特集 シニア世代のワーク・ライフ・バランス 〜多様な働き方が実現する充実した高齢期〜  人生100年時代を迎え、高齢者が活き活きと活躍できる社会を実現していくためには、さまざまな事情を抱える高齢者が、自分のペースで働き続けることができる仕組み・環境を整えていくことが重要です。そのためにも欠かせないのが、高齢者の“多様な働き方”です。  勤務時間や勤務場所といった要素はもちろん、趣味や地域・社会貢献活動など、自身のライフワークに軸足を置きながらスポット的に働ける仕事や、会社を離れて自身の好きな分野や得意な分野を活かして起業するといった働き方も、高齢者のワーク・ライフ・バランスを高め、充実した時間を過ごすことにつながります。  今号では、「ワーク・ライフ・バランス」と「多様な働き方」の視点から、高齢者の働き方を考えます。 総論 高齢者の多様な働き方とワーク・ライフ・バランス 一般社団法人定年後研究所理事/所長 池口(いけぐち)武志(たけし) 働く高齢者の増加とワーク・ライフ・バランス  総務省の「労働力調査」によると、2022(令和4)年では60代後半で2人に1人、70代前半でも3人に1人が仕事に就いており、生涯現役時代は現実のものになりつつあります。人口減少社会のもと、人手不足が加速するなかで、労働力の供給源として高齢者への期待感は増すばかりです。筆者は都内の事業所に毎日通勤していますが、通勤電車のなかには、スーツを身にまとった高齢の乗客がかなり増えてきたと感じています。  では、定年後も活き活きと仕事を続けている人はどんな人なのでしょうか。筆者は、2022年〜2023年にかけて「定年前後期でキャリアチェンジを果たし、定年後も活き活きと仕事を続けている人」の特徴を調べるインタビュー調査※1を実施しました。その結果として、「社会貢献意欲が満たされていること」、「天職といえる仕事で周りから必要とされていること」に加えて、「無理のない主体的な仕事スタイルを確立していること」が大きな共通点として浮かびあがりました。新たな職場は自治体やベンチャー企業、社会福祉法人、NPO法人、日本語学校などさまざまでしたが、就業形態は、フルタイム雇用ではなく、短日・短時間勤務、非常勤職員、個人事業主など自己裁量が利く立場で活躍されていることが印象的でした。  2023年11月、一般社団法人定年後研究所と株式会社ニッセイ基礎研究所は、中高年の女性会社員を対象に「働く意識や実態」を幅広い視点で共同調査しました(2024年公表予定)。速報ベースですが、自身の健康面で「持病はない」は32%に留まり、多くの方がなんらかの病気や症状を抱えていました。介護に関しては、「現在介護中」が10%、「過去に介護経験あり」が20%、「将来介護負担が生じる」が36%と、多くの方が介護と仕事の両立を迫られています。高齢期に働き続けるうえでの会社への要望としては、勤務時間や勤務場所の融通、短日・短時間勤務といった「柔軟な勤務環境」が上位に並びました。ちなみに、老後のお金をまかなう手立てとしては「出来るだけ長く自分が働く」が40%近くを占め、「支出抑制」の13%を大きく上回る結果となりました。今回の調査は中高年女性が対象でしたが、中高年男性も類似の意識や実態を持っているのではないでしょうか。  これらの結果から、高齢者が定年後も活き活きと仕事を続けていくうえでは、柔軟な勤務形態を主体的に選択できることが重要と考えられます。まさに、ワーク・ライフ・バランスを支える多様な働き方が求められているのです。 ワーク・ライフ・バランスを図りながら生涯現役で働くことの意義とは  そこで、高齢者がワーク・ライフ・バランスを図りながら、多様な働き方で仕事を続ける意義を「高齢者の視点」、「企業経営の視点」、「社会全体の視点」で整理したいと思います(図表)。 @高齢者の視点  いくつになっても周囲から必要とされ、好きなことを自分のペースで続けることが高齢者のウェルビーイングに大きく寄与することは論をまたないと思います。日本の生きがい研究に大きな影響を与えた精神科医で作家の神谷(かみや)美恵子(みえこ)は、生きがい感の基本的要素の一つとして「生存充実感」をあげ、仕事を通じた使命感・役割感が生きがいの大きな構成要素であるとしています。逆に、老年期の悲哀の大部分はその使命感・役割感の欠如によるものとしています※2。  このことは日本だけの特性ではなく、米ギャラップ社が150カ国を対象にした50年にわたる調査研究の結果でも、「人生の幸福の5つの要素」の根幹に「仕事に情熱を持って取り組んでいる」をあげています。また、仕事への熱意が身体的な健康状態に影響することも実証されています※3。  近年、中高年のひきこもりが社会問題となっています。内閣府調査では、ひきこもりは不登校や若年世代だけでなく、中高年期も含めて、全世代にまんべんなく起きていることや、中高年期のひきこもりのきっかけの最多が「退職」である※4としており、社会参画の視点でも仕事を続ける意義は大きいといえるでしょう。  また、仕事への熱意や没頭・活力から成る「ワーク・エンゲイジメント」は、加齢とともに上昇することが明らかにされており※5、旺盛な仕事への熱意を発揮できる機会の提供が高齢者の生きがい視点でも重要性を増しています。 A企業経営の視点  企業経営の視点からの意義は、まず「人手不足」への対応があげられます。有効求人倍率が高止まりを続け、介護サービスや社会福祉領域、運輸業界などでの深刻な人手不足が連日のように報道されています。IT技術による効率化は進めつつも、人によるサービス提供が必須な領域では、業務の棚卸し・細分化を図るなかで、高齢者の力を有効活用することは今後ますます重要となります。  次に、近年企業が進める「ダイバーシティ経営」の面でも、従来からの女性活躍、障害者雇用、外国人雇用に加えて、高齢社員の活躍を重点取組み分野に掲げる企業が増加しています。それも、社会福祉的な観点ではなく、人的資本強化の観点で多様な価値観を持った人材の交流を図ることで、新たなイノベーションを追求する動きが広がりつつあります。この点、早稲田大学の竹内(たけうち)規彦(のりひこ)教授は「シニアが長年蓄積してきた専門性・スキル・経験に着目し、既存メンバーの知と組み合わせ、知の多様性を追求する必要がある」※6と論じています。  