知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変わっていき、ときには重要な判例も出されるなど、日々把握することが求められています。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第51回 定年退職後の契約更新と合理的期待、退職勧奨とパワーハラスメント 第52回 執行役員の処遇、シフト削減と違法性 第53回 定年後再雇用と同一労働同一賃金、通勤手当の変更戒 第54回 定年後再雇用の雇止めと労働条件、固定残業代の要件 第55回 自動車通勤の年齢制限、飲食方法に起因した懲戒処分の可否 第56回 定年後の継続雇用の拒否、休日の移動をともなう出張と労働時間 第57回 定年後の再雇用合意の解除、労働組合と労働者性 第58回 エイジフレンドリーガイドラインの詳細、中小企業の割増賃金と代替休暇 第59回 定年後再雇用と同一労働同一賃金(手当の趣旨)、配転命令違反と懲戒解雇 第60回 グループ会社における退職金規程の影響、セクシュアルハラスメントへの介入の是非 第51回 定年退職後の契約更新と合理的期待、退職勧奨とパワーハラスメント 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1  定年退職後の嘱託社員の契約を更新しない場合、どんな問題がありますか  定年退職後も嘱託社員として雇用を継続している従業員がいるのですが、年齢が70歳に近くなり、業務の負担も大きくなってきている様子です。このたび、契約更新前の業務中に、交通事故を起こしたにもかかわらず、会社への報告がなかったという事態も発覚しています。これらの状況をふまえて、更新をせずに、退職してもらおうと思っているのですが、問題があるでしょうか。 A  定年退職後の契約更新についても、労働契約法第19条により雇止めに対する規制が適用されます。嘱託社員となっている労働者であっても、正社員と同視すべき事情があるか、もしくは、更新されることに対する合理的期待が生じている場合には、雇止めによる労働契約の終了が制限されることがあります。 1 定年後再雇用の法的な性質  改正高年齢者雇用安定法に基づき、使用者に70歳までの就業機会確保が努力義務とされたこともあり、多くの企業においては、定年後の労働者を嘱託社員として雇用するという形態が採用されています。  この嘱託社員という制度は、厳密には自社の就業規則次第でその内容は変わるものですが、一般的には、無期労働契約から有期労働契約に変更されるという制度として設計されています。  ところで、有期労働契約については、労働契約法第19条に基づき、雇止めの際には、一定の要件のもと保護されています。具体的には、@当該有期労働契約が過去に反復して更新されたことがあるものであって、その契約期間の満了時に当該有期労働契約を更新しないことにより当該有期労働契約を終了させることが、期間の定めのない労働契約を締結している労働者に解雇の意思表示をすることにより当該期間の定めのない労働契約を終了させることと社会通念上同視できると認められる場合や、A当該労働者において当該有期労働契約の契約期間の満了時に当該有期労働契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められる場合には、正社員に対する解雇と同程度の要件(客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上相当であること)を充足しなければ、労働契約は終了せずに、従前と同一の労働条件のまま継続することになります。  では、嘱託社員も有期雇用労働者であるとすれば、労働契約法第19条により保護されることになるのでしょうか。60歳定年後の嘱託社員であれば、60歳から1年毎に労働契約を更新することになり、65歳になるまで雇用が継続されるとすれば、5回程度の更新があることになり、反復継続する更新はありそうです。また、65歳になるまでの間は、継続雇用しなければならないという意識から、更新の手続なども形骸化してしまいがちかもしれません。 2 裁判例の紹介  定年後の再雇用者について、労働契約法第19条を適用すべきか否かが問題となった裁判例を紹介します。  事案の概要は、タクシー運転手として勤務し、67歳での定年退職後は1年間の有期の嘱託雇用契約を結んで稼働し始め、その後、一度労働契約を更新していた労働者が、自転車との接触事故を起こしたことを、会社にただちに報告していなかったことなどを理由に、雇止めによる労働契約の終了を行ったところ、労働者がこれを無効と主張して争った事案です(東京地裁令和2年5月22日判決)。  会社は、たとえ乗務員1人の事故であったとしても、会社全体において行政処分を受けるおそれがある行為であり、会社においては、事故の不申告事案を撲滅するための指導教育を行い、違反者には厳重な処分を行う必要があるといった点を主張しており、雇止めを行うことには客観的かつ合理的な理由と、社会通念上の相当性も充足していたことを強調しています。  裁判所の判断は、「タクシー運転手が定年である67歳に達した後も、嘱託雇用契約を締結して雇用を継続してきたこと、被告のタクシー運転手のうち、70歳以上の運転手は16パーセントに上ること、…(中略)、定年退職後の嘱託雇用契約についても契約書や同意書等の書面の作成がないまま、嘱託雇用契約を一度更新したことが認められ、これらの事実に照らすと、69歳に達した原告においても、体調や運転技術に問題が生じない限り、嘱託雇用契約が更新され、定年前と同様の勤務を行うタクシー運転手としての雇用が継続すると期待することについて、合理的な理由が認められるというべき」として、定年退職後の嘱託社員についても、労働契約法第19条の適用を認めています。  そして、雇止めの相当性について、「本件接触は、左後方の不確認という比較的単純なミスによるもので、接触した自転車の運転者は、ドライブレコーダーの記録から受け取れる限り、倒れた様子は見受けられず、接触後すぐに立ち去っていることから、本件接触及び本件不申告は、悪質性の高いものとまではいえない」ことや、「警察においても、本件接触や本件不申告を道交法違反と扱って点数加算していないことも踏まえれば、本件接触及び本件不申告は、警察からも重大なものとは把握されていないこと」などを評価したうえで、労働者自身が、自ら本件接触を報告し、本件接触を隠蔽しようとはしていないこと、接触の原因や不申告の重大さなどについて注意、指導を受けた内容を記憶し、反省している様子であることなどを総合的に考慮して、雇止めが重過ぎる処分であるとして、雇止めを無効と判断しました。  注目しておいてもらいたいのは、嘱託社員であったとしても、雇止めに対して労働契約法第19条による保護が適用されることがあるという点です。紹介した裁判例では、更新回数はまだ1回だけであったにもかかわらず、更新に対する合理的期待があったと判断されている点も特徴的です。  期待を生じさせた背景事情として、70歳以上の労働者が16%もいたことも特徴ですが、さまざまな会社で共通すると思われる事情としては、定年退職後の嘱託雇用契約について契約書の作成がなされていないことに着目しておいてもらいたいところです。  労働契約法第19条の適用の前提として、契約書の作成がなされていなかったり、作成されていたとしても形式的に作成したにすぎず内容に関する説明や更新にあたっての面談または説明などが行われていない場合には、有期労働契約が期間満了により当然に終了するとはいえないことが多いでしょう。そのことは、嘱託社員の場合であっても変わりはありませんので、定年後の有期雇用の取扱いについて、更新手続きや更新するにあたっての考慮要素などが形骸化していないか、いま一度確認しておくことも重要と思われます。 Q2 退職勧奨を行う際の注意点について教えてほしい  業務において不適切な言動を顧客に対して行うなど、業務態度が不良な従業員に対して、退職をうながしたいと考えています。退職勧奨を行う際の注意点を教えてください。また、退職勧奨とパワーハラスメントの関係についても教えてください。 A  退職勧奨については、労働者の自由な意思により決定させる必要があるため、それを阻害するような場合には、違法となり、賠償責任を負うことがあります。また、退職勧奨における理由を述べる際の発言によっては、パワーハラスメントとして違法となる場合もあります。 1 退職勧奨について  勤務成績が不良である場合や、懲戒事由の改善傾向が見受けられない場合などには、普通解雇や懲戒解雇といった一方的な処分を行う以外に、退職勧奨により、労使間の合意形成により退職という結論を目ざす方法があります。  法的にいえば、労働契約の合意解約に向けた協議ということができることから、退職勧奨を行うにあたっては、懲戒事由などの理由は必ずしも必要ではありません。とはいえ、退職勧奨を行うこと自体が、労使間のコミュニケーションによって行われることが当然の前提であることから、使用者から退職を打ち出すにあたっては、何らかの理由がなければ、納得してもらうことはできませんので、退職をうながす理由を準備されていることが通常でしょう。  ここでのポイントは、退職勧奨の開始には、理由の限定がないという点であり、その結果、使用者から、早期退職をうながすために退職金の上乗せなどの好条件と合わせて提示する場合もあれば、懲戒事由に相当するような理由をふまえて退職を迫るといった場面など、使用者がいかなる振る舞いをするかについても幅広いものがあるということです。 2 退職勧奨の限界について  退職勧奨自体が、労働契約の合意解約に向けた協議ということから、その理由は制限されていませんが、その方法が不適切な場合には、退職勧奨行為自体が違法と評価される場合があります。  最高裁昭和55年7月10日判決(下関商業高校事件)において是認された内容は、まず退職勧奨のための出社命令に関しては、「退職勧奨のために出頭を命ずるなどの職務命令を発することは許されないのであつて、仮にそのような職務命令がなされても、被用者においてこれに従う義務がない」とされており、これを拒絶したことをもって不利益な取扱いもできないといえます。また、「職務命令は、それがたとえ違法であつたとしても、被用者としてはこれを拒否することは事実上困難であり、特にこのような職務命令が繰り返しなされる時には、被用者に不当な圧迫を加えるおそれがあることを考慮すると、かかる職務命令を発すること自体、職務関係を利用した不当な退職勧奨として違法性を帯びるものと言うべき」とされています。ここでのポイントは、くり返しなされるときという限定がなされていることであり、退職勧奨を開始するための呼び出し自体が違法になるわけではありません。  ただし、「被勧奨者が退職しない旨言明した場合であつても、その後の勧奨がすべて違法となるものではない」としつつも、「特に被勧奨者が二義を許さぬ程にはつきりと退職する意思のないことを表明した場合には、新たな退職条件を呈示するなどの特段の事情でもない限り、一旦勧奨を中断して時期をあらためるべき」とされており、明確な拒絶の意思表示があった場合には、退職条件の再提示などをともなう内容とする必要があります。  なお、違法と評価するにあたっては、「勧奨の回数および期間についての限界は、退職を求める事情等の説明および優遇措置等の退職条件の交渉などの経過によつて千差万別であり、一概には言い難いけれども、要するに右の説明や交渉に通常必要な限度に留められるべき」とされており、回数や期間にも注意が必要です。  この判例の事案では、約2カ月の間に11回から13回程度かつ、長いときには2時間15分におよぶ退職勧奨が行われていたというものであり、多数回かつ長期にわたっていたことから、「あまりにも執拗になされた感はまぬがれず、許容される限界を越えているものというべき」と判断されています。 3 退職勧奨とパワーハラスメントについて  紹介した判例においては、退職勧奨において告げられるべき内容に関しても「被勧奨者の家庭の状況等私事にわたることが多く、被勧奨者の名誉感情を害することのないよう十分な配慮がなされるべきであり、被勧奨者に精神的苦痛を与えるなど自由な意思決定を妨げるような言動が許されないことは言うまでもない」ともされています。近年では、退職勧奨の場で行われる発言がパワーハラスメントとして違法と評価されるケースがあります。  退職勧奨の場において行われやすいパワーハラスメントの類型として、精神的攻撃および過小な要求(能力に見合わない業務しかさせないようにするなど)があります。宇都宮地裁令和2年10月21日判決では、退職勧奨中の発言や退職勧奨継続中の業務命令について、この2類型に該当するか問題となりました。  退職勧奨中に行った侮蔑的発言(「チンピラ」、「雑魚」など)について、人格非難に該当するパワーハラスメントであるかが争点となった部分については、乗客に「殺すぞ」などの暴言を吐き、そのまま乗客を威圧する態度を維持したことや不正乗車の有無を具体的に確認することなく顧客に疑いをかけたことなど、指導の必要性が高く、叱責などにおける発言に厳しいものがあったとしても、業務上の指導を超えたことにはならないと判断されています。懲戒に相当するような事由のなかでも指導の必要性が高いと判断されたことがこの判断の背景にはあるため、同様の発言が許容されるとは考えない方がよいでしょう。そのほか、本来の業務とは異なる文書作成のみを指示し、それ以外の業務を命令しなかったことは、過小な要求に該当すると判断され、違法なパワーハラスメントがあったと評価され、使用者は損害賠償責任を負担するものとされました。  この退職勧奨およびパワーハラスメントによる損害賠償責任は、60万円の支払いを命じられていますが、被害を受けた労働者に精神障害などが発症したか、その治療にどの程度の期間や費用を要するかによってもその総額は大きく左右されますので、金額の多寡ではなく、退職勧奨を実施するにあたって留意すべき点をふまえて、労使間の協議に臨むようにすべきでしょう。 第52回 執行役員の処遇、シフト削減と違法性 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年間近の執行役員に役職を降りてもらう際の留意点について知りたい  執行役員として処遇してきた従業員について、後任の育成を視野に入れるためにも、定年が近づいてきた執行役員に職を降りてもらうことを考えています。執行役員の地位にある間は、役員に近いような処遇で、労働条件としては、通常の労働者とは一線を画しているといえるような状況です。執行役員から降りてもらうとなると、処遇をかなり引き下げなければならなくなるのですが、どうすればよいでしょうか。 A  執行役員といえども労働者ではあるため、労働条件を引き下げるためには合意に基づき行うことが最適でしょう。しかしながら、執行役員の処遇が、規程などにおいて特殊に定められている状況が確保できているのであれば、執行役員の任務を解くことによって、条件を引き下げることができる場合があります。 1 執行役員の立場について  会社内においては、「取締役」といった会社法上の役員以外にも、「執行役員」として、従業員の地位を有しながらも役員に近い立場で執務する労働者がいます。  会社法においては、類似の役職として「執行役」という立場があります。こちらは、会社法において、指名委員会設置会社などに設置される役職であり、取締役に代わる立場であり、会社との契約関係は、労働契約ではなく委任契約に基づくことになります。  今回の相談において、検討しなければならないのは、従業員の立場である(労働契約を締結している)執行役員の処遇です。  