知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変わっていき、ときには重要な判例も出されるなど、日々把握することが求められています。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第31回 人事制度の見直し、定年後再雇用制度の改定 第32回 ハラスメントの処分とその公表 第33回 労働者に対する損害賠償請求、ノー残業デー導入時の留意点 第34回 部門閉鎖と整理解雇、人事考課に基づく降格 第35回 勉強会の労働時間の該当性、高齢者への安全配慮義務 第36回 定年後再雇用の賃金一律減額、業務委託の留意点 第37回 定年後再雇用の労働条件、競業避止義務と引き抜き行為 第38回 定年後再雇用の労働条件の提示内容、居眠りする労働者への対応 第39回 65歳以降の継続雇用と法制度、ハラスメント防止措置 第40回 退職金の支払い根拠、喫煙防止と職務専念義務・労働時間管理 第31回 人事制度の見直し、定年後再雇用制度の改定 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 就業規則・賃金規程を変更する際の留意点について知りたい  このたび、人事制度の見直しにともない、就業規則や賃金規程の変更を検討しています。既存の従業員の労働条件の変更も必要になるのですが、どのような点に留意する必要があるでしょうか。 A  就業規則の変更による労働条件の不利益変更には、必要性と合理性が必要とされます。変更前と変更後を比較して、変更の程度が合理的といえる程度に抑えておかなければ、就業規則の変更自体が無効と判断される可能性があります。 1 人事制度の見直しについて  日本においては、終身雇用および年功序列による賃金体系などが一般的に採用されていることが多く、これらは成果主義とは異なり、長期的な雇用継続を視野に入れたうえで、勤続年数に応じた賃金の昇給が予定されています。一方で、雇用の流動性も高まりつつあるため、終身雇用および年功序列による旧来型の賃金体系を維持し続けることの合理性も失われつつあります。むしろ、企業における競争力を強化するためには、能力や成果に応じた賃金体系により、勤続年数以外の要素が重視されるべきともいえます。  旧来型の終身雇用および年功序列による人事考課制度については、職能給的な発想で運用されており、現在遂行している職務に応じるのではなく、労働者の能力全般を評価して賃金を決定することを前提としており、基本的な発想として、賃金や役職が下がることは想定しがたいといえます。一方で、成果主義的な人事考課制度とする場合には、職務給的な発想が必要となり、労働者がたずさえている能力全般ではなく、現在遂行している職務や役割に応じて賃金を決定し、職種の変更などに応じて賃金の変更(ときには減額)をともなうことも想定されていなければなりません。  また、同一労働同一賃金への対応を含めて、労働条件や賃金制度の見直しが必要となっていますので、人事制度を見直す企業も増えているように見受けられます。 2 就業規則への影響  人事制度の見直しにおいて、職能給的な制度(終身雇用および年功序列など)から職務給的な制度(成果主義など)へ変更することを検討される企業も多くなっていますが、そこには、就業規則の変更という法的な課題が横たわっています。  なお、同意の取得や労働協約による変更については、過去の掲載でも触れていますが、今回はほとんどの企業において課題となる就業規則の変更に重点を置いて説明したいと思います。  職能給的な制度においては、一度習得した人の能力は失われないことを前提とした制度設計が基本思想となっており、就業規則上の明確な根拠がなければ、降格やそれにともなう減給はできないと考えられている一方で、職務給的な制度においては、職務や役割に応じた賃金の決定や変更を制度の中に明確化することが求められます。そのため、少なくとも、降格およびそれにともなう減給を行うのであれば、それらに関して根拠を新たに具体的に定める必要があるほか、賃金規程の等級表などが存在する場合にはその見直しも必要となります。  就業規則の変更に関する基本的なルールは、労働契約法第10条に定められており、以下の要素を考慮して、その変更の合理性が判断されることになり、不合理と判断された場合には変更自体が無効となってしまいます。なお、変更内容の合理性のほか、就業規則が周知されることも必要です。  @労働者の受ける不利益の程度  A労働条件の変更の必要性  B変更後の内容の相当性  C労働組合等との交渉の状況  Dそのほかの事情  果たして、これらの要素が、人事制度の変更にともなう就業規則の変更においては、どのように考慮されているのでしょうか。 3 人事制度の変更が争点となった裁判例について  過去の裁判例において、年功序列型の賃金制度から成果主義の特質を有する人事制度への変更に関して、変更の合理性に関する考慮事項が比較的明確に整理された事件として、東京高裁平成18年6月22日判決(ノイズ研究所事件・控訴審)があります。  重要と思われるのは、@に関する判断のなかで、従業員に対する賃金支払原資を減少させるものではないということが考慮されている点です。その後の同種事件の裁判例においても、同様の要素を考慮している事例は多くみられます。要するに、人件費カットを目的として人事制度を見直すのではなく、人件費の適正分配を目的としたものであれば、後述の経営上の必要性と相まって、合理性を維持するための重要な要素になるといえるのだろうと思われます。  次に、A変更の必要性に関しては、重要な職務により有能な人材を投入し、重要性の程度に応じた処遇をするという経営上の必要性などを理由に肯定されています。この点は、人事制度を変更する企業の目的や将来目ざす組織づくりなどが合理的に説明可能であることが求められるといえるでしょう。  また、Bに関連して、変更後に採用される人事評価制度の内容やその合理性が検討されています。人事評価制度の合理性は、その透明性や機会の平等性などが考慮されています。成果主義的賃金制度の採用においては、いかなる成果をもって評価するのかを設定すること自体は使用者に裁量の余地はありますが、透明性が確保されなければ、労働者にとってはいかなる成果が評価されるのか分からない状態となり、制度を適切に運用していくことはできないでしょう。  さらに、Cに関連して、合意には至らなかったものの労働組合との団体交渉を重ねていたこと、説明会を開催していたことなどが考慮されています。労使間協議の重要性に関しては、近年の裁判例でもよくみられる傾向ですので、留意しておく必要があります。  最後に、Dに関連しては、減給となる労働者に対して2年間にわたって調整給を支給する不利益緩和措置が採用されていることなども考慮されています。紛争が生じるとすれば、不利益を受ける労働者からの訴えになりますので、不利益緩和措置は紛争予防の観点からも重要な取組みといえるでしょう。  なお、ほかの裁判例においては、特定の属性(例えば、年齢が○歳以上など)をねらい撃ちして不利益を課すような人事制度の見直しに対しては、その変更の合理性を否定した裁判例もありますので、不利益を受けることになる労働者の洗い出しやその対象者の属性に一定の傾向がないかという点についても、注意しておくべきでしょう。 Q2 定年後再雇用制度を改定する際の留意点について知りたい  定年後再雇用の対象労働者について、65歳を超えて継続して雇用しています。このたび、就業規則を変更して、65歳以降の継続雇用については、一定の基準を設けるほか、上限年齢を設定することを検討していますが、何か問題があるでしょうか。 A  変更時に雇止めの対象となる労働者がいる場合には、就業規則の不利益変更の有効性について紛争が生じるおそれがあります。また、労働契約終了の有効性については、高齢者であっても労働契約法により制限されることにも留意する必要があります。就業規則の改正においても、不利益を受ける労働者へのていねいな説明、または経過措置による不利益の緩和などが重要と考えられます。 1 定年後再雇用の限界について  高年齢者雇用安定法に基づき、65歳までの継続雇用制度が多くの企業において採用されています。また、高年齢者雇用安定法の改正により、70歳までの就業機会の確保がうたわれています。実際に労働可能な年齢も徐々に上昇しており、65歳以上の労働者を雇用し続けている企業も増加傾向にあるといえるでしょう。  一方で、60歳の定年制を超えて、65歳以上の年齢をもってあらためて定年制を設定しているような企業は少なく、継続雇用制度を何歳まで実施していくのかという点については、就業規則にも定めていない企業もあるでしょう。  しかしながら、労働者の健康状態と求められる業務内容などをふまえて、一定の限度を設定することや、継続雇用の基準の設定を検討することも必要でしょう。  その場合、就業規則を変更し、当該基準に照らして、継続雇用の基準を満たさなかった場合には、労働契約の終了につながることになりますが、65歳以上であれば、継続雇用を終了させることが当然に許されるというわけではありません。 2 継続雇用の終了と労働契約法第19条  60歳以上の労働者との間で継続雇用を行っている場合、多くの企業では、1年単位などで有期労働契約を締結しているでしょう。  労働契約法第19条は、@反復更新されたもので、当該契約の終了が解雇の意思表示と社会通念上同視できる場合、または、A更新されるものと期待することについて合理性がある場合のいずれかに該当する場合には、契約の不更新が客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、従前の労働条件と同一の労働条件による労働契約が維持されることが定められています。  また、有期雇用ではなく、期間の定めのない雇用として労働契約を継続していれば、労働契約を終了させる場合には、労働契約法第16条による解雇権濫用(らんよう)法理により、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が求められることになります。  高齢者の継続雇用制度においても、これらの規定が適用されることには変更はなく、継続雇用対象者だからといって、契約の終了が当然に認められるわけではありません。 3 高齢者に対する保護  直近の裁判例で、高齢者の継続雇用に対して、契約の終了を行った事案があります(東京地裁立川支部令和2年3月13日判決)。  当該事案においては、65歳をもって定年退職する旨定められていた法人において、65歳を超えて労働契約が維持されてきたところ、当該労働契約の終了に向けて就業規則を変更して、定年後の延長については承認制を採用する旨定められていました。そして、不承認の決定をくだして、労働契約を終了させたところ、これが雇止めに該当するものとして争われたという事案です。  同裁判例においては、高齢者の継続雇用においても労働契約法第16条による解雇権濫用法理が適用されることを前提に、以下のような事実をふまえて、労働契約が存続すると判断しました。  @定年後、特段明示的な承認の手続きを取られないまま、労働契約が更新されていた。  A承認が得られなかったことは、労働契約を終了させる意思表示にほかならない。  B解雇するには、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が必要だが、その立証がなされていない。 4 基準変更の就業規則の意味  高齢者雇用の事案とは若干異なりますが、継続雇用の基準を就業規則の変更によって行った企業における、労働契約終了についての裁判例もあります(山口地裁令和2年2月19日判決)。  有期労働契約の通算雇用期間の上限について、従来は定めがなかったので、就業規則を変更して5年を上限とする旨設定し、これを適用する形で、有期労働契約を終了させたところ、当該契約の終了の効力が争われました。  使用者としては、就業規則を改正することで、通算雇用期間の上限を設定したうえで、雇用契約の更新の際には、雇用契約にも上限となる期限を明記して署名押印を得ていることから、労働契約法第19条による保護の対象とはならない旨主張しました。  裁判所の判断では、就業規則改正前における労働契約更新手続きが形式的なものにすぎず、その業務態度等を考慮した実質的なものではなかったことなどから、就業規則改正前の時点において、すでに反復継続して更新される合理的な期待が生じていた以上、就業規則の変更に関する説明や契約書の記載によっても当該期待が消滅したとはいえないと判断されています。  また、更新基準に関しても、その判断基準が主観的な表現(「ぜひ雇用継続したい」、「雇用継続したい」、「雇用継続をためらう」、「雇用継続したくない」の4段階)が用いられているだけであることなどを理由に、客観的合理性を欠くものと判断されています。  このような裁判例からすると、基準の設定を行う場合には、客観性を確保する必要があります。客観性の要素としては、手続きとしての透明性(あらかじめ更新基準の要素が明らかにされていることなど)、評価基準については主観的な表現のみではなく、客観的に数値化可能な基準を含んでいることなどが重要と考えられます。  また、改正の手続きにおいても、不利益をともなう労働者に対しては、特にていねいな説明の機会を確保し、真摯な意思をもって更新されないルールに変更となる旨を理解してもらい、更新の期待を明確に打ち消すことなどが必要となります。理解が得られないことがあり得ることもふまえると、制度構築時点における対象者には経過措置として適用対象から除外するなどの配慮が必要になることもあるでしょう。 第32回 ハラスメントの処分とその公表 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 休憩時間中に外部で起こしたセクシュアルハラスメントに対する処分の程度  休憩時間中に訪れた近隣の店舗で、店員に対してセクシュアルハラスメントを働いている従業員がいるとの通報を受けました。  セクシュアルハラスメントの内容としては、店舗内でその店舗に勤める女性の店員に対して、卑猥な言動をしたり、手が触れそうなくらい近づくというような行為を行っていたようです。  職場内ではないこともあり、処分の程度を判断しづらいのですが、どのように決めればよいのでしょうか。 A  就業規則の懲戒処分の種類にしたがって判断する必要があります。解雇相当とはいい難いものの、解雇に次ぐ程度の重い処分も許される余地があります。 1 セクシュアルハラスメントについて  男女雇用機会均等法は、セクシュアルハラスメントを規制対象としており、「事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない」と定めています。  また、セクシュアルハラスメントの防止に関しては、厚生労働省によるガイドラインも定められ、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」として、対応が整理されたところです。  ガイドラインでは、ほかの事業主が雇用する労働者などからのハラスメントや顧客などからの著しい迷惑行為による被害を防止するための取組みについても新たに定められましたが、今回のケースでは、行為の加害者の立場に立ったのが、対象の従業員ということになります。  事業場外での行動ということにはなりますが、休憩時間中の行為であることからすると、就業時間中の非違行為に類するものとして対処が必要になるものと考えられます。 2 処分の程度の決め方  懲戒処分の根拠となる就業規則に基づき取りうる選択肢を整理することになります。一般的には、けん責・戒告、減給、降格、諭旨解雇、懲戒解雇などを定めている企業が多く、これら以外には、昇給停止、職務停止(自宅謹慎)などを定めている場合もあります。  