がんと就労 −治療と仕事の両立支援制度のポイント− 産業医科大学 医学部 両立支援科学 准教授 永田(ながた)昌子(まさこ)  二人に一人が罹患するといわれる病気「がん」。医療技術の進歩や治療方法の多様化により、がんに罹患したあとも働きながら治療を続けている人は増えています。その一方で、企業には、がんなどの病気に罹患した社員が、治療をしながら働き続けることのできる環境や制度を整えていくことが求められています。本企画では、特に「がん」に焦点をあて、その治療と仕事の両立支援に向け、企業が取り組むべきポイントを整理して解説します。 第2回 職場で求められる両立支援とは 1 はじめに  第1回※1では、がんの罹患率が高まるのは高齢者であること、がん治療の進歩により、治療を継続しながら就労可能な人が増えていることなど、特に医療の視点からご紹介しました。  第2回となる今回は、職場を含む社会全体で治療と仕事の両立がしやすい環境になってきているのか、治療と仕事の両立のしやすさのために企業には何が求められているのか、という視点でご紹介したいと思います。 2 がん治療と仕事の両立のしやすさの現状 (1)がんと診断されてから仕事を辞める人  国立がん研究センターが実施している患者体験調査※2によれば、がん診断時に収入のある仕事をしていた人のうち19.4%(2023年)が、がん治療のため、退職・廃業をしていました。さらに、退職・廃業をした人のうち、58.3%が、治療を開始する前に退職・廃業をしていました(45ページ図表1)。  病気をきっかけに仕事との向き合い方を見直し仕事を辞める方もいますが、病気の受け入れが不十分な状態で、「周囲に迷惑をかけたくない」と、治療と仕事の両立の困難を想像して性急に仕事を辞める人も一定数いると考えられています。辞めたあと、治療が一段落した際に辞めたことを後悔する方もいらっしゃいますので、医療機関でも診断時に「急いで辞めないように」との声かけの重要性が指摘されています。  しかし、高齢者の場合、体力的な不安やキャリア終盤期において「もう十分に働いた」という思いを口にされることもあり、医療機関のスタッフも就労継続について積極的な助言を控える傾向もあり得ます。そのため、職場の担当者の方にお願いです。病気が判明してすぐに退職を申し出てこられた従業員の方がいらっしゃいましたら、退職を保留し、まずは休業することを勧奨いただくと、本人にとってよい選択に結びつくことがあります。  なお、75歳以上は、後期高齢者となり、傷病手当金(私傷病で4日以上欠勤すると、請求できる)は支給されませんので、ご注意ください。 (2)がんと診断されたことを職場に伝えるか  両立支援を受けるためには、病気であることを申し出るところから始まりますが、病気であることを開示することにより、必要以上に心配されたり、就業機会を奪われたりするなど本人が希望していない職場の反応も想定されるため、がん患者の就労が受け入れられていないと感じる状況であれば、病気であることの申し出をためらったり、嫌がったりする人も多いかもしれません。  現状、情報を開示している人の割合をみていきましょう。職場や仕事関係者にがんであることを伝えた人は89.0%と、2018(平成30)年度の81.0%から増加し、職場での情報開示が進んでいることがわかります。ここでさらに注目すべきは、治療と仕事の両立に配慮があったと感じた人が74.5%と、2018年度の65.0%から増えている点です(図表1)。これは、職場全体の意識改革が進んでいることを示しているといえるかもしれません。 (3)社会全体からみる「治療と仕事の両立のしやすさ」  第1回の記事でご紹介したように、がん治療は外来で行われることが多くなってきているため、治療と仕事の両立のためには、「通院のために休みをとりやすい」もしくは「柔軟な働き方ができる」ことが重要となります。  内閣府が行っている「がん対策に関する世論調査」※3では、「がんの治療や検査のために2週間に一度程度病院に通う必要がある場合、現在の日本の社会は、働き続けられる環境だと思いますか?」という問いに対し、「そう思う」、「どちらかといえばそう思う」と答えた人は合わせて45.4%(2023年)でした。