Leaders Talk No.122 未来に向けた「健康経営の進化」を提言 高齢化の「進化」で生涯現役社会を構築 特定非営利活動法人健康経営研究会 理事長 岡田邦夫さん おかだ・くにお 大阪ガス株式会社産業医、健康開発センター管理医長を経て統括産業医に就任。2006(平成18)年にNPO法人健康経営研究会を設立し理事長に就任。現在、経済産業省健康経営推進検討会委員。厚生労働省と文部科学省のメンタルヘルス関係の委員などを歴任。  いまや企業経営には欠かせないキーワードとなった「健康経営○R」(★)。この言葉を生み出したNPO法人健康経営研究会では、2025(令和7)年3月に、「『健康経営の進化』―2040年の日本の未来に向けて―」という提言を、健康長寿産業連合会、健康経営会議実行委員会との連名で発表しました。今回は、NPO法人健康経営研究会理事長の岡田邦夫さんに、同提言のねらいと、今後の健康経営のあり方についてお話をうかがいました。 アメリカの「ヘルシーカンパニー」の発想をもとに日本独自の「健康経営」を提言 ―働く人の健康を含む人的資本への関心が高まるなか、「健康経営」があらためて注目されています。日本で初めて健康経営を提唱したNPO法人健康経営研究会の設立の経緯と活動について教えてください。 岡田 私たちは健康経営を「企業が従業員の健康を経営的視点でとらえ、戦略的に実践することで、経営面でも大きな成果を期待できる」と定義しています。  健康経営の考え方はアメリカの「ヘルシーカンパニー」に由来します。米国の経営心理学者のロバート・ローゼンが1980年代に「健康な従業員こそが収益性の高い会社をつくる」というヘルシーカンパニーという考え方を掲げ、経営的視点から体系化しました。ローゼンは、健康な従業員はパフォーマンスも高いと主張し、不健康だと従業員の能力が発揮されないことから健康管理の重要性を指摘しています。その一方で、アメリカでは健康を害し、仕事ができない人を解雇できる法律があります。企業は従業員の健康づくりの支援はしますが、健康状態が悪い人は取締役や管理職になれません。なぜなら管理職になったとたん心筋梗塞などで亡くなってしまうと、それまでの投資が無駄になるからです。  しかし日本では解雇権濫用法理があり、合理的理由なく辞めさせることはできませんし、入社してから退職まで雇用し、健康保険組合が疾病などを中心に健康をサポートしています。一方で、健康診断など莫大な健康管理費用を費やしているにもかかわらず、健康診断の有所見率は増加傾向にあり、「やりっぱなし・ほったらかしの健診」といわれることもあるように、投資に対してリターンを求めていないというおかしな状況でした。そこにメスを入れて健康の持つ事業性を経営者がしっかりと認識し「投資をしている以上リターンを求めるべきだ」というのが健康経営の最初の発想でした。そこで有識者が集まり、健診のあり方を含めた検討会を設置し、それを機に2006(平成18)年に健康経営研究会を設立しました。同年に「健康経営」という言葉の商標登録を行いNPO法人としての活動がスタートしました。活動当初は理事が活動費を出しあって、無償で健康経営のセミナーなどの普及啓発活動に取り組んできました。 ―当初はなかなか浸透しなかったということですが、いまでは経済産業省の「健康経営優良法人」の認定など、健康経営に対する企業の関心も高まっています。 岡田 1995年に高齢社会対策基本法が制定され、「高齢化の進展の速度に比べて国民の意識や社会のシステムの対応は遅れている。早急に対応すべき課題は多岐にわたるが、残されている時間は極めて少ない」と危機感が表明されました。生産年齢人口が減少する一方で、高齢労働者は増加し、健康や体力に関する経営課題が顕在化することも予測されていました。労働者の健康が企業経営に及ぼす影響はますます深刻になるとの危惧から、当時の厚生省、労働省、通商産業省で議論が始まり、私も委員として議論に参加しました。  ですが、私たちの啓発活動でセミナーを開催すると、中小企業からは「従業員も不足していないし、人手不足の心配はない」といわれるなど、なかなか浸透しませんでした。潮目が変わったのは政府が“国策”として推進の旗を掲げたことです。2014年の安倍晋三内閣で閣議決定された「『日本再興戦略改定2014』ー未来への挑戦」で「健康経営」の推進が掲げられ、経営者に対するインセンティブとして「健康経営銘柄」の設定を打ち出しました。さらに2016年度からは「健康経営優良法人認定制度」も始まりました。私たちの活動にも関心が高まり、NPOの会員も現在では100法人を超え、多くの方に賛同をいただいています。営利目的ではなく啓発活動が中心ですが、会員が集まったことで以前の手弁当から、講師に交通費や講演料も出せるようになりました。 