懲戒処分については、労働契約法第15条で、「当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」には無効となると定めています。  処分の程度が重たくなるほど、処分理由について、合理性が厳格に求められるほか、相当性を満たすこともむずかしくなります。まずは、処分の重たさを検討のうえ、処分の程度を選択していくことになります。当然ながら、懲戒解雇がもっとも重い処分となりますが、職務停止などは給与の支給も止まることをふまえると、解雇に次ぐ程度に重く、その期間が長くなればなるほど解雇に近づくほどに重たいものとして評価されることになるといえるでしょう。したがって、一般的には重たい順から、懲戒解雇、諭旨解雇、職務停止、降格、昇給停止、減給、けん責・戒告といった考え方になるでしょう。  そして、ハラスメントの内容、頻度、被害者の数、被害者からの処罰感情などを考慮したうえで、処分を決定していくことになります。 3 処分の相当性が争点となった裁判例について  過去の裁判例において、類似の状況で地方自治体の懲戒処分の相当性が争点となった事件があります(最高裁平成30年11月6日判決)。  勤務時間中に訪れた店舗において、女性従業員に対してわいせつな行為などを行ったことを理由に、6カ月の停職処分を行ったところ、その処分の取消しを求めて訴訟が提起されました。  第一審および控訴審においては、処分が不相当に厳しいものとされた結果、取消請求が認められています。その際には、被害者と顔見知りであったこと、終始笑顔での対応がされており、渋々ながらも同意していたと認められること、当該店舗のオーナーおよび被害者が処罰を望んでいないこと、常習性があったとは認められないこと、過去の処分歴がないことなどが理由とされていました。  これに対して、最高裁は、第一審および控訴審の結論を維持せず、6カ月の停職処分を有効と判断しています。まず、店員が笑顔で対応し特段の抵抗を示さなかったとしても、それは客と店員の関係であり、トラブルを避けるためのものであったとみる余地があり、これを加害者にとって有利に考慮するべきではないと判断されています。また、処罰を望んでいない点についても、事情聴取の負担や店舗の営業への悪影響などを懸念したことによるものとして、重視しない姿勢を示しています。被害者の態度や感情については、過去にも、「被害者が内心でこれに著しい不快感や嫌悪感等を抱きながらも、職場の人間関係の悪化等を懸念して、加害者に対する抗議や抵抗ないし会社に対する被害の申告を差し控えたり躊躇(ちゅうちょ)したりすることが少なくないと考えられる」と判断し、加害者に有利に斟酌(しんしゃく)することを否定した判例(最高裁平成27年2月26日判決)がありますので、同様の考え方が維持されているといえるかと思われます。  特殊な事情としては、自治体による会見や報道が行われており、公務一般に対する住民の信頼が大きく損なわれたものというべきであり、社会に与えた影響が小さくないものとされている点は、通常の企業において生じる事案とは異なる点といえるかと思われます。停職処分は免職(解雇類似)処分に次ぐ重いものであることをふまえてもなお、厳格な処分を有効と判断しており、自治体であることや報道がなされたことなど特殊な事情はありますが、処分の程度について参考になる事件であると思われます。 Q2 懲戒処分とその公表について留意点があれば教えてほしい  社内において生じたパワーハラスメントについて調査したところ、ハラスメント行為が存在し、懲戒処分を行うことが相当であるとの結論に至りました。類似の事案が生じないように再発防止策として懲戒の理由と対象者を公表する予定ですが、何か問題があるでしょうか。 A  懲戒処分の結果を公開するか否かについては、原則として、企業の裁量に委ねられていると考えられます。懲戒処分を公開するにあたっては、懲戒対象者の名誉棄損などに該当する可能性などもふまえたうえで判断する必要があります。特定されやすい事案であれば、再発防止に関しては、懲戒処分の公表以外によることも検討するべきです。 1 懲戒処分の公表について  懲戒処分は、企業秩序の維持や回復のために行われる側面があります。  企業内において、ハラスメントが行われたことが噂になっている場合に、処分結果を公表しないままでいると、結局お咎(とが)めなしだったのかなど、企業秩序が回復できないままになるおそれがあります。したがって、公表することにより、企業秩序の維持または回復に努めるほか、公表自体が再発防止に資することもあります。  就業規則に、「懲戒処分の際、被懲戒者の所属部署、役職、事案の概要、懲戒処分の対象となった行為及び懲戒処分の内容等について、社内に公表する場合がある」など公表に関して定めている企業もあります。  法律上も、公表自体を明確に禁止する規定はなく、一律で、公表自体を行ってはならないというルールにはなっていません。  しかしながら、直接的に公表を禁止する法律がないといっても、日本における名誉棄損は、たとえ、真実を公表した場合であっても成立しうるものとされていますので、名誉棄損に該当してしまうと違法と判断されるおそれがあります。  したがって、名誉棄損に該当しないように留意する必要があり、再発防止に資する要素は残しつつも、例えば、氏名などについては秘匿(ひとく)するなど、名誉棄損に該当しないような運用は必要といえるでしょう。  また、ハラスメント事案においては、被害者もいるため、懲戒事由を公表することで被害者のプライバシーへの配慮が不足しないよう配慮する必要があります。 2 懲戒処分の公表と名誉棄損について  懲戒処分を受けるということは、基本的には不名誉なことであり、公表することによって、懲戒処分の対象者の社会的評価を下げることにつながるといえます。  名誉棄損に関して、民法第723条は、「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる」と定め、被害者による名誉棄損の加害者に対する損害賠償請求権と名誉回復措置請求権を認めています。  日本の名誉棄損の解釈では、たとえ、真実を公開した場合であっても、それが対象者の社会的評価を下げる以上は、原則として違法とされています。違法と判断されてしまうと、損害賠償および名誉回復の責任(例えば、日刊新聞紙への謝罪広告の掲載やホームページ上への謝罪文の掲載などの方法が採用されています)を負担することとされています。  例外的に許容されるのは、公開の目的が専(もっぱ)ら公益目的であることに加えて、当該事実が真実であること、または真実であると判断するに足りる相当な理由があることが必要と考えられています。  過去の事例で、懲戒解雇の結果および当該解雇に至る経緯などを公表したところ、対象の従業員から名誉棄損に基づく請求が行われた事件があります(泉屋東京店事件・東京地裁昭和52年12月19日判決)。  その事件では、裁判所が「一般に、解雇、特に懲戒解雇の事実およびその理由が濫(みだ)りに公表されることは、その公表の範囲が本件のごとく会社という私的集団社会内に限られるとしても、被解雇者の名誉、信用を著しく低下させる虞(おそ)れがあるものである」としており、懲戒の公表による名誉棄損の可能性を示しました。  さらに、「公表する側にとつて必要やむを得ない事情があり、必要最小限の表現を用い、かつ被解雇者の名誉、信用を可能な限り尊重した公表方法を用いて事実をありのままに公表した場合に限られると解すべきである」と判断しています。  この裁判例では、「真実であることを前提とした必要最小限度」という厳格な基準が用いられており、公表の範囲を決めるにあたっては参考にできると思われます。  一方で、広島高裁平成13年5月23日の判決においては、降格処分を会社内で掲示した事例について、こちらでは、降格処分が真実であり、名誉を毀損する意図をもって行われたものではないこと、業務上必要な情報の共有であったことから名誉棄損とまでは認められておらず、公表自体が一律に禁止されるというわけではありません。 3 公表の際の留意点について  懲戒処分の公表にあたっては、懲戒対象者の名誉棄損に該当しないように、留意する必要があります。このことは、就業規則などにしたがって公表する場合でも同様です。  仮に、懲戒事由まで公表する場合には、当該懲戒の根拠となる事実が真実であることが必要と考えるべきでしょう。紹介した裁判例においては、いずれも事実が真実であることを前提としており、この点を欠く場合には名誉棄損に該当する可能性が高いといえます。  次に、懲戒対象者や被害者を特定できる形で行うのか否かという点です。懲戒処分が原則として不名誉なことであることからすれば、業務上の必要性がないかぎりは、氏名などについては公開をするべきではないでしょう。降格などの人事とかかわるような事項については、業務上の必要性が認められやすいといえますが、それ以外の場合には氏名の公表まで認められる範囲は広くないと考えられます。  これらの点に関して、人事院では、公務員に対する懲戒処分の公表指針を定めています。公表する際には、事案の概要、処分量定および処分年月日並びに所属、役職段階などの被処分者の属性に関する情報を、「個人が識別されない内容のものとすること」を基本として公表するものとしています。さらに、被害者またはその関係者のプライバシーなどの権利利益を侵害するおそれがある場合など、公表することが適当でないと認められる場合は、公表内容の一部または全部を公表しないことも差し支えないものとしています。  人事院の公表指針は、被懲戒者の名誉や被害者がいる場合のプライバシーなどに配慮した内容となっており、懲戒処分を公開する場合の基本的な考え方が示されているといえ、参考になるでしょう。  パワーハラスメントの事案では、加害者と被害者双方への配慮が必要となるほか、事案の内容から当事者が特定されやすいという場合もあり、氏名などを秘匿したとしても、懲戒事由を明記してしまうと個人が識別されない内容とはなりにくい場合があります。そのため、公表による抑止のみではなく、研修や教育の再徹底やトップメッセージを追加で公表するなど、そのほかの方法による再発防止を検討することも視野に入れるべきと考えられます。 第33回 労働者に対する損害賠償請求、ノー残業デー導入時の留意点 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 労働者に対する損害賠償請求について知りたい  労働者が、会社に対して、損害を生じさせた場合に、その損害を賠償するよう請求することはできるのでしょうか。  会社の内規を大きく逸脱して損害を与えた場合などはどのように考えられるのでしょうか。 A  損害賠償の予定は禁止されていますが、実損を請求することは可能です。ただし、損害の公平な分担の観点からかなりの割合が制限されることが多くあります。 1 労働者に対する損害賠償責任について  労働基準法第16条は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」と定め、損害賠償の予定を禁止しています。このような規制がなされている背景には、契約期間中の解約に対する違約金を設定することや、事業活動におけるミスなどの賠償を予定しておくことで、労働者が退職する自由を奪い、不当な足止めを行うことにつながることを回避することにあります。  一方で、実際に発生した損害についてはどうでしょうか。このような場合には、民法第715条第1項が、会社が労働者の不法行為によって他人に損害を生じさせた場合には、被害者に対して賠償する責任を負担することを定めています。この場合、使用者は労働者とともに、被害者に対する賠償責任を負担する義務を負います。  また、同条第3項では、「前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない」と明記しており、会社としては労働者に対して、求償権を行使することが可能とされています。これは、実際に発生した損害を事後的に請求するという状況であり、あらかじめ違約金などを定める状況とは異なります。  したがって、会社が、労働者に対して、実際に発生した損害について、被害者へ支払う義務があるときには、請求することが可能と考えられています。 2 負担割合について  実際の損害を生じさせたのが労働者であったとしても、使用者から全額の負担を求めることができるのでしょうか。  代表的な判例となっているのが、最高裁昭和51年7月8日判決(茨城石炭商事事件)です。  事案の概要としては、労働者が運転するタンクローリーが、前方注視不十分の過失により交通事故を起こし、会社が被害者に対して、休業補償としての示談金を支払い、自社のタンクローリーを修理する費用や休車期間中の損害を負担した、というものです。  判決では、@事業の性格、規模、施設の状況、A被用者の業務の内容、B労働条件、C勤務態度、D加害行為の態様、E加害行為の予防もしくは損失の分散についての使用者の配慮の程度、Fその他諸般の事情を考慮要素とあげたうえで、使用者が、労働者へ求償できる範囲について「損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」に限定するという判断をしています。  使用者責任の背景にあるのは、会社は、すべてのリスクを回避できるわけではなく、そのなかで一定の危険を労働者に分担させていることから、終局的な責任は会社が負担すべきという考え(危険責任の原理)や、そのリスクを帯びた事業活動から会社が利益を確保していることからリスクの発生時には会社が負担すべき(報奨責任の原理)という考え方です。リスクの根源や利益の帰属するところが企業であることから、リスクが顕在化したときにだけ労働者へ全額負担させることが、損害の公平な分担に反するというわけです。  しかしながら、労働者の過失がある場合には、それによってリスクが顕在化している部分もあるわけですから、一切の負担を否定するというのもまた行き過ぎた考えでしょう。判例の事件では、最終的には、結論としては、4分の1(25%)を労働者の負担にするべきであるという結論となっています。  比較的多くの事件で、故意や重過失でないかぎり、労働者には4分の1程度かそれ以下といった負担割合となることが多くなっています。  一方で、くり返されるミスに対しては、全額の賠償が認められた事件もあります。タクシー運転手の職務についている労働者が、度重なる交通事故を起こしていたことから、次回の事故については全額の賠償をする旨の誓約書を提出していた事例において、事故がくり返されていたことをふまえた誓約書が提出されていたことから、誓約書提出後に生じた事故について全額の負担を認めた裁判例などもあります(大阪地裁平成23年1月28日判決、国際興業大阪事件)。  傾向としては、度重なるミスに対する責任を問う場合、行為自体に悪意がある場合、故意や重過失が認められる場合には、労働者が負担すべき割合が高くなる傾向があるといえるでしょう。 3 労働者が先に賠償した場合について  最高裁令和2年2月25日判決では、会社が被害者へ賠償した金額を労働者へ支払いを求めたのではなく、労働者が先に被害者の遺族へ賠償した後に、会社へ求償した事件について、判断されています。  事案としてはやはり交通事故であり、トラック運転中の交通事故で被害者は亡くなり、労働者がその遺族と和解して和解金を支払ったというものです。  控訴審までは、労働者から会社へ請求することを権利として認めませんでしたが、最高裁は、労働者が先に弁済した場合であっても、「損害の公平な分担という見地から相当と認められる額」について、会社へ請求することを認めました。  この判決の補足意見においても、会社側においては、保険制度を利用するか否かの選択肢があることや、それに対して保険制度を利用せずにいたことの負担を労働者へ転嫁することが妥当でないことなど、危険責任や報奨責任の考え方がいまもなお通用していることを示す内容も述べられており、使用者の責任の範囲をかなり広くとらえているように思われます。  