に、均等法は、事業主に対して、妊娠中の女性労働者が母子保健法の規定による保健指導または健康診査を受けるために必要な時間を確保することができるように、勤務時間の変更、勤務の軽減など、必要な措置を講ずる義務を負担させています(同法12条および13条)。さらに、同法は、妊娠を理由とした不利益取扱いも禁止しています(同法9条3項)。  これらの規定は、使用者への義務づけまたは妊娠した女性労働者に権利を与えています。また、これらの制度は、女性労働者の請求に基づき、使用者が配慮を求められることになります。そのため、妊娠中であることを理由とした権利の行使について、妊娠した女性労働者の判断に委ねられています。  したがって、法律上の規定からは事業主への報告を義務づけているとはいえません。 2 報告義務の設定について  前述したような法律では、妊娠した女性労働者に対する報告義務を課すことについて直接禁止した規定は見あたりません。むしろ、均等法施行規則は、事業主に、妊娠中の女性労働者に対して、妊娠週数に応じた保健指導または健康診査を受けるために必要な時間を確保する義務を負担させていますが(同則2条の3)、これは使用者が、労働者の妊娠を把握していなければ実施することは困難です。  労働基準法は、妊娠中の女性労働者に関して、坑内業務の禁止(同法64条の2)、危険有害業務の禁止(同法64条の3)のほか、妊娠中の労働者が請求した場合の時間外労働、休日労働、深夜業の禁止(同法66条各項)、軽易作業への転換義務(同法65条3項)などを使用者の義務として定めています。そして、これらの義務について使用者が違反した場合には、罰則の定めまであります(同法118条1項、119条1項)。  労働基準法および均等法が、事業主に対して上記のような各種の義務を負担させていることからすれば、使用者が当該義務を適切に履行するためには、女性労働者に対して、妊娠した事実の報告を求めること自体は、労働基準法および均等法の趣旨に反するものではないと考えられます。  したがって、就業規則に妊娠の報告義務およびその時期を定めることが無効とはされないと考えられます。そのため、当該規定に基づき、使用者において、安定期(妊娠後5カ月から6カ月目まで)に入った時期に妊娠の報告をするよう義務づけることは可能と考えられます。  しかしながら、妊娠の報告を義務づけることができたとしても、報告を怠った場合に不利益処分を行えるか否かについては、均等法が定める不利益取扱いの禁止に違反しないか否かの検討が必要となります。 3 不利益処分の可否について  均等法9条3項の定める不利益取扱いの禁止に関して、最高裁の重要な判断として広島中央保健生活協同組合(A病院)事件(最高裁一小 平成26年10月23日判決)があります。  当該事案は、妊娠中に軽易業務への転換を求めたところ、近接した時期に降格処分を受けたため、その降格処分の無効を訴えたというものでしたが、最高裁は、「女性労働者につき妊娠中の軽易業務への転換を契機として降格させる事業主の措置は、原則として同項(筆者注:均等法9条3項)の禁止する取扱いに当たる」と判断し、妊娠中業務への転換を「契機」とした処分は、原則無効であるという判断を下しました。  この判決を受けて、厚生労働省は通達を改正し、妊娠したことを「契機」とした不利益処分は、原則として、妊娠したことを「理由」とした不利益処分となると解される旨の解釈を示しています。そして、契機としたか否かの判断については、妊娠と不利益処分が時間的に近接しているか否か、具体的には1年以内であるか否か、人事考課における不利益な評価や降格については最初のタイミングまでの間に行われたものか否かで判断されます。  これらの不利益取扱いの例外として認められるためには、業務上の必要性から当該不利益取扱いを行わざるを得ない場合で、かつ、均等法の趣旨に反しないと認められるか、労働者の自由な意思による同意が得られるような場合にかぎられています。なお、労働者の「自由な意思」と認められるためには、一般的な労働者であれば同意するような客観的かつ合理的な理由が必要と考えられています。  したがって、妊娠中であることの報告を怠った場合であっても、妊娠と近接した時期に行う不利益処分は、その性質上、同意を得て行うようなものではないため、処分を行うことが避けがたいほどの業務上の必要性が認められるとも考えにくいため、同法に違反するものとして無効とされる可能性が高く、不利益処分は無効となるうえ、均等法に基づく指導、勧告などの対象となり得ますので注意が必要です。 第22回 労使慣行の変更、賃金の支払いの確保に関する諸制度 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 労使慣行を変更するにあたり、注意すべきことはありますか  長年にわたって、賞与の補充の位置づけで、年度末に一時金の支給を実施してきました。この一時金の支給については、労働契約はもちろん、就業規則にも明記しておらず、事実上支給してきたものです。  このたび、業績の不振や昔と異なり従業員の給与水準が全体的に上昇してきたことから、一時金の支給を廃止して、賞与の支給に統一しようと考えています。  特に、労働契約の内容や就業規則の規定を変更するものではないことから、廃止することは問題ないと考えていますが、変更にあたって注意すべきことはありますか A  たとえ、労働契約や就業規則に明記されていない場合であっても、労使間において事実たる慣習となっている場合や黙示の合意が認められる場合などには、法的に有効な労働条件として拘束力を有することになります。  このため、労使慣行により法的に有効な労働条件を不利に変更する場合には、就業規則の変更と同様に変更の合理性が求められることがあります。 1 労使慣行について  労使間の労働条件を決めるのは、基本的に労働契約に基づくほか、就業規則や労働協約によって定められることになります。  しかしながら、就業場所における細かい ルールまで逐一(ちくいち)定めておくことは、現実的ではなく、一時的な取扱いのつもりで始めることもあるでしょう。  そのようななかで、長期間にわたり、維持され続けることで、あえて廃止する理由もなくなり、その取扱いに依拠(いきょ)した労働者の期待なども生まれてくることがあります。  このような状態に至った場合には、労働者は、これを既得権として意識するようになっていきます。  導入自体も流動的に、特に意識されることなく行われるため、これを廃止する方法についても特に意識されないことが多いように思われます。  労働契約や就業規則などに明記されない形で導入されるルールは、労使慣行などと呼ばれることがありますが、すべてが法的に拘束力を有するとは考えられておらず、労働法上も取扱いがむずかしい問題となることがあります。 2 労使慣行の法的拘束力について  労使間の慣行に関する法的拘束力について判断した裁判例として、大阪高裁平成5年6月25日判決(商大八戸ノ里ドライビングスクール事件)があります。同裁判例は、@同種の行為または事実が一定の範囲において長期間反復継続して行われていたこと、A労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していないことに加えて、B当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられていることが必要と整理しました。  さらに、規範意識に関して、「使用者側においては、当該労働条件についてその内容を決定しうる権限を有している者か、又はその取扱いについて一定の裁量権を有する者が規範意識を有していたことを要する」とされています。要するに、権限のある者が気づいていないルールが継続しているわけではなく、認めたうえで継続していたことが必要とされています。  以上の要件に加えて、「その慣行が形成されてきた経緯と見直しの経緯を踏まえ、当該労使慣行の性質・内容、合理性、労働協約や就業規則等との関係(当該慣行がこれらの規定に反するものか、それらを補充するものか)、当該慣行の反復継続性の程度(継続期間、時間的間隔、範囲、人数、回数・頻度)、定着の度合い、労使双方の労働協約や就業規則との関係についての意識、その間の対応等諸般の事情を総合的に考慮して決定すべき」とされ、「労働協約、就業規則等に矛盾抵触し、これによって定められた項を改廃するのと同じ結果をもたらす労使慣行が事実たる慣習として成立するためには、その慣行が相当長期間、相当多数回にわたり広く反復継続し、かつ、右履行についての使用者の規範意識が明確であることが要求される」としています。  明文の規定に抵触しても成立する可能性があるため、就業規則の明文にないルールだからといって、法的拘束力がないわけではありません。また、今回の一時金の支給は、権限者が支給に関与していないとは考えられないため、使用者側の規範意識を有していたといえ、長期にわたり事実上継続してきたことからも法的拘束力のある労使慣行になる可能性があります。 3 労使慣行の変更や廃止について  労使慣行については、法律の明文でその有効となる要件が定められているわけではありません。そのため、労使慣行を変更する要件も定められていません。  労使慣行の成立要件は裁判例で一定程度整理されているものの、変更についてはどのように考えればよいのでしょうか。  京都地裁平成24年3月29日判決(立命館(未払一時金)事件)においては、労使慣行の不利益変更の有効性が問題となりました。  同判決では、「労使慣行の変更が許される場合とは、その必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該変更の法的規範性を是認することができるだけの合理性を有する必要がある」とされ、就業規則の不利益変更と同趣旨の判断基準を示しました。一時金という賃金に関連する事項については、「当該変更が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のもの」にかぎられました。  同裁判例が示すように、一時金のような賃金と関連する制度の廃止を行うためには、高度の必要性がなければならず、高度の必要性が存在していない場合には、個別の同意を得たうえで、変更していくほかないということになります。 Q2 賃金の支払いが遅れる場合の罰則や労働者への支援などについて知りたい  賃金の支払いが遅れそうな状況なのですが、賃金の支払いができなかった場合には使用者へのペナルティなどはあるのでしょうか。  もし、このまま支払うことができなかった場合には、労働者に対する生活保障はあるのでしょうか。 A  賃金請求権は、労働者にとって重要な権利であるため、未払いに対する罰則が用意されているほか、支払いをうながすための通達も定められています。  なお、支払うことができない状態となった場合でも、破産手続が開始されるなど、一定の状況に陥った場合には、賃金の立替払い制度が用意されています。 1 賃金未払いへの制裁について  労働基準法は、賃金の支払いに関して、いくつかの原則的なルールを定めています。主なルールとして、@通貨払いの原則、A直接払いの原則、B全額払いの原則、C月一度以上の定期払いの原則があげられます。  まず、@の原則は、現物支給を避け、通貨という生活の糧を支給することを確保させています。Aの原則は、労働者供給や職業仲介人による中間搾取などを生じさせないために定められたものであり、Bの原則は、使用者による不当な控除を回避することを目的としています。Bについては、社会保険料や所得税の源泉徴収などの一部の例外はあるものの、貸金や賠償金などの名目で賃金から相殺することを禁止するという機能も有しています。また、Cについては、支払時期を不当に長期にすることで、労働者に対する拘束を強めることを回避する機能を有しています。  これらのルールは、労働者の賃金を確保するために歴史的な意味でも重要と考えられてきた内容であり、労働基準法は、これらの違反に対して罰則をもって制裁を予定しています。罰則の内容は、30万円以下の罰金という内容ですが、賃金の支払い原則に関する労働基準法違反に対しては、社会通念上なすべき最善の努力をしていない場合には、労働基準監督署長は使用者に対して期日を指定してそれまでに賃金を支払う旨を厳重に確約させ、この確約に応じないときまたは確約を履行しないときは事件を地方検察庁に送致すべし、との通達が出されており、労働基準法上最も厳守することが求められているルールであるといえます。  したがって、賃金の支払いが遅れないように厳守することは強く求められており、できれば、賃金の支払いが遅れないようにほかの債務の支払いとの調整を試みるべきでしょう。 2 労働者がとりうる手段について  労働者は、使用者からの未払い賃金債権について、その支払い確保のために一般先取特権という担保権を有しています。  この一般先取特権は、債務者である使用者の総財産に対して効力を有しているため、労働者の立場からは、判決を得るまでもなく、使用者の財産に対して担保権の実行を裁判所に申し立てて、使用者の財産を換価することを求めることができます。  実際に実行される事例は少ないものの、労働者の権利が十分に保護されていることを示した制度であるといえそうです。 3 未払い賃金に対する遅延利息について  賃金の支払いをうながす法律は、労働基準法のみではありません。賃金の支払いの確保などに関する法律には、未払い賃金に対する遅延利息が高率となるよう定められています。適用されるのは、退職した労働者にかぎられていますが、未払い賃金が生じた結果、労働者が退職に至った場合、未払い賃金に対しては、年14・6%の割合の遅延利息が付されることになっています。  この規定は、退職後の未払い残業代を請求される場合にも適用されることが多く、未払い残業代を生じさせた場合には、想定以上の金額を支払わなければならなくなる場合もあります。なお、未払い残業代に対しては、労働基準法は付加金による制裁も用意しているため、最大で未払い残業代と同額の付加金支払いを命じられる場合があります。結論として未払い残業代および同額の付加金を負担しなければならなくなり、想定していた残業代の2倍を負担させられるおそれがあります。  これらの規定は、賃金や残業代の請求などが行われる場合には、適用される可能性が高い内容であり、未払い賃金に関する制裁として機能する基本的な制度として位置づけられるでしょう。 4 未払い賃金の立替払い制度  労働者災害補償保険の適用事業者(農林水産業の一部を除き、1人以上の労働者を使用する事業はすべて、強制的に適用事業であるため、ほぼすべての事業者が該当します)であって、1年間以上の事業活動を行っていた場合で、次のいずれかに該当する場合には、立替払い制度が行われています。 @破産手続開始の決定を受け、または特別清算の開始命令を受けたこと A民事再生手続開始の決定、または更生手続開始の決定を受けたこと B中小企業の場合、事業活動が停止し、再開の見込みがなく、かつ賃金支払い能力がないことが労働基準監督署に認定されたこと  使用者がこれらに該当することを前提に、支払われる範囲にも限定があります。まず、退職した労働者が対象となりますので、いずれかの要件を充足するとともに、労働者に対する解雇などにより退職が完了されていなければなりません。  次に、立替払いされる賃金は、退職日の6カ月前の日以後立替払いの請求日の前日までの期間において、支払期日が到来している定期給与および退職金で、総額が2万円以上のものについて、それらの8割に相当する額が支払われます。ただし、図表のような年齢に応じた上限額の設定もあります。  賃金を支払うことができなくなってもなお、事業活動を継続しようとする経営者があげる理由の大きな部分は、労働者たちの生活への影響が大きすぎる点を心配することも多いです。  しかしながら、賃金の立替払い制度の存在を知らない場合も多いように思われます。また、破産手続が開始された後においても、破産開始決定前3カ月間の賃金については、財団債権といって、破産手続において優先的に弁済をしなければならない債権とされており、使用者の財産がまったくないような場合はともかく、財産を換価したのちには、賃金の支払いを受ける可能性があります。  事業活動の廃止に向けて検討するにあたっては、これらの制度の内容をふまえたうえで、方針を定めることは重要であると思われます。 図表 未払賃金立替払制度の上限額 退職労働者の退職日における年齢 立替払いの上限額 45歳以上 296万円 30歳以上45歳未満 176万円 30歳未満 88万円 筆者作成 第23回 労働条件の不利益変更、試用期間の法的な位置付け 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 賃金の見直しは労働条件の不利益変更にあたるのでしょうか  これまで職能給制度のもと、年功序列による昇給を実施してきましたが、同一労働同一賃金への取組みとともに、職務給および成果主義による賃金制度への変更を計画しています。  すべての従業員について、賃金が上昇することになると人件費の負担が大きすぎるため、新たな賃金制度の導入とともに一部の従業員の賃金や福利厚生面についても見直しを検討しています。  労働条件を変更するためには、どのような手続きが必要なのでしょうか。 A  労働条件を変更する場合は、合意によって変更することが原則とされています。そして、労働条件の変更の合意については、労働者の自由な意思が確保されていなければなりません。  また、就業規則や労働協約の変更によって、制度自体を変えることで、多数の従業員の労働条件を変更する場合は、変更の合理性が認められなければなりません。賃金制度の変更などにおける合理性の判断にあたっては、従業員全体に対する人件費の総額が維持されるか否かも重視されています。 1 労働条件の変更ルール  従業員との間で労働条件の変更を行う方法には、@同意による方法(労働契約法第8条)、A就業規則の変更による方法(労働契約法第10条)、B労働協約による方法(労働組合法第14条、第16条)があります。  これらの変更方法には、異なる基準によりその変更の有効性が判断されることになりますので、それぞれの留意点を見ていきたいと思います。 2 同意による変更  労働契約法第8条は、「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる」と定めたうえで、同法第9条において、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない」と定めることで、例外的な場合を除いて、合意によって労働条件を変更することを原則として位置付けています。  合意による変更であるため、紛争にはなりにくそうですが、合意が真意によるものであったのかが争われる場合があります。  例えば、合併などにともない退職金の支給基準の変更を署名押印のある書面により明示的な合意で変更した事案である最高裁平成28年2月19日判決(山梨県民信用組合事件)においては、@指揮命令に服すべき立場に置かれていること、A意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることを考慮して、労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきであることを前提として、「変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点」から判断すべきとし、具体的な不利益の内容や程度についても説明を充実することが求められています。  これだけ明示した合意であっても、自由な意思であることが求められることが通常であることから、労働条件の変更に異議を述べなかったことを理由に黙示の合意が認められるのは極めて例外的な場合にかぎられています。  したがって、合意により労働条件を変更するにあたっては、不利益部分に関する説明内容を充実させたうえで、労働者の自由な意思により変更に応じたことを担保するように留意する必要があります。 3 就業規則による変更  就業規則を変更することによって、労働条件を変更することができる例外的な場合として、労働契約法第10条は、「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする」と定めています。  手続き的な要件として必要とされているのは、労働者への周知ですが、変更が有効か否かを判断する重要な要素としては、不利益変更の合理性が求められています。  そもそも、労働条件の変更が「不利益」であるか否かは、どのように判断されるのでしょうか。就業規則を変更する場合には、複数の条文を同時に変更することが多く、労働者にとって有利な部分もあれば、不利な部分もあるというのが実情です。このような場合でも、少しでも不利益な変更部分が存在する場合には、不利益変更として評価され、有利な要素があることは合理性の程度として評価されることになります。  近年の成果主義賃金に関する裁判例では、賃金原資総額が減少しない場合という留保をつけつつ、「個々の労働者の賃金を直接的、現実的に減少させるのは、賃金制度変更の結果そのものというよりも、当該労働者についての人事評価の結果である」として、不利益変更の合理性について、やや緩やかに判断した事例があります(東京地裁平成30年2月22日、トライグループ事件)。  なお、当該裁判例においては、昇給、昇格、降給および降格の結果についての平等性が確保されること、人事評価における使用者の裁量の逸脱、濫用を防止する一定の制度的な担保がされていることなどの事情を総合的に考慮して判断すべきとされており、成果主義賃金導入後に人事考課の裁量が広くなりすぎるという問題点への対処は求められています。 4 労働協約による変更  労働組合法第16条は、「労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は、無効とする。この場合において無効となつた部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部分についても、同様とする」と定め、労働条件の最低基準となることを定め、労働契約に優先する効力を持つと解釈されています。さらに、同法第17条において、「一の工場事業場に常時使用される同種の労働者の四分の三以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至つたときは、当該工場事業場に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用されるものとする」とも定め、労働組合の組合員以外への法的拘束力も肯定しており、労働協約を変更することで、多数の労働者との間で労働条件を変更することも可能となっています。  労働協約は、労働組合との合意により成立するものであり、労使間の交渉を経て、条件の調整などを重ねながら最終的な労働協約として整理されるという過程を経ることが多く、当該労使間の交渉が行われることが重視され、就業規則と比較すると、変更の有効性は認められやすい傾向にあると考えられています。 Q2 試用期間を経て本採用を見送る場合に問題はありますか  求人活動を経て、採用に至ったのですが、入社してから協調性のなさ、業務に関する報告が不十分であること、業務のスピードが一般的な採用者と比べても大きく劣っているなど、採用時にはわからなかった能力不足が明らかになってきました。  採用にあたっては、3カ月の試用期間を設けているので、試用期間満了をもって契約を終了しようと思っているのですが、問題があるでしょうか。 A  試用期間の満了による終了においても、解雇権濫用に該当する可能性があります。採用前に判明していなかった事情であるか、試用期間中に解消することができない能力不足であったのかなどを考慮のうえ、本採用拒否の有効性が判断されることになります。なお、試用期間を延長することで対応する方法も考えられますが、その場合就業規則の規定に延長を許容する内容が含まれている必要があります。 1 試用期間の法的性質  多くの企業においては、採用の際に試用期間を設けることが一般的です。期間としては、3カ月から6カ月程度が多いかと思われますが、試用期間中に十分な能力がない場合には、本採用を拒否して、労働契約を終了させる場合があります。  この試用期間の法的性質については、「試用契約の性質をどう判断するかについては、就業規則の規定の文言のみならず、当該企業内において試用契約の下に雇傭された者に対する処遇の実情、とくに本採用との関係における取扱についての事実上の慣行のいかんをも重視すべきもの」として、事案ごとに個別に判断される余地は残しつつも、「上告人と被上告人との間に締結された試用期間を三か月とする雇傭契約の性質につき、上告人において試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは、それだけの理由で雇傭を解約しうるという解約権留保の特約のある雇傭契約」という認定を是認しています(最高裁昭和48年12月12日判決、三菱樹脂本採用拒否事件)。  この説示は、たとえ試用期間中であったとしても雇用契約は成立していることを前提にしているため、本採用の拒否は、解雇に該当するということを示しています。一方で、試用期間中には、解約権が留保されていることから、当該留保された解約権の行使として行われる本採用拒否においては、通常の解雇とは判断基準が異なるという結論が導かれます。  当該判例においては、留保解約権の行使について、「一定の合理的期間の限定の下にこのような留保約款を設けることも、合理性をもつものとしてその効力を肯定することができるというべきである。それゆえ、右の留保解約権に基づく解雇は、これを通常の解雇と全く同一に論ずることはできず、前者については、後者の場合よりも広い範囲における解雇の自由が認められてしかるべきものといわなければならない」として、解雇よりは広く行使することが許されると考えられています。 2 解雇権濫用との関係について  試用期間の性質が、留保解約権付の雇用契約であるとしても、ただ自由に本採用拒否できるというわけではなく、同判例においても「留保解約権の行使は、上述した解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解するのが相当である」と判断されています。  具体的には、企業が、採用決定後における調査の結果により、または試用中の勤務状態などにより、採用の当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知るに至った場合などに、引き続き当該企業に雇用しておくのが適当でないと判断することが、留保された解約権の趣旨、目的に照らして、客観的に相当であると認められる場合であれば、有効な留保解約権の行使と認められると考えられています。 3 試用期間満了と解雇予告について  試用期間後の本採用拒否も一種の解雇であると理解されていることからも、本採用拒否をする場合においても、14日以内の試用期間の労働者を除き(労働基準法第21条第4号)、「使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも三十日前にその予告をしなければならない。三十日前に予告をしない使用者は、三十日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない」と定める労働基準法第20条が適用されることになります。  したがって、3カ月の試用期間を定めた場合においても、予告手当を支給しない場合には、2カ月経過するまでの間に、本採用拒否によって解雇するか否かを決断しなければならない場合があります。 4 試用期間の延長について  試用期間中には、留保解約権が企業に残され続けることになるため、一般的には、不安定な地位に労働者を置いていると評価され、あまり長期間になることは許容されていません。あくまでも、試みの期間として合理的な範囲でなければならないということになります。  しかしながら、試用期間を延長して様子を見たい場合も生じることがあります。  過去の裁判例では、「試用期間の趣旨に照らせば、試用期間満了時に一応職務不適格と判断された者について、直ちに解雇の措置をとるのでなく、配置転換などの方策により更に職務適格性を見いだすために、試用期間を引き続き一定の期間延長することも許されるものと解するのが相当である」などと判断されており、本採用拒否を回避する趣旨での延長については許容されているものがあります(東京地裁昭和60年11月20日判決、雅叙園観光事件)。  ただし、就業規則において、延長の規定すら定めていない場合は、試用期間の延長は、就業規則が定める最低基準を下回る(より不安定な地位に長く置く)ことになるため、延長の効力が否定されるとの規制もあるため、延長する前提として就業規則の規定は整備しておく必要があります。 第24回 ハラスメント関連指針の改正、変形労働時間制 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 ハラスメント関連指針の改正内容について知りたい  労働施策総合推進法が改正されパワーハラスメントの防止が求められるようになったほか、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法なども一斉に改正され、ハラスメント関連の指針も改められたとのことです。  これまでの法律とどのような違いがあるのでしょうか。企業において準備しなければならない事項は、具体的にはどのような内容になるのでしょうか。 A  労働施策総合推進法によりパワーハラスメントの防止が法制化された点は重要な改正であり、そのほかの法律との整合性も意識されています。  新しい指針については、各種ハラスメントの防止に関する指針の内容の整合性を整理し、防止のためにあるべき姿を明確にしたことに意義があるといえるでしょう。  企業においては、ハラスメント防止のために、方針の明確化、就業規則の整備、相談窓口の設置などの対応が求められることになります。 1 労働施策総合推進法の改正について  昨年、ハラスメントの防止に関連して、「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(旧「雇用対策法」、以下「労働施策総合推進法」)が改正されました。  この法律では、長時間労働の防止やワークライフバランスを図ること(同法6条1項)、求人などの人材募集においても年齢によらない均等な機会をあたえること(同法9条)など、雇用において生じるさまざまな問題に対する基本方針のようなものが定められています。  今回の改正では、パワーハラスメントの防止措置に関して、事業主の義務として明記されることになりました。  改正労働施策総合推進法30条の2第1項では、「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない」とされ、当該規定に基づく対応として、「相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備」と「その他の雇用管理上必要な措置」を準備することが必要となります。また、同条第2項においては、「事業主は、労働者が前項の相談を行つたこと又は事業主による当該相談への対応に協力した際に事実を述べたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない」とも定められており、セクシュアルハラスメントやマタニティハラスメントと同様に、不利益取扱いの禁止も定められました。  「当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置」を講じることについて、同様の規定が男女雇用機会均等法11条や育児・介護休業法25条にも定められており、これで、主なハラスメントの防止措置に関する規定がそろったことになります。 2 ハラスメント防止措置違反に対する制裁について  パワーハラスメントの防止措置の整備状況に関しては、厚生労働大臣が必要な事項について報告を求めることができ(改正労働施策総合推進法36条第1項)、当該報告に応じなかった場合や、虚偽の報告をした場合には20万円以下の罰金に処するものとされています。  しかしながら、近年では、制裁としては罰金よりも、違反者に対する是正勧告に従わなかった場合に行われる企業名公表の方が重大かもしれません(同法33条第2項)。企業名公表の制度は、セクシュアルハラスメントやマタニティハラスメントに関しても採用されており(男女雇用機会均等法30条及び育児・介護休業法56 条の2)、違反者に対する行政上の制裁として確立してきています。  企業名公表は、企業が労働関連法を順守していないことを世間に知らしめることになるため、最も影響を受けるのは求人活動であると考えられます。労働関連法を順守していないことは、採用に大きな悪影響を与えることにつながるため、事業活動に支障が生じるおそれがあります。 3 ハラスメント防止指針について  各種ハラスメントの防止指針は、令和2年厚生労働省告示第5号および第6号として定められました。  細かい点は、それぞれのハラスメントの特性に応じて異なる点もありますが、事業主の責務として求められる内容は共通しています。  まず、@事業主の方針の明確化とその周知・啓発があげられています。基本的には、社内におけるハラスメントを禁止すること、違反に対して厳正に対処する旨のトップメッセージを発信し、社内報など社内での公表などの措置により周知することが考えられます。また、就業規則における服務規律や懲戒処分の規定を整備しておくこともあわせて実施する必要があります。  次に、A相談や苦情に対応する体制の整備が必要です。実際には相談窓口を設置し、窓口の利用に関して周知することになるでしょう。また、相談対応を行う人員についても研修が必要ですが、負担が大きい場合には、例えば、法律事務所などの外部窓口へ委託する方法も採用できます。  さらに、B発覚した後の迅速かつ適切な対応が必要です。なかでも、迅速さをないがしろにすると被害の拡大につながるため注意が必要です。適切な対応とは、(1)事実関係の正確な把握、(2)被害者への配慮が行われること、(3)事実確認後必要に応じて行為者に対する処分などの措置を実施すること、(4)組織内における再発防止策を実施することなどがその内容となっています。  最後に、C各措置においてプライバシーへの配慮が行き届いていることが必要です。相談者や行為者の情報はプライバシーとして保護されるべき対象と考えられています。このことは、正確な事実関係を把握するまで、加害者と指摘された労働者も、実際に加害行為を行ったのか否か不明であることを前提にしなければならないということでもあります。また、相談者の情報を開示することがハラスメントをエスカレートさせるおそれもあることから、状況によっては相談者を具体的に開示することなく対応するケースも生じることが想定されます。 4 望ましい対応について  指針には、順守すべき内容に加えて、望ましい対応もあわせて示されています。一つは、パワーハラスメント、セクシュアルハラスメントやマタニティハラスメント対応の窓口を一元化することです。  ほかにも、ハラスメント予防のために、感情をコントロールする手法やコミュニケーションスキルアップの研修を行うこと、マネジメントや指導についての研修を実施することなどもあげられています。  また、雇用という関係の外にある場面についても言及されており、インターンシップなど、まだ雇用に至っていない人間関係や、業務委託関係にある個人事業主などもハラスメントが望ましくないことは前提とされています。  さらには、顧客などからの著しい迷惑行為や、取引先であるほかの事業主との関係にまで言及されており、いわゆるカスタマーハラスメントなどまで想定された内容となっています。  以上の、望ましい内容については、法令上の拘束力まで及ぼす趣旨ではないと考えられますが、労働環境の整備にあたっては重要な視点であると思われます。 Q2 変形労働時間制とはどのような制度なのか知りたい  働き方改革により労働時間の抑制やフレキシブルな労働時間制度の採用が望まれているようですが、変形労働時間制とはどのような制度なのでしょうか。導入のためには、どのような手続きが必要なのでしょうか。 A  1カ月以内の単位の変形労働時間制と、1年以内の単位の変形労働時間制があります。それぞれ、事業内容などに応じて使い分けることで、労働時間を柔軟化することが可能です。  導入には、1カ月単位の変形労働時間制の場合は就業規則または労使協定の締結、1年単位の変形労働時間制の場合は労使協定の締結が必要です。なお、締結した労使協定は労働基準監督署へ届け出ることになります。  対象期間、労働日、労働時間を特定して定めておかなければ、変形労働時間制の適用が否定されることがあるため注意が必要です。 1 変形労働時間制の種類  労働時間制度は、1日8時間以内、かつ、1週間40時間以内とすることが原則とされており、これを超えるためには、36サブロク協定の締結が必要であり(労働基準法36条)、法定の労働時間を超えた場合には時間外割増賃金を支払う義務が使用者に生じます。  しかしながら、原則通りのルールのみでは、例えば、週に1日集中して業務にあたった方が労働者にとっても効率のよい業務があったとしても、1日12時間労働したうえで、翌日は午後出社して4時間勤務をした場合(2日間で16時間労働)でも、4時間分の時間外割増賃金が発生することになります。  とすると、時間外割増賃金が発生することを回避したい使用者からすれば、8時間勤務の維持を望むことから、労働者にとっては都合のよい働き方を選択しづらくなってしまいます。  このような場合の例外的な制度として、変形労働時間制が用意されています。  例えば、前記の例示のようなケースであれば、1カ月単位の変形労働時間制を採用することで、時間外労働時間を抑制することが可能です。すなわち、一定の期間を単位として定めることで、その範囲内において、1日または1週単位における労働時間の制限が緩和されることで、時間外労働としては扱われなくなります。 2 導入の手続きについて  1カ月単位の変形労働時間制を導入する場合は、就業規則に規定を設けるか、過半数以上の労働者から選出した労働者代表(過半数以上の労働者で組成する労働組合でもかまいません。以下、「過半数代表者」)との間で締結する労使協定によることもできます。  一方で、1年単位の変形労働時間制を導入する場合は、過半数代表者との間で労使協定を締結することが必須です。なお、この場合でも、始業時間と終業時間については、就業規則に規定しておく必要があります。  いずれの場合であっても、労使協定を締結した場合には、労働基準監督署へ届け出ることになります。  変形労働時間制を導入するためには、対象労働者、対象期間と起算日、労働日と労働日ごとの労働時間、労使協定の有効期間などを定める必要があります。 3 対象とする期間や労働日、労働時間の特定について  変形労働時間制を導入するための要件のなかでも、注意が必要とされるのが、対象期間と起算日や労働日の所定労働時間の特定です。  過去にこの点が争点となった事件で、就業規則等において、「業務の都合により四週間ないし一箇月を通じ、一週平均三八時間以内の範囲内で就業させることがある」旨が定められていた事案において、「一箇月単位の変形労働時間制…(略)…は、法定労働時間の規定にかかわらず、その定めにより、特定された週において一週の法定労働時間を、又は特定された日において一日の法定労働時間を超えて労働させることができるというものであり、この規定が適用されるためには、単位期間内の各週、各日の所定労働時間を就業規則において特定する必要があるものと解される」として、各週、各日の所定労働時間を特定されていないことを理由に、変形労働時間制の適用が否定されました(最高裁平成14年2月28日判決〈大星ビル管理事件・上告審〉)。  対象期間と起算日、所定労働時間については、変形労働時間制の単位期間が始まる前に、シフト表やカレンダーなどで指定されて特定することが一般的に行われていますが、これらは変形労働時間制適用の前提となるものであるため、非常に重要であるということは認識しておくべきでしょう。労働日の特定については、1カ月単位の変形労働時間制の場合は、対象期間の前日までに、一方、1年単位の変形労働時間制の場合は、対象期間を1カ月以上の期間に区分して、当該区分した期間の初日から30日以上前までに、過半数代表者と同意して特定する必要があるとされています。 4 使い分けの判断について  1カ月単位の変形労働時間制は、1カ月のなかで、繁閑(はんかん)の差があるような企業においては、メリハリのある労働時間の配分のために採用する余地があります。  一方で、1年単位の変形労働時間制については、1年間を通じた、労働時間の調整も一定程度可能となります。季節ごとに繁閑差があるような企業において採用することが適切といえるでしょう。1年単位の変形労働時間制において、労働時間の調整が一定程度にとどまる理由は、1日単位の労働時間は最大10時間、1週間単位の労働時間は最大52時間とされ、3カ月を超える単位としている場合には、週の労働時間が48時間を超える週を連続させるのは3週以下、3カ月ごとの各期間において週の労働時間が48時間を超える週は3回以下といった上限規制があるため、純粋に年間の労働時間全体で調整できるわけではないからです。  なお、対象期間の特定などがむずかしい場合には、フレックスタイム制の採用を検討することになります。 第25回 中途採用の留意点、管理監督者の要件 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 中途で人材を採用する際の留意点について知りたい  重要なポストに人材不足が生じていることから、中途採用により補充することを検討しています。  処遇などについては、ポストに見合うものを用意しようと思っていますが、それだけに適切な人材を採用できるか否か心配もあります。  採用の際に留意すべき点はあるでしょうか。 A  経験者、即戦力として期待する人材を確保することを目的としている場合には、求人の段階から、その旨を明確にしておくことが重要です。  また、採用面接においても、必要な能力や期待する職務遂行の水準などを明確にしておくべきでしょう。  採用後においても、職務内容の重要性の理解に資するだけの資料を用意しておくとともに、試用期間中における能力の見極めが重要といえます。 1 経験者、即戦力の採用について  雇用の流動性が高まりつつあるなか、重要なポストについても、社内での育成のみではなく、外部からの採用に頼るケースも増えているように思われます。  中途採用によって、役職相当の人材を確保すること自体は、採用の自由の観点から当然認められるものですが、不適切な人材を雇用してしまうと、解雇することが困難であることは、一般の労働者と大きく変わるものではありません。  したがって、慎重な採用が必要となることは間違いありませんが、採用の場面において、適切な対応をしておくことで、解雇する場面においても使用者に有利な判断を導くことができることがあります。  今回は、経験者、即戦力を期待した従業員の雇用にあたっての留意事項と裁判例をご紹介します。 2 採用時の留意事項について  使用者と労働者の間で、労働契約を締結した以上、解雇権濫用法理や雇止め時の解雇権濫用法理の準用などによって、客観的かつ合理的な理由と、社会通念上の相当性がなければ、労働契約を終了できません。  解雇が認められるか否かにおいて、重要な要素となっているのが、「最終手段として解雇を選択したか否か」です。したがって、最終手段となるためには、通常であれば、解雇以外の手段によって雇用を維持する努力が求められることになります。解雇以外の手段としては、例えば、業務指導による能力改善、配置転換や転勤による業務内容や就業場所の変更などが典型的な解雇回避措置になるでしょう。  経験者や即戦力の労働者を採用する場合には、最終手段までの選択肢をできるかぎり減らしておくことが重要となります。したがって、例えば、就業場所を限定することによって、転勤という選択肢をなくしておく、職種を限定することによって、配置転換という選択肢をなくしておく、高額の処遇と期待する能力をあらかじめ明示しておくことによって業務指導による能力改善を行うという前提をなくしておくといったことが重要となります。  労働条件通知書や労働契約書においては、基本的な必要的記載事項以外の項目について触れることなく、当たり障りのない内容のみが記載されていることが少なくありませんが、経験者や即戦力を期待している場合には、就業場所の限定や職種の限定を明記するほか、期待する能力についても明記しておくことが重要です。  なお、これらの点については、突然、契約書に記載するだけでは不十分であり、求人広告や求人票の記載においても明記しておく必要があります。また、面接の際においても、いかに即戦力として採用することを前提にしている求人であるかということは明確に伝えておくべきでしょう。 3 裁判例について  部長として中途採用を行った会社において、試用期間満了時に本採用を拒否した事案について、試用期間満了時の判断を有効とした裁判例を紹介します(東京地裁平成31年1月11日判決)。事案の概要は、次の通りです。  A社が部署の特性を理解したきめ細やかなマネジメントを行うことができ、グループ全体の新たな事業分野の開拓にも貢献できる即戦力の人材を求めて、部長職としての募集であることを明示して求人を行っていたところ、X氏がこれに適合する人材であることを前提とした履歴書を提出し、A社とX氏は年収を1000万円超と設定した労働契約書を締結しました。ところが、1カ月も経過しないうちに、X氏がパワーハラスメントをしたとの通報があったほか、履歴書の記載においても虚偽の事実が発覚したというものです。  裁判所は、採用の経緯などもふまえて、「原告は、その履歴書における経歴から、発達支援事業部部長として、さらにはA社グループ全体の事業推進を期待されるA社の幹部職員として、A社においては高額な賃金待遇の下、即戦力の管理職として中途採用された者であり、職員管理を含め、A社において高いマネジメント能力を発揮することが期待されていた」ことを前提にしました。そして、A社は、X氏の採用経緯などから、ほかの部署に異動させるなどの解雇回避の措置をとるべき義務はなく、即解雇することにしても本件労働契約の特質上やむを得ないなどと主張していました。裁判所も、「他の職員の業務遂行に悪影響を及ぼし、協調性を欠くなどの言動のほか、履歴書に記載された点に事実に著しく反する不適切な記載があったことが認められるところであり、本件本採用拒否による契約解消は、解約権留保の趣旨、目的に照らし、客観的に合理的な理由が存し、社会通念上相当なものと認められる」と判断して、本採用拒否を有効と判断しました。 4 裁判例から見える留意事項について  履歴書における虚偽記載などの事実が重視されるためには、採用理由との関連性が強く求められるところであり、即戦力としての期待をあらかじめ示しておくことは、採用理由との関連性を基礎づけることに非常に効果的であると考えられます。  また、高待遇を用意していること自体も、試用期間における能力を図るにあたって厳しく見ることが許容されるために重要な要素といえます。  加えて、採用時点における期待が具体的に本人に伝わっていたということは、本人に寄せられている期待を認識させることにつながるため、この点も重要でしょう。 Q2 管理監督者の要件について知りたい  当社では、一定の役職以上の労働者については、労働基準法上の管理監督者として取り扱うことを基準として定めています。  待遇などについては、基準以上の労働者については、役職手当の支給などにより厚遇しているのですが、何か問題があるでしょうか。 A  いわゆる企業の「管理職」と、労働基準法上の管理監督者については、かなり大きな乖離(かいり)があります。  一定の役職以上であることを基準として労働基準法上の管理監督者であると形式的に判断するのではなく、実態をともなう運用を心がける必要があります。 1 管理監督者性について  過去の記事においても管理監督者として必要な要素について、紹介したことがありますが※、今回は、裁判例の紹介などをふまえて、具体的にどの程度の権限などが求められることになるのかについて見ていきたいと思います。  管理監督者性の判断について、簡単におさらいしておくと、近年の裁判例では、以下の三つの要件の総合考慮によって判断する傾向があります。 @実質的に経営者と一体的な立場にあり、重要な職務、責任、権限が付与されていること A労働時間の決定について厳格な制限や規制を受けていないこと B地位と権限にふさわしい賃金上の待遇を付与されていること  また、これらの要件を考慮したうえで、最終的には、「労働時間規制の枠を超えて就労することを要請されてもやむを得ないような重要な職務と権限を付与されているといえるか否か」という観点から判断されています。 2 裁判例の紹介  横浜地裁平成31年3月26日の裁判例を題材にしたいと思います。  事案の概要としては、コーポレートプラン部(ブランドの復活を目ざす部署)のマネージャー職や、マーケティング部のマーケティングマネージャー職に従事していた(なお、これらの職位は課長職相当であった)労働者が、管理監督者としての地位になかったことを前提に、遺族が未払い割増賃金を請求したということです。なお、労働者が執務中に死亡したという事情がありましたので、遺族からの請求となっています。  裁判所は、管理監督者としての判断基準について、「@当該労働者が実質的に経営者と一体的な立場にあるといえるだけの重要な職務と責任、権限を付与されているか、A自己の裁量で労働時間を管理することが許容されているか、B給与等に照らし管理監督者としての地位や職責にふさわしい待遇がなされてるかという観点から判断すべき」として、過去の裁判例において踏襲されてきている基準と同様の基準を示しています。  まず、労働時間の管理について、勤務時間は把握されていたものの、遅刻早退による賃金控除はされておらず、労働時間管理については裁量を有していたと評価されました。  待遇としては、年収1200万円を超えており、部下との差額も240万円程度におよんでいたことから、待遇としてはふさわしい地位にあったと評価されました。  しかしながら、経営者との一体性に関する具体的な判断にあたっては、コーポレートプラン部(経営企画業務)のマネージャー職に従事していた時期の職務内容について、上長が了承しないかぎり、企画立案が採用されることがなかったことや、会議において発言することが基本的に予定されていなかったことから、経営意思の形成に対する影響力が間接的であるとされました。また、収益に影響のない事項の裁量を有していたものの、収益に影響がある場合にはCEOの決裁を求める必要があったことなどから、権限が限定的であるとされました。また、異動後のマーケティング部におけるマーケティングマネージャーとしての職務においても、重要な会議に参加しているものの、提案にあたって、あらかじめ上長の承認を受ける必要があること、出席が求められるのも担当する商品が議題に上がるときにかぎられていたこと、参加の機会が限定的であることなどから、こちらも経営の意思形成への影響力が間接的とされています。  これらの労働時間管理、待遇、経営者との一体性を総合考慮された結果、結局、経営者との一体的といえるだけの重要な職務、責任、権限を付与されていたとは認められないとして管理監督者性は否定されました。 3 裁判例から見える留意事項について  労働時間の裁量に関しては、管理監督者性を否定する事情としては、管理監督者であるにもかかわらず労働時間の把握がなされていたことが主張されることが多いですが、裁判例における労働時間の裁量についての判断においては、労働時間が把握されていたこと自体が決定的な要素とはいえないように思われます。一方で、労働時間に関しては早退や遅刻の賃金控除を行っていたか否かは重視しており、単に労働時間を管理または把握されていただけでは、管理監督者性が否定される要素とはされていません。働き方改革にともない、過労死の防止などをふまえて、労働時間の状況の把握が求められていますので、現在の裁判例の傾向は今後も続くものと考えられます。  待遇については、ケースバイケースの判断にならざるを得ませんが、一般職と管理監督者の待遇の差は、重要とみられていると考えてよいと思われます。今回の事例では、部下との間で年収にして240万円ほどの差が生じており、待遇としては十分なものと評価されました。どの程度の待遇であれば十分といえるかという判断はむずかしいですが、時間外労働や休日労働の割増賃金が発生しなくなった結果、賃金などに関する待遇が悪化したような事情があると、消極的に評価されるものと考えられますので、役職への就任前後の賃金の変化は重要な要素となるでしょう。  最後に、経営者との一体性、与えられている権限の重要性は、近年でも厳格に判断される傾向にあるといえます。各要素を総合考慮するといわれているものの、ほとんどのケースにおいて、判断の決め手になるのは、経営者との一体性としての権限の重要性が不足しているという点です。今回の裁判例においては、上長の承認や了承が必要とされていることや会議での発言や参加の機会が限定されていたことなどから、結論として経営者との一体性が否定されていますので、管理監督者と位置づけている従業員については、役職の位置とともに、決裁や稟議における位置づけ、参加する重要な会議における発言権なども確認しておく必要があるでしょう。 ※ 2018年12月号掲載 第26回 海外における労働関連法の適用、労働時間と休憩時間 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 海外出張中の労働者には、日本の労働法が適用されるのですか?  海外出張中の労働者については、日本の労働法が適用されると考えて問題はないのでしょうか。一定の期間出向する場合や、海外の支店で勤務する場合はどうなるのでしょうか。  そのほか、海外赴任の際に留意すべき事項を教えてください。 A  短期的な出張の場合は、引き続き日本の労働法が適用されますが、出向や海外の支店で勤務する場合には、当事者間の合意により日本法を適用すると定めていないかぎりは、海外の法律が適用されることになります。  海外赴任中においても、安全配慮義務を尽くす必要があるほか、労災保険法に関する特別加入の申請などを検討しておく必要があります。 1 海外における労働関連法の適用について  企業のグローバル化やインターネットの発展などにより、過去と比較すると物理的な距離が参入障壁になるとはかぎらず、海外においても事業を展開する企業の割合は増加しています。  一方で、海外に勤務する労働者の管理や適用される法律の問題などについては、複雑になりがちであり、日本国内における労務管理とは異なる課題に直面することもあります。  そこで、今回は、海外赴任時に抱える国際的な労働関連法について、解説しておきたいと思います。 2 公法関係と私法関係について  国際的な法律の適用を考えるにあたって、公法関係と私法関係に分けて考えることが有用です。  まず、公法関係とは、典型的には、日本が定める刑罰や行政による規制などを定めた法律(または法律に定められた規定)があげられます。公法関係については、基本的には、日本国内においてのみ適用され、国外において労働する人までも規制の対象とすることはできないと考えられています。  一方で私法関係とは、賃金や就業場所、そのほかの労働条件を定める労働契約が典型例ですが、私人間(企業と労働者間)の合意により定められる権利義務関係を意味しています。理解のためにあえて単純化するとすれば、労働者が使用者に対して有している権利の内容を決めることが、私法関係であるとイメージを持ちやすくなるかもしれません。私法関係については、「法の適用に関する通則法」という法律が、国をまたぐ契約関係などにおいて、どこの国の法律にしたがうのかというルール(準拠法と呼ばれます)を定めています。  原則として、当事者の合意による準拠法が選択され、それが定められていない場合には、最も密接に関連する国の法律が適用されるというのが基本的なルールです。そして、労働関連法においては、労務を提供する場所を最も密接に関連する国と推定していますので、当事者による準拠法の選択がない場合には、労務提供地である海外の労働関連法が適用されることになります。なお、仮に、準拠法を選択して日本と定めていた場合であっても、労働者が適用するよう求めた現地の強行法規(例えば、日本でいう労働基準法や最低賃金法などの最低基準を定めた法律など)に反する合意は、無効とされてしまいます。  したがって、準拠法を日本と定めておく方が人事労務管理はしやすいとはいえますが、現地の法律(特に強行法規)の調査などが不要となるわけではありません。 3 出張中の労働者について  海外出張中の労務提供に関しては、形式的に見れば、現地における労務に従事しているともいえそうです。しかしながら、比較的短期間の出張のために、海外の労働関連法が適用されるのは不都合であり、現実にそぐわないでしょう。  したがって、短期的な国外における就労については、労務の提供を受けているのが日本国内の企業であることから、労務の提供地が日本であるものとして、国外の労働関連法は適用されないことが多いと整理されています。 4 出向中、海外支店勤務について  出向や海外支店において勤務することになった場合は、出張などの短期的な就労とは異なります。したがって、当事者間において準拠法の選択がされていないかぎり、赴任先の国の労働関連法にしたがうことになります。  日本国内で締結した労働契約の条件を維持している場合においても、現地の労働関連法令を順守できているとはかぎりません。また、仮に、準拠法の選択をしていたとしても、労働者が強行法規の適用を希望した場合には現地の労働関連法が適用されることになります。そのため、短期間ではない出向や海外赴任を行う場合には、現地法の調査が必要ということになります。  現地法が適用されることになれば、日本とは労働時間の上限や割増賃金の計算方法などが異なる可能性があるため、支給すべき賃金にも影響する可能性があります。 5 そのほかの留意事項について  海外赴任時において、労働条件と並んで問題となりやすいのが健康管理です。企業は、労働者に対する安全配慮義務を負っており、これを怠った場合には、労働者に対する損害賠償義務を負うことになります。安全配慮義務は、企業と労働者間の私法関係ですが、指揮命令により安全配慮を実施することができるかぎりにおいては、企業の責任を認めている裁判例も存在しています(東京地裁平成22年8月30日)。  健康管理を実施するにあたって、海外においては医療水準もさまざまであり、必ずしも日本と同等の医療的ケアを受けられるとはかぎりません。さらに、海外における診察を受けるには、コミュニケーションがうまくいかないことで、適切な治療が受けられないリスクもあるなど、国内における安全配慮義務の尽くし方とは異なる問題が生じることがあります。  厚生労働省検疫所が公表している「FORTH」(https://www.forth.go.jp/index.html)というウェブサイトにおいては、各国の留意すべき疾病などの情報がまとめられており有益です。また、外務省が公表している「世界の医療事情」(https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/)においても、各国の医療水準や主要な医療機関などが掲載されており、こちらも赴任前に確認しておくべきでしょう。  そのほか、海外の事業場に属して労務提供する海外派遣者については、労働者災害補償保険法による支給を受けられないとされているため、特別加入を申請し、労災保険の支給対象となるように準備しておく必要がある場合もあります。 Q2 労働時間と休憩時間の区別についてくわしく知りたい  会社を退職した労働者から、未払い残業代を請求されました。内容をよく見てみると、会社としては、始業前の時間や仮眠用の休憩時間であって、労働時間として把握していない時間に関する未払い残業代のようです。  会社としては、始業前の時間や休憩時間については、労働することを求めていない時間であるため、労働時間になる余地はないと思うのですが、問題があるでしょうか。 A  使用者からの指揮命令がない場合でも、労働することが余儀なくされていた場合には、たとえ休憩時間として設定していたとしても労働時間に該当する場合があります。  休憩時間とする場合には、労働からの完全な解放が必要であるため、休憩時間中には小さな業務であったとしても対応をしないよう徹底しておく必要があります。 1 労働時間と休憩時間とは  近年、労働関連法に対する意識の高まりもあり、未払い残業代が請求されることも増えてきています。  会社としては、労働時間として把握している範囲については残業代を支払っているところ、出社してから労働時間の開始までの時間や、休憩時間としている時間などについて、残業代請求を求められるケースです。  会社が休憩時間としてあつかっているという場合でも、さまざまな類型があり、例えば、長距離トラック運転手の荷下ろしの待機時間、警備員や長距離バス運転手の仮眠時間などさまざまなケースがあります。  労働時間の定義については、最高裁の判例で基準は確立されていますが、個々の会社ごとにどう考えていくのかについては、むずかしいところがあります。  最高裁の判例が示している基準は、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」をいい、「客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではない」とされています。そして、「使用者から義務付けられ」または「これを余儀なくされたとき」は、「使用者の指揮命令下に置かれたもの」で、労働時間に該当するとされています(最判平成12年3月9日)。この裁判例に加えて、最高裁は、不活動仮眠時間に関して「労働者が実作業に従事していないというだけでは、使用者の指揮命令下から離脱しているということはできず、当該時間に労働者が労働から離れることを保障されていて初めて、労働者が使用者の指揮命令下に置かれていないものと評価することができる」と判断しています(最判平成14年2月28日)。  これらの判例からいえることは、労働契約や就業規則で労働時間を固定化することはできず、実態に即して客観的に判断されるということと、労働からの解放が保障されていなければ、労働時間としてあつかわれることがあるということになります。 2 始業前または終業後の業務  今回の質問で問題となりやすい点は、就業規則などで定められた労働時間における始業前の時間が労働時間であるかというものです。  例えば、朝礼や朝の掃除、制服への着替えなど、始業時間前に準備する場合や終業後の残務処理があります。