知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変わっていき、ときには重要な判例も出されるなど、日々把握することが求められています。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第41回 定年後再雇用における職務内容変更の限度、退職の意思表示の種類と取扱い 第42回 個別的な定年延長の実施、労災認定基準の改定 第43回 降格後の地位における合理的期待、職務専念義務に違反するメール送信と懲戒 第44回 直接雇用以外の安全配慮義務、職務等級制度における降格措置 第45回 休職期間中の定年到来、兼業と懲戒処分 第46回 定年後の労働条件提示、ハラスメントと調査対応 第47回 再雇用と就業規則の最低基準効、業務委託の解除と解雇 第48回 定年後再雇用者の労働条件変更と自由な意思、メンタルヘルス不調者と配置転換 第49回 複数の再雇用制度、能力不足による解雇 第50回 退職金制度の位置づけ、公益通報者保護法と懲戒解雇 第41回 定年後再雇用における職務内容変更の限度、退職の意思表示の種類と取扱い 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用における職務内容の変更の留意点について知りたい  定年後の再雇用においては、嘱託社員として有期労働契約を締結することになっています。賃金の減額も同時期に行うことになっており、同一労働同一賃金の観点から職務の内容を限定することを考えていますが、どのような変更でも問題ないのでしょうか。 A  労働契約の内容については、一定の継続性・連続性を確保すべきと考えられるため、極端な業務内容の変更は行うべきではありません。 1 定年後の再雇用と同一労働同一賃金について  高年齢者雇用安定法は、定年制の廃止、定年の引き上げまたは継続雇用のいずれかの措置をとることを事業者に義務づけており、ほとんどの企業は継続雇用制度を採用しています。継続雇用制度においては、定年後は1年ごとの有期労働契約とすることが多く、一般的には定年後の賃金も減額されています。  しかしながら、定年後に有期労働契約に変更する場合には、定年を迎えていない従業員(無期労働契約の正社員)との間で、同一労働同一賃金による規制が行われているため(パート有期労働法第8条および第9条)、職務内容や責任の範囲、職務内容や配置の変更の有無などについて、相違がないかぎりは、均等待遇(差別的取扱いの禁止)または均衡待遇(不合理な待遇差の禁止)が求められることになります。  そのため、定年後の再雇用においては、職務内容や責任の範囲もしくは職務内容や配置の変更の範囲について、無期労働契約の正社員とは相違がないと、賃金の減額が適法とされないことがあります。多くの企業においては、定年後の再雇用においては、職務内容や責任の範囲もしくは職務内容や配置の変更の範囲があるように再雇用を行うことが増えてくるのではないかと思われます。 2 再雇用時の職務内容の変更の限界について  職務内容を大きく変動させ、これにともない賃金の減額幅を大きくしてもよいのでしょうか。定年後の再雇用のときに、職務内容を変更したことが問題となった裁判例が、名古屋高裁平成28年9月28日判決(トヨタ自動車ほか事件)です。  定年を迎える従業員が、これまで従事してきた事務職ではなく、シュレッダー機ごみ袋交換および清掃(シュレッダー作業を除く)、再生紙管理、業務用車掃除、清掃などを業務とする再雇用契約を提示されたという事案です。  裁判所は、「事業者においては、…(略)…定年後の継続雇用としてどのような労働条件を提示するかについては一定の裁量があるとしても、提示した労働条件が、無年金・無収入の期間の発生を防ぐという趣旨に照らして到底容認できないような低額の給与水準であったり、社会通念に照らし当該労働者にとって到底受け入れ難いような職務内容を提示するなど実質的に継続雇用の機会を与えたとは認められない場合においては、当該事業者の対応は改正高年法の趣旨に明らかに反するものであるといわざるを得ない」としたうえで、「高年法の趣旨からすると、被控訴人会社は、控訴人(筆者注:定年を迎えた労働者)に対し、その60歳以前の業務内容と異なった業務内容を示すことが許されることはいうまでもないが、両者が全く別個の職種に属するなど性質の異なったものである場合には、もはや継続雇用の実質を欠いており、むしろ通常解雇と新規採用の複合行為というほかないから、従前の職種全般について適格性を欠くなど通常解雇を相当とする事情がない限り、そのような業務内容を提示することは許されないと解すべきである」などと評価し、事業者の行為を違法と判断しました。  この裁判例と類似の判断をしている事件として、福岡高裁平成29年9月7日判決(九州総菜事件)があります。この事件では、定年後再雇用者に対しては、フルタイムから短時間労働への変更を提示したうえで、月収ベースで定年前賃金の25%程度にまで減額される条件となっていました。このような変更に対して、裁判所は、「継続雇用制度についても、これらに準じる程度に、当該定年の前後における労働条件の継続性・連続性が一定程度、確保されることが前提ないし原則となると解するのが相当であり、このように解することが上記趣旨(高年齢者の65歳までの安定雇用の確保)に合致する」としたうえで、「例外的に、定年退職前のものとの継続性・連続性に欠ける(あるいはそれが乏しい)労働条件の提示が継続雇用制度の下で許容されるためには、同提示を正当化する合理的な理由が存することが必要である」と判断しました。  これらの裁判例から共通して受け取れる点として、@賃金額の大幅な減額、A業務内容の大幅な変更は、継続雇用としては連続性・継続性を失わせることになり、違法と判断されることがあるということです。  したがって、定年後の再雇用において、正社員の職務から変更をするにあたっても、大幅な変更は許容されない点には注意が必要です。 3 職務内容などの変更における留意点  職務内容や責任の範囲、変更の範囲などを定年にともなって変更する際に、いかなる変更を行うことが適切でしょうか。  正社員に求めていた業務のうち、体力や集中力の低下にともない任せることができないような業務を除外したり、異動の可能性を視野に入れる必要がないのであれば配置の変更を行わないようにするといった対応が考えられます。これらの変更は、高齢者であることを背景とした合理的な理由による変更であったり、労働者にとって有利な変更ともなるので、法的にも裁量の範囲内として許容されやすいと考えられます。また、フルタイムから短時間労働への変更は大きな賃金減額をともなうことも多いことから許容されにくいと考えられますが、体力や身体機能の低下などが業務の質に大きく影響するような業務であれば、むしろ短時間労働であっても同種の業務を確保することが望ましいといえる場合もあると思われます。  自社の業務内容をふまえて、変更すべき職務内容や責任の範囲、変更の範囲を検討し、適切な裁量の範囲で定年後再雇用の条件を提示するように心がけてください。 Q2 労働者からの退職の意思表示がどのような取扱いになるのか知りたい  従業員から、労働環境が改善されないことを理由に、自ら退職の意思が示されました。特段の返答をしていなかったのですが、翌日以降出社してこなかったので、退職する意思が固いものとみて、特段の対応をせず、退職したものとして取り扱おうとしていたところ、本人から退職の意思を撤回する旨の連絡がありました。  すでに退職の意思を受け取っていたので、退職の意思を撤回するといわれても、復職させるつもりはありませんが、問題ないでしょうか。 A  退職の種類を見定めて対応する必要があります。撤回が可能であるか否かも退職の種類によって若干異なるため、発言内容や状況もふまえて判断しなければなりません。 1 一方的な退職または辞職の意思表示  理由はさまざまですが、労働者から使用者に対して、退職や辞職の意思が示されることがあります。相談内容のように、後日の撤回が生じたときに、これに応じなければならないか否かについて、労働者による退職の意思表示が、法的にいかなる性質を有するかによって、その取扱いが変わるため、注意が必要です。  まず、一方的な労働者による退職または辞職の意思表示というものがあります。「期間の定めがない雇用契約」について、労働者は、いつでも解約を申し入れることができ、申し入れから2週間経過することで、雇用契約を終了させることができます(民法第627条)。使用者から雇用契約を終了させる場合は、解雇権濫用法理の適用があったり(労働契約法16条)、少なくとも30日前の解雇予告が必要である(労働基準法第20条)などの各種規制がありますが、労働者からの一方的な退職の意思表示には、これらの規定は適用されません。  そして、一方的な退職の意思表示は、使用者に到達した後は、撤回ができないと解釈されています。したがって、一方的な退職の意思表示である場合には、撤回して復職を希望されたとしても、撤回に応じる義務はないといえます。  なお、以上の整理は、「期間の定めがない雇用契約」に関するものであり、「期間の定めがある雇用契約」の場合には、たとえ労働者からの退職の意思表示であっても、いつでも解約できるわけではなく、「やむを得ない事由」がある場合にのみ解除することができるものとされています。したがって、期間の定めがある雇用契約(典型的には契約社員)の場合は、一方的な意思表示で退職が確定するわけではありませんので、次にふれる合意による退職が成立していなければ、退職の効果は確定しません。 2 合意による退職について  労働者からの退職の意思表示としては、一方的な退職や辞職の意思表示ではなく、使用者の承諾を得るための退職の申し入れを行うような場合もあります。  例えば、「できれば、○月末日をもって退職したいと思っているのですが」というような相談を受けた場合、これは一方的な退職の意思表示ではなく、使用者の承諾を得て退職日を確定させたうえで退職しようという意思表示(「退職の申込」といいます)と考えられます。  したがって、このような場合には、使用者がこれを承諾したときに、合意退職が成立して、雇用契約の終了が確定することになります。  このとき、例えば、「ほかの部署との調整もあり、引継ぎに必要な期間も検討する必要があるから、返答は少し待ってくれ」などと述べて、使用者が承諾することなく、保留したままにしていた場合、合意退職は成立しません。  一方的な退職の意思表示とは異なり、使用者による承諾の返答を受けるまでの間は、労働者は退職の申込を撤回することができるとされています。例えば、大阪地裁平成9年8月29日判決(学校法人白頭学院事件)においては、「労働者による雇用契約の合意解約の申込は、これに対する使用者の承諾の意思表示が労働者に到達し、雇用契約終了の効果が発生するまでは、使用者に不測の損害を与えるなど信義に反すると認められるような特段の事情がない限り、労働者においてこれを撤回することができると解するのが相当である」と判断されています。 3 一方的な退職の意思表示と退職の申込の区別について  退職の意思表示といっても、「こんな会社辞めてやる!」とか、「明日からもう来ません」、「もう働き続けるつもりはありません」などさまざまな表現が考えられるところです。これらが、一方的な退職の意思表示であるか、退職の申込であるのかという点は、明確に判断しづらいところがあります。  実務的に裁判所がどういった判断をしているかを見てみると、一方的な退職の意思表示は、撤回が不可能であり退職の効果が確定する労働者に不利益な判断になるため、退職が極めて重要な意思決定であることから、口頭で一方的な退職の意思表示があったものと認めるためには、慎重な検討が必要であるとされています。  例えば、東京地裁平成26年12月24日判決(日本ハウズイング事件)では、口頭で行われた退職の意思表示について、「労働契約の重要性に照らせば、単に口頭で自主退職の意思表示がなされたとしても、それだけで直ちに自主退職の意思表示がなされたと評価することには慎重にならざるを得ない。特に労働者が書面による自主退職の意思表示を明示していない場合には、外形的にみて労働者が自主退職を前提とするかのような行動(筆者注:意思表示の翌日から出社しなかったことを指している)を取っていたとしても、労働者にかかる行動を取らざるを得ない特段の事情があれば、自主退職の意思表示と評価することはできないものと解するのが相当である」と判断したうえで、口頭での退職に意思を示す直前に使用者からの退職勧奨や解雇に類する話合いがあったことをふまえて、自主退職の意思表示ではないと判断されました。  このような判断の基準も示されていることから、いずれに該当するか曖昧な場合には、原則として退職の申込と判断して、承諾を要するものとすべきというのが、現在の実務的な対応が採用しているところです。  したがって、口頭で行われた退職の意思表示に対して、特段の返答をしていなかった場合には、一方的な退職の意思表示ではないと判断される可能性が残っています。しかしながら、口頭での退職の意思表示であった場合でも、何日間も出社せず、連絡も取れず、貸与品の返却や社会保険の終了に関する手続きを自ら進んで行ったなどの事情があれば、一方的な退職の意思表示と評価される余地は残っていますので、退職の意思表示をした後の言動も重要といえるでしょう。 第42回 個別的な定年延長の実施、労災認定基準の改定 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 特定の従業員の定年を個別に延長することはできますか  定年後再雇用のほかに、会社が認めた特定の従業員について定年延長を適用する取扱いは可能でしょうか。 A  定年制がある場合でも、定年時期を超えて雇用を継続することは、使用者の判断または労使間の合意によって行うことが可能です。ただし、特定の従業員以外にも実施することで慣習化することがあるため、定年制を廃止する意図がない場合は、対象の基準を明確化しておくなどの判断は慎重に行うことが望ましいでしょう。 1 定年制とは  定年延長を検討するにあたって、そもそもの定年制の位置づけと種類などをいったん整理しておきます。  定年制とは、労働者が一定の年齢に到達することにより労働契約を終了させる制度です。就業規則または労使間の合意に基づき、労働者と使用者の労働契約の内容に組み込まれていることが通常です。  定年制の合理性に関しても議論はあるものの、過去の判例では、「停年制は、(中略)人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化のために行われるものであって、一般的にいって、不合理な制度ということはでき」ないと判断されたことがあります(最高裁昭和43年12月25日判決・秋北バス事件)。また、比較的近年の裁判例では、東京地裁平成6年9月29日判決において、「使用者の側からみると、前記のとおり、一般に労働者にあっては、年齢を経るにつれ、当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減(ていげん)するにかかわらず、給与が却って逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化を図るために定年制の定めが必要であるという合理的理由が存するし、労働者の側からみても、定年制は、いわゆる終身雇用制と深い関連を有し、定年制が存するが故に、労働者は、使用者による解雇権の行使が恣意的になされる場合は、これが権利濫用に当たるものとして無効とされ、その身分的保障が図られているものということができ、また、若年労働者に雇用や昇進の機会を開くという面があり、一応の合理性があることを否定できない」と判断されており、定年制の合理性は肯定されてきました。  