Leaders Talk No.104 医学的にも実証される笑いの効果人を笑顔にすることが生涯現役の原動力に 産婦人科医/日本笑い学会副会長 昇幹夫さん のぼり・みきお 九州大学医学部卒業後、九州大学医学部附属病院に入局。その後、福岡大学附属病院勤務等を経て、現在は医療法人愛賛会浜田病院(大阪府)の産婦人科勤務。病院勤務のかたわら、日本笑い学会の副会長を務めており、笑いの医学的効用について研究を行っている。  「笑う門には福来る」ということわざがありますが、「笑い」や「笑顔」には、健康長寿をもたらす効果があるといわれています。今回は、現役産婦人科医で、「日本笑い学会」の副会長の昇幹夫さんに、「笑うこと」についての医学的考察を語っていただきました。笑い続けること、変わり続けること―。人生100年時代を生涯現役で乗り切る術を、昇さんのお話からひも解きます。 「笑うこと」は腹式呼吸の健康法治療医学から健康増進の医学へ視野が広がる ―昇さんは、麻酔科医、産婦人科医として働きながら、「笑い」の医学的効用について研究をされてきたとうかがいました。そのきっかけについて教えてください。 昇 1986(昭和61)年に読んだ、小さな新聞記事がきっかけになりました。エノケン※1の「最後の弟子」として知られる近藤(こんどう)友二(ともじ)氏が、「笑顔教室」を主催しているという内容の記事です。当時勤めていた医院はあまりに忙しく、看護師もとげとげしい雰囲気でしたので、こういう教室での接遇教育も必要だと考え、看護師に通ってもらうことにしました。すると、しばらくして、近藤氏から「笑うということは、どんなふうに健康によいのですか」という質問の電話がきて、「3カ月後に教室で話してください」と依頼されたのです。  私は絶句しました。これまで病気を治すという治療医学はさんざんやってきましたが、「健康増進の医学」という発想はまったくなかったのです。しかし医学的に考えれば、笑うことは、連続的に息をはき出すこと。腹式呼吸の変形といえます。それならば健康法になると考えました。  当時はインターネットもない時代ですから、図書館に行って、「笑顔」や「笑い」の文献を調べ、猛勉強しました。そのなかで、関西大学の井上(いのうえ)宏(ひろし)名誉教授の著書『笑いの人間関係』に出会い、井上氏が主催する交流会に参加するようになったのです。 ―井上氏は「日本笑い学会」の初代会長ですね。同学会創設の経緯や活動内容について、お話しいただけますか。 昇 最初に参加したのは「笑学(しょうがく)の会」。日本笑い学会の前身です。笑いが大好きな人たちが集まった異業種交流会でした。私は鹿児島県出身で、「人さまには笑われるな」といわれて育った薩摩(さつま)隼人(はやと)です。かたや大阪には、こういう会があったのです。教授や政治家など肩書きに関係なく、「ああでもない」、「こうでもない」とジョークのいい合いでおもしろいと思いました。  交流会が続いていくうちに、「洒落(しゃれ)でもともとや。学会にせんか」という話になり、1994(平成6)年7月9日、日本笑い学会※2が創設されました。「泣(7)く(9)」の日に笑い学会。まったくの洒落ですよ。  学会は、笑いに関心があれば、年会費1万円(学生は5000円)でだれでも入会することができます。今年で創設30周年になりますが、会員数は1000人を超え、大学教授、医師、弁護士、僧侶、主婦、サラリーマン、学生など、職業も年齢もさまざまです。 ―「笑い」がもたらす健康効果について、具体的に、どのような研究をされてきたのでしょうか。 昇 1990年代ですが、「笑うことは免疫力を上げる」ということを、すばるクリニック(岡山県倉敷市)の伊丹(いたみ)仁朗(じんろう)医師とともに、大阪府大阪市にある吉本興業の劇場「なんばグランド花月(かげつ)」で実験しました。がんで闘病中の患者を含む計19人に、吉本新喜劇を見て、3時間笑ってもらうという実験です。結果として、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)が非常に活性化するというデータが得られました。  NK細胞は、がん細胞をはじめ異常のある細胞を攻撃するリンパ球の一種で、NK細胞の数値が高すぎるとアレルギーになり、低すぎると感染症になります。それが、吉本新喜劇で3時間大笑いするだけで、NK細胞がちょうどよい数値に収まりました。大阪では実験の場所から、「NK細胞は、なんば(N)花月(K)細胞だ」という人まで出てきたのです。 吉本新喜劇で「3時間大笑い」するとがんとも戦うナチュラルキラー細胞が活性化 ―笑いの効果を医学的に実証する研究はほかにもあるのでしょうか。 昇 まずは海外の事例ですが、「笑い療法の父」と呼ばれるノーマン・カズンズという人物がいます。米国人ジャーナリストで、被爆した原爆乙女※3を米国に招いて治療を受けさせたことで知られていますが、彼自身、治る確率が500分の1とされる膠原病(こうげんびょう)の一種の難病に罹患していました。