これらの行為についても、使用者の指揮命令に基づくものであれば労働時間となりますが、指揮命令がなく自主的に行っていた場合や業務との関連性が希薄である使用者の指揮命令があったとはいえないような場合には、労働時間ではないとされます。  労働時間性を否定した裁判例を概観すると、駅員が行う労働時間開始前の口頭で行われる引継ぎに関して頻繁に行われることがない簡潔なものであることから、口頭引継の時間については労働時間性が否定されています(東京地判平成14年2月28日)。そのほか、実習に関する日報であり業務と直接関連するものではないこと、日報が必ず当日中に提出しなければならない決まりがなかったこと、労働時間中に日報作成のための時間が確保されていたことなどから、日報作成のために残業することが義務付けられていたとはいえないとして、労働時間性が否定されています(東京高判平成25年11月21日)。  一方で、上記の駅員の事案においては、始業時間開始前に行われる点呼については、交代時の業務の一環として行われていたこと、マニュアルを作成、配布して点呼方法を周知し、点呼を行うことを教育指導していること、点呼を行わなかったことが不昇格の理由とされたことがあることなどから、点呼の時間は労働時間性が認められています(東京地判平成14年2月28日)。  これらの事例においては、業務との関連性や明示的な指示、マニュアルの存否に加えて、不利益取扱いの有無などをふまえて、判断されています。 3 仮眠時間・不活動時間について  使用者が、労働者に対して、仮眠時間や積極的に業務に取り組む必要がない時間とされている休憩時間について紛争になることがあります。  使用者の立場からすれば、仮眠しても構わないとしているくらいなので、労働時間ではないと判断していることが多いですが、裁判例では必ずしも仮眠時間の労働時間性は否定されていません。  前掲の最高裁判決の事案(最判平成14年2月28日)は、夜間の警備業務において、1名体制であるうえ、警報や電話などにただちに対応することが義務づけられていたことなどから、労働時間性が肯定されています。結果として、仮眠時間としていた時間すべてが労働時間とされたため、一日あたり7時間から9時間の時間外労働(一部は深夜労働でもあります)が増加する結果となりました。  この判例以降も同種の事案は生じていますが、例えば、4名体制の2名ずつ交代制で勤務する形をとり、仮眠室が用意されており、実際に仮眠時間に活動せざるを得ない状況もほぼ皆無であった事案においては、労働時間性が否定されています(東京高判平成17年7月20日)。そのほか、深夜の夜行バスの運転手の事案ですが、2名体制で、休憩中の運転手が仮眠することができるほか、飲食も許されており、制服の上着を脱ぐことも許されていたことなどをふまえて、労働時間性を否定した事案もあります(東京高判平成30年8月29日)。  仮眠時間などを労働時間から除外するためには、複数名体制とすることが最も有効であり、そのうえで、仮眠時間中の即時対応義務を明示的に否定しておくことが重要であることが、裁判例から見て取ることができます。 第27回 健康情報の取扱い、特別休暇の付与 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 コロナウイルスなどの感染症に対する健康情報の取扱いについて知りたい  新型コロナウイルス感染症の蔓延を受けて、同様の感染症が生じた際に、感染の疑いが生じたり、感染者が出た際の対応をあらかじめ検討しておきたいと考えています。  他社でコロナウイルス感染者が生じた場合に、ホームページなどに発症者が出た旨を公表したり、ビルの管理事務所から情報提供を受けたりしたことがありますが、自社に生じた場合にはどのように対応すべきでしょうか。 A  感染症の疑いや発症については、要配慮個人情報(またはこれに準じる健康情報)として、慎重に取り扱う必要があります。  必ずしも本人の同意がなければ、社内共有や第三者への情報提供ができないわけではありませんが、できるかぎり同意を取得するよう留意すべきです。 1 個人情報保護法について  個人情報保護法は、個人情報の定義として、生存する個人に関する情報であって、@特定の個人を識別できるもの、または、A個人識別符号が含まれるものとしています(同法第2条1項)。  さらに、特に配慮が必要な「要配慮個人情報」の一種として、本人の病歴があげられています(同条3項)。また、個人情報保護法施行令においては、病歴のみではなく、健康診断の結果や当該結果に基づく医師などによる指導、診療もしくは調剤が行われたことなどにも広げられています(同法施行令第2条2号、3号)。  要配慮個人情報については、原則として、本人の同意なく、取得することができないものとされています(同法第17条2項)。通常の個人情報においては、利用目的を通知または公表しておく必要があるとされていることに加えて、特定の個人からの同意が必要とされている点で、特徴的です。  また、取得の場面のみならず、個人情報の第三者提供を行う場面においては、要配慮個人情報ではない個人情報であっても、本人の同意なく、第三者へ提供をすることができないとされています(同法第23条)。  したがって、原則に従う場合には、新型コロナウイルスに感染したという情報を特定の個人と結びつけた場合、取得することや第三者提供を行う際には、同意が必要ということになります。 2 個人情報の取扱いにおける例外について  要配慮個人情報の取得や個人情報の第三者提供において、同意が得られない場合であっても、取得または第三者提供ができる例外が定められています(同法第23条1項)。  主な例外事由は、@人の生命、身体または財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき、A公衆衛生の向上のために特に必要な場合で本人の同意を得ることが困難であるとき、があります。  したがって、これらの場合には、例外的に、本人の同意が獲得できない場合であっても、取得または第三者提供が可能となります。 3 感染症の発症者またはその疑いについて  感染症の発症が確定している場合には、明確に病歴に該当し、要配慮個人情報となります。  また、感染疑いの場合には、病歴そのものではありませんが、厚生労働省が公表する「雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項」(以下、「健康情報指針」)においては、「健康情報」として、「健康診断の結果、病歴、その他健康に関するもの」と定めており、確定的な病歴診断にかぎらず、広く健康に関するものを含む定義としています。感染症の疑いが本人に対して不当な差別や偏見を生じさせるおそれがあることをふまえると、プライバシー性の高い「健康情報」として、要配慮個人情報と同程度に扱うことが適当と考えられます。  要配慮個人情報であっても取得においては、感染力の強さをふまえて判断する必要がありますが、新型コロナウイルスのように感染力が強い場合には、「@人の生命・身体の保護のために必要」といえるでしょう。また、健康情報指針においては、感染したり、蔓延したりする可能性が低い感染症に関する情報は、特別な必要がある場合を除き、取得すべきではないとされていますが、反対解釈をすれば、感染力が強い場合には、取得が許容されることがあると解釈することができます。  感染症の発症またはその疑いに関する情報を取得する際には、原則として同意を得ることが必要ですが、感染力の強さなどからすると、同意を得ることが困難である場合には、個人情報保護法の例外事由に該当するものとして、取得することが可能と考えられます。  ただし、これらの例外事由に該当するためには、「本人の同意を得ることが困難」であることが前提であるため、まずは、本人の同意を得る努力を尽くすべきであり、隔離措置などにより本人との連絡が取れない状況にあることを記録に残しておくことは必要でしょう。 4 社内公表について  社内公表に関しては、個人情報保護委員会が「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止を目的とした個人データの取扱いについて」と題する文書を公表しています。  社員に感染者や濃厚接触者が出た場合に社内公表することの可否について、第三者提供に該当しないため、本人の同意が不要であるとしています。この背景には、会社が従業員に対して適法に取得した個人情報を提供すること自体は、会社による自己利用にすぎず、第三者提供には含まれないという解釈があります。  しかしながら、社内への公表が個人情報保護法の規制対象外であるとしても、感染者またはその疑いなどの情報に対するプライバシー性も加味して、公表内容については慎重に吟味する必要があります。個人情報保護法を遵守したからといって、プライバシー侵害(不法行為)に該当しないとはかぎらないからです。したがって、この場合においても、本人の同意を取得することを目ざして、説明を尽くすべきです。  公表時の情報公開の範囲について、基本的には、当該個人が特定できる形での公表は避けるべきでしょう。特定可能な範囲で伝達することが許容されるのは、感染防止に関する業務を担当している責任者(人事総務部門など)や濃厚接触者となっており、検査の必要が生じる一部の従業員に限定すべきでしょう。 5 第三者提供について  ホームページでの公表やビル管理者への情報提供(第三者提供)に関しても、要配慮個人情報または健康情報を取得する場合と同様に、本人の同意を得ることが困難な場合には、@人の生命・身体の保護、または、A公衆衛生の向上のためのいずれかに該当すると考えられるため、第三者提供することも可能と考えられます。  取得の場合と同様、同意を得ることが困難であることを記録しておくほか、提供する際の情報提供の範囲については、社内公表時以上に、詳細な情報は不要な場合が多いと考えられるため、感染症拡大防止に必要な範囲を吟味して提供範囲を検討し、必要最低限の範囲にするべきでしょう。 Q2 年次有給休暇以外に、有給の特別休暇を付与する際の留意事項について知りたい  就業規則に定めがないのですが、感染症蔓延を回避するために、有給の特別休暇を付与し、法定の有給休暇が減少しないように配慮しようと考えています。  就業規則に定めることなく、このような対応をすることは適法でしょうか。付与した休暇は無効になるのでしょうか。 A  休暇については、就業規則の絶対的必要記載事項であるため、定めておかなければ罰則の適用を受けるおそれもあり、適法とはいえません。  ただし、労働者にとって有利な権利の付与であれば、当該休暇を無効と扱う必要はないと考えられます。 1 特別休暇とは  労働条件については、労働条件通知書、労働契約書のほか就業規則などによって、定められることになります。  いわゆる休暇とは、労働義務がある日について、当該労働義務を免除することを意味しており、連続して一定期間におよぶものは休業と呼ばれたりしています。ちなみに、休日とは、労働義務がない日を意味します。  労働基準法に定められた休暇として代表的なものに年次有給休暇がありますが、そのほか産前産後休暇、育児・介護休業、子の看護休暇など各種労働関連法によるさまざまな法定休暇(休業)制度があります。  一方、法律上の最低限の休暇しか付与してはいけないわけではないため、会社は、労働契約に定めるか、就業規則に定める方法で、法定外の休暇を定めることが可能です。会社によっては、慶弔休暇、罹災休暇、リフレッシュ休暇、病気休暇やバースデー休暇、アニバーサリー休暇などを用意している企業もあります。 2 就業規則の必要的記載事項  労働基準法第89条1号には、休暇に関する事項は、就業規則に定めなければならないと規定されています。少なくとも年次有給休暇は法律上付与しなければならない以上、この規定は絶対的必要記載事項と考えられています。  同条の規定を遵守するためには、法律上必要な休暇さえ定めればよいというわけではなく、会社が任意の休暇制度を定める場合にも、必ず就業規則に定めることが必要となります。  違反した場合には、是正指導を求められることが通常ですが、労働基準法第120条には、同法第89条違反に対して30万円以下の罰金に処すると定められており、就業規則に定めのない状況で特別休暇を定めた場合には、適法であるとはいえません。  したがって、法定外の特別休暇を定めるためには、就業規則の変更の手続きをとる必要があり、労働者の過半数代表者からの意見聴取、従業員に対する説明会を行うなどの方法による就業規則の変更内容を周知すること、労働基準監督署への届出という一連の手続きが必要となります。  なお、法定外の特別休暇の付与が、労働者の賃金の減額をともなわないなど、特段不利益を与える内容ではないような、有給の特別休暇の付与であれば、就業規則の「不利益」変更とはいえないため、変更の合理性までは求められないと考えられます。 3 コロナ禍(か)における未規定の特別休暇の効力  新型コロナウイルス感染症の影響下における見解ですが、厚生労働省は、小学校休業等対応助成金に関する見解として、特別休暇の付与に関して、就業規則や社内規定の整備を行うことが望ましいが、就業規則などに規定されていない場合であっても、要件に該当する有給の休暇を付与した場合であれば、対象となる旨を示しています。  当然ながら、就業規則などの整備を行うことが望ましいとはされているものの、厚生労働省の見解の背景には、実際に付与された特別休暇の効力自体を否定しないという趣旨を含むものと考えられます。したがって、就業規則に定められていない有給の特別休暇であっても、使用者が労働者に対して付与した場合には、法的には有効なものと扱うことは可能と考えられます。  ただし、厚生労働省の見解においても、休暇制度を設けた場合には、遅滞なく就業規則を変更し、所轄の労働基準監督署に届け出ていただく必要がある、とされています。積極的に罰則を適用する意思があるとは思われないものの、あくまでも暫定的な措置であることを前提に、就業規則などの変更手続きは事後的にでも速やかに実施しておくことが望ましいと考えられます。 4 平常時の取扱いについて  厚生労働省の見解は新型コロナウイルスの影響を考慮した緊急時の対応として示されたものと評価すべきであり、新型コロナウイルス感染症の影響下にないなど緊急時ではない状況下においては、罰則の可能性を拭い去れません。  そのような状況下、使用者が労働者への配慮を尽くすことを希望する場合には、労働義務の免除である休暇の付与以外の方法で対応することも検討する必要があります。  新型コロナウイルス感染症に関しては、特別休暇の付与に対して、助成金の付与が用意されたため、特別休暇によって対応することに意味がありました。ただし、このような特別な助成金のことを考慮外とするのであれば、使用者が、労働者に対して、労務の提供を拒絶する(要するに自宅待機を命じる)場合には、使用者の責に帰すべき事由があるものとして、少なくとも6割の休業手当の支払いが必要となりますが、あくまでも6割は最低基準として定められた内容といえますので、この際に10割の賃金を支給することも違法ではありません。  したがって、罰則の適用を避けながら、満額の支給を確保する方法としては、自宅待機命令による方法も考えられます。 第28回 休職から復職時の留意事項、社内貸付制度 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 休職していた従業員の復職時の留意事項について知りたい  メンタルヘルス不調を起因に休職している従業員が、復職を希望しています。復職を判断するにあたって、どういった手続きが必要でしょうか。また、復職させるにあたって、どのように対応していく必要があるのでしょうか。 A  復職判断にあたっては、労働者から復職可能である旨の情報提供として診断書などの提出を求めておきましょう。  診断書をふまえて、元の職務に復職させることができるか、困難である場合はほかの業務を用意できるかなどの復職判断を下す必要があります。  復職前に「試し出勤」を実施したり、復職後には短時間勤務から慣らしたりしていくことで、復職に向けた配慮が求められます。 1 メンタルヘルス不調に起因する休職について  近年、休職制度の利用にあたっては、メンタルヘルス不調に起因するものが増えてきています。  メンタルヘルス不調に起因する休職の特徴としては、休職開始時の就労不能の判断が困難であること、休職期間が長期化しやすい傾向にあること、復職時の判断が休職開始の判断と同様に困難であることなどがあげられます。  また、復職の際に、どのような配慮をもって復職させるべきであるのかということも課題となります。  休職制度は、法律上の根拠に基づくものではなく、就業規則または労働契約に基づき制度化されるものであるため、自社の就業規則などに基づき解釈することが必要ですが、過去の裁判例などをふまえて、留意事項を整理しておきたいと思います。 2 休職時の判断について  休職判断にあたっては、就業規則などに定めた休職事由に該当する必要があります。おおむね、連続欠勤が1カ月ないし6カ月程度継続する場合には、休職を命じることができるとされていることが多いと思われます。  一方、メンタルヘルス不調による欠勤は、連続欠勤とはならず、断続的な出勤不良(欠勤のみではなく、遅刻、早退が増加する)が継続することが多いと思われます。そのため、就業規則などには、連続欠勤だけを休職事由とするのではなく、断続的な欠勤も休職事由としておくことが重要です。  断続的な欠勤を休職事由に定めていない場合には、「通常の業務に堪たえないとき」などの抽象的な要件に該当するか否かを判断する必要が生じることが多いのですが、この場合には、専門家である医師の診断書の提出を求めて、当該診断書に記載された療養期間などをふまえて、休職期間を設定することが必要となります。 3 復職時の判断について  復職時の判断については、就業規則などには、傷病が「治癒」されたときや、「従前の業務を通常に行える程度に回復すること」が求められていることが一般的です。  復職の判断にあたっては、これらの言葉をいかに解釈するかが、裁判例では争点となっていますが、この際に使用者にどの程度の配慮が求められているのでしょうか。  メンタルヘルス不調とは異なる事例ですが、慢性腎不全を原因とする休職からの復帰が問題となった事案において、運転手に職種を特定されて採用されていたものの、ほかに現実に配置可能な部署ないし担当できる業務が存在し、会社の経営上もその業務を担当させることにそれほど問題がないときは、通常程度に業務ができないとはいえないものと判断しており、従前の職務と同じ業務ができない場合には、配置転換や軽易業務への従事などの配慮が求められています(大阪高裁平成14年6月19日判決)。  一方、職種などの限定がない労働者の復職判断にあたって、妄想性障害という傷病の特性を考慮したうえで、配置転換、在宅勤務などによっても就労させることが困難であったことをふまえて、配置転換などの実施がなかった場合においても、休職期間満了に基づく退職を有効と判断しています(東京高裁平成28年2月25日判決)。  したがって、復職時の判断にあたっては、原則として、元の職務のみではなく、配置転換、軽易作業への転換などを検討したうえで、復職の可否を判断する必要があり、例外的に、傷病の程度などから、配置転換などの実施に支障があり実施が困難である場合には、休職期間満了による退職が有効となると整理することができます。  なお、復職にあたっては、労働者の治療や回復に関する情報は、労働者の個人情報でありその支配下にあることから、労働者が復職可能であることを使用者に示す必要があると考えられています(前記東京高裁平成28年2月25日判決)。しかしながら、労働者に対して、休職期間の満了時に退職扱いとなることや必要な診断書の提出をうながすことなどは、労働者との紛争回避の観点からは重要と考えられますので、診断書等の提出がない状態を放置することなく、働きかけは行っておくべきでしょう。 4 復職後の配慮について  復職後の職場復帰に関する基本的な考え方や具体的な方策については、厚生労働省から、「改訂 心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」が公表されており、参考になります。  正式な職場復帰前に行う、「試し出勤」制度についても触れられており、@模擬出勤(生活リズムを勤務時間と合わせるため、自宅で過ごす)、A通勤訓練(自宅から職場付近まで移動したうえで、一定時間過ごして帰宅する)、B試し出勤(職場に試験的に出勤してみる)の三つに分類しています。Bが最も復帰に近づけた状況といえるでしょう。  これらの「試し出勤」制度は、原則として、労務提供を受けるものではなく、賃金を発生させるものではありません。とはいえ、労働時間として判断されるか否かは、使用者の指揮命令下にあるか否かによって判断されるため、使用者としては、「試し出勤」の実施中に、賃金を発生させないためには、指揮命令に基づく労務の提供を受けることがないようにしておく必要があります。裁判例のなかでも、たとえ無給である旨の合意があり、試し出勤中の軽作業であっても、使用者の指揮に基づき作業成果を享受している場合には、最低賃金相当額の賃金が発生すると判断されています(名古屋高裁平成30年6月26日判決)。  そのほか、「試し出勤」の間は、労務に従事しているわけではないことから、通勤災害および業務災害の適用がないことなどはあらかじめ労使間で共有しておくことが適切でしょう。  正式な復職後においては、配慮が不要となるわけではなく、就業上の配慮が必要になると考えられています。これは、使用者が負っている安全配慮義務を構成するものと考える必要があります。  例としては、短時間勤務、軽作業や定型業務への従事、残業・深夜業務の禁止、出張制限、交代勤務制限、危険作業などの制限、フレックスタイム制の制限または適用、転勤についての配慮などがあげられています。  これらのなかでいつでも使える配慮は、短時間勤務でしょう。メンタルヘルス不調からの復帰の際には、リズムを取り戻すことと、仕事をすることに徐々に慣れていくことが必要です。ただし、あまりにも短時間にしすぎると、受領できる賃金が低くなりすぎるため、短ければよいともかぎりません。  例えば、初週は4時間、次週は6時間、その後8時間勤務に戻すことを計画し、その間の様子を見ながら計画通りに進めていけるか見守るほか、1カ月経過時点において産業医の面談を設定したうえで、復帰後の労働者の状況を把握しながら、復職後の配慮を尽くしていくことが適切でしょう。 Q2 従業員の生活維持のため、従業員への貸付を行うことはできるのか  コロナ禍の影響もあり、賞与の支給を停止することを考えています。しかしながら、住宅ローンの返済など特別の事情がある従業員に対しては、賞与相当額の貸付を行うことを検討しています。  会社から、従業員に対して貸付を行うことは許されるのでしょうか。返済を受ける方法は賃金からの控除を実施しても問題ないでしょうか。 A  労働基準法が規制する違約金および賠償予定の禁止、前借金相殺の禁止に該当しないように制度設計をする必要があります。  貸付金の返済について、不履行に対する制裁を与えるなど身体拘束や足止めにならないようにする必要があるほか、賃金からの控除については、労使協定の締結と労働者の自由な意思による同意が必要となります。 1 社内貸付制度と労働基準法の規制の関係  コロナ禍の影響もあって、賞与の支給停止または支給額を抑制する企業もありますが、一方で労働者の生計を維持する必要もあることから、対応に苦慮された企業も多いようです。  企業のなかには、賞与支給に代えて、社内貸付制度を新たに設けることで、生活の維持に寄与することを目ざした企業もあります。  労働者の生計維持のために、企業からの貸付を行うという目的自体は、労働者の利益のための配慮であることから、禁止すべきものとまでは思われませんが、労働基準法の規制を無視することもできません。 2 社内貸付制度と違約金・賠償予定の禁止  まず、労働基準法第16条は、損害賠償の予定を禁止して、労働者の保護を図っています。典型例としては、欠勤や遅刻ごとに一定額の金額を支払わせることなどですが、その趣旨は、金銭賠償を負担させることで身体拘束を図ることなどを防止することにあります。  一見すると、貸付とは無関係の規定にも見えますが、例えば、一度支給した賃金を、契約違反などがあったときに返還を求める約束も規制対象に含まれると考えられており、貸付も実質的にこれと同様の意味を持つ場合には、規制対象に入る可能性があります。  貸付金であるか、違約金の設定であるかについては、制度の実態に即して判断されることになり、業務との関連性が強く労働者の利益が小さい場合などは、本来使用者が負担すべき費用として違約金の設定と判断されやすく、業務との関連性が薄く労働者の利益が大きい場合には、貸付金として許容されやすい傾向にあります。  そのため、社内貸付制度を設計するにあたっては、まずは、労働者の利益としての位置づけを守るために、労働者の自主的な判断で貸付が申込み可能であることや使途について限定することなく労働者が受ける利益の程度を大きくしておき、業務との関連性を薄くしておくことが重要といえます。 3 社内貸付制度と前借金相殺の禁止  労働基準法は、賠償予定の禁止のみではなく、前借金と賃金を相殺することも禁止しています(同法第17条)。この条文では、前借金つまり会社からの貸付そのものを禁止するのではなく、賃金との相殺が禁止されています。その趣旨は、前借金を発生させたうえで、賃金を相殺して、手取額を低額にすることで、身体拘束や不当な足止めが生じることを防止することに主眼があります。  また、労働基準法第24条は、賃金の全額払いの原則を定めており、この規定の趣旨には、相殺禁止も含まれていると考えられています。その趣旨については、労働者の生活経済を脅かすことのないようにその保護を図るものと解釈されています。  相殺禁止に関して、判例は、「労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえない」と判断しており、労働者の同意があれば、相殺が可能と判断しています(最高裁平成2年11月26日判決)。ただし、当該労働者の同意について、「労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならないことはいうまでもないところ」とも注記しており、使用者からの押しつけがあってはいけません。  また、労働基準法第24条は、賃金からの控除の前提として、労働者の過半数代表者との労使協定の締結を求めています。  したがって、賃金から貸付金を控除して、返済に充てる場合には、規制の趣旨にしたがって、控除額が労働者の生計を脅かすほどのものとはならない範囲にとどめたうえで、賃金からの控除に関する労使協定の締結を行い、該当する労働者との間で自由な意思による同意を得て行う必要があります。 4 留意事項のまとめ  これらの労働基準法に基づく規制をふまえると、制度設計にあたっては、@労働者からの申込みを受けて行うものとすること、A使途については制限することなく生活資金として貸付を行うこと、B契約違反などに基づく一括返済の規定はできるかぎり設けず、設ける場合であっても退職を心理的に制限するような条件としないこと、C賃金からの控除を行う場合には、控除額は生活を脅かさない程度に抑制し、労使協定の締結と本人の同意を整えること、などに配慮しておくことが必要となるでしょう。 第29回 公益通報者保護法の改正、テレワーク導入時の留意点 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 公益通報者保護法の改正について知りたい  公益通報者保護法が改正されたようですが、改正された点はどんなところでしょうか。何か準備しておかなければならないことはありますか。 A  公益通報者として保護される対象について、労働者、派遣労働者や一定の範囲の業務受託者に加えて、役員や退職者の一部などが加わります。  また、300人を超える企業については、公益通報窓口の設置などの体制整備が義務化されたため、公益通報窓口の設置などを準備しておく必要があります。なお、300人以下の企業においても、努力義務とされています。 1 公益通報者保護法について  改正公益通報者保護法が、2020(令和2)年6月12日に公布されました。施行時期は、そこから2年を超えない範囲で、政令で定める日とされていますので、公布から2年以内には、改正法が施行される予定です。  公益通報者保護法は、企業の内部にいる者が企業の不祥事や不正などを把握した場合などに、当該不正などの是正を進めていくためにそのための窓口へ通報しやすくすることで、通報者の保護を図り、各種法令の遵守をうながすことが目的とされています。  とはいえ、あらゆる通報を保護してしまうと、法令などの遵守とは離れた形で苦情や不満の受け皿となってしまい、企業としても適切に取り扱うべき通報以外の対応に追われることになってしまいます。  そのため、公益通報の対象となる通報対象事実は、法律や政令で特定されています。また、通報者は、労働者や派遣労働者、請負契約などに基づき役務提供している事業者が掲げられていたほか、今回の改正で役員や退職して1年以内の労働者も通報者に加えられています。  通報先は、自社(いわゆる内部通報窓口)以外に、あらかじめ定めた者(いわゆる外部通報窓口)のほか、一定の事由がある場合には、規制権限を有する行政機関や被害拡大防止に必要と認められるもの(報道機関など)があげられています。今回の改正においては、行政機関や報道機関などへの通報に必要な事由が緩和されました。  通報者の保護については、通報者に対する解雇や契約解除の無効、不利益取扱い(降格、減給、退職金の不支給など)が禁止されています。新たに改正で通報者に加えられた役員については、解任された場合の損害賠償請求権を確保するという方法で保護を図っています。  通報者保護の実効性を図る観点から、行政機関からの勧告や命令に加えて、違反者に対する公表措置が明文化されたほか、通報者の特定に関する守秘義務を強化して罰則による規制も加えられました。 2 通報対象事実について  ありとあらゆる通報について、公益通報として扱う必要があるわけではありません。公益通報の通報対象事実は特定されています(法第2条第3項)。  主な通報対象事実は、個人の生命、身体の保護、消費者の利益の擁護、環境の保全、公正な競争の確保にかかわる規制として、罰則が定められた法令を根拠としています。  刑法(傷害罪や横領罪など)は当然ながら、金融商品取引法(インサイダー取引など)、個人情報保護法(個人情報の漏えいなど)が定められているほか、労働基準法や各業法による規制なども幅広く定められています。  自社が行政から規制される根拠法がある場合には広く含まれると考えておく必要がありますが、犯罪行為であり罰則が定められているものに特定されている点には、留意する必要があります。 3 通報先の選択について  通報対象事実に関する通報先については、大きく分けると以下の3種です。 @自社(内部通報窓口)または自社が指定したもの(外部通報窓口) A規制権限を有する行政機関 B拡大防止に必要と認められるもの(報道機関など)  通報先については、@〜B記載の通りとなりますが、今回の改正で、A、Bに対する通報の要件が緩和されました。  まず、Aについては、通報者の氏名、住所、通報対象事実の内容とその発生した、またはまさに生じようとしていると思料する理由、適切な措置が取られるべきと思料する理由を明記した書面または電磁的方法※により明記して提出することで、保護されることになりました。  次に、Bについても、公益通報者を特定させるものであることを知りながら、正当な理由がなく、役務提供先が情報を漏らすと信ずるに足りる相当な理由がある場合に、報道機関などへ通報できることとなりました。公益通報者は、匿名であっても保護されなければならず、また、公益通報者が特定されないように配慮することが必要とされますが、それが守られないという懸念を抱いている場合には、完全な第三者である報道機関などへの通報が可能となっています。 4 内部通報者を特定させる情報に対する守秘義務  これまでは、法律上の義務としてではなく、プライバシーおよび不利益取扱いの防止の観点から、「公益通報者保護法を踏まえた内部通報制度の整備・運用に関する民間事業者向けガイドライン」において、通報者の特定に資する情報の管理に対する配慮が求められていましたが、法律上の義務とまではされていませんでした。  今回の改正では、この点が、法律上の義務として位置づけられ(法第12条)、さらに違反者に対しては罰則まで定められています(法第21条)。この点は、前述の特定が維持されない場合の報道機関などに対する公益通報の要件とも共通しますが、通報者の匿名性の維持、特定させないことなどが、通報者による制度利用の障害排除につながることが意識されているものと考えられます。 5 必要な体制の整備について  改正公益通報者保護法においては、常時使用する労働者が300人を超える事業主においては、以下の2点を遵守することが法律上の義務となりました。 @公益通報に対応する業務に従事する者を定めること。 A公益通報に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の必要な措置を取ること。  常時使用する労働者が300人以下の事業主においては、これらの事項について努力義務にとどめられていますが、従事者の指定および窓口の設置を行っていないとしても、内部通報があった場合には公益通報として取扱い、適切に対応する必要があることには相違ありません。また、報道機関などに対する公益通報の要件が緩和されたこととの関係でいえば、体制の整備がなされていないことは、匿名性の確保に関して、通報者の特定に資する情報が守られないと考える理由の一つにはなりえるとも考えられます。  そのため、今回の公益通報者保護法の改正が、300人以下の事業主にとって無関係なわけではありません。自社内にて公益通報に対応できる準備は整えておくか、外部の窓口を指定しておくことが望ましいでしょう。 ※ 電磁的方法……パソコンなどの電子計算機で処理可能なデジタルデータのこと Q2 テレワーク導入時の留意点について教えてほしい  テレワークを導入しようと考えていますが、どこから手をつけたらよいのかわかりません。どういった手順で進めていけばよいのでしょうか。 A  テレワーク導入にあたっては、就業規則の整備が基本ですが、そのほか一斉休憩除外のための労使協定も必要になることが多いでしょう。  就業規則に、就業場所の変更、就業時間の変更がある場合を含め、テレワークにかかる費用負担に関する点などを定めて準備を進めましょう。 1 テレワークと就業場所の指定について  テレワークの実施にあたっては、テレワークに関する規程が定められるなど、テレワーク導入時の業務内容について、労使間のルールを定めた状態で開始することが通常です。  例えば、厚生労働省が公表している『テレワークで始める働き方改革 テレワークの導入・運用ガイドブック』(以下、「ガイドブック」)には、テレワークを導入する場合には、就業規則にテレワーク勤務に関して規定しておくことが必要であると記載されています。  テレワーク実施にあたって、就業規則に定めておくべき事項として、ガイドブックでは、テレワークを命じることに関する規定、テレワーク用の労働時間を設ける場合の規定、通信費などの負担に関する規定を定める必要があるとされています。  これらについては、テレワークの実施は就業場所の変更を意味するため、これを命じるためには、例えば「就業場所を事務所のみとする」といった、就業場所の限定がないこと(ある場合には合意で解除または変更すること)、変更を命じる根拠となる規定を定めておく必要があります。  また、労働基準法第89条においては、就業規則の絶対的または相対的必要記載事項が定められており、始業および終業の時刻や休憩時間、作業用品などの負担に関する事項などがこれらに該当します。そのため、これらのルールを定める場合には、テレワークに関する規程を定め就業規則として周知・届出が必要となります。 2 テレワークと情報管理について  テレワークは、就業場所の変更をともなう一方で、ルールを定めておかないと制約なく業務ができる体制になってしまうことも意味しており、企業にとっては情報がさまざまな場所で管理され、拡散されるおそれが出てきます。  ガイドブックにおいても、情報管理のためのICT環境の構築などが案内されており、企業にとっての情報管理の重要性は意識されています。こちらでは、技術的な側面からのセキュリティに対する助言が記載されています。  技術的な側面も重要ですが、人為的な側面として、就業場所の限定をいかなる基準で設定していくかという点も重要です。例えば、自宅以外の場所として、近隣のカフェなどで勤務する場合には、Web会議における内容が周囲に漏えいするおそれがあり、企業の情報管理に関する課題が現れてきます。こういった側面は技術的な情報管理の側面で解決できるものではなく、就業場所をいかに限定するかという点と関連してきます。  典型的には、在宅勤務(自宅のみでテレワークを許可する)、サテライトオフィス勤務(企業が用意した施設での勤務を許可する)、モバイルワーク(いかなる場所でもテレワークを許可する)といった3種に分類されています。情報管理の側面からすると、在宅またはサテライトオフィス勤務の方が情報管理は容易といえるでしょう。モバイルワークで行う場合には、外部で利用できるソフトウェアの制限や必要以上の情報に接することができないようにアクセス制限を行うなど、技術的な管理も併用しながらも、漏えいや紛失などを防止するためのルールづくりも重要となってきます。 3 労働時間(労務提供)の管理について  在宅勤務を始めたけれども十分な労務提供を行わないおそれがある(心配である)など、これまでのように会社に集まって仕事をしているときとは異なる懸念があります。  労働時間の把握は正確に行う必要がありますので、その方法も準備する必要があります。通常の勤務と比較すると、中抜けが生じやすくなり、業務効率が下がって残業が増える(逆に、効率が上がって残業が減少する場合もあります)など、実際に実施してみるとさまざまな変化も見えてくるかと思います。労働基準法に基づき休憩時間についても一斉付与が原則ですが、集合しているわけではないため一斉休憩は現実的ではなく、労使協定を締結して適用を除外しておく方が適切でしょう。  また、テレワーク中の労務提供が十分に行われるか否かという点は、これまでの労働環境からの大きな変化であることから、労使間の信頼関係のみでは解決できない側面もあり、如何なる方法であれば、相互に納得できる制度として構築できるのかという点は重要な観点です。  常時監視するためのシステムを導入することがよいのか、業務効率が上がるようなシステムを導入したり、時間以外に業務の成果を見える化することで相互の不満が生じないような就業状況をつくるなど、自社に合った方法を導入することが重要でしょう。  労働時間の管理については、過重労働が生じないようにすることが目的であると割り切って、労務提供の成果などについては、日々の業務について日報を提出させて、翌日に行う業務の整理も前日(またはそれよりも前)に行っておくように習慣づけることで、業務の効率化と成果の把握を実現できるようにしていく方法も一案です。  長期的にテレワークを実施する場合には、人事考課の際に定性的な評価がむずかしくなるおそれもあるため、そういった評価に必要な情報を集めるためにも、離れているからこそWebでの会議などを通じて、コミュニケーションが欠落しないように配慮するよう意識することも重要でしょう。 第30回 歩合給と時間外割増賃金、副業・兼業の留意点 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 歩合給と時間外割増賃金の関係について知りたい  成果主義賃金の一環として、成果に応じた歩合給を導入する予定です。歩合給を支給した場合の、時間外割増賃金の計算方法を教えてください。 A  通常の労働時間に対応する時間外割増賃金は、1・25倍の支給が必要となりますが、歩合給については、0・25倍の時間外割増賃金を付加する計算方法で足ります。ただし、歩合給の割増賃金計算に関する裁判例にも留意する必要があります。 1 時間外割増賃金と歩合給について  時間外労働に対する割増賃金の計算方法については、労働基準法第37条に「使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない」と定められています。  労働基準法施行規則には、さらに詳細が定められています。同規則第19条1項4号は、一般的な基本給などで多い「月によつて定められた賃金」についてあげると、「その金額を月における所定労働時間数(月によつて所定労働時間数が異る場合には、一年間における一月平均所定労働時間数)で除した金額」を通常の労働時間の賃金として、これに「延長した労働時間数を乗じた金額」を支給しなければならないとしています。  計算式でいえば、「通常の労働時間の賃金」×「時間外労働時間数」×1・25となることが一般的です。  一方で、歩合給に関連する規定は、同規則第19条1項6号であり、「通常の労働時間の賃金」について、「出来高払制その他の請負制によつて定められた賃金については、その賃金算定期間(賃金締切日がある場合には、賃金締切期間、以下同じ)において出来高払制その他の請負制によつて計算された賃金の総額を当該賃金算定期間における、総労働時間数で除した金額」とされています。  歩合給が、「出来高払制その他の請負制によつて定められた賃金」に該当する場合には、時間外労働の時間数に応じて歩合給自体が当然に発生するものではないことから、発生した歩合給に対する割増のみで足ります。  計算式としては、算定期間(賃金締切期間)内の「歩合給」×0・25となり、これに相当する割増賃金を支払うことで足ります。 2 出来高払制その他の請負制によって定められた賃金について  歩合給と呼称している賃金がすべて「出来高払制その他の請負制によつて定められた賃金」に該当するとはかぎりません。  そもそもの賃金体系が出来高払制であるか否か争われる場合があります。例えば、運送業において、使用者が、ルート別に単価を設定しており、当該ルートを運行した「回数」に応じて賃金が変動するとして、出来高払制である旨主張したものの、「ルート別単価は、ルートごとの標準的な収受運賃、拘束時間、走行距離、作業内容等を勘案して決められたものであって、運転手の仕事の成果である現実の売上高や配送量あるいは運送時間によって増減するものではないことが認められる。そうすると、被告の主張する上記賃金体系は、そもそも、出来高払その他の請負制の実質を備えていないというべき」として、出来高払制としての性質が否定された裁判例があります(千葉地裁松戸支部令和元年9月13日判決)。同裁判例では、出来高払制その他の請負制においては、使用者は、労働時間に応じ一定額の賃金の保障をしなければならないにもかかわらず(労働基準法第27条)、そのような保障はなされていなかったことも、出来高払制を否定する要素として考慮されています。  また、典型的な歩合給として評価されるような売上げや利益などの金銭的な成果に対して支払われるものではない運送業における各種手当について、「運行回数、運送距離ないし走行距離、積荷の積載量、売上げといった作業の成果とは関連していないこと」などを理由に、仕事の成果に応じて定められた賃金であるとはいえないとして、出来高払制賃金であることが否定された例もあります(東京地裁平成29年3月3日判決)。  歩合給を採用して出来高払制にするにあたっては、給与のすべてを出来高払制にすることなく労働基準法第27条が定める保障給を考慮しておくことに加えて、歩合給がいかなる指標と連動するのか、当該指標を回数ではない成果と関連させておくことも重要です。 3 歩合給に関する最高裁判例について  近年、歩合給に対する時間外割増賃金の支給に関して、最高裁で判断された事例があります(最高裁令和2年3月30日判決)。  タクシーの乗務員に対する売上高に連動する歩合給の支給に関して、当該歩合給の増加に応じて乗務員の時間外労働に対する割増賃金を控除する仕組みを採用し、時間外労働が生じた場合の歩合給額と時間外労働をせず歩合給を得た場合の計算が一致するようになっており、タクシー乗務員らが会社に対して控除された割増賃金の支払いを求めた事案です。  過去の判例において、手当の支給によりあらかじめ割増賃金を支給することについては、時間外労働との対価性が必要とされていたところ(最高裁平成30年7月19日判決)、本判例では時間外労働をしたとしても、歩合給が減少することになれば、「出来高払制の下で元来は歩合給として支払うことが予定されている賃金を、時間外労働等がある場合には、その一部につき名目のみを割増金に置き換えて支払うこととするもの」と判断しています。このことは、この歩合給に対応した時間外割増賃金の計算方法が、実質的には割増賃金の減額を行っているに等しいことから、その対価性に欠けるとの観点により、割増賃金の支払いに不足があるとの判断がなされています。  歩合給を活用する場合においても、そのことをもって、時間外割増賃金の減額につながるような制度を採用することは、この最高裁判例が示した基準に抵触するおそれがあるため、制度構築にあたっては、この判例にも十分に留意する必要があります。 Q2 従業員の副業・兼業を認める際の留意点について教えてほしい  副業および兼業を希望する労働者がいるのですが、前例がなくこれまで承認したことがありません。承認するとした場合には、どのような点に留意すればよいのでしょうか。 A  働き方改革にともない、行政においても副業・兼業の普及促進が図られていますが、実現にあたって使用者が留意すべき事項は労働時間、健康管理、競業回避など多岐にわたります。特に、労働時間管理の点については、十分な理解をしておかなければ、労働基準法違反となる事態を引き起こすおそれがあります。 1 副業および兼業について  働き方改革関連法の改正においても、副業および兼業の承認などにより、新しい働き方を促進していく方針が示されています。また、厚生労働省は、2018(平成30)年には、モデル就業規則において、副業および兼業に関する規定を新設するなどの対応もしていましたが、企業においては、なかなか積極的には促進されていないというのが実情ではないかと思われます。  直近では、厚生労働省は、2020(令和2)年9月に「副業・兼業の促進に関するガイドライン」(以下、「ガイドライン」)を改定しました。  副業および兼業の課題の洗い出しとそれに対する対応方法などが整理されていますので、副業および兼業を承認するにあたって留意すべき事項が理解できると考えられます。 2 労働時間管理について  副業および兼業における課題の一つは、労働時間管理です。  労働時間については、原則として、1日8時間が限度であり、それを超える場合には36協定が必要となるほか、時間外割増賃金の支給義務も生じます。これが2社別々に評価されるのであれば、各社が管理する範囲は明確になるのですが、そのような制度はとられておらず、2社の労働時間を通算した場合の限度が1日8時間とされています(労働基準法第32条2項、第38条1項)。  さらに、働き方改革にともなう労働基準法の改正により、法律上の労働時間の上限規制が採用され、罰則も制定されており、長時間労働におよんだ場合には、罰則適用のおそれもあるため、労働時間管理の重要性は高まっています。  基本的には、労働者から、副業および兼業先の会社における労働時間の報告を受けないと、本業の会社は2社通算の労働時間を知ることができないため、副業および兼業先の労働時間を報告させる機会を定期的に設けておかなければなりません。  通算した労働時間を把握した際に、自らの事業場で法定労働時間を超える部分のうち、自ら労働させた時間について、時間外労働の割増賃金を支払う必要があると考えられています。  このように副業および兼業先との労働時間の通算や時間外割増賃金支払当事者の確定などの課題が多いことから、ガイドラインにおいては、簡便な労働時間の管理方法の管理モデルが示されています。本業と副業の両社において、それぞれあらかじめ設定した労働時間の範囲内で労働させるかぎり、ほかの使用者の事業場における実労働時間の把握を要することなく労働時間管理を遵守できる方策として提示されています。前提として、労働契約を後から締結する副業先において、労働時間の設定に関して、本業の要望を受け入れてもらうことが出発点となります。割増賃金については、本業は自らの時間外労働に対する割増賃金のみを支払い、副業先は自らの事業場における労働時間のすべてに割増賃金を支給することで、具体的な時間を双方で管理することなく、割増賃金の不足が生じないようにすることが可能です。要するに、副業先においては、法定時間外労働の発生の有無にかかわらず割増賃金を支給することになりますので、労働者は法定の割増賃金以上の金額を受給することとなり、割増賃金の支給に関しては、労働基準法に違反する心配がなくなります。 3 健康に対する配慮について  労働契約法は、使用者に労働者に対する安全配慮義務を求めており、このことは、副業および兼業である場合においても、同様です。  この場合、前述の労働時間管理とも関連しますが、過労死や精神疾患に関する労災認定基準においては、過剰な時間外労働や連続勤務が重要な要素とされているところ、副業および兼業において、時間外労働が過剰か否かや連続勤務についてどのように配慮する必要があるのかが、問題となります。  基本的な対応方針としては、就業規則や労働契約において、長時間労働や連続勤務によって労務提供に支障がある場合には副業および兼業を禁止または制限できるような規定を設けておくことで、万が一の場合の過剰な時間外労働の制限が可能となるように備えておくべきとされています。  また、副業および兼業の状況について、報告を受ける機会を設け、健康上の問題が確認される場合にも、休暇の付与や産業医との面談など適切な措置を実施することも重要です。  しかしながら、前述の管理モデルを前提に運用する場合には、各社は具体的な実労働時間を把握しきることができなくなるおそれもあるため、健康管理の側面については、労働者自身に自己管理の意識を強く持ってもらうことも重要です。また、実労働時間の具体的な把握が不要な運用を採用するとしても、働きすぎにならないように時間外労働自体を抑制することなどについても労使間で協議のうえで適切な措置を講じることが重要となります。 4 その他の留意事項について  企業にとっては、秘密保持義務や競業避止義務についてもあらかじめ確認しておかなければ、労使間で紛争が生じるおそれがあります。退職後の競業避止義務は職業選択の自由の観点から制限される程度が大きいですが、副業および兼業においては、使用者に対する競業避止義務があると一般に考えられています。  したがって、副業や兼業を承認する基準として、副業や兼業を行う会社が競業企業であるか確認しておくべきでしょう。副業や兼業の許可前には、このことを面談によって把握する機会を設けておくことが必要と考えます。  また、秘密保持義務については、就業規則などに定められている企業が多いと考えられますが、副業および兼業先の企業においても遵守しなければならないことについては、改めて注意喚起をしたり、秘密保持義務および競業避止義務に関する誓約書などを改めて取得することも必要となると考えられます。  1週間の所定労働時間が短い業務を複数行う場合には、雇用保険などの適用がない場合がありますが、令和4年1月からは65歳以上の労働者本人の申出により、二つ以上の事業所の労働時間を合算して雇用保険を適用する制度が運用される予定です。社会保険については、複数の事業所でいずれも被保険者要件を満たす場合には、いずれかの事業所を管轄する年金事務所および医療保険者を選択させる必要があり、各事業主は報酬の額により按分した保険料を納付することになるため、副業の承認の際に労働者に副業先の所定労働時間や管轄の選択についても確認しておくことが必要となります。 第31回 人事制度の見直し、定年後再雇用制度の改定 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 就業規則・賃金規程を変更する際の留意点について知りたい  このたび、人事制度の見直しにともない、就業規則や賃金規程の変更を検討しています。既存の従業員の労働条件の変更も必要になるのですが、どのような点に留意する必要があるでしょうか。 A  就業規則の変更による労働条件の不利益変更には、必要性と合理性が必要とされます。変更前と変更後を比較して、変更の程度が合理的といえる程度に抑えておかなければ、就業規則の変更自体が無効と判断される可能性があります。 1 人事制度の見直しについて  日本においては、終身雇用および年功序列による賃金体系などが一般的に採用されていることが多く、これらは成果主義とは異なり、長期的な雇用継続を視野に入れたうえで、勤続年数に応じた賃金の昇給が予定されています。一方で、雇用の流動性も高まりつつあるため、終身雇用および年功序列による旧来型の賃金体系を維持し続けることの合理性も失われつつあります。むしろ、企業における競争力を強化するためには、能力や成果に応じた賃金体系により、勤続年数以外の要素が重視されるべきともいえます。  旧来型の終身雇用および年功序列による人事考課制度については、職能給的な発想で運用されており、現在遂行している職務に応じるのではなく、労働者の能力全般を評価して賃金を決定することを前提としており、基本的な発想として、賃金や役職が下がることは想定しがたいといえます。一方で、成果主義的な人事考課制度とする場合には、職務給的な発想が必要となり、労働者がたずさえている能力全般ではなく、現在遂行している職務や役割に応じて賃金を決定し、職種の変更などに応じて賃金の変更(ときには減額)をともなうことも想定されていなければなりません。  また、同一労働同一賃金への対応を含めて、労働条件や賃金制度の見直しが必要となっていますので、人事制度を見直す企業も増えているように見受けられます。 2 就業規則への影響  人事制度の見直しにおいて、職能給的な制度(終身雇用および年功序列など)から職務給的な制度(成果主義など)へ変更することを検討される企業も多くなっていますが、そこには、就業規則の変更という法的な課題が横たわっています。  なお、同意の取得や労働協約による変更については、過去の掲載でも触れていますが、今回はほとんどの企業において課題となる就業規則の変更に重点を置いて説明したいと思います。  職能給的な制度においては、一度習得した人の能力は失われないことを前提とした制度設計が基本思想となっており、就業規則上の明確な根拠がなければ、降格やそれにともなう減給はできないと考えられている一方で、職務給的な制度においては、職務や役割に応じた賃金の決定や変更を制度の中に明確化することが求められます。そのため、少なくとも、降格およびそれにともなう減給を行うのであれば、それらに関して根拠を新たに具体的に定める必要があるほか、賃金規程の等級表などが存在する場合にはその見直しも必要となります。  就業規則の変更に関する基本的なルールは、労働契約法第10条に定められており、以下の要素を考慮して、その変更の合理性が判断されることになり、不合理と判断された場合には変更自体が無効となってしまいます。なお、変更内容の合理性のほか、就業規則が周知されることも必要です。  @労働者の受ける不利益の程度  A労働条件の変更の必要性  B変更後の内容の相当性  C労働組合等との交渉の状況  Dそのほかの事情  果たして、これらの要素が、人事制度の変更にともなう就業規則の変更においては、どのように考慮されているのでしょうか。 3 人事制度の変更が争点となった裁判例について  過去の裁判例において、年功序列型の賃金制度から成果主義の特質を有する人事制度への変更に関して、変更の合理性に関する考慮事項が比較的明確に整理された事件として、東京高裁平成18年6月22日判決(ノイズ研究所事件・控訴審)があります。  重要と思われるのは、@に関する判断のなかで、従業員に対する賃金支払原資を減少させるものではないということが考慮されている点です。その後の同種事件の裁判例においても、同様の要素を考慮している事例は多くみられます。要するに、人件費カットを目的として人事制度を見直すのではなく、人件費の適正分配を目的としたものであれば、後述の経営上の必要性と相まって、合理性を維持するための重要な要素になるといえるのだろうと思われます。  次に、A変更の必要性に関しては、重要な職務により有能な人材を投入し、重要性の程度に応じた処遇をするという経営上の必要性などを理由に肯定されています。この点は、人事制度を変更する企業の目的や将来目ざす組織づくりなどが合理的に説明可能であることが求められるといえるでしょう。  また、Bに関連して、変更後に採用される人事評価制度の内容やその合理性が検討されています。人事評価制度の合理性は、その透明性や機会の平等性などが考慮されています。成果主義的賃金制度の採用においては、いかなる成果をもって評価するのかを設定すること自体は使用者に裁量の余地はありますが、透明性が確保されなければ、労働者にとってはいかなる成果が評価されるのか分からない状態となり、制度を適切に運用していくことはできないでしょう。  さらに、Cに関連して、合意には至らなかったものの労働組合との団体交渉を重ねていたこと、説明会を開催していたことなどが考慮されています。労使間協議の重要性に関しては、近年の裁判例でもよくみられる傾向ですので、留意しておく必要があります。  最後に、Dに関連しては、減給となる労働者に対して2年間にわたって調整給を支給する不利益緩和措置が採用されていることなども考慮されています。紛争が生じるとすれば、不利益を受ける労働者からの訴えになりますので、不利益緩和措置は紛争予防の観点からも重要な取組みといえるでしょう。  なお、ほかの裁判例においては、特定の属性(例えば、年齢が○歳以上など)をねらい撃ちして不利益を課すような人事制度の見直しに対しては、その変更の合理性を否定した裁判例もありますので、不利益を受けることになる労働者の洗い出しやその対象者の属性に一定の傾向がないかという点についても、注意しておくべきでしょう。 Q2 定年後再雇用制度を改定する際の留意点について知りたい  定年後再雇用の対象労働者について、65歳を超えて継続して雇用しています。このたび、就業規則を変更して、65歳以降の継続雇用については、一定の基準を設けるほか、上限年齢を設定することを検討していますが、何か問題があるでしょうか。 A  変更時に雇止めの対象となる労働者がいる場合には、就業規則の不利益変更の有効性について紛争が生じるおそれがあります。また、労働契約終了の有効性については、高齢者であっても労働契約法により制限されることにも留意する必要があります。就業規則の改正においても、不利益を受ける労働者へのていねいな説明、または経過措置による不利益の緩和などが重要と考えられます。 1 定年後再雇用の限界について  高年齢者雇用安定法に基づき、65歳までの継続雇用制度が多くの企業において採用されています。また、高年齢者雇用安定法の改正により、70歳までの就業機会の確保がうたわれています。実際に労働可能な年齢も徐々に上昇しており、65歳以上の労働者を雇用し続けている企業も増加傾向にあるといえるでしょう。  一方で、60歳の定年制を超えて、65歳以上の年齢をもってあらためて定年制を設定しているような企業は少なく、継続雇用制度を何歳まで実施していくのかという点については、就業規則にも定めていない企業もあるでしょう。  しかしながら、労働者の健康状態と求められる業務内容などをふまえて、一定の限度を設定することや、継続雇用の基準の設定を検討することも必要でしょう。  その場合、就業規則を変更し、当該基準に照らして、継続雇用の基準を満たさなかった場合には、労働契約の終了につながることになりますが、65歳以上であれば、継続雇用を終了させることが当然に許されるというわけではありません。 2 継続雇用の終了と労働契約法第19条  60歳以上の労働者との間で継続雇用を行っている場合、多くの企業では、1年単位などで有期労働契約を締結しているでしょう。  労働契約法第19条は、@反復更新されたもので、当該契約の終了が解雇の意思表示と社会通念上同視できる場合、または、A更新されるものと期待することについて合理性がある場合のいずれかに該当する場合には、契約の不更新が客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、従前の労働条件と同一の労働条件による労働契約が維持されることが定められています。  また、有期雇用ではなく、期間の定めのない雇用として労働契約を継続していれば、労働契約を終了させる場合には、労働契約法第16条による解雇権濫用(らんよう)法理により、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が求められることになります。  高齢者の継続雇用制度においても、これらの規定が適用されることには変更はなく、継続雇用対象者だからといって、契約の終了が当然に認められるわけではありません。 3 高齢者に対する保護  直近の裁判例で、高齢者の継続雇用に対して、契約の終了を行った事案があります(東京地裁立川支部令和2年3月13日判決)。  当該事案においては、65歳をもって定年退職する旨定められていた法人において、65歳を超えて労働契約が維持されてきたところ、当該労働契約の終了に向けて就業規則を変更して、定年後の延長については承認制を採用する旨定められていました。そして、不承認の決定をくだして、労働契約を終了させたところ、これが雇止めに該当するものとして争われたという事案です。  同裁判例においては、高齢者の継続雇用においても労働契約法第16条による解雇権濫用法理が適用されることを前提に、以下のような事実をふまえて、労働契約が存続すると判断しました。  @定年後、特段明示的な承認の手続きを取られないまま、労働契約が更新されていた。  A承認が得られなかったことは、労働契約を終了させる意思表示にほかならない。  B解雇するには、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が必要だが、その立証がなされていない。 4 基準変更の就業規則の意味  高齢者雇用の事案とは若干異なりますが、継続雇用の基準を就業規則の変更によって行った企業における、労働契約終了についての裁判例もあります(山口地裁令和2年2月19日判決)。  