また、先に触れた通り、高齢者の高いワーク・エンゲイジメントを積極的に活かす視点も、企業経営上重要でしょう。 B社会全体の視点  有償・無償問わず、働く元気な高齢者が増えることで、医療・介護など社会保障制度の安定につながることはたいへん意義深いものがあります。また、住民一人ひとりが世代や分野を越えて支え合う「地域共生社会」の実現に向けて、そのにない手として高齢者への期待が膨らむのは全国共通ではないでしょうか。  阪神・淡路大震災をきっかけに、神戸市で四半世紀にわたり「地域の助け合いの居場所」づくりに奔走してきた認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)の中村(なかむら)順子(じゅんこ)理事長は、「貧困に苦しむ非正規雇用の若者、シングルマザーとお子さんたち、孤立した高齢者を支え、互いに助け合う居場所が足りません。そのにない手も圧倒的に不足しています。60代の会社員は仕事の負担を軽くして週一回は地域活動に参加してほしい。70代は地域活動の主力として大いに活躍してほしい。80代はにない手の応援をしてほしい」と、定期開催の「輝くシニアデビュー講座」、「子どもの居場所担い手養成講座」などを通じて呼びかけを続けています。  また、福祉領域に留まらず、社会全体で人材を有効活用することの重要性は論をまたないと思います。この点、玉川大学の大木(おおき)栄一(えいいち)教授は「50歳以上の大企業勤務者が円滑に転職できる環境を整備することは重要な政策課題」と指摘し、当該層からの転職先で多い「中小企業の仕事の仕方の理解」がとりわけ重要としています※7。 生涯現役社会の実現に向けた課題とは  次に、このような意義を実現していくうえでの課題を、同じく三つの視点で考察していきます。 @高齢者の課題  新卒入社後、定年まで同じ会社で働き続ける会社員は、昭和後期から平成初期に大企業に入社した層を中心に依然多くを占めていると思われます。厚生労働省の調査では、60歳定年の企業における定年到達者の87.1%が継続雇用を選択している実態を示しています※8。  その弊害として、自分の経験やスキルが社外で通用するのかイメージが持てず、自らの市場価値も把握できないまま、65歳以降の再就職活動で苦戦する人が多いことがあげられます。  副業が解禁されつつありますが、高齢社員からの申請はほとんどないとの声も数多く聞かれます。またせっかく、会社の斡旋で転職できても、古巣のやり方に固執し、転職先になじめず離職に至るケースも数多く報告されています※9。  そこで、会社員は遅くても50代に差しかかった段階で、定年後の仕事について考え始めることが必要です。最近、大企業では中高年社員対象の「キャリア研修」を実施する事例が増えてきました。一部の企業では、ボランティア活動やインターンなどの「越境体験型研修」を行うケースも出てきました。このような機会を積極的に使うことで、自らのキャリアの拡がりを考え、体感することが重要です。たとえ勤務先では研修がなくても、大学や自治体が類似のプログラムを提供している実例もありますので、一度ホームページなどでチェックすることをおすすめします。  また、退職後は、雇用される働き方だけではなく、フリーランスとしての働き方もぜひ選択肢として考えてみてはいかがでしょうか。経済的な立場の脆弱性も指摘されるフリーランスですが、ワーク・エンゲイジメントは会社員よりも高いとの調査結果※10もあり、「無理のない主体的な仕事スタイル」ともきわめて相性がよいともいわれています。 A企業経営の課題  高齢社員の活性化に向けては、年齢による一律的な処遇のダウンや考課・査定の対象外とする従来型の高齢社員特有の人事制度や雇用慣行を見直す時期にきているのかもしれません。70歳までの就業機会確保を求める改正法は努力義務であり、対応策を検討中の企業が多いものの、改正法施行を機に50代以降の制度や慣行の見直しを始めた企業は数多く見られます。  特に、高齢社員の経験や能力を活かす配置ポストの検討は、人事部門だけではなく、現業部門を巻き込んだ現場目線での検討が求められています。一例として人手不足が深刻な介護施設でも、軽度で簡易な業務を抜き出して、高齢職員に担当してもらう事例が報告されています※11。  また、ワーク・ライフ・バランスに配意した支援制度(短日・短時間勤務、副業など)を設けたものの、杓子定規な認定基準や要員管理がもとで、所属長の壁や人事担当者の壁に制度利用がはばまれている企業が多いとの指摘も聞かれます。この面でも人事部門と現業部門との日常的なコミュニケーションが強く望まれます。 B社会の課題  「履歴書を数多く送付しても反応がない」、「でも実際に会ってもらうと一度で採用が決まった」というのは、高齢者の就職活動でよく聞く話です。「高齢者だから」との年齢への無意識の思い込みや偏見を一人ひとりが取り除いていくことが、いままさに求められています。  中高年の再就職での不調要因は本人要因ばかりではなく、受入れ側の企業、NPO法人、社会福祉法人の課題も多く指摘されています。例えば、求人ニーズや求める役割が不明確などお手並み拝見的であったり、逆に過度な期待を寄せているなど、高齢社員の採用場面での改善余地も大きそうです※9。  人材マッチングを支援する機関にも「高齢者専門窓口」を設置する事例が出始めています。相談に乗る側も、高齢者特有の体力面でのハンディキャップや、高齢者の能力、心理状態に関する正しい知見や造詣を深めていく努力が求められています。 さいごに  イギリスの歴史人口学者ピーター・ラスレットは、ライフコースを4段階に分け、責任と所得の時代の「セカンドエイジ」から、個人的な実現と達成の時代の「サードエイジ」への円滑な移行を唱え、サードエイジを人生最良の時代としました※12・13。個人・企業・社会が互いにカバーし合いながら、最良のサードエイジを実現したいと思います。 ※1 池口武志・杉澤秀博「50〜60代会社員のキャリアチェンジのプロセス〜大企業のホワイトカラー職種(管理職)出身者を対象として〜」、『老年学雑誌』第14号に掲載予定(2024年3月発行予定) ※2 神谷美恵子『生きがいについて』(1966年・みすず書房) ※3 トム・ラス他『幸福の習慣』(2011年・ディスカヴァー・トゥエンティワン) ※4 内閣府「生活状況に関する調査(平成30年度)」 ※5 厚生労働省『令和元年版 労働経済の分析―人手不足の下での「働き方」をめぐる課題について―』 ※6 竹内規彦「シニアの心の高齢化をいかに防ぐか」、『Diamond ハーバード・ビジネス・レビュー』2019年4月号(ダイヤモンド社) ※7 大木栄一「高年齢者の大企業から中小企業への円滑な転職」、『玉川大学経営学部紀要』第25号 ※8 厚生労働省「令和4年 高年齢者雇用状況等報告」 ※9 中馬宏之監修『中高年再就職事例研究 成功・失敗100事例の要因分析から学ぶ』(2003年・東洋経済新報社) ※10 石山恒貴『定年前と定年後の働き方―サードエイジを生きる思考』(2023年・光文社新書) ※11 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構『エルダー』2023年11月号「特集:令和5年度 高年齢者活躍企業コンテスト」入賞企業事例 ※12 木下康仁『シニア学びの群像 定年後ライフスタイルの創出』(2018年・弘文堂) ※13 Laslett,Peter 1989/1991 A Fresh of Life:The emergence of theThird Age, Harvard University Press 図表 生涯現役で働くことの意義と課題 高齢者 ・仕事を通じた生きがい向上 ・高いワーク・エンゲイジメントの発揮 〈課題〉 自らの可能性を広げる機会を持つフリーランスも選択肢にする 社会全体 ・地域共生社会づくりへの寄与 ・社会全体での人材の有効活用 〈課題〉 無意識の偏見の克服 高齢者に配慮したマッチング支援 企業経営 ・人手不足への対応 ・ダイバーシティ経営の推進 〈課題〉 経験を活かせる役割の付与 柔軟な勤務環境の整備 事例1 日青(にっせい)木材(もくざい)株式会社(東京都江東区) 目標は週休3日、働き方改革で休暇を増やし「働き者」の高齢社員の公私充実を実現 木材の街・新木場で伝統事業を支える高齢社員  日青木材株式会社は、木材の街・東京都江東区の新木場(しんきば)で事業を営む材木問屋。独自の資材力・物流力を活かして、関東近郊であれば即日・翌日配達を実現し、大手ゼネコンが手がける都市開発などに土木・建築用資材を提供している。1964(昭和39)年、2021(令和3)年に開催された東京五輪でも、資材の供給を行っている。  江戸時代から材木商や製材業者が軒を連ね専業地域だった木場が、戦後、都市化して住宅が増えたことから、貯木場としての機能を新木場に移し、600以上の木材問屋が新木場へ移転した。しかし、時代の変遷とともに一般住宅における建材の供給様式も変化し、近年では木材問屋は300件ほどまでに減少した。「実際に木材を扱っている事業所はその半分くらいではないでしょうか。新木場一帯はすべて木材の会社でしたが、運送会社や倉庫が増え、木材を運ぶ車の行き来もずいぶんと少なくなりました」と、代表取締役の青木(あおき)一(はじめ)さんは話す。  そうした状況下において、業界発展の一端をになう日青木材は、高齢社員の力をおおいに活用し、その力に支えられている企業の一つだ。  日青木材の社員数は16人(業務委託1人含む)。年齢構成をみると、80代2人、70代5人、50代5人、40代2人、30代1人、20代1人で、平均年齢は60歳。おおよそ2人に1人が70歳以上と、高齢社員の割合が高い。青木代表取締役は、大叔父にあたる現会長から会社を引き継ぐために、2017年に同社に入社し、2023年に代表取締役に就任した。青木代表取締役は大学卒業後、ほかの木材会社に就職し経験を積んでおり、業界歴は長いものの、日青木材を継ぐことにあまり気乗りはしなかったという。しかし、実際に会社を見学し、60歳を超える社員たちが一生懸命に仕事をしている様子を見て気持ちが変わった。会社を移ってから、一貫して社員が働きやすい職場環境の改善に取り組んでいる。 「働き方改革宣言」による休暇増加が公私充実の鍵  日々の生活のうち、働いて過ごすことで充実感を得るという高齢者は少なくない。同社の高齢社員もみんな働き者だ。そこで会社として、できるかぎり働きやすい職場環境を整え、生活の質の向上、ひいては人生の豊かさにつなげたいとの思いで、2019(平成31)年3月18日に「TOKYO働き方改革宣言」を行った。  「TOKYO働き方改革宣言企業」制度は、東京都が都内企業の働き方改革の気運を高めていくため創設し、働き方・休み方の改善に向けて、「働き方改革宣言」を行う企業にさまざまな支援を行うというもの(宣言企業の募集は2020年度で終了)。宣言した企業は、社員の長時間労働の削減、年次有給休暇の取得促進などに向けた目標および取組み内容を定め、「働き方改革宣言」を行い、会社をあげて取り組む。  同社は、働き方改革の目標として、「時間外労働・休日出勤を減らし、月の残業時間45時間以内を目ざす(働き方の改善)」、「業務のばらつきがなくなるように全員が平等に休暇を取得できるような職場をつくる(休み方の改善)」を宣言した。具体的な取組みは次の通り。 ■「働き方の改善」の具体的な取組み ・業務の効率化、見える化を行い、作業分担をしっかり行う ・業務の週間管理表を作成する ・工数のかかる作業を見える化し、IT化していく ■「休み方の改善」の具体的な取組み ・休日をシフト制にする ・社員全員の休暇申請・取得状況を見える化する ・社員全員の休暇希望を見える化し、効率よく作業できるようにする  宣言による目標の設定と取組み内容の明文化は、取組みを推進するにあたり高い効果があった。「特に休み方の改善は実施して非常によかったと思います」と青木代表取締役は話す。  というのも、都市開発の現場は土曜日も稼働していることが多く、資材の当日配送に対応するには、週6日事業所を開所させなくてはならず、必然的に社員たちは週6日勤務になっていた。  そこで、働き方改革宣言をきっかけにシフト勤務を導入したことで、完全週休二日制を実現、日々の業務による疲労回復にもつながっている。