激痛をともなう病気でしたが、テレビを見ながら夜10分間、本気で大笑いすることによって鎮痛効果が得られ、2時間は痛みを感じることなく睡眠できると証明しました。彼の著書『笑いと治癒力』は非常に有名で、日本語にも翻訳されています。  日本では、日本医科大学の故・吉野(よしの)慎一(しんいち)名誉教授によるリウマチの研究があります。大の落語好きだった吉野氏は、病院内に寄席をつくって落語家を呼び、リウマチ患者に1時間ほど笑ってもらいました。すると、リウマチを悪化させるインターロイキンー6という物質が半分以下になりました。この結果は、アメリカの学会誌にも載りました。  遺伝子工学の権威で、2021(令和3)年に亡くなった筑波大学の村上(むらかみ)和雄(かずお)名誉教授も、笑い学会の会員でした。村上氏は、「笑い」が特定の遺伝子を活性化させることを実験で証明しています。笑うことが、よい遺伝子のスイッチをオンにして、悪いスイッチをオフにすることを突きとめ、発表当時は大きなニュースになりました。 ―「笑いの効果」は医学的にも証明されていて、免疫機能が低下する高齢者にとっても、笑うことの意味は大きいということですね。高齢者が、日々の暮らしで「笑い」を増やし、活き活きと過ごすため、必要だとお考えになることをお聞かせください。 昇 年をとると、人はだんだん笑わなくなります。何をおもしろいと思うかは、人それぞれ違いますが、ひとついえるのは、どんなことでも、ある程度の知識がないと笑えないということです。例えば、有名な映画を題材にした笑い話は、その映画のことを知らなければおもしろくもなんともないでしょう。笑い話のどこがおもしろいかを説明することほど、つまらないものはありません。そういう意味では、共通の趣味があり、同じところで笑える人がいることが、とても大事だと思います。  日々の活性化という意味では、好きなことに夢中になることも大事です。昨夏、85歳と83歳の女性、82歳の男性を含む計5人で、モンゴルに行きました。83歳の女性はがん患者で、2回も手術をしています。モンゴルは初めてで、馬なんてもちろん乗ったことがありません。最初は「絶対に行きたくない」といっていたのに、馬に乗ったら夢中になってしまって、「また来年、絶対に友だちと行きます」といっていました。  「旅」は非日常体験で、夢中になることができます。すると何歳であっても元気になれます。いままで行ったことのないところに行きたいと思うと、まず「足腰が丈夫じゃないと」と考えますね。それも、とてもよいことです。 年齢は数字でしかない人は何歳になっても変わることができる ―昇さんご自身も75歳を超えて産婦人科医として現役で活躍されていますが、生涯現役の秘訣があれば、教えてください。 昇 役目がある間は、お迎えが来ない――。私はそんな、根拠のない自信を持っています。いまも月10回以上、当直を担当していますが、産婦人科医としての役目がある間は、生涯現役でいられると考えています。  人間がほかの動物と一番違うのは、「歳のとり方に差がある」という点です。10年生きた犬や猫、15年生きた犬や猫は、どの個体をとっても歳のとり方は一緒だと考えられています。しかし人間は、生きれば生きるほど差が出ます。そして、人間は若返ることがありますが、ほかの動物には、絶対ありません。  「年齢なんて、ただの数字です」といった女優がいました。これは非常に重要なキーワードだと思っています。年齢はただの数字。人生100年、いくつになっても変わることができるのです。 ―高齢者が元気に、活き活きと働いていくため、高齢者を雇用する企業や地域社会に求めること、働く高齢者へのアドバイスがあれば、お願いします。 昇 まず、高齢者が「65歳以上」だと国が定義づけたのは、いつのことでしょうか。1964年の東京五輪のころ、いまから60年近く前のことです。当時は平均寿命が68歳ぐらいでしたが、60年も経っているのに、まだ定年年齢が60歳、65歳というのは、違う気がしますね。実際の感覚として、「高齢者といわれるのは75歳から」でよいと思います。  仕事でも趣味でも、「自分が長年つちかってきた得意技でだれかを喜ばせたい」、「だれかを笑顔にしたい」、「笑顔を見るとうれしくなって、またがんばろうという気持ちになる」。そんな生きがいを持つことが、人間だけが獲得した長い老後、100年の人生の意味だと考えています。  必ずしも企業や組織のなかで働くということではなく、ボランティアで活動するのもよいでしょう。スマートフォン、タブレット、パソコンなどのIT機器には、高齢者にこそ役立つ機能が備わっています。そういったものも積極的に取り入れて、だれかの役に立とうとすることが、シニアの世代の役割ではないかと思います。 (インタビュー/沼野容子、撮影/安田美紀) ※1 エノケン……榎本(えのもと)健一(けんいち)(1904−1970)。俳優・歌手・コメディアンとして活躍 ※2 日本笑い学会ホームページ https://www.nwgk.jp/index.html ※3 原爆乙女……広島で被爆し、顔や体にやけどを負った女性たちの総称