2016年の27.9%、2019年の37.1%から増えており、社会全体でも、治療しながら働くことへの理解が進んでいるといえます(46ページ図表2)。  一方、依然として約半数は、働き続けられる環境でないと回答していることも注目すべき事実です。抗がん剤投与以外にも各種検査や治療のための通院も合わせると、年次有給休暇がなくなってしまい、通院以外の理由で休むことができない状況となり、働き続けることに不安を感じる患者さんも多くいます。年次有給休暇以外の制度として、病気欠勤などの制度があると、ルールに則り欠勤(通院)し、治療と仕事の両立を図ることができる事例もあります。  このように治療と仕事の両立のしやすさは、会社が持っているルールに依存する事例があるため、会社が事前に環境整備として、ルールをつくっておいていただけると治療と仕事の両立が進みます。 3 会社が事前に行っておく環境整備  がん治療と仕事の両立のしやすさに必要な環境整備を考えていきましょう。事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドラインに沿って確認していきます(47ページ図表3)。 (1)基本方針の表明と意識啓発の重要性  治療と仕事の両立支援を実施する際、当事者をサポートするために、上司や同僚等に負荷がかかることがあります。過度の負担とならないように配慮する必要があるとともに、一定の負担を理解し協力してもらうために、関係者の理解は欠かせません。関係者の理解を得るために、事業者の方針の表明や、両立支援の必要性や意義についての意識啓発が進むと、いざ事例が出た際も安心して、受け入れることができます。  企業の先進的な取組みとして、「社内ピアサポート」という取組みをご紹介します。がんを経験した社員が、同じくがんに直面している(または治療中・治療後の)社員を支える仕組みや活動のことです。ここでいう「ピア(peer)」は「同じ立場の人」、「仲間」という意味で使われており、患者同士の支え合い(ピアサポート)の企業内版です。大企業であれば、がんを経験した社員は複数います。社内ピアサポートの取組みが進むと、そのほかの社員の方に対しても、がんに罹患しても就労できることの安心感、両立支援の必要性や意義の意識啓発につながると考えます。 (2)相談窓口などの明確化  当事者の相談窓口や、申し出があった際の関係者間の役割を整理しておくと、相談がたらい回しにならず、情報が過不足なく伝えられると考えられます。相談窓口は、産業保健スタッフもしくは人事労務スタッフが担当することが多いです。社内ルール(休業期間や休業願いなどの必要な文書について)、社会保険料や復職の手順や必要な文書などについて説明するなかで、両立支援の申し出の有無について確認するとよいでしょう。  両立支援の申し出において、症状や治療の状況などの病気に関する情報が必要となりますが、これらの情報は機微な個人情報であり、取り扱う者の範囲を決める、情報を同僚などに開示する場合は本人の同意を得るプロセスが必要です。特に、性別に特有のがん(子宮がん、卵巣がん、精巣がん、前立腺がん)の病名の開示を嫌がる労働者の心情もあることと、職場に必要な情報は、配慮の根拠となる症状や治療の内容の情報であり、必ずしも病名は必要ありません。これらの情報の取扱いも、健康診断の情報などの取扱いと含めてルール化しておくことが必要です。 (3)休暇制度や勤務制度  休暇制度や勤務制度において、どのような場合に利用するのか、もしくは両立しやすくなるのかを考えていただくために、図表4のような利用想定を示します。一つの制度で、働きにくい障壁のすべてを解決することはないと考えられますので、複数の制度をつくっていただくと、両立しやすくなります。また制度があっても利用しにくい場合もあるようです。利用しやすい環境かどうか、すべての職場で利用しやすいことが理想的です。  第1回でご紹介したように、がん治療をしながら働く人の支援は、治療法も多様であり、症状の個人差も大きいため、個別対応が必要です。次回は、具体的に事例が発生した場合に、どのように対応するとよいのかをご紹介します。 ※1 本連載の第1回は、当機構(JEED)ホームページでお読みいただけます。 https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder_202507/index.html#page=46 → ※2 国立がん研究センター「患者体験調査」 https://www.ncc.go.jp/jp/icc/policy-evaluation/project/010/2023/index.html ※3 内閣府「がん対策に関する世論調査」 https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-gantaisaku/ 図表1 がんと診断された人の両立支援の状況 2018年度 2023年度 がん診断時に収入のある仕事をしていた人 44.2% 44.1% 診断時に働いていた職場や仕事上の関係者にがんと診断されたことを話した人(がん診断時に収入のある仕事をしていた人のみ) 81.0% 89.0% 職場や仕事上の関係者から治療と仕事を両方続けられるような勤務上の配慮があったと思う人(がん診断時に収入のある仕事をしていた人のみ) 65.0% 74.5% 治療開始前に就労の継続について医療スタッフから話があった人(がん診断時に収入のある仕事をしていた人のみ) 39.5% 44.0% がん治療のため、休職・休業した人(がん診断時に収入のある仕事をしていた人のみ) 54.2% 53.4% がん治療のため、退職・廃業した人(がん診断時に収入のある仕事をしていた人のみ) 19.8% 19.4% がん治療開始前に退職した人(がん診断時に収入のある仕事をしていた人、かつ、退職・廃業した人のみ) 56.8% 58.3% 出典:国立がん研究センター「平成30年度、令和5年度患者体験調査」 図表2 仕事と治療等の両立について Q.現在の日本の社会では、がんの治療や検査のために2週間に一度程度病院に通う必要がある場合、働き続けられる環境だと思いますか。この中から1つだけお答えください。 2016年 1.そう思う 9.8% 2.どちらかといえばそう思う 18.1% 3.どちらかといえばそう思わない 35.2% そう思わない 29.3% 無回答 7.7% 2023年 1.そう思う 8.6% 2.どちらかといえばそう思う 36.8% 3.どちらかといえばそう思わない 39.1% そう思わない 14.5% 無回答 1.1% 出典:内閣府世論調査「がん対策に関する世論調査」(2016、2023) 図表3 事業場における治療と仕事の両立支援ガイドライン 「4.両立支援を行うための環境整備(実施前の準備事項)」 1)事業者による基本方針等の表明と労働者への周知 2)研修等による両立支援に関する意識啓発 3)相談窓口等の明確化 4)両立支援に関する制度・体制等の整備 (ア)休暇制度、勤務制度の準備 (イ)労働者から支援を求める申出があった場合の対応手順、関係者の役割の整理 (ウ)関係者間の円滑な情報共有のための仕組みづくり (エ)両立支援に関する制度や体制の実効性の確保 (オ)労使等の協力 出典:厚生労働省「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」 図表4 両立支援制度の具体例 制度 利用想定(具体例) 時間単位の年次有給休暇 短時間の通院等があっても、年次有給休暇を無駄なく利用できる。治療だけでなく、検査の受検や検査の結果の説明など、医療機関に通院する頻度が増える場合あり 傷病休暇・病気休暇制度 通院や抗がん剤の副作用等があるなど症状の変動に合わせて、休業することが可能となり、症状が落ち着いている状態であれば就労できる 短時間勤務制度 (復職直後など)徐々に仕事の負荷を上げていくことができる放射線治療など、毎日通院治療が続いても、就労が可能となる場合がある 時差出勤制度 満員電車等、通勤の負担を減らすことができる。通勤の負担として、薬物療法等による下痢等の副作用や時間的、身体的負担も軽減される 在宅勤務制度 通勤の負担なく、就労することができる感染症に罹患しやすいことを懸念している場合、安心して就労可能である ※筆者作