特に、体力が落ちる高齢社員にとって、疲労は心身の不調をきたす要因の一つ。かつ余剰人員がいない体制において、不調の出現を防げていることは事業所にとっても大きい利点となった。  勤務シフトは全員分を一覧表にしたもので、1カ月ごとに作成を行うが、シフト決定後の休暇申請にも柔軟に対応している。「仲間と旅行に行きたいから」と追加の休暇を相談されることもしばしばだ。旅行好きな高齢社員はよく連休を取得して旅行に出かけ、驚くほど土産を買い込み社内で配ってくれるという。 朝型の社員に合わせた柔軟な勤務体制も  同社における勤務体制は、高齢社員が多いこともあり非常に柔軟だ。70代以上の高齢社員の大半はパートタイマーで、週5日、8時〜17時の勤務を基本とするが、朝型が多い高齢者に合わせて柔軟に働くことができる仕組みとなっている。  「高齢者は朝が早い人も多く、7時には仕事を始める社員もいますので、帰りはその分早く退社してもよいことにしています」(青木代表取締役)  柔軟な働き方や、前述の「休み方の改善」による休暇取得の取組みにより、高齢社員が働きながらゆとりある生活を実現している。 伸び伸びできる仕事が生活全体を豊かにする  同社の高齢社員が働く理由として、「孫に小遣いをあげたい」、「旅行がしたい」、「外食を楽しみたい」など、収入に期待する一面がある一方で、「働くことそのものが心身のためによい」と感じ、気負いなく働いている人がほとんどだという。  4年前、ハローワークを通じて入社したフォークリフト担当のAさん(77歳)は、同社が出していた希望条件と合わず、年齢も70歳を超えていたことから、青木代表取締役は、採用におよび腰だったという。しかし、ハローワークの担当者から「やる気がある人だから」と説得され、面接を実施したところ年齢を感じさせないパワーとやる気がある人物だったため、「お会いしてみてその場で採用を決めました」という。Aさんは社交的で友人関係が広く、プライベートはひんぱんに仲間と国内旅行に出かけるなど、休暇をアクティブに過ごしている。  Bさん(76歳)は、40年近くフォークリフトに乗る大ベテランだ。「フォークリフトの上で生涯を終えるに違いない」と尊敬を込めて冗談をいわれるほどの熱意で日々の仕事に励んでいるという。Bさんは悪性腫瘍の療養を終え、仕事復帰を考えていたところ、Aさんの紹介で入社した。入社間もないころは体調を崩すこともあり、周囲は心配したが、働くにつれ元気を取り戻し、いまは活き活きとフォークリフトを操っている。「働かないと動けなくなる」といわんばかりに、仕事が生活の張合いになっているという。  正社員のCさん(70歳)は、長年事務の屋台骨を支えてきた人物。働き方改革宣言後、物流システムの見直しを行い、だれでも仕入れや出荷の情報を確認できるようにしたことでCさんの負担も減少、月次精算の処理も楽になった。「システム入れ替え前と比べて残業がほぼなくなり、プライベートの時間が増えた」と喜んでいるそうだ。  20年以上業務委託で同社の仕事を請け負っている配達担当のDさん(71歳)は、個人で所有するトラックが故障し廃業を考えていたが、会社がトラックを購入し貸与する形で仕事を続けてもらっている。  60歳が目前のEさん(59歳)は、社歴が長く、敷地内に果樹を植えたり、さまざまな小道具を手づくりしたりと、職場環境改善の工夫に取り組んできた人物。2年前に病気で倒れ、以降、土・日曜日固定で休みをとっている。この事情を社員全員が理解し、Eさんが土・日に休めるよう協力してシフト調整をしている。  青木代表取締役は、「高齢社員は本当に働き者です。若手や中堅なら『もう終わりにしておこうかな』という場面で、『これだけは終わらせる』というふんばりが利くところがすごいと思います。文句の一つもいわず、任せた仕事をしっかりこなしてくれます」と感謝の念を口にした。 高齢社員の自主性を最大限に尊重し環境整備  同社の構内は、どこも自主的に整頓され、テーブルやゴミ箱なども必要に応じて高齢社員たちが手づくりしたものばかり。「高齢社員は自分たちで工夫して楽しむ達人」(青木代表取締役)というように、仕事場も、休憩場所もおのずと働きやすく、くつろげる空間にしている。  「どんなものでも、あるものを利用してつくってしまうからすごいですよ。職場環境の改善につながる、『こういった作業で、こんな素材を使った什器がつくりたいから材料がほしい』という要望には、しっかり応えていきます」  また、高齢社員の意見は会議の場でもしっかり吸い上げるようにしている。月に一回実施する全体会議は、社員全員が発表する機会となっており、高齢社員からは、日々の業務に関する要望が多い。「出庫表の伝票を大きく見やすくしてほしい」、「入庫時に物を置かないでほしい」、「在庫にこの商材はいらない」など、指摘があった状況を改善し、働きやすい職場づくりに努めている。  建設需要の高まりや競合他社の減少などを背景に、同社の業績は上向きで、社内の雰囲気もよいと話す青木代表取締役。好調なときこそ、その利益をしっかり社員に還元するのも日青木材流だ。事務所の椅子をすべてアームレストつきの高品質なオフィスチェアに入れ替えたほか、トイレを改装し、きれいな個室を設けて最新式のシステムトイレにリフォーム。月の売上目標を達成した翌月は、老舗料理店の豪華な弁当をとって全員で食べるなどしており、社員の楽しみの一つにもなっている。  高齢社員の健康を守る環境づくりにおいても余念がない。夏はペットボトルのお茶を冷蔵庫に用意し、こまめに水分補給ができるようにしているほか、夏の厳しい日ざしのもとで行う作業の負担を和らげるため、ファンつきの作業着を会社負担で配付した。社員がくつろぐ休憩室には、洗面台、給湯室、冷蔵庫、トイレを完備している。また、2021年からは、社員各自の毎日の歩数を一覧表に記録し、健康意識を高めるための取組みも行っている。  コロナ禍を経て、最近はインフルエンザが流行していることもあり、青木代表取締役が朝出勤した際に、事務所内の扉など、人の出入りがある場所に消毒液を噴霧して拭き上げている。「余剰人員がいないので、感染症が流行ったら営業はままなりません」と説明するも、それ以前に高齢社員の体調を心配し、これ以上ないほど大切にしているからこそ成せる配慮である。