基本的な考え方としては、たとえ、執行役員であり、処遇が通常の労働者とは異なるものであるとしても、あくまでも労働者であることは変わらず、労働基準法や労働契約法が適用されることには相違ありません。  そのため、従前の合意とは異なる内容を強制する形で、労働条件の不利益変更が行われる場合には、その変更が有効にはならず、労働者との合意に基づかなければならないということになります。 2 執行役員の労働条件の変更について  執行役員の地位については、管理監督者としての地位をあわせて有していることが多いほか、処遇についても一般的な労働者よりも厚遇されていることも多くあります。どちらかというと取締役などの役員と近い立場にある者として社内では扱われることもあります。  そのため、会社によっては、執行役員の処遇に関する規程を定めて、通常の労働者が適用される賃金規程とは異なる内容で整理されていることもあります。賃金規程において想定されている等級や賃金テーブルなどの範囲外で処遇することや賞与および退職金の考え方が異なる場合もあります。  このような執行役員が定年退職に至らなかった場合には、規程で定めた処遇から通常の労働者としての処遇に戻すことができるのかが問題になります。  ここで、執行役員に対する労働条件の変更が争点となった裁判例を紹介したいと思います。  事案の概要は、常務執行役員を務めていた労働者を、会社が、部長に降格をさせて、月額120万円の報酬から月給45万円程度まで減額したことの効力が争われた事案です(東京地裁令和2年8月28日判決)。  この会社では、元々部長職であった労働者を常務執行役員に任命し、報酬を43万円程度から高額の報酬へ変更して、最終的には月額120万円に及んでいました。執行役員制度については、執行役員規程を設けており、執行役員として1年間の任期をもって退任する旨定めたうえで、任期満了の都度、取締役会で議決して、再任していました。  執行役員規程のなかには、賃金に関して、「執行役員の報酬について給与規程に準じるものとし、役付執行役員の報酬については、職務の内容(遂行の困難さ、責任の重さ)並びに従業員給与の最高額及び取締役の報酬を勘案して、その都度決定する」と規定しており、通常の労働者の等級等とは異なる決定がなされていました。そして、当該執行役員規程についても、就業規則と同様に周知がされており、就業規則の一部として拘束力を有すると判断されています。  その結果、執行役員規程の位置づけとしては、「執行役員規程が執行役員の待遇について別途の規程を置いているのは、豊かな業務経験を有し、優れた経営感覚の下、高い識見をもって職務に当たることが期待されている被告の執行役員として選任された被告従業員に対し、その任期中、役付の有無に応じ、その責任等に応じた特別待遇をもって報いる趣旨のものと解せられる」として、「同規程は、執行役員から退任した従業員に対して退任後も同様の労働条件をもって保障することを含意する趣旨のものとは解せられず、あくまで執行役員在任中における特別待遇を保障する趣旨のものと解するのが相当」とされました。  その結果、執行役員としての任期を満了して再任されることなく退任した場合には、従来の職務に戻ることとなり、執行役員就任前の部長職となり、処遇もそれに則した条件となることが肯定されました。労働者からは、重要な労働条件の不利益変更に該当し、労働者の自由な意思がなければ有効に変更できないといった主張もなされていますが、執行役員規程が労働条件の内容となっており、退任時に処遇が就任前の条件に戻ることを含めて予期しておくべきと判断されており、退任時の処遇も含めた形で労働条件が形成されている点を重視しています。  執行役員については、この裁判例のように執行役員の処遇を規程として定めて、周知しておかなければ、退任時の処遇がどういった位置づけになるのか不明確になるおそれがあります。  また、今回紹介した裁判例の特徴として、@執行役員規程が周知されていたこと、A執行役員が任期制となっており退任する可能性が想定されていたこと、B執行役員の処遇の根拠が、職務の内容を考慮したものであることや、それにふさわしい人材がいかなる労働者であるのか(豊かな業務経験、優れた経営感覚、高い識見が期待される)ということが明記されていたこと、などがあげられます。  執行役員規程を設けていれば大丈夫というわけではなく、その内容も含めて自社が想定している効果を生じさせることができるか見直しておくことをおすすめします。 Q2 シフト制のパート社員の勤務日数を減らすことは法的に許されるのか  シフト制のパート社員がいるのですが、コロナ禍の影響もあり、シフトあたりの人数を減員しています。従前は、週5日の6時間勤務でシフトに入っていたパート社員もいるのですが、週3日程度に削減させようと思っています。労働条件通知書や契約書にはシフト制である旨のみ定めており、最低減のシフト日数などは定めていないのですが、問題ないでしょうか。 A  シフト制としての合意内容が明確かどうかによりますが、具体的なシフト日数や時間数が合意されていないのであれば、過去の実績よりも削減させることは可能と考えられます。ただし、極端な削減を行うことは違法となる場合があります。 1 パート社員とシフト制について  労働法においては、いわゆるパートタイム労働者(以下、パート社員)に関しては、「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」に定められています。パート社員や契約社員と正社員の同一労働同一賃金について定めているのもこの法律になります(同法第8条および第9条)。  この法律がいうところの、「短時間労働者」(パート社員)とは、「一週間の所定労働時間が同一の事業主に雇用される通常の労働者の一週間の所定労働時間に比し短い労働者」をいいますので、一般的には、正社員よりも時間が少しでも短ければ短時間労働者に該当します。  シフト制が採用されており、正社員よりも労働時間が短いパート社員のときは、シフト制が採用されている場合でも短時間労働者として同法の保護を受けることができます。  労働条件において、労働時間をシフト制とする旨定めること自体は、採用時に使用者と労働者の意向が合致するかぎりは有効です。労働者としては、一定の曜日や時間をあらかじめ約束はできなくとも、一週間のうちある程度の時間を労働に費やすことができる場合には、その時間を組み合わせて働くことができる一方で、使用者としても、シフト制の労働者を多数雇用して組み合わせることによって事業を運営することが可能となります。 2 シフト制と使用者の裁量の範囲  コロナ禍において、休業などにともない労働者を完全に休ませる場合についてはともかく、営業時間を限定的に行う場合などには、シフトの削減などをともなうことが多かったと思います。シフト制の労働者の人数に比して、業務量が減少してしまった場合には、使用者としては、労働者を減員するかシフトを減少させるか、いずれかを選択する必要に迫られる場合があります。このような場合に、シフトを削減することは可能なのでしょうか。  紹介する裁判例は、介護事業と放課後等デイサービス事業を営む会社において、シフト制で採用されていた労働者からの、「これまでの実績からすれば、週3日以上、1日の労働時間は8時間がシフト制の最低条件である」として、シフトが削減された部分に相当する賃金の支払い等の求めに対して会社側が債務不存在の訴えを起こした事案です(シルバーハート事件、東京地裁令和2年11月25日判決)。  労働者と締結している雇用契約書には、始業・終業時刻および休憩時間の欄に「始業時刻午前8時00分、終業時刻午後6時30分(休憩時間60分)の内8時間」との記載のほか、「シフトによる」旨の記載がありましたが、このシフトの内容については特段の記載はなく、労働者が履歴書において週3日を希望する旨記載があった程度でした。  シフトの決定方法は、「前月の中旬頃までに各従業員が各事業所の管理者に対し、翌月の希望休日を申告し、各事業所の管理者は希望休日を考慮して作成したシフト表の案を、前月下旬頃に開催されるシフト会議に持ち寄り、話し合いを行う。各事業所の人員が適正に配置されるよう、人手が足りない事業所には他の事業所から人員の融通を行う等の調整を行った上、シフトが正式に決定」されていました。また、事業の特性として、介護事業所のシフトには、管理者、相談員、介護職、運転担当、入浴担当、アクティビティ担当などの役割があり、少なくとも1人ずつ配置する必要がありました。  このようなシフトの決定方法としては、前月中に希望を募って、必要な役割の人員をシフトに割り振って、最終的なシフトを決定するというものであり、一般的なシフト決定方法といってもよいように思います。  裁判所としては、シフト制の内容に関する合意について、「雇用契約書には、手書きの『シフトによる』という記載があるのみであり、週3日であることを窺(うかが)わせる記載はないこと」、過去の出勤状況についても「1か月の出勤回数は9回〜16回であり、…勤務開始当初の2年間においても、必ずしも週3日のシフトが組まれていたとは認められないことからすると、固定された日数のシフトが組まれていたわけではなかった」としたうえ、「他の職員との兼ね合いから、被告の1か月の勤務日数を固定することは困難である」として、週3日、1日8時間という内容で合意されていたとは認めませんでした。  しかしながら、だからといって、急激なシフトの削減が許容されるかという点は別問題であり、「シフト制で勤務する労働者にとって、シフトの大幅な削減は収入の減少に直結するものであり、労働者の不利益が著しいことからすれば、合理的な理由なくシフトを大幅に削減した場合には、シフトの決定権限の濫用に当たり違法となり得る」としたうえで、「少なくとも勤務日数を1日(勤務時間8時間)とした同年9月及び一切のシフトから外した同年10月については、同年7月までの勤務日数から大幅に削減したことについて合理的理由がない限り、シフトの決定権限の濫用に当たり」、本件では、勤務日数を突然1日まで削減したとき以降のシフト削減が権利濫用に該当する違法なものであると判断されています。  結果として、不合理に削減されたといえる勤務時間に対応する賃金として、直近3カ月間の平均賃金について、民法第536条2項に基づき、賃金を請求し得るとされました。  本件のポイントは、シフト制では、シフトの削減自体は可能であること。ただし、その程度が極端である場合には違法な権限行使として賃金相当額の請求が肯定される場合があるという点です。シフトを減少せざるを得ない理由はどういった点にあるのか説明し、期間がどの程度になるのかなどもしっかりとコミュニケーションをとったうえで、権利の濫用とならないようにシフトの削減を実施することが望ましいでしょう。 第53回 定年後再雇用と同一労働同一賃金、通勤手当の変更 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 定年後再雇用の嘱託社員の賃金は、同一労働同一賃金の観点から、役職定年前の賃金も比較対象になるのでしょうか  当社では、定年を60歳、役職定年を55歳に設定しており、定年後は嘱託社員として65歳まで再雇用することにしています。役職定年にともない賃金が若干低下するのですが、定年後には嘱託社員として賃金がさらに下がる設計になっています。定年後の嘱託社員の処遇について、役職定年前の状況と比較して同一労働同一賃金の観点から問題は生じるのでしょうか。それとも、役職定年後から定年前の状況と比較することになるのでしょうか。 A  役職定年後の減額の程度が小さく、定年退職後の減額幅を緩和する措置と位置づけられており、定年退職までの賃金体系において年功的性格が確保されている場合には、定年退職後に年功的性格を払拭して賃金を減額することが許容される余地があります。なお、比較対象は定年退職前の状況とされますが、定年退職後の業務内容が類似する労働者との比較も考慮されて判断されることになります。 1 同一労働同一賃金について  「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(以下、「パートタイム・有期雇用労働法」)第8条は、「不合理な待遇の禁止」と題して、短時間・有期雇用労働者と通常の労働者との待遇について、不合理と認められる相違を設けてはならないと定めています。  まず、短時間・有期雇用労働者と比較される「通常の労働者」とは、だれでしょうか。パートタイム・有期雇用労働法第2条が定める定義によれば、契約社員との比較においては、正社員が該当するというのが典型例といえます。とはいえ、単に正社員というだけでは、その範囲が広くなりすぎ、比較も困難になってしまいます。この点について、比較対象とする「通常の労働者」の範囲については、自身の労働条件と比較しようとするパートタイム・有期雇用労働者(通常、訴訟において原告となる労働者)が選択することができると考えられています。例えば、正社員全体ではなく、自身と同じような業務に従事している正社員に限定して比較するといった方法がとられます。定年後再雇用においては、嘱託社員と同様の業務を行っている労働者と比較することが考えられますが、そのような労働者がいない場合には、定年退職前の自分自身(正社員であったときの自分自身)を比較対象とすることができるかが問題となります。  次に、不合理と認められる相違は、「業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち、当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して」判断されるものとされています。ここでは、@業務の内容および責任の程度、A職務の内容および配置変更の範囲、Bそのほかの事情、といった考慮要素が整理されており、これらの要素を考慮して、不合理か否か判断されることになります。 2 裁判例の紹介  東京地裁平成30年11月21日判決(日本ビューホテル事件)は、役職定年を経たのちに定年退職した嘱託社員の処遇について、同一労働同一賃金の観点から不合理な賃金格差となっていないかが問題となった事案です。  まず、比較対象とする通常の労働者について、「原告が措定する、有期契約労働者と無期契約労働者とを比較対照する」と判断して、原告となった労働者が比較対象となる労働者を選択できることを肯定し、原告が主張していた「定年退職前の原告自身」との比較を認めています。ただし、「他の正社員の業務内容や賃金額等は、その他の事情として、これらも含めて労働契約法第20条所定の考慮要素に係る諸事情を幅広く総合的に考慮」する※ことも認め、最終的には、職務内容が同程度の正社員の賃金との比較をBその他の事情として考慮する方法を採用しています。  次に、賃金制度に関して、「正社員に係る賃金制度を俯瞰すると、長期雇用を前提として年功的性格を含みながら、様々な役職に就くことを想定してこれに対応するよう設計されている…、役職定年後の年俸は…、上記の賃金制度の一部を構成するものとして同様の性格を有する」として、役職定年制度後の処遇も含めて、定年までの間は年功的性格をふまえた制度とされました。他方で、「定年退職後の再雇用に係る嘱託社員は、退職金の支払を受けて退職した後に新たに有期労働契約を締結して再雇用された者であり…、長期雇用を前提とせずかつ原則として役職に就くことも予定されていない。また、…嘱託職員の職務内容等は軽減され配転等の可能性も限定されていて、加齢による労働能力の低下等を見越して年齢に応じて賃金額が漸減するものの、業績等によってはその額が変更され得るという仕組み」とされ、年功的性格が払拭されていると判断されています。  本件では、定年前は年功的性格があり、定年後は年功的性格が払拭されているという要素は、賃金の差異に関する重要な要素として考慮されています。  