経営的視点でとらえる1.0、深化を図る2.0を経て 健康経営は「高齢化の進化」をうながす3.0へ ―健康経営研究会では、2021(令和3)年に「未来を築く、健康経営の深化」と題する政策提言を行い、2025年3月には、健康長寿産業連合会、健康経営会議実行委員会とともに「健康経営の進化―2040年の未来に向けて―」を発表されました。提言のねらいについて教えてください。 岡田 2006年(健康経営研究会設立時)に提唱した健康経営の考え方を1.0、2021年の提言を2.0、今回の提言を3.0と位置づけています。1.0では経営者が健康管理を単なる福利厚生の一環とせず、経営戦略として推進することを提起し、2.0では従業員をコストではなく「資本」としてとらえ、経営者を含む組織全体が倫理観に基づき健康経営を実践することの必要性について提言を行いました。2.0で「深化」という言葉を使ったのは、健康経営を深めることによって組織を活性化することがねらいでした。  健康経営3.0の核心は、「人的資本の変革」を通じた「高齢化の進化」への新しいアプローチです。少子高齢化がきわめて大きな課題となるなか、2025年に団塊世代すべてが後期高齢者となり、2040年には団塊ジュニア世代が65歳に入ります。この間にしっかりと対策を打たなければ健康な働き手がいなくなるという問題意識があります。「人生100年時代」といわれ、100歳の長寿の人が増えることは日本人にとって幸せなのか不幸なのか。現役時代に一生懸命働き老後資金を貯めた人、また、定年後も元気に働いて給与をもらえる人は長寿でも幸せでしょうし、そうでない人にとっては不幸かもしれません。老後のケアも含めて退職後も豊かなセカンドライフが送れるようにしていくことが、企業の社会的ミッションとして求められる時代になります。  今回の提言では、そういう時代に経営者が考えていく課題として、@人的資本の変革、A高齢化の進化―生涯現役社会の構築―、B共創社会の実現――の三つを掲げています。@では企業と人との新たな関係構築の必要性を提言しています。従来の終身雇用から、いつでも離職・転職するなど雇用の流動化が進み、働き方もテレワークや兼業・副業の進行など柔軟化がいっそう進んでいく時代になります。人材マネジメントが大きく変わるなかで、経営者は健康管理はもちろんのこと、リスキリングやリカレント投資をどのように行っていくかも重要になります。 ―Aの「高齢化の進化」とはどういうものでしょうか。 岡田 暦年齢通りの高齢化は自然現象です。私たちが問題にしているのは「老化」という現象であり、これをいかに予防していくかが「進化」につながります。日本の企業は中高年従業員には1回あたり5万円以上の健康診断費用を費やしているのに健康は悪化しています。さらに、いまは70歳まで働く人も珍しくありませんが、プレゼンティズム※に陥っている人も多くいます。このままでは生産性が上がらないうえに、医療費の負担もかさんでいくことになります。2025年から2040年の間に「老化」を予防し、70歳まで元気に働ける人をつくることが、日本にとって最後のチャンスだと考えています。  ただし最終的な「老化」は会社では管理できません。今後は健康経営の一つの考え方として、労働者自身が主体的に健康経営を推進していくことを提唱しています。70歳まで、あるいはさらにその先も働こうと思えば、高齢者が自らの健康を主体的に管理し、予防的な取組みを積極的に進めていく必要があります。また、1社のみが健康経営を営んでも、他社が健康問題を抱えるようになるとB2Bのビジネスが成立しなくなるので、多くの企業が健康経営を営みお互いに成長しなければ社会が発展しません。Bの共創社会の実現とは、お互いに健康経営を営むことを意味しています。 従業員一人ひとりのヘルスリテラシーを高めだれ一人取り残さない健康経営の推進を ―最後にこれから健康経営に取り組む企業の担当者にアドバイスをお願いします。 岡田 まず自社にどんな課題があるかを把握することです。企業や業種によって課題は異なります。何が最も重要な課題なのかを評価しなければ効果が期待できません。自社の課題を発見するためには、例えば、協会けんぽから送られてくる特定健診のデータを利用するのも一つの方法です。課題を発見したら改善するためにはどうすればよいかを考えて具体策を実践し、さらに結果を検証するという流れが健康経営には不可欠です。  また、個人のヘルスリテラシー意識を高めるには、経営者自身から「わが社の未来にとって一人ひとりの健康が非常に大切だ」と従業員に伝えることです。特に中小企業の場合は一人ひとりの従業員がそれぞれの職場で大切な役割をになっていますし、今後は高齢従業員を含めて一人でも欠けることは経営にとっても厳しくなります。従業員をだれ一人として取り残さない健康経営に取り組んでいただくことを期待しています。 (インタビュー/溝上憲文 撮影/中岡泰博) ★「健康経営○R」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。 ※ プレゼンティズム……出社しているにもかかわらず、心身の問題が作用してパフォーマンスが上がらない状態