有期労働契約の通算雇用期間の上限について、従来は定めがなかったので、就業規則を変更して5年を上限とする旨設定し、これを適用する形で、有期労働契約を終了させたところ、当該契約の終了の効力が争われました。  使用者としては、就業規則を改正することで、通算雇用期間の上限を設定したうえで、雇用契約の更新の際には、雇用契約にも上限となる期限を明記して署名押印を得ていることから、労働契約法第19条による保護の対象とはならない旨主張しました。  裁判所の判断では、就業規則改正前における労働契約更新手続きが形式的なものにすぎず、その業務態度等を考慮した実質的なものではなかったことなどから、就業規則改正前の時点において、すでに反復継続して更新される合理的な期待が生じていた以上、就業規則の変更に関する説明や契約書の記載によっても当該期待が消滅したとはいえないと判断されています。  また、更新基準に関しても、その判断基準が主観的な表現(「ぜひ雇用継続したい」、「雇用継続したい」、「雇用継続をためらう」、「雇用継続したくない」の4段階)が用いられているだけであることなどを理由に、客観的合理性を欠くものと判断されています。  このような裁判例からすると、基準の設定を行う場合には、客観性を確保する必要があります。客観性の要素としては、手続きとしての透明性(あらかじめ更新基準の要素が明らかにされていることなど)、評価基準については主観的な表現のみではなく、客観的に数値化可能な基準を含んでいることなどが重要と考えられます。  また、改正の手続きにおいても、不利益をともなう労働者に対しては、特にていねいな説明の機会を確保し、真摯な意思をもって更新されないルールに変更となる旨を理解してもらい、更新の期待を明確に打ち消すことなどが必要となります。理解が得られないことがあり得ることもふまえると、制度構築時点における対象者には経過措置として適用対象から除外するなどの配慮が必要になることもあるでしょう。 第32回 ハラスメントの処分とその公表 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 休憩時間中に外部で起こしたセクシュアルハラスメントに対する処分の程度  休憩時間中に訪れた近隣の店舗で、店員に対してセクシュアルハラスメントを働いている従業員がいるとの通報を受けました。  セクシュアルハラスメントの内容としては、店舗内でその店舗に勤める女性の店員に対して、卑猥な言動をしたり、手が触れそうなくらい近づくというような行為を行っていたようです。  職場内ではないこともあり、処分の程度を判断しづらいのですが、どのように決めればよいのでしょうか。 A  就業規則の懲戒処分の種類にしたがって判断する必要があります。解雇相当とはいい難いものの、解雇に次ぐ程度の重い処分も許される余地があります。 1 セクシュアルハラスメントについて  男女雇用機会均等法は、セクシュアルハラスメントを規制対象としており、「事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない」と定めています。  また、セクシュアルハラスメントの防止に関しては、厚生労働省によるガイドラインも定められ、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」として、対応が整理されたところです。  ガイドラインでは、ほかの事業主が雇用する労働者などからのハラスメントや顧客などからの著しい迷惑行為による被害を防止するための取組みについても新たに定められましたが、今回のケースでは、行為の加害者の立場に立ったのが、対象の従業員ということになります。  事業場外での行動ということにはなりますが、休憩時間中の行為であることからすると、就業時間中の非違行為に類するものとして対処が必要になるものと考えられます。 2 処分の程度の決め方  懲戒処分の根拠となる就業規則に基づき取りうる選択肢を整理することになります。一般的には、けん責・戒告、減給、降格、諭旨解雇、懲戒解雇などを定めている企業が多く、これら以外には、昇給停止、職務停止(自宅謹慎)などを定めている場合もあります。  懲戒処分については、労働契約法第15条で、「当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」には無効となると定めています。  処分の程度が重たくなるほど、処分理由について、合理性が厳格に求められるほか、相当性を満たすこともむずかしくなります。まずは、処分の重たさを検討のうえ、処分の程度を選択していくことになります。当然ながら、懲戒解雇がもっとも重い処分となりますが、職務停止などは給与の支給も止まることをふまえると、解雇に次ぐ程度に重く、その期間が長くなればなるほど解雇に近づくほどに重たいものとして評価されることになるといえるでしょう。したがって、一般的には重たい順から、懲戒解雇、諭旨解雇、職務停止、降格、昇給停止、減給、けん責・戒告といった考え方になるでしょう。  そして、ハラスメントの内容、頻度、被害者の数、被害者からの処罰感情などを考慮したうえで、処分を決定していくことになります。 3 処分の相当性が争点となった裁判例について  過去の裁判例において、類似の状況で地方自治体の懲戒処分の相当性が争点となった事件があります(最高裁平成30年11月6日判決)。  勤務時間中に訪れた店舗において、女性従業員に対してわいせつな行為などを行ったことを理由に、6カ月の停職処分を行ったところ、その処分の取消しを求めて訴訟が提起されました。  第一審および控訴審においては、処分が不相当に厳しいものとされた結果、取消請求が認められています。その際には、被害者と顔見知りであったこと、終始笑顔での対応がされており、渋々ながらも同意していたと認められること、当該店舗のオーナーおよび被害者が処罰を望んでいないこと、常習性があったとは認められないこと、過去の処分歴がないことなどが理由とされていました。  これに対して、最高裁は、第一審および控訴審の結論を維持せず、6カ月の停職処分を有効と判断しています。まず、店員が笑顔で対応し特段の抵抗を示さなかったとしても、それは客と店員の関係であり、トラブルを避けるためのものであったとみる余地があり、これを加害者にとって有利に考慮するべきではないと判断されています。また、処罰を望んでいない点についても、事情聴取の負担や店舗の営業への悪影響などを懸念したことによるものとして、重視しない姿勢を示しています。被害者の態度や感情については、過去にも、「被害者が内心でこれに著しい不快感や嫌悪感等を抱きながらも、職場の人間関係の悪化等を懸念して、加害者に対する抗議や抵抗ないし会社に対する被害の申告を差し控えたり躊躇(ちゅうちょ)したりすることが少なくないと考えられる」と判断し、加害者に有利に斟酌(しんしゃく)することを否定した判例(最高裁平成27年2月26日判決)がありますので、同様の考え方が維持されているといえるかと思われます。  特殊な事情としては、自治体による会見や報道が行われており、公務一般に対する住民の信頼が大きく損なわれたものというべきであり、社会に与えた影響が小さくないものとされている点は、通常の企業において生じる事案とは異なる点といえるかと思われます。停職処分は免職(解雇類似)処分に次ぐ重いものであることをふまえてもなお、厳格な処分を有効と判断しており、自治体であることや報道がなされたことなど特殊な事情はありますが、処分の程度について参考になる事件であると思われます。 Q2 懲戒処分とその公表について留意点があれば教えてほしい  社内において生じたパワーハラスメントについて調査したところ、ハラスメント行為が存在し、懲戒処分を行うことが相当であるとの結論に至りました。類似の事案が生じないように再発防止策として懲戒の理由と対象者を公表する予定ですが、何か問題があるでしょうか。 A  懲戒処分の結果を公開するか否かについては、原則として、企業の裁量に委ねられていると考えられます。懲戒処分を公開するにあたっては、懲戒対象者の名誉棄損などに該当する可能性などもふまえたうえで判断する必要があります。特定されやすい事案であれば、再発防止に関しては、懲戒処分の公表以外によることも検討するべきです。 1 懲戒処分の公表について  懲戒処分は、企業秩序の維持や回復のために行われる側面があります。  企業内において、ハラスメントが行われたことが噂になっている場合に、処分結果を公表しないままでいると、結局お咎(とが)めなしだったのかなど、企業秩序が回復できないままになるおそれがあります。したがって、公表することにより、企業秩序の維持または回復に努めるほか、公表自体が再発防止に資することもあります。  就業規則に、「懲戒処分の際、被懲戒者の所属部署、役職、事案の概要、懲戒処分の対象となった行為及び懲戒処分の内容等について、社内に公表する場合がある」など公表に関して定めている企業もあります。  法律上も、公表自体を明確に禁止する規定はなく、一律で、公表自体を行ってはならないというルールにはなっていません。  しかしながら、直接的に公表を禁止する法律がないといっても、日本における名誉棄損は、たとえ、真実を公表した場合であっても成立しうるものとされていますので、名誉棄損に該当してしまうと違法と判断されるおそれがあります。  したがって、名誉棄損に該当しないように留意する必要があり、再発防止に資する要素は残しつつも、例えば、氏名などについては秘匿(ひとく)するなど、名誉棄損に該当しないような運用は必要といえるでしょう。  また、ハラスメント事案においては、被害者もいるため、懲戒事由を公表することで被害者のプライバシーへの配慮が不足しないよう配慮する必要があります。 2 懲戒処分の公表と名誉棄損について  懲戒処分を受けるということは、基本的には不名誉なことであり、公表することによって、懲戒処分の対象者の社会的評価を下げることにつながるといえます。  名誉棄損に関して、民法第723条は、「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる」と定め、被害者による名誉棄損の加害者に対する損害賠償請求権と名誉回復措置請求権を認めています。  日本の名誉棄損の解釈では、たとえ、真実を公開した場合であっても、それが対象者の社会的評価を下げる以上は、原則として違法とされています。違法と判断されてしまうと、損害賠償および名誉回復の責任(例えば、日刊新聞紙への謝罪広告の掲載やホームページ上への謝罪文の掲載などの方法が採用されています)を負担することとされています。  例外的に許容されるのは、公開の目的が専(もっぱ)ら公益目的であることに加えて、当該事実が真実であること、または真実であると判断するに足りる相当な理由があることが必要と考えられています。  過去の事例で、懲戒解雇の結果および当該解雇に至る経緯などを公表したところ、対象の従業員から名誉棄損に基づく請求が行われた事件があります(泉屋東京店事件・東京地裁昭和52年12月19日判決)。  その事件では、裁判所が「一般に、解雇、特に懲戒解雇の事実およびその理由が濫(みだ)りに公表されることは、その公表の範囲が本件のごとく会社という私的集団社会内に限られるとしても、被解雇者の名誉、信用を著しく低下させる虞(おそ)れがあるものである」としており、懲戒の公表による名誉棄損の可能性を示しました。  さらに、「公表する側にとつて必要やむを得ない事情があり、必要最小限の表現を用い、かつ被解雇者の名誉、信用を可能な限り尊重した公表方法を用いて事実をありのままに公表した場合に限られると解すべきである」と判断しています。  この裁判例では、「真実であることを前提とした必要最小限度」という厳格な基準が用いられており、公表の範囲を決めるにあたっては参考にできると思われます。  一方で、広島高裁平成13年5月23日の判決においては、降格処分を会社内で掲示した事例について、こちらでは、降格処分が真実であり、名誉を毀損する意図をもって行われたものではないこと、業務上必要な情報の共有であったことから名誉棄損とまでは認められておらず、公表自体が一律に禁止されるというわけではありません。 3 公表の際の留意点について  懲戒処分の公表にあたっては、懲戒対象者の名誉棄損に該当しないように、留意する必要があります。このことは、就業規則などにしたがって公表する場合でも同様です。  仮に、懲戒事由まで公表する場合には、当該懲戒の根拠となる事実が真実であることが必要と考えるべきでしょう。紹介した裁判例においては、いずれも事実が真実であることを前提としており、この点を欠く場合には名誉棄損に該当する可能性が高いといえます。  次に、懲戒対象者や被害者を特定できる形で行うのか否かという点です。懲戒処分が原則として不名誉なことであることからすれば、業務上の必要性がないかぎりは、氏名などについては公開をするべきではないでしょう。降格などの人事とかかわるような事項については、業務上の必要性が認められやすいといえますが、それ以外の場合には氏名の公表まで認められる範囲は広くないと考えられます。  これらの点に関して、人事院では、公務員に対する懲戒処分の公表指針を定めています。公表する際には、事案の概要、処分量定および処分年月日並びに所属、役職段階などの被処分者の属性に関する情報を、「個人が識別されない内容のものとすること」を基本として公表するものとしています。さらに、被害者またはその関係者のプライバシーなどの権利利益を侵害するおそれがある場合など、公表することが適当でないと認められる場合は、公表内容の一部または全部を公表しないことも差し支えないものとしています。  人事院の公表指針は、被懲戒者の名誉や被害者がいる場合のプライバシーなどに配慮した内容となっており、懲戒処分を公開する場合の基本的な考え方が示されているといえ、参考になるでしょう。  パワーハラスメントの事案では、加害者と被害者双方への配慮が必要となるほか、事案の内容から当事者が特定されやすいという場合もあり、氏名などを秘匿したとしても、懲戒事由を明記してしまうと個人が識別されない内容とはなりにくい場合があります。そのため、公表による抑止のみではなく、研修や教育の再徹底やトップメッセージを追加で公表するなど、そのほかの方法による再発防止を検討することも視野に入れるべきと考えられます。 第33回 労働者に対する損害賠償請求、ノー残業デー導入時の留意点 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 労働者に対する損害賠償請求について知りたい  労働者が、会社に対して、損害を生じさせた場合に、その損害を賠償するよう請求することはできるのでしょうか。  会社の内規を大きく逸脱して損害を与えた場合などはどのように考えられるのでしょうか。 A  損害賠償の予定は禁止されていますが、実損を請求することは可能です。ただし、損害の公平な分担の観点からかなりの割合が制限されることが多くあります。 1 労働者に対する損害賠償責任について  労働基準法第16条は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」と定め、損害賠償の予定を禁止しています。このような規制がなされている背景には、契約期間中の解約に対する違約金を設定することや、事業活動におけるミスなどの賠償を予定しておくことで、労働者が退職する自由を奪い、不当な足止めを行うことにつながることを回避することにあります。  一方で、実際に発生した損害についてはどうでしょうか。このような場合には、民法第715条第1項が、会社が労働者の不法行為によって他人に損害を生じさせた場合には、被害者に対して賠償する責任を負担することを定めています。この場合、使用者は労働者とともに、被害者に対する賠償責任を負担する義務を負います。  また、同条第3項では、「前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない」と明記しており、会社としては労働者に対して、求償権を行使することが可能とされています。これは、実際に発生した損害を事後的に請求するという状況であり、あらかじめ違約金などを定める状況とは異なります。  したがって、会社が、労働者に対して、実際に発生した損害について、被害者へ支払う義務があるときには、請求することが可能と考えられています。 2 負担割合について  実際の損害を生じさせたのが労働者であったとしても、使用者から全額の負担を求めることができるのでしょうか。  代表的な判例となっているのが、最高裁昭和51年7月8日判決(茨城石炭商事事件)です。  事案の概要としては、労働者が運転するタンクローリーが、前方注視不十分の過失により交通事故を起こし、会社が被害者に対して、休業補償としての示談金を支払い、自社のタンクローリーを修理する費用や休車期間中の損害を負担した、というものです。  判決では、@事業の性格、規模、施設の状況、A被用者の業務の内容、B労働条件、C勤務態度、D加害行為の態様、E加害行為の予防もしくは損失の分散についての使用者の配慮の程度、Fその他諸般の事情を考慮要素とあげたうえで、使用者が、労働者へ求償できる範囲について「損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」に限定するという判断をしています。  使用者責任の背景にあるのは、会社は、すべてのリスクを回避できるわけではなく、そのなかで一定の危険を労働者に分担させていることから、終局的な責任は会社が負担すべきという考え(危険責任の原理)や、そのリスクを帯びた事業活動から会社が利益を確保していることからリスクの発生時には会社が負担すべき(報奨責任の原理)という考え方です。リスクの根源や利益の帰属するところが企業であることから、リスクが顕在化したときにだけ労働者へ全額負担させることが、損害の公平な分担に反するというわけです。  しかしながら、労働者の過失がある場合には、それによってリスクが顕在化している部分もあるわけですから、一切の負担を否定するというのもまた行き過ぎた考えでしょう。判例の事件では、最終的には、結論としては、4分の1(25%)を労働者の負担にするべきであるという結論となっています。  比較的多くの事件で、故意や重過失でないかぎり、労働者には4分の1程度かそれ以下といった負担割合となることが多くなっています。  一方で、くり返されるミスに対しては、全額の賠償が認められた事件もあります。タクシー運転手の職務についている労働者が、度重なる交通事故を起こしていたことから、次回の事故については全額の賠償をする旨の誓約書を提出していた事例において、事故がくり返されていたことをふまえた誓約書が提出されていたことから、誓約書提出後に生じた事故について全額の負担を認めた裁判例などもあります(大阪地裁平成23年1月28日判決、国際興業大阪事件)。  傾向としては、度重なるミスに対する責任を問う場合、行為自体に悪意がある場合、故意や重過失が認められる場合には、労働者が負担すべき割合が高くなる傾向があるといえるでしょう。 3 労働者が先に賠償した場合について  最高裁令和2年2月25日判決では、会社が被害者へ賠償した金額を労働者へ支払いを求めたのではなく、労働者が先に被害者の遺族へ賠償した後に、会社へ求償した事件について、判断されています。  事案としてはやはり交通事故であり、トラック運転中の交通事故で被害者は亡くなり、労働者がその遺族と和解して和解金を支払ったというものです。  控訴審までは、労働者から会社へ請求することを権利として認めませんでしたが、最高裁は、労働者が先に弁済した場合であっても、「損害の公平な分担という見地から相当と認められる額」について、会社へ請求することを認めました。  この判決の補足意見においても、会社側においては、保険制度を利用するか否かの選択肢があることや、それに対して保険制度を利用せずにいたことの負担を労働者へ転嫁することが妥当でないことなど、危険責任や報奨責任の考え方がいまもなお通用していることを示す内容も述べられており、使用者の責任の範囲をかなり広くとらえているように思われます。  会社が先に支払ったか、労働者が先に支払ったかということによって、労働者が負担すべき割合が変わるということは結論としても妥当ではありませんので、当然の結論といえるかと思います。実際の割合は、控訴審へ差し戻しされた結果を待つ必要がありますが、補足意見の内容をふまえると、会社の負担割合はかなり大きくなる可能性があると考えられます。 Q2 ノー残業デーを徹底する際の留意点があれば教えてほしい  時間外労働を減少させることを目的にノー残業デーを設定しているのですが、依然として残業を継続する者がいます。これらの残業に対しては、どのように対応すればよいのでしょうか。残業している者からは、「業務が残っているため残業せざるを得ない」という言い分が出ており、対応に苦慮しています。 A  ノー残業デーについては、残業禁止を明確に命じるとともに、残業せざるを得ない環境も同時に解消する必要があります。 1 労働時間について  労働時間とは、「使用者の指揮命令下に置かれている時間」(最高裁平成12年3月9日判決、三菱重工長崎造船所事件)と定義されており、労働時間であるか否かについては、使用者と労働者の契約や就業規則などの主観的な関係で定めるのではなく、労働実態をふまえて客観的に定まるものとされています。  このことからいえるのは、指揮命令下にあるか否かという実態に即して、労働時間管理を行わなければならず、ノー残業デーを徹底するにあたっても、その観点から取り組んでいかなければならないということです。  労働実態に変更がないような場合には、たとえノー残業デーを周知していたとしても、それだけでは時間外労働が発生してしまう余地があり、残業をなくすことを実現することがむずかしいでしょう。 2 時間外労働について  時間外労働の典型的な状況は、使用者が明示的に時間外労働を命じた場合です。この場合には双方の認識が合致しているはずであるため、労働時間管理に問題は生じないはずです。例えば、残業について事前許可制を採用しており、労働者の事前申請に対して、使用者において、申請を許可しているような場合には、双方ともに残業することを認識しています。  一方、ノー残業デーを周知しているにもかかわらず、労働者が残業を行っているような状況は、使用者の明示的な命令はなく(むしろ残業をしないよう周知している)、労働者としては業務を遂行しており、使用者の指示と労働者の行動がちぐはぐになっている状況です。ちぐはぐな状況であったとしても、労働時間は客観的に判断するということになるため、たとえ使用者の指示や認識が残業を命じていないとしても残業が労働時間となってしまう場合があります。  明示の時間外労働の命令がない場合の考え方としては、労働者の業務遂行が、@使用者の黙示の指示によって求められている、A残業をしなければ制裁があるなど事実上残業を強制されている場合などには、労働時間として認められると考えられています。  まず、@使用者の黙示の指示とは、いわゆる時間外労働を使用者が黙認し続けるような状況などが典型的です。指示に反する業務遂行に対して改善を求めて注意や指導などを行うことなく、残業を見逃しておくという場合には、黙示の指示があったものとして、労働時間として認められてしまうことにつながります。ノー残業デーを周知しつつも、残業している者がいる状況を黙認し、残業している事実自体を受け入れてしまっているような状態では、時間外労働であることは否定できないと考えられます。  次に、A事実上の強制については、時間外労働を行ってでも業務を遂行しておかなければ、人事考課上の不利益や懲戒処分その他の制裁が行われる余地がある場合には、事実上の強制があるものとして、労働時間に該当することにもつながります。業務量が過剰であり、時間外に実施しておかなければ業務遂行に支障が出る、顧客との間で債務不履行が生じることが必定であるなどの状況も労働時間性を肯定する要素になりえます。  これらの@やAの要素から時間外労働が認められた裁判例もあります。例えば、大阪地裁平成15年4月25日判決(医療法人徳洲会事件)においては、タイムカードの打刻以降に行った業務が、時間外労働となるか否かについて、レセプトの作成やそれに関連する業務が毎月10日を期限とされていたことなどから、遅滞させることが許されず、これらを処理することが当然容認されていたものとして、黙示の業務命令に基づく時間外労働であると評価されています。  したがって、@やAの要素を排除しておくことが、ノー残業デーの徹底に取り組むにあたって重要といえます。 3 残業の明示的な禁止について  過去の裁判例において、時間外労働における労働について、労働者側からは黙示の指示や事実上の強制が主張される一方で、使用者側から明示的に残業を禁止しており、労働時間と認めない旨反論した事件があります(東京高裁平成17年3月30日判決、神代学園ミューズ音楽院事件)。  当該裁判例においては、「使用者の明示の残業禁止の業務命令に反して、労働者が時間外又は深夜にわたり業務を行ったとしても、これを賃金算定の対象となる労働時間と解することはできない」と述べたうえで、「残業を禁止する旨の業務命令を発し、残務がある場合には役職者に引き継ぐことを命じ、この命令を徹底していた」ことなどをふまえて、明示的な残業禁止命令に反する時間外又は深夜にわたる業務については、労働時間と評価することができないと結論付けています。なお、労働者からは、残業しないで仕事をこなすことが不可能である旨主張されていましたが、役職者に引き継ぐことが命令されていることをふまえて、事実上の強制の要素についても否定しています。  このような裁判例も参考にすると、ノー残業デーを明示的な「命令」として周知しておくことが重要です。ただ推奨しているだけの状態では、黙示の命令を上回る明示の命令としては位置づけることができないおそれがあります。ノー残業デーの周知や推奨によって実現が叶わない場合には、残業している労働者に対して、残業を禁止する旨注意したうえで、それでも改善しない場合には禁止を命じることが必要でしょう。  また、事実上の強制の要素を排除するためには、残業をしている時間帯に行っている業務の内容を把握し、その必要性や重要性を吟味することが重要です。この裁判例でも残業禁止の命令自体が真意に基づくものではない、つまりは形式的なものであって、時間外労働であったことを否定するものではないと反論されており、形式的に命令を行うだけでは、残業禁止を徹底することが叶わない可能性があります。  紹介した裁判例においては役職者が引き継ぐことで、役職者以外の残業をなくすようにしていますが、このような方法は、残業時間中に行っている業務を把握し、その必要性を吟味する方法としても評価できるでしょう。 第33回 労働者に対する損害賠償請求、ノー残業デー導入時の留意点 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 労働者に対する損害賠償請求について知りたい  労働者が、会社に対して、損害を生じさせた場合に、その損害を賠償するよう請求することはできるのでしょうか。  会社の内規を大きく逸脱して損害を与えた場合などはどのように考えられるのでしょうか。 A  損害賠償の予定は禁止されていますが、実損を請求することは可能です。ただし、損害の公平な分担の観点からかなりの割合が制限されることが多くあります。 1 労働者に対する損害賠償責任について  労働基準法第16条は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」と定め、損害賠償の予定を禁止しています。このような規制がなされている背景には、契約期間中の解約に対する違約金を設定することや、事業活動におけるミスなどの賠償を予定しておくことで、労働者が退職する自由を奪い、不当な足止めを行うことにつながることを回避することにあります。  一方で、実際に発生した損害についてはどうでしょうか。このような場合には、民法第715条第1項が、会社が労働者の不法行為によって他人に損害を生じさせた場合には、被害者に対して賠償する責任を負担することを定めています。この場合、使用者は労働者とともに、被害者に対する賠償責任を負担する義務を負います。  また、同条第3項では、「前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない」と明記しており、会社としては労働者に対して、求償権を行使することが可能とされています。これは、実際に発生した損害を事後的に請求するという状況であり、あらかじめ違約金などを定める状況とは異なります。  したがって、会社が、労働者に対して、実際に発生した損害について、被害者へ支払う義務があるときには、請求することが可能と考えられています。 2 負担割合について  実際の損害を生じさせたのが労働者であったとしても、使用者から全額の負担を求めることができるのでしょうか。  代表的な判例となっているのが、最高裁昭和51年7月8日判決(茨城石炭商事事件)です。  事案の概要としては、労働者が運転するタンクローリーが、前方注視不十分の過失により交通事故を起こし、会社が被害者に対して、休業補償としての示談金を支払い、自社のタンクローリーを修理する費用や休車期間中の損害を負担した、というものです。  判決では、@事業の性格、規模、施設の状況、A被用者の業務の内容、B労働条件、C勤務態度、D加害行為の態様、E加害行為の予防もしくは損失の分散についての使用者の配慮の程度、Fその他諸般の事情を考慮要素とあげたうえで、使用者が、労働者へ求償できる範囲について「損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」に限定するという判断をしています。  使用者責任の背景にあるのは、会社は、すべてのリスクを回避できるわけではなく、そのなかで一定の危険を労働者に分担させていることから、終局的な責任は会社が負担すべきという考え(危険責任の原理)や、そのリスクを帯びた事業活動から会社が利益を確保していることからリスクの発生時には会社が負担すべき(報奨責任の原理)という考え方です。リスクの根源や利益の帰属するところが企業であることから、リスクが顕在化したときにだけ労働者へ全額負担させることが、損害の公平な分担に反するというわけです。  しかしながら、労働者の過失がある場合には、それによってリスクが顕在化している部分もあるわけですから、一切の負担を否定するというのもまた行き過ぎた考えでしょう。判例の事件では、最終的には、結論としては、4分の1(25%)を労働者の負担にするべきであるという結論となっています。  比較的多くの事件で、故意や重過失でないかぎり、労働者には4分の1程度かそれ以下といった負担割合となることが多くなっています。  一方で、くり返されるミスに対しては、全額の賠償が認められた事件もあります。タクシー運転手の職務についている労働者が、度重なる交通事故を起こしていたことから、次回の事故については全額の賠償をする旨の誓約書を提出していた事例において、事故がくり返されていたことをふまえた誓約書が提出されていたことから、誓約書提出後に生じた事故について全額の負担を認めた裁判例などもあります(大阪地裁平成23年1月28日判決、国際興業大阪事件)。  傾向としては、度重なるミスに対する責任を問う場合、行為自体に悪意がある場合、故意や重過失が認められる場合には、労働者が負担すべき割合が高くなる傾向があるといえるでしょう。 3 労働者が先に賠償した場合について  最高裁令和2年2月25日判決では、会社が被害者へ賠償した金額を労働者へ支払いを求めたのではなく、労働者が先に被害者の遺族へ賠償した後に、会社へ求償した事件について、判断されています。  事案としてはやはり交通事故であり、トラック運転中の交通事故で被害者は亡くなり、労働者がその遺族と和解して和解金を支払ったというものです。  控訴審までは、労働者から会社へ請求することを権利として認めませんでしたが、最高裁は、労働者が先に弁済した場合であっても、「損害の公平な分担という見地から相当と認められる額」について、会社へ請求することを認めました。  この判決の補足意見においても、会社側においては、保険制度を利用するか否かの選択肢があることや、それに対して保険制度を利用せずにいたことの負担を労働者へ転嫁することが妥当でないことなど、危険責任や報奨責任の考え方がいまもなお通用していることを示す内容も述べられており、使用者の責任の範囲をかなり広くとらえているように思われます。  会社が先に支払ったか、労働者が先に支払ったかということによって、労働者が負担すべき割合が変わるということは結論としても妥当ではありませんので、当然の結論といえるかと思います。実際の割合は、控訴審へ差し戻しされた結果を待つ必要がありますが、補足意見の内容をふまえると、会社の負担割合はかなり大きくなる可能性があると考えられます。 Q2 ノー残業デーを徹底する際の留意点があれば教えてほしい  時間外労働を減少させることを目的にノー残業デーを設定しているのですが、依然として残業を継続する者がいます。これらの残業に対しては、どのように対応すればよいのでしょうか。残業している者からは、「業務が残っているため残業せざるを得ない」という言い分が出ており、対応に苦慮しています。 A  ノー残業デーについては、残業禁止を明確に命じるとともに、残業せざるを得ない環境も同時に解消する必要があります。 1 労働時間について  労働時間とは、「使用者の指揮命令下に置かれている時間」(最高裁平成12年3月9日判決、三菱重工長崎造船所事件)と定義されており、労働時間であるか否かについては、使用者と労働者の契約や就業規則などの主観的な関係で定めるのではなく、労働実態をふまえて客観的に定まるものとされています。  このことからいえるのは、指揮命令下にあるか否かという実態に即して、労働時間管理を行わなければならず、ノー残業デーを徹底するにあたっても、その観点から取り組んでいかなければならないということです。  労働実態に変更がないような場合には、たとえノー残業デーを周知していたとしても、それだけでは時間外労働が発生してしまう余地があり、残業をなくすことを実現することがむずかしいでしょう。 2 時間外労働について  時間外労働の典型的な状況は、使用者が明示的に時間外労働を命じた場合です。この場合には双方の認識が合致しているはずであるため、労働時間管理に問題は生じないはずです。例えば、残業について事前許可制を採用しており、労働者の事前申請に対して、使用者において、申請を許可しているような場合には、双方ともに残業することを認識しています。  一方、ノー残業デーを周知しているにもかかわらず、労働者が残業を行っているような状況は、使用者の明示的な命令はなく(むしろ残業をしないよう周知している)、労働者としては業務を遂行しており、使用者の指示と労働者の行動がちぐはぐになっている状況です。ちぐはぐな状況であったとしても、労働時間は客観的に判断するということになるため、たとえ使用者の指示や認識が残業を命じていないとしても残業が労働時間となってしまう場合があります。  明示の時間外労働の命令がない場合の考え方としては、労働者の業務遂行が、@使用者の黙示の指示によって求められている、A残業をしなければ制裁があるなど事実上残業を強制されている場合などには、労働時間として認められると考えられています。  まず、@使用者の黙示の指示とは、いわゆる時間外労働を使用者が黙認し続けるような状況などが典型的です。指示に反する業務遂行に対して改善を求めて注意や指導などを行うことなく、残業を見逃しておくという場合には、黙示の指示があったものとして、労働時間として認められてしまうことにつながります。ノー残業デーを周知しつつも、残業している者がいる状況を黙認し、残業している事実自体を受け入れてしまっているような状態では、時間外労働であることは否定できないと考えられます。  次に、A事実上の強制については、時間外労働を行ってでも業務を遂行しておかなければ、人事考課上の不利益や懲戒処分その他の制裁が行われる余地がある場合には、事実上の強制があるものとして、労働時間に該当することにもつながります。業務量が過剰であり、時間外に実施しておかなければ業務遂行に支障が出る、顧客との間で債務不履行が生じることが必定であるなどの状況も労働時間性を肯定する要素になりえます。  これらの@やAの要素から時間外労働が認められた裁判例もあります。例えば、大阪地裁平成15年4月25日判決(医療法人徳洲会事件)においては、タイムカードの打刻以降に行った業務が、時間外労働となるか否かについて、レセプトの作成やそれに関連する業務が毎月10日を期限とされていたことなどから、遅滞させることが許されず、これらを処理することが当然容認されていたものとして、黙示の業務命令に基づく時間外労働であると評価されています。  したがって、@やAの要素を排除しておくことが、ノー残業デーの徹底に取り組むにあたって重要といえます。 3 残業の明示的な禁止について  過去の裁判例において、時間外労働における労働について、労働者側からは黙示の指示や事実上の強制が主張される一方で、使用者側から明示的に残業を禁止しており、労働時間と認めない旨反論した事件があります(東京高裁平成17年3月30日判決、神代学園ミューズ音楽院事件)。  当該裁判例においては、「使用者の明示の残業禁止の業務命令に反して、労働者が時間外又は深夜にわたり業務を行ったとしても、これを賃金算定の対象となる労働時間と解することはできない」と述べたうえで、「残業を禁止する旨の業務命令を発し、残務がある場合には役職者に引き継ぐことを命じ、この命令を徹底していた」ことなどをふまえて、明示的な残業禁止命令に反する時間外又は深夜にわたる業務については、労働時間と評価することができないと結論付けています。なお、労働者からは、残業しないで仕事をこなすことが不可能である旨主張されていましたが、役職者に引き継ぐことが命令されていることをふまえて、事実上の強制の要素についても否定しています。  このような裁判例も参考にすると、ノー残業デーを明示的な「命令」として周知しておくことが重要です。ただ推奨しているだけの状態では、黙示の命令を上回る明示の命令としては位置づけることができないおそれがあります。ノー残業デーの周知や推奨によって実現が叶わない場合には、残業している労働者に対して、残業を禁止する旨注意したうえで、それでも改善しない場合には禁止を命じることが必要でしょう。  また、事実上の強制の要素を排除するためには、残業をしている時間帯に行っている業務の内容を把握し、その必要性や重要性を吟味することが重要です。この裁判例でも残業禁止の命令自体が真意に基づくものではない、つまりは形式的なものであって、時間外労働であったことを否定するものではないと反論されており、形式的に命令を行うだけでは、残業禁止を徹底することが叶わない可能性があります。  紹介した裁判例においては役職者が引き継ぐことで、役職者以外の残業をなくすようにしていますが、このような方法は、残業時間中に行っている業務を把握し、その必要性を吟味する方法としても評価できるでしょう。 第34回 部門閉鎖と整理解雇、人事考課に基づく降格 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 部門閉鎖により整理解雇を行わざるを得ないときの留意点について知りたい  経営状況悪化にともない、事業部門を一つ閉鎖することを予定しています。部門閉鎖とあわせて整理解雇を実施しなければ、事業継続はむずかしいと考えているのですが、部門に所属する従業員を解雇することは可能でしょうか。 A  判例上、整理解雇の4要件(要素)が確立しており、それらの要件に則した検討が必要となります。また、部門に所属する従業員全員を解雇するためには、人員削減の必要性が高く、解雇回避努力を尽くしたうえでなければなりません。 1 整理解雇の4要件(要素)  労働契約法第16条は、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定めています。この規定は、経営上の理由により、整理解雇する場合であっても適用されるものと考えられています。  整理解雇における、客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性を判断するにあたっては、四つの要件(要素)を考慮して判断されることが一般的となっています。@人員削減の必要性、A解雇回避努力、B人選の合理性、C手続きの妥当性が、四つの要件(要素)として考慮されます。本稿では、これらがいかなる内容を意味しているのか整理したうえで、実際の裁判例を紹介していきたいと思います。 2 人員削減の必要性  かつては、人員削減をしなければ企業存続の危機に瀕する状況にあることを求めるような時代もありましたが、近年では、そのような差し迫った状況であることまで求めるものではなく、企業の運営上合理的な判断としてやむを得ないものと評価されるものであれば、基本的には経営者の判断が尊重される傾向があるといわれています。  とはいえ、人員削減の必要性については、具体的な根拠をもって示さなければ、客観的かつ合理的な理由があるとは評価されません。  人員削減を行う一方で、新規採用を行っているような場合や、経営上赤字ではないような状況においては、人員削減の必要性は否定されることが多いと考えられます。  後述Bの「解雇回避努力」とも関連しますが、裁判所においては、当該事業部門の人数が少数である場合などには、解雇以外の選択肢をとることができなかったとは思われないといった心証を開示されることもありますので、対象人数が少ない場合には、人員削減以外の方法がとれない理由も重要になります。  一例として、職種限定がなされていることから異動などの選択肢が取れないことなどが考えられますが、その場合でも、合意による異動の打診などは検討することが適切でしょう。 3 解雇回避努力  できるかぎり、解雇以外の方法で、企業経営を立て直すことができないか検討することが、解雇回避努力の要素となります。  解雇によって経営の危機的状況などを回避することがねらいとしてあるわけですが、その前に残業代の抑制、余剰人員の出向や配転、希望退職者の募集、退職勧奨による人員削減、役員報酬の削減などが一般的な解雇回避努力の例としてあげられます。  どの企業においても検討することが必要となることで比較的多いのは、希望退職者の募集や退職勧奨の実施です。解雇回避努力の一環として希望退職者の募集や退職勧奨を実施することは、必然的に整理解雇の必要性の説明内容や、どのような理由でだれを選択するのかということを検討することにもつながるため、後述Cの「人選の合理性や手続きの妥当性」にも関連する事項であり、しっかりと整理解雇の要件(要素)を検討するためにも、希望退職者の候補などを慎重に検討すべきでしょう。 4 人選の合理性と手続きの妥当性  人選の合理性を判断するにあたっては、例えば、過年度の勤務成績が低いものを選択することや、勤続年数、労働者の生活への影響の大きさなどをふまえて決定することが考えられます。万能の基準を想定することはできず、会社の雇用している従業員の人数や年齢、家族構成、勤続年数などの構成をふまえて、検討する必要があります。  比較的共通しやすい要素があるとすれば、人事考課上の評価や勤務成績といったものがありますが、人事考課や勤務成績の基準が客観的ではなく主観的なものである場合や、評価基準が不合理な場合にはそれに依拠することが否定される可能性があります。したがって、人事考課や勤務成績についても定量的な要素により客観性が保たれていることを留意すべきでしょう。  なお、国籍、信条、社会的身分、性別、婚姻・妊娠・出産、育児・介護、労働組合員であることなどを人選の基準に加えることは、法律上禁止されている差別的取扱いになるため許されません。  手続きとして想定されているのは、労働協約や就業規則の根拠に協議条項がある場合には、協議を前置することなどが典型的です。ただし、そのような根拠となる規定がない場合においても、誠実に協議することが求められる傾向があることから、根拠の有無にかかわらず、労働組合や解雇対象となりうる労働者に対し、事前協議や解雇の必要性に関する説明を尽くす必要があります。  協議や説明にあたっては、人員削減の必要性、解雇回避努力の手法、人選基準などについてできるかぎり納得を得られるように誠意をもって対応することが求められます。 5 整理解雇が認められた近時の裁判例  東京地裁平成31年3月28日判決は、部門の閉鎖にともなう整理解雇が、整理解雇の4要件(要素)に照らして、有効と判断された事例です。航空会社において、旅客数がおよそ半減するほど人気が低下した路線となった結果、業務量が減少した部門について、減少前の業務量に相当する賃金を支払い続けていたことから、部門削減によるコスト削減が実現できることを理由に、人員削減の必要性を肯定しました。  また、解雇回避努力の措置および手続きの妥当性に関して、労働組合に対して、通常の退職金に加えて特別退職金として20カ月分の賃金相当額を加算して支払う旨を提案するほか、配置転換による勤務の継続を提案してきたことが相当な内容であったと評価されました。  人選の合理性については、部門に所属するもの全員を対象とするものであることから不合理な点は見当たらないと評価されています。  比較的高度な人員削減の必要性がある状況のなか、解雇回避努力および手続きの妥当性について十分な措置をとってきたことが、整理解雇の結論を左右したといえる事案であると考えられます。 Q2 人事考課に基づく降格の有効性について教えてほしい  人事評価の結果をふまえて、給料の減額をともなう降格処分を行うことを検討しています。人事権の行使の一環であることから、裁量の余地が広いと考えて問題ないでしょうか。 A  減給をともなう降格には、就業規則上の根拠が必要であるほか、処分の合理性が求められます。  処分の合理性を判断するにあたっては、人事考課基準自体の合理性や降格処分に至るまでの指導経過などもふまえて評価されることから、その経過を記録しておくことが重要です。 1 賃金の減額をともなう降格に必要な根拠  企業内においては、人事評価の仕組みを構築し、賃金体系を定めることになりますが、その制度は、各企業においてさまざまです。  あえて分類すれば、人が身につけた能力を評価して賃金を定める「職能給」と、人がになう役割や職務の内容に則して賃金を定める「職務給」の2種類の考え方があります。  日本においては、「職能給」としての賃金制度が広く定着しており、基本的には、能力が減衰することはないという前提のもと、原則として、賃金の減額は想定されていない制度として運用されています。したがって、「職能給」を前提とする賃金体系においては、労働契約や就業規則において、明確な降格の根拠規定がないかぎりは、降格を実施できないと考えられています。  一方で、「職務給」としての賃金制度を採用している場合には、職務の変更をともなう場合には賃金も変更されることが前提とされており、その意味では降格の裁量の余地は広いといえます。しかしながら、賃金の減額という不利益をともなう以上、たとえ「職務給」を採用している場合においても、明確な根拠規定は必要と考えられています。逆説的な発想ではありますが、そもそも職務の変更にともない賃金の減額を行いうることが就業規則や賃金規程において表現されていないような場合は、「職務給」制度を採用していると評価されずに、一般的に定着している「職能給」として判断される可能性もあることから、「職務給」制度を採用していることを明確にする趣旨からも、降格の根拠規定を置くことは重要といえます。 2 人事権の濫用  降格の実施にあたっては、根拠規定が存在することが前提となりますが、その判断は、人事評価という過程を経て行われることになります。人事評価の過程において、著しい不合理な評価によって判断された場合には、その人事権を濫用したものとして降格が無効になると考えられています。  濫用となるか否か判断する際に重視される観点としては、「公正な評価」がなされることが必要という考え方がなされています。例えば、東京地裁平成16年3月31日判決においては、賃金の減額をともなう人事権の行使に関して、「労働契約の内容として、成果主義による基本給の降給が定められていても、使用者が恣意的に基本給の降給を決することが許されない」としたうえで、「降給が許容されるのは、就業規則等による労働契約に、降給が規定されているだけでなく、降給が決定される過程に合理性があること、その過程が従業員に告知されてその言い分を聞く等の公正な手続が存することが必要」としています。ここで、注目されるべきは、評価の過程までを人事権濫用の判断要素として含めたうえで、その過程が従業員に告知されてその言い分を聞くなどの手続きを求めているという点です。人事権の行使に関しては、経営者の判断が尊重されるべきではありますが、評価の過程については説明をしておくべきでしょう。  なお、同判決は「降給の仕組み自体に合理性と公正さが認められ、その仕組みに沿った降給の措置が採られた場合には、個々の従業員の評価の過程に、特に不合理ないし不公正な事情が認められないかぎり、当該降給の措置は、当該仕組みに沿って行われたものとして許容されると解するのが相当である」とも判断しており、企業の判断を尊重する姿勢も同時に示しています。 3 実務上における問題点  人事評価に基づく人事権の行使にあたっては、その過程の記録が十分に残されていないことが多くあります。  定量的な評価を行っている場合には、比較的記録として残りやすいため、証拠化することができます。一方で、人事評価は、どうしても定性的な評価もともなうものであり、一定期間における定性評価について、結果だけを記載しても印象論や主観的な評価と判断されるおそれが強いといえます。  実際に、人事評価に基づく降格が有効と判断されている裁判例においては、主観的な評価に陥りがちな部分に関して、従業員へのフィードバックなどの記録が残っている場合などが比較的多くみられます。  例えば、先述の東京地裁平成16年3月31日判決においても、目標管理制度が採用されており、目標設定が従業員との面談を通じて設定され、評価にあたっては自己評価も行い意見を述べる機会が与えられていることなどから、人事評価過程の透明性をふまえた判断がなされているように見受けられます。また、大阪地裁令和元年6月12日判決は、賃金減額をともなう降格の有効性が争われた事案ですが、各年度の重点業務を示したうえで、その結果を報告させる制度において、その内容をふまえた人事評価を行うことについては、基本的には合理性を認めています。これらの事案においては、従業員自身がいかなる要素に基づき評価されるのか認識し、その評価の説明を受けたうえで、自身からの意見を述べる機会が与えられていることが、重要な判断要素としてあげられていると考えられます。  なお、大阪地裁令和元年6月12日判決では、人事評価の過程で業務改善を目的とした面談を行いつつ、その面談における指摘に対して、従業員が「すいません」、「これは私のミスなんですけども、そこまでやらなあかんという認識がありませんでした」など、具体的な発言が認定されています。これだけの具体的な発言を立証するためには、面談の記録を保存しておく必要があるでしょう。  人事考課に基づく降格を行うにあたっては、人事考課の結果を立証するのみでは足りず、対象者にとって、降格に至る過程の透明性が確保されており、評価が低くなる理由を認識して、それを改善する機会があったことも判断要素としては重視される傾向にあると考えられます。 第35回 勉強会の労働時間の該当性、高齢者への安全配慮義務 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 勉強会や研修は労働時間として扱われるのか教えてほしい  当社では、就業時間の終了後に勉強会を開催し、安全衛生に関する知識を共有したり、業務に必要な研修などを行っています。  従業員から、勉強会に参加している時間は労働時間であるから残業代を支払うよう求められたのですが、支払う必要があるのでしょうか。 A  勉強会への参加に対する義務づけの程度に応じて、労働時間となるか否かが左右されます。人事考課上の考慮事項としていたり、不利益な懲戒処分の対象となり得る場合などには、労働時間となる可能性が高いでしょう。 1 労働時間について  以前にも、労働時間に関しては触れましたが※1、労働基準法における労働時間とは、「使用者の指揮命令下に置かれている時間」(最高裁平成12年3月9日判決、三菱重工長崎造船所事件)と定義されています。この判例では、労働時間であるか否かを判断するにあたっては、使用者と労働者の契約や就業規則などの主観的な関係で定めるのではなく、労働実態をふまえて客観的に定まるものという趣旨も含めて、指揮命令下に置かれていたか否かを判断するものとされています。  行政解釈においても、労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であるとして同様の整理がなされたうえで、使用者の明示または黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間にあたることを前提に、以下のような類型については、労働時間に該当すると整理されています。 @使用者の指示により、就業を命じられた業務に必要な準備行為(着用を義務づけられた所定の服装への着替えなど)や業務終了後の業務に関連した後始末(清掃など)を事業場内において行った時間 A使用者の指示があった場合には即時に業務に従事することを求められており、労働から離れることが保障されていない状態で待機している時間(いわゆる「手待ち時間」) B参加することが業務上義務づけられている研修・教育訓練の受講や、使用者の指示により業務に必要な学習などを行っていた時間  これらのうちBが、今回の質問に最も近い内容であり、勉強会の時間は、労働時間に該当するという可能性があります。 2 重要な判断要素  研修・教育訓練の受講や業務に必要な学習などという内容からすれば、労働時間に該当するという判断になりそうですが、労働時間該当性の要素には、「参加することが業務上義務づけられている」ことや「使用者の指示により」という要素が必要です。  この点を考慮することなく、一律に就業時間外の勉強会などを労働時間とみることはできません。  「使用者の指示により」という点については、明示の指示であれば明確であり、会社の指示に基づき参加させられている場合には、労働時間に該当するといえそうです。しかしながら、現実には、「参加をうながすこと」と「指示して参加させること」は、外形的には類似する場合もあり、使用者からの意図と労働者の受け止め方が相違する可能性があります。したがって、会社から参加するよう求められたとしても、それが「指示」といえるのかという点は、必ずしも明確ではないということもありえます。  また、「参加が業務上義務づけられている」という点についても、義務づけているのか否かについては、指示による場合と同様に、受け止め方の相違も生じることがあり、必ずしも明確ではないケースもあります。  つまり、「参加することが業務上義務づけられている」ことや「使用者の指示により」という要素が非常に重要であるにもかかわらず、その判断がむずかしいのです。 3 裁判例の傾向  労働時間の定義を示した三菱重工長崎造船所事件の判決では、業務の準備行為等を行うにあたり「就業規則において」作業服および保護具等の着用が義務づけられていたこと、これを怠ると「懲戒処分」を受けたり、成績考課に反映されて「賃金の減収にもつながる」場合があったことなどを考慮して、指揮命令下にあったとして、労働時間該当性を肯定しています。  したがって、実際に個別具体的な指示があったか否かということのみならず、その指示に対して、労働者が従わなければならないか、従わなければ不利益(懲戒処分や人事考課上の不遇を受けるなど)があるかという点が重要な判断要素となっていると考えられます。  例えば、近年の裁判例でいえば、大阪地裁令和2年3月3日判決においては、就業時間外に行われていた安全衛生に関する「安全活動」と呼ばれていた時間帯と、月に1回から3回程度開催していた「勉強会」について、それぞれの労働時間性が争点となりました。  当該裁判例では、「安全活動」については、@就業規則に安全活動に関する規定は存在しないこと、A出欠が取られるものでもなく不参加の場合制裁が課されるものでもないこと、B参加によって査定などで有利になるものでもないことなどを考慮して、労働時間に該当しないと判断しています。判断要素のうち、@については、参加を義務づける規定がないことを考慮しており、Bの根拠を翻せば、人事考課上の不利益を受けるわけでもないことを考慮しているといえます。  一方で、「勉強会」については、@原告となった労働者が参加しないことが想定されていないこと、A参加することなく技術が身につかないままであれば、賃金や賞与の査定、従業員としての地位に影響することが明らかであること、B就業規則に、「会社は、従業員に対し、業務上必要な知識技能を高め、資質の向上を図るため、必要な教育訓練を行う」、「従業員は、会社から教育訓練を受講するよう指示された場合は、特段の事由がない限り指示された教育訓練を受講しなければならない」と規定されていることなどを考慮して、安全活動の時間とは異なり、労働時間に該当するという結論に至っています。@の要素から、任意参加ではなく対象の労働者にとって参加する以外の選択肢が与えられないという効果を生んでおり、不参加に対する制裁や不利益の存在から、@やAの要素は事実上の強制として評価される根拠となっています。さらに、補充的な要素とは考えられますが、就業規則上に、明示的に義務づける根拠となる規定が存在していること(Bの要素)も考慮されています。  同じ会社で行われた就業時間外の活動においても、その結論が分かれており、就業時間外の活動に対する判断が容易ではないことを示しているといえるでしょう。  勉強会に関するBの要素については、勉強会そのものを直接義務づける規定ではありませんが、使用者が、勉強会に参加させるための業務命令を発する根拠となる規定となっており、業務命令違反を理由とすれば懲戒処分などの実施が可能となるという労働者に対する不利益性とつながる要素になっています。類似するような抽象的な規定が定められている企業も多くあると思われますので、教育訓練に関する勉強会などの開催においては、このような規定の有無についても留意する必要があります。  仮に、同様または類似の規定を就業規則に定めている企業において、労働時間に該当しないように就業時間外の勉強会を開催するためには、勉強会への参加が命令ではないことを明確にしたうえで、または参加があくまでも任意であることを明確にしたうえで参加を募り、参加しなかった労働者への不利益措置などを実施しないといった要素に気をつけておく必要があります。 Q2 高齢労働者や業務委託契約を結んだ高齢者への安全上の配慮について知りたい  60歳や65歳を超える高齢者の雇用人数が増えているのですが、会社の安全管理などにおいて気をつけなければいけない事項はあるのでしょうか。  雇用以外の方法で就労確保する場合は、どのような配慮が必要なのでしょうか。 A  高齢者による労働災害の発生率は高く、通常の労働者以上に健康や体力への配慮を行う必要があります。  雇用以外の方法による就労確保においても、労働契約に準じた安全配慮義務を尽くすことが望ましいでしょう。 1 高齢者に対する安全配慮義務  定年後の再雇用者など高齢者の雇用者数は年を追うごとに増加している傾向にありますが、高齢者に関しては、安全配慮義務に関して、特有の視点が必要と考えられています。  厚生労働省は「労働者死傷病報告」などを基に、労働災害の発生状況の分析などの結果を公表していますが、2019(平成31/令和元)年の労働災害においては、全死傷者のうち60歳以上の死傷者数の割合が年々増加しており、その割合は26・8%に及んでいます。  なかでも、墜落・転落災害の発生率が若年層に比べて高く、転倒災害については、女性で高くかつ高齢となるほど高くなる傾向があります。継続雇用延長にあたっての企業の課題を調べた調査※2によると、継続雇用導入前の企業においては、「社員の健康管理支援」が最も割合が多く(35・1%)、継続雇用延長後の企業における課題としても、「社員の健康管理支援」は2番目に多い31・8%という結果となっています。これらの事情からしても、高齢者の労働状況に応じた健康管理を含む安全配慮義務への関心は高いといえそうです。  このような状況に鑑みて、厚生労働省は、2020年3月に「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(以下、「ガイドライン」)を公表しました。  高齢者の就業における安全に対する配慮に関する留意点は、このガイドラインが参考になります。 2 「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」の概要  ガイドラインは、安全衛生管理体制の確立など、職場環境の改善、高齢労働者の健康や体力の状況の把握、高齢労働者の健康や体力の状況に応じた対応、安全衛生教育の項目から構成されています。  安全管理体制の確立などについては、経営トップによる方針表明および体制整備をはじめとして、高齢者にとっての危険源の特定や洗い出しと防止対策の優先順位を検討することによるリスクアセスメントの実行など全社的な対応が求められています。高齢者向けの体制整備としての出発点となることから、高齢者の目線をふまえてリスクアセスメントを実行することは、非常に重要といえます。  職場環境の改善としては、共通事項として、視力・明暗の差への対応、手すりや滑りやすい場所の防滑素材の採用など転倒防止に関する施策や、短時間勤務などの工夫や作業スピードへの配慮など体力の低下などの特性へ配慮した対策が中心に掲げられています。  これらのなかでも、高齢労働者の健康や体力の状況の把握やそれに応じた対応の内容が特徴的であり、健康状況の把握として健康診断の実施から行い、体力の状況を把握するために体力チェックを継続的に行うよう努めることなどが求められています。健康や体力チェックの一例として、「フレイル」という筋力や認知機能などの心身の活力が低下して生活機能障害や要介護状態などの危険性が高くなった状態となっていないか確認する「フレイルチェック」と呼ばれる心身の健康状況を簡易に把握する方法や、厚生労働省による「転倒等リスク評価セルフチェック票」などが紹介されています。これらを利用しながら高齢労働者の健康状況および体力の状況を把握することが想定されており、参考になります。  また、これらが把握できた際には、業務の軽減の要否、作業の転換、心身両面にわたる健康保持増進措置を検討することが想定されており、周囲の労働者においても高齢労働者に対する理解を深めるための教育や研修の実施なども必要とされています。 