高年齢者等の雇用の安定に関する法律(以下、「高齢法」)においても、定年制の廃止以外にも定年延長などの制度による高齢者雇用が許容されていることからも、定年制自体は合理的で有効な制度であると考えられているといえます。ただし、高齢法第8条において、60歳を下回る定年の定めは規制されているため、定年制を定めるにあたっては60歳以上の年齢を設定する必要があり、現在では、高齢法に基づき定年廃止や65歳までの定年引上げを含む65歳までの雇用の確保が企業には義務づけられています。なお、2021(令和3)年4月1日に施行された改正高齢法により、70歳までの定年引上げなどの高年齢者就業確保措置が努力義務となっています。  法的性質の側面からは、定年制は、厳密にいうと「定年解雇制」と「定年退職制」の二種類があるともいわれており、前者の場合は、解雇権濫用(らんよう)法理の適用があると考えられています。したがって、定年解雇制の場合には、定年に達したとしても、その解雇には、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性がなければ、労働契約を終了させることができません(労働契約法第16条)。また、解雇予告通知の規制も適用されることから、定年到達の1カ月前には、解雇の意思表示を行う必要があります(労働基準法第20条)。一方で、定年退職制の場合は、労使双方からの特段の意思表示などなく、定年に達したときに、労働契約が終了することになります。 2 定年制の種類ごとの延長対応方法  定年解雇制を採用している企業において、解雇の意思表示を行わないことで、定年時に労働契約が終了する効果を発生させないことが可能です。  使用者の立場からすれば、解雇権濫用により定年にともなう解雇が違法となる余地がある以上、定年のときに解雇しなければならないとすれば、違法な解雇を強制されることにもつながります。そのため、定年解雇制は定年時に労働者を解雇することを義務づけるものではなく、解雇するか否かについては、使用者側に裁量があると考えられます。  次に、定年退職制の場合は、双方の特段の意思表示がなく定年のときに労働契約が終了するため、定年解雇制とは異なります。定年制が、就業規則または合意に基づく労働契約の内容であることからすれば、双方の合意に基づき労働契約の内容を変更することは可能でしょう(労働契約法第8条)。定年制については、就業規則に定められている場合の最低基準効との関係においても、例えば60歳に到達したときには労働契約が終了するという条件について延長するということは、定年制自体を適用せずに労働契約を継続することになりますので、就業規則に定める条件よりも優遇された待遇といえるでしょう。  したがって、対象となる労働者との合意に基づき定年制の適用を行わずに、労働契約を継続することが、最低基準効に抵触するものではなく、労使間の合意にしたがえば、特定の従業員に定年制を適用せずに継続的に雇用することは可能と考えられます。 3 定年の個別の延長における留意事項  定年制が存在したとしても、解雇の意思表示を控えることや個別の合意に基づき延長することは可能と考えられますが、定年制を適用しないことが一般化しないように留意しておく必要はあります。  当初は特定の労働者にかぎろうとしていたところ、いつの間にか多数の労働者に対して定年制を適用しないことが標準的な対応となってしまった場合には、定年制を適用しないことが労使間の慣習となる可能性があります。労使慣習となると労使の双方を法的に拘束することになりますので、実質的に定年制を廃止したのと同様の状況となってしまいます。定年制を廃止する意図がない場合には、定年制を適用しない従業員についても、その基準を明確化しておくなどの工夫は設けておくべきでしょう。 Q2 労災認定基準改定の詳細について知りたい  労災認定基準が改定されたとのことですが、どのような点が変更となったのでしょうか。これから気をつけなければならないポイントがあれば教えてください。 A  時間外労働の多さが中心である点は変更がないといえますが、負荷要因の評価をより詳細に行うことが予定されており、各社における業務の特色をとらえた対策を検討する必要があります。なお、休日の確保は、多くの企業にとって共通の対策になると思われます。 1 過労死と労災認定基準について  過労死等防止対策推進法第2条では、「過労死等」の定義として、「業務における過重な負荷による脳血管疾患若しくは心臓疾患を原因とする死亡若しくは業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡又はこれらの脳血管疾患若しくは心臓疾患若しくは精神障害をいう」と定めています。  いまは、「過労死」という言葉はすでに定着し、企業においては、過労死を発生させてはならないということ自体は半ば常識化しつつあるといえるでしょう。  過労死については、業務に起因するような場合には、労働災害として認定されることになり、さらに、企業に安全配慮義務違反(故意または過失)が認められるようなときには、企業に対する損害賠償責任につながります。近年では、企業の役員や直属の上司個人の安全配慮義務違反も問題視されることが増えており、企業だけの責任だけではなく、役員や部下を持つ管理職などにも関心をもってもらう必要があります。  業務の過重負荷を原因とする、脳または心臓疾患による死亡や精神疾患を原因とする自殺がいわゆる「過労死」に該当しますが、厚生労働省では、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く)の認定基準」(以下、「脳及び心臓疾患の認定基準」)及び「心理的負荷による精神障害の認定基準」を定め、2種類の労働災害の該当性(「業務起因性」と呼ばれます)を判断するための認定基準を用意しています。  これらの認定基準においては、最も重要な指標として「長時間労働」が考慮されてきました。2種類の労災認定基準において、業務と過労死の関連性が強いと認定することにつながる時間外労働時間数は、「過労死ライン」と呼ばれています。いわゆる過労死ラインと呼ばれる長時間労働については、単純化すると、発症直前の1カ月の時間外労働時間数が100時間を超えたときや、発症前2カ月から6カ月の1カ月あたりのそれぞれの平均時間外労働時間数について、いずれかの平均値が80時間を超過するときなどが想定されています。これらの水準は、働き方改革における時間外労働の上限規制においてもほぼ同様に設定されており、過労死防止に対して罰則をもって臨むという状況に至っているといえるでしょう。  「脳及び心臓疾患の認定基準」の見直しが行われ、厚生労働省は、2021年9月14日に新しい認定基準を公表しました。なお、「心理的負荷による精神障害の認定基準」は見直されておらず、既存の内容が維持されています。  また、参考までに、労働者災害補償保険法の改正により、複数事業労働者の複数の事業の業務を要因とする傷病等については、すでに2020年7月に考え方が示され、「複数業務要因災害」として新たな保険給付がなされることになったことにともない、変更されていますので、副業・兼業を行う場合にも労働時間の管理には留意が必要です。 2 労災認定基準改定の背景について  今回の「脳及び心臓疾患の認定基準」の見直しにあたっては、海外の研究論文などにおいて、週55時間を超えると、週35時間から40時間の場合と比べて、脳卒中と虚血性心疾患のリスクがどちらも高まることを示す十分な証拠が得られたという結論を示すものが現れており、既存の過労死ラインを見直す必要性がないかも含めて検討されたものと思われます。  結論としては、既存の労災認定基準自体はほぼ維持されており、過労死ライン自体も変更されないこととなりました。  だからといって、上記の海外の研究論文が無視されているわけではありません。意味があるのは、過労死ラインには及ばないがこれに近い水準の時間外労働が行われている場合に、「特に他の負荷要因の状況を十分に考慮すること」が求められるようになったことに表れています。  海外の研究論文が示すところの労働時間が週55時間を超える場合とは、1カ月あたりの時間外労働に引き直すと、1カ月65時間程度の時間外労働に相当することになります。1カ月あたりの時間外労働が、80時間には及ばなくとも65時間程度に及んでおり、ほかの負荷要因がある場合には、労働災害として認定される可能性は、現在よりも高まると考えられます。  負荷要因としては、不規則な勤務形態(拘束時間が長い、休日がない連続勤務、勤務間インターバルが短い勤務、交代制や深夜勤務など)、事業場外における移動をともなう業務(出張が多い業務、海外出張など)、心理的負荷をともなう業務(心理的負荷による精神障害の認定基準における心理的負荷評価表の一覧とほぼ同様)、身体的負荷をともなう業務(重量物の運搬作業、人力での掘削作業など)、作業環境(温度環境や騒音)などが想定されています。  これらの負荷要因は、これまでにも示されていた内容もありますが、今後、過労死ラインには及ばないがこれに近い水準の時間外労働が行われている場合に、「特に他の負荷要因の状況を十分に考慮すること」が明記されたことによる影響は現れてくると思われます。 3 企業において対応すべき事項について  今回の改定では、「脳及び心臓疾患の認定基準」のうち、労働時間以外の負荷要因を中心に改正されており、時間外労働を重視しすぎる傾向に変化をもたらすものと思われます。  これまで、「脳及び心臓疾患の認定基準」においては、時間外労働以外の負荷要因もあげられてはいたものの、時間外労働の時間数が最も重要な要素とされ、それ以外の要素は考慮されにくい実情があったと思われます。過労死ラインに達しないことを目安として労働時間管理を行っていた企業もないとはいえません。  企業における労務管理についても、時間外労働の上限規制をきっかけに時間外労働の抑制に取り組む企業が増えていますが、負荷要因については、労働時間の不規則性や事業場外労働の頻度、身体または心理的負荷のほか、作業環境など各社が自身の業務内容をふまえた分析および対策が必要となるでしょう。  自社の業務内容に照らして、掲げられている負荷要因について、日常的に生じているものであるか、日常的に生じるものであればそれに対する対策をどのように行うのかという点を検討してください。なお、負荷要因のいずれにとっても休日の確保の影響は大きいと思われますので、多くの会社で共通する対策になりそうです。 第43回 降格後の地位における合理的期待、職務専念義務に違反するメール送信と懲戒 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年年齢を超えて採用した人材の降格、または雇用契約終了を検討するうえでの留意点について知りたい  定年年齢を超える方を雇い入れ、責任のある職務をまかせたのですが、人との距離をとることにおいて不適切な点があり、セクシャルハラスメントを行っているとの申告もされています。  そこで、一般職に降格することとしたのですが、雇用継続に関する協議において、降格の効力を認めないため、協議が整いません。このようなときに、契約期間満了時に契約を終了したいのですが、留意点を教えてください。 A  類似の裁判例をふまえると、使用者が抱かせた更新に対する期待の内容と、労働者が抱いている更新に対する期待の内容が相違する場合には、合理的な期待があるとはいえないため、雇止めによる労働契約の終了も視野に入れて協議することができるでしょう。ただし、降格が有効であるかという点には注意が必要です。 1 人事権に基づく降格処分について  多くの企業においては、懲戒処分としての降格の規定は定められていることが多いものの、人事権の行使としての降格処分が就業規則に定められていることは少ないです。一般的に、労働契約に基づき、使用者は、労働者に対する人事権を有しており、その裁量の範囲も比較的広いと考えられてはいますが、降格処分を実施しようと思ったときには、就業規則上の根拠がなければ、実施できないことがあります。  降格には、厳密にいえば、@役職の単なる低下として行われるもので、職能資格や資格等級の低下(とそれによる賃金の低下)をともなわない場合には、使用者が裁量によって決定できる範囲は広いと考えられています。  他方で、A職能資格や資格等級の低下(とそれによる賃金の低下)をともなう場合には、就業規則や労働契約上の根拠がなければ実施できないと考えられています。  労働者に与える不利益の程度の相違から生じる差異ですが、多くの企業で実施される降格は、Aの意味合いで行われることが多く、就業規則上の根拠に基づき行うことが適切でしょう。  なお、人事権の行使としての降格と対比されるのは、懲戒処分としての降格ですが、懲戒処分である以上、当然に就業規則の根拠が必要となり、懲戒権の濫用(らんよう)は許されないため、懲戒処分としての降格の実施にあたっては、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には無効となります(労働契約法第15条)。 2 降格後の地位と雇用延長に関する協議  降格を実施した後、雇用契約を延長する場合に、当然ながら使用者は降格後の地位を前提とした雇用延長を検討することになります。一方で、労働者からは、降格処分に納得がいっておらず、降格していない地位での雇用継続を交渉してくることもあるでしょう。  双方の意思が合致して、降格後の地位で新たな労働契約が成立すればよいのですが、双方の意思が合致しない場合には、雇用延長に向けて協議を重ねることになるでしょう。  このような場合に、労働契約法第19条における、有期労働契約の更新に対する期待可能性などをどのように考えればよいのかという点は、実はむずかしい問題です。使用者としては、降格済みであり、降格前の地位における雇用を継続する意思は有していないことは明らかといえますが、降格後の地位としての労働契約は締結してもよいという場合があります。一方で、労働者としては、降格後の地位は受け入れがたく、降格の効力がない状態に戻らなければ、労働契約を継続したくないという意思がありそうです。  とすると、「労働契約を継続したい」という抽象的なレベルでは合致しているかのように見えますし、労働者も労働契約の継続を期待しているともいえそうですが、このような場合に、労働契約法第19条第2号(更新に対する合理的な期待)によって労働者が保護されることになるのか、という点が課題となります。 3 降格後の地位にある人物に対する雇止めに関する裁判例  今回の設問において参考にしたい裁判例が、東京地裁令和2年12月4日に判決された事件です。  事件の概要としては、定年を超過した年齢で、専門性のある経歴を有している人材を事務局長として雇用開始したところ、事務職員に対するセクハラおよびパワハラが発覚したうえ、業務内容においても複数の不備が生じており、事務局長としての適格性を疑わせる事情が複数存在するに至りました。  そこで、事務局長の地位から降格し、その後期間満了をもって労働契約を終了させるに至ったという事案です。  まず、降格に関する権限については、「使用者は、人事権の裁量の範囲内において、労働者を一定の役職に就けたり解いたりできることからすると、…経験を見込まれて採用されたとしても、このことをもって、直ちに、本件雇用契約において、原告を事務局長の役職から解くことはできない旨の合意をしたと認めることはできない」として、まずは、人事権の行使としての降格権限があることを肯定し、降格にともなう賃金の減額もほとんどなかったことから降格の効力を肯定しました。  一方、労働契約の更新回数が4回であり、通算約5年に至っていたことおよび事務局長としての定年が70歳(役職者のみ定年年齢が高く設定されていた)であり、残り2年間であることから、合理的な期待を有していたと解する余地はあるとされつつも、「原告の更新に対する期待とは、事務局長として本件雇用契約が更新されることであり、事務局職員の立場で本件雇用契約が更新されることは期待していないものと推察される」ことから、期待可能性があるとは認めませんでした。  