さらに、この裁判例では定年退職時点の賃金と比較すると約54%まで減額されていました。ただし、定年後の再雇用者について、高年齢雇用継続基本給付金や老齢厚生年金の支給開始年齢に達することを賃金決定に考慮することを認め、給付金を考慮した賃金の差異が63%であることから不合理性を否定しています。  この裁判例における業務内容の相違については、役職定年前から役職定年の際にも業務内容が変更(責任も軽減)され、定年退職後の再雇用においては営業活動のみに従事する立場に変更されています。さらに、配転についても、定年退職後の再雇用後には実施が予定されていない立場に変更されており、@業務内容やA変更の範囲についても、定年前と定年後で相違がある状態でもありました。  そのほか、役職定年が採用されていることについては、賃金が減額されるということからすれば不利益な要素に見えますが、この裁判例では、役職定年後の減額は、定年後再雇用により賃金がさらに減額されることに向けた激変緩和措置として使用者に有利な要素として考慮されています。ただし、役職定年前後の差異については、86%程度に抑えられており、役職定年後の減額幅が小さく、軽減された業務内容や責任の相違と比較して高額に設定されていることも重視されています。  定年後再雇用であることから、年功的性格の賃金体系を採用している企業は、賃金の差異に対する説明はしやすいといえますが、それだけではなく、@業務内容やA変更の範囲についても、差異があれば説明をできるようにしておくことは重要と考えられます。 ※ 有期雇用労働者の不合理な待遇差の禁止を規定していた旧労働契約法第20条は、2018年7月に公布された働き方改革関連法により、パートタイム・有期雇用労働法第8条に統合されました Q2 在宅勤務導入にともなう通勤手当の減額について教えてほしい  当社には他県から長時間の通勤をしている従業員が多数います。業務の効率化とコロナ禍の対応として在宅勤務を進めているのですが、通勤手当の取扱いに苦慮しています。原則として、通勤手当は就業規則の定めにしたがって、実費を全額支給していますが、在宅勤務となったときには全額の支給が不要ではないか、出社時のみを実費支給すれば足りるのではないかという意見があります。通勤手当の支給額を一方的に減額することは許されるのでしょうか。 A  就業規則に基づき支給される通勤手当は、賃金となるため、就業規則を不利益に変更する場合は、高度の必要性と就業規則変更の合理性が認められなければなりません。ただし、就業規則の変更をともなうことなく、解釈の可能な範囲で実費支給とすることは、問題ないと考えられます。なお、在宅勤務中の通勤手当の変更については、対象者と協議して理解を得ることが望ましいでしょう。 1 通勤手当の法的性質  まずは、通勤手当の法的な性質に触れておきたいと思います。会社と労働者の労働契約においては、労働者が労務を提供し、使用者はこれに対する対価として賃金を支払うという関係が認められます。労働基準法第11条は、「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」と定めており、「賃金」に該当する場合には、労働者にとって重要な権利と位置づけられています。したがって、通勤手当が、「賃金」に該当するか否かによって、変更が許容されるか否かの結論も左右されることになります。  ところで、通勤手当と似ているものとして、出張旅費や業務にともなう外出時に支給される交通費などがあります。これらの出張旅費や交通費は、「業務費」として「賃金」から除外されると考えられています。これらの費用は、その性質上、業務遂行にともない必然的に発生するものであり、本来的に事業遂行を行う会社が負担するべき費用であることから、労働者による労働の対償であるべき賃金とはその性質を異にするというのがその理由です。  通勤手当については、使用者が労働者に必ず支払わなければならないという性質までは有しておらず、あくまでも会社が、労働契約または就業規則に基づき、労働者に対して支払うことを約束した場合に支払う義務が生じるものです。その意味では、結婚祝金や死亡弔慰金などと類似の性質を有しています。結婚祝金や死亡弔慰金は、「任意的恩恵的給付」などと呼ばれ、原則として「賃金」ではないと考えられています。しかしながら、これらの「任意的恩恵的給付」についても、労働協約、就業規則または労働契約などによって、支給条件が明確なものは、例外的に賃金であると考えられています(昭和22年9月13日発基一七)。  通勤手当も「任意的恩恵的給付」と類似しており、労働協約、就業規則または労働契約などによって支給条件が定められているかぎりは、「賃金」として扱われることになりますので、就業規則に基づき通勤手当が支給されている場合は、「賃金」に該当すると考えられます。 2 通勤手当の支給条件について  それでは、通勤手当について、その支給額を変更することは、法的にはどのように位置づけられるのでしょうか。労働者への影響としては、実費として通勤定期代を受領していたような場合には、労働条件が不利益に変更されるようにも見えます。  例えば、就業規則に基づき通勤手当を支給しており、就業規則の不利益な変更をする場合には、その変更の必要性や、変更内容の相当性、労働者への説明内容などに照らして、就業規則の変更が合理的なものでなければならないとも考えられます(労働契約法第10条)。  特に、賃金については、労働者にとって重要な権利とされており、不利益に変更することは、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合に、その変更の効力が生ずると考えられています(最高裁昭和63年2月16日判決・大曲市農業協同組合事件)。 3 就業規則の変更か実費の解釈か  就業規則に定められた通勤手当の支給額が、実費として定められている場合に、その実費として支給する額が変更されることは、労働条件の変更として、就業規則の不利益変更に該当するのでしょうか。  例えば、実費支給であるとしても、「通勤定期代3カ月分を実費として支給する」などの記載がされている場合には、「通勤定期代3カ月分」の支給が労働条件として約束されているといえるため、この部分の就業規則を変更する必要が生じるでしょう。  一方で、「通勤手当として、通勤に必要な費用を実費として支給する」といった記載であれば、この場合「必要な費用」がいくらであるかは解釈の余地があることになります。在宅勤務となったときには通勤に必要な費用が発生しなくなることから、通勤手当の支給をなくすことも可能と解釈できます。  そのため、企業ごとの就業規則(賃金規程)の記載によって、通勤手当の減額が可能であるか、就業規則の変更まで必要となるのか、結論が異なることになります。  なお、このように企業によって結論が相違するということは、従業員の知合いの企業は下げられなかったが、自社だけ下げられたといった不満が生じるおそれは否定できません。自社では通勤手当の減額が可能であるとしても、なぜ減額が可能であるのかについては、従業員にしっかりと説明をして理解をしてもらうことが望ましいでしょう。  なお、就業規則の変更を要する場合についての変更の合理性についてですが、通勤手当の場合は基本給や賞与、退職金などの減額と比較すると重大な影響といえるかという点には若干疑問もあります。通勤定期券を購入する必要がなくなったのであれば、支給の必要性は低下しているとはいえるでしょう。在宅勤務ではなくなったときには従前の通勤手当の支給条件に戻るようにしておき、在宅勤務中の通勤手当に不利益変更の範囲を限定すれば、労働者への十分な説明を経たうえで、変更が有効と認められる余地はあるのではないかと思われます。 第54回 定年後再雇用の雇止めと労働条件、固定残業代の要件 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 パフォーマンスの低調な定年後再雇用者との再雇用契約を打ち切ることはできるのか  定年退職後に再雇用している従業員の働きぶりが悪く、再雇用契約の更新の際に、労働条件を引き下げる提案を行い、これに応じてもらえない場合には契約を更新する意向がないことを伝えようと考えています。定年時にも労働条件はある程度引き下げましたが、その労働条件であることを加味しても、労働条件に見合うだけの働きをしていないと感じています。労働条件の引下げに応じないときに再雇用契約を更新しないことに問題はあるでしょうか。 A  定年時に労働条件を提示することとは異なり、労働契約法第 19条による保護が働くことになることに留意する必要があります。提示する労働条件が合理的な内容となっていない場合などには、従前と同様の条件で労働契約が延長されることになるため、提案内容やその説明を慎重に行う必要があります。 1 定年後再雇用と労働契約法第19条の適用関係  定年後に、期間を定めた労働契約として再雇用を締結する会社は多く、高年齢者雇用安定法に基づく高年齢者雇用確保措置として最も採用率が高い措置です。  定年後再雇用においては、1年ごとに契約を更新することや、定年時に定めた労働条件が維持されたまま65歳までの再雇用契約が締結されることが多いでしょう。  そもそも、定年後の再雇用において、労働契約法第18条が定める無期転換ルールについては、専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法第6条第1項に基づく第二種計画認定を申し出て、厚生労働大臣の認定を受けることで、その適用が除外されるなど、通常の有期雇用契約とは適用関係が若干相違する場合があります。そこで、労働契約法第19条が、有期労働契約について、@無期労働契約と社会通念上同視できる場合、またはA更新されるものと期待することについて合理的理由がある場合のいずれかに該当する場合には、解雇と同様に、客観的かつ合理的な理由があり、社会通念上の相当性がないかぎり、契約を終了させることはできないと定めている内容が、定年後再雇用についても適用されるのか争われることがあります。もし、この規定が適用され、契約更新を拒絶できないとすれば、「従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の条件で当該申込みを承諾したものとみなす」と定められているため、労働条件の変更が叶わないということになります。  この点については、定年後再雇用者に関して、無期転換ルールの適用除外が可能であることは法律上明記されているところ、定年後再雇用の労働者について、労働契約法第19条が定める有期労働契約の更新等に対する規制を除外する旨の規定が存在しません。したがって、定年後再雇用の有期雇用労働者であっても、労働契約法第19条による保護を受けることができます。 2 裁判例の紹介  定年後に再雇用した後の労働条件の変更について、本連載の第48回(本誌2022年5月号)では、労働条件の変更が許容された裁判例を紹介しましたが、逆に、労働条件の変更を理由とする再雇用契約の拒絶が違法と判断された事例を紹介します。  広島高裁令和2年12月25日判決(Y社事件。原審は山口地裁宇部支部令和2年4月3日判決)は、定年退職を経た後に再雇用契約を締結していた労働者の労働条件の引下げとそれを拒絶した労働者への対応が問題となった事案です。  この事案の使用者は、定年後再雇用した労働者に対しては、高年齢者雇用安定法のみが適用され、労働契約法第19条は適用されないと主張しましたが、「被控訴人の定年退職後の再雇用自体ではなく、被控訴人の定年退職に伴って締結された有期労働契約である本件継続雇用契約の更新の有無及びその内容が問題となっている事案であるから、同条の適用ないし準用のある事案であることは明らか」と判断されました。要するに、定年直後に行う再雇用に関しては高年齢者雇用安定法が適用される場面となるが、その後の再雇用の更新については労働契約法第19条が適用されると判断しています。  次に、労働契約更新の期待に関して地裁の判断を維持して、「被告嘱託規定3条は、第2条に定める期間を過ぎた後も定期健康診断の結果が良好であることなどの6つの条件を備えた者については例外なく満65歳の誕生日の属する賃金締切日(属する月の賃金締切日という趣旨であると解される。)まで再雇用することが定められて」いたこと、6つの条件を満たしていたことを理由として、「原告は、平成29年3月1日以降も被告において再雇用されると期待することについて合理的理由がある」と判断し、労働契約法第19条が適用される基礎があると判断されました。そのため、雇止めの理由が客観的かつ合理的なものであり、社会通念上相当と認められなければ、従前と同一の労働条件を維持して、雇用を継続しなければならないことになります。  次に、雇止めに関する客観的かつ合理的な理由の有無および社会通念上の相当性については、使用者が、3種類の労働条件を提案(うち2つは就業日数の減少にともなう賃金減額が生じるものであり、もう1つは賃金額を維持して就労場所を変更する内容)しており、そのいずれについても拒絶されたことを合理的な理由として主張していたところ「そもそも、本件継続雇用契約の時点で原告の定年退職時の給与の6割程度の給与としているところ、本件提案は、本件継続雇用契約の更新時に上記給与の額を更に減額したり、就労場所に係る労働条件の不利益変更を伴ったりする内容のものであり、被控訴人が上記内容に合意しないことをもって上記更新を拒絶することを正当化し得るものではない」と評価され、「被控訴人がこれを拒絶することには相応の理由があり、控訴人にとっても被控訴人による拒絶を十分想定し得るものであることも併せ考慮すると、本件提案を被控訴人が受け入れなかったことをもって、控訴人による本件継続雇用の更新拒絶について客観的に合理的な理由があるとはいえない」と判断されました。  結論としては、定年後再雇用時に定めた労働条件と同一の内容で再雇用契約が成立したものとみなされて、雇止めを実施したときから判決時点までの賃金(バックペイ)とそれに対する遅延損害金の支払が命じられました。従前紹介した事案との相違点は、労働条件の変更が個別の労働者個人の問題であったか定年後再雇用者全体の問題であったか(この違いが個別の労働者にとっての従前と同一の労働条件による更新の期待に相違を生じさせた)、労働条件の変更理由に対して合理的な理由がありそのことをていねいに説明していたかという点があげられます。  60歳以降の再雇用契約の更新については、65歳までの継続雇用が義務であることと相まって、更新に対する期待可能性が肯定されやすく、労働条件の変更についても、同一労働条件が維持されることを前提に不利益な変更に対する自由な意思による同意の獲得を目ざした対応が求められるという点に留意する必要があります。 Q2 固定残業代が有効となる場合、有効とならない場合について教えてほしい  営業職を募集する際に、求人サイトには固定残業代として36時間分の外勤手当を支給する旨を明示して、採用しました。採用後も、外勤手当が固定残業代であることは定期面談の際に説明をしています。  採用後に固定残業代を超えて働くことがほとんどなかったので、残業代を支給してこなかったのですが、退職後に、固定残業代は有効ではないと主張して、在籍中の割増賃金を請求されてしまいました。  請求に応じて全額を支払わなければならないのでしょうか。 A  固定残業代が有効と判断されるか否かは、就業規則や雇用契約の規定が重要ですが、規定がない場合であっても、明確に区分することができていれば、固定残業代として有効と判断される可能性があります。ただし、36時間という時間外労働と大きな乖離がある場合には有効と判断されないおそれがあります。 