3 雇用以外の創業支援等措置による場合  ガイドラインは、労働契約に基づく安全配慮義務の具体化ともいえるものであり、対象とされているのはあくまでも労働契約に基づき労務に従事する高齢労働者です。  しかしながら、高年齢者等の雇用の安定に関する法律が改正され、「創業支援等措置」といったほかの事業主と業務委託契約を締結することや、社会貢献事業に従事する方法で、就労確保を行うことも許容されるようになります。  これらの状況は労働契約に基づくものではないとしても、その就労においては高齢者の心身の状況への配慮が必要であることは共通しています。そのため、創業支援等措置を採用するために定める実施計画に安全衛生について記載しなければならず、厚生労働省が公表する指針(令2・10・30 厚労告351)においては、労働関係法令による保護の内容も勘案しつつ、委託業務の内容・性格に応じた適切な配慮を行うことが望ましいとされています。また、委託業務に起因する事故などにより被災したことを事業主が把握した場合には、ハローワークに報告することも望ましいとされており、労働契約法に基づく安全配慮義務や労働災害が発生した場合に準じた対応を心がける必要があるでしょう。 ※1 本誌2021年2月号(第33回 Q2 ノー残業デー導入時の留意点) ※2 (独)高齢・障害・求職者雇用支援機構『継続雇用、本当のところ』(2018年) 第36回 定年後再雇用の賃金一律減額、業務委託の留意点 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用の賃金制度について、何に気をつければいいのか知りたい  定年後に再雇用する従業員の賃金体系について、「同一労働同一賃金」施行の影響もあると聞きました。どのような要素に気をつければよいのでしょうか。 A  同一労働になる場合には、減額が許されない可能性が高く、職務の内容、変更の範囲などを定年前とは異なるように整理する必要があります。また、賃金体系についても、正社員とは異なる評価としておくことも検討してもよいでしょう。 1 定年後再雇用時の労働条件について  定年後に継続雇用する制度を導入し、再雇用を行う場合には、形式的には、定年により一度労働契約は終了し、新たな雇用契約を締結することになります。そのため、契約自由の原則からすると、雇用契約を締結するか否かは、使用者と労働者の意思が合致するか否かによるということになりますので、使用者が労働条件を変更して提示することも可能と考えられそうです。しかしながら、定年後の再雇用が義務化されている状況からすれば、定年後の再雇用を一切自由としてしまうと、労働条件を大きく下げることによって、実質的に雇用契約継続の可能性がなくなり、継続雇用制度が形骸化する可能性があります。  この点について厚生労働省は、合理的な裁量の範囲の条件を提示していれば、高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」)の違反にはならないとの見解を公表しています。ただし、高齢者が受け入れる余地のない労働条件を提示することは実質的には解雇に等しいと考えられ、継続雇用をしないことができるのは、就業規則の解雇事由または退職事由と同一の範囲に限定されている(「高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針」参照)こともふまえて、事業主から提示する労働条件は、合理的な裁量の範囲とするよう制約されています。  さらに、同指針においては、賃金・人事処遇制度の見直しとして、年齢的要素を重視する賃金・人事処遇制度から、能力、職務などの要素を重視する制度に向けた見直しに努めることや、継続雇用後の賃金については、継続雇用されている高齢者の就業の実態、生活の安定などを考慮し、適切なものとなるよう努めること、といった方針も示されています。  したがって、再雇用時の条件の提示に関しては、合理的な裁量の範囲であれば、可能といえますが、その範囲については、指針において示された考慮事項のほか、後述の同一労働同一賃金の要素も加味して検討する必要があります。 2 同一労働同一賃金との関係について  再雇用時の条件提示の問題以外にも、定年後の継続雇用を実施する場合、再雇用した高齢者は有期雇用労働者となることが一般的です。そのため、正社員との間で同一労働同一賃金の問題が生じます。  定年後の再雇用に関して同一労働同一賃金が争われた事件として、長澤運輸事件(最高裁二小 平30・6・1判決)があります。この事件において、判決では、旧労働契約法第20条が考慮することを認めている「その他の事情」として、定年後の再雇用であること≠ノついて、再雇用後の賃金減額に関する合理性を肯定する方向で考慮していました。  なお、この事件は、旧労働契約法第20条が適用された事件であるところ、現在においては、有期雇用労働者と無期雇用労働者の労働条件の相違に関しては、短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律(以下、「パート有期法」)第8条および第9条が適用されることになります(中小企業でも、2021(令和3)年4月1日から適用されます)。よって、この事件を参照する場合は、以下の点に留意しておく必要があります。  まず、「同一労働」と評価されるか否かが非常に重要です。この事件では、実は、同一労働か否かの判断にあたって@業務の内容、A当該業務にともなう責任の程度、B配置の変更の範囲については、無期雇用労働者と有期雇用労働者の間に「相違はない」と判断されています。ところが、現行法でこの事件と同様に「相違はない」と判断された場合、労働条件に差異を設けること自体を不利益取扱いとして禁止する「均等待遇」を定めた同法第9条が適用される可能性があります。そうなった場合には、同法第9条が「その他の事情」を考慮要素として掲げていないことから、長澤運輸事件のように定年後の再雇用であること≠ェ賃金減額の合理性を肯定する事情として考慮される余地がなくなる可能性があります。  したがって、定年後の再雇用において賃金の減額を一定程度行うにあたっては、少なくとも職務の内容(業務の内容、責任の程度)および職務の内容または配置の変更の範囲(変更の範囲)のいずれかについて、再雇用時点において整理しておくことがきわめて重要といえます。定年後の再雇用において従前の役割をそのまま維持すると、正社員との間での「均等待遇」が必要となり、少しの賃金の減額自体も許容されないことになってしまいそうです。具体的な業務の内容が変更することができない場合であっても、少なくとも、責任の程度や配置変更の範囲などについては、定年後再雇用者について役職を見直すことや異動に関する規定を適用しない旨を再雇用時の労働条件として雇用契約書に明示するといった対応はしておくべきでしょう。  さらに、賞与や退職金の支給に関しても、メトロコマース事件および大阪医科薬科大学事件(いずれも最高裁令和2年10月13日判決)において、有期雇用労働者に関して、これらの不支給が不合理といえるか否か判断が下されています。  定年後の再雇用において、退職金は支給済みであり追加で支給することは多くないと思われますので、主として問題となるのは賞与の支給であると考えられます。これらの事件においても、職務の内容やその変更の範囲などが判断要素となった点は共通していますが、賞与や退職金に関しては、その支給基準と賃金体系の相違(正社員は職能給制度であるが、有期雇用が時給制度であること)なども強調されています。また、これらの支給が業績と連動させていなかったことなども考慮しており、仮に、賞与に関して業績連動の要素がある場合には、有期雇用の労働者であっても業績に対する貢献があることは否定しがたいときには、賞与を一切支給しないという労働条件は不合理とされる可能性が残っています。賞与の支給に関して、正社員との差異を設けるような場合には、賃金体系に相違を持たせて、職能給の延長線上にならないような注意が必要であるほか、賞与支給の考慮要素に業績連動が含まれている場合には、一切支給を行わないことは不合理と判断される可能性がありますので、注意が必要です。  なお、パート有期法14条1項・2項は、事業主が講ずる措置について、有期雇用労働者に対して説明する義務を定めているため、なぜ再雇用後に賃金が減額されるのか、賞与や退職金の支給対象にならないのかについても、合理的に説明できるように準備しておく必要があります。 Q2 高齢社員の雇用終了後、業務委託契約を結ぶ際の留意点について知りたい  今後、65歳で継続雇用を終えて退職した後の従業員においても、まだまだ働ける者が出てくる予定です。雇用終了後は、業務委託の形で柔軟な働き方を認めていこうと思っていますが、留意すべき点はありますか。 A  継続雇用後であっても業務委託として認められるために、その実態が労働者として評価されないように留意する必要があります。  直接の指揮命令を避けることや費用負担などの合意の内容などをふまえて契約形態を検討しましょう。 1 創業支援等措置と業務委託について  高年法が改正されたことにともない、継続雇用後においても、就業機会の確保について努力義務が定められることになりました。  これまでの高年法との相違点としては、対象年齢が70歳までに延長されたことが特徴としてあげられますが、それ以外にも、「雇用」にかぎらず、さまざまな働き方による「就業機会」の確保という整理がなされた点も特徴としてあげることができます。  制度の詳細については、ここでは子細には触れませんが、継続雇用を終えて退職した労働者との間で、業務委託契約を締結して、仕事をしてもらうことも就業機会の確保のラインナップに入っているため、今後、このような対応をする企業も増加してくるかもしれません。  これまでの雇用関係による継続雇用とは異なり、業務委託とする場合には、会社は直接の指揮命令を行う立場ではなくなります。抽象的にいえば、元社員の独立性を維持したうえで、その判断に裁量を認めることが求められます。業務委託において委託する業務の内容が、在籍当時とほとんど相違ないようなことが想定されますが、そのような業務委託の形態は必ずしも適切とはいえないでしょう。  業務委託関係となった社員が、これまでの雇用と異ならないし、給料も支払ってもらえるという認識のままでは、後日トラブルになるおそれがありますので、業務委託の関係に切り替わることは明確に説明しておくべきでしょう。そのためにも、業務委託契約締結時には、書面により締結することとしたうえで、就業条件について、業務内容、支払う金銭の額および支払い時期に関する事項、契約締結の頻度や受発注の方法、納品または役務提供の方法に関する事項、契約変更の方法、契約終了の事由(解除、解約または契約期間)などを定めておくことが重要でしょう。  これらの契約内容にとって重要な要素として掲げた内容は、改正された高年法において、創業支援等措置を導入するための実施計画において定めることとされています。また、当該実施計画を契約締結する労働者へ書面にて交付するなど周知することも求められていることからも、これらの内容を契約上でも明確にしておかなければ、業務委託による創業支援等措置の実施と当事者の認識が齟齬してしまう恐れがあります。 2 業務委託と労働者性について  過去の連載においても、業務委託と労働者性について触れたことがあります(2019年7月号)。重複する部分もありますが、継続雇用後の業務委託においても、同様の点に留意しておく必要がありますので、改めて紹介します。  労働者性の判断にあたっては、「使用従属性」と呼ばれる観点が重視されています。過去の厚生労働省の解釈などにおいて、使用従属性の判断については、@仕事の諾否の自由の有無、A指揮命令権の有無、B時間や場所の拘束性の有無、C代替性の有無、D報酬の労務対償性の有無(労働時間の対価であるか否か)などがあるか否かという観点が掲げられています。  次に、労働者性を補強する要素の有無として、E事業者性の有無(用具の負担関係、報酬の額)、F専属性の有無、Gその他(採用選考過程の雇用類似性の有無、福利厚生の適用関係、就業規則の適用の有無)などが考慮されています。実際、裁判例においても、これらの要素をふまえて総合考慮の結果として、直接雇用の労働者との比較なども参照しながら、業務委託と評価できるか、労働者性を帯びているかを判断しています。  定年後の業務委託においては、自社以外においても役務を提供することが想定されていることは少ないと思われることから、専属性を否定できる状況になるとはかぎらないでしょう。できれば、専属性の要素を弱めるためには、雇用とは異なることから、副業や兼業を認めたうえで、実際に複数の会社に対する役務提供を行うような実態が確保できるとよいと考えられます。  また、機械や器具などの負担に関しても、これまで会社が用意してきたにもかかわらず、突如として自己負担を求めるようにスムーズに移行できるとはかぎらないようにも思われます。  こうした点を考慮すれば、判断要素のなかでも、指示などに対する諾否の自由を確保しておくためにも、就業する日時などについて裁量の余地をしっかりと確保しておくこと(上記@)が特に重要と思われます。具体的には、月間の就業回数などを決める際に何日役務提供するかという点について元社員の意思を尊重するといった方法を採用することになるでしょう。  さらに、業務遂行上の指揮監督においても具体的かつ詳細なものとしないこと(上記A)も重要となります。たとえ、役務の提供場所が退職前の職場と同様であったとしても、直接指揮命令をして業務にあたらせることはできず、仮に、業務遂行が適切に行われなかった際には、懲戒処分や厳重注意などではなく業務委託契約の解除に向けた催告として実施するといった対応が必要になるでしょう。  以上のような形で業務委託としての取扱いを実施できていなかった場合には、たとえ創業支援等措置としての業務委託契約締結といえども、労働者性を肯定され、時間外割増賃金や有休取得の権利があるほか、労働時間管理の対象ともなるため、労働基準法違反を発生させるおそれがあり、留意が必要です。  業務委託としての性質の維持がむずかしそうな場合には、業務委託の形式ではなく、労働基準法を遵守することを前提に雇用契約のまま関係を維持するという選択をとることも検討に値するでしょう。その場合には、65歳を超えて有期雇用契約を締結することが考えられるため、定年後再雇用者についての無期転換権の適用除外とする場合には、第二種計画認定の手続きを適切に実施するための検討などの準備が必要になってくると思われます。 第37回 定年後再雇用の労働条件、競業避止義務と引き抜き行為 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用する従業員の賃金と同一労働同一賃金の関係について詳しく知りたい  定年後に再雇用する従業員の賃金を減額する提案をしてもよいのでしょうか。同一労働同一賃金の観点からどの程度であれば許容されるのでしょうか。 A  賃金の減額の提案自体は、許容されるものと考えられます。減額の程度については、60%を下回らない程度にすべきと判断した裁判例があります。 1 定年後再雇用時の労働条件について  前号では、最高裁判決などをもとに、定年後再雇用における、賃金の減額に関する判断の枠組みなどをお伝えしました。今回は、具体的な判断を行った裁判例の紹介を通じて、留意点を整理してみたいと思います。  まず、前提として、定年後に再雇用を行う場合、厚生労働省は、合理的な裁量の範囲の条件を提示していれば、高年齢者雇用安定法の違反にはならないとの見解を公表しています。そして、継続雇用をしないことができるのは、解雇事由または退職事由と同一の範囲に限定されています(「高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針」参照)。同指針では継続雇用後の賃金について、高齢者の就業の実態、生活の安定等を考慮し、適切なものとなるよう努めるという方針も示されています。  この前提と同一労働同一賃金のことをふまえると、賃金減額の提案自体が禁止されているわけではありませんが、合理的な裁量の範囲の条件の内容が問題となります。 2 同一労働同一賃金に関する裁判例について  前回もご紹介した通り、定年退職後の再雇用に関して同一労働同一賃金が争われた事件として、長澤運輸事件(最高裁二小 平30・6・1判決)があります。この事件において、判決では、旧労働契約法第20条が考慮することとされている「その他の事情」として、定年後の再雇用であること≠考慮していました。  その後にあらわれた裁判例として、名古屋地裁令和2年10月28日判決があります。事案の概要は、以下の通りです。  自動車学校を経営する会社に勤めていた原告(2名)が、定年後の再雇用(以下、「嘱託社員」)中の労働条件が、業務の内容および当該業務にともなう責任の程度(以下、「職務の内容」)並びに当該職務の内容および配置の変更の範囲(以下、「職務の内容および変更範囲」)に相違がないにもかかわらず、正社員と嘱託社員の間で差異があり、基本給の差額、正社員が受給している賞与と嘱託社員が受給した一時金の差額などについて、争った事件です。なお、原告らの賃金と正社員の賃金、賞与などの総額を比較したとき、嘱託社員の賃金は正社員の45%または48・8%程度にとどまり、その額は月額約7万5000円または約7万3000円にまで下げられていました。  なお、この事件も、旧労働契約法第20条が適用された事件である点には注意が必要(現在は、パートタイム・有期雇用労働法(以下、「パート有期労働法」)が適用されることになる)ですが、同一労働同一賃金に関する最高裁判例後の裁判例として注目すべきと考えられます。  この事件においては、職務の内容および変更範囲について、正社員と嘱託社員の間には差異がないことが認定されています。この点、パート有期労働法が適用される場合には、その他の事情が考慮されない可能性があり、今後は、職務の内容および変更の範囲のいずれかに相違を持たせる必要があります。ただし、この裁判例では、定年時に主任職を解くという特徴があり、責任の範囲に変更があったともいえそうですが、役職手当の不支給により労働条件に反映されているとしており、その他の職務の内容および変更範囲に相違がなかったことを前提に判断したという点があります。  この裁判例で注目しておきたい点は、定年制のとらえ方です。裁判例では、「定年制は、使用者が、その雇用する労働者の長期雇用や年功的処遇を前提としながら、人事の刷新等により組織運営の適正化を図るとともに、賃金コストを一定限度に抑制するための制度ということができるところ、定年制の下における無期契約労働者の賃金体系は、当該労働者を定年退職するまで長期間雇用することを前提に定められたものであることが少なくないと解される。これに対し、使用者が定年退職者を有期労働契約により再雇用する場合、当該者を長期間雇用することは通常予定されていない。また、定年退職後に再雇用される有期契約労働者は、定年退職するまでの間、無期契約労働者として賃金の支給を受けてきた者であり、一定の要件を満たせば老齢厚生年金の支給を受けることも予定されている。そして、このような事情は、定年退職後に再雇用される有期契約労働者の賃金体系の在り方を検討するに当たって、その基礎になるものであるということができる」としており、定年後の再雇用として考慮されるその他の事情≠具体的に表現しているものといえます。  この部分を見ると、定年後の再雇用であることから、賃金の相違に対して合理性を肯定しやすいようにも見えますが、裁判例の結論としては、基本給と賞与に関して、正社員の60%を下回る部分に対して、旧労働契約法第20条に違反するものであり、正社員と嘱託社員との差額を損害と認定し、さかのぼって支払うことを命じています。  定年後再雇用者に関して、上記の通り長期雇用を前提としていないこと、および老齢厚生年金の受給などにより賃金が補填されうることや退職金が支給済みであることなどを考慮しても、「とりわけ原告らの職務内容及び変更範囲に変更がないにもかかわらず、原告らの嘱託職員時の基本給が、それ自体賃金センサス上の平均賃金に満たない正職員定年退職時の賃金の基本給を大きく下回ることや、その結果、若年正職員の基本給も下回ることを正当化するには足りない」と述べて、旧労働契約法第20条違反と評価しました。  この事件では、正社員の賃金が賃金センサスを下回っていたことに加えて、若年正職員(嘱託社員と比較すれば、知識、経験が劣る教育・指導の対象者)よりも低額に抑えられてしまっていたことが影響していると考えられます。  さらに、賞与が基本給と連動する内容であり、正社員の基本給の60%相当額を基準とした差額が損害として認定されています。  前号で紹介した賞与支給に関するメトロコマース事件および大阪医科薬科大学事件(いずれも最高裁令和2年10月13日判決)が、賞与の支給が業績に連動させていないことを考慮して合理性を認めたことと逆に、基本給との連動に重点を置いて判断しており、賞与だからといって必ずしも緩やかな審査となるわけではないと考えられます。  この裁判例が示した60%という基準で統一されるとはかぎりませんが、定年後再雇用において賃金を減額するにあたって、60%を下回るような条件を提示することは、高年齢者雇用確保措置の実施および運用に関する指針における「合理的な裁量の範囲」を超えるという評価にはつながりやすいと考えられます。 Q2 競業避止義務と引き抜き行為を防止するための留意点について知りたい  就業規則に、在籍中および退職後の競業避止義務を定めています。在籍中の従業員が、独立を画策して、顧客名簿の持ち出しと当社の従業員を勧誘しているようなのですが、どのように対応すべきでしょうか。 A  競業避止義務の設定については、ケースバイケースで判断が分かれることも多く、必ずしも、有効に機能するとはかぎりません。しかしながら、在籍中に営業秘密の持ち出しや積極的な勧誘行為が認められる場合には、解雇処分が有効となることがあります。 1 競業避止義務について  多くの就業規則において、「在籍中および退職後においても、当社と競業する企業に就職し、または自ら会社と競業する事業を行ってはならない」といった規定を定め、競業避止義務を従業員に負担させています。  入社時や退職時の誓約書を取得する際にも、これらと類似する内容を定めて、労働者に競業避止義務を負担させることも多いでしょう。  一方で、これらの規定に対して、裁判所は有効性を厳しく評価しており、必ずしも有効に機能するとはかぎりません。その背景には、競業避止義務を負担させることは、労働により得た知識や経験を活かすこと自体を制限するもので、労働者の職業選択の自由を大きく制約するという評価があります。  例えば、東京地裁平成20年11月18日判決では、「一般に、従業員が退職後に同種業務に就くことを禁止することは、退職した従業員は、在職中に得た知識・経験等を生かして新たな職に就いて生活していかざるを得ないのが通常であるから、職業選択の自由に対して大きな制約となり、退職後の生活を脅かすことにもなりかねない。したがって、形式的に競業禁止特約を結んだからといって、当然にその文言どおりの効力が認められるものではない。競業禁止によって守られる利益の性質や特約を締結した従業員の地位、代償措置の有無等を考慮し、禁止行為の範囲や禁止期間が適切に限定されているかを考慮した上で、競業避止義務が認められるか否かが決せられるというべきである」と判断し、文言通りに効力を認めないことを端的に示しています。  このような観点から、競業避止義務に関しては、@企業が守るべき利益の具体化(営業秘密やそれにともなうノウハウなど)、A従業員の地位が高いか、B禁止行為の範囲が具体的か、広範すぎないか、C競業避止義務の期間が長期すぎないか(1年から長くとも2年程度)、D代償措置が取られているか(退職金の割増支給、補償金の支払いなど)の要素を加味して、有効性を判断する傾向にあります。  特に@については、「競業禁止によって守られる利益が、営業秘密であることにあるのであれば、営業秘密はそれ自体保護に値するから、その他の要素に関しては比較的緩やかに解し得るといえる」としており、営業秘密にかかわる場合には、競業避止義務の範囲が広がることも肯定しています。  今回の質問においても、顧客名簿の持ち出しについては、顧客名簿の管理について、パスワードの設定、閲覧者の制限および守秘事項であることの明記などの要素を充足していれば、営業秘密として認められる余地はありえます。 2 競業避止義務と解雇について  近時の裁判例において、競業避止義務違反、とりわけ従業員の勧誘行為を含む行為に対して、解雇処分を行った事例があります(大阪地裁令和2年8月6日判決)。  事案の概要としては、本部長であったX1と店長であったX2が、従業員に対し自身らが勧誘を受けている競業企業にともに移籍することを勧誘し、その際に、給与条件などを書面で提示し、条件が合わない場合には条件をよくするといった交渉も交えて、企業にとって要職を占めている従業員を多数勧誘したというものです。  このような事案においては、勧誘した者は、各自が自発的に退職するに至ったにすぎないという主張をすることが多く、この裁判例でも同様の主張がされています。  ところが、勧誘対象者を食事に誘っていたことや会社が事情を聴取した際には異なる説明(勧誘を行ったことを認める内容)をしていたこと、資料を示して労働条件を引き上げる旨の提案などを行っていたことなどをふまえて、引き抜き行為があったと認定するに至っています。  事後的に裁判例を見れば、引き抜き行為があったことは明らかかもしれませんが、実際には、水面下で秘密裏に行われることも多く、明らかにならない事実もたくさんあります。この裁判例では、社内の内部通報で引き抜き行為が発覚しており、勧誘を快く思わなかった労働者がいたものと思われます。社内で内部通報があったときには、どのような提案があったのか、客観的な資料を提示されなかったか、ほかに同様の勧誘を受けた者がいないかなどを早急に調査して、被害が拡大しないように対応する必要があります。  裁判所の判断としては、@本部長および店長という重要な地位にあること、A多数の従業員に対して転職の勧誘をくり返したこと、B労働条件の上乗せ、支度金の提示を行っていること、C店舗探しを在籍中に行っていたことなどを考慮し、「単なる転職の勧誘にとどまるものではなく、社会的相当性を欠く態様で行われたものであり、他方、原告X1及び原告X2がまもなく退職を予定していたことも考慮」して、解雇の有効性を認めました。  ここで重要であったのは、単なる競業行為ではなく、従業員の引き抜き行為まで発覚し、その態様も多数に対する勧誘が行われるなど、その悪質性を立証することに成功したことです。  就業規則において真に禁止するに値するのは、営業秘密にかかわる持ち出しを行う態様での競業行為や、悪質な従業員引き抜き行為をともなう場合です。  また、これらの状況を把握するための窓口として、内部通報(または外部通報)窓口を設置しておくことにより、事態の早期発覚をうながしておく準備を整えておくことも重要です。ハラスメントの内部通報窓口の設置とあわせて、このような違法となりうる行為に関する内部通報窓口の設置を行うことも検討に値します。 第38回 定年後再雇用の労働条件の提示内容、居眠りする労働者への対応 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用の労働条件の提示内容の留意点について知りたい  定年後に再雇用する従業員の労働条件とは、どのような条件であれば提案することが許容されるのでしょうか。気をつけるべきポイントはどのような点でしょうか。 A  一般的には、合理的な裁量があるとされていますが、業務内容の大幅な変更を行う場合には、本人の同意を得るべきです。なお、変更の程度が大きく、従前の雇用との連続性が維持できていない場合には、不法行為が成立し、損害賠償責任を負うこともあります。 1 定年後再雇用時の労働条件について  定年後再雇用における、労働条件の提示に関して、賃金額が主たる要素にはなると思いますが、それ以外の要素や過去の裁判例などもふまえて、提示の際に留意すべき点をお伝えしようと思います。  まず、前提として、定年後に継続雇用する制度を導入し、再雇用を行う場合、厚生労働省は、合理的な裁量の範囲の条件を提示していれば、「高年齢者等の雇用等の安定等に関する法律」(以下、「高年法」)の違反にはならないとの見解を公表していますが、具体的にはどのような場合に、この裁量を逸脱したと評価されるのでしょうか。 2 再雇用時の業務内容の変更に関する裁判例について  定年年齢を満60歳と定める企業において、定年を迎える従業員に対し、60歳から61歳までの職務として、それまで従事してきた業務内容とは異なる業務を提示したことが問題となった事案があります(名古屋高裁平成28年9月28日判決)。  当該裁判例では、定年後の継続雇用としてどのような労働条件を提示するかについては一定の裁量があることを前提としつつ、「提示した労働条件が、無年金・無収入の期間の発生を防ぐという趣旨に照らして到底容認できないような低額の給与水準」である場合や、「社会通念に照らし当該労働者にとって到底受け入れ難いような職務内容を提示する」といった場合には、実質的に継続雇用の機会を与えたとは認められないものとして、高年法の趣旨に明らかに反するものという判断基準を示しました。  給与水準に関しては、一定程度維持されていたことから、違法とまでは評価されませんでしたが、提示された業務内容は、「シュレッダー機ごみ袋交換及び清掃(シュレッダー作業は除く)、再生紙管理、業務用車掃除、清掃(フロアー内窓際棚、ロッカー等)、その他…会社や上司の指示する業務」というものであり、元々従事していた事務職とは大きく異なる内容であり、当該従業員は、不満を露わにしていました。  そこで、裁判所は、「高年法の趣旨からすると…(中略)…60歳以前の業務内容と異なった業務内容を示すことが許されることはいうまでもない」としつつも、「両者が全く別個の職種に属するなど性質の異なったものである場合には、もはや継続雇用の実質を欠いており、むしろ通常解雇と新規採用の複合行為というほかないから、従前の職種全般について適格性を欠くなど通常解雇を相当とする事情がない限り、そのような業務内容を提示することは許されないと解すべき」と判断しました。  結論としても、「従前の業務を継続することや他の事務作業等を行うことなど、清掃業務等以外に提示できる事務職としての業務があるか否かについて十分な検討を行ったとは認め難い」ことなどを理由に、不法行為と評価されました。  したがって、提示内容が合理的な裁量を逸脱していた(高年法の趣旨に反していた)ことから、違法な不法行為と評価された結果、1年間の継続雇用がなされていたのであれば得られたであろう年収相当額が損害として認められました。 3 再雇用時の賃金減額と不法行為について  前号では、賃金減額と同一労働同一賃金に関して論じましたが、過去には、提示内容の不合理さから、不法行為と判断された事例もあります(福岡高裁平成29年9月7日判決)。  フルタイムでの再雇用を希望していた従業員に対して、会社から再雇用時に提案された内容は、短時間労働者としたうえで、時給を定年退職前よりも減額するという内容で、賃金の水準が定年退職前の25パーセント相当額にまで減少するという内容でした。  この裁判例では、継続雇用制度の趣旨と裁量の範囲について、「定年の前後における労働条件の継続性・連続性が一定程度、確保されることが前提ないし原則となると解するのが相当」としたうえで、さらに「有期労働契約に転換したことも事実上影響して再雇用後の労働条件と定年退職前の労働条件との間に不合理な相違が生じることは許されない」という前提を示しました。  そして、「月収ベースで比較すると、本件提案の条件による場合の月額賃金は8万6400円(1カ月の就労日数を16日とした場合)となり、定年前の賃金の約25パーセントに過ぎない。この点で、本件提案の労働条件は、定年退職前の労働条件との継続性・連続性を一定程度確保するものとは到底いえない」と判断し、合理的な裁量の範囲とはいえないと判断されています。  なお、会社からは、労働者の兼業が可能であることから、兼業により従業員は収入を増加させることができたと主張し、賃金減額の合理性を示そうとしましたが、「労働者の希望がないのに兼業可能を理由に勤務日・勤務時間を減らし、その結果賃金収入を減少させることは不当というべき」として、兼業可能であることを理由とした合理性の確保に対しても否定的な見解を示しています。  慰謝料の額は100万円と判断されていますが、慰謝料額が抑えられた背景には、店舗数の減少、過剰な人員の確保による業務負荷の軽減が見込まれることなどの一定の理由があったことが考慮された結果であり、そのような事情すらなかった場合には慰謝料が高額化する可能性もあるでしょう。 Q2 就業時間中に居眠りする従業員がおり困っています  高齢社員を採用しましたが、就業時間中の居眠りがあるとの苦情が周囲の従業員から寄せられている者がいます。とはいえ、居眠りの具体的な時間を把握するために監視するわけにもいかず、どのような対応をとることができるのでしょうか。居眠りの時間が特定できれば、賃金の支払いを行う必要はないのでしょうか。 A  居眠りを行うことは労務提供がなされていないことになることから、賃金の控除や懲戒処分の対象となりえます。ただし、賃金の控除については時間数の特定が必要であり、現実的には実施しがたいことが多いでしょう。 1 職務専念義務について  労働者は、使用者に対して「債務の本旨に従った」(民法第493条)労務を提供する義務を負担しており、このことは「職務専念義務」または「誠実労働義務」などと呼ばれています。  使用者は、労働者からの債務の本旨に従った労務提供を受けた対価として、賃金の支払義務が生じます。したがって、労働者が、「債務の本旨に従った」労務提供を行っていない場合には、使用者に、賃金支払義務が生じることはないと考えられます。  「債務の本旨」については、個別の労働契約の内容や実際に従事する業務の内容にしたがって判断されるものと考えられていますので、その具体的な中身は、実際に従事してもらう業務内容に応じて異なります。  例えば、ホテルの従業員に関して、「リボン闘争」と呼ばれる、労働組合の要求を貫徹するためのメッセージを記載したリボンを着用して執務する行為について、顧客に見える位置に職務と関係性の低いメッセージを記載しているリボンを着用することが、債務の本旨に従った労務の提供とは認められず、使用者による賃金の支払い拒否が正当化された事例もあります(大成観光事件、最高裁昭和57年4月13日判決)。一方で、深夜の警備業などで仮眠をとることがあらかじめ想定されつつも、即時対応義務を課されているような場合には、仮眠時間も含めて労働時間として評価されることになります。判例では、「不活動仮眠時間であっても労働からの解放が保障されていない場合には労基法上の労働時間に当たるというべきである」と評価したうえで、仮眠室における待機と警報や電話等に対して、ただちに相当の対応をすることが義務付けられていることを理由に、労働時間に該当すると判断したものがあります(最高裁平成14年2月28日判決、大星ビル管理事件)。 2 労働時間中の居眠りについて  素直に理解すれば、一般的には、労働時間中については、休憩時間を除き、労務提供を行う義務を労働者が負担しており、当然ながら居眠りによって労務提供が途絶えてしまえば、債務の本旨に従った労務提供があるとはいえないでしょう。  しかしながら、そもそもの労働契約において定められた業務については、業務の効率が落ちておらず、指示された内容が忠実に実施されており、特段の業務支障が出ていないような特殊な場合(先ほどあげた深夜の警備業務で即時応答が実現できている場合など)には、債務の本旨に従った労務の提供が維持されていると評価される可能性がまったくないわけではありません。  そのほかの留意事項としては、債務の本旨に従った労務提供が実現できていない原因が、使用者の安全配慮義務違反などが原因であり、使用者側の責に帰すべき事由が認められてしまうと、労務提供が十分に行えない原因が労働者にはないため、使用者が賃金の支払義務を免れることにはなりません。例えば、労働時間の管理が十分に行われておらず、連日深夜におよぶ残業が継続している状況において、十分な休息や休憩を取らせることなく、労働時間中に居眠りが生じたとしても、これを労働者の責任として、賃金を控除することは許されません。むしろ、この状況を放置することは、会社や役員の損害賠償責任を生じさせかねない状況であることから、是正すべきは使用者側の労働環境ということになります。  したがって、居眠りをしているとしても、一律に賃金控除が可能であるとはかぎらず、ケースバイケースで判断する必要性はあります。賃金控除を行う前提として、使用者の責に帰すべき事由と評価されるような状況にないか、または、労働契約の内容として居眠りが生じたとしても業務効率に変化がないような特殊な事情がないかについては、確認しておく必要があると考えられます。 3 具体的な賃金控除の方法について  現実に居眠り時間を賃金から控除するためには、労働時間のうち、居眠りをしている時間を具体的に把握する必要があります。また、当該居眠り時間が休憩時間中ではないことも明確にしておく必要があります。そのため、賃金控除を実際に行おうとする場合には、1カ月の業務中に何分間居眠りしていたのかを把握しておかなければならないということになります。  しかしながら、労働時間中の居眠り時間を把握するために監視するわけにもいかず(監視のために1名を割けば、居眠り以上に業務効率が下がってしまいかねません)、現実的には居眠りの時間数を把握することには困難がともないます。居眠りしている事実自体は把握していても、どれだけの時間居眠りしていたかについては把握していないことが通常でしょう。  また、居眠り時間を把握できたとしてもせいぜい1カ月に数分程度にとどまるようであれば、たとえ賃金控除を行ったとしても反省をうながすほどに大きな金額になるとは考えがたく、居眠りをしている従業員に対する制裁としては不十分になるおそれがあります。 4 居眠り時間に対するそのほかの制裁について  賃金控除のみでは不十分な制裁となる場合には、懲戒処分や普通解雇を実行することも視野に入れる必要があると考えられます。  過去の裁判例では、居眠りや勤務態度が不良であったこと、注意指導に対して改善が見られなかったことなどを理由に行われた普通解雇について、有効と判断した事例があります(東京地裁平成24年2月27日判決)。  同裁判例では、居眠りの証拠関係についても争われていますが、上司からの居眠りに対する注意のメール(「以前からの会議中の居眠りに加えて最近はデスクでの居眠りを見かけるので、健康管理に留意されたい」といった内容)が記録として残っていたことが重視されています。  このような注意喚起は、使用者の責に帰すべき事由ではなく、労働者の健康管理上の課題があったこと(私生活において睡眠時間の不足や生活リズムの乱れなど)がうかがわれることを示しており、賃金控除を実施するにあたっても重要であるうえ、懲戒処分の根拠としても機能しています。  このようなメールにかぎらず、居眠りに関する記録(例えば、周囲の従業員からの申告状況、健康診断や健康管理に関する面談などから把握できた内容など)を残しておくことは、懲戒処分の実行にあたっても重要といえるでしょう。  そのほか、居眠りが頻回に行われていることは、それが使用者の責に帰すべき事由によるものでないかぎり、人事考課上の不利益な評価事由とすることも可能と考えられます。 第39回 65歳以降の継続雇用と法制度、ハラスメント防止措置 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 65歳以降の継続雇用と法律の関係について知りたい  65歳定年制を採用しているところ、定年以降の雇用継続を求められているのですが、応じなければならないのでしょうか。高年齢者雇用安定法の改正の影響はあるのでしょうか。 A  高年齢者雇用安定法の改正により65歳から70歳までの雇用または就業機会の確保が努力義務となりました。65歳を超える雇用制度の実現に向けて取り組む努力が求められます。なお、労働契約法により雇止めが違法となり、結果として雇用継続が必要となる可能性はあります。 1 高年齢者雇用安定法の改正について  2020(令和2)年3月31日、「雇用保険法等の一部を改正する法律」が公布されたことにともない、高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」)の一部が改正され、2021年4月1日から施行されました。これまで「65歳」までの雇用確保が義務化されていたところ、改正法では「70歳」までの就業機会の確保が目標とされています。65歳までは「雇用」を確保していたことに比べて、70歳までの「就業機会」の確保に変更されている点が相違点となっています。  70歳までの就業機会の確保のために、以下のような「就業確保措置」が努力義務とされました(改正高年法第10条の2第1項・2項)。 @70歳までの定年の引き上げ A定年制の廃止 B70歳までの継続雇用制度の導入 C70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入 D70歳まで継続的に以下の事業に従事できる制度の導入 (ア)事業主が自ら実施する社会貢献活動 (イ)事業主が委託、出資(資金提供)等する団体が行う社会貢献事業  65歳以上の継続雇用制度を導入する場合、改正高年法においては、努力義務にとどめられていることから、対象者の基準を設けることも可能と考えられています。  基本的な考え方としては、労使の協議に委ねられており、過半数労働組合等の同意を得て基準を設定することが望ましいとされています(「高年齢者就業確保措置の実施及び運用に関する指針」令和2年厚生労働省告示第351号)。 2 70歳までの就業機会確保の努力義務について  65歳から70歳までの就業機会の確保については、制度実現に向けた努力を尽くす必要があります。また、努力義務であるからといって、65歳以降の継続雇用がいつでも終了できるというわけではなく、労働契約法との関係で雇止めが許容されない場合もありますので、注意が必要です。  最近の裁判例ですが、65歳定年制を採用している大学において、雇入れ時の説明時に、定年が70歳であると伝えており、定年退職後に適用される再雇用規程や内規などに1年ごとの更新にて、最大で満70歳まで更新する旨定められていた事案において、65歳以降の継続雇用が争いになりました(奈良地裁令和2年7月21日判決)。  高年法の定める努力義務と一見相違する争点であると感じられるかもしれませんが、このような結論を導いているのは労働契約法19条の適用が問題となっているからであり、高年法自体の法的な効果ではありません。  労働契約法19条は、一定の事由が存在するときには、客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないかぎりは、契約満了を理由として労働契約を終了させることはできず、従前と同様の内容で労働契約を成立させる効果を有しています。一定の事由とは、@期間の定めのない契約と社会通念上同視できるとき、または、A更新されるものと期待することについて合理的な理由があるときのいずれかに該当することを意味しています。この規定が適用されるのは定年までに限定されているわけではなく、定年後の再雇用などにおいても適用されることがあります。  同裁判例では、就業規則上の定年は65歳とされていましたが、当初の労働契約の成立時においては定年が70歳である旨の説明がなされており、その認識を払拭することなく、65歳の定年退職後に有期労働契約が締結され、その後も更新されていたことなどから、更新を期待する合理的な理由があるものと判断されており、雇止めには、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性が必要と判断されています。  このような判断がなされれば、たとえ、65歳を超えていた場合であっても、70歳までの雇用の期待を理由として、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性がないかぎりは、雇用を継続する義務が生じることになります。  ほかにも、社会福祉法人の施設長という管理職としての立場の事例でも、定年後の雇用延長が争点になったものがあります(東京地裁立川支部令和2年3月13日判決)。  事案の概要は、以下の通りです。就業規則において、65歳定年制を採用しつつ、例外的に法人が必要と認める場合に延長することができると定められていました。65歳の定年を超えて勤務を継続していたところ、理事会により今後の雇用継続についての承認が得られなかったことから、雇用契約の終了が争いになりました。  裁判所は、法人が必要と認める場合に延長する例外規定であることから、理事会による決議が条件となると判断しつつ、承認の手続きが行われないまま雇用が継続されていたことから雇用契約が黙示の更新がなされ、雇用契約を終了させるためには解雇の意思表示や解約の申し入れが必要であると判断されました。  たとえ、定年後における再雇用が制度化されていない場合であっても、定年後の再雇用における説明の内容、定年後における継続雇用の実績、更新に必要な手続きや審査の履践(形骸化していないか)などの状況に応じて、定年後の再雇用が実質的には義務づけられることもありますので、有期労働契約の更新時と同様に、定年後再雇用においてもていねいな手続きや説明を心がける必要があるでしょう。 Q2 パワーハラスメントと判断される行為とはどのようなものですか  労働施策総合推進法の改正にともないハラスメント防止措置を準備したものの、ハラスメントに該当するか否かの判断がむずかしく、苦慮しています。参考になる情報はあるのでしょうか。 A  厚生労働省のガイドラインにおいて、該当例と非該当例が紹介されています。裁判例の傾向なども参考になるのでご紹介します。 1 ハラスメント防止措置について  「労働政策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」の改正により、ハラスメント防止措置が義務化されました。典型的には、通報窓口の設置などにより、ハラスメントの把握を早め、発生を予防することが求められているところですが、通報を受けた後は、調査や対処が必要になります。  調査や対処を実際に行うにあたっては、どのような行為がパワーハラスメントに該当するのかという基本的な知識を有していなければ、法律においても求められている迅速かつ適切な対応ができないことにもなりかねません。 2 ハラスメント該当の判断について  同法においては、「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」が禁止されており、この内容がいわゆるパワーハラスメントの定義に該当するといえるでしょう。とはいえ、この表現だけでは具体的な対応のポイントを把握することはむずかしいかもしれません。  重要である要素としては、「必要性」と「相当性」の二つであり、これらを的確に判断することが、パワーハラスメント対応への第一歩になると思います。  わかりやすく説明するために、「必要性」という言葉を置き換えれば、ハラスメントに該当しかねない行為を「なぜ」行ったのかという理由のことをさしています。また、「相当性」という言葉は、その行為の「手段」や「方法」、「程度」をさしています。違法なパワーハラスメントに該当するか否かについては、この「必要性」と「相当性」のバランスを考慮して、必要性が高ければ取りうる手段や方法の選択肢が広くなり、必要性が低いのであれば取りうる手段や方法の選択肢も狭くなるといえます。  この判断と、厚生労働省が整理している6類型を照らし合わせてみることも重要です。6類型とは以下のような分類です。 @身体的な攻撃 A精神的な攻撃 B人間関係からの切り離し C過大な要求 D過小な要求 E個の侵害  @身体的な攻撃の必要性は、ほとんどの場合において認められず、違法なパワーハラスメントに該当する可能性が高いといえるでしょう。一方で、警備業務の訓練や実習などもあることから、身体的な攻撃だからといって必要性がまったく認められないわけではありませんが、特殊な事情が必要であると理解しておくことが重要です。厚生労働省のガイドラインにおいて非該当例とされているのも「誤ってぶつかる」のみです。  A精神的な攻撃には、さまざまな言動が含まれるため、身体的な攻撃ほど単純ではありません。なぜその言動を行う必要があったのかという事情をふまえて判断することが重要です。例えば、遅刻などのルール違反を再三注意しても改善されないときに一定程度強く注意することは許容されると整理されています。  B人間関係からの切り離しは、わかりやすくいえば職場内での「いじめ」です。無視や冷笑などの態度などが典型例でしょう。身体的な攻撃と同様、必要性が認められにくい類型といえます。新規採用労働者の研修を目的として、別室で教育を実施することなどは、研修などの目的が明確であることから該当しないと整理されています。  C過大な要求やD過小な要求は、業務における指示や命令等を含むため、必要性の程度については具体的に検討する必要があります。育成や能力に応じて業務量を調整することは、該当しないと考えられています。  E個の侵害とは、プライバシー侵害といえばイメージしやすいかもしれません。こちらも必要性が認められにくい類型といえます。労働者への配慮を目的とした家族状況のヒアリングや病歴なども本人の同意を得て業務上の配慮のために情報を取得することは許容されていますが、基本的には本人の了解を得て行うことを求められることが多いでしょう。 3 近時の裁判例について  ハラスメントに関する最近の裁判例としては以下のようなものがあります。  例えば、次期社長候補である取締役が、労働者に対し、繁忙期における休暇取得と誤信して激しい剣幕で怒鳴りつけ、労働者が休暇を返上せざるを得なくなったほか、業務改善を目的として休日に呼び出したうえ、感情的で厳しい口調で改善点をまとめた文書を部下の面前で読み上げたという事例において、そのほかの過重労働と相まって、これらの言動が原因で精神疾患を発症したものと肯定しました(高知地裁令和2年2月28日判決及び高松高裁令和2年12月24日判決)。  この事例は、激しい剣幕での怒声や感情的な指導といった精神的攻撃に加えて、休日に呼び出すという義務にないことを要求するという意味で過大要求に該当する行為が重なった事案といえるでしょう。また、部下の面前において行われたことも相当性を欠く結論に至る考慮要素になったものと考えられます。裁判所の認定においても、一般論としては、業務改善などを目的とした業務上の指導の必要性を肯定していますが、それを緊急性がないにもかかわらず休日に行うことや感情的ないい方をすることなどの相当性を否定することで、精神疾患を引き起こすようなパワーハラスメントであると評価しています。  精神的攻撃において、基本的に悪質性が高いと評価されやすいのは、人格を非難するような言動や感情的な言動によって行われるケースです。これらの言動は「必要性」が低く、相当なものと許容されにくいでしょう。  そのほか、決意書と題する目標設定を自身で行うよう求められたうえ、年始には抱負書と題する書面も提出するよう求められ、遂行不可能なノルマ達成を求められ続けた結果、精神疾患を発症したとして損害賠償を請求した事案があります。この事案においては、決意書や抱負書の記載内容からは強制的に記載を求められた要素が見受けられず、訪問すべき顧客の数値を指示されていたとしても、営業業務として達成が困難な程度のノルマないし業務量を課したものとはいえないとして、業務の割り当てに関して違法であると評価しませんでした(東京地裁令和元年10月29日)。  過大要求の一種といえますが、業務内容の必要性と相当性の判断において、少なくとも必要性がまったくないような状況は想定し難く、その相当性が問題になることが多いでしょう。  厚生労働省が整理した6類型を把握するのみではなく、類型ごとにみられる必要性や相当性の傾向も知ることで、ハラスメント該当性の判断や調査時にヒアリングすべき事項の整理にも役立つものと思われます。 第40回 退職金の支払い根拠、喫煙防止と職務専念義務・労働時間管理 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 退職金の支払い根拠について知りたい  当社には、制度化した退職金はないのですが、退職希望者から、過去に退職金を受け取った従業員がいると聞いているから、退職金を支払ってもらいたいとの要望がありました。  たしかに、過去には秀でた功労者や長期の勤続を果たして定年退職した従業員に退職金として支払ったことがあるのですが、今後は退職者全員に支払わなくてはならないのでしょうか。 A  退職金支給の根拠となる規定がなく、労働契約においても退職金の支給約束をしていないのであれば、支払い義務はありません。ただし、過去の支給実績などから、退職金の支給ルールが固まっており、労使双方がその基準を認識している場合には、支払い義務を負担する場合があります。 1 退職金の性質について  退職金については、労働基準法において、支払いを義務づけられているような賃金ではなく、各社において自由に制度として用意することができ、または、制度としない自由もあります。  一般的には、就業規則や労働契約で支給の義務を負担しない状態で従業員に退職金を支給するような場合、任意的恩恵的給付であるとされ、労働基準法上の「賃金」には該当しないと考えられています。退職金について、任意的恩恵的給付と判断した裁判例として、東京地方裁判所平成20年6月13日判決(モルガン・スタンレー証券事件)があります。この裁判例では、当該支給額について、使用者が大きな裁量を有していたことを考慮し、労務の対償である賃金には該当しないという評価がされています。任意的恩恵的給付となった場合、使用者は原則として支払い義務を負担するものではないため、従業員から訴訟を通じて支払いを求められたとしても、これを拒否することができます。  一方で、就業規則などによって制度化することにより退職金の支払い義務を負担するようになった場合は、労働基準法の「賃金」となり、同法の規制対象にもなり、直接払い、全額払い、通貨払いなどの原則が適用されると考えられています。また、退職金の支給について、訴訟を通じて請求権を確定させることもできることになります。 2 退職金と労使慣行について  就業規則に定めがなく、労働契約でも支払い約束をしていないのであれば、原則として支払い義務を負担することはありませんが、例外的に、退職金の支払い義務を負担する場合があります。  使用者と労働者の間の権利義務を定めるものは、基本的に労働契約および就業規則ですが、使用者と労働者の間で慣行となっている場合には、法的な意味での拘束力が生じる場合があります。これを「労使慣行」と呼んでいますが、実際、過去の裁判例において労使慣行に基づく退職金請求権の発生を認めた事例も存在します。  東京高裁平成18年6月19日判決(キョーイクソフト(退職金)事件・控訴審)は、内規において、支給基準を定めていたところ、10年以上にわたりその基準にしたがった支給を継続しており、「基本給に支給率(勤続期間10年以上の場合はストライキ期間を除く勤続年月)を乗じた金額に減額措置及び加給措置(いずれも被控訴人については適用がない。)を行った上、餞別金(勤続10年以上の従業員は3万円)を付加した金額を支給額とする」基準が確立していたことなどから、労使慣行に基づく退職金の支給義務を肯定しました。  退職金に関する労使慣行の成立には、単に長期にわたり同じ取扱いがなされていたことだけではなく、@一定の基準による退職金の支給が労使にとって規範として認識されていること、A上記基準により当該事案の退職金額を算出できることが必要と考えられています。そのため、キョーイクソフト(退職金)事件においても、労使双方が、内規に定められた基準を認識していたことを前提として労使慣行の成立が肯定されました。労使双方の認識が共通していることは労使慣行の成立一般についても同様に考えられているところです。  そのほか、東京地裁平成17年4月27日判決においても、退職金支給の規定はあるもののその支給基準を具体的に定めておらず、支給根拠や計算方法の定めに不備があった事案において、就業規則に基づく退職金支払い義務は否定しつつも、退職金支給を受けた者が多数存在しており、そのうち検証可能な者を見るとその半数程度が、内規に定められた同一の算定式から誤差20%の範囲で支給されていたことをふまえて、労使慣行に基づく具体的な退職金支払い義務を肯定しました。これは、使用者側にある不備を理由に、これまで払っていた退職金の支給を拒否しようとしたことから、使用者にとって否定的な評価がなされたともいえます。就業規則を多数見ていると、退職金については別に定めるとしたまま、具体的な就業規則を定めることなく、また、退職金支給のルールも明確にすることなく推移している企業を見かけますが、このような場合に退職金の支給を継続していたときには、思わぬ負担が発生する可能性があります。  また、逆に、内規を基にした労使慣行による退職金支給義務を否定した裁判例として、大阪高裁平成27年9月29日判決(ANA大阪空港事件)があります。過去に作成された「内規」と名づけられた文書において、退職金の計算方法が記載されていたところ、当該内規が、就業規則の一部であるか、労使慣行として使用者を拘束しないかなどが争点になりました。裁判所は、「日本語の通常の意味として、『内規』とは、『内部の規定、内々の決まり』を意味するから、それが就業規則と異なることは明らかである」ことや、労使の合意として書面が作成されていないことなどから、使用者が当該内規にしたがって退職金を労働契約の内容とする意思を有していなかったことが認められるため、就業規則の一部ではなく、労使双方の認識が合致しておらず労使慣行として認めることもできないと判断されました。  したがって、過去の支給自体が、内規で労働契約の内容としているものや労使の合意による書面などの一定の基準を定めたものとして実行されていないかぎりは、たとえ、過去に支給実績があったからといって、ただちに、退職金の支払い義務を負担することにはならないでしょう。  ただし、これまでの実績が統一的な算定式に基づき行われてきたことやそれが労使間の認識として齟齬がないような状況に至っている場合には、労使慣行に基づく退職金支給義務が発生することにもつながりますので、注意しておく必要があります。 Q2 従業員の禁煙を推進するうえでの注意点について知りたい  従業員の健康増進を目的に喫煙者を減らすための施策を検討しています。労働者の喫煙を禁止することはできるのでしょうか。もしくは、喫煙時間を労働時間から除外することはできるのでしょうか。  喫煙自体を禁止したほうが健康確保のためには望ましいと思うのですが、私生活における喫煙も禁止することはできないのでしょうか。 A  労働時間中における喫煙の禁止や喫煙スペースの利用制限を定めることは可能と考えられます。また、労働時間からの除外についても、労務の提供が実行できていない以上は理論的には可能ですが、実際には除外すべき時間の把握に困難がともないます。  私生活における喫煙の制限は、労働契約の限界を超えており、禁止することはできないと考えられます。 1 喫煙時間と職務専念義務の関係  労働契約に基づく義務として、職務専念義務および誠実労働義務があると考えられています。  過去には、判例で「注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないこと」を意味すると判断されています。この言葉通りに職務専念義務を理解すると、些細な休憩すらも許されないとか、職務と並行して行うことが可能な作業などもすべて除外することにもなりかねないため、一般的には、職務の性質・内容、行為態様などの諸般の事情を勘案して判断することが適切と考えられています。  職務専念義務および誠実労働義務の観点からいえば、これらの義務に違反する場合には、喫煙を制限することが可能と考えられますし、これらの義務が尽くされていない時間については労務不提供と評価することも理論上は可能と考えられます。ただし、この場合は、居眠り時間の労働時間からの除外(本誌2021年7月号参照)と同様に、実際の喫煙時間を正確に把握する必要があるため、実行するには困難がともなうでしょう。  職務専念義務違反を検討するにあたっては、喫煙行為の目的およびその必要性とそれが許容される理由を考慮しなければならないでしょう。そのため、喫煙する必要性と禁止する必要性を比較していくことになります。  労働時間中の若干の休息(例えば、トイレへ行くことや席に座った状態でストレッチする行為など)は、だれにとっても共通の生理現象であることや体調や健康の保持のためなど必要性があり、職務専念義務との関係においても、許容されないとは考えがたく、これを労働時間から除外するということも適切とはいいがたいでしょう。  一方で、喫煙は、個人の嗜好であるうえ、健康増進法には受動喫煙防止が定められ、国民の健康の増進が目的とされるなど、その改正により屋内の場所に対する規制の範囲が広がり、多くの事業者が受動喫煙防止措置を義務づけられるに至っています。  また、喫煙の自由に関しては、監獄法に関して争われた最高裁判例で触れられたことがあります(最高裁昭和45年9月16日判決)。同判例では、「煙草は生活必需品とまでは断じがたく、ある程度普及率の高い嗜好品にすぎず、喫煙の禁止は、煙草の愛好者に対しては相当の精神的苦痛を感ぜしめるとしても、それが人体に直接障害を与えるものではないのであり、かかる観点よりすれば喫煙の自由は、憲法一三条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と判断されている通り、その自由の価値は必ずしも高くないと評価されています。 2 私生活および休憩時間の喫煙  私生活や休憩時間における喫煙まで禁止することができるでしょうか。  職務専念義務があるとはいえ、これは、労働契約に基づくものであり、基本的に使用者が労働者を拘束できるのは、労働時間中の行動に限定されるべきものです。  パワーハラスメントの一種として個の侵害という類型がありますが、私生活への過度な介入や執拗な干渉は、プライバシーの侵害やパワーハラスメントになるおそれがあります。ただし、私生活上においても、会社の信用を毀損するような行為などが禁止行為として許容されているなど、いかなる介入も許容されないわけではありません。  使用者が禁止する必要性と禁止対象による制限の程度などを比較しながら、私生活上の行動を禁止できるかということを考えていく必要があると考えられます。