第108回 高齢者に聞く生涯現役で働くとは  田所瑞也さん(71歳)は、半世紀を超えて印刷業界ひとすじに歩いてきた。高校卒業後に就職した会社で腕を磨き、たえず新しい技術力が求められる業界で切磋琢磨(せっさたくま)の日々を送ってきた。立場が変わった現在も、任された仕事に変わらぬ情熱を注ぐ田所さんが、生涯現役で働くことの喜びを語る。 アベイズム株式会社 パート社員 田所(たどころ)瑞也(みずや)さん アナログの世界の楽しさに出会って  私は福島県いわき市の生まれです。いわき市には常磐(じょうばん)炭鉱があり、父は炭鉱夫でした。石炭産業は戦後の日本の産業を牽引しましたが、私が高校を卒業するころには閉山していましたので、町はかつての賑わいを失っていました。高校には東京の企業から求人情報が数多く届いており、印刷業がどのような業界かわからぬまま、横浜にあった阿部(あべ)写真(しゃしん)印刷(いんさつ)株式会社(アベイズム株式会社の前身)に就職しました。大企業といわれる印刷会社からも複数の求人がありましたが、この会社を選んだのは縁があったからだと思います。70歳を超えたいまでも、現役で働き続けられる日常を思えば、18歳のときの私の選択は正しかったといえるかもしれません。  当時、横浜の工場には、大きく分けて印刷と製本の部門があり、私は製本の部門に配属されました。何の知識もなく、いきなり現場に出され、先輩の職人の背中をのぞき込みながら、身体で仕事を覚えていきました。製本の仕事をしながら、印刷の仕事にも興味がわき、ほどなく印刷の部門に移りました。  印刷の世界は日進月歩(にっしんげっぽ)といいます。こんなにも急速に変化した業界はないと私は思います。そのころはマニュアルもなく、まったくのアナログの世界でしたが、自分の力が試されるやりがいのある時代でもありました。  現在の社名「アベイズム」は「確固たる哲学を持つ会社」という強い意志を表しているとのこと。定年後も、その哲学とともに歩き続ける田所さん。ユーモアたっぷりの話しぶりから、会社の風通しのよさが伝わってくる。 神奈川の横浜市から千葉の長南町へ  最先端の印刷の現場で経験を重ねて17年ほどが過ぎたころ、会社が千葉県からの誘いを受けて千葉県長南町(ちょうなんまち)の長南工業団地に1991(平成3)年に工場が移転しました。「農村地域工業等導入促進法」によって、かつての農村地域に工業団地が次々に造成されていった時代です。高校を出て勤め始めた横浜市には「都会の香り」があふれていましたが、外房(そとぼう)線の茂原(もばら)駅から車で20分ほどの工業団地を訪れたときは、たいへんな所に来てしまったと思いました。しかし、豊かな自然に囲まれた広大な新工場は、私には新鮮でもありました。新しい印刷機械も次々と導入され、自分も技術力を磨かなければならないと、気を引き締めたことを覚えています。  そうこうしているうちに、私は製造部門のトップを任されることになりました。学歴のない自分を評価していただき、まじめに働いていれば報われることもあるものだと、ますます気合が入りました。  取材は長南工業団地の一角にある社屋で行われた。工業団地ができてから30年以上が経つが、白亜(はくあ)の社屋はいまも美しい。外観はもちろん、社内のレイアウトにも、同社のセンスのよさが感じられた。 再び製本の世界へ  製造部門のトップとして150人以上の部下たちの先頭を走り続けてきた自分も気がつけば定年を迎える年齢になっていました。当社は60歳で定年、その後は再雇用という立場で65歳まで働き続けることができました。65歳で退職して、さあ、憧れていた悠々自適の日々が待っているとわくわくしたものです。ところが、いざ退職してみると、退屈な毎日が続きました。50代のころから漠然と退職後の世界に夢を抱いていましたが、思えば働いていたからこそ見ることができた夢だったのかもしれません。もちろん少しは自由な時間を満喫(まんきつ)しましたが、働きたいという思いは日に日に強くなっていきました。ハローワークに行こうかと迷っていたころ、思いがけなく会社からオファーがありました。もう一度雇ってくれるというのです。退職して8カ月が経った夏、私は再び働く場を得たのです。  8カ月ぶりに戻ったのは、印刷の現場ではなく製本の現場でした。高校を卒業して初めて飛び込んだ世界へ帰ることになりました。印刷部門での仕事が長かったため、ブランクがありましたが、かつて先輩の職人から学んだ技術を身体が覚えていました。とはいうものの製本の世界も近代化され、新しく覚えることが山のようにありましたが、それもまた働くことの喜びでした。  「毎日ふらふらしていた私を見かねた仲間たちが私を会社に戻してくれたのだと思っています」と田所さん。気さくで明るい性格は若い人たちからも愛され、日々の交流がそのまま若手育成にもつながっている。 働き続けるというぜいたく  いまは製本の現場で梱包の作業に従事しています。通常の勤務は8時半から17時半までですが、立ち仕事が多いので、9時から16時までの短時間勤務です。ただ、以前とは異なり、新しい機械が導入されているので、仕事そのものはずいぶん軽減されました。たくさんの若い人たちと一緒に働いていますが、仕事に余計な口出しはしません。作業のマニュアルが完備されていますので、先輩の背中を見て仕事を盗むようなことはなくなりつつあるのです。  くり返しになりますが、印刷業はとても変化が激しい業界です。1991年に長南町へ移ってきたころは250人ほどの従業員がいましたが、その後のデジタル化により、現在は130人ほどの陣容です。慢性的な人手不足が続いた時代とは、隔世(かくせい)の感があります。  高校を卒業してこの世界に入って半世紀が過ぎました。同期入社の4人と、会社が借り上げてくれた寮で生活をともにした日々が懐かしく思い出されます。  私が長く働き続けてこられたのは、モノづくりの現場は苦労も多いけれど、創意工夫によって工程を改善する喜びがあったからだと思います。また、自分たちが手がけた仕事が形になって自分の目で確かめられるところも、モチベーションの向上につながっています。若い人には、少々つらいことがあったとしても、少しがまんして働き続ければ、新しい世界が開けてくるということを伝えたい。  そもそも趣味がない私に、悠々自適の生活など無理があったようです。8カ月でその生活に音(ね)を上げたとき、必要としてくれた会社があったからいまの自分がいます。だれかの役に立っているという自覚こそが、生涯現役を続ける肝(きも)ではないでしょうか。  生涯現役で働くためにまずは健康でいたいと、昼休みには緑豊かな会社の周りをせっせとウォーキングしています。ウグイスの声に聞きほれたり、名も知らぬ小さな花にいやされたり、ぜいたくな時間に感謝して、明日もまた現場に立ち続けようと思います。