1 固定残業代の法的性質  固定残業代については、正確な理解がなされていないことが多く、これが無効となってしまったときのリスクも正しく認識されていないように感じています。  よくある間違いとしては、固定残業代は、どれだけ時間外労働、休日労働、深夜労働をしたとしても、「固定額以上の金額を支払わなくてよい」と理解している例です。固定額で働かせ放題になるという賃金体系を労働基準法は許容していません。また、固定残業代が無効とされた場合には、@過去の割増賃金の既払い分への充当が否定される、A割増賃金の基礎となる賃金に固定残業代相当額が付加される、B付加金の支払を命じられる可能性がある、といったリスクがあります。  判例上、一定の要件を基にかろうじて許容されているのが固定残業代です。前払いしている割増賃金が労働基準法が定める割増賃金の最低基準額を超えているかぎりで労働基準法に違反するものではないとされています。したがって、固定額で時間外労働などをさせ続けることができるわけではなく、固定額が時間外労働などで支払うべき割増賃金を超えないかぎりで許容されるにすぎず、超過した場合には、超過部分を支払う義務は消滅しないということになります。 2 固定残業代の有効要件  固定残業代の有効要件について、最高裁平成30年7月19日判決(日本ケミカル事件)は、「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべき」という判断基準を示しました。この判断基準を示すにあたって、原審が示した割増賃金の金額を正確に把握し続ける仕組みや基本給と定額残業代の金額のバランスの適切さなどは必須ではないとも明言されています。  固定残業代の有効要件として、@基本給と残業代が明確に区分されていること(明確区分性)、A固定の手当が実質的に時間外労働の対価の趣旨で支払われていること(対価性)、B固定残業代を超える割増賃金について差額を支払う旨の合意(清算合意)が必要、という考え方があります。  これらのうち、@については、基本給と残業代が明確に区分されていなければ、どの範囲が割増賃金の前払いであるものか否か不明となるため、必須の要件として理解されています。次に、Aについては、たしかに最高裁判例が「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否か」という表現がなされていることから、対価性という要件が必要と考えられることがありますが、この内容は明確区分性の要件と重なる部分が大きく、明らかに対価性を欠く場合(割増賃金としての性質以外の対価が含まれた曖昧な手当である場合)には問題となり得るものの、そのような場合以外には要件としては機能しづらいと考えられます。最後にBの清算合意については、過去の判例(平成24年3月8日判決〈テックジャパン事件〉)の補足意見で、固定残業代では割増賃金に対する支払いが不足する場合における清算の実施を重視していたことを受けたものですが、その後の最高裁判例をみても清算合意が必須とはされていません。 3 裁判例の紹介について  このような状況のなか、就業規則や雇用契約において、「外勤手当」を固定残業代として取り扱っていたことが、固定残業代として有効であるか判断した裁判例があります(大阪地裁堺支部令和3年12月27日判決〈株式会社浜田事件〉)。  この裁判例において労働者側からは、上記の@からBが固定残業代の有効要件であると主張されましたが、裁判所は@のみが必須の要件であることを前提として、日本ケミカル事件が示した判断基準を基に固定残業代の有効性を判断しました。  その際に、求人募集において時間数(36時間分)および残業時間が36時間よりも少なくても減額することはない旨が明示されていたこと、入社面接時に説明し、入社後も年2回の定期的な面接の際において「外勤手当」は36時間分の時間外労働の割増賃金を含んでいることについてモニターに資料を示しながら説明していたこと、給与明細において外勤手当をほかの手当と区分して支給していたことなどを総合的に考慮し、就業規則の規定や雇用契約書の規定がなくとも、固定残業代が有効であると判断しました。  また、固定残業時間を超えていた月が若干あったところ、超過していた時間数に相当する割増賃金およびそれに対する付加金についてのみ支払いが命じられました。なお、固定残業時間との乖離が激しい場合には、固定残業代の有効性が否定される場合があり得ることも日本ケミカル事件では触れられているため、乖離しないように留意するか、必ず超過部分の支払いを実施するなどの対応は必要でしょう。  このように明確区分性のみに依拠(いきょ)して判断をしている事例はほかにもあり(大阪地裁令和3年1月12日判決)、近年の裁判例における一つの傾向ともいえそうです。 第55回 自動車通勤の年齢制限、飲食方法に起因した懲戒処分の可否 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 自動車通勤に年齢制限を設けることはできるのでしょうか  当社では通勤の負担を減らすため、在宅勤務もしくは自動車による通勤を認めています。「自宅のネットワーク環境が在宅勤務に適さない」という理由で、65歳のある社員から自動車通勤の申出がありました。自動車通勤に一定年齢の制限を設けることはできるのでしょうか。高齢者を含む自動車通勤を許可するために必要な管理があれば、教えてください。 A  年齢により一律に通勤方法を制限することは、不合理な労働条件の変更または差別的取扱いとして許されません。個別の状況をふまえて、就労継続が可能な環境を整えることを前提に、自動車通勤による危険性と比較考量したうえで個別に許可しない方法をとることは可能と考えられます。 1 自動車通勤の制限  通勤は、労働者による労務提供の前提となる義務であり、その方法は原則として自由です。ただし、通勤手段を就業規則において定めておく場合、その内容が合理的な内容であれば、労働契約の内容となり、労働者にはそれにしたがって通勤する義務が生じます。例えば、公共交通機関を用いるように規定している場合には、それにしたがう義務があると考えられます。  今回のケースでは、ネットワーク環境が在宅勤務に適さないことを理由に、65歳の社員が自動車通勤を希望したとのことです。就業規則において、自動車通勤を認めており、これを許可するための条件について特段の制限を設けていなければ、これを許容しないということは許されないと考えられます。  ネットワーク環境が適さない状態にあるということは、会社は在宅勤務用に自宅のネットワーク環境を整備しておらず、社員が自宅に用意しているネットワーク環境を利用させていると思われます。ネットワーク環境の改善を求めることは、私的な契約関係や費用を当該社員に負担させることにつながります。たとえ、労働契約関係があるといえども、このような私的な契約関係まで変更することを求めることはできないでしょう。ネットワーク環境が不適切なままであれば、作業効率が低下し、Web会議などへの参加も困難またはスムーズなやり取りができないなどの支障が生じ、そのことが自身の人事評価に直結するおそれもある以上、ネットワーク環境が整わないまま、自動車通勤ではなく、在宅勤務を行うように命じることもできないと考えられます。  したがって、就業規則において自動車通勤を認めながら特段の制限も行っていないときは、当該社員のみ自動車通勤を拒み、労務提供の方法を在宅勤務に制限することはできないと考えられます。 2 高齢者などの自動車通勤の一律制限  一定の年齢を基準として、自動車通勤を行わせることを一律に制限することは可能でしょうか。  高齢ドライバーによる交通事故が報道される機会もあり、運転免許証の返納などの話題も広く知られるようになってきました。事故の程度が大きければ、在籍している会社も報道の対象となる可能性があります。運転免許証の返納制度を利用しているのがほとんど高齢者であることからもわかるように、加齢とともに動体視力や判断力が低下することにより、自動車事故の発生確率が上昇する関係にある以上、年齢による制限の必要性自体は肯定できそうです。  しかしながら、このことによって受ける不利益の程度が大きければ、就業規則において自動車通勤の年齢制限を設ける変更は、就業規則の不利益変更として無効になる可能性があります。  高齢者に一律の自動車通勤制限を設けることは、労働者にどのような不利益を生じさせることになるでしょうか。  例えば、公共交通機関による通勤が困難な場所に会社が所在している場合は、事実上、在宅勤務以外に選択肢がなくなるおそれがあります。在宅勤務に適した環境ではない高齢者にとっては、労務提供自体が困難になる可能性があります。  また、自動車運転の能力が一定年齢で一律に喪失すると考えられているわけではありません。免許の返納制度を見ても、人それぞれのタイミングで返納を自主的に判断するものとされ、一定年齢に到達した際の義務とはされていません。  そのため、一定の年齢のみを基準として、一律に自動車通勤を禁止することは、その不利益の程度が大きく、就業規則の変更に合理性が肯定されず、そのような変更は無効になる可能性が高いと考えます。 3 高齢者による自動車通勤に対する安全管理  高齢者による自動車事故のおそれを根拠とした自動車通勤の制限の必要性自体は肯定できるものの、年齢による一律の制限は不利益の程度が大きいと考えられます。高齢者による自動車通勤のリスクもふまえた安全管理については、許可の条件を工夫する必要があると考えられます。  抽象的な高齢者による自動車事故の危険性を根拠とする一律の年齢制限ではなく、具体的な自動車事故の危険性まで把握したうえで、個別に自動車通勤を制限することは可能と考えられます。  例えば、年齢ではなく、持病の治療などのために服用している薬とその副作用の内容などを把握して、副作用による危険運転のリスクがないことを許可の要件とする方法があります。また、高齢者となってから交通事故を起こしている場合や、視力や動体視力などの運転のために必要な基礎的な能力をテストしたうえで一定の基準に満たない場合など、自動車事故の危険性を具体的に根拠づける事情に基づいて許可要件を定めるといった方法も考えられます。これらの事情に該当する労働者(高齢者にかぎらず、雇用形態の相違も問うべきではありません)については、個別に自動車通勤の許可を出さないという制限を行うことは、年齢による一律の制限ではなく、具体的な危険性を基にしたものとして有効となる可能性があると考えられます。  ただし、自動車事故歴や薬の服用歴は、個人情報(薬の服用歴は要配慮個人情報)に該当するため、社員に対して業務上の必要性を説明して、利用目的を通知したうえで(薬の服用歴は本人の同意を得て)取得して、利用することが適切です。 Q2 飲食でデスク周りを汚してしまう社員に困っています  当社では社内での飲食を特に禁止していないのですが、ある社員の食べ方が汚く、ゴミや食べかすが常にデスク周りに散乱してしまっています。  当該社員に対してのみ、業務命令として飲食を禁止することは可能でしょうか。また、命令に従わない場合の懲戒処分は可能でしょうか。 A  当該社員の飲食により執務環境が害されることを根拠として、企業秩序の維持および施設管理権の行使として、業務命令および当該命令に違反に対する懲戒処分を行うことは可能と考えられます。  また、当該社員のみを対象とすることについては、ほかの社員との公平性の観点から問題となりえますが、デスク周りの汚損の状況をふまえたうえで、汚損などの状況が顕著であれば、企業秩序の維持および施設管理の観点から合理性があると認められ、懲戒権の濫用とはならないと考えられます。 1 業務命令および懲戒権の根拠について  業務命令および懲戒権を実行するためには、労働契約および就業規則に根拠を求めることが一般的です。しかしながら、「社内における飲食を禁止する」といった個別具体的な禁止規定を服務規律に定めていない場合も多いのではないでしょうか。  それでは、個別具体的な禁止規定がなければ、業務命令や懲戒権の行使はまったくできないのでしょうか。例えば、厚生労働省のモデル就業規則には「その他労働者としてふさわしくない行為をしないこと」などの抽象的な服務規律規定が定められていますが、このような規定を根拠として、今回のような行為を業務命令や懲戒権行使の対象とすることはできないのでしょうか。  これまでの最高裁判例においても、服務規律や企業秩序の維持、会社に帰属する施設管理の権限が懲戒権の根拠となることを複数の事件で肯定しています。  例えば、「労働者は、労働契約を締結して企業に雇用されることによって、企業に対し、労務提供義務を負うとともに、これに付随して企業秩序遵守義務その他の義務を負う」と判示し、労働契約の付随義務としての企業秩序遵守義務を肯定している事件(最高裁昭和52年12月13日判決。富士重工業事件)や、企業の施設管理に関して「職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、その物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的な規則をもって定め、又は具体的に指示、命令すること」ができ、これに違反する者がある場合には制裁として懲戒処分を行うことができる旨を判示している事件(最高裁昭和54年10月30日判決。国鉄札幌運転区事件)もあります。  したがって、これらの判例における判断を前提にすると、労働契約や就業規則に個別具体的に明記された規定がない場合であっても、企業秩序の維持や企業の施設管理に必要な範囲において、業務命令や当該命令への違反に対する懲戒権の行使が可能であると考えられます。  なお、これらの判例について、個別具体的な根拠なく業務命令や懲戒権行使の対象とされることから労働者の予測可能性を失わせ、労働者の行動を萎縮させることになるとして、批判的な見解もあります。  しかしながら、あらゆる状況を個別具体的に想定して規定しておくことが現実的には困難であることからすれば、就業規則において、少なくとも「その他労働者としてふさわしくない行為をしないこと」といった抽象的であるとはいえ、企業秩序の維持が労働者の義務として設定されているのであれば、業務命令や懲戒処分の対象とすることは可能と考えられます。 2 業務命令や懲戒権の限界について  企業秩序の維持や施設管理を根拠として、業務命令および懲戒処分が可能であるとしても、どのような場合においても業務命令および懲戒処分ができることにはなりません。  まず、業務命令について、企業秩序の維持との関連性や施設管理の必要性がなければならないと考えられます。次に、懲戒処分に関しては、労働契約法15条において、「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする」と定めています。したがって、懲戒権を行使する場合においては、「客観的に合理的な理由および社会通念上の相当性」が備わっていなければならず、特に社会通念上の相当性との関係から、ほかの労働者との公平性が確保されていなければならないと考えられています。  当該社員のみを対象とすることは、公平性の確保の観点から問題になります。そのほか、懲戒手続に至るまでに本人の弁明の機会を与えるべきといった手続的な相当性や懲戒処分により生じる不利益の程度と違反事由の重大性のバランスなどが考慮されて、懲戒処分の有効性が判断されることになります。 3 対処方法について  一般的に社内における飲食を禁止しているわけではない状況で、当該社員のみを業務命令の対象としたうえで、是正されない場合に懲戒処分ができるでしょうか。  重要であるのは、企業秩序維持および施設管理との関連性およびその具体的な必要性が肯定できるか、また、客観的な根拠をもってこれらを証明することが可能であるかといった点にあります。  