「彼らにこれ以上年をとらないでほしいです。会社の若返りも考えていません。いまの状態が非常によいので、このまま続けばよいですね」と話してくれた。 高齢社員を尊重することが社員全体の公私の質を高める  同社の定年は65歳だが、65歳を超えて働く人がほとんどであることもあり、定年制の撤廃を検討中だという。「定年撤廃の前に、この先2〜3年の間で週休3日制を実現するつもりです。ですが、現状のシフト勤務から月2日休日を増やせば週休2・5日になるので、これはすぐにでも実行できる気がします」と青木代表取締役は軽やかな口調で抱負を語った。  今後も高齢社員が年齢を重ねていくなか、仕事と余暇、心と身体のバランスが整った生活を実現していくために、会社の仕組みを柔軟に変えていく。そんな同社の高齢社員を尊重する柔軟な取組みが、高齢社員のみならず社員全員のQOLを高め続けていくだろう。 写真のキャプション 青木一代表取締役 フォークリフトを扱うBさん(右) 事例2 公益社団法人日光市シルバー人材センター(栃木県日光市) 地域を支える多様な仕事をにないライフスタイルに合った働き方を 全国で1308センターが活動会員の力を地域のニーズに活かす  「シルバー人材センター」は、高齢者が会員となり、本人のライフスタイルに合わせて、臨時的・短期的な仕事に就き、働くことを通じて生きがいを得るとともに、社会参加を通じて、地域社会の活性化に貢献している。  シルバー人材センターは、原則として市区町村単位で設置されており、2023(令和5)年3月末現在、1308団体が公益法人として活動している。各センターは、「自主・自立、共働・共助」の共通理念に基づき、それぞれが独立した運営を行い、会員拡大に励み、高齢者の力を仕事やボランティア活動に発揮できる環境を整え、地域の多様なニーズにつなげて応えている。  「公益社団法人日光市シルバー人材センター」(以下、「日光市SC」)は、1986(昭和61)年9月に設立。2006(平成18)年3月に今市(いまいち)市、(旧)日光市、藤原町(ふじはらまち)、足尾町(あしおまち)、栗山村(くりやまむら)が合併して新たな日光市が誕生したことにともない、当時の今市市シルバー人材センター、藤原町シルバー人材センター、および日光市シルバー人材センターが同年4月に統合して新しい日光市SCとなり、現在に至る。2023年3月末現在、会員数は516人、2022年度の事業収入は約3億4000万円となっている。 道路パトロール、広報、育児支援など多種多様な仕事を会員に提供  日光市SCは、広大な市内に3カ所の事務所を置き、市域全体を対象とする市道巡回補修(道路パトロール)、市広報の配布、放課後児童クラブの運営、公共施設の管理、地域の高齢者の暮らしや通院のサポートなど、さまざまな仕事を市や公共団体から受託している。加えて、民間事業所や家庭から、庭木のせん定や草刈り、清掃、襖・障子張り替え、育児支援など多種多様な依頼を受注。それらの仕事をセンターの事務局が会員に提供し、会員はグループで仕事をシェアしたり、ローテーションで就業をしたりして、一人あたり月10日程度の就労日数で仕事に従事している。  また、会員が主体的に行う独自事業も手がけており、地域特性などを活かし、日光杉並木観光ガイド、陶芸品・手芸品等の製作販売、手打ちそばの製造販売、刃物研ぎ、子ども書道教室を展開している。  これらのなかでも、放課後児童健全育成事業(放課後児童クラブ)の運営に最も多数の会員がたずさわり、子どもたちが放課後を安心して過ごせる環境づくりにおおいに貢献していることが、日光市SCの事業の大きな特徴だ。  放課後児童クラブ(以下、児童クラブ)は、就労や介護などにより保護者が昼間家庭にいない児童に対し、遊びや生活の場を提供して健全な育成を図る施設であり、日光市ではその運営を、日光市SCをはじめNPO法人などに委託している。  日光市SCは、行政合併以前の旧今市市時代からこの事業に取り組み、実績が認められて継続されてきた。行政合併を経てから業務は拡大し、現在では市内48の児童クラブのうち、32の児童クラブを日光市SCが受託。児童クラブの対象児童数約1300人のうち、日光市SCの32児童クラブで約1000人を受け入れてい る。 100人以上の会員が児童クラブの子どもを見守る  日光市SCが運営する児童クラブは、小学校の空き教室や小学校敷地内の建物などにあり、あわせて100人を超える会員が指導員として就業している。会員の5人に1人以上がたずさわっている事業である。指導員には元教諭や保育士など子どもにかかわる仕事を長年務めてきた会員もいれば、子どもとはかかわりのない仕事をしてきた会員もおり、その経歴はさまざまだ。そのため、当該事業にあたる会員は、新任指導員研修の受講を必須としている。  会員は通常、児童を受け入れる1時間前に各クラブに集合し、清掃やミーティングを行い、子どもたちが来ると、うがい、手洗い、健康チェックを実施して、宿題や自主学習、おやつの配付、その後は外遊びや室内遊び、自由勉強や読書などを見守り、保護者の迎えを待つ、という流れである。  日光市SCの鈴木(すずき)伊之(よしゆき)常務理事兼事務局長は、「子どもたちが集団生活を気持ちよく過ごせるよう約束ごとを決めているほか、クラブごとに会員が工夫して、七夕やお月見、クリスマス会など子どもたちが楽しめる季節の行事を取り入れています。コロナ禍も緊急事態宣言下にあっても原則開館し、保護者のみなさまが安心して就労できるよう、子どもたちを受け入れていました。クラブごとにシフトを組んで就業していますが、会員がよくがんばって対応し続けてくれました」と児童クラブの仕事を語り、日ごろの会員の工夫や責任感、コロナ禍における仕事ぶりをたたえる。  児童クラブの仕事は、健康で働く意欲があれば就くことが可能だが、いざ働いてみて、イメージと違っていたとか、体力的に自分にはむずかしいといったこともあるため、事務局では事前に事業概要を説明し、最初は試用期間として就業体験をしてもらい、継続する会員には新任指導員研修を受講してもらうことにしている。