ここでは、労働契約法第19条第2号が定める、更新に対する合理的な期待について、使用者が期待させている更新の内容(一般の事務職員としての更新)と労働者が期待している更新の内容(事務局長としての更新)にズレが生じていることを理由として、期待可能性を否定している点が重要です。同様の事案は例が少なく、労働契約法第19条第2号が定める合理的な期待という点に関する理解を深める内容であると考えられます。  なお、定年が近かったことを合理的な期待を有することの背景事情として重視している点は、高齢者雇用に特有の要素でもあり、本件のような事情がない場合には、十分に考慮しつつ、契約更新を検討する必要があるでしょう。 Q2 社内メールを使って、会社や上司を批判している社員の処分について知りたい  労働時間中に社内メールを用いて、会社に対する批判および上司や同僚を揶揄(やゆ)するメールを送信するなどしている者がいます。社内の秩序を乱しており、職務に専念しているとも思われないため、懲戒などの対応が必要ではないかと考えていますが、どのような処分であれば可能でしょうか。解雇することは可能でしょうか。 A  類似の事例において、口頭での厳重注意後、再度違反した際には出勤停止5日間を有効とした裁判例があるため、参考にしつつ処分を検討することが適切です。なお、解雇が有効になる余地はほとんどないでしょう。 1 職務専念義務について  ご相談に来られる企業から、「社内でメールや同僚同士のチャットを通じて、会社批判をくり返している者がおり、どうにかできないか」といった相談を受けることがあります。  労働基準法に違反しているので是正すべきだ、といった批判で実際に適法に運用できていない企業もあるなど、正直なところその批判が的確な場合もあり、そのような場合は就業環境や労働条件を適正化する方が先決であり、当該従業員を処分することが適切ではないときもあります。  他方で、批判の内容が、邪推や憶測に基づく内容である場合や、相性が悪い上司に対する人格非難であることもあります。この場合には、企業秩序を乱すおそれがあるうえ、人格非難の程度によってはパワーハラスメントの被害者となる労働者が現れるおそれすらあるといえます。  このような事態に至っては、使用者にも被害者に対する安全配慮義務があるため、このような行為を止めるためにいかなる措置を取ることができるのかを検討し、実行していく必要があります。  労働者には、労働時間中、職務に専念する義務があり、原則として使用者の指揮命令に従った労務の提供に集中する義務があります。したがって、問題があるようなメールを送信しているような場合には、就業規則を確認する必要はありますが、職務専念義務違反である以上、懲戒処分の対象とすることができることが多いでしょう。  しかしながら、悩みは懲戒処分が可能であるか否かよりも、適切な処分の程度を決定することにあります。特に、このような解雇に相当するとはいえないような場合にどのような対応を進めていくのかについては、正解がなくむずかしい問題です。 2 裁判例から見る処分の程度について  使用者を批判し、上司らを非難したり、不適切なあだ名(態度や体型や外見などを基にしたものと思われるもの)で揶揄するメールをくり返し送っていた事案で、出勤停止5日間を有効と判断した最近の裁判例(以下、「本件」)があります(東京地裁令和2年7月16日判決)。  当該裁判例では、上司らをあだ名で揶揄するメールを約1カ月間で合計11通送信し、その内容は、「経営について建設的な意見を述べたものではなく」、「一方的に批判し、揶揄する内容であ」ったことが認定されています。前述のとおり、法令違反を是正するような内容など、建設的な意見であれば、本件のような結論にはなっていないと思われますが、社内のメールを用いて、非建設的な社内批判をくり返すような状況であれば、処分の対象とすることは可能といえるでしょう。  本件では、「メールの内容、表現に加え、送信した相手の人数、頻度、期間などの事情を総合」して、「メールの送信は、…担当の業務に専念し、能率発揮に努めるべき義務」を怠っていることを指摘したうえで、社内のメールシステムを用いた点についても、「許可なく職務以外の目的で被告の施設、物品等を使用した」という就業規則に定められた懲戒事由に該当すると判断しています。  また、生じた結果についても、最大で18人の職員に送信していたことなどもふまえて、「業務とは無関係の内容の上記各メールを作成、閲読させるなどして被告の業務に与えた影響も考慮すると、上記就業規則等に定める義務違反の程度を軽視することはできない」と判断しており、義務違反の程度も重く見ています。  職務専念義務に違反するか否か判断するにあたって総合考慮された事情は、個別のケースごとに相違するため、安易に職務専念義務を怠ったと断言することはできませんが、メールの内容を十分に考慮して判断することが重要であり、その期間や頻度を把握する方向で社内調査を進めることも、的確な判断を示すためには重要と考えられます。 3 処分の相当性の確保について  出勤停止5日間という処分がどの程度の処分であるのか、ということも正確に理解しておく必要があります。  本件では、出勤停止処分が就業規則に定められた懲戒処分のなかでは3番目に重い処分とされています。そして、本件では、出勤停止期間中の賃金支払の停止、賞与算定期間からの控除、定期昇給の停止などもともなった結果、約80万円の損害を処分対象となった労働者に生じさせたとされています。  出勤停止よりも降格などの重い処分が定められていることもありますが、出勤停止という処分は、おそらく一般的にイメージされている以上に裁判所では重い処分として想定されており、有効と認められるには相当な根拠が必要とされます。  本件においても、処分が相当と判断された前提として、重要な二つの要素があります。  一つ目は、懲戒処分よりも前に、同様の行為を行ったことに対する口頭による厳重注意が行われていたという点です。また、本件では口頭による厳重注意から間をおくことなく懲戒処分の対象とされたメール送信が行われた点も労働者の悪質性を強調する出来事となっていました。  二つ目は、二度にわたって弁明の機会を与えていたという点です。弁明の機会を与えた際には、「いわれている人間の行動に問題がある」などの開き直りともいえる態度をとっており、酌量の余地がないと判断することも容易だったといえるでしょう。  懲戒処分にあたっては、事前の改善の機会を与えておくこと、事後の弁明の機会を与えることによって、有効性を維持できる可能性を高めることができますので、適切に実施しておくことが重要です。 第44回 直接雇用以外の安全配慮義務、職務等級制度における降格措置 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 業務委託契約となる場合の安全配慮義務の位置づけを教えてほしい  高年齢者雇用安定法の改正への対応として、65歳以降に業務委託契約を締結して業務を継続してもらうことを検討しています。  雇用契約ではなくなるため、安全配慮義務の負担や割増賃金の負担などはなくなると考えてよいのでしょうか。 A  安全配慮義務については、業務委託契約であっても負担することがあり得るので注意が必要です。また、業務委託契約への切り替えにもかかわらず、業務内容の変更等がほとんどない場合には、雇用契約とみなされる可能性もあります。そのため、割増賃金等の雇用関係に基づく制度の適用関係に注意して、業務委託と雇用の区別をふまえた業務遂行方法を検討しておくべきです。 1 高年齢者雇用安定法の改正と就業機会の確保  過去の連載においても紹介しましたが、高年齢者雇用安定法が改正され、70歳までの就業機会の確保が努力義務とされました。  これまでの法制度との相違点として、65歳までは、「雇用」を確保することが求められていたことと比較して、就業機会の確保においては、雇用にこだわらず業務委託契約を締結するといった方法も許容されるようになりました。そのため、今後は、65歳以降には、雇用ではなく業務委託契約を締結するような機会が生じてくることになりますが、そのような場合に、安全配慮義務を負担することがあるのか、ということも問題となります。 2 安全配慮義務に関する判例の流れ  最近は安全配慮義務という言葉自体も浸透し、同義務に違反したときには、損害賠償責任を負担することも一般的に知られています。さらに、労働契約法第5条が、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と定め、労働契約(=雇用契約)が存在しているかぎりは、生命、身体などの安全を確保する義務を負担します。  しかしながら、労働契約法第5条は「労働契約が成立している場合」に安全配慮義務を使用者が負担することを定めているにすぎず、労働契約が存在しない場合にも、安全配慮義務が肯定されるか否かは別途の考慮が必要です。  安全配慮義務に関する最初の判例は、最高裁昭和50年2月25日判決(陸上自衛隊八戸車両整備工場事件)です。自衛隊をはじめとする公務員と国の関係は、労働契約に基づくものではありません。とはいえ、公務員と国の関係は、使用者と労働者に類する部分も多く、自衛隊においては訓練や整備中の事故などの危険もあることから、自衛隊員と国の間で安全配慮義務が肯定されるのかが問題となりました。  同判決においては、「国は、公務員に対し、…(略)…公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という)を負つているものと解すべき」と結論づけ、公務員に対する安全配慮義務を肯定しました。その理由として、安全配慮義務は「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間」において、信義則上負う義務として一般的に認められるべきものという理由があげられています。  ここで示されている通り、安全配慮義務は、雇用契約の関係がある当事者間にかぎらず「特別な社会的接触関係」の有無を基準として判断されることになります。  この基準が判例となったことから、公務員以外の事件である私人間の直接の雇用関係にないような関係性においても、安全配慮義務が肯定される事例があります。例えば、福岡高裁昭和51年7月14日判決(大石塗装・鹿島建設事件、最高裁昭和55年12月18日判決で維持されました)においては、直接の雇用関係にない下請契約の関係者との間での安全配慮義務について、「法形式としては請負人(下請負人)と雇傭契約を締結したにすぎず、注文者(元請負人)とは直接の雇傭契約を締結したものではないとしても、…(略)…、実質上請負人の被用者たる労働者と注文者との間に、使用者、被使用者の関係と同視できるような経済的、社会的関係が認められる場合には注文者は請負人の被用者たる労働者に対しても請負人の雇傭契約上の安全保証義務と同一内容の義務を負担するものと考えるのが相当である」と判断しています。  建設業においては、元請、下請、孫請などの関係がありつつも同一の現場で業務を遂行する関係があることから、労働安全衛生法でも特別な規定が用意されているなど、安全配慮義務が肯定されやすい傾向があります。  例えば、大阪高裁平成20年7月30日判決においては、第一審判決では被害者側が一般的には到底行わないような危険な方法で作業を実施したことをふまえて安全配慮義務自体を否定したところ、控訴審では「請負(下請)契約関係の色彩の強い契約関係であったと評価すべきであって、その契約の類型如何に関わらず両者間には実質的な使用従属関係があったというべきであるから、被控訴人は、控訴人に対し、使用者と同様の安全配慮義務を負っていたと解するのが相当である」と判断し、元請業者が安全配慮義務を負担することを肯定しました。  なお、第一審が考慮した危険な方法による作業の実施については、過失相殺において8割の減額が認められており、まったく考慮されていなかったわけではありませんが、安全配慮義務を負担するか否かとは結びつけられていません。 3 請負契約以外の裁判例における判断について  安全配慮義務を負担するのは労働契約がある場合にかぎられるわけではないという点は、業務委託契約全般にもあてはまるものです。  例えば、自治体がテニスの講習を外部に委託したところ、当該委託先において、複数名の初心者向けに行われたテニスの講習中に、誤って飛んできたボールを右眼に受けた結果、視力が著しく低下したという事故に関して、被害者から、自治体に対して、安全配慮義務違反を理由として損害賠償請求が行われた事案があります(千葉地裁佐倉支部平成11年2月17日判決。なお、控訴審である東京高裁平成11年6月30日判決において結論は維持されました)。  当該裁判例においては、「被告とテニス連盟ないし原告ら講師との法律関係は、本来、本人からの独立性と裁量性を有する準委任であると解されるが、その場合でも具体的な労務の内容、指揮監督関係、専属関係の有無等を考慮し、被告と原告間に使用従属関係が認められる場合には安全配慮義務違反が問題となる余地がある」という判断基準を示しており、準委任(≒業務委託)関係においても、安全配慮義務を負担する可能性があることを肯定しています。  結論的には、指導方法を委託先に一任し、練習方法や内容に関与しないなど個別具体的な指揮監督などがないことから、関係性が雇用契約類似に至っていなかったとして、安全配慮義務を負担しないと判断しています。  ここでポイントとなっているのは、やはり雇用契約類似の指揮監督関係がなかったことです。業務委託と雇用の関係の区別に関しては、「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」(37号告示と呼ばれています)が参考になります。65歳以降の業務委託契約において、実質的な業務内容に変更がないような事例も想定されますが、また、業務内容に変更がないことは、雇用の継続があると評価されることを避けがたいと思われます。37号告示を参考にしつつ、定年後の高齢者と締結する契約の内容が業務委託にふさわしい内容となるように、留意する必要があるでしょう。 Q2 職務等級制度において賃金の減額(降格措置)はできるのか教えてほしい  社内の賃金制度について、自社では職能資格制度ではなく、職務等級制度に基づいて賃金を決定しています。  このたび、部署の廃止にともない、職務内容の変更をともなう異動が必要となったのですが、職務変更とあわせて賃金を減額することは可能でしょうか。 A  職務等級制度は、職務と賃金を関連づけて決定していることから、職能資格制度と比較すれば、職務変更にともなう賃金減額は認められやすいといえます。ただし、就業規則上の根拠が必要であり、人事権の濫用とならないような配慮は求められます。 1 職能資格制度と職務等級制度  職能資格制度とは、労働者の「能力」に着目して賃金制度を設計するものであり、日本では多くの企業がこちらの制度を採用しています。ここでいう「能力」とは、当該労働者という属人的な能力を意味しており、その人がその能力を発揮しているか否かという観点とは異なります。能力があっても、職務内容に変更があったがゆえに、能力を発揮できていない場合でも、賃金は変動しないという特徴があります。  このように「能力」に着目するにあたって、いくつかの原則があると整理されており、昇格・昇進原則、能力の育成と公正評価の原則、同一資格同一処遇の原則などが特徴としてみられることが多いといわれます。  降格との関係で障壁となるのが、昇格・昇進原則があることです。職能資格制度においては、原則として、人の能力は育成により成長していき、職務が変更されても能力が失われることはなく、年功とともに昇格・昇進が続いていくことが前提となっています。