社内における飲食を禁止していないのであれば、これが当然に企業秩序維持に支障をきたすとは考えられません。ただし、社内で飲食したことによって当該飲食を原因として施設や設備で汚損が生じ、通常以上に清掃する時間を要した、汚損によってほかの労働者の業務に支障が生じたといった事情があれば、企業秩序維持および施設管理との関連性および業務命令の必要性が認められそうです。  また、施設や設備が汚損していたときは、懲戒処分の根拠とするのであれば、数日分の状況を写真撮影しておき客観的に証拠を確保しておくべきでしょう。その程度がほかの従業員との相違が明白であることも示すことが適切です。  このような状況が客観的に確認できれば、業務命令により是正する必要性が肯定されると考えられますので、業務命令を行ったうえで、当該命令違反に対する懲戒処分も有効に行うことが可能であると考えられます。  ただし、懲戒処分の種類については、違反による損害が甚大であるとまではいえないかぎりは、戒告などの軽微な懲戒処分にとどめる必要があると考えられます。 第56回 定年後の継続雇用の拒否、休日の移動をともなう出張と労働時間 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 勤務態度などを理由に、定年退職後の継続雇用をしない場合の留意点について知りたい  退職を迎えようとしている従業員について、横暴な態度が見えるなど周囲の従業員にも悪影響が出ています。定年退職後に継続雇用しないことも視野に入れているのですが、継続雇用をしない場合、どのような点に留意すべきでしょうか。 A  定年後の継続雇用においては、解雇に相当する事由または退職事由に該当する事情がなければ、原則として、雇止めをすることはできません。改善の機会がないことが客観的に裏づけられるような指導などを経ておかなければ、雇止めは有効にはなりがたいといえます。 1 定年後の再雇用における地位  高年齢者については、高年齢者雇用安定法により65歳までの雇用確保措置が義務づけられており@定年の延長、A継続雇用制度、B定年の廃止のいずれかの措置を取る必要があります。  これらのうち、継続雇用制度に関しては、心身の故障のため業務に堪えられないと認められること、勤務状況が著しく不良で引き続き従業員としての職責を果たし得ないことなど、就業規則に定める解雇事由または退職事由(年齢にかかわるものを除く)に該当する場合には、継続雇用しないことができるとされています。ただし、客観的かつ合理的な理由と社会通念上の相当性が求められることは、通常の解雇と同様です。  逆にいえば、解雇事由または退職事由に該当する程度の事情がないかぎりは、65歳までは雇用しなければならないともいえます。  とすると、ご質問にあるような事情があるとしても、解雇事由があり、それが客観的かつ合理的な理由として認められて、解雇という重大な処分が社会通念上相当と判断される必要があります。 2 継続雇用の拒否に関する裁判例  継続雇用の労働者について、労働契約を更新しないことが許容された裁判例を紹介し、どの程度の事情がなければならないのかみていきたいと思います。  紹介するのは、横浜地裁川崎支部令和3年11月30日判決です。事案の概要は、入社後1年間の有期労働契約を17回更新した後、無期転換権を行使して無期労働契約となっていたコールセンターに従事する労働者を、定年を迎えたときに継続雇用することなく、労働契約を終了したことが違法となるか争われたというものです。  会社が、継続雇用をしなかった理由は、誠実に職務を果たさなかったことや、みだりに自己の意見をもって業務上の処置をしないことといった就業規則に定められた服務規律に違反し、改善指導にもかかわらず、反省や改善が認められないことでした。  会社の対応マニュアルにおいては、「意見を尊重し誠実な対応を心がけるもの」とされており、私見を述べないこと、迷惑電話はていねいに断ること、何度もかかってくる場合には上司に対応を依頼すること、わいせつな内容に発展するおそれのある電話は、モニター依頼を発信し、転送を実施することなどが詳細に定められていましたが、当該労働者は、コールセンター業務を行うなかで、架電者に対して「お客さまも失礼でございますね、私に対して」、「あなたは失礼だ」、「ニュースをご覧になるとわかると思います。ニュースをご覧ください」、わいせつな電話を転送せずに「セクハラですね。警察にいうとあなたは捕まりますよ。こちら逆探知できるんですよ。あなたはもう犯罪者ですね」と返答するなど、不適切な言動をくり返していました。  これに対して、会社が業務指導として、架電者から罵詈雑言(ばりぞうごん)が出ても、売り言葉に買い言葉にならないように上司に転送するよう指導したり、感情が高ぶったときの対応を考えるために外部講師からの指導を企画したところその指導を拒否し、その後の業務指導に対しても「これまでの経緯を含め、インターネットにあげる。しかるべき場所で今回のやり取りを公開する」と対応するなど、誠実に指導に応えることなく推移していました。  定年が近づく時期においても、会社が業務指導を継続するために通知書を交付しようとすると、責任者の記載や押印がないことを理由に拒絶したうえで、労働組合などの団体および弁護士の同席がないかぎりは指導を受けるつもりはないとの回答に終始しました。最後に指導の面談を行った際にも、改善の指導には従わないと回答しました。  裁判所は、この労働者の架電者に対する対応について「中にはそれ1つを取り上げれば比較的些細なものとみ得る余地があるとしても、それが度々繰り返されるものであった以上、原告の電話対応の問題や不適切さを示すものにほかならず、全体を総合してみれば被告が策定したルール及び就業規則に反するといわざるを得ない」と判断して、解雇事由に該当することを肯定しました。  また、「再三にわたり被告からルール違反等を指摘され注意・指導を受けながらも、自己の対応が正当であるとの思いから、指導を受け入れて改善する意欲に乏しく、指導を受け入れずに勤務を続けていた」ことや、外部講師による指導に関して「研修内容が適切でないとするのは、原告の専ら個人的な意見であるというべきであり、自己の意見に反するからという理由で研修を受けないということは改善意思の欠如の現れとみることができる」とし、「複数回にわたり被告の指導に応ずるように命じられているのに、同様の理由であるいは些細な点を指摘しては指導を受けることを拒み続けていた」として、指導に応じる意思がないものと判断したことには理由があるとしています。  結論においても、「高年齢者雇用確保措置の実施及び運用に関する指針」に照らして、「勤務状況が著しく不良で引き続き従業員としての職責を果たし得ないこと等就業規則に定める解雇事由に該当し、継続雇用しないことについて、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であるというほかはない」として定年後の再雇用拒否が肯定されました。 3 定年後再雇用拒否が肯定された主な理由  紹介した裁判例においては、一つひとつの違反事由は必ずしも大きなものではなく、むしろ些細な出来事といえるようなものも含まれていました。それにもかかわらず、解雇事由に該当し、さらには、客観的かつ合理的な理由および社会通念上の相当性が肯定されたのは、小さな違反であっても、指導を積み重ねていたことにあるといえます。  指導しようとしても拒絶されるということがくり返される場合でも、拒絶の理由が正当なものでなければ、改善の意思がないというマイナス評価につながります。労働組合や弁護士の同席を強く求めていましたが、指導自体を拒絶する理由にはならず、指導後に労働組合や代理人となった弁護士との協議や交渉を会社が拒絶したときにはじめて問題となるにとどまります。  会社が、改善するはずがないと決めつけてしまって指導もしていなかった場合には、指導を拒絶する態度は明らかにならず、改善の可能性があるかどうかの判断ができないまま、再雇用を拒否することになり、そのような場合は再雇用拒否が有効になるとは考えがたいところです。 Q2 休日の移動をともなう出張における労働時間の取扱いについて教えてほしい  宿泊をともなう遠方への出張(直行直帰)があったのですが、出張先に到着するまでの移動時間は、労働時間になるのでしょうか。また、出張中の移動日に休日が含まれていたのですが、休日出勤手当の支払い義務は発生するのでしょうか。 A  出張先に到着するまでの時間は、原則として労働時間にはなりません。また、休日の移動をともなう場合であっても、出張中の移動時間は、原則として労働時間に該当しません。  会社からの別段の指示として、物品の監視などが命じられていた場合には、例外的に労働時間に該当する場合があります。 1 通勤時間、出張の移動時間の労働時間該当性  判例によれば、労働基準法にいう労働時間とは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではないと解するのが相当」と考えられています(最高裁平成12年3月9日判決、三菱重工長崎造船所事件)。  判例がいうところの、「指揮命令下」にある状況であれば労働時間に該当しますが、労務提供の準備に相当する通勤時間は、原則として、労働時間に該当するとは考えられていません。このことは自宅から会社に向かう出勤のときでも、会社から帰宅するための時間のいずれでも同様です。その主な理由は通勤時間中の時間は、業務遂行に従事する必要はなく、その時間を自由に利用することができることから、指揮命令下にあるとはいえないことにあります。  そして、出張に向かうために必要な時間も、就業場所に向かうために必要な時間という性質は通勤時間に類似するものと考えられています。  遠方への出張で時間を要する場合には、出張すること自体が労働時間の始まりであるかのようにも思うかもしれませんし、意識としては出発の段階から仕事のつもりで取り組むことはあるかもしれません。  しかしながら、出張の目的は、出張先において会社の業務を遂行することにあり、その移動時間まで業務遂行に充てることが必ずしも求められません。  裁判例では、基本的には出張中の移動時間について、具体的な指揮命令がないかぎりは労働時間に該当しないことを前提に、例外的に、納品物の運搬それ自体を重要な出張の目的としていた場合にかぎり、労働時間性を肯定しているものがあるにとどまります(東京地裁平成24年7月27日判決、ロア・アドバタイジング事件)。 2 出張中に行われる休日の移動と労働時間該当性  ご質問では、出張中の移動に休日が含まれており、休日労働手当(割増賃金)の支払いが必要になるか懸念されています。結論を出すためには、この移動時間が労働時間に該当するか否かが問題となります。  過去の裁判例では、移動時間中の時間利用の方法が拘束されていないかぎりは、たとえ海外出張の移動時間に休日を利用する場合であったとしても、労働時間として扱わないという傾向にあります。例えば、韓国への出張に要した移動時間について、労働協約において「所定就業時間外及び休日の乗車(船)時間は就業時間として取扱わない」旨定められていた事例において、当該規程を有効と認め、「移動時間は労働拘束性の程度が低く、これが実勤務にあたると解することが困難」であると判断された事例があります(東京地裁平成6年9月27日判決、横河電機事件)。前述の労働時間の定義を示した最高裁判例においては、当事者間の合意などの主観的事情により労働時間性が定まるものではないとされていることからすると、当事者間の労使協定の有無を重視するのではなく、移動時間の労働拘束性の程度が低いことが重要といえるでしょう。  行政解釈においても同趣旨が示されており、「出張中の休日はその日に旅行する等の場合であっても、旅行中における物品の監視等別段の指示がある場合の外は休日労働として取り扱わなくても差し支えない」として、出張中の移動時間について原則として労働時間性を否定しています(昭和23年3月17日基発461号、昭和33年2月13日基発90号)。  そのため、例外的に休日の移動時間が労働時間に該当するのは、納品物の運搬それ自体が目的である場合や物品の常時監視等別段の指示が与えられていた場合にかぎられるでしょう。 3 休日の移動などに対する実務的な対応について  休日の移動時間が労働時間に該当しないとしても、労働者の立場からすれば、あくまでも労働拘束性が低いにすぎず、完全に自由な利用であるかといわれるとそういうわけではありません。労働時間に該当しないからといって、何も支払ってはならないというわけではなく、使用者が任意に手当などを支給することは問題ありません。遠方への出張が多い業務に対応するような労働者からすれば、いかに労働拘束性が低いといえども、家族と過ごす時間や完全に自由な休日は減少しているため、ほかの労働者との不公平感を生じさせることを無視するのは、モチベーションの低下や離職の動機にもつながり得策ではありません。  多くの企業では、出張手当や日当の支給などにより出張による不利益を緩和するような措置を取っており、休日の移動についてもこれらの手当を支給する対象日としてカウントするといった配慮をすることは適切といえるでしょう。 第57回 定年後の再雇用合意の解除、労働組合と労働者性 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 定年後の再雇用について合意していた場合、その合意を解除することができるのか教えてほしい  定年後に再雇用を合意していた労働者が、定年を迎えるまでの間に懲戒処分に該当する行為を行っていたことが発覚しました。合意を解除して再雇用することなく労働契約を終了しようと思うのですが、問題ないでしょうか。 A  定年後の継続雇用においては、解雇に相当する事由または退職事由に該当する事情がなければ、原則として、雇止めすることはできません。懲戒処分対象の行為があったとしても、その行為が解雇相当といえるものでなければ、再雇用の合意を取り消すことはできません。 1 定年後の再雇用に関する合意の時期  高年齢者雇用安定法で義務づけられているのは、@定年の延長、A継続雇用制度、B定年制の廃止のいずれかですので、どのようなタイミングで、継続雇用の条件を定めるかなどは、特に規制がありません。  一般的には、定年退職する時期の直前に、定年後の再雇用に関する合意をすることが一般的でしょう。しかしながら、定年後の再雇用に関する条件や制度が整っていない場合(例えば、初めての定年後再雇用の場合など)は、定年前の段階で、ある程度再雇用後の労働条件について、協議を進めておき、再雇用後の労働条件をあらかじめ合意しておく場合もあります。  このように、継続後再雇用の合意をしていた場合、定年退職を迎えるまでに継続雇用を阻害する事情が生じることがありえますが、このような場合に、継続雇用に関する合意を覆すことができるのでしょうか。 2 懲戒処分と再雇用に関する裁判例  継続雇用対象者に懲戒事由が発覚したときに再雇用しないことが許されるか判断した裁判例をご紹介します(富山地裁令和4年7月20日判決)。  事案の概要は、コロナ禍において、自宅待機命令に反して外出し、また、会社が配布していた除菌水を、会社が配布していた以上の数量(合計80リットル)を持ち帰る行為を複数回行ったことから、懲戒処分相当と判断して譴責処分を科したうえで、継続雇用の合意を解除して労働契約を終了させたことが違法となるか争われたというものです。  当該裁判例は、「解雇事由または退職事由に該当するような就業規則違反があった場合に限定して、本件合意を解除し、再雇用の可否や雇用条件を再検討するという趣旨であると解釈すべき」と判断しました。  