職場での喫煙を禁止することで、労務提供時間の確保や周囲の従業員の健康確保などが叶うという観点からは、労働時間中の喫煙禁止は一定の合理性がありそうですが、私生活においては、会社が守るべきほかの従業員の健康や労務提供時間の確保と無関係になりますので、そのほかの必要性が肯定できるのかという点が問題になります。想定できるとすれば、従業員自身の健康確保にとどまり、喫煙による心身の状態の悪化が明白で業務支障を及ぼすおそれがあるような例外的な事態であればともかく、一般的には、労働時間外の私生活における喫煙を禁止することはできないと考えられます。  また、休憩時間は、労働からの完全な解放が確保されている必要がありますので、私生活と同様に休憩時間中における喫煙を禁止する理由も乏しいといわざるを得ません。 3 喫煙スペースの利用について  現実的には、喫煙は、職場自体というよりも喫煙スペースにおいて行われることが一般的になっており、そこで職務を遂行することは叶わないことが多いでしょう。  喫煙スペース自体を自社で用意しているような場合には、この施設には施設管理権と呼ばれる権限が認められています。施設管理権がある場合、企業秩序の維持に必要な範囲で利用制限などを設けることが許されています。  休憩時間においては、私生活時間中と同様に原則として喫煙に対する制限を設けることはむずかしいと考えられますが、休憩時間に関する行政解釈において、「休憩時間の利用について事業場の規律保持上必要な制限を加えることは、休憩の目的を損なわない限り許される」(昭和22年9月13日次官通達17号)と解されていることからすれば、施設管理権に基づく一定の制限は可能と考えられます。  したがって、喫煙スペースの設置場所や利用時間の制限などについては、使用者の裁量が広く認められると考えられ、施設管理権を行使することによって、労働時間や休憩時間中の喫煙時間を制限することも可能でしょう。  このように、喫煙時間の制限や喫煙スペースの利用制限などを組み合わせ、禁煙による健康増進を目ざすこともできるでしょう。 第41回 定年後再雇用における職務内容変更の限度、退職の意思表示の種類と取扱い 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用における職務内容の変更の留意点について知りたい  定年後の再雇用においては、嘱託社員として有期労働契約を締結することになっています。賃金の減額も同時期に行うことになっており、同一労働同一賃金の観点から職務の内容を限定することを考えていますが、どのような変更でも問題ないのでしょうか。 A  労働契約の内容については、一定の継続性・連続性を確保すべきと考えられるため、極端な業務内容の変更は行うべきではありません。 1 定年後の再雇用と同一労働同一賃金について  高年齢者雇用安定法は、定年制の廃止、定年の引き上げまたは継続雇用のいずれかの措置をとることを事業者に義務づけており、ほとんどの企業は継続雇用制度を採用しています。継続雇用制度においては、定年後は1年ごとの有期労働契約とすることが多く、一般的には定年後の賃金も減額されています。  しかしながら、定年後に有期労働契約に変更する場合には、定年を迎えていない従業員(無期労働契約の正社員)との間で、同一労働同一賃金による規制が行われているため(パート有期労働法第8条および第9条)、職務内容や責任の範囲、職務内容や配置の変更の有無などについて、相違がないかぎりは、均等待遇(差別的取扱いの禁止)または均衡待遇(不合理な待遇差の禁止)が求められることになります。  そのため、定年後の再雇用においては、職務内容や責任の範囲もしくは職務内容や配置の変更の範囲について、無期労働契約の正社員とは相違がないと、賃金の減額が適法とされないことがあります。多くの企業においては、定年後の再雇用においては、職務内容や責任の範囲もしくは職務内容や配置の変更の範囲があるように再雇用を行うことが増えてくるのではないかと思われます。 2 再雇用時の職務内容の変更の限界について  職務内容を大きく変動させ、これにともない賃金の減額幅を大きくしてもよいのでしょうか。定年後の再雇用のときに、職務内容を変更したことが問題となった裁判例が、名古屋高裁平成28年9月28日判決(トヨタ自動車ほか事件)です。  定年を迎える従業員が、これまで従事してきた事務職ではなく、シュレッダー機ごみ袋交換および清掃(シュレッダー作業を除く)、再生紙管理、業務用車掃除、清掃などを業務とする再雇用契約を提示されたという事案です。  裁判所は、「事業者においては、…(略)…定年後の継続雇用としてどのような労働条件を提示するかについては一定の裁量があるとしても、提示した労働条件が、無年金・無収入の期間の発生を防ぐという趣旨に照らして到底容認できないような低額の給与水準であったり、社会通念に照らし当該労働者にとって到底受け入れ難いような職務内容を提示するなど実質的に継続雇用の機会を与えたとは認められない場合においては、当該事業者の対応は改正高年法の趣旨に明らかに反するものであるといわざるを得ない」としたうえで、「高年法の趣旨からすると、被控訴人会社は、控訴人(筆者注:定年を迎えた労働者)に対し、その60歳以前の業務内容と異なった業務内容を示すことが許されることはいうまでもないが、両者が全く別個の職種に属するなど性質の異なったものである場合には、もはや継続雇用の実質を欠いており、むしろ通常解雇と新規採用の複合行為というほかないから、従前の職種全般について適格性を欠くなど通常解雇を相当とする事情がない限り、そのような業務内容を提示することは許されないと解すべきである」などと評価し、事業者の行為を違法と判断しました。  この裁判例と類似の判断をしている事件として、福岡高裁平成29年9月7日判決(九州総菜事件)があります。この事件では、定年後再雇用者に対しては、フルタイムから短時間労働への変更を提示したうえで、月収ベースで定年前賃金の25%程度にまで減額される条件となっていました。このような変更に対して、裁判所は、「継続雇用制度についても、これらに準じる程度に、当該定年の前後における労働条件の継続性・連続性が一定程度、確保されることが前提ないし原則となると解するのが相当であり、このように解することが上記趣旨(高年齢者の65歳までの安定雇用の確保)に合致する」としたうえで、「例外的に、定年退職前のものとの継続性・連続性に欠ける(あるいはそれが乏しい)労働条件の提示が継続雇用制度の下で許容されるためには、同提示を正当化する合理的な理由が存することが必要である」と判断しました。  これらの裁判例から共通して受け取れる点として、@賃金額の大幅な減額、A業務内容の大幅な変更は、継続雇用としては連続性・継続性を失わせることになり、違法と判断されることがあるということです。  したがって、定年後の再雇用において、正社員の職務から変更をするにあたっても、大幅な変更は許容されない点には注意が必要です。 3 職務内容などの変更における留意点  職務内容や責任の範囲、変更の範囲などを定年にともなって変更する際に、いかなる変更を行うことが適切でしょうか。  正社員に求めていた業務のうち、体力や集中力の低下にともない任せることができないような業務を除外したり、異動の可能性を視野に入れる必要がないのであれば配置の変更を行わないようにするといった対応が考えられます。これらの変更は、高齢者であることを背景とした合理的な理由による変更であったり、労働者にとって有利な変更ともなるので、法的にも裁量の範囲内として許容されやすいと考えられます。また、フルタイムから短時間労働への変更は大きな賃金減額をともなうことも多いことから許容されにくいと考えられますが、体力や身体機能の低下などが業務の質に大きく影響するような業務であれば、むしろ短時間労働であっても同種の業務を確保することが望ましいといえる場合もあると思われます。  自社の業務内容をふまえて、変更すべき職務内容や責任の範囲、変更の範囲を検討し、適切な裁量の範囲で定年後再雇用の条件を提示するように心がけてください。 Q2 労働者からの退職の意思表示がどのような取扱いになるのか知りたい  従業員から、労働環境が改善されないことを理由に、自ら退職の意思が示されました。特段の返答をしていなかったのですが、翌日以降出社してこなかったので、退職する意思が固いものとみて、特段の対応をせず、退職したものとして取り扱おうとしていたところ、本人から退職の意思を撤回する旨の連絡がありました。  すでに退職の意思を受け取っていたので、退職の意思を撤回するといわれても、復職させるつもりはありませんが、問題ないでしょうか。 A  退職の種類を見定めて対応する必要があります。撤回が可能であるか否かも退職の種類によって若干異なるため、発言内容や状況もふまえて判断しなければなりません。 1 一方的な退職または辞職の意思表示  理由はさまざまですが、労働者から使用者に対して、退職や辞職の意思が示されることがあります。相談内容のように、後日の撤回が生じたときに、これに応じなければならないか否かについて、労働者による退職の意思表示が、法的にいかなる性質を有するかによって、その取扱いが変わるため、注意が必要です。  まず、一方的な労働者による退職または辞職の意思表示というものがあります。「期間の定めがない雇用契約」について、労働者は、いつでも解約を申し入れることができ、申し入れから2週間経過することで、雇用契約を終了させることができます(民法第627条)。使用者から雇用契約を終了させる場合は、解雇権濫用法理の適用があったり(労働契約法16条)、少なくとも30日前の解雇予告が必要である(労働基準法第20条)などの各種規制がありますが、労働者からの一方的な退職の意思表示には、これらの規定は適用されません。  そして、一方的な退職の意思表示は、使用者に到達した後は、撤回ができないと解釈されています。したがって、一方的な退職の意思表示である場合には、撤回して復職を希望されたとしても、撤回に応じる義務はないといえます。  なお、以上の整理は、「期間の定めがない雇用契約」に関するものであり、「期間の定めがある雇用契約」の場合には、たとえ労働者からの退職の意思表示であっても、いつでも解約できるわけではなく、「やむを得ない事由」がある場合にのみ解除することができるものとされています。したがって、期間の定めがある雇用契約(典型的には契約社員)の場合は、一方的な意思表示で退職が確定するわけではありませんので、次にふれる合意による退職が成立していなければ、退職の効果は確定しません。 2 合意による退職について  労働者からの退職の意思表示としては、一方的な退職や辞職の意思表示ではなく、使用者の承諾を得るための退職の申し入れを行うような場合もあります。  例えば、「できれば、○月末日をもって退職したいと思っているのですが」というような相談を受けた場合、これは一方的な退職の意思表示ではなく、使用者の承諾を得て退職日を確定させたうえで退職しようという意思表示(「退職の申込」といいます)と考えられます。  したがって、このような場合には、使用者がこれを承諾したときに、合意退職が成立して、雇用契約の終了が確定することになります。  このとき、例えば、「ほかの部署との調整もあり、引継ぎに必要な期間も検討する必要があるから、返答は少し待ってくれ」などと述べて、使用者が承諾することなく、保留したままにしていた場合、合意退職は成立しません。  一方的な退職の意思表示とは異なり、使用者による承諾の返答を受けるまでの間は、労働者は退職の申込を撤回することができるとされています。例えば、大阪地裁平成9年8月29日判決(学校法人白頭学院事件)においては、「労働者による雇用契約の合意解約の申込は、これに対する使用者の承諾の意思表示が労働者に到達し、雇用契約終了の効果が発生するまでは、使用者に不測の損害を与えるなど信義に反すると認められるような特段の事情がない限り、労働者においてこれを撤回することができると解するのが相当である」と判断されています。 3 一方的な退職の意思表示と退職の申込の区別について  退職の意思表示といっても、「こんな会社辞めてやる!」とか、「明日からもう来ません」、「もう働き続けるつもりはありません」などさまざまな表現が考えられるところです。これらが、一方的な退職の意思表示であるか、退職の申込であるのかという点は、明確に判断しづらいところがあります。  実務的に裁判所がどういった判断をしているかを見てみると、一方的な退職の意思表示は、撤回が不可能であり退職の効果が確定する労働者に不利益な判断になるため、退職が極めて重要な意思決定であることから、口頭で一方的な退職の意思表示があったものと認めるためには、慎重な検討が必要であるとされています。  例えば、東京地裁平成26年12月24日判決(日本ハウズイング事件)では、口頭で行われた退職の意思表示について、「労働契約の重要性に照らせば、単に口頭で自主退職の意思表示がなされたとしても、それだけで直ちに自主退職の意思表示がなされたと評価することには慎重にならざるを得ない。特に労働者が書面による自主退職の意思表示を明示していない場合には、外形的にみて労働者が自主退職を前提とするかのような行動(筆者注:意思表示の翌日から出社しなかったことを指している)を取っていたとしても、労働者にかかる行動を取らざるを得ない特段の事情があれば、自主退職の意思表示と評価することはできないものと解するのが相当である」と判断したうえで、口頭での退職に意思を示す直前に使用者からの退職勧奨や解雇に類する話合いがあったことをふまえて、自主退職の意思表示ではないと判断されました。  このような判断の基準も示されていることから、いずれに該当するか曖昧な場合には、原則として退職の申込と判断して、承諾を要するものとすべきというのが、現在の実務的な対応が採用しているところです。  したがって、口頭で行われた退職の意思表示に対して、特段の返答をしていなかった場合には、一方的な退職の意思表示ではないと判断される可能性が残っています。しかしながら、口頭での退職の意思表示であった場合でも、何日間も出社せず、連絡も取れず、貸与品の返却や社会保険の終了に関する手続きを自ら進んで行ったなどの事情があれば、一方的な退職の意思表示と評価される余地は残っていますので、退職の意思表示をした後の言動も重要といえるでしょう。 第42回 個別的な定年延長の実施、労災認定基準の改定 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 特定の従業員の定年を個別に延長することはできますか  定年後再雇用のほかに、会社が認めた特定の従業員について定年延長を適用する取扱いは可能でしょうか。 A  定年制がある場合でも、定年時期を超えて雇用を継続することは、使用者の判断または労使間の合意によって行うことが可能です。ただし、特定の従業員以外にも実施することで慣習化することがあるため、定年制を廃止する意図がない場合は、対象の基準を明確化しておくなどの判断は慎重に行うことが望ましいでしょう。 1 定年制とは  定年延長を検討するにあたって、そもそもの定年制の位置づけと種類などをいったん整理しておきます。  定年制とは、労働者が一定の年齢に到達することにより労働契約を終了させる制度です。就業規則または労使間の合意に基づき、労働者と使用者の労働契約の内容に組み込まれていることが通常です。  定年制の合理性に関しても議論はあるものの、過去の判例では、「停年制は、(中略)人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化のために行われるものであって、一般的にいって、不合理な制度ということはでき」ないと判断されたことがあります(最高裁昭和43年12月25日判決・秋北バス事件)。また、比較的近年の裁判例では、東京地裁平成6年9月29日判決において、「使用者の側からみると、前記のとおり、一般に労働者にあっては、年齢を経るにつれ、当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減(ていげん)するにかかわらず、給与が却って逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化を図るために定年制の定めが必要であるという合理的理由が存するし、労働者の側からみても、定年制は、いわゆる終身雇用制と深い関連を有し、定年制が存するが故に、労働者は、使用者による解雇権の行使が恣意的になされる場合は、これが権利濫用に当たるものとして無効とされ、その身分的保障が図られているものということができ、また、若年労働者に雇用や昇進の機会を開くという面があり、一応の合理性があることを否定できない」と判断されており、定年制の合理性は肯定されてきました。  高年齢者等の雇用の安定に関する法律(以下、「高齢法」)においても、定年制の廃止以外にも定年延長などの制度による高齢者雇用が許容されていることからも、定年制自体は合理的で有効な制度であると考えられているといえます。ただし、高齢法第8条において、60歳を下回る定年の定めは規制されているため、定年制を定めるにあたっては60歳以上の年齢を設定する必要があり、現在では、高齢法に基づき定年廃止や65歳までの定年引上げを含む65歳までの雇用の確保が企業には義務づけられています。なお、2021(令和3)年4月1日に施行された改正高齢法により、70歳までの定年引上げなどの高年齢者就業確保措置が努力義務となっています。  法的性質の側面からは、定年制は、厳密にいうと「定年解雇制」と「定年退職制」の二種類があるともいわれており、前者の場合は、解雇権濫用(らんよう)法理の適用があると考えられています。したがって、定年解雇制の場合には、定年に達したとしても、その解雇には、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性がなければ、労働契約を終了させることができません(労働契約法第16条)。また、解雇予告通知の規制も適用されることから、定年到達の1カ月前には、解雇の意思表示を行う必要があります(労働基準法第20条)。一方で、定年退職制の場合は、労使双方からの特段の意思表示などなく、定年に達したときに、労働契約が終了することになります。 2 定年制の種類ごとの延長対応方法  定年解雇制を採用している企業において、解雇の意思表示を行わないことで、定年時に労働契約が終了する効果を発生させないことが可能です。  使用者の立場からすれば、解雇権濫用により定年にともなう解雇が違法となる余地がある以上、定年のときに解雇しなければならないとすれば、違法な解雇を強制されることにもつながります。そのため、定年解雇制は定年時に労働者を解雇することを義務づけるものではなく、解雇するか否かについては、使用者側に裁量があると考えられます。  次に、定年退職制の場合は、双方の特段の意思表示がなく定年のときに労働契約が終了するため、定年解雇制とは異なります。定年制が、就業規則または合意に基づく労働契約の内容であることからすれば、双方の合意に基づき労働契約の内容を変更することは可能でしょう(労働契約法第8条)。定年制については、就業規則に定められている場合の最低基準効との関係においても、例えば60歳に到達したときには労働契約が終了するという条件について延長するということは、定年制自体を適用せずに労働契約を継続することになりますので、就業規則に定める条件よりも優遇された待遇といえるでしょう。  したがって、対象となる労働者との合意に基づき定年制の適用を行わずに、労働契約を継続することが、最低基準効に抵触するものではなく、労使間の合意にしたがえば、特定の従業員に定年制を適用せずに継続的に雇用することは可能と考えられます。 3 定年の個別の延長における留意事項  定年制が存在したとしても、解雇の意思表示を控えることや個別の合意に基づき延長することは可能と考えられますが、定年制を適用しないことが一般化しないように留意しておく必要はあります。  当初は特定の労働者にかぎろうとしていたところ、いつの間にか多数の労働者に対して定年制を適用しないことが標準的な対応となってしまった場合には、定年制を適用しないことが労使間の慣習となる可能性があります。労使慣習となると労使の双方を法的に拘束することになりますので、実質的に定年制を廃止したのと同様の状況となってしまいます。定年制を廃止する意図がない場合には、定年制を適用しない従業員についても、その基準を明確化しておくなどの工夫は設けておくべきでしょう。 Q2 労災認定基準改定の詳細について知りたい  労災認定基準が改定されたとのことですが、どのような点が変更となったのでしょうか。これから気をつけなければならないポイントがあれば教えてください。 A  時間外労働の多さが中心である点は変更がないといえますが、負荷要因の評価をより詳細に行うことが予定されており、各社における業務の特色をとらえた対策を検討する必要があります。なお、休日の確保は、多くの企業にとって共通の対策になると思われます。 1 過労死と労災認定基準について  過労死等防止対策推進法第2条では、「過労死等」の定義として、「業務における過重な負荷による脳血管疾患若しくは心臓疾患を原因とする死亡若しくは業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡又はこれらの脳血管疾患若しくは心臓疾患若しくは精神障害をいう」と定めています。  いまは、「過労死」という言葉はすでに定着し、企業においては、過労死を発生させてはならないということ自体は半ば常識化しつつあるといえるでしょう。  過労死については、業務に起因するような場合には、労働災害として認定されることになり、さらに、企業に安全配慮義務違反(故意または過失)が認められるようなときには、企業に対する損害賠償責任につながります。近年では、企業の役員や直属の上司個人の安全配慮義務違反も問題視されることが増えており、企業だけの責任だけではなく、役員や部下を持つ管理職などにも関心をもってもらう必要があります。  業務の過重負荷を原因とする、脳または心臓疾患による死亡や精神疾患を原因とする自殺がいわゆる「過労死」に該当しますが、厚生労働省では、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く)の認定基準」(以下、「脳及び心臓疾患の認定基準」)及び「心理的負荷による精神障害の認定基準」を定め、2種類の労働災害の該当性(「業務起因性」と呼ばれます)を判断するための認定基準を用意しています。  これらの認定基準においては、最も重要な指標として「長時間労働」が考慮されてきました。2種類の労災認定基準において、業務と過労死の関連性が強いと認定することにつながる時間外労働時間数は、「過労死ライン」と呼ばれています。いわゆる過労死ラインと呼ばれる長時間労働については、単純化すると、発症直前の1カ月の時間外労働時間数が100時間を超えたときや、発症前2カ月から6カ月の1カ月あたりのそれぞれの平均時間外労働時間数について、いずれかの平均値が80時間を超過するときなどが想定されています。これらの水準は、働き方改革における時間外労働の上限規制においてもほぼ同様に設定されており、過労死防止に対して罰則をもって臨むという状況に至っているといえるでしょう。  「脳及び心臓疾患の認定基準」の見直しが行われ、厚生労働省は、2021年9月14日に新しい認定基準を公表しました。なお、「心理的負荷による精神障害の認定基準」は見直されておらず、既存の内容が維持されています。  また、参考までに、労働者災害補償保険法の改正により、複数事業労働者の複数の事業の業務を要因とする傷病等については、すでに2020年7月に考え方が示され、「複数業務要因災害」として新たな保険給付がなされることになったことにともない、変更されていますので、副業・兼業を行う場合にも労働時間の管理には留意が必要です。 2 労災認定基準改定の背景について  今回の「脳及び心臓疾患の認定基準」の見直しにあたっては、海外の研究論文などにおいて、週55時間を超えると、週35時間から40時間の場合と比べて、脳卒中と虚血性心疾患のリスクがどちらも高まることを示す十分な証拠が得られたという結論を示すものが現れており、既存の過労死ラインを見直す必要性がないかも含めて検討されたものと思われます。  結論としては、既存の労災認定基準自体はほぼ維持されており、過労死ライン自体も変更されないこととなりました。  だからといって、上記の海外の研究論文が無視されているわけではありません。意味があるのは、過労死ラインには及ばないがこれに近い水準の時間外労働が行われている場合に、「特に他の負荷要因の状況を十分に考慮すること」が求められるようになったことに表れています。  海外の研究論文が示すところの労働時間が週55時間を超える場合とは、1カ月あたりの時間外労働に引き直すと、1カ月65時間程度の時間外労働に相当することになります。1カ月あたりの時間外労働が、80時間には及ばなくとも65時間程度に及んでおり、ほかの負荷要因がある場合には、労働災害として認定される可能性は、現在よりも高まると考えられます。  負荷要因としては、不規則な勤務形態(拘束時間が長い、休日がない連続勤務、勤務間インターバルが短い勤務、交代制や深夜勤務など)、事業場外における移動をともなう業務(出張が多い業務、海外出張など)、心理的負荷をともなう業務(心理的負荷による精神障害の認定基準における心理的負荷評価表の一覧とほぼ同様)、身体的負荷をともなう業務(重量物の運搬作業、人力での掘削作業など)、作業環境(温度環境や騒音)などが想定されています。  これらの負荷要因は、これまでにも示されていた内容もありますが、今後、過労死ラインには及ばないがこれに近い水準の時間外労働が行われている場合に、「特に他の負荷要因の状況を十分に考慮すること」が明記されたことによる影響は現れてくると思われます。 3 企業において対応すべき事項について  今回の改定では、「脳及び心臓疾患の認定基準」のうち、労働時間以外の負荷要因を中心に改正されており、時間外労働を重視しすぎる傾向に変化をもたらすものと思われます。  これまで、「脳及び心臓疾患の認定基準」においては、時間外労働以外の負荷要因もあげられてはいたものの、時間外労働の時間数が最も重要な要素とされ、それ以外の要素は考慮されにくい実情があったと思われます。過労死ラインに達しないことを目安として労働時間管理を行っていた企業もないとはいえません。  企業における労務管理についても、時間外労働の上限規制をきっかけに時間外労働の抑制に取り組む企業が増えていますが、負荷要因については、労働時間の不規則性や事業場外労働の頻度、身体または心理的負荷のほか、作業環境など各社が自身の業務内容をふまえた分析および対策が必要となるでしょう。  自社の業務内容に照らして、掲げられている負荷要因について、日常的に生じているものであるか、日常的に生じるものであればそれに対する対策をどのように行うのかという点を検討してください。なお、負荷要因のいずれにとっても休日の確保の影響は大きいと思われますので、多くの会社で共通する対策になりそうです。 第43回 降格後の地位における合理的期待、職務専念義務に違反するメール送信と懲戒 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年年齢を超えて採用した人材の降格、または雇用契約終了を検討するうえでの留意点について知りたい  定年年齢を超える方を雇い入れ、責任のある職務をまかせたのですが、人との距離をとることにおいて不適切な点があり、セクシャルハラスメントを行っているとの申告もされています。  そこで、一般職に降格することとしたのですが、雇用継続に関する協議において、降格の効力を認めないため、協議が整いません。このようなときに、契約期間満了時に契約を終了したいのですが、留意点を教えてください。 A  類似の裁判例をふまえると、使用者が抱かせた更新に対する期待の内容と、労働者が抱いている更新に対する期待の内容が相違する場合には、合理的な期待があるとはいえないため、雇止めによる労働契約の終了も視野に入れて協議することができるでしょう。ただし、降格が有効であるかという点には注意が必要です。 1 人事権に基づく降格処分について  多くの企業においては、懲戒処分としての降格の規定は定められていることが多いものの、人事権の行使としての降格処分が就業規則に定められていることは少ないです。一般的に、労働契約に基づき、使用者は、労働者に対する人事権を有しており、その裁量の範囲も比較的広いと考えられてはいますが、降格処分を実施しようと思ったときには、就業規則上の根拠がなければ、実施できないことがあります。  降格には、厳密にいえば、@役職の単なる低下として行われるもので、職能資格や資格等級の低下(とそれによる賃金の低下)をともなわない場合には、使用者が裁量によって決定できる範囲は広いと考えられています。  他方で、A職能資格や資格等級の低下(とそれによる賃金の低下)をともなう場合には、就業規則や労働契約上の根拠がなければ実施できないと考えられています。  労働者に与える不利益の程度の相違から生じる差異ですが、多くの企業で実施される降格は、Aの意味合いで行われることが多く、就業規則上の根拠に基づき行うことが適切でしょう。  なお、人事権の行使としての降格と対比されるのは、懲戒処分としての降格ですが、懲戒処分である以上、当然に就業規則の根拠が必要となり、懲戒権の濫用(らんよう)は許されないため、懲戒処分としての降格の実施にあたっては、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には無効となります(労働契約法第15条)。 2 降格後の地位と雇用延長に関する協議  降格を実施した後、雇用契約を延長する場合に、当然ながら使用者は降格後の地位を前提とした雇用延長を検討することになります。一方で、労働者からは、降格処分に納得がいっておらず、降格していない地位での雇用継続を交渉してくることもあるでしょう。  双方の意思が合致して、降格後の地位で新たな労働契約が成立すればよいのですが、双方の意思が合致しない場合には、雇用延長に向けて協議を重ねることになるでしょう。  このような場合に、労働契約法第19条における、有期労働契約の更新に対する期待可能性などをどのように考えればよいのかという点は、実はむずかしい問題です。使用者としては、降格済みであり、降格前の地位における雇用を継続する意思は有していないことは明らかといえますが、降格後の地位としての労働契約は締結してもよいという場合があります。一方で、労働者としては、降格後の地位は受け入れがたく、降格の効力がない状態に戻らなければ、労働契約を継続したくないという意思がありそうです。  とすると、「労働契約を継続したい」という抽象的なレベルでは合致しているかのように見えますし、労働者も労働契約の継続を期待しているともいえそうですが、このような場合に、労働契約法第19条第2号(更新に対する合理的な期待)によって労働者が保護されることになるのか、という点が課題となります。 3 降格後の地位にある人物に対する雇止めに関する裁判例  今回の設問において参考にしたい裁判例が、東京地裁令和2年12月4日に判決された事件です。  事件の概要としては、定年を超過した年齢で、専門性のある経歴を有している人材を事務局長として雇用開始したところ、事務職員に対するセクハラおよびパワハラが発覚したうえ、業務内容においても複数の不備が生じており、事務局長としての適格性を疑わせる事情が複数存在するに至りました。  そこで、事務局長の地位から降格し、その後期間満了をもって労働契約を終了させるに至ったという事案です。  まず、降格に関する権限については、「使用者は、人事権の裁量の範囲内において、労働者を一定の役職に就けたり解いたりできることからすると、…経験を見込まれて採用されたとしても、このことをもって、直ちに、本件雇用契約において、原告を事務局長の役職から解くことはできない旨の合意をしたと認めることはできない」として、まずは、人事権の行使としての降格権限があることを肯定し、降格にともなう賃金の減額もほとんどなかったことから降格の効力を肯定しました。  一方、労働契約の更新回数が4回であり、通算約5年に至っていたことおよび事務局長としての定年が70歳(役職者のみ定年年齢が高く設定されていた)であり、残り2年間であることから、合理的な期待を有していたと解する余地はあるとされつつも、「原告の更新に対する期待とは、事務局長として本件雇用契約が更新されることであり、事務局職員の立場で本件雇用契約が更新されることは期待していないものと推察される」ことから、期待可能性があるとは認めませんでした。  ここでは、労働契約法第19条第2号が定める、更新に対する合理的な期待について、使用者が期待させている更新の内容(一般の事務職員としての更新)と労働者が期待している更新の内容(事務局長としての更新)にズレが生じていることを理由として、期待可能性を否定している点が重要です。同様の事案は例が少なく、労働契約法第19条第2号が定める合理的な期待という点に関する理解を深める内容であると考えられます。  なお、定年が近かったことを合理的な期待を有することの背景事情として重視している点は、高齢者雇用に特有の要素でもあり、本件のような事情がない場合には、十分に考慮しつつ、契約更新を検討する必要があるでしょう。 Q2 社内メールを使って、会社や上司を批判している社員の処分について知りたい  労働時間中に社内メールを用いて、会社に対する批判および上司や同僚を揶揄(やゆ)するメールを送信するなどしている者がいます。社内の秩序を乱しており、職務に専念しているとも思われないため、懲戒などの対応が必要ではないかと考えていますが、どのような処分であれば可能でしょうか。解雇することは可能でしょうか。 A  類似の事例において、口頭での厳重注意後、再度違反した際には出勤停止5日間を有効とした裁判例があるため、参考にしつつ処分を検討することが適切です。なお、解雇が有効になる余地はほとんどないでしょう。 1 職務専念義務について  ご相談に来られる企業から、「社内でメールや同僚同士のチャットを通じて、会社批判をくり返している者がおり、どうにかできないか」といった相談を受けることがあります。  労働基準法に違反しているので是正すべきだ、といった批判で実際に適法に運用できていない企業もあるなど、正直なところその批判が的確な場合もあり、そのような場合は就業環境や労働条件を適正化する方が先決であり、当該従業員を処分することが適切ではないときもあります。  他方で、批判の内容が、邪推や憶測に基づく内容である場合や、相性が悪い上司に対する人格非難であることもあります。この場合には、企業秩序を乱すおそれがあるうえ、人格非難の程度によってはパワーハラスメントの被害者となる労働者が現れるおそれすらあるといえます。  このような事態に至っては、使用者にも被害者に対する安全配慮義務があるため、このような行為を止めるためにいかなる措置を取ることができるのかを検討し、実行していく必要があります。  労働者には、労働時間中、職務に専念する義務があり、原則として使用者の指揮命令に従った労務の提供に集中する義務があります。したがって、問題があるようなメールを送信しているような場合には、就業規則を確認する必要はありますが、職務専念義務違反である以上、懲戒処分の対象とすることができることが多いでしょう。  しかしながら、悩みは懲戒処分が可能であるか否かよりも、適切な処分の程度を決定することにあります。特に、このような解雇に相当するとはいえないような場合にどのような対応を進めていくのかについては、正解がなくむずかしい問題です。 2 裁判例から見る処分の程度について  使用者を批判し、上司らを非難したり、不適切なあだ名(態度や体型や外見などを基にしたものと思われるもの)で揶揄するメールをくり返し送っていた事案で、出勤停止5日間を有効と判断した最近の裁判例(以下、「本件」)があります(東京地裁令和2年7月16日判決)。  当該裁判例では、上司らをあだ名で揶揄するメールを約1カ月間で合計11通送信し、その内容は、「経営について建設的な意見を述べたものではなく」、「一方的に批判し、揶揄する内容であ」ったことが認定されています。前述のとおり、法令違反を是正するような内容など、建設的な意見であれば、本件のような結論にはなっていないと思われますが、社内のメールを用いて、非建設的な社内批判をくり返すような状況であれば、処分の対象とすることは可能といえるでしょう。  本件では、「メールの内容、表現に加え、送信した相手の人数、頻度、期間などの事情を総合」して、「メールの送信は、…担当の業務に専念し、能率発揮に努めるべき義務」を怠っていることを指摘したうえで、社内のメールシステムを用いた点についても、「許可なく職務以外の目的で被告の施設、物品等を使用した」という就業規則に定められた懲戒事由に該当すると判断しています。  また、生じた結果についても、最大で18人の職員に送信していたことなどもふまえて、「業務とは無関係の内容の上記各メールを作成、閲読させるなどして被告の業務に与えた影響も考慮すると、上記就業規則等に定める義務違反の程度を軽視することはできない」と判断しており、義務違反の程度も重く見ています。  職務専念義務に違反するか否か判断するにあたって総合考慮された事情は、個別のケースごとに相違するため、安易に職務専念義務を怠ったと断言することはできませんが、メールの内容を十分に考慮して判断することが重要であり、その期間や頻度を把握する方向で社内調査を進めることも、的確な判断を示すためには重要と考えられます。 3 処分の相当性の確保について  出勤停止5日間という処分がどの程度の処分であるのか、ということも正確に理解しておく必要があります。  本件では、出勤停止処分が就業規則に定められた懲戒処分のなかでは3番目に重い処分とされています。そして、本件では、出勤停止期間中の賃金支払の停止、賞与算定期間からの控除、定期昇給の停止などもともなった結果、約80万円の損害を処分対象となった労働者に生じさせたとされています。  出勤停止よりも降格などの重い処分が定められていることもありますが、出勤停止という処分は、おそらく一般的にイメージされている以上に裁判所では重い処分として想定されており、有効と認められるには相当な根拠が必要とされます。  本件においても、処分が相当と判断された前提として、重要な二つの要素があります。  一つ目は、懲戒処分よりも前に、同様の行為を行ったことに対する口頭による厳重注意が行われていたという点です。また、本件では口頭による厳重注意から間をおくことなく懲戒処分の対象とされたメール送信が行われた点も労働者の悪質性を強調する出来事となっていました。  二つ目は、二度にわたって弁明の機会を与えていたという点です。弁明の機会を与えた際には、「いわれている人間の行動に問題がある」などの開き直りともいえる態度をとっており、酌量の余地がないと判断することも容易だったといえるでしょう。  懲戒処分にあたっては、事前の改善の機会を与えておくこと、事後の弁明の機会を与えることによって、有効性を維持できる可能性を高めることができますので、適切に実施しておくことが重要です。 第44回 直接雇用以外の安全配慮義務、職務等級制度における降格措置 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 業務委託契約となる場合の安全配慮義務の位置づけを教えてほしい  高年齢者雇用安定法の改正への対応として、65歳以降に業務委託契約を締結して業務を継続してもらうことを検討しています。  雇用契約ではなくなるため、安全配慮義務の負担や割増賃金の負担などはなくなると考えてよいのでしょうか。 A  安全配慮義務については、業務委託契約であっても負担することがあり得るので注意が必要です。また、業務委託契約への切り替えにもかかわらず、業務内容の変更等がほとんどない場合には、雇用契約とみなされる可能性もあります。そのため、割増賃金等の雇用関係に基づく制度の適用関係に注意して、業務委託と雇用の区別をふまえた業務遂行方法を検討しておくべきです。 1 高年齢者雇用安定法の改正と就業機会の確保  過去の連載においても紹介しましたが、高年齢者雇用安定法が改正され、70歳までの就業機会の確保が努力義務とされました。  これまでの法制度との相違点として、65歳までは、「雇用」を確保することが求められていたことと比較して、就業機会の確保においては、雇用にこだわらず業務委託契約を締結するといった方法も許容されるようになりました。そのため、今後は、65歳以降には、雇用ではなく業務委託契約を締結するような機会が生じてくることになりますが、そのような場合に、安全配慮義務を負担することがあるのか、ということも問題となります。 2 安全配慮義務に関する判例の流れ  最近は安全配慮義務という言葉自体も浸透し、同義務に違反したときには、損害賠償責任を負担することも一般的に知られています。さらに、労働契約法第5条が、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と定め、労働契約(=雇用契約)が存在しているかぎりは、生命、身体などの安全を確保する義務を負担します。  しかしながら、労働契約法第5条は「労働契約が成立している場合」に安全配慮義務を使用者が負担することを定めているにすぎず、労働契約が存在しない場合にも、安全配慮義務が肯定されるか否かは別途の考慮が必要です。  安全配慮義務に関する最初の判例は、最高裁昭和50年2月25日判決(陸上自衛隊八戸車両整備工場事件)です。自衛隊をはじめとする公務員と国の関係は、労働契約に基づくものではありません。とはいえ、公務員と国の関係は、使用者と労働者に類する部分も多く、自衛隊においては訓練や整備中の事故などの危険もあることから、自衛隊員と国の間で安全配慮義務が肯定されるのかが問題となりました。  同判決においては、「国は、公務員に対し、…(略)…公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という)を負つているものと解すべき」と結論づけ、公務員に対する安全配慮義務を肯定しました。その理由として、安全配慮義務は「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間」において、信義則上負う義務として一般的に認められるべきものという理由があげられています。  ここで示されている通り、安全配慮義務は、雇用契約の関係がある当事者間にかぎらず「特別な社会的接触関係」の有無を基準として判断されることになります。  この基準が判例となったことから、公務員以外の事件である私人間の直接の雇用関係にないような関係性においても、安全配慮義務が肯定される事例があります。例えば、福岡高裁昭和51年7月14日判決(大石塗装・鹿島建設事件、最高裁昭和55年12月18日判決で維持されました)においては、直接の雇用関係にない下請契約の関係者との間での安全配慮義務について、「法形式としては請負人(下請負人)と雇傭契約を締結したにすぎず、注文者(元請負人)とは直接の雇傭契約を締結したものではないとしても、…(略)…、実質上請負人の被用者たる労働者と注文者との間に、使用者、被使用者の関係と同視できるような経済的、社会的関係が認められる場合には注文者は請負人の被用者たる労働者に対しても請負人の雇傭契約上の安全保証義務と同一内容の義務を負担するものと考えるのが相当である」と判断しています。  建設業においては、元請、下請、孫請などの関係がありつつも同一の現場で業務を遂行する関係があることから、労働安全衛生法でも特別な規定が用意されているなど、安全配慮義務が肯定されやすい傾向があります。  例えば、大阪高裁平成20年7月30日判決においては、第一審判決では被害者側が一般的には到底行わないような危険な方法で作業を実施したことをふまえて安全配慮義務自体を否定したところ、控訴審では「請負(下請)契約関係の色彩の強い契約関係であったと評価すべきであって、その契約の類型如何に関わらず両者間には実質的な使用従属関係があったというべきであるから、被控訴人は、控訴人に対し、使用者と同様の安全配慮義務を負っていたと解するのが相当である」と判断し、元請業者が安全配慮義務を負担することを肯定しました。  なお、第一審が考慮した危険な方法による作業の実施については、過失相殺において8割の減額が認められており、まったく考慮されていなかったわけではありませんが、安全配慮義務を負担するか否かとは結びつけられていません。 3 請負契約以外の裁判例における判断について  安全配慮義務を負担するのは労働契約がある場合にかぎられるわけではないという点は、業務委託契約全般にもあてはまるものです。  例えば、自治体がテニスの講習を外部に委託したところ、当該委託先において、複数名の初心者向けに行われたテニスの講習中に、誤って飛んできたボールを右眼に受けた結果、視力が著しく低下したという事故に関して、被害者から、自治体に対して、安全配慮義務違反を理由として損害賠償請求が行われた事案があります(千葉地裁佐倉支部平成11年2月17日判決。なお、控訴審である東京高裁平成11年6月30日判決において結論は維持されました)。  当該裁判例においては、「被告とテニス連盟ないし原告ら講師との法律関係は、本来、本人からの独立性と裁量性を有する準委任であると解されるが、その場合でも具体的な労務の内容、指揮監督関係、専属関係の有無等を考慮し、被告と原告間に使用従属関係が認められる場合には安全配慮義務違反が問題となる余地がある」という判断基準を示しており、準委任(≒業務委託)関係においても、安全配慮義務を負担する可能性があることを肯定しています。  結論的には、指導方法を委託先に一任し、練習方法や内容に関与しないなど個別具体的な指揮監督などがないことから、関係性が雇用契約類似に至っていなかったとして、安全配慮義務を負担しないと判断しています。  ここでポイントとなっているのは、やはり雇用契約類似の指揮監督関係がなかったことです。業務委託と雇用の関係の区別に関しては、「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」(37号告示と呼ばれています)が参考になります。65歳以降の業務委託契約において、実質的な業務内容に変更がないような事例も想定されますが、また、業務内容に変更がないことは、雇用の継続があると評価されることを避けがたいと思われます。37号告示を参考にしつつ、定年後の高齢者と締結する契約の内容が業務委託にふさわしい内容となるように、留意する必要があるでしょう。 Q2 職務等級制度において賃金の減額(降格措置)はできるのか教えてほしい  社内の賃金制度について、自社では職能資格制度ではなく、職務等級制度に基づいて賃金を決定しています。  このたび、部署の廃止にともない、職務内容の変更をともなう異動が必要となったのですが、職務変更とあわせて賃金を減額することは可能でしょうか。 A  職務等級制度は、職務と賃金を関連づけて決定していることから、職能資格制度と比較すれば、職務変更にともなう賃金減額は認められやすいといえます。ただし、就業規則上の根拠が必要であり、人事権の濫用とならないような配慮は求められます。 1 職能資格制度と職務等級制度  職能資格制度とは、労働者の「能力」に着目して賃金制度を設計するものであり、日本では多くの企業がこちらの制度を採用しています。ここでいう「能力」とは、当該労働者という属人的な能力を意味しており、その人がその能力を発揮しているか否かという観点とは異なります。能力があっても、職務内容に変更があったがゆえに、能力を発揮できていない場合でも、賃金は変動しないという特徴があります。  このように「能力」に着目するにあたって、いくつかの原則があると整理されており、昇格・昇進原則、能力の育成と公正評価の原則、同一資格同一処遇の原則などが特徴としてみられることが多いといわれます。  降格との関係で障壁となるのが、昇格・昇進原則があることです。職能資格制度においては、原則として、人の能力は育成により成長していき、職務が変更されても能力が失われることはなく、年功とともに昇格・昇進が続いていくことが前提となっています。そのため、「降格」というのは、極めて例外的に属人的な能力が失われた場面にしか機能しないと考えられます。  そのため、就業規則上の根拠は当然必要であるうえ、降格にともなう賃金の減額などに対しても、人事権の濫用とされる範囲が広いと考えられます。  一方で、職務等級制度の場合は、労働者の「職務」に着目して賃金制度を設計するもので、「ジョブ型」などと表現されるのはこのような制度です。現に行っている「職務」の価値に応じた対価として賃金を支払うという考え方であるため、いかに能力があったとしても、それを発揮するような内容の職務を行っていないのであれば、賃金が減額されることがあり得るという前提を有しています。とはいえ、賃金の減額を引き起こす以上は就業規則上の根拠は必要と考えられていますが、人事権の濫用とされる範囲は職能資格制度と比較すれば緩やかに評価される可能性があります。 2 職務等級制度における降格が問題となった裁判例  東京地裁令和2年12月18日判決(ELCジャパン事件)においては、職務等級制度を採用している企業における異動にともなう賃金減額が問題となりました。  事案の概要としては、アメリカに本社を有する日本法人が、事業部門の廃止にともない、原告に退職勧奨を行ったところ、これを拒まれたことから、解雇するのではなく異動を命じて、アシスタントマネージャーという職務に就くことになり、賃金が減額されるに至ったというものです。  人事権の濫用に該当するか否かについては、不当な動機または目的がある場合が典型的ですが、この点は原告に対する個人的な不満があったとしても、それが事業部門の廃止につながるとは考えがたいとして否定されています。  原告に生じた不利益の程度が大きいほど、人事権の濫用とされやすいのですが、減額の程度が月額1万円程度であったこと、賞与の算定方法が変更となるが、一概に比較することはできないことなどから、大きな不利益ではないと評価されました。結果として、降格にともなう賃金の減額は法的に有効に行われたものとされました。  なお、この事件では、この降格だけではなく、その後に配置転換が実施されるに至っており、その有効性も問題となりましたが、こちらについても、賃金水準が確保されるような配置転換であること、原告の希望に見合うほかの役職が存在していなかったことなどから、これまでのキャリアとは異なるような職務内容であっても、その配置転換に不当な動機・目的は認められず、有効であると判断されています。  当該裁判例は、外資系企業であり、職務等級制度が採用されていることが明確な企業でした。このような企業においては、当初の職務の決定は企業にとっても労働者にとっても重要であるため、職務を変更すること自体の必要性が高くなければならない可能性はありますが、必要性が認められる場合には、職務内容の変更にともなう賃金の減額も許容されやすいといえるでしょう。  日本の企業においては、「ジョブ型」の賃金制度を設計している企業は多くはありませんが、同一労働同一賃金を徹底する場合、「職務」に着目した賃金制度は、同一労働である範囲での同一賃金の実現と相性がよいといえます。既存の賃金規程自体を改定することは、従業員への影響も大きくなりやすく、経過措置を定めるなど漸次的に導入するといった工夫や将来賃金への影響のシミュレーションも必要となりますが、今後の対策として選択肢に入る企業もあるでしょう。 第45回 休職期間中の定年到来、兼業と懲戒処分 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 休職期間中に定年を迎える労働者の扱いについて教えてほしい  現在、定年間近の従業員が、通勤災害が原因でけがをして休職しています。復職に必要な治癒に至ることなく、休職期間中に定年を迎える見込みです。  休職中の従業員が定年を迎えたことを理由に、その従業員を退職したものと扱ってよいのでしょうか。 A  原則として定年退職により労働契約を終了することができると考えられますが、継続雇用の要件を定めている場合には、当該要件に該当しないことも確認してから判断することが適切でしょう。 1 休職制度  休職制度については、本誌2020(令和2)年1月号でも触れたことがありますが、少しおさらいしておきたいと思います。  休職制度は、労働基準法などの法律に基づいた制度ではありませんが、多数の企業で採用されています。その理由としては、私傷病などにより労務提供が一時的に困難になってしまった従業員に対して、復職の機会を確保しておくためであり、使用者の立場からは解雇を猶予して回復を待つという意味合いがあります。  休職制度が解雇の猶予措置であることから、休職期間が満了したときには、退職または解雇措置を取ることが定められていることが一般的です。  以上のような、休職制度の位置づけについては、最高裁平成24年4月27日判決(日本ヒューレット・パッカード事件)において、「診断結果等に応じて、必要な場合は治療を勧めた上で休職等の処分を検討し、その後の経過を見るなどの対応を採るべきであり、このような対応を採ることなく、被上告人の出勤しない理由が存在しない事実に基づくものであることから直ちにその欠勤を正当な理由なく無断でされたものとして諭旨退職の懲戒処分の措置を執ることは、精神的な不調を抱える労働者に対する使用者の対応としては適切なものとはいい難い」と判断されて以来、定着したように思われます。  ただし、業務上の災害(いわゆる労働災害)に起因する休職の場合は、労働基準法第19条により解雇制限が定められています。その内容は休業する期間とそれを終えてから30日間は解雇を禁止するというものです。  解雇と定年では状況は異なりますが、業務上の災害についてはこのような解雇制限もある状況のなか、定年退職は文字通り解釈してもよいものでしょうか。 2 定年と解雇の相違点  定年と解雇の相違点は、使用者の意思表示を必要とするのか否かという点があげられます。解雇の場合は、使用者が、当該従業員を解雇するという意思を本人へ通知する必要がありますが、定年の場合は、極論すれば、使用者が何も伝えなくとも、定年を迎えた時点で、退職扱いとなり、法的には労働契約が終了することになります。  その意味では、解雇の場合は、解雇の意思表示が、使用者による解雇権濫用であるとして無効となれば、退職自体が効力を生じないことになりますが、定年退職の場合は、無効とすべき意思表示がないため、退職自体の効力が生じることを妨げることは困難です。少し説明がむずかしく感じるかもしれませんが、定年の場合は法的には効力を無効としづらいということと労働基準法第19条に基づく解雇制限が定年退職には及ばないということがわかってもらえれば十分かと思います。  定年による退職については、よほどのことがないかぎりは、このような解雇制限があるとしても有効であり、労働契約は定年を迎えたときに終了することになります。 3 定年退職が妨げられる場面  しかしながら、定年退職といえども、万能ではありません。高年齢者雇用安定法は、65歳までの高年齢者雇用確保措置を義務づけており、60歳で定年を迎えたとしても、本人が希望し解雇に相当する程度の理由がないかぎりは、継続雇用制度などにより雇用を継続すべきことを義務づけています。このことからすると、たとえ、休職期間中であるといえども、雇用を継続すべきであるといえそうです。  過去の裁判例で、類似の状況における判断がなされたものがあります(京都地裁平成28年2月12日判決)。当該裁判例は、通勤災害が原因で骨折などの負傷を負った従業員との間で、定年退職を理由とした労働契約の終了が争われた事件です。裁判所は、「原告と被告との労働契約が終了していないとしても、被告の就業規則上、原告は、定年によって退職することとなったと認められるから、定年時以降の労働契約上の地位確認及び賃金支払請求が認められるためには、定年時以降も原告と被告との間で労働契約が維持ないし再締結された蓋然性が認められることが必要である」として、定年による労働契約の終了が原則として認められると判断しました。そのうえで、高年齢者雇用安定法に基づく継続雇用の義務は、どのような措置を取るかについては、事業主に委ねられているから、定年時以降も労働契約が維持ないし再締結された蓋然性があると認めることはできない、としています。  この事件の使用者は、高年齢者雇用安定法およびその指針が定める解雇事由または退職事由に該当するものを定める労使協定として、「定年後の継続雇用制度の選定基準に関する協定書」を締結していたところ、具体的な判断にあたっては、同協定に「過去3年以内に健康上の理由による休職及び1ケ月以上に及ぶ長欠なく、直近3年以内の定期健康診断の結果において業務遂行に支障がないと診断されている者」と定められていたことを理由に、継続雇用の蓋然性があると認められないと結論づけて、定年退職が有効と判断されました。  定年退職による労働契約の終了を妨げること自体はむずかしいといえますが、その判断にあたっては、自社の継続雇用制度において定年後の継続雇用を行わない場合に該当することを確認してから判断することが適切でしょう。 4 休職合意や休職命令を行う際の留意事項  実は、上記の裁判例では、使用者において、休職期間の起算日を誤っていたことから、休職命令および休職合意自体の有効性が否定されています。休職期間として算定できるのが、欠勤から1カ月後からであるにもかかわらず、欠勤開始日から起算して休職期間を設定したことが原因で、就業規則よりも労働者に不利益な合意や取り扱いをすることができないとして、休職合意や休職命令の効力が否定されています。休職制度を活用する機会は少ないかもしれませんが、自社の就業規則の解釈があいまいになっていないかという点も確認しておくことが望ましいでしょう。 Q2 無許可での兼業が発覚した従業員への処分について知りたい  自社で雇用している従業員が、競業他社の取締役に就任し、報酬を得ているという情報に接しました。また、当該競業他社の登記に取締役としての登記もなされていることが確認できました。本人からは、その許可を求められたことはなく、申請を受けたこともありません。  自社の営業に関する情報などが当該競業他社へ融通されるおそれもあり、懲戒解雇を検討していますが、問題ないでしょうか。 A  競業避止義務違反が認められる場合には、懲戒処分の対象とすることは可能と考えられますが、守秘義務違反のおそれにとどまる場合には、懲戒解雇処分を行うことは不適切と考えられます。 1 副業・兼業ガイドライン  厚生労働省が定める「副業・兼業の促進に関するガイドライン」が2020(令和2)年9月に改定されたころから、兼業や副業に対する考え方が変化してきました。  基本的な方向性としては、労働者の経済的自由・職業選択の自由を尊重する方向性であり、副業・兼業を妨げるべきではないという考え方を基本とするように転換しつつあるといえるでしょう。  一方で、副業・兼業が完全に自由なのかというと、そういうわけではありません。例えば、厚生労働省が公表しているモデル就業規則が定める副業・兼業に関する規程は図表のような定め方がなされています。  第1項で、原則として「勤務時間外」であれば自由としつつも、第2項が会社への届出を義務づけている点では完全な自由とは異なります。また、第3項では、禁止または制限できる場合を列挙しており、これらのなかには、「競業により、企業の利益を害する場合」には、副業・兼業を認めなくてもよいとされています。 2 競業避止義務違反と懲戒処分  就業規則において、モデル就業規則のような規程が定められており、懲戒処分の根拠として位置づけられている場合には、懲戒処分を行うことが可能です。ただし、問題となるのはその処分の程度でしょう。  兼業・副業に関する規程が、労働者の権利を制約しない範囲に限定するよう求められている状況からすると、懲戒処分の実施やその程度も謙抑的に運用することが望ましいといえます。  業務の支障への程度が小さい場合や発覚して間もなく解消されたような場合には、懲戒処分としては、再発防止のために必要な程度として、戒告や減給処分程度が相当と考えられる事例が多いと思われます。 3 懲戒解雇が許容された裁判例  過去の裁判例のなかで、副業・兼業における競業避止義務違反を根拠として、懲戒解雇が有効と判断された事例があります。  事案の概要としては、システム開発などを行う会社(Y社)に雇用されていた従業員Xが、Y社に秘して、同様にシステム開発などを行っている他社(a社)で約3年程度にわたって業務委託の形式または取締役に就任して毎月25〜30万円の報酬を受領しており、取締役退任後も業務委託を受けて毎月30万円を受領し続けていたというものです。この期間中に、Xは、Y社内で展開されていたメールの内容を、a社の営業担当者に共有して助言するなど、競業他社のために自社の秘密を利用することも重ねていました。  裁判例では、XがY社に在職中、「その勤務時間を含め、同業者であるa社の取締役又は業務委託の受託者として、a社の業務に従事し」ていたと認定されたうえ、その活動を秘していたと判断されました。  さらに、「a社の業務のために被告の情報を提供しているから、被告に対する背信的行為であって、被告の企業秩序を乱すものであるし、原告が被告の職務に専念せず、他社から報酬を受領することにより、原告の労務提供に格段の支障が生じている」として、Y社の営業にかかわる情報を守秘義務に反して利用したことの悪質さも考慮されました。  これらの違反事由が重なったことが考慮され、「兼業の内容が就業時間に競業他社の業務を行うだけでなく、被告の業務で知り得た情報を利用するという被告への背信的行為であるという内容に照らせば、本件解雇は社会通念上も相当なもの」として、懲戒解雇が有効となると判断されました。 4 懲戒解雇実施時の留意点  副業・兼業禁止の違反に基づく、懲戒解雇を行う場合であっても、通常の解雇処分と同様に、解雇権を濫用してはならず、解雇には、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が求められることになります。  無許可の兼業については、悪質さが目立つうえ、直感的には重たい判断を検討しがちですが、原則として自由であるという点をふまえて、冷静に判断することが求められます。  重視すべき事項の一つは、勤務時間中のものであるか、勤務時間での労務提供に支障をきたすものではないかという点です。紹介した裁判例においても、勤務時間中に兼業先での職務遂行を行っていたことが重視されています。労働者の基本的な義務である労務提供義務や職務専念義務に違反していることは、悪質さを基礎づけることになります。  次に、競業といえるほどの業務内容の重なりあいがあるか否かです。