そのため、「降格」というのは、極めて例外的に属人的な能力が失われた場面にしか機能しないと考えられます。  そのため、就業規則上の根拠は当然必要であるうえ、降格にともなう賃金の減額などに対しても、人事権の濫用とされる範囲が広いと考えられます。  一方で、職務等級制度の場合は、労働者の「職務」に着目して賃金制度を設計するもので、「ジョブ型」などと表現されるのはこのような制度です。現に行っている「職務」の価値に応じた対価として賃金を支払うという考え方であるため、いかに能力があったとしても、それを発揮するような内容の職務を行っていないのであれば、賃金が減額されることがあり得るという前提を有しています。とはいえ、賃金の減額を引き起こす以上は就業規則上の根拠は必要と考えられていますが、人事権の濫用とされる範囲は職能資格制度と比較すれば緩やかに評価される可能性があります。 2 職務等級制度における降格が問題となった裁判例  東京地裁令和2年12月18日判決(ELCジャパン事件)においては、職務等級制度を採用している企業における異動にともなう賃金減額が問題となりました。  事案の概要としては、アメリカに本社を有する日本法人が、事業部門の廃止にともない、原告に退職勧奨を行ったところ、これを拒まれたことから、解雇するのではなく異動を命じて、アシスタントマネージャーという職務に就くことになり、賃金が減額されるに至ったというものです。  人事権の濫用に該当するか否かについては、不当な動機または目的がある場合が典型的ですが、この点は原告に対する個人的な不満があったとしても、それが事業部門の廃止につながるとは考えがたいとして否定されています。  原告に生じた不利益の程度が大きいほど、人事権の濫用とされやすいのですが、減額の程度が月額1万円程度であったこと、賞与の算定方法が変更となるが、一概に比較することはできないことなどから、大きな不利益ではないと評価されました。結果として、降格にともなう賃金の減額は法的に有効に行われたものとされました。  なお、この事件では、この降格だけではなく、その後に配置転換が実施されるに至っており、その有効性も問題となりましたが、こちらについても、賃金水準が確保されるような配置転換であること、原告の希望に見合うほかの役職が存在していなかったことなどから、これまでのキャリアとは異なるような職務内容であっても、その配置転換に不当な動機・目的は認められず、有効であると判断されています。  当該裁判例は、外資系企業であり、職務等級制度が採用されていることが明確な企業でした。このような企業においては、当初の職務の決定は企業にとっても労働者にとっても重要であるため、職務を変更すること自体の必要性が高くなければならない可能性はありますが、必要性が認められる場合には、職務内容の変更にともなう賃金の減額も許容されやすいといえるでしょう。  日本の企業においては、「ジョブ型」の賃金制度を設計している企業は多くはありませんが、同一労働同一賃金を徹底する場合、「職務」に着目した賃金制度は、同一労働である範囲での同一賃金の実現と相性がよいといえます。既存の賃金規程自体を改定することは、従業員への影響も大きくなりやすく、経過措置を定めるなど漸次的に導入するといった工夫や将来賃金への影響のシミュレーションも必要となりますが、今後の対策として選択肢に入る企業もあるでしょう。 第45回 休職期間中の定年到来、兼業と懲戒処分 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 休職期間中に定年を迎える労働者の扱いについて教えてほしい  現在、定年間近の従業員が、通勤災害が原因でけがをして休職しています。復職に必要な治癒に至ることなく、休職期間中に定年を迎える見込みです。  休職中の従業員が定年を迎えたことを理由に、その従業員を退職したものと扱ってよいのでしょうか。 A  原則として定年退職により労働契約を終了することができると考えられますが、継続雇用の要件を定めている場合には、当該要件に該当しないことも確認してから判断することが適切でしょう。 1 休職制度  休職制度については、本誌2020(令和2)年1月号でも触れたことがありますが、少しおさらいしておきたいと思います。  休職制度は、労働基準法などの法律に基づいた制度ではありませんが、多数の企業で採用されています。その理由としては、私傷病などにより労務提供が一時的に困難になってしまった従業員に対して、復職の機会を確保しておくためであり、使用者の立場からは解雇を猶予して回復を待つという意味合いがあります。  休職制度が解雇の猶予措置であることから、休職期間が満了したときには、退職または解雇措置を取ることが定められていることが一般的です。  以上のような、休職制度の位置づけについては、最高裁平成24年4月27日判決(日本ヒューレット・パッカード事件)において、「診断結果等に応じて、必要な場合は治療を勧めた上で休職等の処分を検討し、その後の経過を見るなどの対応を採るべきであり、このような対応を採ることなく、被上告人の出勤しない理由が存在しない事実に基づくものであることから直ちにその欠勤を正当な理由なく無断でされたものとして諭旨退職の懲戒処分の措置を執ることは、精神的な不調を抱える労働者に対する使用者の対応としては適切なものとはいい難い」と判断されて以来、定着したように思われます。  ただし、業務上の災害(いわゆる労働災害)に起因する休職の場合は、労働基準法第19条により解雇制限が定められています。その内容は休業する期間とそれを終えてから30日間は解雇を禁止するというものです。  解雇と定年では状況は異なりますが、業務上の災害についてはこのような解雇制限もある状況のなか、定年退職は文字通り解釈してもよいものでしょうか。 2 定年と解雇の相違点  定年と解雇の相違点は、使用者の意思表示を必要とするのか否かという点があげられます。解雇の場合は、使用者が、当該従業員を解雇するという意思を本人へ通知する必要がありますが、定年の場合は、極論すれば、使用者が何も伝えなくとも、定年を迎えた時点で、退職扱いとなり、法的には労働契約が終了することになります。  その意味では、解雇の場合は、解雇の意思表示が、使用者による解雇権濫用であるとして無効となれば、退職自体が効力を生じないことになりますが、定年退職の場合は、無効とすべき意思表示がないため、退職自体の効力が生じることを妨げることは困難です。少し説明がむずかしく感じるかもしれませんが、定年の場合は法的には効力を無効としづらいということと労働基準法第19条に基づく解雇制限が定年退職には及ばないということがわかってもらえれば十分かと思います。  定年による退職については、よほどのことがないかぎりは、このような解雇制限があるとしても有効であり、労働契約は定年を迎えたときに終了することになります。 3 定年退職が妨げられる場面  しかしながら、定年退職といえども、万能ではありません。高年齢者雇用安定法は、65歳までの高年齢者雇用確保措置を義務づけており、60歳で定年を迎えたとしても、本人が希望し解雇に相当する程度の理由がないかぎりは、継続雇用制度などにより雇用を継続すべきことを義務づけています。このことからすると、たとえ、休職期間中であるといえども、雇用を継続すべきであるといえそうです。  過去の裁判例で、類似の状況における判断がなされたものがあります(京都地裁平成28年2月12日判決)。当該裁判例は、通勤災害が原因で骨折などの負傷を負った従業員との間で、定年退職を理由とした労働契約の終了が争われた事件です。裁判所は、「原告と被告との労働契約が終了していないとしても、被告の就業規則上、原告は、定年によって退職することとなったと認められるから、定年時以降の労働契約上の地位確認及び賃金支払請求が認められるためには、定年時以降も原告と被告との間で労働契約が維持ないし再締結された蓋然性が認められることが必要である」として、定年による労働契約の終了が原則として認められると判断しました。そのうえで、高年齢者雇用安定法に基づく継続雇用の義務は、どのような措置を取るかについては、事業主に委ねられているから、定年時以降も労働契約が維持ないし再締結された蓋然性があると認めることはできない、としています。  この事件の使用者は、高年齢者雇用安定法およびその指針が定める解雇事由または退職事由に該当するものを定める労使協定として、「定年後の継続雇用制度の選定基準に関する協定書」を締結していたところ、具体的な判断にあたっては、同協定に「過去3年以内に健康上の理由による休職及び1ケ月以上に及ぶ長欠なく、直近3年以内の定期健康診断の結果において業務遂行に支障がないと診断されている者」と定められていたことを理由に、継続雇用の蓋然性があると認められないと結論づけて、定年退職が有効と判断されました。  定年退職による労働契約の終了を妨げること自体はむずかしいといえますが、その判断にあたっては、自社の継続雇用制度において定年後の継続雇用を行わない場合に該当することを確認してから判断することが適切でしょう。 4 休職合意や休職命令を行う際の留意事項  実は、上記の裁判例では、使用者において、休職期間の起算日を誤っていたことから、休職命令および休職合意自体の有効性が否定されています。休職期間として算定できるのが、欠勤から1カ月後からであるにもかかわらず、欠勤開始日から起算して休職期間を設定したことが原因で、就業規則よりも労働者に不利益な合意や取り扱いをすることができないとして、休職合意や休職命令の効力が否定されています。休職制度を活用する機会は少ないかもしれませんが、自社の就業規則の解釈があいまいになっていないかという点も確認しておくことが望ましいでしょう。 Q2 無許可での兼業が発覚した従業員への処分について知りたい  自社で雇用している従業員が、競業他社の取締役に就任し、報酬を得ているという情報に接しました。また、当該競業他社の登記に取締役としての登記もなされていることが確認できました。本人からは、その許可を求められたことはなく、申請を受けたこともありません。  自社の営業に関する情報などが当該競業他社へ融通されるおそれもあり、懲戒解雇を検討していますが、問題ないでしょうか。 A  競業避止義務違反が認められる場合には、懲戒処分の対象とすることは可能と考えられますが、守秘義務違反のおそれにとどまる場合には、懲戒解雇処分を行うことは不適切と考えられます。 1 副業・兼業ガイドライン  厚生労働省が定める「副業・兼業の促進に関するガイドライン」が2020(令和2)年9月に改定されたころから、兼業や副業に対する考え方が変化してきました。  基本的な方向性としては、労働者の経済的自由・職業選択の自由を尊重する方向性であり、副業・兼業を妨げるべきではないという考え方を基本とするように転換しつつあるといえるでしょう。  一方で、副業・兼業が完全に自由なのかというと、そういうわけではありません。例えば、厚生労働省が公表しているモデル就業規則が定める副業・兼業に関する規程は図表のような定め方がなされています。  第1項で、原則として「勤務時間外」であれば自由としつつも、第2項が会社への届出を義務づけている点では完全な自由とは異なります。また、第3項では、禁止または制限できる場合を列挙しており、これらのなかには、「競業により、企業の利益を害する場合」には、副業・兼業を認めなくてもよいとされています。 2 競業避止義務違反と懲戒処分  就業規則において、モデル就業規則のような規程が定められており、懲戒処分の根拠として位置づけられている場合には、懲戒処分を行うことが可能です。ただし、問題となるのはその処分の程度でしょう。  兼業・副業に関する規程が、労働者の権利を制約しない範囲に限定するよう求められている状況からすると、懲戒処分の実施やその程度も謙抑的に運用することが望ましいといえます。  業務の支障への程度が小さい場合や発覚して間もなく解消されたような場合には、懲戒処分としては、再発防止のために必要な程度として、戒告や減給処分程度が相当と考えられる事例が多いと思われます。 3 懲戒解雇が許容された裁判例  過去の裁判例のなかで、副業・兼業における競業避止義務違反を根拠として、懲戒解雇が有効と判断された事例があります。  事案の概要としては、システム開発などを行う会社(Y社)に雇用されていた従業員Xが、Y社に秘して、同様にシステム開発などを行っている他社(a社)で約3年程度にわたって業務委託の形式または取締役に就任して毎月25〜30万円の報酬を受領しており、取締役退任後も業務委託を受けて毎月30万円を受領し続けていたというものです。この期間中に、Xは、Y社内で展開されていたメールの内容を、a社の営業担当者に共有して助言するなど、競業他社のために自社の秘密を利用することも重ねていました。  裁判例では、XがY社に在職中、「その勤務時間を含め、同業者であるa社の取締役又は業務委託の受託者として、a社の業務に従事し」ていたと認定されたうえ、その活動を秘していたと判断されました。  さらに、「a社の業務のために被告の情報を提供しているから、被告に対する背信的行為であって、被告の企業秩序を乱すものであるし、原告が被告の職務に専念せず、他社から報酬を受領することにより、原告の労務提供に格段の支障が生じている」として、Y社の営業にかかわる情報を守秘義務に反して利用したことの悪質さも考慮されました。  これらの違反事由が重なったことが考慮され、「兼業の内容が就業時間に競業他社の業務を行うだけでなく、被告の業務で知り得た情報を利用するという被告への背信的行為であるという内容に照らせば、本件解雇は社会通念上も相当なもの」として、懲戒解雇が有効となると判断されました。 4 懲戒解雇実施時の留意点  副業・兼業禁止の違反に基づく、懲戒解雇を行う場合であっても、通常の解雇処分と同様に、解雇権を濫用してはならず、解雇には、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が求められることになります。  無許可の兼業については、悪質さが目立つうえ、直感的には重たい判断を検討しがちですが、原則として自由であるという点をふまえて、冷静に判断することが求められます。  重視すべき事項の一つは、勤務時間中のものであるか、勤務時間での労務提供に支障をきたすものではないかという点です。紹介した裁判例においても、勤務時間中に兼業先での職務遂行を行っていたことが重視されています。労働者の基本的な義務である労務提供義務や職務専念義務に違反していることは、悪質さを基礎づけることになります。  次に、競業といえるほどの業務内容の重なりあいがあるか否かです。この点は、自社の秘密を漏えいされた場合の被害の大きさ(逆にいえば利用価値の高さ)にも影響することになります。  これらに加えて、報酬受領の有無や届出制に違反しているか否かも考慮されることになります。  逆にいえば、裁判例で挙げられた特徴にあるような、勤務時間中の副業・兼業ではないケースや、競業というほどの会社ではなく秘密保持義務違反もともなわないようなケースなどでは、懲戒解雇が有効となる可能性は高くないといえるでしょう。 図表 モデル就業規則が定める副業・兼業規程 (副業・兼業) 第68条 労働者は、勤務時間外において、他の会社等の業務に従事することができる。 2 労働者は、前項の業務に従事するにあたっては、事前に、会社に所定の届出を行うものとする。 3 第1項の業務に従事することにより、次の各号のいずれかに該当する場合には、会社は、これを禁止又は制限することができる。 @労務提供上の支障がある場合 A企業秘密が漏洩する場合 B会社の名誉や信用を損なう行為や、信頼関係を破壊する行為がある場合 C競業により、企業の利益を害する場合 出典:厚生労働省「モデル就業規則(令和3年4月)」 第46回 定年後の労働条件提示、ハラスメントと調査対応 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 定年を迎える従業員に定年後継続雇用の労働条件を提示したところ、拒否されました  定年を迎える従業員に対して、これまでの業務とは異なる業務を行うことを前提に定年後の労働条件を提示しました。賃金については、従前と同様の条件を維持する予定です。ところが、従業員からは拒否されたうえで、元の業務で継続雇用をするよう求められたのですが、応じなければならないのでしょうか。 A  会社から提示した労働条件が合理的なものであるかぎり、従業員の希望に応じる義務はありません。ただし、職務内容の変更が著しく、継続性・連続性が認められず、過小要求のハラスメントに該当するような場合は賠償責任が生じる可能性があります。 1 継続雇用制度と労働条件の変更  高年齢者雇用安定法(以下、「高齢法」)は、定年制の廃止、定年年齢の延長または継続雇用制度のいずれかの措置を採用することで、65歳までの継続雇用の実現を義務づけています。  行政解釈として厚生労働省がホームページで公表している高年齢者雇用安定法のQ&Aにおいては、定年後の再雇用における労働条件の変更については、事業主の合理的な裁量の範囲の条件を提示することが求められています(Q1-9およびA1-9参照)。さらに、フルタイムから嘱託やパートなどの労働時間、賃金、待遇などについては、事業主と労働者の間で決めることができるとされています(Q1-4およびA1-4参照)。  過去の連載(本誌2021年10月号)においては、定年後の労働条件の提示について、一定の継続性・連続性がない場合は、高齢法の趣旨に反して、違法との裁判例(名古屋高裁平成28年9月28日判決)が現れていることを紹介しました。当該裁判例は、定年後再雇用者に対して、フルタイムから短時間労働への変更を提示したうえで、月収ベースで定年前賃金の25%程度にまで減額される条件を提示した事案ですが、「定年退職前のものとの継続性・連続性に欠ける(あるいはそれが乏しい)労働条件の提示が継続雇用制度の下で許容されるためには、同提示を正当化する合理的な理由が存することが必要である」と判断しており、裁判所の判断も、行政解釈と同趣旨の理解をしています。  これらの再雇用時の条件提示にあたって、適法と認められなかった場合に、どのような結論になるのでしょうか。過去には、最高裁平成24年11月29日判決(津田電気計器事件)が、継続雇用拒否について、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないとしたうえで、社内で定められていた規程と同条件の雇用契約の存続を認めるという判断をしています。しかしながら、この事件では会社が再雇用を拒否したという点で、再雇用希望に対する労働条件を提示したがこれを労働者に拒絶された状況とは若干異なります。  そのため、労働条件の提示に不合理な点があったことが原因で定年後の再雇用に至らなかった場合において、当然に雇用継続が認められるわけではなく、損害賠償責任が肯定されるにとどまっているものも多い状況です。例えば、前掲の名古屋高裁平成28年9月28日判決においても、損害賠償責任のみが肯定されるに留まりました。 2 再雇用の合意の不成立  定年後再雇用の際に、合理的な条件を提示しつつ、再雇用の労働契約が成立しなかった場合、どのように判断されているのか、最近の裁判例を紹介したいと思います。  紹介する裁判例は、東京地裁令和元年5月21日判決(アルパイン事件)です。定年を迎える労働者に対して、事業部内の若返りを目的として、異動をともなう労働条件(異動以外の賃金や休日などの条件は従前と同一でした)を提示したところ、これに対して、従業員は、従前と同様の部署で働くことを希望して会社からの提示された条件に応じることなく、定年退職の日を迎えてしまいました。会社としては、定年退職後の合意が成立していないことから退職したものとしましたが、従業員は、前掲の津田電気計器事件を例にあげて、従前と同様の労働条件で労働契約が継続しているものとして争ったという事件です。  裁判所は、労働者の主張を退け、定年退職が成立しているものと判断しましたが、その理由としては、「継続雇用後の労働条件は、飽くまで、労使間の合意により定まるべきものであって、労働者が使用者に対して希望すれば直ちにその希望するがままに勤務部署や職務内容が定年前と同じ雇用契約が定年後も継続するというかのような原告の主張には、法律上の根拠がない」という内容でした。  また、この判断の前提として、会社が従業員に提示した労働条件について、従業員としては、契約期間、年間総労働日数、始終業時間、給与については同意していたことをあげたうえで、提示の際に変更された勤務部署、職務内容について、「客観的に見て誰にとっても到底受け入れられないような不合理なもの」であったと認められないとして、会社の提案の合理性を肯定しています。 3 労働条件提示における留意事項  現在の高齢法を前提にすると、過去に労使協定にて人選基準を定めていた場合には経過措置による人選基準の適用の余地がある程度であり、ほとんどの会社においては、希望する定年退職者に対しては、労働条件の提示をしなければならず、定年時において会社が提示することなく拒絶する可能性は低いでしょう。  そのため、津田電気計器事件における最高裁判例のように、継続雇用があったものとみなされる可能性は低くなっています。むしろ、労働条件の提示自体の合理性が重視されるようになっており、継続性・連続性が認められないような条件を提示してはならず、職務内容を大きく変更する場合にはそれに相応する程度の賃金などの条件変更にとどめる(または紹介した裁判例のように条件をできるだけ維持する)といった対応をとることが望ましいといえるでしょう。 Q2 ハラスメント防止措置とは具体的にどのような取組みをすればよいのか知りたい  ハラスメント防止措置が義務化されることや相談窓口の設置をしなければならないことは理解できているのですが、実際に相談がきたときの対応や調査方法のイメージがわきません。また、自分にハラスメントか否かを判断できるのか自信がなく、会社だけで対応しきれるのか心配です。 A  体制整備的な用意も必要ですが、懸念されている通り運用も確立しておくことは重要です。重視すべきは、結論を出すまでの迅速さと正確性を保つ努力であり、外部専門家も活用しながら対応することが重要です。 1 ハラスメント防止措置の概要  ハラスメント防止措置について、中小企業の義務化が2022年4月1日に迫っているなか、「何かしなければならない」ということは理解しつつも、具体的に対応すべき措置の内容や運用方法のイメージがつかめていない企業も見受けられます。  労働施策総合推進法において定められているのは、さほど複雑な内容ではなく、@相談に応じ適切に対応するための体制の整備、A@に定める相談体制の整備以外のハラスメント防止措置を講じること、B@の相談体制への相談や協力に対する不利益取扱いの禁止などです。  詳細は、「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(厚生労働省)が定めています。  そのなかで事業主である企業に求められている項目をあげると、(ア)方針等の明確化及び周知・啓発、(イ)相談に応じ適切に対応するために必要な体制の整備、(ウ)事後の迅速かつ適切な対応、(エ)再発防止策の実施、(オ)相談者のプライバシーへの配慮、不利益取扱いの禁止の周知、などです。  実務的な感覚としては、(ア)周知・啓発に関連する内容として、従業員や管理職向けのハラスメントに関する社内研修を依頼されることも多く、取組みが具体的に進み始めていることを実感していますが、一方で(イ)相談体制や(ウ)事後対応に関して、具体的なイメージが確立されていない会社が多いように感じています。 2 適切な対応と認められた裁判例  これでもなお抽象的なアドバイスにとどまってしまうところは否めませんので、裁判例で会社のハラスメント対応が適切と判断された事例を紹介しておきます。  東京地裁令和2年3月3日判決(海外需要開拓支援機構ほか事件)では、会社の専務執行役員であった者と専務取締役兼最高投資責任者の地位にあった者による行為が、違法なセクシュアルハラスメントに該当するか、また、会社がこれらに関する相談対応などの就業環境配慮・整備義務を怠っていたか、という点が争われました。  専務取締役兼最高投資責任者が行った行為は、従業員(女性)の肩に手を回そうとしたことおよび複数回肩に触れたことであり、専務執行役員が行った行為は、会社が開催した懇親会において、監査役または自身とともに映画に行くことや手づくりの贈り物をすることなどを内容とするくじ引きを実施したということでした。  前者については、身体的な接触をともなう性的な行動であり、本人の意に反するかぎりはセクシュアルハラスメントに該当するといえること、後者についても本人の意思を問うことなく、実質的に強制される要素があることからセクシュアルハラスメントに該当し、裁判所も両者の行為はいずれも違法なセクシュアルハラスメント(人格権侵害)であると判断し、5万円の賠償責任を負うと判断しました。  これらに関連して会社も賠償責任を負うか問題となりましたが、結論としては、会社の対応やその経緯をふまえて、会社の責任は否定されました。  会社は、社外ホットラインを務めていた弁護士に通報があった後、2日後には通報者から事情を聴取したうえで、関係者からの事情聴取を行い、当該弁護士に助言を依頼していました。ただし、肩を触った疑いのあった専務取締役兼最高投資責任者であった者については、通報時点で退職していたため、本人に対する調査は実施できませんでした。  弁護士からの助言内容は、くじ引きについては、違法なセクシュアルハラスメントには該当しないが、配慮や適切さに欠くものであったという助言を行い、肩を触ったか否かについては目撃証言がなく行為の存在と認定することができないという判断でした。会社は、これらの助言通りに、通報者に対して報告を行い、くじ引きを行った専務執行役員を厳重注意すると伝え、実際に厳重注意を実施しました。  弁護士からの助言およびそれに基づく会社から通報者への報告内容は、裁判所が違法なセクシュアルハラスメントに該当すると判断した結論とは相違しており、会社としてはあたかも判断を誤ったかのように見えるかもしれません。しかしながら、迅速な調査を行う必要があり、裁判のように充実した証拠を基に判断できるわけではないことから、判断が正しかったか否かを問題とすることは、会社に結果責任を負わせることになります。  裁判所は、会社が「原告の意向のままにハラスメントと認定し、原告の望むままの処分をしなければならない法律上の義務はない」と述べたうえ、会社の調査プロセスをふまえると、その調査や判断の過程に不適切な点があったとはいえないとしました。退職済みであった専務取締役兼最高投資責任者の行為に関しても同様です。  判決の結論と相違したことについては、裁判において「不法行為と判断されたことをもって、被告B社の調査や被告C(注:専務執行役員)に対する処分が不合理であったというべき根拠はない」と判断しています。 3 相談窓口と事後の対応の留意点  相談窓口の設置として、外部通報窓口を設置することも増えており、それを法律事務所(弁護士)が受けていることもあります。紹介した裁判例でも弁護士が外部通報窓口として対応しており、さらにその後の助言も行っています。  ハラスメントに該当するか否か、その結論の正しさに気を取られがちですが、会社に求められているのは、結果として必ず正しい判断をすることではなく、適切な対応をすること、そのプロセスが重要です。  プロセスを見るにあたって、裁判例で着目すべきはその迅速さと専門家の活用です。通報の2日後に着手していること、外部専門家の助言を受けていること、そして、その結果を通報者に報告しています。ここまでの一連のプロセスを迅速に対応することを目ざすことが重要であり、ハラスメントに該当するか否か正確に判断することに気を取られすぎてはいけません。調査のプロセスが十分に合理的であれば、会社の責任にまでは至らないこともあります。  ハラスメントの調査にあたっては、結論を決めることに委縮しすぎたり、慎重になりすぎることなく、プロセスを確立して、自社なりの判断を着実に実施することが重要ともいえるでしょう。 第47回 再雇用と就業規則の最低基準効、業務委託の解除と解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 合意した労働条件が、就業規則で定められた賃金の基準を下回っていたことが発覚しました  定年後の再雇用者の労働条件について、正社員の賃金からは引き下げた内容で合意に至りました。ところが、再雇用後の賃金について、会社が定めた就業規則の内容よりも低くなっていることに気づいたとして、差額を請求されています。請求に応じなければならないのでしょうか。 A  就業規則の適用範囲を適切に限定していない場合には、就業規則に基づく支払い義務を負うことになります。 1 就業規則の効力について  就業規則の効力については、労働基準法および労働契約法に定められています。  まず、社内における就業規則が効力を発生させる要件は、労働者の過半数代表者からの意見の聴取および就業規則の周知が必要とされています(労働基準法第90条、労働契約法第7条)。また、労働契約法第7条によれば、労働基準法が定める手続きを満たした就業規則であっても、その内容が合理的な内容でなければ、有効にはならないとされています。  労働基準法第89条においては、労働基準監督署への届出も義務づけられていますが、これは労働基準法第120条が定める罰則の前提となっている義務にとどまります。したがって、労働基準監督署への届出は、会社と労働者の間で法的拘束力を発生させる要件とは考えられていません。労働基準監督署への届出を効力発生要件としてしまうと、10人未満の労働者しかいないような届出義務を負担していない事業場において、就業規則を有効に機能させることができなくなってしまいます。  就業規則が法的な拘束力を持ったとき、労働者にはどのような影響があるのでしょうか。すべての労働条件が就業規則によって定められるとしてしまうと、労働者ごとに個別の労働条件を設定することができなくなってしまい、きわめて不便な状態になりかねません。したがって、就業規則が会社で効力を有するとしても、すべての労働条件がこれにおいて定めるわけではありませんが、就業規則に定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は効力が生じないものとされています(労働契約法第12条)。  これを就業規則の最低基準効といいますが、労働契約に定めがない部分については、補充することになり、定めがある場合には労働者の立場から評価したときに就業規則よりも不利な内容については、就業規則が最低基準として内容が置き換わることになります。 2 最低基準効と留意点について  最低基準効があったとしても、会社が定めた内容なので、さほど支障がないと思われるかもしれません。とはいえ、最低基準効が生じるということの意味は、実は単純なものではありません。  問題が生じる一例として、試用期間の延長規定を設けているか否かというケースを想定してみましょう。労働契約には、試用期間を3カ月間と設定したものの、試用期間中に本採用を判断するのに必要な材料が整わなかったときに、試用期間を延長したい場合があります。この際、就業規則に試用期間の延長に関する規定を設けていなかったときに、当事者の合意で延長することができるでしょうか。  会社の意識としては、試用期間は、労働者にセカンドチャンスを与える意図を持っていることも多いですし、労働者にとっては契約終了にならないというメリットを与えているともいえそうです。