会社が、継続雇用合意を解除した原因は、@自宅待機命令という業務命令に違反したこと、A除菌水80リットルを会社の許可なく持ち帰るといった行為があり、B会社の備品を無断で私的に利用していたこと、C人事評価において当該会社が定める普通水準に達していなかったことなど多岐にわたります。  これらのうち、B会社設備の私的利用については、解除の判断をしたときよりも後に生じた事情であったことから、解除の根拠にすることはできないと判断されています。当然のことのようにも思われますが、実務で相談を受けていると、解除後に解除の効力による影響が生じるまでに生じた事情を考慮して有効となるよう期待するというのはよくあります。今回のケースでも、解除の判断から定年による契約終了までは3カ月程度の期間があり、その間に発覚した事情を解除の原因として考慮したというものでした。しかしながら、法的な効力の判断としては、解除や解雇の原因は、法的効力が発生するタイミングまでの事情を考慮するのではなく、解除や解雇の通知をしたときに存在していなければなりません。そのため、解除や解雇通知を行うときには、それ以降に原因となり得る事情が生じたとしても考慮することはできませんので、判断するときには解除の原因と判断した根拠資料などを整理しておく必要があります。  C人事評価を理由として定年後に継続雇用をしたくないというのも、法律相談でもよくあります。しかしながら、このような事情についても、普通解雇が認められる程度の勤怠不良や著しい能力不足がなければならないということになります。本件では、「せいぜい標準をやや下回っているという程度」と判断されており、解雇事由や退職事由に相当するほど著しく不良であるとはいえないとされました。  なお、@およびAについて、懲戒処分の程度としても譴責(けんせき)処分にとどまっており本人が事実を認めて反省の弁を述べ、始末書を提出していることや、その後に同様の行為がなかったことからも、解雇事由に相当する事由があったとはいえないと判断されています。 3 継続雇用に関する労使協定の効力  会社は、2012(平成24)年に行われた高年齢者雇用安定法の改正前に労使協定を締結していれば、継続雇用の対象となる労働者の基準を定めて、当該基準に即して判断することが可能とされています。しかしながら、これらは老齢厚生年金の受給開始年齢までの収入を確保することにあり、当該受給開始年齢までの継続雇用は求められる内容となっており、受給開始年齢に至らない労働者は対象となりません。  今回紹介した裁判例では、対象となっていた労働者が、基準年齢に達していないにもかかわらず、会社の就業規則および労使協定に照らして、継続雇用の対象となる労働者を限定できる(普通水準に達していなければならない)という主張をしていました。法律による公的な基準は、私的な合意には効力を及ぼさないといった趣旨で主張されていたものですが、裁判所は、このような主張を否定し、基準年齢に達していない労働者には、労使協定の効力は及ばないと判断しました。  就業規則等による私的な合意の効力を認めてしまうと、高年齢者雇用安定法の趣旨を没却するというのがその理由ですが、高年齢者雇用安定法が強い意味を持つことがあるという点は、留意しておくべきでしょう。 Q2 業務委託契約者が労働者に該当する場合があるのか知りたい  業務委託契約を締結しているフリーランサーが労働組合に加入し、団体交渉を申し入れてきました。契約の内容が業務委託契約である以上、団体交渉を拒否しても問題ないでしょうか。 A  労働組合法に定める労働者に該当する場合には、団体交渉に応じる必要があります。業務委託契約という形式だけではなく、労働者として保護に値するかという観点から判断されることに留意が必要です。 1 労働組合と団体交渉  労働契約を締結している労働者には、団結権(憲法第28条)が認められており、労働組合に加入したときには、労働条件などについて、団体交渉を申し入れることができます。通常、労働者は使用者と比較して立場が弱く、一対一で労働条件などを交渉することは困難であることから、労働者が団結することによって、対等または対等に近い立場となることで、使用者に誠実な交渉を遂行することをうながすためにこのような権利が認められています。  労働組合法は、労働組合による行動について、法的な保護を与えており、その一つが団体交渉の申入れであり、これを拒絶すると、不当労働行為という違法行為と評価されることになります(同法第7条2号)。団体交渉を拒絶された労働組合は、労働委員会へ救済申し立てを行うことができます。労働委員会においては、労使双方の主張をふまえたうえで、不当労働行為に該当する場合には、それを是正するための命令を行うことになっています。  とはいえ、この労働組合による保護を受けるためには、労働組合法が定める「労働者」でなければならず、その典型的な例は、労働契約を締結している労働者ということになります。 2 業務委託契約と労働者性  労働委員会は、これまでに、業務委託契約など労働契約以外の契約を締結しているような場合でも、労働者性を認めて、団体交渉に応じるように命じたことがあります。  直近の事例では、ウーバーイーツの配達パートナーたちが労働組合(ユニオン)を結成し、団体交渉の申し入れを行った事例で、配達パートナーの労働者性が認められています(東京都労働委員会令和4年10月4日命令)。  ウーバーイーツでは、アプリを用いて、配達を希望する顧客と配達パートナーを結びつけ、例えば、店舗の近くにいる配達パートナーが受託して、顧客の元へ配達することで、報酬を得ることができるという関係にあります。この関係は労働契約ではなく、各種のアプリの利用などを根拠づける合意によって法的な関係を成立させていました。ここでは、「デジタルプラットフォーム」において、運営事業者が提供するアプリを通じて、役務(労務)の提供を行う就労者の労働者性が争われています。  東京都労働委員会は、「労組法は、『労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること』を目的の一つとしている(第1条)。この労組法の趣旨および性格からすれば、同法が適用される『賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者』(第3条)に当たるか否かについては、契約の名称等の形式のみにとらわれることなく、その実態に即して客観的に判断する必要がある」として、デジタルプラットフォームにおける労働者性の判断について、「シェアリングエコノミー上のプラットフォームを提供する事業であっても、その実態において、利用者がシェア事業者に対して労務を供給していると評価できる場合もあり得る」としています。  労働者性の判断において考慮される事情として、@事業組織への組み入れ、A契約内容の一方的・定型的決定、B報酬の労務対価性、C業務の依頼に応ずべき関係、D広い意味での指揮監督下の労務提供、一定の時間的場所的拘束、E顕著な事業者性の有無などがあげられます。  まず、@事業組織への組み入れについて、飲食物を受領した後のキャンセルや飲食店と顧客により評価されるシステムは最低評価平均という基準を通じてアカウント停止措置が示唆されていることで、一定以上の水準を確保しようとしていること、ロゴの入った配達用バッグを使用することが多数であることから第三者に対し組織の一部として扱っているといえることなどから、労働力として組み入れられているとされています。  次に、A契約内容の一方的・定型的決定について、定型の契約書を用いて配送料などを含めて個別の交渉がなされず、プラットフォームの仕組みや運用は運営会社(以下、「ウーバー」)側が一方的に決定し、契約内容が一方的・定型的に決定されており、B報酬の労務対価性について、ウーバーが配送料を配達パートナーへ支払っており、キャンペーン中の配送料0円のときは注文者に代わってウーバーが配達パートナーへの配送料を負担しており、実態としてはウーバーが配達パートナーへ配送料を支払っているとみるのが相当であるとされました。  さらに、C業務の依頼に応ずべき関係については、配達リクエストに3回連続して応諾しないと自動的にオフラインになる設定があり、配達先を事前に示しておらず、応諾して配達先を知らされた後に拒否しづらい状況にあること、D広い意味での指揮監督下の労務提供等については、配達パートナーガイドを遵守して、一定の場合には待機することや所定の対応をするよう求められていること、トラブル発生時にはサポートセンターに連絡することが求められ一定の指示を受けることがあること、ガイドや評価次第ではアカウント停止措置があることなどから、広い意味での指揮監督はあったものといえるとされています。  最後に、E顕著な事業者性について、配達パートナーは、配送事業における損益についてリスクを負担しているとはいえないこと、他人を雇用して事業を拡大することは禁止されていることなどから顕著な事業者性があるとはいえないと判断されました。  労働委員会は、これらの事情を総合して、ウーバーイーツの配達パートナーは、労働組合法における「労働者」と認めるべきであると判断しています。 3 労働基準法の労働者性との相違について  労働委員会の判断は、労働組合法に定める「労働者」に該当するという判断であり、団体交渉に応じるなど、労働組合としての権利を認めるという内容にとどまります。このことは、労働基準法に定める「労働者」と完全に一致するわけではなく、労働時間管理をして時間外労働の割増賃金を支払う義務が生じるとか、そのほかの労働関係法令に従い安全配慮する義務が当然に生じるというものではありません。  「労働者」という同じ用語であっても、法律の趣旨や目的に応じてその範囲が異なるという現象がここでは生じており、いかなる手続きでどの法律に基づいて判断されたかによって、その法的な影響は異なるという点には留意する必要があります。 第58回 エイジフレンドリーガイドラインの詳細、中小企業の割増賃金と代替休暇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 高齢労働者が働く際の安全配慮について知りたい  人手不足を解消するためにも、高齢労働者の活用が必要だと考えていますが、職場環境や安全面で気をつけることはありますか。 A  加齢とともに労災リスクが増大する傾向があるため、エイジフレンドリーガイドラインを参考にしつつ、高齢労働者に対する安全配慮を尽くしておくことが求められます。 1 エイジフレンドリーガイドライン  厚生労働省は、労働災害による休業4日以上の死傷者数のうち、60歳以上の労働者が占める割合が増加傾向にあることなどから、高齢労働者向けの労働災害防止の指針として「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(通称:エイジフレンドリーガイドライン)を定めています。  事業者に求められる事項として、五つの事項(図表1)が定められています。 2 安全衛生管理体制の確立等および職場環境の改善  安全衛生管理体制の確立等の観点からは、経営トップから高齢労働者の労働災害防止に取り組む姿勢を示すことが、安全意識を高めることにつながります。そのほか、産業医を中心とした産業保健体制の活用などをふまえた組織内の体制を整えることも求められています。  また、危険源の特定などのためにリスクアセスメント(リスクを把握して、対策の優先順位を検討すること)を実施することも求められています。多くの場合は、危険源を洗い出してリストアップして、それぞれの項目の危険度と発生の可能性を考慮して、分析していくという手法がとられます。  職場環境の改善の観点からは、身体機能の低下を補う設備・装置の導入(ハード面)と高齢労働者の特性を考慮した作業管理(ソフト面)の対応が求められています。  ハード面については、図表2のような事項、ソフト面については図表3のような事項があげられています。 3 健康や体力の状況の把握とそれに応じた対応  雇い入れ時および定期の健康診断を確実に実施することが重要視され、特定健康診査などを受ける意思を高齢労働者が有している場合には、そのための勤務時間変更や休暇の取得などの対応をすることや、法令における健診義務の対象外であっても健康診断の対象として対応すること、産業医や保健師などとの相談体制を整備することなどがあげられています。また、日常的なかかわりのなかで把握することも重要です。  体力の把握は、高齢労働者を対象とした体力チェックを実施することが推奨されています。体力チェックのなかでは、加齢による心身の衰え(フレイルチェック)を導入することや「転倒等リスク評価セルフチェック票」(厚生労働省が公表しているもの)を活用することが想定されています。  把握した健康や体力の状況は、それを活かして就業上の措置を講じることとされており、加齢にともなうリスクの増大をふまえて、労災認定基準にも照らしつつ、過重な時間外労働や心身の負担を回避することに配慮が必要となります。  なお、過度に業務内容を減らすこともまた適切とはいえず、個人差も大きいことから、作業内容の見直しは労働者の了解を得られるように努めることとされています。そのほかストレスチェックの実施とその結果をふまえた面接指導などを通じて、健康維持に努めることも重要です。 4 安全衛生教育  高齢労働者および管理監督者に対して、安全衛生に関する教育を実施することが求められています。高齢労働者自身には、加齢とともに自身のリスクが高まっていることを自覚してもらうことに意義があります。会社が実施しようとする健康診断の推奨や体力チェック、ストレスチェックなどによる状況把握は、高齢労働者本人の自覚が重要です。  管理監督者への安全衛生教育は、高齢労働者に特有の特徴(リスク)やそれに対する対応策を理解し、労災発生による管理監督者の責任、会社経営に及ぼすリスクを把握してもらうことで、積極的に運用面での取組みを推進することに意義があります。 5 労働者に求められる事項  エイジフレンドリーガイドラインでは、事業者に求められる事項が定められる一方で、労働者に求められる事項として、次のような内容も定められています。 ・自らの身体機能や健康状況を客観的に把握し、健康や体力の維持・管理に努める ・定期健康診断を必ず受ける(法令の対象外の場合は、地域で実施されているような特定健康診査などを受けるように努めること) ・体力チェックに参加し、自身の体力の水準について確認し、気づきを得る ・日ごろから基礎的な体力の維持と生活習慣の改善に取り組む ・事業所の目的に応じて実施されている職場体操には積極的に参加すること。通勤時間や休憩時間にも、簡単な運動をこまめに実施し、運動などを積極的に取り入れる ・適正体重を維持する、栄養バランスのよい食事をとるなど、食習慣や食行動の改善に取り組む ・健康に関する情報に関心を持ち、健康や医療に関する情報を入手、理解、評価、活用できる能力(ヘルスリテラシー)の向上に努める  このように、高齢労働者の健康や安全確保には、事業者が努力するだけでなく、労働者にも求められる事項があるということを、社内の研修などにおいて周知していくことも重要でしょう。 Q2 中小企業における時間外労働の割増賃金率とは何ですか  中小企業も時間外労働の割増賃金率が引き上げられると聞きました。どのような制度であるのか、今後の労働時間管理をどうしていけばよいのか教えてください。 A  1カ月あたり60時間を超える時間外労働に対して、割増賃金として平均賃金の5割に相当する金額を支払う必要があります。休日労働、時間外労働の相違点に注意しながら労働時間管理を行うほか、必要に応じて、代替休暇制度の導入を検討することになります。 1 中小企業における時間外労働の割増賃金率の引上げ  2010(平成22)年4月1日に労働基準法が定める時間外労働に対する割増賃金率について、月60時間を超える部分の割増賃金率を50%とする規定(労働基準法第37条第1項ただし書)が施行されました。