会社が先に支払ったか、労働者が先に支払ったかということによって、労働者が負担すべき割合が変わるということは結論としても妥当ではありませんので、当然の結論といえるかと思います。実際の割合は、控訴審へ差し戻しされた結果を待つ必要がありますが、補足意見の内容をふまえると、会社の負担割合はかなり大きくなる可能性があると考えられます。 Q2 ノー残業デーを徹底する際の留意点があれば教えてほしい  時間外労働を減少させることを目的にノー残業デーを設定しているのですが、依然として残業を継続する者がいます。これらの残業に対しては、どのように対応すればよいのでしょうか。残業している者からは、「業務が残っているため残業せざるを得ない」という言い分が出ており、対応に苦慮しています。 A  ノー残業デーについては、残業禁止を明確に命じるとともに、残業せざるを得ない環境も同時に解消する必要があります。 1 労働時間について  労働時間とは、「使用者の指揮命令下に置かれている時間」(最高裁平成12年3月9日判決、三菱重工長崎造船所事件)と定義されており、労働時間であるか否かについては、使用者と労働者の契約や就業規則などの主観的な関係で定めるのではなく、労働実態をふまえて客観的に定まるものとされています。  このことからいえるのは、指揮命令下にあるか否かという実態に即して、労働時間管理を行わなければならず、ノー残業デーを徹底するにあたっても、その観点から取り組んでいかなければならないということです。  労働実態に変更がないような場合には、たとえノー残業デーを周知していたとしても、それだけでは時間外労働が発生してしまう余地があり、残業をなくすことを実現することがむずかしいでしょう。 2 時間外労働について  時間外労働の典型的な状況は、使用者が明示的に時間外労働を命じた場合です。この場合には双方の認識が合致しているはずであるため、労働時間管理に問題は生じないはずです。例えば、残業について事前許可制を採用しており、労働者の事前申請に対して、使用者において、申請を許可しているような場合には、双方ともに残業することを認識しています。  一方、ノー残業デーを周知しているにもかかわらず、労働者が残業を行っているような状況は、使用者の明示的な命令はなく(むしろ残業をしないよう周知している)、労働者としては業務を遂行しており、使用者の指示と労働者の行動がちぐはぐになっている状況です。ちぐはぐな状況であったとしても、労働時間は客観的に判断するということになるため、たとえ使用者の指示や認識が残業を命じていないとしても残業が労働時間となってしまう場合があります。  明示の時間外労働の命令がない場合の考え方としては、労働者の業務遂行が、@使用者の黙示の指示によって求められている、A残業をしなければ制裁があるなど事実上残業を強制されている場合などには、労働時間として認められると考えられています。  まず、@使用者の黙示の指示とは、いわゆる時間外労働を使用者が黙認し続けるような状況などが典型的です。指示に反する業務遂行に対して改善を求めて注意や指導などを行うことなく、残業を見逃しておくという場合には、黙示の指示があったものとして、労働時間として認められてしまうことにつながります。ノー残業デーを周知しつつも、残業している者がいる状況を黙認し、残業している事実自体を受け入れてしまっているような状態では、時間外労働であることは否定できないと考えられます。  次に、A事実上の強制については、時間外労働を行ってでも業務を遂行しておかなければ、人事考課上の不利益や懲戒処分その他の制裁が行われる余地がある場合には、事実上の強制があるものとして、労働時間に該当することにもつながります。業務量が過剰であり、時間外に実施しておかなければ業務遂行に支障が出る、顧客との間で債務不履行が生じることが必定であるなどの状況も労働時間性を肯定する要素になりえます。  これらの@やAの要素から時間外労働が認められた裁判例もあります。例えば、大阪地裁平成15年4月25日判決(医療法人徳洲会事件)においては、タイムカードの打刻以降に行った業務が、時間外労働となるか否かについて、レセプトの作成やそれに関連する業務が毎月10日を期限とされていたことなどから、遅滞させることが許されず、これらを処理することが当然容認されていたものとして、黙示の業務命令に基づく時間外労働であると評価されています。  したがって、@やAの要素を排除しておくことが、ノー残業デーの徹底に取り組むにあたって重要といえます。 3 残業の明示的な禁止について  過去の裁判例において、時間外労働における労働について、労働者側からは黙示の指示や事実上の強制が主張される一方で、使用者側から明示的に残業を禁止しており、労働時間と認めない旨反論した事件があります(東京高裁平成17年3月30日判決、神代学園ミューズ音楽院事件)。  当該裁判例においては、「使用者の明示の残業禁止の業務命令に反して、労働者が時間外又は深夜にわたり業務を行ったとしても、これを賃金算定の対象となる労働時間と解することはできない」と述べたうえで、「残業を禁止する旨の業務命令を発し、残務がある場合には役職者に引き継ぐことを命じ、この命令を徹底していた」ことなどをふまえて、明示的な残業禁止命令に反する時間外又は深夜にわたる業務については、労働時間と評価することができないと結論付けています。なお、労働者からは、残業しないで仕事をこなすことが不可能である旨主張されていましたが、役職者に引き継ぐことが命令されていることをふまえて、事実上の強制の要素についても否定しています。  このような裁判例も参考にすると、ノー残業デーを明示的な「命令」として周知しておくことが重要です。ただ推奨しているだけの状態では、黙示の命令を上回る明示の命令としては位置づけることができないおそれがあります。ノー残業デーの周知や推奨によって実現が叶わない場合には、残業している労働者に対して、残業を禁止する旨注意したうえで、それでも改善しない場合には禁止を命じることが必要でしょう。  また、事実上の強制の要素を排除するためには、残業をしている時間帯に行っている業務の内容を把握し、その必要性や重要性を吟味することが重要です。この裁判例でも残業禁止の命令自体が真意に基づくものではない、つまりは形式的なものであって、時間外労働であったことを否定するものではないと反論されており、形式的に命令を行うだけでは、残業禁止を徹底することが叶わない可能性があります。  紹介した裁判例においては役職者が引き継ぐことで、役職者以外の残業をなくすようにしていますが、このような方法は、残業時間中に行っている業務を把握し、その必要性を吟味する方法としても評価できるでしょう。 第34回 部門閉鎖と整理解雇、人事考課に基づく降格 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 部門閉鎖により整理解雇を行わざるを得ないときの留意点について知りたい  経営状況悪化にともない、事業部門を一つ閉鎖することを予定しています。部門閉鎖とあわせて整理解雇を実施しなければ、事業継続はむずかしいと考えているのですが、部門に所属する従業員を解雇することは可能でしょうか。 A  判例上、整理解雇の4要件(要素)が確立しており、それらの要件に則した検討が必要となります。また、部門に所属する従業員全員を解雇するためには、人員削減の必要性が高く、解雇回避努力を尽くしたうえでなければなりません。 1 整理解雇の4要件(要素)  労働契約法第16条は、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定めています。この規定は、経営上の理由により、整理解雇する場合であっても適用されるものと考えられています。  整理解雇における、客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性を判断するにあたっては、四つの要件(要素)を考慮して判断されることが一般的となっています。@人員削減の必要性、A解雇回避努力、B人選の合理性、C手続きの妥当性が、四つの要件(要素)として考慮されます。本稿では、これらがいかなる内容を意味しているのか整理したうえで、実際の裁判例を紹介していきたいと思います。 2 人員削減の必要性  かつては、人員削減をしなければ企業存続の危機に瀕する状況にあることを求めるような時代もありましたが、近年では、そのような差し迫った状況であることまで求めるものではなく、企業の運営上合理的な判断としてやむを得ないものと評価されるものであれば、基本的には経営者の判断が尊重される傾向があるといわれています。  とはいえ、人員削減の必要性については、具体的な根拠をもって示さなければ、客観的かつ合理的な理由があるとは評価されません。  人員削減を行う一方で、新規採用を行っているような場合や、経営上赤字ではないような状況においては、人員削減の必要性は否定されることが多いと考えられます。  後述Bの「解雇回避努力」とも関連しますが、裁判所においては、当該事業部門の人数が少数である場合などには、解雇以外の選択肢をとることができなかったとは思われないといった心証を開示されることもありますので、対象人数が少ない場合には、人員削減以外の方法がとれない理由も重要になります。  一例として、職種限定がなされていることから異動などの選択肢が取れないことなどが考えられますが、その場合でも、合意による異動の打診などは検討することが適切でしょう。 3 解雇回避努力  できるかぎり、解雇以外の方法で、企業経営を立て直すことができないか検討することが、解雇回避努力の要素となります。  解雇によって経営の危機的状況などを回避することがねらいとしてあるわけですが、その前に残業代の抑制、余剰人員の出向や配転、希望退職者の募集、退職勧奨による人員削減、役員報酬の削減などが一般的な解雇回避努力の例としてあげられます。  どの企業においても検討することが必要となることで比較的多いのは、希望退職者の募集や退職勧奨の実施です。解雇回避努力の一環として希望退職者の募集や退職勧奨を実施することは、必然的に整理解雇の必要性の説明内容や、どのような理由でだれを選択するのかということを検討することにもつながるため、後述Cの「人選の合理性や手続きの妥当性」にも関連する事項であり、しっかりと整理解雇の要件(要素)を検討するためにも、希望退職者の候補などを慎重に検討すべきでしょう。 4 人選の合理性と手続きの妥当性  人選の合理性を判断するにあたっては、例えば、過年度の勤務成績が低いものを選択することや、勤続年数、労働者の生活への影響の大きさなどをふまえて決定することが考えられます。万能の基準を想定することはできず、会社の雇用している従業員の人数や年齢、家族構成、勤続年数などの構成をふまえて、検討する必要があります。  比較的共通しやすい要素があるとすれば、人事考課上の評価や勤務成績といったものがありますが、人事考課や勤務成績の基準が客観的ではなく主観的なものである場合や、評価基準が不合理な場合にはそれに依拠することが否定される可能性があります。したがって、人事考課や勤務成績についても定量的な要素により客観性が保たれていることを留意すべきでしょう。  なお、国籍、信条、社会的身分、性別、婚姻・妊娠・出産、育児・介護、労働組合員であることなどを人選の基準に加えることは、法律上禁止されている差別的取扱いになるため許されません。  手続きとして想定されているのは、労働協約や就業規則の根拠に協議条項がある場合には、協議を前置することなどが典型的です。ただし、そのような根拠となる規定がない場合においても、誠実に協議することが求められる傾向があることから、根拠の有無にかかわらず、労働組合や解雇対象となりうる労働者に対し、事前協議や解雇の必要性に関する説明を尽くす必要があります。  協議や説明にあたっては、人員削減の必要性、解雇回避努力の手法、人選基準などについてできるかぎり納得を得られるように誠意をもって対応することが求められます。 5 整理解雇が認められた近時の裁判例  東京地裁平成31年3月28日判決は、部門の閉鎖にともなう整理解雇が、整理解雇の4要件(要素)に照らして、有効と判断された事例です。航空会社において、旅客数がおよそ半減するほど人気が低下した路線となった結果、業務量が減少した部門について、減少前の業務量に相当する賃金を支払い続けていたことから、部門削減によるコスト削減が実現できることを理由に、人員削減の必要性を肯定しました。  また、解雇回避努力の措置および手続きの妥当性に関して、労働組合に対して、通常の退職金に加えて特別退職金として20カ月分の賃金相当額を加算して支払う旨を提案するほか、配置転換による勤務の継続を提案してきたことが相当な内容であったと評価されました。  人選の合理性については、部門に所属するもの全員を対象とするものであることから不合理な点は見当たらないと評価されています。  比較的高度な人員削減の必要性がある状況のなか、解雇回避努力および手続きの妥当性について十分な措置をとってきたことが、整理解雇の結論を左右したといえる事案であると考えられます。 Q2 人事考課に基づく降格の有効性について教えてほしい  人事評価の結果をふまえて、給料の減額をともなう降格処分を行うことを検討しています。人事権の行使の一環であることから、裁量の余地が広いと考えて問題ないでしょうか。 A  減給をともなう降格には、就業規則上の根拠が必要であるほか、処分の合理性が求められます。  処分の合理性を判断するにあたっては、人事考課基準自体の合理性や降格処分に至るまでの指導経過などもふまえて評価されることから、その経過を記録しておくことが重要です。 1 賃金の減額をともなう降格に必要な根拠  企業内においては、人事評価の仕組みを構築し、賃金体系を定めることになりますが、その制度は、各企業においてさまざまです。  あえて分類すれば、人が身につけた能力を評価して賃金を定める「職能給」と、人がになう役割や職務の内容に則して賃金を定める「職務給」の2種類の考え方があります。  日本においては、「職能給」としての賃金制度が広く定着しており、基本的には、能力が減衰することはないという前提のもと、原則として、賃金の減額は想定されていない制度として運用されています。したがって、「職能給」を前提とする賃金体系においては、労働契約や就業規則において、明確な降格の根拠規定がないかぎりは、降格を実施できないと考えられています。  一方で、「職務給」としての賃金制度を採用している場合には、職務の変更をともなう場合には賃金も変更されることが前提とされており、その意味では降格の裁量の余地は広いといえます。しかしながら、賃金の減額という不利益をともなう以上、たとえ「職務給」を採用している場合においても、明確な根拠規定は必要と考えられています。逆説的な発想ではありますが、そもそも職務の変更にともない賃金の減額を行いうることが就業規則や賃金規程において表現されていないような場合は、「職務給」制度を採用していると評価されずに、一般的に定着している「職能給」として判断される可能性もあることから、「職務給」制度を採用していることを明確にする趣旨からも、降格の根拠規定を置くことは重要といえます。 2 人事権の濫用  降格の実施にあたっては、根拠規定が存在することが前提となりますが、その判断は、人事評価という過程を経て行われることになります。人事評価の過程において、著しい不合理な評価によって判断された場合には、その人事権を濫用したものとして降格が無効になると考えられています。  濫用となるか否か判断する際に重視される観点としては、「公正な評価」がなされることが必要という考え方がなされています。例えば、東京地裁平成16年3月31日判決においては、賃金の減額をともなう人事権の行使に関して、「労働契約の内容として、成果主義による基本給の降給が定められていても、使用者が恣意的に基本給の降給を決することが許されない」としたうえで、「降給が許容されるのは、就業規則等による労働契約に、降給が規定されているだけでなく、降給が決定される過程に合理性があること、その過程が従業員に告知されてその言い分を聞く等の公正な手続が存することが必要」としています。