しかしながら、法的な評価としては、試用期間というのは「解約留保権付の労働契約」という性質と考えられており、通常の労働契約と比較したときには不安定な法的な地位にあるという評価になります。そうすると、延長の規定が定められていない場合には、不安定な地位を延長しないという就業規則の最低基準があると解釈されて、たとえ、当事者間では延長の合意をしたとしても、試用期間の延長は、就業規則の最低基準効に反して無効とされる可能性があります。  このように、最低基準というのは一概に常識的な理解と合致するとはかぎらず、法的な評価をともなう内容であるため、会社の意図した通りの効力が整理されているとはかぎらないことには注意が必要です。 3 就業規則の適用範囲について  就業規則は、正社員(期間の定めのない労働者)、契約社員(期間の定めがある労働者)、パートタイマー(短時間労働者)、嘱託社員(再雇用の契約社員)などに分けて作成されることがあります。  このとき、就業規則は、対象とした従業員ごとに定められた内容が適用されることになります。労働契約法第18条において、5年を超えて更新された期間の定めがある労働契約を締結してきたとき、無期転換権が与えられるようになったため、これを行使されたときには、期間の定めがある労働者から期間の定めがない労働者に替わることがあります。このとき、正社員の定義と無期転換権行使後の契約社員は、区別できなくなってしまいます。  このような事態にならないように、無期転換権行使後の契約社員に適用する就業規則は、契約社員用の就業規則を引き続き適用する旨を明確にしておく必要もあります。  定年後の嘱託社員に適用される就業規則が問題となった裁判例があります(東京地裁立川支部令和2年8月13日判決)。定年後の再雇用契約の際に、使用者から就業規則を再雇用対象となる労働者に交付していたところ、当該就業規則の定める給料や手当が、再雇用に関する個別の労働契約と比べて高額であったことから、就業規則に基づく給与の計算を求めて提訴されたという事案です。  裁判所は、使用者が自ら就業規則を交付しており、就業規則の内容は合理的であることから、定年後の再雇用労働者についても就業規則が定める給料や手当に関する規定が適用され、差額を支払う義務を使用者は負担すると判断しました。使用者としては、個別の労働契約で合意していることを根拠に反論しましたが、裁判所からは、仮に合意していたとしても、その内容は再雇用者の給料に関する定めに達しない労働条件であるから無効であると結論づけています。  おそらく、この事件の使用者も給料に関する規定までも再雇用した労働者に適用することは想定していなかったでしょう。給料以外の服務規律であるとか一般的に共通する事項を適用し、給料については合意に基づいた内容を支給することを意図していたのでしょう。就業規則の最低基準効を正確に理解しておかなければ、意図せずに会社にとって不利益な労働条件が成立してしまうことがあります。同じようなことにならないような対応としては、再雇用後の労働者には就業規則の給料に関する規定が適用されない旨を明記しておく必要があります。 Q2 正社員から業務委託に切り替わった場合の契約解除について知りたい  当社は65歳定年制ですが、60歳以上の正社員のうち、希望者は正社員から業務委託契約に切り替えています。先日、ある社員が1年契約の業務委託契約を希望したため、同契約に切り替えました。しかし、その直後、業績が悪化し、契約を解除せざるを得なくなりました。対象者から実質的な解雇ではないかと主張されたのですが、違法な解雇となるのでしょうか。 A  希望者を対象とした業務委託契約への切り替えにあたって、労働契約からの変更点を十分に理解したうえで判断させなければ、労働契約が継続し、解雇として扱われることがあります。また、業務委託契約への切り替え後の取扱いが労働契約と相違ないような状態であるときも、法的には労働契約と評価され、解雇として扱われることがあります。 1 業務委託契約への切り替えについて  65歳定年以前に、正社員の希望に即して、1年契約の業務委託契約に変更する制度を採用する場合でも、このときの手続きおよび労働者の意思決定時の説明などは、慎重に対応する必要があります。  正社員の地位から業務委託契約へ切り替えるにあたっては、労働契約の合意解除と業務委託契約の締結が行われることになります。このとき、労働契約の合意解除について、意思決定において勘違いや誤解がある場合(法的には「錯誤」という)には、労働契約の合意解除の効力が否定される可能性があります。  勘違いしていなければ合意解除(業務委託への切り替え)には至っていなかったといえるほど重要な内容で、合意解除にあたって双方の合意が前提とされていた場合には、合意解除の効力が否定されることがあり得ます。  労働契約から業務委託契約への切り替えにあたっては、例えば、税務上の観点からは給与所得から事業所得へ変更となることから、業務委託への切り替え後は自らの責任で確定申告を行う必要があります。また、社会保険および雇用保険等についても対象から外れ、労災時の補償も受けることができなくなります。さらに、労働者ではなくなることから、労働基準法による保護を受けることもなくなるため、有給休暇の制度などもなくなり、労働時間の上限規制などによる保護や会社にとっては割増賃金の支払義務もなくなります。  このように、労働契約の解除については、労働者にとって不利益な要素も多く、変化も大きい内容となります。本人の希望に沿って契約を切り替えているため、誤解が生じる可能性は高くないかもしれませんが、契約切り替えにともない生じる変更点を正確に理解しないまま、業務委託契約への切り替えを進めてしまった場合、重要な情報が提供されていないといったことから紛争になるかもしれません。労働契約の合意解除が無効と判断された場合には、その後に行う業績悪化にともなう契約解除についても、業務委託ではなく、労働契約の解雇として扱われることになります。その結果、労働契約法が定める解雇権濫用法理が適用されることになり、解雇事由の存在に加えて、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性がないかぎり、契約を終了することはできなくなってしまいます。  契約切り替え時の入り口部分の対応は非常に重要ですので、ていねいに実施する必要があります。 2 業務委託契約自体が雇用契約とみなされる可能性  双方の誤解なく業務委託契約に切り替えた場合においても、労働契約を締結していたときと比較して、働き方や契約の条件などが業務委託契約への切り替え前と相違ない場合には、たとえ、契約の名目が業務委託契約であるとしても、実質的には労働契約が継続しているものと評価される可能性があります。  業務委託契約への切り替えにあたっては、以下のような要素について、労働契約との相違を説明することができるか検討しておく必要があります(本誌2019年7月号、2021年5月号参照)。すべての点について相違がなければならないわけではありませんが、相違がない要素が少ない方が望ましいと はいえます。 @仕事や業務への指示に対する諾否(だくひ)の自由があるか A業務遂行上の指揮命令がないか B勤務場所や勤務時間の拘束の程度が強くないか、合理的であるか C契約において予定された業務以外に従事する必要がないか D労務提供に代替性があるか E報酬の算定方法が結果にともなう内容であるか F欠勤時に報酬が控除されるか G機械、器具、原材料などの負担をしているか H服務規律の遵守が求められていないか I専属性が強くないか  例えば、これから紹介する裁判例(東京地裁令和2年3月25日判決)は、右記の諸要素に則した判断に基づき、業務委託契約が実質的に労働契約と判断された事例です。  この裁判例における判断の具体的な内容は、以下の通りです。まず、諾否の自由がなく、会社からの指示のもと業務を行い、進捗の確認を受けるなどの指揮監督関係が認められ、タイムカードの打刻を求められるなど、ほかの社員と同様の拘束を受けていたなど、@〜Bまでの要素が考慮されました。次に、任された業務を自由に第三者へ代替させることが困難であったこと、月額報酬が成果に連動せず固定であり毎年源泉徴収票を発行して「給料」と呼称していたことなどから、DやEの要素や労働契約との類似性が加味されています。源泉徴収票の記載などはシステムに起因して表記が変更できないこともあり得ますが、手書きで修正して直すなどの工夫が必要でしょう。さらに、利用するパソコンなども会社が準備し、交通費の支給が行われており、ほかの会社からの依頼を受けることがなく専属性が否定できないことなど、GやIの要素も考慮した結果、実質的には労働者であると判断されました。  上記の@からIの要素が常にすべて考慮されるわけではなく、事案に応じて特徴的な要素をふまえて総合的な判断がされることになりますが、労働契約からの切り替えにあたって、従前の働き方から大きく変更することなく、指示命令を継続し、専属性が維持されるといった状態には注意しなければならず、支給する対価などについても給与とは異なる体系をとるなど、労働契約との相違が明確になるよう留意しておく必要があります。  仮に、業務委託契約への切り替えが希望者の意向通りであったとしても、労働契約としての要素が強い場合には、労働契約の解雇と同視されることになり、解雇権濫用法理により労働者が保護されることになる可能性があります。 第48回 定年後再雇用者の労働条件変更と自由な意思、メンタルヘルス不調者と配置転換 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 1年ごとに契約を更新している再雇用者の労働条件を変更する際の留意点について知りたい  定年後再雇用している労働者の労働条件について、更新の際に変更することを提案しました。該当者からは、労働条件の変更に応じた者もいましたが、一部の労働者が納得しなかったことから、再雇用の合意に至らなかったものとして、契約を終了することになりました。何か問題があるでしょうか。 A  条件変更にあたって、具体的な説明などを行っていない場合には、違法な雇止めになる可能性がありますので、説明などはていねいに行っておくべきです。説明の前提として、変更後の労働条件は早期に明示したうえで、説明に臨むことが適切でしょう。 1 定年後の再雇用について  定年後の再雇用制度については、高年齢者雇用安定法に基づき65歳までの継続雇用などが求められています。  ところで、再雇用を開始するときには、使用者からの労働条件の変更がまったく許容されていないわけではなく、合理的な裁量の範囲内で、定年前までの労働条件から変更した内容で提示することは可能と考えられています。ただし、職務の内容や範囲などが定年前と同一になっている場合には、同一労働同一賃金の問題が生じることがあることには注意が必要です。  今回、取り上げたいテーマは、再雇用の開始時点ではなく、「再雇用後に更新するときの労働条件の変更について」です。再雇用後の更新時にも、労働条件の変更を行うことは不可能ではありませんが、多くの企業においては、定年から再雇用への切り替えの際に条件を引き下げていることが多く、さらなる条件変更が許容されるのか問題となります。 2 裁判例の紹介  定年後の労働条件変更が争点になった裁判例を紹介します(東京地裁令和3年7月29日判決)。  事案の概要は、以下の通りです。課長を務めていた労働者が60歳で定年退職となりましたが、使用者では65歳までの継続雇用制度が用意されていました。当該労働者は、役職および賃金額の変更がない状態で、定年退職後の再雇用として1年間の有期雇用契約を締結した後、さらに1年間更新されました。しかしながら、更新後の契約期間中に、当該労働者の部署が廃止され、その影響で役職も解かれることとなり、部下を管理指導する業務や稟議書の決裁などの業務はなくなりました。  部署が廃止され、役職を解かれた影響をふまえて、3回目の更新に向けて使用者と当該労働者の間では協議が重ねられましたが、使用者からは、賃金を35%程度減額した内容で提示され、次回更新における判断基準なども詳細に定められた内容で締結予定の雇用契約書が提示されました。  当該労働者からは、賃金の減額理由や更新基準に関する具体的な考え方などの説明を求めるメールが送られたうえで、使用者との面談のなかでも不服が示されましたが、使用者との面談は計2回各30分程度におよび、役職が解かれていることにともない一般職と同程度の賃金水準となっていることなどを明確に説明し、面談後、労働者からは変更後の条件の雇用契約書に署名押印したうえで、提出されました。  なお、当該労働者は、次回の更新時に提示された雇用契約書を減額前の賃金額に訂正して提出し、使用者から訂正前の内容で再提出するよううながされていました。  裁判所としては、高年齢者雇用安定法における継続雇用制度の趣旨について、労働者との合意により労働条件を変更することを許容していないと解することはできないとしたうえで、65歳まで同一条件で雇用を継続することまで義務づけていると解することはできない、と判断し、労働条件の変更を許容しました。したがって、再雇用するタイミングのみではなく、再雇用後の更新時点においても、労働条件を維持しなければならないというわけではないと考えることができるでしょう。  さらに、当該労働者からは、賃金という重要な労働条件の不利益な変更であるとして、その変更は自由な意思によらなければ、定年後の再雇用において労働条件を変更することはできないと主張されていましたが、裁判所は、仮に、自由な意思によるものか問題になるとしても、労働条件の変更に至る面談などの経緯をふまえて、自由な意思に基づいてされたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在すると評価しています。  結論としては、労働条件の変更が有効と判断されていますが、その説明の過程については、参考になる点が多いと思われます。裁判例が重視した事情として、@労働条件の変更について、面談前や面談を通じて更新後の条件を明記した雇用契約書を示すなど明確にされていたこと、A@で示された労働条件を検討する時間が十分に確保されていたこと、B労働条件変更にあたっては、複数名の上長から2回の面談がそれぞれ30分程度行われ、賃金減額の理由などが説明されていたこと、などがあげられます。  本裁判例は、役職を解くこととあわせて行われる賃金の減額については比較的許容されやすいということ、労働条件を変更する場合には早期に提示しておき検討の時間を十分に確保することや口頭での説明や質疑応答の機会を確保することが重要であることを示していると考えられます。  なお、賃金などの重要な労働条件の変更にあたって、労働者の自由な意思によらなければ、たとえ書面により承諾の意思を示していたとしても、有効ではないという主張をされることが増えているように思われます。一般論として、労働条件変更にあたって、労働者の自由な意思によって承諾を得るよう努めることは重要と考えられます。ただし、法的な意味で自由な意思がなければ変更ができないとされる状況とは、基本的には、存続中の労働契約を有効期間の途中で条件変更する場合にあてはまるものであり、契約の更新時などに要求される水準(合理的な裁量の範囲の提示であれば許容される)とは若干異なるものと思われます。 Q2 メンタルヘルス不調者の職場復帰にあたり、配置転換を考えていますが、注意すべきことがあれば知りたい  メンタルヘルス不調をきたして、休職中の従業員がいます。復職のめどが立ってきたのですが、長期間の休職であったことから、休職前の職種には人員を補充ずみであり、元の職種に戻すことができません。また、医師の診断書によっても、当初は短時間勤務が望ましいとされるなど、一定の制限が必要になることからも元の職種に戻すことがむずかしくなっています。