新連載 がんと就労 −治療と仕事の両立支援制度のポイント− 産業医科大学 医学部 両立支援科学 准教授 永田(ながた)昌子(まさこ)  二人に一人が罹患するといわれる病気「がん」。医療技術の進歩や治療方法の多様化により、がんに罹患したあとも働きながら治療を続けている人は増えています。その一方で、企業には、がんなどの病気に罹患した社員が、治療をしながら働き続けることのできる環境や制度を整えていくことが求められています。本企画では、特に「がん」に焦点をあて、その治療と仕事の両立支援に向け、企業が取り組むべきポイントを整理して解説します。 第1回 がんの治療と就労の現状 1 はじめに  今回は、がんの罹患者数の増加、5年生存率の向上、そして治療法の多様化といった現状について解説します。がんは発生部位や悪性度によって予後が大きく異なり、依然として厳しい予後を示すがん種もある一方で、「不治の病」から「つき合う病気」へと変化しつつあるがん種も増えています。  本連載では就労支援の観点から、特に治療と就労の両立が可能ながん種を中心にご紹介します。高齢労働者におけるがん罹患率の高さをふまえ、がん治療の基本的な理解を深めていただければと思います。 2 高齢者のがんの罹患率  高齢者の方が病気になりやすいことは、読者のみなさまもご承知の通りです。具体的な数字で確認しましょう。新型コロナウイルス感染症のパンデミックの影響でがん検診の受診率が落ちた影響もあると考えられていますが、この5年間は、年齢ごとのがんの罹患率に大きな変化は読み取れません。罹患率を50代前半と比較すると60代後半は、男性は約4倍、女性は約2倍です。高齢者に多いがんは、がん検診の対象となっていますので、高齢労働者のがん検診の受診の必要性も強調したいところです(図表1・2)。 3 生存率の向上  罹患率の変化は目立ちませんが、がん治療の進歩は目覚ましいものがあるようです。がんの5年相対生存率は、1993(平成5)〜1996年登録の値(男性48.9%、女性59.0%)から2009〜2011年登録の値(男性62.0%、女性66.9%)に上昇しています。手術はより低侵襲に、薬物療法は細胞傷害薬に加えて、ホルモン療法や抗体療法、分子標的薬など副作用が少ないものが登場し、また副作用をマネジメントする方策も進化しています。  特に分子標的治療薬の登場などにより、治療の発展が目覚ましい肺がんを取り上げると、肺がんのStage4と診断された方の生存期間の平均値は、確実に長くなっているようです。最近公表された論文によると、肺がん(非小細胞がん)Stage4と診断された時期が1995〜1999年の生存期間の平均値は、8・9カ月でした。徐々に、生存期間が延び、2015〜2019年に診断された方は、25.2カ月と約3倍に延びていること、2020(令和2)年以降に診断された方は、さらに延びていることが報告されました(文献3)。 4 がん治療の進歩と就労  このような医療の進歩により、がんの平均在院日数(35〜64歳)は、1996年の31.0日から2020年の13.3日と半減しました。同じくがんの外来患者数は2005年に入院患者数を上回りました(図表3/文献3)。  治療の変化により働ける状態の患者が増えており、がん治療をしながら就労継続を希望する割合も増えています。特に薬物療法をしながら、働く人が増えています。  がん治療の主要な方法は、手術、放射線療法、薬物療法です。ここでは、就労と継続することが多い薬物療法と放射線療法を特に取り上げます。  薬物療法は、おもに内服と点滴に2分され、化学療法、ホルモン療法、分子標的薬、免疫チェックポイント阻害薬などを組み合わせて行われています。点滴投与では、太い静脈にカテーテルを挿入し、皮膚の下にポートを埋め込んで、継続して化学療法を受けられるようにすることが多くなります。近年は長時間投与や多剤併用をする療法が増え、中心静脈ポートを留置するケースが増えています。頻度が多い薬物療法をご紹介すると、2〜3週に1度、外来で数時間かけて点滴治療を行い帰宅します。外来での点滴を終了後も薬剤を持続注入できるポンプ(たばこの箱より少し大きめのケース)を約2日間装着する治療です。通常の生活や入浴を制限する必要もありません。副作用がなければ、薬剤を持続注入している状態で、仕事に従事している人もいます。点滴をしながら仕事をすることに驚かれる患者さんや職場の方もいらっしゃいますが、就労することで治療の効果を下げることはありません。就労に支障が出る副作用がなければ、問題なく就労することができます。また、副作用が出るタイミングと通院の日のみ休んで、そのほかの日に働いている方もいます。  これらの薬物療法により、就労現場で遭遇することが多い副作用とその対応についてまとめたものが図表4です。副作用は個人差が大きいため個別対応(本人のケアと職場での理解・配慮の組合せ)が必要です。みなさまの職場でこのような症状がある方が就労するとき、どんな支援が可能でしょうか。イメージしていただき、環境整備やルールづくりなど、必要な方策を職場で検討いただくとよいかもしれません。  最後に、放射線療法についても触れておきます。放射線療法は連日短時間の照射を行うのが一般的で、毎日の通院が必要となります。しかし、朝一番や夕方最後の時間帯に照射スケジュールを調整することで、就労との両立を図ることが可能です。