ここで、注目されるべきは、評価の過程までを人事権濫用の判断要素として含めたうえで、その過程が従業員に告知されてその言い分を聞くなどの手続きを求めているという点です。人事権の行使に関しては、経営者の判断が尊重されるべきではありますが、評価の過程については説明をしておくべきでしょう。  なお、同判決は「降給の仕組み自体に合理性と公正さが認められ、その仕組みに沿った降給の措置が採られた場合には、個々の従業員の評価の過程に、特に不合理ないし不公正な事情が認められないかぎり、当該降給の措置は、当該仕組みに沿って行われたものとして許容されると解するのが相当である」とも判断しており、企業の判断を尊重する姿勢も同時に示しています。 3 実務上における問題点  人事評価に基づく人事権の行使にあたっては、その過程の記録が十分に残されていないことが多くあります。  定量的な評価を行っている場合には、比較的記録として残りやすいため、証拠化することができます。一方で、人事評価は、どうしても定性的な評価もともなうものであり、一定期間における定性評価について、結果だけを記載しても印象論や主観的な評価と判断されるおそれが強いといえます。  実際に、人事評価に基づく降格が有効と判断されている裁判例においては、主観的な評価に陥りがちな部分に関して、従業員へのフィードバックなどの記録が残っている場合などが比較的多くみられます。  例えば、先述の東京地裁平成16年3月31日判決においても、目標管理制度が採用されており、目標設定が従業員との面談を通じて設定され、評価にあたっては自己評価も行い意見を述べる機会が与えられていることなどから、人事評価過程の透明性をふまえた判断がなされているように見受けられます。また、大阪地裁令和元年6月12日判決は、賃金減額をともなう降格の有効性が争われた事案ですが、各年度の重点業務を示したうえで、その結果を報告させる制度において、その内容をふまえた人事評価を行うことについては、基本的には合理性を認めています。これらの事案においては、従業員自身がいかなる要素に基づき評価されるのか認識し、その評価の説明を受けたうえで、自身からの意見を述べる機会が与えられていることが、重要な判断要素としてあげられていると考えられます。  なお、大阪地裁令和元年6月12日判決では、人事評価の過程で業務改善を目的とした面談を行いつつ、その面談における指摘に対して、従業員が「すいません」、「これは私のミスなんですけども、そこまでやらなあかんという認識がありませんでした」など、具体的な発言が認定されています。これだけの具体的な発言を立証するためには、面談の記録を保存しておく必要があるでしょう。  人事考課に基づく降格を行うにあたっては、人事考課の結果を立証するのみでは足りず、対象者にとって、降格に至る過程の透明性が確保されており、評価が低くなる理由を認識して、それを改善する機会があったことも判断要素としては重視される傾向にあると考えられます。 第35回 勉強会の労働時間の該当性、高齢者への安全配慮義務 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 勉強会や研修は労働時間として扱われるのか教えてほしい  当社では、就業時間の終了後に勉強会を開催し、安全衛生に関する知識を共有したり、業務に必要な研修などを行っています。  従業員から、勉強会に参加している時間は労働時間であるから残業代を支払うよう求められたのですが、支払う必要があるのでしょうか。 A  勉強会への参加に対する義務づけの程度に応じて、労働時間となるか否かが左右されます。人事考課上の考慮事項としていたり、不利益な懲戒処分の対象となり得る場合などには、労働時間となる可能性が高いでしょう。 1 労働時間について  以前にも、労働時間に関しては触れましたが※1、労働基準法における労働時間とは、「使用者の指揮命令下に置かれている時間」(最高裁平成12年3月9日判決、三菱重工長崎造船所事件)と定義されています。この判例では、労働時間であるか否かを判断するにあたっては、使用者と労働者の契約や就業規則などの主観的な関係で定めるのではなく、労働実態をふまえて客観的に定まるものという趣旨も含めて、指揮命令下に置かれていたか否かを判断するものとされています。  行政解釈においても、労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であるとして同様の整理がなされたうえで、使用者の明示または黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間にあたることを前提に、以下のような類型については、労働時間に該当すると整理されています。 @使用者の指示により、就業を命じられた業務に必要な準備行為(着用を義務づけられた所定の服装への着替えなど)や業務終了後の業務に関連した後始末(清掃など)を事業場内において行った時間 A使用者の指示があった場合には即時に業務に従事することを求められており、労働から離れることが保障されていない状態で待機している時間(いわゆる「手待ち時間」) B参加することが業務上義務づけられている研修・教育訓練の受講や、使用者の指示により業務に必要な学習などを行っていた時間  これらのうちBが、今回の質問に最も近い内容であり、勉強会の時間は、労働時間に該当するという可能性があります。 2 重要な判断要素  研修・教育訓練の受講や業務に必要な学習などという内容からすれば、労働時間に該当するという判断になりそうですが、労働時間該当性の要素には、「参加することが業務上義務づけられている」ことや「使用者の指示により」という要素が必要です。  この点を考慮することなく、一律に就業時間外の勉強会などを労働時間とみることはできません。  「使用者の指示により」という点については、明示の指示であれば明確であり、会社の指示に基づき参加させられている場合には、労働時間に該当するといえそうです。しかしながら、現実には、「参加をうながすこと」と「指示して参加させること」は、外形的には類似する場合もあり、使用者からの意図と労働者の受け止め方が相違する可能性があります。したがって、会社から参加するよう求められたとしても、それが「指示」といえるのかという点は、必ずしも明確ではないということもありえます。  また、「参加が業務上義務づけられている」という点についても、義務づけているのか否かについては、指示による場合と同様に、受け止め方の相違も生じることがあり、必ずしも明確ではないケースもあります。  つまり、「参加することが業務上義務づけられている」ことや「使用者の指示により」という要素が非常に重要であるにもかかわらず、その判断がむずかしいのです。 3 裁判例の傾向  労働時間の定義を示した三菱重工長崎造船所事件の判決では、業務の準備行為等を行うにあたり「就業規則において」作業服および保護具等の着用が義務づけられていたこと、これを怠ると「懲戒処分」を受けたり、成績考課に反映されて「賃金の減収にもつながる」場合があったことなどを考慮して、指揮命令下にあったとして、労働時間該当性を肯定しています。  したがって、実際に個別具体的な指示があったか否かということのみならず、その指示に対して、労働者が従わなければならないか、従わなければ不利益(懲戒処分や人事考課上の不遇を受けるなど)があるかという点が重要な判断要素となっていると考えられます。  例えば、近年の裁判例でいえば、大阪地裁令和2年3月3日判決においては、就業時間外に行われていた安全衛生に関する「安全活動」と呼ばれていた時間帯と、月に1回から3回程度開催していた「勉強会」について、それぞれの労働時間性が争点となりました。  当該裁判例では、「安全活動」については、@就業規則に安全活動に関する規定は存在しないこと、A出欠が取られるものでもなく不参加の場合制裁が課されるものでもないこと、B参加によって査定などで有利になるものでもないことなどを考慮して、労働時間に該当しないと判断しています。判断要素のうち、@については、参加を義務づける規定がないことを考慮しており、Bの根拠を翻せば、人事考課上の不利益を受けるわけでもないことを考慮しているといえます。  一方で、「勉強会」については、@原告となった労働者が参加しないことが想定されていないこと、A参加することなく技術が身につかないままであれば、賃金や賞与の査定、従業員としての地位に影響することが明らかであること、B就業規則に、「会社は、従業員に対し、業務上必要な知識技能を高め、資質の向上を図るため、必要な教育訓練を行う」、「従業員は、会社から教育訓練を受講するよう指示された場合は、特段の事由がない限り指示された教育訓練を受講しなければならない」と規定されていることなどを考慮して、安全活動の時間とは異なり、労働時間に該当するという結論に至っています。@の要素から、任意参加ではなく対象の労働者にとって参加する以外の選択肢が与えられないという効果を生んでおり、不参加に対する制裁や不利益の存在から、@やAの要素は事実上の強制として評価される根拠となっています。さらに、補充的な要素とは考えられますが、就業規則上に、明示的に義務づける根拠となる規定が存在していること(Bの要素)も考慮されています。  同じ会社で行われた就業時間外の活動においても、その結論が分かれており、就業時間外の活動に対する判断が容易ではないことを示しているといえるでしょう。  勉強会に関するBの要素については、勉強会そのものを直接義務づける規定ではありませんが、使用者が、勉強会に参加させるための業務命令を発する根拠となる規定となっており、業務命令違反を理由とすれば懲戒処分などの実施が可能となるという労働者に対する不利益性とつながる要素になっています。類似するような抽象的な規定が定められている企業も多くあると思われますので、教育訓練に関する勉強会などの開催においては、このような規定の有無についても留意する必要があります。  仮に、同様または類似の規定を就業規則に定めている企業において、労働時間に該当しないように就業時間外の勉強会を開催するためには、勉強会への参加が命令ではないことを明確にしたうえで、または参加があくまでも任意であることを明確にしたうえで参加を募り、参加しなかった労働者への不利益措置などを実施しないといった要素に気をつけておく必要があります。 Q2 高齢労働者や業務委託契約を結んだ高齢者への安全上の配慮について知りたい  60歳や65歳を超える高齢者の雇用人数が増えているのですが、会社の安全管理などにおいて気をつけなければいけない事項はあるのでしょうか。  雇用以外の方法で就労確保する場合は、どのような配慮が必要なのでしょうか。 A  高齢者による労働災害の発生率は高く、通常の労働者以上に健康や体力への配慮を行う必要があります。  雇用以外の方法による就労確保においても、労働契約に準じた安全配慮義務を尽くすことが望ましいでしょう。 1 高齢者に対する安全配慮義務  定年後の再雇用者など高齢者の雇用者数は年を追うごとに増加している傾向にありますが、高齢者に関しては、安全配慮義務に関して、特有の視点が必要と考えられています。  厚生労働省は「労働者死傷病報告」などを基に、労働災害の発生状況の分析などの結果を公表していますが、2019(平成31/令和元)年の労働災害においては、全死傷者のうち60歳以上の死傷者数の割合が年々増加しており、その割合は26・8%に及んでいます。  なかでも、墜落・転落災害の発生率が若年層に比べて高く、転倒災害については、女性で高くかつ高齢となるほど高くなる傾向があります。継続雇用延長にあたっての企業の課題を調べた調査※2によると、継続雇用導入前の企業においては、「社員の健康管理支援」が最も割合が多く(35・1%)、継続雇用延長後の企業における課題としても、「社員の健康管理支援」は2番目に多い31・8%という結果となっています。これらの事情からしても、高齢者の労働状況に応じた健康管理を含む安全配慮義務への関心は高いといえそうです。  このような状況に鑑みて、厚生労働省は、2020年3月に「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(以下、「ガイドライン」)を公表しました。  高齢者の就業における安全に対する配慮に関する留意点は、このガイドラインが参考になります。 2 「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」の概要  ガイドラインは、安全衛生管理体制の確立など、職場環境の改善、高齢労働者の健康や体力の状況の把握、高齢労働者の健康や体力の状況に応じた対応、安全衛生教育の項目から構成されています。  安全管理体制の確立などについては、経営トップによる方針表明および体制整備をはじめとして、高齢者にとっての危険源の特定や洗い出しと防止対策の優先順位を検討することによるリスクアセスメントの実行など全社的な対応が求められています。高齢者向けの体制整備としての出発点となることから、高齢者の目線をふまえてリスクアセスメントを実行することは、非常に重要といえます。  職場環境の改善としては、共通事項として、視力・明暗の差への対応、手すりや滑りやすい場所の防滑素材の採用など転倒防止に関する施策や、短時間勤務などの工夫や作業スピードへの配慮など体力の低下などの特性へ配慮した対策が中心に掲げられています。  これらのなかでも、高齢労働者の健康や体力の状況の把握やそれに応じた対応の内容が特徴的であり、健康状況の把握として健康診断の実施から行い、体力の状況を把握するために体力チェックを継続的に行うよう努めることなどが求められています。健康や体力チェックの一例として、「フレイル」という筋力や認知機能などの心身の活力が低下して生活機能障害や要介護状態などの危険性が高くなった状態となっていないか確認する「フレイルチェック」と呼ばれる心身の健康状況を簡易に把握する方法や、厚生労働省による「転倒等リスク評価セルフチェック票」などが紹介されています。これらを利用しながら高齢労働者の健康状況および体力の状況を把握することが想定されており、参考になります。  また、これらが把握できた際には、業務の軽減の要否、作業の転換、心身両面にわたる健康保持増進措置を検討することが想定されており、周囲の労働者においても高齢労働者に対する理解を深めるための教育や研修の実施なども必要とされています。 3 雇用以外の創業支援等措置による場合  ガイドラインは、労働契約に基づく安全配慮義務の具体化ともいえるものであり、対象とされているのはあくまでも労働契約に基づき労務に従事する高齢労働者です。  しかしながら、高年齢者等の雇用の安定に関する法律が改正され、「創業支援等措置」といったほかの事業主と業務委託契約を締結することや、社会貢献事業に従事する方法で、就労確保を行うことも許容されるようになります。  これらの状況は労働契約に基づくものではないとしても、その就労においては高齢者の心身の状況への配慮が必要であることは共通しています。そのため、創業支援等措置を採用するために定める実施計画に安全衛生について記載しなければならず、厚生労働省が公表する指針(令2・10・30 厚労告351)においては、労働関係法令による保護の内容も勘案しつつ、委託業務の内容・性格に応じた適切な配慮を行うことが望ましいとされています。また、委託業務に起因する事故などにより被災したことを事業主が把握した場合には、ハローワークに報告することも望ましいとされており、労働契約法に基づく安全配慮義務や労働災害が発生した場合に準じた対応を心がける必要があるでしょう。 ※1 本誌2021年2月号(第33回 Q2 ノー残業デー導入時の留意点) ※2 (独)高齢・障害・求職者雇用支援機構『継続雇用、本当のところ』(2018年) 第36回 定年後再雇用の賃金一律減額、業務委託の留意点 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用の賃金制度について、何に気をつければいいのか知りたい  定年後に再雇用する従業員の賃金体系について、「同一労働同一賃金」施行の影響もあると聞きました。どのような要素に気をつければよいのでしょうか。 A  同一労働になる場合には、減額が許されない可能性が高く、職務の内容、変更の範囲などを定年前とは異なるように整理する必要があります。また、賃金体系についても、正社員とは異なる評価としておくことも検討してもよいでしょう。 1 定年後再雇用時の労働条件について  定年後に継続雇用する制度を導入し、再雇用を行う場合には、形式的には、定年により一度労働契約は終了し、新たな雇用契約を締結することになります。そのため、契約自由の原則からすると、雇用契約を締結するか否かは、使用者と労働者の意思が合致するか否かによるということになりますので、使用者が労働条件を変更して提示することも可能と考えられそうです。しかしながら、定年後の再雇用が義務化されている状況からすれば、定年後の再雇用を一切自由としてしまうと、労働条件を大きく下げることによって、実質的に雇用契約継続の可能性がなくなり、継続雇用制度が形骸化する可能性があります。  この点について厚生労働省は、合理的な裁量の範囲の条件を提示していれば、高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」)の違反にはならないとの見解を公表しています。ただし、高齢者が受け入れる余地のない労働条件を提示することは実質的には解雇に等しいと考えられ、継続雇用をしないことができるのは、就業規則の解雇事由または退職事由と同一の範囲に限定されている(「高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針」参照)こともふまえて、事業主から提示する労働条件は、合理的な裁量の範囲とするよう制約されています。  さらに、同指針においては、賃金・人事処遇制度の見直しとして、年齢的要素を重視する賃金・人事処遇制度から、能力、職務などの要素を重視する制度に向けた見直しに努めることや、継続雇用後の賃金については、継続雇用されている高齢者の就業の実態、生活の安定などを考慮し、適切なものとなるよう努めること、といった方針も示されています。  したがって、再雇用時の条件の提示に関しては、合理的な裁量の範囲であれば、可能といえますが、その範囲については、指針において示された考慮事項のほか、後述の同一労働同一賃金の要素も加味して検討する必要があります。 2 同一労働同一賃金との関係について  再雇用時の条件提示の問題以外にも、定年後の継続雇用を実施する場合、再雇用した高齢者は有期雇用労働者となることが一般的です。そのため、正社員との間で同一労働同一賃金の問題が生じます。  定年後の再雇用に関して同一労働同一賃金が争われた事件として、長澤運輸事件(最高裁二小 平30・6・1判決)があります。この事件において、判決では、旧労働契約法第20条が考慮することを認めている「その他の事情」として、定年後の再雇用であること≠ノついて、再雇用後の賃金減額に関する合理性を肯定する方向で考慮していました。  なお、この事件は、旧労働契約法第20条が適用された事件であるところ、現在においては、有期雇用労働者と無期雇用労働者の労働条件の相違に関しては、短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律(以下、「パート有期法」)第8条および第9条が適用されることになります(中小企業でも、2021(令和3)年4月1日から適用されます)。よって、この事件を参照する場合は、以下の点に留意しておく必要があります。  まず、「同一労働」と評価されるか否かが非常に重要です。この事件では、実は、同一労働か否かの判断にあたって@業務の内容、A当該業務にともなう責任の程度、B配置の変更の範囲については、無期雇用労働者と有期雇用労働者の間に「相違はない」と判断されています。ところが、現行法でこの事件と同様に「相違はない」と判断された場合、労働条件に差異を設けること自体を不利益取扱いとして禁止する「均等待遇」を定めた同法第9条が適用される可能性があります。そうなった場合には、同法第9条が「その他の事情」を考慮要素として掲げていないことから、長澤運輸事件のように定年後の再雇用であること≠ェ賃金減額の合理性を肯定する事情として考慮される余地がなくなる可能性があります。  したがって、定年後の再雇用において賃金の減額を一定程度行うにあたっては、少なくとも職務の内容(業務の内容、責任の程度)および職務の内容または配置の変更の範囲(変更の範囲)のいずれかについて、再雇用時点において整理しておくことがきわめて重要といえます。定年後の再雇用において従前の役割をそのまま維持すると、正社員との間での「均等待遇」が必要となり、少しの賃金の減額自体も許容されないことになってしまいそうです。具体的な業務の内容が変更することができない場合であっても、少なくとも、責任の程度や配置変更の範囲などについては、定年後再雇用者について役職を見直すことや異動に関する規定を適用しない旨を再雇用時の労働条件として雇用契約書に明示するといった対応はしておくべきでしょう。  さらに、賞与や退職金の支給に関しても、メトロコマース事件および大阪医科薬科大学事件(いずれも最高裁令和2年10月13日判決)において、有期雇用労働者に関して、これらの不支給が不合理といえるか否か判断が下されています。  定年後の再雇用において、退職金は支給済みであり追加で支給することは多くないと思われますので、主として問題となるのは賞与の支給であると考えられます。これらの事件においても、職務の内容やその変更の範囲などが判断要素となった点は共通していますが、賞与や退職金に関しては、その支給基準と賃金体系の相違(正社員は職能給制度であるが、有期雇用が時給制度であること)なども強調されています。また、これらの支給が業績と連動させていなかったことなども考慮しており、仮に、賞与に関して業績連動の要素がある場合には、有期雇用の労働者であっても業績に対する貢献があることは否定しがたいときには、賞与を一切支給しないという労働条件は不合理とされる可能性が残っています。賞与の支給に関して、正社員との差異を設けるような場合には、賃金体系に相違を持たせて、職能給の延長線上にならないような注意が必要であるほか、賞与支給の考慮要素に業績連動が含まれている場合には、一切支給を行わないことは不合理と判断される可能性がありますので、注意が必要です。  なお、パート有期法14条1項・2項は、事業主が講ずる措置について、有期雇用労働者に対して説明する義務を定めているため、なぜ再雇用後に賃金が減額されるのか、賞与や退職金の支給対象にならないのかについても、合理的に説明できるように準備しておく必要があります。 Q2 高齢社員の雇用終了後、業務委託契約を結ぶ際の留意点について知りたい  今後、65歳で継続雇用を終えて退職した後の従業員においても、まだまだ働ける者が出てくる予定です。雇用終了後は、業務委託の形で柔軟な働き方を認めていこうと思っていますが、留意すべき点はありますか。 A  継続雇用後であっても業務委託として認められるために、その実態が労働者として評価されないように留意する必要があります。  直接の指揮命令を避けることや費用負担などの合意の内容などをふまえて契約形態を検討しましょう。 1 創業支援等措置と業務委託について  高年法が改正されたことにともない、継続雇用後においても、就業機会の確保について努力義務が定められることになりました。  これまでの高年法との相違点としては、対象年齢が70歳までに延長されたことが特徴としてあげられますが、それ以外にも、「雇用」にかぎらず、さまざまな働き方による「就業機会」の確保という整理がなされた点も特徴としてあげることができます。  制度の詳細については、ここでは子細には触れませんが、継続雇用を終えて退職した労働者との間で、業務委託契約を締結して、仕事をしてもらうことも就業機会の確保のラインナップに入っているため、今後、このような対応をする企業も増加してくるかもしれません。  これまでの雇用関係による継続雇用とは異なり、業務委託とする場合には、会社は直接の指揮命令を行う立場ではなくなります。抽象的にいえば、元社員の独立性を維持したうえで、その判断に裁量を認めることが求められます。業務委託において委託する業務の内容が、在籍当時とほとんど相違ないようなことが想定されますが、そのような業務委託の形態は必ずしも適切とはいえないでしょう。  業務委託関係となった社員が、これまでの雇用と異ならないし、給料も支払ってもらえるという認識のままでは、後日トラブルになるおそれがありますので、業務委託の関係に切り替わることは明確に説明しておくべきでしょう。そのためにも、業務委託契約締結時には、書面により締結することとしたうえで、就業条件について、業務内容、支払う金銭の額および支払い時期に関する事項、契約締結の頻度や受発注の方法、納品または役務提供の方法に関する事項、契約変更の方法、契約終了の事由(解除、解約または契約期間)などを定めておくことが重要でしょう。  これらの契約内容にとって重要な要素として掲げた内容は、改正された高年法において、創業支援等措置を導入するための実施計画において定めることとされています。また、当該実施計画を契約締結する労働者へ書面にて交付するなど周知することも求められていることからも、これらの内容を契約上でも明確にしておかなければ、業務委託による創業支援等措置の実施と当事者の認識が齟齬してしまう恐れがあります。 2 業務委託と労働者性について  過去の連載においても、業務委託と労働者性について触れたことがあります(2019年7月号)。重複する部分もありますが、継続雇用後の業務委託においても、同様の点に留意しておく必要がありますので、改めて紹介します。  労働者性の判断にあたっては、「使用従属性」と呼ばれる観点が重視されています。過去の厚生労働省の解釈などにおいて、使用従属性の判断については、@仕事の諾否の自由の有無、A指揮命令権の有無、B時間や場所の拘束性の有無、C代替性の有無、D報酬の労務対償性の有無(労働時間の対価であるか否か)などがあるか否かという観点が掲げられています。  次に、労働者性を補強する要素の有無として、E事業者性の有無(用具の負担関係、報酬の額)、F専属性の有無、Gその他(採用選考過程の雇用類似性の有無、福利厚生の適用関係、就業規則の適用の有無)などが考慮されています。実際、裁判例においても、これらの要素をふまえて総合考慮の結果として、直接雇用の労働者との比較なども参照しながら、業務委託と評価できるか、労働者性を帯びているかを判断しています。  定年後の業務委託においては、自社以外においても役務を提供することが想定されていることは少ないと思われることから、専属性を否定できる状況になるとはかぎらないでしょう。できれば、専属性の要素を弱めるためには、雇用とは異なることから、副業や兼業を認めたうえで、実際に複数の会社に対する役務提供を行うような実態が確保できるとよいと考えられます。  また、機械や器具などの負担に関しても、これまで会社が用意してきたにもかかわらず、突如として自己負担を求めるようにスムーズに移行できるとはかぎらないようにも思われます。  こうした点を考慮すれば、判断要素のなかでも、指示などに対する諾否の自由を確保しておくためにも、就業する日時などについて裁量の余地をしっかりと確保しておくこと(上記@)が特に重要と思われます。具体的には、月間の就業回数などを決める際に何日役務提供するかという点について元社員の意思を尊重するといった方法を採用することになるでしょう。  さらに、業務遂行上の指揮監督においても具体的かつ詳細なものとしないこと(上記A)も重要となります。たとえ、役務の提供場所が退職前の職場と同様であったとしても、直接指揮命令をして業務にあたらせることはできず、仮に、業務遂行が適切に行われなかった際には、懲戒処分や厳重注意などではなく業務委託契約の解除に向けた催告として実施するといった対応が必要になるでしょう。  以上のような形で業務委託としての取扱いを実施できていなかった場合には、たとえ創業支援等措置としての業務委託契約締結といえども、労働者性を肯定され、時間外割増賃金や有休取得の権利があるほか、労働時間管理の対象ともなるため、労働基準法違反を発生させるおそれがあり、留意が必要です。  業務委託としての性質の維持がむずかしそうな場合には、業務委託の形式ではなく、労働基準法を遵守することを前提に雇用契約のまま関係を維持するという選択をとることも検討に値するでしょう。その場合には、65歳を超えて有期雇用契約を締結することが考えられるため、定年後再雇用者についての無期転換権の適用除外とする場合には、第二種計画認定の手続きを適切に実施するための検討などの準備が必要になってくると思われます。 第37回 定年後再雇用の労働条件、競業避止義務と引き抜き行為 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用する従業員の賃金と同一労働同一賃金の関係について詳しく知りたい  定年後に再雇用する従業員の賃金を減額する提案をしてもよいのでしょうか。同一労働同一賃金の観点からどの程度であれば許容されるのでしょうか。 A  賃金の減額の提案自体は、許容されるものと考えられます。減額の程度については、60%を下回らない程度にすべきと判断した裁判例があります。 1 定年後再雇用時の労働条件について  前号では、最高裁判決などをもとに、定年後再雇用における、賃金の減額に関する判断の枠組みなどをお伝えしました。今回は、具体的な判断を行った裁判例の紹介を通じて、留意点を整理してみたいと思います。  まず、前提として、定年後に再雇用を行う場合、厚生労働省は、合理的な裁量の範囲の条件を提示していれば、高年齢者雇用安定法の違反にはならないとの見解を公表しています。そして、継続雇用をしないことができるのは、解雇事由または退職事由と同一の範囲に限定されています(「高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針」参照)。同指針では継続雇用後の賃金について、高齢者の就業の実態、生活の安定等を考慮し、適切なものとなるよう努めるという方針も示されています。  この前提と同一労働同一賃金のことをふまえると、賃金減額の提案自体が禁止されているわけではありませんが、合理的な裁量の範囲の条件の内容が問題となります。 2 同一労働同一賃金に関する裁判例について  前回もご紹介した通り、定年退職後の再雇用に関して同一労働同一賃金が争われた事件として、長澤運輸事件(最高裁二小 平30・6・1判決)があります。この事件において、判決では、旧労働契約法第20条が考慮することとされている「その他の事情」として、定年後の再雇用であること≠考慮していました。  その後にあらわれた裁判例として、名古屋地裁令和2年10月28日判決があります。事案の概要は、以下の通りです。  自動車学校を経営する会社に勤めていた原告(2名)が、定年後の再雇用(以下、「嘱託社員」)中の労働条件が、業務の内容および当該業務にともなう責任の程度(以下、「職務の内容」)並びに当該職務の内容および配置の変更の範囲(以下、「職務の内容および変更範囲」)に相違がないにもかかわらず、正社員と嘱託社員の間で差異があり、基本給の差額、正社員が受給している賞与と嘱託社員が受給した一時金の差額などについて、争った事件です。なお、原告らの賃金と正社員の賃金、賞与などの総額を比較したとき、嘱託社員の賃金は正社員の45%または48・8%程度にとどまり、その額は月額約7万5000円または約7万3000円にまで下げられていました。  