この点は、自社の秘密を漏えいされた場合の被害の大きさ(逆にいえば利用価値の高さ)にも影響することになります。  これらに加えて、報酬受領の有無や届出制に違反しているか否かも考慮されることになります。  逆にいえば、裁判例で挙げられた特徴にあるような、勤務時間中の副業・兼業ではないケースや、競業というほどの会社ではなく秘密保持義務違反もともなわないようなケースなどでは、懲戒解雇が有効となる可能性は高くないといえるでしょう。 図表 モデル就業規則が定める副業・兼業規程 (副業・兼業) 第68条 労働者は、勤務時間外において、他の会社等の業務に従事することができる。 2 労働者は、前項の業務に従事するにあたっては、事前に、会社に所定の届出を行うものとする。 3 第1項の業務に従事することにより、次の各号のいずれかに該当する場合には、会社は、これを禁止又は制限することができる。 @労務提供上の支障がある場合 A企業秘密が漏洩する場合 B会社の名誉や信用を損なう行為や、信頼関係を破壊する行為がある場合 C競業により、企業の利益を害する場合 出典:厚生労働省「モデル就業規則(令和3年4月)」 第46回 定年後の労働条件提示、ハラスメントと調査対応 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 定年を迎える従業員に定年後継続雇用の労働条件を提示したところ、拒否されました  定年を迎える従業員に対して、これまでの業務とは異なる業務を行うことを前提に定年後の労働条件を提示しました。賃金については、従前と同様の条件を維持する予定です。ところが、従業員からは拒否されたうえで、元の業務で継続雇用をするよう求められたのですが、応じなければならないのでしょうか。 A  会社から提示した労働条件が合理的なものであるかぎり、従業員の希望に応じる義務はありません。ただし、職務内容の変更が著しく、継続性・連続性が認められず、過小要求のハラスメントに該当するような場合は賠償責任が生じる可能性があります。 1 継続雇用制度と労働条件の変更  高年齢者雇用安定法(以下、「高齢法」)は、定年制の廃止、定年年齢の延長または継続雇用制度のいずれかの措置を採用することで、65歳までの継続雇用の実現を義務づけています。  行政解釈として厚生労働省がホームページで公表している高年齢者雇用安定法のQ&Aにおいては、定年後の再雇用における労働条件の変更については、事業主の合理的な裁量の範囲の条件を提示することが求められています(Q1-9およびA1-9参照)。さらに、フルタイムから嘱託やパートなどの労働時間、賃金、待遇などについては、事業主と労働者の間で決めることができるとされています(Q1-4およびA1-4参照)。  過去の連載(本誌2021年10月号)においては、定年後の労働条件の提示について、一定の継続性・連続性がない場合は、高齢法の趣旨に反して、違法との裁判例(名古屋高裁平成28年9月28日判決)が現れていることを紹介しました。当該裁判例は、定年後再雇用者に対して、フルタイムから短時間労働への変更を提示したうえで、月収ベースで定年前賃金の25%程度にまで減額される条件を提示した事案ですが、「定年退職前のものとの継続性・連続性に欠ける(あるいはそれが乏しい)労働条件の提示が継続雇用制度の下で許容されるためには、同提示を正当化する合理的な理由が存することが必要である」と判断しており、裁判所の判断も、行政解釈と同趣旨の理解をしています。  これらの再雇用時の条件提示にあたって、適法と認められなかった場合に、どのような結論になるのでしょうか。過去には、最高裁平成24年11月29日判決(津田電気計器事件)が、継続雇用拒否について、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないとしたうえで、社内で定められていた規程と同条件の雇用契約の存続を認めるという判断をしています。しかしながら、この事件では会社が再雇用を拒否したという点で、再雇用希望に対する労働条件を提示したがこれを労働者に拒絶された状況とは若干異なります。  そのため、労働条件の提示に不合理な点があったことが原因で定年後の再雇用に至らなかった場合において、当然に雇用継続が認められるわけではなく、損害賠償責任が肯定されるにとどまっているものも多い状況です。例えば、前掲の名古屋高裁平成28年9月28日判決においても、損害賠償責任のみが肯定されるに留まりました。 2 再雇用の合意の不成立  定年後再雇用の際に、合理的な条件を提示しつつ、再雇用の労働契約が成立しなかった場合、どのように判断されているのか、最近の裁判例を紹介したいと思います。  紹介する裁判例は、東京地裁令和元年5月21日判決(アルパイン事件)です。定年を迎える労働者に対して、事業部内の若返りを目的として、異動をともなう労働条件(異動以外の賃金や休日などの条件は従前と同一でした)を提示したところ、これに対して、従業員は、従前と同様の部署で働くことを希望して会社からの提示された条件に応じることなく、定年退職の日を迎えてしまいました。会社としては、定年退職後の合意が成立していないことから退職したものとしましたが、従業員は、前掲の津田電気計器事件を例にあげて、従前と同様の労働条件で労働契約が継続しているものとして争ったという事件です。  裁判所は、労働者の主張を退け、定年退職が成立しているものと判断しましたが、その理由としては、「継続雇用後の労働条件は、飽くまで、労使間の合意により定まるべきものであって、労働者が使用者に対して希望すれば直ちにその希望するがままに勤務部署や職務内容が定年前と同じ雇用契約が定年後も継続するというかのような原告の主張には、法律上の根拠がない」という内容でした。  また、この判断の前提として、会社が従業員に提示した労働条件について、従業員としては、契約期間、年間総労働日数、始終業時間、給与については同意していたことをあげたうえで、提示の際に変更された勤務部署、職務内容について、「客観的に見て誰にとっても到底受け入れられないような不合理なもの」であったと認められないとして、会社の提案の合理性を肯定しています。 3 労働条件提示における留意事項  現在の高齢法を前提にすると、過去に労使協定にて人選基準を定めていた場合には経過措置による人選基準の適用の余地がある程度であり、ほとんどの会社においては、希望する定年退職者に対しては、労働条件の提示をしなければならず、定年時において会社が提示することなく拒絶する可能性は低いでしょう。  そのため、津田電気計器事件における最高裁判例のように、継続雇用があったものとみなされる可能性は低くなっています。むしろ、労働条件の提示自体の合理性が重視されるようになっており、継続性・連続性が認められないような条件を提示してはならず、職務内容を大きく変更する場合にはそれに相応する程度の賃金などの条件変更にとどめる(または紹介した裁判例のように条件をできるだけ維持する)といった対応をとることが望ましいといえるでしょう。 Q2 ハラスメント防止措置とは具体的にどのような取組みをすればよいのか知りたい  ハラスメント防止措置が義務化されることや相談窓口の設置をしなければならないことは理解できているのですが、実際に相談がきたときの対応や調査方法のイメージがわきません。また、自分にハラスメントか否かを判断できるのか自信がなく、会社だけで対応しきれるのか心配です。 A  体制整備的な用意も必要ですが、懸念されている通り運用も確立しておくことは重要です。重視すべきは、結論を出すまでの迅速さと正確性を保つ努力であり、外部専門家も活用しながら対応することが重要です。 1 ハラスメント防止措置の概要  ハラスメント防止措置について、中小企業の義務化が2022年4月1日に迫っているなか、「何かしなければならない」ということは理解しつつも、具体的に対応すべき措置の内容や運用方法のイメージがつかめていない企業も見受けられます。  労働施策総合推進法において定められているのは、さほど複雑な内容ではなく、@相談に応じ適切に対応するための体制の整備、A@に定める相談体制の整備以外のハラスメント防止措置を講じること、B@の相談体制への相談や協力に対する不利益取扱いの禁止などです。  詳細は、「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(厚生労働省)が定めています。  そのなかで事業主である企業に求められている項目をあげると、(ア)方針等の明確化及び周知・啓発、(イ)相談に応じ適切に対応するために必要な体制の整備、(ウ)事後の迅速かつ適切な対応、(エ)再発防止策の実施、(オ)相談者のプライバシーへの配慮、不利益取扱いの禁止の周知、などです。  実務的な感覚としては、(ア)周知・啓発に関連する内容として、従業員や管理職向けのハラスメントに関する社内研修を依頼されることも多く、取組みが具体的に進み始めていることを実感していますが、一方で(イ)相談体制や(ウ)事後対応に関して、具体的なイメージが確立されていない会社が多いように感じています。 2 適切な対応と認められた裁判例  これでもなお抽象的なアドバイスにとどまってしまうところは否めませんので、裁判例で会社のハラスメント対応が適切と判断された事例を紹介しておきます。  東京地裁令和2年3月3日判決(海外需要開拓支援機構ほか事件)では、会社の専務執行役員であった者と専務取締役兼最高投資責任者の地位にあった者による行為が、違法なセクシュアルハラスメントに該当するか、また、会社がこれらに関する相談対応などの就業環境配慮・整備義務を怠っていたか、という点が争われました。  専務取締役兼最高投資責任者が行った行為は、従業員(女性)の肩に手を回そうとしたことおよび複数回肩に触れたことであり、専務執行役員が行った行為は、会社が開催した懇親会において、監査役または自身とともに映画に行くことや手づくりの贈り物をすることなどを内容とするくじ引きを実施したということでした。  前者については、身体的な接触をともなう性的な行動であり、本人の意に反するかぎりはセクシュアルハラスメントに該当するといえること、後者についても本人の意思を問うことなく、実質的に強制される要素があることからセクシュアルハラスメントに該当し、裁判所も両者の行為はいずれも違法なセクシュアルハラスメント(人格権侵害)であると判断し、5万円の賠償責任を負うと判断しました。  これらに関連して会社も賠償責任を負うか問題となりましたが、結論としては、会社の対応やその経緯をふまえて、会社の責任は否定されました。  会社は、社外ホットラインを務めていた弁護士に通報があった後、2日後には通報者から事情を聴取したうえで、関係者からの事情聴取を行い、当該弁護士に助言を依頼していました。ただし、肩を触った疑いのあった専務取締役兼最高投資責任者であった者については、通報時点で退職していたため、本人に対する調査は実施できませんでした。  弁護士からの助言内容は、くじ引きについては、違法なセクシュアルハラスメントには該当しないが、配慮や適切さに欠くものであったという助言を行い、肩を触ったか否かについては目撃証言がなく行為の存在と認定することができないという判断でした。会社は、これらの助言通りに、通報者に対して報告を行い、くじ引きを行った専務執行役員を厳重注意すると伝え、実際に厳重注意を実施しました。  弁護士からの助言およびそれに基づく会社から通報者への報告内容は、裁判所が違法なセクシュアルハラスメントに該当すると判断した結論とは相違しており、会社としてはあたかも判断を誤ったかのように見えるかもしれません。しかしながら、迅速な調査を行う必要があり、裁判のように充実した証拠を基に判断できるわけではないことから、判断が正しかったか否かを問題とすることは、会社に結果責任を負わせることになります。  裁判所は、会社が「原告の意向のままにハラスメントと認定し、原告の望むままの処分をしなければならない法律上の義務はない」と述べたうえ、会社の調査プロセスをふまえると、その調査や判断の過程に不適切な点があったとはいえないとしました。退職済みであった専務取締役兼最高投資責任者の行為に関しても同様です。  判決の結論と相違したことについては、裁判において「不法行為と判断されたことをもって、被告B社の調査や被告C(注:専務執行役員)に対する処分が不合理であったというべき根拠はない」と判断しています。 3 相談窓口と事後の対応の留意点  相談窓口の設置として、外部通報窓口を設置することも増えており、それを法律事務所(弁護士)が受けていることもあります。紹介した裁判例でも弁護士が外部通報窓口として対応しており、さらにその後の助言も行っています。  ハラスメントに該当するか否か、その結論の正しさに気を取られがちですが、会社に求められているのは、結果として必ず正しい判断をすることではなく、適切な対応をすること、そのプロセスが重要です。  プロセスを見るにあたって、裁判例で着目すべきはその迅速さと専門家の活用です。通報の2日後に着手していること、外部専門家の助言を受けていること、そして、その結果を通報者に報告しています。ここまでの一連のプロセスを迅速に対応することを目ざすことが重要であり、ハラスメントに該当するか否か正確に判断することに気を取られすぎてはいけません。調査のプロセスが十分に合理的であれば、会社の責任にまでは至らないこともあります。  ハラスメントの調査にあたっては、結論を決めることに委縮しすぎたり、慎重になりすぎることなく、プロセスを確立して、自社なりの判断を着実に実施することが重要ともいえるでしょう。 第47回 再雇用と就業規則の最低基準効、業務委託の解除と解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 合意した労働条件が、就業規則で定められた賃金の基準を下回っていたことが発覚しました  定年後の再雇用者の労働条件について、正社員の賃金からは引き下げた内容で合意に至りました。ところが、再雇用後の賃金について、会社が定めた就業規則の内容よりも低くなっていることに気づいたとして、差額を請求されています。請求に応じなければならないのでしょうか。 A  就業規則の適用範囲を適切に限定していない場合には、就業規則に基づく支払い義務を負うことになります。 1 就業規則の効力について  就業規則の効力については、労働基準法および労働契約法に定められています。  まず、社内における就業規則が効力を発生させる要件は、労働者の過半数代表者からの意見の聴取および就業規則の周知が必要とされています(労働基準法第90条、労働契約法第7条)。また、労働契約法第7条によれば、労働基準法が定める手続きを満たした就業規則であっても、その内容が合理的な内容でなければ、有効にはならないとされています。  労働基準法第89条においては、労働基準監督署への届出も義務づけられていますが、これは労働基準法第120条が定める罰則の前提となっている義務にとどまります。したがって、労働基準監督署への届出は、会社と労働者の間で法的拘束力を発生させる要件とは考えられていません。労働基準監督署への届出を効力発生要件としてしまうと、10人未満の労働者しかいないような届出義務を負担していない事業場において、就業規則を有効に機能させることができなくなってしまいます。  就業規則が法的な拘束力を持ったとき、労働者にはどのような影響があるのでしょうか。すべての労働条件が就業規則によって定められるとしてしまうと、労働者ごとに個別の労働条件を設定することができなくなってしまい、きわめて不便な状態になりかねません。したがって、就業規則が会社で効力を有するとしても、すべての労働条件がこれにおいて定めるわけではありませんが、就業規則に定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は効力が生じないものとされています(労働契約法第12条)。  これを就業規則の最低基準効といいますが、労働契約に定めがない部分については、補充することになり、定めがある場合には労働者の立場から評価したときに就業規則よりも不利な内容については、就業規則が最低基準として内容が置き換わることになります。 2 最低基準効と留意点について  最低基準効があったとしても、会社が定めた内容なので、さほど支障がないと思われるかもしれません。とはいえ、最低基準効が生じるということの意味は、実は単純なものではありません。  問題が生じる一例として、試用期間の延長規定を設けているか否かというケースを想定してみましょう。労働契約には、試用期間を3カ月間と設定したものの、試用期間中に本採用を判断するのに必要な材料が整わなかったときに、試用期間を延長したい場合があります。この際、就業規則に試用期間の延長に関する規定を設けていなかったときに、当事者の合意で延長することができるでしょうか。  会社の意識としては、試用期間は、労働者にセカンドチャンスを与える意図を持っていることも多いですし、労働者にとっては契約終了にならないというメリットを与えているともいえそうです。しかしながら、法的な評価としては、試用期間というのは「解約留保権付の労働契約」という性質と考えられており、通常の労働契約と比較したときには不安定な法的な地位にあるという評価になります。そうすると、延長の規定が定められていない場合には、不安定な地位を延長しないという就業規則の最低基準があると解釈されて、たとえ、当事者間では延長の合意をしたとしても、試用期間の延長は、就業規則の最低基準効に反して無効とされる可能性があります。  このように、最低基準というのは一概に常識的な理解と合致するとはかぎらず、法的な評価をともなう内容であるため、会社の意図した通りの効力が整理されているとはかぎらないことには注意が必要です。 3 就業規則の適用範囲について  就業規則は、正社員(期間の定めのない労働者)、契約社員(期間の定めがある労働者)、パートタイマー(短時間労働者)、嘱託社員(再雇用の契約社員)などに分けて作成されることがあります。  このとき、就業規則は、対象とした従業員ごとに定められた内容が適用されることになります。労働契約法第18条において、5年を超えて更新された期間の定めがある労働契約を締結してきたとき、無期転換権が与えられるようになったため、これを行使されたときには、期間の定めがある労働者から期間の定めがない労働者に替わることがあります。このとき、正社員の定義と無期転換権行使後の契約社員は、区別できなくなってしまいます。  このような事態にならないように、無期転換権行使後の契約社員に適用する就業規則は、契約社員用の就業規則を引き続き適用する旨を明確にしておく必要もあります。  定年後の嘱託社員に適用される就業規則が問題となった裁判例があります(東京地裁立川支部令和2年8月13日判決)。定年後の再雇用契約の際に、使用者から就業規則を再雇用対象となる労働者に交付していたところ、当該就業規則の定める給料や手当が、再雇用に関する個別の労働契約と比べて高額であったことから、就業規則に基づく給与の計算を求めて提訴されたという事案です。  裁判所は、使用者が自ら就業規則を交付しており、就業規則の内容は合理的であることから、定年後の再雇用労働者についても就業規則が定める給料や手当に関する規定が適用され、差額を支払う義務を使用者は負担すると判断しました。使用者としては、個別の労働契約で合意していることを根拠に反論しましたが、裁判所からは、仮に合意していたとしても、その内容は再雇用者の給料に関する定めに達しない労働条件であるから無効であると結論づけています。  おそらく、この事件の使用者も給料に関する規定までも再雇用した労働者に適用することは想定していなかったでしょう。給料以外の服務規律であるとか一般的に共通する事項を適用し、給料については合意に基づいた内容を支給することを意図していたのでしょう。就業規則の最低基準効を正確に理解しておかなければ、意図せずに会社にとって不利益な労働条件が成立してしまうことがあります。同じようなことにならないような対応としては、再雇用後の労働者には就業規則の給料に関する規定が適用されない旨を明記しておく必要があります。 Q2 正社員から業務委託に切り替わった場合の契約解除について知りたい  当社は65歳定年制ですが、60歳以上の正社員のうち、希望者は正社員から業務委託契約に切り替えています。先日、ある社員が1年契約の業務委託契約を希望したため、同契約に切り替えました。しかし、その直後、業績が悪化し、契約を解除せざるを得なくなりました。対象者から実質的な解雇ではないかと主張されたのですが、違法な解雇となるのでしょうか。 A  希望者を対象とした業務委託契約への切り替えにあたって、労働契約からの変更点を十分に理解したうえで判断させなければ、労働契約が継続し、解雇として扱われることがあります。また、業務委託契約への切り替え後の取扱いが労働契約と相違ないような状態であるときも、法的には労働契約と評価され、解雇として扱われることがあります。 1 業務委託契約への切り替えについて  65歳定年以前に、正社員の希望に即して、1年契約の業務委託契約に変更する制度を採用する場合でも、このときの手続きおよび労働者の意思決定時の説明などは、慎重に対応する必要があります。  正社員の地位から業務委託契約へ切り替えるにあたっては、労働契約の合意解除と業務委託契約の締結が行われることになります。このとき、労働契約の合意解除について、意思決定において勘違いや誤解がある場合(法的には「錯誤」という)には、労働契約の合意解除の効力が否定される可能性があります。  勘違いしていなければ合意解除(業務委託への切り替え)には至っていなかったといえるほど重要な内容で、合意解除にあたって双方の合意が前提とされていた場合には、合意解除の効力が否定されることがあり得ます。  労働契約から業務委託契約への切り替えにあたっては、例えば、税務上の観点からは給与所得から事業所得へ変更となることから、業務委託への切り替え後は自らの責任で確定申告を行う必要があります。また、社会保険および雇用保険等についても対象から外れ、労災時の補償も受けることができなくなります。さらに、労働者ではなくなることから、労働基準法による保護を受けることもなくなるため、有給休暇の制度などもなくなり、労働時間の上限規制などによる保護や会社にとっては割増賃金の支払義務もなくなります。  このように、労働契約の解除については、労働者にとって不利益な要素も多く、変化も大きい内容となります。本人の希望に沿って契約を切り替えているため、誤解が生じる可能性は高くないかもしれませんが、契約切り替えにともない生じる変更点を正確に理解しないまま、業務委託契約への切り替えを進めてしまった場合、重要な情報が提供されていないといったことから紛争になるかもしれません。労働契約の合意解除が無効と判断された場合には、その後に行う業績悪化にともなう契約解除についても、業務委託ではなく、労働契約の解雇として扱われることになります。その結果、労働契約法が定める解雇権濫用法理が適用されることになり、解雇事由の存在に加えて、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性がないかぎり、契約を終了することはできなくなってしまいます。  契約切り替え時の入り口部分の対応は非常に重要ですので、ていねいに実施する必要があります。 2 業務委託契約自体が雇用契約とみなされる可能性  双方の誤解なく業務委託契約に切り替えた場合においても、労働契約を締結していたときと比較して、働き方や契約の条件などが業務委託契約への切り替え前と相違ない場合には、たとえ、契約の名目が業務委託契約であるとしても、実質的には労働契約が継続しているものと評価される可能性があります。  業務委託契約への切り替えにあたっては、以下のような要素について、労働契約との相違を説明することができるか検討しておく必要があります(本誌2019年7月号、2021年5月号参照)。すべての点について相違がなければならないわけではありませんが、相違がない要素が少ない方が望ましいと はいえます。 @仕事や業務への指示に対する諾否(だくひ)の自由があるか A業務遂行上の指揮命令がないか B勤務場所や勤務時間の拘束の程度が強くないか、合理的であるか C契約において予定された業務以外に従事する必要がないか D労務提供に代替性があるか E報酬の算定方法が結果にともなう内容であるか F欠勤時に報酬が控除されるか G機械、器具、原材料などの負担をしているか H服務規律の遵守が求められていないか I専属性が強くないか  例えば、これから紹介する裁判例(東京地裁令和2年3月25日判決)は、右記の諸要素に則した判断に基づき、業務委託契約が実質的に労働契約と判断された事例です。  この裁判例における判断の具体的な内容は、以下の通りです。まず、諾否の自由がなく、会社からの指示のもと業務を行い、進捗の確認を受けるなどの指揮監督関係が認められ、タイムカードの打刻を求められるなど、ほかの社員と同様の拘束を受けていたなど、@〜Bまでの要素が考慮されました。次に、任された業務を自由に第三者へ代替させることが困難であったこと、月額報酬が成果に連動せず固定であり毎年源泉徴収票を発行して「給料」と呼称していたことなどから、DやEの要素や労働契約との類似性が加味されています。源泉徴収票の記載などはシステムに起因して表記が変更できないこともあり得ますが、手書きで修正して直すなどの工夫が必要でしょう。さらに、利用するパソコンなども会社が準備し、交通費の支給が行われており、ほかの会社からの依頼を受けることがなく専属性が否定できないことなど、GやIの要素も考慮した結果、実質的には労働者であると判断されました。  上記の@からIの要素が常にすべて考慮されるわけではなく、事案に応じて特徴的な要素をふまえて総合的な判断がされることになりますが、労働契約からの切り替えにあたって、従前の働き方から大きく変更することなく、指示命令を継続し、専属性が維持されるといった状態には注意しなければならず、支給する対価などについても給与とは異なる体系をとるなど、労働契約との相違が明確になるよう留意しておく必要があります。  仮に、業務委託契約への切り替えが希望者の意向通りであったとしても、労働契約としての要素が強い場合には、労働契約の解雇と同視されることになり、解雇権濫用法理により労働者が保護されることになる可能性があります。 第48回 定年後再雇用者の労働条件変更と自由な意思、メンタルヘルス不調者と配置転換 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 1年ごとに契約を更新している再雇用者の労働条件を変更する際の留意点について知りたい  定年後再雇用している労働者の労働条件について、更新の際に変更することを提案しました。該当者からは、労働条件の変更に応じた者もいましたが、一部の労働者が納得しなかったことから、再雇用の合意に至らなかったものとして、契約を終了することになりました。何か問題があるでしょうか。 A  条件変更にあたって、具体的な説明などを行っていない場合には、違法な雇止めになる可能性がありますので、説明などはていねいに行っておくべきです。説明の前提として、変更後の労働条件は早期に明示したうえで、説明に臨むことが適切でしょう。 1 定年後の再雇用について  定年後の再雇用制度については、高年齢者雇用安定法に基づき65歳までの継続雇用などが求められています。  ところで、再雇用を開始するときには、使用者からの労働条件の変更がまったく許容されていないわけではなく、合理的な裁量の範囲内で、定年前までの労働条件から変更した内容で提示することは可能と考えられています。ただし、職務の内容や範囲などが定年前と同一になっている場合には、同一労働同一賃金の問題が生じることがあることには注意が必要です。  今回、取り上げたいテーマは、再雇用の開始時点ではなく、「再雇用後に更新するときの労働条件の変更について」です。再雇用後の更新時にも、労働条件の変更を行うことは不可能ではありませんが、多くの企業においては、定年から再雇用への切り替えの際に条件を引き下げていることが多く、さらなる条件変更が許容されるのか問題となります。 2 裁判例の紹介  定年後の労働条件変更が争点になった裁判例を紹介します(東京地裁令和3年7月29日判決)。  事案の概要は、以下の通りです。課長を務めていた労働者が60歳で定年退職となりましたが、使用者では65歳までの継続雇用制度が用意されていました。当該労働者は、役職および賃金額の変更がない状態で、定年退職後の再雇用として1年間の有期雇用契約を締結した後、さらに1年間更新されました。しかしながら、更新後の契約期間中に、当該労働者の部署が廃止され、その影響で役職も解かれることとなり、部下を管理指導する業務や稟議書の決裁などの業務はなくなりました。  部署が廃止され、役職を解かれた影響をふまえて、3回目の更新に向けて使用者と当該労働者の間では協議が重ねられましたが、使用者からは、賃金を35%程度減額した内容で提示され、次回更新における判断基準なども詳細に定められた内容で締結予定の雇用契約書が提示されました。  当該労働者からは、賃金の減額理由や更新基準に関する具体的な考え方などの説明を求めるメールが送られたうえで、使用者との面談のなかでも不服が示されましたが、使用者との面談は計2回各30分程度におよび、役職が解かれていることにともない一般職と同程度の賃金水準となっていることなどを明確に説明し、面談後、労働者からは変更後の条件の雇用契約書に署名押印したうえで、提出されました。  なお、当該労働者は、次回の更新時に提示された雇用契約書を減額前の賃金額に訂正して提出し、使用者から訂正前の内容で再提出するよううながされていました。  裁判所としては、高年齢者雇用安定法における継続雇用制度の趣旨について、労働者との合意により労働条件を変更することを許容していないと解することはできないとしたうえで、65歳まで同一条件で雇用を継続することまで義務づけていると解することはできない、と判断し、労働条件の変更を許容しました。したがって、再雇用するタイミングのみではなく、再雇用後の更新時点においても、労働条件を維持しなければならないというわけではないと考えることができるでしょう。  さらに、当該労働者からは、賃金という重要な労働条件の不利益な変更であるとして、その変更は自由な意思によらなければ、定年後の再雇用において労働条件を変更することはできないと主張されていましたが、裁判所は、仮に、自由な意思によるものか問題になるとしても、労働条件の変更に至る面談などの経緯をふまえて、自由な意思に基づいてされたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在すると評価しています。  結論としては、労働条件の変更が有効と判断されていますが、その説明の過程については、参考になる点が多いと思われます。裁判例が重視した事情として、@労働条件の変更について、面談前や面談を通じて更新後の条件を明記した雇用契約書を示すなど明確にされていたこと、A@で示された労働条件を検討する時間が十分に確保されていたこと、B労働条件変更にあたっては、複数名の上長から2回の面談がそれぞれ30分程度行われ、賃金減額の理由などが説明されていたこと、などがあげられます。  本裁判例は、役職を解くこととあわせて行われる賃金の減額については比較的許容されやすいということ、労働条件を変更する場合には早期に提示しておき検討の時間を十分に確保することや口頭での説明や質疑応答の機会を確保することが重要であることを示していると考えられます。  なお、賃金などの重要な労働条件の変更にあたって、労働者の自由な意思によらなければ、たとえ書面により承諾の意思を示していたとしても、有効ではないという主張をされることが増えているように思われます。一般論として、労働条件変更にあたって、労働者の自由な意思によって承諾を得るよう努めることは重要と考えられます。ただし、法的な意味で自由な意思がなければ変更ができないとされる状況とは、基本的には、存続中の労働契約を有効期間の途中で条件変更する場合にあてはまるものであり、契約の更新時などに要求される水準(合理的な裁量の範囲の提示であれば許容される)とは若干異なるものと思われます。 Q2 メンタルヘルス不調者の職場復帰にあたり、配置転換を考えていますが、注意すべきことがあれば知りたい  メンタルヘルス不調をきたして、休職中の従業員がいます。復職のめどが立ってきたのですが、長期間の休職であったことから、休職前の職種には人員を補充ずみであり、元の職種に戻すことができません。また、医師の診断書によっても、当初は短時間勤務が望ましいとされるなど、一定の制限が必要になることからも元の職種に戻すことがむずかしくなっています。配置転換を行ったうえで、雇用を継続しようと思っているのですが、問題があるでしょうか。 A  復職時の主治医の意見をふまえることが重要であり、配置転換の必要性も高度に求められるため、慎重に検討する必要があります。また、十分な判断材料を得ることなく配置転換を命じると、安全配慮義務違反を問われて、損害賠償責任を負担することもあります。 1 配置転換に関する判断基準  使用者において、複数の事業場が存在したり、部署が複数存在する場合は、転勤や配置転換を命じる根拠として労働契約または就業規則があれば、労働者との労働契約において職種や職場の限定がなされていないかぎり、使用者は労働者に対して、配転命令を行うことができると考えられています。  しかしながら、使用者による配転命令について、最高裁判例により一定の制限がなされており、@業務上の必要性が存しない場合またはA業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるときもしくはB労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるときなどには、当該転勤命令は権利の濫用にあたる(最高裁判所昭和61年7月14日判決、東亜ペイント事件)と考えられています。  今回の質問からすれば、復職後の雇用を維持するためには、配置転換が必要であると考えられ、配転命令が退職意思をうながすためなどの隠れた動機・目的がないとすれば、労働者にとって、通常甘受すべき不利益といえるかどうかが問題となると考えられます。  この点については、かつては、使用者の裁量の余地は大きく、通常甘受すべき不利益を著しく超えると認められることは限定的でしたが、労働契約法第3条3項において、「労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする」と定めるなど、ワーク・ライフ・バランスの維持を意図した条文が定められており、労働者の地位を保護するために引用されることも増えているように思われます。 2 休職からの復職時の配転命令の留意点  配置転換が有効に行えるとしても、安全配慮義務の観点からその行使を控えるべき場合もあります。厚生労働省が、精神障害に関する労災認定の基準として公表している「心理的負荷による精神障害の認定基準について」では、配置転換が心理的負荷の要因となることが示されており、その心理的負荷の程度は「中」程度とされています。これは、単独では精神障害を発症させることにつながるほどではありませんが、複数の要因が重なったときには精神障害との関連性が肯定されることがあるというものです。また、「過去に経験した業務と全く異なる質の業務に従事することとなったため、配置転換後の業務に対応するのに多大な労力を費やした場合」は、「強」程度とされているため、このような場合には、単独で精神障害の発症との関連性が肯定されることもあり得ます。  さらに、同認定基準においては、「ストレス―脆弱性理論」という考え方が前提とされています。これは、環境などが与えるストレス要因と個体側の反応性、脆弱性の関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方です。着目しておく必要があるのは、個体側の要因を考慮するという点であり、個体側が脆弱(弱っている)状況にあるときは、精神的破綻が生じやすいということに留意して判断する必要があります。 3 裁判例の紹介  東京地裁平成27年7月15日判決は、精神疾患を発症して休職した労働者に対する復職直後の配置転換命令の有効性等が争点となった事案です。  配置転換命令の有効性については、東亜ペイント事件の基準を引用しつつも、「転勤は、職務内容・職場環境・通勤手段等に関する大きな環境変化を当然に伴うものであり、精神疾患を有する者にはこれらの環境変化がその病状の増悪を誘因するおそれがある」として、慎重な判断が必要であることを示しました。このことは、近年の法改正におけるワーク・ライフ・バランスを重視する傾向をふまえたうえで、ストレス―脆弱性理論とも整合性がある判断であると考えられます。  さらに同裁判例では、「精神疾患を有する者に対する転勤命令は、主治医等の専門医の意見を踏まえた上で、当該精神疾患を増悪させるおそれが低いといえる場合のほか、増悪させないために現部署から異動させるべき必要があるとか、環境変化による増悪のおそれを踏まえてもなお異動させるべき業務上の理由があるなど、健常者の異動と比較して高い必要性が求められ、また、労働者が受ける不利益の程度を評価するにあたっても上記のおそれや意見等を踏まえて一層慎重な配慮を要するものと解すべき」といった、具体的な判断方法を示しています。  ここで触れられている内容のうち、精神疾患を有する者に対しては、「高度の」必要性が必要となること、通常甘受すべき不利益か否かについても慎重な配慮を要するという点が特徴的といえます。  具体的な判断においては、@主治医の意見を会社が聴取しておらず症状との関係で転勤を要すべき状況にあったと認められないこと、A余剰人員となるような配置転換を行う必要性に疑問があること、B通勤時間が倍以上になること、などをふまえて配置転換命令を無効と判断しました。  特に、@主治医の意見を聴取することなく配置転換命令を行った点については、安全配慮義務に違反したものと評価されており、使用者には、当該労働者に対する損害賠償責任として慰謝料30万円の支払も命じられるに至っています。  休職から復職してきた労働者に対して、配置転換を検討するにあたっては、配置転換することが当該労働者にとってむしろ望ましいといえる状況であるか検討するべきであり、主治医の意見として配置転換が必要とされているか確認するほか、本人に生じる心理的負荷の軽重を判断するために、本人が配置転換を希望しているのかヒアリングすることが重要といえるでしょう。  また、この裁判例では、主治医からの診断書に対して、ほかの医師からの意見を得ることなく使用者は判断していました。主治医の意見と使用者の意見が相違している場合には、使用者の具体的な就業環境を把握していないことが原因であることも多いです。そこで、復職希望者に、産業医や使用者が指定する医師との面談をしてもらったうえで、使用者の就業場所や環境などをふまえた復職に関する医師の意見を提示してもらう方法も検討されるべきでしょう。主治医と産業医の意見が分かれることもありますが、使用者が医師の意見を尊重することなく判断する方がリスクは高いと考えるべきです。 第49回 複数の再雇用制度、能力不足による解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後の再雇用について、賃金水準などが異なる二つの再雇用制度を用意することは可能でしょうか  定年後の再雇用者について、一定の要件を基に賃金水準をある程度維持する再雇用制度と、その要件を充足しない労働者のために賃金水準や業務内容を変更したうえで雇用を維持する再雇用制度を用意しようと考えているのですが、可能でしょうか。 A  複数の再雇用制度を用意することは可能ですが、いずれかについては高年齢者雇用安定法の継続雇用制度の要件を充足する必要があります。いずれかが要件を充足しているかぎりは、賃金水準や業務内容に差異を設けることも許容されうるでしょう。ただし、大きな変更をともなう場合には労使間の協議を経て、継続雇用制度を構築することが重要です。 1 定年後の再雇用について  定年後の再雇用制度については、高年齢者雇用安定法に基づき65歳までの継続雇用などが求められています。  継続雇用制度として許容されるためには、解雇事由または退職事由に相当する事由がある場合を除き、原則として継続雇用を行うことが求められています。  ただし、再雇用契約においては、使用者からの労働条件の変更がまったく許容されていないわけではなく、合理的な裁量の範囲内で、定年前までの労働条件から変更した内容で提示することは可能です。  今回は、定年後の再雇用において、二種類の制度を置くことによって、再雇用後の働き方や労働条件を分けることが可能であるのかという点について、裁判例の紹介とともに検討したいと思います。 2 裁判例の紹介  定年後の再雇用制度として、二種類の制度を採用し、それぞれの再雇用基準を異なる内容としたうえで、労働条件にも差異を設けたものが、高年齢者雇用安定法が求める継続雇用制度として許容されるのか判断された裁判例を紹介します(東京高裁令和元年10月24日判決)。事案の概要は、以下の通りです。  バスの運営をしていた会社が、@継匠社員制度とA再雇用社員制度という二種類の制度を用意していました。@の制度は、バスの運転士としての業務を維持したうえで、賃金の減額についてAよりも程度が小さく、勤務日数などについても変更がないというもの。Aの制度は、車両の清掃業務に担当業務が変更となり、賃金は時間給に変更され、賞与の金額も10万円に固定されるというものです。  また、@の制度に基づき継匠社員として採用されるためには、解雇事由などに該当しないことや、直近5回の昇給および昇進評価においてC評価(全体の下位10%程度)に該当しなかったことなどが要件とされており、希望者全員が継匠社員になれるという制度ではありませんでした。一方、Aの制度については、解雇事由または退職事由に該当することが明らかである場合を除き、全員が再雇用社員として有期労働契約を締結するという制度になっていました。  ある労働者が60歳で定年退職となるにあたり、継匠社員としての採用を希望しましたが、過去の5回の昇給および昇進評価においてC評価が3回以上あったことを理由に、継匠社員としての雇用契約の締結が拒絶され、再雇用社員として採用されました。  そこで、当該労働者は、継匠社員制度が、高年齢者雇用安定法が定める継続雇用制度の要件を充足しておらず、過去の昇給および昇進評価に基づき定年後の再雇用が拒絶されることが違法となると主張して、訴訟を提起しました。  裁判所は、「継続雇用制度は、現に雇用している高年齢者のうち就業規則に定める解雇事由又は退職事由(年齢に係るものを除く。)に該当する者を除く希望者全員をその定年後も引き続いて雇用することを内容とするものでなければならないものと解されるが、継匠社員制度は、継匠社員制度選択要件が定められており、現に雇用している高年齢者のうち就業規則に定める解雇事由又は退職事由に該当する者を除く希望者全員をその定年後も引き続いて雇用することを内容とするものではなく、同項所定の継続雇用制度の内容に合致するものではない」と判断し、@継匠社員制度は、高年齢者雇用安定法の定める継続雇用制度ではないと判断しました。  一見すると、会社が高年齢者雇用安定法違反を問われるような不利な判断がなされたようにも見えますが、本件のポイントは、二種類の制度が用意されていたという点にあります。  続けて、裁判所は、A再雇用社員制度については、高年齢者雇用安定法が定める継続雇用制度にあたらないとはいえないと判断しており、これにより同法を遵守しているものと判断されています。  ただし、A再雇用社員制度が同法に定める継続雇用制度として認められたとしても、賃金の低下の程度や業務内容の大幅な変更がある点については、問題になる余地があります。これらの労働条件の変更についても、合理的な裁量として許容される範囲で提示される必要があり、裁量を逸脱すると違法と判断されることがあるからです。  この点については、この裁判例では、まず、C評価が全体の下位10%程度にすぎないことに加えて、乗務員の圧倒的多数を組合員とする労働組合との度重なる労使交渉を経て成立したものであることを重視して、賃金および業務内容の大幅な変更をともなう継続雇用制度を適法なものとして許容しています。  これまで紹介した裁判例においては、賃金や業務内容の大幅な変更をともなう場合には、実質的には「継続」した雇用ではなく、通常解雇と新規採用の複合行為というほかないと判断し、当該変更を提示することが違法とされたものがありますが(名古屋高裁平成28年9月28日判決)、今回紹介した事件のポイントは、労使交渉により、労使がともに高年齢者雇用安定法の趣旨をふまえ、二種類の定年後の再雇用制度を検討したうえで、継続雇用制度を構築したという点にあると考えられます。  高年齢者雇用制度においては、再雇用後に有期労働契約となると、正社員との同一労働同一賃金をふまえた制度設計が必要となりますが、定年後の再雇用制度を複数設けることによって、正社員と近い業務内容および賃金体系の再雇用労働者と、正社員とは異なる業務内容や賃金体系による再雇用労働者の区別を明確にすることは、同一労働同一賃金との関係においても、有意義な制度設計と考えることもできるように思われます。 Q2 勤務成績・勤務態度の悪い社員を解雇するうえでの留意点について知りたい  営業成績が芳しくなく、必要となる能力だけでなく業務に対する前向きな姿勢や向上意欲を欠く労働者がいます。会社としては、改善の機会を与えたうえで好転の見込みがなければ解雇したい意向です。改善の見込みがないと判断する基準などをどう考えればよいでしょうか。 A  一般的には、文書による指導によって改善対象を明確化し、改善見込みがないことを期間や頻度によって判断する必要があります。改善見込みがないと判断する基準について、一概にはいえませんが、厳格な注意や指導に加えて、同様の命令違反がくり返されることが必要となります。 1 解雇について  労働契約法第16条では、解雇に関して、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定められています。@客観的に合理的な理由およびA社会通念上の相当性を欠く場合に解雇を無効とするという考え方は、「解雇権濫用法理」と呼ばれ、長く日本の労働契約における解雇に関する制限として機能しています。  まず、@客観的に合理的な理由については、解雇の理由が、主観的ではないという意味があります。さらに、この要件については、解雇事由が将来にわたって継続するものと予測されること(将来予測の原則)および最終的な手段として行使されること(最終手段の原則)の二つの要素を考慮して判断すべきという整理がされています。改善の機会を与えることや好転の見込みなどを考慮するというのはこれらの要素を充足するための準備であり、将来予測の原則や最終手段の原則を充足するかどうかを検討しなければなりません。  次に、Aの社会通念上の相当性については、本人の反省の態度、過去の勤務態度、ほかの労働者との均衡、使用者側の対応の不備の有無などのほか、違反などの反復継続性も考慮されて判断されることになります。 2 将来予測の原則の例外について  即戦力が期待されるような管理職や高度専門職として採用された場合には、将来予測の原則から求められる改善の機会などの必要性について、新卒採用と比較すると、後退すると考えられています。  例えば、会社が特定の職種の経験があり即戦力となる人材として募集し、英語力に秀でた人材を中途採用することとして、経験が必要であることを明示して募集し、中途採用された人材もこれを理解していた事例においては、雇用時に予定された能力をまったく有さず、これを改善しようともしない場合は、解雇せざるを得ないと判断された例があります(東京地裁平成14年10月22日判決、ヒロセ電機事件)。しかしながら、中途採用時の年俸が高額かつ役職を与えられた状態であった場合であっても、募集時において経験不問との記載があり、オフ・ザ・ジョブトレーニングが完備されていることなどをふまえて、一定期間稼働して求められる能力や適格性を平均的に達することが求められているものというべきと判断された例もあり(東京地裁平成12年4月26日判決、プラウドフットジャパン事件・第一審)、管理職や高度専門職として認定されるためには、募集時の要望や採用前の説明内容なども重要とされていることには注意が必要です。  とはいえ、管理職や高度専門職となることはあくまでも例外であることから、一般的には、業務改善の機会を含む将来予測の原則を充足するか否かについては慎重な判断がなされているのが実情です。 3 改善の機会の与え方や期間について  「改善の見込みがないこと」が解雇を実施するにあたって、重要であることは間違いありませんが、その判断は非常に困難です。担当している業務の内容や任されている地位などにも左右されますし、会社の状況によってあくまでもケースバイケースで判断されてしまうため、一定の基準を示すことはむずかしいです。  とはいえ、何らの指標もないままでは、実務的にどのように判断すればよいのか具体的に検討することすらできません。そこで、過去の裁判例を参考に判断の方法を検討します。  能力不足や勤務態度不良を理由とした普通解雇が有効とされた事例として、東京地裁平成26年3月14日判決(富士ゼロックス事件)があります。  中途採用で採用された労働者が、無断で3回の半休を取得したこと、机での居眠り、無断残業、通勤費用の修正、週報の提出遅れ、社用の自転車の私的利用、私用のインターネット閲覧を逐一注意され、これ以上の違反が生じた場合に重大な判断がありうる旨記載した警告書を交付され、それに対して署名押印をした後、会社の命令でほかの支店に異動させてさらに改善を求めましたが、異動後も遅刻し、ビジネスマナーが守られず、メモを取らないうえ、ミスを多発していました。再度研修を実施しましたが、改善できず、再度の警告書を交付しました。  さらに、違反事由が多岐にわたるうえ、改善の具体的な見通しがつかないことから、会社は、指示事項を文書化し、その後、当該文書に違反した場合に逐一注意し、複数の指示事項違反が生じた後に、原因と対策を検討するようにレポート作成を命じて提出させていました。結局、レポートの内容は根本的な問題点に関する考察に不足があるものでしたが、解雇の対象者からは「これ以上は教えてもらわなければわからない」などと話がされたので、具体的な訂正指示をしましたが、簡潔なレポートが提出されるに留まったため、最終的に解雇に至り、この解雇は有効と判断されました。  ポイントをまとめると、@違反事由に該当する行為が記録化され、注意した旨が残されていたこと、A支店へ異動させて環境を変えて改善の機会を再度与えていること、B警告書や指示事項を文書化するなどの方法で、改善点の特定および明確化を複数回図っていること、C労働者の自己認識を把握するためにレポートを作成させていること、などがあげられます。また、これらの状況もふまえて、業務の成果に対する人事考課においても低い評価が継続されていたという点も無視することができません。  改善のための回数や期間なども無視できませんが、やはり、違反事項と注意の記録を残すことと、フィードバックを行うことにより注意に対する自己認識を明らかにすることが必要と考えられます。今回のケースでは、レポート作成をさせたことが、改善すべき課題を明確に認識させたことにつながっており、ほかの事例でも参考になるのではないでしょうか。 第50回 退職金制度の位置づけ、公益通報者保護法と懲戒解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 退職金制度を導入するうえでの留意事項について知りたい  退職金制度について、制度を設計するにあたって留意しておくべき事項や、中小企業退職金共済制度の利用にあたって注意すべき点を教えてください。 A  退職金の支給に関しては、労働契約または就業規則の規定次第で、退職金請求権が発生するのか、その金額をいかなる方法で決定するのかなどが大きく変わることになるため、条文の記載は慎重に検討する必要があります。また、中小企業退職金共済制度を利用するにあたっては、自社の規定と共済からの支給に矛盾が生じないように配慮することが重要です。 1 退職金の性質  日本の企業においては、退職金制度が採用されている企業が少なくありません。退職金については、定年をはじめとする退職後の老後の資金としての側面もあり、税務上も優遇されています。  退職金制度自体は、労働基準法などにおいて制度の採用が義務づけられているわけではないため、各社が就業規則、賃金規程または退職金規程などを設けて、支給額の計算方法などを定めるようになっています。  一般的には、退職時の基本給に対して支給率(月数)を乗じて計算する計算方法が採用されている場合が多く、支給率が勤続年数に応じて高くなる傾向にあります。また、自己都合退職であるか、会社都合退職であるかによってもその支給率が相違するように設計されていることも多く、自己都合よりも会社都合による退職の方が、支給率が高くなるように設計されていることが多いとされています。  また、最近では、主として上場企業において、従業員の退職時に株式報酬を支給するような制度も現れており、バリエーションは広がっています。  前述の通り、法律上の義務ではないため、退職金の性質は、各社ごとに相違することもありますが、一般的には、賃金の後払い的性格があること、功労報奨としての性格があるということを前提に、法的な性格が決定されることが多いといえます。 2 退職金請求権の発生  労働者が、退職慰労金請求権を取得するためには、各社において定められた規程に沿った要件を充足する必要があり、退職すれば当然に請求することができるとはかぎりません。  例えば、過去の裁判例のなかには、退職金の上乗せ部分が支給されなかった労働者が、当該退職金の上乗せ部分を請求した事件において、請求権の発生に関する判断をしたものがあります(東京地裁平成19年12月21日判決、「ルックジャパンほか事件」)。  まず、「(事業の縮小等による解雇)又は会社の解散によって解雇される者に対する退職金は、第2条で得た退職金の額と、当該金額に100分の100を限度とした割合を乗じて得た額の合計額とする」との条項の解釈について、『支給することができる』という文言と異なり、断定的な規定の仕方をしていること」を理由に、上乗せ部分の給付を受ける権利を有することを定めたものと判断しています。  一方で、「第4条の文言をみる限り、『限度として』という文言により、100分の0から100分の100までの範囲で、使用者が定めた割合の金額を加算するという趣旨と解するほかない。したがって、第4条が定めた権利の内容は、使用者が決定した割合の金額について権利を有するというものといわざるを得ない」として、使用者による支給決定がないかぎりは、具体的な金額が定まらず、請求権が生じないという結論に至っています。  条文の末尾の記載だけで、権利が発生するのか否かが左右されたことも注目すべき点ですが、使用者の裁量の余地を広く認めていることにも着目すべきであり、退職金支給に関する規定の文言をいかなる記載にしておくのかということがいかに重要であるかを示しているといえます。 3 社外積み立ての退職金  中小企業などでは、中小企業退職金共済制度(以下、「中退共」)などに加入しておき、毎月の掛け金を企業が負担することにより、従業員の退職時の退職金がその制度に基づき支給されるという場合もあります。  中退共を利用する場合の注意点としては、労働者に対する退職金の支給額は、あくまでも労使間の合意または就業規則により定まることになるため、中退共による支給予定額と矛盾が生じないように規程を整備しておく必要があります。仮に、退職金規程による支給すべき金額が、中退共により支給される金額よりも高い場合には、中退共から支給される金額に加えて不足額を使用者が負担しなければならないことになります。  それでは、逆に、中退共から支給される金額が、退職金規程に基づく支給額を上回る場合に、差額の取扱いはどうなるのでしょうか。過去の裁判例において、使用者がこの差額の返還を労働者に求めた事案があります(東京高裁平成17年5月26日判決「湘南精機事件」)。  この事案では、中退共から受領する退職金額のうち使用者の退職金規程により算出した退職金額を超える部分につき、労働者が使用者にこれを返還する旨の合意をしていました。この合意の内容が、改正前の中小企業退職金共済法の趣旨に反して、公序良俗に反するものと判断された結果、企業からの返還請求権は否定されています。類似の事件としては、中退共から支給された金額が使用者の定める退職金額を上回る部分について、不当利得に基づく返還請求をした事件もありますが、こちらでも、中小企業退職金共済法に基づき受給する権利が労働者にあること、使用者には損失がないことなどを理由に、返還請求は否定されています(東京簡裁平成19年5月25日判決)。  そのほか、中退共から受領する金額を退職金に充当することについても明確にしておかなければ、加算するのか控除するのかが不明確になることがあります。  したがって、中退共などを利用する場合においては、使用者が定める退職金規程については、中退共からの支給額と矛盾がないように定めておくこと、退職金の支給額が中退共からの支給額を上回る場合には、中退共からの支給額が退職金の支給総額から控除されることなどが明らかになるように定めておくことが重要と考えられます。 Q2 内部通報者の取扱いについて知りたい  会社の役員および責任者の取り扱った取引などについて、会社に対する背任に該当するといった通報を行ったことから、当該通報者については、企業秩序を乱した行為に該当する者として、懲戒解雇を検討していますが、問題あるでしょうか。 A  公益通報に該当する場合には、これにより不利益取扱いが禁止されているため、公益通報の該当性をまずは検討する必要があります。また、公益通報に直接該当しないとしても、解雇権濫用の判断にあたっては、公益通報者保護法の趣旨から効果が限定されることがあります。 1 公益通報者保護法について  公益通報者保護法が2020(令和2)年6月8日に改正され、今年の6月1日に施行されました。今回は、公益通報者保護法の概要をあらためて整理したうえで、公益通報にまつわる解雇に関する裁判例を紹介しようと思います。なお、詳細については、本連載第29回(2020年10月号※)でも紹介していますので、参考にしてください。  公益通報者保護法とは、簡単にいえば、社内における自浄作用を働かせて、コンプライアンス遵守の体制を整えることを目的とした法律です。自浄作用を働かせようとした内部通報者が解雇されるなどすれば、それをおそれてだれも内部通報をしなくなってしまいます。そのため、公益通報者保護法では、内部通報者を法的な不利益取扱いから保護することに主眼が置かれており、また、内部通報者が特定されてしまって、事実上の不利益取扱いを受けることも回避できるように、匿名性を確保することも重視されており、通報者の情報については秘密保持義務も重要とされています。  改正された法律では、従業員数が300人を超える企業に対して、公益通報を受け付ける窓口の設置を義務づけ、当該窓口にて従事する者を定めることが義務づけられました。また、当該窓口にて従事する者は、守秘義務を負担することが法律上明記され、罰則をもってこれが強制されています。体制が整理できていない企業においては、窓口設置とその周知や従事者が遵守すべき規程(守秘義務に関する内容を含むものが適切です)の整備などを進めておくべきでしょう。  公益通報に該当するのは、刑罰の定められた法令に関する違反として公益通報者保護法にて指定されている法令に限定されています。どのような内容でも公益通報として保護の対象になるわけではなく、内部の労働者間の純然たる個人的なトラブルなどまで対象となっているわけではありません。  また、公益通報の方法についても、内部通報(または会社が用意した外部通報)窓口が最優先とされており、行政機関への通報や報道機関などへの通報については、内部通報によっては、通報者が特定されて不利益を受けるおそれがある場合などに限定されていますので、どこに通報するかによっても保護されるかどうかが変わってきます。  適切な公益通報に該当するかぎりは、不利益取扱いが禁止されており、これに違反する解雇処分は、無効と考えられています。 2 裁判例の紹介  内部通報を行う場合には、公益通報者保護法が遵守されるべきではありますが、仮に公益通報に該当しないとしても、同法の趣旨から、解雇の効力が制限されることがあります。  通報者が、内部通報を行うことによって、通報対象となった事実に関連する当事者は、その社会的な評価が低下することなどによって、名誉棄損が生じるおそれがあります。名誉棄損に基づく損害賠償責任に関しては、その目的が公益目的であること(私利私欲のみを目的としていないこと)、当該通報した事実が真実であるか、真実であると信じるに足りる相当な理由があるときには、違法ではなくなり、賠償責任を負担しないという判断が、判例では確立されています。  公益通報に基づく懲戒解雇に関しても、これに類似するような判断が裁判例にもあります(東京地裁令和3年3月18日判決「神社本庁事件」)。  当該裁判例では、代表者や幹部職員による背任行為が通報対象事実とされていました。これについて、裁判所は、「労働者が、その労務提供先である使用者の代表者、使用者の幹部職員及び使用者の関係団体の代表者の共謀による背任行為という刑法に該当する犯罪行為の事実、つまり公益通報者保護法2条3項1号別表1号に該当する通報対象事実を、被告の理事及び関係者らに対し伝達する行為であるから、その懲戒事由該当性及び違法性の存否、程度を判断するに際しては、公益通報者保護法による公益通報者の保護規定の適用及びその趣旨を考慮する必要がある」として、公益通報者保護法の趣旨に則して、解雇の有効性を判断すると判断されました。  また、その具体的な判断基準としては、「@通報内容が真実であるか、又は真実と信じるに足りる相当な理由があり、A通報目的が、不正な利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく、B通報の手段方法が相当である場合には、当該行為が被告の信用を毀損し、組織の秩序を乱すものであったとしても、懲戒事由に該当せず又は該当しても違法性が阻却される」として、懲戒解雇が無効になる要素を示しています。さらに、「@〜Bの全てを満たさず懲戒事由に該当する場合であっても、@〜Bの成否を検討する際に考慮した事情に照らして、選択された懲戒処分が重すぎるというときは、労働契約法15条にいう客観的合理的な理由がなく、社会通念上相当性を欠くため、懲戒処分は無効となると解すべき」ともしており、懲戒解雇がその社会的信用の低下と比較して相当性を欠く場合にも、無効になると整理しています。