第89回 高齢者に聞く生涯現役で働くとは  後藤早苗さん(66歳)は、主婦や子育ての経験を活かし共働きの若い世代の家庭を中心に家事や育児をサポートしている。ていねいな仕事と明るい人柄で「早苗ママ」と慕われる後藤さん。だれかの役に立つことの喜びが、働く機動力になるという、そのエピソードを語る。 株式会社ぴんぴんころり 育児・家事支援サービス東京かあさん 後藤(ごとう)早苗(さなえ)さん 感謝の気持ちを忘れずに  私は千葉県の千葉市稲毛(いなげ)区で生まれました。大学卒業後、銀行に就職しましたが、2年ほどで職場結婚し、いわゆる寿退社をしました。研修でいろいろ学ばせてもらいながら早期退社は申し訳ないという気持ちもありましたが、当時は「結婚したら女性は家庭に入るもの」という風潮もあり、24歳で専業主婦として新しい一歩をふみ出しました。  その後、夫の転勤にともなって何度も生活の場を移しました。東京から兵庫県の各地を回り、また東京に戻るといったことが続き、なんと引越しは7回にもおよびました。目まぐるしい日々でしたが、2人の男の子に恵まれ、子育てに専念できたことは幸せでした。  下の子が小学校低学年になると時間の余裕も生まれ、そろそろ働いてみようかと漠然と考えていたとき、かつて私が入行した銀行がアシスタントを募集していることを知り、応募したところ、採用されました。書類の点検がおもな業務で、週3日のパート勤務でしたが、結局、38歳から20年間勤めました。新卒で縁ができた職場を早くに辞めたことを心苦しく思っていましたが、パートとはいえ時を経てから長い間働かせてもらえたのですから、人生はおもしろいと思います。その後、夫が兵庫県西宮(にしのみや)市の夙川(しゅくがわ)に転勤になったため20年の勤務を終えましたが、当時の職場にはいまも感謝の気持ちでいっぱいです。  「関西有数の高級住宅地・夙川での日々はとても楽しかった」と後藤さん。そして4人の孫を授かり順風満帆と思えた後藤さんの人生に、予測できないことが起きた。 前を向いて新しい世界へ  夙川は街の雰囲気が落ち着いていて、社宅も居心地がよく、夫婦で楽しく暮らしていた矢先、2021(令和3)年に、夫がコロナウイルスに感染して急逝しました。当時、関西圏もコロナの猛威はすさまじく、自宅で亡くなる方も大勢いました。病気ひとつしたことがない健康な夫のあまりにもあっけない最期に、しばらくは茫然としていましたが、いつまでも下を向いていては夫が悲しむと思い、夙川を離れて東京都に住む次男家族の家の近くへ転居しました。  新しい土地では次男家族以外に知合いもおらず、自分からアクションを起こさなければ何も始まらないと、まずは仕事を探すことにしました。あるとき、インターネットで育児や家事を支援する「東京かあさん」という言葉に出会いました。その「かあさん」というやさしい響きが心に刺さり、詳しく調べてみると、自分に向いている仕事のような気がして、思い切って連絡してみました。コロナ禍の影響もあり、オンラインで面談を受け、運よく登録していただきました。64歳の新たな挑戦でした。  「東京かあさん」は株式会社ぴんぴんころりが展開する家事・育児のサポートサービスで、家事代行やベビーシッターの枠を超えて、若い世代の共働き家庭を丸ごと支援する。熟練主婦の後藤さんは天職に出会えた。 だれかの役に立てる喜びとともに  「東京かあさん」のイメージは、実家のお母さんそのものです。共働きの若いご夫婦からは母親目線で自分たちを助けてくれることを強く求められます。そこで登場するのが「お母さんができることはなんでも頼んでください」というちょっとおせっかいな存在です。「東京かあさん」がすごいのは、会社に登録しているシニア世代の母さんたちが若い人を支援すると同時に、自らの就労の機会を得ているということです。会社代表の起業の原点は、シニアが長く元気で働ける場所をつくることでした。  私の「東京かあさん」のデビューは2021年の9月。うかがったのは奥さまが亡くなられて7年ほど経ったお宅で、お手伝いさんが入院されたので家事のサポートをしてほしいということでした。朝7時からお掃除全般を引き受けたのですが、初めてうかがった朝にご主人が朝食を用意してくださったことはいまも忘れられません。週2回、お手伝いさんが戻られるまで通いました。  次にうかがったのは、ご夫妻が会社の代表をされているというとても多忙なご家庭で、私がうかがう1週間前に赤ちゃんが生まれていました。週1回の掃除で10カ月間通いましたが、赤ちゃんの可愛さが日ごとに増して、お宅を辞去するときは寂しくてたまりませんでした。  「東京かあさん」では、私たちワーカーは名前の下にママとつけて呼ばれます。私が「早苗ママ」になって2年余りですが、少し慣れたからか、仕事と生活のリズムをうまくとれるようになりました。現在は、3軒のお宅に継続してうかがっており、合わせると月10日間、25時間になります。  私はお掃除のサポートがメインですが、慣れてくると少し時間があまるようになったので、料理を一品だけつくることもあります。また、「背広のほつれを直してください」といわれれば針を持つこともあります。利用者さんの要望に応えるというより、それぞれの思いや願いに心を添わせることが大切だと私は思っています。  うれしいのは、サポートから自宅に戻ると利用者さんからお礼のメールが届くことです。人はだれかの役に立っていると思えると本当にうれしくなるものです。利用者さんの温かい言葉がいまでは、私の支えになっています。 生涯現役の人生をより豊かに  そのほかにも、サポート先のアメリカ人のご主人に、日本のお花見を味わってもらおうと、英語が話せる次男夫婦と孫とともに、わが家の近所の公園にお誘いしたことがありましたが、とても喜んでくださいました。  「東京かあさん」の仕事は自分で時間の調整ができるので、趣味にもたっぷり時間が使える点も魅力です。私は下手の横好きで、いろいろなことにチャレンジしています。健康に関することでは、毎朝近くの公園でラジオ体操に参加しています。体操の後はおしゃべりを楽しみながらのウォーキングです。新しい土地でも親しい仲間が増えました。この土地にしっかり根ざし、小さなことでもいいから地域に貢献したいと思います。また、ちょっと恥ずかしいのですが、筋トレやヨガも楽しんでいます。「東京かあさん」の最高齢者は85歳の料理のサポーターだそうですから、私も健康に気をつけて後に続きたいと思います。変わったところでは″パーチメント≠ニいうペーパーアートや己書(おのれしょ)≠ニいう書道にもチャレンジしています。  急逝した夫は旅行好きで、日本列島はくまなく2人で回りました。2人で行った土地をもう一度訪ねたいと思っていますが、もう少し時間がかかりそうです。この先も、夫の分まで明るく前向きにこの人生を謳歌(おうか)したいと思います。