なお、この事件も、旧労働契約法第20条が適用された事件である点には注意が必要(現在は、パートタイム・有期雇用労働法(以下、「パート有期労働法」)が適用されることになる)ですが、同一労働同一賃金に関する最高裁判例後の裁判例として注目すべきと考えられます。  この事件においては、職務の内容および変更範囲について、正社員と嘱託社員の間には差異がないことが認定されています。この点、パート有期労働法が適用される場合には、その他の事情が考慮されない可能性があり、今後は、職務の内容および変更の範囲のいずれかに相違を持たせる必要があります。ただし、この裁判例では、定年時に主任職を解くという特徴があり、責任の範囲に変更があったともいえそうですが、役職手当の不支給により労働条件に反映されているとしており、その他の職務の内容および変更範囲に相違がなかったことを前提に判断したという点があります。  この裁判例で注目しておきたい点は、定年制のとらえ方です。裁判例では、「定年制は、使用者が、その雇用する労働者の長期雇用や年功的処遇を前提としながら、人事の刷新等により組織運営の適正化を図るとともに、賃金コストを一定限度に抑制するための制度ということができるところ、定年制の下における無期契約労働者の賃金体系は、当該労働者を定年退職するまで長期間雇用することを前提に定められたものであることが少なくないと解される。これに対し、使用者が定年退職者を有期労働契約により再雇用する場合、当該者を長期間雇用することは通常予定されていない。また、定年退職後に再雇用される有期契約労働者は、定年退職するまでの間、無期契約労働者として賃金の支給を受けてきた者であり、一定の要件を満たせば老齢厚生年金の支給を受けることも予定されている。そして、このような事情は、定年退職後に再雇用される有期契約労働者の賃金体系の在り方を検討するに当たって、その基礎になるものであるということができる」としており、定年後の再雇用として考慮されるその他の事情≠具体的に表現しているものといえます。  この部分を見ると、定年後の再雇用であることから、賃金の相違に対して合理性を肯定しやすいようにも見えますが、裁判例の結論としては、基本給と賞与に関して、正社員の60%を下回る部分に対して、旧労働契約法第20条に違反するものであり、正社員と嘱託社員との差額を損害と認定し、さかのぼって支払うことを命じています。  定年後再雇用者に関して、上記の通り長期雇用を前提としていないこと、および老齢厚生年金の受給などにより賃金が補填されうることや退職金が支給済みであることなどを考慮しても、「とりわけ原告らの職務内容及び変更範囲に変更がないにもかかわらず、原告らの嘱託職員時の基本給が、それ自体賃金センサス上の平均賃金に満たない正職員定年退職時の賃金の基本給を大きく下回ることや、その結果、若年正職員の基本給も下回ることを正当化するには足りない」と述べて、旧労働契約法第20条違反と評価しました。  この事件では、正社員の賃金が賃金センサスを下回っていたことに加えて、若年正職員(嘱託社員と比較すれば、知識、経験が劣る教育・指導の対象者)よりも低額に抑えられてしまっていたことが影響していると考えられます。  さらに、賞与が基本給と連動する内容であり、正社員の基本給の60%相当額を基準とした差額が損害として認定されています。  前号で紹介した賞与支給に関するメトロコマース事件および大阪医科薬科大学事件(いずれも最高裁令和2年10月13日判決)が、賞与の支給が業績に連動させていないことを考慮して合理性を認めたことと逆に、基本給との連動に重点を置いて判断しており、賞与だからといって必ずしも緩やかな審査となるわけではないと考えられます。  この裁判例が示した60%という基準で統一されるとはかぎりませんが、定年後再雇用において賃金を減額するにあたって、60%を下回るような条件を提示することは、高年齢者雇用確保措置の実施および運用に関する指針における「合理的な裁量の範囲」を超えるという評価にはつながりやすいと考えられます。 Q2 競業避止義務と引き抜き行為を防止するための留意点について知りたい  就業規則に、在籍中および退職後の競業避止義務を定めています。在籍中の従業員が、独立を画策して、顧客名簿の持ち出しと当社の従業員を勧誘しているようなのですが、どのように対応すべきでしょうか。 A  競業避止義務の設定については、ケースバイケースで判断が分かれることも多く、必ずしも、有効に機能するとはかぎりません。しかしながら、在籍中に営業秘密の持ち出しや積極的な勧誘行為が認められる場合には、解雇処分が有効となることがあります。 1 競業避止義務について  多くの就業規則において、「在籍中および退職後においても、当社と競業する企業に就職し、または自ら会社と競業する事業を行ってはならない」といった規定を定め、競業避止義務を従業員に負担させています。  入社時や退職時の誓約書を取得する際にも、これらと類似する内容を定めて、労働者に競業避止義務を負担させることも多いでしょう。  一方で、これらの規定に対して、裁判所は有効性を厳しく評価しており、必ずしも有効に機能するとはかぎりません。その背景には、競業避止義務を負担させることは、労働により得た知識や経験を活かすこと自体を制限するもので、労働者の職業選択の自由を大きく制約するという評価があります。  例えば、東京地裁平成20年11月18日判決では、「一般に、従業員が退職後に同種業務に就くことを禁止することは、退職した従業員は、在職中に得た知識・経験等を生かして新たな職に就いて生活していかざるを得ないのが通常であるから、職業選択の自由に対して大きな制約となり、退職後の生活を脅かすことにもなりかねない。したがって、形式的に競業禁止特約を結んだからといって、当然にその文言どおりの効力が認められるものではない。競業禁止によって守られる利益の性質や特約を締結した従業員の地位、代償措置の有無等を考慮し、禁止行為の範囲や禁止期間が適切に限定されているかを考慮した上で、競業避止義務が認められるか否かが決せられるというべきである」と判断し、文言通りに効力を認めないことを端的に示しています。  このような観点から、競業避止義務に関しては、@企業が守るべき利益の具体化(営業秘密やそれにともなうノウハウなど)、A従業員の地位が高いか、B禁止行為の範囲が具体的か、広範すぎないか、C競業避止義務の期間が長期すぎないか(1年から長くとも2年程度)、D代償措置が取られているか(退職金の割増支給、補償金の支払いなど)の要素を加味して、有効性を判断する傾向にあります。  特に@については、「競業禁止によって守られる利益が、営業秘密であることにあるのであれば、営業秘密はそれ自体保護に値するから、その他の要素に関しては比較的緩やかに解し得るといえる」としており、営業秘密にかかわる場合には、競業避止義務の範囲が広がることも肯定しています。  今回の質問においても、顧客名簿の持ち出しについては、顧客名簿の管理について、パスワードの設定、閲覧者の制限および守秘事項であることの明記などの要素を充足していれば、営業秘密として認められる余地はありえます。 2 競業避止義務と解雇について  近時の裁判例において、競業避止義務違反、とりわけ従業員の勧誘行為を含む行為に対して、解雇処分を行った事例があります(大阪地裁令和2年8月6日判決)。  事案の概要としては、本部長であったX1と店長であったX2が、従業員に対し自身らが勧誘を受けている競業企業にともに移籍することを勧誘し、その際に、給与条件などを書面で提示し、条件が合わない場合には条件をよくするといった交渉も交えて、企業にとって要職を占めている従業員を多数勧誘したというものです。  このような事案においては、勧誘した者は、各自が自発的に退職するに至ったにすぎないという主張をすることが多く、この裁判例でも同様の主張がされています。  ところが、勧誘対象者を食事に誘っていたことや会社が事情を聴取した際には異なる説明(勧誘を行ったことを認める内容)をしていたこと、資料を示して労働条件を引き上げる旨の提案などを行っていたことなどをふまえて、引き抜き行為があったと認定するに至っています。  事後的に裁判例を見れば、引き抜き行為があったことは明らかかもしれませんが、実際には、水面下で秘密裏に行われることも多く、明らかにならない事実もたくさんあります。この裁判例では、社内の内部通報で引き抜き行為が発覚しており、勧誘を快く思わなかった労働者がいたものと思われます。社内で内部通報があったときには、どのような提案があったのか、客観的な資料を提示されなかったか、ほかに同様の勧誘を受けた者がいないかなどを早急に調査して、被害が拡大しないように対応する必要があります。  裁判所の判断としては、@本部長および店長という重要な地位にあること、A多数の従業員に対して転職の勧誘をくり返したこと、B労働条件の上乗せ、支度金の提示を行っていること、C店舗探しを在籍中に行っていたことなどを考慮し、「単なる転職の勧誘にとどまるものではなく、社会的相当性を欠く態様で行われたものであり、他方、原告X1及び原告X2がまもなく退職を予定していたことも考慮」して、解雇の有効性を認めました。  ここで重要であったのは、単なる競業行為ではなく、従業員の引き抜き行為まで発覚し、その態様も多数に対する勧誘が行われるなど、その悪質性を立証することに成功したことです。  就業規則において真に禁止するに値するのは、営業秘密にかかわる持ち出しを行う態様での競業行為や、悪質な従業員引き抜き行為をともなう場合です。  また、これらの状況を把握するための窓口として、内部通報(または外部通報)窓口を設置しておくことにより、事態の早期発覚をうながしておく準備を整えておくことも重要です。ハラスメントの内部通報窓口の設置とあわせて、このような違法となりうる行為に関する内部通報窓口の設置を行うことも検討に値します。 第38回 定年後再雇用の労働条件の提示内容、居眠りする労働者への対応 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用の労働条件の提示内容の留意点について知りたい  定年後に再雇用する従業員の労働条件とは、どのような条件であれば提案することが許容されるのでしょうか。気をつけるべきポイントはどのような点でしょうか。 A  一般的には、合理的な裁量があるとされていますが、業務内容の大幅な変更を行う場合には、本人の同意を得るべきです。なお、変更の程度が大きく、従前の雇用との連続性が維持できていない場合には、不法行為が成立し、損害賠償責任を負うこともあります。 1 定年後再雇用時の労働条件について  定年後再雇用における、労働条件の提示に関して、賃金額が主たる要素にはなると思いますが、それ以外の要素や過去の裁判例などもふまえて、提示の際に留意すべき点をお伝えしようと思います。  まず、前提として、定年後に継続雇用する制度を導入し、再雇用を行う場合、厚生労働省は、合理的な裁量の範囲の条件を提示していれば、「高年齢者等の雇用等の安定等に関する法律」(以下、「高年法」)の違反にはならないとの見解を公表していますが、具体的にはどのような場合に、この裁量を逸脱したと評価されるのでしょうか。 2 再雇用時の業務内容の変更に関する裁判例について  定年年齢を満60歳と定める企業において、定年を迎える従業員に対し、60歳から61歳までの職務として、それまで従事してきた業務内容とは異なる業務を提示したことが問題となった事案があります(名古屋高裁平成28年9月28日判決)。  当該裁判例では、定年後の継続雇用としてどのような労働条件を提示するかについては一定の裁量があることを前提としつつ、「提示した労働条件が、無年金・無収入の期間の発生を防ぐという趣旨に照らして到底容認できないような低額の給与水準」である場合や、「社会通念に照らし当該労働者にとって到底受け入れ難いような職務内容を提示する」といった場合には、実質的に継続雇用の機会を与えたとは認められないものとして、高年法の趣旨に明らかに反するものという判断基準を示しました。  給与水準に関しては、一定程度維持されていたことから、違法とまでは評価されませんでしたが、提示された業務内容は、「シュレッダー機ごみ袋交換及び清掃(シュレッダー作業は除く)、再生紙管理、業務用車掃除、清掃(フロアー内窓際棚、ロッカー等)、その他…会社や上司の指示する業務」というものであり、元々従事していた事務職とは大きく異なる内容であり、当該従業員は、不満を露わにしていました。  そこで、裁判所は、「高年法の趣旨からすると…(中略)…60歳以前の業務内容と異なった業務内容を示すことが許されることはいうまでもない」としつつも、「両者が全く別個の職種に属するなど性質の異なったものである場合には、もはや継続雇用の実質を欠いており、むしろ通常解雇と新規採用の複合行為というほかないから、従前の職種全般について適格性を欠くなど通常解雇を相当とする事情がない限り、そのような業務内容を提示することは許されないと解すべき」と判断しました。  結論としても、「従前の業務を継続することや他の事務作業等を行うことなど、清掃業務等以外に提示できる事務職としての業務があるか否かについて十分な検討を行ったとは認め難い」ことなどを理由に、不法行為と評価されました。  したがって、提示内容が合理的な裁量を逸脱していた(高年法の趣旨に反していた)ことから、違法な不法行為と評価された結果、1年間の継続雇用がなされていたのであれば得られたであろう年収相当額が損害として認められました。 3 再雇用時の賃金減額と不法行為について  前号では、賃金減額と同一労働同一賃金に関して論じましたが、過去には、提示内容の不合理さから、不法行為と判断された事例もあります(福岡高裁平成29年9月7日判決)。  フルタイムでの再雇用を希望していた従業員に対して、会社から再雇用時に提案された内容は、短時間労働者としたうえで、時給を定年退職前よりも減額するという内容で、賃金の水準が定年退職前の25パーセント相当額にまで減少するという内容でした。  この裁判例では、継続雇用制度の趣旨と裁量の範囲について、「定年の前後における労働条件の継続性・連続性が一定程度、確保されることが前提ないし原則となると解するのが相当」としたうえで、さらに「有期労働契約に転換したことも事実上影響して再雇用後の労働条件と定年退職前の労働条件との間に不合理な相違が生じることは許されない」という前提を示しました。  そして、「月収ベースで比較すると、本件提案の条件による場合の月額賃金は8万6400円(1カ月の就労日数を16日とした場合)となり、定年前の賃金の約25パーセントに過ぎない。この点で、本件提案の労働条件は、定年退職前の労働条件との継続性・連続性を一定程度確保するものとは到底いえない」と判断し、合理的な裁量の範囲とはいえないと判断されています。  なお、会社からは、労働者の兼業が可能であることから、兼業により従業員は収入を増加させることができたと主張し、賃金減額の合理性を示そうとしましたが、「労働者の希望がないのに兼業可能を理由に勤務日・勤務時間を減らし、その結果賃金収入を減少させることは不当というべき」として、兼業可能であることを理由とした合理性の確保に対しても否定的な見解を示しています。  慰謝料の額は100万円と判断されていますが、慰謝料額が抑えられた背景には、店舗数の減少、過剰な人員の確保による業務負荷の軽減が見込まれることなどの一定の理由があったことが考慮された結果であり、そのような事情すらなかった場合には慰謝料が高額化する可能性もあるでしょう。 Q2 就業時間中に居眠りする従業員がおり困っています  高齢社員を採用しましたが、就業時間中の居眠りがあるとの苦情が周囲の従業員から寄せられている者がいます。とはいえ、居眠りの具体的な時間を把握するために監視するわけにもいかず、どのような対応をとることができるのでしょうか。