したがって、単に公益通報である場合のみではなく、その相当性を欠く場合などにおいても、懲戒解雇が無効になることが示されているといえます。  この事件では、実際に背任行為があったとは認定されませんでしたが、真実と信じるに足りる相当な理由があり(@の要件を充足している)、また、通報目的が不正な利益を得る目的、他人に損害を与える目的、その他不正の目的であるとはいえないとされ(Aの要件を充足している)、内部の職員への通報では調査が期待できなかったことから理事らへ文書を交付したこともやむを得ない相当なものであった(Bの要件を充足している)とされた結果、懲戒すべき事由がないと判断されています。  公益通報者保護法の施行にともない、内部通報や外部通報に対する関心は高まっていくと思いますが、通報者を処分するケースは限定的であり、まったくの虚偽の通報であるのみならず、それを信じる理由もないことなども求められる点にも留意する必要があります。今後は、通報が行われたときに通報者を処分する方向ではなく、通報をコンプライアンス遵守に活かすような発想がいっそう求められることになるでしょう。 ※ 当機構ホームページでお読みいただけますhttps://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/series.html 第51回 定年退職後の契約更新と合理的期待、退職勧奨とパワーハラスメント 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1  定年退職後の嘱託社員の契約を更新しない場合、どんな問題がありますか  定年退職後も嘱託社員として雇用を継続している従業員がいるのですが、年齢が70歳に近くなり、業務の負担も大きくなってきている様子です。このたび、契約更新前の業務中に、交通事故を起こしたにもかかわらず、会社への報告がなかったという事態も発覚しています。これらの状況をふまえて、更新をせずに、退職してもらおうと思っているのですが、問題があるでしょうか。 A  定年退職後の契約更新についても、労働契約法第19条により雇止めに対する規制が適用されます。嘱託社員となっている労働者であっても、正社員と同視すべき事情があるか、もしくは、更新されることに対する合理的期待が生じている場合には、雇止めによる労働契約の終了が制限されることがあります。 1 定年後再雇用の法的な性質  改正高年齢者雇用安定法に基づき、使用者に70歳までの就業機会確保が努力義務とされたこともあり、多くの企業においては、定年後の労働者を嘱託社員として雇用するという形態が採用されています。  この嘱託社員という制度は、厳密には自社の就業規則次第でその内容は変わるものですが、一般的には、無期労働契約から有期労働契約に変更されるという制度として設計されています。  ところで、有期労働契約については、労働契約法第19条に基づき、雇止めの際には、一定の要件のもと保護されています。具体的には、@当該有期労働契約が過去に反復して更新されたことがあるものであって、その契約期間の満了時に当該有期労働契約を更新しないことにより当該有期労働契約を終了させることが、期間の定めのない労働契約を締結している労働者に解雇の意思表示をすることにより当該期間の定めのない労働契約を終了させることと社会通念上同視できると認められる場合や、A当該労働者において当該有期労働契約の契約期間の満了時に当該有期労働契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められる場合には、正社員に対する解雇と同程度の要件(客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上相当であること)を充足しなければ、労働契約は終了せずに、従前と同一の労働条件のまま継続することになります。  では、嘱託社員も有期雇用労働者であるとすれば、労働契約法第19条により保護されることになるのでしょうか。60歳定年後の嘱託社員であれば、60歳から1年毎に労働契約を更新することになり、65歳になるまで雇用が継続されるとすれば、5回程度の更新があることになり、反復継続する更新はありそうです。また、65歳になるまでの間は、継続雇用しなければならないという意識から、更新の手続なども形骸化してしまいがちかもしれません。 2 裁判例の紹介  定年後の再雇用者について、労働契約法第19条を適用すべきか否かが問題となった裁判例を紹介します。  事案の概要は、タクシー運転手として勤務し、67歳での定年退職後は1年間の有期の嘱託雇用契約を結んで稼働し始め、その後、一度労働契約を更新していた労働者が、自転車との接触事故を起こしたことを、会社にただちに報告していなかったことなどを理由に、雇止めによる労働契約の終了を行ったところ、労働者がこれを無効と主張して争った事案です(東京地裁令和2年5月22日判決)。  会社は、たとえ乗務員1人の事故であったとしても、会社全体において行政処分を受けるおそれがある行為であり、会社においては、事故の不申告事案を撲滅するための指導教育を行い、違反者には厳重な処分を行う必要があるといった点を主張しており、雇止めを行うことには客観的かつ合理的な理由と、社会通念上の相当性も充足していたことを強調しています。  裁判所の判断は、「タクシー運転手が定年である67歳に達した後も、嘱託雇用契約を締結して雇用を継続してきたこと、被告のタクシー運転手のうち、70歳以上の運転手は16パーセントに上ること、…(中略)、定年退職後の嘱託雇用契約についても契約書や同意書等の書面の作成がないまま、嘱託雇用契約を一度更新したことが認められ、これらの事実に照らすと、69歳に達した原告においても、体調や運転技術に問題が生じない限り、嘱託雇用契約が更新され、定年前と同様の勤務を行うタクシー運転手としての雇用が継続すると期待することについて、合理的な理由が認められるというべき」として、定年退職後の嘱託社員についても、労働契約法第19条の適用を認めています。  そして、雇止めの相当性について、「本件接触は、左後方の不確認という比較的単純なミスによるもので、接触した自転車の運転者は、ドライブレコーダーの記録から受け取れる限り、倒れた様子は見受けられず、接触後すぐに立ち去っていることから、本件接触及び本件不申告は、悪質性の高いものとまではいえない」ことや、「警察においても、本件接触や本件不申告を道交法違反と扱って点数加算していないことも踏まえれば、本件接触及び本件不申告は、警察からも重大なものとは把握されていないこと」などを評価したうえで、労働者自身が、自ら本件接触を報告し、本件接触を隠蔽しようとはしていないこと、接触の原因や不申告の重大さなどについて注意、指導を受けた内容を記憶し、反省している様子であることなどを総合的に考慮して、雇止めが重過ぎる処分であるとして、雇止めを無効と判断しました。  注目しておいてもらいたいのは、嘱託社員であったとしても、雇止めに対して労働契約法第19条による保護が適用されることがあるという点です。紹介した裁判例では、更新回数はまだ1回だけであったにもかかわらず、更新に対する合理的期待があったと判断されている点も特徴的です。  期待を生じさせた背景事情として、70歳以上の労働者が16%もいたことも特徴ですが、さまざまな会社で共通すると思われる事情としては、定年退職後の嘱託雇用契約について契約書の作成がなされていないことに着目しておいてもらいたいところです。  労働契約法第19条の適用の前提として、契約書の作成がなされていなかったり、作成されていたとしても形式的に作成したにすぎず内容に関する説明や更新にあたっての面談または説明などが行われていない場合には、有期労働契約が期間満了により当然に終了するとはいえないことが多いでしょう。そのことは、嘱託社員の場合であっても変わりはありませんので、定年後の有期雇用の取扱いについて、更新手続きや更新するにあたっての考慮要素などが形骸化していないか、いま一度確認しておくことも重要と思われます。 Q2 退職勧奨を行う際の注意点について教えてほしい  業務において不適切な言動を顧客に対して行うなど、業務態度が不良な従業員に対して、退職をうながしたいと考えています。退職勧奨を行う際の注意点を教えてください。また、退職勧奨とパワーハラスメントの関係についても教えてください。 A  退職勧奨については、労働者の自由な意思により決定させる必要があるため、それを阻害するような場合には、違法となり、賠償責任を負うことがあります。また、退職勧奨における理由を述べる際の発言によっては、パワーハラスメントとして違法となる場合もあります。 1 退職勧奨について  勤務成績が不良である場合や、懲戒事由の改善傾向が見受けられない場合などには、普通解雇や懲戒解雇といった一方的な処分を行う以外に、退職勧奨により、労使間の合意形成により退職という結論を目ざす方法があります。  法的にいえば、労働契約の合意解約に向けた協議ということができることから、退職勧奨を行うにあたっては、懲戒事由などの理由は必ずしも必要ではありません。とはいえ、退職勧奨を行うこと自体が、労使間のコミュニケーションによって行われることが当然の前提であることから、使用者から退職を打ち出すにあたっては、何らかの理由がなければ、納得してもらうことはできませんので、退職をうながす理由を準備されていることが通常でしょう。  ここでのポイントは、退職勧奨の開始には、理由の限定がないという点であり、その結果、使用者から、早期退職をうながすために退職金の上乗せなどの好条件と合わせて提示する場合もあれば、懲戒事由に相当するような理由をふまえて退職を迫るといった場面など、使用者がいかなる振る舞いをするかについても幅広いものがあるということです。 2 退職勧奨の限界について  退職勧奨自体が、労働契約の合意解約に向けた協議ということから、その理由は制限されていませんが、その方法が不適切な場合には、退職勧奨行為自体が違法と評価される場合があります。  最高裁昭和55年7月10日判決(下関商業高校事件)において是認された内容は、まず退職勧奨のための出社命令に関しては、「退職勧奨のために出頭を命ずるなどの職務命令を発することは許されないのであつて、仮にそのような職務命令がなされても、被用者においてこれに従う義務がない」とされており、これを拒絶したことをもって不利益な取扱いもできないといえます。また、「職務命令は、それがたとえ違法であつたとしても、被用者としてはこれを拒否することは事実上困難であり、特にこのような職務命令が繰り返しなされる時には、被用者に不当な圧迫を加えるおそれがあることを考慮すると、かかる職務命令を発すること自体、職務関係を利用した不当な退職勧奨として違法性を帯びるものと言うべき」とされています。ここでのポイントは、くり返しなされるときという限定がなされていることであり、退職勧奨を開始するための呼び出し自体が違法になるわけではありません。  ただし、「被勧奨者が退職しない旨言明した場合であつても、その後の勧奨がすべて違法となるものではない」としつつも、「特に被勧奨者が二義を許さぬ程にはつきりと退職する意思のないことを表明した場合には、新たな退職条件を呈示するなどの特段の事情でもない限り、一旦勧奨を中断して時期をあらためるべき」とされており、明確な拒絶の意思表示があった場合には、退職条件の再提示などをともなう内容とする必要があります。  なお、違法と評価するにあたっては、「勧奨の回数および期間についての限界は、退職を求める事情等の説明および優遇措置等の退職条件の交渉などの経過によつて千差万別であり、一概には言い難いけれども、要するに右の説明や交渉に通常必要な限度に留められるべき」とされており、回数や期間にも注意が必要です。  この判例の事案では、約2カ月の間に11回から13回程度かつ、長いときには2時間15分におよぶ退職勧奨が行われていたというものであり、多数回かつ長期にわたっていたことから、「あまりにも執拗になされた感はまぬがれず、許容される限界を越えているものというべき」と判断されています。 3 退職勧奨とパワーハラスメントについて  紹介した判例においては、退職勧奨において告げられるべき内容に関しても「被勧奨者の家庭の状況等私事にわたることが多く、被勧奨者の名誉感情を害することのないよう十分な配慮がなされるべきであり、被勧奨者に精神的苦痛を与えるなど自由な意思決定を妨げるような言動が許されないことは言うまでもない」ともされています。近年では、退職勧奨の場で行われる発言がパワーハラスメントとして違法と評価されるケースがあります。  退職勧奨の場において行われやすいパワーハラスメントの類型として、精神的攻撃および過小な要求(能力に見合わない業務しかさせないようにするなど)があります。宇都宮地裁令和2年10月21日判決では、退職勧奨中の発言や退職勧奨継続中の業務命令について、この2類型に該当するか問題となりました。  退職勧奨中に行った侮蔑的発言(「チンピラ」、「雑魚」など)について、人格非難に該当するパワーハラスメントであるかが争点となった部分については、乗客に「殺すぞ」などの暴言を吐き、そのまま乗客を威圧する態度を維持したことや不正乗車の有無を具体的に確認することなく顧客に疑いをかけたことなど、指導の必要性が高く、叱責などにおける発言に厳しいものがあったとしても、業務上の指導を超えたことにはならないと判断されています。懲戒に相当するような事由のなかでも指導の必要性が高いと判断されたことがこの判断の背景にはあるため、同様の発言が許容されるとは考えない方がよいでしょう。そのほか、本来の業務とは異なる文書作成のみを指示し、それ以外の業務を命令しなかったことは、過小な要求に該当すると判断され、違法なパワーハラスメントがあったと評価され、使用者は損害賠償責任を負担するものとされました。  この退職勧奨およびパワーハラスメントによる損害賠償責任は、60万円の支払いを命じられていますが、被害を受けた労働者に精神障害などが発症したか、その治療にどの程度の期間や費用を要するかによってもその総額は大きく左右されますので、金額の多寡ではなく、退職勧奨を実施するにあたって留意すべき点をふまえて、労使間の協議に臨むようにすべきでしょう。 第52回 執行役員の処遇、シフト削減と違法性 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年間近の執行役員に役職を降りてもらう際の留意点について知りたい  執行役員として処遇してきた従業員について、後任の育成を視野に入れるためにも、定年が近づいてきた執行役員に職を降りてもらうことを考えています。執行役員の地位にある間は、役員に近いような処遇で、労働条件としては、通常の労働者とは一線を画しているといえるような状況です。執行役員から降りてもらうとなると、処遇をかなり引き下げなければならなくなるのですが、どうすればよいでしょうか。 A  執行役員といえども労働者ではあるため、労働条件を引き下げるためには合意に基づき行うことが最適でしょう。しかしながら、執行役員の処遇が、規程などにおいて特殊に定められている状況が確保できているのであれば、執行役員の任務を解くことによって、条件を引き下げることができる場合があります。 1 執行役員の立場について  会社内においては、「取締役」といった会社法上の役員以外にも、「執行役員」として、従業員の地位を有しながらも役員に近い立場で執務する労働者がいます。  会社法においては、類似の役職として「執行役」という立場があります。こちらは、会社法において、指名委員会設置会社などに設置される役職であり、取締役に代わる立場であり、会社との契約関係は、労働契約ではなく委任契約に基づくことになります。  今回の相談において、検討しなければならないのは、従業員の立場である(労働契約を締結している)執行役員の処遇です。  基本的な考え方としては、たとえ、執行役員であり、処遇が通常の労働者とは異なるものであるとしても、あくまでも労働者であることは変わらず、労働基準法や労働契約法が適用されることには相違ありません。  そのため、従前の合意とは異なる内容を強制する形で、労働条件の不利益変更が行われる場合には、その変更が有効にはならず、労働者との合意に基づかなければならないということになります。 2 執行役員の労働条件の変更について  執行役員の地位については、管理監督者としての地位をあわせて有していることが多いほか、処遇についても一般的な労働者よりも厚遇されていることも多くあります。どちらかというと取締役などの役員と近い立場にある者として社内では扱われることもあります。  そのため、会社によっては、執行役員の処遇に関する規程を定めて、通常の労働者が適用される賃金規程とは異なる内容で整理されていることもあります。賃金規程において想定されている等級や賃金テーブルなどの範囲外で処遇することや賞与および退職金の考え方が異なる場合もあります。  このような執行役員が定年退職に至らなかった場合には、規程で定めた処遇から通常の労働者としての処遇に戻すことができるのかが問題になります。  ここで、執行役員に対する労働条件の変更が争点となった裁判例を紹介したいと思います。  事案の概要は、常務執行役員を務めていた労働者を、会社が、部長に降格をさせて、月額120万円の報酬から月給45万円程度まで減額したことの効力が争われた事案です(東京地裁令和2年8月28日判決)。  この会社では、元々部長職であった労働者を常務執行役員に任命し、報酬を43万円程度から高額の報酬へ変更して、最終的には月額120万円に及んでいました。執行役員制度については、執行役員規程を設けており、執行役員として1年間の任期をもって退任する旨定めたうえで、任期満了の都度、取締役会で議決して、再任していました。  執行役員規程のなかには、賃金に関して、「執行役員の報酬について給与規程に準じるものとし、役付執行役員の報酬については、職務の内容(遂行の困難さ、責任の重さ)並びに従業員給与の最高額及び取締役の報酬を勘案して、その都度決定する」と規定しており、通常の労働者の等級等とは異なる決定がなされていました。そして、当該執行役員規程についても、就業規則と同様に周知がされており、就業規則の一部として拘束力を有すると判断されています。  その結果、執行役員規程の位置づけとしては、「執行役員規程が執行役員の待遇について別途の規程を置いているのは、豊かな業務経験を有し、優れた経営感覚の下、高い識見をもって職務に当たることが期待されている被告の執行役員として選任された被告従業員に対し、その任期中、役付の有無に応じ、その責任等に応じた特別待遇をもって報いる趣旨のものと解せられる」として、「同規程は、執行役員から退任した従業員に対して退任後も同様の労働条件をもって保障することを含意する趣旨のものとは解せられず、あくまで執行役員在任中における特別待遇を保障する趣旨のものと解するのが相当」とされました。  その結果、執行役員としての任期を満了して再任されることなく退任した場合には、従来の職務に戻ることとなり、執行役員就任前の部長職となり、処遇もそれに則した条件となることが肯定されました。労働者からは、重要な労働条件の不利益変更に該当し、労働者の自由な意思がなければ有効に変更できないといった主張もなされていますが、執行役員規程が労働条件の内容となっており、退任時に処遇が就任前の条件に戻ることを含めて予期しておくべきと判断されており、退任時の処遇も含めた形で労働条件が形成されている点を重視しています。  執行役員については、この裁判例のように執行役員の処遇を規程として定めて、周知しておかなければ、退任時の処遇がどういった位置づけになるのか不明確になるおそれがあります。  また、今回紹介した裁判例の特徴として、@執行役員規程が周知されていたこと、A執行役員が任期制となっており退任する可能性が想定されていたこと、B執行役員の処遇の根拠が、職務の内容を考慮したものであることや、それにふさわしい人材がいかなる労働者であるのか(豊かな業務経験、優れた経営感覚、高い識見が期待される)ということが明記されていたこと、などがあげられます。  執行役員規程を設けていれば大丈夫というわけではなく、その内容も含めて自社が想定している効果を生じさせることができるか見直しておくことをおすすめします。 Q2 シフト制のパート社員の勤務日数を減らすことは法的に許されるのか  シフト制のパート社員がいるのですが、コロナ禍の影響もあり、シフトあたりの人数を減員しています。従前は、週5日の6時間勤務でシフトに入っていたパート社員もいるのですが、週3日程度に削減させようと思っています。労働条件通知書や契約書にはシフト制である旨のみ定めており、最低減のシフト日数などは定めていないのですが、問題ないでしょうか。 A  シフト制としての合意内容が明確かどうかによりますが、具体的なシフト日数や時間数が合意されていないのであれば、過去の実績よりも削減させることは可能と考えられます。ただし、極端な削減を行うことは違法となる場合があります。 1 パート社員とシフト制について  労働法においては、いわゆるパートタイム労働者(以下、パート社員)に関しては、「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」に定められています。パート社員や契約社員と正社員の同一労働同一賃金について定めているのもこの法律になります(同法第8条および第9条)。  この法律がいうところの、「短時間労働者」(パート社員)とは、「一週間の所定労働時間が同一の事業主に雇用される通常の労働者の一週間の所定労働時間に比し短い労働者」をいいますので、一般的には、正社員よりも時間が少しでも短ければ短時間労働者に該当します。  シフト制が採用されており、正社員よりも労働時間が短いパート社員のときは、シフト制が採用されている場合でも短時間労働者として同法の保護を受けることができます。  労働条件において、労働時間をシフト制とする旨定めること自体は、採用時に使用者と労働者の意向が合致するかぎりは有効です。労働者としては、一定の曜日や時間をあらかじめ約束はできなくとも、一週間のうちある程度の時間を労働に費やすことができる場合には、その時間を組み合わせて働くことができる一方で、使用者としても、シフト制の労働者を多数雇用して組み合わせることによって事業を運営することが可能となります。 2 シフト制と使用者の裁量の範囲  コロナ禍において、休業などにともない労働者を完全に休ませる場合についてはともかく、営業時間を限定的に行う場合などには、シフトの削減などをともなうことが多かったと思います。シフト制の労働者の人数に比して、業務量が減少してしまった場合には、使用者としては、労働者を減員するかシフトを減少させるか、いずれかを選択する必要に迫られる場合があります。このような場合に、シフトを削減することは可能なのでしょうか。  紹介する裁判例は、介護事業と放課後等デイサービス事業を営む会社において、シフト制で採用されていた労働者からの、「これまでの実績からすれば、週3日以上、1日の労働時間は8時間がシフト制の最低条件である」として、シフトが削減された部分に相当する賃金の支払い等の求めに対して会社側が債務不存在の訴えを起こした事案です(シルバーハート事件、東京地裁令和2年11月25日判決)。  労働者と締結している雇用契約書には、始業・終業時刻および休憩時間の欄に「始業時刻午前8時00分、終業時刻午後6時30分(休憩時間60分)の内8時間」との記載のほか、「シフトによる」旨の記載がありましたが、このシフトの内容については特段の記載はなく、労働者が履歴書において週3日を希望する旨記載があった程度でした。  シフトの決定方法は、「前月の中旬頃までに各従業員が各事業所の管理者に対し、翌月の希望休日を申告し、各事業所の管理者は希望休日を考慮して作成したシフト表の案を、前月下旬頃に開催されるシフト会議に持ち寄り、話し合いを行う。各事業所の人員が適正に配置されるよう、人手が足りない事業所には他の事業所から人員の融通を行う等の調整を行った上、シフトが正式に決定」されていました。また、事業の特性として、介護事業所のシフトには、管理者、相談員、介護職、運転担当、入浴担当、アクティビティ担当などの役割があり、少なくとも1人ずつ配置する必要がありました。  このようなシフトの決定方法としては、前月中に希望を募って、必要な役割の人員をシフトに割り振って、最終的なシフトを決定するというものであり、一般的なシフト決定方法といってもよいように思います。  裁判所としては、シフト制の内容に関する合意について、「雇用契約書には、手書きの『シフトによる』という記載があるのみであり、週3日であることを窺(うかが)わせる記載はないこと」、過去の出勤状況についても「1か月の出勤回数は9回〜16回であり、…勤務開始当初の2年間においても、必ずしも週3日のシフトが組まれていたとは認められないことからすると、固定された日数のシフトが組まれていたわけではなかった」としたうえ、「他の職員との兼ね合いから、被告の1か月の勤務日数を固定することは困難である」として、週3日、1日8時間という内容で合意されていたとは認めませんでした。  しかしながら、だからといって、急激なシフトの削減が許容されるかという点は別問題であり、「シフト制で勤務する労働者にとって、シフトの大幅な削減は収入の減少に直結するものであり、労働者の不利益が著しいことからすれば、合理的な理由なくシフトを大幅に削減した場合には、シフトの決定権限の濫用に当たり違法となり得る」としたうえで、「少なくとも勤務日数を1日(勤務時間8時間)とした同年9月及び一切のシフトから外した同年10月については、同年7月までの勤務日数から大幅に削減したことについて合理的理由がない限り、シフトの決定権限の濫用に当たり」、本件では、勤務日数を突然1日まで削減したとき以降のシフト削減が権利濫用に該当する違法なものであると判断されています。  結果として、不合理に削減されたといえる勤務時間に対応する賃金として、直近3カ月間の平均賃金について、民法第536条2項に基づき、賃金を請求し得るとされました。  本件のポイントは、シフト制では、シフトの削減自体は可能であること。ただし、その程度が極端である場合には違法な権限行使として賃金相当額の請求が肯定される場合があるという点です。シフトを減少せざるを得ない理由はどういった点にあるのか説明し、期間がどの程度になるのかなどもしっかりとコミュニケーションをとったうえで、権利の濫用とならないようにシフトの削減を実施することが望ましいでしょう。 第53回 定年後再雇用と同一労働同一賃金、通勤手当の変更 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 定年後再雇用の嘱託社員の賃金は、同一労働同一賃金の観点から、役職定年前の賃金も比較対象になるのでしょうか  当社では、定年を60歳、役職定年を55歳に設定しており、定年後は嘱託社員として65歳まで再雇用することにしています。役職定年にともない賃金が若干低下するのですが、定年後には嘱託社員として賃金がさらに下がる設計になっています。定年後の嘱託社員の処遇について、役職定年前の状況と比較して同一労働同一賃金の観点から問題は生じるのでしょうか。それとも、役職定年後から定年前の状況と比較することになるのでしょうか。 A  役職定年後の減額の程度が小さく、定年退職後の減額幅を緩和する措置と位置づけられており、定年退職までの賃金体系において年功的性格が確保されている場合には、定年退職後に年功的性格を払拭して賃金を減額することが許容される余地があります。なお、比較対象は定年退職前の状況とされますが、定年退職後の業務内容が類似する労働者との比較も考慮されて判断されることになります。 1 同一労働同一賃金について  「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(以下、「パートタイム・有期雇用労働法」)第8条は、「不合理な待遇の禁止」と題して、短時間・有期雇用労働者と通常の労働者との待遇について、不合理と認められる相違を設けてはならないと定めています。  まず、短時間・有期雇用労働者と比較される「通常の労働者」とは、だれでしょうか。パートタイム・有期雇用労働法第2条が定める定義によれば、契約社員との比較においては、正社員が該当するというのが典型例といえます。とはいえ、単に正社員というだけでは、その範囲が広くなりすぎ、比較も困難になってしまいます。この点について、比較対象とする「通常の労働者」の範囲については、自身の労働条件と比較しようとするパートタイム・有期雇用労働者(通常、訴訟において原告となる労働者)が選択することができると考えられています。例えば、正社員全体ではなく、自身と同じような業務に従事している正社員に限定して比較するといった方法がとられます。定年後再雇用においては、嘱託社員と同様の業務を行っている労働者と比較することが考えられますが、そのような労働者がいない場合には、定年退職前の自分自身(正社員であったときの自分自身)を比較対象とすることができるかが問題となります。  次に、不合理と認められる相違は、「業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち、当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して」判断されるものとされています。ここでは、@業務の内容および責任の程度、A職務の内容および配置変更の範囲、Bそのほかの事情、といった考慮要素が整理されており、これらの要素を考慮して、不合理か否か判断されることになります。 2 裁判例の紹介  東京地裁平成30年11月21日判決(日本ビューホテル事件)は、役職定年を経たのちに定年退職した嘱託社員の処遇について、同一労働同一賃金の観点から不合理な賃金格差となっていないかが問題となった事案です。  まず、比較対象とする通常の労働者について、「原告が措定する、有期契約労働者と無期契約労働者とを比較対照する」と判断して、原告となった労働者が比較対象となる労働者を選択できることを肯定し、原告が主張していた「定年退職前の原告自身」との比較を認めています。ただし、「他の正社員の業務内容や賃金額等は、その他の事情として、これらも含めて労働契約法第20条所定の考慮要素に係る諸事情を幅広く総合的に考慮」する※ことも認め、最終的には、職務内容が同程度の正社員の賃金との比較をBその他の事情として考慮する方法を採用しています。  次に、賃金制度に関して、「正社員に係る賃金制度を俯瞰すると、長期雇用を前提として年功的性格を含みながら、様々な役職に就くことを想定してこれに対応するよう設計されている…、役職定年後の年俸は…、上記の賃金制度の一部を構成するものとして同様の性格を有する」として、役職定年制度後の処遇も含めて、定年までの間は年功的性格をふまえた制度とされました。他方で、「定年退職後の再雇用に係る嘱託社員は、退職金の支払を受けて退職した後に新たに有期労働契約を締結して再雇用された者であり…、長期雇用を前提とせずかつ原則として役職に就くことも予定されていない。また、…嘱託職員の職務内容等は軽減され配転等の可能性も限定されていて、加齢による労働能力の低下等を見越して年齢に応じて賃金額が漸減するものの、業績等によってはその額が変更され得るという仕組み」とされ、年功的性格が払拭されていると判断されています。  本件では、定年前は年功的性格があり、定年後は年功的性格が払拭されているという要素は、賃金の差異に関する重要な要素として考慮されています。  さらに、この裁判例では定年退職時点の賃金と比較すると約54%まで減額されていました。ただし、定年後の再雇用者について、高年齢雇用継続基本給付金や老齢厚生年金の支給開始年齢に達することを賃金決定に考慮することを認め、給付金を考慮した賃金の差異が63%であることから不合理性を否定しています。  この裁判例における業務内容の相違については、役職定年前から役職定年の際にも業務内容が変更(責任も軽減)され、定年退職後の再雇用においては営業活動のみに従事する立場に変更されています。さらに、配転についても、定年退職後の再雇用後には実施が予定されていない立場に変更されており、@業務内容やA変更の範囲についても、定年前と定年後で相違がある状態でもありました。  そのほか、役職定年が採用されていることについては、賃金が減額されるということからすれば不利益な要素に見えますが、この裁判例では、役職定年後の減額は、定年後再雇用により賃金がさらに減額されることに向けた激変緩和措置として使用者に有利な要素として考慮されています。ただし、役職定年前後の差異については、86%程度に抑えられており、役職定年後の減額幅が小さく、軽減された業務内容や責任の相違と比較して高額に設定されていることも重視されています。  定年後再雇用であることから、年功的性格の賃金体系を採用している企業は、賃金の差異に対する説明はしやすいといえますが、それだけではなく、@業務内容やA変更の範囲についても、差異があれば説明をできるようにしておくことは重要と考えられます。 ※ 有期雇用労働者の不合理な待遇差の禁止を規定していた旧労働契約法第20条は、2018年7月に公布された働き方改革関連法により、パートタイム・有期雇用労働法第8条に統合されました Q2 在宅勤務導入にともなう通勤手当の減額について教えてほしい  当社には他県から長時間の通勤をしている従業員が多数います。業務の効率化とコロナ禍の対応として在宅勤務を進めているのですが、通勤手当の取扱いに苦慮しています。原則として、通勤手当は就業規則の定めにしたがって、実費を全額支給していますが、在宅勤務となったときには全額の支給が不要ではないか、出社時のみを実費支給すれば足りるのではないかという意見があります。通勤手当の支給額を一方的に減額することは許されるのでしょうか。 A  就業規則に基づき支給される通勤手当は、賃金となるため、就業規則を不利益に変更する場合は、高度の必要性と就業規則変更の合理性が認められなければなりません。ただし、就業規則の変更をともなうことなく、解釈の可能な範囲で実費支給とすることは、問題ないと考えられます。なお、在宅勤務中の通勤手当の変更については、対象者と協議して理解を得ることが望ましいでしょう。 1 通勤手当の法的性質  まずは、通勤手当の法的な性質に触れておきたいと思います。会社と労働者の労働契約においては、労働者が労務を提供し、使用者はこれに対する対価として賃金を支払うという関係が認められます。労働基準法第11条は、「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」と定めており、「賃金」に該当する場合には、労働者にとって重要な権利と位置づけられています。したがって、通勤手当が、「賃金」に該当するか否かによって、変更が許容されるか否かの結論も左右されることになります。  ところで、通勤手当と似ているものとして、出張旅費や業務にともなう外出時に支給される交通費などがあります。これらの出張旅費や交通費は、「業務費」として「賃金」から除外されると考えられています。これらの費用は、その性質上、業務遂行にともない必然的に発生するものであり、本来的に事業遂行を行う会社が負担するべき費用であることから、労働者による労働の対償であるべき賃金とはその性質を異にするというのがその理由です。  通勤手当については、使用者が労働者に必ず支払わなければならないという性質までは有しておらず、あくまでも会社が、労働契約または就業規則に基づき、労働者に対して支払うことを約束した場合に支払う義務が生じるものです。その意味では、結婚祝金や死亡弔慰金などと類似の性質を有しています。結婚祝金や死亡弔慰金は、「任意的恩恵的給付」などと呼ばれ、原則として「賃金」ではないと考えられています。しかしながら、これらの「任意的恩恵的給付」についても、労働協約、就業規則または労働契約などによって、支給条件が明確なものは、例外的に賃金であると考えられています(昭和22年9月13日発基一七)。  通勤手当も「任意的恩恵的給付」と類似しており、労働協約、就業規則または労働契約などによって支給条件が定められているかぎりは、「賃金」として扱われることになりますので、就業規則に基づき通勤手当が支給されている場合は、「賃金」に該当すると考えられます。 2 通勤手当の支給条件について  それでは、通勤手当について、その支給額を変更することは、法的にはどのように位置づけられるのでしょうか。労働者への影響としては、実費として通勤定期代を受領していたような場合には、労働条件が不利益に変更されるようにも見えます。  例えば、就業規則に基づき通勤手当を支給しており、就業規則の不利益な変更をする場合には、その変更の必要性や、変更内容の相当性、労働者への説明内容などに照らして、就業規則の変更が合理的なものでなければならないとも考えられます(労働契約法第10条)。  特に、賃金については、労働者にとって重要な権利とされており、不利益に変更することは、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合に、その変更の効力が生ずると考えられています(最高裁昭和63年2月16日判決・大曲市農業協同組合事件)。 3 就業規則の変更か実費の解釈か  就業規則に定められた通勤手当の支給額が、実費として定められている場合に、その実費として支給する額が変更されることは、労働条件の変更として、就業規則の不利益変更に該当するのでしょうか。  例えば、実費支給であるとしても、「通勤定期代3カ月分を実費として支給する」などの記載がされている場合には、「通勤定期代3カ月分」の支給が労働条件として約束されているといえるため、この部分の就業規則を変更する必要が生じるでしょう。  一方で、「通勤手当として、通勤に必要な費用を実費として支給する」といった記載であれば、この場合「必要な費用」がいくらであるかは解釈の余地があることになります。在宅勤務となったときには通勤に必要な費用が発生しなくなることから、通勤手当の支給をなくすことも可能と解釈できます。  そのため、企業ごとの就業規則(賃金規程)の記載によって、通勤手当の減額が可能であるか、就業規則の変更まで必要となるのか、結論が異なることになります。  なお、このように企業によって結論が相違するということは、従業員の知合いの企業は下げられなかったが、自社だけ下げられたといった不満が生じるおそれは否定できません。自社では通勤手当の減額が可能であるとしても、なぜ減額が可能であるのかについては、従業員にしっかりと説明をして理解をしてもらうことが望ましいでしょう。  なお、就業規則の変更を要する場合についての変更の合理性についてですが、通勤手当の場合は基本給や賞与、退職金などの減額と比較すると重大な影響といえるかという点には若干疑問もあります。通勤定期券を購入する必要がなくなったのであれば、支給の必要性は低下しているとはいえるでしょう。在宅勤務ではなくなったときには従前の通勤手当の支給条件に戻るようにしておき、在宅勤務中の通勤手当に不利益変更の範囲を限定すれば、労働者への十分な説明を経たうえで、変更が有効と認められる余地はあるのではないかと思われます。 第54回 定年後再雇用の雇止めと労働条件、固定残業代の要件 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 パフォーマンスの低調な定年後再雇用者との再雇用契約を打ち切ることはできるのか  定年退職後に再雇用している従業員の働きぶりが悪く、再雇用契約の更新の際に、労働条件を引き下げる提案を行い、これに応じてもらえない場合には契約を更新する意向がないことを伝えようと考えています。定年時にも労働条件はある程度引き下げましたが、その労働条件であることを加味しても、労働条件に見合うだけの働きをしていないと感じています。労働条件の引下げに応じないときに再雇用契約を更新しないことに問題はあるでしょうか。 A  定年時に労働条件を提示することとは異なり、労働契約法第 19条による保護が働くことになることに留意する必要があります。提示する労働条件が合理的な内容となっていない場合などには、従前と同様の条件で労働契約が延長されることになるため、提案内容やその説明を慎重に行う必要があります。 1 定年後再雇用と労働契約法第19条の適用関係  定年後に、期間を定めた労働契約として再雇用を締結する会社は多く、高年齢者雇用安定法に基づく高年齢者雇用確保措置として最も採用率が高い措置です。  定年後再雇用においては、1年ごとに契約を更新することや、定年時に定めた労働条件が維持されたまま65歳までの再雇用契約が締結されることが多いでしょう。  そもそも、定年後の再雇用において、労働契約法第18条が定める無期転換ルールについては、専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法第6条第1項に基づく第二種計画認定を申し出て、厚生労働大臣の認定を受けることで、その適用が除外されるなど、通常の有期雇用契約とは適用関係が若干相違する場合があります。そこで、労働契約法第19条が、有期労働契約について、@無期労働契約と社会通念上同視できる場合、またはA更新されるものと期待することについて合理的理由がある場合のいずれかに該当する場合には、解雇と同様に、客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上の相当性がないかぎり、契約を終了させることはできないと定めている内容が、定年後再雇用についても適用されるのか争われることがあります。もし、この規定が適用され、契約更新を拒絶できないとすれば、「従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の条件で当該申込みを承諾したものとみなす」と定められているため、労働条件の変更が叶わないということになります。  この点については、定年後再雇用者に関して、無期転換ルールの適用除外が可能であることは法律上明記されているところ、定年後再雇用の労働者について、労働契約法第19条が定める有期労働契約の更新等に対する規制を除外する旨の規定が存在しません。したがって、定年後再雇用の有期雇用労働者であっても、労働契約法第19条による保護を受けることができます。 2 裁判例の紹介  定年後に再雇用した後の労働条件の変更について、本連載の第48回(本誌2022年5月号)では、労働条件の変更が許容された裁判例を紹介しましたが、逆に、労働条件の変更を理由とする再雇用契約の拒絶が違法と判断された事例を紹介します。  広島高裁令和2年12月25日判決(Y社事件。原審は山口地裁宇部支部令和2年4月3日判決)は、定年退職を経た後に再雇用契約を締結していた労働者の労働条件の引下げとそれを拒絶した労働者への対応が問題となった事案です。  この事案の使用者は、定年後再雇用した労働者に対しては、高年齢者雇用安定法のみが適用され、労働契約法第19条は適用されないと主張しましたが、「被控訴人の定年退職後の再雇用自体ではなく、被控訴人の定年退職に伴って締結された有期労働契約である本件継続雇用契約の更新の有無及びその内容が問題となっている事案であるから、同条の適用ないし準用のある事案であることは明らか」と判断されました。要するに、定年直後に行う再雇用に関しては高年齢者雇用安定法が適用される場面となるが、その後の再雇用の更新については労働契約法第19条が適用されると判断しています。  次に、労働契約更新の期待に関して地裁の判断を維持して、「被告嘱託規定3条は、第2条に定める期間を過ぎた後も定期健康診断の結果が良好であることなどの6つの条件を備えた者については例外なく満65歳の誕生日の属する賃金締切日(属する月の賃金締切日という趣旨であると解される。)まで再雇用することが定められて」いたこと、6つの条件を満たしていたことを理由として、「原告は、平成29年3月1日以降も被告において再雇用されると期待することについて合理的理由がある」と判断し、労働契約法第19条が適用される基礎があると判断されました。そのため、雇止めの理由が客観的かつ合理的なものであり、社会通念上相当と認められなければ、従前と同一の労働条件を維持して、雇用を継続しなければならないことになります。  次に、雇止めに関する客観的かつ合理的な理由の有無および社会通念上の相当性については、使用者が、3種類の労働条件を提案(うち2つは就業日数の減少にともなう賃金減額が生じるものであり、もう1つは賃金額を維持して就労場所を変更する内容)しており、そのいずれについても拒絶されたことを合理的な理由として主張していたところ「そもそも、本件継続雇用契約の時点で原告の定年退職時の給与の6割程度の給与としているところ、本件提案は、本件継続雇用契約の更新時に上記給与の額を更に減額したり、就労場所に係る労働条件の不利益変更を伴ったりする内容のものであり、被控訴人が上記内容に合意しないことをもって上記更新を拒絶することを正当化し得るものではない」と評価され、「被控訴人がこれを拒絶することには相応の理由があり、控訴人にとっても被控訴人による拒絶を十分想定し得るものであることも併せ考慮すると、本件提案を被控訴人が受け入れなかったことをもって、控訴人による本件継続雇用の更新拒絶について客観的に合理的な理由があるとはいえない」と判断されました。  結論としては、定年後再雇用時に定めた労働条件と同一の内容で再雇用契約が成立したものとみなされて、雇止めを実施したときから判決時点までの賃金(バックペイ)とそれに対する遅延損害金の支払が命じられました。従前紹介した事案との相違点は、労働条件の変更が個別の労働者個人の問題であったか定年後再雇用者全体の問題であったか(この違いが個別の労働者にとっての従前と同一の労働条件による更新の期待に相違を生じさせた)、労働条件の変更理由に対して合理的な理由がありそのことをていねいに説明していたかという点があげられます。  60歳以降の再雇用契約の更新については、65歳までの継続雇用が義務であることと相まって、更新に対する期待可能性が肯定されやすく、労働条件の変更についても、同一労働条件が維持されることを前提に不利益な変更に対する自由な意思による同意の獲得を目ざした対応が求められるという点に留意する必要があります。 Q2 固定残業代が有効となる場合、有効とならない場合について教えてほしい  営業職を募集する際に、求人サイトには固定残業代として36時間分の外勤手当を支給する旨を明示して、採用しました。採用後も、外勤手当が固定残業代であることは定期面談の際に説明をしています。  採用後に固定残業代を超えて働くことがほとんどなかったので、残業代を支給してこなかったのですが、退職後に、固定残業代は有効ではないと主張して、在籍中の割増賃金を請求されてしまいました。  請求に応じて全額を支払わなければならないのでしょうか。 A  固定残業代が有効と判断されるか否かは、就業規則や雇用契約の規定が重要ですが、規定がない場合であっても、明確に区分することができていれば、固定残業代として有効と判断される可能性があります。ただし、36時間という時間外労働と大きな乖離がある場合には有効と判断されないおそれがあります。 1 固定残業代の法的性質  固定残業代については、正確な理解がなされていないことが多く、これが無効となってしまったときのリスクも正しく認識されていないように感じています。  よくある間違いとしては、固定残業代は、どれだけ時間外労働、休日労働、深夜労働をしたとしても、「固定額以上の金額を支払わなくてよい」と理解している例です。固定額で働かせ放題になるという賃金体系を労働基準法は許容していません。また、固定残業代が無効とされた場合には、@過去の割増賃金の既払い分への充当が否定される、A割増賃金の基礎となる賃金に固定残業代相当額が付加される、B付加金の支払を命じられる可能性がある、といったリスクがあります。  判例上、一定の要件を基にかろうじて許容されているのが固定残業代です。前払いしている割増賃金が労働基準法が定める割増賃金の最低基準額を超えているかぎりで労働基準法に違反するものではないとされています。したがって、固定額で時間外労働などをさせ続けることができるわけではなく、固定額が時間外労働などで支払うべき割増賃金を超えないかぎりで許容されるにすぎず、超過した場合には、超過部分を支払う義務は消滅しないということになります。 2 固定残業代の有効要件  固定残業代の有効要件について、最高裁平成30年7月19日判決(日本ケミカル事件)は、「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべき」という判断基準を示しました。この判断基準を示すにあたって、原審が示した割増賃金の金額を正確に把握し続ける仕組みや基本給と定額残業代の金額のバランスの適切さなどは必須ではないとも明言されています。  固定残業代の有効要件として、@基本給と残業代が明確に区分されていること(明確区分性)、A固定の手当が実質的に時間外労働の対価の趣旨で支払われていること(対価性)、B固定残業代を超える割増賃金について差額を支払う旨の合意(清算合意)が必要、という考え方があります。  これらのうち、@については、基本給と残業代が明確に区分されていなければ、どの範囲が割増賃金の前払いであるものか否か不明となるため、必須の要件として理解されています。次に、Aについては、たしかに最高裁判例が「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否か」という表現がなされていることから、対価性という要件が必要と考えられることがありますが、この内容は明確区分性の要件と重なる部分が大きく、明らかに対価性を欠く場合(割増賃金としての性質以外の対価が含まれた曖昧な手当である場合)には問題となり得るものの、そのような場合以外には要件としては機能しづらいと考えられます。最後にBの清算合意については、過去の判例(平成24年3月8日判決〈テックジャパン事件〉)の補足意見で、固定残業代では割増賃金に対する支払いが不足する場合における清算の実施を重視していたことを受けたものですが、その後の最高裁判例をみても清算合意が必須とはされていません。 3 裁判例の紹介について  このような状況のなか、就業規則や雇用契約において、「外勤手当」を固定残業代として取り扱っていたことが、固定残業代として有効であるか判断した裁判例があります(大阪地裁堺支部令和3年12月27日判決〈株式会社浜田事件〉)。  この裁判例において労働者側からは、上記の@からBが固定残業代の有効要件であると主張されましたが、裁判所は@のみが必須の要件であることを前提として、日本ケミカル事件が示した判断基準を基に固定残業代の有効性を判断しました。  その際に、求人募集において時間数(36時間分)および残業時間が36時間よりも少なくても減額することはない旨が明示されていたこと、入社面接時に説明し、入社後も年2回の定期的な面接の際において「外勤手当」は36時間分の時間外労働の割増賃金を含んでいることについてモニターに資料を示しながら説明していたこと、給与明細において外勤手当をほかの手当と区分して支給していたことなどを総合的に考慮し、就業規則の規定や雇用契約書の規定がなくとも、固定残業代が有効であると判断しました。  また、固定残業時間を超えていた月が若干あったところ、超過していた時間数に相当する割増賃金およびそれに対する付加金についてのみ支払いが命じられました。なお、固定残業時間との乖離が激しい場合には、固定残業代の有効性が否定される場合があり得ることも日本ケミカル事件では触れられているため、乖離しないように留意するか、必ず超過部分の支払いを実施するなどの対応は必要でしょう。  このように明確区分性のみに依拠(いきょ)して判断をしている事例はほかにもあり(大阪地裁令和3年1月12日判決)、近年の裁判例における一つの傾向ともいえそうです。 第55回 自動車通勤の年齢制限、飲食方法に起因した懲戒処分の可否 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 自動車通勤に年齢制限を設けることはできるのでしょうか  当社では通勤の負担を減らすため、在宅勤務もしくは自動車による通勤を認めています。「自宅のネットワーク環境が在宅勤務に適さない」という理由で、65歳のある社員から自動車通勤の申出がありました。自動車通勤に一定年齢の制限を設けることはできるのでしょうか。高齢者を含む自動車通勤を許可するために必要な管理があれば、教えてください。 A  年齢により一律に通勤方法を制限することは、不合理な労働条件の変更または差別的取扱いとして許されません。個別の状況をふまえて、就労継続が可能な環境を整えることを前提に、自動車通勤による危険性と比較考量したうえで個別に許可しない方法をとることは可能と考えられます。 1 自動車通勤の制限  通勤は、労働者による労務提供の前提となる義務であり、その方法は原則として自由です。ただし、通勤手段を就業規則において定めておく場合、その内容が合理的な内容であれば、労働契約の内容となり、労働者にはそれにしたがって通勤する義務が生じます。例えば、公共交通機関を用いるように規定している場合には、それにしたがう義務があると考えられます。  今回のケースでは、ネットワーク環境が在宅勤務に適さないことを理由に、65歳の社員が自動車通勤を希望したとのことです。就業規則において、自動車通勤を認めており、これを許可するための条件について特段の制限を設けていなければ、これを許容しないということは許されないと考えられます。  ネットワーク環境が適さない状態にあるということは、会社は在宅勤務用に自宅のネットワーク環境を整備しておらず、社員が自宅に用意しているネットワーク環境を利用させていると思われます。ネットワーク環境の改善を求めることは、私的な契約関係や費用を当該社員に負担させることにつながります。たとえ、労働契約関係があるといえども、このような私的な契約関係まで変更することを求めることはできないでしょう。ネットワーク環境が不適切なままであれば、作業効率が低下し、Web会議などへの参加も困難またはスムーズなやり取りができないなどの支障が生じ、そのことが自身の人事評価に直結するおそれもある以上、ネットワーク環境が整わないまま、自動車通勤ではなく、在宅勤務を行うように命じることもできないと考えられます。  したがって、就業規則において自動車通勤を認めながら特段の制限も行っていないときは、当該社員のみ自動車通勤を拒み、労務提供の方法を在宅勤務に制限することはできないと考えられます。 2 高齢者などの自動車通勤の一律制限  一定の年齢を基準として、自動車通勤を行わせることを一律に制限することは可能でしょうか。  高齢ドライバーによる交通事故が報道される機会もあり、運転免許証の返納などの話題も広く知られるようになってきました。事故の程度が大きければ、在籍している会社も報道の対象となる可能性があります。運転免許証の返納制度を利用しているのがほとんど高齢者であることからもわかるように、加齢とともに動体視力や判断力が低下することにより、自動車事故の発生確率が上昇する関係にある以上、年齢による制限の必要性自体は肯定できそうです。  しかしながら、このことによって受ける不利益の程度が大きければ、就業規則において自動車通勤の年齢制限を設ける変更は、就業規則の不利益変更として無効になる可能性があります。  高齢者に一律の自動車通勤制限を設けることは、労働者にどのような不利益を生じさせることになるでしょうか。  例えば、公共交通機関による通勤が困難な場所に会社が所在している場合は、事実上、在宅勤務以外に選択肢がなくなるおそれがあります。在宅勤務に適した環境ではない高齢者にとっては、労務提供自体が困難になる可能性があります。  また、自動車運転の能力が一定年齢で一律に喪失すると考えられているわけではありません。免許の返納制度を見ても、人それぞれのタイミングで返納を自主的に判断するものとされ、一定年齢に到達した際の義務とはされていません。  そのため、一定の年齢のみを基準として、一律に自動車通勤を禁止することは、その不利益の程度が大きく、就業規則の変更に合理性が肯定されず、そのような変更は無効になる可能性が高いと考えます。 3 高齢者による自動車通勤に対する安全管理  高齢者による自動車事故のおそれを根拠とした自動車通勤の制限の必要性自体は肯定できるものの、年齢による一律の制限は不利益の程度が大きいと考えられます。高齢者による自動車通勤のリスクもふまえた安全管理については、許可の条件を工夫する必要があると考えられます。  抽象的な高齢者による自動車事故の危険性を根拠とする一律の年齢制限ではなく、具体的な自動車事故の危険性まで把握したうえで、個別に自動車通勤を制限することは可能と考えられます。  例えば、年齢ではなく、持病の治療などのために服用している薬とその副作用の内容などを把握して、副作用による危険運転のリスクがないことを許可の要件とする方法があります。また、高齢者となってから交通事故を起こしている場合や、視力や動体視力などの運転のために必要な基礎的な能力をテストしたうえで一定の基準に満たない場合など、自動車事故の危険性を具体的に根拠づける事情に基づいて許可要件を定めるといった方法も考えられます。これらの事情に該当する労働者(高齢者にかぎらず、雇用形態の相違も問うべきではありません)については、個別に自動車通勤の許可を出さないという制限を行うことは、年齢による一律の制限ではなく、具体的な危険性を基にしたものとして有効となる可能性があると考えられます。  ただし、自動車事故歴や薬の服用歴は、個人情報(薬の服用歴は要配慮個人情報)に該当するため、社員に対して業務上の必要性を説明して、利用目的を通知したうえで(薬の服用歴は本人の同意を得て)取得して、利用することが適切です。 Q2 飲食でデスク周りを汚してしまう社員に困っています  当社では社内での飲食を特に禁止していないのですが、ある社員の食べ方が汚く、ゴミや食べかすが常にデスク周りに散乱してしまっています。  当該社員に対してのみ、業務命令として飲食を禁止することは可能でしょうか。また、命令に従わない場合の懲戒処分は可能でしょうか。 A  当該社員の飲食により執務環境が害されることを根拠として、企業秩序の維持および施設管理権の行使として、業務命令および当該命令に違反に対する懲戒処分を行うことは可能と考えられます。  また、当該社員のみを対象とすることについては、ほかの社員との公平性の観点から問題となりえますが、デスク周りの汚損の状況をふまえたうえで、汚損などの状況が顕著であれば、企業秩序の維持および施設管理の観点から合理性があると認められ、懲戒権の濫用とはならないと考えられます。 1 業務命令および懲戒権の根拠について  業務命令および懲戒権を実行するためには、労働契約および就業規則に根拠を求めることが一般的です。しかしながら、「社内における飲食を禁止する」といった個別具体的な禁止規定を服務規律に定めていない場合も多いのではないでしょうか。  それでは、個別具体的な禁止規定がなければ、業務命令や懲戒権の行使はまったくできないのでしょうか。例えば、厚生労働省のモデル就業規則には「その他労働者としてふさわしくない行為をしないこと」などの抽象的な服務規律規定が定められていますが、このような規定を根拠として、今回のような行為を業務命令や懲戒権行使の対象とすることはできないのでしょうか。  これまでの最高裁判例においても、服務規律や企業秩序の維持、会社に帰属する施設管理の権限が懲戒権の根拠となることを複数の事件で肯定しています。  例えば、「労働者は、労働契約を締結して企業に雇用されることによって、企業に対し、労務提供義務を負うとともに、これに付随して企業秩序遵守義務その他の義務を負う」と判示し、労働契約の付随義務としての企業秩序遵守義務を肯定している事件(最高裁昭和52年12月13日判決。富士重工業事件)や、企業の施設管理に関して「職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、その物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的な規則をもって定め、又は具体的に指示、命令すること」ができ、これに違反する者がある場合には制裁として懲戒処分を行うことができる旨を判示している事件(最高裁昭和54年10月30日判決。国鉄札幌運転区事件)もあります。  したがって、これらの判例における判断を前提にすると、労働契約や就業規則に個別具体的に明記された規定がない場合であっても、企業秩序の維持や企業の施設管理に必要な範囲において、業務命令や当該命令への違反に対する懲戒権の行使が可能であると考えられます。  なお、これらの判例について、個別具体的な根拠なく業務命令や懲戒権行使の対象とされることから労働者の予測可能性を失わせ、労働者の行動を萎縮させることになるとして、批判的な見解もあります。  しかしながら、あらゆる状況を個別具体的に想定して規定しておくことが現実的には困難であることからすれば、就業規則において、少なくとも「その他労働者としてふさわしくない行為をしないこと」といった抽象的であるとはいえ、企業秩序の維持が労働者の義務として設定されているのであれば、業務命令や懲戒処分の対象とすることは可能と考えられます。 2 業務命令や懲戒権の限界について  企業秩序の維持や施設管理を根拠として、業務命令および懲戒処分が可能であるとしても、どのような場合においても業務命令および懲戒処分ができることにはなりません。  まず、業務命令について、企業秩序の維持との関連性や施設管理の必要性がなければならないと考えられます。次に、懲戒処分に関しては、労働契約法15条において、「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする」と定めています。したがって、懲戒権を行使する場合においては、「客観的に合理的な理由および社会通念上の相当性」が備わっていなければならず、特に社会通念上の相当性との関係から、ほかの労働者との公平性が確保されていなければならないと考えられています。  当該社員のみを対象とすることは、公平性の確保の観点から問題になります。そのほか、懲戒手続に至るまでに本人の弁明の機会を与えるべきといった手続的な相当性や懲戒処分により生じる不利益の程度と違反事由の重大性のバランスなどが考慮されて、懲戒処分の有効性が判断されることになります。 3 対処方法について  一般的に社内における飲食を禁止しているわけではない状況で、当該社員のみを業務命令の対象としたうえで、是正されない場合に懲戒処分ができるでしょうか。  重要であるのは、企業秩序維持および施設管理との関連性およびその具体的な必要性が肯定できるか、また、客観的な根拠をもってこれらを証明することが可能であるかといった点にあります。  