また、実務経験2年以上の会員には、希望により、「栃木県放課後児童支援員認定資格研修」の受講をうながし、さらに必要な知識・技能を習得する機会としている。 安心して安全に働ける環境づくり  児童クラブにおける会員一人あたりの就業日数は週3〜4日で、就業日はそれぞれの希望を聞き、なるべく応じられるようにシフトを組んでいる。各児童クラブの班長・副班長がリーダーシップを発揮して会員をまとめ、円滑な運営に努めているほか、事務局のコーディネーターが事業全体をサポートし、小学校との情報共有などもにない、「子どもたちの安全はもちろんですが、会員が安心して安全に働ける環境づくりにも努めています」と鈴木事務局長は話す。  この環境づくりは、シルバー人材センターのすべての就業に共通していることで、高齢者に適さない危険のともなう仕事は受けず、仕事の仕方も安全第一でスケジュールを立て、依頼者の理解を得て行うことにしている。事務局は日ごろから会員の声に耳を傾け、何かあれば相談に応じる。会員にとっては、月10日程度の就業のため、地域活動や趣味、家族との時間などを大事にしながら、やりがいを感じる仕事ができる場となっている。 援助を必要としている高齢者の力になり役に立つ喜び  児童クラブの仕事は、子どもたちに対応するという内容から、「77歳まで」という年齢上限を内規としている。しかし、77歳を超えたら仕事がなくなるのではなく、年齢上限のない別の仕事に就くことができるという。  例えば、市から受託している高齢者世帯の暮らしのお手伝い事業では、納戸からコタツを出したい、落ち葉掃きを頼みたい、ゴミ出しをお願いしたいなどのちょっとした依頼≠ェあるという。単発で、いつでもある仕事ではないが、「役に立てるなら」と快く引き受けてくれる会員が必ずいるそうだ。  「日光市は高齢化率が高いこともあり、『援助を必要としている高齢者の方々を支えたい』という思いや、『感謝されたことがうれしかった』、『励みになった』という話を会員から聞きます。月1、2回程度の仕事でも、『張合いがあります。私にできることならやります』といってくれる会員もいます。  元気な高齢者が地域で援助を必要としている方の力になる。こうした事業では、会員は働くことを通じてだれかの役に立てる喜びを感じ、そのことがモチベーションになって元気な状態が長続きしている、そんな会員が多いように感じています」(鈴木事務局長)  暮らしのお手伝いのほかにも、高齢者を対象とした通院移送サービス、個人からの依頼による墓地の清掃代行などさまざまな仕事がある。 特技や趣味を仕事にして仲間と地域貢献する事業活動  独自の事業では、会員の特技や趣味、好きなことを仕事にして、仲間と楽しみながら地域貢献する事業活動を展開している。  日光杉並木観光ガイド事業は、「世界で最も長い並木道」としてギネスブックに掲載されている日光杉並木の一部や周辺の史跡を散策しながら日光の魅力を紹介する事業である。1997年に開始し、郷土の歴史や文化財、観光などに関心を持つ会員が、ガイドになるために研鑚(けんさん)を重ね、案内の仕方にも工夫を凝らし、個人旅行、団体旅行に対応。修学旅行や地元の小学校の総合学習において依頼されることもある。コロナ禍の影響を受けて現在は依頼数が減っているが、4人のガイドは毎月「観光ガイドの集い」を開催して仲間と新たな情報を共有するなどして、次の依頼に備えて熱心に準備を行っている。  陶芸品の製作販売は、2000年に日光市の生涯学習の一環として、日光市SCの事務所がある「生きがいセンター」に陶芸窯が設置され、その教室で学んだ人たちがセンターの会員になったことがきっかけとなった。高い技術を持つ会員もいたことなどから、活動を開始。現在6人の会員が皿や花瓶などをつくり、JA直売所など3カ所で販売をしている。メンバーは、仲間との製作活動を楽しみながら、地域に貢献できるよう、多くの人に好まれるものづくりを目ざして励んでいる。  手打ちそばの製造販売は、センターの会員が立ち上げた「そば打ち愛好会」から、事業に発展した。日光はそばの名産地であり、愛好者も多いという。そうしたなかでそば打ち愛好会が発足し、センターのイベントなどで販売をしていたところ、「おいしい」と評判を呼んだため、必要な許可を取得して、毎月第3土曜日、十数人の会員でそばを打ち、打ち立てのそばをセンター事務所で販売している。販売後に仲間と打ったそばを食べることも、メンバーの楽しみになっているという。  子ども書道教室は、夏休み・冬休みの各2日間開催する教室事業で、もともとは生きがいセンターで活動していた愛好会の人たちが会員になり、研鑚を積むなかで事業化された。現在5人の会員が夏・冬休みに小・中学生を対象として、初日は練習し、2日目に作品を仕上げる教室を開き、好評を得ている。講師を務める会員は、センターの受注する賞状書きなどの仕事も行っており、向上心を持って腕を磨き続けている。 地域に貢献し、新たな仲間も元気が長続きするシルバー人材センター  シルバー人材センターの仕事は、収入面では多くを望めないものの、多種多様な仕事があり、これまでつちかったスキルや経験を活かすことができるほか、未経験の仕事にチャレンジする機会もある。そして、自分のライフスタイルに合った働き方ができることや、自分の住む土地で、地域の役に立つ仕事ができることが大きな魅力といえる。  「『シルバー人材センター』の名は多くの方に認知されていますが、多様な仕事や独自事業があること、自分の都合に合わせた働き方ができることまではあまり知られていません。また、ボランティア活動やグラウンドゴルフ大会、互助会などもあり、仲間と楽しむ活動にも取り組んでいます。これまでまったく異なる道を歩んできた人たちと、『子どもが好きだ』、『そばが好きだ』という共通点で仲間となり、新たな交流を広げている会員さんたちもたくさんいます」と、鈴木事務局長はシルバー人材センターのさらなる魅力をあげる。  65歳、70歳まで企業で働く人が増えていることを背景に、センターへの入会者は70代が中心となり、会員の平均年齢は年々上昇している。そうした状況から、センターの役割は少しずつ変化している。  変化の一つとして、ここ数年、女性会員数が伸びているセンターが増えている。