副作用が軽微な場合には、治療を継続しながら半日勤務などの働き方を選択される患者さんも多くいらっしゃいます。 5 支援の視点  ここまでご紹介したように、がん治療をしながら働く人の支援は、治療法も多様であり、症状の個人差も大きいため個別対応が必要です。本人が行うセルフケアと職場での理解・配慮を組み合わせ、定期的な症状モニタリングと治療状況の確認が重要となります。治療のスケジュールや治療によって生じる副作用、日常生活の留意点を本人を通じて医療機関に確認してください。医療機関、職場、本人の三者連携により、治療と就労の両立を模索することが求められています。  また、これらの医療の進歩、先ほどご紹介した新しい治療薬を利用する場合など、薬剤費が高額となっている印象があります。本人の収入に合わせて、高額療養費制度などの制度が設けられ、自己負担割合が異なるため、「この治療費であれば医療費の自己負担金額は○万円」とは、いえません。医療費は薬剤費だけでなく、血液検査や画像検査、遺伝子パネルの検査の費用などもかかります。月額の医療費を外来でたずねると、月4〜8万円程度の医療機関や薬局での支払いをされている方は珍しくありません。継続してかかる費用ですので、負担を感じる方が多いです。治療費を負担なく支払うためにも就労を希望する方もいらっしゃいます。  さて、連載第1回目として、がんの罹患率やがん治療の多様化、副作用について触れました。第2回目に仕事の両立しやすさの現状や具体的に企業に求められる取組み、第3回目に実際に両立支援者が出た場合の進め方等とそのポイントをご紹介いたします。 【参考文献】 〈文献1〉 国立がん研究センターがん情報サービス「院内がん登録生存率集計」https://hbcr-survival.ganjoho.jp/ 〈文献2〉 がん診療連携拠点病院等院内がん登録2015年3年生存率集計報告書https://ganjoho.jp/public/qa_links/report/hosp_c/hosp_c_reg_surv/pdf/hosp_c_reg_surv_4_2015.pdf 〈文献3〉 Yoshida, K., Watanabe, K., Nishimura, T., Ikushima, H., Ohara, S.,Takeshima, H., ... & Usui, K. (2025). Improvement in Survival in Patients With Advanced Non-small Cell Lung Cancer. Anticancer Research, 45(1), 295-305. 図表1 50代〜70代のがん罹患数の順位 男性 50〜54歳 60〜64歳 70〜74歳 1位 大腸がん 大腸がん 肺がん 2位 肺がん 肺がん 大腸がん 3位 胃がん 胃がん 胃がん 女性 50〜54歳 60〜64歳 70〜74歳 1位 乳がん 乳がん 乳がん 2位 子宮がん 大腸がん 大腸がん 3位 大腸がん 肺がん 肺がん 出典:国立がん研究センター がん情報サービス「院内がん登録生存率集計」をもとに筆者作成 図表2-1 がんの罹患率(男性) 40〜44歳 45〜49歳 50〜54歳 55〜59歳 60〜64歳 65〜69歳 70〜74歳 75〜79歳 2016年 2017年 2018年 2019年 2020年 2021年 出典:国立がん研究センター がん情報サービス「院内がん登録生存率集計」をもとに筆者作成 図表2-2 がんの罹患率(女性) 40〜44歳 45〜49歳 50〜54歳 55〜59歳 60〜64歳 65〜69歳 70〜74歳 75〜79歳 2016年 2017年 2018年 2019年 2020年 2021年 出典:国立がん研究センター がん情報サービス「院内がん登録生存率集計」をもとに筆者作成 図表3 がんの推計入院外来患者数の推移(35〜64歳) 外来 入院 1999 2002 2005 2008 2011 2014 2017 2020 2023 ※厚生労働省令和5(2023)年「患者調査」より筆者作成 図表4 就労現場で遭遇することが多い薬物療法の副作用とその対応 具体的な症状 本人のケア/職場の対応 疲労・体力低下 疲れやすさ がん患者が最も経験する症状で、活動量と休息のバランス調整が重要である。 職場では就労時間短縮、段階的復帰、休憩環境の整備が有効である。 認知機能の低下 短期記憶の低下 集中力の低下 口頭からメールや文書で作業指示をする。 メモを活用するなどの自己対応が必要である。 末梢神経障害 手足のしびれ 感覚障害 冷所や冷温のものを取り扱うと症状が強くなることがある。パソコン作業や細かい動作に支障をきたす。保温や指先運動で症状が和らぐことがある。 消化器症状 悪心・嘔吐、下痢・便秘 頻度が高い副作用である。予防的な服薬管理と食事環境の配慮が重要。 見た目の変化 頭髪、眉毛の脱毛 爪や皮膚の変化 ウィッグや帽子の準備、職場でのプライバシー配慮が就労継続に重要である。 皮膚障害 発疹、色調の変化など 保湿剤の塗布。 直射日光にて悪化することがある。 排尿障害 尿漏れなど 排尿障害では、デオドラント効果のある尿取りパッドの使用、自己導尿といった自己対応が必要である。トイレに行きやすい環境の整備があると就労継続しやすい。 ※筆者作成