居眠りの時間が特定できれば、賃金の支払いを行う必要はないのでしょうか。 A  居眠りを行うことは労務提供がなされていないことになることから、賃金の控除や懲戒処分の対象となりえます。ただし、賃金の控除については時間数の特定が必要であり、現実的には実施しがたいことが多いでしょう。 1 職務専念義務について  労働者は、使用者に対して「債務の本旨に従った」(民法第493条)労務を提供する義務を負担しており、このことは「職務専念義務」または「誠実労働義務」などと呼ばれています。  使用者は、労働者からの債務の本旨に従った労務提供を受けた対価として、賃金の支払義務が生じます。したがって、労働者が、「債務の本旨に従った」労務提供を行っていない場合には、使用者に、賃金支払義務が生じることはないと考えられます。  「債務の本旨」については、個別の労働契約の内容や実際に従事する業務の内容にしたがって判断されるものと考えられていますので、その具体的な中身は、実際に従事してもらう業務内容に応じて異なります。  例えば、ホテルの従業員に関して、「リボン闘争」と呼ばれる、労働組合の要求を貫徹するためのメッセージを記載したリボンを着用して執務する行為について、顧客に見える位置に職務と関係性の低いメッセージを記載しているリボンを着用することが、債務の本旨に従った労務の提供とは認められず、使用者による賃金の支払い拒否が正当化された事例もあります(大成観光事件、最高裁昭和57年4月13日判決)。一方で、深夜の警備業などで仮眠をとることがあらかじめ想定されつつも、即時対応義務を課されているような場合には、仮眠時間も含めて労働時間として評価されることになります。判例では、「不活動仮眠時間であっても労働からの解放が保障されていない場合には労基法上の労働時間に当たるというべきである」と評価したうえで、仮眠室における待機と警報や電話等に対して、ただちに相当の対応をすることが義務付けられていることを理由に、労働時間に該当すると判断したものがあります(最高裁平成14年2月28日判決、大星ビル管理事件)。 2 労働時間中の居眠りについて  素直に理解すれば、一般的には、労働時間中については、休憩時間を除き、労務提供を行う義務を労働者が負担しており、当然ながら居眠りによって労務提供が途絶えてしまえば、債務の本旨に従った労務提供があるとはいえないでしょう。  しかしながら、そもそもの労働契約において定められた業務については、業務の効率が落ちておらず、指示された内容が忠実に実施されており、特段の業務支障が出ていないような特殊な場合(先ほどあげた深夜の警備業務で即時応答が実現できている場合など)には、債務の本旨に従った労務の提供が維持されていると評価される可能性がまったくないわけではありません。  そのほかの留意事項としては、債務の本旨に従った労務提供が実現できていない原因が、使用者の安全配慮義務違反などが原因であり、使用者側の責に帰すべき事由が認められてしまうと、労務提供が十分に行えない原因が労働者にはないため、使用者が賃金の支払義務を免れることにはなりません。例えば、労働時間の管理が十分に行われておらず、連日深夜におよぶ残業が継続している状況において、十分な休息や休憩を取らせることなく、労働時間中に居眠りが生じたとしても、これを労働者の責任として、賃金を控除することは許されません。むしろ、この状況を放置することは、会社や役員の損害賠償責任を生じさせかねない状況であることから、是正すべきは使用者側の労働環境ということになります。  したがって、居眠りをしているとしても、一律に賃金控除が可能であるとはかぎらず、ケースバイケースで判断する必要性はあります。賃金控除を行う前提として、使用者の責に帰すべき事由と評価されるような状況にないか、または、労働契約の内容として居眠りが生じたとしても業務効率に変化がないような特殊な事情がないかについては、確認しておく必要があると考えられます。 3 具体的な賃金控除の方法について  現実に居眠り時間を賃金から控除するためには、労働時間のうち、居眠りをしている時間を具体的に把握する必要があります。また、当該居眠り時間が休憩時間中ではないことも明確にしておく必要があります。そのため、賃金控除を実際に行おうとする場合には、1カ月の業務中に何分間居眠りしていたのかを把握しておかなければならないということになります。  しかしながら、労働時間中の居眠り時間を把握するために監視するわけにもいかず(監視のために1名を割けば、居眠り以上に業務効率が下がってしまいかねません)、現実的には居眠りの時間数を把握することには困難がともないます。居眠りしている事実自体は把握していても、どれだけの時間居眠りしていたかについては把握していないことが通常でしょう。  また、居眠り時間を把握できたとしてもせいぜい1カ月に数分程度にとどまるようであれば、たとえ賃金控除を行ったとしても反省をうながすほどに大きな金額になるとは考えがたく、居眠りをしている従業員に対する制裁としては不十分になるおそれがあります。 4 居眠り時間に対するそのほかの制裁について  賃金控除のみでは不十分な制裁となる場合には、懲戒処分や普通解雇を実行することも視野に入れる必要があると考えられます。  過去の裁判例では、居眠りや勤務態度が不良であったこと、注意指導に対して改善が見られなかったことなどを理由に行われた普通解雇について、有効と判断した事例があります(東京地裁平成24年2月27日判決)。  同裁判例では、居眠りの証拠関係についても争われていますが、上司からの居眠りに対する注意のメール(「以前からの会議中の居眠りに加えて最近はデスクでの居眠りを見かけるので、健康管理に留意されたい」といった内容)が記録として残っていたことが重視されています。  このような注意喚起は、使用者の責に帰すべき事由ではなく、労働者の健康管理上の課題があったこと(私生活において睡眠時間の不足や生活リズムの乱れなど)がうかがわれることを示しており、賃金控除を実施するにあたっても重要であるうえ、懲戒処分の根拠としても機能しています。  このようなメールにかぎらず、居眠りに関する記録(例えば、周囲の従業員からの申告状況、健康診断や健康管理に関する面談などから把握できた内容など)を残しておくことは、懲戒処分の実行にあたっても重要といえるでしょう。  そのほか、居眠りが頻回に行われていることは、それが使用者の責に帰すべき事由によるものでないかぎり、人事考課上の不利益な評価事由とすることも可能と考えられます。 第39回 65歳以降の継続雇用と法制度、ハラスメント防止措置 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 65歳以降の継続雇用と法律の関係について知りたい  65歳定年制を採用しているところ、定年以降の雇用継続を求められているのですが、応じなければならないのでしょうか。高年齢者雇用安定法の改正の影響はあるのでしょうか。 A  高年齢者雇用安定法の改正により65歳から70歳までの雇用または就業機会の確保が努力義務となりました。65歳を超える雇用制度の実現に向けて取り組む努力が求められます。なお、労働契約法により雇止めが違法となり、結果として雇用継続が必要となる可能性はあります。 1 高年齢者雇用安定法の改正について  2020(令和2)年3月31日、「雇用保険法等の一部を改正する法律」が公布されたことにともない、高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」)の一部が改正され、2021年4月1日から施行されました。これまで「65歳」までの雇用確保が義務化されていたところ、改正法では「70歳」までの就業機会の確保が目標とされています。65歳までは「雇用」を確保していたことに比べて、70歳までの「就業機会」の確保に変更されている点が相違点となっています。  70歳までの就業機会の確保のために、以下のような「就業確保措置」が努力義務とされました(改正高年法第10条の2第1項・2項)。 @70歳までの定年の引き上げ A定年制の廃止 B70歳までの継続雇用制度の導入 C70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入 D70歳まで継続的に以下の事業に従事できる制度の導入 (ア)事業主が自ら実施する社会貢献活動 (イ)事業主が委託、出資(資金提供)等する団体が行う社会貢献事業  65歳以上の継続雇用制度を導入する場合、改正高年法においては、努力義務にとどめられていることから、対象者の基準を設けることも可能と考えられています。  基本的な考え方としては、労使の協議に委ねられており、過半数労働組合等の同意を得て基準を設定することが望ましいとされています(「高年齢者就業確保措置の実施及び運用に関する指針」令和2年厚生労働省告示第351号)。 2 70歳までの就業機会確保の努力義務について  65歳から70歳までの就業機会の確保については、制度実現に向けた努力を尽くす必要があります。また、努力義務であるからといって、65歳以降の継続雇用がいつでも終了できるというわけではなく、労働契約法との関係で雇止めが許容されない場合もありますので、注意が必要です。  最近の裁判例ですが、65歳定年制を採用している大学において、雇入れ時の説明時に、定年が70歳であると伝えており、定年退職後に適用される再雇用規程や内規などに1年ごとの更新にて、最大で満70歳まで更新する旨定められていた事案において、65歳以降の継続雇用が争いになりました(奈良地裁令和2年7月21日判決)。  高年法の定める努力義務と一見相違する争点であると感じられるかもしれませんが、このような結論を導いているのは労働契約法19条の適用が問題となっているからであり、高年法自体の法的な効果ではありません。  労働契約法19条は、一定の事由が存在するときには、客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないかぎりは、契約満了を理由として労働契約を終了させることはできず、従前と同様の内容で労働契約を成立させる効果を有しています。一定の事由とは、@期間の定めのない契約と社会通念上同視できるとき、または、A更新されるものと期待することについて合理的な理由があるときのいずれかに該当することを意味しています。この規定が適用されるのは定年までに限定されているわけではなく、定年後の再雇用などにおいても適用されることがあります。  同裁判例では、就業規則上の定年は65歳とされていましたが、当初の労働契約の成立時においては定年が70歳である旨の説明がなされており、その認識を払拭することなく、65歳の定年退職後に有期労働契約が締結され、その後も更新されていたことなどから、更新を期待する合理的な理由があるものと判断されており、雇止めには、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性が必要と判断されています。  このような判断がなされれば、たとえ、65歳を超えていた場合であっても、70歳までの雇用の期待を理由として、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性がないかぎりは、雇用を継続する義務が生じることになります。  ほかにも、社会福祉法人の施設長という管理職としての立場の事例でも、定年後の雇用延長が争点になったものがあります(東京地裁立川支部令和2年3月13日判決)。  事案の概要は、以下の通りです。就業規則において、65歳定年制を採用しつつ、例外的に法人が必要と認める場合に延長することができると定められていました。65歳の定年を超えて勤務を継続していたところ、理事会により今後の雇用継続についての承認が得られなかったことから、雇用契約の終了が争いになりました。  裁判所は、法人が必要と認める場合に延長する例外規定であることから、理事会による決議が条件となると判断しつつ、承認の手続きが行われないまま雇用が継続されていたことから雇用契約が黙示の更新がなされ、雇用契約を終了させるためには解雇の意思表示や解約の申し入れが必要であると判断されました。  たとえ、定年後における再雇用が制度化されていない場合であっても、定年後の再雇用における説明の内容、定年後における継続雇用の実績、更新に必要な手続きや審査の履践(形骸化していないか)などの状況に応じて、定年後の再雇用が実質的には義務づけられることもありますので、有期労働契約の更新時と同様に、定年後再雇用においてもていねいな手続きや説明を心がける必要があるでしょう。 Q2 パワーハラスメントと判断される行為とはどのようなものですか  労働施策総合推進法の改正にともないハラスメント防止措置を準備したものの、ハラスメントに該当するか否かの判断がむずかしく、苦慮しています。参考になる情報はあるのでしょうか。 A  厚生労働省のガイドラインにおいて、該当例と非該当例が紹介されています。裁判例の傾向なども参考になるのでご紹介します。 1 ハラスメント防止措置について  「労働政策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」の改正により、ハラスメント防止措置が義務化されました。典型的には、通報窓口の設置などにより、ハラスメントの把握を早め、発生を予防することが求められているところですが、通報を受けた後は、調査や対処が必要になります。  調査や対処を実際に行うにあたっては、どのような行為がパワーハラスメントに該当するのかという基本的な知識を有していなければ、法律においても求められている迅速かつ適切な対応ができないことにもなりかねません。 2 ハラスメント該当の判断について  同法においては、「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」が禁止されており、この内容がいわゆるパワーハラスメントの定義に該当するといえるでしょう。とはいえ、この表現だけでは具体的な対応のポイントを把握することはむずかしいかもしれません。  重要である要素としては、「必要性」と「相当性」の二つであり、これらを的確に判断することが、パワーハラスメント対応への第一歩になると思います。  わかりやすく説明するために、「必要性」という言葉を置き換えれば、ハラスメントに該当しかねない行為を「なぜ」行ったのかという理由のことをさしています。また、「相当性」という言葉は、その行為の「手段」や「方法」、「程度」をさしています。違法なパワーハラスメントに該当するか否かについては、この「必要性」と「相当性」のバランスを考慮して、必要性が高ければ取りうる手段や方法の選択肢が広くなり、必要性が低いのであれば取りうる手段や方法の選択肢も狭くなるといえます。  この判断と、厚生労働省が整理している6類型を照らし合わせてみることも重要です。6類型とは以下のような分類です。 @身体的な攻撃 A精神的な攻撃 B人間関係からの切り離し C過大な要求 D過小な要求 E個の侵害  @身体的な攻撃の必要性は、ほとんどの場合において認められず、違法なパワーハラスメントに該当する可能性が高いといえるでしょう。一方で、警備業務の訓練や実習などもあることから、身体的な攻撃だからといって必要性がまったく認められないわけではありませんが、特殊な事情が必要であると理解しておくことが重要です。厚生労働省のガイドラインにおいて非該当例とされているのも「誤ってぶつかる」のみです。  A精神的な攻撃には、さまざまな言動が含まれるため、身体的な攻撃ほど単純ではありません。なぜその言動を行う必要があったのかという事情をふまえて判断することが重要です。例えば、遅刻などのルール違反を再三注意しても改善されないときに一定程度強く注意することは許容されると整理されています。  B人間関係からの切り離しは、わかりやすくいえば職場内での「いじめ」です。無視や冷笑などの態度などが典型例でしょう。身体的な攻撃と同様、必要性が認められにくい類型といえます。