知っておきたい労働法Q&A  人事労務担当者にとって労務管理上、労働法の理解は重要です。一方、今後も労働法制は変化するうえ、ときには重要な判例も出されるため、日々情報収集することは欠かせません。本連載では、こうした法改正や重要判例の理解をはじめ、人事労務担当者に知ってもらいたい労働法などを、Q&A形式で解説します。 第68回 未払残業代と代表取締役の責任、高齢者採用と退職金 弁護士法人ALG&Associates 執行役員・弁護士 家永勲 Q1 未払残業代を取締役個人に対して請求された  退職した従業員から未払残業代を請求されたのですが、会社だけではなく、取締役個人にまで請求されています。このような請求が認められることがあるのでしょうか。 A  未払残業代の発生が、取締役の故意または重大な過失による場合には、個人も連帯して責任を負担することがあります。 1 取締役個人に対する請求の根拠  会社と取締役(代表取締役も含みます)は、法的に別人格であり、権利や義務も区別されることになります。そのこと自体が、会社を設立して経済活動を行うことの意味であり、これが区別されないままだと、会社名義で経済活動を積極的に行うことが阻害されてしまうでしょう。  労働基準法に関しても、労働者との間でこの法律を遵守しなければならないのは使用者である会社であり、取締役個人ではありません。ただし、取締役は、会社法に基づき善管注意義務および忠実義務を負担しているといわれており、会社の利益を追求するにあたり、法令に違反しない方法を選択するようにしなければなりません。取締役自身が法令を遵守することに加えて、自身以外の取締役が法令を遵守するよう監視する義務もあり、また、従業員らに法令を遵守させなければ会社の法令遵守は実現できないことから、会社の体制として法令を遵守することを目的とした仕組みをつくることも必要になります。  要するに、取締役は会社に法令を守らせるという任務をになっているということであり、このような任務を懈怠(けたい)することは許されていません。会社法第429条第1項は、「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う」と定めることで、取締役の任務懈怠により取引先などの第三者へ生じさせた損害について、取締役個人が賠償する責任を負担しなければならない旨が定められています。ここでいう第三者の範囲については広く認められており、労働者であっても、賠償請求が可能な第三者には該当すると考えられています。  今回の相談では、未払残業代を生じさせることが任務懈怠といえるのか、どのような場合に取締役の悪意または重大な過失と評価されるのかという点が問題となります。 2 未払残業代と任務懈怠に関する裁判例  管理監督者に該当するものとして、残業代の支払いを受けてこなかった労働者が、会社が解散してしまったこともあり、代表取締役個人に対して未払残業代相当額を請求した事件があります(名古屋高裁金沢支部令和5年2月22日判決)。  当該事案においては、管理監督者に該当するという前提で残業代を支払っていなかったことが、任務懈怠といえるのかという点がまず問題となります。  裁判例では、管理監督者に該当するか否かについては、@経営者との一体性、A労働時間の裁量、B賃金等の待遇などから判断するものとされました。そして、@については営業会議への参加および同会議において提案していたことをもって一定程度の影響力を有しているとされたものの、雇用の決定にまでは関与してなかったとされ、A労働時間の裁量についても、就任前後のいずれもシフトに基づき就労し、また、就任後の方が労働時間は増加しており裁量を与えられていたとはいい難く、労働時間を自己申告にしたとしても裁量があったとは認められず、B従前受けていた残業代の支給を受けられなくなってもふさわしい待遇といえるかという観点からしても3000円程度しか差が出ていない待遇差はふさわしい待遇とはいえないとされ、管理監督者性が否定されました。  管理監督者性については、経営者との一体性という観点から評価されるため、その要件は厳しく、裁判例でも肯定されることは多くありません。このような場合に、代表取締役個人が責任を負担することになるのでしょうか。  管理監督者ではない労働者に対して残業代を支給していない状態は、労働基準法第37条に違反するものであり、取締役としての任務懈怠に該当するという点は反論の余地はないでしょう。残された問題は、代表取締役に故意または重過失があったか否かという点です。  この事件の代表取締役は、社会保険労務士に相談をしたところ、管理監督者にすれば残業代を支払う必要はないが給料も上げなければならないという助言を受け、その要件の詳細の説明を受けることはなく、管理監督者にふさわしいか否かの相談をせずに、残業代の支払義務を免れるために管理監督者の制度を利用していました。このような事情から、管理監督者として扱ったことに重大な過失があると評価されています。  なお、裁判所は、管理監督者該当性の判断基準へのあてはめを誤ったことがただちに重過失とされるものではないとしつつも、判断基準にあてはめることもなく、残業代を支払わない方法として管理監督者の制度を利用したという点を重視して、重過失を肯定しました。  管理監督者という制度が、残業代を支払わないでよいものとして悪用され、「名ばかり管理職」などと呼ばれる現象が生じていることに警鐘を鳴らす判決であるといえるでしょう。  ちなみに、この裁判例では、単に労働時間の計算ミスなどにより、取締役が把握することができない状況で未払残業代が発生したとしても、それがただちに取締役の故意または重過失による損害とはならないことも判断しており、制度の悪用ともいえる範囲で責任を肯定していますので、その影響は限定的ともいえます。何か法令違反があればただちに取締役個人が責任を負担するわけではありません。  