派遣事業で受けた介護や介助、その周辺業務、保育の周辺業務などの仕事で、女性会員の活躍が目立っているという。また、早朝に清掃などの仕事を3時間ほど行い、帰りに友人とのランチや趣味を楽しめるといった働き方もできることが女性に好まれ、会員増加につながっているようである。  鈴木事務局長は、地域を支えるシルバー人材センターの出番はこれからさらに増えていくとみており、「今後も地域から求められる存在であり、地域のなかの仕事に会員がやりがいを感じ、働くことによって元気が長続きする、そんな組織を目ざしていきます」とこれからを見すえる。シルバー人材センターの働き方に賛同し、入会する高齢者が増えていくことが期待される。 写真のキャプション 鈴木伊之常務理事兼事務局長 そば打ちを行う会員 子ども書道教室の様子 事例3 sunday(サンデー) zoo(ズー)店主 奥野(おくの)喜治(よしはる)さん 健康を保ち、謙虚さを忘れず、感謝の心を抱き続ける三つの「K」を合言葉に豊かな第二の人生を開拓 週末限定のコーヒースタンドに無類のコーヒー通が足しげく通う  東京都江東区にある、清澄白河(きよすみしらかわ)。清澄庭園に代表される下町情緒の色濃い街でありながら、モダンアートで知られる東京都現代美術館があり、さらに近年では最新スタイルのカフェが軒を連ねている。2015(平成27)年に、コーヒーのパイオニアであるブルーボトルコーヒー日本1号店が清澄白河にオープンしたことが大きな話題を呼んだが、その1年前に清澄白河でコーヒースタンドを創業したカフェの先駆者がいたことをご存じだろうか。2014年にコーヒースタンド「sunday zoo」を開いた奥野喜治さん。ハンドドリップでコーヒーを落とす間、妻の明美さんは常連客と楽しそうに世間話に花を咲かせる。「会社員」から念願の「個人事業主」へ転身が叶った奥野さん。決して平坦ではなかった10年の歩みをふり返っていただきながら、妻と二人三脚で切り盛りしてきたコーヒースタンドへの愛着と、一歩先の夢を語っていただいた。奥野さんの言葉のなかに、定年後起業のヒントが散りばめられている。 全日空ひとすじに半世紀働きながら学んだこと  「私は大阪の生まれです。高校を卒業後は大学進学を目ざしたのですが、なかなか叶わずに結局就職することに決めました。特に進みたい分野などはなかったのですが、全日空が高卒者を採用することを新聞で知り、『空の仕事は格好いいかな』と思い応募してみました。当時の全日空はいまほどの巨大企業ではなかったのですが、やはり人気が高く、すごい倍率であったことだけは覚えています。運よくその高い倍率を勝ち抜いて就職が叶いました」と奥野さん。  配属されたのはフライトマネジメントの部門で、ディスパッチャー(航空機運航管理者)として燃料計算や飛行計画の作成などをサポートする業務に就いた。転勤の多い職務で、まず大阪で3年間勤務した後、高知へ転勤となった。その後も大阪、沖縄、成田、さらにはオーストリアのウィーンで5年間の勤務もあったという。高知へ配属されたとき、高知空港(高知龍馬空港)で同じ全日空の管理課に勤務していたのが後の妻となる明美さんであった。2人は結婚し、明美さんは退職、奥野さんの沖縄以降の転勤にはすべて同行した。フライトマネジメントの仕事を四半世紀近く務めた後、羽田空港で空港マネジメントの業務に移り、10年ほど勤務の後、定年を迎えた。  「空港マネジメントというのは、空港環境計画の作成や教育、啓発活動など多岐にわたります。要は顧客満足度を向上させるためのさまざまな施策を上司に提示していくという仕事でした。いかにお客さまに満足していただけるかを考える部署で10年間働いた経験は、個人事業主に転身していく過程でおおいに役立ちました。マネジメントを学べたからこそ、思い切って個人事業主に一歩ふみ出せたのだと思っています。62歳で定年を迎えましたが、65歳まで嘱託として働けるということで迷わず働き続けることにしました。週3日勤務になるため、当然賃金は下がりますが、副業可能という点が私にはありがたいことでした。私たち夫婦はカフェや雑貨屋を巡ることが好きだったので、『定年後は自分でカフェを経営したい』と考えていましたが、最初のころ、妻は本気にしていなかったようです。ただ、自宅に焙煎機を置いて焙煎の勉強をしている姿を見て、少しずつ理解してくれたのではないかと思っています。そして、2014年、念願のコーヒースタンドを開業することができました。2016年に全日空を65歳で退職するまでの2年間は月・火・水曜日は会社に出勤、木曜日はコーヒー豆を焙煎して、週末の3日間にお店を開けました。ダブルワークで心身ともにきつかったのですが、『夢を叶えた』という思いが支えになって乗り切ってこられたように思います。若くして結婚、転勤にもすべてついてきてくれて、その後もずっと添い続けてくれている妻には感謝しています」と奥野さんは白い歯を見せた。 「失敗するかしないかはやるかやらないかだ」という言葉に背中を押された  奥野さんは、2013年ごろから自転車で走り回って店舗となる物件を探していたという。いまのお店がある建物を通り過ぎたとき、そこにあった小さな事務所に心惹かれた。中をのぞくと、白い壁がとてもきれいだったので奥野さんのイメージが膨らみ「ここでお店をやろう、街の人たちにとびきりおいしいコーヒーを飲んでもらおう」と、奥野さんはすぐに大家さんをたずね、手つけを打った。白い壁を活かして店内をレイアウトし、カウンターや棚、マガジンラックや看板など、数脚の椅子以外はすべて2人で手づくりした。  2014年1月17日に奥野さん夫妻の夢のカフェ「sunday zoo」はオープンした。1995年1月17日の阪神・淡路大震災を忘れないでいたいという気持ちを開店日に込めた。sunday zooは三つの駅から等間隔の距離にあり、決してアクセスがよいとはいえず、道路に面してはいるものの人通りはそう多くはない。開業してしばらくは不安な日々が続いたという。ただ、会社員時代から焙煎を学び、心を込めてていねいに入れたコーヒーは家族にも好評だったので、コーヒーの味には自信があった。やがて、近所の人、近隣の会社で働く人たちが少しずつ店にやってくるようになり、「sunday zoo」の名はしだいに知られるようになっていった。