配置転換を行ったうえで、雇用を継続しようと思っているのですが、問題があるでしょうか。 A  復職時の主治医の意見をふまえることが重要であり、配置転換の必要性も高度に求められるため、慎重に検討する必要があります。また、十分な判断材料を得ることなく配置転換を命じると、安全配慮義務違反を問われて、損害賠償責任を負担することもあります。 1 配置転換に関する判断基準  使用者において、複数の事業場が存在したり、部署が複数存在する場合は、転勤や配置転換を命じる根拠として労働契約または就業規則があれば、労働者との労働契約において職種や職場の限定がなされていないかぎり、使用者は労働者に対して、配転命令を行うことができると考えられています。  しかしながら、使用者による配転命令について、最高裁判例により一定の制限がなされており、@業務上の必要性が存しない場合またはA業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるときもしくはB労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるときなどには、当該転勤命令は権利の濫用にあたる(最高裁判所昭和61年7月14日判決、東亜ペイント事件)と考えられています。  今回の質問からすれば、復職後の雇用を維持するためには、配置転換が必要であると考えられ、配転命令が退職意思をうながすためなどの隠れた動機・目的がないとすれば、労働者にとって、通常甘受すべき不利益といえるかどうかが問題となると考えられます。  この点については、かつては、使用者の裁量の余地は大きく、通常甘受すべき不利益を著しく超えると認められることは限定的でしたが、労働契約法第3条3項において、「労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする」と定めるなど、ワーク・ライフ・バランスの維持を意図した条文が定められており、労働者の地位を保護するために引用されることも増えているように思われます。 2 休職からの復職時の配転命令の留意点  配置転換が有効に行えるとしても、安全配慮義務の観点からその行使を控えるべき場合もあります。厚生労働省が、精神障害に関する労災認定の基準として公表している「心理的負荷による精神障害の認定基準について」では、配置転換が心理的負荷の要因となることが示されており、その心理的負荷の程度は「中」程度とされています。これは、単独では精神障害を発症させることにつながるほどではありませんが、複数の要因が重なったときには精神障害との関連性が肯定されることがあるというものです。また、「過去に経験した業務と全く異なる質の業務に従事することとなったため、配置転換後の業務に対応するのに多大な労力を費やした場合」は、「強」程度とされているため、このような場合には、単独で精神障害の発症との関連性が肯定されることもあり得ます。  さらに、同認定基準においては、「ストレス―脆弱性理論」という考え方が前提とされています。これは、環境などが与えるストレス要因と個体側の反応性、脆弱性の関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方です。着目しておく必要があるのは、個体側の要因を考慮するという点であり、個体側が脆弱(弱っている)状況にあるときは、精神的破綻が生じやすいということに留意して判断する必要があります。 3 裁判例の紹介  東京地裁平成27年7月15日判決は、精神疾患を発症して休職した労働者に対する復職直後の配置転換命令の有効性等が争点となった事案です。  配置転換命令の有効性については、東亜ペイント事件の基準を引用しつつも、「転勤は、職務内容・職場環境・通勤手段等に関する大きな環境変化を当然に伴うものであり、精神疾患を有する者にはこれらの環境変化がその病状の増悪を誘因するおそれがある」として、慎重な判断が必要であることを示しました。このことは、近年の法改正におけるワーク・ライフ・バランスを重視する傾向をふまえたうえで、ストレス―脆弱性理論とも整合性がある判断であると考えられます。  さらに同裁判例では、「精神疾患を有する者に対する転勤命令は、主治医等の専門医の意見を踏まえた上で、当該精神疾患を増悪させるおそれが低いといえる場合のほか、増悪させないために現部署から異動させるべき必要があるとか、環境変化による増悪のおそれを踏まえてもなお異動させるべき業務上の理由があるなど、健常者の異動と比較して高い必要性が求められ、また、労働者が受ける不利益の程度を評価するにあたっても上記のおそれや意見等を踏まえて一層慎重な配慮を要するものと解すべき」といった、具体的な判断方法を示しています。  ここで触れられている内容のうち、精神疾患を有する者に対しては、「高度の」必要性が必要となること、通常甘受すべき不利益か否かについても慎重な配慮を要するという点が特徴的といえます。  具体的な判断においては、@主治医の意見を会社が聴取しておらず症状との関係で転勤を要すべき状況にあったと認められないこと、A余剰人員となるような配置転換を行う必要性に疑問があること、B通勤時間が倍以上になること、などをふまえて配置転換命令を無効と判断しました。  特に、@主治医の意見を聴取することなく配置転換命令を行った点については、安全配慮義務に違反したものと評価されており、使用者には、当該労働者に対する損害賠償責任として慰謝料30万円の支払も命じられるに至っています。  休職から復職してきた労働者に対して、配置転換を検討するにあたっては、配置転換することが当該労働者にとってむしろ望ましいといえる状況であるか検討するべきであり、主治医の意見として配置転換が必要とされているか確認するほか、本人に生じる心理的負荷の軽重を判断するために、本人が配置転換を希望しているのかヒアリングすることが重要といえるでしょう。  また、この裁判例では、主治医からの診断書に対して、ほかの医師からの意見を得ることなく使用者は判断していました。主治医の意見と使用者の意見が相違している場合には、使用者の具体的な就業環境を把握していないことが原因であることも多いです。そこで、復職希望者に、産業医や使用者が指定する医師との面談をしてもらったうえで、使用者の就業場所や環境などをふまえた復職に関する医師の意見を提示してもらう方法も検討されるべきでしょう。主治医と産業医の意見が分かれることもありますが、使用者が医師の意見を尊重することなく判断する方がリスクは高いと考えるべきです。 第49回 複数の再雇用制度、能力不足による解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後の再雇用について、賃金水準などが異なる二つの再雇用制度を用意することは可能でしょうか  定年後の再雇用者について、一定の要件を基に賃金水準をある程度維持する再雇用制度と、その要件を充足しない労働者のために賃金水準や業務内容を変更したうえで雇用を維持する再雇用制度を用意しようと考えているのですが、可能でしょうか。 A  複数の再雇用制度を用意することは可能ですが、いずれかについては高年齢者雇用安定法の継続雇用制度の要件を充足する必要があります。いずれかが要件を充足しているかぎりは、賃金水準や業務内容に差異を設けることも許容されうるでしょう。ただし、大きな変更をともなう場合には労使間の協議を経て、継続雇用制度を構築することが重要です。 1 定年後の再雇用について  定年後の再雇用制度については、高年齢者雇用安定法に基づき65歳までの継続雇用などが求められています。  継続雇用制度として許容されるためには、解雇事由または退職事由に相当する事由がある場合を除き、原則として継続雇用を行うことが求められています。  ただし、再雇用契約においては、使用者からの労働条件の変更がまったく許容されていないわけではなく、合理的な裁量の範囲内で、定年前までの労働条件から変更した内容で提示することは可能です。  今回は、定年後の再雇用において、二種類の制度を置くことによって、再雇用後の働き方や労働条件を分けることが可能であるのかという点について、裁判例の紹介とともに検討したいと思います。 2 裁判例の紹介  定年後の再雇用制度として、二種類の制度を採用し、それぞれの再雇用基準を異なる内容としたうえで、労働条件にも差異を設けたものが、高年齢者雇用安定法が求める継続雇用制度として許容されるのか判断された裁判例を紹介します(東京高裁令和元年10月24日判決)。事案の概要は、以下の通りです。  バスの運営をしていた会社が、@継匠社員制度とA再雇用社員制度という二種類の制度を用意していました。@の制度は、バスの運転士としての業務を維持したうえで、賃金の減額についてAよりも程度が小さく、勤務日数などについても変更がないというもの。Aの制度は、車両の清掃業務に担当業務が変更となり、賃金は時間給に変更され、賞与の金額も10万円に固定されるというものです。  また、@の制度に基づき継匠社員として採用されるためには、解雇事由などに該当しないことや、直近5回の昇給および昇進評価においてC評価(全体の下位10%程度)に該当しなかったことなどが要件とされており、希望者全員が継匠社員になれるという制度ではありませんでした。一方、Aの制度については、解雇事由または退職事由に該当することが明らかである場合を除き、全員が再雇用社員として有期労働契約を締結するという制度になっていました。  ある労働者が60歳で定年退職となるにあたり、継匠社員としての採用を希望しましたが、過去の5回の昇給および昇進評価においてC評価が3回以上あったことを理由に、継匠社員としての雇用契約の締結が拒絶され、再雇用社員として採用されました。  そこで、当該労働者は、継匠社員制度が、高年齢者雇用安定法が定める継続雇用制度の要件を充足しておらず、過去の昇給および昇進評価に基づき定年後の再雇用が拒絶されることが違法となると主張して、訴訟を提起しました。  裁判所は、「継続雇用制度は、現に雇用している高年齢者のうち就業規則に定める解雇事由又は退職事由(年齢に係るものを除く。)に該当する者を除く希望者全員をその定年後も引き続いて雇用することを内容とするものでなければならないものと解されるが、継匠社員制度は、継匠社員制度選択要件が定められており、現に雇用している高年齢者のうち就業規則に定める解雇事由又は退職事由に該当する者を除く希望者全員をその定年後も引き続いて雇用することを内容とするものではなく、同項所定の継続雇用制度の内容に合致するものではない」と判断し、@継匠社員制度は、高年齢者雇用安定法の定める継続雇用制度ではないと判断しました。  一見すると、会社が高年齢者雇用安定法違反を問われるような不利な判断がなされたようにも見えますが、本件のポイントは、二種類の制度が用意されていたという点にあります。  続けて、裁判所は、A再雇用社員制度については、高年齢者雇用安定法が定める継続雇用制度にあたらないとはいえないと判断しており、これにより同法を遵守しているものと判断されています。  ただし、A再雇用社員制度が同法に定める継続雇用制度として認められたとしても、賃金の低下の程度や業務内容の大幅な変更がある点については、問題になる余地があります。これらの労働条件の変更についても、合理的な裁量として許容される範囲で提示される必要があり、裁量を逸脱すると違法と判断されることがあるからです。  この点については、この裁判例では、まず、C評価が全体の下位10%程度にすぎないことに加えて、乗務員の圧倒的多数を組合員とする労働組合との度重なる労使交渉を経て成立したものであることを重視して、賃金および業務内容の大幅な変更をともなう継続雇用制度を適法なものとして許容しています。  これまで紹介した裁判例においては、賃金や業務内容の大幅な変更をともなう場合には、実質的には「継続」した雇用ではなく、通常解雇と新規採用の複合行為というほかないと判断し、当該変更を提示することが違法とされたものがありますが(名古屋高裁平成28年9月28日判決)、今回紹介した事件のポイントは、労使交渉により、労使がともに高年齢者雇用安定法の趣旨をふまえ、二種類の定年後の再雇用制度を検討したうえで、継続雇用制度を構築したという点にあると考えられます。  高年齢者雇用制度においては、再雇用後に有期労働契約となると、正社員との同一労働同一賃金をふまえた制度設計が必要となりますが、定年後の再雇用制度を複数設けることによって、正社員と近い業務内容および賃金体系の再雇用労働者と、正社員とは異なる業務内容や賃金体系による再雇用労働者の区別を明確にすることは、同一労働同一賃金との関係においても、有意義な制度設計と考えることもできるように思われます。 Q2 勤務成績・勤務態度の悪い社員を解雇するうえでの留意点について知りたい  営業成績が芳しくなく、必要となる能力だけでなく業務に対する前向きな姿勢や向上意欲を欠く労働者がいます。会社としては、改善の機会を与えたうえで好転の見込みがなければ解雇したい意向です。改善の見込みがないと判断する基準などをどう考えればよいでしょうか。 A  一般的には、文書による指導によって改善対象を明確化し、改善見込みがないことを期間や頻度によって判断する必要があります。改善見込みがないと判断する基準について、一概にはいえませんが、厳格な注意や指導に加えて、同様の命令違反がくり返されることが必要となります。 1 解雇について  労働契約法第16条では、解雇に関して、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定められています。@客観的に合理的な理由およびA社会通念上の相当性を欠く場合に解雇を無効とするという考え方は、「解雇権濫用法理」と呼ばれ、長く日本の労働契約における解雇に関する制限として機能しています。  まず、@客観的に合理的な理由については、解雇の理由が、主観的ではないという意味があります。さらに、この要件については、解雇事由が将来にわたって継続するものと予測されること(将来予測の原則)および最終的な手段として行使されること(最終手段の原則)の二つの要素を考慮して判断すべきという整理がされています。改善の機会を与えることや好転の見込みなどを考慮するというのはこれらの要素を充足するための準備であり、将来予測の原則や最終手段の原則を充足するかどうかを検討しなければなりません。  次に、Aの社会通念上の相当性については、本人の反省の態度、過去の勤務態度、ほかの労働者との均衡、使用者側の対応の不備の有無などのほか、違反などの反復継続性も考慮されて判断されることになります。 2 将来予測の原則の例外について  即戦力が期待されるような管理職や高度専門職として採用された場合には、将来予測の原則から求められる改善の機会などの必要性について、新卒採用と比較すると、後退すると考えられています。  例えば、会社が特定の職種の経験があり即戦力となる人材として募集し、英語力に秀でた人材を中途採用することとして、経験が必要であることを明示して募集し、中途採用された人材もこれを理解していた事例においては、雇用時に予定された能力をまったく有さず、これを改善しようともしない場合は、解雇せざるを得ないと判断された例があります(東京地裁平成14年10月22日判決、ヒロセ電機事件)。しかしながら、中途採用時の年俸が高額かつ役職を与えられた状態であった場合であっても、募集時において経験不問との記載があり、オフ・ザ・ジョブトレーニングが完備されていることなどをふまえて、一定期間稼働して求められる能力や適格性を平均的に達することが求められているものというべきと判断された例もあり(東京地裁平成12年4月26日判決、プラウドフットジャパン事件・第一審)、管理職や高度専門職として認定されるためには、募集時の要望や採用前の説明内容なども重要とされていることには注意が必要です。  