新規採用労働者の研修を目的として、別室で教育を実施することなどは、研修などの目的が明確であることから該当しないと整理されています。  C過大な要求やD過小な要求は、業務における指示や命令等を含むため、必要性の程度については具体的に検討する必要があります。育成や能力に応じて業務量を調整することは、該当しないと考えられています。  E個の侵害とは、プライバシー侵害といえばイメージしやすいかもしれません。こちらも必要性が認められにくい類型といえます。労働者への配慮を目的とした家族状況のヒアリングや病歴なども本人の同意を得て業務上の配慮のために情報を取得することは許容されていますが、基本的には本人の了解を得て行うことを求められることが多いでしょう。 3 近時の裁判例について  ハラスメントに関する最近の裁判例としては以下のようなものがあります。  例えば、次期社長候補である取締役が、労働者に対し、繁忙期における休暇取得と誤信して激しい剣幕で怒鳴りつけ、労働者が休暇を返上せざるを得なくなったほか、業務改善を目的として休日に呼び出したうえ、感情的で厳しい口調で改善点をまとめた文書を部下の面前で読み上げたという事例において、そのほかの過重労働と相まって、これらの言動が原因で精神疾患を発症したものと肯定しました(高知地裁令和2年2月28日判決及び高松高裁令和2年12月24日判決)。  この事例は、激しい剣幕での怒声や感情的な指導といった精神的攻撃に加えて、休日に呼び出すという義務にないことを要求するという意味で過大要求に該当する行為が重なった事案といえるでしょう。また、部下の面前において行われたことも相当性を欠く結論に至る考慮要素になったものと考えられます。裁判所の認定においても、一般論としては、業務改善などを目的とした業務上の指導の必要性を肯定していますが、それを緊急性がないにもかかわらず休日に行うことや感情的ないい方をすることなどの相当性を否定することで、精神疾患を引き起こすようなパワーハラスメントであると評価しています。  精神的攻撃において、基本的に悪質性が高いと評価されやすいのは、人格を非難するような言動や感情的な言動によって行われるケースです。これらの言動は「必要性」が低く、相当なものと許容されにくいでしょう。  そのほか、決意書と題する目標設定を自身で行うよう求められたうえ、年始には抱負書と題する書面も提出するよう求められ、遂行不可能なノルマ達成を求められ続けた結果、精神疾患を発症したとして損害賠償を請求した事案があります。この事案においては、決意書や抱負書の記載内容からは強制的に記載を求められた要素が見受けられず、訪問すべき顧客の数値を指示されていたとしても、営業業務として達成が困難な程度のノルマないし業務量を課したものとはいえないとして、業務の割り当てに関して違法であると評価しませんでした(東京地裁令和元年10月29日)。  過大要求の一種といえますが、業務内容の必要性と相当性の判断において、少なくとも必要性がまったくないような状況は想定し難く、その相当性が問題になることが多いでしょう。  厚生労働省が整理した6類型を把握するのみではなく、類型ごとにみられる必要性や相当性の傾向も知ることで、ハラスメント該当性の判断や調査時にヒアリングすべき事項の整理にも役立つものと思われます。 第40回 退職金の支払い根拠、喫煙防止と職務専念義務・労働時間管理 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 退職金の支払い根拠について知りたい  当社には、制度化した退職金はないのですが、退職希望者から、過去に退職金を受け取った従業員がいると聞いているから、退職金を支払ってもらいたいとの要望がありました。  たしかに、過去には秀でた功労者や長期の勤続を果たして定年退職した従業員に退職金として支払ったことがあるのですが、今後は退職者全員に支払わなくてはならないのでしょうか。 A  退職金支給の根拠となる規定がなく、労働契約においても退職金の支給約束をしていないのであれば、支払い義務はありません。ただし、過去の支給実績などから、退職金の支給ルールが固まっており、労使双方がその基準を認識している場合には、支払い義務を負担する場合があります。 1 退職金の性質について  退職金については、労働基準法において、支払いを義務づけられているような賃金ではなく、各社において自由に制度として用意することができ、または、制度としない自由もあります。  一般的には、就業規則や労働契約で支給の義務を負担しない状態で従業員に退職金を支給するような場合、任意的恩恵的給付であるとされ、労働基準法上の「賃金」には該当しないと考えられています。退職金について、任意的恩恵的給付と判断した裁判例として、東京地方裁判所平成20年6月13日判決(モルガン・スタンレー証券事件)があります。この裁判例では、当該支給額について、使用者が大きな裁量を有していたことを考慮し、労務の対償である賃金には該当しないという評価がされています。任意的恩恵的給付となった場合、使用者は原則として支払い義務を負担するものではないため、従業員から訴訟を通じて支払いを求められたとしても、これを拒否することができます。  一方で、就業規則などによって制度化することにより退職金の支払い義務を負担するようになった場合は、労働基準法の「賃金」となり、同法の規制対象にもなり、直接払い、全額払い、通貨払いなどの原則が適用されると考えられています。また、退職金の支給について、訴訟を通じて請求権を確定させることもできることになります。 2 退職金と労使慣行について  就業規則に定めがなく、労働契約でも支払い約束をしていないのであれば、原則として支払い義務を負担することはありませんが、例外的に、退職金の支払い義務を負担する場合があります。  使用者と労働者の間の権利義務を定めるものは、基本的に労働契約および就業規則ですが、使用者と労働者の間で慣行となっている場合には、法的な意味での拘束力が生じる場合があります。これを「労使慣行」と呼んでいますが、実際、過去の裁判例において労使慣行に基づく退職金請求権の発生を認めた事例も存在します。  東京高裁平成18年6月19日判決(キョーイクソフト(退職金)事件・控訴審)は、内規において、支給基準を定めていたところ、10年以上にわたりその基準にしたがった支給を継続しており、「基本給に支給率(勤続期間10年以上の場合はストライキ期間を除く勤続年月)を乗じた金額に減額措置及び加給措置(いずれも被控訴人については適用がない。)を行った上、餞別金(勤続10年以上の従業員は3万円)を付加した金額を支給額とする」基準が確立していたことなどから、労使慣行に基づく退職金の支給義務を肯定しました。  退職金に関する労使慣行の成立には、単に長期にわたり同じ取扱いがなされていたことだけではなく、@一定の基準による退職金の支給が労使にとって規範として認識されていること、A上記基準により当該事案の退職金額を算出できることが必要と考えられています。そのため、キョーイクソフト(退職金)事件においても、労使双方が、内規に定められた基準を認識していたことを前提として労使慣行の成立が肯定されました。労使双方の認識が共通していることは労使慣行の成立一般についても同様に考えられているところです。  そのほか、東京地裁平成17年4月27日判決においても、退職金支給の規定はあるもののその支給基準を具体的に定めておらず、支給根拠や計算方法の定めに不備があった事案において、就業規則に基づく退職金支払い義務は否定しつつも、退職金支給を受けた者が多数存在しており、そのうち検証可能な者を見るとその半数程度が、内規に定められた同一の算定式から誤差20%の範囲で支給されていたことをふまえて、労使慣行に基づく具体的な退職金支払い義務を肯定しました。これは、使用者側にある不備を理由に、これまで払っていた退職金の支給を拒否しようとしたことから、使用者にとって否定的な評価がなされたともいえます。就業規則を多数見ていると、退職金については別に定めるとしたまま、具体的な就業規則を定めることなく、また、退職金支給のルールも明確にすることなく推移している企業を見かけますが、このような場合に退職金の支給を継続していたときには、思わぬ負担が発生する可能性があります。  また、逆に、内規を基にした労使慣行による退職金支給義務を否定した裁判例として、大阪高裁平成27年9月29日判決(ANA大阪空港事件)があります。過去に作成された「内規」と名づけられた文書において、退職金の計算方法が記載されていたところ、当該内規が、就業規則の一部であるか、労使慣行として使用者を拘束しないかなどが争点になりました。裁判所は、「日本語の通常の意味として、『内規』とは、『内部の規定、内々の決まり』を意味するから、それが就業規則と異なることは明らかである」ことや、労使の合意として書面が作成されていないことなどから、使用者が当該内規にしたがって退職金を労働契約の内容とする意思を有していなかったことが認められるため、就業規則の一部ではなく、労使双方の認識が合致しておらず労使慣行として認めることもできないと判断されました。  したがって、過去の支給自体が、内規で労働契約の内容としているものや労使の合意による書面などの一定の基準を定めたものとして実行されていないかぎりは、たとえ、過去に支給実績があったからといって、ただちに、退職金の支払い義務を負担することにはならないでしょう。  ただし、これまでの実績が統一的な算定式に基づき行われてきたことやそれが労使間の認識として齟齬がないような状況に至っている場合には、労使慣行に基づく退職金支給義務が発生することにもつながりますので、注意しておく必要があります。 Q2 従業員の禁煙を推進するうえでの注意点について知りたい  従業員の健康増進を目的に喫煙者を減らすための施策を検討しています。労働者の喫煙を禁止することはできるのでしょうか。もしくは、喫煙時間を労働時間から除外することはできるのでしょうか。  喫煙自体を禁止したほうが健康確保のためには望ましいと思うのですが、私生活における喫煙も禁止することはできないのでしょうか。 A  労働時間中における喫煙の禁止や喫煙スペースの利用制限を定めることは可能と考えられます。また、労働時間からの除外についても、労務の提供が実行できていない以上は理論的には可能ですが、実際には除外すべき時間の把握に困難がともないます。  私生活における喫煙の制限は、労働契約の限界を超えており、禁止することはできないと考えられます。 1 喫煙時間と職務専念義務の関係  労働契約に基づく義務として、職務専念義務および誠実労働義務があると考えられています。  過去には、判例で「注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないこと」を意味すると判断されています。この言葉通りに職務専念義務を理解すると、些細な休憩すらも許されないとか、職務と並行して行うことが可能な作業などもすべて除外することにもなりかねないため、一般的には、職務の性質・内容、行為態様などの諸般の事情を勘案して判断することが適切と考えられています。  職務専念義務および誠実労働義務の観点からいえば、これらの義務に違反する場合には、喫煙を制限することが可能と考えられますし、これらの義務が尽くされていない時間については労務不提供と評価することも理論上は可能と考えられます。ただし、この場合は、居眠り時間の労働時間からの除外(本誌2021年7月号参照)と同様に、実際の喫煙時間を正確に把握する必要があるため、実行するには困難がともなうでしょう。  職務専念義務違反を検討するにあたっては、喫煙行為の目的およびその必要性とそれが許容される理由を考慮しなければならないでしょう。そのため、喫煙する必要性と禁止する必要性を比較していくことになります。  労働時間中の若干の休息(例えば、トイレへ行くことや席に座った状態でストレッチする行為など)は、だれにとっても共通の生理現象であることや体調や健康の保持のためなど必要性があり、職務専念義務との関係においても、許容されないとは考えがたく、これを労働時間から除外するということも適切とはいいがたいでしょう。  一方で、喫煙は、個人の嗜好であるうえ、健康増進法には受動喫煙防止が定められ、国民の健康の増進が目的とされるなど、その改正により屋内の場所に対する規制の範囲が広がり、多くの事業者が受動喫煙防止措置を義務づけられるに至っています。  また、喫煙の自由に関しては、監獄法に関して争われた最高裁判例で触れられたことがあります(最高裁昭和45年9月16日判決)。同判例では、「煙草は生活必需品とまでは断じがたく、ある程度普及率の高い嗜好品にすぎず、喫煙の禁止は、煙草の愛好者に対しては相当の精神的苦痛を感ぜしめるとしても、それが人体に直接障害を与えるものではないのであり、かかる観点よりすれば喫煙の自由は、憲法一三条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と判断されている通り、その自由の価値は必ずしも高くないと評価されています。 2 私生活および休憩時間の喫煙  私生活や休憩時間における喫煙まで禁止することができるでしょうか。  職務専念義務があるとはいえ、これは、労働契約に基づくものであり、基本的に使用者が労働者を拘束できるのは、労働時間中の行動に限定されるべきものです。  パワーハラスメントの一種として個の侵害という類型がありますが、私生活への過度な介入や執拗な干渉は、プライバシーの侵害やパワーハラスメントになるおそれがあります。ただし、私生活上においても、会社の信用を毀損するような行為などが禁止行為として許容されているなど、いかなる介入も許容されないわけではありません。  使用者が禁止する必要性と禁止対象による制限の程度などを比較しながら、私生活上の行動を禁止できるかということを考えていく必要があると考えられます。職場での喫煙を禁止することで、労務提供時間の確保や周囲の従業員の健康確保などが叶うという観点からは、労働時間中の喫煙禁止は一定の合理性がありそうですが、私生活においては、会社が守るべきほかの従業員の健康や労務提供時間の確保と無関係になりますので、そのほかの必要性が肯定できるのかという点が問題になります。想定できるとすれば、従業員自身の健康確保にとどまり、喫煙による心身の状態の悪化が明白で業務支障を及ぼすおそれがあるような例外的な事態であればともかく、一般的には、労働時間外の私生活における喫煙を禁止することはできないと考えられます。  また、休憩時間は、労働からの完全な解放が確保されている必要がありますので、私生活と同様に休憩時間中における喫煙を禁止する理由も乏しいといわざるを得ません。 3 喫煙スペースの利用について  現実的には、喫煙は、職場自体というよりも喫煙スペースにおいて行われることが一般的になっており、そこで職務を遂行することは叶わないことが多いでしょう。  喫煙スペース自体を自社で用意しているような場合には、この施設には施設管理権と呼ばれる権限が認められています。施設管理権がある場合、企業秩序の維持に必要な範囲で利用制限などを設けることが許されています。  休憩時間においては、私生活時間中と同様に原則として喫煙に対する制限を設けることはむずかしいと考えられますが、休憩時間に関する行政解釈において、「休憩時間の利用について事業場の規律保持上必要な制限を加えることは、休憩の目的を損なわない限り許される」(昭和22年9月13日次官通達17号)と解されていることからすれば、施設管理権に基づく一定の制限は可能と考えられます。  したがって、喫煙スペースの設置場所や利用時間の制限などについては、使用者の裁量が広く認められると考えられ、施設管理権を行使することによって、労働時間や休憩時間中の喫煙時間を制限することも可能でしょう。  このように、喫煙時間の制限や喫煙スペースの利用制限などを組み合わせ、禁煙による健康増進を目ざすこともできるでしょう。