この規定は、2023(令和5)年3月31日まで中小企業への適用が猶予されていましたが、ついにその期限を迎える時期になりました。なお、自社が中小企業に該当するか否かは、図表4を参考にしてください。 2 割増賃金の種類と1カ月あたりの時間外労働の把握  労働基準法では、「時間外労働」、「休日労働」、「深夜労働」を割増賃金の対象としています。時間外労働の割増賃金率は図表5の通りです。  時間外労働の割増率が、1カ月あたりの時間外労働時間数に応じて変動することになります。そのため、「1カ月」あたりの「時間外労働」の時間数を正確に把握する必要があります。  まず、「1カ月」の範囲については、企業ごとに就業規則で定めることが可能です。賃金締切日と合致させておくことが、賃金計算における煩雑さを回避するためには適切と考えられます。  また、「時間外労働」と「休日労働」は異なりますので、1カ月あたり60時間の計算においては合算せず、この2種類を明確に区別して管理する必要があります。ポイントは、休日について、「法定休日」と「所定休日」を区別しておくことです。法定休日における労働は、時間外労働ではなく、休日労働になりますので、時間外労働には合算することにはなりません。一方、所定休日における労働時間は、1週間40時間を超える範囲において時間外労働になるため、時間外労働として合算することになります。週休二日制を採用している企業においては、いずれの休日を法定休日とするのか明確にしておく必要があります。  法定休日を定めていない場合は、行政解釈において日曜日を週の開始日とみて降順に位置する土曜日が法定休日となるとされています。 3 代替休暇制度について  割増賃金率の引上げと同時に導入されたのが「代替休暇」制度です。代替休暇とは、1カ月60時間を超える時間外労働により生じた割増賃金の増加部分に相当する休暇を付与することができるとする制度です。導入するにあたっては、就業規則の規定および労使協定の締結が必要となります。一般的な代替休暇付与の換算率等の計算方法は図表6の通りです。60時間を超えた時間分のすべてが代替休暇の対象となるわけではない点には留意が必要です。  代替休暇は、1日または半日単位のいずれかで付与しなければなりませんので、換算率に基づき計算した結果が、1日または半日に満たない場合、そのままでは代替休暇を付与することができません。このようなときには、時間単位の有給休暇と合わせて取得させるか、有給休暇とは別の特別休暇(ただし、通常の賃金が発生する休暇とする必要がある)を付与して、1日または半日の単位で取得できるようにする必要があります。代替休暇の付与は、時間外労働が60時間を超えた月の末日の翌日から2カ月以内とされています。  なお、たとえ代替休暇を付与したとしても、これにより代替されるのは、割増賃金の増加部分のみであるため、通常の割増賃金として25%の割増率による賃金の支給は必要になります。 図表1 事業者に求められる五つの事項 項目 概要 安全衛生管理体制の確立等 経営トップによる方針表明および体制整備等 職場環境の改善 身体機能低下を補う設備・装置の購入等 高年齢労働者の健康や体力の状況の把握 健康診断の確実な実施、体力チェック等 高年齢労働者の健康や体力の状況に応じた対応 個々の健康や体力をふまえた措置等 安全衛生教育 高年齢労働者に対する教育、管理監督者等に対する教育等 ※「エイジフレンドリーガイドライン」(厚生労働省)を基に筆者作成 図表2 職場環境改善(ハード面)の例 共通的な事項 段差の解消、手すりの設置、墜落防止器具、滑りやすい箇所などの解消または注意喚起など 危険を知らせるための視聴覚に関する事項 警報音等は中低音域を採用する、指向性スピーカーの利用、騒音の低減など 暑熱な環境への対応 涼しい休憩場所の整備、通気性のよい服装の準備、熱中症の初期症状を把握できるIoT機器の利用など 重量物取扱いへの対応 補助機器などの導入、不自然な作業姿勢の解消、身体機能を補助する機器の導入など 介護作業等への対応 リフト、スライディングシートなどの導入、労働者の腰部負担を軽減する機器の活用など 情報機器作業への対応 照明、画面における文字サイズの調整、必要なメガネの使用など ※「エイジフレンドリーガイドライン」(厚生労働省)を基に筆者作成 図表3 職場環境改善(ソフト面)の例 共通的な事項 勤務形態や勤務時間を工夫する(短時間、隔日、交替制など)、ゆとりあるスピードまたは無理のない姿勢などに配慮した作業マニュアルを用意する、注意力や集中力を要する作業については作業時間や優先順位の判断を考慮する、腰部に過度の負担がかかる作業の軽減、身体的な負担に対して定期的な休憩の導入や作業休止時間の運用など 暑熱作業への対応 意識的な水分補給の推奨、健康診断結果をふまえた体調確認と日常的な指導、病院への搬送や救急隊の要請を行う体制の整備など 情報機器作業への対応 過度に長時間にわたり行われることのないようにする、作業休止時間を適切に設ける、相当程度拘束性がある作業(データ入力等)では無理のない作業量とするなど ※「エイジフレンドリーガイドライン」(厚生労働省)を基に筆者作成 図表4 中小企業該当性の判断 @、Aのいずれかに該当すること 業種 @資本金の額または出資の総額 A常時使用する労働者数 小売業 5,000万円以下 50人以下 サービス業 5,000万円以下 100人以下 卸売業 1億円以下 100人以下 その他の業種 3億円以下 300人以下 図表5 割増賃金率一覧 労働時間の種別 割増賃金率 時間外労働(月60時間まで) 25%以上 時間外労働(月60時間超) 50%以上 深夜労働 25%以上 休日労働 35%以上 時間外(月60時間まで)かつ深夜労働 50%以上(25%+25%) 時間外(月60時間超)かつ深夜労働 75%以上(50%+25%) 休日労働かつ深夜労働 60%以上(35%+25%) 図表6 代替休暇換算率の一例 代替休暇時間数=(1カ月の時間外労働時間数−60)×換算率 換算率=代替休暇取得しないときの割増賃金率−代替休暇取得時に支払う割増賃金率(通常は、「50%−25%=25%」となる。) 例えば、時間外労働時間数が80時間であった月の場合、{(80時間−60時間)=20時間}×25%(換算率)=5時間 第59回 定年後再雇用と同一労働同一賃金(手当の趣旨)、配転命令違反と懲戒解雇 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 定年後再雇用者には、定年前と業務内容や責任の程度が大きく変われば、各種手当を支給しなくてもよいのでしょうか  定年後再雇用者について、嘱託社員として基本給の減額、賞与の不支給、各種手当の不支給などを想定しています。  業務の内容や責任の程度を大きく変更することで、これらの条件で雇用を継続することはできるでしょうか。 A  基本給の減額や賞与の不支給に関しては、業務内容や責任の程度のみではなく、人材活用の仕組み自体の相違点を明らかにしておく必要があります。また、手当については、業務内容や責任の程度が相違したとしても同趣旨の事情があてはまるかぎりは、同一賃金を維持することが適切です。 1 同一労働同一賃金に関する法令と裁判例  同一労働同一賃金に関して、現在は、「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」の第8条において「事業主は、その雇用する短時間・有期雇用労働者の基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、当該待遇に対応する通常の労働者の待遇との間において、当該短時間・有期雇用労働者及び通常の労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち、当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して、不合理と認められる相違を設けてはならない」と定められています(いわゆる「均衡待遇」の規定)。  また、職務内容が通常の労働者と同一の場合については、同法第9条が「事業主は、職務の内容が通常の労働者と同一の短時間・有期雇用労働者(第11条第1項において「職務内容同一短時間・有期雇用労働者」という。)であって、当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれるもの(次条及び同項において「通常の労働者と同視すべき短時間・有期雇用労働者」という。)については、短時間・有期雇用労働者であることを理由として、基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、差別的取扱いをしてはならない」と定めています(いわゆる「均等待遇」の規定)。  前者と後者の相違は、不合理な相違がないかという観点からバランス(均衡)を保つことが求められるか、それとも差別的な取扱いを一律禁止して均等な待遇を求められるかという点であり、適用される要件の相違は、「通常の労働者との同一性」にあります。  したがって、現在の法律に照らすと、職務の内容と配置が同一である場合には、均等待遇の規定が適用されることから差異を設けることができなくなるため、定年後再雇用者と正社員の間では職務内容の差異があるか否かが重要となります。  なお、均衡待遇の規定が適用される場合については、これまでの判例において、「職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはなら」ず、「有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件に相違があり得ることを前提に、職務の内容、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情(以下、「職務の内容等」)を考慮して、その相違が不合理と認められるものであってはならない」と解釈されており、賃金項目ごとの相違については、「両者の賃金の総額を比較することのみによるのではなく、当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当」という基準が確立しています(最高裁平成30年6月1日判決等)。  そのため、賃金総額でのバランスのみならず、賃金項目ごとの相違点の説明が合理的に行えるか否かが重要と考えられています。 2 手当における相違が違法とされた裁判例  定年後再雇用における同一労働同一賃金に関する裁判例において、基本給および賞与については相違の合理性を認めつつ、家族手当や住宅手当については相違の合理性を否定した裁判例を紹介します(神戸地裁姫路支部令和3年3月22日判決)。  事案の概要としては、正社員には、一般コースと呼ばれる人事考課による昇給を前提とした職能資格等級制度による長期雇用が想定されていた一方で、定年後再雇用者については、嘱託社員として再雇用されるものの、人事考課による昇給などは想定されていませんでしたが、担当役員の推薦を前提に、高卒中途採用レベルの能力診断のための試験などに合格するなど、一定の要件を充足したときには年俸社員に登用される制度が用意されており、年俸社員は嘱託社員と比較して賃金の総額は高く設定されていました。なお、業務内容は同一の業務に従事することはあったものの、責任の程度は一般コースの正社員の方が強く求められる状況でしたが、いずれの社員も転勤などが行われることは想定されていませんでした。  このような企業において、基本給および賞与に関しては、人材活用の仕組みの相違を主な理由として、その差異は不合理ではないと判断されました。人材活用の仕組みの主な内容は、人事考課を前提とした職能資格等級制度の適用があるか否かですが、それに加えて嘱託社員に年俸社員への登用の機会を与えていたことも考慮されています。  一方で、家族手当と住宅手当については、扶養者がいることによる負担の増加はいずれの社員にとっても変わらないこと、転居をともなう異動の予定がないことも相違ないことから、不合理な差異であり、差額の支払いが命じられています。  なお、使用者は、一般コースの正社員への支給により有為な人材の確保や長期定着を図る趣旨があるとの主張をしていましたが、この主張は排斥されています。このような理由は、どのような手当にもあてはめることができ、これだけの理由をもって手当の支給の有無の差異を説明しきることはできないと考えておくべきでしょう。 Q2 配置転換に応じない社員を懲戒解雇することはできますか  拠点の閉鎖にともない、配置転換を要する人員がいるのですが、いかに説明をしても納得してもらえず、配転命令をするほかなくなりました。命令後もこれに応じないことから、懲戒解雇を行おうと思うのですが、どのような点に留意する必要がありますか? A  配転命令の有効性が維持できるかを検討したうえで、有効と考えられる場合には、懲戒処分の手続をふまえて、解雇を実施する必要があります。解雇権濫用とならないように、慎重に行うことが求められます。 1 配置転換命令  企業は、労働者に対する人事権を有しており、事業所や部門の配置に関して、配置転換を命じることが可能と考えられています。  就業規則において配置転換の根拠規定があることが望ましいですが、労働契約において特段の限定がなされておらず、実際に広く配置転換等が行われている場合には、労働契約に黙示的に合意されていると評価される場合もあります。  配置転換には、業務内容の変更(部署の変更)と勤務場所の変更の2種類があり、これらが複合的に行われることもあります(業務内容と勤務場所の両方が変更される)。  一般的には、勤務場所の変更により転居をともなう場合は転勤と呼ばれ、事業所内での部署の変更は配置転換と呼ばれることが多いといわれます。  いずれにせよ、労働者にとっては、従前の労働環境からの変化をともなうことから、使用者による配置転換の人事権行使を完全に自由にすることはできません。 2 配置転換命令の制限  配置転換命令の制限については、合意による制限と判例により制限されている限界があります。  まず、合意による制限は2種類に分類することが可能であり、業務の内容の変更を制限する職種限定合意と、勤務場所の変更を制限する勤務地の限定合意です。これらについては、労働条件通知書や雇用契約書に勤務場所や業務内容が明記されているだけでは足りず、これらの記載以外に特段の合意が明示されていることが必要と考えられます。これらの書面に明記される勤務場所や業務内容は、労働基準法において明記することを求められているから記載するほかないものであり、使用者と労働者の間の特別な合意としては位置づけられないと考えられます。例外的に、職種限定の合意が認められるとすれば、特殊な資格を有する者である場合(例えば、検査技師や看護師など)や専門性が高い業務(例えば、大学教授など)に該当する場合とされています。  これらの合意がある場合には、人事権の行使による一方的な配置転換を行うことはできず、本人の同意を得て行うことが必要となります。  次に、判例による配置転換命令の限界としては、最高裁昭和61年7月14日判決において、「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもないところ、当該転勤命令につき@業務上の必要性が存しない場合又はA業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくはB労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべき」と判断されています(文中の数字は筆者による追加)。  