とはいえ、管理職や高度専門職となることはあくまでも例外であることから、一般的には、業務改善の機会を含む将来予測の原則を充足するか否かについては慎重な判断がなされているのが実情です。 3 改善の機会の与え方や期間について  「改善の見込みがないこと」が解雇を実施するにあたって、重要であることは間違いありませんが、その判断は非常に困難です。担当している業務の内容や任されている地位などにも左右されますし、会社の状況によってあくまでもケースバイケースで判断されてしまうため、一定の基準を示すことはむずかしいです。  とはいえ、何らの指標もないままでは、実務的にどのように判断すればよいのか具体的に検討することすらできません。そこで、過去の裁判例を参考に判断の方法を検討します。  能力不足や勤務態度不良を理由とした普通解雇が有効とされた事例として、東京地裁平成26年3月14日判決(富士ゼロックス事件)があります。  中途採用で採用された労働者が、無断で3回の半休を取得したこと、机での居眠り、無断残業、通勤費用の修正、週報の提出遅れ、社用の自転車の私的利用、私用のインターネット閲覧を逐一注意され、これ以上の違反が生じた場合に重大な判断がありうる旨記載した警告書を交付され、それに対して署名押印をした後、会社の命令でほかの支店に異動させてさらに改善を求めましたが、異動後も遅刻し、ビジネスマナーが守られず、メモを取らないうえ、ミスを多発していました。再度研修を実施しましたが、改善できず、再度の警告書を交付しました。  さらに、違反事由が多岐にわたるうえ、改善の具体的な見通しがつかないことから、会社は、指示事項を文書化し、その後、当該文書に違反した場合に逐一注意し、複数の指示事項違反が生じた後に、原因と対策を検討するようにレポート作成を命じて提出させていました。結局、レポートの内容は根本的な問題点に関する考察に不足があるものでしたが、解雇の対象者からは「これ以上は教えてもらわなければわからない」などと話がされたので、具体的な訂正指示をしましたが、簡潔なレポートが提出されるに留まったため、最終的に解雇に至り、この解雇は有効と判断されました。  ポイントをまとめると、@違反事由に該当する行為が記録化され、注意した旨が残されていたこと、A支店へ異動させて環境を変えて改善の機会を再度与えていること、B警告書や指示事項を文書化するなどの方法で、改善点の特定および明確化を複数回図っていること、C労働者の自己認識を把握するためにレポートを作成させていること、などがあげられます。また、これらの状況もふまえて、業務の成果に対する人事考課においても低い評価が継続されていたという点も無視することができません。  改善のための回数や期間なども無視できませんが、やはり、違反事項と注意の記録を残すことと、フィードバックを行うことにより注意に対する自己認識を明らかにすることが必要と考えられます。今回のケースでは、レポート作成をさせたことが、改善すべき課題を明確に認識させたことにつながっており、ほかの事例でも参考になるのではないでしょうか。 第50回 退職金制度の位置づけ、公益通報者保護法と懲戒解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 退職金制度を導入するうえでの留意事項について知りたい  退職金制度について、制度を設計するにあたって留意しておくべき事項や、中小企業退職金共済制度の利用にあたって注意すべき点を教えてください。 A  退職金の支給に関しては、労働契約または就業規則の規定次第で、退職金請求権が発生するのか、その金額をいかなる方法で決定するのかなどが大きく変わることになるため、条文の記載は慎重に検討する必要があります。また、中小企業退職金共済制度を利用するにあたっては、自社の規定と共済からの支給に矛盾が生じないように配慮することが重要です。 1 退職金の性質  日本の企業においては、退職金制度が採用されている企業が少なくありません。退職金については、定年をはじめとする退職後の老後の資金としての側面もあり、税務上も優遇されています。  退職金制度自体は、労働基準法などにおいて制度の採用が義務づけられているわけではないため、各社が就業規則、賃金規程または退職金規程などを設けて、支給額の計算方法などを定めるようになっています。  一般的には、退職時の基本給に対して支給率(月数)を乗じて計算する計算方法が採用されている場合が多く、支給率が勤続年数に応じて高くなる傾向にあります。また、自己都合退職であるか、会社都合退職であるかによってもその支給率が相違するように設計されていることも多く、自己都合よりも会社都合による退職の方が、支給率が高くなるように設計されていることが多いとされています。  また、最近では、主として上場企業において、従業員の退職時に株式報酬を支給するような制度も現れており、バリエーションは広がっています。  前述の通り、法律上の義務ではないため、退職金の性質は、各社ごとに相違することもありますが、一般的には、賃金の後払い的性格があること、功労報奨としての性格があるということを前提に、法的な性格が決定されることが多いといえます。 2 退職金請求権の発生  労働者が、退職慰労金請求権を取得するためには、各社において定められた規程に沿った要件を充足する必要があり、退職すれば当然に請求することができるとはかぎりません。  例えば、過去の裁判例のなかには、退職金の上乗せ部分が支給されなかった労働者が、当該退職金の上乗せ部分を請求した事件において、請求権の発生に関する判断をしたものがあります(東京地裁平成19年12月21日判決、「ルックジャパンほか事件」)。  まず、「(事業の縮小等による解雇)又は会社の解散によって解雇される者に対する退職金は、第2条で得た退職金の額と、当該金額に100分の100を限度とした割合を乗じて得た額の合計額とする」との条項の解釈について、『支給することができる』という文言と異なり、断定的な規定の仕方をしていること」を理由に、上乗せ部分の給付を受ける権利を有することを定めたものと判断しています。  一方で、「第4条の文言をみる限り、『限度として』という文言により、100分の0から100分の100までの範囲で、使用者が定めた割合の金額を加算するという趣旨と解するほかない。したがって、第4条が定めた権利の内容は、使用者が決定した割合の金額について権利を有するというものといわざるを得ない」として、使用者による支給決定がないかぎりは、具体的な金額が定まらず、請求権が生じないという結論に至っています。  条文の末尾の記載だけで、権利が発生するのか否かが左右されたことも注目すべき点ですが、使用者の裁量の余地を広く認めていることにも着目すべきであり、退職金支給に関する規定の文言をいかなる記載にしておくのかということがいかに重要であるかを示しているといえます。 3 社外積み立ての退職金  中小企業などでは、中小企業退職金共済制度(以下、「中退共」)などに加入しておき、毎月の掛け金を企業が負担することにより、従業員の退職時の退職金がその制度に基づき支給されるという場合もあります。  中退共を利用する場合の注意点としては、労働者に対する退職金の支給額は、あくまでも労使間の合意または就業規則により定まることになるため、中退共による支給予定額と矛盾が生じないように規程を整備しておく必要があります。仮に、退職金規程による支給すべき金額が、中退共により支給される金額よりも高い場合には、中退共から支給される金額に加えて不足額を使用者が負担しなければならないことになります。  それでは、逆に、中退共から支給される金額が、退職金規程に基づく支給額を上回る場合に、差額の取扱いはどうなるのでしょうか。過去の裁判例において、使用者がこの差額の返還を労働者に求めた事案があります(東京高裁平成17年5月26日判決「湘南精機事件」)。  この事案では、中退共から受領する退職金額のうち使用者の退職金規程により算出した退職金額を超える部分につき、労働者が使用者にこれを返還する旨の合意をしていました。この合意の内容が、改正前の中小企業退職金共済法の趣旨に反して、公序良俗に反するものと判断された結果、企業からの返還請求権は否定されています。類似の事件としては、中退共から支給された金額が使用者の定める退職金額を上回る部分について、不当利得に基づく返還請求をした事件もありますが、こちらでも、中小企業退職金共済法に基づき受給する権利が労働者にあること、使用者には損失がないことなどを理由に、返還請求は否定されています(東京簡裁平成19年5月25日判決)。  そのほか、中退共から受領する金額を退職金に充当することについても明確にしておかなければ、加算するのか控除するのかが不明確になることがあります。  したがって、中退共などを利用する場合においては、使用者が定める退職金規程については、中退共からの支給額と矛盾がないように定めておくこと、退職金の支給額が中退共からの支給額を上回る場合には、中退共からの支給額が退職金の支給総額から控除されることなどが明らかになるように定めておくことが重要と考えられます。 Q2 内部通報者の取扱いについて知りたい  会社の役員および責任者の取り扱った取引などについて、会社に対する背任に該当するといった通報を行ったことから、当該通報者については、企業秩序を乱した行為に該当する者として、懲戒解雇を検討していますが、問題あるでしょうか。 A  公益通報に該当する場合には、これにより不利益取扱いが禁止されているため、公益通報の該当性をまずは検討する必要があります。また、公益通報に直接該当しないとしても、解雇権濫用の判断にあたっては、公益通報者保護法の趣旨から効果が限定されることがあります。 1 公益通報者保護法について  公益通報者保護法が2020(令和2)年6月8日に改正され、今年の6月1日に施行されました。今回は、公益通報者保護法の概要をあらためて整理したうえで、公益通報にまつわる解雇に関する裁判例を紹介しようと思います。なお、詳細については、本連載第29回(2020年10月号※)でも紹介していますので、参考にしてください。  公益通報者保護法とは、簡単にいえば、社内における自浄作用を働かせて、コンプライアンス遵守の体制を整えることを目的とした法律です。自浄作用を働かせようとした内部通報者が解雇されるなどすれば、それをおそれてだれも内部通報をしなくなってしまいます。そのため、公益通報者保護法では、内部通報者を法的な不利益取扱いから保護することに主眼が置かれており、また、内部通報者が特定されてしまって、事実上の不利益取扱いを受けることも回避できるように、匿名性を確保することも重視されており、通報者の情報については秘密保持義務も重要とされています。  改正された法律では、従業員数が300人を超える企業に対して、公益通報を受け付ける窓口の設置を義務づけ、当該窓口にて従事する者を定めることが義務づけられました。また、当該窓口にて従事する者は、守秘義務を負担することが法律上明記され、罰則をもってこれが強制されています。体制が整理できていない企業においては、窓口設置とその周知や従事者が遵守すべき規程(守秘義務に関する内容を含むものが適切です)の整備などを進めておくべきでしょう。  公益通報に該当するのは、刑罰の定められた法令に関する違反として公益通報者保護法にて指定されている法令に限定されています。どのような内容でも公益通報として保護の対象になるわけではなく、内部の労働者間の純然たる個人的なトラブルなどまで対象となっているわけではありません。  また、公益通報の方法についても、内部通報(または会社が用意した外部通報)窓口が最優先とされており、行政機関への通報や報道機関などへの通報については、内部通報によっては、通報者が特定されて不利益を受けるおそれがある場合などに限定されていますので、どこに通報するかによっても保護されるかどうかが変わってきます。  適切な公益通報に該当するかぎりは、不利益取扱いが禁止されており、これに違反する解雇処分は、無効と考えられています。 2 裁判例の紹介  内部通報を行う場合には、公益通報者保護法が遵守されるべきではありますが、仮に公益通報に該当しないとしても、同法の趣旨から、解雇の効力が制限されることがあります。  通報者が、内部通報を行うことによって、通報対象となった事実に関連する当事者は、その社会的な評価が低下することなどによって、名誉棄損が生じるおそれがあります。名誉棄損に基づく損害賠償責任に関しては、その目的が公益目的であること(私利私欲のみを目的としていないこと)、当該通報した事実が真実であるか、真実であると信じるに足りる相当な理由があるときには、違法ではなくなり、賠償責任を負担しないという判断が、判例では確立されています。  公益通報に基づく懲戒解雇に関しても、これに類似するような判断が裁判例にもあります(東京地裁令和3年3月18日判決「神社本庁事件」)。  当該裁判例では、代表者や幹部職員による背任行為が通報対象事実とされていました。これについて、裁判所は、「労働者が、その労務提供先である使用者の代表者、使用者の幹部職員及び使用者の関係団体の代表者の共謀による背任行為という刑法に該当する犯罪行為の事実、つまり公益通報者保護法2条3項1号別表1号に該当する通報対象事実を、被告の理事及び関係者らに対し伝達する行為であるから、その懲戒事由該当性及び違法性の存否、程度を判断するに際しては、公益通報者保護法による公益通報者の保護規定の適用及びその趣旨を考慮する必要がある」として、公益通報者保護法の趣旨に則して、解雇の有効性を判断すると判断されました。  また、その具体的な判断基準としては、「@通報内容が真実であるか、又は真実と信じるに足りる相当な理由があり、A通報目的が、不正な利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく、B通報の手段方法が相当である場合には、当該行為が被告の信用を毀損し、組織の秩序を乱すものであったとしても、懲戒事由に該当せず又は該当しても違法性が阻却される」として、懲戒解雇が無効になる要素を示しています。さらに、「@〜Bの全てを満たさず懲戒事由に該当する場合であっても、@〜Bの成否を検討する際に考慮した事情に照らして、選択された懲戒処分が重すぎるというときは、労働契約法15条にいう客観的合理的な理由がなく、社会通念上相当性を欠くため、懲戒処分は無効となると解すべき」ともしており、懲戒解雇がその社会的信用の低下と比較して相当性を欠く場合にも、無効になると整理しています。したがって、単に公益通報である場合のみではなく、その相当性を欠く場合などにおいても、懲戒解雇が無効になることが示されているといえます。  この事件では、実際に背任行為があったとは認定されませんでしたが、真実と信じるに足りる相当な理由があり(@の要件を充足している)、また、通報目的が不正な利益を得る目的、他人に損害を与える目的、その他不正の目的であるとはいえないとされ(Aの要件を充足している)、内部の職員への通報では調査が期待できなかったことから理事らへ文書を交付したこともやむを得ない相当なものであった(Bの要件を充足している)とされた結果、懲戒すべき事由がないと判断されています。  公益通報者保護法の施行にともない、内部通報や外部通報に対する関心は高まっていくと思いますが、通報者を処分するケースは限定的であり、まったくの虚偽の通報であるのみならず、それを信じる理由もないことなども求められる点にも留意する必要があります。今後は、通報が行われたときに通報者を処分する方向ではなく、通報をコンプライアンス遵守に活かすような発想がいっそう求められることになるでしょう。 ※ 当機構ホームページでお読みいただけますhttps://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/series.html