社内における飲食を禁止していないのであれば、これが当然に企業秩序維持に支障をきたすとは考えられません。ただし、社内で飲食したことによって当該飲食を原因として施設や設備で汚損が生じ、通常以上に清掃する時間を要した、汚損によってほかの労働者の業務に支障が生じたといった事情があれば、企業秩序維持および施設管理との関連性および業務命令の必要性が認められそうです。  また、施設や設備が汚損していたときは、懲戒処分の根拠とするのであれば、数日分の状況を写真撮影しておき客観的に証拠を確保しておくべきでしょう。その程度がほかの従業員との相違が明白であることも示すことが適切です。  このような状況が客観的に確認できれば、業務命令により是正する必要性が肯定されると考えられますので、業務命令を行ったうえで、当該命令違反に対する懲戒処分も有効に行うことが可能であると考えられます。  ただし、懲戒処分の種類については、違反による損害が甚大であるとまではいえないかぎりは、戒告などの軽微な懲戒処分にとどめる必要があると考えられます。 第56回 定年後の継続雇用の拒否、休日の移動をともなう出張と労働時間 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 勤務態度などを理由に、定年退職後の継続雇用をしない場合の留意点について知りたい  退職を迎えようとしている従業員について、横暴な態度が見えるなど周囲の従業員にも悪影響が出ています。定年退職後に継続雇用しないことも視野に入れているのですが、継続雇用をしない場合、どのような点に留意すべきでしょうか。 A  定年後の継続雇用においては、解雇に相当する事由または退職事由に該当する事情がなければ、原則として、雇止めをすることはできません。改善の機会がないことが客観的に裏づけられるような指導などを経ておかなければ、雇止めは有効にはなりがたいといえます。 1 定年後の再雇用における地位  高年齢者については、高年齢者雇用安定法により65歳までの雇用確保措置が義務づけられており@定年の延長、A継続雇用制度、B定年の廃止のいずれかの措置を取る必要があります。  これらのうち、継続雇用制度に関しては、心身の故障のため業務に堪えられないと認められること、勤務状況が著しく不良で引き続き従業員としての職責を果たし得ないことなど、就業規則に定める解雇事由または退職事由(年齢にかかわるものを除く)に該当する場合には、継続雇用しないことができるとされています。ただし、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が求められることは、通常の解雇と同様です。  逆にいえば、解雇事由または退職事由に該当する程度の事情がないかぎりは、65歳までは雇用しなければならないともいえます。  とすると、ご質問にあるような事情があるとしても、解雇事由があり、それが客観的かつ合理的な理由として認められて、解雇という重大な処分が社会通念上相当と判断される必要があります。 2 継続雇用の拒否に関する裁判例  継続雇用の労働者について、労働契約を更新しないことが許容された裁判例を紹介し、どの程度の事情がなければならないのかみていきたいと思います。  紹介するのは、横浜地裁川崎支部令和3年11月30日判決です。事案の概要は、入社後1年間の有期労働契約を17回更新した後、無期転換権を行使して無期労働契約となっていたコールセンターに従事する労働者を、定年を迎えたときに継続雇用することなく、労働契約を終了したことが違法となるか争われたというものです。  会社が、継続雇用をしなかった理由は、誠実に職務を果たさなかったことや、みだりに自己の意見をもって業務上の処置をしないことといった就業規則に定められた服務規律に違反し、改善指導にもかかわらず、反省や改善が認められないことでした。  会社の対応マニュアルにおいては、「意見を尊重し誠実な対応を心がけるもの」とされており、私見を述べないこと、迷惑電話はていねいに断ること、何度もかかってくる場合には上司に対応を依頼すること、わいせつな内容に発展するおそれのある電話は、モニター依頼を発信し、転送を実施することなどが詳細に定められていましたが、当該労働者は、コールセンター業務を行うなかで、架電者に対して「お客さまも失礼でございますね、私に対して」、「あなたは失礼だ」、「ニュースをご覧になるとわかると思います。ニュースをご覧ください」、わいせつな電話を転送せずに「セクハラですね。警察にいうとあなたは捕まりますよ。こちら逆探知できるんですよ。あなたはもう犯罪者ですね」と返答するなど、不適切な言動をくり返していました。  これに対して、会社が業務指導として、架電者から罵詈雑言(ばりぞうごん)が出ても、売り言葉に買い言葉にならないように上司に転送するよう指導したり、感情が高ぶったときの対応を考えるために外部講師からの指導を企画したところその指導を拒否し、その後の業務指導に対しても「これまでの経緯を含め、インターネットにあげる。しかるべき場所で今回のやり取りを公開する」と対応するなど、誠実に指導に応えることなく推移していました。  定年が近づく時期においても、会社が業務指導を継続するために通知書を交付しようとすると、責任者の記載や押印がないことを理由に拒絶したうえで、労働組合などの団体および弁護士の同席がないかぎりは指導を受けるつもりはないとの回答に終始しました。最後に指導の面談を行った際にも、改善の指導には従わないと回答しました。  裁判所は、この労働者の架電者に対する対応について「中にはそれ1つを取り上げれば比較的些細なものとみ得る余地があるとしても、それが度々繰り返されるものであった以上、原告の電話対応の問題や不適切さを示すものにほかならず、全体を総合してみれば被告が策定したルール及び就業規則に反するといわざるを得ない」と判断して、解雇事由に該当することを肯定しました。  また、「再三にわたり被告からルール違反等を指摘され注意・指導を受けながらも、自己の対応が正当であるとの思いから、指導を受け入れて改善する意欲に乏しく、指導を受け入れずに勤務を続けていた」ことや、外部講師による指導に関して「研修内容が適切でないとするのは、原告の専ら個人的な意見であるというべきであり、自己の意見に反するからという理由で研修を受けないということは改善意思の欠如の現れとみることができる」とし、「複数回にわたり被告の指導に応ずるように命じられているのに、同様の理由であるいは些細な点を指摘しては指導を受けることを拒み続けていた」として、指導に応じる意思がないものと判断したことには理由があるとしています。  結論においても、「高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針」に照らして、「勤務状況が著しく不良で引き続き従業員としての職責を果たし得ないこと等就業規則に定める解雇事由に該当し、継続雇用しないことについて、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であるというほかはない」として定年後の再雇用拒否が肯定されました。 3 定年後再雇用拒否が肯定された主な理由  紹介した裁判例においては、一つひとつの違反事由は必ずしも大きなものではなく、むしろ些細な出来事といえるようなものも含まれていました。それにもかかわらず、解雇事由に該当し、さらには、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性が肯定されたのは、小さな違反であっても、指導を積み重ねていたことにあるといえます。  指導しようとしても拒絶されるということがくり返される場合でも、拒絶の理由が正当なものでなければ、改善の意思がないというマイナス評価につながります。労働組合や弁護士の同席を強く求めていましたが、指導自体を拒絶する理由にはならず、指導後に労働組合や代理人となった弁護士との協議や交渉を会社が拒絶したときにはじめて問題となるにとどまります。  会社が、改善するはずがないと決めつけてしまって指導もしていなかった場合には、指導を拒絶する態度は明らかにならず、改善の可能性があるかどうかの判断ができないまま、再雇用を拒否することになり、そのような場合は再雇用拒否が有効になるとは考えがたいところです。 Q2 休日の移動をともなう出張における労働時間の取扱いについて教えてほしい  宿泊をともなう遠方への出張(直行直帰)があったのですが、出張先に到着するまでの移動時間は、労働時間になるのでしょうか。また、出張中の移動日に休日が含まれていたのですが、休日出勤手当の支払い義務は発生するのでしょうか。 A  出張先に到着するまでの時間は、原則として労働時間にはなりません。また、休日の移動をともなう場合であっても、出張中の移動時間は、原則として労働時間に該当しません。  会社からの別段の指示として、物品の監視などが命じられていた場合には、例外的に労働時間に該当する場合があります。 1 通勤時間、出張の移動時間の労働時間該当性  判例によれば、労働基準法にいう労働時間とは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではないと解するのが相当」と考えられています(最高裁平成12年3月9日判決、三菱重工長崎造船所事件)。  判例がいうところの、「指揮命令下」にある状況であれば労働時間に該当しますが、労務提供の準備に相当する通勤時間は、原則として、労働時間に該当するとは考えられていません。このことは自宅から会社に向かう出勤のときでも、会社から帰宅するための時間のいずれでも同様です。その主な理由は通勤時間中の時間は、業務遂行に従事する必要はなく、その時間を自由に利用することができることから、指揮命令下にあるとはいえないことにあります。  そして、出張に向かうために必要な時間も、就業場所に向かうために必要な時間という性質は通勤時間に類似するものと考えられています。  遠方への出張で時間を要する場合には、出張すること自体が労働時間の始まりであるかのようにも思うかもしれませんし、意識としては出発の段階から仕事のつもりで取り組むことはあるかもしれません。  しかしながら、出張の目的は、出張先において会社の業務を遂行することにあり、その移動時間まで業務遂行に充てることが必ずしも求められません。  裁判例では、基本的には出張中の移動時間について、具体的な指揮命令がないかぎりは労働時間に該当しないことを前提に、例外的に、納品物の運搬それ自体を重要な出張の目的としていた場合にかぎり、労働時間性を肯定しているものがあるにとどまります(東京地裁平成24年7月27日判決、ロア・アドバタイジング事件)。 2 出張中に行われる休日の移動と労働時間該当性  ご質問では、出張中の移動に休日が含まれており、休日労働手当(割増賃金)の支払いが必要になるか懸念されています。結論を出すためには、この移動時間が労働時間に該当するか否かが問題となります。  過去の裁判例では、移動時間中の時間利用の方法が拘束されていないかぎりは、たとえ海外出張の移動時間に休日を利用する場合であったとしても、労働時間として扱わないという傾向にあります。例えば、韓国への出張に要した移動時間について、労働協約において「所定就業時間外及び休日の乗車(船)時間は就業時間として取扱わない」旨定められていた事例において、当該規程を有効と認め、「移動時間は労働拘束性の程度が低く、これが実勤務にあたると解することが困難」であると判断された事例があります(東京地裁平成6年9月27日判決、横河電機事件)。前述の労働時間の定義を示した最高裁判例においては、当事者間の合意などの主観的事情により労働時間性が定まるものではないとされていることからすると、当事者間の労使協定の有無を重視するのではなく、移動時間の労働拘束性の程度が低いことが重要といえるでしょう。  行政解釈においても同趣旨が示されており、「出張中の休日はその日に旅行する等の場合であっても、旅行中における物品の監視等別段の指示がある場合の外は休日労働として取り扱わなくても差し支えない」として、出張中の移動時間について原則として労働時間性を否定しています(昭和23年3月17日基発461号、昭和33年2月13日基発90号)。  そのため、例外的に休日の移動時間が労働時間に該当するのは、納品物の運搬それ自体が目的である場合や物品の常時監視等別段の指示が与えられていた場合にかぎられるでしょう。 3 休日の移動などに対する実務的な対応について  休日の移動時間が労働時間に該当しないとしても、労働者の立場からすれば、あくまでも労働拘束性が低いにすぎず、完全に自由な利用であるかといわれるとそういうわけではありません。労働時間に該当しないからといって、何も支払ってはならないというわけではなく、使用者が任意に手当などを支給することは問題ありません。遠方への出張が多い業務に対応するような労働者からすれば、いかに労働拘束性が低いといえども、家族と過ごす時間や完全に自由な休日は減少しているため、ほかの労働者との不公平感を生じさせることを無視するのは、モチベーションの低下や離職の動機にもつながり得策ではありません。  多くの企業では、出張手当や日当の支給などにより出張による不利益を緩和するような措置を取っており、休日の移動についてもこれらの手当を支給する対象日としてカウントするといった配慮をすることは適切といえるでしょう。 第57回 定年後の再雇用合意の解除、労働組合と労働者性 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 定年後の再雇用について合意していた場合、その合意を解除することができるのか教えてほしい  定年後に再雇用を合意していた労働者が、定年を迎えるまでの間に懲戒処分に該当する行為を行っていたことが発覚しました。合意を解除して再雇用することなく労働契約を終了しようと思うのですが、問題ないでしょうか。 A  定年後の継続雇用においては、解雇に相当する事由または退職事由に該当する事情がなければ、原則として、雇止めすることはできません。懲戒処分対象の行為があったとしても、その行為が解雇相当といえるものでなければ、再雇用の合意を取り消すことはできません。 1 定年後の再雇用に関する合意の時期  高年齢者雇用安定法で義務づけられているのは、@定年の延長、A継続雇用制度、B定年制の廃止のいずれかですので、どのようなタイミングで、継続雇用の条件を定めるかなどは、特に規制がありません。  一般的には、定年退職する時期の直前に、定年後の再雇用に関する合意をすることが一般的でしょう。しかしながら、定年後の再雇用に関する条件や制度が整っていない場合(例えば、初めての定年後再雇用の場合など)は、定年前の段階で、ある程度再雇用後の労働条件について、協議を進めておき、再雇用後の労働条件をあらかじめ合意しておく場合もあります。  このように、継続後再雇用の合意をしていた場合、定年退職を迎えるまでに継続雇用を阻害する事情が生じることがありえますが、このような場合に、継続雇用に関する合意を覆すことができるのでしょうか。 2 懲戒処分と再雇用に関する裁判例  継続雇用対象者に懲戒事由が発覚したときに再雇用しないことが許されるか判断した裁判例をご紹介します(富山地裁令和4年7月20日判決)。  事案の概要は、コロナ禍において、自宅待機命令に反して外出し、また、会社が配布していた除菌水を、会社が配布していた以上の数量(合計80リットル)を持ち帰る行為を複数回行ったことから、懲戒処分相当と判断して譴責処分を科したうえで、継続雇用の合意を解除して労働契約を終了させたことが違法となるか争われたというものです。  当該裁判例は、「解雇事由または退職事由に該当するような就業規則違反があった場合に限定して、本件合意を解除し、再雇用の可否や雇用条件を再検討するという趣旨であると解釈すべき」と判断しました。  会社が、継続雇用合意を解除した原因は、@自宅待機命令という業務命令に違反したこと、A除菌水80リットルを会社の許可なく持ち帰るといった行為があり、B会社の備品を無断で私的に利用していたこと、C人事評価において当該会社が定める普通水準に達していなかったことなど多岐にわたります。  これらのうち、B会社設備の私的利用については、解除の判断をしたときよりも後に生じた事情であったことから、解除の根拠にすることはできないと判断されています。当然のことのようにも思われますが、実務で相談を受けていると、解除後に解除の効力による影響が生じるまでに生じた事情を考慮して有効となるよう期待するというのはよくあります。今回のケースでも、解除の判断から定年による契約終了までは3カ月程度の期間があり、その間に発覚した事情を解除の原因として考慮したというものでした。しかしながら、法的な効力の判断としては、解除や解雇の原因は、法的効力が発生するタイミングまでの事情を考慮するのではなく、解除や解雇の通知をしたときに存在していなければなりません。そのため、解除や解雇通知を行うときには、それ以降に原因となり得る事情が生じたとしても考慮することはできませんので、判断するときには解除の原因と判断した根拠資料などを整理しておく必要があります。  C人事評価を理由として定年後に継続雇用をしたくないというのも、法律相談でもよくあります。しかしながら、このような事情についても、普通解雇が認められる程度の勤怠不良や著しい能力不足がなければならないということになります。本件では、「せいぜい標準をやや下回っているという程度」と判断されており、解雇事由や退職事由に相当するほど著しく不良であるとはいえないとされました。  なお、@およびAについて、懲戒処分の程度としても譴責(けんせき)処分にとどまっており本人が事実を認めて反省の弁を述べ、始末書を提出していることや、その後に同様の行為がなかったことからも、解雇事由に相当する事由があったとはいえないと判断されています。 3 継続雇用に関する労使協定の効力  会社は、2012(平成24)年に行われた高年齢者雇用安定法の改正前に労使協定を締結していれば、継続雇用の対象となる労働者の基準を定めて、当該基準に即して判断することが可能とされています。しかしながら、これらは老齢厚生年金の受給開始年齢までの収入を確保することにあり、当該受給開始年齢までの継続雇用は求められる内容となっており、受給開始年齢に至らない労働者は対象となりません。  今回紹介した裁判例では、対象となっていた労働者が、基準年齢に達していないにもかかわらず、会社の就業規則および労使協定に照らして、継続雇用の対象となる労働者を限定できる(普通水準に達していなければならない)という主張をしていました。法律による公的な基準は、私的な合意には効力を及ぼさないといった趣旨で主張されていたものですが、裁判所は、このような主張を否定し、基準年齢に達していない労働者には、労使協定の効力は及ばないと判断しました。  就業規則等による私的な合意の効力を認めてしまうと、高年齢者雇用安定法の趣旨を没却するというのがその理由ですが、高年齢者雇用安定法が強い意味を持つことがあるという点は、留意しておくべきでしょう。 Q2 業務委託契約者が労働者に該当する場合があるのか知りたい  業務委託契約を締結しているフリーランサーが労働組合に加入し、団体交渉を申し入れてきました。契約の内容が業務委託契約である以上、団体交渉を拒否しても問題ないでしょうか。 A  労働組合法に定める労働者に該当する場合には、団体交渉に応じる必要があります。業務委託契約という形式だけではなく、労働者として保護に値するかという観点から判断されることに留意が必要です。 1 労働組合と団体交渉  労働契約を締結している労働者には、団結権(憲法第28条)が認められており、労働組合に加入したときには、労働条件などについて、団体交渉を申し入れることができます。通常、労働者は使用者と比較して立場が弱く、一対一で労働条件などを交渉することは困難であることから、労働者が団結することによって、対等または対等に近い立場となることで、使用者に誠実な交渉を遂行することをうながすためにこのような権利が認められています。  労働組合法は、労働組合による行動について、法的な保護を与えており、その一つが団体交渉の申入れであり、これを拒絶すると、不当労働行為という違法行為と評価されることになります(同法第7条2号)。団体交渉を拒絶された労働組合は、労働委員会へ救済申し立てを行うことができます。労働委員会においては、労使双方の主張をふまえたうえで、不当労働行為に該当する場合には、それを是正するための命令を行うことになっています。  とはいえ、この労働組合による保護を受けるためには、労働組合法が定める「労働者」でなければならず、その典型的な例は、労働契約を締結している労働者ということになります。 2 業務委託契約と労働者性  労働委員会は、これまでに、業務委託契約など労働契約以外の契約を締結しているような場合でも、労働者性を認めて、団体交渉に応じるように命じたことがあります。  直近の事例では、ウーバーイーツの配達パートナーたちが労働組合(ユニオン)を結成し、団体交渉の申し入れを行った事例で、配達パートナーの労働者性が認められています(東京都労働委員会令和4年10月4日命令)。  ウーバーイーツでは、アプリを用いて、配達を希望する顧客と配達パートナーを結びつけ、例えば、店舗の近くにいる配達パートナーが受託して、顧客の元へ配達することで、報酬を得ることができるという関係にあります。この関係は労働契約ではなく、各種のアプリの利用などを根拠づける合意によって法的な関係を成立させていました。ここでは、「デジタルプラットフォーム」において、運営事業者が提供するアプリを通じて、役務(労務)の提供を行う就労者の労働者性が争われています。  東京都労働委員会は、「労組法は、『労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること』を目的の一つとしている(第1条)。この労組法の趣旨および性格からすれば、同法が適用される『賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者』(第3条)に当たるか否かについては、契約の名称等の形式のみにとらわれることなく、その実態に即して客観的に判断する必要がある」として、デジタルプラットフォームにおける労働者性の判断について、「シェアリングエコノミー上のプラットフォームを提供する事業であっても、その実態において、利用者がシェア事業者に対して労務を供給していると評価できる場合もあり得る」としています。  労働者性の判断において考慮される事情として、@事業組織への組み入れ、A契約内容の一方的・定型的決定、B報酬の労務対価性、C業務の依頼に応ずべき関係、D広い意味での指揮監督下の労務提供、一定の時間的場所的拘束、E顕著な事業者性の有無などがあげられます。  まず、@事業組織への組み入れについて、飲食物を受領した後のキャンセルや飲食店と顧客により評価されるシステムは最低評価平均という基準を通じてアカウント停止措置が示唆されていることで、一定以上の水準を確保しようとしていること、ロゴの入った配達用バッグを使用することが多数であることから第三者に対し組織の一部として扱っているといえることなどから、労働力として組み入れられているとされています。  次に、A契約内容の一方的・定型的決定について、定型の契約書を用いて配送料などを含めて個別の交渉がなされず、プラットフォームの仕組みや運用は運営会社(以下、「ウーバー」)側が一方的に決定し、契約内容が一方的・定型的に決定されており、B報酬の労務対価性について、ウーバーが配送料を配達パートナーへ支払っており、キャンペーン中の配送料0円のときは注文者に代わってウーバーが配達パートナーへの配送料を負担しており、実態としてはウーバーが配達パートナーへ配送料を支払っているとみるのが相当であるとされました。  さらに、C業務の依頼に応ずべき関係については、配達リクエストに3回連続して応諾しないと自動的にオフラインになる設定があり、配達先を事前に示しておらず、応諾して配達先を知らされた後に拒否しづらい状況にあること、D広い意味での指揮監督下の労務提供等については、配達パートナーガイドを遵守して、一定の場合には待機することや所定の対応をするよう求められていること、トラブル発生時にはサポートセンターに連絡することが求められ一定の指示を受けることがあること、ガイドや評価次第ではアカウント停止措置があることなどから、広い意味での指揮監督はあったものといえるとされています。  最後に、E顕著な事業者性について、配達パートナーは、配送事業における損益についてリスクを負担しているとはいえないこと、他人を雇用して事業を拡大することは禁止されていることなどから顕著な事業者性があるとはいえないと判断されました。  労働委員会は、これらの事情を総合して、ウーバーイーツの配達パートナーは、労働組合法における「労働者」と認めるべきであると判断しています。 3 労働基準法の労働者性との相違について  労働委員会の判断は、労働組合法に定める「労働者」に該当するという判断であり、団体交渉に応じるなど、労働組合としての権利を認めるという内容にとどまります。このことは、労働基準法に定める「労働者」と完全に一致するわけではなく、労働時間管理をして時間外労働の割増賃金を支払う義務が生じるとか、そのほかの労働関係法令に従い安全配慮する義務が当然に生じるというものではありません。  「労働者」という同じ用語であっても、法律の趣旨や目的に応じてその範囲が異なるという現象がここでは生じており、いかなる手続きでどの法律に基づいて判断されたかによって、その法的な影響は異なるという点には留意する必要があります。 第58回 エイジフレンドリーガイドラインの詳細、中小企業の割増賃金と代替休暇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 高齢労働者が働く際の安全配慮について知りたい  人手不足を解消するためにも、高齢労働者の活用が必要だと考えていますが、職場環境や安全面で気をつけることはありますか。 A  加齢とともに労災リスクが増大する傾向があるため、エイジフレンドリーガイドラインを参考にしつつ、高齢労働者に対する安全配慮を尽くしておくことが求められます。 1 エイジフレンドリーガイドライン  厚生労働省は、労働災害による休業4日以上の死傷者数のうち、60歳以上の労働者が占める割合が増加傾向にあることなどから、高齢労働者向けの労働災害防止の指針として「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(通称:エイジフレンドリーガイドライン)を定めています。  事業者に求められる事項として、五つの事項(図表1)が定められています。 2 安全衛生管理体制の確立等および職場環境の改善  安全衛生管理体制の確立等の観点からは、経営トップから高齢労働者の労働災害防止に取り組む姿勢を示すことが、安全意識を高めることにつながります。そのほか、産業医を中心とした産業保健体制の活用などをふまえた組織内の体制を整えることも求められています。  また、危険源の特定などのためにリスクアセスメント(リスクを把握して、対策の優先順位を検討すること)を実施することも求められています。多くの場合は、危険源を洗い出してリストアップして、それぞれの項目の危険度と発生の可能性を考慮して、分析していくという手法がとられます。  職場環境の改善の観点からは、身体機能の低下を補う設備・装置の導入(ハード面)と高齢労働者の特性を考慮した作業管理(ソフト面)の対応が求められています。  ハード面については、図表2のような事項、ソフト面については図表3のような事項があげられています。 3 健康や体力の状況の把握とそれに応じた対応  雇い入れ時および定期の健康診断を確実に実施することが重要視され、特定健康診査などを受ける意思を高齢労働者が有している場合には、そのための勤務時間変更や休暇の取得などの対応をすることや、法令における健診義務の対象外であっても健康診断の対象として対応すること、産業医や保健師などとの相談体制を整備することなどがあげられています。また、日常的なかかわりのなかで把握することも重要です。  体力の把握は、高齢労働者を対象とした体力チェックを実施することが推奨されています。体力チェックのなかでは、加齢による心身の衰え(フレイルチェック)を導入することや「転倒等リスク評価セルフチェック票」(厚生労働省が公表しているもの)を活用することが想定されています。  把握した健康や体力の状況は、それを活かして就業上の措置を講じることとされており、加齢にともなうリスクの増大をふまえて、労災認定基準にも照らしつつ、過重な時間外労働や心身の負担を回避することに配慮が必要となります。  なお、過度に業務内容を減らすこともまた適切とはいえず、個人差も大きいことから、作業内容の見直しは労働者の了解を得られるように努めることとされています。そのほかストレスチェックの実施とその結果をふまえた面接指導などを通じて、健康維持に努めることも重要です。 4 安全衛生教育  高齢労働者および管理監督者に対して、安全衛生に関する教育を実施することが求められています。高齢労働者自身には、加齢とともに自身のリスクが高まっていることを自覚してもらうことに意義があります。会社が実施しようとする健康診断の推奨や体力チェック、ストレスチェックなどによる状況把握は、高齢労働者本人の自覚が重要です。  管理監督者への安全衛生教育は、高齢労働者に特有の特徴(リスク)やそれに対する対応策を理解し、労災発生による管理監督者の責任、会社経営に及ぼすリスクを把握してもらうことで、積極的に運用面での取組みを推進することに意義があります。 5 労働者に求められる事項  エイジフレンドリーガイドラインでは、事業者に求められる事項が定められる一方で、労働者に求められる事項として、次のような内容も定められています。 ・自らの身体機能や健康状況を客観的に把握し、健康や体力の維持・管理に努める ・定期健康診断を必ず受ける(法令の対象外の場合は、地域で実施されているような特定健康診査などを受けるように努めること) ・体力チェックに参加し、自身の体力の水準について確認し、気づきを得る ・日ごろから基礎的な体力の維持と生活習慣の改善に取り組む ・事業所の目的に応じて実施されている職場体操には積極的に参加すること。通勤時間や休憩時間にも、簡単な運動をこまめに実施し、運動などを積極的に取り入れる ・適正体重を維持する、栄養バランスのよい食事をとるなど、食習慣や食行動の改善に取り組む ・健康に関する情報に関心を持ち、健康や医療に関する情報を入手、理解、評価、活用できる能力(ヘルスリテラシー)の向上に努める  このように、高齢労働者の健康や安全確保には、事業者が努力するだけでなく、労働者にも求められる事項があるということを、社内の研修などにおいて周知していくことも重要でしょう。 Q2 中小企業における時間外労働の割増賃金率とは何ですか  中小企業も時間外労働の割増賃金率が引き上げられると聞きました。どのような制度であるのか、今後の労働時間管理をどうしていけばよいのか教えてください。 A  1カ月あたり60時間を超える時間外労働に対して、割増賃金として平均賃金の5割に相当する金額を支払う必要があります。休日労働、時間外労働の相違点に注意しながら労働時間管理を行うほか、必要に応じて、代替休暇制度の導入を検討することになります。 1 中小企業における時間外労働の割増賃金率の引上げ  2010(平成22)年4月1日に労働基準法が定める時間外労働に対する割増賃金率について、月60時間を超える部分の割増賃金率を50%とする規定(労働基準法第37条第1項ただし書)が施行されました。この規定は、2023(令和5)年3月31日まで中小企業への適用が猶予されていましたが、ついにその期限を迎える時期になりました。なお、自社が中小企業に該当するか否かは、図表4を参考にしてください。 2 割増賃金の種類と1カ月あたりの時間外労働の把握  労働基準法では、「時間外労働」、「休日労働」、「深夜労働」を割増賃金の対象としています。時間外労働の割増賃金率は図表5の通りです。  時間外労働の割増率が、1カ月あたりの時間外労働時間数に応じて変動することになります。そのため、「1カ月」あたりの「時間外労働」の時間数を正確に把握する必要があります。  まず、「1カ月」の範囲については、企業ごとに就業規則で定めることが可能です。賃金締切日と合致させておくことが、賃金計算における煩雑さを回避するためには適切と考えられます。  また、「時間外労働」と「休日労働」は異なりますので、1カ月あたり60時間の計算においては合算せず、この2種類を明確に区別して管理する必要があります。ポイントは、休日について、「法定休日」と「所定休日」を区別しておくことです。法定休日における労働は、時間外労働ではなく、休日労働になりますので、時間外労働には合算することにはなりません。一方、所定休日における労働時間は、1週間40時間を超える範囲において時間外労働になるため、時間外労働として合算することになります。週休二日制を採用している企業においては、いずれの休日を法定休日とするのか明確にしておく必要があります。  法定休日を定めていない場合は、行政解釈において日曜日を週の開始日とみて降順に位置する土曜日が法定休日となるとされています。 3 代替休暇制度について  割増賃金率の引上げと同時に導入されたのが「代替休暇」制度です。代替休暇とは、1カ月60時間を超える時間外労働により生じた割増賃金の増加部分に相当する休暇を付与することができるとする制度です。導入するにあたっては、就業規則の規定および労使協定の締結が必要となります。一般的な代替休暇付与の換算率等の計算方法は図表6の通りです。60時間を超えた時間分のすべてが代替休暇の対象となるわけではない点には留意が必要です。  代替休暇は、1日または半日単位のいずれかで付与しなければなりませんので、換算率に基づき計算した結果が、1日または半日に満たない場合、そのままでは代替休暇を付与することができません。このようなときには、時間単位の有給休暇と合わせて取得させるか、有給休暇とは別の特別休暇(ただし、通常の賃金が発生する休暇とする必要がある)を付与して、1日または半日の単位で取得できるようにする必要があります。代替休暇の付与は、時間外労働が60時間を超えた月の末日の翌日から2カ月以内とされています。  なお、たとえ代替休暇を付与したとしても、これにより代替されるのは、割増賃金の増加部分のみであるため、通常の割増賃金として25%の割増率による賃金の支給は必要になります。 図表1 事業者に求められる五つの事項 項目 概要 安全衛生管理体制の確立等 経営トップによる方針表明および体制整備等 職場環境の改善 身体機能低下を補う設備・装置の購入等 高年齢労働者の健康や体力の状況の把握 健康診断の確実な実施、体力チェック等 高年齢労働者の健康や体力の状況に応じた対応 個々の健康や体力をふまえた措置等 安全衛生教育 高年齢労働者に対する教育、管理監督者等に対する教育等 ※「エイジフレンドリーガイドライン」(厚生労働省)を基に筆者作成 図表2 職場環境改善(ハード面)の例 共通的な事項 段差の解消、手すりの設置、墜落防止器具、滑りやすい箇所などの解消または注意喚起など 危険を知らせるための視聴覚に関する事項 警報音等は中低音域を採用する、指向性スピーカーの利用、騒音の低減など 暑熱な環境への対応 涼しい休憩場所の整備、通気性のよい服装の準備、熱中症の初期症状を把握できるIoT機器の利用など 重量物取扱いへの対応 補助機器などの導入、不自然な作業姿勢の解消、身体機能を補助する機器の導入など 介護作業等への対応 リフト、スライディングシートなどの導入、労働者の腰部負担を軽減する機器の活用など 情報機器作業への対応 照明、画面における文字サイズの調整、必要なメガネの使用など ※「エイジフレンドリーガイドライン」(厚生労働省)を基に筆者作成 図表3 職場環境改善(ソフト面)の例 共通的な事項 勤務形態や勤務時間を工夫する(短時間、隔日、交替制など)、ゆとりあるスピードまたは無理のない姿勢などに配慮した作業マニュアルを用意する、注意力や集中力を要する作業については作業時間や優先順位の判断を考慮する、腰部に過度の負担がかかる作業の軽減、身体的な負担に対して定期的な休憩の導入や作業休止時間の運用など 暑熱作業への対応 意識的な水分補給の推奨、健康診断結果をふまえた体調確認と日常的な指導、病院への搬送や救急隊の要請を行う体制の整備など 情報機器作業への対応 過度に長時間にわたり行われることのないようにする、作業休止時間を適切に設ける、相当程度拘束性がある作業(データ入力等)では無理のない作業量とするなど ※「エイジフレンドリーガイドライン」(厚生労働省)を基に筆者作成 図表4 中小企業該当性の判断 @、Aのいずれかに該当すること 業種 @資本金の額または出資の総額 A常時使用する労働者数 小売業 5,000万円以下 50人以下 サービス業 5,000万円以下 100人以下 卸売業 1億円以下 100人以下 その他の業種 3億円以下 300人以下 図表5 割増賃金率一覧 労働時間の種別 割増賃金率 時間外労働(月60時間まで) 25%以上 時間外労働(月60時間超) 50%以上 深夜労働 25%以上 休日労働 35%以上 時間外(月60時間まで)かつ深夜労働 50%以上(25%+25%) 時間外(月60時間超)かつ深夜労働 75%以上(50%+25%) 休日労働かつ深夜労働 60%以上(35%+25%) 図表6 代替休暇換算率の一例 代替休暇時間数=(1カ月の時間外労働時間数−60)×換算率 換算率=代替休暇取得しないときの割増賃金率−代替休暇取得時に支払う割増賃金率(通常は、「50%−25%=25%」となる。) 例えば、時間外労働時間数が80時間であった月の場合、{(80時間−60時間)=20時間}×25%(換算率)=5時間 第59回 定年後再雇用と同一労働同一賃金(手当の趣旨)、配転命令違反と懲戒解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用者には、定年前と業務内容や責任の程度が大きく変われば、各種手当を支給しなくてもよいのでしょうか  定年後再雇用者について、嘱託社員として基本給の減額、賞与の不支給、各種手当の不支給などを想定しています。  業務の内容や責任の程度を大きく変更することで、これらの条件で雇用を継続することはできるでしょうか。 A  基本給の減額や賞与の不支給に関しては、業務内容や責任の程度のみではなく、人材活用の仕組み自体の相違点を明らかにしておく必要があります。また、手当については、業務内容や責任の程度が相違したとしても同趣旨の事情があてはまるかぎりは、同一賃金を維持することが適切です。 1 同一労働同一賃金に関する法令と裁判例  同一労働同一賃金に関して、現在は、「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」の第8条において「事業主は、その雇用する短時間・有期雇用労働者の基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、当該待遇に対応する通常の労働者の待遇との間において、当該短時間・有期雇用労働者及び通常の労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち、当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して、不合理と認められる相違を設けてはならない」と定められています(いわゆる「均衡待遇」の規定)。  また、職務内容が通常の労働者と同一の場合については、同法第9条が「事業主は、職務の内容が通常の労働者と同一の短時間・有期雇用労働者(第11条第1項において「職務内容同一短時間・有期雇用労働者」という。)であって、当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれるもの(次条及び同項において「通常の労働者と同視すべき短時間・有期雇用労働者」という。)については、短時間・有期雇用労働者であることを理由として、基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、差別的取扱いをしてはならない」と定めています(いわゆる「均等待遇」の規定)。  前者と後者の相違は、不合理な相違がないかという観点からバランス(均衡)を保つことが求められるか、それとも差別的な取扱いを一律禁止して均等な待遇を求められるかという点であり、適用される要件の相違は、「通常の労働者との同一性」にあります。  したがって、現在の法律に照らすと、職務の内容と配置が同一である場合には、均等待遇の規定が適用されることから差異を設けることができなくなるため、定年後再雇用者と正社員の間では職務内容の差異があるか否かが重要となります。  なお、均衡待遇の規定が適用される場合については、これまでの判例において、「職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはなら」ず、「有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件に相違があり得ることを前提に、職務の内容、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情(以下、「職務の内容等」)を考慮して、その相違が不合理と認められるものであってはならない」と解釈されており、賃金項目ごとの相違については、「両者の賃金の総額を比較することのみによるのではなく、当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当」という基準が確立しています(最高裁平成30年6月1日判決等)。  そのため、賃金総額でのバランスのみならず、賃金項目ごとの相違点の説明が合理的に行えるか否かが重要と考えられています。 2 手当における相違が違法とされた裁判例  定年後再雇用における同一労働同一賃金に関する裁判例において、基本給および賞与については相違の合理性を認めつつ、家族手当や住宅手当については相違の合理性を否定した裁判例を紹介します(神戸地裁姫路支部令和3年3月22日判決)。  事案の概要としては、正社員には、一般コースと呼ばれる人事考課による昇給を前提とした職能資格等級制度による長期雇用が想定されていた一方で、定年後再雇用者については、嘱託社員として再雇用されるものの、人事考課による昇給などは想定されていませんでしたが、担当役員の推薦を前提に、高卒中途採用レベルの能力診断のための試験などに合格するなど、一定の要件を充足したときには年俸社員に登用される制度が用意されており、年俸社員は嘱託社員と比較して賃金の総額は高く設定されていました。なお、業務内容は同一の業務に従事することはあったものの、責任の程度は一般コースの正社員の方が強く求められる状況でしたが、いずれの社員も転勤などが行われることは想定されていませんでした。  このような企業において、基本給および賞与に関しては、人材活用の仕組みの相違を主な理由として、その差異は不合理ではないと判断されました。人材活用の仕組みの主な内容は、人事考課を前提とした職能資格等級制度の適用があるか否かですが、それに加えて嘱託社員に年俸社員への登用の機会を与えていたことも考慮されています。  一方で、家族手当と住宅手当については、扶養者がいることによる負担の増加はいずれの社員にとっても変わらないこと、転居をともなう異動の予定がないことも相違ないことから、不合理な差異であり、差額の支払いが命じられています。  なお、使用者は、一般コースの正社員への支給により有為な人材の確保や長期定着を図る趣旨があるとの主張をしていましたが、この主張は排斥されています。このような理由は、どのような手当にもあてはめることができ、これだけの理由をもって手当の支給の有無の差異を説明しきることはできないと考えておくべきでしょう。 Q2 配置転換に応じない社員を懲戒解雇することはできますか  拠点の閉鎖にともない、配置転換を要する人員がいるのですが、いかに説明をしても納得してもらえず、配転命令をするほかなくなりました。命令後もこれに応じないことから、懲戒解雇を行おうと思うのですが、どのような点に留意する必要がありますか? A  配転命令の有効性が維持できるかを検討したうえで、有効と考えられる場合には、懲戒処分の手続をふまえて、解雇を実施する必要があります。解雇権濫用とならないように、慎重に行うことが求められます。 1 配置転換命令  企業は、労働者に対する人事権を有しており、事業所や部門の配置に関して、配置転換を命じることが可能と考えられています。  就業規則において配置転換の根拠規定があることが望ましいですが、労働契約において特段の限定がなされておらず、実際に広く配置転換等が行われている場合には、労働契約に黙示的に合意されていると評価される場合もあります。  配置転換には、業務内容の変更(部署の変更)と勤務場所の変更の2種類があり、これらが複合的に行われることもあります(業務内容と勤務場所の両方が変更される)。  一般的には、勤務場所の変更により転居をともなう場合は転勤と呼ばれ、事業所内での部署の変更は配置転換と呼ばれることが多いといわれます。  いずれにせよ、労働者にとっては、従前の労働環境からの変化をともなうことから、使用者による配置転換の人事権行使を完全に自由にすることはできません。 2 配置転換命令の制限  配置転換命令の制限については、合意による制限と判例により制限されている限界があります。  まず、合意による制限は2種類に分類することが可能であり、業務の内容の変更を制限する職種限定合意と、勤務場所の変更を制限する勤務地の限定合意です。これらについては、労働条件通知書や雇用契約書に勤務場所や業務内容が明記されているだけでは足りず、これらの記載以外に特段の合意が明示されていることが必要と考えられます。これらの書面に明記される勤務場所や業務内容は、労働基準法において明記することを求められているから記載するほかないものであり、使用者と労働者の間の特別な合意としては位置づけられないと考えられます。例外的に、職種限定の合意が認められるとすれば、特殊な資格を有する者である場合(例えば、検査技師や看護師など)や専門性が高い業務(例えば、大学教授など)に該当する場合とされています。  これらの合意がある場合には、人事権の行使による一方的な配置転換を行うことはできず、本人の同意を得て行うことが必要となります。  次に、判例による配置転換命令の限界としては、最高裁昭和61年7月14日判決において、「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもないところ、当該転勤命令につき@業務上の必要性が存しない場合又はA業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくはB労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべき」と判断されています(文中の数字は筆者による追加)。  したがって、@業務上の必要性がない場合は無効となるほか、業務上の必要性があるとしても、A不当な動機・目的(典型的には、配置転換ではなく退職への追い込みを主目的としている場合や内部通報者に対する配置転換などが想定されます)をもってなされたものであるときや、B通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるときは無効となるとされています。なお、育児介護休業法に基づく子や家族への配慮のほか、労働契約法第3条3項が仕事と生活の調和を求めていることは、労働者に生じる不利益の程度を検討するにあたって考慮されるべき事情と考えられています。  このような要件に照らして、配置転換の命令が有効になされているかどうかを確認し、有効な命令に対する違反に対しては、懲戒解雇をもって臨むことも検討することができます。 3 配置転換命令違反に対する解雇が有効とされた裁判例  最近の裁判例において、配置転換命令への拒絶を理由として、企業秩序を乱すまたはそのおそれがあることを理由とした懲戒解雇が有効と判断された事例を紹介します(大阪地裁令和3年11月29日判決)。  事案の概要としては、企業が事業所の閉鎖にともない希望退職者を募る一環として転職支援等を行う面談をしていたところ、退職を希望しない労働者には配置転換を行う旨の説明を行い、配置転換の必要性を伝えていたところ、労働者から@息子が自家中毒であり、頻繁に迎えに行く必要があるほか、転居が症状に悪影響を与えるおそれがあるとの医師の診断があること、A母親の体調も不調であり、介護を要する状況にあることなどを理由に、配置転換を拒絶しましたが、使用者は、これらの事情をふまえてもなお、配置転換の必要があるとして命じたところ、これに応じなかったため、最終的には懲戒解雇に至ったという事案です。  この事案における配置転換命令に至るまでの経緯の特殊性としては、希望退職者を募ってもいたことから、その説明内容が、労働者からは退職勧奨の面談と受け取られており、退職勧奨を拒否することをくり返していたことから、使用者が配置転換の説明に明確に移行したにもかかわらず、その後も説明を受けることを拒絶し続け、労働者からも@息子の自家中毒やA母親の体調にかかわる事情を説明していなかったという点があげられます。  判決では、労働者からの情報提供がなかったことについて、使用者が「配転に応じることができない理由を聴取する機会を設けようとしたにもかかわらず、原告が自ら説明の機会を放棄したことによるものというほかない」として、「本件配転命令を発出した時点において認識していた事情を基に、本件配転命令の有効性を判断することが相当というべき」と判断しています。その結果、原告が複数の医師から診断書を得ており、「生活環境の変化が患児にとって心的ストレスになりうるため、症状増悪につながる可能性は否定できず、可能であるなら避けることがのぞましい」などと記載されていた事情も裁判所は考慮することなく、配置転換命令は有効と判断されました。  使用者としては、通常甘受すべき不利益を著しく超える事情がないかを正確に把握する努力を尽くす必要がある一方で、これに対する労働者からの情報提供がない場合には、使用者が得ることができている情報のみに依拠して配置転換命令を発することも可能と考えられます。  なお、当該裁判例では、配置転換命令が有効である以上、懲戒委員会などでの議論をふまえた懲戒解雇が有効と判断されています。 第60回 グループ会社における退職金規程の影響、セクシュアルハラスメントへの介入の是非 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 グループ会社の退職金規程は、自社にも適用されるのですか  自社には退職金規程がないので、退職金を支給しなかったところ、グループ会社の退職金規程を根拠に退職金の支給を請求されました。グループ会社とはいえ、他社であるため、退職金の支給は不要と考えていますが、問題はあるでしょうか。 A  グループ会社間の就業規則の不整合や過去の取扱い例などから、退職金の支給を認めた事案があるため、自社の過去の対応や就業規則の記載を確認する必要があります。 1 退職金制度について  退職金については、これまでにも何度か触れてきましたが、会社が定めないかぎりは、その支給義務はなく、また、その支給条件についても、会社が定める内容に従うことになります。  例えば、懲戒事由が存在する場合には、退職金の金額を減額するような規定についても、就業規則や退職金規程にあらかじめ定めていたのであれば、懲戒事由の重大性などを比較して合理的な範囲であればその減額が許容されることもあります。  そのため、会社に退職金に関する就業規則や規程がなく、労働契約においても退職金の支給約束などをしていないかぎりは、会社が労働者に対して、退職金の支給義務を負担するということはほとんどありません。  ただし、例外的に、自社以外の退職金規程が適用されて、退職金支給義務を負担することがあります。一つは法人格が否認される場合で、もう一つは労使慣行に準ずる形で関連会社の退職金規程が適用されるようなケースです。 2 法人格否認に関する裁判例  法人格の否認については、「法人格が全くの形骸にすぎない場合、またはそれが法律の適用を回避するために濫用されるが如き場合においては、法人格を認めることは、法人格なるものの本来の目的に照らして許すべからざるものというべきであり、法人格を否認すべきことが要請される」とする最高裁判例(最高裁昭和44年2月27日第一小法廷判決)が存在することから、当該判例を根拠として、別法人に対して退職金やそのほかの賃金の支払いが請求されることがあります。  東京地裁平成14年10月29日判決は、法人格否認を理由とした退職金請求がなされた事案です。  事案の概要は、グループ会社内において、グループ会社全体の人事・総務・経理などの間接部門を行う会社があるほか、人員の多くがグループ会社からの出向者や転籍者で占められて、順次交代されていたなどの事情がある会社において、退職金の支給がない会社へ転籍した従業員が、転籍前に勤務していたグループ会社の退職金規程に基づき退職金を請求したという事案です。  裁判所は、グループ会社について、「A社とB社は、資本、人事、業務面などにおいて極めて密接な関係があり、グループの会社としてB 社がA 社を支配する関係にあった」としつつも、「A社は、B社とは別個独立の人的、物的組織を有し、業務内容を異にしており、両者の間で、その組織、業務内容、会社財産について混同があった事実を認める余地はない」と判断しました。その理由としては、事業の効率的運営、独立採算性の確保、経営責任の明確化などの観点から法人を設立することは不合理ではないこと、昇給の実施、賞与の支給などは別個独立して行われ、役員や幹部従業員などの重要な人材をスカウトし高額の報酬を支給していたといった事情が加味されています。  他方、人事および財務を一括管理し、役員の選任、給与の決定を代表取締役が掌握し、業務執行においても権限が大幅に制約され、営業利益をグループ会社間で操作されていたことなどを理由に異なる結論となった裁判例(東京地裁平成13年7月25日判決)もあるため、グループ会社運営においては、各社の独立性を確保しておくことは重要な要素となります。 3 関連会社の就業規則が適用された裁判例  法人格の否認とは異なる観点から退職金の支払いが命じられた裁判例(東京地裁平成20年8月20日判決)があります。事案の概要としては、X社から分離独立したY社に勤務する従業員が、X社の退職金規程が適用されることを前提に、退職金の支払いを求めたという事案です。  Y社は、「X社のグループとして一体として経営されていたと思われ、X社の就業規則等をY社においても利用されていたことは十分考えられる」としたうえで、過去にY社において作成されたとみられる退職金一覧表にY社の従業員として原告を含むY社の従業員らについて、X社の「従業員就業規則」、「賃金規程、退職金規程別表」によって算出された退職金額から既払額を控除した金額で記載されていたことがあったことや、その記載された金額を解決金として和解が成立したほかの従業員が存在していたことなどから、Y社において、X社の従業員就業規則等によって、退職金額を算出していたとされました。結果として、Y社は、X社の就業規則等に基づき、退職金を支払うことを命じられることになりました。  グループ会社において、就業規則に統一感を持たせるために、就業規則を同じ内容で届け出ることなどがあります。その場合に、退職金規程について、子会社では退職金を支給しないにもかかわらず、親会社の就業規則のまま「退職金については、退職金規程に定める」といった記載を維持してしまうようなケースも見受けられます。たとえ、子会社における退職金規程を設けていなかったとしても、前述の裁判例のように親会社の就業規則や退職金規程を根拠として、退職金の支払いが命じられることがあり得ます。  そのため、たとえ、退職金規程を将来作成する予定があるとしても、現時点では支給しないのであれば、退職金を支給しないことを明確に記載しておくことが適切でしょう。  ただし、グループ会社間で出向する際に労働条件を不利益に変更することは、原則として本人の同意なく行うことはできませんので、子会社が退職金を支給しない状態であれば、親会社からの退職金支給を維持するなど、不利益を緩和する措置をあわせて用意しておくことも必要になります。 Q2 当事者間で示談が成立したセクハラ事案に会社は介入するべきですか  ある管理職から職場の社員間でセクシュアルハラスメントがあったとの話を聞きました。事実関係を調査する過程で、当事者双方が「示談で済ませたいので、会社には介入してほしくない」という意向を示してきました。仮に、こうした当事者間で示談が成立した場合、会社は関与しない方がよいのでしょうか。 A  職場で生じた場合には、会社としても使用者責任を負担する可能性がある以上、自らの責任範囲を把握する必要があります。また、職場におけるセクシュアルハラスメントに対する懲戒処分の内容を検討するにあたって事実関係を把握する必要性もありますので、関与する必要はあります。ただし、当事者間では解決した問題であるため、懲戒処分の公表などは控えておくことが適切でしょう。 1 ハラスメント防止措置について  2020(令和2)年に労働施策総合推進法および男女雇用機会均等法の改正が行われ、職場で行われる各種ハラスメントに関して、労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じることが事業主に義務づけられました。  この改正にともない、事業主としてはハラスメント防止措置をとることが義務づけられており、具体的な措置に関するガイドラインが厚生労働省において定められました。事業主が行うべきとされている措置の典型例は、相談窓口の設置や従業員に対する教育・研修などです。そして、ハラスメント発生時の対応としては、事案にかかわる事実関係を迅速かつ正確に確認することが求められており、さらに、発生後の再発防止策を講じることも求められています。  男女雇用機会均等法およびガイドラインにおいては、「職場」におけるハラスメントの発生が問題となっているため、当事者間で生じたハラスメントが「職場」で行われたものでなければ、当事者間の解決に委ねてもよいことが多いでしょう。ただし、ここでいう「職場」とは、通常就業する場所のみを意味するのではなく、業務を遂行する場所であればこれに含まれますし、その延長線上にある時間帯も含むとされています。基本的には、指揮命令下にあるような労働時間に該当する場合には、業務を遂行している状況にあると考えられるため、例えば、終業時間後の懇親会などであっても、事実上参加が強制されているような場合には、労働時間と評価されるように、終業時間後などであっても、「職場」に該当すると考えられます。  また、ここでいう「職場」の概念は、会社が損害賠償責任を負う根拠となる民法第715条に基づく使用者責任を負担する要件である「事業の執行」の判断と重なる部分が多く、労働時間中のハラスメント被害に対して、会社は損害賠償責任を負担するおそれがあります。 2 セクシュアルハラスメントと会社の責任  社内におけるセクハラ発生時には、だれとだれの間でいかなる責任が生じるのかを整理しておきましょう。  まず、加害者と被害者の間では、不法行為に基づく損害賠償責任が加害者に発生します(民法第709条)。したがって、加害者が、被害者との間で被害に応じた賠償額を合意して、示談による解決を行うことは、原則として、当事者の自由です。  一方で、会社としては、加害者が自社に在籍している労働者である場合で、職場において生じたセクハラについて、使用者として、加害者と連帯して、被害者に対する損害賠償責任を負担することになります(民法第715条)。連帯して責任を負担するということは、加害者と被害者の示談による影響を会社も受ける可能性があるということです。  示談書においては、加害者と被害者の間で、一定額の支払い合意に加えて、当該支払い債務を除いて債権債務が存在しないことや当事者間における事実の認識およびそれに対する謝罪や被害者からの宥恕(ゆうじょ)の意思などが記載されることがあります。たしかに当事者間での解決にはつながるのですが、会社としては、加害者と同額の使用者責任を連帯して負担する立場として、いかなる条件で支払いに合意したのか関心は生じます。また、不合理に高額な示談を成立させた場合に、加害者が示談書に反して支払いを怠ったときに会社に対して同額を支払うことを迫られても会社としてはこれに応じるわけにはいかないでしょう。とはいえ、当事者からの聞き取り調査も行っていなければ、示談の内容が不合理な金額であるか判断する材料がなく、いかなるセクハラが行われたのか不明なまま支払うべき額を検討することもできなくなってしまいます。  したがって、職場におけるセクハラにより生じた損害賠償責任を会社が連帯して負担する可能性がある以上、当事者のみで解決すればよいというものではなく、会社も関与すべき状況にあるといえます。 3 再発防止策について  損害賠償責任に関与する以外にも、会社としてハラスメント防止に必要な再発防止策を検討する必要もあります。再発防止策検討の出発点として、ハラスメントに関する事実関係を把握しておくことは会社の関心事であるといえます。  再発防止策の典型的な方法としては、加害者に対する懲戒処分や厳重注意などにより、同一人物による同様のハラスメント行為を防止することがあげられます。ところが、当事者間で示談したのみでは、そもそも、懲戒処分が必要なほどの加害行為が行われていたのか、いかなる懲戒処分や厳重注意が相当であるのかなどを判断することができず、会社として適切な再発防止策を実施することができなくなります。  セクハラに関する処分の必要性の検討にあたっては、会社としても事実関係の調査を慎重に行う必要があることから、当事者以外から把握した事実のみをもって行うこともむずかしく、やはり当事者からのヒアリングなどを行う必要性は高いと考えられます。当事者が会社への報告を拒むような場合には、当事者からのヒアリング内容については社内において守秘することを前提に、当事者のみで解決するのではなく、会社を交えて事実関係の整理に協力するよう求めることが適切と考えます。  ただし、セクハラについては被害者のプライバシーに対する配慮も必要であるため、懲戒処分を行う場合であっても、事案の内容をみだりに公表することは控える必要があると考えられます。したがって、懲戒処分の公表という形での再発防止策を講じることがむずかしくなると考えられますので、全体的な研修や教育を再度実施するなかで、あらためて注意喚起を行うといった工夫が必要になるでしょう。