したがって、@業務上の必要性がない場合は無効となるほか、業務上の必要性があるとしても、A不当な動機・目的(典型的には、配置転換ではなく退職への追い込みを主目的としている場合や内部通報者に対する配置転換などが想定されます)をもってなされたものであるときや、B通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるときは無効となるとされています。なお、育児介護休業法に基づく子や家族への配慮のほか、労働契約法第3条3項が仕事と生活の調和を求めていることは、労働者に生じる不利益の程度を検討するにあたって考慮されるべき事情と考えられています。  このような要件に照らして、配置転換の命令が有効になされているかどうかを確認し、有効な命令に対する違反に対しては、懲戒解雇をもって臨むことも検討することができます。 3 配置転換命令違反に対する解雇が有効とされた裁判例  最近の裁判例において、配置転換命令への拒絶を理由として、企業秩序を乱すまたはそのおそれがあることを理由とした懲戒解雇が有効と判断された事例を紹介します(大阪地裁令和3年11月29日判決)。  事案の概要としては、企業が事業所の閉鎖にともない希望退職者を募る一環として転職支援等を行う面談をしていたところ、退職を希望しない労働者には配置転換を行う旨の説明を行い、配置転換の必要性を伝えていたところ、労働者から@息子が自家中毒であり、頻繁に迎えに行く必要があるほか、転居が症状に悪影響を与えるおそれがあるとの医師の診断があること、A母親の体調も不調であり、介護を要する状況にあることなどを理由に、配置転換を拒絶しましたが、使用者は、これらの事情をふまえてもなお、配置転換の必要があるとして命じたところ、これに応じなかったため、最終的には懲戒解雇に至ったという事案です。  この事案における配置転換命令に至るまでの経緯の特殊性としては、希望退職者を募ってもいたことから、その説明内容が、労働者からは退職勧奨の面談と受け取られており、退職勧奨を拒否することをくり返していたことから、使用者が配置転換の説明に明確に移行したにもかかわらず、その後も説明を受けることを拒絶し続け、労働者からも@息子の自家中毒やA母親の体調にかかわる事情を説明していなかったという点があげられます。  判決では、労働者からの情報提供がなかったことについて、使用者が「配転に応じることができない理由を聴取する機会を設けようとしたにもかかわらず、原告が自ら説明の機会を放棄したことによるものというほかない」として、「本件配転命令を発出した時点において認識していた事情を基に、本件配転命令の有効性を判断することが相当というべき」と判断しています。その結果、原告が複数の医師から診断書を得ており、「生活環境の変化が患児にとって心的ストレスになりうるため、症状増悪につながる可能性は否定できず、可能であるなら避けることがのぞましい」などと記載されていた事情も裁判所は考慮することなく、配置転換命令は有効と判断されました。  使用者としては、通常甘受すべき不利益を著しく超える事情がないかを正確に把握する努力を尽くす必要がある一方で、これに対する労働者からの情報提供がない場合には、使用者が得ることができている情報のみに依拠して配置転換命令を発することも可能と考えられます。  なお、当該裁判例では、配置転換命令が有効である以上、懲戒委員会などでの議論をふまえた懲戒解雇が有効と判断されています。 第60回 グループ会社における退職金規程の影響、セクシュアルハラスメントへの介入の是非 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永 勲 Q1 グループ会社の退職金規程は、自社にも適用されるのですか  自社には退職金規程がないので、退職金を支給しなかったところ、グループ会社の退職金規程を根拠に退職金の支給を請求されました。グループ会社とはいえ、他社であるため、退職金の支給は不要と考えていますが、問題はあるでしょうか。 A  グループ会社間の就業規則の不整合や過去の取扱い例などから、退職金の支給を認めた事案があるため、自社の過去の対応や就業規則の記載を確認する必要があります。 1 退職金制度について  退職金については、これまでにも何度か触れてきましたが、会社が定めないかぎりは、その支給義務はなく、また、その支給条件についても、会社が定める内容に従うことになります。  例えば、懲戒事由が存在する場合には、退職金の金額を減額するような規定についても、就業規則や退職金規程にあらかじめ定めていたのであれば、懲戒事由の重大性などを比較して合理的な範囲であればその減額が許容されることもあります。  そのため、会社に退職金に関する就業規則や規程がなく、労働契約においても退職金の支給約束などをしていないかぎりは、会社が労働者に対して、退職金の支給義務を負担するということはほとんどありません。  ただし、例外的に、自社以外の退職金規程が適用されて、退職金支給義務を負担することがあります。一つは法人格が否認される場合で、もう一つは労使慣行に準ずる形で関連会社の退職金規程が適用されるようなケースです。 2 法人格否認に関する裁判例  法人格の否認については、「法人格が全くの形骸にすぎない場合、またはそれが法律の適用を回避するために濫用されるが如き場合においては、法人格を認めることは、法人格なるものの本来の目的に照らして許すべからざるものというべきであり、法人格を否認すべきことが要請される」とする最高裁判例(最高裁昭和44年2月27日第一小法廷判決)が存在することから、当該判例を根拠として、別法人に対して退職金やそのほかの賃金の支払いが請求されることがあります。  東京地裁平成14年10月29日判決は、法人格否認を理由とした退職金請求がなされた事案です。  事案の概要は、グループ会社内において、グループ会社全体の人事・総務・経理などの間接部門を行う会社があるほか、人員の多くがグループ会社からの出向者や転籍者で占められて、順次交代されていたなどの事情がある会社において、退職金の支給がない会社へ転籍した従業員が、転籍前に勤務していたグループ会社の退職金規程に基づき退職金を請求したという事案です。  裁判所は、グループ会社について、「A社とB社は、資本、人事、業務面などにおいて極めて密接な関係があり、グループの会社としてB 社がA 社を支配する関係にあった」としつつも、「A社は、B社とは別個独立の人的、物的組織を有し、業務内容を異にしており、両者の間で、その組織、業務内容、会社財産について混同があった事実を認める余地はない」と判断しました。その理由としては、事業の効率的運営、独立採算性の確保、経営責任の明確化などの観点から法人を設立することは不合理ではないこと、昇給の実施、賞与の支給などは別個独立して行われ、役員や幹部従業員などの重要な人材をスカウトし高額の報酬を支給していたといった事情が加味されています。  他方、人事および財務を一括管理し、役員の選任、給与の決定を代表取締役が掌握し、業務執行においても権限が大幅に制約され、営業利益をグループ会社間で操作されていたことなどを理由に異なる結論となった裁判例(東京地裁平成13年7月25日判決)もあるため、グループ会社運営においては、各社の独立性を確保しておくことは重要な要素となります。 3 関連会社の就業規則が適用された裁判例  法人格の否認とは異なる観点から退職金の支払いが命じられた裁判例(東京地裁平成20年8月20日判決)があります。事案の概要としては、X社から分離独立したY社に勤務する従業員が、X社の退職金規程が適用されることを前提に、退職金の支払いを求めたという事案です。  Y社は、「X社のグループとして一体として経営されていたと思われ、X社の就業規則等をY社においても利用されていたことは十分考えられる」としたうえで、過去にY社において作成されたとみられる退職金一覧表にY社の従業員として原告を含むY社の従業員らについて、X社の「従業員就業規則」、「賃金規程、退職金規程別表」によって算出された退職金額から既払額を控除した金額で記載されていたことがあったことや、その記載された金額を解決金として和解が成立したほかの従業員が存在していたことなどから、Y社において、X社の従業員就業規則等によって、退職金額を算出していたとされました。結果として、Y社は、X社の就業規則等に基づき、退職金を支払うことを命じられることになりました。  グループ会社において、就業規則に統一感を持たせるために、就業規則を同じ内容で届け出ることなどがあります。その場合に、退職金規程について、子会社では退職金を支給しないにもかかわらず、親会社の就業規則のまま「退職金については、退職金規程に定める」といった記載を維持してしまうようなケースも見受けられます。たとえ、子会社における退職金規程を設けていなかったとしても、前述の裁判例のように親会社の就業規則や退職金規程を根拠として、退職金の支払いが命じられることがあり得ます。  そのため、たとえ、退職金規程を将来作成する予定があるとしても、現時点では支給しないのであれば、退職金を支給しないことを明確に記載しておくことが適切でしょう。  ただし、グループ会社間で出向する際に労働条件を不利益に変更することは、原則として本人の同意なく行うことはできませんので、子会社が退職金を支給しない状態であれば、親会社からの退職金支給を維持するなど、不利益を緩和する措置をあわせて用意しておくことも必要になります。 Q2 当事者間で示談が成立したセクハラ事案に会社は介入するべきですか  ある管理職から職場の社員間でセクシュアルハラスメントがあったとの話を聞きました。事実関係を調査する過程で、当事者双方が「示談で済ませたいので、会社には介入してほしくない」という意向を示してきました。仮に、こうした当事者間で示談が成立した場合、会社は関与しない方がよいのでしょうか。 A  職場で生じた場合には、会社としても使用者責任を負担する可能性がある以上、自らの責任範囲を把握する必要があります。また、職場におけるセクシュアルハラスメントに対する懲戒処分の内容を検討するにあたって事実関係を把握する必要性もありますので、関与する必要はあります。ただし、当事者間では解決した問題であるため、懲戒処分の公表などは控えておくことが適切でしょう。 1 ハラスメント防止措置について  2020(令和2)年に労働施策総合推進法および男女雇用機会均等法の改正が行われ、職場で行われる各種ハラスメントに関して、労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じることが事業主に義務づけられました。  この改正にともない、事業主としてはハラスメント防止措置をとることが義務づけられており、具体的な措置に関するガイドラインが厚生労働省において定められました。事業主が行うべきとされている措置の典型例は、相談窓口の設置や従業員に対する教育・研修などです。そして、ハラスメント発生時の対応としては、事案にかかわる事実関係を迅速かつ正確に確認することが求められており、さらに、発生後の再発防止策を講じることも求められています。  男女雇用機会均等法およびガイドラインにおいては、「職場」におけるハラスメントの発生が問題となっているため、当事者間で生じたハラスメントが「職場」で行われたものでなければ、当事者間の解決に委ねてもよいことが多いでしょう。ただし、ここでいう「職場」とは、通常就業する場所のみを意味するのではなく、業務を遂行する場所であればこれに含まれますし、その延長線上にある時間帯も含むとされています。基本的には、指揮命令下にあるような労働時間に該当する場合には、業務を遂行している状況にあると考えられるため、例えば、終業時間後の懇親会などであっても、事実上参加が強制されているような場合には、労働時間と評価されるように、終業時間後などであっても、「職場」に該当すると考えられます。  また、ここでいう「職場」の概念は、会社が損害賠償責任を負う根拠となる民法第715条に基づく使用者責任を負担する要件である「事業の執行」の判断と重なる部分が多く、労働時間中のハラスメント被害に対して、会社は損害賠償責任を負担するおそれがあります。 2 セクシュアルハラスメントと会社の責任  社内におけるセクハラ発生時には、だれとだれの間でいかなる責任が生じるのかを整理しておきましょう。  まず、加害者と被害者の間では、不法行為に基づく損害賠償責任が加害者に発生します(民法第709条)。したがって、加害者が、被害者との間で被害に応じた賠償額を合意して、示談による解決を行うことは、原則として、当事者の自由です。  一方で、会社としては、加害者が自社に在籍している労働者である場合で、職場において生じたセクハラについて、使用者として、加害者と連帯して、被害者に対する損害賠償責任を負担することになります(民法第715条)。連帯して責任を負担するということは、加害者と被害者の示談による影響を会社も受ける可能性があるということです。  示談書においては、加害者と被害者の間で、一定額の支払い合意に加えて、当該支払い債務を除いて債権債務が存在しないことや当事者間における事実の認識およびそれに対する謝罪や被害者からの宥恕(ゆうじょ)の意思などが記載されることがあります。たしかに当事者間での解決にはつながるのですが、会社としては、加害者と同額の使用者責任を連帯して負担する立場として、いかなる条件で支払いに合意したのか関心は生じます。また、不合理に高額な示談を成立させた場合に、加害者が示談書に反して支払いを怠ったときに会社に対して同額を支払うことを迫られても会社としてはこれに応じるわけにはいかないでしょう。とはいえ、当事者からの聞き取り調査も行っていなければ、示談の内容が不合理な金額であるか判断する材料がなく、いかなるセクハラが行われたのか不明なまま支払うべき額を検討することもできなくなってしまいます。  したがって、職場におけるセクハラにより生じた損害賠償責任を会社が連帯して負担する可能性がある以上、当事者のみで解決すればよいというものではなく、会社も関与すべき状況にあるといえます。 3 再発防止策について  損害賠償責任に関与する以外にも、会社としてハラスメント防止に必要な再発防止策を検討する必要もあります。再発防止策検討の出発点として、ハラスメントに関する事実関係を把握しておくことは会社の関心事であるといえます。  再発防止策の典型的な方法としては、加害者に対する懲戒処分や厳重注意などにより、同一人物による同様のハラスメント行為を防止することがあげられます。ところが、当事者間で示談したのみでは、そもそも、懲戒処分が必要なほどの加害行為が行われていたのか、いかなる懲戒処分や厳重注意が相当であるのかなどを判断することができず、会社として適切な再発防止策を実施することができなくなります。  セクハラに関する処分の必要性の検討にあたっては、会社としても事実関係の調査を慎重に行う必要があることから、当事者以外から把握した事実のみをもって行うこともむずかしく、やはり当事者からのヒアリングなどを行う必要性は高いと考えられます。当事者が会社への報告を拒むような場合には、当事者からのヒアリング内容については社内において守秘することを前提に、当事者のみで解決するのではなく、会社を交えて事実関係の整理に協力するよう求めることが適切と考えます。  ただし、セクハラについては被害者のプライバシーに対する配慮も必要であるため、懲戒処分を行う場合であっても、事案の内容をみだりに公表することは控える必要があると考えられます。したがって、懲戒処分の公表という形での再発防止策を講じることがむずかしくなると考えられますので、全体的な研修や教育を再度実施するなかで、あらためて注意喚起を行うといった工夫が必要になるでしょう。