しかしながら、法令違反の状態を知りながら長期間放置するような事態になれば、重過失が肯定される可能性は高まっていくことにつながるでしょうし、過去には過労死を生じさせるほどの長時間労働が生じていた企業について、長時間労働の状況が取締役らにより容易に把握可能な状況であったにもかかわらず、これを防止する措置がとられなかったことなどもふまえて、取締役らの個人の責任を肯定した裁判例(大阪高裁平成23年5月25日判決、上告棄却及び不受理にて確定)もあるため、労働関連法令の違反については、会社全体で適法性を確保できる体制づくりを維持することも重要です。 Q2 定年を超えた年齢の人材を採用した場合の退職金の取扱いが知りたい  求人をしていたところ、定年となる年齢を超えた人材から応募がありました。定年後の再雇用もしていることから年齢的には採用可能と考えていますが、留意すべき事項はありますか。 A  退職金制度について、自社で定年を迎えた労働者以外も除外するような内容となっているか、確認しておくことが適切です。 1 高齢者を採用するときの留意事項  自社で定年を迎えた労働者であれば、定年後の継続雇用制度の対象となるため、退職事由や解雇事由がないかぎりは、継続雇用を希望する労働者との労働契約を終了させることはできません。  他方で、高年齢者雇用安定法が定める継続雇用制度の対象者は、自社において雇用する労働者にかぎられるため、他社で定年を迎えた者まで、継続雇用制度の対象として希望されたら雇用しなければならないというわけではありません。  したがって、定年を超えた年齢の労働者から応募があったとしても、通常どおり書類選考や面接の対象としたうえで、採否を決定すればよいということになります。継続雇用の対象も当然増えていると思いますが、他方で、人口全体の高齢化が進んでいる状況ですので、定年を迎えた会社以外で働くことを希望する高齢者や65歳以降は別の会社で雇用されるようになるといった状況はこれからも増えていく可能性があります。  定年を迎えた労働者を継続雇用の対象としている場合に、継続雇用対象者用の就業規則や退職金規程を設けていることがあります。特に退職金については、定年時に支給をしている前提ですので、退職金は支給しない旨を明記していることが一般的でしょう。  ところで、継続雇用対象者用の就業規則や退職金規程において、対象労働者の定義をどのように定めているでしょうか。例えば、「会社を定年退職し、継続雇用の対象となった労働者」といった定義にしている場合、ここでいう「会社」は就業規則上自社のことをさすと定義されているでしょうから、定年を超えた年齢で採用した労働者は「会社を定年退職」したわけではないため、この継続雇用対象者用の就業規則の対象とならない可能性があり、その場合に、正社員の就業規則などが適用される可能性があります。 2 退職金制度に関する裁判例  定年年齢を超えた労働者を雇用したところ、当該労働者に退職金の支給を定めた規定が適用されるか否か、退職金を請求することができるか争いになった事件(大阪高裁平成9年10月30日判決)があります。  この事件において、会社は、退職金について、「従業員が退職したときは退職金を支給する。但し、勤続年数が3年未満の者には支給しない」という内容と、計算方法として「基本給×勤続年数÷2」を就業規則に定めていました。  事件の当事者となった労働者は、勤続年数が3年を超えていたことから、退職金の請求が可能であるとして、退職金を会社に対して請求しました。会社としては、通常であれば定年時に退職金を支給しており、定年を超えて採用された労働者は退職金の対象とならないと反論しました。  裁判所は、「被控訴人(筆者注:会社)が平成六年一二月一五日付で制定し労働基準監督署に届け出た本件就業規則は、規定の上で、適用対象を正社員に限定しておらず、高齢者を適用対象とする就業規則が別に制定されていたものではなく、又、被控訴人がそれ以前に制定し労働基準監督署に届け出ないまま事実上使用していた旧就業規則でも、規定の上で、適用対象を正社員に限定せず、高齢者を適用対象とする就業規則が別に制定されていたものでもなかった」ことを理由に、高齢者を区別していなかった以上は、定年を超えて採用された労働者であっても就業規則の適用を受けると判断しました。さらに、「就業規則には高齢者に退職金を支給しないという明文の定めがなく、勤続三年未満の者には退職金を支給しないとの定め以外の適用排除規定が見当たらず、退職金は基本給と勤続年数を基礎にして算出される定めとなっており、控訴人についても右定めによって退職金を計算することが可能であること」や定年年齢を超えた採用であったことから「退職後の支給であるため年金を受給しつつ労働を続けるために賃金や諸手当を低額に抑えるという要請を受けないこと」などから、退職金の規定を適用できないと解すべき根拠がないと判断されています。  結果として、60歳の定年年齢を超えてから採用した従業員に対して、退職までの勤続年数約7年に相当する退職金を支給するように命じられるという結論になりました。  このような事例は特殊であるように思われるかもしれませんが、そうともいいきれません。自社の就業規則について、定年後再雇用者はどのような定義になっているか確認しておくべきでしょう。嘱託社員などと呼ばれることも多いですが、その定義は、「会社を定年退職し、継続雇用の対象となった労働者」などとされているのではないでしょうか。このような定義で適用範囲を定めていた場合に裁判例のロジックにしたがえば、嘱託社員用の就業規則や賃金規程では退職金を支給しない旨定めているとしても、自社を定年退職することなく採用した従業員は嘱託社員就業規則および賃金規程の適用を受けるものではなく、正社員の就業規則の適用を受ける可能性があります。  そうなると、裁判例が述べている通り、退職金の支給を受けたわけでもなければ、賃金や諸手当を低額に抑える要請を受けるものではないという点も共通することになりますので、退職金を支給する対象になり、想定外の状況になりそうです。  このような事態を避けるためには、嘱託社員就業規則が適用される範囲について、自社を定年退職した従業員だけではなく、定年年齢を超えて雇用された労働者も対象にしたうえで、退職金の支給がない旨を明記しておくといった対応をしておく必要がありそうです。