1年目は開業の費用がかかったため当然のごとく赤字であったが、売上げもコンスタントに伸びていったという。  そのころ、「sunday zoo」を追いかけるように、海外からオールプレス・エスプレッソやブルーボトルコーヒーなど世界的に著名なコーヒー店が相次いで清澄白河に進出、大手チェーンのコンビニエンスストアも開業するなど、奥野さん夫妻の不安が高まった。しかし、商売敵の相次ぐ出店によって清澄白河に新しい物好きの若者が集まり始めた。いつの間にか清澄白河は「コーヒーの街」として知られるようになり、多くの人が訪れ、「sunday zoo」にも立ち寄ってくれる人が現れ始めた。  「著名なコーヒー店の集客効果はものすごいものがありました。あせってすぐに店を閉めなくてよかったと思います。私が開業のことでいろいろと悩んでいたとき、ある人に相談したらこんな言葉をかけてくれたのです。『失敗するかしないかはやるかやらないかだ』と。私は本当にそうだと思いました。やらなければ失敗はしないけれど成功も当然ありません。シニアで起業を考えている人にはこの言葉を私から贈ります。シニアの起業のポイントは、あまり考えこまないことだと私は思います。若い人よりも残された時間が少ないので、ぐずぐずしていたらすぐに時間はなくなってしまうからです。そして、もうひとつ、定年になってから考えるのではなく、少なくとも10年以上かけて準備を進めておくことが大切です。私も、カフェをやりたいという思いは漠然とはあったものの、実際に必要なコーヒー豆の焙煎などの勉強に10年は費やしています。  そういう意味では、シニアは起業しやすい環境に恵まれていると思います。なぜなら、やりたいことがあったら少しずつ準備を進めておけるのですから。若い人の起業とは違うところです。定年前、できれば40代か50代までに具体的な夢を持つことが大切です。  私のことを何かの記事で読まれたのか、『自分も定年後に起業したいと考えているけれど、できるだろうか』とたずねてこられる方もいますが、気持ちが定まっていないようです。まずは自らの意志を強く持つことが大切だと思います」と奥野さんは言葉を強めた。 一杯のコーヒーで会話が弾み人生を楽しくする出会いが生まれる  「sunday zoo」では豆の焙煎から行っており、抽出はすべてハンドドリップでじっくり落とす。多いときには1日80杯以上淹れることもある。豆は焙煎度の異なるブラジル、コスタリカ、グアテマラなど8種類を常備しており、自分の好みを伝えると、奥野さんがその場でコーヒー豆を選んでくれる。いまでこそドリップで抽出しながらお客さんと会話ができるようになったが、もともと口下手な方だったので、以前はなかなかお客さんとコミュニケーションをとることができなかった。黙々とコーヒーを淹れる奥野さんを見かねて、明美さんが「短い言葉でもいいから何か話しかけてみれば」と助言。高知空港で働いていた際は接客も担当していた明美さんならではのアドバイスだ。いまでは常連さんが、コーヒーはもちろん、カウンター越しのおしゃべりが楽しみでお店が開いているときは毎日のように集まってくる。こぢんまりした店内はお客さんが座るスペースもかぎられているため、テイクアウトの人が多いが、なかには立って飲んで帰る方もいるそうだ。  カウンター越しに奥野さんとお客さんの話が弾み、そこに明美さんが加わって店内は笑い声が絶えない。店の名前は、あるとき7人の孫たちが一堂に集まったとき、まるで動物園のようににぎやかだったことから、人がにぎやかに集まってほしいという思いを込めて「zoo」という言葉を入れたそうだ。お店のカードや看板、店内のいたるところに見え隠れする可愛いゾウのイラストは奥野さんの作品である。  「現在金曜日から日曜日の3日間だけ開店し、10時半から18時まで、日曜日は16時半までが営業時間です。週末3日のみの開店は、私のダブルワーク時代からの慣習そのままです。いまは専業になったので毎日開店ということもできますが、私のようなシニアが長く仕事を続けていくためには決して無理をしないことが大切です。お客さまには申し訳ないけれど、いまではみなさん、よくわかってくださっています。私たちもお客さまに会える週末がとても楽しみで、いろいろな方に支えられ今日まで頑張ってこられました」と奥野さん。 シニア世代よ起業を実現し夢を叶えよう  「シニアは起業しやすいと私が思うのは、なにより人生経験が豊富だからです。また、起業は良くも悪くも自己責任を全(まっと)うしなければいけませんが、まじめで責任感のあるシニアならクリアできるはずです。ただ、人から学ぶことは大切ですが、方法を簡単に他人にたずねることだけはしてはいけません。自分の夢を叶えるために、まずは自分の頭でしっかり考え構想を練るべきです。ワーク・ライフ・バランスという概念は個人経営者にはあまり必要ないと私は思います。ワークそのものがライフというか、働くことが生きがいなのですから。もし、バランスということをいうなら、趣味を持ち仕事にのめりこみ過ぎないことでしょうか。  最後に私が自らに課している三つの『K』をお伝えします。一つめは何より『健康』です。工夫して健康維持に努めていきましょう。二つめは『謙虚であれ』ということです。いばり散らしては若者の成長をじゃまするだけです。年をとればとるほど聞く力を養っていきたいものです。そして最後は『感謝』です。パートナーや家族、友人、お客さまはもちろん、私たちの店を支えてくれるあらゆる業者の方への感謝を忘れたことはありません。さらにつけ加えるならば、『会計力、技術力、営業力』というビジネスの三要素が起業には必要だと思われます。具体的な夢を実現するために努力していけば、だれもがきっと新しい人生を始められると思います」  73歳になったいまも、まだまだ夢を追いかけ続ける奥野さん。シニア世代への熱いエールで締めくくると、そばにいた明美さんが笑顔でうなずいた。 sunday zoo 東京都江東区平野2−17−4 zoo@karny.jp https://www.karny.jp/ 写真のキャプション 入口の看板も奥野さん自身でデザイン。道行く人が目をとめる 手づくりの棚には奥さまの故郷、高知県で親しまれている名産品が置かれている 一杯のコーヒーに心を添えて