第91回 高齢者に聞く生涯現役で働くとは  幡本圭左さん(101歳)は70年にわたり薬剤師として働き続けてきた。100 歳を超えたいまも白衣に身を包み、週6日は店頭に立つ。2022(令和4)年には、「世界最高齢の現役薬剤師」としてギネス世界記録に認定された。激動の一世紀を生き抜いた幡本さんが生涯現役の秘訣を語る。 株式会社安全薬局 薬剤師 幡本(はたもと)圭左(けさ)さん 尊敬する父が示してくれた道  私は長野県の長野市で生まれました。両親は東京出身ですが、仕事の関係で長野へ移り住んだそうです。家業は燃料問屋で、とても賑(にぎ)やかな環境のなかで伸び伸び育ち、善光寺(ぜんこうじ)の近くにあった女学校へ進みました。私は大正の生まれですから、当時の社会の風潮としては女性が職を持つことなど考えられず、年上の従姉(いとこ)たちは女学校を出たら花嫁修業に精を出していました。父のすすめで私が薬学の専門学校に行くことを聞いた従姉たちから、「あなたは職業婦人の道を行くのね」といわれたことを覚えています。  ほんとうは、私は教師という仕事に憧れていて師範学校に進みたかったのです。ただ、父から「教師という仕事もよいけれど、薬剤師になれば生涯免状がついて回るから一生の仕事にできるし、人の役に立てる立派な仕事だと思うよ」と励まされ、薬剤師の道を選び、東京の谷中(やなか)にあった東京薬学専門学校女子部に入学しました。現在八王子市にある、東京薬科大学の前身です。私は小さいときから父を深く尊敬しており、父のいう通りにすれば正しい道を歩めると信じていました。いま、70年という長い年月を薬剤師として働き続けているのですから、やはり父には先見の明がありました。  東京都目黒区の住宅街の一角に、幡本さんが守り続けてきた「安全薬局」があり、地域の人たちは親しみをこめて「安全さん」と呼ぶ。店を訪れる人たちは長年愛用の薬を求めながら、目的は幡本さんと楽しくお話しすることだという。 戦争の世紀を生き抜いて  私が女学校を卒業するのと同じ時期に、父の仕事の都合で私たち一家も東京に戻ってきました。私は専門学校を卒業して薬剤師の免状ももらったのですが、1941(昭和16)年から始まった太平洋戦争の戦禍は激しくなる一方でした。お国のために働かなければと化学工場で塗料の分析の仕事をしましたが、いよいよ東京は危ないという判断で、私たち一家は以前住んでいた長野の家に疎開しました。長野でもやはり化学工場の研究室に勤めました。私はどうやらとても運が強いようです。東京でも、長野でも空襲に遭いましたがなんとか生き延びることができました。長野では機銃掃射に遭遇しましたが、危機一髪で助かっています。戦争の記憶はいまでも鮮明に残っており、再びあのような悲惨な戦争が起こらないよう祈るばかりです。  戦後、再び上京して、縁あって25歳で結婚、娘が2人生まれましたが、2人とも私と同じ学校に進み、私の後輩になりました。そしていま、次女夫婦と一緒に住んでいます。週6日店に出る私にとって、娘夫婦の存在はたいへんありがたいです。  父の予想通り、薬学の専門学校で学んだことで化学工場での職を得た幡本さん。その後、夫と2人で薬局経営を目ざすことになるが、岐路に立つたび強運が味方してくれた。 「安全薬局」誕生  終戦を迎えて少しずつ平穏な日々が戻っていきましたが、人生というのは本当に一寸先が見えないものです。自営業の仕事をしていた夫が知人の保証人になったことで店を失いました。友人が困り果てている夫に、奥さんが薬剤師なのだから薬局をやればいいじゃないかとアドバイスしてくれました。家に帰ってきた夫からその話を聞かされた私は、子育てというたいへんな時期だというのに、気がついたら二つ返事で賛成していました。心のどこかで父の「薬剤師は生涯やれる仕事」という言葉を思い出したのでしょう。  薬局を開業することを決めてからは、とにかくたくさんの人にお世話になりました。一番頼りになったのは薬学専門学校時代のお仲間です。  薬局を経営する友人のところで見習いをして一から教えてもらいました。いろんな方の協力で営業許可も取り、医薬品も一式そろえ、雑貨も少し置きました。商売が少し落ち着いたころ、やはり学校時代の先輩が、「これからは漢方薬の時代が来るから漢方薬の勉強をしなさい」と声をかけてくれました。漢方薬の世界は奥が深く、まずは古典から学びました。特別講座などを受講している間は家を空けることが増えましたが、友人が支えてくれました。少しずつ漢方薬の調剤ができるようになったとき、思い切って雑貨を置くのをやめ、漢方薬に特化した店舗に変えました。 ギネス世界記録の認定  「安全薬局」の変遷にかかわらず、ずっと通い続けてくださるお客さまがいなければ70年という長い歳月を経て、営業を続けることはできなかったと思います。  遠方から通ってくださる方もいます。自分の子どもに「安全薬局」をつないでくれた方もいます。ただただ感謝しかありません。  私は2022(令和4)年7月に99歳292日の時点で世界最高齢の現役薬剤師ということでギネス世界記録に認定していただきました。5人いる孫の1人が何かで調べてきて、すごいことだから申請しようということになったのです。世界記録という栄誉はそれこそ私のものではなく、皆々さまのものだと感謝しております。  歴史に「もし」はないといいますが、70年前、「もし」友人の一言がなければ「安全薬局」は存在しませんでした。 漢方で毎日明るく元気に  いろいろな方から健康の秘訣を聞かれることがありますが、思いつくのは、いま、住まいが3階なので店に出るために毎日20段の階段を昇り降りしていることぐらいです。あとは、起床後に10分ほど手足を動かし、自己流のストレッチをやっています。  とにかくお客さまに健康を売る仕事ですから、私がよたよたしていては申し訳ありません。私がいま毎日心がけていることは、お客さまがこうしてほしいと思っていらっしゃることを叶えてさしあげたい、ということです。そのために、どうしてこうなったのかしら、今後どうしたら健康を保つことができるのかしらなど根本的なことを話し合い、お互い努力をしてお客さまから「ありがとうございました。お陰さまで元気にすごしております」とおっしゃっていただいたときが私の一番の元気の源です。  そして、すばらしい天職を与えられたこと、長生きができた身体を与えられたこと、大勢の方々の御指導で現在があることに感謝し、これからもお客さまとの御縁を大切に、毎日元気で明るくすごしていきたいと思います。